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2012.02.05 (Sun)

高度経済成長が終わっても“人外のもの”はブーム

http://www.tobunken.com/news/news20120203105722.html

イベント
2012年2月3日投稿
怪奇を語った男 『訃報 山田野理夫』

1月24日、没。89歳。
1960年代半ばに、ちょっとした妖怪ブームが起こって、そのたぐいの
出版物があちこちの出版社から大量に出た。この時期、空飛ぶ円盤などの本も
ブームであり、これら“人外のもの”のブームと、折りから不安定となっていった
政治状況とのからみは決して浅くない。
高度経済成長は当然のことながら、その成長に乗った者と乗り損ねた者の格差
を拡張し、発展の影に潜む者どもとして、怪獣や宇宙人、そして妖怪といった
零落した神たちに人々が関心を示したのも当然のことだった。
山田野理夫はその時代に、民話の専門家の余技として、怪談の世界に
足を踏み入れた。

大正11年、仙台に生まれた氏は、東北大学文学部史学科卒、第6回
農民文学賞受賞というその経歴が物語るように、郷土とそこに生きる人々の
歴史を語ることをライフワークとした人だった。そして、時代が、彼を妖怪の
語り部とした。

その語り口、そして妖怪とか怪異とかを見る視点は、当時の妖怪関係の著者たち
の中では異質なものだったと言っていい。今昔物語でも、江戸の奇譚であっても、
詩人でもあった彼の文章によって綴られたとき、それは“山田野理夫“の作品
になった。逆に言えば、非常に現代的な要素を持った作品になった。

それがいいことであったかどうか、現在の視点からは批判も多い。
彼の詩心からつむぎだされた妖怪譚が、果たして本当にその地域の伝統の
中から生まれたものかどうか、現在のマニアックな妖怪学の方法論から
すれば、単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を
混乱させるものでしかない、という糾弾もネットの上にはある。

しかし、1960年代における妖怪譚は、現在のオタク的な知的欲求から
求められたものではない。この世界の秩序、この世界の理論的構成から
外れた、非常識の世界への逃避がニーズだったのだ。妖怪ライター数ある
中で、山田野理夫の怪異譚は、まさにその、現実の世界に隣接する非現実
の世界を描き出していた気がする。

訃報を知り、書庫から、中学生のときに読んだ『日本怪談集・その愛と死と
美』(1965年、潮文社リヴ)を掘り出して、改めて目を通してみたの
だが、その文体(「……いたのです」を繰り返す文体が非常に印象的だった)
以外、ほとんど記憶から消えていたのに驚いた。妖怪図鑑的な知識
の充足を期待して購入した中学一年生には、山田氏の文章が描く、詩的
な世界はついていけないものだったのだろう。ことに、古典から採られた
エピソードのあいまにときおりはさまる、出来の悪いコントのような落し噺に
ヘキエキしたものだ。それも内容はほとんど忘れていた。

確かに読んだ、という証拠として記憶にあったものは、後にNHKの
番組で実際に見た、千葉の仏教劇『鬼来迎』のシナリオ採録(?)と、
ところどころに挿入される、氏の詩であった。特に、下記の詩は少年時代の
私にとってトラウマとなっていたものだった。

『水稲』
「あの男には肛門がない
 田んぼの中に
 べっべっと口から
 血の混った糞をする
 水稲には虫が涌き

 茎は朱になる」

農業を営む者たちにとっての稲の病気を妖怪的存在にイメージさせた
その表現は、“この世ならざるところにいる”妖怪ではなく、現実世界
にある災厄や現象すなわち妖怪なのだ、という著者のメッセージが強く現れた
ものだ。

その後、山田氏は東北の民話・怪談の研究者として活躍した。
ふるさと・東北の被災に、どのような思いを胸中に抱いたこと
であろうか。訃報を記に、中学一年生以来数十年ぶりに、氏の
著作を渉猟してみたい気になった。
冥福をお祈りする。

http://megalodon.jp/2012-0204-2312-23/www.tobunken.com/news/news20120203105722.html

