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2012.01.28 (Sat)

唐沢俊一が語った非実在石堂淑郎

http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html

イベント
2011年12月30日投稿
苦悶していた男 【追悼 石堂淑郎】
〈略〉
監督の大島渚が、この“人間のアイデンティティ問題”をさらに
明確にテーマとして押し出したのが1968年の『絞死刑』(ATG)
だろう。ただし、この脚本は田村孟、佐々木守等で、石堂は加わって
いない。彼はこの映画には役者として出演し、自分が自分であるという
記憶を失ってしまった死刑囚・Rに、なんとか自分が死刑囚であること
を思い出させようと悪戦苦闘する教戒師を演じている。女性を強姦して
死に至らしめた罪で死刑の宣告を受けたことをRに説明しているうちに
「ハッ、今、私は自分の心の内にみだらなことを思い浮かべてしまった。
悔い改めなくては!」
と、部屋の隅に座り込んで神に祈りを捧げ始めるというトボケぶりが
何とも可笑しかった。たぶん、『瘋癲老人~』の記述から見るに、
石堂のこの、自分の中の性欲との戦いは知人間では有名なもので、
それが台本に取り入れられたのではあるまいか(この映画の台本が
記載された『シナリオ』誌を学生時代、古本屋で手に入れたときは
飛び上がって喜んだのだが、いま、ちょっと出てこない)。

日本の思想家というのは、例えば小林秀雄などが典型だろうが、
小柄で痩躯、考える機械的な存在で、性や食といった肉体的欲求
からは解脱した、という外観(内面がどうなのかは知らない)を
持つというイメージがこの時代、常であった。石堂氏も、理想は肉欲
を思想に昇華させたシンキング・マシンであったろうが、
残念ながら、後に大河ドラマ『花神』で力士隊の隊員役まで演じた
ほどの彼の肉体が持つ動物的欲望は、その思考を押しつぶすほど
強かった。似たような悩みを持った人物に作家の胡桃沢耕史がいるが、
数年のタッチの差で満蒙へ飛び出し、大陸の地でその発散の場を
見つけた胡桃沢に比べ、7年年下の石堂は敗戦後の日本国内に閉じ
こめられ、悶々とするしかなかった。高校二年で大学入学資格を得て
広島大に入学し、さらに東大に再入学したという優秀な頭脳を持った
石堂にとり、その頭脳が肉体の欲望に蹂躙される苦痛は耐えがたかった
ことだろう。そして、結局思想は肉体という現実の存在にかなわない
のではないか、というアイデンティティ不審につながっていく、と
考えるのは自然なことと思える。


×アイデンティティ不審 ○アイデンティティ不信

去年から持ち越しの話になってしまうけれど、

身長に身長を重ねて語る試み
“枯れない老人”は彼じゃない老人」

の続き。

“枯れない老人”は彼じゃない老人」では突っ込み忘れの「×不審 ○不信」を追加して
おきます。ご指摘ありがとうです。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1324453913/881
>881 :無名草子さん:2012/01/01(日) 03:19:38.75
>一行知識さんもツッコみ忘れたようだけど。

>http://www.tobunken.com/news/news20111230150540.html
>>そして、結局思想は肉体という現実の存在にかなわない
>>のではないか、というアイデンティティ不審につながっていく、と
>>考えるのは自然なことと思える。

>それを言うなら「不信」なんじゃありませんか、テンテー。
>アイデンティティが「不審」なのは、韜晦趣味が何ちゃらとおっしゃる御自分のことでは。


まあ、「アイデンティティー」でなく「アイデンティティ」という表記自体、コンピュータ用語
でもないのに最後の「ー」を省略しているのが個人的に少し気持ち悪く感じるし、「結局
思想は肉体という現実の存在にかなわない」とかいうのが、「アイデンティティー不信」と
表現するようなことになるのかは疑問に思うのだが。

