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2011.12.26 (Mon)

リング外では悪玉でなかった上田馬之助

http://www.tobunken.com/news/news20111222121823.html

イベント
2011年12月22日投稿
徹底した男 【訃報 上田馬之助】

梶原一騎/辻なおきコンビによる『タイガーマスク』、第一部の
クライマックス。捕らわれた健太を助けに単身“虎の穴”本部に
乗り込み、ピンチとなったタイガーマスクの前に、彼を助けに現れた
6人のタイガーマスク。それは、ジャイアント馬場、アントニオ猪木
をはじめとする、6人の日本プロレスのレスラーたちだった。

この6人の中に上田馬之助もいる。ちょうど海外遠征中だった彼が
馬場にタイガーの情報を伝えるという、大事な役目を負っていた。
このエピソードが掲載されたのが1971(昭和46年)。
まさにその同時期、日本プロレスは、団結してタイガーを助けにいく
どころか、クーデターによる分裂の危機を呈していた。

もともとは力道山なきあと、団体を私物化していた芳の里や遠藤幸吉、
吉村道明(吉村も上記6人の中に入っていたのだが……)ら経営陣
に猪木が不満を抱き、彼らの追放を計画し、それに馬場と上田が同調
してクーデター計画が立案された。しかし、話が進むにつれ、三者の
思惑が次第に乖離していき、ついに上田が猪木の計画を会社にご注進する
という裏切り行為に出て、猪木は日本プロレスを追放される。
この上田の裏切りは今に至るもプロレス界の闇の部分とされているが、
もともと上田は遠藤の付き人出身であり、遠藤を芳の里らと共に
追放しようとした猪木の過激な改革案に上田が抵抗を感じたためでは
なかったかと言われている。

だが、上田が裏切者の名を覚悟してまで忠誠を尽くした遠藤は、
日本プロレス崩壊後、つらりとして猪木の旗揚げした新日本プロレス
に加わり、プロモーター、解説者として地位を確保した。

馬場が著書『16文が行く』(ダイナミックセラーズ出版)の中で語って
いるところでは、この時に感じた人間不信が、上田馬之助をしてあれだけの
ヒールへの転身をさせたのではないか、ということだ。

馬場は同じ著書の中で、上田が「まだら狼」としてヒールで売り出した
とき、故郷に帰ったら子供に石をぶつけられた、というエピソードを
紹介して、
「よくもそこまで悪に徹底出来たと思う」
と馬場一流の賞賛をしているが、裏切りにしろ、ヒールへの徹底にしろ、
これは上田馬之助という人間の不器用さを表していると思う。
猪木の過激改革に不満があったにしろ、そもそもクーデター計画に
かなり初期から加担していたということは、若き上田の中に正義感
があふれていたということだ。しかし、それと(馬場の言を信じる
なら)かつて付き人だった遠藤への義理を両立させるというのはいくら
なんでも無理があり、その両者の心理の間で板挟みになった結果、
彼一人が裏切者の汚名を着るという、最もブの悪い選択をしてしまった。
〈略〉
馬場が感心したヒールへの徹底も、後のアメリカン・プロレスの
方式を取り入れたレスリングなら、ギミックとして“悪を演ずる”
ことも出来ただろうが、真面目な上田は、悪を演ずるならリング上
だけでなく、徹底して悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ること
が出来なかったのだろう。1982年の映画『爆裂都市 BURST CITY』
(石井聰亙監督)に上田は暴力団のボス役で出演しているが、その
セリフの棒読み具合は凄いもので、これは“役を演ずる”ことなど
とても出来ないわ、と思わせるに充分であった。

とはいえ、タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビにおける
上田の役割はなかなかのものだった。悪というよりは狂気であるシン
の入場時、プロレスのタブーを無視して客にまで襲いかかろうと
するシンを必死で押さえてリングまで誘導する上田の姿は、ある意味
で真面目人間が一所懸命悪を演じながら出してしまっているボロ、
なのであるが、それが、あのプロレスブームの雰囲気の中では、
狂人をあやつっている男、という“頭脳派”のイメージを与え、
かつて馬場や猪木を裏切った男という悪印象を、“油断のならない
策士”という、リング上でのギミック作りにうまく転じさせていた。
これは完全にギミックの狂虎であったジェット・シンからの信頼も
絶大であったという。真摯さゆえの成功であったろう。

交通事故で晩年は下半身不随という不運に見舞われたが、自分のこと
よりも、共に車に乗っていて命を落とした若いスタッフのことに
涙し、“変わってやりたかった”と言っていたそうである。
ここらも、車椅子になってからまでヒールを演じていたフレッド・
ブラッシーなどに比べ甘いが、その甘さが、日本人にはちょうど
よく感じられる。

21日、誤嚥性窒息により死去、71歳。
あの、リングサイドでの痺れるようなワクワク感を与えてくれたお礼と
共に、冥福をお祈りする。


「ヒールをやり通して、尊敬する先輩でしたね」と語る坂口征二をはじめ、上田馬之助が
「徹底したヒールキャラを通していた」ことを賞賛する声は多い。

http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=6807
>■坂口征二相談役の追悼コメント
>『日本プロレスに入門した時から、先輩でしたからね。アメリカで一緒にタッグを組んで
>いたこともあるし、新日本では闘ってきたしね。日本人レスラーには出来ないような、
>ヒールをやり通して、尊敬する先輩でしたね。事故のあとも何度かお見舞いに行って、
>早い回復を祈っていましたが、とても残念です。心よりご冥福をお祈りいたします』


http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>・徹底したヒールキャラを通していたため、親類の幼い子供から「おじちゃんは家に来な
> いで!」と言われたことがあるらしい。プロとしてヒールを演じていた上田は後に「あれ
> が精神的に一番辛かった」と述べたという。しかし、現在行っている施設慰問は現役
> 当時から続けているもので、訪問先では「上田のおじちゃんが来た!」と子供たちに
> 大喜びで迎えられていたという。施設慰問のことを取材したマスコミが「このことを記
> 事にしてもいいか?」と聞いたら上田は「そんなことしたら俺の悪役のイメージが壊れ
> るからやめてくれ」と断った。
〈略〉
>・引退のきっかけとなった交通事故で、運転していたIWAジャパンの営業部員は死亡し
> た。その話を聞き「俺が死ねばよかった。なんで人生まだこれからの若い奴が死なな
> きゃならないんだ」と号泣したという。


http://zenmai-zikake.at.webry.info/201112/article_6.html
>上田は悪役としてピークを迎えようとしていた頃、
>身内に危害が及ぶのを懸念して、家族をアメリカへ移住させている。
>いまでは考えられないが、プロレス黄金期の悪役というのは
>それほどリスクの高い仕事だったのだ。

>実際、上田が親類の子供に会いに行くと、
>「おじちゃんは悪い人だからもう来ないで!」などと云われる始末で、
>子供好きな上田にとっては、これが相当きつかったらしい。

>要は“本気なんだけど本気ではない”というプロレスの心が
>理解できていたファンは、当時は大人でさえ少なかったのだ。
〈略〉
>現役時代から続けていた施設慰問に関しても、
>嗅ぎつけた記者が『記事にしてもいいか』と上田に訊ねたところ、
>「悪役のイメージが壊れるからやめてくれ」と。大変なプロ意識だった。


しかし、唐沢俊一は、「真面目な上田は、悪を演ずるならリング上だけでなく、徹底して
悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ることが出来なかったのだろう」と、わけのわから
ないことを言い出す。「施設慰問」のエピソードなどは、この説 (珍説?) に都合の悪いせい
か、それとも今回は Wikipedia にさえ目を通していないせいか、唐沢俊一の文章には
登場しない。

『爆裂都市 BURST CITY』のセリフについては、「演説シーンのことか? あれは棒読みで
いいんだよ」と、2ちゃんねるのスレで突っ込みが入っていたりしたが (Read More 参照)、
そもそもセリフが凄い棒読みだったとしても、「これは“役を演ずる”ことなどとても出来ない
わ」と、それを「リング上だけでなく、徹底して悪玉を演じ続けなければ、悪になり切ること
が出来なかった」説の補強に使うのは無茶苦茶というか、説得力なさ過ぎ。

映画俳優としての演技の上手さとリングで悪役を演じる上手さは別ではないかと思うし、
リング外では良い人だったことを示すエピソードが上田馬之助には多過ぎる。それとも
唐沢俊一は、以下のような話をすべてガセと断じるのだろうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>・また茅ヶ崎のダウン症の子供たち向けに焼き物を作ることを通して、コミュニケーショ
> ン能力を教えている施設の遠足会には「荷物持ちのおじちゃん」として参加。川原で
> のバーベキュー等でも活躍。
〈略〉
>・深夜、出待ちの中学生に隠し撮りをされたことがあった。気付いた上田は「こら!」と
> 叱ったが、少年の自宅に「必ず息子さんをお返しします」と電話した上で、「写真を撮
> りたいときはな、まず相手の人にお願いするんだぞ」と優しく諭し、その場で書いたサ
> インを持たせて家まで送り届けたという。


http://blog.livedoor.jp/fugofugoyumeji/archives/52216465.html
>ある日、公園で集団の喧嘩をボコボコと派手にくりひろげていたとき
>「こおらあああっ!!クソガキどもぉ!!なにやってんだああ。」
>と遠くから全力疾走で走ってくる
>金髪の大男!!
>上田馬之助!!
>なぜかそこに居合わせた馬之助さんにより、クソガキどもはみんなまとめて説教され
>次の日から一週間、馬之助さん監視のもと
>その公園の掃除を命じられたのだ。


「プロレスのタブーを無視して客にまで襲いかかろうとするシンを必死で押さえてリング
まで誘導する上田の姿は、ある意味で真面目人間が一所懸命悪を演じながら出してし
まっているボロ」というのも意味不明だし……。止める役がいなければ、「タブーを無視
して客にまで襲いかかろうとするシン」の設定を中途半端に押さえるか、本当に襲わせて
下手すると興行停止になるまでやらせるかしかなくなるだろうと思うのだが。

ちなみに、そのタイガー・ジェット・シンも、いろいろと良い人の顔を見せているという話も
ある。

http://logsoku.com/thread/anago.2ch.net/morningcoffee/1324444989/
>16 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:31:07.38 0
>プロレス界ってヒールの方が普段は穏やかでいい人で
>ベビーフェイスは性格がアレな人が多いらしいね

>20 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:34:03.78 0
>>>16
>そういやスタンハンセンか誰かがヒールは性格のいいやつじゃないとできないっていっ
>たなぁ

>32 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:49:24.66 0
>その頃相棒のタイガージェットシンは笑顔で子供達にプレゼントを配ったり
>せっせと日本の被災地へのチャリティー活動に精を出していました
http://tigerjeetsinghfoundation.com/wp-content/uploads/2011/12/slider-toy-drive-2011.jpg
http://tigerjeetsinghfoundation.com/photos/?cat=9

>40 : 名無し募集中。。。 : 2011/12/21(水) 14:55:35.02 0
>>>16
>たしかにヒールでリング外の評判が悪い奴の話はあまり聞かないな
>シンとかこんな感じだし


さらに、唐沢俊一によると、「共に車に乗っていて命を落とした若いスタッフのことに涙し、
“変わってやりたかった”と言っていたそうである。ここらも、車椅子になってからまでヒー
ルを演じていたフレッド・ブラッシーなどに比べ甘い」そうである。

「“変わってやりたかった”」は「“代わってやりたかった”」ではないかとか、「その甘さが、
日本人にはちょうどよく感じられる」というフォロー (?) つきとはいえ、「甘い」とは酷いん
じゃないかと思うが、それをおいとくとしても、「フレッド・ブラッシーなどに比べ甘い」とは
どういう意味なんだろう。以下の引用は、『お怪物図鑑』 (唐沢俊一と唐沢なをきの共著)
に唐沢なをきが描いていることなんだけど、これはガセだといいたいのかと。

『お怪物図鑑』 P.141
>で、話はとぶが今から10年くらい前だったかな、
>テレビの「あの人は今」みたいな企画に出演した
>「やあ よくきた ねぇ」 ははは
>フレッドブラッシーは なんだか信じられないくらい
>好好翁で豪邸を訪問したスタッフを歓待
>そのとき どんな話を してたかはもう忘れちゃったけど最後に日本のレスラーたちに
>ひとこと、とふられて
>「いやあ」「ははは」
>カメラの方を向いた お爺ちゃん、いきなり
>「聞いているか馬場っ猪木っ今度こそこのキバでおまえらのノドぶえを噛み切ってくれる」
>「それまで首を洗ってまっていやがれ!! わかったかっ」
>プロってカッコいいなあと思いました。


いやまあ唐沢俊一がフレッド・ブラッシーを引き合いに出したのは、以下のような話 (真偽
未確認) が念頭にあったのかもしれないが、同業者であるプロレスラーが相手なら、やれ
ヒールを貫いた、プロだとかいえるにしても、上田馬之助の相手はプロレスラーではない
し、リング上の事故ではなく交通事故なのだから、これで比較するとしたら間違っている。

http://mimizun.com/log/2ch/wres/1054628845/
>59 :お前名無しだろ:03/06/03 22:12 ID:Me92B9iU
>こいつは、力道山の特集番組でインタビューを求められ、
>「俺は力道山には一度も負けていない。」
>「力道山は今頃地獄で苦しんでいる。」
>と言い放ったくそじじぃ。

>すげー萌えたぜ。

>60 :お前名無しだろ:03/06/03 22:12 ID:???
>力道山が亡くなった時(記念興行だったかな?)に天国の力道山に一言と言われ、
>「天国?アイツが行ったのは地獄だ!オレ様が地獄に送ってやったんだ!」と最後まで
>ヒールを貫き通したプロ


参考 (「フレッド・ブラッシー 唐沢俊一」でググった上位)
ガセを書いたらブラッシーに噛み付かれるぞ。
泥棒のようにパクり詐欺師のようにガセを書く。
昭和という時代の一部を殺し続ける劣化コピー


それと、2ちゃんねるのスレで (Read More 参照) で、「漫画『タイガーマスク』のエピソード
に始まって、次のクーデター未遂のくだりは 漫画『プロレススーパースター列伝』の丸写し
じゃないか」と指摘されている件。

http://www.twitter.com/yude_shimada/statuses/149432725747675136
>上田馬之助て漫画の「タイガーマスク」の中では 馬場や猪木と一緒にタイガーマスクの
>コスチューム身につけて虎の穴のアジトまでタイガー助けにきてくれたんだよな。


唐沢俊一は「上田が猪木の計画を会社にご注進するという裏切り行為」と書いているが、
確かにこれは『プロレススーパースター列伝』からとっているっぽい。

http://blog.livedoor.jp/kanshin2005/archives/51366028.html
>2011年12月21日上田馬之助 死去
>元プロレスラーの上田馬之助が亡くなった。71歳だった。
>長らくヒールとして、タイガー・ジェット・シンとのコンビでの活躍が長かった。
>日本プロレス時代からシュートに強いだとか、日プロから猪木が追放されたのは、選手
>のクーデターの計画を上田馬之助が幹部に密告してなんて話(これは「プロレススー
>パースター列伝」だったか)もあった。
>全日本プロレスやインディー団体でも活躍したが、前述のシンとのコンビで新日本での
>活躍が長く、印象的であった。
>晩年、交通事故にあったのが本当に不幸だったと思う。選手じゃなくても、もう少し表舞
>台で活躍してほしいというものもあった。
>時代もあるのだが、これほどヒールに徹した日本人レスラーもいなかったのではないか。


少し長くなるが、これについての Wikipeia の記述は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/上田馬之助_(プロレスラー)
>1971年末の猪木追放騒動では、猪木の計画を日プロ幹部に密告したといわれる
〈略〉
>力道山が亡くなった後の日本プロレス末期に、不透明な経理に不満を抱いていた馬
>場・猪木ら選手会一同は、一部幹部の退陣を要求しようと密かに画策していた。もし
>要求が受け入れられない場合は、選手一同が退団するという嘆願書に全員がサインを
>していたという。
>ところが、仲間だと思っていた上田が「猪木が日本プロレスを乗っ取ろうとしている」と
>幹部に密告したため、慌てた幹部連中の懐柔工作によって選手達は次々と寝返り、猪
>木のみが孤立し選手会を除名され、日本プロレスから永久追放される事件が起きた。
>一方で、猪木と腹心の仲でありサイドビジネスの手伝いもしていた経理担当の某氏
>が、不透明な小切手を切ったり、猪木を社長に祭り上げて日本プロレスの経営権を握
>ろうと画策しているかのような動きを見せたため、このことに気付き危機感を持った上
>田が馬場に相談したのが発端であったともいわれている。
〈略〉
>猪木自身は自著である『アントニオ猪木自伝』の中でこの件について触れ「経営陣の
>不正を正したかったことに嘘はない」としているが、誤解を与える行動があったのは事
>実で100%非がないとは言い切れない。また、馬場の自伝においては、猪木の行動は
>日本プロレス経営改善の名を借りた乗っ取り計画だったとされ、これに関係していた上
>田を馬場が詰問したら「上田が全部しゃべったんです」との記述がある。雑誌ゴングの
>元編集長竹内宏介(馬場の側近としても有名だった)も「馬場が上田を詰問・上田が真
>相を告白・馬場が幹部に報告」という経緯で著書を書いている。
>ただ2007年1月から5月にかけて東京スポーツにて連載されていた「上田馬之助 金狼
>の遺言」において、上田は「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは
>馬場であるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪
>を被らざるを得なかった」と語っている。上田は「証拠となるメモも残っている」と語って
>おり、これが事実なら定説が覆ることになるが、今となっては馬場を含め当時の関係者
>の多くが亡くなっていて事実関係を検証するのは困難であり、真相は藪の中というのが
>現状である。
〈略〉
>「裏切り者」の汚名をきせられた猪木は、以降攻撃的な策士の面をみせる一方でその
>行動にはスキャンダルが付きまとった。元来お人好しで馬場より猪木と気が合ったとい
>われる上田は、以降孤独の身となりフリーとして悪役レスラーを貫き通した。馬場・猪
>木・上田のみならず日本のプロレス界にとっても重要な出来事であり、三者の心に暗い
>影を落としたことも事実である。
> 上田は引退興行の際「猪木さんにお詫びしたい」と語ったといわれ、後に和解したもの
>の、猪木は「追放された事実よりも仲間だと思っていた上田の裏切りに深く傷ついた」と
>語っている。


つまり、猪木とその周辺の「誤解を与える行動」を心配した「上田が馬場に相談したのが
発端であった」とする説もあり、ジャイアント馬場の自伝や、「雑誌ゴングの元編集長竹内
宏介(馬場の側近としても有名だった)」の著書では、「馬場が上田を詰問・上田が真相を
告白・馬場が幹部に報告」ということになっている。

また、上田自身は、「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場で
あるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく」と語っている。

真相は薮の中かもしれないが、「猪木の過激な改革案に上田が抵抗を感じたためでは
なかったか」までならともかく、「上田が裏切者の名を覚悟してまで忠誠を尽くした遠藤」
とか、他の説をとると成り立ちにくい話を、諸説あります状態であることを伏せたまま
一方的に語るのはどうかと思う。上田馬之助の訃報に際しての文章なのに、上田馬之助
自身の言い分をなかったことにしているのも気になる。


テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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2011.12.25 (Sun)

桂文治と談志と唐沢俊一

裏モノ日記 2007年 10月 28日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071028130600.html

ここでは字数の制限で言い尽くせなかったが、
この本の解説の談志の落語に対する姿勢でヒザを打ったのは、
談志が“下手な”噺家を認めていること。私も大好きな九代目
桂文治(トメさんの文治。この本の中ではまだ翁家さん馬)を
「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても
落語研究会の対象にゃあならなかった」
「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。
精々チャンバラの世界の両刀遣いであった」
とさんざけなし、その持ちネタである『歌劇の穴』のセンスの古さを
あげつらった揚げ句、いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら
「迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』とトメさん大明神である」
と断言し、
「そして聴きたい題目(ネタ)は『歌劇の穴』」
と言いきってしまうのだ。

下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾しているのだが、
談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”の体現である
文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛が噴出した、
素晴らしき矛盾の言であると思う。いや、矛盾ではないのかもしれない。
以前にも人と話したことがあるが、聞いてるときは“下手だなあ”
と思ってる芸人の方が、二十年たってみると無性に懐かしくなる。
上手い芸人が好き、なんてのはまだ、本当の演芸ファンでは
ないのかもしれない。いや、演芸に限らず……。


「ここでは字数の制限で言い尽くせなかった」の「ここ」とは朝日の書評のことで、そちら
については、もうちょっと何とかならなかったかな」の『談志絶倒 昭和落語家伝』の朝日
書評
のエントリーを参照のこと。

「下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾している」と唐沢俊一はいうが、もともと
立川談志は、「とてもとても落語研究会の対象にゃあならなかった」ようなタイプの噺家を
否定してはいなかった――というか、落語研究会的な上手い下手の評価に、しばしば懐疑
的な意見を表明する人だったのでは。

以前、「『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道?」のエントリーにも引用したけど、
唐沢俊一自身、立川談志の、「おもしろけりゃ、それでいいやネ……」という言葉を紹介
したりもしているのだ。

裏モノ日記 2002年 05月 31日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020531000000.html

 もう一○○回以上になるだろうが目を通し、いまだ膝を叩く部分ばかりな
のには驚く。もっとも、これは私の落語論が全てここから出発しているんだ
から無理はない。うるさ方のマニアがいちいちトックリの持ち方の高低まで
指摘して高座を批評する若手試演会の様子を聞いて、
「いいじゃねえか、トックリなんかどう持ったって、おもしろけりゃ、それでいい
やネ……。そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 と毒づくところは何べん読んでも笑える。今でも落語に限らず、あらゆる
分野において、“いうことを聞いてると、売れなくなっちまう”批評家という
のがいる。


立川談志は、下手な噺家なんかよりも、つまらない噺家に、とにかく厳しかったと思う。
『談志絶倒 昭和落語家伝』での桂小文治――唐沢俊一が話題にしている、のちの九代目
桂文治「トメさんの文治」「翁家さん馬」とは別人――についての記述などは、かなり厳しい。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.78 (桂小文治)
> これは何度も聴いているが、つまらなかった。
> 『英語本屋』『つもり貯金』『理屈按摩』なんというものもあったっけ。
> この師匠も、勿論古典も演ったが、愚作の新作や古典の改良が随分ある。この種の
>ものは、誰が演っても皆ダメ。「右女助の小勝」を除いては。
>“それは談志、お前がこのスタイルが嫌いなせいだろう”と自問してみるが、どうみても
>面白くない。無理がある。ナンセンスにもなってない。
>“それらを含めて寄席なんだ”と、これまた色川武大氏の弁である。
>「したがって、寄席とは、こよなくつまらない場所なんだよ、あそこは。同じことを毎日
>々々喋り、それを聴かされる。けど、ほかに行くところのない僕としては、そこにいた。
>で、それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」


唐沢俊一が朝日の書評で連発していた「ノスタルジー」とか「昔はよかった」というのは、
立川談志本人の意見よりも、すぐ上に引用した「色川武大氏の弁」にやや近い。もっとも
唐沢俊一の方には、「ほかに行くところのない僕」というものがない分、悪い意味で軽く、
「それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」といったとしても、色川武大の
ような説得力を持たせることは難しいだろう。

立川談志はといえば、色川武大の言葉を紹介しつつも、桂小文治に関しては、「こよなく
つまらない」ことを、「後年になって懐かしく思い出されて」までの境地にはいけなかった
らしい。

ネタがつまらなかったといい、売れなくなった老芸人は浅い (早い時間) の出番にされるの
だが「浅い出番にされた小文治師匠、強引に深いところに自分の権勢で上がっていった
ような気がする。プログラムは浅いが、勝手に深い時間に上がるのだ」 (P.81) とバラし、
落語家のくせに白粉で顔をパフパフはたいてから高座にあがるなんてとクサし、最後まで
大したフォローもなく文章を終えている。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.81 (桂小文治)
> と語っている事柄は皆、小文治師匠の全盛を知らない談志が、自分の見たことだけを
>基準に書いているという反省がある。
> 小文治というと、“ああ、踊りだよな”という表現で終わってしまう。
> 本来は、若い頃、売れまくった頃の情景を書き添えなければいけない、書かなければ
>いけないのだろう。でも、それは無理です。


これに対し、翁家さん馬に向ける立川談志の視線は暖かい。唐沢俊一が引用している
通り、「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあ
ならなかった」、「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々チャン
バラの世界の両刀遣いであった」と「さんざけなし」ているのは本当だし、「その持ちネタで
ある『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらっ」たりもしているのだが、貶すと同時に褒め
てもいるし、語り方が楽しげだ。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.162 ~ P.164 (九代目翁家さん馬)
> 本名,高安留吉、いい名だ。庶民の名である。長屋の住人の名でもある。
> で、楽屋では「トメさん」と、同僚、同期、仲間は呼ぶ。
> 馬風はガキの頃から一緒に育ったし、手前えのほうがガキ大将だから、同じ噺家に
>なっても、“トメ公”と親しげに呼んだ。
> いい顔である。これまた庶民の、江戸っ子の顔だ。それもどっか飄々としていて、もっ
>というと人のいい、もっといやァ間が抜けていて、性格もそうで、すごォーく人がいい。
>あまり、いや、怒ったのをまったく見たことがない。いや怒ったときもあったろうが、
>「でネェ、これがネェ、ですからネェ」
> が高座の口癖で、新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々
>チャンバラの世界の両刀遣いであった。

> 一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあな
>らなかった。寄席で喋るネタも、ほとんど物凄いアナクロの『歌劇の穴』。
>「ねえ、お客さん、近頃の歌ァ聞いて下さい。何ですか、あれ、“忘れちゃいやよ”てン
>ですがネ」
〈略〉
>「忘れちゃいやよ」は確か戦前、歌詞からいって戦雲暗くなる前の渡辺はま子のヒット
>曲だ。調べりゃすぐ判るが、相変わらず家元、記憶だけを頼りにこの原稿用紙に立ち向
>かっているのだ。いや座って向かっているのだ、落語らしくね。


唐沢俊一が朝日の書評に、「自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわか
るものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて書いたものは
ノスタルジーの域を逸脱するというのだろう」とかいっていた (ここを参照) のは、上でいう
「記憶だけを頼りに」にかかっていたのだろうか――と今気がついた。渡辺はま子は落語家
ではないけど。「各落語家の経歴」の方は、各章の始めに記載されているけど。

それはさておき、唐沢俊一は、「『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらった揚げ句」と、
「いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら」の間にはさまっている、以下のような記述を
飛ばして紹介している。このせいで、「談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”
の体現である文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛」とかいうのが、意味不明
かつ唐突な記述にしかなっていないのだろうと思う。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.167 (九代目翁家さん馬)
> このトメさん、妙に落語は可笑しいのだ。下手すぎたのがよかったのか、同じ下手でも
>月の家円鏡の下手は嫌だった。下手な噺家は、あげりゃあいくらでもいるが、トメさんは
>別格で、下手だが、何か愛嬌があったのだろう。


『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.168 (九代目翁家さん馬)
> 演題は変わったところで『大蔵次官』『電話室』。前者は十代目文治の父親柳谷蝮丸
>の新作、後者は大阪時代に林屋染丸に教わったのだろう。
> これらの噺、他に演り手はいなかった。いえ、別に難しいからではございません。バカ
>バカしいからであります。
> 思い付くままに書くと、『大師の杵』『不動坊』『女給の文』『古手買い』『寄合酒』
>『牛の丸薬』『桃太郎』『小粒』。『辻八耳』は先代からか……。
> と書いてて、この師匠のネタと姿を思い出せる人は、いま、はたして……やめよう。
>悲しくなる。
> けどトメさん、ラジオ民放の時代を迎え、その栄光もいささか生まれ、あの絶品『勘定
>板』の物凄さ。後年、後輩の柳家小さん師匠も、この師匠を大いに立てた。興津要
>(早大教授)も同様であった。
> オイ、談志、いま、もし誰かが高座に出てきて聞かせてくれるとしたら、誰だい、と
>いう、よくあるセリフというか、ゲームでもあるが、迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』
>とトメさん大明神である。そして聞きたい題目は『歌劇の穴』。


でも、まあ、引用が不正確というわけとも違うし、唐沢俊一は『談志絶倒 昭和落語家伝』
という本の、翁家さん馬 (のちの九代目桂文治) の章にだけはきちんと目を通していると
いえるだけよしとするべきかも。さすが生まれてはじめて聞いた落語が桂文治だけある
(ここを参照)。というか……はっきりいって、唐沢俊一が、『談志絶倒 昭和落語家伝』と
いう本のそれ以外の部分に、どれだけ目を通しているかははなはだ疑わしいと、個人的
には思っているのだけど。


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2011.12.24 (Sat)

何より大切なのは兜甲児へのショタ萌えというやつ?

http://www.tobunken.com/news/news20111224021014.html

イベント
2011年12月24日投稿
美しきキャラクターたち 【追悼 荒木伸吾】

札幌時代運営していたアニメファンサークルに、女子高生が入会を
希望してきた。プロフィールを見たら、“好きなアニメ”の欄に
当時の新番組『ダンガードA』とならんで、『少年徳川家康』
『新巨人の星』などの名が並んでおり、どうも脈絡がないな、
と思っていたら、誰かがその欄をのぞき込んで、
「わかった、この子、荒木伸吾のファンなんだよ!」
と言って、疑問が氷解したことがあった。上記作品は全て
荒木伸吾がキャラデザインを担当している。1977年当時、
すでにキャラデザインで見るアニメを選ぶディープなマニア女子高生が
存在していたということである。

われわれにとって、キャラクター・デザイナー荒木伸吾の名を
記憶したのは1973年の『バビル2世』においてであり、
そして1975年の『UFOロボ・グレンダイザー』でその
流麗なペンのタッチは脳裏に深く刻まれた。現在の美少女アニメキャラ
の原点とも言うべきマリア(主人公・デュークフリードの妹)が
名高いが、私にとってはゲストキャラの描写が際立って印象的で
あり、中でも76年12月放映の63話『雪に消えた少女キリカ』
に登場したコマンダー・キリカの美しさは、一話のみのゲストキャラ
とは思えないセンセーションを、決して大げさではなく見ていた
ファンたちに巻き起こした。荒木伸吾=美形キャラ、という
公式が完成したのはこの時期であり、それは荒木自身のプロダクション
の女性アニメーターである姫野美智の影響が大きい。
とはいえ、それを男の子向けのアニメの中で輝く存在に仕上げたのは
やはり荒木の才能だろう。

ところでこの『グレンダイザー』のメインキャラデザイナーは
小松原一男なのだが、後半、荒木伸吾にバトンタッチする。前半では
(前々作の主人公でありながら)三枚目的役割に落とされてしまった
兜甲児が、荒木調の作画で美少年キャラとなり、しかも設定上、
年上のデュークフリードに対して徹底した弟キャラで接する。
ちょうど時代は竹宮惠子(当時恵子)が『風と樹の詩』を連載開始
したころ。それまでロボットものは男の子、魔法少女は女の子
と区分分けされていたアニメの世界での視聴者混淆が起こって、
女性たちがフリードこと宇門大介と兜甲児をカップリングさせて
二次創作作品を描くというムーブメントが起こり、これが後の
やおい、BL文化に発展していく。耽美主義傾向が強かった“カゼキ”
(当時のファンは『風と樹の詩』のことをこう呼んだ)系ではなく
後のBLの、あっけらかんとした男子同性愛の世界が主流となった
のは、ロボットアニメという単純明快な世界をその出発点にした
ためではないかと思っている。