×1965年、潮文社リヴ ○1967年、潮文社新書
×訃報を記に、  ○訃報を機に、

「そのたぐいの出版物があちこちの出版社から大量に出た」のは、「1960年代半ば」
というより 1970 年代ではないか――というのは後述するとして。

実は、報道や Wikipedia などの記述から、「×第6回農民文学賞受賞 ○第6回日本農民
文学賞受賞」ではないかと最初は思ったのだが、これは日本農民文学会の人が「農民文
学賞」で募集しているようので、間違いではないとして。

http://blogs.yahoo.co.jp/yumetoutusemi/5829105.html
>第五十五回農民文学賞募集要項 日本農民文学会

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120127/bks12012719130000-n1.htm
>作家、詩人の山田野理夫氏が死去
>2012.1.27 19:12
> 山田野理夫氏(やまだ・のりお、本名・徳郎=のりお=作家、詩人)24日、急性心
>不全のため死去、89歳。葬儀・告別式は近親者で済ませた。喪主は長男、野理光
>(のりみつ)さん。
> 宮城県出身。著書に日本農民文学賞を受けた「南部牛追唄」など。


http://ja.wikipedia.org/wiki/山田野理夫
>山田 野理夫(やまだ のりお、1922年 - 2012年1月24日)は、日本の小説家、詩人。
>宮城県仙台市出身。東北大学農学部卒。大学で農業史を専攻。卒業後、農林省統計
>調査員、宮城県史編纂委員、東北大学付属農学研究所員などを経て作家へ。『南部
>牛追唄』で、第6回日本農民文学賞を受賞。東北地方、みちのく、特に岩手県をテーマ
>にすることが多い。
>2012年1月24日、急性心不全のため死去[1]。89歳没。
〈略〉
>・日本怪談集 その愛と死と美 潮文社新書 1967


問題は、すぐ上に引用した Wikipedia の記述では、『日本怪談集 その愛と死と美』は
1967 年の潮文社新書になっているのに対し、唐沢俊一は「書庫から、中学生のときに
読んだ『日本怪談集・その愛と死と美』(1965年、潮文社リヴ)を掘り出して」などと
書いていること。

で、試しに「日本怪談集 1965年 潮文社リヴ」でググってみると、検索結果のトップに
今回唐沢俊一の書いた文章がきて、2 番目にくるのがこれ。↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/中岡俊哉
>・『世にも不思議な物語』続(私は幽霊を見た)、潮文社〈潮文社リヴ〉、1972年。

これは……と思って「日本怪談集 山田野理夫」でググると、Amazon のページとか普通
に表示され、Wikipedia 同様、1967 年の潮文社新書ということになっている。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000JA7XTW
>日本怪談集―その愛と死と美 (1967年) (潮文社新書)

ちなみに Google の Book 検索だと、1972 年というのがあったり、やはり 1967 年という
のがあったり。

http://books.google.co.jp/books/about/日本怪談集.html?id=bComAAAAMAAJ&redir_esc=y
>潮文社, 1972 - 218 ページ

http://books.google.co.jp/books/about/日本怪談集.html?id=4fGSZwEACAAJ&redir_esc=y
>潮文社, 1967

まあ、唐沢俊一が題名を間違えたり (ここここなどを参照)、本の出版社を間違えたり
(ここここを参照) するのはいつものことであり、本の出た年を勘違いしているのでは
ないかというケースだって、これまでにもあった (ここを参照)。だが、今回は「書庫から、
〈略〉掘り出して」現物を手元に書いたものだろうに……と思うと、さすがに解せない。

アップされている本の表紙画像:
http://www.tobunken.com/news/images/e697a5e69cace680aae8ab87e99b86.jpg
これも手元にある本をスキャンしたものだよね……と思って、これと同じ表紙のある他の
ページを探したら、どうも http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2010-04-22 の画像:
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d53/short-short/E697A5E69CACE680AAE8AB87E99B86.jpg
をそのまま、いただいたものっぽい。

同じ本の表紙画像は、http://blog.bk1.jp/genyo/archives/2009/10/post_1737.php
http://blog.bk1.jp/genyo/noriokwaidan.jpg にもあるけど、撮り方によって色調や鮮明さ
などが異なってくるものなのだなぁという証明みたいなものになっている。


で、それはいったんおいておくとして、「現在のマニアックな妖怪学の方法論からすれば、
単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を混乱させるものでしかない、と
いう糾弾もネットの上にはある」という記述も気になったので、探してみた。多分、「山田
野理夫」でググると上から 2 番目あたりにくる、これ↓のことだろうと思うのだが……。

http://www.asahi-net.or.jp/~qy4s-nkmr/free4.html
>[694] Re[693]
>投稿者:タキタ 投稿日:2001/02/17(Sat) 23:46
>山田野理夫氏の『怪談の世界』(昭和53年、時事通信社発行)を入手しました。
>ここに「コナキジジイ」という項目があり珍しい記載があったのですが、いったい信用して
>よいのかどうか疑問です。
>どうして、山田氏は評判を自ら落としているのでしょうか?
>というか「全国妖怪事典」という功績のある千葉幹夫さんも、少年向きの本で「コナキ
>ジジイ」を記載しているのですが、抱き上げると赤ん坊の顔がシワだらけのお爺さんに
>なるとかって記載してあります。
>こういう創作って困るなあ。でも少年向きの場合には創作っておおよそ判断できるけど
>も、大人向きの『怪談の世界』の記載って困る。
>せめて我々は、これらを他山の石として、出典元や話者の年齢や取材地の地名の記
>載を後世のために併記して記載するべきだと思います。
>なお、山田氏は「コナキジジイ」には陰毛のあるものもあると記載しています。
>そんなことを記載する必要があるのだろうか?

