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2011.11.23 (Wed)

本当に紙芝居がお好きなんですか、唐沢俊一先生

http://www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

イベント
2011年11月19日投稿
イメージを変えた人【訃報 右手和子】

梅田佳声先生より右手和子氏死去の報せがあった(年齢、享年等未確認)。

教育紙芝居の研究・実演の第一人者。
教育紙芝居とは、手書きによる絵を基本とした街頭紙芝居に対し、
印刷物になったもので、保育園、幼稚園、学校などで演じられるもの。
そのぬくもりのある温かい話術での実演を生前に聞いたのは一度きり
だったが、耳の底にいまもじんわりと心地よい感じが残っている。
父親が紙芝居の貸し元であったことが彼女をこの世界に入らせたことも
あり、父の世代の遺産である紙芝居を日本の文化として残し、
また若い世代に伝えていくことをライフワークとしていた。
〈略〉
右手氏はその著書『紙芝居のはじまりはじまり』の中で、自分のことを
“蛙の子”と言っている。氏の父親もまた、紙芝居師であり、その貸元(製作元)
であった。幼い頃の彼女の記憶は、家中の天井に張り巡らされていた
針金(この上に描き上がった紙芝居を置く)と、練炭火鉢(これで下から
熱して、厚紙に絵を描いた紙を貼ったノリと、その上に塗ったニスを乾かす)
の熱で家中に籠る強烈な匂いだったという。

彼女の父親は理想主義者であり、戦後、子供たちの人気を集めるためならと、
どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに
我慢できなくなり、理想の紙芝居の確立を目指して自ら良心的紙芝居を製作
する貸元『さざなみ会』を設立、代表になった。しかし、理想は現実に合わず、
短期間でそのさざなみ会は倒産。また売人に逆戻り。幼かった右手氏も
辛酸を嘗めるが、やがて時代が落ち着くと『日本教育紙芝居協会』の設立
に加わり、日本中を教育紙芝居の普及に駆け回ることになる。娘時代、
父の演じる紙芝居の前座を勤めたことが、彼女をして、一生を紙芝居に
捧げるきっかけとなった。ちなみに、この父君の紙芝居師としての名が
“右手悟浄”という。悟浄の娘が悟空を演じる。これをして縁(えにし)と
いうのだろう。

街頭紙芝居は現在、そのストーリィや発想の融通無碍さが面白がられ、
また、昭和の風俗としてよくテレビや映画に登場する。だが、教育紙芝居
は地味な存在であり、情操教育にとり重要なものでありながら、注目される
ところ、語られるところが極めて少ない。その地味な教育紙芝居の普及と
伝承にかけた一生に悔いはなかったろうと思う。とはいえ、1960年代
のアニメとしてはおよぞ全ての面において異端児であった『悟空の大冒険』
のタイトルロールである悟空の声優として、もう少し、そちら方面での
活躍も残しておいてほしかった、つい、そう思ってしまう。
ご冥福をお祈りする。

http://megalodon.jp/2011-1119-2308-28/www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

×戦後 ○戦前

「ニュートリノ並の速さで追討する男」の続き。

「戦後、子供たちの人気を集めるためならと、どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と
街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり」の「戦後」というのは、多分何かの
間違い。

右手和子著『紙芝居のはじまりはじまり』の記述でも、上に引用した唐沢俊一の文章で
も、さざなみ会の後に日本教育紙芝居協会の設立がくる。その日本教育紙芝居協会の
設立が昭和 13 年だという話なのだから、さざなみ会の設立が「戦後」のはずはない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/紙芝居
>教育紙芝居(印刷紙芝居)
>街頭紙芝居は手描きが主であったが、その成功を見て、宗教・教育・思想啓発のため
>の教材として印刷紙芝居が刊行されるようになった。 戦後は児童図書館にも備えられ
>るようになった。
〈略〉
>・日本教育紙芝居協会:大島長三郎(青江舜二郎)、松永健哉らが中心となり1938年
> (昭和13年)7月20日に設立。理事長大島正徳。朝日新聞社からの出資協力を得て
> 活動を続ける。主な作品に『うずら』『芭蕉』など。[3]。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.184
> 昭和十三年、日本教育紙芝居協会の設立に参加した父は、やっと理想の場を得た
>ようで、日本全国をかけまわって、教育紙芝居の普及活動に精力を傾けていました。


また、同書には、唐沢俊一の書いているような、「子供たちの人気を集めるためならと、
どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢でき
なくなり」といったような、「街頭紙芝居の演じ手である売人 (バイニン)」への非難めいた
記述は、いっさい存在しない。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.179
> 街頭紙芝居の演じ手である売人は、前職が無声映画の弁士、話芸に自信をもって
>いる人、職人だった人、学生、サラリーマンだった人と、さまざまな人が集まっていた
>ようです。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.183
> この時代、私の心の中に残ったのは紙芝居そのものよりも、貸元時代、父を中心に
>絵かきさんもふくめた売人さんたちの、まるで家族同様のあたたかなふんい気であり、
>森下さんのお宅でのみなさんの心のあたたかさであったように思われます。
> そしてそれは安心しておとなたちのかたわらで耳をかたむける、その後の私をつくっ
>てくれたように思います。


『紙芝居のはじまりはじまり』 P.177 ~ P.178
> 街角で紙芝居に見入る子どもたちの姿から、紙芝居に心躍らせているその表情から、
>より多くの可能性を求めて、私の父は、口演童話の世界から紙芝居の世界に足をふみ
>入れたらしいのです。
> “らしい”というのもおかしな話ですけれど、なにしろ私の生まれる前後のことなのです
>から……。そして父は、まったく自分のことを語らない人でしたので……。
> そして何年かののち、自分の理想の紙芝居を作るために、父は街頭紙芝居の制作
>元、つまり貸元にエスカレートしていきました。“らしい”話を私にしてくださった『紙芝居
>昭和史』の著者加太こうじ先生は、また、あたたかな口調でこうもおっしゃいます。
> 『あなたの親爺さんは馬鹿だよ。街頭の騒音の中で、そんなきれいごとじゃだめだよ、
>もっとアクを強くしなくちゃあと言ったのに、自分の意志を貫いて、つぶれちゃった』
>というわけで、それから四年ほどで借金を抱えて倒産。またまた一売人(飴やおせんべ
>いなどを売り紙芝居を演じる人)に逆戻りすることになります。


……想像するに、「自分の理想の紙芝居を作るため」、「そんなきれいごと」、「もっとアク
を強くしなくちゃあと言ったのに、自分の意志を貫いて」などの記述や、後に「日本教育紙
芝居協会の設立に参加」といったお堅いイメージ (?) から、唐沢俊一は脳内で、「どんどん
俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり、
自ら良心的紙芝居を製作」というストーリーを勝手につくりだしてしまったのではないかと。
さらに「借金を抱えて倒産」となると、唐沢俊一的にはもう「幼かった右手氏も辛酸を嘗め」
たことにしなければいけない、とか。本にはそんな記述は見あたらなかったんだけど。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.181 ~ P.182
> 私の家にあった立絵の舞台は、両袖と上の方に“すかし”の入ったものでした。平絵
>の舞台や、舞台と組み合わせになった、飴などを入れる三つの引き出しの箱と、お揃い
>の材質の特注品で(売人の中にも道具に凝った人が何人かいたようです)なかなか、
>豪華なものでしたが、紙芝居の貸元をやめ、家が麻布から目黒に移ってからは、私が
>もらいうけ、人形ケースにしたり、本箱のかわりに使ったり、あげくのはては、押し入れ
>の中に入れておいたりといったぐあいで、いつのまにかわが家から姿を消してしまいま
>した。
>〈略〉いまになれば、なんともったいないことをしたものかと残念でなりませんが、当時
>は低俗なものとレッテルがはられ、学校の先生からも、見てはいけないときびしくいわ
>れていた紙芝居が、父の職業だったということで、なんとなく肩身のせまい思いを(もち
>ろん、父母には言いませんでしたけど)していた私は、家で紙芝居を扱わなくなったこと
>の方がうれしくて、舞台のひとつやふたつ見えなくなっても、なんということもなかったの
>です。


ついでに、唐沢俊一の書いている「幼い頃の彼女の記憶は」以下の文章は無駄にわかり
にくいのだが、元の文章は以下の通り。

『紙芝居のはじまりはじまり』 P.178
> いたみが少ないように、描かれた絵を厚いボール紙にはりつけ、よく乾かしてから、
>表面にニスを塗る、それをまた乾かしてまたニスを塗る。今、その頃のわが家を思い
>返してみますと、天井いっぱいに張りめぐらされた針金の列(この上に、一枚ずつ紙
>芝居を置いていき、下に練炭火鉢をおいて乾かすのです)と、家中に充満していた、
>のりとニスと練炭の混じりあった強烈なにおいが、印象的です。


唐沢俊一の劣化コピーぶりは相変わらずすごくて、原文ではすんなり理解可能な紙芝居
の制作過程が、唐沢俊一の文章では、のりではってからニスを塗るまでの乾かすという
行程がどっかいってしまい、同一行程における天井の針金と練炭火鉢の位置関係も判然
としなくなり、強烈なにおいの元もよくわからなくなっている。


……で、2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) で、右手和子は本当に死亡しているのか
と疑問の声があがっている件について。

11 月 20 日の予定だった「右手和子さんのわくわく紙芝居公演は、中止になりました」と
のみ書かれていて、本人が亡くなったとは書かれていないし、本日 (2011年11月23日)
予定のイベントの出演者に右手和子の名前があったりする。

https://www.library.city.edogawa.tokyo.jp/toshow/event_guide/html/higashikasai.html
>※11月20日(日)に開催を予定しておりました右手和子さんのわくわく紙芝居公演
>は、中止になりました。


http://www.kamishibai.net/view/lecture/index
>第12回手づくり紙芝居コンクール
〈略〉
>入選作の実演審査会・表彰式
> ・ジュニア・一般計13点の実演・各賞決定
> ・おたのしみアトラクション 右手和子氏
>■日程: 2011年11月23日(祝)11:00-16:00
>■会場: 神奈川県立青少年センター2F多目的プラザ


しかし、残念ながら、以下のブログによると、「11月17日 右手和子先生が亡くなられま
した」とのこと。

http://blog.goo.ne.jp/nomarin_0302/e/6db4a2ee8472163961fd5f4f4c3b7c70
>残念なニュースです
>2011-11-20 20:52:32 | 日記
>11月17日 右手和子先生が亡くなられました。
>荒木文子さんから連絡があったのですが、しばらく声が出せませんでした。
>入院される10日ほど前に電話したときはいつもと変わらないお声だったので安心して
>いました。
>10月31日に入院されたとのこと。
>もうびっくりとしか言いようがありません。
>がっくり来ました。
>かけがえのない人を失ってしまいました。
>右手先生の代わりをできる人は誰もいません。
>これから、もっともっと紙芝居の演じ手を増やしていきたいと思っている私にとっては
>大打撃です。
>右手先生の紙芝居の演じ手へのアドバイスは本当に見事で、的確で、暖かでした。
〈略〉
>11月19日
>子どもの文化研究所で開かれた「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」に参加しました。
>日帰りで行ってきました。
>予定ではスペシャルゲストとして右手和子先生の実演披露でした。
>でも、先生が入院されるときに「のまさんにお願いして」とおっしゃったそうです。
>それでこの日は右手先生の代役として実演させていただきました。


上でいっている「子どもの文化研究所」の「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」だが、
国際こども図書館の「国内の研修・講座情報」ページには、今も「講師 右手和子」の
名前がある。

http://www.kodomo.go.jp/study/training/index.html
>子どもの文化研究所フォーラム 紙芝居の可能性を考える:第2回 メディアとしての
>文化性・教育性を考える
>開催日 2011年11月19日(土)
>開催地 東京都 ・ 財団法人文民教育協会ホール
>講師 右手和子、片岡輝(子どもの文化研究所所長)、石山幸弘(茨城大学講師)ほか
>連絡先 子どもの文化研究所


「子どもの文化研究所フォーラム 紙芝居の可能性を考える...」のリンクをクリックすると、
以下のページが表示される。

http://www.kodomonobunnka.or.jp/kamishibai/kamishibaiforam.htm
>第2回11月19日(土)
> テーマ メディアとしての文化性・教育性を考える
>★スペシャルゲスト 実演披露
> ◆スピーカー
> ・紙芝居は場の文化である。紙芝居の魅力を追う
>                       片岡輝(子どもの文化研究所々長)
> ・紙芝居史と紙芝居の多数の論文から考えられること
>                       石山幸弘(茨城大学講師)
> ・文化の視点から紙芝居の課題を考える
>                        堀田穣(京都学園大学教授)
> ・紙芝居が育てるもの        阿部明子(東京家政大学名誉教授)


>第3回1月21日(土)
> テーマ 街頭紙芝居を現代的視点から捉え直し、何を学ぶかる
>★スペシャルゲスト 梅田佳声さんの実演披露 


つまり、「2011年11月19日(土)」の「第2回」が右手和子出演予定で、来年の 1 月 21 日
の「第3回」に梅田佳声が出演予定ということで。それで、唐沢俊一のいう「梅田佳声先生
より右手和子氏死去の報せがあった」というのに納得がいったような気が。

なにしろ最初に唐沢俊一の文章を読んだ時点では、「彼女の父親は理想主義者であり、
戦後、子供たちの人気を集めるためならと、どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街
頭紙芝居師(売人)たちの語りに我慢できなくなり」に、「街頭紙芝居は現在、そのストー
リィや発想の融通無碍さが面白がられ、また、昭和の風俗としてよくテレビや映画に登場
する。だが、教育紙芝居は地味な存在であり、情操教育にとり重要なものでありながら、
注目されるところ、語られるところが極めて少ない」をついつい真に受けて、街頭紙芝居を
俗悪と見下す教育紙芝居の関係者、注目されない語られない教育紙芝居を無視する
街頭紙芝居の関係者という対立構造を想像 (妄想) してしまったりしたのだ。

なのになぜ、街頭紙芝居の梅田佳声が――と意外に思ってしまうくらいだったのだが、
唐沢俊一の書いていることはデマみたいなものと受け流しさえすれば、別に不思議に思う
必要もない。街頭紙芝居の演じ手と教育紙芝居の演じ手は、敵対関係にあるわけでも、
まったく交流がないわけでもないようだ。

http://kamicomi.exblog.jp/7473827/
>本日は東京から来られた右手和子さんの公演がありました。
>私達の行なっている「街頭紙芝居」とは違い、「印刷紙芝居」と言われる紙芝居の公演
>です。街角にやってくる紙芝居のおっちゃんではなく、幼稚園などで先生が上演する紙
>芝居…と言えば、わかりやすいでしょうか?私達が普段使用する自転車に据え付けて
>いる舞台ではなく、マイ舞台を持参しての公演です。

>いつも、私達が目にするものとは違う紙芝居。それはもう私はウキウキでした。
>絵の力を最大限に活かし、静かで、時に声が体に心地よく染みる世界。
>何かと学ぶものも多くありました。

>本当は今日は私達一座の公演は無い予定だったのですが、海外からのお客様が
>来られ、急遽公演をしました。黄金バットでハハハと笑う。
>笑い声は万国共通と改めて感じたしだいです。


そうでなくても、唐沢俊一の、「だが、教育紙芝居は地味な存在であり、〈略〉注目される
ところ、語られるところが極めて少ない」は、なぜわざわざ右手和子の訃報に際してこんな
ことを……というのを抜きにしても、強引な過小評価ではないかと思う。

今回、少しググっただけでも、右手和子は月に何回かのペースで、イベントや講演に参加
していた印象で、本当に「注目されるところ、語られるところが極めて少ない」分野ならば、
そんなことが可能かと思う。

2ちゃんねるのスレでも話題になったけど (Read More 参照)、唐沢俊一の年代で既に
街頭紙芝居に直に接したことのある子どもの率がそう多かったとは思えない一方、教育
紙芝居の方は、小学校に印刷された紙芝居のある率は高かったのではないかと思うの
だけど……。いや、もちろん、街頭紙芝居の方を、比較して貶したいというわけでは決して
ないんだけど。

また、『紙芝居のはじまりはじまり』や『紙芝居をつくる』を見ると、「そのストーリィや発想
の融通無碍さ」は何も街頭紙芝居の専売特許ではなく、教育紙芝居をふくめた紙芝居
全般の特長ではないかと思える。双方向性の面白さや、ひとりでできるなどの利点と同じ
ような感じで。

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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2011.11.20 (Sun)

「ニュートリノ並の速さで追討する男」

http://www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

イベント
2011年11月19日投稿
イメージを変えた人【訃報 右手和子】

梅田佳声先生より右手和子氏死去の報せがあった(年齢、享年等未確認)。

教育紙芝居の研究・実演の第一人者。
教育紙芝居とは、手書きによる絵を基本とした街頭紙芝居に対し、
印刷物になったもので、保育園、幼稚園、学校などで演じられるもの。
そのぬくもりのある温かい話術での実演を生前に聞いたのは一度きり
だったが、耳の底にいまもじんわりと心地よい感じが残っている。
父親が紙芝居の貸し元であったことが彼女をこの世界に入らせたことも
あり、父の世代の遺産である紙芝居を日本の文化として残し、
また若い世代に伝えていくことをライフワークとしていた。

……とはいえ、一般の人にとり、右手(うて)和子と言えば
1967年に放映されたアニメ『悟空の大冒険』の主役、悟空を演じた
声優として知られているだろう。過激でシュールなギャグ、スピード感
あふれる展開、ユニークすぎるキャラクターたちの大暴れで、
4年続いた人気作品『鉄腕アトム』の後を継ぎながら、その斬新さに
当時の子供たちがついてゆけず、わずか9ヶ月で打ち切られてしまった。
右手和子はそれ以外はほぼ、声優の仕事をしていない。
しかし、その印象の強烈さはちょっとなかった。

アトムの最終回で、悟空へのバトンタッチという意味もあって、最後の
御茶ノ水博士の挨拶のあと、悟空が登場。
「おいら悟空、よろしく。じゃ、予告編見てくれよな……えっ、まだ
アトムの時間だって? ケチケチするなよ、めんどくせえ……ワン、ゼロ、
ドカーン!」
と、アトムに化けて、
「みなさん、長いこと僕の活躍を見てくださってありがとう……」
と挨拶(声はオリジナルの清水マリ)し、悟空にもどって
「カッコいいんだから、見てくれよな!」
と、アトムが生死不明になってしまう最終回の湿っぽさを一瞬にして
払拭してしまった。そのガラッパチな声としゃべり方は、それまでの
上品な虫プロアニメではついぞなかったキャラクターだった。

本業が紙芝居である彼女がアニメの声優に抜擢されたのは、杉井ギサブロー
氏をはじめとする製作スタッフが、これまでの虫プロアニメのイメージを
一変させよう、と謀ったためだったろう。ちゃきちゃきの江戸っ子だった
右手氏の抜擢はそのイメージの改変にぴったりだった。

http://megalodon.jp/2011-1119-2308-28/www.tobunken.com/news/news20111119113248.html

「年齢、享年等未確認」には、さすがに驚いたというか……。2ちゃんねるのスレ (Read
More
参照) では、「ついに『報道より早く追討!』の域にまで達しましたかw」、「締切に終
われてるんじゃねえんだから、確認してから書けよw」にはじまり、「光より速く追討をする
男 【訃報 唐沢俊一】」とか、「ニュートリノ並の速さで追討する男 【訃報 唐沢俊一】」
とか、突っ込まれ放題。

そもそも右手和子の生年月日を把握していないから、「年齢、享年等未確認」ということを
書くハメになるんだよねえ……少し前の「ダイアン・シレントの生年月日には諸説あるわけ
ではない
」の件とちょっと似ているけど、悪い意味でパワーアップしている。

んで、2ちゃんねるのスレに書き込まれた情報をもとにするならば、右手和子の生年月日
は 1929 年 2 月 4 日 (知泉 wiki より) で、82 歳。つい 1 ヵ月前に、「右手和子さんによる
紙芝居」を見にいったとブログに書いている人もいる。

http://tisen.jp/hbd/query.php?KeyDate=&KeyName=%B1%A6%BC%EA%CF%C2%BB%D2&Key
>誕生日    名前  (年齢, 没年) <死因 肩書き/分野 [血液型] 本名
>1929/02/04 右手和子 (82) 紙芝居・声優
>         東京都▽舞台芸術学院
>         ※アニメ『悟空の大冒険』悟空役


http://yukoko.at.webry.info/201110/article_3.html
>家の近くにある視覚障がい者の作業所で行われた「右手和子さんによる紙芝居」を観
>に行きました。昔から知っている方ですが82歳とは知りませんでした。彼女は声優で紙
>芝居研究家、年齢を感じさせない昔と変わらぬ素晴らしい紙芝居でした。


それにしても不思議なのは、唐沢俊一は右手和子の著書『紙芝居のはじまりはじまり』
の内容紹介もしているのに、「年齢、享年等未確認」としていること。『紙芝居のはじまり
はじまり』という本には、著者プロフィールに生年月日は載っていなかったのだろうか。

スレの方には、「右手和子さんが本日、脳梗塞で亡くなった」というツイートも紹介されて
いたけど、こちらはうまく検索できなかった。唐沢俊一の書いているように梅田佳声からの
情報ならば、まるきりのデマとも思いにくいけど、本当に亡くなっているのかどうかは、まだ
よくわからない。


で、唐沢俊一が、『悟空の大冒険』のことを、「その斬新さに当時の子供たちがついて
ゆけず」とか書いていたのには、読んでいて違和感があったのだけど、これはスレで
指摘のあった通り (Read More 参照)、Wikipedia の「時代を先取りしすぎた部分もあり」を
唐沢俊一が勝手な脳内変換を加えて劣化コピーしたものと考えれば納得がいく。

http://ja.wikipedia.org/wiki/悟空の大冒険
>劇中の各キャラクターの"大げさな表現"は時代を先取りしすぎた部分もあり、3年間続
>いた「アトム」の後番組にもかかわらず、9か月(39話)で放映を終了した。


自分がリアルタイムで見ていた記憶では、元の『西遊記』と比べて斬新とか感じることが
できるほど『西遊記』自体についての知識はなかったし (それどころか、生まれてはじめて
ふれた『西遊記』ものだったかも)、「子供たちがついてゆけず」というような作品だったら、
「PTAから大批判」されなくてもすんだのではないかという気もする。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000A5HLSE
>生まれついてのアウトロー、悟空が三蔵法師と天竺に向かう途中妖怪達と戦う。
>シュールなギャグを連発し、PTAから大批判を受けた新感覚作品。



ただまあ、唐沢俊一も、Wikipedia の「悟空の大冒険」の記述を劣化コピーするだけでは
なく、「3年間続いた『アトム』」というのを「4年続いた人気作品」に訂正しているし、「アト
ムの最終回で、悟空へのバトンタッチ」というのもガセではない模様。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム_(アニメ第1作)
>フジテレビ系列にて、1963年1月1日から1966年12月31日まで放送。

http://f1.aaa.livedoor.jp/~monokuro/w3.htm
>鉄腕アトムの最終回に悟空が出て来て番組宣伝をするという
>面白い場面がLDなどで現在も見られます。


http://blogs.yahoo.co.jp/hancoin00/20930345.html
>第1話放送の1週前、鉄腕アトムの最終回のラストで悟空が登場して、告知するんです
>よね。
>モノクロの映像はこれが唯一かな?


http://www.amazon.co.jp/dp/product-description/B0000UN3Z4
>悟空の大冒険 DVD-BOX
>右手和子 (出演), 増山江威子 (出演) | 形式: DVD
〈略〉
>映像特典も魅力的で、幻のパイロット・フィルムや未放映分を収めている。なかでも
>『鉄腕アトム』の最終話のエンディングで行なわれた、アトムから悟空へのバトンタッチ
>(昔はしばしば行なわれていた手法)は一見の価値あり。



しかし、「そのガラッパチな声としゃべり方は、それまでの上品な虫プロアニメではついぞ
なかったキャラクター」に、「これまでの虫プロアニメのイメージを一変させよう、と謀った
ためだったろう。ちゃきちゃきの江戸っ子だった右手氏の抜擢はそのイメージの改変に
ぴったり」には、どうしても違和感が……。

主人公のキャラがだいぶ違うという主張ならともかく、唐沢俊一はまるで、「ガラッパチな
声としゃべり方」で「ちゃきちゃきの江戸っ子」が、(主人公限定というわけではなく) 「それ
までの上品な虫プロアニメではついぞなかったキャラクター」と書いているみたいで、では
ヒゲオヤジとかはどうなるんだろうと思ってしまうわけで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム
>ヒゲオヤジ
>本名、伴俊作(ばん しゅんさく)。アトムの通うお茶の水小学校の先生。元私立探偵。
>お茶の水博士とも親しく、アトムの良き理解者。江戸っ子で、卑怯な事が大嫌い。


http://ja.wikipedia.org/wiki/鉄腕アトム_(アニメ第1作)
>ヒゲオヤジ:矢島正明、和田文雄

追記: 編集ミスで飛んでいた段落を戻しました。


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2011.11.13 (Sun)

京本政樹の登場する裏モノ日記 (2)

裏モノ日記 2002年 07月 25日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html

 ネット巡回。昨日の青山智樹氏、やはり酔っての書き込みだったか、
Oさんのところで謝っていた。氏のところの日記も、読んで脱力するばかり
で、今更、何を言うこともない。が、ハマコンにゲストで来た京本政樹の
ことに触れていて、ちょっとニヤリとする。これもどうしようもない想い出だ
が、あのとき、彼をゲストに呼んだのは私なのであった。……あの年の春、
京本氏は自分の監督・主演ビデオである『髑髏戦士スカルソルジャー』を
撮っていて、潮さんが京本氏の扮する主人公の従者という大役で出ずっぱり
だったこともあり、私も毎日、撮影現場に出かけていた。単に潮さんの健康
状態を気遣っての様子見だったが、いつのまにか京本氏がやけにこちらに
親しく話しかけてくるようになり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品
をマスコ ミに宣伝させようと踏んでいるらしかった。

 それは、もしこの作品が売れれば次の仕事にも関わってくることでもあり、
私に断る理由はなかった。少なくとも私の口利きで、このビデオのマンガ化
作品が徳間書店『少年キャプテン』と秋田書店『ホラーハウス』の二誌に
載り、夕刊フジになをきが撮影所訪問記を描いた。まともなルートを通せば
それなりの金が必要なもので、宣伝費としてみればかなりのものを京本氏
は浮かしたことになる。で、それに加え、京本氏は、ビデオとしては異例の
ことだが、どうしても完成試写をどこか大きなホールを借りてやりたい、と
言い出した。それも、タダで。この作品のプロデューサーは当時京本氏が
在籍していたAというプロダクション(今でもそこなのかも知れないが)、
そしてKという中堅のビデオ製作会社で、どちらも別企画で京本政樹ほしさ
に、この作品を彼が監督したい、というわがままをきいてやっているようで
(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!”
と、私をオタクとも知らずにささやいた)、そんな宣伝費はとても出してくれ
そうになかったのだ。なら京本氏が自腹を切ればとも思ったが、氏はその頃、
再婚準備に忙しく、あまりこっちに回 せる金もなかったようだった。金がない
のはこっちも同様である。
〈略〉
「ありますよ、最高の会場!」
 私は『ガメラ・大怪獣空中決戦』の中山忍のように叫んだ。“しかも、
宣伝も客集めも、何にも心配ないところが!”と。さっそくその晩、実行
委員会に電話をして、企画をツッコンだ。潮さんはすでに地獄大使ショー、
平山亨氏との対談、という企画で出演が決まっていたが、それに加えて
京本政樹、黒部進という豪華ゲストが来るとなれば、向こうに否やがある
わけもない。みなとみらいのホールを使ってスカルソルジャー上映プラス
座談会を企画しましょう、と即決が下った(黒部氏はK社の方で責任を
持って呼ぶ、ということだったが、後で確認したらちょうどその時期は
アフリカ旅行の最中で、ということでNGになった)。これが確かその年
の5月ごろのことである。プログレスレポートにも京本氏の名前が載り、
K社、Aプロからは大感謝されたし、こちらも面目を保てた上に豪華な
企画も実現できて、いい気分であった。

 ……ところが、大会開催間際の7月末になって、Aプロから横やりが
入った。“作品の上映はかまわないが、京本がそこに行ってトークショーを
するということになると、これは仕事が発生することになる。ギャラを出して
くれないと困る”と、言うのである。冗談ではない。トークショーの件は最初
から話しているし、大体、自分の映画の試写に監督が行って挨拶なり、
なんらかの話をするのは業界の慣例ではないか。Aプロの社長と私は談判
したが話は平行線であり、しかも、“実はその日はすでに次の作品の撮影が
始まっており、京本は京都にいる。横浜の会に出演するのは無理だ”と
言いだした。……つまり、この京都での作品に京本氏の出演をOKさせる
ために、Aプロは『スカルソルジャー』に金を出したのであり、釣った魚に
これ以上エサをやることはない、という態度だったのである。K社にも話して
みたが、他の作品のことに関してはこちらも口を出せない、と困惑した様子。
で、最終的に京本氏自身と話して見ると、彼の方では“ぜひ、試写会には
出たい。ボクの責任で出ます!”と力強い返事であり、調べたところ、スケ
ジュールは何とか都合がつけられ、その日の朝の撮影が終わってすぐ、
新幹線で横浜に来て、試写、トークをすませ、トンボ帰りで京都に帰れば
OKである、と言ってくれた。私は面目をつぶさずにホッとして、ああ、やはり
情熱がある人物は違ったものだ、と、彼をちょっと尊敬する気持ちにすら
なったものである。……次の一言を聞くまでは。
「で、当然、新幹線の代金はカラサワさんの方で出してくれますね?」

謀られたようなものである。K社の企画担当である女性の方を見たら、彼女
は申し訳なさそうな顔で、“本来、うちで出さねばならないものなんでしょうが
……”とだけ言った。すでに京本氏の意向で通常以上のポスターやチラシ、
立て看を作り、これ以上は宣伝費は出せないようだった。しかも相手は潮さん
という人質をとっている。ここでもう一度話をこじらせてどうこう、という気力も
私には残っていなかった。 
〈略〉
K社の宣伝担当さんは帰り際、深々と頭を下げて、“今回は本当にご迷惑
をおかけしました。今後、カラサワさんとはお仕事上でいろいろおつきあい
をお願いしますので……”と言ってくれて、私は、これで少なくとも、新刊線
代を無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた(もっとも、あとでお笑いビデオの
企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、苦しくて新しい企画とか、
やれないんですよね~”と、掌を返したような態度だったのには呆れ返った。
今でもこのときの件に関し、京本政樹をうらむ気持ちはあまりないが、この
女性に対する印象はかなり悪い)。


×『ホラーハウス』 ○『サスペリア』

本当はコレクターではなかった京本政樹 (1)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (2)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (3)

ときて、

京本政樹の登場する裏モノ日記

の方は、「新刊線代」と「ベトセラー作家」の小ネタで終わりにするつもりだったんだけど、
これコメント欄に、いろいろ書き込まれたり書き込んだりしたので、続きみたいなものを。

上に引用した裏モノ日記は、以前「唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月
について
」のエントリーに一部引用したことがあって、そのときも「いつのまにか京本氏が
やけにこちらに親しく話しかけてくるようになり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品
をマスコミに宣伝させようと踏んでいるらしかった」のあたりの記述には、少し引っかかって
はいた。

京本政樹が唐沢俊一に「親しく話しかけて」きたのは本当だと仮定するとして、それを
「やけにこちらに」とか、「マスコミに宣伝させようと踏んでいるらしかった」とか、悪意を
感じさせる枝葉をくっつけて表現する様子に、唐沢俊一という人は厄介な人なんだなあと
思ったため。

イッセー尾形のときは、「森田氏は私に冷淡だった。観客とケンカするなどもってのほか、
彼らは金を払って来てくれているのだぞと、口にこそしなかったが、表情がそれを語ってい
た。私は裏切られたと思った。逆上した。イッセーは何も言わなかったが、言わないことも
また裏切りだった」だったので、うわっ扱いが難しい人なのだなと思った (ここを参照) が、
「親しく話しかけ」たらよいという話でもないらしい。

しかも、唐沢俊一の言い分を信用するとしても、京本政樹の求めたのは、『髑髏戦士ザ・
スカルソルジャー 復讐の美学』という作品の宣伝である。ここのコメント欄に書いたことの
繰り返しになるが、この作品は唐沢俊一自身、「潮さんが京本氏の扮する主人公の従者
という大役で出ずっぱりだった」と書いている。なのに、他人の京本政樹のために宣伝し
てやったといわんばかりの恩着せがましさは何なのだろう……。

上に引用した 2002 年の裏モノ日記には、「単に潮さんの健康状態を気遣っての様子見
だった」としか書かれていないので、取りようによってはまるで善意のボランティアのみの
「私も毎日、撮影現場に出かけていた」みたいにも見えるが、ここにも一部引用したことの
ある 2007 年の日記には、「京本政樹監督・主演のVシネマ『髑髏戦士スカルソルジャー』
という作品に潮健児のマネージャーとして参加した」と書いてある (魚拓)。また、2000 年
の裏モノ日記
で唐沢俊一は、「私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、
仕方のないことであった」とも書いている (ここも参照)。

つまり、唐沢俊一は当時、潮健児のマネージャでもあり、所属プロダクションの社長でも
あったということだ。その潮健児が「出ずっぱり」で、キャストとしても主演の京本政樹の
次にクレジットされているような『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』という作品。何も京本
政樹にどうのこうのと促されなくても、自分のもつ伝手を駆使して宣伝につとめたとしても
バチはあたらないだろうと思うのだが……素人考えだといわれればそれまでだけど。

http://bclassmovie.blog38.fc2.com/blog-entry-204.html
>キャスト 京本政樹、潮健児、浜田朱里、繁田知里、桑田健作

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=86091
>京本政樹  鳴海達也/スカルソルジャー
>潮健児    ガジャ
>本田博太郎 伯牙天慌(友情出演)
>浜田朱里  伯牙澪
>繁田知里
>長門裕之  沢本(友情出演)
>黒部進   宗方(友情出演)
>森田健作  (特別友情出演)
>横山ノック  (特別友情出演)
>龍虎     (友情出演)

〈以下略〉

さらに気になるのは、「もしこの作品が売れれば次の仕事にも関わってくることでもあり、
私に断る理由はなかった」と唐沢俊一は書いているが、その「次の仕事」とは誰の仕事
のことか、潮健児なのか唐沢俊一なのか。

「これで少なくとも、新刊線代 (原文ママ) を無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた」と、
「企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、〈略〉掌を返したような態度だったのには呆れ返っ
た」というのを見ると、潮健児ではなく自分の売り込みにのみ必死だったのではないかと
いう感じ。


で、唐沢俊一によると、「まともなルートを通せばそれなりの金が必要なもので、宣伝費と
してみればかなりのものを京本氏は浮かしたことになる」とのことである。

潮健児がどうこうというのはおいておくことにして、とにかく唐沢俊一は、「徳間書店『少年
キャプテン』と秋田書店『ホラーハウス』の二誌に載り、夕刊フジになをきが撮影所訪問記
を描いた」のは、「私の口利きで」とのみ主張する。

しかし、「徳間書店『少年キャプテン』」とくれば、唐沢なをきのコネではなかったのかと
思ってしまうのだが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/唐沢なをき
>徳間書店の『ハイパーゾーン』に持ち込んだのをきっかけに『月刊少年キャプテン』から
>読切の仕事を貰う[3][21]。それ以後、連載も増えて順調に仕事を続けられるようにな
>り、20年以上精力的に執筆している。


唐沢俊一が徳間書店から出した単著は 1990 年の『ようこそ、カラサワ薬局へ』の 1 冊
のみ。あとは唐沢なをきとの共著が 1 冊あるが、それは 2007 年の出版で、1992 年の
『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』から 15 年も経ってからのことである。

http://uwasano3.web.fc2.com/karasawa-syunnichi-tyo.html
>『トリビア兄弟の本当にあった悪趣味な話(Tokuma favorite comics) 』 唐沢俊一、
>唐沢なをき(徳間書店)2007/03 \400 紀伊國屋 amazon
〈略〉
>『ようこそ、カラサワ薬局へ(Tokuma books) ちょっとあぶないクスリ通になる、まち
>の薬局完全攻略』唐沢俊一(徳間書店) 1990/02


「秋田書店」の方も、唐沢なをきの方ならばコネがあっただろうと思われる。1992 年に
コミックスを秋田書店から出しているし。で、この漫画は唐沢なをきの単著のようで、
唐沢商会とか唐沢俊一の原作ものではない模様。

http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0192179878
>鉄鋼無敵科学大魔號
>テツコウ ムテキ カガク ダイマゴウ
>少年チャンピオン・コミックス
>唐沢 なをき 著  出版社 秋田書店
〈略〉
>ジャンル コミック
>発行年月 1992年04月


その他参考 (?):
http://www.uoo.ne.jp/archives/2007/06/uma1.html
>『世界の怪獣』(中岡俊哉・著/秋田書店刊)も肌身離さず持ってましたしね。

一方、唐沢俊一の方はというと、「秋田書店 唐沢俊一」でググってみたら、何とトップに
うちのブログの「明るい光のなかにいた人だと思います<和田慎二 (2)」がきてしまった
くらいのもので……唐沢なをき抜きでの、秋田書店とのつながりはあまりなかったのでは
ないかと思われる。

ええと、そして、唐沢俊一の伝手にしても唐沢なをきの伝手にしても、「秋田書店『ホラー
ハウス』」というのは、たぶん何かの間違い。『ホラーハウス』という雑誌を発行していたの
は大陸書房で、秋田書店から出ていたホラー漫画雑誌は『サスペリア』だから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ホラーハウス
>・大陸書房より発行されていたホラー漫画雑誌。

掲載は『ホラーハウス』で、「秋田書店」というのが唐沢俊一の間違いという可能性も一応
考えたけど、1992年6月頃の休刊なら、『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』の掲載する前に
なくなっていた雑誌ということになりそうだし。

http://gensou-japan.g.hatena.ne.jp/alisato/20070419/p1
>創刊:1986年 『サスペリア』(秋田書店)    休刊:
〈略〉
>創刊:1986年 『ホラーハウス』(大陸書房)   休刊:1992年6月?