荒木氏はまさかそんなムーブメントが自分の作画から起こるとは
想像もしていなかったろう。しかし、やがて氏の代表作となる
作品は、自らが(意識しなかったとはいえ)作り出したBLブーム
の上に乗って女性たちに圧倒的な人気を誇ることになる。
1986年開始のアニメ『聖闘士星矢』である。車田正美原作の
少年マンガっぽいキャラを、見事なアニメ美形キャラに描きかえた
その作品は、ちょうどコミックマーケットの規模が大きく拡大した
時期と合致したこともあり、二次創作系同人誌の人気を一気に
底上げした。荒木氏の本領は決して美形キャラだけではなく、
大胆な画面構成や動きにもあるのだが、しかし、荒木伸吾がアニメ界
になした最も大きな貢献は、このキャラの魅力で凄まじい数の
ファン(主に女性)をアニメに引き込んだことだろう。

http://megalodon.jp/2011-1224-1314-39/www.tobunken.com/news/news20111224021014.html

×デュークフリード ○デューク・フリード
×『風と樹の詩』 ○『風と木の詩』

「札幌時代運営していたアニメファンサークル」って……所属していたのはアニメソングの
同好会で、「僕自身は、アニメソングへの興味はあったがヤマトのファンでも何でもなく」と
昔の本には書いていて (ここを参照)、「本当はサークルの代表者ではなかった唐沢俊一
なのだが、うちのうちの詐欺に、あくまでしがみつきたいらしい……。

それはともかく、「キャラデザインで見るアニメを選ぶディープなマニア女子高生が存在」と
いわれても、『ダンガードA』、『少年徳川家康』、『新巨人の星』ときて、「『わかった、この
子、荒木伸吾のファンなんだよ!』と言って、疑問が氷解」するというのが、どうにも理解
しにくい。1977 年当時の女子高生なら 1960 年前後の生まれのはずで、荒木伸吾の
キャラデザインを好んでいて、『キューティーハニー』、『魔女っ子メグちゃん』あたりを完全
に無視するというのは、「疑問が氷解」どころか謎が深まるばかりという感じで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/荒木伸吾
>1970年から虫プロダクションで、杉野昭夫、金山明博との3人共同で『あしたのジョー』
>の作画監督を務めた。また、この年から『キックの鬼』『魔法のマコちゃん』で作画監督
>をしたのを手始めに東映動画作品にも参加するようになった。1971年には友人とスタジ
>オZを設立(後輩の金田伊功もここに在席)。1973年にフリーになり、テレビアニメ『バビ
>ル2世』で荒木は初のキャラクターデザインを任された。これらは初期のキャラクターで
>は最も愛着が強いという。
>さらに東映動画では、1973年の『キューティーハニー』、1974年の『魔女っ子メグちゃ
>ん』、1975年の『少年徳川家康』『UFOロボ グレンダイザー』、1977年の『惑星ロボ ダン
>ガードA』と立て続けに東映動画作品のキャラクターデザインをして、荒木の名を印象付
>けた。特に『惑星ロボ ダンガードA』の男性キャラクターのトニー・ハーケンは女性ファン
>の支持を得た。
>1970年代末に始まったアニメブームで荒木を人気アニメーターの地位に押し上げたの
>は、これらの作品である。この間、1972年に倒産したジャガードに代わり、1974年に荒
>木プロダクションを設立。設立時からのメンバーである姫野美智を片腕として、姫野の
>少女漫画的な華麗なタッチが荒木の作風に加わった。
〈略〉
>・アタックNo.1(1969年、作画)
〈略〉
>・魔法のマコちゃん (1970年、作画監督)
〈略〉
>・キューティーハニー (1973年、キャラクターデザイン・作画監督)
>・バビル2世 (1973年、キャラクターデザイン・作画監督)
>・柔道讃歌 (1974年、作画監督)
>・魔女っ子メグちゃん (1974年、キャラクターデザイン・作画監督)
>・少年徳川家康 (1975年、キャラクターデザイン・作画監督)
>・UFOロボ グレンダイザー (1975年、キャラクターデザイン・作画監督)
>・新巨人の星 (1977年、作画監督)
>・惑星ロボ ダンガードA (1977年、キャラクターデザイン・作画監督)


さらに、1960 年前後の生まれなら、『アタックNo.1』や『魔法のマコちゃん』も普通に視聴
していただろうに、なぜかメジャーさではやや劣る『少年徳川家康』をあげても、女子向け
アニメと『キューティーハニー』はあげない。

いやまあ、その女子高生の好みがそうだったんだからしょうがないといわれればそれまで
だけど、その次の段落以降の唐沢俊一の説明にも、『バビル2世』、『UFOロボ・グレンダ
イザー』、『聖闘士星矢』はでてきても、『花の子ルンルン』、『ベルサイユのばら』などを
含めて、有名どころをものすごい勢いでスルーしている感じ。

ちなみに、訃報記事と、唐沢俊一の知り合いでもあるというアニメファンの人が 2004 年に
書いた文章を、それぞれ並べてみると以下のようになる。

http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201112020573.html
>アニメーターの荒木伸吾さん死去 「巨人の星」など
> 荒木伸吾さん(あらき・しんご=アニメーター)が1日、急性循環不全で死去、72歳。
>葬儀は近親者で行う。喪主は妻博子さん。ファンを交えたお別
>れの会を後日開く予定。
> 1960年代から活躍し、テレビアニメ「巨人の星」「あしたのジョー」「ベルサイユの
>ばら」「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」などのキャラクターデザインや作画監督、原画
>製作を務めた。


http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/02/kiji/K20111202002155560.html
>アニメ監督の荒木伸吾氏死去…「ベルばら」など手がける
〈略〉
> テレビアニメ「ベルサイユのばら」「聖闘士星矢」など、多くの作品の作画監督やキャ
>ラクターデザインを手掛けた。[ 2011年12月2日 14:21 ]


http://zenmetu.sakura.ne.jp/niiki/200404/200404.html
>さて、昨日の日記で使った画像だが元はこれだ
>バンダイから発売された東映アニメヒロインコレクション
>数日前にコンビニに並んでいるのを発見
>ボックスアート(箱絵)の素晴しさに感動
>なんたってボックスアートは荒木伸吾&姫野美智の黄金コンビだからこれはもう買って
>おかないとッ!とか思ったわけで
>あ?荒木伸吾知らないって?「キューティーハニー」とか「UFOロボ グレンダイザー」
>とか「魔女っ子メグちゃん 」とか「花の子ルンルン」とか「聖闘士星矢」とかの一連の
>美形キャラを作り上げパンチラ大好きっ子からやおいオネーサンまで幅広い支持者が
>いるアニメ界の重鎮
>彼の名前を知らずに「アニメファン」とか言うのは非常に恥ずかしいことなので憶えて
>おくように


想像でしかないけど、これは子どもの頃の唐沢俊一と唐沢なをきが、たまたま 2 人とも、
魔法少女ものとか女子向けを、いっさい見ないで過ごしてきたせいで、今回の唐沢俊一
の文章のようなものができあがってしまったのではないけど。

唐沢俊一は、「それまでロボットものは男の子、魔法少女は女の子と区分分けされていた
アニメの世界での視聴者混淆」とやらが『風と樹の詩』の連載の頃に起こり始めたみたい
に書いているが、姉や妹がいた家庭はもちろん、女の子向けのアニメを男がみるなんてと
いう方針の家庭でもなければ、視聴者混淆なんて普通に起こっていた (と自分の経験と
いうか見聞きした範囲で断言させてもらおうかと)。

少なくとも、竹宮恵子の「カゼキ」が、小学生くらいの子どもの「視聴者混淆」に、以後、
影響してくるとは考えにくい。そもそも『風と樹の詩』ではなく、『風と木の詩』だし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/風と木の詩
>『風と木の詩』(かぜときのうた)は、竹宮惠子による日本の漫画作品。

しかし、唐沢俊一個人に限定すれば、それまで全然ふれることのなかった女子向けの
漫画やアニメにふれるようになったのが、『風と木の詩』の発表の頃、それ以降という
ことは充分に考えられる (ここここを参照)。それを一般的な話として書くから、何か
間違っているんじゃないかという文章になるだけで。

それから『聖闘士星矢』については、「車田正美原作の少年マンガっぽいキャラを、見事
なアニメ美形キャラに描きかえたその作品は、ちょうどコミックマーケットの規模が大きく
拡大した時期と合致したこともあり、二次創作系同人誌の人気を一気に底上げ」とかいう
唐沢俊一の書き方だと、「車田正美原作の少年マンガっぽいキャラ」のままでは、「二次
創作系同人誌」にあまり使われなかったと誤解させかねないけど、二次創作系同人誌を
描く作者は、原作のマンガを読み込んで、それをベースに描いていたりしたはずで。

いやまあ、それはたまたまお前の知り合いがそうだったんだろうといわれればそれまで
だし、「二次創作系同人誌の人気を一気に底上げ」に、荒木伸吾の「アニメ美形キャラ」
も大きく貢献したというのは想像に難くないけど。

なお、今回の文章以外に唐沢俊一は荒木伸吾について何か語っているかとググったら、
裏モノ日記では、これ↓くらいしか見つからなかった。

http://www.tobunken.com/diary/diary20020820000000.html

『小松原一男アニメーション画集』(これが正式な書名だった)、じっくりと
読了。私の中の小松原ヒロインは何といっても『グレンダイザー』の牧場
ひかる。地味もいいところの徹底した不人気キャラで、番組のファンから
“二度と出すな、出したら殺す”と脅迫状が来たらしい。あまりのことに
テコ入れで後半、登場してきた荒木伸吾キャラのマリアに食われっぱなし
ではあったが、マリアのような“アニメのために作られたキャラ”ではない、
実際に抱きしめたら髪の香りが嗅げそうな、そんな雰囲気があったヒロイン
だった。そこらが、二次元キャラの虚構性を愛するアニメオタクの感性に
合わなかったんだろう。演出家の勝間田具治が彼女をベタ褒めして、
“いい意味での、韓国人の女性の表情”をしている、と言っているのだが、
そうそう、と膝は 打たぬものの、なるほど、と首肯してしまった。


うーん、これも想像でしかないけど、唐沢俊一はもともと荒木伸吾に興味がなかったので
はないか。

兜甲児が「弟キャラ」でどうこうというのも『トンデモ美少年の世界』の「ショタコン・アニメ
史」で書いていたことの使い回しで、しかもそのときには、荒木伸吾の名前はもちろん、
キャラデザインについてはいっさい言及していなかった。むしろ設定重視というか。

『トンデモ美少年の世界』 P.142 ~ P.143 (「ショタコン・アニメ史」)

そこで、制作者たちはすごいことを考えついた。
 その次の作品『UFOロボ・グレンダイザー』において、兜甲児を再登場
させる。ただし、その性格は弟の兜シロー的なものにする、という方針を
打ち出したのである。
 そのため、この作品で、かつては頼りがいのある主人公だった兜甲児
は、自分よりさらに優れたヒーロー、宇門大輔(デュークフリード)にあこが
れる、やんちゃな弟役にランクダウンさせられてしまったのである! テレビ
アニメ史上、こういう役柄変更は初めてで、見ているこっちもオドロイた。
 しかし、これが大変すばらしい効果を生んだのである。剣鉄也や宇門大輔
のように、完全な青年ではなかった兜甲児のキャラクターが際立って、
主人公をはるかに超える複雑なキャラクター性を持つことになったのだ。
しかも、年齢的にかつての少年たちより少し上の甲児には、性的なイメージ
も付加しやすくなった。その結果、当時、ようやく巨大なものとなりつつあった
同人誌界に、大輔×甲児もののやおい(まだ当時、そんな言葉はなかったが)
ブームを到来させたのである。


×デュークフリード ○デューク・フリード
×大輔 ○大介

http://ja.wikipedia.org/wiki/UFOロボ_グレンダイザー
>デューク・フリード / 宇門大介
>声:富山敬 / (スーパーロボット大戦シリーズでの代役は山寺宏一)
>本作の主人公。設定年齢は20歳。宇門博士に救われ養子となった後、博士の経営す
>るシラカバ牧場で働いていた。地球にベガ星の魔手が迫っても、フリード星でのつらい
>過去からか当初は戦うことに後ろ向きだったが、ベガ星のミニフォーに袋だたきにされ
>る兜甲児のTFOを救うため、牧場地下のダム部分に封印しておいたグレンダイザーに
>再び搭乗。やがて甲児と交流を重ねる中で、第二の故郷・地球を守るため、グレンダイ
>ザーで戦うことを決意する。


今回の唐沢俊一の文章でも、「年上のデュークフリードに対して徹底した弟キャラ」とか、
「デューク・フリード」が「デュークフリード」になっている。

まあ、そういう細かいミスはともかくとして、荒木伸吾の名前をしらない者相手でも、作品
を 5、6 個もあげていけば、誰もが少なくとも 1 つ 2 つは見たことがあって、「ああ、あの」
と思い当たると思うんだけどなあ。先に引用した唐沢俊一の知り合いの人は、『魔女っ子
メグちゃん』のノンが好きみたいだけど、同じようなことをいっていた者が自分のごく身近に
もいたりする。

あげるべき作品名だけでもたくさんあるだろうに、何も 10 年以上も前の、荒木伸吾とは
無関係の内容として発表した文章を使い回さなくたって、よいのではないかと思うんで
ある。



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15:29  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(5)  |  EDIT  |  Top↑

2011.12.23 (Fri)

唐沢俊一は大晦日の夜にガキの使いに出演するか

http://www.tobunken.com/news/news20111223152629.html

イベント
2011年12月23日投稿
大晦日、某年末番組に出演

11月の半ばに収録してきた、大晦日の特番に出演します。
どこの局の何という番組かは秘密ということらしいので
お教えできません。 紅白でないことは確か(笑)。

画面の端にチラリとでも映っていたら、
「あ、ブログで言っていたアレか」
と思い出してください。

http://megalodon.jp/2011-1223-2221-51/www.tobunken.com/news/news20111223152629.html

……怖い話だが、唐沢俊一は、自分のサイトに「ブログ」があると思っているんだろうか。

それはともかく、本題は、「11月の半ばに収録してきた、大晦日の特番」が、「ガキの
使いやあらへんで!! 絶対に笑ってはいけない空港(エアポート)24時!」かどうかと
いうことだが。

2ちゃんねるのスレで以下のように話題になって (ロングバージョンは Read More 参照)、
消去法でいけばNTVの「ガキ使:絶対に笑ってはいけない空港」ではないか、報道では
「収録は11月中旬に茨城空港で行われた」とある→「ビンゴ!」となって、「放送前に番組
の内容を漏らしたとTV局に訴えられる唐沢か胸が熱くなるな」などとからかわれていた。

そうしたら、少し後になって、「で…いまみたら >大晦日、某年末番組に出演 の記事が
消えてるんだが…」との書き込みが。確かに、
http://www.tobunken.com/news/news201112.html
http://www.tobunken.com/news/index.html
http://www.tobunken.com/news/index.html#Event
からは飛べないようになっているみたい。

http://www.tobunken.com/news/news20111223152629.html のページ単独では存在
しているけど、いつ消えるかわからないので、一応魚拓はとってみたり。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1324453913/147-
>149 :無名草子さん:2011/12/23(金) 16:47:18.75
>>11月の半ばに収録してきた、大晦日の特番に出演します。
>>どこの局の何という番組かは秘密ということらしいので
>>お教えできません。
>>紅白でないことは確か(笑)。

>唐沢俊一が出演するという事を、発表出来ない出演
>って事は、唐沢俊一自体がクイズの答えになっているとか....
>そんなパターンぐらいしか思い浮かばない

>151 :無名草子さん:2011/12/23(金) 17:07:26.24
>大晦日の番組表を見ていて唐沢が出そうな雑学がらみ....
>テレ朝の「学べるニュース」ではないよな。
>他に再放送じゃない特番....
>フジの「物まね」って事もないよな

>で、残ったのが
>NTVの「ガキ使:絶対に笑ってはいけない空港」

>あり得るし、今から出演するというのを言っちゃダメというのも該当しそうな話。

>52 :無名草子さん:2011/12/23(金) 17:11:08.41
>それだwww

>153 :無名草子さん:2011/12/23(金) 17:18:27.34
>>11月の半ばに収録してきた、大晦日の特番に出演します。

>http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111201/ent11120116170011-n1.htm
>>お笑いコンビ、ダウンタウンが30日、東京・東新橋の日本テレビで12月31日放送の
>>同局系「ガキの使いやあらへんで!! 絶対に笑ってはいけない空港(エアポート)24時!」
>>(後6・30)の制作発表を行った。

>>ダウンタウンらが大物芸能人らの笑いのトラップに耐える大みそかの
>>「絶対に笑ってはいけない」シリーズで、今回で6作目。
>>収録は11月中旬に茨城空港で行われた。


>はい、ビンゴ!

>166 :無名草子さん:2011/12/23(金) 18:32:04.62
>>どこの局の何という番組かは秘密ということらしいので
>>お教えできません。

>という事だったので、自己顕示欲でその話題を書いてしまい 即座にバレるの巻

>168 :無名草子さん:2011/12/23(金) 19:19:26.23
>放送前に番組の内容を漏らしたとTV局に訴えられる唐沢か
>胸が熱くなるな

>192 :無名草子さん:2011/12/23(金) 22:05:30.45
>唐沢またもや更新

>>イベント

>>2011年12月23日投稿

>>特別編集DVD、コミケで販売!

>http://www.tobunken.com/news/index.html

>>『タイム・リビジョン/時間修正作戦』、観られなかった、
>>もう一度観たいという方々のために特別編集DVDを
>>ただいま鋭意製作中であります。

>で…いまみたら

>>大晦日、某年末番組に出演

>の記事が消えてるんだが…俺だけか?

>193 :無名草子さん:2011/12/23(金) 22:08:25.87
>消えているね

>まさか瞬殺で「ガキ使」とバレるとは思っていなかったんだろね

>守秘義務守秘義務w

>194 :無名草子さん:2011/12/23(金) 22:10:27.87
>>>193
>やっぱり、ここ見てるんだね唐沢

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22:46  |  分類なし (12) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.12.23 (Fri)

「われわれの世代の映画監督」森田芳光についての時空歪みの平行世界

http://www.tobunken.com/news/news20111221160901.html

イベント
2011年12月21日投稿
きらめいていた男 【訃報 森田芳光】

20日死去、61歳。
ショックである。
この監督の華々しい登場のとき、映画界が若返り生まれ変わった、
というイメージでわれわれの心は満たされた。
「ようやく、われわれの世代の映画監督が生れた!」
ということで彼の存在はこちらの胸に刻み込まれた。
その監督が、若死にとはいえ、もう61歳。
こちらも歳をとるわけだ。

『の・ようなもの』(1981)からもちろん注目はしていたが、
何と言っても森田芳光と言えば『家族ゲーム』(1983)。
これを初めてみたときの衝撃は忘れられない。
日本においての、家族というタテのつながりを、癖のある人間と人間の
ヨコのつながりとして再編成して、それをあの横つながりの食卓で見事に
具象化してみせた手並み。
当時“奇妙な女の子”キャラで売っていた戸川純だけがその並びに違和感を
感じ、きちんと正面向きに椅子を置きなおす、というあたりに、“平凡な家庭”
というものへの監督の横溢した批判精神が現れていた。

この作品で父親役を演じたのが伊丹十三で、翌年の彼の映画『お葬式』
の演出のケレンは、ほとんどがこの森田芳光の演出のコピーだった。
伊丹十三は最初、『お葬式』の葬儀屋の役を松田優作で考えていたそうで、
そうなるとますます『家族ゲーム』のリメイク感が強くなっただろう。

しかし、伊丹十三が最後までその演出スタイルを保持し、自分のトレード
マークにまでしてしまったのに比べ、森田芳光は次作『メイン・テーマ』
(1982)で早くも自己模倣のマンネリ化に落ち込み、評価の高かった
『それから』(1985)も、まっとうな演出スタイルと『家族ゲーム』調の
スタイルとが混在する、奇妙な感じの映画であった。いや、相変わらず
面白いとは思っていたし大好きだったのだが、その後の数本の作品に不入り、
不評が続いたことで数年の沈黙を余儀なくされ、そして『失楽園』(1997)
で、ベストセラー小説をスクリーン上に見事に再現してみせる大衆映画作家と
変貌して(これは私見であるが)復活。向田邦子の『阿修羅のごとく』(2003)
や黒澤明の『椿三十郎』(2007)のような先行作品のリメイクを職人的演出で
コンスタントに撮りあげる監督となった。鬼才と言われた若い時期から、
安定したヒットメーカーである老年期へという移行は、かつての市川崑の
歩いた道とシンクロする。
〈略〉
とはいえ、『失楽園』で、死を迎える二人が食べる人生最後の食事を、
クレソンと鴨肉のみのシンプルな鍋物に設定した、というあたり、まだ、
初期の感性(の、ようなもの)がときおり画面の端々にチラ、と感じられ、
あふれかえっていた時期よりむしろ才気は感じられたものだ。才気は
それを囲むワクがあってようやく落ち着く、という好例だろう。

http://megalodon.jp/2011-1223-0941-08/www.tobunken.com/news/news20111221160901.html

×『メイン・テーマ』(1982) ○『メイン・テーマ』(1984)

「われわれの世代の映画監督」って、1950 年生まれの森田芳光は、1958 年生まれの
唐沢俊一の 8 歳も上なんだけど……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/森田芳光
>森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監
>督、脚本家である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/唐沢俊一
>唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、
>コラムニスト、ラジオパーソナリティ。元朝日新聞書評委員。


5 歳 (学年では 6 年) 上の栗本薫のことを、「いよいよそういう奴が同世代から出てきた
か、と、実は背中に冷汗がつたうような思い」と書いたこともある (ここを参照)。唐沢俊一
のいう「同世代」というのは幅が広過ぎ。確かに皆 1950 年代生まれだけど、森田芳光も
栗本薫も昭和 20 年代生まれで、昭和 30 年代生まれの唐沢俊一と同世代というのは
あまりに強引な気が。

http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/91136/
> ◆森田芳光(もりた・よしみつ)1950年(昭25)1月25日、東京都渋谷区生まれ。
>日大芸術学部在学中から自主映画を撮り、28歳で製作した78年の「ライブイン茅ケ
>崎」が、第2回ぴあフィルムフェスティバル一般公募部門に入選し注目される。81年に
>落語家の若者を描いた「の・ようなもの」で監督デビュー。主な作品は「家族ゲーム」
>(83年)「それから」(85年)「失楽園」(97年)など。03年の「阿修羅のごとく」では、
>日本アカデミー賞監督賞と日刊スポーツ映画大賞作品賞を受賞。


それに、「『の・ようなもの』(1981)からもちろん注目」で、「ようやく、われわれの世代の
映画監督が生れた!」って、当時 22 歳か 23 歳の唐沢俊一の感想としては、「ようやく」
というのは少々不自然な気が。で、どうでもよいけど、「落語家の若者を描いた」どうこうは
今回スルーなのね、と。今回は自称落語好きのモードに入らなかったらしい。時空歪みの
モードには、いつも通りにしっかり入っているけど。


で、「当時“奇妙な女の子”キャラで売っていた戸川純だけがその並びに違和感を感じ、
きちんと正面向きに椅子を置きなおす、というあたりに、“平凡な家庭”というものへの
監督の横溢した批判精神」には、あれっと思った。まあ「違和感を感じた」とは重複表現
ではないかという話は、辞書の用例にも入っているからしょうがない (?) として。

http://d.hatena.ne.jp/iris6462/20060519/1148048068
>正しくは「違和感を覚えた」や「違和感を抱いた」じゃないだろうか。

>「違和感を感じた」ってよく見かけるけど、「馬から落馬」と同じ重複表現な気がする。
>けど、gooの国語辞書の用例だと、違和感を「~~感じた」になっている。


――と思ったら、今の goo 辞書に「違和感を感じた」はない。違和感を覚えた人たちから
意見がよせられ、削除されたんだろうか。(←単なる想像)

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/15918/m0u/違和感/
>「初めて会う人なのに―もなくうちとける」

それはさておき、「戸川純だけがその並びに違和感を」って、戸川純も家族の一員の役
だっけと錯覚しそうになったけど、実際は近所の奥さん役。「その並びに違和感を感じ、
きちんと正面向きに椅子を置きなおす」のは、作品世界内においても横ならびの食卓は、
家族以外の者の目から見ると奇妙な風習だという設定を示すものでは。まあ「“平凡な
家庭”というものへの監督の横溢した批判精神」とかに特に異を唱えるつもりはないけど。

http://www.kanshin.com/keyword/227663
>そういや同じマンションに住む奥さん役で戸川純が出演してましたね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/家族ゲーム
>映画版では横ならびの食卓に家族が一列にならぶシーンが新たな映像表現として
>評価された。 (ただし、黒澤明の赤ひげに同様の構図の食事シーンがあり、これへの
>オマージュの可能性あり。)
〈略〉
>近所の奥さん:戸川純


その他参考 (なぜか長文の感想が多い):
- http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_2632.html%3FSELECT=26005


さて、今回の唐沢俊一の“追討”には、うわっ早いなと少し驚いた。URL から推測される
投稿時刻は 12月 21日の 16時頃。その頃自分は、たまたま会社で、ニュースサイトの
訃報記事を目にして驚いていた。テレビのワイドショーで報じられたのは、翌 22 日。
21 日の夜より前に報じていた媒体は、そんなに多くない。

http://www.cinematoday.jp/page/N0038028
>森田芳光監督が急性肝不全で死去 享年61歳
>2011年12月21日 10時58分
>[シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『家族ゲーム』(1983年)で脚光を浴びた森田芳光
>監督が、20日の22時15分に急性肝不全のため都内の病院で亡くなった。61歳だった。


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2011122100341&j4
>映画監督の森田芳光さん死去=61歳、「家族ゲーム」「失楽園」
> 「家族ゲーム」「失楽園」などの作品で知られる映画監督の森田芳光(もりた・よしみ
>つ)さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。61
>歳だった。東京都出身。葬儀は24日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の
>青山葬儀所で。喪主は妻和子(かずこ)さん。
> 1981年に若い落語家を主人公とした「の・ようなもの」で長編監督デビュー。83年に
>松田優作主演のブラックコメディー「家族ゲーム」で、ブルーリボン賞やキネマ旬報賞な
>ど映画監督賞を総なめにした。
> 84年「メイン・テーマ」が大ヒット。85年には松田優作と再び組んで、夏目漱石の「そ
>れから」を映画化し、監督賞をいくつも獲得。コメディー、恋愛、ホラーなど扱うジャンル
>も多彩で、80年代の日本映画低迷期に邦画を支え続け、「そろばんずく」(86年)、
>「キッチン」(89年)を発表した。
> 90年代以降は、「失楽園」(97年)、「39 刑法第三十九条」(99年)、「阿修羅の
>ごとく」(2003年)、「海猫」(04年)などを発表。子供時代から好きだった鉄道を題材
>にした「僕達急行 A列車で行こう」が12年3月に公開される予定。
>(2011/12/21-15:45)


2ちゃんねるのスレで批判されている通り (Read More 参照)、「『メイン・テーマ』(1982)
で早くも自己模倣のマンネリ化」というのは、追悼ではなく“追討”というにふさわしいし、
1984 年を 1982 年と間違えていたりする。

これ、「『家族ゲーム』(1983)」の方は間違えていなくて、それでいて「次作『メイン・テー
マ』(1982)で早くも自己模倣のマンネリ化」とやらかしているので、ちょっと恥ずかしい。

ついでに、「この作品で父親役を演じたのが伊丹十三で、翌年の彼の映画『お葬式』の
演出のケレンは、ほとんどがこの森田芳光の演出のコピー」というのは、自分には意味が
よくわからなかった。そもそも唐沢俊一語の「ケレン」というのがよくわからないので……
「所詮、作り物であるのなら、その“作り物性”を徹底してつきつめるべき」というラッセル
独自のケレンなのであろう。」 (ここを参照) とか。

だいたい、「ケレン」と片仮名表記でググると、塗装用語の意味で使われる「ケレン」の
方が上位に何個もきたりするんだよなあ……というのは、おいといて。

http://www.mktosou.com/yougo/p12.html
>ケレンとは
>主に鉄部(トタン・屋根・鉄階段)などの汚れや塗装をする前に錆びを落したり、錆びて
>いなくても塗料の密着を良くするため傷をつけることを言います。専用のケレン用具
>(マジックロンやヤスリなど)や電動工具を使い錆を落とします。


まあ、唐沢俊一のいいたかったことは多分、下記のようなことなんだろうけど。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1320115408
>映画やアニメなどの批評で「この作品はケレン味があって良い」とか「ケレン味があって
>好きだ」というのを見かけますが、辞書を見ると「はったりやごまかし」と書いてありまし
>た。
>これだと「はったりやごまかしがあって好きだ」ということになり文章的におかしいです。
〈略〉
>作品作りにおいて、「ごまかし」や「はったり」は大いに素晴らしい 要素です。
〈略〉
>映像作品では、こういった「はったり」の「でたらめ」が素晴らしい 劇的な効果となりうる
>のです。演出で盛り上げるのに、「ウソ」は 強力な武器になります。


ただ、上で話されていることについては、その内容自体よりも、外連味のことを「ケレン味」
という表記が割と一般的になっているのかというのが個人的には意外だった。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/05679200/
>けれん‐み【▽外連味】
>はったりを利かせたりごまかしたりするようなところ。「―たっぷりの芝居」「―のない
>文章」


「けれん」単独で引くと、ごまかしやはったりという意味の他に、「早替わり・宙乗り・仕掛
け物など」の意味が表示されるようになる。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ケレン&dtype=0&dname=0na&stype=0
>け‐れん【▽外連】
>1 歌舞伎や人形浄瑠璃で、見た目本位の奇抜さをねらった演出。また、その演目。
>早替わり・宙乗り・仕掛け物など。
>2 ごまかし。はったり。「言うことに―がない」


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ケレン&dtype=0&dname=0ss&stype=0
>【▽外連】
>[1] 演劇で、軽業的な手法を用いた演出。大道具・小道具の仕掛け物や、宙乗り・早
>替りなど。
>[2] 他人の気を引いたり、自分を正当化したりするための、おおげさで不自然な言動。
>ごまかし。はったり。


自分が「けれん」と聞いてぱっと頭に浮かぶのは主に [1] の意味。「ケレン」の場合は、
込められたニュアンスがまた異なるのかな……やっぱりよくわからない。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ケレン&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=05679300
>ケレン《(ドイツ)Kernsttzeから》鋳造に際し、鋳型の中子(なかご)を支える副え木を補強
>する金具。


http://thesaurus.weblio.jp/content/けれん
>マイナスの意味を含むけれん
>大仰な ・ 見えを切る ・ オーバーな(しぐさ) ・ 奇をてらう ・ 向こう受けをねらう ・ 鬼面
>人をおどす ・ はったり(十分の)