>[695] 山田氏の一連の著作物
>投稿者:屶丸 投稿日:2001/02/19(Mon) 00:22
> なんか山田野理夫氏の著作物で話がふくらんでいるようなので、参加させてください。
> まずは『東北怪談の旅』。昭和49年に自由国民社という会社から出されたこの本の
>前書きには、【東北ほど怨念のみちあふれているところがないだろう。それで怪談の数
>が多いのだ。私は数多い怪談から一冊を編んだ。】という箇所があります。
>それから後書きには【私の怪談収拾ノートにはまだねむっている全国の怪談が数多くあ
>る】云々という箇所があります。この他には、これが創作であるとか、実際に現地で調
>査した云々ということは書かれていません。
> この本に収められた怪談がすべて聞き集めたものだとしても、そのタイトルにあるウワ
>ンとかオトロシ、赤舌、ドロ田坊、小雨坊、コクリ婆、イヤミ、インモラ、古篭火、網切りと
>いった妖怪は、いずれにしろ山田氏がつけたものだということ は明らかだと思われるの
>です。


しかし、上に引用したページのことだとすると、話題にしている本は 1978 年 (昭和 53 年)
の『怪談の世界』と 1974 年 (昭和49 年) の『東北怪談の旅』。つまり、唐沢俊一のいう
「1960年代における妖怪譚は、現在のオタク的な知的欲求から求められたものではな
い」というのは、的外れのフォローにしかならない。話題にされているのは 1970 年代の
作品なのだから。

では、別のページのことかもしれないなと、一応他もあたってみたのだけど、それらしい
ものは見つけられなかった。

- http://blog.goo.ne.jp/itsukapochi/e/3d9ed9cd3e7a20a82db88862df7c4ecc
- http://myn.north-tohoku.gr.jp/kodawari/db03-m002-t024.php3
- http://www.touhoku.com/to-b31-nanbu.htm
- http://d.hatena.ne.jp/samatsutei/20110304/1299245682

なお、先に引用した http://www.asahi-net.or.jp/~qy4s-nkmr/free4.html の方にしても、
唐沢俊一の書いている「単なるデタラメな作り話としか見られず、妖怪学の研究を混乱さ
せるものでしかない、という糾弾」というのは言い過ぎで、山田野理夫の怪談の語り手と
しての能力の高さや芸術性を認める書き込みが続いているので、興味のある人はぜひ
元のページを参照してほしい。


さて、このエントリーの最初の方に、「1960年代半ば」というより 1970 年代ではないか
とか書いたのは、『東北怪談の旅』や『怪談の世界』といった、よく言及される作品が
1970 年代に発表されていることや、1960 年代は『日本怪談集』 (1967 年) と『日本妖怪
集』 (1969 年) の 2 または 3 冊にとどまる対し,1970 年代には『おばけの民話 幻の園・
闇の声から』 (1973 年) や『おばけ文庫(全12巻)』 (1976 年) を含めると 15 冊くらいに
なりそうなのが理由のひとつ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山田野理夫
>・日本怪談集 その愛と死と美 潮文社新書 1967
〈略〉
>・日本妖怪集 1-2 潮文社新書 1969
〈略〉
>・おばけの民話 幻の園・闇の声から 星光社, 1973
〈略〉
>・東北怪談の旅 自由国民社 1974
〈略〉
>・おばけ文庫(全12巻) 太平出版社 1976 (母と子の図書室)
〈略〉
>・怪談の世界 時事通信社 1978


それと、「山田野理夫は七〇年代怪談ブームの牽引役の一人であり」というのが、どうも
専門家 (唐沢俊一も連載をもっている『幽』の編集長) の見解のようだというのが、理由の
もうひとつ。

http://www.mf-davinci.com/yoo/index.php?option=com_content&task=view&id=1847&Itemid=28
>出版点数が増加の一途をたどる怪談関連本の世界で、いま注目すべき動きが始まっ
>ている。怪談文学史に残る名著でありながら、これまで復刊のチャンスに恵まれなかっ
>たマニアライクな作品の数々が、このところ相次いで復刊されているのである。まさしく
>“怪談温故知新”を実践するかのような最新の動向を、『幽』編集長みずから取材・報
>告する。
> 構成・文=東 雅夫 写真=首藤幹夫
〈略〉
>  近刊では、仙台を拠点にユニークな企画・出版活動を展開している荒蝦夷から、二
>月に相次ぎ注目本が刊行される。『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』と『山田野理夫 
>東北怪談全集』だ。杉村顕道は仙台で医療関係の事業に携わるかたわら多彩な文業
>を遺し、そのひとつに一連の怪談作品がある。それを初めて集大成しようという画期的
>企画だ。一方の山田野理夫は七〇年代怪談ブームの牽引役の一人であり、先ごろ
>『怪談実話系2』で復活を果たしたのも記憶に新しいが、今回は東北関係の怪談作品
>が一巻にまとめられる。