なので、上の方には「×『ホラーハウス』 ○『サスペリア』」と書いた。しかし、本当に
当時の『サスペリア』が掲載誌だったかどうかは裏が取れなかった。情報をもっている
方がいたら、よろしく (←おい)。

その他参考 (?):
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-570.html
>唐沢さんの嘘には、もううんざりです。
>何でも自分の手柄にしないでください。

>同じ道民として恥ずかしいです。



それから、コメント欄で、京本政樹はずっと自分が社長の個人事務所ではなかったのか、
Aプロとは何だろうとか書いていたら、「Aがイニシャルだとすれば『愛企画』ではないかと
思います」という情報をいただいた。

唐沢俊一に「(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!”
と、私をオタクとも知らずにささやいた)」と書かれてしまった――唐沢俊一のことだから、
話をつくっているんじゃないかという気がしてたまらないけど――「女性社長」というのは、
この人↓のことになるだろうか。

http://ameblo.jp/ai-kikaku/theme-10010034421.html
>社名:株式会社愛企画
>代表取締役社長:吉川 愛美


確かに、プロデューサーとして名前のあがっているひとりではある。

http://www.yesasia.com/global/1004847228-0-0-0-ja/info.html
>髑髏戦士 ザ・スカルソルジャー 復讐の美学
〈略〉
>京本政樹(製作総指揮) | 浅賀孝郎(プロデューサー) | 吉川愛美(プロデューサー) |
>中川節子(プロデューサー)


ただし、唐沢俊一の書いているように「この作品のプロデューサーは当時京本氏が在籍
していたAというプロダクション」といえるかどうかは疑問に思う。3 人のうちの残り 2 人は
愛企画の人ではないみたいなので。
浅賀孝郎: http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=129928
中川節子: http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=258986

また、京本政樹の自伝『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』の記述によると、「当時京本
氏が在籍していた」のは「オフィス斬」というところのようだ――という問題もある。

『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.180
> この頃、ボクは自分の事務所経営に悩むようになった。反対を押し切って独立し、
>まったく自分ひとりの力でここまでの道を切り開いてきたが、そろそろ会社の経営は
>誰か別のヒトに任せて俳優業に専念したかった。そのことをあるプロデューサーに
>話したら、適任者を紹介してくれた。現在、ボクが所属するプロダクションの社長である
>湯山雄介氏である。それ以後、ボクが個人的にやりたい企画プロデュース(フィギュア
>の制作など)は従来通りの個人事務所『京本オフィス』で行い、俳優、京本政樹の
>マネジメントは湯山社長率いる『オフィス斬』で行うというスタイルが確立された。


上でいう「この頃」というのは京本政樹の初の座長公演の頃だから 1988 年。それから
自伝が出版された 2001 年までは上記体勢とのことなら、1992 年の所属プロダクション
は『オフィス斬』だったのではないかと。

それと、興味深く思ったのは、京本政樹の自伝には、『スカルソルジャー』では京本政樹
自身が「プロデューサーも兼ねているので制作予算を握って」いた、「細かい予算管理に
までアタマを悩ませた」と書かれていること。

『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.190
> 実際に撮影に入ると、ひとりですべてをやるのはものすごく大変だった。作品のディレ
>クションだけでなく、プロデューサーも兼ねているので制作予算を握っている。クリエイ
>ティヴの頭脳とお金勘定の頭脳を同時に使わねばならない。夜中に突然、助監督から
>電話がかかってきて「注文していた看板ですが、3文字だと○○○○円、4文字だと
>○○○○円だそうです。どっちにしますか?」などと相談されたりするなど、細かい予算
>管理にまでアタマを悩ませた。


『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.191
>ロケハンなども含めた監督業務から主演、撮影後の編集、音楽制作、それから予算管
>理やキャスティングに至るまで何から何までやったので、まさに3ヵ月間、不眠不休に
>近い状態だった。そりゃそうだろう。通常なら分業されていて、それでも大変なひとつひ
>とつの仕事を全部ひとりでやるわけだから。満足感もひとしおだったが、やることが多す
>ぎた。さらに、予算も少なかったので気分的には3ヵ月、タダ働きした気分である(たぶ
>ん時給に換算すると1時間50円くらいだったんじゃないだろうか?)。まあ、自分のやり
>たかったことだから仕方ないが、正直いって疲れてしまった。そして、3ヵ月の貴重な経
>験により、ある結論を得た。
>「本当にオレがやりたいことは役者業なんだ」


これについては、唐沢俊一の書いている、「すでに京本氏の意向で通常以上のポスター
やチラシ、立て看を作り」と、話が一致しているのかもなあと思った。「通常以上の」という
のが正しいかどうかは別にして。


で、「“実はその日はすでに次の作品の撮影が始まっており、京本は京都にいる。横浜の
会に出演するのは無理だ”」とか、「この京都での作品に京本氏の出演をOKさせるため
に、Aプロは『スカルソルジャー』に金を出したのであり、釣った魚にこれ以上エサをやる
ことはない、という態度だった」とかについては、そもそも該当する作品があるのか疑問に
思ったが、これは『痛快時代劇スペシャル 勢揃い清水一家・次郎長売り出す』または
『大型時代劇スペシャル 新撰組・池田屋の血糊』のことと考えてよいのだろうか。

京本政樹の自伝『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 (P.244) では、「1992▼ドラマ」は
以下の通り。

>~3/27 東京 大江戸捜査網2                         秋草新十郎 
>9/29  日本 痛快時代劇スペシャル 勢揃い清水一家・次郎長売り出す 追分三五郎
>10/2  TBS 大型時代劇スペシャル 新撰組・池田屋の血糊       長倉新八


P.245 の『映画』が以下の通りとなる。(どちらも「備考」欄は省略)。

>9/26  KSS 髑髏戦士ザ・スカルソルジャー 復讐の美学 (Vシネマ)   鳴海達也
>11/7~ 森田フィルムズ 当選確実                      科捜研役


『当選確実』の方は京都で撮影ではなさそうだし、9 月末や 10 月はじめに放映される
テレビ番組の撮影が、SF 大会のある 8 月上旬からはじまるものかは、わからないのだ
けれど……。

ただまあ、上に書いてあることにより、唐沢俊一いうところの「Kという中堅のビデオ製作
会社」は、判明したような。KSS というのが、それ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ケイエスエス
>株式会社ケイエスエス (KSS Inc.) は、オリジナルビデオ(Vシネマ)・美少女系アニメを
>製作する映像コンテンツ制作事業社。一時期PC用家庭用ゲームも制作していた。他に
>も出版事業や音楽事業、ポストプロダクション事業も手掛けていた。現在は休眠会社で
>ある。


唐沢俊一相手には、「お笑いビデオの企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、
苦しくて新しい企画とか、やれないんですよね~”と、掌を返したような態度」だったとの
ことだが、京本政樹相手には、後で別の仕事をいっしょにしたりしているようである。まあ、
比較するだけ失礼な話かもしれないが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/京本政樹
>・行動隊長伝・血盟(2003年、KSS) - 石津勝利 役
〈略〉
>・まるで悲しみが雨のように口づける…(1998年、KSS、映画『修羅之介斬魔剣~妖魔
> 伝説~』主題歌)
〈略〉
>・LOVE IS ALL(1998年、KSS)



ええと、それから、こちらのコメント欄には、「1990 年代前半の京本政樹とは、唐沢俊一
および彼と同系統同クラスのライターたちにとって、モロ商売仇であったかもしれません。
それで一方的に妬まれ恨まれている可能性もあるかと思えてきました。」なんて書いて
みたりもしたけど、この件については、機会があったら、また。

http://www.amazon.co.jp/dp/489189234X
>京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)

http://www.amazon.co.jp/dp/4575290092/
>HERO交友録 [単行本]

http://www.amazon.co.jp/dp/4522215118/
>超ウルトラ雑学クイズ―ウルトラ戦士が出題する常識・雑学問題115 [単行本]

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2011.11.06 (Sun)

京本政樹の登場する裏モノ日記

裏モノ日記 2002年 07月 25日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html

で、最終的に京本氏自身と話して見ると、彼の方では“ぜひ、試写会には
出たい。ボクの責任で出ます!”と力強い返事であり、調べたところ、スケ
ジュールは何とか都合がつけられ、その日の朝の撮影が終わってすぐ、
新幹線で横浜に来て、試写、トークをすませ、トンボ帰りで京都に帰れば
OKである、と言ってくれた。私は面目をつぶさずにホッとして、ああ、やはり
情熱がある人物は違ったものだ、と、彼をちょっと尊敬する気持ちにすら
なったものである。……次の一言を聞くまでは。
「で、当然、新幹線の代金はカラサワさんの方で出してくれますね?」
〈略〉
 不思議なもので、怒るというより、むしろこの時は、役者というのはこう
いうものか、と感心してしまったほどだった。別に京本氏に悪意とかズル
賢さとかがあったわけではない。彼はそれを当然のこととして口にしている
のだ。寄席のプロデュースしか経験がなく、色物の芸人さんなど、どんな
大看板でも一人で荷物かついで“おはようございます”と楽屋入りしてくる
姿に慣れている私としては、これはもう世界というか、常識が違うのだ、と
思わざるを得なかった。
〈略〉
K社の宣伝担当さんは帰り際、深々と頭を下げて、“今回は本当にご迷惑を
おかけしました。今後、カラサワさんとはお仕事上でいろいろおつきあいを
お願いしますので……”と言ってくれて、私は、これで少なくとも、新刊線代を
無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた(もっとも、あとでお笑いビデオの企画
を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、苦しくて新しい企画とか、やれ
ないんですよね~”と、掌を返したような態度だったのには呆れ返った。
今でもこのときの件に関し、京本政樹をうらむ気持ちはあまりないが、この
女性に対する印象はかなり悪い)。

http://megalodon.jp/2008-1122-2026-53/www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html

×新刊線代 ○新幹線代

本当はコレクターではなかった京本政樹 (1)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (2)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (3)

の続き……というほどの話でもなく、単なる小ネタ。

こちらコメントがあったのを機に、そういえば裏モノ日記では京本政樹はどういう書かれ方を
していたっけと探してみたけど、登場頻度はあまり高くない。

最初に引用した「新刊線代」w の日の日記は、以前にここコメント欄で、「京本氏の新幹
線代の支払いでグチグチ書いている」とか話題にされていたもの。唐沢俊一が、「寄席の
プロデュースしか経験がなく」と、当時は特撮関係へのコネをもっていなかったらしいことを
白状している (?) のも、この日の日記。

で、今回改めて思ったのは、京都から横浜の新幹線 (新刊線ではない) のグリーン料金
でガタガタいっていた過去をもつ唐沢俊一が、それよりも高額な、東京と札幌の旅費には
何も感じなかったのだろうかということ。

http://okwave.jp/qa/q6680335.html によると、現在の京都から新横浜のグリーン車を
使用したときの料金は 17530円。

一方、「と学会20周年記念札幌講演会の結論→『札幌の楽しみはやはり食べ物』?」を
書いたときに調べたのだけれど、http://rh-guide.com/other/tokyo_hokkaido.html
よると、東京から札幌は:
- JAL・ANAで片道33600円(1時間30分)
- 格安航空でも片道14800円(1時間30分)
- 東北新幹線+在来線で片道約22000円(11時間)

この当時、2ちゃんねるのスレに書き込んでいた「川口友万 ◆ARmTJgnA8Q」によると、
「交通費と宿泊費は主催者持ち。主催者の話はややこしいので勘弁して。」とのことなの
だが……(ここを参照)。

なお、唐沢俊一は、仙台で学生をしていたときに、東京のイッセー尾形のところに通うの
には電車 (インタビュー記事では東北新幹線) を使っていたと語っている (ここを参照) の
だが、こちらは現在価格で片道 1 万円程度。週一で通っていたら、月に 8 万円くらいは
飛んでしまいそうだけど……もっと間を空けて通っていたのだろうか。(←完全に横道)

http://jreast.eki-net.com/tokudane/
>乗車券+特急券(普通車指定席)のセット価格(15 %割引の場合)で、東京→仙台の
>片道10590円が8990円になって、1600円もおトク


いや、いいたいのは、そんなに新幹線代のことを根に持たなくても……ということなんだ
けど。

で、京本政樹の名前の出てくる裏モノ日記には、以下のものもある。

裏モノ日記 2000年 08月 05日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000805000000.html

九二年に、同じ開場で開催されたHAMACONのときは、まだ“と学会”も
なく(このとき企画で行われた日本トンデモ本大賞受賞式の大当たりで、
その夜、中華街でメシを食いながら発作的に発足の運びとなった)、私は
潮健児のトークショーや、内田春菊との対談などをやったSF寄席の企画で
飛び回っていた。潮さんはライダーショーや京本政樹との対談などと元気
満々であり、春菊のマネージャーには大久保さんがちゃんとついてきており、
私はと言えば企画をこなしながらも、伯父が勝手に引退してしまった後の
オノプロの経営に頭を痛めていた。あ れから八年、私自身は変わったのか
相変わらずなのか。
 ゲスト受付をしようとするが、場所がオープニングの開始前と後で移動
する、ちょうどその切り替わり時にあたり、混乱。会場を行ったり来たり
させられ、K子、受付とちょっとモメる。長山靖生さんに会った。パナマに
スーツ(わざわざ洋服屋に“少しダブダブに仕立てて”と注文して、外国製
のものを有り難がって着用している明治の文人をイメージ)姿。今日は横田
順彌さんと対談だが、近くで村井弦斎(明治のベトセラー作家。『食道楽』
など)展があるので、それにも行かねば、と言っていた。他に、タニグチ
リウイチ氏とも名刺交換。
〈略〉
 会場各所でサイン多々。例の唐沢総受け本を持ってきた人もいた。ただし、
これは以前のコミケでサインした物件で、私は冬コミでこの本を持ってこられる
と“受けも責めもOKよ!”とサインしていたのだが(大森望さんの会議室でも
これもらった、と自慢している人がいた)、“カラサワさん、間違ってます。
(責め)ではなく(攻め)です”と、訂正させられる。用語にウルサイのはオタク
の基本か。

http://megalodon.jp/2008-1220-1713-24/www.tobunken.com/diary/diary20000805000000.html

×京本政樹との対談 ○平山亨との対談
×ベトセラー作家 ○ベストセラー作家

村井弦斎は、ベストセラー作家であって、「ベトセラー作家」ではないだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/村井弦斎
>その中の『食道楽』(しょくどうらく)は、明治時代、徳冨蘆花の『不如帰』と並んで最も
>よく読まれ、小説でありながら、その筋のあちこちに600種以上の四季折々の料理や食
>材の話題が盛り込まれており、『美味しんぼ』や『クッキングパパ』などのグルメコミック
>の先駆けともいうべき作品である。ベストセラー作品として文学史的な評価も高い。


で、「(責め)ではなく(攻め)です」てのも、「用語にウルサイのはオタクの基本」だとか
そういう問題ではないような……。確実にいえるのは、パソコンの誤変換に頼らなくても、
手書きでもこの手の間違いをするのが唐沢俊一だ――ということである。

それはともかく、1992 年の SF 大会で、潮健児が対談した相手は、京本政樹ではなく
平山亨だろう――というのは、以前「唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月
について
」というエントリーに書いた通りである。

そうでないと、文庫版『星を喰った男』に収録されている対談は、あれは何だということに
なってしまうので……。その文庫版の方は文庫版の方で、1993 年にHAMACONが開催
されたことになってしまっているというのも、こちらのエントリーに書いた通り。本当に唐沢
俊一の証言というのは、あてにならないというか……。

で、今回、おやっと思ったのは、「タニグチリウイチ氏とも名刺交換」というあたり。これ↓
を書いた人と、直接面識があったのね、と。

http://www.asahi-net.or.jp/~wf9r-tngc/nikko96102.html
>「開運なんでも鑑定団」を見ていると、かの唐沢俊一さんが潮健児お手製の「地獄大使
>のマスク」及び「潮健児イラスト入り洗面器」を持って現れた。ホンモノじゃなくってレプリ
>カとゆーか、遊園地の後アトラクション用ってところが哀しいが、それでも値段は15万
>円になった。さすが地獄大使。死神博士のマントとどっちが高いだろーか。


となると上に引用の文章の信憑性 (「遊園地の後アトラクション用」とか) も、かなりあがる
とみてよいのだろうか。さらには、今はここのコメント欄にしか残っていない、「地獄大使の
マスクは、唐沢俊一氏が所有しているそうです。前に『なんでも鑑定団』にそれを持って」
とかいう、2000 年時点の、2ちゃんねるのスレへの書き込みの信憑性も。

いや何がいいたいかというと、地獄大使関連のものは、2ちゃんねるのスレでの噂では
京本政樹がガメたということにされがちだったけど (ここここここを参照)、これは結局、
本当は唐沢俊一の手元にあったというオチではないかと。まあ、それをいうなら、メフィスト
の帽子もそうかもしれないんだけど。

参考 (こちらの説では、『なんでも鑑定団』に出されたマスクは潮健児の自作)
文庫版の『星を喰った男』には載っていないこと


ええと、何やかやと書いたけれど、唐沢俊一は裏モノ日記で、京本政樹を貶してばかり
というわけでもない。横山ノックの言葉としてだが、以下のような褒め言葉も書いている。

裏モノ日記 2007年 05月 03日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070503214419.html

その後、お仕事を一回だけだがご一緒したことがある(こういう方が
最近、よく亡くなる)。京本政樹監督・主演のVシネマ『髑髏戦士スカル
ソルジャー』という作品に潮健児のマネージャーとして参加したという話
は以前、日記に書いた。
http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html
その作品に、龍虎さん、黒部進さん、ダンプ松本さんなどと一緒に、横山
ノック氏も、主人公たちが住むボロビルの大家という役で特別出演して
いた。92年、参議院選挙で落選して、野にいた時だった。(他にこの作品
には森田健作氏も出ている。後に国会議員になる人、以前国会議員だった
人が出ていたわけだ。無駄に豪華である)。

ワンシーンのみの出演だったが、待ち時間が長く、楽屋で無駄話を
しばらくした。マンガトリオの頃から見てました、と言うと、
「あの頃はえらい人気でした」
と笑っていったが、その後に続けて
「ボクくらい長くやってると、人気なんてもんは屁みたいなもんでとらえどこ
がないっちゅうことがよくわかります。人気におごる若いのが多い中で、
京本クンちゅう人は実に腰が低くて感心や。人気の怖さをようわかってはる
んだと思いますな」
と話してくれた。


2007 年ともなると、新幹線代の恨みも薄らいだせいかもしれないけど。

その他、2002 年の日記に、こういうもの↓もあったが、これはさすがに判断不能としか。

日記 2002年 01月 15日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020115000000.html

心機一転、全寮制の高校に入学して勉強しなおす、という夢。夢という
もの、ストーリィはまあ、意識下のものが形を変えて出てきたという説明で
理解もできるが、その舞台装置にいたってはいったいいかなる意味がある
のか、判断しようがないものが多い。今日の夢でも、その寮の食堂という
のが、暗い中にテーブルが一列に数十メートルもの長さに並べられて、
鏡製のふすまのような仕切が宙に浮かんだ形で不均等に並んでいる。
その間を学生が行き来しているが、中に丹波哲郎や京本政樹などの顔も
ある、というわけのわからんものだった。




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2011.11.06 (Sun)

時間修正作戦以前に、いろいろ修正した方がよいことがあるのでは

http://www.tobunken.com/news/news20111016113447.html

イベント
2011年10月16日投稿
12月公演『タイム・リビジョン/時間修正作戦』
〈略〉
稽古開始は11月。詳細は順次発表していきます。
稽古場日誌なども公開していく予定ですので、どうかお楽しみに!


もう 11 月も 7 日になっているのだけど、「稽古場日誌なども公開していく予定」は、どう
なっているのかな、と。

「唐沢俊一ホームページ」のトップ http://www.tobunken.com/index.html (魚拓) を見て
みても、「2011年10月26日投稿 [イベント] 葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】」 (ここ
参照) が最終更新なのだ。

このトップページの構成がアレで、ページ左側の「ニュース」の欄には、なぜか「訃報」しか
並んでいなくて、イベントとして本来ならもっと目立つように配置されてよさそうな『タイム・
リビジョン/時間修正作戦』 の方はページ右側に押しやられている。そのため、自分は
以下のページを見落としていて、2ちゃんねるのスレへの書き込み (Read More 参照) を
見て、やっと「予約フォーム」の存在に気がついたという……。

http://www.tobunken.com/news/news20111025110126.html

イベント
2011年10月25日投稿
『タイム・リビジョン』予約フォーム

12月7日より上演される『タイム・リビジョン/時間修正作戦』
の予約フォームができました!

http://noandtenki.web.fc2.com/time/


で、この http://noandtenki.web.fc2.com/time/ (魚拓) リンクをクリックすると、いきなり
ブラウザに横スクロールバーが表示されるハメになった。タイトルやサブタイトルの画像の
横幅がえらく広いせいで。

http://noandtenki.web.fc2.com/time/image/title.gif (1280 × 344 ピクセル)
http://noandtenki.web.fc2.com/time/image/subtitle.gif (1260 × 126 ピクセル)

こういうページをデザインする人には、世の中には横 1280 ピクセル未満のディスプレイは
多い (特にノート PC) し、そうでなくてもブラウザの幅をそこまで広げて表示するのは好ま
ない人間も多いことを認識してほしいかな……とボヤきつつ、よいしょと右スクロールして
以下の文章 (何の嫌がらせか右寄せ表示だ) を読むことになったりする。

http://noandtenki.web.fc2.com/time/ (魚拓)

僕らの恋の行く手には、
地球のハメツが待っている!

ストーリィ
モグリの結婚調査員・花岩の事務所に飛び込んできた、奇妙な連中の奇妙な依頼。
それは、年端もいかない高校生カップルを別れさせてほしいというものだった。
どうもその高校生カップル、由宇也とナナカの恋が成就すると、
未来のある時点で、地球が破壊されてしまうらしい。
時間修正マシンを託された花岩は、過去に遡って若い二人の恋を
邪魔しなくてはならないハメになる……。

年の瀬に送るタイム・パラドックス・コメディ!


「ハメツ」とか「ストーリィ」とか「コメディ」とか、いかにも唐沢俊一らしい表記だなというの
は、おいといて。

タイムマシンものだとすると、あの唐沢俊一が書くタイムマシン話か……と思うと、すごい
ことになりそうな気もする。

唐沢俊一にとっての「プロデュース」とは
唐沢俊一 25 歳の青春であった<金髪美女のヌードCM
その「60年代スイッチ」、誤動作だらけじゃないんですか?
発想がトンデモさんぽい<「ブロディの死の予言となってしまった」
タイムマシンがなくたって、やればできるさ過去の改変

まあ、「時間修正マシン」というのは、いわゆるタイムマシンとは別かもしれないが。
「タイム」抜きでもパラドックスの固まりのような出力をし続ける、あの唐沢俊一が描く
「タイム・パラドックス・コメディ」とは、果してどんなものになるのかは、想像すると少し
怖い。でも、ホラーものではない模様。

それはともかく、今回気になったのは、「年端もいかない高校生カップル」と「年の瀬に
送る」だったりする。

子どもといっても高校生という設定なのに、「年端もいかない」と表現されているのには
違和感が……。まあ辞書の定義には何歳以下に使うとは書かれていないようだけど、
中学生以上の年齢の子どものことを、「幼い」子どもとは普通いわないと思うし。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/114123300000/
>としは0 【年端・年歯】
>〔補説〕 「年歯(ねんし)」の訓読み
>年齢のほど。年の端。→(句)年端(としは)=も(=の)行かぬ


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/114123300010/
>年端(としは)=も(=の)行かぬ
>年若い。幼い。
>  まだ―ぬ子供


http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=年端も行かぬ&fr=dic&stype=prefix
>としは も 行(い・ゆ)かぬ-日本国語大辞典
>年齢が一人前に到達していない。まだ年若い。幼い。*浄瑠璃・女殺油地獄〔1721〕
>下「今しんでは年はもいかぬ三人の子が」*洒落本・禁現大福帳〔1755〕三「年端(ト
>シハ)もいかずして親達の為とおもへばこ ...


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1339971223
>『年端もいかない子ども』って何歳くらいですか?
〈略〉
>てっきり、未就学児童だと・・認識していたのですが─
>ググッてみましたら、“としはもゆかない少年”と云う言葉もありました。

>わたくしの所持する辞書および広辞苑には
>“幼い”と記されております。。∴7歳以下と思われる節と12歳以下と
>云えるものが在るようです。


http://thesaurus.weblio.jp/content/年端のいかない
>小さい ・ 幼少の ・ よちよち歩きの ・ 年端(としは)のいかない ・ いたいけない ・ がん
>ぜない ・ いとけない ・ いじらしい ・ 幼年時代の ・ 年下の ・ 年少者 ・ おさなご ・ こど
>も ・ 幼児


「幼少の」、「幼年時代」、「幼児」などという類義語から判断しても、やはり主に就学前、
範囲を広げても小学校卒業あたりまでと思うのだが、唐沢俊一の感覚はまた独特で、
これまでも 20 歳前後は子ども (ここを参照) とか、25 歳は青春時代 (ここを参照) とか
書いていた実績がある。そういう感覚をベースにするならば、高校生にもなるカップルが
「年端もいかない」ということになるのは、むしろ自然なことなのかもしれない……。


それから「年の瀬」。「年の瀬に送るタイム・パラドックス・コメディ!」が上演されるという
のは、「12月7日(水)~11日(日)」のことで、これを「年の瀬」というのは、時期的に少し
どうかと、これにも少し違和感が。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147123149
>年の瀬は年の暮れとも言い、厳密には12月31日の一日です。
>対象となる年の始めが1月1日の1日であることと対比してください。

>但し,
>季語では冬を指し、文例で言えば「愈々年の瀬を迎え云々」と
>正月の3ガ日や正月の松の内の15日間と対比した見方もあります。
>更に商売上歳末大売出しでも恒例化されている通り12月を指す場合もあります。


上でいう「厳密には12月31日の一日」には、あ、そうなのと思ったが、実際、和英辞書
には、「the last days of the year」という訳語があてられたりしている。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=年の瀬&dtype=3&dname=2na&stype=0
>としのせ【年の瀬】
>((at)) the end of the year; the last days of the year


まあ、国語辞書には「年の暮れ。年末」としか書いていなかったけど。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=年の瀬&dtype=0&dname=0na&stype=0
>とし‐の‐せ【年の瀬】
>年の暮れ。年末。《季 冬》


今回ググってみて面白いなと思ったのが、「12月何日からが年末だと感じますか?」の
アンケート結果。

http://cobs.jp/com/20rneo/life/2008_1/12/
>12月25日以前 12.10%
>12/26      17.40%
>12/27      12.70%
>12/28      22.30%
>12/29      20.70%
>12/30      12.60%
>12/31      2.20%

>回答期間 2008年12月1日~2008年12月15日
>有効回答件数 1000件
>対象 20代社会人男女募集


クリスマスが終わる頃から「年末」という感じる人の割合が増えて、仕事納めがくるあたり
が「年末」 (年の瀬) と感じる人が多いという結果と思うが、どうだろうか。「12月7日(水)
~11日(日)」だと、やや気の早いところが忘年会をやり始める程度。

- http://sooda.jp/qa/202010
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1049721435
- http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6321009.html


それ以外に気になったのは、「と学会 あぁルナティックシアター」が「《協  力》」なのか
というくらいで……。唐沢俊一のサイトの紹介文には「と学会」の文字はなかった気がする
し、てっきり「あぁルナティックシアター」が演じるのかと思ったら、主役以外の役が 4 人程
割り当てられているだけなのだなあ、と。

http://noandtenki.web.fc2.com/time/ (魚拓)

《協  賛》ももち浜調剤薬局
《協  力》と学会 あぁルナティックシアター Ippo play 東京中低域 
マドデザイン リンクファクトリー




それと、今回、あれっと思ったのは、http://noandtenki.web.fc2.com/time/ の time/ を
削るとあらわれる http://noandtenki.web.fc2.com/ という URL。これ、「NO&TENKI商会」
のサイトだったのね、と。

http://noandtenki.web.fc2.com/ (魚拓)
>NO&TENKI商会(唐沢俊一)同人誌通信販売ページ

「同人誌通信販売ページ」だから、あの『風狼太郎がゆく! ~2ページ時代劇のステキな
世界~』 (ここここを参照) というのも、当然のように存在する。

まあ、ここでいう「近く新たな日記サイトを立ち上げ」というのは、ここをさすものではないと
は思うけど……。

ちなみに、この「NO&TENKI商会(唐沢俊一)同人誌通信販売ページ」の内容は、結構
ひどい。「→中を覗いてみる(PDF)」というリンクがありながら、クリックしてみるとどれも
これもリンク切れだったりするし、同人誌通販フォームでは「3. 百mono語〜ワタ
ナベ シヴヲ・コレクション〜(1,300円)」と文字化け状態になっていたりするし。

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2011.10.30 (Sun)

北杜夫に耽溺していたって本当ですか、唐沢俊一先生 - (または「佳作の下」)

http://www.tobunken.com/news/news20111026222655.html

2011年10月26日投稿
葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】

10月24日死去・84歳。

日本歌壇の巨人・斎藤茂吉の息子である、ということに大きな
コンプレックスを抱き、父のことを徹底して第三者的に
「茂吉は」
と書く、というスタイルが、子供心に非常に気取っていて、
そしてカッコよく感じた。今でいう“クール”という概念に近い。