>プラスの意味を含むけれん
>派手な ・ 大袈裟な(演技) ・ カッコいい ・ (ぴしっと)きまる ・ 目立つ ・ 男性的な ・
>スケールの大きい(演技)



それから、これもまた、あれっと思った「その後の数本の作品に不入り、不評が続いたこと
で数年の沈黙を余儀なくされ、そして『失楽園』(1997)で、ベストセラー小説をスクリー
ン上に見事に再現してみせる大衆映画作家と変貌して(これは私見であるが)復活」との
くだり。Wikipedia の記述は、以下のような感じ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/森田芳光
>1981年、若い落語家を主人公とした『の・ようなもの』でデビュー。題名は、三遊亭金馬
>(3代目)の落語『居酒屋』に出て来る、「のようなもの」というフレーズから採られた。
>1983年、松田優作主演の『家族ゲーム』を発表する。家庭をシニカルに、暴力的に描
>いた、出色のブラックコメディーである。家族全員が長い食卓に、画面に向かって横一
>列に並んで座る何とも奇妙な食事場面等、何気無い日常の風景を非日常的に描写し
>た、人を食った演出が評判となった。これが出世作となり、新世代の鬼才として広く注
>目を集める。
>1984年、丸山健二原作、沢田研二主演の『ときめきに死す』を経て薬師丸ひろ子主演
>の『メイン・テーマ』が大ヒット。
>1985年に、松田優作主演で、夏目漱石『それから』を映画化。キネマ旬報ベストワンを
>はじめ、各賞を受賞。
>1986年、『それから』から一転、とんねるず主演で広告代理店を描いたコメディーの怪
>作『そろばんずく』を発表した。バブル時代を色濃く描いた作品となった。
>1989年に、吉本ばなな原作の『キッチン』を映画化。大ベストセラー小説を原作とした
>にも関わらず、興行的に大敗する。しかしビデオの売り上げは好調で、隠れた名作とし
>て愛されている[1]。
>1996年に、数年の沈黙を破って、パソコン通信による男女の出会いを描いた『(ハル)』
>を発表する。興行的には不入りだったが、評価は高かった。
>1997年5月に、渡辺淳一『失楽園』を、役所広司、黒木瞳の主演で映画化。人生に疲
>れた中年男女が不倫の果てに心中するというストーリーで、R-15指定を受ける。結果
>的に観客動員数が200万人を超える大ヒットとなり、「失楽園」という言葉はこの年の
>流行語ともなった。


唐沢俊一の書いていることは間違いだというつもりはないけど、「数年の沈黙を余儀なく
され、そして『失楽園』(1997)」って、「数年の沈黙を破って、パソコン通信による男女の
出会いを描いた『(ハル)』を発表」したことを完全になかったことにしなくとも……そりゃ
「興行的には不入り」だったのかもしれないけど、ネット上でそれなりに話のネタにされて
いたのは、唐沢俊一も記憶していると思うのに。

http://www.rbbtoday.com/article/2011/12/21/84409.html
> またTwitterでは、まだインターネット以前、パソコン通信による男女の出会いを描い
>た「(ハル)」についての書き込みが多いのも印象的だ。80年代以降、若者に支持を受
>けていたカリスマ監督だっただけに、若くしてこの世を去ったことを惜しむ声が多く見ら
>れた。



それから、2007 年の日記についても、2ちゃんねるのスレで「唐沢史の中では1984年は
バブルか....」と突っ込みを入れられていたりした (Read More 参照)。

http://www.tobunken.com/diary/diary20071027132559.html

森田芳光監督『メインテーマ』(1984)見る。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S793/karasawashyun-22
薬師丸ひろ子と野村宏伸のロードムービー。
大家になる前の森田演出、前作の『家族ゲーム』では
テーマにぴたりハマっていたが、今回はアイドル映画であって、
テーマも何もなく、ひたすらポップで奇妙な演出のみを突出させている。
ラジオスタジオ前で、録音マイクをやたら褒めている通行人、とか。
ラスト近くのキスシーンでの大花火とパレードも奇妙。
バブル時代でなくては出来なかったノーテンキ演出だろう。


×『メインテーマ』 ○『メイン・テーマ』

今回の“追討”では『メインテーマ』が『メイン・テーマ』に訂正されている一方、2007 年
の日記では 1984 年と正しく書いていた発表年が、今回は 1982 年になっているのだから
何だか間違いのモグラ叩き状態――というのは、いつもの話か。

1984 年だと、まだまだ新卒の就職状況も小雨混じりといわれていた時期のはずだが、
まあ唐沢俊一語の「バブル」とは、1980 年代とイコールっぽいのでしょうがないとして
(ここを参照)。

スレでも話題になっていたが、薬師丸ひろ子をアイドルと定義するべきかどうかはおいて
おくとしても、「アイドル映画であって、テーマも何もなく」というポジションにいた女優では
なかったと思うけど。

結局、唐沢俊一の生きてきたのは、どういう平行世界だろう――という、いつものオチに
なるのかも。

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2011.12.22 (Thu)

「近日に上梓予定」の「近日」が長引いているのは「業界のドタバタ」のせい?

http://www.tobunken.com/news/news20111214121953.html

イベント
2011年12月14日投稿
新刊決定

「唐沢は芝居ばっかりやって本を書いてないのではないか」
と業界では言われていますが、いやいや、書いております。
来年、サクサク出しますですよ。

まずはその第一弾
『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』(ブリックス発行、コスミック発売)。
今回の震災を受けてワラワラとわいたデマをデータとして、
人間はなぜエマージェンシーの際にデマ情報、陰謀論を
語ろうとするのか、その心理の解析から、人間とトンデモ論の
深い関わりを考察した本。

震災デマを基点に、そもそも人間は情報というものをどう
自分のために利用する生き物なのか、まで筆を及ぼしております。

震災本なのに、震災が原因の業界のドタバタで発行が遅れてしまい
ました(笑)。
1月19日あたりから書店に並びます。

http://megalodon.jp/2011-1219-0159-55/www.tobunken.com/news/news20111214121953.html

風評ではなくて実害だって言い方も最近よく目にしたりします
「引き続き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一の(震災などの)非常時のトンデモ
 デマ」
「引き続き第二弾として」に訂正されました

の続き。

風評ではなくて実害だって言い方も最近よく目にしたりします」というエントリーを書いた
6 月 4 日の時点では『トンデモ震災デマの世界(仮題)』だったのが、 それから 5 ヵ月後
の「引き続き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一の(震災などの)非常時のトンデモ
デマ
」の頃には『非常時デマ・陰謀論の世界(仮)』となり、その 1 ヵ月後の今は『トンデモ
非常時デマ情報レスキュー』に。「(仮題)」とか「(仮)」とかが取れて、題名が決定した
と考えてよいのだろう。つまり、「新刊決定」とは、新刊のタイトルが決定、ということで。

そして、http://www.tobunken.com/news/images/bfccbad2a5c7a5decbdcc9bdbbe6.jpg
の表紙画像には、以下の配色で、タイトルの文字が、同じくらいの大きさ、同じくらいの
太さで並んでいる。

「『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』というタイトル、まさかそのまんま 全部同じ大きさ
でのタイトルだとは思わなかった。センス無いどころの話じゃないよw」と、2ちゃんねるの
スレでも誰かが書き込んでいた (Read More 参照)。

トンデモ (緑の文字)
 非常時 (赤の文字)
  デマ情報 (黒の文字)
 レスキュー (紺の文字)

……ええと、『トンデモ震災デマの世界(仮題)』のときは、トンデモな震災デマについて
の本だろうと思ったし、『非常時デマ・陰謀論の世界(仮)』は、非常時に飛び交うデマや
陰謀論についての本だと思ったものだった。

で、まじめな話、今回の表紙画像を最初に見たとき、いったい何について書こうとしている
本なのか、なかなか頭に入ってこなかった。いや、マジで。トンデモな非常時にデマ情報を
レスキューとかいわれても、「トンデモ」がどこからどこまでにかかっていて、「レスキュー」
とは何を救おうとしているのか、わかりにくいせいじゃないかと思う……。

『トンデモ非常時デマ情報レスキュー』という字面だけ見ている分にはまだ、トンデモな
非常時デマ情報に対抗するためのレスキュー本か、トンデモな非常時デマから情報を
レスキューする本なのかと、適当に脳内補完して、何かわかった気になれたと思うけど。

これは、「レスキュー」という言葉の使われ方に一因があると思う。「災害レスキュー」なら
災害からの救助だろうし、「データレスキュー」や「ペットレスキュー」なら、データの救出、
ペットの救出となるだろう。どちらにとるかは多分、「レスキュー」の前の言葉から何となく
判断するのが通常で、それが「トンデモ非常時デマ情報レスキュー」ときた場合、「情報」
のみに着目するなら「情報の救助 (救出)」で、「デマ情報」まで含ませるなら「デマ情報」
を救出してどうする? という話になるから、「デマ情報からの救助 (救出)」となるだろう。

つまり、「トンデモ / 非常時デマ情報 / レスキュー」と区切るか、「トンデモ / 非常時デマ
/ 情報 / レスキュー」と区切るかで、しかし表紙の文字の並び方からして後者はないと
いうことのようだ。前者にしても、「非常時」と「デマ情報」が色的にはっきり区切られ過ぎ
ているような気が。

「非常時」と「デマ情報」との間がぶった切られているせいで、「非常時デマ情報」ではなく
「デマ情報」を救助するみたいに見えてしまうだけではなく、「トンデモ」なのが、「非常時
デマ情報」というより「非常時」のみにかかるみたいに錯覚しそうだ。……最後には表紙の
文字から消えたとはいえ、「震災」などを主に扱うのだろうに、いいのかなあ。

だいたい、唐沢俊一の本の題名は、と学会の本の題名のそれとはまた違う「トンデモ」の
使い方をしているものが多いような気がする。

と学会の出している、『トンデモ本の世界』や『トンデモ超常現象99の真相』だったなら、
トンデモな本、トンデモな超常現象を紹介する (そして笑いのネタにする) 本だとすぐに
わかるのだけど、唐沢俊一の『トンデモ一行知識の世界』は、別にトンデモな一行知識の
本というわけではない。……いやまあ、ガセの多さとか (ここここを参照)、結果的には
トンデモな一行知識を集めた本になってしまっているのだが、唐沢俊一本人はそういう
つもりで題名をつけたわけではないだろう。


で、と学会のいうトンデモの定義は「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる
本」だそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トンデモ本
>「著者の意図とは異なる視点から楽しむことができる本」という意味で、転じて疑似科学
>(エセ科学)との評価を受けている事象を真正の科学であると主張したり、オカルトを本
>気で主張している本、さらには単に内容がでたらめの本の意味で使われる。


それにしても、「疑似科学(エセ科学)との評価を受けている事象を真正の科学であると
主張」に、「オカルトを本気で主張している本」、あげくの果ては「単に内容がでたらめ」
って、まるで唐沢俊一の書いた本のためにあるような言葉みたいな――というのは、おいと
いて。

単なる気のせいかもしれないが、唐沢俊一のいう「人間はなぜエマージェンシーの際に
デマ情報、陰謀論を語ろうとするのか、その心理の解析」なんてものは、出版社の「意図
とは異なる視点から」書かれている本だという可能性が高いと思っている。

「新刊決定」といっても、「『引き続き第二弾として』に訂正されました」のエントリーの頃
から変化はないブリックスのページ。そこには、こう書かれている。

http://www.j-brix.co.jp/publication/index.html
>近刊予定
>引き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一氏が(震災など)非常時におけるトンデモ
>デマなどに対する情報対処法についての解説書を近日に上梓予定です。


ブリックスの第一弾が『脳が喜ぶ!ホメ上手!』で、「望ましい行動を定着させるための
『褒め方にはセオリーがある』 脳科学に基づいた褒め方テク 完全マニュアル」と書いて
あって、立ち読み分を見ると、かなり具体的なハウツー本という感じ。第二弾の唐沢俊一
の本も「トンデモデマなどに対する情報対処法」で、出版社は具体的な対処法が書かれた
実用書っぽいのを出したくて、題名にも「レスキュー」とかつけたんじゃないかなあ。

震災の「デマなどに対する情報対処法」についての実用書だとしたら、デマに騙されて
損をしないためにはどうしたらよいかとか、自分が心ならずもデマを広める手伝いしない
ためにはどうするかとかの内容が期待されるんじゃないのかと。ついでに、いざというとき
あわてないための備えをしっかりしましょうとか。

しかし、唐沢俊一が語ろうとしているのは、「人間はなぜ〈略〉デマ情報、陰謀論を語ろう
とするのか」であって、どちらかというとこれは、そうとわかってデマの発生源となる者に
事情説明みたいだ。人間はなぜデマを信じてしまうのかとか、デマをデマと思わず広めて
しまうのかとか、受け手・受け身の視点ではなくて。

そりゃ、敵を知ればというので、「デマ情報、陰謀論を語ろうとする」側の「心理の解析」
をするのもよいかもしれないが、「人間とトンデモ論の深い関わりを考察」、「そもそも人間
は情報というものをどう自分のために利用する生き物なのか、まで筆を及ぼして」なんて
方向に力をいれても……そういう薄ぼんやりした一般論は、“役に立つ”情報を求める
読者向きではないと思うけど。

で、「震災本なのに、震災が原因の業界のドタバタで発行が遅れてしまいました(笑)」
って何だか「業界」のせいにしているが、それなら『脳が喜ぶ!ホメ上手!』が順調に (?)
先に出版されたのは、なぜ。

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2011.12.18 (Sun)

下北沢で一番小さな劇場は……?

時間修正作戦以前に、いろいろ修正した方がよいことがあるのでは
キャスティング 8 割なら脚本は何割? の『タイム・リビジョン 時間修正作戦』
当て書き、ただし、主役以外
小劇場イコール笑劇場とはかぎらないですよね……?
二重投稿大ウケ! (って程でもないけどまあ一応)

の続き。

http://www.tobunken.com/news/news20111208105803.html

イベント
2011年12月8日投稿
初日あけました!
〈略〉
本当にたくさんの皆様にご来場いただき、ありがとうございます。
セリフ飛び、暗転ミス、テンポ不合と、初日にありがちなミス
をフルでやっていたような気もしますが(笑)、まあ役者たち
も頑張ってくれました。


「セリフ飛び、暗転ミス、テンポ不合」の初日の次は、「二重投稿大ウケ! (って程でも
ないけどまあ一応)
」であり、「さて、やっと心理的には初日、という感じ」の二日目がきて、
その次に「中日(なかび)の中は中だるみの中」の三日目日がきた、と。……何だかなあ。

その中だるみの内容とは、以下に引用の通り、「ベテラン陣がミスしたり噛んだり、あと、
新人さん二人はちょっとやりすぎが垣間見えたり」とのことだが、これって「ベテラン陣」と
「新人さん」が逆ならまだわかるんだけど……。「ミスしたり噛んだり」はしなかった「新人
さん二人」の方が、「ベテラン陣」よりも優秀っぽく読めてしまうけど、よいのだろうか。

http://www.tobunken.com/news/news20111210115116.html

イベント
2011年12月10日投稿
中日(なかび)の中は中だるみの中。

おかげさまで好評の『タイム・リビジョン/時間修正作戦』、
三日目の昼夜公演で中日、折り返し点を過ぎました。
そろそろ全員セリフも動きも完全に入って、あとはよくなっていくだけ……
かと思うと、そこで必ず中だるみというのは起こるものです。
ベテラン陣がミスしたり噛んだり、あと、新人さん二人はちょっと
やりすぎが垣間見えたり。
そこを念入りに開演前の緒注意でツブしていく。
公演が始まってからの演出チームはリペア(修理屋)になります。

SF色の高い芝居のため、一般のお客様でちょっとついて来にくかった
方もいた模様。とはいえ、アンケートの
「元気をもらいました」
「ストーリィ作りの勉強になりました」
「よくこんな役柄にぴったりの役者を揃えたもんだ」
というような言葉は実にうれしいものです。

今回、役者もがんばっているのだが、それとは別に実にありがたい、
得難い存在と思っているのが受付のYさん(島さんのご友人)。
ご自身も演劇の経験があるので、状況把握が早いし、受付作業に何が
必要かを全部わかってくれている。こっちが説明しわすれた、招待ワクや
スタッフなどの扱いも現場判断でほぼ、ノーミスでやってくれている。
売上金をまとめた封筒には、ちゃんと前売、当日、招待等の分類集計
がなされており、アクシデントに関しての簡潔な説明も添付されていて、
ほとほと感心しました。
この人がいなかったら、現場の混乱はひどいものになっていたでしょう。
影の功労者だと秘かに感謝です。

さて、いよいよあと二日間、四ステを残すのみになった『タイム・リビジョン
/時間修正作戦』。

当日でも、受付でYさんに「唐沢のmixiを見た」とおっしゃっていただければ
前売料金で入れます!


×リペア(修理屋)になります
○リペア(修理)が仕事になります または リペアラー(修理屋)になります
×「唐沢のmixiを見た」 ○「唐沢のmixiを見た」か「唐沢のホームページを見た」

まあ、「リペア(修理)」ならよいけど、「リペア(修理屋)」というのは、和製英語としても
ないでしょうということで。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/3/2ss/106020/
>しゅうり 【修理】
>repair(s)(※「修理作業」の意では通例~s); fixing;(主に衣類の)mending.
> 修理工
> a mechanic; a repairer.


「『唐沢のmixiを見た』とおっしゃっていただければ前売料金で入れます」の方は、mixi
ではなくサイトの方を見たお客予備軍に、自分は対象外かと思わせる可能性が高い
かと……。本当に mixi をやっている人だけが対象のつもりだったのなら、サイトの方に
アップするときに削除するべきだっただろう。まあ、次の「2011年12月11日投稿 4日目
完成形!
」では、「唐沢から、と言っていただければ前売料金で入れます。」に訂正 (?)
されていたし、元々 mixi だけのつもりはなかったのだろうと思うけど。

だいたい、こっちのコメント欄にも書かせてもらった通り、「こっちが説明しわすれた、招待
ワクやスタッフなどの扱い」なんてものは、もしも唐沢俊一の当初の目論見とは違った
扱いがあったとしても、それは「説明しわすれた」唐沢俊一のミスでしかないではないか。
それを「ほぼ、ノーミス」とかミスを受付の人に押し付けるようなことを書き、さらに現場を
混乱させかねない「『唐沢のmixiを見た』とおっしゃっていただければ前売料金で入れま
す!」を直前になって言い出すのは、ちょっとヒドいんじゃないかと思った。

それと、これもコメント欄に書いたことの繰り返しになるけど、『タイム・リビジョン/時間
修正作戦』という題の芝居にわざわざ入場したが、「SF色の高い芝居のため〈略〉ちょっと
ついて来にくかった」という「一般のお客様」や、「ストーリィ作りの勉強になりました」とか
「よくこんな役柄にぴったりの役者を揃えたもんだ」とかアンケートに書くお客様とか、一体
どういう経緯で来場したのかは、ちょっとだけ気になったりする。

それはともかく、「前半にご来場いただいたお客様にはまことに申し訳ないのですが、
本日が完成形でした」とか余計なことを書かなければよいのにの 4 日目。この日を最後
に、唐沢俊一とともに中心人物だと思われていた島敏光という人が「仕事の関係で今日
でお別れ」となる意外な展開 (?) を経て、5 日目の千秋楽を迎えることになる。

http://www.tobunken.com/news/news20111211084153.html

イベント
2011年12月11日投稿
4日目完成形!

『タイム・リビジョン/時間修正作戦』、後半戦の4日目マチソワ。
昼夜とも当日券で入ってこられるお客様が大勢おられ、前売から換算
して客席チラシなどを作っていたこちらが大慌てする場面も。
まあ、嬉しい大慌てではありましたが。

しかも本当にいいお客様で、特にマチネ(昼興業)では、仕込んだギャグが
ほぼ全てウケる、というパーフェクト試合でした。
役者が「え、あそこでウケるの?」と首をひねったくらい(おいおい)。
〈略〉
前半にご来場いただいたお客様にはまことに申し訳ないのですが、
本日が完成形でした。
〈略〉
今回の企画、動き出しから私とタッグを組んで、主役オーディションの
世話をしていただいたり、各方面に声をかけてくださったプロデューサーの
島敏光さんが、仕事の関係で今日でお別れ。島さんの天性の明るさが、
ともすればカリカリしがちな稽古中の雰囲気を本当にやわらげてくれました。
女性陣にことに大人気でしたねえ。


http://www.tobunken.com/news/news20111212210932.html

イベント
2011年12月12日投稿
5日目千秋楽!

『タイム・リビジョン/時間修正作戦』、11日(日)昼夜公演で
無事、千秋楽を迎えました!
稽古開始から小屋入り、本番までトラブルらしいトラブルの見当たらない
まことにスムーズに上演まで持っていけた舞台でした。
役づくりの上でいろいろ苦労していた俳優さんがいましたが、それも
本番にはきちんと仕上がり、ワンステージごとに手に入って来たという
感じです。
〈略〉
演出家が二人、コーチが何人も、では現場が混乱しないかと心配する人も
いるでしょうが、脚本をかなりの程度練っているので、いざとなればそこに
帰れるという安心感をみんなに持たせられたと思います。演劇の原点は
やはり脚本なのですよ。
〈略〉
さて、いろんなご意見をいただきましたが、かけられて嬉しかった言葉
三つ。ひとつは友人の役者、渡辺シヴヲさんからの
「前半で荷物を全部レールの上に乗っけて、後半で重量のついたそれを暴走
させるという展開はやはり、後半の疾走感が違う。前半が退屈とかテンポが
遅いという意見もあるかもしれないがこのまま続けていく方がいいね」
これは私もまさにそう意識して書いた脚本だったので、わが意を得たりと
いう感想でした。アンケートの中にはまま、“前半がテンポが悪い”という
意見があったので、伝わってないのかとちょっとがっかりしていましたが、
やはりわかっている人にはわかってもらえているのだな、と安心しました。
〈略〉
そして、千秋楽、わざわざ博多から観に来てくれた今回の舞台のスポンサー、
ももち浜調剤薬局社長のMさんの
「これ、もう少し大きな劇場用に仕立なおしてこっち(博多)へ持ってこれま
せんか?」
という言葉。千秋楽のやりたい放題芝居に腹を立てられるのではないかと
ハラハラしていたのですが、考えてみれば、彼女はもともと私の著作の
ファンなのでした。ナンセンスが嫌いなわけがない。役者で一番気に入った
のは岡田と右田ひだりだそうです。


「ワンステージごとに手に入って来た」って、「中日(なかび)の中は中だるみの中」と、
その 2 日前に書いたばかりではなかったっけとか、「演劇の原点はやはり脚本なのです
よ」って、キャスティング 8 割説 (ここを参照) は取り下げるのかしらとか、いろいろ首を
ひねる箇所はあるけれど、まあ 4 日目の「完成形」の次は、スポンサーに「腹を立てられ
るのではないかとハラハラ」するくらいの「やりたい放題芝居」だったらしい。

で、2ちゃんねるのスレへの書き込みで、あれこれとネタになったりしているのが (Read
More
参照)、千秋楽の 3 日後に書かれた、以下の雑感。

http://www.tobunken.com/news/news20111214063129.html

イベント
2011年12月14日投稿
振り返っての雑感
〈略〉
幸い、スポンサーさんから準備費が出ました。それで予算の中に通信費、
というのを組んで、役者たちが案内状を自分の知り合いに出すときの
切手代はユニットが持つ、というシステムにしました。それから、これは
どこの劇団もやっていることですが、チケットバックを徹底して、
一枚売れたらいくら、と売った人にキックバックが入るように
しました。結果、発奮して、一人で100枚近いチケットを売って
くれた人もいました。ありがたいことです。結果、ささやかながら
黒字を計上でき、大入り袋を役者・スタッフに出すことが出来ました。
本番数日前に、予想集客人数×チケット代-総予算、で計算してみたら
50万円の赤字、という結果が出て青くなったことを思うと、黒字
が出たのが奇跡みたいなものです。きっと、役者のみんなが、
「いい芝居なんだから人に見せたい」
と思って頑張ってくれたのでしょう。ありがたい。
〈略〉
今回、これまで世話になってきた劇団『あぁルナティックシアター』
から離れて、単独ユニットを組みました。照明・音響などのスタッフ、
そして劇場主に対しても、古いつきあいの劇団と違い、一からお願い
しないといけません。狭い業界です、悪い噂が立ったら二度と仕事
してくれなくなります。もちろん、これまでも劇団がらみで人脈は
つくってきたつもりですが、個人ユニットとなるとまた話が違う。
〈略〉
今回の公演は私にとっては演劇の世界での卒業論文みたいなもの。
決してこれで儲けるつもりではありません(その先に儲けの出る話は
考えていますが、最初から四年間、劇団という実地の大学で勉強する
つもりでやってきました)でした。しかし、卒業論文だからこそ、
スタッフや協力者たちに
「今回は泣いてくれませんか」
とは言いたくなかった。それ(正規の支払)が達成できただけでも
自分としては満足しています。すれすれ合格点とれた、という
ところでしょうかね。

知人・友人の中には、唐沢は趣味の演劇に入れ込んで、身上を
つぶすんじゃないか、と心配してくれる人も大勢います。しかし、
私には私の目算がありました。出版に軸足を置きながら、映画や
テレビ、音楽、イベントなどさまざまな業界に顔をつっこんで、
「今後最もアツくなるのは演劇の世界だ」
という確信を得たということです。ここに地歩を築いておくことは
めぐりめぐって、モノカキとしての自分に絶対有利に働く(少なくとも
サブカルチャーの世界に固執するよりは)という結論を出し、
その世界の勉強を始めました。
〈略〉
下北沢で二番目に小さい劇場から今回、出発しました。
今後の目標はもっと大きな劇場へ、ということで、そういう話も
出てはいますが、あせるつもりはありません。私をはぐくんでくれた
この『楽園』に感謝もしております。愛着もあります。


2ちゃんねるのスレでは、「映画業界に関わっていたっけ? ビデオで発売したアレも映画
業界? さすがに『音楽業界』には顔すらつっこんでいないだろ」とか、「小さな穴に逃げ込
んだ男」「破滅型、消滅型の人はいたけど縮小型の人間ってあんまりいないから面白い」
等々、いろいろ突っ込みが。

「狭い業界です、悪い噂が立ったら二度と仕事してくれなくなります」については「うわの空
藤志郎一座の件はすっかり忘れたのかな?」とか、いわれていたりする。これには同意。

というか、この言い草って、「たとえ他の何を盗んでも、古本だけは盗もうとは思わない。
いったんバレでもしたら、今後の古書集めに差し障りがあるからである」のアレ (ここ
参照) に似ている気が。と学会の例会で発見した置き忘れの本を、会場や交番に届ける
代わりに自宅にもっていってしまった件に相当する何かを、演劇関係でもやっていたりは
まさかしていないだろうな唐沢俊一。

それと、「唐沢は趣味の演劇に入れ込んで、身上をつぶすんじゃないか、と心配してくれ
る人も大勢」というその中には、やっぱり川口友万も含まれているんだろうか。「私個人と
しては、唐沢氏の風向きが悪くなったのは演劇のせいにしか見えない」とか書き込んで
いたこともあったのだけど (ここを参照)。

で、「身上をつぶす」に関連するかもしれないけど、自分がど素人のせいか、「スタッフや
協力者たちに『今回は泣いてくれませんか』とは言いたくなかった。それ(正規の支払)が
達成できただけでも自分としては満足」には少し驚いた。赤字が出たら、主に唐沢俊一が
自腹を切ってでも何とかするのかと思ったら、「今回は泣いてくれませんか」ですませるの
もありだったのかと……。

その赤字については、「本番数日前に、予想集客人数×チケット代-総予算、で計算して
みたら50万円の赤字、という結果が出て青くなった」とか書いてあるので、会場代がそん
なにかかるのかなと思って計算してみたw ら、平日 1 ステージ 2 回、平日 2 ステージ 1
回、土・日・祭日 2 ステージ 2 回に、「仕込・GP」を 1 日分加えて 257,250 円 の計算
となった。

http://www.honda-geki.com/rakuenshou.html
>[劇場使用料]  仕込・GP    公演日1ステージ
>平日        31,500円   42,000円
>土・日・祭日              52,500円
>・1日2ステージの場合は、各料金の25%増となります。
>・延長料金は30分につき、5,250円戴きます。
>・照明・音響・舞台等の付帯設備品は使用料に含まれております。
>・電気使用料金は実費で戴きます。
>・機材の持ち込み料金はかかりません。


ちなみに、唐沢俊一は「下北沢で二番目に小さい劇場」と書いているが、では一番小さな
劇場はどこか、よくわからなかった。http://www.honda-geki.com/gekijo.shoukai.html
を見ると、楽園とシアター 711 が「客席数=約70~90席」で、OFF・OFF シアターが「客席
数=約80席」。http://www.honda-geki.com/711syou.html を見るとシアター 711 が
一番料金が高くて、OFF・OFF シアター http://www.honda-geki.com/offoffshou.html
楽園とほぼ同じだけど、「土・日・祭日」の「仕込・GP」だけは楽園より高い。

http://blogs.yahoo.co.jp/k_tsugunosuke/folder/516720.html
>作中では、下北沢に松多グループという演劇マニアのオヤジの会社が所有する四つの
>演劇場があって、小さいほうから順に、駅の南口正面にある客席数80人の「ミニミニシ
>アター」、同じビルの一階上で客席数150人の「駅横劇場」、南口から少し離れた場所
>にある客席数300人の「ザ・マンパイ」、そして、下北の頂点、北口にある客席数600人
>の「松多劇場」になります。
>人気が出て、集客力が上がるにつれて、上の劇場へ出世していくシステムになってお
>り、彼ら演劇人はこれを「劇場すごろく」と呼ぶ。
>ちなみに、この「松多グループ」というのは、「本多劇場グループ」として下北沢に実在し
>ていて、背景として、そこそこリアルな設定がされているようです。ちなみに実在の本多
>グループが所有する劇場もほぼ同じような構成のようです。


それはさておき、会場代は 30 万円未満として、50 万円の赤字がどうのこうのというから
には、よくわかんないけど、大道具代、小道具代、人件費等々いろいろあるのだろう。
衣装代は、コスチューム・仮装用のサイトを見ると、1 万円未満から、せいぜい 3 万円で
1 人分揃えられるけど、今回唐沢俊一は衣装の特注とかやっているようだし、それから
オープニング映像の製作費というのもありそうだし。

しかし、逆に考えると、全部で 8 回公演で、客席数が最大 90 席。720 × 3,000 円 =
210 万円で、50 万円というのはその 4 分の 1 で。……いや、何がいいたいかというと、
100 万円も用意できれば、スポンサーになるのも夢ではないのかしらと。自営業でも
なければ、店の広告出してもらってどうこうというメリットはないにしても、金をつぎ込む
趣味としては、ありなのかも。w


ついでに、ふと思ったのだけれど、今回の演劇は、唐沢俊一の日誌を読んでえられる
印象よりも、実際はずっと面白かったという可能性もあるかな、と。

考えてみれば、唐沢俊一が朝日の書評で紹介した、『綺想迷画大全』、『日本売春史』、
談志絶倒 昭和落語家伝』等々、他の人の書評で読みたくなって買ったら、唐沢俊一の
紹介で予想していたより、ずっと面白かったというのがある。

本だけではなく、『女ガンマン/皆殺しのメロディ』、『ビッグ・コンボ』、ケン・ラッセルの
サロメ』といった映画についても、そうだった。

唐沢俊一は、自分の本の宣伝をするときにはそうマイナスとなることはいわないのに、
芝居となると、「セリフ飛び、暗転ミス、テンポ不合」だの、「ベテラン陣がミスしたり」
だの、「SF色の高い芝居のため、一般のお客様でちょっとついて来にくかった方もいた」
だの、「伝わってないのかとちょっとがっかりしていましたが、やはりわかっている人には
わかってもらえているのだな」だの、なぜか余計な記述をいっぱい加えてしまう癖がある
ような気がする。なぜなんだろう。自分褒めの射程外となる、他人の功績のウエイトが
本などよりは高いからだろうか。


テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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2011.12.18 (Sun)

ユリとジュネと相撲レスリング

http://www.tobunken.com/news/news20111215140741.html

イベント
2011年12月15日投稿
ひねくれていた男 【訃報 ケン・ラッセル】
〈略〉
まして、かのユリ・ゲラーの半生を映画化した『超能力者/ユリ・
ゲラー』(1996)になると、アメリカに来たゲラーが超能力を
使ってラスベガスで大もうけするわ、それを嗅ぎつけられてアメリカ軍
に拉致されて人間兵器にされかかるわ、そこからテレポーテーション
で脱出するわと、もうやりたい放題という感じで、いくら『恋する
女たち』(1970)でのアラン・ベイツとオリバー・リードの
全裸レスリングという伝説のシーンにショックを受けてラッセル映画
を追いかけてきた旧JUNE世代女史たちも、ここでツイテケマセン
になったのではないか。


「ラッセル 『超能力者/ユリ・ ゲラー』」でググると、トップに Amazon がきて、次に以下の
ページがくる。

http://www14.ocn.ne.jp/~walkon/movie/01uri.html
> この作品はいわゆる実話を基にした伝奇映画なんですが、こんな実話があったらえら
>いことです。もともと期待していなかったとはいえ、実にウソくさく淡々と物語は続きまし
>た。あまりの盛り上がりのなさに、途中観るのを止めようと思いましたが、ユリが渡米し
>たあたりから、ガゼン面白くなってきました。
> 「人類の平和」をモットーに全世界のテレビの前のいたいけな子供たち(自分含む)を
>騙してきたその「チカラ」を、カレはなんとラスベガスでギャンブルに悪用し、さらにその
>後カレは軍に埒監禁され、アヤシゲなヘッドギアを被せられ、なんと殺人兵器としてモ
>ルモットにされてしまうのです。
> そこからの彼の脱出劇はすさまじく、超能力で人は倒すは遮断機破壊するは、挙げ
>句の果てにはテレポートまでやってのける始末。幻魔大戦もスキャナーズもマッ青で
>す。
> そして映画史に残る名ラスト(個人的)といえる、感動的なシドニーオリンピックのシー
>ンまで、もう暴走特急のごとく物語は展開していきます。
> まさにこのシーンにユリ・ゲラーの願いが凝縮されているといっても過言ではありませ
>ん。あえてネタばらししませんが、必見です。というより監督の「巨匠」ケン・ラッセルさ
>んはどこまで本気なんでしょうか?