そもそも、唐沢俊一のいう「たぶん、『瘋癲老人~』の記述から見るに、石堂のこの、自分
の中の性欲との戦いは知人間では有名なもの」、「石堂氏も、理想は肉欲を思想に昇華
させたシンキング・マシンであったろうが」――なんていうのが、どこから出てきたのかが、
よくわからない。少なくとも、『偏屈老人の銀幕茫々』には、そういう感じのことは書かれて
いない。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.74 ~ P.75
> 私の老年期襲来現象の自覚は、早くも五十歳前後のことで、不純異性交遊の最中に
>突然不能に襲われた時である。
〈略〉
> 爾来、丁稚坊はしばしばアカンタレと化すことが多くなった。思えらく、私を突然訪れ
>た不意打ちは、若いころからの現象で、二十五歳前後、ひょんなことで知り合った料亭
>の女将、彼女は三十五歳だったが、一目惚れの想い叶って女の部屋に潜り込み、さ
>あ、いよいよとなって全くそういう状態にならなかった。体をくねらしている女に頭を下げ
>る他無かった。
> 存命だった頃の浦山桐郎に、かくかくしかじかと事情を話すと、信じられぬ、俺なんぞ
>は機会があって立たなかったことがないね、君はデリケートなんだよと、褒めているの
>か貶しているのか分らぬ笑い声をたてた。それからというものしばしば不能が訪れた
>が、特に慌てふためくということはなかった。私には自ずと異なる見解があったのだ。私
>には畏れ多くもベートーヴェンと同じ潜在ホモセクシャルの要素がある、という自覚であ
>る。


ちなみに、上に引用した文章の続きには、ベートーヴェンのホモセクシャル疑惑は、どうも
ガセらしいという意味の記述がくるのだが、本題 (?) に直接関係がないので、おいておくと
して。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.75 ~ P.76
>それはさて置き、彼の隠れホモ説に思わず膝を打った私は、といえば、楽聖から置き
>去りにされはしたものの、ホモでこそないが、顧みて若干両刀使いの気配なきにしも
>非ずなのだ。
> 仲間の猥談等に耳をすましていてもどうも性力は強くなく、女肉に恋い焦がれて居て
>も立っても居られないというような衝動を持て余すこともなく、上背の割には人を脅かす
>ような振る舞いに出ることもなく、吉行淳之介さんに君は背丈を感じさせないねと言わ
>れるような大人しい青年だったのだ。


上の文章で石堂淑郎の書いている「居ても立っても居られないというような衝動」という
ようなことは、大島渚あたりが昔、酒鬼薔薇事件の頃に力説していたっけ。青春時代は
疾風怒濤の時期だからどうのこうのって。(←うろ覚え)

で、大島渚とか、先に引用した文章に登場の浦山桐郎とか、石堂淑郎の周囲には軽く
上手をいきそうな人材がゴロゴロしているのに、石堂淑郎の「性欲との戦いは知人間では
有名なもの」だったとも考えにくい。

まあ先に引用した文章は石堂淑郎が老人になってから書いたもので、唐沢俊一のいう
「若い日々の悶々とした性欲との戦いの、露悪的なまで饒舌な記録となっていて、読んで
いていささかヘキエキするほど」の文章――主に「第二部 青春 放浪記」に書かれている
分 (前エントリー参照) ――とは少し様子が違ってはいる。

しかし、「第二部 青春 放浪記」の記述でさえ、「性欲との戦い」とか、「動物的欲望は、
その思考を押しつぶすほど」とかいわれると、ちょっと、いや、だいぶ違うんじゃないかと
いう気がするものだったりする。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.102
> 中学生の癖して六尺あり、唇は厚く、頭はネジレ、運動神経はゼロである。
>「ああ、俺は正にフランケンシュタインじゃ」と嘆きつつ、落ち着かぬ日々を送っていた。
> 当時は、食料難であると同時に、衣料にも不足していた。
> 私は常に兄二人のお古で、祖母は「男は服のことを言うもんじゃない。古うてもよう
>洗ってあればそれでええ」と力説するが、大分縮んだ色あせた服も癪の種で、そこで、
>私にたったひとつ残された途は他でもない“ガリ勉”である。
> 勉強さえできればええじゃないか、私はほとんど復讐の念をもって机に向かった。
> ああ、しかし、私には何がなくともまず“根気”がないのであった。
> 二時間も机に向かえば、何やら大事業をしたような気になり、すぐレコードに耳を傾け
>てしまう。
> 私は今も昔もクラッシック党で、この頃、ベートーベンに熱中し、そのわけは、ベートー
>ベンの顔がまずいからであった。
> ベートーベンの顔を見ていると、言いようのない慰めを得ているような気がしたのであ
>る。