それが私の小学校4年のときだから、おそらく生れて初めて、
“ハマった現役作家”だったろう。星新一を知るのはその後に
なる。もちろん、『楡家の人びと』などはまだ難しすぎて、
『どくとるマンボウ』シリーズが主であった。
品のあるユーモアエッセイの、戦後における最高峰で、たとえ対象
が下品なものでも、それを見事に格調あるものに転換させてしまう。
『昆虫記』にあった、毛じらみにたかられた時の経験を擬古文調に
綴った戯文など、なんべんもなんべんも読み返して、暗記してしまった
ほどだった。

そういう、自分を茶化し、偉大な父を他人のように扱い、
自らの躁鬱病すらも滑稽化して描写するといった心理が、多分に
屈折し、自己韜晦した人間不信の産物であると知ったのは
20代に足をつっこみかけた頃になってやっと、であった。
思えばあんな楽しい童話風ナンセンス『さびしい王様』だって、
その裏側に恐ろしいまでの人間不信、人生に対する懐疑が隠されて
いた、実は暗い、恐ろしい話であった。

とはいえ、北杜夫の作品が陰湿でなく、またドライすぎもしない
のは、その記憶にある風景が美しいからだろう。
おそらく、神経が繊細すぎるほど繊細で、傷つき易い心を抱え、
そして頭のよかった宗吉(本名)少年は、カメラのような記憶力を
もって、周囲の光景や人々の言動を、その脳内に刻んでいったのだろう。
『楡家の人びと』も、その原型は、作者が自ら体験し記憶した父・茂吉の
青山脳病院時代のエピソードが元になっているし、プルーストの『失われた
時を求めて』の北杜夫版とも言うべき『幽霊』(だから作者は、『失われた~』
を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に急いでこの作品を
書いたという)
は、その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入れば
すぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工
のような佳品であり、私個人としては『楡家の~』よりこちらを推す。

北杜夫は1927年(昭和2年)生れで、太平洋戦争が始まったとき、
14歳だった。その後いかに辛酸を嘗めようと、いい生れの家の子の
特権で、美しい少年時代の想い出を山のように持っていただろう。
わずか3歳の年齢差の野坂昭如の少年時代の記憶が悲惨を極めて
『火垂るの墓』を産んだのと、対照的である。野坂や、昭和9年
生れの筒井康隆に比べると、年代こそそんな差はないにも関わらず、
北杜夫にはあきらかに戦前の、古き良き教養と気品、いう基盤がその
文章に備わっていた。そして、その中心に位置する父親像との葛藤が、
彼の文学に一種の複雑さを与えている。兄で同じく精神科医であった
斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の性器にコンプレックスを抱いて
いたなどと分析しているのを見ても、この兄弟にとり、偉大すぎる
父をまず否定しないことには、自分のアイデンティティが確立でき
ないという、大きな枷があったことを見てとれる。それが知性から
くるユーモアにくるまれているところに、北杜夫文学特有の苦い笑い
があったのだと思う。平成になってから刊行された『斎藤茂吉伝』は、
長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文だったのかも
しれない。

小学生時代の私の北杜夫耽溺はかなりのもので、小学校のとき、全国
読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったときの感想文が
北杜夫の『高みの見物』のものだった。そのときの講評に
「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
と書かれたのが、非常にうれしかったのを記憶しているほどである。
そのくせ、会ってみようとか、講演を聞きに行こうとかという気には
ならなかったのは、この人がこの人であるのは、その生まれた家と
時代の文化の恩恵があったからであり、いくらあこがれても同じ
レベルにはなれない、ということを本能的に知っていたからだろう。


×『斎藤茂吉伝』 ○茂吉の人生を描いた4部作の評伝

2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) では、「『北杜夫 高みの見物』でググったら検索
結果の上位に一行知識さんの旧ブログが出てきた。 そんなに想い出深いなら、なぜ書名
を誤って覚えていたのだろう?」 と書き込まれていたが、それについてはこれ↓を参照。

「もしかして:北杜夫 高みの見物」

で、「ゴキブリを主人公にした、たぶん世界で最初の小説」かどうかはわからないが、この
『高みの見物』 (「高見の見物」ではない) がゴキブリを主人公にしているのは確かで、
唐沢俊一はゴキブリを雑学ネタに使うことが多い。必然的にガセネタも多数。

cock ってそんなに避けたい言葉かなあ
「車にゆられて」とも言うそうな
極楽トンボならぬゴキブリトンボがいた
久しぶりのゴキブリ
北海道にはゴキブリがいない説についても少し気になったり
ネタがゴキブリなだけに気分がうあああああああああ
卵鞘のフライだとしたら、「ぽりぽり食う」というのは、ちょっとアレかも
ゴキブリは食器に閉じ込められるんじゃなくて、かぶりつくということで
コピーが得意か不得意かわからないとな、の唐沢俊一先生
エサにするのさフナムシを
そんなゴキブリレストラン、いろんなゴキがもがいてる
蜚蠊、蜚蝱、蜚鴻、そして蜚語

ついでに、今回の文章にちらっと登場している「プルーストの『失われた時を求めて』」に
ついては、これ↓

失われた時を求めての「翻訳」
失われた時を求めて

ついでのついでに、「擬古文」については、こういうもの↓も。以下のリンクでの引用では、
同じ (?) 「擬古文」が相手でも、「高校時代の古文の時間を思い出す」とか、「戦後教育し
か受けていない身にはこの擬古文は意味を追うだけでせいいっぱい」とか、今回とは設定
のブレみたいなものが気になるが、おいといて。

擬古文といわれるとなぜかギコハハハを思い出す

いや、どうして長々とガセネタを列挙しているかというと、唐沢俊一のいう「小学生時代の
私の北杜夫耽溺はかなりのもの」は本当で、それが唐沢俊一の雑学ネタの選択に反映
していると考えるべきか、今回の北杜夫の訃報にあたって唐沢俊一の書いた文章が、
雑学関係で集めた材料を並べなおしてみただけのものか、判断に迷っているため。まあ、
判断を下す必要があるかどうかは別にして。


唐沢俊一によると、北杜夫の作品は、「屈折し、自己韜晦した人間不信の産物」であり、
『さびしい王様』などにも「恐ろしいまでの人間不信、人生に対する懐疑が隠されていた」
ということになる。

これで思い出したのは、唐沢俊一の裏の目コラム『星新一追悼』 (ここここも参照) の
「一見明解な作品の底に、すさまじいまでの人間不信が隠されている、苦い大人の小説」
や、唐沢俊一が以前に掲示板に書き込んだ (ここここを参照)、「韜晦趣味、という言葉
をご存知でしょうか。〈略〉星新一さんは自己の年表にも空白の部分を残して」とかいう
記述たち。何だか使い回しのようにも思えた。

Wikipedia の北杜夫の項にも、彼と星新一は「共通点が多い」という記述はあるし、両者は
印象として似ている部分も多いとは思うのだが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
>・星新一
>  SF作家。日本のSFのパイオニアの一人。星が1歳年長だが、共に東北生まれで洋
>  行帰りの有名人を父に(中年以降にできた子供で、20代半ばで死別しているところ
>  も同じ)、東京の名家出身の女性を母に持ち、山の手で生まれ育って理系の帝大を
>  卒業後に研究生活を送るなど、共通点が多いこともあり、特に親しかった。酒好きの
>  星の珍妙な行動については北の随筆が詳しい。


明快で平易な文章、ユーモアにくるまれた文章の底には実は――という評はありだとは
思うが、個人的には、「屈折し、自己韜晦した人間不信」、「恐ろしいまでの人間不信」
とまで書いてしまうのは、どうかなあと思う。「神経が繊細」で止めておかないで「神経が
繊細すぎるほど繊細で、傷つき易い心」も北杜夫ってそういう作家だっけと思ってしまうし、
これは自分が無知なだけかもしれないが、「カメラのような記憶力」という話も聞いたこと
がないし……。

http://twitter.com/#!/AkagiKeiji/status/129423331056287744
>医者で、作家の北杜夫さんが亡くなられた。北さんは、生前常々「執念深い蛇の様な
>粘液質を、爬虫類のごとき冷酷な意志を」持ちたいと言っていた。私にも、もしこの性格
>が備わっていたら、大人物に成っていただろう。残念ながら、北さんにも、私にも全く無
>縁のモノであつた。


なお、「だから作者は、『失われた~』を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に
急いでこの作品を書いたという」の真偽も不明。自分は、以下のブログのコメント欄への
書き込みくらいしか見つけられなかった。

http://blog.goo.ne.jp/qwer0987/e/c4b852526a8da40d9d445c7c6125feac
>幽霊 (庶民)
>2009-04-02 22:34:39
>北さんは、当時、プルーストの「失われた時を求めて」を読む前に、「幽霊」を書いたそう
>です。もし、読んでしまったら、書けないかも知れないと思ったそうです。


で、「その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入ればすぐ砕けて散って
しまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工のような佳品」というのは、好意的に
解釈すれば、以下のようなことをいいたかったのだと思われる。「カメラのような記憶力」
は、どこにいった――というのをおいておけば、だが。

http://blogs.yahoo.co.jp/rtpcrrtpcr/38142149.html
>自伝的記憶は心の神話であるという記述から、北杜夫の「幽霊」を思い出してしまいま
>した。高校生の頃に繰り返し読んでいた本。冒頭の一節は暗記しています・・・・あらら、
>だいぶ忘れています。


2ちゃんねるのスレには「唐沢の言動を検証している人たちへの当てつけですかね」とか
書き込まれたりしているけど。

そういえば、今回の唐沢俊一の文章は、「滑稽化して描写するといった心理が、多分に
屈折し、自己韜晦した人間不信の産物」だの、「神経が繊細すぎるほど繊細で、傷つき
易い心を抱え、そして頭のよかった」だの、「いい生れの家の子の特権で、美しい少年時
代の想い出を山のように持っていた」だの、「記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という
作業が入ればすぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工」だの、
ポエム度高めに唐沢俊一のなりたかった姿、他人からそうと見られたかった姿をだらだら
紹介されているような気さえしてくる。そんなことをあんまり考えると精神衛生上悪いの
で、気のせいということにしようとは思うのだが。


その他参考URL:
- http://togetter.com/li/205946
- http://blog.livedoor.jp/headline2ch/archives/53087510.html
- http://logsoku.com/thread/book.2ch.net/book/1011515428/
- http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/406.html
- http://www11.ocn.ne.jp/~abe/yoru.html


さて、唐沢俊一も書いている通り、北杜夫は「日本歌壇の巨人・斎藤茂吉の息子である」
し、その「父への複雑な感情」については、以下に引用する訃報記事でも取りあげられて
いる話ではある。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/10/26/kiji/K20111026001895860.html
>北杜夫さん死去…父への複雑な感情が文学に

> 「どくとるマンボウ」の愛称で親しまれてきた北杜夫さんの文学の原点にあったのは、
>父の斎藤茂吉への複雑な感情だった。
> アララギ派を代表する歌人の茂吉は、ささいなことで激怒する。北さんはそんな父を
>恐れていたが、1945年に空襲で東京の生家が焼け、しばらく親類の家に世話になっ
>ていたとき、茂吉の歌集「寒雲」をひもとき、強く引き寄せられた。
> さらに長野県の旧制松本高校に入学すると、茂吉の初期歌集「赤光」と「あらたま」か
>らの自選歌集「朝の蛍」を読んで心酔し、創作活動へ向かう出発点になった。「私は理
>科少年で文学の本はほとんど読まなかったが、それからは父を崇拝するようになった」
>と晩年語っている。
> やがてトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」などの影響を受け小説を書き
>始めるが、北さんに文学への目を開かせたのは茂吉の歌だったのだ。
> 自身の一族をモデルに描いた大河小説「楡家の人びと」は、昭和文壇の記念碑的作
>品に。また自らの体験も踏まえて父茂吉の歌と生涯を描いた評伝4部作は、父への思
>いを、時を隔てて客観的な目で見つめ直す試みだった。
>[ 2011年10月26日 10:15 ]


http://sankei.jp.msn.com/life/news/111026/art11102613280007-n1.htm
>重厚な純文学と、ユーモア作品が同居  2011.10.26 13:26
〈略〉
> アララギ派の歌人で精神科医という偉大な父、斎藤茂吉を持ったことが重圧になった
>と明かしたこともある。東北大医学部在学中に、独作家、トーマス・マンの「ブッデンブ
>ローク家の人びと」などの影響を受け、小説を書き始めるが、北さんを文学に向かわせ
>たのも、「赤(しゃっ)光(こう)」など父、茂吉の歌集に強く触発されたからだ。平成5年、
>医局時代の体験をまとめたエッセーに触れ、「父に強制されていやいやながら医学の
>道に進んだのですが、精神科を選んだのは自らの意志によるものでした。それは精神
>医学が人間の心を探るという点において文学と通じるものがあると考えたからです」と
>話している。父親への複雑な思いは、茂吉の人生を描いた4部作の評伝で、平成10
>年に大佛次郎賞を受賞するという形で結実した。


http://www.asahi.com/obituaries/update/1026/TKY201110260123.html
>作家の北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」シリーズ
〈略〉
> 64年、脳病院を築いた祖父らをモデルに一家3代の興亡を活写した長編小説「楡家
>の人びと」(毎日出版文化賞)を刊行、三島由紀夫に「戦後に書かれたもっとも重要な
>小説の一つ」と絶賛される。


しかし、唐沢俊一の書いている「大きなコンプレックス」だの、「平成になってから刊行され
た『斎藤茂吉伝』は、 長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文」だのは言い
過ぎな気がする。というか、その「コンプレックス」の現れとして、「父のことを徹底して第三
者的に『茂吉は』と書く、というスタイル」とかいうのは、あまり説得力がないような……。

唐沢俊一にすれば、「偉大な父を他人のように扱い」ということになるようだが、教科書に
載るような人物であるし、上に引用したような新聞記事でも「茂吉は」と表記されるしで、
息子であっても「茂吉は」としか書きようがなかったり、書きにくかったりではなかったかと
想像されるため。こんな文脈で「茂吉は」はないだろうというケースを、唐沢俊一が紹介
してくれていたら、話は違っていたと思うけど。

また、「偉大すぎる父をまず否定しないことには、自分のアイデンティティが確立できない
という、大きな枷」などとかましている割には、そのようなことが見て取れるのだと紹介して
いるエピソードが、「兄で同じく精神科医であった斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の性
器にコンプレックスを抱いていたなどと分析している」でしかなかったりするし……。

そもそも唐沢俊一は「葛藤のあった人」と「葛藤」にのみ言及し、「平成になってから刊行
された『斎藤茂吉伝』は、長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文」と書いて
いるが、下の引用でいう「父と息子の葛藤と和解」を描いた『どくとるマンボウ青春記』は
1968 年。

http://www.alumni.tohoku-university.jp/2010/nov/hitogoroku.html
> 北の『どくとるマンボウ青春記』は、精神科医で文学者父茂吉への畏敬と自立の物語
>とも読めます。昆虫好きで動物学者に憧れた北に、「おっかない父」茂吉は医学部進学
>を厳命、泣く泣く志望転向。東京から離れ、父茂吉に内緒で詩や小説を書くにも好都合
>と東北大学を受験しました。
> これらの経緯が、若者特有の自意識と懊悩の叙情性を秘め、マンボウ流に愉快に楽
>しく表現。同書は、小説家北の出発点が分り、父と息子の葛藤と和解という普遍のテー
>マをも描く好著です。


この『どくとるマンボウ青春記』の発表は、兄の斎藤茂太との対談 (1976 年) と比べても
8 年も前のこと、ともいえるわけで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
>・大佛次郎賞 『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』の茂吉評伝4部作に対し。
〈略〉
>・どくとるマンボウ青春記(旧制松本高等学校学生時代の随筆)中央公論社、1968 
>文庫
〈略〉
>・この父にして 斎藤茂太対談 毎日新聞社 1976 講談社文庫


で、上に引用の Wikipedia では「茂吉評伝4部作」、報道では「父茂吉の歌と生涯を描い
た評伝4部作」、「茂吉の人生を描いた4部作の評伝」となっている大佛次郎賞の評伝
は、唐沢俊一の書いているように『斎藤茂吉伝』という題はついていない。『斎藤茂吉伝』
というのは、別の著者の書いた本の題名に使用されているのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤茂吉
>伝記文献
>・斎藤茂太 「茂吉の体臭」 岩波書店、岩波現代文庫で再刊、平成12年
>・柴生田稔 「斎藤茂吉伝」、「続斎藤茂吉伝」 新潮社 昭和56年


http://www.amazon.co.jp/dp/4806045667
>年譜 斎藤茂吉伝 [-]
>藤岡 武雄 (著)


自分は未読なので、あまりいえないけど、唐沢俊一は本当に北杜夫の評伝 4 部作を
読んだ上で、「卒業論文」などと書いたのだろうか。

だいたい「唐沢俊一 北杜夫」でググった結果のトップは、このエントリーの Read More
引用している2ちゃんねるのスレで、その次が、うちのブログの「もしかして:北杜夫 高み
の見物
」。3 番目に唐沢俊一のこの「葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】」がきて、さらに
その次が「藤岡真blog」の「唐沢俊一『トーマス・マン』を語る」という状況で。

あれ、どこかで北杜夫に言及していなかったっけ――と、今度は「唐沢俊一 裏モノ日記 
北杜夫」でググったら、「北杜夫が学生時代、先輩たちが嬉々として語り合っている中国
の凄いエロ小説というのを手に入れ、どんな凄い描写があるのかと ドキドキしながら読ん
だら、詩の交換ばかりしていて全然そんな 描写がないのでがっかりした、というような内
容のエッセイを書いていたが」というのは見つかった (ここを参照)。

後は、http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/books/1305049695/ でも引用
されていた、これ↓とか。

http://www.tobunken.com/diary/diary20080828122901.html

「弟がいてね、マンガ家になっているんだが、これと昔、共同で
マンガをノートに描いていた。一人が描いて、飽きるともう一人が
描き継いで、という形で。将来は兄弟で藤子不二雄みたいな
コンビマンガ家になろう、と思っていた。で、最初はこっちの方が
明らかに 絵がうまいんでリーダーシップが取れていたんだが、
小学5年生くらいになると、それが逆転してくるんだな。
仲間うちなら嫉妬をバネにこっちもうまくなろうと練習するんだろうが、
弟相手だと嫉妬もできない。次第にこっちは、キャラクター設定とか
ストーリー設定とかに回るようになっていった。
で、しまいにマンガ家になるのはあきらめて、文字だけの
仕事になろう、と方針転換したんだよ」
「じゃ、ザセツなんですか」
「ザセツだねえ」

実際には、この時期に北杜夫のどくとるマンボウシリーズに
出会ったこともあって、エッセイの面白さに目覚めたという
ことが最も大きいのだが、小学生に北杜夫といってもわか
らない。「星新一なら知ってる?」と訊いたが知らないそうだ。


今回、唐沢俊一は「それが私の小学校4年のときだからおそらく生れて初めて、“ハマっ
た現役作家”だったろう。星新一を知るのはその後になる」と書いているが、上の裏モノ
日記を読むと「小学5年生」のときに北杜夫に出会ったようにも読める。まあ、いいか。

とにかく、耽溺していたと書いている割には、唐沢俊一は星新一を語るときほどの熱心さ
を、北杜夫に対しては向けていないなあという感じ。


んで、2ちゃんねるのスレでは、「普通、佳作の下ぐらいの感想文に寸評なんか付かない
ぞ」とか、「『全国読書感想コンクール』の『校内選考』で佳作の下になったんだよ。』とか、
「それはそうと、『佳作の下』ってそもそも何だろう」「そりゃ『佳作より下』ということだから
選外だということでしょうw」に「選外(選外佳作)、という言葉を知らなかったとか?」とか、
いろいろ突っ込まれていた「読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったとき」に
ついて。

個人的には、どのコンクールにしても、「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
なんてことを講評に書くものかなあ……と思った。唐沢俊一が「と書かれたのが、非常に
うれしかったのを記憶しているほどである」といっているので驚いたけど、「かなり作者に
酔っています」というのは、小学生の読書感想文に対する評らしくないと思うし、褒め言葉
にも聞こえなくて、むしろ自分がそういわれたら傷つきそうだと思うのだけど……。

まあ、実際はどんな感じなんだろうと、「青少年読者感想文全国コンクール」や、全国学芸
科学コンクール
(読書感想文部門あり) を見たら、前者は講評なしで、後者も総評のみで
個々の感想文についての評はないようだった。ちなみに両方とも「佳作」という賞はない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/読書感想文
>読書感想文の作成指導においては単なる読後「感想」の記述にとどまらず自己の経験
>等を交え自分の「意見」を記述することが求められることも多い。そのため、客観的な文
>章の作成はあまり重視されず主観的な文章の作成が奨励される。さらに、道徳的な感
>想には高い評価が与えられやすい。例えば、課題図書の内容について「あまり面白く
>ない」「陳腐なストーリーである」「興味が湧かない」などの否定的な感想や客観的な分
>析などは悪い評価を受けやすく、「興味深く面白い」「とても共感した」「これまでの考え
>を反省した」などの肯定的、主観的または道徳的な意見・感想は良い評価を受けやす
>い。このような読書感想文の評価基準は青少年読書感想文全国コンクールにおいて好
>成績を収めた読書感想文からも読み取れる。


それにしても、「青少年読者感想文全国コンクール」の方の、「入賞作品紹介」を読んで
みて少し驚いたのは、ここで求められる優秀な読書感想文とは、自分語りエッセイ的な
要素をしっかりいれているもののようであったこと。これではまるで、唐沢俊一が朝日の
書評欄に書いていた文章みたいなもので、もしかしたら唐沢俊一はこの時期、「読者感想
文全国コンクール」で優秀だと評価されるタイプの文章を目指して書いたのかも――と
妄想してみたり。


おまけ:
http://www.dokusyokansoubun.jp/q_and_a.html
>Q:読んだ本の本文や解説などを引用してもいいですか。
> 読書感想文は、本を読んでの自分の思いや心の動きを中心に書くものですから、で
>きるだけ自分のことばを使って書くようにしましょう。確かに解説やあとがきなどは、本
>の世界をより深く理解するために参考になることがあります。ですから、場合によっては
>引用する必要が出てくるかもしれません。そのときは、どうしても必要な部分だけを引
>用することにして、必ず「 」(カギかっこ)でくくりましょう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/読書感想文
>googleなどで「読書感想文」を検索すると著作権フリーでコピペを許可している読書感
>想文の文例がダウンロードできるサイトが上位に表示されるのが現状である[3][4]


文例がダウンロードできるサイト:
- http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/
- http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/debu.html



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2011.10.17 (Mon)

眠っていずに……の柳ジョージ、寝ぼけてないで……の (以下自粛)

http://www.tobunken.com/news/news20111016185149.html

イベント
2011年10月16日投稿
読んで候 【訃報 柳ジョージ】

しわがれ声の巻き舌で歌う歌い方は一度聞いたら忘れられない。
忘れられないばかりでなく、彼以降、そういう歌い方をすれば大人の
ロックに聞こえる、と思ってコピーしている歌手との違いもはっきり
わかる筈だ。横浜出身者の特長かもしれない、いい感じの気取りが身に
ついたステージ姿だった。

実はロックの世界ではかなりえらい人なのだが、そう見えなかったのは、
ウィキペディアにもある通り自分を「実際以上に大きく見せない」性格の
持ち主であったことの他に、『ヴィナス戦記』や『ボトムズ』といった
アニメに曲を提供していたこともあるだろう。殊に第一次世代オタクに
とり、70年代、ロックというのはオタクと常に(そんなつもりはお互い
なかったのに)対立させて語られる存在であった。だから、ロックの世界で
非常にエライとされていた柳ジョージが、何のてらいもなく『鉄のララバイ』
などを歌う姿に、ちょっと感動したりしていたのである。

私はと言えば、カラオケで『酔って候』が十八番である。
大麻をやって逮捕され、参加していたグループサウンズ『ザ・ゴールデン・
カップス』も解散。時間を持て余して歴史小説を読みあさっていたとき、
司馬遼太郎のファンになったそうだ。ご多分に漏れず坂本龍馬の大ファン
だったというが、何故か龍馬にとっては宿敵的存在であった山内容堂に
あこがれ、『酔って候』を作曲、司馬の家に押しかけて発売の許可をもらった
という。なぜか龍馬ファンを公言する人間にはあまり大した人物がいない、
というのが通り相場だが、彼の場合、そこに一ひねりあるところで
救われていたのかもしれない。

初めて耳にしたのは『祭りばやしが聞こえる』の主題歌だったか。
ドラマ主題歌、CMソングといった分野にも気軽に参加し、その代表曲が
耳になじんでいるところも親しみやすかった。そして、その楽曲の質の高さ
が、なまなかでなかった。70年代、彼の曲を耳にしながら青春時代を
送れたことは幸せだったのだ、と今にして思う。

『酔って候』を曲にしたほど、酒好きということでは有名だった。
体の調子を崩しても、ウイスキーを芋焼酎に変えたりしながらなお
飲み続けたらしい。
「鯨海酔公 無頼酒 鯨海酔公 噂の容堂」
と自分で歌った容堂を気取ったわけでもないだろうが、 
糖尿病の悪化で63歳の年齢で死去というのは、容堂と違い無頼という
イメージはない人間だけに、何とも惜しいと思う。70代、80代の
ロックを歌って欲しかった。
R.I.P.

http://megalodon.jp/2011-1017-0201-22/www.tobunken.com/news/news20111016185149.html

×『ヴィナス戦記』 ○『ヴイナス戦記』
×『祭りばやしが聞こえる』の主題歌 ○「祭ばやしが聞こえる」のテーマ
×鯨海酔公 ○鯨海酔候

まあ、クラプトンのクの字も出てこなかったのは、予想通りだから、よいとして。

http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20111014_110.html
>「雨に泣いてる」などの曲で知られるロック歌手の柳ジョージ(本名:柳譲治)さんが10日
>午前4時56分、腎不全のため横浜市内の病院で亡くなった。63歳。妻の淳子さんが
>FAXで発表したもので、本人の意向により葬儀は親族のみで済ませた。横浜市出身。
>淳子さんは「ここまで応援してくださった皆様に深く感謝いたします」としている。柳さん
>は大学時代から音楽活動を開始し、1975年にロックバンド「柳ジョージ&レイニーウッ
>ド」を結成。77年に「祭ばやしが聞こえる」で脚光を浴び、萩原健一の主演ドラマのテー
>マ曲「雨に泣いてる」が大ヒット、その後も「さらばミシシッピー」「微笑の法則」のヒット
>曲を生み出した。ブルース調の独特のしゃがれた歌声と、“泣きのギター”は「和製エ
>リック・クラプトン」と称された。芸能界でもファンが多く、俳優の高倉健が柳さんのディ
>ナーショーに突然訪れ、「以前から聞いていました」と声を掛けたエピソードは有名。


上に引用の「テレ朝NEWS」には、糖尿病の文字はない。おそらく、下に引用のサンスポ
の記事を元にしたのだろう。

http://www.sanspo.com/geino/news/111014/gnj1110140507006-n2.htm
> 関係者によると、柳さんは持病の糖尿病が悪化し、数年前から腹水のたまる病気で
>入退院を繰り返してきた。数週間前から集中治療室(ICU)に入って治療を受けていた
>が、12日に容体が急変。夫人に看取られ、天国に旅立ったという。
〈略〉
> 6年前、サンケイスポーツのインタビューで柳さんは「昔のようにガンガン飲まなくな
>り、ウイスキーよりももっぱら芋焼酎。ただ、今でも晩酌はしないと気が済まない。スタッ
>フから怒られるんですけど」と健康に気を遣うようになったことを明かし、「体が続く限り、
>生涯現役でやれたら幸せかな」と話していたが…。


しかし、それにしては、「昔のようにガンガン飲まなくなり」とか、「健康に気を遣うように
なったことを明かし」とかを完全に無視して、「体の調子を崩しても、ウイスキーを芋焼酎
に変えたりしながらなお飲み続けたらしい」としてしまっているのは、少し解せないような。

また、唐沢俊一は「容堂を気取ったわけでもないだろうが」と書いているのでまぎらわしい
が、山内容堂の死因は糖尿病ではなく「脳溢血」とされているようだし、亡くなったのは
数えの 46 歳とのことで、柳ジョージの 63 歳とは、ずいぶん開きがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山内容堂
>明治5年(1872年)、積年の飲酒が元で脳溢血に倒れ、46歳(数え年)の生涯を閉じた。


個人的には、「ロックというのはオタクと常に(そんなつもりはお互いなかったのに)対立
させて語られる存在で」はガセといいたいし、それ以上に (?) 「私はと言えば、カラオケで
『酔って候』が十八番」とかいうのは、このケースでの『タイムマシンにお願い』と同様、
何かが激しく間違っている気がする。

参考:
ロック好きの第一世代は結構いるんじゃないかと思うけどなあ
いろいろ「と」リンク


それはともかく、2ちゃんねるのスレの書き込みにあった (Read More 参照)、「どこぞに柳
ジョージが歌った曲リストで『ボトムズ』主題歌『鉄のララバイ』と描かれていたので 1983
年の初代ボトムズの時に主題歌を歌っていたと思ったのかな?」の件について。

http://ja.wikipedia.org/wiki/柳ジョージ
>・「ヴイナス戦記」(1989、松竹、アニメーション)‥『明日への風』(「WANDERER」所収)
>・「装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ」(2008年、OVA)‥『鉄のララバイ』


確かに、2008 年の曲なのに、「70年代、ロックというのはオタクと常に〈略〉対立させて
語られる存在であった。だから〈略〉柳ジョージが、何のてらいもなく『鉄のララバイ』などを
歌う姿に、ちょっと感動」というのは辻褄があわないような。

ついでにいえば、最初の『装甲騎兵ボトムズ』としても 1983 年からの放映で、「70年代、
ロックというのは」だの、「70年代、彼の曲を耳にしながら青春時代を送れたことは幸せ」
だの、やたら 70 年代に限定して語る唐沢俊一が引き合いに出すには放映時期がやや
遅過ぎるような気もする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/装甲騎兵ボトムズ
>『装甲騎兵ボトムズ』(そうこうきへいボトムズ)は、サンライズ制作のロボットアニメ(SF
>アニメ)。TVシリーズが1983年(昭和58年)4月1日から1984年(昭和59年)3月23日、
>テレビ東京系列で毎週金曜日(17:55 - 18:25)に放送された(全52話)。


http://ja.wikipedia.org/wiki/装甲騎兵ボトムズ_ペールゼン・ファイルズ
>発表期間 2007年10月26日 - 2008年8月22日

唐沢俊一が誤記して『ヴィナス戦記』と書いてしまっている『ヴイナス戦記』は、スレにも
書き込まれているように、「バブル期の1989年」だし……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴイナス戦記
>『ヴイナス戦記』(ヴイナスせんき)は、学習研究社のコミックNORAにて連載された安彦
>良和の漫画作品、およびこれを原作とする1989年に公開されたアニメ映画。


http://www.amazon.co.jp/dp/B00005G2OI
>ヴイナス戦記 [VHS]
>植草克秀 (出演・声の出演), 水谷優子 (出演・声の出演), 安彦良和 (原著) | 形式: VHS


いや、いつもの恐るべき時空歪みを別にしても、柳ジョージがえらくは見えなかった理由
として、「アニメに曲を提供していたこともあるだろう」というのが無茶苦茶というか、もう
トンデモの域に達しているのではないかと。たとえば、ゴダイゴが、映画版『銀河鉄道999
(The Galaxy Express 999) 』をヒットさせたのは 1979 年のことだが、これでゴダイゴが
えらく見えなくなったとか格下に見られるようになったというわけでは別にないのだし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/銀河鉄道999_(ゴダイゴの曲)
>作詞は奈良橋陽子(英語詞)・山川啓介(日本語詞)、作曲はタケカワユキヒデ、編曲
>はミッキー吉野。映画版『銀河鉄道999 (The Galaxy Express 999) 』(東映)主題歌。
>またTVスペシャル版においても、オープニングテーマとして使用された。1979年の年間
>第14位。



それから、「初めて耳にしたのは『祭りばやしが聞こえる』の主題歌だったか」って、何か
変な書き方しているなと思ったら、曲名としては『「祭ばやしが聞こえる」のテーマ』か、
「祭ばやしが聞こえるのテーマ」と書くべきところを、何を考えたか「テーマ」を「主題歌」に
劣化コピーさせていたということらしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/祭ばやしが聞こえる
>『祭ばやしが聞こえる』(まつりばやしがきこえる)は1977年(昭和52年)10月7日から
>1978年(昭和53年)3月31日まで日本テレビ系で放送されたドラマ。全26話。第18回
>日本テレフィルム技術賞受賞。
〈略〉
>主題歌:「祭ばやしが聞こえるのテーマ」柳ジョージ


http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND38843/index.html
>「祭ばやしが聞こえる」のテーマ(柳ジョージ)の歌詞


それと、2ちゃんねるのスレで指摘した人もいる、「酔公」ではなくて「酔侯」だという問題。

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND8305/index.html
>酔って候 柳ジョージ&レイニーウッド

http://ja.wikipedia.org/wiki/山内容堂
>酒と女と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」

「酔候」だから『酔って候』なんじゃないのというハズしているかもしれない突っ込みはおい
ておくとして、「私はと言えば、カラオケで『酔って候』が十八番である」で、これはさすがに
恥ずかしいかも。


そして、これもスレで指摘のあった「巻き舌で歌う歌い方」。自分も、柳ジョージって巻き舌
で歌っていたっけ、唐沢俊一は桑田佳祐か誰かと間違えているのではないかと思うのだ
が……。

http://www.youtube.com/watch?v=6ubO8G_tVG8
>装甲騎兵ボトムズ『鉄のララバイ』/ 柳ジョージ

http://www.youtube.com/watch?v=7KEqTbAoVEU
>柳ジョージ&レイニーウッド「雨に泣いてる」

http://www.youtube.com/watch?v=wk2Iu3KcQmI
>"青い瞳のステラ, 1962年夏・・・" 柳ジョージ&レイニーウッド

http://www.youtube.com/watch?v=RFRT4HNsjWY
>フェンスの向こうのアメリカ.mp4

http://www.youtube.com/watch?v=WfW2L-d7OTk
>バーニング / 柳ジョージ

http://www.youtube.com/watch?v=kgPhIFZ_gKw
>柳ジョージ 夜もヒッパレでクラプトン歌う!