すぐ上に引用した文章を読むと、唐沢俊一の書いていることは正しいのだなと解釈する
べきか、唐沢俊一のネタ元がこれなのかと思うべきか、少し悩む。「ラスベガス」とか、
軍に「拉致」 (埒) されて「人間兵器」 (殺人兵器) とか、「テレポーテーション」 (テレポート)
で「脱出」とか、2 つの文章は似過ぎていて、これらは他の、『超能力者/ユリ・ ゲラー』
を紹介する文章に、必ずのように出てくる要素というわけではないのだ。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00005H93G
>世界一の超能力者とされるユリ・ゲラーの出生から、彼自身が予言する未来までを鮮
>烈な映像で綴ったサイキック・ムービー。監督は、『トミー』のケン・ラッセル。


http://eiga.com/movie/46791/
>かつて日本でも一世を風靡した超能力ブームの立役者ユリ・ゲラーの人生を、K・ラッ
>セルが映画化。少年ユリは、不思議な能力を持っていることに悩みながらも、肉体の成
>長とともに超能力も向上させていく。やがて人々の前でその能力を見せるようになった
>彼は、様々なバッシングを受けながらも、世界中の人気者になる。愛する妻や良き理解
>者に恵まれた彼は、能力のさらなる解明と、人類への貢献に目覚めていく。センセー
>ショナルな題材と描写で定評があるK・ラッセルが、興味深いキャラクターである超能力
>者の隠された過去と秘密を独特の感性と映像美で綴っていく。


http://blogs.yahoo.co.jp/tomoko_more/5883243.html
>監督は鬼才ケン・ラッセルで、彼がまったく自分の解釈で撮り上げた『Tommy』(75年)
>にとても近い感じがするのは、本作がユリ・ゲラーという、ある意味でキワモノのタレント
>に対するこれまたラッセル流の解釈だからだろう
>冒頭に、本作はユリ・ゲラーの伝記をメタクソ脚色してます!という断りが入るくらいだし
>結局TVでの公開となったようだが、そりゃそうだろう
>ハチャメチャでどうかしており、そこが魅力の作品です


http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_5689.html
>1.俺も色んなジャンルの映画撮って来たけど「駄作」というヤツはまだ作って無かった
>な、とケン・ラッセルが考えたのかどうか知りませんが、実際見事な駄作に仕上がって
>います。ユリ・ゲラーの伝記ということですが、あのインチキ超能力を、な、なんと、すべ
>て実話として描いてしまってます。まあ考えようによっては確かに新機軸ですけどね。
>でも十万人に一人くらいは真に受けるかもしれないのでやっぱり気をつけねばなりませ
>ん。


ちなみに、原題は Mindbender。
- http://vimeo.com/32804047
- http://www.youtube.com/watch?v=_73Lio2emYM

で、上に引用した人みたいに「駄作」と断じるならともかく (?)、「ラスベガスで大もうけする
わ、それを嗅ぎつけられてアメリカ軍に拉致されて人間兵器にされかかるわ、そこから
テレポーテーションで脱出するわと、もうやりたい放題という感じ」というだけで、「いくら
〈略〉旧JUNE世代女史たちも、ここでツイテケマセンになったのではないか」というには、
理由づけとして弱いような気がする。……というか、考えてみると、「旧JUNE世代女史
たち」というのが、どういう人たちかよくわからない。

「"旧JUNE世代"」と二重引用符つきでググると、今回の唐沢俊一の文章以外にヒット
するのは、この 1 件↓のみ。

http://doujin.ldblog.jp/archives/51906857.html
>298 :カオス2011/06/23(木) 15:48:03.59 ID:1+VmsxT50
>やすひこ氏は結構狙ってるような気がするけどな。
>漫画版オリジンとか、他の氏の作品を読んでも感じる。
>狙ってるといっても、これで腐女子爆釣りwwwwという狙い方でなく、
>少年性の美とか男同士の関係性の美学とかを
>ある程度意識して作品に取り込んでいるというか。
>旧JUNE世代の感性だと、乱歩や樽穂なんかもそうなんだけど
>下手作者的な腐男子感性とはまた別物で。


『恋する女たち』という映画は、唐沢俊一も書いているように 1970 年の作品で、JUNE の
創刊は 1975 年とのこと。創刊当初からの読者としても、せいぜい 1960 年前後の生まれ
であると思われるのだが……「『恋する女たち』(1970)でのアラン・ベイツとオリバー・
リードの全裸レスリングという伝説のシーンにショックを受けてラッセル映画を追いかけて
きた」って、10 歳かそこらのときに公開された大人向け映画に、リアルタイムで「ショックを
受けて」というのは、ちょっと考えにくい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNE
>JUNE(ジュネ)は、株式会社マガジン・マガジン(創刊時は「サン出版」)が発行してい
>た、女性向けの男性同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌の名称。また、「JUNE」
>誌上で「耽美」と呼ばれるような男性同性愛を主題にした作品の名称でもあるが、現在
>ではそういう作品には「ボーイズラブ」という名称を使うことが一般的になってきている。
>かつて中島梓が「小説道場」を、竹宮惠子が漫画教室を連載し、プロ作家を多数送り
>出したことでも知られる。
〈略〉
>1978年10月に『COMIC JUN』として、創刊。3号から『JUNE』と改名し、1979年8月の8
>号まで刊行して休刊。その後1981年に復刊し、復刊1号(1981年11月)~87号(1996
>年4月)まで刊行。
>創刊企画者は藤田尚の筆名を持つ佐川俊彦で後に長らく編集長をつとめる。創刊編
>集長は『さぶ』の創刊編集長でもあった櫻木徹郎。
>他に隔月刊として1983年2月に創刊された『小説JUNE』も根強い人気を博す。1995年
>頃から「ボーイズラブ(BL)」という言葉が派生し、ある種の市民権を得ると同類の雑誌
>が次々に刊行され始める。同誌は先駆け・老舗として位置づけられていた。しかし、時
>代の波は活字よりも、官能的な表現をダイレクトに表現・展開される漫画に流れてい
>き、小説をメインにした雑誌は次々に休刊。同誌も2004年4月の153号以降、『小説
>JUNE DX』と名前を変えてテコ入れを図り継続を試みたが、発行部数の減少は食い止
>められなかった。現在は休刊。


まあ雑誌の読者側ではなく、情報の送り手の方ならば、1953 年生まれの中島梓 (ここ
ここを参照)、1950 年の竹宮惠子あたりは、世代的には映画を見て感銘を受けていても
おかしくないので、彼女らが積極的に話題にしていたならば読者に情報が伝わっていった
可能性もあるとは思うんだけど、「全裸レスリングという伝説のシーンにショックを受けて
ラッセル映画を追いかけてきた旧JUNE世代女史たち」とステレオタイプ化できそうな
感じはしない。

http://blog.goo.ne.jp/movie1001/e/5fe12922486f284db29a9a3ae258baf3
> 三銃士の一人、アトスに扮するオリヴァー・リードはイギリスの名匠キャロル・リードが
>叔父に当たり、映画界入りはその勧めによる。過激なスポーツを好んだらしく、見るから
>に体育会系の風貌だ。出世作は「吸血狼男(1960、日本公開は1961)」である。後に
>D・H・ロレンス原作、ケン・ラッセル監督の「恋する女たち(1969、日本公開は1970)」
>ではアラン・ベイツとの全裸レスリングシーンで毛むくじゃらの肉体を披露、見たくない
>ものを見てしまった記憶がある。


http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/archive/2011/11/29
>彼は、同性愛の人々のための障壁を取り除いた・・・その映画
>『恋する女たち』は、1969年のケン・ラッセルを有名にした作品だ。
>その当時の最もセンセーショナルな有名なシーン、アラン・ベイツとオリバー・リードの
>全裸のレスリング。
>オリバー・リードは、監督が「正気でなくなり始めていた」とその時に思った。
>「以前は、彼は健全で好感の持てるテレビ・ディレクターでした」とオリバー・リードは語る。
>「だが、今は彼は狂気の好感の持てる映画監督です。」


http://britannia.cool.ne.jp/cinema/title/title-ko.html
>ルパートは「衝動に駆られ自然に行動することこそ真の紳士的なるものである」と定義
>する。裸で森の中を駆け巡り、植物を全身にこするつけたり、暖炉の光の中でジェラルド
>と裸でレスリング("日本式"ということだが)したり・・・と、自然との関わりを体現する。


http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/22100371.html
>失望したルパートはジェラルドに慰めを求めるが、ジェラルドには男同士の愛というも
>のが理解できなかった。一方、アーシュラはルパートに近づき、ジェラルド邸で催された
>湖上パーティに参加したときに、森で彼に身体を許す。だがルパートもジェラルドの思い
>は募り、ある夜に二人で全裸になり、レスリングを愉しむ。やがてアーシュラはルパート
>と結婚する。
〈略〉
>それと暖炉の火だけの暗い居間で全裸になって、隆々たる肉体に汗して
>互いにもみ合い、投げ合って、からみ合い男と男の肉体がぶつかり合う扇情的な場面。
>(モーホーの方たちには堪えられない場面かも)
>英国検閲官とこの場面はもめて、場面を暗くする事、また数箇所の編集で
>このレスリング場面は検閲をパスした。

(画像: http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/82/gh_jimaku/folder/623073/img_623073_22100371_2?1323351644 )


で、この場面って、YouTube にアップされていそう……と思ったら、予想通り存在した。

http://www.youtube.com/watch?v=ft_3ZH9Mcis
>Women in love (1969)

外人さんから見たら、日本式相撲レスリングとは、こういう感じなのかも (←少し違う?)



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2011.12.18 (Sun)

バナナとロリータ

http://www.tobunken.com/news/news20111215140741.html

イベント
2011年12月15日投稿
ひねくれていた男 【訃報 ケン・ラッセル】
〈略〉
そして、妖艶な美少女というイメージが定着しているサロメを、
イモジェーン・ミライス・スコットという、ガリガリの色気皆無な
女優に演じさせ、それが芝居の中では父親のヘロデをはじめ
男性たちがこぞって美しい、こちらを向いて欲しい、言葉をかけて
もらいたいと渇望する美女という設定になっているという皮肉。
「所詮、作り物であるのなら、その“作り物性”を徹底して
つきつめるべき」
というラッセル独自のケレンなのであろう。
〈略〉
『サロメ』にはラッセル自身も、お稚児のような美少年の助手を
引き連れた娼館専属のカメラマンという役で登場する。そんな職業
が本当にあったのかどうかしらないが、このツクリモノめいた
怪しげさが、いかにもラッセルらしかった。登場人物として芝居の
中に登場する他、カミナリや風の音を効果マンとして作っていた。
この人工の音や光こそが、すなわちラッセルの作品ということ
なのではなかろうか。そして、ラスト、サロメが殺されるという
舞台上のストーリーと、現実世界が交叉して映画は終わる。
警官がグレンダ・ジャクソン(ラッセル映画の常連)演ずるヘロデヤに
「メイドが殺されたのです」
と告げると、彼女は
「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」
と言って大笑いし、その笑いはワイルドと娼館主人に伝染して、
映画は哄笑のうちに終る。

ラッセル映画に対し、これは悪ふざけがすぎるんじゃないか、これは
いくらなんでも映画をバカにしているんじゃないかと文句を言っても、
「バナナの皮にすべっただけ」
と笑われるような、そんな気がしてならない。


ケン・ラッセル監督の『サロメ』は http://www.youtube.com/watch?v=OULCUo1e29s
で、なぜか全部を見ることができた。

で、まあ、「ガリガリの色気皆無な女優」というのは、前半部分はともかく――映画の最初
の方にも、オスカーと娼館主人との「ガリガリじゃないか 耐えられるのか」「できなければ
私が殺そう」「君には安い買い物か」という物騒な (?) 会話があったりする――「色気皆無」
というのは,ガセやデマに分類してよいのではないかと。

だって何だかすごかったんだもん、下でいう erotic dance のシーンとか。

http://movies.nytimes.com/movie/42659/Salome-s-Last-Dance/overview
> While she performs, Wilde slips off with a young male performer, arousing Bosey's
> jealousy. After Salome's erotic dance (at the end of which she momentarily
> changes sexes), she confounds Herod by demanding the prophet's head.


「所詮、作り物」といわれたらそれまでだが、erotic dance の迫力は、劇中劇のヘロデ王
役の人のニヤケ顔に、作り物めいた不自然さを感じなかったりするレベル。

もちろん好みは人それぞれだし、やはりボンキュッポンじゃなけりゃダメという信念のもと、
おっぱい丸出し黒ボンテージの兵士役のお姉さんや、金色ミニスカまたは腰巻き (?) だけ
の上半身裸で踊っている人の方がずっと色っぽいのになあ……みたいな好みの表明で
あったのなら、それはそれで充分理解可能である。

しかし、「美女という設定になっているという皮肉」とか、「所詮、作り物であるのなら、その
“作り物性”」とかいう方に話を引っ張るなら,誰が見ても美女からかけ離れていて、色気
も欠片もなくて、という女優が対象でなければ説得力がないでしょう、ということで。

ネット上をざっと検索してみたかぎりでも、「色気皆無な女優」なんて罵倒めいた表現を
しているのは唐沢俊一くらいのもので、「サロメは蒼井優に少し似ていて魅力的だった」
( http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_8073.html ) と書いている人も。怪演と表現している
人もそこかしこにいるみたいだけど。

それはともかく、ケン・ラッセルのサロメは「妖艶」とは対象的――とする人なら結構いる。
ただ、「色気皆無」というより、「ロリータ風」「ロリータ系」ととらえている人が多いようなの
だ。これには個人的に同意。

http://nicoviewer.net/sm10073142
>今までのサロメ像が持つ“妖艶さ”を強調するのではなく、ロリータ風の容貌にするなど
>彼独自の解釈が興味深い作品


http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/49a535510df53bbea057a024ba71b447
>主役であるサロメは、館の女中が演じるのですが、これが聖書のエピソードではもともと
>少女ではあるのですが、とても妖艶とはほど遠いロリータ系の女優をあてがっているの
>です。背は低く平坦な胸、ボーイッシュなシルエットと女性的というよりは中世的。それ
>が上半身を露にしたダイナマイトボディーの女性の家来と対比され一層強調されている
>のです。それは今流行のゴスロリに近いのかも。

>しかし彼女はあくまで大人であり少女ではありません。ですから大人として(経験も豊
>富な?)の意味ありげな性的な挑発を見せていきます。挑発的にバナナを咥えて見せ
>たり、大股開きで坐って見せたりと怪しげで不思議な雰囲気を醸し出すのです。


んで、今回違和感をおぼえたのは、あれっ、唐沢俊一って、ロリータだのロリコンだのと
いっていたのに、実はロリータ系を「ガリガリの色気皆無」と切り捨てるのかということ。

もしかしたら、ロリコンがどうこうと書いていたのは、あくまで商売用だったのかもしれない
とも思った。以前、「そもそも美幼女じゃなくて美少女もロリコンの対象?」で取りあげたこと
のある唐沢俊一解釈のボッコちゃん――「ちょっと冷たい美少女」、「『美人で若くて、つん
としていて、答えがそっけない』 と原作にあるが、まさにこういう美少女に翻弄され、破滅
させられることこそが大人のオトコの夢」と唐沢俊一は書いている――これとサロメは印象
がカブると思ったんだけどなあ。


それから、「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」、「大笑いし、その
笑いはワイルドと娼館主人に伝染」、「映画は哄笑のうちに終る」は、やや不正確のきらい
がある。

映画では、劇中劇が終わってすぐに警官が乗り込んできて、オスカーは未成年者への
わいせつ行為で、劇中劇でヘロデ王役を演じたテイラーは娼館を経営の罪で逮捕。
2 人は「今夜は何と劇的な幕切れを迎えた事だろう」「チルバース 帽子とコートを 出か
ける 遅くなるだろう」と余裕をこきながら (?) 屋敷を出る。

護送の馬車の中でオスカーが、預言者 (ヨハネ) 役はミスキャストだったと言い出し、
「再演の時は彼をサロメに 僕は預言者だ」とか話しているときになぜかヘロデヤ役を
していたレディ・アリス・ウィンザーまで馬車に連れてこられて、

「この私を凶悪な犯罪者と同じ馬車で運ぶとは大変な過ちだわ」
「名前を お嬢さん」
「“ミス”ですって? レディ・アリス・ウィンザーに向かって」
「失礼いたしました レディ ご同行を」
「芝居をするのが犯罪なの?」
「いえ 証人が必要なのです メイドが殺されました」
「殺人ですって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」
(一同笑)
「テイラー様 帽子とコートです」

つまり、「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」は、本当は「殺人で
すって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」だし、笑いは伝染したというより、
一同がいっせいに笑っているようだし、その哄笑のあと、律儀に主人の乗った馬車を追い
かけて走る使用人の、「帽子とコートです」の叫びで映画は終わる。

まあ、そんなことより、そういえば劇中劇でサロメ役の女の子 (ローズ) は、映画の最初の
方でオスカーに葉巻を渡すときにメイド服着ていたよなぁとか、劇の最後でローマの兵士
の槍にあたった場面では、何だか槍が身体を貫通してみたいだったと思い返すと、少し
恐いオチのような気はする。

劇中劇が終わった直後、オスカーは首だけ出して動けない状態の預言者役の青年に、
きれいな顔だの、唇に金粉がついているだの、キスしていいかだのネチネチ絡んでいた。
ヨハネ役はヨハネ役で、「あの少年は君の稚児だが金粉の魅力に負けた」とか返答して
いたりした。で、その少年は天使か何かの役で、芝居に金粉まみれで出ていて、オスカー
は erotic dance の最中にも踊りを無視してひたすらその少年といちゃついていて……と
いうのはよいとして。

逮捕された護送馬車の中で、「再演の時は彼をサロメに 僕は預言者だ」と真顔で話し、
「メイドが殺されました」「殺人ですって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」
に大笑いのイカれた人物たちを描いているのは、唐沢俊一のいう「悪ふざけがすぎるん
じゃないか」があてはまりそうだとして、「これはいくらなんでも映画をバカにしているんじゃ
ないか」というのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/archive/2011/11/29
>彼は、同性愛の人々のための障壁を取り除いた・・・その映画
>『恋する女たち』は、1969年のケン・ラッセルを有名にした作品だ。
>その当時の最もセンセーショナルな有名なシーン、アラン・ベイツとオリバー・リードの
>全裸のレスリング。
>オリバー・リードは、監督が「正気でなくなり始めていた」とその時に思った。
>「以前は、彼は健全で好感の持てるテレビ・ディレクターでした」とオリバー・リードは語る。
>「だが、今は彼は狂気の好感の持てる映画監督です。」


「狂気の好感の持てる映画監督」も、唐沢俊一にかかっては、「ひねくれていた男」とのみ
まとめられてしまうというのは少し残念な話かもしれない。

それと、思ったのは、そんなにバナナの皮ですべる話が好きなのか唐沢俊一は……と
いうことだったり。

参考
バナナの皮ですべってころぶのは、そんなバカナ話ではない
シリコン川を渡る

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2011.12.10 (Sat)

「もうちょっと何とかならなかったかな」の『談志絶倒 昭和落語家伝』の朝日書評

『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道?」のエントリーでは、裏モノ日記 2007年
10月 28日(日曜日)
の記述、「コンビニで朝日新聞を買って、掲載されている自分の書評
を読む。今回は『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房。この書名はもうちょっと何とかな
らなかったかな)。」を引用し、「もうちょっと何とかならなかったかな」は、唐沢俊一の書評
の方だろうとか書かせてもらった。今回は、その書評について。

http://book.asahi.com/review/TKY200710300255.html

談志絶倒 昭和落語家伝 [著]立川談志 [写真]田島謹之助
[掲載] 2007年10月28日 [評者]唐沢俊一(作家)

■良き昔を伝えた落語黄金時代の顔

 戦後の落語黄金時代は昭和26年に始まる。この年に、ラジオに初めて
民放(東京ではラジオ東京・後のTBS)が誕生し、番組の目玉として落語
の放送を始めた。これにより落語家たちの収入は格段に上向き、それまで
貧乏を看板にしていた古今亭志ん生など各局で専属契約をめぐっての
引き抜き合戦が行われるほどの売れっ子になった。また、昭和28年には
初のホール落語「三越落語会」が発足、寄席ではなかなか出来ない人情
ばなしなどをじっくり聞かせることが可能になり、そういうネタを得意とする
三遊亭円生の評価が一躍高まった。

 この写真集には昭和29年から30年にかけて、つまり黄金時代初期に
人気を博した落語家たちの高座姿が収められている。それらの写真に
コメントをつけるのは当時前座として彼らに接し、また袖でその芸を聞いて
いた立川談志。

 戦後文化史を語る貴重な資料、というだけの本ではない。テレビ時代に
われわれが見慣れた顔よりも少しだけ若い(先代正蔵の精悍〈せいかん〉
なこと、先代小さんの元気一杯なこと!)その顔には強烈なノスタルジーの
香りがあり、彼らを語る談志も、その香りに準拠することを躊躇(ちゅうちょ)
していない。自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわかる
ものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて
書いたものはノスタルジーの域を逸脱するというのだろう。

 落語を語る場合、その姿勢は正しい。近代の落語の型を作ったのは明治
の三遊亭円朝だが、その創作の基礎には失われた江戸の情景への郷愁が
あった。近代落語は、その成立のファクターに、すでにノスタルジーが含まれ
ているのである。この本に載っている九代目文治(翁家さん馬)や七代目円蔵
は、私も寄席でよく聞いた人たちだが“昔はよかった”という話ばかりしていた
ものだ。

 今の落語家たちは、語ろうにも、語る“良き昔”を知らない。落語の歴史の
中で初めて“現代”を語るしかない今の落語家の写真集が作られたなら、
そこに載る顔にはどんな香りがあるのだろうか。


×当時前座として彼らに接し ○当時二つ目として彼らに接し

「戦後の落語黄金時代は」ではじまる唐沢俊一の書評の第一段落。これは悪い意味で
すごい。ラジオの民放誕生だ、志ん生の「専属契約をめぐっての引き抜き合戦」だ、「三越
落語会」だなどと、全体の三分の一近くの字数を費やして、この本で特に話題になっても
いないことを語る一方、掲載されている写真の主な舞台である人形町末広についての
言及はいっさいない。人形町の「に」の字も、末広の「す」の字も登場しないのだ。この本
の真ん中あたりには、「人形町末広、楽屋の記憶」というコーナーまであるのだが。

ちなみに、この本で「専属契約」 (本では「専属制度」) について言及されている部分の
記述は以下のような感じで、「古今亭志ん生など各局で専属契約をめぐっての引き抜き
合戦が」という話が、志ん生の項などで語られたりしているわけではない。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.99 ~ P.100 (八代目三笑亭可楽)
> けど、その頃の五人衆、文楽、志ん生、円生、三木助、小さん。これらを俗な言葉で
>「本格」というと、可楽は「本格ではない」ということになっていて、それは正蔵師匠にも
>いえたし、柳枝師匠もその部類に入れられていた。
> TBSが専属制度を始めたときに、その道の通人であり、指導者であり、プロデュー
>サーであった故出口一雄氏は、その五人(三木助はNHKにレギュラー出演していた
>ので除かれた)に、昔々亭桃太郎、春風亭柳好、あとへきて、桂右女助、三遊亭円遊
>を加えた。つまり、「娯楽品」とでもいうべき人たちも集めた。ついでに、若き才人桂小
>金治も、後に正蔵も入ったか……。つまりネタの多さ、変わった噺をする、という理由
>だったろう。
> その後、遅ればせながら、文化放送が、またはニッポン放送が専属制度を始めた。
>文化放送は、今輔、可楽を専属にした。これらは、悪くいやァ売れ残り。TBSの一流
>に対して、二流と判断されていた人たちであった。


で、まあ、この部分だけでも、唐沢俊一のいう「ノスタルジーの香りがあり、彼らを語る
談志も、その香りに準拠することを躊躇(ちゅうちょ)していない」だの、「“昔はよかった”
という話ばかり」って、何か違うのでは……と思わせるに充分ではないかと思ったり。

さて、この本の Amazon での記述は以下の通り。

http://www.amazon.co.jp/dp/4479391622
>談志絶倒 昭和落語家伝 [単行本(ソフトカバー)]
>立川談志 (著)
〈略〉
>内容(「BOOK」データベースより)
>八世桂文治に惚れ、人形町の寄席から高座を狙い、あげくは自宅に押しかけ、文治の
>素顔を、そして文楽、志ん生、三木助、小さん、馬生…と追いかけた二千枚の貴重な
>フィルム。この写真集では、当時の落語界の幹部、または理事といった野暮な呼称の
>“真打ち”を載せ、語った。

>著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
>立川 談志
>落語家、落語立川流家元。一九三六(昭和11)年、東京に生まれる。本名、松岡克由。
>小学生のころから寄席に通い、落語に熱中する。十六歳で五代目柳家小さんに入門、
>前座名「小よし」、十八歳で二つ目となり「小ゑん」。二十七歳で真打ちに昇進し、「五
>代目立川談志」を襲名する。一九八三(昭和58)年、真打ち制度などをめぐって落語協
>会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元となる

>田島 謹之助
>写真家。一九二五(大正14)年、東京に生まれる。子どものころから写真と寄席に夢中と
>なり、戦後は日本の原風景を撮り続ける。二十代のとき、叔父と親しかった人形町末広
>の席亭に頼みこみ、一九五四(昭和29)年から一九五五(昭和30)年にかけて、人形町末
>広の高座と落語家の自宅を集中的に撮り続ける。その数は二千を超え、現在でもフィ
>ルムのほとんどが変質することなく残されている(本データはこの書籍が刊行された当
>時に掲載されていたものです)


唐沢俊一の書評とは全然違って、さすが Amazon の書評は短い字数で本の雰囲気を
よく伝えているなあ――と思ったら、立川談志の「まえがき」からの抜粋を繋ぎ合わせた
内容だったということに気がついた。この「まえがき」は Amazon の「なか見! 検索」でも
見ることができるので、興味のある人はぜひ読んでみて欲しい。

また、「著者略歴」は、本の奥付けや表紙カバーの折り返しに載っていることがそのまま
書かれている。で、「一九五四(昭和29)年から一九五五(昭和30)年にかけて」を「当時」
とよぶならば、「一九三六(昭和11)年、東京に生まれ」た立川談志は「十八歳で二つ目」
になっていたので、「当時」は「前座」というより「二つ目」ということになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/立川談志
>1936年 - 1月2日、東京府東京市小石川区(現在の東京都文京区白山)に生まれる。
〈略〉
>1954年 - 3月に二つ目昇進し柳家小ゑんに改名。


まあ唐沢俊一をフォローするなら (何の義理で?)、この本の中で立川談志は、前座の頃の
思い出話を取り混ぜて語っているので、それで混同したのかもしれない。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.98 (八代目三笑亭可楽)
> 一度、前座の頃、可楽師匠にお茶をご馳走になった。「まだまだ修行が足りません。
>下手です。文楽さんと違ってね」てなことを言っていた。どちらかというとお山の大将、
>一人天下みたいだった可楽師匠に、こういう部分があったのかと驚いた。
> 場合によっちゃあ卑下とも聞こえる、弱音とも聞こえることを「柳谷小よし」と称った
>前座の私に言った。協会が違う故に言いやすかったのか。意外だった。

(原文では「まだまだ」の後半は、くの字点表記)。

立川談志は「まえがき」で、「写真を見て、眺めて、あれやこれやと当時を偲ぶ。そこで
過ごした青春、今は亡き憧れし師匠連、思いつくままに書きとめておく。」と書いている
(ここの部分は帯にも引用されている)。