さらに、唐沢俊一は「中学生のときに読んだ」、「中学一年生」と繰り返し書いているのも
気になるところで……。唐沢俊一が今回言及している『日本怪談集・その愛と死と美』が
1967 年に出たものにしても、唐沢俊一のいうように 1965 年のものだったとしても、唐沢
俊一が読んだのは「1960年代半ば」ではなく、1970 年代になってからだろうという問題
もあって……。1958 年生まれの唐沢俊一は、1960 年代には小学生。

いやまあ、以前、「そもそも『共産党シンパであった私の小学校の担任』って実在の人物
なの?
」のエントリーで取りあげた文章では、なぜか 1972 年の 2 月の時点で小学生で
あったと書いていた唐沢俊一であり、それを信用するとすれば (ここに書いた小学校留年
説でも持ち出す必要あり?)、中学一年生の頃とは 1973 年をさすこととなって、「高度
経済成長は当然のことながら」と書いている割には、実は高度経済成長が終わるあたりの話
――ということになってしまうのだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/高度経済成長
>日本の高度経済成長期
>日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年
>(昭和48年)11月までの19年間である。


で、「高度経済成長」といえば、うちのブログで取りあげた分だけでも、いろいろある。

快楽は遠い昔の花火ではない
多くの人の心の中にいる松田優作は、あなたとは違うんです
何かおかしくないか唐沢俊一チャン
「手塚さんもやってたんじゃないかと思うよ」のヒロポン (理由:「徹夜の連続」)
大きくしたんじゃなくて増やしたそうです<味の素の瓶の穴

そのうちのひとつ、「快楽は遠い昔の花火ではない」で引用したことのある「社会派くんが
ゆく!」の対談では唐沢俊一は以下のようなことをいっていたりする。

http://www.shakaihakun.com/vol093/06.html

高度経済成長期の日本人は、普通に生きていても毎日が刺激的で、
一般人はシャブなんかに手を出す暇もなかったってことよ


同じ (?) 高度経済成長が、今回は「高度経済成長は当然のことながら、その成長に乗っ
た者と乗り損ねた者の格差を拡張し、発展の影に潜む者どもとして、怪獣や宇宙人、そし
て妖怪といった零落した神たちに人々が関心を示したのも当然のことだった」となるのだ
から、たまらないというか……「普通に生きていても毎日が刺激的」なんじゃなかったの
かと。

また、「多くの人の心の中にいる松田優作は、あなたとは違うんです」のエントリーに引用
させてもらった北海道新聞の記事では、唐沢俊一は「時に一九七四年八月。石油ショック
による物価の高騰、ノストラダムスの大予言など終末論の大ブーム、そして高度経済成
長期のシンボルだった長嶋茂雄の引退という世相の中でのことだった。」と語っている。
この年に山田野理夫は『東北怪談の旅』を出版し、翌々年に『おばけ文庫(全12巻)』と、
まさに「七〇年代怪談ブームの牽引役の一人」というにふさわしい活躍をしていたんじゃ
ないかとも思う。


それから、「妖怪図鑑的な知識の充足を期待して購入した中学一年生」だったら、なぜ
「日本妖怪集 1-2 潮文社新書 1969」の方にいかなかったんだろうとか、「中学一年生
以来数十年ぶりに、氏の著作を渉猟」って、『日本怪談集 その愛と死と美』一冊だけでも
「渉猟」というのか、それとも他に何冊か読んでいたのかなど、気になる箇所はいくつか。


個人的には、「怪獣や宇宙人、そして妖怪といった零落した神たち」というのにも少し
引っかかった。怪獣や妖怪はまあ、そういう考え方感じ方もあるよね、ということでよい
として (←偉そう)、宇宙人を神のように扱っていた人たちは、「零落した神」ととらえては
いなかったのでは。むしろ、新鮮な崇拝の対象だったのではないかと思うけど……。

追記: 申し訳ありません。「1965年、潮文社リヴ」は正しかったようです。(_ _)(_ _);
やっぱり現物を入手してからでないとダメねと反省。中身を読んでからの感想は後日。
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