http://www.youtube.com/watch?v=dmXqs6uehLI
>柳ジョージ 微笑の法則 ~スマイル・オン・ミー~.flv

http://www.youtube.com/watch?v=zRj4h8pohuk
>jihanasaka さんが 2009/02/21 にアップロード
>柳ジョージ&レイニーウッド / 酔って候

>jjhanasaka さんが 2009/02/21 にアップロード
>あの原子力空母「ミッドウェー」を震撼させたハマの伝説・・・柳ジョージ
>&レイニーウッド!
>「鯨海酔侯」とは土佐藩第15代当主・山内容堂(豊信)のこと・・・海に鯨
>が泳ぐ国の酔っぱらいの殿様である と、自嘲的ながらも「粋」な称号。
>σ( ̄^ ̄) も毎夜「酔って候」 m(_ _)m


http://www.youtube.com/watch?v=inLtjDlDJT8
>柳ジョージ Long Way Home コイン・ランドリィ・ブルース (PIT INN LIVE 1992)

http://www.youtube.com/watch?v=CArg2Isgd8M
>プリズナー~フェンスの向こうのアメリカ  柳ジョージ

http://www.youtube.com/watch?v=S3cR2pk39_0
>柳ジョージ&レイニーウッド 時は流れて Time in Changes

強いていうなら、『鉄のララバイ』で少し、べらんめえ調みたいな巻き舌になるかな、という
感じ? それにしても唐沢俊一は、書く前に、この中の何曲を聞き返したりしたのだろうか。


追記: 前にツイートした「後で収録」を実行し、Read More に追加。


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2011.10.16 (Sun)

ダイアン・シレントの生年月日には諸説あるわけではない

http://www.tobunken.com/news/news20111014192252.html

イベント
2011年10月14日投稿
夫で苦労した女優 【訃報 ダイアン・シレント】

6日、死去。78歳(79歳との説もある)。
〈略〉
ボンドことコネリーとは1962年に結婚。62年と言えばコネリー
は『ドクター・ノオ』でやっと俳優として名が上がった年であるが、
俳優としてはコネリーより先輩のシレントの方も女優業にあぶらが
乗ってきた時期であり、翌63年には『トム・ジョーンズの華麗な
冒険』でアカデミー賞候補になっている(コネリーの方は1988年まで
オスカーには縁がなかった)。

その後もコンスタントに映画出演は続けるが、ちょっと停滞して
しまったのはコネリーと結婚し、翌年に息子のジェイソン・コネリー
を生んだ(その前にイタリア人の助監督だったアンドレア・ボルペ
と結婚/離婚を経験し、一子をもうけているので子供は二人目に
なるが)ためだろう。演技派女優としてはやや、残念なことだった。
世の中には子供を育てながらスクリーン上でのキャリアも着々と
積んでいく頑張り屋の女優もいるが、彼女の場合、家庭を優先させた
のは、コネリーがスターになったことで生活の苦労がなくなった
ことと、もともとが生まれ育ちのいいお嬢さんだったから、という
こともあると思う。オーストラリア籍の彼女の父親は、母国では著名な
熱帯衛生学者でサーの位を持つ、ラファエロ・シレント卿だった。

http://megalodon.jp/2011-1016-2328-40/www.tobunken.com/news/news20111014192252.html

×79歳との説もある ○79歳との報道もあった
×63年には ○64年には

「79歳との説もある」というのは何か変だと思った。「6日、死去」というのが動かないので
あれば、ダイアン・シレントの生年月日が諸説あります状態でもない限り、亡くなった年齢
が 78 歳になったり 79 歳になったりとは考えにくいため。

でも、ダイアン・シレントの生年月日は 1933 年の 10 月 5 日という話で、1932 年生まれ
だという説は見つからなかったんだけど。1933 年生まれならば、2011 年に 79 歳という
のはありえない。

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=39315
>■生年月日 : 1933/10/05
>■出身地 : ニューギニア/ラバウル
>■ショーン・コネリーとは62年に結婚したが73年に離婚。85年には脚本家のアンソ
>ニー・シェイファーと再婚した。息子ジェイソン・コネリーも俳優になった。


http://en.wikipedia.org/wiki/Diane_Cilento
> Diane Cilento (5 October 1933 – 6 October 2011[1]) was an Australian theatre
> and film actress and author.[2]


多分、これは唐沢俊一が以下の訃報記事を読んで、「年齢については、79歳との報道も
ある」というのを、勝手に「79歳との説もある」と劣化コピーしてしまったせい。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/10/08/kiji/K20111008001777740.html
>S・コネリーと一時結婚…ダイアン・シレントさん死去
> AAP通信などによると、オーストラリアの女優ダイアン・シレントさんが6日夜、同国北
>東部ケアンズの病院で死去した。78歳。年齢については、79歳との報道もある。死因
>などは不明だが、長期間の闘病生活が続いていたという。
> 人気映画007シリーズの初代ボンド役、ショーン・コネリーと一時結婚していたことで
>知られる。1963年の「トム・ジョーンズの華麗な冒険」などが代表作。


「79歳との報道もある」というのは、以下のブログでいう「豪 ABC」のことと思われる。

http://jamesbond.exblog.jp/13764816/
>女優のダイアン・シレントが死去
豪 ABC によると、オーストラリア出身の女優、ダイアン・シレントが亡くなりました。78
>歳でした。ダイアン・シレントは1962年から1973年まで、初代ジェームズ・ボンドの
>ショーン・コネリーと結婚。二人の間には息子のジェーソン・コネリーがいます。
>『007は二度死ぬ』(1967)のロケで夫のコネリーと来日したシレントは、水中シーンで
>ボンド・ガールである浜美枝の代わりに泳ぎ、吹き替えを担当しました。

>訂正:ABC では79歳と記述していますが、正しくは78歳です。


報道記事の誤りが唐沢俊一の混乱を招いた――という点では、杉浦直樹のときのアレに
似ている (ここを参照) が、今回は亡くなってから 1 週間が経っているのだから、落ち着
いてググってみれば、よかったのに。


それと、唐沢俊一は「翌63年には『トム・ジョーンズの華麗な冒険』でアカデミー賞候補に
なっている」と書いているけど、IMDb によるとアカデミー賞候補になったのは 1964 年。

http://www.imdb.com/name/nm0162284/awards
> Diane Cilento
> Academy Awards, USA
> Year Result Award Category/Recipient(s)
> 1964 Nominated Oscar Best Actress in a Supporting Role for: Tom Jones (1963).


今回の唐沢俊一は英語版の Wikipedia をベースにしているフシがあって、それに以下の
ように書かれているので 1963 年と書いてしまったのではないか。

http://en.wikipedia.org/wiki/Diane_Cilento
> She was nominated for the Academy Award for Best Supporting Actress for her
> performance in Tom Jones in 1963[6] and appeared in The Third Secret the
> following year, but she allowed her film career to decline following her marriage to
> actor Sean Connery, the second of her three husbands, to whom she was married
> from 1962 to 1973; they had one son, actor Jason Connery.


『トム・ジョーンズの華麗な冒険』 (Tom Jones) の公開は 1963 年なのだから、「Tom
Jones in 1963」という方は、何も間違っていないのだが……。

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2011.10.16 (Sun)

梶田達二を未来追悼?

http://www.tobunken.com/news/news20111010103313.html

イベント
2011年10月10日投稿
ディテールに凝った男 【訃報 梶田達二】
〈略〉
その、禁断症状を埋めるのが、イラストレーターの絵であった。
小松崎茂、石原豪人という二大巨匠を筆頭として、多くの雑誌、単行本は
梶田達二、中西立太、前村教綱、南村喬之といった絵師たちが筆をふるい、
華麗なる怪獣ワールドを展開していた。現在のようにプロダクションの
チェックがきびしくない時代であったから、彼らの描く怪獣画には、
どれもオリジナル設定に比べてほんの少し(時によっては大幅に)逸脱して
おり、そこが個性であった。当時の子供たちなら、梶田ウルトラマンと
南村ウルトラマンの違いなど、簡単に見分けられたのである。
〈略〉
そのドラマ性に優れていた原因が、梶田氏があまり怪獣に思い入れがなかった
から、というのはちょっと皮肉な気もするが、これは確かなことである。
梶田氏自身の証言がある。
http://garagara9.s1.bindsite.jp/pg148.html
「怪獣は現実にいるものと違って、荒唐無稽でしょう? それは面白いん
だけど、そうしたものを続けて描いてると、どうしてもストレスがたまってね、
発散しようと自分の好きな飛行機を描いたりした。背景の建物とかも結構
描き込んだりしてたね」

梶田氏のストレスが描かせたリアルなビルや兵器が、怪獣の存在に大いに
現実味を持たせ、それが梶田氏の怪獣画の特長になっていった。もともと
小松崎茂の描く戦記画のファンで、航空機や戦車などの資料も自身所有のもの
を大量に所持していた梶田の絵におけるメカニックの描写の現実感は、他の追随を
許さなかった。
〈略〉
怪獣から“解放”された後の梶田氏は、帆船絵師として斯界で高名な存在と
なり、思うままに好きな絵を描けた晩年を送った。とはいえ、かつて描き
まくっていた怪獣絵もまた忌避することなく、子供時代に氏の絵にあこがれた
人たちに囲まれた会でも、嬉しそうに往時の思い出話を語っていた。
師として仰いでいた(正式な弟子ではなかったが)小松崎茂以上に、
画家としての人生は幸福なものだったと思う。

11月8日、胃ガンで死去。75歳。精神的に物凄く豊かであった昭和の
怪獣ファンとしての子供時代を過ごし得たお礼を、心から申上げたい。
ご冥福を。

http://megalodon.jp/2011-1011-2310-18/www.tobunken.com/news/news20111010103313.html

×彼らの描く怪獣画には、 ○彼らの描く怪獣画は、
×11月8日 ○10月8日

日付が「11月8日」となってしまっているため、まるで未来予知みたいになっている件に
ついては、最初に2ちゃんねるのスレで指摘した人は、「意地悪すぎるような気がするので
魚拓までは取らないが」と書いていた (Read More 参照)。それを読んで、すぐに魚拓を
とったのは、いうまでもない (?)。

で、これも2ちゃんねるのスレで違和感を表明していた人のいる「梶田氏があまり怪獣に
思い入れがなかった」。それだけなら、まだわかるのだが、唐沢俊一の文章では、さらに
「怪獣から“解放”された後の梶田氏は、〈略〉思うままに好きな絵を描けた晩年を送った」
とまでいってしまっているので、それは少しどうかと思った。

唐沢俊一が孫引用しているインタビューの記事を、その前後もを含めて引用すると以下
のようになる。

http://garagara9.s1.bindsite.jp/pg148.html
>梶田達二に聞く(99年8月「ウルトラ時代」掲載)
〈略〉
>----怪獣に違和感はなかった。映画でもSFものは必ず観ていましたよ。『月世界征
>服』とか『禁断の惑星』だとか。それに恐竜も好きだったからね。怪獣はね、出版社から
>資料を貰って描いてました。怪獣ものは資料がなきゃ描けないからね。戦記ものだと自
>分で資料いっぱい持ってますけど(笑)。怪獣の絵でも、よく飛行機が飛んでいて、飛行
>機の方が力が入ってる場合もあったな(笑)。怪獣は現実にいるものと違って、荒唐無
>稽でしょう? それは面白いんだけど、そうしたものを続けて描いてると、どうしてもスト
>レスがたまってね、発散しようと自分の好きな飛行機を描いたりした。背景の建物とか
>も結構描き込んだりしてたね。
>----怪獣を描くからといって、特別のことはしなかったね。ただ、動物を描くときはやっ
>ぱり目だよね、一番力入れるのは。目で生きるか死ぬかが決まっちゃうからね。目が生
>きてると全体が生きてくるの、動物って。目一つで決まります。怪獣は顔に迫力を出さ
>なくちゃいけなかったからね。


唐沢俊一の文章から受ける印象程は、梶田達二は怪獣の絵を描くのを負担に思っては
いなかったように思える。また、「怪獣ものは資料がなきゃ描けないからね」というのは、
唐沢俊一の書いている「彼らの描く怪獣画には、どれもオリジナル設定に比べてほんの
少し(時によっては大幅に)逸脱して」が頭にあると、ちょっと首をひねることになる。唐沢
俊一のいう「彼ら」に梶田達二を含ませるべきなのか、どうか。

それと、唐沢俊一の理屈では、梶田達二の描く絵が「ドラマ性に優れていた原因が、梶田
氏があまり怪獣に思い入れがなかったから」、怪獣に思い入れのない「梶田氏のストレス
が描かせたリアルなビルや兵器が、怪獣の存在に大いに現実味を持たせ」たからという
ことになるのだが、これもちょっとどうかと思った。

梶田達二はどういう絵を描く人なんだろうと少し画像検索してみただけでも、特に「リアル
なビルや兵器」が描き加えられていなくて、なおかつ「ドラマ性に優れて」いて、見る側の
支持も高い絵は、いろいろ見つかるのだけど……。

http://toho.seesaa.net/article/49799594.html
>セブンロード、最後の展示は梶田達二さんの生イラスト。
>んんーとても迫力があるイラストですなぁ。
>セブンかっけぇ(笑

( http://toho.up.seesaa.net/image/75B3E1C5C4C3A3C6F3-B3A81.jpg
http://toho.up.seesaa.net/image/77B3E1C5C4C3A3C6F3-B3A83.jpg )

http://homepage3.nifty.com/aki_nag/nikki/old_book1.htm
>上のイラストは梶田達二、
( http://homepage3.nifty.com/aki_nag/jpg/DSCF0660_.jpg )

http://homepage3.nifty.com/aki_nag/nikki/old_book1.htm
>これもイラストは梶田達二。
>ちゃんと円谷プロのまるCが入ってます。

( http://homepage3.nifty.com/aki_nag/jpg/DSCF0661_.jpg )

以下の例は、コンピュータルームらしきものや野球場が描かれているけど、「リアルなビル
や兵器」とは違う気がするし、「小松崎茂の描く戦記画のファン」だったからどうこうという
のも、あまり関係がありそうもない。

http://blogs.yahoo.co.jp/tigaa01/16506315.html
>梶田達二さんによる昭和の少年誌風のイラストが楽しめますよ。
>イラストの裏は、商品のストーリーと登場怪獣について書かれている説明書のような感
>じです。

( http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/39/03/tigaa01/folder/1032465/img_1032465_16506315_17?1265116902
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/39/03/tigaa01/folder/1032465/img_1032465_16506315_18?1265116902 )

さらに、メンコの絵となると、「リアルなビルや兵器」といった、怪獣やウルトラマン以外の
要素が入り込む余地がほとんどなかったりするような。

http://sappy-rx-78-2.cocolog-nifty.com/sappy/2007/01/post_d2af.html
>内側に梶田達二氏書き下ろしイラストが掲載されています。おまけのメンコも同じイラス
>トです。

( http://sappy-rx-78-2.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/panoramafaito022.jpg
http://sappy-rx-78-2.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/panoramafaito023.jpg )

唐沢俊一って、http://garagara9.s1.bindsite.jp/pg148.html だけ見て書いたんじゃない
だろうな……という疑惑が少々。画像もそこにあったのをパクっているだけっぽいし……。

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2011.10.10 (Mon)

大事なことなので二度言いましたよの『フィラディルフィア』

http://www.tobunken.com/news/news20111009142541.html

イベント
2011年10月9日投稿
タフだった男 【訃報 チャールズ・ネイピア】

『ランボー/怒りの脱出』(1985)で、ランボーに対し徹底的に高圧的
態度に出るマードック司令を演じていた俳優。頑丈な体格、真四角ないかつい顔。
およそ、保安官とか警官とか軍人とかを演じさせてこれほど似合う俳優は
いなかった(軍人が似合うのは当然で、陸軍空挺隊の出身者であった)。
もちろん、その対角線上にあるギャングや悪徳政治家なども似合っていた。

B級怪獣映画『ディノクロコ』やB級SF映画『エイリアン・クライシス』
や、B級モンスター映画『スティンガー』など、レンタルビデオ店の棚で
おなじみのB級作品のキングと言っていいかもしれない。出自がなにしろ
B級セックス映画の帝王、ラス・メイヤー映画である。

その一方で大作にもコンスタントに顔を出し、上記『怒りの脱出』の他、
トム・ハンクスがエイズ罹患者の弁護士を演じてアカデミー賞を獲得した
『フィラディルフィア』(1993)では裁判長、オバカ映画『オースティン・
パワーズ』(1997)では将軍など、アメリカ映画においてはどこにあっても、
ネイピアのような俳優は必要とされていた。そういう大作映画において最も
有名な役柄は、『フィラディルフィア』のジョナサン・デミ監督の出世作、
『羊たちの沈黙』(1991)でレクター博士の手にかかり、檻(レクター
博士を閉じこめておくための)に蝶の標本のように磔にされる警官役だろう。
ハリウッド映画で最も有名な惨殺シーンの被害者を演じた役者、でもある。

『ブルース・ブラザース』(1980)ではやたら暴力的なカントリー歌手。
自分たちの名を騙ったジョン・ベルーシたちに銃をぶっ放すのはやはりチャールズ・
ネイピアらしいと言えば言えるが、それでも歌手役とは、と意外に思って
いたら、なんと60年代には『宇宙大作戦(スター・トレック)の
『自由の惑星エデンを求めて』で宇宙ヒッピーに扮し、エレキギター(?)を
弾いて歌っていた。
http://www.youtube.com/watch?v=MRewcZXEMb8&feature=player_embedded

10月4日、たぶん脳溢血であろう、急に昏倒してその翌5日に死亡。
長いことの寝たきり、などということもなく、いかにも未練なくこの世を
立ち去ったのも、タフガイを売り物にした彼らしいと言えば言えなくもない。
ある意味、非・スターである役者の、映画界における出世街道の理想像と
言えたかも知れない一生は、充実したものだったと思う。75歳。もうちょっと
スクリーンにそのいかつい顔を見せ続けてほしかったが。
R.I.P.


×『フィラディルフィア』 ○『フィラデルフィア』
×『オースティン・パワーズ』(1997)では将軍
○『オースティン・パワーズ:デラックス』(1999)では将軍
×脳溢血 ○血栓

何も考えないで「フィラディルフィア チャールズ・ネイピア」でググったら、「もしかして:
フィラデルフィア チャールズ・ネイピア」と表示されてしまったわけだが。その検索結果
のトップは以下の訃報。

http://www.cinematoday.jp/page/N0035948
>『フィラデルフィア』『ブルース・ブラザース』のチャールズ・ネイピア、死去

> [シネマトゥデイ映画ニュース] 映画『フィラデルフィア』『羊たちの沈黙』『ブルース・
>ブラザース』などで知られるチャールズ・ネイピアさんが自宅で倒れ、亡くなった。75歳
>だった。
> 地元のテレビ局によると、チャールズさんは昨年5月に脚の血栓で入院し、倒れたの
>も血栓の可能性があるようだ。発見後、ICU(集中治療室)で治療を受けたものの、家
>族は生命維持装置を外すことに同意し、チャールズさんは息を引き取ったという。
> 日本では名前はあまり知られていなくとも、数多くの映画とドラマの脇役で出演してお
>り、写真を見れば、「この人か」とおなじみの俳優だった。最近ではテレビドラマ「ラリー
>のミッドライフ★クライシス」「CSI:科学捜査班」「4400 未知からの生還者」などにゲス
>ト出演していた。(澤田理沙)


すぐ上に引用した記事の日付が「2011年10月9日 18時37分」で、唐沢俊一が“追討”の
文章――まともな追悼なら「非・スターである役者」などとは、わざわざ書かないだろう――を
アップしたのが、URL から推測して、同日の14時25分。何をそんなに急いでいたのか。

2ちゃんねるのスレで指摘した人のいう通り (Read More 参照)、「昏倒してその翌5日に
死亡」あたりの記述は、「タフガイを売り物にした彼」や「軍人が似合う」と同様、英語版
Wikipedia からきているものと思われる。で、「たぶん脳溢血であろう、急に」というのは、
唐沢俊一が勝手につけ加えた記述っぽい。

http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Napier_(actor)
> Charles L. Napier (April 12, 1936 ? October 5, 2011) was an American actor,
> known for his portrayals of square-jawed tough guys and military types.
〈略〉
> He died on October 5, 2011, after collapsing the previous day. Napier was 75 years
> old. He is survived by his three children.[2][3]


唐沢俊一の文章のみ読んでいた時点でも、「たぶん脳溢血であろう」には少し違和感が
あった。脳溢血と思われる旨、どこかで報じられていたのなら、唐沢俊一自身が「脳溢血
であろう」と推測したかのような書き方にしなくてよいのではないかと思ったため。「たぶん
脳溢血」と判断した理由も、チャールズ・ネイピアが倒れた前後の状況も、唐沢俊一は
書いていないし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/血栓
>血栓(けっせん)とは、血管内の血液が何らかの原因で塊を形成することであり、主に
>血管壁が傷害されることにより起こる。
>通常、血栓の役割は止血である。止血が完了し障害された部位が修復されると血栓は
>消える。これを線溶作用と言う。しかし、その線溶作用が働かずに血栓が肥厚し血管を
>塞ぐことにより、血栓が出来た下位の部位で虚血や梗塞が引き起こされる。それを血
>栓症という。


http://ja.wikipedia.org/wiki/脳出血
>頭蓋内の出血は総称して一般的に脳出血(のうしゅっけつ)または脳溢血(のういっけ
>つ)と呼ばれる。脳出血は脳内への出血と脳周囲への出血に分類される。医学的には
>狭義での脳内出血のみを指すことが多い。


そして、シネマトゥデイ映画ニュースによると「昨年5月に脚の血栓で入院」なのに対し、
唐沢俊一は「長いことの寝たきり、などということもなく、いかにも未練なくこの世を立ち
去ったのも、タフガイを売り物にした彼らしい」。

2ちゃんねるのスレには、「あんまりだよなあと。『生命維持装置』を使って延命させてた
のなら、 切羽詰まった非常時だったはずで、本人はともかく家族が苦しい判断を迫られた
んだろうから」と嘆いていた人もいるが……どうも唐沢俊一の脳内では、倒れた翌日に
死亡だと「いかにも未練なくこの世を立ち去った」ことになり、それは「タフガイを売り物に
した彼らしい」ということになるらしい。よく考えてみれば、長期の闘病生活は生に対する
「未練」なのか、「タフガイを売り物」とは関係ないんじゃないかと思えてくるのだが。


で、話を「フィラディルフィア」に戻すと、これは『フィラデルフィア』が正しい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィラデルフィア_(映画)
>『フィラデルフィア』(Philadelphia)は、1993年のアメリカ映画。

それと、「『フィラディルフィア』のジョナサン・デミ監督の出世作、『羊たちの沈黙』」あたり
の記述の、有力ネタ元候補は以下のページ。「いかつい顔」や「ラス・メイヤー」なども、
かぶっている。

http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=37727
>■陸軍を経て65年あたりからTVに出演。映画へは「チェリー、ハリー&ラクエル」や
>「淫獣アニマル」などのラス・メイヤー監督作品に出演しつつ主にTVで活躍。やがて
>いかつい顔立ちから脇役として一般映画にも出演作が増えていく。代表作は「ランボー
>/怒りの脱出」。「羊たちの沈黙」でレクター博士の餌食となってキリストのように貼付
>けにされる警官役や「フィラデルフィア」の判事役に扮したりとジョナサン・デミの作品に
>数多く出演している。


唐沢俊一の書いている「蝶の標本のように磔にされる」については、蝶の標本だったら
大の字のようなかたちになるのではないかと少し違和感があったが、まあ手の広げ方が
蝶のようにもみえる――下のリンクの人は「鳥みたいな格好」と書いている。画像は少し
グロいかも――ような気もするので、よいとして。

http://homepage2.nifty.com/pinkyboo/oko/movie/ha.htm#silenceofthelam
>とにかく、レクターが警官の顔に噛み付いて、一人を警棒で殴りつけ、
>ぶっ殺し、自分の入れられていた檻に、死んだ警官を鳥みたいな
>格好させて吊るす。思わず笑ってしまいました(笑)。
>だって、わざわざ、重たいだろうに、頑張って吊るしたんだなと思うと(笑)。



で、チャールズ・ネイピアの役が「将軍」になっているのは、1997 年の『オースティン・
パワーズ』ではなく、1999 年の『オースティン・パワーズ:デラックス』の方と思われる。

http://ethanedwards.blog51.fc2.com/blog-entry-710.html
>オースティン・パワーズ
〈略〉
>チャールズ・ネイピア:ギルモア中将


http://blog.livedoor.jp/k3keiho3k3tachibana/archives/1058500.html
>『オースティン・パワーズ』
〈略〉
>チャールズ・ネイピア(ギルモア司令官役)


http://ethanedwards.blog51.fc2.com/blog-entry-727.html
>オースティン・パワーズ:デラックス
〈略〉
>チャールズ・ネイピア:ホーク将軍


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2011.10.08 (Sat)

Steve Jobs 1955-2011「世界は一人の素晴らしい人物を失い ました」

http://www.tobunken.com/news/news20111006141858.html

イベント
2011年10月6日投稿
肉を食べなかった男 【訃報 スティーブ・ジョブズ】

「マックユーザーです」
と名乗るときに、私はほんのちょっとの照れと、やはりほんのちょっとの
誇らしさを感じる。ちょうど、ベータマックスのユーザーであったときと
似た感じだ。

照れるのは、これは自らを少数派エリートと位置づけるスノッブ嗜好
なのかもしれない、と思うからだ。CNNが報じたことがあるが、マック
ユーザーはパソコン使用者の25%に過ぎない(ウインドウズ、いわゆる
PCの使用者は52%)。しかしマックユーザーはPCユーザーに比べて
若くリベラルで流行に敏感、都市生活者が多いという。さらに言えば
高学歴者が多く、ベジタリアンがPCユーザーに比べ8割も多く、大型バイク
よりスクーターを好みPCユーザーがカジュアルな服装やツナサンド、
白ワイン、ハリウッド映画、USAトゥデイ紙(大衆紙)、ペプシを好むと
回答したのに対し、マックユーザーはデザイナー物やビンテージ物の衣服、
ハマス(ヒヨコマメのペースト)、赤ワイン、インディーズ映画、
ニューヨークタイムズ紙(高級紙)、サンペレグリノ・リモナータ
(レモネードの一種)を好むことが分かった……とか。これを要すると、
マックユーザーというのは自己顕示欲の強いイヤミな奴、という感じ
紛々である(笑)。

実際、スティーブ・ジョブズ氏は最右翼ベジタリアンのビーガンであった。
肉どころか卵も牛乳も、ハチミツすら生物からの搾取だ、として摂らない。
ライバルであるビル・ゲイツ氏がジャンクフード大好き人間で、好物が
ハンバーガーというのと対照的すぎる。

おまけに宗教までアメリカ人としては少数派の仏教徒であった。
米国の経済誌『フォーチュン』は08年3月5日号で、ジョブズ氏の闘病に
ついて、こう報じたという。
「仏教徒で菜食主義であるアップルCEOは、現在主流の、西洋医学に懐疑的
だった。膵臓がんの治療でも別の治療法を採用することを決め、特殊な食事
療法によって手術を回避する道を希望した」
この情報を受けて、『経済ジャーナル』は、ジョブズ氏の病気の悪化は、
その食生活に原因があるのではないか、と述べている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2006

思うにジョブズ氏がもうちょっとだけ俗物であれば、天はこの偉才に今少し、
この世での活躍をさせてくれたかもしれない。しかし、その偉才が偉才
足り得たのは、自分が生み出したマックユーザーたちと同じ、
「人と違うことをすることに、たまらない喜びを感じる」
という性格が関与していたことは確実であろうと思うし、で、あればビーガン
の人生を選んだ(それが本当に氏にとって致命な習慣であったとして)ことも
仕方ないのかもしれない。

彼がベジタリアンになった理由の一つに、若い頃のインド放浪があった。
その青春時代カリフォルニアを席巻していたニューサイエンスにかぶれた者が
インド信者(インドの個別な宗教ではなく、人間の生き方の理想としてインド
の人々の生活にあこがれる)となるのはごく当然のことであり、そういう者
の常として、この地球(ガイア)をひとつの生命体と考え、全てにつながりが
ある有機体としてとらえる思想を身につけていたことが、パソコンを通じて世界を
ひとつに結ぶというシステムの発想に寄与したのも、まず間違いあるまい。

数年の時間差で同じカリフォルニアに滞在し、同じくニューサイエンスの波に
かぶれた人間に鳩山由紀夫氏がいるが、あの人(夫婦)ばかりを見て、
ニューサイエンスの悪口を言ってはいけない。ジョブズ氏のような例だって
ちゃんとあるのである。

私自身は、20年以上のマックユーザーとはいえ、通俗の側に自分を置く
人間である。ニューサイエンスもインド式生活とも、出来れば無縁でいたい。
とはいえ、マックユーザーと名乗るときの、ちょっとした誇らしさは、
世界を変えたシステムの末端に自分がつながっている、という
その感覚に関係している。

10月5日、膵臓ガンで死去、56歳。
輪廻を信じていただろうジョブズ氏にとり、死はそれほど恐怖でもなかった
ことだろう。それもわずかな救いである。56歳という年齢は極めて若いが、
しかしあまりに嘆くのはやめよう。われわれは、彼の生み出したこれだけ
たくさんのものに囲まれて“世界とつながり”、毎日を生きているのだから。
安らかに、次の転生まで。

http://megalodon.jp/2011-1007-0544-35/www.tobunken.com/news/news20111006141858.html

Apple のトップページ http://www.apple.co.jp/ には Steve Jobs の大きなモノクロ写真
のみが表示され (魚拓)、それをクリックすると http://www.apple.com/jp/stevejobs/
「Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました。世界は一人の素晴らしい人物を失い
ました。」ではじまるお悔やみの言葉が表示される (魚拓)。唐沢俊一にとっては、「肉を
食べなかった男」でしかなかったのかもしれないが。

で、今回も書いてあることは、結構無茶苦茶。

まず、「マックユーザーはパソコン使用者の25%」というのは多過ぎるし、「ウインドウズ、
いわゆるPCの使用者は52%」と、2 つ足して 77% にしかならないのは少な過ぎる。
Linux その他の OS で 23% を占めるはずもないし、しかも「パソコン使用者」というからに
は、サーバーとかではなく個人で使用しているパソコンだろうし……。

2008 年、2009 年と Apple 社はパソコンの市場シェアをガンガン伸ばしていったけれど、
それでも全体の 10% 程度。これは出荷・販売の数値で、「パソコン使用者」の使用して
いるパソコンは、それより前の年に購入したものも少なくないはずだから、マックユーザー
が「パソコン使用者」に占める割合は、もっと少ない計算となる。

http://tsugawa.tv/apple_news/2009/10/15/mac-sales-growth-in-q3-2009/
>IDCとGartnerが発表した2009年第3四半期のパソコン市場調査の速報値によれば、
>Appleの米国内の市場シェアが拡大しており、Macコンピュータの出荷台数は前年同期
>比で市場平均を大きく超えるプラス成長をみせました。
>IDCによると、同四半期の米国内におけるMacの出荷台数は、前年同期比で11.8%増と
>なる164万台と推定され、市場シェアは同0.8ポイント増の9.4%に達して、HP、Dell、
>Acerに続く第4位の市場シェアを確保しました。


http://wired.jp/wv/2010/10/19/
>apple社、米国パソコン市場で「第1位」に/
>IDC社によると、Apple社は第3四半期に、米国で200万台近くのパソコンを販売した。
>これはコンピューター・メーカーの第3位で、米国における同社の市場シェアは10.6%だ
>(HP社とDell社の次であり、順調に成長を続けており、Acer社を負かしている)


http://www.japancontents2.net/day/2011/01/738.html
>Net Applicationsから2010年12月のOSシェアが発表されました。

>●OS別 シェア 推移
>1 Windows 90.29% ↓ (11月のシェア90.81%)
>2 Mac 5.02% = (11月のシェア5.02%)
>3 iOS 1.69 ↑ (11月のシェア1.37%)
>4 Linux 0.96% ↑ (11月のシェア0.93%)
>5 Java ME 0.91% ↑ (11月のシェア0.89%)


しかし、唐沢俊一は「CNNが報じたことがあるが」と書いている。CNN はいったい、どの
ような報道をしたのかと不思議に思って探してみたら、以下に引用 (改行は変更している)
のような話だったらしい。

http://logsoku.com/thread/raicho.2ch.net/newsplus/1303728182/
>1 :おじいちゃんのコーヒー ◆I.Tae1mC8Y @しいたけφ ★:2011/04/25(月)
>19:43:02.03 ID:???0
>(CNN) アップルが昔使っていたCMに描かれていたように、 PCとマックの利用者
>層に違いはあるのだろうか。情報収集支援サイト「ハンチ」が独自にアンケートを実施
>した。
>その結果、マックユーザーはPCユーザーに比べて若くリベラルで流行に敏感、都市
>生活者が多いというデータが示された。
>調査には38万8千人のユーザーが回答した。科学的手法に則した調査ではないが、
>コンピューターへのこだわりに関する質問では全体の52%がPC愛用者と回答し、
>25%がマックファンと回答した。
>大卒以上の高学歴者の割合はPCユーザーが54%だったのに対し、マックユーザー
>は67%だった。またベジタリアンの割合はマックユーザーの方が8割多く、 またマック
>ユーザーは大型バイクよりもスクーターを好む傾向が見られた。
>またPCユーザーがカジュアルな服装やツナサンド、白ワイン、ハリウッド映画、 USA
>トゥデイ紙、ペプシを好むと回答したのに対し、マックユーザーはデザイナー物やビン
>テージ物の衣服、ハマス(ヒヨコマメのペースト)、赤ワイン、インディーズ映画、ニュー
>ヨークタイムズ紙、サンペレグリノ・リモナータ(レモネードの一種)を好むことが分かった。
>またマックユーザーは自らをコンピューターに詳しく、新製品にはいち早く関心を持ち、
>導入する「アーリーアダプター」だとしたのに対し、PCユーザーは数学が得意で、
>パーティーはあまり開かないと自己分析したという。
>ハンチがこの調査を開始した2009年9月以降、アップルはiPadや iPhone4のヒット
>で今や世界で最も時価総額の高いハイテク企業となったが、 今回の調査で自分がPC
>ユーザーであると回答した人の割合は前回の50%から52%にわずかに増えていたの
>は興味深い。