ほとんどが 1949 年 (昭和 29) から 1955 年 (昭和 30) に撮影された数々の写真。それ
に触発された話とはいっても、立川談志の語る内容はその年の出来事に限定されない。
立川談志が前座の頃の話もすれば、「ガキ」の頃の話もする。「まえがき」の P.2 にある
ように、「この落語立川流家元が寄席ファンであった」から、「誰よりもファンで、マニアで、
我ながら愛おしい奴」であるからだろう。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.130 (七代目春風亭小柳枝)
> 後年、新東宝あたりの映画の端役で泥棒になって逃げたりしているのを見たとき、
>生活もあろうし、芸術協会との軋轢もあろうが、“寄席に出ていてほしいなあ”と、ガキ
>心に素直に思った。
> ある日、弟を連れて人形町末広へ行った。正月であった。桃太郎が出てきて『落語
>学校』を演った。こっちもまだ中学生ではあったが、好みは激しいけど桃太郎、その
>面白さったらなかった。
>「先生、だいぶ控え室に患者が固まりました」
>「そうか。じゃ、そろそろ溶かすか」
> 引っくり返って笑った人形町末広の初席、雨の夜だった。

(原文では「そろそろ」の後半は、くの字点表記)。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.192 (八代目春風亭柳枝)
> 生意気なガキであった私が、素人の頃、地元のお祭りにこの師匠が来たとき、二ヵ所
>掛け持ちの後を追いながら「師匠、ひとつ『花色木綿』を演ってください」。
>『花色木綿』、つまり、この落語を知っているという己の自慢である。「お結構な勝っちゃ
>ん」なくらいだから「へい、へい、へい」てなことを言いながら、『花色木綿』を演ってくれ
>た。
> むしろ『四人癖』のように、アクションに頼るというか、判りやすい噺をするべきだろうと
>後年思ったが、勝っちゃん、相手はガキでもお客には逆らわない。


また、前座だ二つ目だというのを抜きにしても、唐沢俊一の「当時前座として彼らに接し、
また袖でその芸を聞いていた立川談志」という紹介は、ちょっと説明不足のきらいがある
と思う。

下でいう「客席で聴いた数」を勘定に入れていないということだけではない。立川談志の
「今は亡き憧れし師匠連、思いつくままに書きとめておく」の中に含まれる、これこれこう
いう噺を「師匠連」に教わったという部分。これが唐沢俊一の紹介では今いち伝わらず、
楽屋内の会話や「袖でその芸を聞いていた」のみに限定されてしまいかねないと感じる
からだ。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.36 (三代目春風亭柳好)
> 柳好師匠は、私が二つ目になって間もない頃に亡くなっている。何がいいたいのかと
>いうと、楽屋や舞台袖からはそれほど聞いてないというこった。むしろ、落語の世界に
>入る前に、客席で聴いた数のほうが多い。柳好の追っかけともいえた。
> 落語家になってから聴けなかった理由の一つに、“協会が違っていたから”ということ
>もある。何せ、楽屋の仕事、前座業というものがあり、追っかけようにも時間がない。


『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.138 ~ P.140 (十代目金原亭馬生)
> 馬生師匠の落語には、私が不可とするようなものはなかった。よほどセコな噺はさて
>おいて。いや、待てよ。そのセコな噺を二席、私は教わったことがある。その噺はなん
>と、『支那の野ざらし』と『長刀傷』。これらはとても高座で演れるような代物ではなかっ
>たが、馬生師匠はそれらをあえて演っていたのか。
> 噺家ァ、覚えた噺は誰かに聴かせたいものだ。それで、「談志に教える」という形で
>聴かせたのかも知れない。いや、まだ「小ゑん」の頃か。


『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.116 (四代目三遊亭円遊)
> 大阪の『崇禅寺馬場』という噺を東京流に替えて、『鈴が森』。追い剥ぎが逆にやら
>れる。「ここは崇禅寺馬場や」と言う。つまり、そういう曰くのある場所というこった。
>『崇禅寺馬場』は大阪だから、東京では『鈴が森』となる。けど、崇禅寺馬場はそういう
>昔の実話があった場所だが、鈴が森にはそれはない。つまり無理である。
> で、その最後に、
>“二尺八寸段平物を”と、こう言うところを、
>「二尺七寸段平物を」
>「おい、一寸足らないよ」
>「ええ、一寸は先が折れてました」
> 何です、こりゃ。
> といいながら、実は私は、『鈴が森』も『長屋の算術』も『代診』も円遊師匠に教わっ
>た。というよりも“稽古に行ったら教えられちゃった”ということだ。しょうがないから聴い
>ていたが、演るわけがない。いや、一、二回演ったかなァ。けど流石に『代診』はでき
>なかった。
> 若くても立川談志、その頃はまだ前座だったが、そのぐらいの判断はできた。


また、「前座として彼らに接し、また袖でその芸を聞いていた立川談志」というだけなら、
たとえば以下のような話 (自慢?) は紹介しにくいだろう。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.16 (六代目三遊亭円生)
> 口上で円生師匠と並ぶ司会の私が、
>「では次に、落語協会の会長で昭和の名人。『おかふい』だとか『相撲風景』、または
>『勘定板』などを演ると、その右に出る人がおりません」
> これらは、円生師匠が演る中で一番セコイといわれる噺だ。
>「お前さんはいけませんよ、そういうことを言って」
> なんと言いながら、円生師匠、笑ってたっけ。
> こういう状況をよくつくり、円生師匠を喜ばした歴史を談志は持っている。


それと、唐沢俊一の語る意味不明な「ノスタルジー」とやら。「自分が知る以前の各落語
家の経歴なども、調べればわかるものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで
語っている。調べて書いたものはノスタルジーの域を逸脱するというのだろう」とか書かれ
ても、それはいったいどういうノスタルジーなのかマジでわからないし、「調べればわかる
ものを、あえて」というのが、どの部分をさすのかも、わからなかった。「前座名を『甘蔵』
と称った。甘蔵時代の三平さんは、私は知らない」 (P.132) などの記述が悪かった (?)
のだろうか。

唐沢俊一は「近代落語は、失われた江戸の情景への郷愁があった。近代落語は、その
成立のファクターに、すでにノスタルジーが」とか書いているが、それはこの本の中で
語られていることとは違う。そもそも立川談志は「ノスタルジー」なんて単語を使って語って
いない。代わりにというか、頻繁に登場するのは「アナクロニズム」という言葉で、以下の
ように批判的に使われている。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.118 ~ P.120 (二代目桂枝太郎)
> つまり、“古臭くなった新作”を語る師匠であった。または「たいらばやしひらりんか」
>という、その程度の落語を語っていた。

> 例えば『子別れ』である。その『子別れ』を『子故の春』と改作した。子どもに会いに、
>なんとオートバイに乗ってくるのだ。この現代性というか、アナクロニズムが嫌だった。
> ほかに『石鹸』。これは円歌師匠も演じていたが、腐った豆腐を無理して食う『酢豆
>腐』の改作である。その腐った豆腐の代わりに石鹸だ。
> それまで湯屋で体を洗うときには、糠袋を使ってきた。そこへ、“石鹸”という新しい
>ものが入ってきた。で、知ったかぶりの粋がった若旦那に、石鹸を食べ物と称して
>食べさせようと一座で仕組む。で、「泡を吹いてやがる」とか、そういうギャグ。とても
>聴いてられるものではなかった。
>この種の、“新しいものを取り入れているつもりがアナクロニズム”というのは、何も
>枝太郎師匠ばかりに非ズで、下手ァすると、ありとあらゆる師匠に見られた。よほど
>古典一筋でない限り、当時はそうなってしまったのか、“新しがって現代を語ろう”とし、
>それが故にアナクロになってしまった芸人、またネタ、そのケースは山の如くあった。
> 現代にも山のようにいる、と聞く。もはやベテランとなった古典落語の連中はほとんど
>コレであろう。


まあ、上に引用したような種類の批判は、立川談志の他の著作にもたびたび登場する
ものなのだけど、この本の場合には、以下のような記述もまた出てくる。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.123 (二代目桂枝太郎)
> もっと聴くべきであったと気がついたときは、晩年である。私が一人前になって、その
>存在を枝太郎師匠が認めてくれてからだった。私は“老人キラー”と呼ばれていて、
>師匠たちの懐にこちらから入っていった。師匠は若い私から、“現代”を吸収しようとして
>いたように思う。
> 簡単にいえば、枝太郎を見損なっていたということだ。明治、大正、昭和へと移って、
>「秋葉の原」が「秋葉っ原」になり、「秋葉原」から「秋葉原」になっていく。それら江戸の
>名残と東京の記憶を語った枝太郎師匠の漫談、昔話等は、もっと聴いとけばよかった。
>後の祭り、である。私と話が合った、その会話は正に現代であった。
> 私は何度もいう通り「コレクター」の部分が多々ある。ならば、何で聴いておかなかっ
>たのか。それが自由にできたのに、落語家として尾内j場所にいたのに、悔やまれる。
> 聴かなかった理由の一つに、立川談志が売れていた、売れまくっていたということが
>ある。言い訳だが、時間がなかったのだ。仕事に酒に女性に……。痛恨である。
> この本、全部にいえる。少ない想い出なのだ。浅いエピソードなのである。


このような感慨の表明は「ノスタルジー」のためと唐沢俊一が定義しているとすれば、それ
について特に否定しようとは思わない。「その香りに準拠することを躊躇(ちゅうちょ)して
いない」かには、やはり首をひねるのだが。個人的には、この本は、「落語マニア」であり
「コレクター」を自称する立川談志が前面に出てきている本だと思ったし、上記の「痛恨で
ある」は落語オタクとしての悔恨 (「オタク」という単語は出てこないが) と思えた。



で、ノスタルジーはノスタルジーでよいとしても、「テレビ時代にわれわれが見慣れた顔よ
りも少しだけ若い(先代正蔵の精悍〈せいかん〉なこと、先代小さんの元気一杯なこと!)
その顔には強烈なノスタルジーの香りがあり」といわれても、なあ……。小さんの写真は
確かに髪の毛が黒々して若々しかったけど、あまり老けた顔にならなかった人だし。

ノスタルジーという点では、むしろ高座の写真よりも、P.263 の自宅の写真に感動したり。
小さんが自宅で、一家三人で火鉢を囲んでいる絵で、その右側にはガラスケース入りの
日本人形が置かれている。

小さんの分に限らず、三丁目の夕日的なノスタルジーに浸るのなら、高座の写真よりも
自宅の写真がお勧めという感じで……。今の感覚でいえば、どこの古風な日本旅館か
お寺の中かというのが自宅で、灰皿などの調度品が懐かしいデザインだったりするのだ。

それだけならともかく、「テレビ時代にわれわれが見慣れた顔」とのギャップを楽しむと
したら、では昭和 30 年代以降だという「テレビ時代」に、あまり関係のない落語家は
……というのも気になってくる。

「で、この“噺家の一連の写真”は、田島さんが“文治好き”という一点から始まったと
いう」 (P.228) と本の中で語られている八代目桂文治は 1955 (昭和 30) 年に亡くなって
いる。彼だけではなくて、1956 (昭和 31) 年没の三代目春風亭柳好、1959 (昭和 34) 年
没の八代目春風亭柳枝、1961 (昭和 36) 年没の三代目桂三木助、1962 (昭和 37) 年
没の七代目春風亭小柳枝。さらに 1964 (昭和 39) 年没の八代目三笑亭可楽や三遊亭
百生、二代目三遊亭円歌、1967 (昭和 42) 年没の桂小文治も微妙なところか。

立川談志は、「まえがき」にこう書いている。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.1 ~ P.2
> ここに写っている人たち、つまり噺家、これが東京の噺家の全て、といってよい。
> つまり、この通り少なかったのだ。その頃、戦中から戦後にかけて噺家になりたい
>なんと思った若者はいなかった。理由は“食えない”。もっとも、マトモに働いていても
>満足なモノが食えなかった敗戦の焼け跡の、あの東京。あの瓦礫の中から噺家に
>なろうなんざァ、沙汰の限りであった。
〈略〉
>ここに写った噺家、この人たちが戦後、“落語ブーム”とまでいわせた時代も含めて、
>私たちに落語を伝えてくれた。伝授してくれたのである。
〈略〉
> それにしても少ない、少ない。この当時と比べ、現代の噺家どもの多さ。内容はとも
>かく、その数において隔世の感がある。桁違いの多さだ。


本に登場するのは 26 人。その「少ない、少ない」中から、さらに三分の一をばっさりと
切り捨てなくてもよいんじゃないかと思うんである。


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2011.12.10 (Sat)

二重投稿大ウケ! (って程でもないけどまあ一応)

http://www.tobunken.com/news/news201112.html

2011年12月9日投稿イベント2日目大ウケ
2011年12月9日投稿イベント2日目大ウケ!

http://megalodon.jp/2011-1210-0003-02/www.tobunken.com/news/news201112.html

はいはい。二重投稿二重投稿。

1 行目の「イベント2日目大ウケ」がトップページからリンクのある分で、URL は
http://www.tobunken.com/news/news20111209113351.html (魚拓)。

2 行目のリンク先は http://www.tobunken.com/news/news20111209112652.html
(魚拓) で、1 行目のリンク先との違いは、タイトルに「!」がついていて、写真がなくて、
文字装飾もなし、といったところか。URL がタイムスタンプをあらわすとしたら、2 行目が
11:26、1 行目が 11:33 で 7 分間の差。

しかし、「2日目大ウケ」っていっても、開幕 4 時間前には、こんな感じだったそうで。

http://blog.livedoor.jp/ayumi_voice0617/
>2011年12月08日15:34
>雨だし…

>本日観劇予定の皆様、雨ですがめげずに御来場くださいね☆

>今日はソワレ(夜公演)だけなのでゆっくりな出勤です☆

>下北沢散策…

>することもなく劇場へ。

>今日は下北沢楽園にて19時半から本番です!
>まだ残席ございますので、是非御来場くださいませ☆


それと、「売り切れと一言も書かれていないんだから、結局初日より前に満員になった回
はゼロだったということだよね?」という、2ちゃんねるのスレへの書き込み (Read More
参照) が微妙に効いているのかなあ (←あくまで冗談ですよ)、この違いって。

http://www.tobunken.com/news/news20111209112652.html

イベント
2011年12月9日
投稿 2日目大ウケ!
〈略〉
さて、やっと心理的には初日、という感じです。
この調子で9日からの昼夜公演を突っ走っていけるといいねえ。


7 分後には、「9日のマチネは満席御礼」との記述が追加。

http://www.tobunken.com/news/news20111209113351.html

イベント
2011年12月9日
投稿 2日目大ウケ
〈略〉
さて、やっと心理的には初日、という感じです。
おかげさまで9日のマチネは満席御礼。このまま3連チャンの昼夜
二回興業を乗り切らねば!


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2011.12.04 (Sun)

小劇場イコール笑劇場とはかぎらないですよね……?

http://www.tobunken.com/news/news20111202103216.html

イベント
2011年12月2日投稿
三ケ条
〈略〉
私が私なりに、これまで小劇場の芝居を面白い物つまらなかったもの
とりまぜて観て、基本と思っている要素は三つ。これを私は小劇場
芝居三ケ条と呼んでいます。

一に笑い。これは観客の情動を最も快くつかみ、芝居の中に誘導する
働きを持ちます。芝居を見馴れていない、つまりなかなか話の中に
入って
こられない観客でも、笑いの中にならスッと入っていけます。
笑いの要素が(ことに冒頭に)たくさんある芝居が、一般観客に優しい
芝居と言えるわけです。

二に感心。仮にも3000いくらの代価を支払ってくるお客に、それ
だけの金を支払わないと見られないものを見た、と思わせる、鍛練を
重ねた技術を見せることです。長ゼリをすらすら言う、複雑な動作を
ミスなくやってのける、さらには歌や殺陣など。あくまで観客の目から見て、
「ああ、稽古を重ねたんだな、努力したんだな」
とわかるものを見せないといけない。お客はそこで芝居に満足するのです。

三にメッセージ。笑いだけの芝居も結構、アクションだけ見せても
面白いものにはなるでしょう。だが、それだけでは見終ったあと、一抹
のもの足りなさが残るのです。なぜかというと、人間は得た感動を、
言葉にしないと明確に記憶できず、人に伝えられないからなのです。
一ユニットの公演はせいぜい一年に二、三回。次の公演にも足を運んで
もらうためには、この芝居のポイントを言葉にしてお客に伝えること。
そうすると、お客はその言葉を反復することで、芝居の記憶を次の公演まで
つなげることが出来ます。いわばメッセージは、お客様にお持ち帰り
いただくお土産と言えるでしょう。
〈略〉
台本を読み、稽古場に臨み、この三つがうまく混淆して作用しているか
をチェックする。私の作劇・演出法はこれしかない、と言ってもいい
かもしれません。そして、それ以上の満足感を得られたら、それは役者
さんたちの力、キャスティングがもたらした組み合わせの妙、ということ
になるでしょう。

http://megalodon.jp/2011-1204-1017-07/www.tobunken.com/news/news20111202103216.html

時間修正作戦以前に、いろいろ修正した方がよいことがあるのでは
キャスティング 8 割なら脚本は何割? の『タイム・リビジョン 時間修正作戦』
当て書き、ただし、主役以外
の続き。

「入って」のみが、なぜか独立した行になっているのは原文ママ。
ついでに、唐沢俊一は以前、普通に「小劇場演劇」とか書いていた (こことか) んだけど、
それが今回「小劇場芝居」としている理由は不明。


「二に感心」のその内容が、「ああ、稽古を重ねたんだな、努力したんだな」で、その内容
の具体的な例が「長ゼリをすらすら言う、複雑な動作をミスなくやってのける、さらには
歌や殺陣など」って、なあ……。ここコメント欄に書き込まれた「そんなモノは見えない、
漂わせないのがプロじゃないのか」というのには、ひたすら同意。

そりゃ確かに、「ああ、稽古をサボったんだな、努力していないんだな」と観客に思わせて
しまったら問題だろうと思う。長い台詞をつっかえたり、複雑な動作をミスしたり、音痴だっ
たり、リズム感が全然なかったりしたら、おいおい金をもらってこれかよ、といわれてしまう
のも容易に想像できる。

しかし、逆は必ずしも真ならずというか、「ああ、稽古を重ねたんだな、努力したんだな」
などと「感心」したくて劇場に足を運ぶ状況というのは、ちょっと想像しにくい (若手の
勉強会みたいなのは別)。むしろ、客に「感心」してもらいたいのがミエミエな「長ゼリを
すらすら」や「複雑な動作」には、客が白けてしまう危険すらあると思う。唐沢俊一の
文章は、それをあらかじめ読んでいた客に、はいはいここで感心してもらいたいのかな
とか、あれっ「鍛練を重ねた技術」は結局どこで見せてくれたのとか、冷ややかな反応を
引き出す可能性を高めかねない。


で、この「二に感心」に、「一に笑い」と「三にメッセージ」を加えれば、唐沢俊一のいう
「小劇場芝居三ケ条」となるのだけど……そもそも、「小劇場芝居」とは何なんだろうと、
マジで悩むハメになった。

「一に笑い」って、ではギャグがないシリアスなものは成立しにくいものなのかと思ったし、
「三にメッセージ」の方は、唐沢俊一のいう「メッセージ」というのが、いったいどういうもの
なのか、自分にはよくわからなかったし。キャッチーなコピーでも連発するんだろうか。

まあ、これは、自分が無知なせいだろうと思ってググってみたりもした。

http://fringe.jp/blog/archives/2010/09/18122417.html
>小劇場演劇(小劇場)はなにか言えば、fringeでは「このサイトについて」で次のように
>説明している。

>>小劇場演劇(小劇場)は、小さな劇場を意味する言葉ではありません。俳優中心に
>>結成された新劇に対し、演出家中心に組織された集団であること。団体客に依存す
>>る商業演劇や、演劇鑑賞団体と不可分の新劇と異なり、個人客をベースにした手打
>>ち興行であること。つまり劇場の大小ではなく、カンパニーという小さな組織で、演劇
>>を個人で楽しむライフスタイルを体現したものが小劇場だと私は考えています。小劇
>>場という言葉は決してマイナーを意味するのではなく、夢の詰まった演劇本来の姿だ
>>と感じます。小劇場からスタートしたカンパニーは、大劇場で公演するようになっても
>>小劇場演劇なのです。

>芸術面では演出家の存在、興行面では個人客中心であること――これが守られている
>限り、劇場が大きくなっても小劇場演劇(小劇場)だと私は思う。この定義は私自身が
>長年かけて熟成させてきたもので、共感していただける方は多いと信じている。マイ
>ナー感が漂うので、小劇場演劇(小劇場)という言葉を使いたくないという若い演劇人も
>いるようだが、それは全くの誤りである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/小劇場
>小劇場(しょうげきじょう)とは小さな劇場のことであるが、小劇場を拠点とした演劇集団
>(劇団)及びその活動(小劇場運動)を指すこともある。小劇場運動は日本で1960年代
>から現代演劇の中心であった新劇に対抗する形で始まり、アングラ演劇とも呼ばれた。
>1970年代以降、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史、三谷幸喜らが活躍した。


- http://performingarts.jp/J/overview_art/1005_06/1.html
- http://smokerscafe.jp/guide/about_theater/

まあ結局、唐沢俊一のいう「一に笑い」は適切か (小劇場演劇はコメディーばかりか)、
「三にメッセージ」のメッセージとはどういうものかはわからなかったんだけど、「小劇場」
の定義を個人的に考え直すきっかけにはなった。

『タイム・リビジョン』の上演される「小劇場 楽園」は「約70~90席」。自分は、小劇場とは
小さい劇場という認識くらいしかなくて、100 席未満、せいぜい 200 席くらいまでの劇場
でやる芝居を小劇場演劇というのかと漠然と思っていた。ちなみに、唐沢俊一が以前、
「実はこの駅前劇場は、下北沢の小劇場の中でもちょっと公演のハードルが高い小屋な
のです」と書いていた (ここを参照) 「駅前劇場」は、「約160席」。

でも、http://ja.wikipedia.org/wiki/小劇場http://showgeki.info/theater/ に載って
いる小劇場のリストをチェックしてみると、代表格みたいに名前のあがる「本多劇場」が
「客席数386席」で、「紀伊國屋ホール」は「座席数 418」、「青山劇場」になると 1 階と
2 階の席の「合計 1,200席」――と、多いところは多い。

http://www.honda-geki.com/gekijo.shoukai.html
>本多劇場
>1982年11月3日開場 客席数386席

>ザ・スズナリ
>1981年3月開場 収容数230名

>駅前劇場
>1984年10月開場 客席数=約160席

>「劇」 小劇場
>1997年9月開場  客席数=130席

>小劇場 楽園
>2007年2月開場 客席数=約70~90席


http://www.pocketsquare.jp/the_pocket/
>【ザ・ポケット】1998年5月にオープン。ポケットスクエアの中心となる劇場で、客席数は
>ポケットスクエア内で最大を誇ります。約180の座席数と使い勝手のよい舞台スペース
>で、オープン以来様々な劇団によって利用されています。


http://www.kinokuniya.co.jp/store/hall.html
>紀伊國屋ホール
〈略〉
>つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史、三谷幸喜ほかを送り出し、「新劇の甲子園」とも
>呼ばれています。
〈略〉
>座席数  418


http://www.aoyama.org/theatre.html
>青山劇場 劇場案内
〈略〉
>1階 1,010席/2階 190席 合計 1,200席 (オーケストラピット使用時 1,078席)


もっとも、唐沢俊一の「小劇場」の定義では、「約180の座席数」の「ザ・ポケット」 (ここ
参照) は含まれても、「紀伊國屋ホール」は対象外となる様子が、下記の裏モノ日記から
うかがえる。

裏モノ日記 2003年 12月 21日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20031221000000.html

 まあ、上でいろいろリクツも言ったが、一番、今回が大いに笑えた理由
のひとつがお客さんがギッシリだったことだろう。私のよく言うゲッベルス
効果。なにしろ立ち見どころか入れずに帰ったお客さんもいるとのことで、
私も二回ほど席をずらし、さらには客席にしつらえられた壇の下に椅子を
移してみた。客の少ないところで笑うほど心理的抵抗の大きいものはない。
それにしてもよく入った。紀伊國屋でもこれくらい入ってくれることを切に
望む。小劇場を根城にしていた劇団が紀伊國屋ホールに出る場合、演出
から演じ方から、勝手がだいぶ違ってくる。若い座員の多い劇団を率いて、
村木さんもこれからいろいろ大変だろうが頑張ってください。


先に引用させてもらった「劇場が大きくなっても小劇場演劇」というのとは対象的な定義
であるが、「演出から演じ方から、勝手がだいぶ違ってくる」というのは実際あるのだろう
と思える (←素人考えだけど) から、それはそれでよいとして。

気になるのは「私のよく言うゲッベルス効果」の方。これって、以前、「ラポール、ラポート、
レポート、レポールをレポる (?)
」のエントリーに引用したやつだと思う。

http://homepage3.nifty.com/katuraheiji/rakugo/lib/akebono9808.html
>密閉空間に人をぎっしり詰めると,人は自我が侵される不安に慄き,個々の感覚が遠
>のき,何より大衆心理が先行するという。つまり,ちょっとした操作で其処に居る全員の
>心理をコントロールする事が可能なのである。かつてナチスが悪用した手法でもあり,
>古くは寄席や歌舞伎で今は音楽やお笑いのライブで知ってか知らずか取られている手
>法である。曰く,密閉空間に鮨詰めになったひとを笑わかすのは意外に容易い(たとえ
>ば客席に配置されたサクラは伊達ではない)。これを業界用語では「客を転がす」,心
>理学用語で「レポールをかける」 と云う。と,唐沢(俊一)さんに教わった(笑)。
>舞台でひとを笑わすにはコツが必要だが,全員を笑わせようとする必要はないのだ。ま
>してや笑おうと構えている邪気の無い客ばかりの時,雰囲気づくりのお膳立てとしては
>準備万端整ったと云っていい。
>何人かだけのツボを突付く事が出来たら,笑いは伝染する。これが立ちどころに伝染す
>る。


先に述べたように、小劇場演劇は「一に笑い」かどうかは自分には判断がつきかねる。
しかし唐沢俊一が、「小劇場芝居三ケ条」に「一に笑い」をもってきた理由は、何となく
見当がついたような気が。……ゲッベルスといえば、「密閉空間に人をぎっしり詰め」て
心理操作というのは、ちょっと古臭い蘊蓄のような気もしてたまらないけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨーゼフ・ゲッベルス
>ゲッベルス自身は、前述の政治イベント等とは違い「気楽に楽しめる娯楽の中に宣伝を
>刷り込ませ、相手に宣伝と気づかれないように宣伝を行う」「宣伝したい内容を直接
>キャッチフレーズ化して強調・連呼せず、心の中で思っているであろう不満・疑問・欲望
>を遠まわしに刺激し暴発させる」「もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる
>護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝を心掛ける」を政治宣伝のあ
>るべき姿と心掛けていた。これらの手法・考えは、当時のドイツやソ連、そして後年幾つ
>か登場する全体主義国家(他、カルト団体など)よりも、むしろ民主主義国家(政治だけ
>でなく商業でも)で本領を発揮し易いもので、アメリカ大統領選挙(特に1964年以降)で
>のネガティブキャンペーンや大企業のCMなどが顕著な例である。マインドコントロール#
>洗脳との相違も参照の事。
>壮大な規模の大パレードやマスゲームで優越感をくすぐり、攻撃対象を痛烈に罵倒し
>罵る宣伝は支持者への即効性が望める反面、ある程度以上の知性を持つ大衆、或は
>外国から畏怖や違和感を抱かせる逆宣伝効果が多大にある(敵対勢力に簡単に逆用
>されてしまう)事をゲッベルスは理解し始めていた。



んで、以下はチラ裏みたいなもんだけど、「小劇場からスタートしたカンパニーは、大劇場
で公演するようになっても小劇場演劇」となると、劇団☆新感線も小劇場演劇ということに
なりそうで、それだったら自分も『阿修羅城の瞳』とか見に行ったことがあるな、と。

http://www.vi-shinkansen.co.jp/about/
>84年『つかこうへいサヨナラ3本立』と銘打ち、つか作品と決別。同年『宇宙防衛軍ヒデ
>マロ』より、新生・新感線として活動開始。ハードロック・ヘヴィメタルにのせた独自の
>オリジナル作品を中心とする体制に転換する。
〈略〉
>そのマンガ的な世界をコンサートばりの照明・音響を駆使して彩るド派手な舞台は小劇
>場界では他に類がなく、演劇という枠を越えて広く話題を集める。


個人的には「コンサートばりの照明・音響を駆使」がたまらなかったんだけど、唐沢俊一
って、そういうことにはあまり興味がなさそうで、裏モノ日記で小劇場演劇の照明・音響
に言及することもほとんどないようだった。

裏モノ日記 2003年 04月 27日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030427000000.html

 新感線の芝居については、以前の日記に(2001年3月28日)『野獣郎
見参』で、その根本的な魅力と、それに伴う問題点を呈示しておいた。その
後、いくつか観る機会を得た舞台でも、その印象は変わらないでいた。
……要は、二転三転四転五転のドンデン返しと錯綜するストーリィが、劇団
名を彷彿とさせるスピード感覚で観客をアレヨアレヨと驚かせっぱなしのまま、
ラストまで引っ張っていく。その複雑怪奇なエネルギッシュさが魅力でありな
がら、しかしそれ故に、演技する役者たちまで、内容や自分のキャラクターが
完全に把握できず、ただ流れに乗って舞台を進行させているだけという印象
を観客に与えてしまう、ということである。当該の舞台は誰よりも目立つ役で
あった(でなくてはならなかった)主役の野獣郎までが、ストーリィにのみこ
まれてしまった感があって、観ていて歯がゆい気分になったものだった。
商業演劇は払った代金分、楽しませてくれてアタリマエ。それを越えたナニカ
が、こちらとしては欲しいのだ。


感想は人それぞれとはいえ、「演技する役者たちまで、内容や自分のキャラクターが完全
に把握できず、ただ流れに乗って舞台を進行させているだけという印象」は、どうにも納得
しにくいんだけど……。

もう少し古い日記には、唐沢俊一が珍しく音響に言及しているものもあり。

裏モノ日記 1999年 12月 08日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary19991208000000.html

6時半、天王洲アイルアートスフィアで劇団新☆感線公演『ロスト・セブン』。
開田夫妻、安達OBさんたちと。
〈略〉
ハネ後、楽屋訪問して、逆木圭一郎氏、粟根まこと氏にラクおめでとう
ございますと挨拶。粟根氏は私の著作のファンだそうで、恐縮。“定説”
などとセリフで言っていた逆木氏に“あれ、アドリブなんですか”と聞いた
ら、セリフレベルではまず、即興はないのだそうだ。完璧に音響効果と
動きをシンクロさせているから、下手なアドリブは不可能だろう。ただ、
これは私のようなブタカン経験者にとってきわめて心臓に悪い。今回の
公演、特に小道具が多く、階段を使ってのアクションが多い。どこか一箇所
でもミスがあったり、転んだりのアクシデントがあるだけで、全体に影響が
出る(そこを出さないのがプロ、という見方もあるだろうが)。十年ほど前、
横浜そごう劇場でミニミュージカルのブタカンやって、奈落を走り回り、
足の裏をパンパンに腫らしたことがあったが、今回も裏方さんはさぞ足の
裏が腫れたことであろう。どこかに一景、息抜きでアドリブ会話だけで成り
立っているインプロビゼーション的な場を作れば、かなり演る方も観る方
もリラックスできると思うのだが、ここらへんは演劇に求めるものの違い
なんだろうな。


……うーん。もしかしたら、唐沢俊一は、のんびりとアドリブを入れられるくらいでないと、
「内容や自分のキャラクターが完全に把握」しているように思えない人なのかも。


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20:27  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(20)  |  EDIT  |  Top↑

2011.12.04 (Sun)

『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道?