> ネジレ頭をかくしたい、長髪にして、百八十センチもある怪獣的中学生から脱して、何
>とか大人に見られたい、私は日々悶々とし、遂に三年の冬、大ピラに頭髪を認めている
>学校に転校することにした。
> 両親には、都会の学校に行って刺激を受け、もっと勉強したいと主張し、そう言われ
>れば親もどうしようもない。私はうまく岡山一中に転校してしまった。一中四年制という
>わけだが、この年、新学制の切り替えがあり、一中、改めて朝日高校の一年生、という
>ことに相成った。
> つまり、高一の年、私は親の膝元をはなれてしまったのである。
> 忽ち髪ものばし、親は兄の目をぬすんでやっていたマスに大っぴらで熱中し、私はは
>じめて何がしかの落ち着きを得たような気がする。
> そして同時に、多少とも日々の生活が面白くなるとともに、復讐としての“ガリ勉”の
>根拠が失われた。


思うに、石堂淑郎という人は、あの年代の男性には珍しく、自分の容姿へのこだわりや
劣等感といったものをあまり隠そうとしなかった人なのだなあ。自分の外見に対する嘆き
も、必ずしもそれが異性を手中にする妨げになるというのみの理由ではないような。

それを原動力にして、「復讐としての“ガリ勉”」に走ったり、長髪にしたいからと早くも浩一
で「親の膝元をはなれてしまった」り……つまり、まあ、唐沢俊一のいう「石堂氏も、理想
は肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシンであったろうが」とは、まるで違うことしか
『偏屈老人の銀幕茫々』という本には書かれていないようなのだ。

で、親元を離れた石堂淑郎少年は夜の街をうろつくようになり、「ヒロポンが流行していた
が、勿論とうしろうの高校生の手に入るわけはないし」ということで、映画などを見て回る。
「生意気にも洋画ファンであり、日本映画には見向きもしなかった」彼は、「ジャン・ルノア
ール監督の『大いなる幻影』」に感銘をうけたり、「日本映画でも、阪妻だけは別」という
ことで、『無法松の一生』を見たりもしていた。

そして、唐沢俊一のいう「高校二年で大学入学資格を得て広島大に入学」するまでの
経緯は、以下に引用する通り。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.106
> 高校一年生はこのようにしてふわふわと夢のように過ぎ、二年の春、私は一大ニュー
>スに接して又しても地球を呪いたくなったことであった。
> 岡山朝日高校は第二高女と合体するというのである。
> 日夜マスの対象に思い浮べたブルマーの太腿たちと机を並べられるというのである。
> 有難く思わなければならない。しかし、私はワクワクしつつも、やはり、地球を呪っ
>た!
> つまり、共学になっても、女は誰も私に口を利いてくれそうもない、俺一人、仲間はず
>れにされるのではないかと恐怖にうなされはじめたのである。
> ああ、どうして俺はフランケンシュタインなのかと、六尺の上背を怨み、大きな口を
>呪った。
〈略〉
> その結果、長髪のために転校したごとく、今回は共学を呪って退学することにしたの
>である。
> ある日、私は新制大学入学試験という制度の存在を知り、これは旧制中学を出ただ
>けで、大学を受ける資格のない人たちのための救済制度だったのだが、私はこの制度
>を研究し、新制高校一年生は昔の中学四年生に相当するのだから、高校二年生にも
>この制度を利用する資格があるはずだと、件の教育委員会にかけあい、私の三百代言
>的言質にウンザリした委員会は一人くらいならと、とうとう許可をくれたのである。


『偏屈老人の銀幕茫々』 P.107
>あくる年の春、私は東大と広大の二つを受け、東大は物理の問題が一題も解けずに大
>失敗、結局、広島大学の英文科にもぐりこんだ。


唐沢俊一のいう「優秀な頭脳を持った石堂」というのまではまあよいとして、「その頭脳が
肉体の欲望に蹂躙される苦痛は耐えがたかったことだろう」とか、そういう話ではないよ
うな……。「理想は肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシン」などということをうかがわ
せるような記述も出てこない。