>http://www.cnn.co.jp/fringe/30002531.html


つまり、ある情報収集支援サイトのアンケートの回答者の「25%がマックファン」という
のが、唐沢俊一にかかると「マックユーザーはパソコン使用者の25%」になってしまった
――ということで。

少し驚くのは、唐沢俊一の文章は元の文章の丸ごとコピペに近いものなのに、わずかな
改変でしっかり劣化させてしまっていること。まあ相手が唐沢俊一なので、驚きも少しに
とどまるのだけれど。それと、http://www.cnn.co.jp/fringe/30002531.html は現在記事
が残っていないので、しょうがないのかもしれないけど、元ネタの URL なしで、「CNNが
報じたことがあるが」で済ますには、コピペ率が高過ぎなような気が。唐沢俊一らしいと
いえば、それまでだが。

「マックユーザーというのは自己顕示欲の強いイヤミな奴」というのだけは、唐沢俊一の
オリジナル。「赤ワイン、インディーズ映画、ニューヨークタイムズ紙」くらいでそんなこと
いわなくてもよい気がするし、自分は「ハマス(ヒヨコマメのペースト)」や「サンペレグリノ・
リモナータ(レモネードの一種)」といわれてもピンとこないので、よくわからない。いやまあ
「デザイナー物やビンテージ物の衣服」が、唐沢俊一的にはアレだったのかも。


さて、http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2006 の方は、ちゃんとリンク先も示され
参照可能だけど、何かそこに書かれていることから、妄想を一気に飛躍させ過ぎな気が
してたまらないのだが……。

http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2006 (魚拓)
>「今回の病状については米マスコミでもあまり報じられていません。そうした中、ジョブ
>ズ氏の食生活に体調不良の原因があるのではないか、との説まで囁かれ始めている
>のです。ジョブズ夫妻が、究極の菜食主義者と言われるヴィーガンであることは有名
>で、ジョブズ氏は、特に果物にこだわる果実食主義者。リンゴが大好物で、肉も魚も、
>卵も乳製品すら摂らない。ミルクも蜂蜜もダメ。それが激やせの原因ではないかという
>のです」(前出の米国人ジャーナリスト)


上に引用するようなことを書く一方、「もちろん、今回の体調不良と果実食主義との関係は
明確ではない。」ともつけ加えているのだが、唐沢俊一にかかると、「ジョブズ氏の病気の
悪化は、その食生活に原因があるのではないか、と述べている」ということになる。

それだけではすまないで、「彼がベジタリアンになった理由の一つに、若い頃のインド
放浪があった」と断言したり、「青春時代カリフォルニアを席巻していたニューサイエンス
にかぶれた者がインド信者〈略〉となるのはごく当然のこと」と、トバしはじめる。

http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2006
> しかし、ジョブズ氏の経歴を振り返れば、カリスマ経営者と果実食の"ユニークな関
>係"が垣間見えてくる。
〈略〉
> 友人のダン・コトケ氏と仕事でドイツに行った帰りにインドに寄り、数ヵ月間放浪したり
>もした。インドでは、修行僧のグルに気に入られ山で一緒に修行、丸坊主になって出社
>したこともあったという。
〈略〉
>「ジョブズ氏が付けたと言われている社名の由来についてはいろいろ説がありますが、
>大学を中退した後に、彼がリンゴ農園で働き、よくリンゴの木の下で瞑想していたため
>に〝アップル〟と命名したと聞いています。インドを放浪したり仏教の修行に没頭した
>り、ハイテク企業の経営者ながら、自然主義的でオリエンタルなものに人並み外れた
>畏敬の念を持つのも、彼のユニークさの一つでしょう」


まあ、上に引用したような記述を読むと、ニューエイジとかニューサイエンスとかいいた
がるのは、唐沢俊一だけではないようだが。

- http://123tenpu.livedoor.biz/archives/50125043.html

元記事自体、そういう方向に話を引っ張ろうとしているようだし……。ただ、元の記事で
少し気になったのは以下の記述。

http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2006
>ちなみに、ジョブズ氏は日本の禅にも傾倒し、日本食、特に蕎麦が好物で、アップル
>本社の食堂には「刺身蕎麦」というメニューがあるのは有名な話である。


「究極の菜食主義者」は、普通の蕎麦は、鰹節などの魚介類の出汁を使っているからと
避けるはず。(実際、前にいた会社で、そういう人が日本出張してきたことがある。自分は
直接担当していなかったけど、そういう人向けの店を予約するしかなかったと聞いた)。

ジョブズの行動は、ヴィーガニズムの定義からはずれているように思える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィーガニズム
>ヴィーガニズム(英:veganism)もしくは純菜食主義とは、衣食を含むあらゆる目的の
>ために動物を殺すことがないよう、動物製品を一切使わない、食べないようにする生活
>様式である[1]。
〈略〉
>1. ^ 毛皮や皮革製品を着ない、使わない・肉や魚、卵、乳製品、蜂蜜などを食べない。


これについては、2ちゃんねるのスレで深く突っ込んで調べている人がいたので、Read
More
を参照のこと。


さて、以下のような話もある。「ヒッピー運動に端を発し、エコロジー、ニューサイエンス
からパソコン文化までとも連動」した「アメリカ西海岸のひとつの思想的潮流」にジョブズ
をいれるのは、そんな奇異な発想ではないかもしれない。

http://wired.jp/2011/06/23/投票結果発表!wired大学-新・教養学部必読書9/
>Whole Earth Catalog(洋書)
>Stewart Brand=著
>自給自足のための道具を紹介することにはじまった「カタログ」は、ヒッピー運動に端を
>発し、エコロジー、ニューサイエンスからパソコン文化までとも連動しながらアメリカ西海
>岸のひとつの思想的潮流のバックボーンとなった。もちろん『WIRED』もその嫡子だ。
>◆ユーザーからのコメント
>マイ指南書だと思ってます/Jobsがスタンフォードで語ってたアレ/数年前にPDFで公
>開されましたよね/Stay hungry, stay foolish/カウンターカルチャー運動は何だった
>のかという視点で/この裏表紙にジョブズが引用した、Stay hungry, stay foolishが書
>かれている。オリジナルの1970年くらいにでたやつをもってる/ジョブズはGoogle的と
>言ってたけど、そんなアトラスは目指してないかと/地球全部はお尻の穴である


しかし、唐沢俊一の (悪い意味で) すごいところは、ジョブズをニューサイエンスに分類
しさえすれば、「そういう者の常として、この地球(ガイア)をひとつの生命体と考え、全て
につながりがある有機体としてとらえる思想を身につけていた」と、さらりと断言してよいと
思っているらしいところ。ニューサイエンスの人だとしても、皆が皆ガイア理論を支持して
いるとも、そもそも興味をもっているともかぎらないと思うのだが…… 。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ガイア理論
>ガイア理論(ガイアりろん)とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げてい
>ることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。ガイア仮説ともいう。


ジョブズがガイア理論について何か語っているという話もみつからなかったし、唐沢俊一
自身、その手の情報を紹介しようとしているわけではない。むしろ、唐沢俊一の思考は、
「パソコンを通じて世界をひとつに結ぶというシステムの発想に寄与」した、これは「全てに
つながりがある有機体としてとらえる思想を身につけていた」からだ、それはニューサイエ
ンスのガイアからきているのだ――という流れをたどっているように思える。頭がクラクラ
してきそうな理屈だが。

さらにいえば、「パソコンを通じて世界をひとつに結ぶというシステム」とか、「“世界と
つながり”」とか、やたら強調しているのも気になったりする。ジョブズはネットワーク関連
で何か目立ったことやっていたっけと思うし、インターネットを念頭においているのならば、
MacOS というより UNIX 系が由来のものだと思うし (← MacOS X は UNIX がベースと
いう突っ込みはなしの方向で)。

それにしても、「同じくニューサイエンスの波にかぶれた人間に鳩山由紀夫氏がいる」で
思い出したけど、鳩山由紀夫について唐沢俊一は、「アメリカ留学時代にドラッグやって
いた事実を ばらすぞとCIAに脅されていたなんて話もある(笑)」、「80年代にカリフォル
ニアにいてドラッグやってないヤツがいたらそれこそモグリだったから(笑)」とか好きな
ことを書いていたりもした (ここを参照)。

とにかくドラッグ (ここを参照) と思えば、「温泉地ってのにはだいたいこういったヨッパライ
が集まってくるっていうか、アメリカ・カリフォルニアなんかではね温泉地っていうか、向こ
うの方では健康のために入浴するんですけども、用心棒を置いているっていう。」とテレビ
で語ったこともあるし (ここここを参照)、唐沢俊一世界のカリフォルニアは、ドラッグと
アルコールにあふれた、ひたすら殺伐とした場所らしい。「目的地にあと200m」のところで
孤立し立ち往生して、人肉食いに発展するような場所でもある (ここを参照)。

別に、たとえばシリコンバレーに勤務している者が皆、ドラッグにニューエイジを愛好して
いるわけではないはずだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シリコンバレー
>シリコンバレー (Silicon Valley) はアメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフラン
>シスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の
>俗称。名称の起源はこの地域の多数の集積回路革新者及び工場と関連しているが、
>やがてはこの地域内の先端技術ビジネスを当てはめるようになった。



ええと、それから、「輪廻を信じていただろうジョブズ氏にとり、死はそれほど恐怖でも
なかったことだろう」に、「次の転生まで」――の件について。

http://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ジョブズ
>また、若い頃から禅に傾倒した仏教徒であり、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を愛読、
>しばしばスピーチなどで禅の教えを引用した。禅宗の僧侶、乙川弘文を精神的指導者
>と慕っており、結婚式にも招待している。


この『弓と禅』は、輪廻や転生について熱く語っている本ではなさそうなんだけど……どう
なんだろう。

- http://www.amazon.co.jp/dp/4571300271
- http://www.goodpic.com/mt/archives2/2007/11/post_217.html
- http://web.prodr.com/prod/maho/herigel.html

前述の「ガイア」同様、ジョブズが輪廻や転生に (シャーリー・マクレーンのように?) ハマっ
ていたという話も聞かない。たとえハマっていたとしても、「死はそれほど恐怖でもなかっ
たことだろう」とは当然かぎらない。そもそも仏教って、「輪廻から解脱することを目的」と
してたんじゃなかったっけ、なのに「安らかに、次の転生まで」はどうなんだろうという疑問
もわいてくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/輪廻
>仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から
>解脱することを目的とする。仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂
>は想定しない(無我)[4]。


で、まあ、唐沢俊一はつくづく、ジョブズという人物に興味がないのではないかと思った。
カリフォルニアで、仏教徒の外人で、若い頃にインド放浪だからニューサイエンス。
ニューサイエンスだから、極端なベジタリアンで、ガイアで地球はひとつの生命体で、
輪廻で転生で――といったふうな連想ゲームをしているだけで、ジョブズ本人がどういう
人だったかなんて興味があまりないように思える。

それと、パソコンのハードウェアやソフトウェアなどへの興味も薄いように思える。重要
なのは、Mac のユーザーは「若くリベラルで流行に敏感、都市生活者が多い」等々の
自己申告のアンケート結果とか、「人と違うことをすることに、たまらない喜びを感じる」
(そうか?) ということのみのような。

そもそも「人と違うことをすることに、たまらない喜びを感じる」ならば、MacOS はもちろん、
Linux や Solaris でさえユーザー数が多過ぎるという問題が。せめて NeXT までいかないと (?)。

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2011.10.05 (Wed)

おトムさん?

裏モノ日記 2007年 06月 26日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070626141501.html

谷幹一氏、死去。74歳とは若過ぎる。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=239843&media_id=8
「こんち、トムさんやって参りましたのは……」
で私の幼年時代の水曜夜は始まった。
『トムとジェリー』の初期ハンナ・バーバラ版には、声による説明はほとんど
なくパントマイム的な動作でわからせるものばかりだったので、原典主義の
アニメファンには、このナレーション
http://www.youtube.com/watch?v=2uLiaavFkH0&mode=related&search=
を忌み嫌う一派がいた。日本語版のナレーションを排除せよ、とアジる文章
を書いていたが、そのときも、そのナレーションを言い表わすのに使っていた
のが、この「こんち、トムさん」だった。いかに、その言い回しが印象的だった
かという逆の面からの証明だろう。

http://megalodon.jp/2011-1005-0051-04/www.tobunken.com/diary/diary20070626141501.html

×トムさん ○トム君
×ハンナ・バーバラ  ○ハンナ・バーベラ

Hanna-Barbera は「ハンナ・バーベラ」でしょう、ということで。

英語版の方を好むというだけならわかるのだが、いくら「原典主義」といっても、「日本語版
のナレーションを排除せよ、とアジる文章を書いていた」ような人が、そんなに何人もいた
のだろうか。「忌み嫌う一派」というからには一人二人ではないという話のようだが……と
いうのは、おいといて。

2ちゃんねるのスレの書き込み (Read More 参照) で紹介されたリンク先で聞くと、確かに
「トム君」というナレーション。

http://www.youtube.com/watch?v=eEqp_58kQqo
>トムとジェリー旧日本語吹き替え版 「目茶苦茶ゴルフ」

ただし、ググってみたら、唐沢俊一以外にも「トムさん」としている人がいたのが気になる
ところ。以下のふたつなどは、かなり熱心なファンのように見えるのだけど。

http://www.amazon.co.jp/dp/4796669019
>レビュー対象商品: トムとジェリー DVD BOX (DVD付) (大型本)
>子供の頃からずっと観て来たトムとジェリーです。 ちょいと前までは、テレビで何百回
>も再放送を繰り返していましたが、まぁ色々な事情があるようで、地上波では放送され
>なくなりました。
>トムの声をアテていた八代駿さん(故人)の声も、ジェリーの声をアテていた藤田叔子さ
>んの声も、「こんちトムさん!」という名ナレーションも、今は聴く事は出来ません
>(YouTubeなどではテレビ版の映像と共に聴くことは可能ですが)。


http://logsoku.com/thread/comic.2ch.net/ranime/1039657955/
>23 : 名無しか・・・何もかも皆懐かしい : 02/12/12 16:18 ID:36Zl1lVo [2/2回発言]
>>>21
>うん、わかる、わかる。 『こんちトムさん今日は・・・』ってナレーションが入って
>漫画が進んで行くんだよね、禿同
>あのままビデオ化は無理だったのかな?


また、「トムさんと悪友」という邦題がついている回も存在する。上の引用の「トムさん」は
ここからきている可能性があるのかな。

http://www.youtube.com/watch?v=flfaiMe5Psg (英語版)
>トムとジェリー 「トムさんと悪友」

http://ja.wikipedia.org/wiki/トムさんと悪友
>『トムさんと悪友』(Sleepy-Time Tom、1951年5月26日)はトムとジェリーの作品の
>一つ。


一方、「トム君」という題の回もあったりするし、「トム君」としているページも (当然?) 存在
する。

http://www.youtube.com/watch?v=8tpolT--5yo
>トムとジェリー 「トム君空を飛ぶ」

http://nakasoku.blog18.fc2.com/blog-entry-1397.html
>4 : 巾着(広島県):2010/02/25(木) 22:01:04.39 ID:ngdqQVkZ
>今日も今日とて、こんちトム君


となると、昔テレビで放映されたときに、「トム君」となっている回と「トムさん」の回がある
のかもしれないと思ったが、ネット上で探したかぎりでは、「トムさん」というナレーションを
聞くことのできる動画は見つけられなかった。「トムさんと悪友」があればよかったのだけど
YouTube 等にアップされているのは、どれも英語版……。

ちなみに、『トムとジェリー』に関する唐沢俊一のガセについては以下のものがある。

本当は『トムとジェリー』も苦手分野じゃないですか唐沢俊一先生
Warner Bros. Entertainment Inc. はガン無視してオッケー?
その「60年代スイッチ」、誤動作だらけじゃないんですか?

上で唐沢俊一が言及していた「赤ちゃんはいいな」も、「土曜の夜は」も「トム君」だった。

http://www.youtube.com/watch?v=V4af-HnIO90
>トムとジェリー 「赤ちゃんはいいな」

http://www.youtube.com/watch?v=3Ng78MisXjM
>トムとジェリー 「土曜の夜は」

「谷幹一 トムとジェリー」で探してヒットした、以下の動画も「トム君」。

http://www.youtube.com/watch?v=aBXv7R6aQFY
>トムとジェリー 次回予告

http://www.youtube.com/watch?v=lh7x7cO17F0
>トムとジェリー 「天国と地獄」

http://www.youtube.com/watch?v=wKJkjtnX6z4
>トムとジェリー 「計算ちがい」

http://www.youtube.com/watch?v=YVP4OWYezfM
>トムとジェリー 「南の島」

別のパターンとして、以下のように敬称なしのものもある。「トムとジェリーは……」とか、
「猫のトムでした」とか。

http://www.youtube.com/watch?v=_QYr5IFn9fE
>トムとジェリー 「メリークリスマス」(修)

http://www.youtube.com/watch?v=HslRpGbrUzU
>トムとジェリー 「ワルツの王様」

http://www.youtube.com/watch?v=bPOdzYD07K4
>トムとジェリー 「氷あそび」

http://www.youtube.com/watch?v=3biiy5LYzwg
>トムとジェリー 「いたずらきつつき」


追記: コメント欄に書いた通り、「ハンナ・バーベラ」の件を追加。
「トム君」については、これもコメント欄に書いたように、「南の島」では「トム君」だったり
するのだけれど、「トムさん」の方がずっと多いというのがあるので、とりあえずそのまま。

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2011.10.03 (Mon)

パイパイゲーム

裏モノ日記 2007年 09月 26日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070926123158.html

http://jp.youtube.com/watch?v=qwirWWnzJKM&mode=related&search=
↑サイレント喜劇と言えばパイ投げだが、あまりいい映像が
YouTubeにはない。サイレントではないが
『三馬鹿大将』シリーズの中から、かなり大掛かりな
パイ投げシーンを。

パイ投げがなぜサイレント映画であれだけ流行ったかというと、
淑女の顔にパイを投げつけるという行為が当時のアメリカ映画で
表現が許される最大の陵辱行為シーンだったからである。
現在でも女性の顔にパイを投げつけるシーンで興奮する
人はたくさんいるようで、“パイセクシュアル”とこれを
呼ぶ研究者もいるらしい(本当か?)
http://jp.youtube.com/watch?v=XgncLPRLd2E&mode=related&search=
↑やはり、エリザベス・モンゴメリーみたいな美人がパイを
ぶつけられると興奮しますなあ。


パイデザ (ここを参照) の次は、パイ投げということで。(←をい) いや、2ちゃんねるの
スレで話題 (Read More 参照) にした人たちは、そのような意図は当然なかっただろう
けど。

ちなみに、上の引用にある「“パイセクシュアル”」については、以前に「πやオッパイが
好きな人もパイセクシャルなのでは
」のエントリーで取りあげた。

で、今回は、「淑女の顔にパイを投げつけるという行為が当時のアメリカ映画で表現が
許される最大の陵辱行為シーン」についてだが、スレで指摘していた人がいっていた
ように、もしこれが顔射を意味しているネタならまあ……説得力のあまりないガセといって
よいと思う。以下は知恵袋からの引用。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1050893990
>アダルトビデオを見ていて、私は顔射トカぶっかけって日本独自の文化だと勘違いして
>いましたが、 実際にはサイレント映画のアメリカにも顔射を暗示させたパイ投げのシー
>ンが色々使われていたことをしりました。
>つまり当時の欧米にもセックスフィニッシュの技の一つとして顔射は普及していたみた
>いなのですが、規制の厳しい当時の映画業界ではまさかそんなシーンを直接撮るわけ
>にもゆかず、しかたないから パイ投げを使ったみたいなんですね。
〈略〉
>【顔射】は日本独自の(苦肉の)「発明」ですよ。

>日本で「本番行為」があることを売り物にしたアダルトビデオが誕生すると、実際に挿入
>していない「疑似本番」の作品も作られました。 これは日本では「局部」にボカシを入れ
>なくてはならないということを逆手にとった手法ですが、ボカシが必要ないアメリカでは
>成立しないごまかしです。

>そこで、「疑似本番」でなく本当に挿入していることを観る者にアピールするために、射
>精の瞬間を観せる【顔射】という演出が考えだされました。(「疑似」だと射精出来ない
>から)

>アメリカの「パイ投げ」においてクリームが精液を暗示しているとしても、そのことが実際
>にアメリカにおいて【顔射】が行われていた証拠にはなりません。下品なギャグが一般
>的性習慣をそのまま表したものではないでしょう。
〈略〉
>「顔射」が日本で「発明」されたのはsyakasaburouさんが指摘した通りです。

>日本では倫理的に「モロ画」が禁じられている為、「顔射」等の他、「モザイク」等のぼか
>しも発展しました。
>対してアメリカ、ヨーロッパ等の国では「モロ画」への倫理が緩い為、昔からほとんど
>「ノーカット」です。


確かに、ぼかしやモザイクは日本独自のもの――とは、よく聞くところではある。

それでなくても、これもスレで指摘があったように、「女性が特にパイ投げの標的にされた
わけじゃない」というのも大きいし。紳士の「顔にパイを投げつけるという行為」の方は、
どう説明をつけるつもりなんだろうか。唐沢俊一の紹介している「『三馬鹿大将』シリーズ」
(Stooges Pie Fight) などは、男性も女性も等しく (男性の方がやや多いくらい?) 「陵辱」
されまくり――ということになってしまう。

「サイレント」がどうのこうのと書きながら、なぜか唐沢俊一が紹介していないサイレント
での例には、http://www.youtube.com/watch?v=WcJaN9n3W6Q (Sometimes credited
as the first 'pie in the face film') 、http://www.youtube.com/watch?v=Lel41OWT6UM
といったものがあるが、パイの被害者はやはり男性が多い感じ。

そして、「パイ投げ」についての説明で、「陵辱」だのセクシャルな要素を持ち出している
資料も見あたらない。

http://www.kigeki-eikenn.com/kigeki-jiten1/6_ha_gyo.html
>【パイ投げ】
>相手の顔へ食物を投げつけるギャグ。歴史は古く、発明者や開発国は不明。投げつけ
>る者(優位)と当てられる者(侮蔑)の相関性と、投擲物(食物など)を本来の用途以外
>に使用する事でギャグが成り立つ。映画がモノクロでしかなかった1910年代前半に、
>アメリカのマック・セネットは視覚効果が絶大で汚物感を覚えさせないモノとして「カス
>タード・パイ」を選定、以降、今日のカラー放送までパイは白色がグローバル・スタン
>ダードとなっている。セネットは慣性重量や飛行距離を厳密に計算したサイズのパイを
>製造していたとされるが、現在のTV番組では、ウレタン・フォームやスポンジにシェービ
>ング・クリームを塗ったものが多く代用され、投げる‘行為’も激減した。(A)


http://blog.fujitv.co.jp/takeshi_gorotsuki/D20110516.html
>さて、数あるお菓子の中から、なぜ、パイが顔面に投げつけられるように定着したかと
>言えば、推測するに、理由は大きく4つあると思います。

>1つは、パイはアメリカ国内で「ママの味といえばパイ」と連想されるほど、ポピュラーな
>お菓子で、アイテム的に万人にわかりやすい、ということ。

>それから、2つめに、パイを焼き込むパイ皿が直径18cm~32cm程度の丸型なので、
>人間の顔にぶつけるのにちょうどいい、誂えたようなサイズだということです。

>3つめには、〈略〉アメリカンパイと呼ばれるものの多くは、表面をパイ皮で覆わずに焼
>き、仕上げにたっぷりの生クリームやメレンゲを盛るというスタイルで、ぶつけたときに
>中身が飛び散りやすく、絵的に派手な効果が望めるということです。しかも、「生クリー
>ムやメレンゲを盛る」という作業は、生地が完璧に冷めていないと出来ないデコレーショ
>ンですから〈略〉投げつけられても、大丈夫、これは冷めたパイ、顔中大火傷のような
>重傷は負わないから安心して笑えますよ、というアイコンになっているとも言えます。
>〈略〉ぶつけたときに怪我をするような固いものが入ってないというのもさらに安心です。

>4つめに、初期の映画は、画質の悪いモノクロフィルムで撮影されていたということも大
>きいでしょう。白黒のグラデーションだけで表現される粗い画像の中では、純白のクリー
>ムパイはブラック0%のホワイトですから、単純に観客によく見えるということです。


その他参考 URL:
- http://en.wikipedia.org/wiki/Pieing


もっと気になるのは、いくらアメリカ映画が何かと厳しい規制の対象となっていたとしても、
「淑女の顔にパイを投げつけるという行為が当時のアメリカ映画で表現が許される最大の
陵辱行為シーンだった」という説が成り立つような状況だったのかと。

唐沢俊一は、「パイ投げがなぜサイレント映画であれだけ流行ったかというと」――と、
サイレントにこだわっているようだが、ヘイズ・コードはトーキーに移行した後のタイミング
で発動されたものではないかというのも気になるし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/サイレント映画
>19世紀後期の映画の発明以降、1927年(昭和2年)に世界初のトーキー『ジャズ・シン
>ガー』が発表され、実用化、トーキーへの完全移行までの約40年間、商業的に世界各
>国で製作・公開されていた映画はすべてがサイレント映画であった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘイズ・コード
>ヘイズ・コード( Hays Code or the Breen OfficeProduction Codeとも)とは、アメリカ
>合衆国の映画における検閲制度である。 アメリカ映画製作配給業者協会(のちの
>MPAA)は1930年にこの検閲制度を取り入れ、1934年に発動させ、1968年にMPAA独
>自のレイティングを設けるために廃止させた。この検閲はアメリカ合衆国の商業映画に
>おいて、道徳的に受け入れられるものとそうでないものをはっきりさせるためのものだっ
>た。



2ちゃんねるのスレでは、「『陵辱行為』なら、例えば(トーキーになってからの作品では
あるが)『ちびっこギャング』シリーズの“Beginner's Luck”という作品。(1935) ステージ
ママが舞台上で衣服を剥ぎ取られるラスト(巧みに隠しているが)」というのをあげている
人がいたが、自分でも探してみた。

とにかく検閲を突破して裸体を出そうという志のアメリカ映画としては、「1913年の『海神
の娘』("Nepture's Daughter")」というのがある。

http://www.t3.rim.or.jp/~s-muraka/dokusho/seiteki.html
> 1910年代前半は、世界の映画の覇権はまだハリウッドに握られてはいなくて、イタリ
>アとフランスが力を誇示していたのだが、アメリカでもこの頃、裸體映画がつくられ始め
>ていた。1913年の「海神の娘」("Nepture's Daughter")がその走りだという。この映画
>は、職業水泳家でダンサーであるアンネッテ・ケラーマン(Annette Kellermann)を主演
>にユニヴァーサルが製作したもの。「海に戯れる女神の群は必然的に裸體でなければ
>ならない、而かもそれは人間社會の出来事ではないから同じ裸體の女を畫面に出すと
>しても観る者に決して性的魅惑を與へる事ではない。と云ふような勝手な理屈のもとに
>檢閲官の眼を瞞著するのに都合のよい映畫を作つたのである。(p.11)」 この映画と続
>編の「美人島」ともに、「多くの半裸の女や全裸の女の群を応用して観客の眼を喜ばそ
>うとして居た」という。1930年代のミュージカル映画の名匠バスビー・バークレーの "By
>the Waterfall" の水中バレー振り付けなども、こんな映画の記憶から作られたのかも
>しれない。


”Nepture's Daughter" の予告編がこれ↓ 確かに頑張って裸体を多数出している模様。
- http://www.youtube.com/watch?v=zKZCIFI8gbk

「バスビー・バークレーの "By the Waterfall"」の方はこれ↓
- http://www.youtube.com/watch?v=csG6MBYsmOU
- http://www.youtube.com/watch?v=6I3yAeyDsVQ


また、下記のページには、いろいろな映画があげられていて、その中には「Ben-Hur:
A Tale of the Christ (1925)」や Clara Bow (ここを参照) の「Hula (1927)」などもある。

http://www.filmsite.org/sexualfilms.html
> in Fred Niblo's Ben-Hur: A Tale of the Christ (1925), in two-color Technicolor,
> a remarkable segment showed rows of bare-breasted flower girls dancing in a
> pageant/procession as they tossed flowers to the crowd lining the street
〈略〉
> flapper icon Clara Bow, dubbed the "It" girl during the 20s and one of the earliest
> sex symbols, appeared nude as Hula Calhoun in an opening bathing scene, and
> performed a sexy hula dance, in the romantic comedy Hula (1927)


bare-breasted flower girls の画像は http://www.filmsite.org/filmfotos/benhur25.jpg
だけど、これは小さすぎて確認が難しい。上記の 2 作品は、
http://mubi.com/lists/favorite-films-by-year-1888-2011 でも取りあげていて、
スチールを見る限り、露出度は高そう。

- http://i683.photobucket.com/albums/vv199/cinemabecomesher/Years/1925BenHur.jpg
- http://i683.photobucket.com/albums/vv199/cinemabecomesher/Years/1927Hula.jpg

Clara Bow つながりでは、こういうのも↓

http://www.youtube.com/watch?v=zAxLbXTZdnU
> Clara Bow - Sexuality and Censorship in Early Cinema (Includes Hoopla outtake)

同じ Sexuality and Censorship in Early Cinema で、こちら↓は Louise Brooks。

http://www.youtube.com/watch?v=bk7hLN44-uM
>Louise Brooks - Sexuality and Censorship in Early Cinema


ただまあ、裸体や通常のラブシーンは、エロチックではあっても、「陵辱行為シーン」とは
必ずしもいえないのではないかと突っ込まれると弱いかも。

これは、1950 年代のフィルム・ノワールを対象にしてよいなら、『B級ノワール論』 (ここ
参照) を参考文献に、拾うことが可能だったのだけれども……。

1958 年の『黒い罠』 (Touch of Evil) には、モーテルで不良少年たちに女性が襲われる
場面が存在する。

http://www.youtube.com/watch?v=dx125s0t6Gk
> Touch of Evil (1958) Trailer

やはり 1958 年の『西部の男』 (Man of the Wes) では、ヒロインがストリップを強要される
場面もあり。

http://www.youtube.com/watch?v=ODwt-fjh0nw
> Man of the West trailer


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2011.10.01 (Sat)

沼田曜一に何か恨みでも?<“過去の人” “まだ生きているのか”というイメージ

裏モノ日記 2006年 04月 30日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20060430000000.html

新聞に沼田曜一氏死去の報。81歳。『クリクリ』の絵里さんの父上である。
東中野でずっと民話教室をやっており、つい半年ほど前もそこの駅で見か
けたばかりだった。身も軽く歩いており、80の老人には見えなかったものだが。

『ウルトラQ』でガラダマ(ガラモンの操縦機)を乗せて榛名まで運ぶトラック
運転手、牛山を演じた人である。人間に化けたセミ人間をピストルで撃って
正体を現させたのもこの牛山だった。このときのガラッパチ演技もなかなか
だったが、この人の顔はこれだけではない。日本を代表する怪優の一人で
あった。
〈略〉
いずれも日本映画史に残る怪演である。これだけユニークな役を演じなが
ら、これまで誰も沼田曜一にインタビューをしようとか、本にまとめようとか
しなかったのが悔やまれる。これは彼がある時期から民話の語り部の方に
シフトして、70年代半ばから、ほとんど映画に出演しなくなったため、“過去
の人”、いや、もっと言えば“まだ生きているのか”というイメージでとらえられ
ていたからではないか。しかし90年代末に『リング』『リング2』でスクリーンに
復活、その存在感を再確認させてくれたのは嬉しかった。


「これまで誰も沼田曜一にインタビューをしようとか、本にまとめようとかしなかった」わけ
ではないのは、2ちゃんねるのスレで指摘している人がいる通り (Read More 参照)。

スレであげられていたのと、以下のリンク先はかぶるのだけど、実はこれは「沼田曜一
インタビュー」でググれば上位に表示されるもので、裏モノ日記の書かれた 2006 年時点
でも、容易に検索で見つかったはずと思われるもの。

http://ja.wikipedia.org/wiki/青ヶ島の子供たち_女教師の記録
>鈴木健介編『地獄でヨーイ・ハイ! 中川信夫怪談・恐怖映画の業華』、ワイズ出版、
>2000年 ISBN 4898300332『沼田曜一インタビュー』、インタビュア 鈴木健介、同書、
>p.19-p.20.


http://www.wides-web.com/film%20director.html
>地獄でヨーイ・ハイ! -中川信夫 怪談・恐怖映画の業華-
>鈴木健介・編
>B5判並製/112頁/本体価格 1,500円   この商品をAmazonで買う
>世界の恐怖映画ファンをうならせた『東海道四谷怪談』の監督、中川信夫の十七回忌
>特集上映会(キネカ大森5/27~7/7)にあわせた決定本。インタビュー(丹波哲郎、
>沼田曜一、若杉嘉津子、江見俊太郎、天知茂、宮川一郎、黒澤治安、渡辺宙明、北沢
>典子、三ツ矢歌子、山下明子、宮下順子、神波史男)、評論、年譜、フィルモグラフィで
>構成。


http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I3325269-00
>タイトル 民話の語り部(べ)として半生を捧げる--沼田曜一(ぬまたよういち)氏(あの時
>      この人)
>著者  インタビュー 沼田 曜一著者
>     インタビュー 寺山 義雄
>出版社 農林統計協会
>出版年 1990-01
>注記  雑誌名 : Aff ; 巻号 : 1990-01, 21, 1 ; 掲載ページ : p58~61
>ISSN  03871452