唐沢俊一にとってのキーパーソンは立川談志か桂文治か
志ん生と談志と唐沢俊一

の続きのようなもの。今回は、未刊の『立川流騒動記』について、時系列を逆にたどって
みようかと。

以下は立川談之助 (「『地下へ潜れ!』と唐沢俊一は言った」を参照) の掲示板より。

http://9004.teacup.com/dan2448/bbs?page=6 (魚拓)
>新刊 投稿者:匿名 投稿日:2011年11月 5日(土)13時09分49秒
>トンデモで、差配人様の新刊販売はありますか?
>あるいは、白鳥師の新刊と並べての販売とか?

>お答えします 投稿者:差配人 投稿日:2011年11月 7日(月)15時26分27秒
>匿名さんへ

>すいません、新刊は今少々お待ちください。

>ありがとうございました 投稿者:匿名 投稿日:2011年11月 8日(火)00時58分11秒
>心待ちにいたしております…というか、若干急がれた方がよさげな雰囲気というか、
>正にジャストミートなタイミングでの発刊になりそうなと言うべきなのか。

>出版 投稿者:匿名 投稿日:2011年11月23日(水)17時26分27秒
>ぎりぎり間に合わなかったと言うべきか、これ以上ないタイミングになったと言うべきか…
>今まで笑い話にしてきましたが、やっぱり寂しいですね。


「正にジャストミートなタイミングでの発刊になりそう」、「これ以上ないタイミングになった」
には寒々とした気分になった……。

「匿名」の人物が「ぎりぎり間に合わなかった」か、「これ以上ないタイミング」かとか
書き込んだその 3 日後には、立川談志の「CD・DVDの注文殺到」が報じられた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011112602000196.html
>「天才談志」もう一度 CD・DVDの注文殺到
> 2011年11月26日 夕刊
> 二十一日に死去した落語家・立川談志さんの芸を収めたCDやDVDの売り切れが
>続出している。死去が報じられてわずか一日で各メーカーの在庫が底をついたほどだ。 
>(小林泰介、田中冴子)
> 東京・銀座の山野楽器銀座本店によると、死去の報が流れた二十三日午後から問い
>合わせが殺到し、翌二十四日には売り切れた。緊急注文で対応し、二十四日午後に
>は特設コーナー「追悼・立川談志」を設けた。


実際、会社の近くの書店で、立川談志の CD が並んだコーナーを目撃したときには、少し
驚いた。本屋なのに。そこには立川談志著の本のコーナーはなかったけど、本もそれなり
に売れている様子。

http://www.danshi.co.jp/topics.htm
>オリジナル『現代落語論』久々の重版出来!
>「落語とは人間の業の肯定である」 今も落語ファンのバイブルとして読み継がれている
>『現代落語論』が三一書房より復活しました!
>タイトル:『現代落語論』価格:1,050円(税込)
>発売元:三一書房
>発売日:2011年11月11日発売


上の「重版出来」は亡くなる直前のお知らせと思われるけど、『現代落語論』は Amazon
のランキングでも好調っぽい。というか、自分も買ったひとりだったり。

http://www.amazon.co.jp/dp/4380650073
>現代落語論 (三一新書 507) [新書]
>立川 談志 (著)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 210位 (本のベストセラーを見る)


『人生、成り行き―談志一代記』など、他の本もなかなか。

http://www.amazon.co.jp/dp/4101343357/
>人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫) [文庫]
>立川 談志 (著), 吉川 潮
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 929位 (本のベストセラーを見る)


ただし、売れているようだというのは立川談志の本についていえることであって、以下の
ような本まで売れるほど世の中は甘くないみたいで。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4757213042/
>超(スーパー)落語! 立川談笑落語全集 [単行本(ソフトカバー)]
>立川 談笑 (著), 唐沢 俊一 (著)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 126,453位 (本のベストセラーを見る)


で、「ぎりぎり間に合わなかったと言うべきか」の『立川流騒動記』は、まだ発売されて
いない唐沢俊一プロデュース本。

http://www.tobunken.com/news/news20111013105115.html

イベント
2011年10月13日投稿
『立川流騒動記』プレ出版記念LIVE

新橋のミュージックバー『ZZ』を根城に立川談之助が行っている
「おとぼけLIVE寄席」(なんでこのタイトルかというとZZのマスターが
『東京おとぼけキャッツ』のダディ竹千代さんだったから)、さて
今回は私がプロデュースして談之助が現在絶賛執筆中の『立川流騒動記』
をサカナに、落語界の裏の裏をすべて語るよ!
落語より落語ばなしがスキというひねくれファン、全員集合!

10月20日(木)午後7時開演


『立川流騒動記』は年明け発売予定。」によると、「本来は『出版記念イベント』になる
はずだったのが、執筆が進まなかったために『プレ出版LIVE』になったとのこと」である。

2ちゃんねるのスレでも言及している人がいたが (Read More 参照)、『立川流騒動記』
(仮題) という本、今年の 6 月の時点では、8 月頃に発売の予定だとアナウンスされて
いた。それが 10 月頃の出版予定にずれて、さらに今年中には発売されないんじゃない
かという話に。書くのは唐沢俊一本人ではないから、このようなグタグタした遅延は発生
しないかとも予想していたのだが、プロデュースだけでもやっぱりダメだというオチらしい。

http://www.tobunken.com/news/news20110603113044.html

イベント
2011年6月3日投稿
震災デマ本、緊急出版決定

8月に『21世紀訃報録』とプロデュース本『立川流騒動記』
(いずれも仮題)の二冊を刊行する、その作業で大忙しのさなか、
それに先駆けてさらに一冊、刊行が決定しました。


上の引用は今年 6 月のもので、その 1 ヵ月前に「念願の談之助本、刊行決定!」とか
唐沢俊一は書いていたのだが、その告知も、「家元・談志の『現代落語論』の続編」の
つもりだったはずが、編集者に「談志さんが一番トンがっていた時期に一番近くにいた人
ですし」に「これで目の前がパッと開けました」ときて、「出版社と話し合って、まず一番
キャッチーな立川流の話に絞り」と、紆余曲折ぶりがうかがえる。

http://www.tobunken.com/news/news20110504163308.html

新刊
2011年5月4日投稿
念願の談之助本、刊行決定!

立川談之助とのつきあいはもう、20年以上になります。
その落語に対する知識の豊富さ、識見の高さ、そして落語論の
大胆なアナーキーっぷりに惚れ込んで、
「家元・談志の『現代落語論』の続編が書けるのはアナタしかいない!」
とたき付けて新作落語論の草稿を書かせたのはもう何年も前。
ま、ちょっとした大学院の論文なみのものがアガってきました。

それを読んで興奮して、いろいろ出版社を持ち回ったのですが、
どこも面白いと言ってはくれてもなかなか本にはまとまらず。
〈略〉
ちょっと意気消沈していたら、友人の編集者Kくんが
「コンセプトを変えて、談之助さんの自伝にしてみたら。
談志さんが一番トンがっていた時期に一番近くにいた人ですし」
と言ってくれて、これで目の前がパッと開けました。
〈略〉
で、さっそく本人交えて打ち合わせとなったのですが、
最初の私の企画では、まず本人の高校・大学時代、つまり
昭和40年代の落語黄金時代の様相を時代の証言として語ってもらい、
次に談志のもとに弟子入りしてからの議員秘書と前座の二股生活、
そして三遊協会騒動、立川流独立騒動と、落語会を揺るがした事件
の内部からの証言、まとめで例の落語論、という流れだったの
ですが、そのどの部分もあまりにエピソードが多く、あまりに
面白く、とても一冊にはおさめきれない、という問題点が出てきて
しまったのですよ。

とりあえず、と出版社と話し合って、まず一番キャッチーな立川流
の話に絞り、続編続々編でその他のことも語ってもらいましょう、
ということになった。


で、「まず一番キャッチーな立川流の話に絞り」とかいいうのが、上でいう「三遊協会騒
動、立川流独立騒動と、落語会を揺るがした事件の内部からの証言」だとしたら……
前述の『人生、成り行き―談志一代記』 (2010 年 11 月に出たばかり) と内容がカブる
んじゃないかなあという疑問が。

http://www.amazon.co.jp/dp/4101343357/
>人生、成り行き―談志一代記 (新潮文庫) [文庫]
>立川 談志 (著), 吉川 潮
〈略〉
>立川談志。そのセンスと頭脳で落語に革命を起こし、優れた弟子を世に送り出した、
>まさに至宝である。五代目柳家小さんへ入門、寄席・テレビで人気を得、時代の寵児と
>なる。政治の季節を過ごし、芸に開眼。落語協会分裂騒動ののち、自ら落語立川流を
>創設する―。談志が、全幅の信頼を寄せる作家・吉川潮に、波乱万丈の人生を語り尽
>くした。弟子代表・志の輔との対談も収録。
〈略〉
>文庫: 299ページ
>出版社: 新潮社 (2010/11)


上の Amazon のページには、「師匠小さんのこと、修行時代の仲間のこと、昭和53年に
起こった騒動の背景などについては他の家元の著作(『談志楽屋噺』など)のほうが詳しく
読み応えがある。」というレビューもあった。その『談志楽屋噺』もそれなりに売れている
ようだし、これも「在庫あり」なので入手は容易。

http://www.amazon.co.jp/dp/4167522012/
>談志楽屋噺 (文春文庫) [文庫]
>立川 談志 (著)
〈略〉
>文庫: 314ページ
>出版社: 文藝春秋 (1990/03)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 4,705位 (本のベストセラーを見る)


いや何がいいたいかというと、立川談志著本人の本が何冊もあるんだから、普通そちらに
手をのばすはず、弟子の本まで買おうというのは少数派だろう――ということなんだけど。


さて、以下に引用する裏モノ日記は,新潮文庫の『人生、成り行き―談志一代記』が出る
1 年少し前のものである。

裏モノ日記 2009年 08月 26日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20090826095504.html

立川談志関連の本(プロデュース)の企画を進めているのだが、
まさにその談志が年内休養というニュース。
かつえているファンにとり、時宜を得た本になればいいが、と
気を引き締める。

http://megalodon.jp/2011-1203-1707-05/www.tobunken.com/diary/diary20090826095504.html

「かつえているファンにとり、時宜を得た本になればいいが」が、先の掲示板の「正にジャ
ストミートなタイミング」に「これ以上ないタイミング」にそっくりだが、こういう嫌らしいことを
日記に書く暇があれば、さっさと仕事を進めればよかったのにとも思う。

さらにその 2 年前の裏モノ日記には、唐沢俊一が『談志絶倒 昭和落語家伝』を、朝日
の書評で取りあげたという話も書かれていたりもする。

裏モノ日記 2007年 10月 28日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071028130600.html

コンビニで朝日新聞を買って、掲載されている自分の書評を読む。
今回は『談志絶倒 昭和落語家伝』(大和書房。この書名は
もうちょっと何とかならなかったかな)。


「もうちょっと何とかならなかったかな」は、唐沢俊一の書評の方だろう、というのはおいと
いて


そのまた 2 年前の裏モノ日記。立川談志著ではないが、『小説・落語協団騒動記』という
本についての唐沢俊一の感想は、「うーん、なんで今頃になってこんなもん出すのかね」。

裏モノ日記 2005年 01月 25日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20050125000000.html

 寝床読書は金原亭伯楽『小説・落語協団騒動記』。うーん、なんで今頃に
なってこんなもん出すのかね? 落語協会分裂騒動なら、もっと生々しかった
時期にそれぞれの視点で書かれた『御乱心』『噺の咄の話のはなし』そして
『圓生の録音室』などの良書がすでにあるし、しかもこれらではみな、関係者
が実名で登場する。26年後になって、誰にはばかっているのか小説形式で、
しかも登場人物を全て仮名にしているこの本には、以前の類書になかった
新しい視点や新資料の呈示などがあるわけでもない。
〈略〉
別に新しい視点や事実などなくていいから、もっと自分(当時桂太。作中では
桂馬)を中心に置き、彼が一番近しかった馬生と志ん朝(作中では朝光)の、
騒動の中で落語に対する思いから兄と袂を分かたざるを得なかった弟の葛藤
と、新団体設立が潰えた後、弟をなんとか無傷で協会に復帰させようと動く
兄の関係を中心において、そこに著者の落語と芸に対する意見を織り込んで
書けば、今でも一般読者が読むに堪える内容のものになったろう。これでは
事件当時を知るロートルの落語マニアだけが読む本でしかない(しかも事実
関係にはかなりの間違いがあるらしいし)。出版社が本阿弥書店という聞い
たことのない書肆。もっと大手のところであれば、編集者がきちんと原稿を
指導し、こうして書く方がいいというサジェスチョンをくれたろうが、たぶん担当
にそういった経験とコーチ力がなかったのだろう。それでも売れているらしく
増刷がかかっているのは、『御乱心』も『噺の咄の……』も現在ではすでに絶版
で、手に入れにくくなってしまっているという事情がある。なんとかちくま文庫
あたりで、『御乱心』を文庫化できないものだろうか?

http://megalodon.jp/2011-1203-1708-02/www.tobunken.com/diary/diary20050125000000.html

参考:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/御乱心_落語協会分裂と、円生とその弟子たち
- http://kyukyo-do.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-af9a.html
- http://takusen2.seesaa.net/article/115725639.html
- http://www.amazon.co.jp/dp/B000J82JMK
- http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/01/post-8fc7.html
- http://metalsty.seesaa.net/article/73444593.html
- http://monetimes.web.fc2.com/e-d-ensho.htm

上に引用の裏モノ日記で興味深いのは、唐沢俊一の意見では、「新しい視点や事実など
なくていいから」、弟子の視点で騒動の裏幕を描いて、「そこに著者の落語と芸に対する
意見を織り込んで書けば、今でも一般読者が読むに堪える内容のものになったろう」と
いう話らしいことだ。それって、もしかして、先に引用した『立川流騒動記』の企画内容 (?)
そのままではないかと。

穿った見方をすれば、「それでも売れているらしく増刷がかかっている」というのが、唐沢
俊一の中の何かのスイッチを押してしまったのではないかなあ、と。

しかし、「かつえているファン」は数多くいるとして、立川談志著の何冊何十冊もの本だけ
では飽き足らなくて、弟子の本まで買おうとする人がどれだけいるか疑問というのは前述
の通り。

11 月 24 日の裏モノ日記で、唐沢俊一が書いているように、「21日に死去、そのまま
家族が密葬して、23日になるまで、 弟子たちにも全くその報せがいかなかった」という
件もある (ここを参照)。率直にいわせてもらえれば、この話のおかげで、談志の弟子と
いうのは内幕暴露話の語り手として、今ひとつ信用できなさそうと印象づけられてしまった
面もあるし。


しかし、唐沢俊一の「立川流」についての執心は、多分かなりのもの。以下に引用する
裏モノ日記では、『本家立川流』という同人誌を褒めてもらえてご満悦の様子だし。

裏モノ日記 2004年 01月 13日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20040113000000.html

 Mさん、話を聞くと実は立川談志の番組を長いこと担当していたことが
あり、その縁で今でも独演会などに行っているが、このあいだ、そこで
『本家立川流』買ったと のこと。で、座談会がとにかく面白かったと言って
くれる。
「こないだ、知人から『談志が死んだ』の感想を聞かれましてね、“あんな
きれいごとの本なんか面白くない、こっちの方を読め”と同人誌をすすめて
おきました」
 とのこと。思わず“ありがとうございます”とお礼を言ってしまう。


http://www.tobunken.com/diary/diary20040714000000.html

『本家立川流』用の座談会原稿テープ起こしやる。談之助やブラックから
聞いているエピソードでも、その現場にいた当人たちの口から聞くとさらに
生々しい。


ちなみに、2003 年刊の『談志が死んだ』は、現在はやや入手困難。面白そうなんだけど。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062121859
>談志が死んだ [単行本(ソフトカバー)]
>立川 談志 (著), 落語立川流一門 (著)
>出品者からお求めいただけます。
> 中古品の出品:3¥ 8,800より コレクター商品の出品:1¥ 8,560より
〈略〉
>祝!なんと落語立川流20周年 「落語家の了見」最初で最後か、の大饗宴!家元+37
>人が勢ぞろい 「亡くなっちまったら、どうなる?」「ぼけちゃう場合だってあるかも」「パン
>ドラの箱を開ける」「たぶん、崩壊しちゃいますよ」「談志のDNAは残っていく」「立川流
>の残党とか、言われちゃうんだ」「二代目の家元はだれ?」「談志って名はだれも継げ
>ないよ」「落語界再編が起こるんじゃないか」「落語協会も変わったと思う」「派閥政治の
>終わりと一緒だな」「頼むから、敵を作るな」「分家させていただきます」「わたしは裏立
>川流を」「わたしは新協会を」「いいじゃないですか、喧嘩腰トーク」「ずっといるんです
>よ、師匠の生霊が」「上納金は、だれに払うの?」「新年会とか、どうするんですかね」
>「新年会の前に、まず告別式だろう」――(「第一部」より抜粋)
〈略〉
>発売日: 2003/12/19


これと同じ路線をねらっているのが、この企画↓とか?

http://9004.teacup.com/dan2448/bbs
>おとぼけLive寄席「緊急特集・どうなる立川流」

>家元亡きあと早くも立川流の迷走が始まった!
>ロストジェネレーションの邪道真打と
>ニューエイジの異端児が熱く語る、
>立川流の明日はどっちだ!

>出演:立川談之助 立川談笑
>12月15日(木)午後7時開演
>新橋Live Music&Bar ZZ



で、ずっと遡っていって、今回面白いなと思ったのは、これ。

裏モノ日記 2002年 05月 31日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020531000000.html

一時間ほど読書。何故か枕元にあった談志の『現代落語論』をパラパラ
読む。この本は談志から小野伯父に贈呈されて、伯父からうちの母に
わたり、そして息子である私が読んで興奮して自分の蔵書にしてしまった
もの。わが家にある本の中でも最も古参の一冊である。中に小野栄一と
いう名も何回も出てくる。伯父と手を切った翌日の朝にこれを読むのも因縁
か。ちなみに伯父と談志は仲なおりしたそうである。まあ、あの二人の関係
も骨がらみだし。
 もう一○○回以上になるだろうが目を通し、いまだ膝を叩く部分ばかりな
のには驚く。もっとも、これは私の落語論が全てここから出発しているんだ
から無理はない。うるさ方のマニアがいちいちトックリの持ち方の高低まで
指摘して高座を批評する若手試演会の様子を聞いて、
「いいじゃねえか、トックリなんかどう持ったって、おもしろけりゃ、それでいい
やネ……。そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 と毒づくところは何べん読んでも笑える。今でも落語に限らず、あらゆる
分野において、“いうことを聞いてると、売れなくなっちまう”批評家という
のがいる。


先に引用した「家元・談志の『現代落語論』の続編」をどうこうという話もあったし、この
『現代落語論』を読んで、ああ唐沢俊一の江戸っ子もどきの口調の文章は、こういう
雰囲気の文章を書きたがっていたせいなのかとも思ったため。立川談志の文章の方は、
唐沢俊一のそれとは違って、妙な臭みもなくて読みやすいし、文章が下手だと感じるもの
では全然ないのだけれど。

蛇足だが、個人的には、「因縁」というのはむしろ、『現代落語論』 (P.137) で立川談志が
「そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」といっている「そんな連中」
の親玉が、当時の東宝の若手勉強会で「発言力を持つように」なっていた、「落語博士と
いわれた飯島友治という薬屋さん」 (P.136) だったということの方に感じてクスリとした (←
ごめんなさい)。

ちなみに、トックリの持ち方がどうだこうだといっていたのは、その薬屋さんですらなく、
落語ファンの学生だったとのこと。「批評家」というほどのものでもなかったような (『現代
落語論』には「批評家」とは書かれていない)。

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2011.11.29 (Tue)

志ん生と談志と唐沢俊一

http://www.tobunken.com/news/news20111124132804.html

イベント
2011年11月24日投稿
「可愛げ」の男 【訃報 立川談志】

「噺なんかやらなくッたッていいンだ。正ちゃん帽かぶッて
綿入れ着て、座布団に座ってニコニコしててくれりゃアいい。
生きていてくれさえすりゃアいいんで……」
……と、いうのは、古今亭志ん生が亡くなったときの、立川談志
のコメントである。伝説の人というのは、たとえ耄碌しても
何でも、ただ生きていてくれるというだけで価値があるものなんだ、
という愛情あふれた言葉であったが、自分自身について、談志は
そういう伝説の人になることを拒否したようだ。

21日に死去、そのまま家族が密葬して、23日になるまで、
弟子たちにも全くその報せがいかなかった。死に様を見せないという
美学と言えば一種の美学ではあるが、仮にも一門を率いる人間として
弟子たちにはまことに困った、迷惑な話である。しかし、最後の
最後まで家元のワガママに迷惑をかけられたという、弟子たちにとり
「高座での話のタネ」
という最高の遺品を残して逝った、と言えなくもないだろう。
最後まで談志流を貫いた一生だった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/古今亭志ん生_(5代目)
>「高座に座る姿そのものが一枚の絵であり、落語である」とまで言われた志ん生である
>が、現代では考えられないようなエピソードにも事欠かない。ある日、志ん生は酔っ払っ
>たまま高座に上がって、そのまま居眠りを始めてしまった。それを見た客は怒るどころ
>か粋なもので、「いいから寝かしてやろうじゃねえか」「酔っ払った志ん生なんざ滅多に
>見られるもんじゃねえ」と、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていたという。しかし、こ
>の客が言った「寝かしてやろう」は、実は3代目三遊亭圓歌が作ったエピソードであり、
>圓歌本人が語っている。


http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/274912
>しぐさも芸に見せた古今亭志ん生が、酔って高座に上がり居眠りを始めた時、弟子が
>起こそうとすると客から声あり。「寝かしといてやれよ」

>▼居眠りを始めた客に怒って高座を下りた落語家もいた。立川談志さん。13年前の
>独演会でのこと。「お客さん、寝ちゃって大丈夫かい」と振ってみてもサッパリなので
>「やってられない」となった

>▼退席させられた客は主催者を相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、棄却された。
>談志1 件さんいわく「独演会でのお客さんとの空間を壊されたことに腹が立った。客と
>芸人の空間を大切にしてくれた裁判官に感謝している」


2ちゃんねるのスレでは (Read More 参照)、「談志師匠って生きながらにして伝説の人に
なったような記憶があるのは俺様の気のせいですか?」と怒っている (?) 人がいるようだ
けど、談志を伝説の人扱いしているのは、その書き込みをした人だけではない。

http://www.henshusha.com/interview/053-01.html
>元木 師匠は食道ガンの手術をしたり、いろいろなことがありました。だからといっては
>失礼ですが、二千人の会場でやっても完売してプレミアがつくほどの人気です。「談志
>は生きながら伝説になった」と言う人もいます。


以下の裏モノ日記などを読むと、唐沢俊一定義の「伝説の人」というのは、「やれ高座で
寝たの、演ってるうちに違う話になっちゃったの、というエピソードが“ちょっといい話”として
語られたりする」人のことのようだ。しかし、それだと「自分自身について、談志はそういう
伝説の人になることを拒否したようだ」というのが、今ひとつ意味不明になってしまうような
気もするけど。

裏モノ日記 2000年 01月 26日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000126000000.html

志ん生の場合、彼を聞きにいっても大ハズシする可能性がかなりあるので
ある。すでに伝説となった人だから、やれ高座で寝たの、演ってるうちに
違う話になっちゃったの、というエピソードが“ちょっといい話”として語られ
たりするが、金を払って出かけた客にとってはたまるまい。志ん生のファン
であることはバクチだったのだ(一時の談志がそうで、三回聞きに行った
うちの二回は投げて演っていた)。バクチだからのめりこむマニアがつくの
であるが、そうしょっちゅう落語を聞きに行くわけではない一般の客のこと
を考えれば、文楽の持つ安心感はむちゃくちゃに大きいものだったに違い
ない。


なにしろ、唐沢俊一は、別の日の裏モノ日記では、以下のようなことを書いているのだ。
ここで唐沢俊一によって語られている立川談志は、「伝説の人になることを拒否」する
どころではなく、「自分のキャラクターを、志ん生や先代馬風のように落語界の伝説として
後世に残」すために、計算づくで「奇人のわがままぶりを発揮」しているような人間では
ないか、ということになる。

裏モノ日記 2004年 07月 14日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20040714000000.html

『本家立川流』用の座談会原稿テープ起こしやる。談之助やブラックから
聞いているエピソードでも、その現場にいた当人たちの口から聞くとさらに
生々しい。これは外野からの想像なのだが、なぜ、談志がこのように意味
のないイジメとしか見えない行動を繰り返すのか、については、談志一流
の歴史感覚のなせる業ではないか、と思える。すでに高座の面で自分は
全盛期を過ぎてしまっていることを自覚しながら、しかし川戸貞吉などの
功績でベストの口演はすでに記録されており、自分の名人としての名は
残る、ということでまず、安心しているのだろう。後は自分のキャラクター
を、志ん生や先代馬風のように落語界の伝説として後世に残さなくては
ならない、という意識があり、このような奇人のわがままぶりを発揮して
いるのではないか。ただ、多くの噺家のエピソードというのは、周囲に
とっては迷惑な奇行であっても、その天衣無縫故に可愛げが醸し出され、
“いい話”として伝えられる。談志の場合、頭がいいだけにそこに何か演出
というか計算というか、が見てとれて、スッキリしないものが 残るのである。


そして、唐沢俊一によると、「多くの噺家」の場合は「天衣無縫故に可愛げが醸し出され」
るんだけど、談志の場合は「そこに何か演出というか計算というか、が見てとれ」たという。

それでいて今回の立川談志の訃報にあたって発表した文章のタイトルが「『可愛げ』の
男 【訃報 立川談志】」であり、「伝説の人になることを拒否した」である。……やはり、
今ひとつ何をいいたいのかわからない。「最後まで談志流を貫いた一生だった」と唐沢
俊一は書いているが、彼のいう「談志流」とはどういうものか、はっきりしないのだ。


「噺なんかやらなくッたッていいンだ。正ちゃん帽かぶッて〈略〉」というのを、立川談志が
言ったとするならば、以下の裏モノ日記でいう、「芸と人気のどちらを選ぶと言われたら
私は迷わず人気の方を選ぶ」というポリシーによるものではないかと思う。伝説の人とか
“ちょっといい話”とかいうよりも。

裏モノ日記 1999年 12月 28日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary19991228000000.html

マンガ人気が落語家としての志加吾にどう影響与えるかはわからないが、
家元・談志の言に“芸と人気を並べて人気を取らないような奴は芸人では
ない”というのがある。人気があるときは、それがどんな人気であれ利用
するくらいのバイタリティがなきゃ大成しない。人気を利用するか人気に
流されるかはまた別問題だが。


裏モノ日記 2000年 08月 18日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000818000000.html

“芸と人気のどちらを選ぶと言われたら私は迷わず人気の方を選ぶ。
また、選ばない者は芸人ではない”というのは談志の有名な言でもある。
江戸の話芸であった落語を明治の世に会うものに改造し、定着させたの
は、実は名人・圓朝ではなく、その弟子で、ステテコ踊りで一世を風靡
した、鼻の圓遊であった。この人なくしてその後の落語人気があったか
どうか。これを全く評価していないということで、私は小島政二郎という
人(小説『圓朝』の作者)を少し見損なった気がしたものである。


実は、「噺なんかやらなくッたッていいンだ。〈略〉座ってニコニコしててくれりゃアいい」に
似たようなことは、先に引用したページの中にも登場する。

http://www.henshusha.com/interview/053-01.html
>元木 こんなこと言っては失礼ですが、あと何十年かして、高座で座ってられなかった
>ら、布団を敷いて寝ていてくれるだけでもいいから、出続けてください。

>立川 そう言ってくれる人もいるんですけどね。昔、志ん生師匠に言ったことがあるんで
>す。しゃべれなきゃ炬燵に入ってるだけでもいい。皆が見て「ああ、志ん生がいる!」っ
>て喜んでくれるからって。


座布団に座るのと炬燵に入るのとの違いはどちらでもよいとして、唐沢俊一の書いている
「古今亭志ん生が亡くなったときの、立川談志のコメント」は、本来は「昔、志ん生師匠に
言ったことがある」で、「ただ生きていてくれるというだけで」は「皆が見て『ああ、志ん生が
いる!』って喜んでくれる」だったと考えれば、ああそうだったのかと納得がいく。

落語ができなくなっても、ニコニコとのんびりと「生きていてくれさえすりゃアいい」とかいう
のは、「よかった」ではなく「いい」となっているせいか、本人が亡くなる前のコメントという
方がしっくりくるし、「生きていてくれさえすりゃアいい」と思われるだけなら、何も伝説の
人物である必要はない――というか、落語家でも芸人でないただの一般人でもよい。
志ん生が伝説の人といわれるのは、落語を聞きに寄席に足を運んだはずの客が、ただ
座っているだけ (または寝ているだけ) の志ん生の姿を見るだけで満足した (満足したって
おかしくないと思われていた) からではないかと。

だから、「そういう伝説の人になることを拒否」というのが、たとえば以下のブログの記述
のように説明されていたのならば、話はわかったのだが。

http://ameblo.jp/counselors/entry-10508322818.html
>脳梗塞から復帰したものの、やはり口舌が全盛時代にはほど遠かった。それでも、観
>客たちはただ座っている志ん生だけでもよい。酒に酔っぱらって寝ているだけで木戸銭
>を支払う!と口にした。落語家が、しゃべりもせず座っているだけでも見たいと言わせた
>志ん生は、存在そのものが噺家だった。しかし、立川談志は違う。芸に厳しい人だから
>こそ、照れ隠しに毒舌を吐く。とても、しゃべりもせず座っていることに我慢できないし、
>そんな自分を許さないのが談志だ。


「布団を敷いて寝ていてくれるだけでもいいから、出続けてください」と「言ってくれる人も
いる」、談志自身も志ん生に、それで客が喜ぶんだからと、似たようなことをいったことも
ある、でも談志の性格上、それはやっぱりできなかった……と。