「肉体の欲望」というのが多少なりとも関係してきそうなのは、「さらに東大に再入学」する
にいたった経緯の方ではあるが……そちらも「理想は肉欲を思想に昇華させたシンキン
グ・マシン」とかいうのとは、ほど遠い様子である。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.107 ~ P.108
> 広島は原爆の地ということで学生たちの反戦運動はかなり盛大だった。
> 私もその渦に巻きこまれ、街頭に立って反戦ビラを撒いたりして活動家みたいな顔を
>することにした。
> 当時マッカーサーの弾圧に改めてひらき直った感じの共産党の荒びた感じも悪くはな
>かった。もっとも、臆病者の私はその周辺をウロウロしているだけであった。
> ところが、又しても、私に旅立てと命令する声が聞えてきたのである。
> ああ、私は平和運動の女闘士に恋をしたのでる。
> その女闘士は一級上の哲学科に在籍し、度の強いメガネをかけ、骨太でがっしりと
>し、餅肌のいかにも肉感的な女だった。〈略〉とくにカッとのぼせあがり、夜な夜なこの
>女闘士を想いつつせっせとマスをかいた。
> 勿論、この恋はならなかった。
> しかも、この片思いの破れ方はちとばかし荒っぽく、私はこの女性の性行為を見てし
>まったのであった。
> ある日、夜も更けて、学校に忘れ物をしたのに気づき、寮を脱けて教室に入り、そこで
>反戦運動の幹部級の四年生とポルノをやってるところを見てしまったのだ。
〈略〉
> 十八歳の童貞先生にはあまりにも目の毒すぎ、しばらくの間、私は茫然としていた
>が、六月の末、ふいに広島を去って尾道に帰ってしまった。
> 用もないのに帰ってき、憂愁なる面持でじっと息をつめている私におやじは呆れ帰った。
>「何じゃ、お前は」
>「うん、わしはもう大学を止めるけの」
>「何? この気狂い」
>「とにかく、もう広島には帰らんで」
> 私は涙を流しながらわめいた。純情とバカが一緒くたになって実にいい気なもので
>あった。
> すったもんだの家族会議ののち、もう一遍だけ大学を受けさせてやる、あとは知らんと
>いうことになり、私は広島大学に退学届を郵送し家にいても仕方がないので、また岡山
>に舞戻った。

> もう一遍大学を受けさせてくれるのなら、何としても東京に出たい、しかし、東大は一
>度でコリゴリしたから、受験科目の少ない私立の早稲田あたりにしたい、私がそう父に
>申しこむと官立でなければ駄目だという。
> この頃、父は脳軟化の徴があらわれていて、舌がもつれて弁護士商売も一向にパッ
>とせず、そろそろ売り喰いがはじまっていたのであるからこれは申しこむ方が無理なの
>である。
> そこで、捲土重来、いま一度、東大を目指して泣く泣くガリ勉を開始することにした。


「復讐としての“ガリ勉”」の次は、「何としても東京に出たい」から「泣く泣くガリ勉」で
ある。これで本当に東大に入学するのだから「優秀な頭脳」には間違いはないとは思う
が、「肉欲を思想に昇華させたシンキング・マシン」を目指していたようにはやはり思え
ないし、「自分の中の性欲との戦い」も何も、性欲と戦い思想的な高みを目指そうという
意欲も感じられない。

『偏屈老人の銀幕茫々』 P.110
>東大文二に何とかもぐりこめた

> さて、入学して、一月、二月、学校の事情もあらまし解ったあたりで、私は何の意欲も
>なくしてしまっていた。
> 何も彼も面白くない。
> 大学などというところは、学者になろうという勤勉な者だけがくればいいので、それ以
>外の人間を入れるのは間違いじゃねえか、そんな気がしてならないわけだ。


いやまあ、あの年代の人には、大学で授業をサボった自慢が好きな人は結構多いよう
だから、自著に書かれていることをどれだけ額面通りに受け取ってよいかという問題は
あると思うのだけど。しかし、唐沢俊一は「『瘋癲老人~』の記述から見るに」と書いて
いるのだし、他の情報源を示しているわけでもない。

で、最初の方に戻って、「結局思想は肉体という現実の存在にかなわないのではないか、
というアイデンティティ不審」 (原文ママ) という唐沢俊一による記述については、そもそも
石堂淑郎がいつ、どこで、「思想」と「肉体という現実の存在」を対比させ競わせて語って
いたのかという疑問が。さらに言えば、唐沢俊一のいう (石堂淑郎にとっての) 「思想」
とは、どのようなものかさえも謎である。唐沢俊一の脳内の、学問を究めたいのに性欲に
負ける戯画化された学者像に、勝手に石堂淑郎を当てはめてみただけとしか思えない
のだが……。

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