まあ、すぐ上の『民話の語り部として半生を捧げる』は、唐沢俊一にいわせれば、「日本
映画史に残る怪演」について語ったものではないから対象外なのかもしれないけど。

ちなみに、「民話の語り部」としての沼田曜一は、著作を何冊も出している。
- http://www.amazon.co.jp/s/ref=ntt_at_ep_srch?_encoding=UTF8&sort=relevancerank&search-alias=books&field-author=沼田%20曜一


2ちゃんねるのスレの書き込みにあった、「故人の生前の業績は実はきちんとデータ化
されていて、結局テンテーの言葉は無知のために やっぱりというか案の定というか、
かえって『追討』になってしまったケース」というのは的を射たまとめになっていると思う。

さらに、「70年代半ばから、ほとんど映画に出演しなくなったため、“過去の人”、いや、
もっと言えば“まだ生きているのか”というイメージでとらえられていたからではないか」
というのも酷い。

Wikipedia によると、1970 年代半ば以降の、沼田曜一の映画出演作品は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/沼田曜一
>・華麗なる追跡(1975年、東映) - 本屋敷義一
>・強盗放火殺人囚(1975年、東映) - 村本清  
>・天平の甍(1980年、東宝) - 張警備隊長
>・深い河(1995年、東宝) - 木口
>・リング(1998年、東宝) - 山村敬
>・リング2(1999年、東宝) - 山村敬
>・修羅雪姫(2001年、東京テアトル) - 空暇


唐沢俊一は、「しかし90年代末に『リング』『リング2』でスクリーンに復活、その存在感を
再確認」とか書いているが、その間に入っている『天平の甍』と『深い河』が、当時の訃報
記事では「主な出演作」として紹介されていたりするのだが。

http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006050107.html
>個性派悪役、沼田曜一さん死去「きけ、わだつみの声」
>  俳優の沼田曜一さん(ぬまた・よういち、本名美甘正晴=みかも・まさはる、写真)
>29日午後、心不全のため自宅で死去した。81歳。岡山県出身。葬儀・告別式は5月
>5日午前11時から埼玉県所沢市の所沢市斎場で。
> 太平洋戦争での学徒兵の悲惨な最期を描いた映画「きけ、わだつみの声」(1950
>年)の主演で注目され、仁侠(にんきょう)映画の悪役などでも個性派として活躍した。
>主な出演作に「真空地帯」「天平の甍」「深い河」など。
> 一方、旅先で聞いた各地の民話収集に興味を持ち「大地の劇場」を設立、全国で民
>話を語り聞かせる手づくり公演を続けた。
> 著書に「愛と哀の人間ばなし」などがある。
>ZAKZAK 2006/05/01


それでなくても、「ほとんど映画に出演しなくなったため、“過去の人”、いや、もっと言え
ば“まだ生きているのか”というイメージで」というのは、割と最近、クリフ・ロバートソンの
“追討”でもやったアレ (ここを参照) だよなあ……とも思ったり。映画の出演をおいとい
ても、テレビに顔を出していたら「“まだ生きているのか”というイメージ」にはなかなか
ならないのでは。

で、沼田曜一は 1970 年代後半に、テレビドラマに多数出演していたようなのだが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/沼田曜一
>・大江戸捜査網(日活~三船プロ / 12ch)
> ・第38話「人情親子草子」(1971年)
> ・第125話「仇討ち無用」(1974年)第206話「流転の女」(1975年)
> ・第216話「音次郎心中未遂」(1975年)
> ・第240話「涙の操り人形」(1976年)
> ・第306話「懐剣返上! 涙の対決」(1977年) - 伊助第
> ・343話「泥沼に咲いた女郎花」(1978年) - 沢井京之助
> ・第378話「怪盗組織の罠を暴け」(1979年) - 黒崎典膳
〈略〉
>・必殺仕置屋稼業
> ・第28話「一筆啓上崩壊が見えた」(1976年、松竹 / ABC) - 伊蔵
> ・痛快! 河内山宗俊 第19話「見果てぬ夢の宝の山」(1976年、勝プロ / CX) - 垣内
>  忠左衛門
>・遠山の金さん 第1シリーズ 第40話「嵐の中に立つ姉妹」(1976年、東映 / NET)
>・隠し目付参上 第17話「南蛮からくり 大怪盗の大逆転か! 」(1976年、三船プロ /
> MBS) - 坂本主膳
>・夫婦旅日記 さらば浪人 第20話「神かくしの村」(1976年、勝プロ / CX)
>・新・座頭市 第1シリーズ 第8話「雨の女郎花」(1976年、勝プロ / CX) - 藤三郎
>・破れ奉行(三船プロ / ANB)
> ・第3話「無情!人斬り河岸」(1977年)
> ・第19話「怨花・夜霧のお竜」(1977年) - 関根監物
>・新・必殺仕置人 第23話「訴訟無用」(1977年、ANB) - 伝次
>・桃太郎侍(東映 / NTV)
> ・第29話「ふるさとは遠かった」(1977年) - 黒蛇の久造
> ・第99話「引越して来たスゴい奴」(1978年) - 戸倉外記
>・達磨大助事件帳 第26話「夕陽の渡り鳥」(1978年、国際放映 / ANB)


唐沢俊一が、段落ひとつを費やして語っている「『ウルトラQ』でガラダマ(ガラモンの操縦
機)を乗せて榛名まで運ぶトラック運転手、牛山」の役だって、映画ではなくテレビドラマ
の話なのに、「ほとんど映画に出演しなくなった」ら、「“過去の人”、いや、もっと言えば
“まだ生きているのか”というイメージで」という理屈で、故人を無理矢理貶めるというのは
悪い意味ですごい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/沼田曜一
テレビドラマ
〈略〉
>・ウルトラQ 第16話「ガラモンの逆襲」(1966年、円谷プロ / TBS) - トラック運転手・
> 牛山


その他参考 URL:
- http://sayonarako.exblog.jp/3546923
- http://kaiju.yonedazigoku.com/?eid=680465
- http://ameblo.jp/mothra-flight/entry-10137446627.html
- http://www.mochi-well.com/ppBlog/index.php?UID=1146815968
- http://indo.to/nakajima/archives/76

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20:14  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2011.09.24 (Sat)

「杉浦直樹は生涯独身だったが、その影に常につきそっていた女性が」という妄想

http://www.tobunken.com/news/news20110923144819.html

イベント
2011年9月23日投稿めでたし、で終った男 【訃報 杉浦直樹】

白山雅一氏の訃報の翌日、もう1人の「白山」の訃報があった。
『網走番外地 望郷篇』(1965)での殺し屋役、白山譲次。
『七つの子』の口笛と共に現れ、高倉健に名を聞かれて
「白山譲二……渡世のみんなは、“人斬りジョー”って呼んでるよ」
と答える、キザで虚無的な男を名演したのが、杉浦直樹だった。

この作品、シリーズ三作目にして初めて網走刑務所が、設定には
あっても話に全く関与せず、舞台も長崎。石井輝男が高倉健の当時の
もうひとつの人気シリーズである『日本侠客伝』をおそらく大いに
意識したと思われる義理人情主体のストーリィで、その人情も世界観
も、石井視点による徹底したアーティフィシャルな演出で描かれていた。
杉浦直樹の名演は向田邦子の『あ・うん』の門倉をはじめ数え切れない
が、いずれも小市民的な平凡な男、といった役柄がほとんどで、
彼の出演記録の中ではいささか異色に属するこの人斬りジョーが
とりわけ印象的なのは、この、非現実的なほどのカッコよさを
杉浦が、“自分の地のキャラクターに合わない異色の配役”だから
こそ、徹底して作り物として体現していたのが、演出意図に合致
したためだろう。

最後の対決で高倉健に傷を負わせたあと、
「……その傷は、七針も縫えばなおるよ」
と、傷の度合まで心得たセリフを吐くクールさが、もう、ふるえが
くるほどカッコよかった。そして、『七つの子』を口笛で吹きながら
去っていくが、その口笛が、突然途切れる……。60年代映画の
美学というものがあるとして、それを最も色濃く表していたのが、
杉浦直樹演じるこの人斬りジョーであったと思う。

後年、養毛剤のCMで、頭をブラシで叩きながら
「男は、叩かれて強くなるんですな」
などと言っていたが、あの人斬りジョーとのギャップがしばらく
こっちに違和感を与えていたものだった。

一方で、いかにも杉浦らしい代表作と言えば、縁の深かった向田邦子
原作のドラマ群がある。『あ・うん』の門倉もよかったが、ジェームズ・
三木脚本による『父の詫び状』(1986)の主人公、田向征一郎役
は絶品だった。

尋常小学校卒業の身で、苦労して保険会社の支店長にまで出世した父。
家の中では完全な独裁者で、長女の恭子(向田邦子本人)が河原で
子供たちの相撲に声援を送っているのを見ると、首根っこをつかむ
ようにして家に引きずり帰り、
「お前は男の裸を見て嬌声をあげるのか!」
と力任せにひっぱたく、というような暴君である。
そんな父と折合いが悪かった祖母(沢村貞子)が亡くなったその葬儀に、
保険会社の上司が焼香にやってくる。その時、父はそれまで家族に
見せたことのない、卑屈なまでの態度でその上司に頭を下げる。
それを見て娘は、家柄学歴のない父がこの家を守るために、外で
どれほどの苦労を重ねているか、を知り、秘かに父への態度を
改める。

……少し娘がクレバー過ぎる描かれ方をしていないか、とも思える
ところだが、しかしそこがこのドラマのうまいところで、戦前の
父親像へのノスタルジックな想いを持っていた世代にピシャリ
とハマり、原作も脚本も、もちろん杉浦直樹の演技も、絶賛を受けた。
私はそこのところよりもむしろ、自分の母の葬儀に、自分の知らない
男(殿山泰司)がやってきて普通じゃない大泣きをする。その男を
不審そうな眼で見つめながら、脇の娘に
「あれは。お祖母ちゃんの……か?」
と聞き、娘がそうだと答えると、その男の前に手をついて、
「生前の母が、大変お世話になりまして」
と礼を言うシーンが印象深い。その律義さのかもしだすユーモアが最高
だった。

実際の杉浦直樹は生涯独身だったが、その影に常につきそっていた
女性がおり、最期も彼女が看取ったという。上記シーンの演技が
素晴らしかったのも、そういう人間心理の艶っぽさがよくわかって
いたからかもしれない。

艶っぽい話と言えば、私がこの人の演技で、最も感心したのは、
実はそのような名シーンの演技ではない。1960年に松竹で撮った
『四万人の目撃者』(堀内真直監督)という作品における、
ある行為の演技である。この作品で、彼は矢後というプロ野球選手
を演ずるのだが、エース投手の試合中の急死で転がり込んだレギュラー
の座を疑われ、殺人の容疑者にされてしまう。その不安と、恋人の
阿い子(岡田茉莉子)がなかなか結婚に応じてくれないことで苦悩
する役だ。で、この矢後と阿い子が、やたらラブシーンを演じ、
濃厚なキスを交わす。日本映画のキスシーンは現在に至るまでも
ギコチないママゴトのようなものが多いが、この杉浦・岡田のキスは
日本映画史に残ると言って過言でない、濃厚でエロチックで、追い詰め
られた者同士の切迫感が伝わってくる、凄いキスだった。
ミステリ映画としては穴だらけであまり高評価できないのが残念な
作品なのだが、このキスシーンを見るだけでも価値はあると思う。

2006年脳梗塞で倒れてリハビリにいそしんでいたが、9月21日、
肺癌で死去。79歳。報道によると最後の言葉が
「僕の人生、めでたしめでたし」
だったそうだ。こう自覚できる人生、うらやましく思う。
ご冥福を。

http://megalodon.jp/2011-0924-1221-32/www.tobunken.com/news/news20110923144819.html

×ジェームズ・三木 ○ジェームス三木
×「僕の人生、めでたしめでたし」 ○「私の人生、メデタシ、メデタシ」

「報道によると」と唐沢俊一は書いているが、その報道というのは多分、以下に引用する
サンスポの記事と思われる。Wikipedia の http://ja.wikipedia.org/wiki/杉浦直樹 の外部
リンクになっているのも、これ。

http://www.sanspo.com/geino/news/110923/gnj1109230505012-n2.htm
>杉浦直樹さん死去「父の詫び状」など出演 (2/2ページ)
>2011.9.23 05:04

> 関係者によると、杉浦さんは2006年9月、脳こうそくのため出演舞台の降板を発
>表。以来、リハビリに努めてきた。酒豪で知られ日本酒なら一升は軽く、両切りピース
>を愛飲。最近はどちらも控えめだったが、体調を崩して先月、都内の病院に入院した。
> 精密検査の結果、肺がんで余命2カ月の診断。放射線治療を受けてきたが、今月1
>日に希望して退院し、東京・目黒区の自宅へ。しかし、21日に容体が急変し、帰らぬ
>人となった。生涯独身としてきたが、看取ったのは同居する50代とみられる女性。最期
>の言葉は「私の人生、メデタシ、メデタシ」「皆さんにありがとうと言ってください」だったと
>いう。
> 1950年の初舞台を皮切りに、故石原裕次郎さん主演の映画「錆びたナイフ」(58
>年)で印象的な敵役を演じ、一躍脚光を浴びた。テレビドラマでは、山田太一原作の
>TBS系「岸辺のアルバム」(77年)では妻に不倫される夫、向田邦子原作のNHK
>「父の詫び状」(86年)では意外な素顔を持つ厳格な父親を演じた。
> 86年からは薄い頭髪が幸いしてか、カネボウ化粧品の育毛剤「薬用紫電改」のCM
>に出演。育毛剤を頭髪に振りかけた後、みずからブラシで頭皮を刺激するシーンで「た
>たかれて、たたかれて、ここまで来たもんなあ」のセリフもリアルで、もの悲しい笑みと
>コミカルな味が男性の共感を呼んだ。
> 演技に生活臭が出るのを嫌い、5年前に脳こうそくで倒れる以前は都内の一流ホテ
>ル暮らし。趣味のニシキゴイの飼育と品評はプロ級で、一時暮らしたホテルの部屋番
>号は庭の池の自分のコイを見下ろせる11階の1151(イイコイ)号室というこだわりぶ
>りだった。
>  芝居に妥協を許さず、酒とたばこを楽しみ、日本の俳優史に確かな軌跡を残した79
>年の人生だった。


唐沢俊一が「杉浦直樹は生涯独身」と書いているのも、以下の記事がネタ元と思われる。
実は、自分が見たかぎりでは、他の報道ではどれも「喪主は妻仁美(ひとみ)さん」とか
書いているので、本当に独身なのかわからないのだけど……。

http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201109230033.html
>杉浦直樹さん死去=ドラマ「父の詫び状」など
>2011年9月23日11時21分
> ドラマ「父の詫び状」などで知られ、深みのある演技で活躍した俳優の杉浦直樹(す
>ぎうら・なおき)さんが21日午後7時23分、肺腺がんのため自宅で死去した。79歳
>だった。愛知県出身。葬儀は親族のみで行う。喪主は妻仁美(ひとみ)さん。


http://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/285/e083cdbc951748ec7c60fa7ae9628118.html
>杉浦直樹さん死去…「錆びたナイフ」「あ・うん」
>(読売新聞) 2011年09月23日 19時44分
> ニヒルな二枚目からコミカルな老人まで、味わいのある演技で活躍した俳優の杉浦
>直樹(すぎうら・なおき)さんが21日午後7時23分、肺腺がんのため亡くなった。
> 79歳だった。告別式は親族で行う。喪主は妻、仁美(ひとみ)さん。


「生涯独身」はサンスポの記事からとったにしても、「その影に常につきそっていた女性が
おり、最期も彼女が看取ったという」のは、どこからきたのかわからない。サンスポでいう
「5年前に脳こうそくで倒れる以前は都内の一流ホテル暮らし」の期間も、彼女と同居して
いたということなんだろうか。ホテルでの同居だとしたら、「その影に常につきそっていた」
というイメージにはあまりならない (影じゃない感じ) のだけど、まあいいや。

……と、思っていたら、訂正報道が出ているという情報が2ちゃんねるのスレに (Read
More
参照)。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110924/ent11092406520001-n1.htm
>杉浦直樹さん、再婚した妻・仁美さんに看取られて逝く
>2011.9.24 06:49
> 肺腺がんのため21日に死去したことがサンケイスポーツの報道で明らかになった
>俳優、杉浦直樹さん(享年79)を看取ったのが、50代の妻、仁美さんだったことが23
>日、分かった。(サンケイスポーツ) 
>関係者によると、杉浦さんは若いころに1度結婚していたが、その後離婚。長い独身生
>活の間は都内の一流ホテルで暮らしていたが、数年前、仁美さんとの再婚を機に目黒
>区内のマンションに移り住んでいたという。この自宅で杉浦さんは死去した。



別件の有力ネタ元候補としては、以下のページがある。唐沢俊一の文章では、杉浦直樹を
演じる白山譲次は、「『七つの子』の口笛と共に現れ」る「“人斬りジョー”」、「最後の対決
で高倉健に傷を負わせたあと、『……その傷は、七針も縫えばなおるよ』」といっている。

http://blog.indec.jp/?eid=814993
>さらに本作を彩るのが、殺し屋の人斬りジョーこと白山譲次役の杉浦直樹の存在。結
>核で喀血しながら「七つの子」を口笛で吹いて登場する、その杉浦のスタイリッシュさは
>記憶に残ります。
>特に、ストップモーションを使った斬り合いのシーンは、出色。「そのキズは、七針も縫
>えば治るよ」といって、安井組を口笛を吹きながら出て行き、その瞬間健さんに斬られ
>た傷で倒れる。石井美学の結晶。本シリーズ屈指の名シーンです。


「『七つの子』の口笛」や「その傷は七針も縫えば治るよ」だけならば、他のページも存在
しているのだけど、「人斬り譲次」ではなく、「人斬りジョー」となっているのは、上に引用の
ページくらいのようだったので……。

http://www.asahi-net.or.jp/~AN4S-OKD/rink/002024.htm
>そこに「七つの子」の口笛を吹きながら、人斬り譲次がやってくる。「よお。こいつら顔を
>つぶされて、引っ込みがつなかいんだ。相手になってくれよ」
〈略〉
>安井をあっさり斬りたおす橘の耳に、「七つの声」の口笛が聞こえ、譲次が姿を現す。
>「なかなかやるじゃねえか」「よく逃げねえでいたな」「ふ。メシ食っちまったんでな。あん
>な最低の親分でもやるこたあやらなきゃならねえんだ。やるか」
>そして二人は斬りあう。がっくりとひざまずく橘に声をかける譲次。「その傷は七針も縫
>えば治るよ」「手加減したっていうのか」「ふふ。まあね。お前さんが気に入ったからよ」
>そして口笛を吹きながら、譲次は絶命する。そしてエミーは船に乗る。「お兄ちゃんのう
>そつき」そして傷つきながら港に向かう橘は船が出ていくのを見送るのであった。


正解は「人斬り譲次」で、「人斬りジョー」は他の映画 (『黒い河』) の登場人物っぽい――
と思ったのだが、他にも「人斬りジョー」と書いている人もいるので判断保留。

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5897/story.html
>作品解説・紹介 - 網走番外地 望郷篇
〈略〉
>仕事を任された橘は、安井組の妨害で集らない人手を見越して、網走での仲間中田ら
>を長崎に呼んだ。一方の安井組も、なんとかこの機に旭組を叩き潰そうと、用心棒に人
>斬り譲次をやとい、街の愚連隊に旭組の仕事を妨害させた。


http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD18625/
>黒い河
>アパートとは名ばかりの朽ちはてた長屋「月光荘」--内妻をパーマネント屋に勤めさせ
>ているグウタラ者の岡田、愚連隊の親分・人斬りジョーの手下の坂崎と山口、朝鮮人で
>共産党員の金、ポン引の栗原など余り柄がよくない連中が住んでいる。


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/5155/ninkyo/sa.html
>杉浦直樹 [スギウラ・ナオキ]松竹から東映へ、ギャング物、現代物で活躍。やっぱり
>「網走番外地・望郷篇」の人斬りジョーがいいですねぇ。


http://taraga-lj-hp.web.infoseek.co.jp/movie_japan_director/ishii/report/abashiri3.html
>石井監督らしいのは、「カラスなぜ泣くの」を口笛で吹きながら登場する殺し屋、人斬り
>ジョー(杉浦直樹)という、異種混交的なキャラクターが乱入するところである。


ちなみに「人斬り譲次」の方も他に複数あり:
- http://lemmy-kazuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-5977.html (混在)
- http://ssbs.blog36.fc2.com/blog-entry-293.html

「傷の度合まで心得たセリフを吐くクールさが、もう、ふるえがくるほどカッコよかった」は、
唐沢俊一オリジナルだろう。「傷の度合まで心得たセリフを吐くクールさ」のカッコよさと
いうのは、自分にはちょっと理解が難しかったが。

ついでに、話はそれるが、杉浦直樹と高倉健は『ならず者』でも共演しているそうで、画像
を見るとなるほど、この頃の杉浦直樹はカッコよかったのだなと思わせる。

http://tianbianstar.blog25.fc2.com/blog-entry-4.html
>また、杉浦直樹も清潔感があって、よいのですよ。
>健さんと杉浦直樹といえば『網走番外地 望郷篇』の一騎打ちシーンが有名だけど、
>こっちの穏やかな関係もいい。

(画像: http://blog-imgs-29.fc2.com/t/i/a/tianbianstar/PH03.jpg)

『網走番外地 望郷篇』の方も、白いスーツで清潔感 (?)
http://www.showtime.jp/app/detail/contents/f00cnm010100131609140/
(画像: http://pics.static-showtime.jp/genre/cinema/20061201/f00cnm010100131609140/contents_xl.jpg )


ええと、それから、「網走刑務所が、設定にはあっても話に全く関与せず」は、少し言い
過ぎでは。一応、話に関与はしているんじゃないかと。

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD5897/story.html
>そうしたある日旭組に、外国船の積荷を下ろす大掛りな仕事がまいこんだ。だが、この
>仕事は、短い時間内にやりとげねばならない難しい仕事だ。仕事を任された橘は、安
>井組の妨害で集らない人手を見越して、網走での仲間中田らを長崎に呼んだ。一方の
>安井組も、なんとかこの機に旭組を叩き潰そうと、用心棒に人斬り譲次をやとい、街の
>愚連隊に旭組の仕事を妨害させた。しかしこの譲次が、組を思う橘の男気にホレて身
>をひき、旭組の仕事は無事終了した。だが、なおもあきらめきれない安井は、旭組が積
>荷を下ろした倉庫を爆破して、網走の前科者たちに罪をきせようとした。このため中田
>は殺され、これを知ってかけつけた病身の旭は重傷を負い、旭の片腕ともいうべき田所
>は殺された。橘は、この事件を目撃していた混血の娘エミーから聞き、単身安井組にな
>ぐり込んだ。橘の怒りに燃えたすさまじい剣に、安井組は四散し、唯一人ふみどまって
>橘と相対した譲次も紅に染った。


http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou39/abashiribangaichiboukyouhen.html
>案の定、翌日から真一を頭としてはじめた人材集めは、安井組の妨害もあって、受注
>当日が近づいても全く集まらず、とうとう、旭統一は仕事を断ろうとまで思いつめる事態
>に。
>しかし、そんな長崎港に、真一のかつての網走仲間、大槻(田中邦衛)ら一行が大挙応
>援に駆け付けてくる。



で、「後年、養毛剤のCMで、頭をブラシで叩きながら『男は、叩かれて強くなるんですな』
などと言っていたが、あの人斬りジョーとのギャップがしばらくこっちに違和感を与えてい
た」――と唐沢俊一は書いているが、この CM は、訃報記事にもあるように 1986 年。

1958 年生まれの唐沢俊一は、『網走番外地 望郷篇』の公開された 1965 年にはまだ
7 歳なのに、「あの人斬りジョーとのギャップ」とは、ちょっとないだろう――と読んでいて
思ったら、案の定2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) でも突っ込まれまくっていた。

なお、紫電改、その他カネボウの CM 等は YouTube で見ることができる。

http://www.youtube.com/watch?v=4oE7GfW-XgI
>1986年 カネボウ化粧品 薬用紫電改-杉浦直樹

http://www.youtube.com/watch?v=fc1fL-6r5y8
>杉浦直樹CM集


『あ・うん』や『父の詫び状』の方は、NHK の報道で一部を見ることができる。

http://www.youtube.com/watch?v=_yIAONPF4-4
>俳優の杉浦直樹さん 死去

上の動画で NHK のアナウンサーは「向田邦子さんが原作や脚本を手がけた NHK ドラマ
『父の詫び状』や『あ・うん』」と話しているので、あれっと思ったが、『父の詫び状』の脚本
は、ジェームス三木ということでよいらしい。唐沢俊一の書いている「ジェームズ・三木」
ではなく、あくまで「ジェームス三木」だが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/父の詫び状
>『父の詫び状』(ちちのわびじょう)は、日本の脚本家 、小説家の向田邦子が、1978年
>(昭和53年)に発表した 随筆集。1986年(昭和61年)にテレビドラマ化された。
〈略〉
>随筆集『父の詫び状』はジェームス三木の脚本によりドラマ化され、NHK総合で1986年
>(昭和61年)11月1日に放送された。下記は放送時の配役表である。
>NHKドラマ版『父の詫び状』出演者一覧
>田向征一郎 杉浦直樹


http://homepage2.nifty.com/jeimusumiki/
>ジェームス三木オフィシャルホームページ

http://homepage2.nifty.com/jeimusumiki/engeki2.htm
>父の詫び状 1986 NHK脚本 プラハ国際テレビ祭グランプリ放送文化基金賞本賞
>受賞



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2011.09.22 (Thu)

白山雅一さんの「扱いが極めて低い」のはあなたではないですか唐沢俊一先生

http://www.tobunken.com/news/news20110921155020.html

2011年9月21日投稿
孤高を保った男 【訃報 白山雅一】

「カラサワくん!」 と、よく電話がかかってきた。
私の名前はからさわ、と無アクセントで発音するのだが、
先生はカとサにアクセントを置いて「カらサわくん!」と発音した。
最後に「!」がつくのは、電話口から響く声が、毎回、80代の声とは
思えないくらい溌剌としていたからである。

元気な上に長かった。
2時間以上かかることはザラだった。
〈略〉
その芸人は白山先生を本当に慕っていて、父のない自分には先生が実の
親父のように思えてなりません、親父になってください、と頼んでいた
そうだ。で、ある日、先生にうまい中華料理をご馳走するから、と言って
誘い、そこで借金を申込んだという。先生は
「貸すのにやぶさかではない。しかしお前はわしを親父と思うと言ったな。
親父に金を借りるなら、どうして素直に頭を下げて父さん、金を貸してくれ
と言わない。おごっていい気分にさせたスキをねらって金をせびるような
態度は息子のとるものでない!」
と言って断わったそうだ。先生はスジを通す人だったのである。

白山雅一。戦後に売れた芸人の第一号と言われている。
声帯模写と言っても、いま流行りのディフォルメをきかせた模写とは
全く違う、オリジナルに限りなく近い模写である。
今のように、いつでもどこでも、オリジナルの声を耳にできる時代
ではない。レコードすら高級品であった時代には、灰田勝彦、東海林太郎、
藤山一郎とヒット歌手を次から次に聞かせてくれる、そっくりそのままの
物真似にニーズがあったのだ。そして、それが現代では、
「昭和を眼前にリアルに再現してくれる」
技術として貴重な芸となった。

洒脱な芸風で一世を風靡した柳家三亀松の弟子。音曲漫談の弟子がなぜ
声帯模写を、と思う人もいるだろうが、三亀松も高座で大河内傳次郎や
坂東妻三郎ら映画スターの声帯模写をやっていたのだ。その点では確かに
弟子だったのだが、エロ松とまで言われた艶っぽさは全く受けついで
いなかった。三亀松が草書の芸なら、白山雅一は一画をだにおろそかに
しない楷書の芸、だった。
〈略〉
生涯、独身を通した人だった。
なので、いろいろとよからぬ噂も立てられ、非常にそれを気にしておられた。
一度、中野の路上を一緒に歩いていたとき、何の脈絡もなく、
「ちょっと見てなさい」
と言って、鉄製の街灯を、いきなり正拳突きで思い切り打ったことがある。
周囲に響きわたるような、ギイーン、という金属音が鳴った。
呆れ驚くわれわれに、先生は自慢気な笑顔を見せたが、その後、かなり
手が痛そうだった。なぜいきなりあんなことをしたのか、さっぱり
わからない。軟弱の徒ではないんだ、と見せたかったのかもしれない。
そこらへん、実に芸人らしからぬ先生だった。
〈略〉
ここ数年、身体を悪くされて透析もやっておられた。
介護センターに姿を見せず、気にした介護員が自宅を訪れてみると、
部屋で亡くなっていたという。この残暑で熱中症になって倒れたらしい。
20日頃死去、の“頃”が悲しい。享年87だが、2月29日生まれなので
4年に一度しか歳をとらない、とおっしゃっていて、来年が22歳の
はずだった。そんな若くして亡くなってどうするというのですか、先生。

私を含め、多くの白山ファンは、芸の質に比して、その扱いが極めて
低いことを口惜しく思っていた。しかし、これも先生独自のダンディズム
であり、例えば、エントリーすれば絶対大賞がとれる筈の芸術祭にも
参加していなかったという。孤高を保つ、という言葉が最も適した晩年で
あったと思う。その死の状況は悲しいが、白山先生のダンディズムは
それをよしとされるのではあるまいか。

http://megalodon.jp/2011-0921-2209-42/www.tobunken.com/news/news20110921155020.html

最初、「この残暑で熱中症になって倒れたらしい」というのがどこからきたのか、マジで
わからなかったのだが……。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/2011092101000341.htm
>歌謡声帯模写の白山雅一さん死去
> 東海林太郎さんらで人気死去した白山雅一さん 歌謡声帯模写で知られた演芸家の
>白山雅一(本名山白雅一)さん(87)が21日までに、東京都江東区の自宅で亡くなっ
>ているのが見つかった。
> 警視庁城東署によると、20日朝、通院してこないことを不審に思った介護医療セン
>ター職員が自宅を訪れ、消防に通報。同署員が遺体を発見した。
> 1942年、初代柳家三亀松に弟子入り。戦後、東海林太郎さん、藤山一郎さん、田端
>義夫さんらのヒット曲を歌まねする歌謡声帯模写を手掛け、一躍演芸界の人気者と
>なった。六代目三遊亭円生さんら落語家や喜劇人、映画スターのまねも得意とした。
>2011年09月21日水曜日


探してみたら、以下に引用する記事を発見。「事件性はないと判断。死因は不明だが、
熱中症の可能性があるという」のが、「この残暑で熱中症になって倒れたらしい」になって
しまうのは、まあ唐沢俊一だからしょうがないとして。

http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/sponichi-kfuln20110921006023/1.htm
> 藤山一郎さんや田端義夫さんら往年の流行歌手の歌まねを披露してきた歌謡声帯
>模写の草分け的存在の演芸家、白山雅一(しろやま・まさいち、本名山白雅一=やま
>しろ・まさかず)さん(87)が20日、東京都江東区の自宅アパートで死亡しているのが
>見つかった。
> 布団の上に倒れており、死後数日が経過していた。警視庁城東署は事件性はないと
>判断。死因は不明だが、熱中症の可能性があるという。
> 同署などによると、20日午前10時ごろ、白山さんと連絡が取れないことを心配した
>介護医療センター職員が自宅を訪問。新聞受けに15日付以降の新聞がたまっている
>のを見つけ、警察に通報。署員が浴室のガラスを割って中に入り、居間で布団の上に
>倒れている白山さんを発見した。
> 白山さんは42年に漫談家・初代柳家三亀松に弟子入りし、終戦直後の46年から舞
>台やラジオなどで活躍。歌謡声帯模写の「最後の名人」といわれていた。



熱中症の方はまだしも、「戦後に売れた芸人の第一号と言われている」というのは、ガセ
といっていいんじゃないかなあ。以下、Wikipedia からの引用。

http://ja.wikipedia.org/wiki/白山雅一
>1942年(昭和17年)9月、大阪花月劇場での公演を終えた三亀松に弟子入りを直訴
>し、入門を認められる。9月11日に上京し、上野・池之端にある三亀松宅に内弟子とし
>て住み込む。入門間もないある日、白山の芸の腕を試すため物真似をやらせた三亀松
>は、思いのほか芸達者であったため早めにデビューさせることを決めた。同年11月の
>上席、横浜花月劇場の「風流三味線しぐれ」という喜劇にて「柳家亀松」の名で初舞台
>を踏む。「亀松」の名は、三亀松の実弟・隆啓の進言により、三亀松の寄席芸人になっ
>た時に名乗った名前が付けられた。
>1943年(昭和18年)12月、中国香港へ出征。福岡から上海に渡り、そこから香港に
>行って入隊する予定が、香港行きの船が手配できず上海で足止めされている内に終
>戦を迎えた。上海では、三亀松の弟子ということが知られていたため慰問で芸を披露し
>ていた。
>1946年(昭和21年)3月に復員。6月には大阪の実家に寄ってから上京し、戦火で焼け
>出され根津の伴淳三郎宅に居候をしていた三亀松のもとへ。同年8月、三亀松の鞄持
>ちとして同行したNHKにて、たまたま三亀松が出演するラジオ番組の担当プロデュー
>サー坂本朝一に芸を見てもらうことになり、これが認められ9月9日にNHKラジオに初出
>演。この放送が好評であったため、即座に次回の出演が決定。二度目は番組表に「歌
>謡声帯模写」と記載されたため、以来、それが看板となる。これをきっかけに自信をつ
>け、芸の腕を上げたことが三亀松に認められ、籍は入れないものの実子扱いとする「子
>供分」としての扱いを受けることとなる。