一方、以下のような解釈をする人もいる。こちらをとると、「談志はそういう伝説の人になる
ことを拒否した」のではなく、なりたくてもなれなかったということになる。

http://monetimes.web.fc2.com/ez-rakugo06.htm
> 美津子さんの本にも、マクラ、マエフリで笑わせようと、日々ネタ作りに努力していた
>志ん生のことが出てくる。新聞やテレビで何度もキューバのカストロ首相の名を聞くの
>で、それをメモしておき、「え~ちかごろ、カストロさんなんて名前の人がいるようで、
>なんだか焼酎の親分みたいな名前の人ですが」とやるだけで大爆笑になったと。だけど
>これは計算されたおかしさじゃない。だって晩年の志ん生は、高座に出てくるだけでもう
>クスクス笑いなのである。志ん生が咳をしただけで可笑しい世界なのだ。これは藝とし
>て超えるとかの次元ではないだろう。
〈略〉
> 超えられないのは時代とキャラクタである。あの時代に「寝床」のさげをあんなシュー
>ルなものにしてしまう才能は、電気を発明したエジソンみたいなものだから、どんなにす
>ばらしい発明をしたとしても、電気で動くものである限り、なかなかそれは超えられな
>い。それが時代だ。
>  談志の苛立ちもそれに通じるだろう。この本の巻頭でも談志は自分と志ん生のどっち
>がすごいかと問いかけている。そう言った時点でもう負けている。なぜなら志ん生は「お
>れと談志のどっちが上か」とは言っていない。ジャイアント馬場が言ったように、リングの
>上で相手の周りを回ったらもう格下なのである。
〈略〉
>談志は実際は小心者であり律儀であり、それこそ手のひらに書きたくなるタイプだが、
>意地でもそんなみっともないことはするもんかと自分を追い込んでいた。毎回の高座を
>毎回が名人芸と呼ばれるようきちんと勤めているが、いちばん憧れていたのは高座で
>寝てしまう志ん生だった。ただしこれもキャラクタによる差はどうしようもなく、談志がそ
>の種の問題発言、行動をしても、それはしようとしてしているのが見え見えだから、味
>わいが違う。談志が高座で寝たとしても、それはそれをしようとしての狸寝入りである。


http://oshimas.iza.ne.jp/blog/entry/1611415/
>「志ん生師匠は、世に容れられなかった。その頃に決めた落語のルールに合わなかっ
>た。いわく、せかせかしてる、舌っ足らずであると、いろんな悪口をいわれてました。だ
>けど志ん生師匠は、人間の業(ごう)を語っていた。もっというと、人間が生きるために
>しょうがなくつくったルール、常識といったり、文明といったりしてますけどネ、それのどっ
>かの嘘に気がついていた」

> たぶん、めったに人をほめないと思われる談志さんの志ん生評には、どこかぬくもりが
>あった。


その他参考 URL:
- http://www.youtu.be/watch?v=rz061kWzc-A
- http://www.app-beya.com/shinsyo/we_love_b.html
- http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-35.html
- http://nicosound.anyap.info/sound/sm8230579
- http://www.kakaa.or.jp/~fukasawa/dansi_yuigonjyou.htm
- http://www6.ocn.ne.jp/~hokugo/Ki010624.htm
- http://densukedenden.blogspot.com/2011/02/by.html
- http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/57154121.html


で、「弟子たちにも全くその報せがいかなかった」件について。

談志の訃報がマスコミで正式に報道される前、ツイートや2ちゃんねるへの書き込み、
Wikipedia の記述編集などの形でのみ情報が流れていた時点で、談志の弟子たちは、
自分たちに知らせがきていないから、そんなのはデマだと、ツイートやブログで主張して
いた。その様子は、スレへの書き込みや、Wikipedia の記述を参照のこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/立川談志
>談志の死去の報は、一門の弟子たちを含む落語界・芸能界・知人の誰にも伝えなかっ
>た。家族のみで通夜・告別式(密葬)を挙行。2日の間、死を誰からも隠し通した。戒名
>は、生前自ら考えた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこ
>じ)」。2日後、事務所(談志役場=息子慎太郎の会社)が死の事実をプレス・リリースし
>たが、その際も弟子たちに知らせなかった。弟子たちは、死の2日後に、テレビニュース
>等で談志の死を知ることとなる。このことは弟子である立川キウイ[3]や立川談慶[4]に
>は伝えられていなかった。


以下の報道でいう「肉体的にも気力も落ち、声の出ない談志をさらしたくなかった」とか、
「弟子やファンの持つダンディーなイメージを損ないたくなかったのでしょう」などの思い
を、唐沢俊一は「死に様を見せないという美学と言えば一種の美学」と軽く片づけている
ようで、「仮にも一門を率いる人間として弟子たちにはまことに困った、迷惑な話」だの、
「最後の最後まで家元のワガママに迷惑をかけられたという、弟子たち」とか、談志および
遺族に対して容赦ない。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1123/TKY201111230478.html
>談志さん、戒名は自分で 手術後第一声「声は出るのか」
> 立川談志さんの長男松岡慎太郎さん(45)と長女弓子さん(48)は23日夜、東京都
>内で記者会見し、最期まで落語家を貫いた闘病生活を明かした。

> 談志さんは3年前に発症した喉頭(こうとう)がんが昨年11月に再発。家族は「余命
>2、3カ月」と宣告された。本人は「プライドが許さない」と声帯摘出手術をしなかった。
>今年3月の高座を最後に活動は休止。がんの進行で呼吸困難に陥り、気管切開手術
>をした。筆談の第一声は「しゃべれるのか、声は出るのか」だった。

> 闘病中、弟子たちとは夏に一度会っただけ。友人らと会うことはなかった。弓子さんは
>「肉体的にも気力も落ち、声の出ない談志をさらしたくなかった」と話した。23日午後3
>時に密葬が終わるまで、弟子たちも死去を知らなかった。

> のどを切開後にステーキを食べようとして死にかけるなど、最期まで破天荒だった。
>戒名は生前に自分でつけた「立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもと
>かってこじ)」


http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20111125/enn1111251243011-n1.htm
>■(1)なぜ密葬だったのか?

> 談志さんは生前、落語の枕の中で有名な先達の例を引き合いに出し、「落語家が
>普通の葬儀やってちゃダメ。もっとバカ騒ぎをしないと」と苦言を呈したことがある。なの
>に、21日に喉頭がんのために都内の病院で亡くなった事実は23日まで弟子にも知ら
>されず、家族のみでひっそり荼毘(だび)にふされた。

> ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」に24日、生出演した立川志らく(48)
>が言った。 「家元(談志さん)は『墓も、お経もいらねぇ。戒名も戒名代がもったいない
>から自分で決める、できれば病名は“ふとした病”がいいな』なんて言ってましたよ」

> 芸を極めた自身は恬淡(てんたん)とした境地だったのか。談志さんに近い落語関係
>者が語る。

> 「昨年11月にがんが再発。今年3月に気管を切開してからは、みるみる痩せていた
>ようだ。弟子やファンの持つダンディーなイメージを損ないたくなかったのでしょう」


上に引用の記事に書かれていたようなことは、24 日朝のワイドショーでもやっていたこと
であり、痩せて弱った姿を見せたくなかったという気持ちは、インタビューを受けていた
弟子たちにも通じていたように思えたのだけど……。

まあ、弟子たちは気の毒だったというのはあるし、「弟子たちにとり『高座での話のタネ』と
いう最高の遺品を残して逝った、と言えなくもないだろう」というのは、唐沢俊一なりの
あたたかいフォローと見えないことはない。……ただ、今回は、先に引用した 2004 年の
裏モノ日記の、「なぜ、談志がこのように意味のないイジメとしか見えない行動を繰り返す
のか」だの、「落語界の伝説として後世に残さなくてはならない、という意識があり、この
ような奇人のわがままぶりを発揮しているのではないか」だのという記述を見つけて
しまっているので、あまり好意的な解釈をすることは自分にはできない……。

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2011.11.27 (Sun)

唐沢俊一にとってのキーパーソンは立川談志か桂文治か

http://www.tobunken.com/news/news20111124132804.html

イベント
2011年11月24日投稿
「可愛げ」の男 【訃報 立川談志】
〈略〉
談志というファクターのない私の人生は考えられない。
初めて談志を聞いたのは、私がまだ4つか5つのときだった。
母方の祖母の葬儀の席で、母の兄(小野栄一)が芸人だったため
集った仲間が、
「芸人の家の葬式が湿っぽくなってはいけませんので」
というので、棺の前の座布団に若い噺家が座って、落語をやった。
はるか昔のことで記憶も茫漠とはしているが、確か『子ほめ』だったと
思う。そして、これだけは確かなのは、まだヨチヨチの子供であった
私にとっても、その落語が凄まじく面白かった、ということで
ある。談志、いや、まだその時はぎりぎりで小ゑんであった筈だが、
そんな小さな子供が自分の落語にキャッキャと言って喜んでいる
のが物珍しく映ったのだろう。

http://megalodon.jp/2011-1126-2329-28/www.tobunken.com/news/news20111124132804.html

上に引用した文章によると、唐沢俊一が「まだ4つか5つのとき」には、「まだヨチヨチの
子供」だったということになる。「ヨチヨチ歩きの子供」とは書かないで「ヨチヨチの子供」と
書くのも唐沢俊一のユニークなところだと思うし、もう 4 歳か 5 歳になっていたかつての
自分を「ヨチヨチ」と、まるで 1 ~ 2 歳の子どものように表現するのも唐沢俊一ならでは、
だと思う。

時間修正作戦以前に、いろいろ修正した方がよいことがあるのでは」に書いたばかり
だけど、「年端もいかない高校生カップル」と書いたり、20 歳前後は子ども (ここを参照)、
25 歳は青春時代 (ここを参照) と書いたりするのが唐沢俊一なのだから……。さらに、
唐沢俊一の場合は、「人生でもっとも初期」とは 16 歳の頃をさすという話も (ここを参照)。

さて、「母方の祖母の葬儀の席」ならば、「4つか5つのとき」ではなくて、4 歳だったか
5 歳だったか特定できてもよさそうなんだけど……というのは、おいといて。「談志、いや、
まだその時はぎりぎりで小ゑんであった筈」だというのが確かならば、唐沢俊一は 4 歳
だったという計算になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/唐沢俊一
>唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、
>コラムニスト、ラジオパーソナリティ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/立川談志
>・1963年 - 4月に立川談志を襲名し、真打に昇進。同時に小さん門下から真打に昇進
> したのが5代目柳家つばめ。


……これで困ってしまうのが、かつて唐沢俊一は、「そこで僕は生まれて初めて落語と
いうものを聞き、目の前で落語家がしゃべるのを聞いた」のが、「昭和三八年五月三十一
日、於東宝名人会」、「このとき、僕は五歳になったばかりだった」と書いていることだ。

『とても変なまんが』 早川書房 P.155 ~ P.156

先日、ある必要があって、桂文治(先代)の落語のCDを聞いた。この人、
生前は飄々とした雰囲気で好きな落語家の一人だったが、いわゆる古典
の正統派ではなかったもので、レコードやテープの類はこれまで聞いた
ことがなかった。ところが、聞いてみて仰天した。そこに収録されていた
『好きと恐い』という落語は、僕が子供のころ、生まれて初めてきいた落語
だったのだ。あわててライナーで確認してみると、収録年月日が昭和三八
年五月三十一日、於東宝名人会。愕然とした、というのは大げさではない。
これは母親の里帰りについて東京に行ったとき、祖母に連れられて出かけた
会だ。そこで僕は生まれて初めて落語というものを聞き、目の前で落語家
がしゃべるのを聞いた。まさにそのときの口演が、録音されていたのである。
 このとき、僕は五歳になったばかりだったが、その面白さに狂喜し、帰って
からそっくり再演(?)してみせて、母や祖母を驚かせたという。後に中学
時代のキャンプでも披露した。一回聞いただけでこれなのだから、若い頃の
記憶力というのはすごい。
〈略〉
 しかも、噺のマクラでも文治が言っているが、本来、この日は十八番の
『ふたなり』という落語を演じるはずが、どういう都合か、この『好きと恐い』
に切り替えたという。もし切り替わらずにブラック・ユーモア的色合いの強い
『ふたなり』を演じていたとすれば、果たしてその面白さが五歳の子供に
わかったかどうかは、疑わしい。ナンセンス度の高いこの『好きと恐い』だった
からこそ、子供にも大ウケで、それが後の僕を落語マニアにし、人前での
おしゃべりが大好きな性格にしていったわけである。思えば、そのとき落語
にハマらねば、『ぞろぞろ』などという落語マンガを書きはしなかったろうし、
それを書かなければ後年SF大会(i-con)で、企画担当者に、
「落語をやってくれ」
 と依頼などされなかったろう。で、その落語のマクラで変てこな本の紹介を
やったのを聞いていた藤倉珊氏たちが、と学会創設の際に、僕に声をかけ
てくれたのである。と学会に参加しなければ、僕のものかき人生はかなり
変わったものになっていたと思う。偶然の積み重ねが人の人生を形作って
いく。このCDを聞くまで、そのキーパーソンが桂文治という落語家である
ことなど、思いもしなかったのである。


唐沢俊一と SF 大会 ―― 大事だったのはメロンとステーキ」のエントリーの方で引用した
『トンデモ創世記2000』の記述を信用するならば、「後年SF大会(i-con)で、企画担当者
に、『落語をやってくれ』と依頼」されたのは、『ぞろぞろ』ではなくて『近未来馬鹿』 (「星雲
賞」候補) のおかげという話になっているのではないかと思うが、おいといて。

すぐ上に引用したような文章が、どうして『とても変なまんが』に収録されているのか、首を
ひねる人もいそうだが、なぜ「アイデンティティ確認マンガ――『なつ漫探偵団』」を紹介する
前置きとして、こうも長々と唐沢俊一の自分語りがくるのか、手元に本をもって読み返して
いるこっちにもわからない。

とにかく、唐沢俊一は以前、「生まれて初めて落語というものを聞き、目の前で落語家が
しゃべるのを聞いた」のが「昭和三八年五月三十一日」と書いているのみにとどまらない。
そのとき演目が『好きと恐い』ではなく『ふたなり』だったら「落語マニア」になっていたか
どうかわからないし、そうしたらSF大会(i-con)に呼ばれなかったかもしれない、と学会に
も参加しなかったかもしれないとまで書いているのだ (ここここも参照)。

しかも、2ちゃんねるの過去スレによると (Read More 参照)、このネタはお気に入りらしく、
複数の書籍で、ほぼ同じ文章を使い回したりしているという (←真偽未確認)。

これで今さら、「まだ4つか5つのとき」、「棺の前の座布団に若い噺家が座って、落語を
やった」、その「若い噺家」が「談志、いや、まだその時はぎりぎりで小ゑんであった筈」
であり、「その落語が凄まじく面白かった」といわれても、なあ……。

「母方の祖母の葬儀の席」のことは物心つく前の出来事で、後から家族に聞いたことに
すればまだ整合性はとれたかもしれないけど、「はるか昔のことで記憶も茫漠とはしてい
るが、確か『子ほめ』だったと思う」に、「これだけは確かなのは、まだヨチヨチの子供で
あった私にとっても、その落語が凄まじく面白かった、ということである」とやってしまって
いるので、それも無理。

で、そのおかげで、「談志というファクターのない私の人生は考えられない」に、「偶然の
積み重ねが人の人生を形作っていく。〈略〉そのキーパーソンが桂文治という落語家で
ある」が、少なくとも片方は嘘、ということになってしまっている。書きようによっては、両方
とも自分の人生には外せない人――みたいな結論に、いくらでもいかせられただろうに。



ついでに。「母方の祖母の葬儀の席」の件は、裏モノ日記で過去にやっていたりはしな
かったのだろうかと、「site:www.tobunken.com 談志」で検索してみると、200 件以上が
ヒットしてしまったあげく、「母方の祖母の葬儀」の話は見つけられなかった代わりに (?)、
まるで同じ内容の日記が、別々の日付けでアップされているのを何個か見つけてしまっ
たり……。


重複 その 1:

裏モノ日記 2000年 01月 31日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000131000000.html
>ふげし、というと落語の『阿武松』に出てくる、能登の国鳳至郡鵜川村、父っつぁんの
>名前は長兵衛、そのせがれで長吉と申します、というあの鳳至である。談志のクスグリ
>で“教わった通りしゃべってるんで、どこだかさっぱりわからない”というのがあるが、
>こんなところにあったか。


裏モノ日記 2000年 02月 20日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000220182635.html
>ふげし、というと落語の『阿武松』に出てくる、能登の国鳳至郡鵜川村、父っつぁんの
>名前は長兵衛、そのせがれで長吉と申します、というあの鳳至である。談志のクスグリ
>で“教わった通りしゃべってるんで、どこだかさっぱりわからない”というのがあるが、
>こんなところにあったか。



重複 その 2:

裏モノ日記 2001年 07月 31日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010731000000.html
> タイトルに意味はない。朝7時半起床。談志家元がわが家に上がり込んで来て到来も
>ののお菓子を片端からムシャムシャ食べ、しまっておいた睡眠薬までのんで帰っていく、
>という夢を見た。昨日、談之助さんからコミケ申込みの書き込みが官能倶楽部パティオ
>にあったからだろう。朝食、クレソンのスープとイチジク。


裏モノ日記 2001年 08月 15日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010815184459.html
> タイトルに意味はない。朝7時半起床。談志家元がわが家に上がり込んで来て到来も
>ののお菓子を片端からムシャムシャ食べ、しまっておいた睡眠薬までのんで帰っていく、
>という夢を見た。昨日、談之助さんからコミケ申込みの書き込みが官能倶楽部パティオ
>にあったからだろう。朝食、クレソンのスープとイチジク。



重複 その 3:

裏モノ日記 2003年 04月 09日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030409000000.html
>それにしても最近独演会にはちょっと行ってないのだが、手の動き、顎などなでる仕草、
>“うぅー”というような発声、どんどん談志をコピーした高座になっている。変なところの
>コピーだが。


裏モノ日記 2002年 09月 09日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020909223425.html
>それにしても最近独演会にはちょっと行ってないのだが、手の動き、顎などなでる仕草、
>“うぅー”というような発声、どんどん談志をコピーした高座になっている。変なところの
>コピーだが。



重複 その 4:

裏モノ日記 2002年 09月 13日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020913223136.html
>家に帰り、晩飯の用意。九代目桂文治のCDを聞きながら。談志がこの人の芸を
>「世の中にアナクロニズムって言葉がありますがね、どこにあるか、って言ったら、ここ
>にあり、という、まアこういう芸でしたな」
> と評し、そして、
>「ところが、そのね、アナクロがね、たまらない魅力なんですねエ。なんなンでしょう。
>やっぱり当人の……人柄というのかな、センスでしょうなア。なンだかわからない。ま、
>聴いてごらんなさい、不思議な芸ですからネエ」
> と、さしもの談志も分析を放り投げてしまっているのが可笑しい。


裏モノ日記 2003年 04月 13日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030413000000.html
>家に帰り、晩飯の用意。九代目桂文治のCDを聞きながら。談志がこの人の芸を
>「世の中にアナクロニズムって言葉がありますがね、どこにあるか、って言ったら、ここ
>にあり、という、まアこういう芸でしたな」
> と評し、そして、
>「ところが、そのね、アナクロがね、たまらない魅力なんですねエ。なんなンでしょう。
>やっぱり当人の……人柄というのかな、センスでしょうなア。なンだかわからない。ま、
>聴いてごらんなさい、不思議な芸ですからネエ」
> と、さしもの談志も分析を放り投げてしまっているのが可笑しい。



「重複 その 3:」の分だけは、「新聞に山内雅人氏死去の報」という言葉があったので、
「2002年 09月 09日(月曜日)」は何かの間違い (梶田達二のときと同様な未来追討?)
で、「2003年 04月 09日(水曜日)」が正しいということは推測できた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山内雅人
>山内 雅人(やまのうち まさと、1929年4月3日 - 2003年4月7日)は、日本の男性俳
>優、声優、ナレーター。


それにしても裏モノ日記は予想以上にカオスな構造 (ここを参照) というか、「同じ文章
のコピペ転載を複数日でダブらせてしまったもの」があったり (ここを参照)、「古い映画を
みませんか・16」が複数存在したり (ここを参照) 程度のことでは済まなかったのだなあ
と、今回はしみじみ思った。来年、このサイトが消滅してしまう可能性がある (ここここ
参照) のは、少し残念なことかもしれない。


ええと、それから、今回少し不思議に思ったのは、「『芸人の家の葬式が湿っぽくなっては
いけませんので』というので、棺の前の座布団に若い噺家が座って、落語をやった」との
記述。落語家とかお笑い芸人本人の葬儀ならともかく、「母方の祖母の葬儀の席で、母の
兄(小野栄一)が芸人だったため」というのは、よくあることなんだろうか。

以下の裏モノ日記の記述でいう「落語家の葬式とは、湿っぽくなってはいけない」という
しきたりが、「芸人の家の葬式が湿っぽくなってはいけません」にまで当然のように適用
されるのが普通なのかと疑問に思うし、落語家の葬式であっても (?)、同じ落語家から、
「師匠の通夜の晩くらい悲しめ」という意見が出ることもあると、唐沢俊一本人が書いて
いたりする。

http://www.tobunken.com/diary/diary20080602131258.html
>三遊亭円丈の『御乱心』の中で、悪役にされている円楽に、
>唯一同情したのは、師匠の円生の通夜の晩に大笑いし、円生の
>名跡の行方などを話題にしているている円楽を円丈が憎々しげに
>見て、師匠の通夜の晩くらい悲しめ、と言っているところである。
>あれは円楽にとっては落語の世界のしきたりを守っているに
>過ぎない(円生自身、噺のマクラで落語家の葬式とは、湿っぽく
>なってはいけないものだと言っている)のだと思う。


http://www.tobunken.com/diary/2005_10_21.html
>圓生の『くやみ』に曰く、噺家というのは通夜の席でも
> 「なンです、今日の通夜は湿っぽくッていけません」
>というくらいな商売なのである。


これについては、落語家だ芸人だというより、家風みたいなものがあって、唐沢俊一いう
ところの「わが家というのはテンから湿っぽくなれない家であるらしい」ため、なのかも。

http://www.tobunken.com/diary/diary20010313000000.html
>モーニングワイド、高橋尚子の祖母の死去、久和ひとみの母の談話、と湿っぽい話ば
>かり。実の弟が死んで笑っている女房や、親父が倒れた日の日記にもダジャレを書き
>つけるような私のところには、例えわれわれが有名人になってもこういう取材は永久に
>こないであろう。


http://www.tobunken.com/diary/diary20010614000000.html
>「まあ、飲んで楽しく話すのが供養だから」
> というお決まりの文句で、みんな勝手に飲んで雑談。ちか子さん(豪貴の実の母)は
>例によって心霊のオハナシ。K子が相手をしてやっている。母もいろいろ話して陽気に
>笑う。どうも、わが家というのはテンから湿っぽくなれない家であるらしい。


http://www.tobunken.com/diary/diary20011231000000.html
>まあ、親父が死んだ年の正月でも湿っぽくないのがよし。

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17:28  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.23 (Wed)

当て書き、ただし、主役以外

http://www.tobunken.com/news/news20111122133817.html

イベント
2011年11月22日投稿
『タイム・リビジョン』稽古場日誌

『タイム・リビジョン』稽古、先日の日曜日(20日)で5回目
になります。最初の2回を読み合わせに使い、現在は、その次の
段階。台本をまだ持ちながらですが、取り合えず立って、
大ざっぱな動きをつかんでいくステージです。これを演劇の
世界では“あらだち(粗立ち)”と言います。粗立ちを経て、
自分の動きが最終決定されるとこれが“ほんだち(本立ち)”
になるのですね。粗立ちは

「Aくん、ここでBくんにこのセリフを言ったら、ツラ(舞台
前面)を横切るようにして上手からハケ(退出)ね。そしたら、
入れ替わるように、下手の方からCちゃんとDくん、駆け出て
くる……、ハイ、立ち止まる、Cちゃんセリフありぃの、Bくん
受けて、そこで二人ウロウロ歩き回りぃの、ハイ、そこで銃声、
二人、倒れる……まで、やってみようか」

みたいな感じで動きをつけていく。演技のしやすい位置か、
客席から死角になってないか、役者の出入りはスムーズに
出来るか、次の出の役者とカチ合わないか、などを確認しつつ、
何度も修正を加えていきます。

一方、演出補の秋葉さんの主な仕事は、役者たちのセリフ回し
などを通してのキャラ作りです。今回、ほとんどのキャラは
アテ書き(演じる俳優さんを頭に置いて脚本を書くこと)なの
ですが、主役二人はオーディションで選出しました。二人とも
まだ新人で、舞台経験も数えるほどしかありません。だから、
まず主役たちのキャラから作っていかなくてはならない。
今回の主役は高校1年生の設定です。ごく普通の高校生が
不可思議な事件に出会う。そのときの反応はどう演じれば
高校生の反応に見えるのか。口調、セリフとセリフの間、
アクセント、口の開け方などの発声方法にいたるまで、細かく
指示がなされます。
〈略〉
今回初めて使って案外使いやすいと気に入っていた稽古場は
残念ながらスケジュール的にはこないだの日曜で最後の使用。
最初から気になっていた稽古場真ん前の大衆焼肉店『ゴチニク』
でワンクール終了打ちあげ。来週からは別の稽古場に移ります。

月曜日は稽古休み。本業の(笑)原稿書き、近々の出版物のゲラ
チェックなどの他、衣装部から上がってきた制作状況写真の
チェック、映像部、音楽部との打ち合わせ、翌日からの稽古場の
鍵受け取り、舞台立込み設計図描きなど、細かい仕事はいっぱい。

さて、『タイム・リビジョン/時間修正作戦』、初日、千秋楽、
平日マチネはかなり席も埋まってきました。お早めの予約を
お勧めします!


時間修正作戦以前に、いろいろ修正した方がよいことがあるのでは
キャスティング 8 割なら脚本は何割? の『タイム・リビジョン 時間修正作戦』

前回エントリーのコメント欄には、「唐沢氏の演劇用語の使い方は何か変な感じがします」
との書き込みがあったりしたが、今回の「“あらだち(粗立ち)”」については、あの (ここ
ここを参照) 流山児祥も、以下のようなことを書いているので、用語の意味的には大丈夫
だろう。

http://ryuzanji.eplus2.jp/article/179750322.html
>お昼前から楽塾の稽古。今日から粗立ち三日間。つまり立って「台本」を読むことに。
>まあ、この三日間で台詞を入れてくれればいい。


「“ほんだち(本立ち)”」の方もまあ、よく耳にする「立ち稽古(たちげいこ)」のことだと
いうことで。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/1282/yougo/yougojiten_ta.html
>立ち稽古(たちげいこ)
>台本を持たずに動きの稽古をする事です。 ★・・・・・それまでにちゃんと台本を覚えて
>ないと、大変なんですよ(笑) 別名:立ち・本立ち(稽古)


「アテ書き(演じる俳優さんを頭に置いて脚本を書くこと)」というのも、定義自体は間違い
ではないとは思う……が、「ですが、主役二人はオーディションで選出」し、「二人ともまだ
新人で、舞台経験も数えるほどしかありません」から、「まず主役たちのキャラから作って
いかなくてはならない」で、ちょっとよくわからなくなる。主役二人が念頭になくて書いた
脚本でも当て書きというのかとか (こちらのコメント欄も参照)、以下の Wikipedia の記述に
ある三谷幸喜のように、台本を改訂などはしないのかとか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/三谷幸喜
>大きな理由は、全ての戯曲・台本をそれぞれの役を演じる役者への「当て書き」(先に
>役者を決めてから、その役者をイメージしながら台本を書くこと)として執筆していること
>による[13][14]。このため、作品の再演に当たって役者の交替が生じる場合は、三谷自
>身が演出するか否かに関わらず、新しい役者のイメージに合わせて台本を改訂する。


で、「大衆焼肉店『ゴチニク』でワンクール終了打ちあげ」とか、唐沢俊一の病気や体重
は大丈夫かといった話も2ちゃんねるのスレに書き込まれていたが (Read More 参照)、
個人的には、「初日、千秋楽、平日マチネはかなり席も埋まってきました。お早めの予約
を」の方が気になっていたりする。

まあ今回は、「売り切れることが予想されますので、お早めにお買い求め下さい」とまでは
いっていないわけなのだけど (ここここここを参照)。それにしても、考えてみればもう、
初日まで 2 週間しかないんだなあ。

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22:47  |  分類なし (12) +  |  TB(0)  |  CM(12)  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.23 (Wed)

本当に紙芝居がお好きなんですか、唐沢俊一先生

http://www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

イベント
2011年11月19日投稿
イメージを変えた人【訃報 右手和子】

梅田佳声先生より右手和子氏死去の報せがあった(年齢、享年等未確認)。

教育紙芝居の研究・実演の第一人者。
教育紙芝居とは、手書きによる絵を基本とした街頭紙芝居に対し、
印刷物になったもので、保育園、幼稚園、学校などで演じられるもの。
そのぬくもりのある温かい話術での実演を生前に聞いたのは一度きり
だったが、耳の底にいまもじんわりと心地よい感じが残っている。
父親が紙芝居の貸し元であったことが彼女をこの世界に入らせたことも
あり、父の世代の遺産である紙芝居を日本の文化として残し、
また若い世代に伝えていくことをライフワークとしていた。
〈略〉
右手氏はその著書『紙芝居のはじまりはじまり』の中で、自分のことを
“蛙の子”と言っている。氏の父親もまた、紙芝居師であり、その貸元(製作元)
であった。幼い頃の彼女の記憶は、家中の天井に張り巡らされていた
針金(この上に描き上がった紙芝居を置く)と、練炭火鉢(これで下から
熱して、厚紙に絵を描いた紙を貼ったノリと、その上に塗ったニスを乾かす)
の熱で家中に籠る強烈な匂いだったという。

彼女の父親は理想主義者であり、戦後、子供たちの人気を集めるためならと、
どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに
我慢できなくなり、理想の紙芝居の確立を目指して自ら良心的紙芝居を製作
する貸元『さざなみ会』を設立、代表になった。しかし、理想は現実に合わず、
短期間でそのさざなみ会は倒産。また売人に逆戻り。幼かった右手氏も
辛酸を嘗めるが、やがて時代が落ち着くと『日本教育紙芝居協会』の設立
に加わり、日本中を教育紙芝居の普及に駆け回ることになる。娘時代、
父の演じる紙芝居の前座を勤めたことが、彼女をして、一生を紙芝居に
捧げるきっかけとなった。ちなみに、この父君の紙芝居師としての名が
“右手悟浄”という。悟浄の娘が悟空を演じる。これをして縁(えにし)と
いうのだろう。

街頭紙芝居は現在、そのストーリィや発想の融通無碍さが面白がられ、
また、昭和の風俗としてよくテレビや映画に登場する。だが、教育紙芝居
は地味な存在であり、情操教育にとり重要なものでありながら、注目される
ところ、語られるところが極めて少ない。その地味な教育紙芝居の普及と
伝承にかけた一生に悔いはなかったろうと思う。とはいえ、1960年代
のアニメとしてはおよぞ全ての面において異端児であった『悟空の大冒険』
のタイトルロールである悟空の声優として、もう少し、そちら方面での
活躍も残しておいてほしかった、つい、そう思ってしまう。
ご冥福をお祈りする。

http://megalodon.jp/2011-1119-2308-28/www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

×戦後 ○戦前

「ニュートリノ並の速さで追討する男」の続き。

「戦後、子供たちの人気を集めるためならと、どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と
街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり」の「戦後」というのは、多分何かの
間違い。