デビューは「1942年(昭和17年)」で終戦の 3 年前だし、「1943年(昭和18年)」に上海に
いた時点で「三亀松の弟子ということが知られていたため慰問で芸を披露」ということは、
終戦をむかえる前に既に名が売れていたことを示しているんじゃないかと思うけど。

いやまあ唐沢俊一は、上の記述でいう「1946年(昭和21年)」の「NHKラジオに初出演。
この放送が好評」、「二度目は番組表に『歌謡声帯模写』と記載されたため、以来、それ
が看板となる」などの事柄をもって、終戦直後にいち早く大ブレイクした芸人だったとか
いう意味のことをいいたかったのだろうとは思う。それにしたって、「戦後に売れた芸人」
で止めずに「戦後に売れた芸人の第一号」みたいな定義がややこしくなりそうなものを
言い出すなんてことは、やめておいた方がよかったのでは。「言われている」も何も、そも
そも「戦後に売れた芸人の第一号」は誰かと論じているもの自体、自分が探したかぎりで
は見つからなかった。

ついでに、「音曲漫談の弟子がなぜ声帯模写を、と思う人もいるだろうが」と唐沢俊一は
書いているが、「音曲漫談の弟子」が「歌謡声帯模写」をやるのは、「なぜ」と思うような
不思議なことではないような気が。


で、今回一番気になったのは,「生涯、独身を通した人だった」ではじまる段落の記述の
気持ち悪さだ。

2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) に「もしかするとテンテーは、『白山雅一はホモと
かオカマ呼ばわりされた』と 言いたいのかと思って調べたけど、ネット上にその手の噂は
見つからなかった」、 「『故人が生前気にしていたこと』を、死人に口無しで蒸し返してバラ
していいのかね」と書き込んでいた人がいるが、その意見には自分も同意する。

それだけではなくて、まず「生涯、独身を通した人だった。なので、いろいろとよからぬ
噂も立てられ」と、「独身を通した」ら「よからぬ噂も立てられ」るのは当然といわんばかり
の書きぶりにも少し引っかかるものを感じるし、そのすぐ後に「鉄製の街灯を、いきなり
正拳突きで思い切り打ったことがある」というエピソードを、それこそ「何の脈絡もなく」、
「いきなり」紹介する意味不明さにはクラクラさせられた。

さらに、「軟弱の徒ではないんだ、と見せたかったのかもしれない」で、「そこらへん、実に
芸人らしからぬ先生だった」も、わけがわからないし。「軟弱の徒ではないんだ、と見せた
かった」というのも、どこから出てきたのかという感じだが、たとえ「軟弱の徒」ではないと
示したくて街灯を正拳突きしたのだとしても、それを「実に芸人らしからぬ」と断ずる理由も
よくわからない。唐沢俊一の思う芸人らしさってどういうの、というか。

で、まあ、唐沢俊一は、「生涯、独身を通した」、「よからぬ噂も立てられ」、「軟弱の徒で
はないんだ、と見せたかった」と、「ホモとかオカマ」方面への疑惑をほのめかしているか
のようにみえてしまうのだけど、先に引用した Wikipedia の記述の続きは以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/白山雅一
>しかし、三亀松の浮気に嫉妬した妻・高子が反対に焼き餅を焼かせようと白山を必要
>以上に可愛がったため、三亀松は高子が白山と浮気をしていると勘違いし、三亀松と
>白山は仲違いすることとなる。これは三亀松の贔屓客のヤクザの親分が間に入り誤解
>を解いたため、破門にならずには済んだが、この時、親分の進言によって「子供分」は
>解消し、三亀松から一本立ちすることとなる。しかし、後年は和解することとなるものの、
>この時に三亀松の疑念が晴れることは無く確執は残ったままとなった。一本立ちの後
>は、多くの歌手の巡業にも参加し売れっ子となった。


こういうエピソードがあるのに、同性愛疑惑が噂されるというのは、ありなのかなあ……。

いや唐沢俊一は同性愛とはいってはいない。唐沢俊一といえば同性愛ネタが大好きだと
いう、こちらの先入観がいけないのかもしれない。とはいえ、存在したかどうかも疑わしい
「よからぬ噂」について、これ以上あれこれ考えるのも、唐沢俊一の思わせぶりな“追討”に
のせられ過ぎるのも程があるということになるので、やめにする。

しかし本当に三島由紀夫が好きなんですね唐沢先生
「もっと男色絵を!」という魂の叫びですね、わかります
ほんとうは SF 作家になりたかった唐沢俊一?
「男と女」はダバダバダ、11PM はシャバダバダ
唐沢俊一は栗本薫の夢をみるか
唐沢俊一にとっては『血と薔薇』>>>『少年期ハードスペシャル』か
病み上がりの夜空に
ヤマト×沖田艦長=崖っぷちのリアリティ
せっかく猿から進化したんだからマウンティングへの固執もほどほどにね
サイコさんまたはエキセントリック中年ミドルエイジからの手紙
スモールサークルまたは破壊的カルトからの生還
非モテ中年は時を歪める
悪い妻を持たなくても哲学者になれる
あ、唐沢俊一は市橋容疑者に惚れたな、と読んでいてもわかった。(←ヤケ)
緑のカーネーションがワイルドに愛してやるぜと叫ぶ
男色>> SM >>シュールリアリズム
それとも唐沢俊一にとってはムーアもブロンソンも大スターではない……?
洋服は青山、カッコマンなら六本木
××の数だけ水割りをください
東京で弟と半年間だけいっしょに住んでいたという唐沢俊一


それから、タイトルが「孤高を保った男」なのに、冒頭では唐沢俊一によく電話をかけて
きて、それもいつも長電話になっていたというのにも違和感があった。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/06448000/
>こ‐こう〔‐カウ〕【孤高】
>[名・形動]俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。また、そのさま。「―を持(じ)
>する」「―な(の)人」


「孤高を保つ、という言葉が最も適した晩年」と唐沢俊一はいうが、昨年 2010 年も客の
前で「意気軒昂」に熱演したりで、「俗世間から離れて」はいなかったのではないか。

http://www16.ocn.ne.jp/~tek/k_poro/shiroyama/shiroyama_.html
> 今尚、意気軒昂! 
> 2010年(平成22年)5月14日、いきいきプラザ(協会後援ホールイベント)で
>「白山雅一健在なり!」
> 25分の出演予定を40分の大熱演!
>「白山さんから元気をもらった」 演芸オールドファン、感激のステージをつとめる。
>若人に告ぐ。
> 人は白山雅一を名人芸と呼び、白山伝説と言う。
> 伝説ではない。平成の御代も22年となったが、名人・白山雅一は今尚、歩み続けて
>いる。
>白山雅一を必見たれ!


唐沢俊一は、「エントリーすれば絶対大賞がとれる筈の芸術祭にも参加していなかったと
いう」から、「孤高を保つ、という言葉が最も適した晩年であったと思う」と書いているのみ。

多分、以下に引用するような話があるから、「孤高を保つ」とか「ダンディズム」とかいうこと
を書いたのではないかと思うが、唐沢俊一の説明のみを読んでいると、そのようなことは
まったくわからない……。

http://blog.goo.ne.jp/osan3/e/364e1f49f99c9a6460941d268871862c
> 『あれっ!? 白山 雅一は、最近見ねえなあ。一体、アイツ、どうしてるんだ?』と
>言われるような形で、世間から消えて行きたいとも言っていた。


http://www.theatrum-mundi.net/geinin/shiroyama.shtml
>■高座がハネる(=終わる)と、馴染みの飲み屋で好物の焼魚を食べるのがお決まり
>のコースだ。そしてわび住まいの家路に就く。その先は取材を断った。「芸人は芸が勝
>負。やたらに私生活を見せるのは野暮」。どんな暮らしをしているのか、謎である。だが
>われわれは知る必要はない。彼の芸を堪能すればいいのだ。「お客さんに『もう年なん
>だからやめなよ』と言われればやめる。まだ聴いてくれるお客さんがいる限り、やる」。


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2011.09.19 (Mon)

若いふたりのラブシーンは、ぎこちなくてもよいではないか

http://www.tobunken.com/diary/diary20110917155435.html

17日
土曜日
古い映画をみませんか・27 『謎の狼女』
『謎の狼女』(1946)
〈略〉
だからこの『謎の狼女』は、その後の二人を知っている身として見ると、
お父さんとお母さんの若き日のロマンス、みたいなエピソードに見えて、
どうしてもくすぐったくなるのを押さえ切れない。と、いうか、この二人の
ラブシーンのギコチなさに、ああ、この二人、どちらもその後ロマンチック
な役でなく、お父さんお母さん役で人気を得るに至ったのも当然だな、という
思いにかられてしまう。二人とも決してダイコンではないのであるが、それ、
役者にはニンというものがあるのである。

とはいえ、この作品の評判が悪いのは二人のせいではない。看板に偽り
ありというか、タイトルにある狼女が×××××、ただの××××のための
×××であった、という拍子抜けのオチである、というところにある。
タイトルに期待して映画館に足を運んだ観客が不満をもらすのも無理はない。

併映用の、61分という短いランニングの作品でなく、90分以上かけて
じっくりとそこらへんを描き、この作品では早々と殺されてしまう、おとぼけ
キャラクターだが実はやり手、というレイサム刑事(ロイド・コリガン)
にきちんと事件を解決させ、ドン・ポーターにもっと見せ場を作れば、
サスペンス・ミステリの佳作になり得たかもしれない、と思うと非常に残念。
なにしろ、ヒーローたるドン・ポーターが婚約者の危難にすわと駆けつけた
ときには、すでに真犯人は
「××に××で××で×××××××いた」(ネタバレは下に)
のである。

1946年、長かった大戦が終わり、東西対立による緊張が世界を覆うまで
の束の間の平和な時代。これはそんなのんびりとした時代の狭間に生れた、
のんびりとした怪奇テイストミステリ映画なのである。
〈略〉
「勝手に転んで死んでしまっていた」

http://megalodon.jp/2011-0918-1826-05/www.tobunken.com/diary/diary20110917155435.html

『謎の狼女』 (She-Wolf of London) の予告編
- http://www.youtube.com/watch?v=sWim1z5OOg8

2ちゃんねるのスレに書き込まれた「伊東四朗か?」という突っ込み (Read More 参照)
に笑わせてもらった「役者にはニンというものがあるのである」。この「ニン」については、
藤岡真blog」の「莫迦 ミュンスターベルヒ」を参照のこと。

これもまた2ちゃんねるのスレで突っ込まれまくったのが、「1946年、長かった大戦が
終わり、東西対立による緊張が世界を覆うまでの束の間の平和な時代」という部分。
「テンテーの言ってる『東西対立による緊張が世界を覆う』って冷戦の事と違うんか?」に
はじまり、「謎の唐沢世界史感覚満載」とか、「東西冷戦はヤルタ会談(1945)に端を発す
るというのが、普通の世界史なんだけど 唐沢オリジナル史観では1946年はまだ、米ソの
対立は起きていなかったんだよ」とか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/冷戦
>1945年から1989年までの間続き、直接武力衝突して殺戮を伴う戦争を生じなかった
>為、殺戮を伴う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷
>戦」という語は、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマンが、1947年に上梓した著
>書の書名に使った(ズバリ『冷戦―合衆国の外交政策研究』)事から、人口に膾炙した
>と目されている。


個人的には、冷戦どうこうを抜きにしても、唐沢俊一の「そんなのんびりとした時代の狭間
に生れた、のんびりとした怪奇テイストミステリ映画」という書き方に少し引っかかった。

以前、「黒のB級」を書いたときに引用した唐沢俊一の文章には、「大戦を経験した時代の
虚無主義が反映した犯罪スリラー作品を総称する“フィルム・ノワール”」と書いてあって、
1946 年といえば「フィルム・ノワール」という呼称が誕生した年だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フィルム・ノワール
>Film noirはフランス語で「暗い映画」を意味する。
>1946年、フランスの映画批評家・脚本家のニーノ・フランクが、アメリカで第二次世界
>大戦中に製作された『マルタの鷹』『飾窓の女』などの犯罪映画の一群を指して、この
>呼称を与えた[1]のが起源と言われる[2]。以後フランスの映画評論界における用語と
>して定着し、後にはアメリカにも用語・定義として逆輸入された。
〈略〉
>これらのような、従来の通念に比してインモラルな作品群が1940年代以降に続出した
>背景には、第二次世界大戦と冷戦期の不安な世相が在るとされる。また、第二次世界
>大戦に兵士として従軍した作家たちが、それまで孤立主義を保っていたアメリカから外
>に出たことにより、現実的かつ暴力的な世界情勢に直面したことも重要な要因であろう。


いやまあ『謎の狼女』はフィルム・ノワールの作品には分類されていないのだけど、唐沢
俊一のいう「長かった大戦が終わり、東西対立による緊張が世界を覆うまでの束の間の
平和な時代。これはそんなのんびりとした時代」よりは、上の引用でいう「第二次世界大
戦と冷戦期の不安な世相」の方が、時代背景の説明としてはしっくりくるのではないかと。


また、唐沢俊一は「この作品の評判が悪い」、「タイトルに期待して映画館に足を運んだ
観客が不満をもらすのも無理はない」と書いているが、「謎の狼女」でググって上位にくる
ページの感想を読むと、そんな評判が悪い感じでもなかった。

http://piket.blogzine.jp/blogzine/2009/12/post_3093.html
>まず、書かなきゃいけない事は『題名に嘘偽り有り』って事。狼女はここには出てきませ
>ん。この映画はサスペンス物だったのです。これだけ書けば、ほぼネタばれですから、
>これ以上はネタはばらしませんyo。作品の出来はまずまずなんで、狼女なんて題名つ
>けない方が評価が上がったんでは?と思います。


http://homepage3.nifty.com/housei/SheWolf.htm
>あ、あれ、そうすると結局狼女関係なかったの?
>  映画のタイトルみて、狼女目当てで映画館に駆けつけた当時の観客の反応が知りた
>いところでございます。え?もし私が見ていたらどうなったかって?ははは、そりゃ、当
>然怒り狂ってますね(笑)。


http://digitalvampire.net/movie/1946_she_wolf_of_london.html
>狼に呪われた家系に怯える美しき女性という設定自体は怪奇映画的で非常に良いの
>であるが、物語前半に犯人の目星がついてしまう会話が存在しており、この構成はどう
>にもいただけない。ラストの犯人による独白部分にその部分を纏めた方が、作品全体
>を通じての緊張感がもっと持続したのではないだろうか。
>家系の血に怯えるという意味では『キャット・ピープル』に相通ずるものがあるが、
>『キャット・ピープル』があくまで怪奇幻想の世界に留まっているのに対して、本作『謎の
>狼女』(1946)は完全なサスペンス映画として制作されている。よって、最終的には犯
>人が明らかとなり、合理的な解決を迎えることになる。


http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=20157
>怪奇映画としては反則だろという手を使っている。私は好きだけど、怒り出す人もいるだ
>ろう。


怒る人もいるだろうなという感想が 2 件ある一方、本気で腹が立ったと書いている人は
いないのが面白いというか。

いや唐沢俊一は、「タイトルに期待して映画館に足を運んだ観客が不満をもらすのも無理
はない」と書いているのだから、「映画館に足を運んだ観客」の感想のことだろう――とか
考えると、でもこの映画は日本未公開のようなんだけど……と別の意味で首をひねること
になる。

なにしろ 1946 年の古い映画なので、海外のレビューを見ても、「映画館に足を運んだ
観客」の意見は拾いにくい。

- http://www.imdb.com/title/tt0038934/
- http://www.eatmybrains.com/showreview.php?id=368
- http://www.answers.com/topic/she-wolf-of-london-film-1

「併映用の、61分という短いランニングの作品」に、そんなに期待して「映画館に足を
運んだ観客」がいたのかという問題もある。もちろん、狼女登場に期待して足を運んだと
思われるホラー好きの観客の存在は無視できないにしても。


ところで、「××に××で××で×××××××いた」は「勝手に転んで死んでしまって
いた」のことだとして、「タイトルにある狼女が×××××、ただの××××のための
×××であった、という拍子抜けのオチである」は×に何をいれるつもりだったのだろう。

「タイトルにある狼女が登場しない、ただの財産争いのための小細工であった、という
拍子抜けのオチである」……とか?

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2011.09.18 (Sun)

映画 Charly のポスターで R が鏡文字なのは何だか Toysrus みたい

http://www.tobunken.com/news/news20110912182618.html

イベント
2011年9月12日投稿
アメリカを体現した男 【訃報 クリフ・ロバートソン】

9月10日、老衰で死去。88歳。

30年ほど前、SFファンたちが集ると3回に1回くらいの割合で
出るのが 「しかし『まごころを君に』ってダサいタイトルだよなあ」
という話題だった。
「原作の『アルジャーノンに花束を』か、せめて原題の『チャーリー』
にできなかったものかね」
「日本の映画関係者のセンスの限界だね」
なんて言いあっていたものだ。
まさかその20年後、日本SF界を席巻したアニメの映画版に、そのダサい
タイトルが流用されて大ヒットするとは……。

その、元となった『まごころを君に』(1968)で主人公、
チャーリー・ゴードンを演じたのがクリフ・ロバートソン。
どの訃報記事にも、彼が主演した(そしてアカデミー賞を受賞した)
としか書いてないが、実はこの作品、ロバートソンは主演ばかり
でなく、制作も兼ねている。と、いうか、彼自身のプロダクション
『ロバートソン・アソシエーツ』(と、MGMの共同)作品なのである。
よほどこの役を演じたかったのであろう。アカデミー賞を勝ち取る熱演で
あったのもむべなるかな、なのである。

精薄児チャーリーは37歳だが、心は少年のまま、である。
あるとき、彼は脳の機能改善手術を受け、高い知能を得るに至る。
だが、それは必ずしも彼にとり、幸せなことではなかった……。
ラヴィ・シャンカールの音楽をバックに子供になりきって遊ぶ
チャーリーの姿が忘れられない。

それから34年、久しぶりに見た姿がちょっと老けていたのが悲しかった
『スパイダーマン』(2002)だったが、ロバートソン演じるベンおじさんは、
死ぬ間際に、甥のピーターに、与えられた力の正しい使い方、力を持った者の
責任を説いてカッコよく逝く。それは、同じく与えられた力の使い方を
知らなかった過去を持つ、チャーリー・ゴードンからの遺言、とわれわれ
観る方は受け止める。SF映画マニアであるサム・ライミならではの
キャスティングだった。

戦争映画大好きな人たちにとってロバートソンは『魚雷艇109』
(1963)でケネディ大統領の若き日を演じた人、あるいは
“裏ばなし『史上最大の作戦』”とも言うべき(実際、イリナ・デミック、
レッド・バトンズなど『史上~』と俳優がかなりダブる)『渚のたたかい』
(1965)のバクスター軍装を演じた人、であるのだが、SF大好きな
人たちにとっては、上記チャーリー、そして『アウターリミッツ』の
記念すべき第一話『宇宙人現る』(1963)の主人公を演じた人物、
なのである。

ライミがスパイダーマンの続編、続々編でも、ベンおじさんの登場するシーンを
(回想なのに)ロバートソンに新たに演じさせていたのは、彼がそういう
マニアにとりイコンである存在だったからだ。

彼は『魚雷艇109』では日本人、『アウターリミッツ』では宇宙人、
という“異文化”と対決するわけだが、要するにロバートソンという
人はそういう連中と対峙するにふさわしい(対比がはっきりする)
よき代表的アメリカ人、というイメージの役者だったのだろう
(まあ、前者は単にケネディ大統領に似ていたということからの
キャスティングかもしれないが)。2枚目ではあるのだが、これ、
といった個性がないタイプであり、70年代に入って、クセのある
役者たちがどんどんスクリーンの中心になっていくあたりで、
ロバートソンの出番が少なくなっていったのも、これは仕方のない
ところだったかもしれない。70年代半ばにはTVムービーが活動
の中心となる。この時期、50~60年代に活躍した多くの2枚目俳優が
消え去っていっている。

しかし、ロバートソンは決して消え去りはしなかった。
その、個性がないところが個性、という魅力がかえって輝きはじめた
のだ。それが、16年の歳月を隔てて母と娘の両方に恋をする男、
という役を演じたブライアン・デ・パルマの佳作『愛のメモリー』
(1976。原題は『Obsession』。どうしてロバートソン主演作はこう
邦題に恵まれないのであろうか)で開花する。

http://megalodon.jp/2011-0913-1153-59/www.tobunken.com/news/news20110912182618.html

×『ロバートソン・アソシエーツ』(と、MGMの共同)作品
○『ロバートソン・アンド・アソシエーツ』(を含む数社の共同)作品
×バクスター軍装 ○バクスター軍曹
×死ぬ間際に ○死ぬ少し前に
×責任を説いてカッコよく逝く ○責任を説くカッコよい言葉を残して逝く

「バクスター軍装」と、『渚のたたかい』が訂正前は『渚のい』と書かれていたという件は
「藤岡真blog」の「崩壊寸前」に書かれていて、それを受けて2ちゃんねるのスレでは、
「こんにちわ!渚のいです! のいちんって呼んでね!」、「ミリタリーコスプレイヤー
渚のい軍装」などと話題になった (Read More 参照)。


で、「日本の映画関係者のセンスの限界だね」などと、「30年ほど前、SFファンたちが
集ると3回に1回くらいの割合」で「言いあっていたものだ」というのはまあ唐沢俊一流の
フカしがはいっているとして、『アルジャーノンに花束を』という題の方がカッコイイのに
……というのは、自分も聞いたことがあるし思ったこともある。唐沢俊一のように、「ダサい
タイトルだよなあ」、「そのダサいタイトルが」と、「ダサい」を連発して『まごころを君に』と
いう題を貶したいとまでは思わないけど。

ここで唐沢俊一が「そのダサいタイトルが流用されて大ヒット」といっている「日本SF界を
席巻したアニメの映画版」は、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の
こととして。

http://ja.wikipedia.org/wiki/新世紀エヴァンゲリオン劇場版_Air/まごころを、君に
>1995年秋~1996年春まで放送された同テレビアニメシリーズ、『新世紀エヴァンゲリオ
>ン』の第弐拾伍話と最終話をリメイクし、完全新作として上映されたものである(テレビ
>シリーズとは区別するために話数はアラビア数字表記にされ、アイキャッチ画面ではそ
>れぞれepisode 25'、ONE MORE FINALと表示された)。本作をもって『新世紀エヴァンゲ
>リオン』は完結を迎えた。
〈略〉
>第25話『Air』は、劇中BGMに使われているヨハン・ゼバスティアン・バッハ作の『管弦楽
>組曲第3番第2曲』の「アリア」(Air) から。また第26話『まごころを、君に』は、 ダニエル
>・キイスの著作『アルジャーノンに花束を』が映画化された時の邦題「まごころを君に」
>から。


少し違和感があるのは、『まごころを、君に』は、「アニメの映画版」のみで使われている
のではなく、テレビ放映の際の「第26話『まごころを、君に』」で既に使われていて、しかも
映画より前に、これは映画化された『アルジャーノンに花束を』の邦題だという話はかなり
有名になっていたよなあ……という記憶があったせい。まあ、エヴァ関係は唐沢俊一の
苦手分野だから深く考えないのがよいのかもしれない。(→追記)

エヴァ論だったら、いつも空振り。ヤマト論も。
通過儀礼を上手く通過できなかったのは他でもないあなただったんですね唐沢俊一
 先生
せっかく猿から進化したんだからマウンティングへの固執もほどほどにね
サイコさんまたはエキセントリック中年ミドルエイジからの手紙
スモールサークルまたは破壊的カルトからの生還
「適当な距離感」「クールに対応」そして「一番の財産はオリジナリティ」
唐沢俊一先生、その病、直っていません
「伊藤剛くんがかつて、“エヴァはボクが作るべき作品だったんです”と言っ」てはいな
 い、と
そんなに“カッコいい~!”ですか、“人類進化の最終形態”は滅亡ってのが?

ちなみに、http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=5406 には、『まごころを君
に』という題の方がよいといっている人が 2 名ほど。最初にどちらの題で出会ったのかも
影響するのかもしれない。


さて、唐沢俊一は、「どの訃報記事にも、彼が主演した(そしてアカデミー賞を受賞した)
としか書いてないが、実はこの作品、ロバートソンは主演ばかりでなく、制作も兼ねてい
る」と書いている。確かに、訃報記事をいくつかチェックしてみたけど、そのようなことは
書かれていないようだ。

http://www.hollywood-ch.com/news/11091203.html?cut_page=1
> ロバートソンは、最近ではサム・ライミ監督「スパイダーマン」シリーズで、主人公ピー
>ター(トビー・マグワイア)のおじベン・パーカーとして知られている。若い頃はハンサム
>俳優として人気が高く、1940年代からブロードウェイやTVで活躍していた。映画デビュ
>ーは1955年「ピクニック」。1963年に戦争映画「魚雷艇109」で若き日のジョン・F・ケネ
>ディ役を演じたが、同作は現職大統領を映画に登場させた初めての作品としても話題
>になった。
> 1968年には、ダニエル・キイス著「アルジャーノンに花束を」を原作にしたラルフ・ネル
>ソン監督「まごころを君に」でアカデミー主演男優賞を獲得。その後も数々のTV、舞台、
>映画で活躍していたがここ数年は体調を崩しスクリーンから遠のいていた。


http://www.cinematoday.jp/page/N0035279
> ロバートソンさんは「アルジャーノンに花束を」を基にした、映画『まごころを君に』
>(1969年公開)で知的障害を患う青年を演じアカデミー賞主演男優賞を受賞。自ら設立
>した会社で『賞金稼ぎのバラード』などを製作。日本では未公開だがパイロット免許を
>所有するロバートソンさんは、『緊迫のコックピット/ザ・パイロット』で監督も務めてい
>る。最近では『スパイダーマン』シリーズのやさしい笑顔が印象的なベンおじさんの演
>技が印象深かった。心からご冥福をお祈りいたします。(編集部・下村麻美)


……困ったことに、訃報記事以外でも、『まごころを君に』 (Charly) で「ロバートソンは主演
ばかりでなく、制作も兼ねている」ということを示す資料が見つからないのだが。

http://movie.goo.ne.jp/movies/p8494/comment.html
>ダニエル・キースのSF小説『アルジャーノンに花束を』を「夜の大捜査線」でアカデミー
>賞脚本賞を獲得したスターリング・シリファントが脚色、「野のユリ」「誇り高き戦場」の
>ラルフ・ネルソンが製作・監督した。撮影は「マリアンの友だち」のアーサー・J・オーニッ
>ツ、音楽は「大地のうた」のラヴィ・シャンカールが担当している。出演は「コマンド戦略」
>のクリフ・ロバートソン、「寒い国から帰ったスパイ」のクレア・ブルーム、ブロードウェイ
>出身のレオン・ジャニー、「愚か者の船」のリリア・スカラ、ルース・ホワイト、エド・マック
>ナリーなど。


http://eiga.com/movie/49601/
>キャスト: クリフ・ロバートソン、クレア・ブルーム、リリア・スカラ
>製作・監督: ラルフ・ネルソン
>原作: ダニエル・キイス
>脚本: スターリング・シリファント
>撮影: アーサー・オーニッツ
>音楽: ラビ・シャンカール


http://www.imdb.com/title/tt0062794/
> Charly (1968)
〈略〉
> Director: Ralph NelsonWriters: Daniel Keyes (novel), Stirling Silliphant (screenplay)
> Stars: Cliff Robertson, Claire Bloom and Lilia Skala


IMDb でクリフ・ロバートソン (Cliff Robertson) のフィルモグラフィーを参照しても、そんな
ことは書かれていない。

http://www.imdb.com/name/nm0731772/
> Writer (3 titles)
> 2002 13th Child (written by)
> 1971 J.W. Coop (written by)
> 1962 Outlaws (TV series) – The Dark Sunrise of Griff Kincaid (1962) (story)
> Director (3 titles)
> 1980 The Pilot
> 1971 J.W. Coop
> 1962 Outlaws (TV series) – The Dark Sunrise of Griff Kincaid (1962)
〈略〉
> Producer (1 title)
> 1971 J.W. Coop (producer)


先に引用した資料のいう通り「『緊迫のコックピット/ザ・パイロット』で監督も務めて」は
いる。この The Pilot か J.W. Coop、または Outlows の The Dark Sunrise of Griff
Kincaid と Charly とを、唐沢俊一は間違えて書いたのではないか。

「彼自身のプロダクション『ロバートソン・アソシエーツ』(と、MGMの共同)作品」の方の
真偽は不明。そもそも『ロバートソン・アソシエーツ』が実在するかどうかも、自分はうまく
見つけられなかったので……。(→追記)


それから、IMDb のフィルモグラフィーを見るかぎりでは、「70年代に入って、クセのある
役者たちがどんどんスクリーンの中心になっていくあたりで、ロバートソンの出番が少なく
なっていったのも、これは仕方のないところだったかもしれない。70年代半ばにはTVムー
ビーが活動の中心となる」というのもガセといってよいだろう。

http://www.imdb.com/name/nm0731772/bio
> His critical success with "Charly" allowed him to continue starring in some good
> films in the 1970s, including Too Late the Hero (1970), The Great Northfield
> Minnesota Raid (1972) and Obsession (1976).


いや、上に引用する IMDb の記述を抜きにしても、「70年代に入って、〈略〉ロバートソン
の出番が少なくなっていった」に、「70年代半ばにはTVムービーが活動の中心となる」
と書いておいて、そのすぐ次に「しかし、ロバートソンは決して消え去りはしなかった」で
「ブライアン・デ・パルマの佳作『愛のメモリー』(1976。原題は『Obsession』。」と続けて
いるのだから、もう無茶苦茶である。唐沢俊一の定義では、1976 年の Obsession は
「70年代半ば」の映画ではないのだろうか。

また、唐沢俊一のいう「ロバートソンの出番が少なくなっていったのも、これは仕方のない
ところだったかもしれない。70年代半ばにはTVムービーが活動の中心となる。この時
期、50~60年代に活躍した多くの2枚目俳優が消え去っていっている。しかし、ロバート
ソンは決して消え去りはしなかった」――これは、唐沢俊一が、「TVムービーが活動の中心
となる」ことは「消え去」ることだと定義していると解釈しないと、意味が通らない。

だが、その唐沢俊一が、「そして『アウターリミッツ』の記念すべき第一話『宇宙人現る』
(1963)の主人公を演じた人物、なのである」、「『アウターリミッツ』では宇宙人、という
“異文化”と対決するわけだが」と熱心に言及している Outer Limits。これも TV series
なのだから、唐沢俊一が「TVムービーが活動の中心となる」ことを「消え去り」と思って
いるとしたら変な話だ。唐沢俊一に首尾一貫性を要求するならば、だけど。

http://www.imdb.com/name/nm0731772/
> The Outer Limits (TV series) Alan Maxwell
> – The Galaxy Being (1963) … Alan Maxwell


http://www.imdb.com/name/nm0731772/ を見ると、1960 年代のロバートソンは、
Outer Limits の他にも Mystery Zone や Batman に出演したり、もともと TV での活動も
多い人なのだとわかる。1970 年代にはいって、特に TV の割合が増えたわけでもない。

つまり、まあ、「この時期、50~60年代に活躍した多くの2枚目俳優が消え去っていって
いる」という唐沢俊一の持論 (?) を無理矢理挿入したのが敗因ではないかと思う。


それから、「ロバートソン演じるベンおじさんは、死ぬ間際に、甥のピーターに、与えられた
力の正しい使い方、力を持った者の責任を説いてカッコよく逝く」について。

「与えられた力の正しい使い方」はともかく、「力を持った者の責任を説いて」というのは、
「大いなる力には、大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility.)」
という言葉をさすと考えてよいだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/スパイダーマン
>彼は、赤と青のコスチュームを誂え、テレビ出演して金を稼いだ。一躍人気者となって
>いた彼は、ある日の番組収録後、一人の強盗が警備員から逃げるのを、「自分の仕事
>じゃない」と見逃した。しかししばらくして、彼の父親代わりだったベン・パーカーが、何
>者かによって殺害される。それを知ったピーターは殺人犯を追うが、それが自分が見逃
>がした強盗だと気付く。後悔の念に苛まれたピーターは、ベンが残した「大いなる力に
>は、大いなる責任が伴う (With great power comes great responsibility.)」という言葉
>[† 1]を胸に、人々の為に自分の超能力を使う事を決意するのだった。


http://dabensya.sakura.ne.jp/meimonku/monku145.htm
>「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
>この力は天からの贈り物。そして呪いでもある。
>僕は誰かって? スパイダーマンさ。 
>出典: ピーター・デイヴィッド「スパイダ-マン」(富永和子訳)
〈略〉
> 「大いなる力には、大いなる責任が伴う」とは、亡くなったおじがピーターに遺した言葉
>でもあります。


「死ぬ間際」に「カッコよく逝く」という記述から推測するに、どうも唐沢俊一は、強盗に襲わ
れて瀕死の状態のベン・パーカーが、ピーターにこう言い残して死亡――と考えているかの
ようだが、実際にこの言葉が発せられたのは別の場面。

- http://www.youtube.com/watch?v=8DfztIIqbTI

本当の「死ぬ間際」は、「責任を説いてカッコよく逝く」だけの時間も余力もなかったのだ。

- http://www.youtube.com/watch?v=IuOkwCcMjEc

その他参考 URL:
- http://ameque.cool.ne.jp/marvel/spider-man/spmfaq.htm
- http://ameque.cool.ne.jp/marvel/spider-man/spmchara11.htm
- http://nicoviewer.net/sm8880097
- http://www.nicovideo.jp/watch/sm9626118


そして唐沢俊一は、「力を持った者の責任を説いてカッコよく逝く」に続けて、「それは、
同じく与えられた力の使い方を知らなかった過去を持つ、チャーリー・ゴードンからの遺
言、とわれわれ観る方は受け止める」と言い出す。……「われわれ」って誰?

感想は人それぞれといえばそれまでだが、自分だったら、もしも原作の『アルジャーノンに
花束を』のチャーリイ・ゴードン――こちらは「チャーリー・ゴードン」ではない――が「大いなる
力には、大いなる責任が伴う」という言葉を発したならばと考えたときに、「同じく与えられ
た力の使い方を知らなかった過去を持つ」者からの遺言というようには受け止めにくい。

スパイダーマンの強盗見逃しに相当するような、あのときああすればよかったのに――と
いうエピソードが、『アルジャーノンに花束を』にはないように思うため。スパイダーマンは、
その気になりさえすれば強盗をつかまえることが簡単にできた。チャーリイ・ゴードンが、
自分の感情や社会性を知能にみあうほどに発達させること、知能の対抗を止める手段を
発見することの方は、「与えられた力の使い方」とか「大いなる責任」とかで可能にできた
話とも思えない。これらの自覚は、むしろチャーリイに知能向上の手術をした科学者側に
要求されるべきものではないかとも思った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アルジャーノンに花束を
>手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇。ついには185に達し、彼は超知能
>を持つ天才となった。チャーリイは大学で学生に混じって勉強することを許され、知識を
>得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。だがいっぽうで、頭が良くなるに
>連れ、これまで友達だと信じていた仕事仲間に騙されいじめられていたこと、母親に捨
>てられたことなど、知りたくもない事実の意味を理解するようになる。
>一方で、チャーリイの感情は未発達な幼児のままだった。突然に急成長を果たした天
>才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が
>高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。誰もが笑いを失い、周囲の人間
>が遠ざかっていく中で、チャーリイは手術前には抱いたことも無い孤独感を抱くのだっ
>た。また、忘れていた記憶の未整理な奔流がチャーリイを苦悩の日々へと追い込んで
>いく。
>そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変
>が起こる。チャーリイは自身でアルジャーノンの異変について調査を始め、手術に大き
>な欠陥があった事を突き止めてしまう。手術は一時的に知能を発達させるものの、性
>格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能
>は、やがて失われる性質のものであることが明らかとなり、彼は失われ行く知能の中
>で、退行を引き止める手段を模索する。だが、もはや知能の退行を止めることはでき
>ず、ついにはチャーリイは元の幼児並の知能を持った知的障害者に戻る。
>彼は経過報告日誌の最後に、正気を失ったまま寿命が尽きてしまったアルジャーノン
>の死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージとして、「うらにわのアル
>ジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください」と締め括る。


映画は原作とは別物という意見もあるが、先に述べた点では大きな違いがない様子。
「与えられた力の使い方」をどうこうするより、「与えられた力」つまり高い知能というものが
本人および周囲の人間に幸福をもたらすかどうかを疑問視する傾向は、映画の方が強い
気がする。

http://movie.goo.ne.jp/movies/p8494/story.html
>何ヵ月か経ち、一人前の立派な大人になったチャーリーは自分の病状経過を公開する
>ため医師会の会合に出席した。そこで、以前の自分のテスト・フィルムを見たチャーリー
>は、自分はただのモルモットでしかなかったのではないかという感情をいだいた。さら
>に、アルジャーノンの死が、彼を悲しみと恐怖の底につき落とした。人並み以上に頭脳
>が発達することが、そんなに素晴らしいことか。自分のしている実験は本当に価値があ
>り、世の役に立っているのか。チャーリーは疑問を持った。そして今、自分がいる社会
>には、以前持っていたハートがないことを感じとった。心配するアリスの手を振り、
>チャーリーは昔の素朴で自由な生活に戻る決心をした。その後公園には、子供たちと
>楽しそうに遊ぶ幸せそうなチャーリーの姿がみられた。


http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=2277&mid=5406
> 原作の良さは、主人公のチャーリーが日記を書いていて、それを読んでいるから楽し
>いのだが、ここでのチャーリーは日記を書いていない。ただ運命のまま流される役を演
>じてるだけ。映画というメディアを用いているから仕方ないのかも知れないけど、原作最
>後にあった最も大切な台詞「アルジャーノンに花束を」が抜けてるのは残念すぎ(それで
>邦題が変えられたのかな?)。


http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=2827&mid=5406
>中でも最悪は、主人公が以前の自分の幻影から逃げまどう凝ったシーン。あれでは、
>いじめられるかっこ悪い馬鹿な自分が嫌でたまらないから退行したくない、みたいでは
>ないですか。どうして、知恵から得る全ての文化的な幸せとの別れのつらさ、を表現で
>きないかな。


ただ、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」の「大いなる力」が高い知能だった場合の
物語はどうなるか――というテーマは、映画『スパイダーマン2』で掘り下げられていると
いえるのかもしれない。それも超小型核融合反応炉の暴走という、今思うとかなり興味を
そそられるネタつきで。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/horand_spiderman.html
> 博士の研究は、小型人工太陽とも称すべき無限連鎖核融合炉の開発。これに成功
>すれば、人類はまったく新しい無限のエネルギー源をその手にすることになるのです。
>オクタビアス博士は、ピーターの担当教授の友人でもあったので、自己紹介するピー
>ターに「君のことは聞いているぞ。優秀な学生だ。だが、怠け者だともね」と言います。
>もちろんこれは、ピーターがスパイダーマンになってから学業を怠りがちだったことから
>きた評価です。ピーターは有能で期待された学生だっただけに、教授の失望も大きかっ
>たのでしょう。ピーターの教授からそうした嘆きを聞かされていたオクタビアス博士は、
>ピーターにこう助言します。

>『優秀なだけではダメだぞ。努力しなくては。知性は特権ではなく、授かり物だ。人類の
>ために使わなければ』

> オクタビアス博士は、無限のエレルギーを産み出す超小型核融合反応炉を、研究室
>のなかに組み上げます。そして、その超小型反応炉を制御するための人体装着型の
>「知能をもつ人工アーム」を、ピーターやハリー、そしてマスコミ陣を前にして装着したう
>えで、超小型反応炉の成果 を実地に発表しようとします。ところが、この実験が計算違
>いの失敗で、あやうく大惨事となりかけたのですが、ピーターの活躍でなんとか事なき
>を得ます。しかし、この事故で博士の名声は地に墜ちたばかりではなく、研究の継続は
>不可能となり、失意の博士は人工アームをつけたまま行方不明となってしまいます。
> しかし、問題はそれには止まりませんでした。この人工アームは、もともと独自の知能
>をもっており、それを博士の神経と直結して制御することで、博士の意図にそった高度
>な作業を効率良くこなせる、という便利な「道具」だったのですが、事故のために人工
>アームの知能を制御するための制御チップが破損し、今度は博士の方が人工アーム
>に操られることになってしまったのです。
> 博士は、無限連鎖核融合炉の完成という「人工アームの存在意義」に操られるかたち
>で、なりふりかまわず「自分の夢」を追求することになり、実験再開のためには銀行強
>盗などの犯罪も辞さない怪人「ドクター・オクトパス」に変貌してしまったのでした。


その他参考 URL:
- http://www.youtube.com/watch?v=muIBzhN72pk
- http://www.youtube.com/watch?v=ZHcgz_TgvQc
- http://www.youtube.com/watch?v=O6HPA0hd5c0
- http://www5f.biglobe.ne.jp/~purtra/page/html/review/review2.htm
- http://www.heiwaboke.com/2007/05/post_921.html
- http://2ch-news-ww.ldblog.jp/archives/52892746.html


追記: 2ちゃんねるのスレで指摘がありました通り (Read More 参照)、テレビ放映時に
「第26話『まごころを、君に』」だったというのは、私の記憶違いの大ボケです。
申し訳ありません……。(_ _);

追記 2: コメント欄の指摘 (ありがとうございました) を受けて、
×『ロバートソン・アソシエーツ』(と、MGMの共同)作品
○『ロバートソン・アンド・アソシエーツ』(を含む数社の共同)作品
を追加しました。
- http://ftvdb.bfi.org.uk/sift/organisation/12800
- http://www.imdb.com/title/tt0062794/companycredits


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2011.09.11 (Sun)

ペギラかバキューモンか<菅原道真の怨霊

http://www.tobunken.com/news/news20110907130558.html

イベント
2011年9月7日投稿
ペギラと黒雲、ヒゲ
〈略〉
……ところで、帰り道、と学会の藤倉珊さんや開田裕治さんと話題になった
のが、「ペギラの黒雲、あれはなんなんだろうね」ということだった。45年前
に初めて見た翌日、友人間で話題になったのを覚えているが、45年後も
同じ話で盛り上がるとは、オタクというのは進歩のないものである(だから
楽しいのだが)。ペギラは飛行時、全身を黒雲で覆って渦を巻くようにして
高速飛行するのだが、ペギラに、ジェット噴射で空を飛ぶような能力が備わって
いるとは考えられず、あの黒雲はどこから出るのか、とみんな不思議がって
いたのだ。「�斗雲みたいなペギラの乗り物じゃないのか」という説から、
「あれはバキューモン(『帰ってきたウルトラマン』に登場する怪獣)の
ような暗黒物質で出来ている生物で、ペギラはそれに操られているだけ、
いや、その生物の器官の一部に過ぎないのでは」などという話が出て、
こういうヨタみたいな話のやりとりがあるから怪獣映画というのは楽しい
のだな、という感を強くした。

SF的な設定はいくらでも考えられるが、文化的な文脈で見るとどうか。
ペギラは初めて特集記事などで紹介されたときから”ペンギンが突然変異
した怪獣“という設定があったようだが(ちなみにゴメスは”オケラが突然
変異した“とされていた)、どう見ても鳥類がモチーフとは考えられない
デザインである(初期デザインはもっと鳥ぽかったのを、最終的に成田亨氏が
修正)。退化したヒレみたいな翼が両腕についているのが最大の形状上
での特長だが、もうひとつ、アップになると、怪獣らしからぬ(?)
ヒゲが生えているのがわかる、というのも、あまり他の怪獣に見られぬ
特長と言える。口の両端と、それからアゴにも、しょぼしょぼとあまり
立派でないヒゲが生えている。これは造形にあたった高山良策氏が植毛ぬい
ぐるみの製造経験が長かったその名残……なのだろうか?

それはともかく、このヒゲと黒雲との関係で、ちょっと思いついたことが
あった。黒雲に乗って天空をかける存在、というと何があるか。
言うまでもなく、日本の伝説上の、風神、雷神であろう。

ことに雷神と黒雲はセットになっているようで、日本各地に、黒雲から足を
踏み外した雷神が墜ちてきた、という民話・伝承が残っている。天に帰る
ときもまた、黒雲を呼び、それに乗って空へ上っていく。
雷神は日本の伝説の中では多く祟り神にも類えられており、藤原時平によって
讒言され九州で斃死した菅原道真は雷神となり宮中に黒雲となって現われ、
自分を陥れたものたちを雷電で撃ち殺したと伝えられる。

ペギラの、あの黒雲を呼んで天に帰るというイメージ(ペギラは2回、
ウルトラQに登場するが、どちらも黒雲に包まれて逃げ去っている)は、
あきらかに風神雷神からのインスパイアだろう。

それを考えると(と、またヨタな話に戻るが)、ペギラの顔の造形、
つまり一本角、牙、髭は、鬼神の顔の造形をモチーフにしたと言っても
いいのではないかと思う。通説ではペギラの顔はトドやアザラシなどの海棲
哺乳類をモチーフにしたということになっているが、海棲哺乳類で角を持つ
ものはいないし、口ひげはあっても顎ひげはない。いや、カンぐれば、
雷神となった道真(天神様)にあやかってヒゲを生やしたのかも……(笑)。


×”ペンギンが突然変異した怪獣“という ○“ペンギンが突然変異した怪獣”という
×ゴメスは”オケラが突然変異した“ ○ゴメスは“オケラがモチーフのひとつになっている”
×海棲哺乳類で角を持つものはいない 
○海棲哺乳類の中ではイッカクが角のような牙をもつ
×口ひげはあっても顎ひげはない ○クジラには顎ひげがある

全角二重引用符の開く方向と閉じる方向が逆というのは、いつものことだが (ここここ
ここを参照)、見ていて気持ち悪い、ということで。

ゴメスは「オケラが突然変異した」という設定ではない――金城哲夫が、「東北地方にある
“鬼(おに)”のイメージと、作者がだいきらいなオケラの感じからつくられたのがゴメス」
とインタビューに答えているのは、昭和 40 年 12 月 26 日の徳島新聞の記事にある――
という話は、2ちゃんねるのスレへの書き込み (Read More 参照) か、「藤岡真blog」の
ゴメスの名はゴメス」を参照のこと。

で、「どう見ても鳥類がモチーフとは考えられないデザイン」とは、ゴメスの方ではなくて
ペギラについていっているはずだが……「退化したヒレみたいな」ものでも、翼がついて
いるのに、「どう見ても鳥類がモチーフとは考えられない」とは言い過ぎのような。いや、
「退化したヒレみたいな」からして、少々言い過ぎ。

- http://www.youtube.com/watch?v=OSnezyF-stg
- http://pulog1.exblog.jp/106047/
- http://www.geocities.jp/gobuzakigousei/gouseishashin/pegiragousei.html

そもそも、鳥類の中には、ハゲタカもいればダチョウもいるし、それこそペギラのモチーフ
になったペンギンのようなものも含まれているのに……とも思う。

そして、唐沢俊一は、「黒雲に乗って天空をかける存在、というと何があるか」と話をつな
いでいるのだが、ペギラって「黒雲に乗って」いたんだっけかという疑問もわいてくる。

http://www.b-boys.jp/ultraQ/kaijyu/peguila/index.html
>黒煙を発しながら、猛スピードでの飛行ができるが、接近された地域では、異常な大寒
>波が観測される。


だいたい、唐沢俊一本人だって、「全身を黒雲で覆って渦を巻くようにして 高速飛行する」
とも書いているのに……。

さらに唐沢俊一は、「日本各地に、黒雲から足を踏み外した雷神が墜ちてきた、という民
話・伝承が残っている。天に帰るときもまた、黒雲を呼び、それに乗って空へ上っていく」
というのだが、「雲から足を踏み外した」って雷神というより久米仙人のイメージのような。
まあ、久米仙人も「雲から足を踏み外した」というより神通力を失って墜落というべきかも
しれないけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/久米仙人
>天平年間に大和国吉野郡竜門寺の堀に住まって、飛行の術をおこなっていたが、久米
>川の辺で洗濯する若い女性の白い脛(はぎ)に見惚れて、神通力を失い、墜落し、その
>女性を妻とした。


それはさておき、「日本各地に〈略〉民話・伝承が残っている」という割には、「民話・伝承」
の方で「黒雲から足を踏み外した雷神が墜ちてきた」話はあまり見あたらなくて、該当し
そうなのは、下に引用する中の「『神鳴』(狂言)」くらい。

http://www.agu.ac.jp/~kamiyama/ra.htm (http://www.weblio.jp/content/落雷)
>★3a.雷が落ちて捕らえられる。

>『捜神記』巻12-6(通巻305話)  桑の木に降りた雷を、男が鋤でたたき落とした。
>その形は牛・馬のごとく、頭は猿に似て、毛の生えた角は三寸ほどの長さだった。

>『太平広記』巻394所引『伝奇』  村人が雨乞いをしても旱魃が続くので、陳鸞鳳とい
>う男が雷公廟を焼き払う。怒って落ちかかる雷公の左股を、陳は刀を振るって斬り落と
>す。墜落した雷公は、熊・猪に似て毛角があり、肉翅がついていた。陳が雷公の首を取
>ろうとするのを村人が止め、やがて雷雲が湧いて、傷ついた雷公を包んで去った。

>★3b.雷が木にはさまって、捕らえられる。

>『太平広記』巻394所引『神仙感遇伝』  大木に落ちかかった雷が、木の裂け目には
>さまれる。木の下で雨宿りする男が、裂け目に楔を打って雷を逃がしてやる。翌日、そ
>の返礼に、雷は自在に雷雨をあやつる法を記した書物を、男に与えた。

>『日本書紀』巻22推古天皇26年8月  霹靂の木として恐れられている木を、河辺臣
>が人夫に命じて切らせる。雷神は、剣を握って挑戦する河辺臣に十数回落ちかかろうと
>して果たさず、小さな魚と化して木の股にはさまる。魚は木から取りおろされ焼かれる。

>『日本霊異記』上-1  雄略天皇の命令により、少子部栖軽は、豊浦寺近くに落ちた
>雷を捕らえたが、その電光を天皇は恐れ、落ちた所に返させた。栖軽の死後、彼の墓
>の碑文の柱に雷が落ちかかり、柱の裂け目にはさまって捕らえられた。

>★4.落ちた雷が、人間に何ものかを授けて昇天する。

>『神鳴』(狂言)  雷が空を鳴り渡るうち、雲間を踏みはずして野へ落ち、腰骨を打つ。
>通りかかりの藪医師(やぶくすし)が、雷の求めで針を打って治療する。雷は返礼に「干
>魃・水害を八百年間とどめよう」と約束して、昇天する。

>『今昔物語集』巻12-1  雷が落ちて山寺の塔を破壊するので、神融聖人が法華経
>を唱えると、十五~六歳の童姿の雷神が聖人の目前に墜落し、許しを請う。雷神は聖
>人の命令で、水の不便なこの地に清水を湧き出させ、昇天する。

>『日本霊異記』上-3  尾張国阿育知郡の農夫が田に水を引いている時、雷が鳴っ
>た。農夫が金の杖を捧げると、雷が眼前に落ちて許しを請い、子を授けることを約束し
>て飛び去る。やがて生まれた男児は怪力の持ち主で、後に「道場法師」と呼ばれた。


その他参考 URL:
- http://blog.livedoor.jp/eastasian/archives/1417870.html (『捜神記』)
- http://www.geocities.jp/kanreisai/nikki.19.11.11.htm (『太平広記』)
- http://higashinomiya.com/ziro/index.php?itemid=1523 (『日本書紀』)
- http://blogs.yahoo.co.jp/senapi93/25086165.html (『日本霊異記』上-1)
- http://books.google.com/books?id=vkj1M83jEjYC&pg=PA141&lpg=PA141 (『神鳴』)
- http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/minpou/minpou2008/minpou2008.06.08/newpage5.html (『今昔物語集』巻12-1)
- http://www.withfox.jp/nihonryouiki.html (『日本霊異記』上-3)
- http://www.karakusamon.com/ryu.html
- http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/yatuiwa.html
- http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/jack/02.html
- http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM115.html

わからないのは、何でわざわざ「黒雲から足を踏み外した雷神」と余計なことを書いている
のかということである。「黒雲から足を踏み外し」たりしていない「雷神が墜ちてきた」という
話なら数がぐんと増えるのだし、ペギラと雷神を結びつけるにあたっても、「黒雲から足を
踏み外した」という記述は邪魔にしかならない。

また、上の引用によれば、『太平広記』では「やがて雷雲が湧いて、傷ついた雷公を包ん
で去った」という話になっていて、それならばやはりペギラを「黒雲に乗って天空をかける
存在」なんて書かない方がよかったのに……と思う。

「菅原道真は雷神となり宮中に黒雲となって現われ」もなあ……雷神はまあよいとして、
「宮中に黒雲となって現われ」だったら、まるで菅原道真が、唐沢俊一も紹介している
暗黒怪獣バキューモンみたいな怪物になって宮中を徘徊したみたいだと思ってしまう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/帰ってきたウルトラマンの登場怪獣
>暗黒怪獣 バキューモン
>第23話「暗黒怪獣・星を吐け!」に登場。
>体重、身長:共に無限大
>宇宙に存在する怪獣。その姿は煙のようなものに包まれ、外見は所謂「怪獣」と言うよ
>りも「命あるブラックホール」という印象。ただし、体内の描写があるので一応生物では
>あると思われる。


菅原道真の怨霊が、「宮中に黒雲となって現われ」たという話は伝えられていない。
清涼殿に落雷が直撃し、藤原清貫が亡くなった事件については、菅原道真の怨霊の
しわざと噂され、「道真が雷神になったという伝説が流布する契機にもなった」とはいわ
れているが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/清涼殿落雷事件
>この年、平安京周辺は干害に見舞われており、6月26日に雨乞の実施の是非について
>醍醐天皇がいる清涼殿において太政官の会議が開かれることとなった。ところが、午後
>1時頃より愛宕山上空から黒雲が垂れ込めて平安京を覆いつくして雷雨が降り注ぎ、
>それから凡そ1時間半後に清涼殿の南西の第一柱に落雷が直撃した。
〈略〉
>天皇の居所に落雷したということも衝撃的であったが、死亡した藤原清貫がかつて大
>宰府に左遷された菅原道真の動向監視を藤原時平に命じられていたこともあり、清貫
>は道真の怨霊に殺されたという噂が広まった。また、道真の怨霊が雷を操ったというこ
>ととなり、道真が雷神になったという伝説が流布する契機にもなった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/天満宮
>道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の
>藤原清貫が亡くなったことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視される
>ようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在
>天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由
>来という。


唐沢俊一が、雷神を「黒雲を呼び、それに乗って空へ上っていく」ものと定義したのは、
以下に引用する『雷電』の影響かもしれないと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/雷電_(能)
>『雷電』(らいでん)は、能楽作品のひとつ。菅原道真が大宰府に左遷され憤死、死後
>雷となって内裏に祟ったというエピソードをもとに構成された能である。
〈略〉
>やがて法性坊は雷神を追い詰め、「千手陀羅尼(せんじゅだらに)」を読み終わると、雷
>神は「これまでなりやゆるし給え」と平伏する。朝廷は「天満大自在天神」という称号を
>道真の霊に贈る。道真の霊はよろこび、「生きての恨み死してのよろこび、これまでと
>て、黒雲に打ち乗って虚空にあがらせたまえり 」との地謡で能は終わる。


また、「北野天神縁起絵巻」の絵は、今回の唐沢俊一のページにも引用されているが、
これにも黒雲に乗った雷神の姿がある。

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/127/
>上の図は国宝の「北野天神縁起絵巻」の一部で、清涼殿に雷が落ちた絵が描かれて
>いる。

(図: http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/img/img_box/img20110512193238684.jpg )

しかし、それらの影響で「黒雲に乗って」ということにしたのならばなおさら、菅原道真が
「宮中に黒雲となって現われ」とか書いている理由が不明になる。

どうして、自分のとなえる説の説得力をそぐような、余計なことを書くのだろう。


ここまでは、唐沢俊一のいう「ヒゲと黒雲との関係」のうち、「黒雲」の話。「ヒゲ」の方も
読んでいて違和感があるところが多かった。

唐沢俊一は、ペギラの「口の両端と、それからアゴにも、しょぼしょぼとあまり立派でない
ヒゲが生えている」 といい、「カンぐれば、雷神となった道真(天神様)にあやかってヒゲを
生やしたのかも」という。

個人的には、菅原道真にヒゲは必須ではなく、あってもよいけど、なくても構わないという
程度のものと思うのだが。

たとえば、http://ja.wikipedia.org/wiki/菅原道真 で使用されている 2 つの絵。

- http://ja.wikipedia.org/wiki/File:Sugawara_Michizane.jpg
- http://ja.wikipedia.org/wiki/File:Hyakuninisshu_024.jpg

上にはヒゲがあるが、下にはヒゲがない。ついでにいえば、上の図のヒゲは、「アゴにも、
しょぼしょぼとあまり立派でないヒゲが生えている」という記述にそぐわない。

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/exp2/w/158-a.html で引用されている肖像画
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/exp2/w/img/158-a_r1_c2.jpg も「しょぼしょぼ」という
感じではない。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/waka2/jyukkai20.htm で引用されている
http://www7a.biglobe.ne.jp/~katatumuri/waka2/gazou2/mitizane.jpg くらいの、あるか
ないかよくわからないものを唐沢俊一は念頭において書いていると思われる。

それでもまだ「道真(天神様)」だけならばよかったのだが、唐沢俊一は、「雷神となった
道真」とも書いているので、いくら何でも雷神は、「口の両端と、それからアゴにも、しょぼ
しょぼとあまり立派でないヒゲが生えている」のとは違うだろうと思えてくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/雷神
>日本では俵屋宗達の風神雷神図(屏風)を代表例に、雷さまは鬼の様態で、牛の角を
>持ち虎の革のふんどしを締め、太鼓(雷鼓)を打ち鳴らす姿が馴染み深い。この姿は
>鬼門(艮=丑寅:うしとら)の連想から由来する。雷が落ちる時「雷獣」という怪獣が落ち
>てくるともいう。 大津絵のなかでは雷さまは雲の上から落としてしまった太鼓を鉤で釣
>り上げようとするなどユーモラスに描かれている。

(図: http://ja.wikipedia.org/wiki/File:Raizin.jpg )

唐沢俊一はその前に「ペギラの顔の造形、つまり一本角、牙、髭は、鬼神の顔の造形を
モチーフにしたと言ってもいいのではないかと思う」と書いているが、そういえば雷神は
「一本角」に描かれることは少ないんじゃないかという気も。

http://khipu.jp/php5/show.php/44872
>風神には、一本角が生え、雷神には2本角が生えています。

http://koukisinnichijyou.seesaa.net/article/96807545.html
>それにしても、・・・風神は角が1本、雷神は角が2本だったとは!


海棲哺乳類がどうのこうのという話も何だか無茶苦茶。唐沢俊一は、自分で、「ペギラは
初めて特集記事などで紹介されたときから”ペンギンが突然変異 した怪獣“という設定が
あったようだが」と先に書いておきながら、なぜか「通説ではペギラの顔はトドやアザラシ
などの海棲哺乳類をモチーフにしたということになっている」とペンギンを無視しているし。

http://wiki.livedoor.jp/ebatan/d/%A5%DA%A5%AE%A5%E9
>着ぐるみはウルトラQ怪獣の中で、一番最初に製作されたもの。アザラシとペンギンを
>合わせた成田亨氏のデザイン画に、頭のツノ、2本の牙、などのアレンジをつけて作成
>され、強烈な個性のある大怪獣が誕生した。当時、「少年サンデー」や「少年マガジン」
>「ぼくら」等の表紙には、このペギラと少年の2ショット(+F-104Jスターファイター)が、
>よく載っていた。


ペギラの顔は「トドやアザラシ」みたいだと語っているブログはいくつかあるけど、製作者
がそれを「モチーフにした」というのが通説のようにはあまり語られていない模様。でも、
まあ、確かにトドに似ている気はするけど。

http://pulog1.exblog.jp/106047/
>ペンギンの巨大化した怪獣などと言っているが、その顔はアザラシかトドを思わせる。

http://mon1011si.exblog.jp/tags/ペギラ/
>しかし、ペギラの顔はペンギンに似て非なるもので、どちらかといえば獰猛なアザラシ
>やトドを創造してしまいます。


ところで、すぐ上のブログで使用されている写真:
http://pds.exblog.jp/pds/1/200906/01/52/e0157252_2311785.jpg
には、割とはっきりとヒゲがうつっていて、これも今回の唐沢俊一の文章に大いに影響を
あたえているのかも――とか思えてきたり。

「モチーフにした」としているページも存在はする。ちなみに、このようにセイウチをあげる
人も結構いる。

http://looove.web.fc2.com/sbu1u8c.html
>ペギラは、アザラシやトド、セイウチなどの海棲哺乳類をモチーフとした。

そして、山本弘はアザラシ説をとっていたという話も。

http://gline.zapto.org/log/read.php/sf/1120039851/768-867
>768: 名前:名無しは無慈悲な夜の女王 [sage] 投稿日:2005/07/27(水) 18:11:36
>>>767
>山本がスニーカー誌上で連載した「これが正しい空想科学考察だ!」
>空想科学読本をパクってペギラやらナメゴンやらのマイナー怪獣を取り上げたが、驚異
>的不人気で2回で打ち切り。

>これを逆恨みした山本は柳田のヘイト本「こんなに変だぞ!空想科学読本」を出版。
〈略〉
>791: 名前:名無しは無慈悲な夜の女王 [sage] 投稿日:2005/07/27(水) 19:49:40
>とうとうあおるしかできなくなったか。
>見苦しい。

>ちなみに山本のペギラ考察は、
>ペギラの正体はアザラシだ!という
>設定のペンギンを無視したものだったわけで

>792: 名前:名無しは無慈悲な夜の女王 [sage] 投稿日:2005/07/27(水) 19:52:46
>まあ、確かにあのデザインはペンギンつーよりアザラシに見えるわな。
>巨大化したときに嘴がなくなったのかな。

>793: 名前:名無しは無慈悲な夜の女王 [] 投稿日:2005/07/27(水) 19:55:59
>アザラシというよりトドに見えるな


それはともかく、「海棲哺乳類で角を持つものはいないし、口ひげはあっても顎ひげは
ない」とかも、何でわざわざ余計なことを……という感じ。

角については、「イッカクがいるな。正確には歯だけど。」と、2ちゃんねるのスレで指摘
されている。

http://svrsh2.kahaku.go.jp/pictorial_book/FMPro?-db=totalsys2000web.fp5&-lay=hp&-format=/pictorial_book/detail.htm&sp_id=055&-Find
>海棲哺乳類図鑑
>和名 : イッカク / 学名 : Monodon monoceros / 英名 : Nawhal
〈略〉
>体型は丸く、頭は小さく、クチバシはない。雄には3mにも達する牙がある。


「口ひげはあっても顎ひげはない」については、クジラという海棲哺乳類がいるのでは
ないの、ということで。

http://www.catv296.ne.jp/~whale/senmonyougo.html
>感覚毛(かんかくもう) 上顎・下顎の先端にあるテグス状の体毛。水流・餌を感知して
>いるヒゲ。本数は少ない。
〈略〉
>クジラヒゲ 多くの大型クジラ類の上アゴからぶら下がっている櫛状の板。海水から小
>さなえさを濾し取るのに使われ「ホエルボーン」として知られる。ヒゲ板。Baleen


まあ、唐沢俊一の頭にはアゴヒゲアザラシのヒゲは顎ヒゲではないという豆知識があり、
それに引きずられたのではないかと推測するのだけれども。


おまけ (ペギラの造型は唐沢俊一には複雑過ぎたのかも):
http://pulog1.exblog.jp/106047/
>実在の生物をそのまま巨大化したものが多いが、それだけで立派に怪獣として成立し
>てしまうことを実証した。
>キングコングが巨大なゴリラなら、こっちは巨大なチンパンジーでいこう、という発想から
>生まれたゴロー。
>宇宙からやってきた巨大なナメクジはどうだ?そして生まれたナメゴン。
>古代の巨大な花は?そしてジュランがビルを突き破って開花する。
>巨大な蜘蛛、タランチュラ。
>巨大な蛸、スダール。
>巨大なエイ、ボスタング。
>巨大な鳥、ラルゲユウス。
>巨大なもぐら、モングラー。
>ごくシンプルなモチーフとコンセプト、しかしそれを徹底的にリアルに作りこみ、大怪獣と
>して成立させるという点で「ウルトラQ」の怪獣には怪獣の原点がある。
〈略〉
>ペギラもそのひとつである。
>と、同時に実在の生物をそのまま巨大化した怪獣から、もう1歩踏み込んだ、独自のア
>レンジによって生まれた怪獣でもある。
>ペギラはウルトラQのシンプルモンスターからウルトラマンのオリジナルアレンジ怪獣を
>結ぶ中間的な存在であると思う。
>その意味でペギラの怪獣史における存在は重要である。
>ペギラは怪獣を実在生物の巨大化からオリジナリティー溢れるデザインへと変化する、
>その橋渡し的な役割を担う怪獣でもあったと思っている。ペギラにより、怪獣は1歩進
>化したのだ。


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2011.09.10 (Sat)

似ているようで違う ―― 頻軒と貧困と頻繁

http://www.tobunken.com/diary/diary20000728000000.html

これまで句会などでは頻軒(ひんけん)という名を使っていた(ドイツ語の
hinken=跛から)が、これの意味を説明すると大抵の人が引く。


×hinken ○Hinken

今でも『裏亭 (5分以内)』なんだろうか?」に引用したことのある文章の一部。裏亭の方は
「裏底」になったこともある (ここを参照) けど、おいといて。

2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) では、「検証班の引用で気付いたけど」と書き込ま
れているのは、「唐沢俊一検証blog」の「ガセの上の猫。」で引用されているのを見て、
気がついたということだろう。

スレには、「ドイツ語を大学で学んだならば、この基本が抜けるとは考えにくい」と書いて
いる人もいたけど……すみません、自分は第二外国語はドイツ語を選択していたのに、
そこいら辺、綺麗さっぱり忘れていました――ということで。これをもって、唐沢俊一は青学
に通っていないだろう疑惑につなげることができない情けない自分……。

で、ネット上の和独辞典 http://www.wadoku.de/wadoku/search/跛 で見てみると、
「跛」の読みを「びっこ」とするときは、「[1] Hinken n; Lahmheit f || Lahmer m; Krüppel m.
[2] Einzelstück n eines Paares.」、読みが「ちんば」なら「[1] nicht zusammenpassendes
Paar n. [2] Gehbehinderung f; Gehbehinderter m.」、「あしなえ」は「[1]Gehbehinderung
f. [2] Gehbehinderter m; Lahmer m.」と訳語がそれぞれ別になっている。

「びっこ」と読ませる「跛」のドイツ語訳としては「Hinken」になるということでよいだろう。

http://www.wadoku.de/wadoku/search/びっこ の方を参照すると、名詞としての「跛」は
「Hinken」、「びっこの人」が「Hinkender」、「びっこをひく」が「hinken」となっている。

以下は同じ和独辞典の旧アーカイブ
- http://www.wadoku.de/index.jsp?search=search&ix=1315599638966&phrase=跛&search=検索
- http://www.wadoku.de/index.jsp?search=search&ix=1315599659614&phrase=びっこ&search=検索

ちなみに、http://gigadict.com/cgi-bin/J/dicJG.cgi で試してみたら、「跛」や「びっこ」
ではうまく引けなかった。http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/framedeutsch.htm にも
ないみたい。

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