右手和子著『紙芝居のはじまりはじまり』の記述でも、上に引用した唐沢俊一の文章で
も、さざなみ会の後に日本教育紙芝居協会の設立がくる。その日本教育紙芝居協会の
設立が昭和 13 年だという話なのだから、さざなみ会の設立が「戦後」のはずはない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/紙芝居
>教育紙芝居(印刷紙芝居)
>街頭紙芝居は手描きが主であったが、その成功を見て、宗教・教育・思想啓発のため
>の教材として印刷紙芝居が刊行されるようになった。 戦後は児童図書館にも備えられ
>るようになった。
〈略〉
>・日本教育紙芝居協会:大島長三郎(青江舜二郎)、松永健哉らが中心となり1938年
> (昭和13年)7月20日に設立。理事長大島正徳。朝日新聞社からの出資協力を得て
> 活動を続ける。主な作品に『うずら』『芭蕉』など。[3]。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.184
> 昭和十三年、日本教育紙芝居協会の設立に参加した父は、やっと理想の場を得た
>ようで、日本全国をかけまわって、教育紙芝居の普及活動に精力を傾けていました。


また、同書には、唐沢俊一の書いているような、「子供たちの人気を集めるためならと、
どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢でき
なくなり」といったような、「街頭紙芝居の演じ手である売人 (バイニン)」への非難めいた
記述は、いっさい存在しない。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.179
> 街頭紙芝居の演じ手である売人は、前職が無声映画の弁士、話芸に自信をもって
>いる人、職人だった人、学生、サラリーマンだった人と、さまざまな人が集まっていた
>ようです。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.183
> この時代、私の心の中に残ったのは紙芝居そのものよりも、貸元時代、父を中心に
>絵かきさんもふくめた売人さんたちの、まるで家族同様のあたたかなふんい気であり、
>森下さんのお宅でのみなさんの心のあたたかさであったように思われます。
> そしてそれは安心しておとなたちのかたわらで耳をかたむける、その後の私をつくっ
>てくれたように思います。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.177 ~ P.178
> 街角で紙芝居に見入る子どもたちの姿から、紙芝居に心躍らせているその表情から、
>より多くの可能性を求めて、私の父は、口演童話の世界から紙芝居の世界に足をふみ
>入れたらしいのです。
> “らしい”というのもおかしな話ですけれど、なにしろ私の生まれる前後のことなのです
>から……。そして父は、まったく自分のことを語らない人でしたので……。
> そして何年かののち、自分の理想の紙芝居を作るために、父は街頭紙芝居の制作
>元、つまり貸元にエスカレートしていきました。“らしい”話を私にしてくださった『紙芝居
>昭和史』の著者加太こうじ先生は、また、あたたかな口調でこうもおっしゃいます。
> 『あなたの親爺さんは馬鹿だよ。街頭の騒音の中で、そんなきれいごとじゃだめだよ、
>もっとアクを強くしなくちゃあと言ったのに、自分の意志を貫いて、つぶれちゃった』
>というわけで、それから四年ほどで借金を抱えて倒産。またまた一売人(飴やおせんべ
>いなどを売り紙芝居を演じる人)に逆戻りすることになります。


……想像するに、「自分の理想の紙芝居を作るため」、「そんなきれいごと」、「もっとアク
を強くしなくちゃあと言ったのに、自分の意志を貫いて」などの記述や、後に「日本教育紙
芝居協会の設立に参加」といったお堅いイメージ (?) から、唐沢俊一は脳内で、「どんどん
俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり、
自ら良心的紙芝居を製作」というストーリーを勝手につくりだしてしまったのではないかと。
さらに「借金を抱えて倒産」となると、唐沢俊一的にはもう「幼かった右手氏も辛酸を嘗め」
たことにしなければいけない、とか。本にはそんな記述は見あたらなかったんだけど。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.181 ~ P.182
> 私の家にあった立絵の舞台は、両袖と上の方に“すかし”の入ったものでした。平絵
>の舞台や、舞台と組み合わせになった、飴などを入れる三つの引き出しの箱と、お揃い
>の材質の特注品で(売人の中にも道具に凝った人が何人かいたようです)なかなか、
>豪華なものでしたが、紙芝居の貸元をやめ、家が麻布から目黒に移ってからは、私が
>もらいうけ、人形ケースにしたり、本箱のかわりに使ったり、あげくのはては、押し入れ
>の中に入れておいたりといったぐあいで、いつのまにかわが家から姿を消してしまいま
>した。
>〈略〉いまになれば、なんともったいないことをしたものかと残念でなりませんが、当時
>は低俗なものとレッテルがはられ、学校の先生からも、見てはいけないときびしくいわ
>れていた紙芝居が、父の職業だったということで、なんとなく肩身のせまい思いを(もち
>ろん、父母には言いませんでしたけど)していた私は、家で紙芝居を扱わなくなったこと
>の方がうれしくて、舞台のひとつやふたつ見えなくなっても、なんということもなかったの
>です。


ついでに、唐沢俊一の書いている「幼い頃の彼女の記憶は」以下の文章は無駄にわかり
にくいのだが、元の文章は以下の通り。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.178
> いたみが少ないように、描かれた絵を厚いボール紙にはりつけ、よく乾かしてから、
>表面にニスを塗る、それをまた乾かしてまたニスを塗る。今、その頃のわが家を思い
>返してみますと、天井いっぱいに張りめぐらされた針金の列(この上に、一枚ずつ紙
>芝居を置いていき、下に練炭火鉢をおいて乾かすのです)と、家中に充満していた、
>のりとニスと練炭の混じりあった強烈なにおいが、印象的です。


唐沢俊一の劣化コピーぶりは相変わらずすごくて、原文ではすんなり理解可能な紙芝居
の制作過程が、唐沢俊一の文章では、のりではってからニスを塗るまでの乾かすという
行程がどっかいってしまい、同一行程における天井の針金と練炭火鉢の位置関係も判然
としなくなり、強烈なにおいの元もよくわからなくなっている。


……で、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) で、右手和子は本当に死亡しているのか
と疑問の声があがっている件について。

11 月 20 日の予定だった「右手和子さんのわくわく紙芝居公演は、中止になりました」と
のみ書かれていて、本人が亡くなったとは書かれていないし、本日 (2011年11月23日)
予定のイベントの出演者に右手和子の名前があったりする。

https://www.library.city.edogawa.tokyo.jp/toshow/event_guide/html/higashikasai.html
>※11月20日(日)に開催を予定しておりました右手和子さんのわくわく紙芝居公演
>は、中止になりました。


http://www.kamishibai.net/view/lecture/index
>第12回手づくり紙芝居コンクール
〈略〉
>入選作の実演審査会・表彰式
> ・ジュニア・一般計13点の実演・各賞決定
> ・おたのしみアトラクション 右手和子氏
>■日程: 2011年11月23日(祝)11:00-16:00
>■会場: 神奈川県立青少年センター2F多目的プラザ


しかし、残念ながら、以下のブログによると、「11月17日 右手和子先生が亡くなられま
した」とのこと。

http://blog.goo.ne.jp/nomarin_0302/e/6db4a2ee8472163961fd5f4f4c3b7c70
>残念なニュースです
>2011-11-20 20:52:32 | 日記
>11月17日 右手和子先生が亡くなられました。
>荒木文子さんから連絡があったのですが、しばらく声が出せませんでした。
>入院される10日ほど前に電話したときはいつもと変わらないお声だったので安心して
>いました。
>10月31日に入院されたとのこと。
>もうびっくりとしか言いようがありません。
>がっくり来ました。
>かけがえのない人を失ってしまいました。
>右手先生の代わりをできる人は誰もいません。
>これから、もっともっと紙芝居の演じ手を増やしていきたいと思っている私にとっては
>大打撃です。
>右手先生の紙芝居の演じ手へのアドバイスは本当に見事で、的確で、暖かでした。
〈略〉
>11月19日
>子どもの文化研究所で開かれた「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」に参加しました。
>日帰りで行ってきました。
>予定ではスペシャルゲストとして右手和子先生の実演披露でした。
>でも、先生が入院されるときに「のまさんにお願いして」とおっしゃったそうです。
>それでこの日は右手先生の代役として実演させていただきました。


上でいっている「子どもの文化研究所」の「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」だが、
国際こども図書館の「国内の研修・講座情報」ページには、今も「講師 右手和子」の
名前がある。

http://www.kodomo.go.jp/study/training/index.html
>子どもの文化研究所フォーラム 紙芝居の可能性を考える:第2回 メディアとしての
>文化性・教育性を考える
>開催日 2011年11月19日(土)
>開催地 東京都 ・ 財団法人文民教育協会ホール
>講師 右手和子、片岡輝(子どもの文化研究所所長)、石山幸弘(茨城大学講師)ほか
>連絡先 子どもの文化研究所


「子どもの文化研究所フォーラム 紙芝居の可能性を考える...」のリンクをクリックすると、
以下のページが表示される。

http://www.kodomonobunnka.or.jp/kamishibai/kamishibaiforam.htm
>第2回11月19日(土)
> テーマ メディアとしての文化性・教育性を考える
>★スペシャルゲスト 実演披露
> ◆スピーカー
> ・紙芝居は場の文化である。紙芝居の魅力を追う
>                       片岡輝(子どもの文化研究所々長)
> ・紙芝居史と紙芝居の多数の論文から考えられること
>                       石山幸弘(茨城大学講師)
> ・文化の視点から紙芝居の課題を考える
>                        堀田穣(京都学園大学教授)
> ・紙芝居が育てるもの        阿部明子(東京家政大学名誉教授)


>第3回1月21日(土)
> テーマ 街頭紙芝居を現代的視点から捉え直し、何を学ぶかる
>★スペシャルゲスト 梅田佳声さんの実演披露 


つまり、「2011年11月19日(土)」の「第2回」が右手和子出演予定で、来年の 1 月 21 日
の「第3回」に梅田佳声が出演予定ということで。それで、唐沢俊一のいう「梅田佳声先生
より右手和子氏死去の報せがあった」というのに納得がいったような気が。

なにしろ最初に唐沢俊一の文章を読んだ時点では、「彼女の父親は理想主義者であり、
戦後、子供たちの人気を集めるためならと、どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街
頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり」に、「街頭紙芝居は現在、そのストー
リィや発想の融通無碍さが面白がられ、また、昭和の風俗としてよくテレビや映画に登場
する。だが、教育紙芝居は地味な存在であり、情操教育にとり重要なものでありながら、
注目されるところ、語られるところが極めて少ない」をついつい真に受けて、街頭紙芝居を
俗悪と見下す教育紙芝居の関係者、注目されない語られない教育紙芝居を無視する
街頭紙芝居の関係者という対立構造を想像 (妄想) してしまったりしたのだ。

なのになぜ、街頭紙芝居の梅田佳声が――と意外に思ってしまうくらいだったのだが、
唐沢俊一の書いていることはデマみたいなものと受け流しさえすれば、別に不思議に思う
必要もない。街頭紙芝居の演じ手と教育紙芝居の演じ手は、敵対関係にあるわけでも、
まったく交流がないわけでもないようだ。

http://kamicomi.exblog.jp/7473827/
>本日は東京から来られた右手和子さんの公演がありました。
>私達の行なっている「街頭紙芝居」とは違い、「印刷紙芝居」と言われる紙芝居の公演
>です。街角にやってくる紙芝居のおっちゃんではなく、幼稚園などで先生が上演する紙
>芝居…と言えば、わかりやすいでしょうか?私達が普段使用する自転車に据え付けて
>いる舞台ではなく、マイ舞台を持参しての公演です。

>いつも、私達が目にするものとは違う紙芝居。それはもう私はウキウキでした。
>絵の力を最大限に活かし、静かで、時に声が体に心地よく染みる世界。
>何かと学ぶものも多くありました。

>本当は今日は私達一座の公演は無い予定だったのですが、海外からのお客様が
>来られ、急遽公演をしました。黄金バットでハハハと笑う。
>笑い声は万国共通と改めて感じたしだいです。


そうでなくても、唐沢俊一の、「だが、教育紙芝居は地味な存在であり、〈略〉注目される
ところ、語られるところが極めて少ない」は、なぜわざわざ右手和子の訃報に際してこんな
ことを……というのを抜きにしても、強引な過小評価ではないかと思う。

今回、少しググっただけでも、右手和子は月に何回かのペースで、イベントや講演に参加
していた印象で、本当に「注目されるところ、語られるところが極めて少ない」分野ならば、
そんなことが可能かと思う。

2ちゃんねるのスレでも話題になったけど (Read More 参照)、唐沢俊一の年代で既に
街頭紙芝居に直に接したことのある子どもの率がそう多かったとは思えない一方、教育
紙芝居の方は、小学校に印刷された紙芝居のある率は高かったのではないかと思うの
だけど……。いや、もちろん、街頭紙芝居の方を、比較して貶したいというわけでは決して
ないんだけど。

また、『紙芝居のはじまりはじまり』や『紙芝居をつくる』を見ると、「そのストーリィや発想
の融通無碍さ」は何も街頭紙芝居の専売特許ではなく、教育紙芝居をふくめた紙芝居
全般の特長ではないかと思える。双方向性の面白さや、ひとりでできるなどの利点と同じ
ような感じで。

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17:42  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.21 (Mon)

「引き続き第二弾として」に訂正されました

http://www.tobunken.com/news/news20111108112237.html

新刊
2011年11月8日投稿
新刊『非常時デマ・陰謀論の世界(仮)』

今年の最大のニュースと言えば当然、東北の震災と原発事故。
発生と同時に多くのデマが飛び、ネットの世界では陰謀論が
多く飛び交いました。

これらのデマ・陰謀論の中から特徴的なものを選び、なぜ
このようなデマやトンデモな陰謀論が広がるか、を考察した
『非常時デマ・陰謀論の世界(仮)』が12月、株式会社
ブリックスから出版されます。

単なるトンデモ陰謀論紹介や、デマに対する啓蒙ではなく、
長年『と学会』でトンデモに接してきた体験から、
「人間はなぜデマにとびつくのか」
という考察がメインの“人間論”も加味したつもりです。
ぜひ、ご一読を。

正式タイトル、発売日が決定したらまたお知らせします。


引き続き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一の(震災などの)非常時のトンデモ
デマ
」に引用したものと同じ文章。

2ちゃんねるのスレには、それなりにあれこれ書き込まれているが (Read More 参照)、
11 月も下旬にはいった今でも、「正式タイトル、発売日が決定したらまたお知らせします」
とかいうのは実現していない。

10 日以上経ったうちには、変化もあった。前のエントリーを書いた時点では、ブリックスの
ページには「引き続き続き第二弾として」と書かれていたが (前回とった魚拓)、今見たら、
「引き続き第二弾」に訂正済みだった (今回とった魚拓)。少し寂しい気も。

http://www.j-brix.co.jp/publication/index.html
>近刊予定
>引き続き第二弾として、あの雑学王唐沢俊一の(震災などの)非常時のトンデモデマ
>などに対する情報対処法についての解説書を近日に上梓の予定です。


しかし、時期については、相変わらず「近日に上梓の予定」のまま。これで年内に本が
出るとしたら、むしろ驚くぞ、と。

ということで、2ちゃんねるのスレで心配されていたような、『検証 大震災の予言・陰謀論』
(文芸社・2011年11月18日) との時期カブリについては、どうせ 1 ヵ月以上は発売時期が
ズレるだろうから大丈夫、と予想。何が大丈夫かは、おいといて。

http://www.amazon.co.jp/dp/4286116778
>検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか [単行本(ソフトカ
>バー)]
>ASIOS アンドリュー・ウォールナー (著)
〈略〉
>内容(「BOOK」データベースより)
>武田邦彦氏や小出裕章氏の情報はどこまで信用していいのか?人工地震説はどうか?
>松原照子氏は大震災を予言したのか?「玄米や味噌、乳酸菌が放射能除去に有効」は
>正しいか?その他、ネットで拡散された怪文書、放射能をビジネスにする怪しげな製品
>や団体など東日本大震災後に現れたデマや陰謀論、予言やニセ科学を取り上げASIO
>と海外報道ウォッチャーが徹底検証する。
〈略〉
>単行本(ソフトカバー): 256ページ
>出版社: 文芸社 (2011/11/18)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 1,062位 (本のベストセラーを見る)


しかし、Amazon のページだけ見ればアンドリュー・ウォールナーの単著かと勘違いしそう
だけど、ASIOS のページによると、以下の通り。

http://www.asios.org/books.html
>執筆メンバーは50音順に、寺薗、ナカイ、長澤、原田、本城、皆神、山本、横山。この
>他、外部から東日本大震災の海外報道に詳しいアンドリュー・ウォールナーさんにも
>執筆陣に加わっていただいています。


上のページの目次を見ると、「武田邦彦氏や小出裕章氏の情報はどこまで信用していい
のか?」ってことを論じるのは、山本弘だったり原田実だったり。

>「わかりやすい」ブログで人気の武田邦彦氏(山本弘)
>超直線仮説を主張した小出裕章氏(原田実)


これ以外にも、「放射性物質除去にはヒマワリが効く?(長澤裕)」とか、「玄米や味噌、
乳酸菌が放射能除去に有効?(ナカイサヤカ)」とか。

ええと、武田邦彦も小出裕章も専門家で、山本弘も原田実も素人では……。どうせ読む
なら、専門家による専門家の批判を読みたいが、まあこの本は唐沢俊一が出す本とネタ
がいくつかカブりそうだから、もしも唐沢俊一の本が出たら,比較対象のためにぜひ入手
したい。

後はまあ、現在の Amazon のランキングでは、小出裕章には負けているけど、武田邦彦
には勝っているから頑張ってください、と。

http://www.amazon.co.jp/dp/4594064205/
>原発のウソ (扶桑社新書) [新書]
>小出 裕章 (著)
〈略〉
>新書: 182ページ
>出版社: 扶桑社 (2011/6/1)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 526位 (本のベストセラーを見る)


http://www.amazon.co.jp/dp/4093882061/
>2015年放射能クライシス
>[単行本]武田 邦彦 (著)
〈略〉
>単行本: 224ページ
>出版社: 小学館 (2011/9/29)
〈略〉
>Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 2,906位 (本のベストセラーを見る)


それと、今回しみじみ思ったのだが、1990 年代には、唐沢俊一や山本弘などは、別冊
宝島のムックに頻繁に寄稿していたのだけど、今回は両者の方向性がだいぶ違ってきて
いる。これも時の流れのなせる業といえるかも。

http://www.amazon.co.jp/dp/4796686789/
>原発の深い闇 2 (別冊宝島) (別冊宝島 1821 ノンフィクション) [大型本]
〈略〉
>京大の小出裕章氏、評論家の広瀬隆氏の協力も得ながら、原発と放射能のもっと深い
>闇を徹底的にあぶりだします。



その他参考 URL:
- http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/449.html
- http://www.tondemo.info/material01_2011_04_ac.html
- http://heikijiji.otaden.jp/e164927.html

テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

02:30  |  資料編 (14) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.20 (Sun)

遺産を腕ずくで分捕った人もいます

『トンデモ一行知識の逆襲』 P.153 欄外

・鳥獣戯画で有名な鳥羽僧正の遺言は、「遺産は腕ずくで取りあえ」。


×遺産は腕ずくで取りあえ ○遺産の処分は腕力によるべし

ここのコメント欄に引用したのがきっかけで、そういえば以前に少し調べたような……と
思い出したネタ。

元々は、一行知識掲示板に唐沢俊一自身が投稿したもの。出典は明記されていない。

http://web.archive.org/web/20030720034923/http://www.tobunken.com/oldlog/log0001.html
> 一行知識掲示板、早くも200代に到達しました。皆様のご協力に感謝
>いたします。
>  今さらではありますが、ニフでの一行知識ルール(あったのか)をご存
>じない方もいらっしゃると思うので、基本的注意。
> ・長くて3行まで。出来るだけ短くまとめましょう
> ・意外な視点、が一行知識の命
> ・俳句や短歌と同じく、推敲してから書き込みましょう
> ・あまり専門的なネタは避けましょう
> ・この掲示板を時候の挨拶、ただの感想の書き込みに用いるのは出来るだ
>けやめましょう(近々、意見交換用掲示板も設置の予定)

> 以上。
> ・『鳥獣戯画』で有名な鳥羽僧正の遺言。「遺産は腕づくで取りあえ」


Wikipedia には、以下のように記述されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鳥羽僧正
>保延6年(1140)9月15日、覚猷は90歳近い高齢で死去した。その際、弟子から遺産分
>与に関する遺言を求められ、「遺産の処分は腕力で決めるべし」と遺したと伝えられて
>いる。


じゃあ原文はどうなっているんだろうと思って探したら、「鳥羽僧正の秘画『勝画』の発見」
(高島経雄著) の P.168 に、以下のような記述がある。

http://books.google.com/books?id=0tFnwA5e5gEC&pg=PA165&dq=遺言#v=onepage&q=遺言&f=false
>『古事談』
> 覚猷僧正臨終時、可処分之由、弟子等勤之、再三之後、乞寄硯紙等書之。其状云。
>処分可依腕力云々。遂に入滅。


Amazon での「なか見! 検索」http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4835500733/
「腕力」を探すと、P.167 に以下のようなことも書かれていた。

> 遺言というものは人がこの世に生をうけ、まさに死を迎えようとする時に遺った人々に
>与える言葉であり、おおむね厳粛なものであろうと思われる。
> 私は、彼がまさに死に臨む人間として「腕力によるべし」という、彼の驚くべき発想が
>何処から生れたか、遺言の意図がどこにあるかいろいろ考えてみたが結局結論を得る
>までには至らなかった。
> それは当然である。
> 恐らく、われわれの考えの及ばない規格外の人物だったのではないだろうか。
〈略〉
> 彼は死に臨んでも全く普段と同じように、ぷいっと隣へ出かけるような気持ちであった。
> むしろ、彼は彼の弟子たちがこの遺言書を見た時の彼らの驚きの表情を想像し、
>にんまりとほくそ笑んで亡くなったのではないだろうか。


その他参考 URL:
- http://www.yuugao.jp/jinpati/lastsong/tobasoujou.html
- http://www1.seaple.icc.ne.jp/kobuna/review/ninngennrinnjyuuzukann.html
- http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f54b1f0e5d7346cf85a164239cad907b

まあ「遺産は腕ずくで取りあえ」というのも、意訳としてはアリじゃないかというご意見も
あるだろうけど、「取りあえ」と命令したことにしちゃうと、ニュアンスが違って来るんじゃ
ないかと思うので、間違い探し編の方に入れさせてもらおうかと。

テーマ : 読書メモ - ジャンル : 本・雑誌

20:13  |  『トンデモ一行知識の逆襲』間違い探し編 (138) +  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2011.11.20 (Sun)

「ニュートリノ並の速さで追討する男」

http://www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

イベント
2011年11月19日投稿
イメージを変えた人【訃報 右手和子】

梅田佳声先生より右手和子氏死去の報せがあった(年齢、享年等未確認)。

教育紙芝居の研究・実演の第一人者。
教育紙芝居とは、手書きによる絵を基本とした街頭紙芝居に対し、
印刷物になったもので、保育園、幼稚園、学校などで演じられるもの。
そのぬくもりのある温かい話術での実演を生前に聞いたのは一度きり
だったが、耳の底にいまもじんわりと心地よい感じが残っている。
父親が紙芝居の貸し元であったことが彼女をこの世界に入らせたことも
あり、父の世代の遺産である紙芝居を日本の文化として残し、
また若い世代に伝えていくことをライフワークとしていた。

……とはいえ、一般の人にとり、右手(うて)和子と言えば
1967年に放映されたアニメ『悟空の大冒険』の主役、悟空を演じた
声優として知られているだろう。過激でシュールなギャグ、スピード感
あふれる展開、ユニークすぎるキャラクターたちの大暴れで、
4年続いた人気作品『鉄腕アトム』の後を継ぎながら、その斬新さに
当時の子供たちがついてゆけず、わずか9ヶ月で打ち切られてしまった。
右手和子はそれ以外はほぼ、声優の仕事をしていない。
しかし、その印象の強烈さはちょっとなかった。

アトムの最終回で、悟空へのバトンタッチという意味もあって、最後の
御茶ノ水博士の挨拶のあと、悟空が登場。
「おいら悟空、よろしく。じゃ、予告編見てくれよな……えっ、まだ
アトムの時間だって? ケチケチするなよ、めんどくせえ……ワン、ゼロ、
ドカーン!」
と、アトムに化けて、
「みなさん、長いこと僕の活躍を見てくださってありがとう……」
と挨拶(声はオリジナルの清水マリ)し、悟空にもどって
「カッコいいんだから、見てくれよな!」
と、アトムが生死不明になってしまう最終回の湿っぽさを一瞬にして
払拭してしまった。そのガラッパチな声としゃべり方は、それまでの
上品な虫プロアニメではついぞなかったキャラクターだった。

本業が紙芝居である彼女がアニメの声優に抜擢されたのは、杉井ギサブロー
氏をはじめとする製作スタッフが、これまでの虫プロアニメのイメージを
一変させよう、と謀ったためだったろう。ちゃきちゃきの江戸っ子だった
右手氏の抜擢はそのイメージの改変にぴったりだった。

http://megalodon.jp/2011-1119-2308-28/www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

「年齢、享年等未確認」には、さすがに驚いたというか……。2ちゃんねるのスレ (Read
More
参照) では、「ついに『報道より早く追討!』の域にまで達しましたかw」、「締切に終
われてるんじゃねえんだから、確認してから書けよw」にはじまり、「光より速く追討をする
男 【訃報 唐沢俊一】」とか、「ニュートリノ並の速さで追討する男 【訃報 唐沢俊一】」
とか、突っ込まれ放題。

そもそも右手和子の生年月日を把握していないから、「年齢、享年等未確認」ということを
書くハメになるんだよねえ……少し前の「ダイアン・シレントの生年月日には諸説あるわけ
ではない
」の件とちょっと似ているけど、悪い意味でパワーアップしている。

んで、2ちゃんねるのスレに書き込まれた情報をもとにするならば、右手和子の生年月日
は 1929 年 2 月 4 日 (知泉 wiki より) で、82 歳。つい 1 ヵ月前に、「右手和子さんによる
紙芝居」を見にいったとブログに書いている人もいる。

http://tisen.jp/hbd/query.php?KeyDate=&KeyName=%B1%A6%BC%EA%CF%C2%BB%D2&Key
>誕生日    名前  (年齢, 没年) <死因 肩書き/分野 [血液型] 本名
>1929/02/04 右手和子 (82) 紙芝居・声優
>         東京都▽舞台芸術学院
>         ※アニメ『悟空の大冒険』悟空役


http://yukoko.at.webry.info/201110/article_3.html
>家の近くにある視覚障がい者の作業所で行われた「右手和子さんによる紙芝居」を観
>に行きました。昔から知っている方ですが82歳とは知りませんでした。彼女は声優で紙
>芝居研究家、年齢を感じさせない昔と変わらぬ素晴らしい紙芝居でした。


それにしても不思議なのは、唐沢俊一は右手和子の著書『紙芝居のはじまりはじまり』
の内容紹介もしているのに、「年齢、享年等未確認」としていること。『紙芝居のはじまり
はじまり』という本には、著者プロフィールに生年月日は載っていなかったのだろうか。

スレの方には、「右手和子さんが本日、脳梗塞で亡くなった」というツイートも紹介されて
いたけど、こちらはうまく検索できなかった。唐沢俊一の書いているように梅田佳声からの
情報ならば、まるきりのデマとも思いにくいけど、本当に亡くなっているのかどうかは、まだ
よくわからない。


で、唐沢俊一が、『悟空の大冒険』のことを、「その斬新さに当時の子供たちがついて
ゆけず」とか書いていたのには、読んでいて違和感があったのだけど、これはスレで
指摘のあった通り (Read More 参照)、Wikipedia の「時代を先取りしすぎた部分もあり」を
唐沢俊一が勝手な脳内変換を加えて劣化コピーしたものと考えれば納得がいく。

http://ja.wikipedia.org/wiki/悟空の大冒険
>劇中の各キャラクターの"大げさな表現"は時代を先取りしすぎた部分もあり、3年間続
>いた「アトム」の後番組にもかかわらず、9か月(39話)で放映を終了した。


自分がリアルタイムで見ていた記憶では、元の『西遊記』と比べて斬新とか感じることが
できるほど『西遊記』自体についての知識はなかったし (それどころか、生まれてはじめて
ふれた『西遊記』ものだったかも)、「子供たちがついてゆけず」というような作品だったら、
「PTAから大批判」されなくてもすんだのではないかという気もする。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000A5HLSE
>生まれついてのアウトロー、悟空が三蔵法師と天竺に向かう途中妖怪達と戦う。
>シュールなギャグを連発し、PTAから大批判を受けた新感覚作品。



ただまあ、唐沢俊一も、Wikipedia の「悟空の大冒険」の記述を劣化コピーするだけでは
なく、「3年間続いた『アトム』」というのを「4年続いた人気作品」に訂正しているし、「アト
ムの最終回で、悟空へのバトンタッチ」というのもガセではない模様。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム_(アニメ第1作)
>フジテレビ系列にて、1963年1月1日から1966年12月31日まで放送。

http://f1.aaa.livedoor.jp/~monokuro/w3.htm
>鉄腕アトムの最終回に悟空が出て来て番組宣伝をするという
>面白い場面がLDなどで現在も見られます。


http://blogs.yahoo.co.jp/hancoin00/20930345.html
>第1話放送の1週前、鉄腕アトムの最終回のラストで悟空が登場して、告知するんです
>よね。
>モノクロの映像はこれが唯一かな?


http://www.amazon.co.jp/dp/product-description/B0000UN3Z4
>悟空の大冒険 DVD-BOX
>右手和子 (出演), 増山江威子 (出演) | 形式: DVD
〈略〉
>映像特典も魅力的で、幻のパイロット・フィルムや未放映分を収めている。なかでも
>『鉄腕アトム』の最終話のエンディングで行なわれた、アトムから悟空へのバトンタッチ
>(昔はしばしば行なわれていた手法)は一見の価値あり。



しかし、「そのガラッパチな声としゃべり方は、それまでの上品な虫プロアニメではついぞ
なかったキャラクター」に、「これまでの虫プロアニメのイメージを一変させよう、と謀った
ためだったろう。ちゃきちゃきの江戸っ子だった右手氏の抜擢はそのイメージの改変に
ぴったり」には、どうしても違和感が……。

主人公のキャラがだいぶ違うという主張ならともかく、唐沢俊一はまるで、「ガラッパチな
声としゃべり方」で「ちゃきちゃきの江戸っ子」が、(主人公限定というわけではなく) 「それ
までの上品な虫プロアニメではついぞなかったキャラクター」と書いているみたいで、では
ヒゲオヤジとかはどうなるんだろうと思ってしまうわけで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム
>ヒゲオヤジ
>本名、伴俊作(ばん しゅんさく)。アトムの通うお茶の水小学校の先生。元私立探偵。
>お茶の水博士とも親しく、アトムの良き理解者。江戸っ子で、卑怯な事が大嫌い。


http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム_(アニメ第1作)
>ヒゲオヤジ:矢島正明、和田文雄

追記: 編集ミスで飛んでいた段落を戻しました。


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