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2011.12.25 (Sun)

桂文治と談志と唐沢俊一

裏モノ日記 2007年 10月 28日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071028130600.html

ここでは字数の制限で言い尽くせなかったが、
この本の解説の談志の落語に対する姿勢でヒザを打ったのは、
談志が“下手な”噺家を認めていること。私も大好きな九代目
桂文治(トメさんの文治。この本の中ではまだ翁家さん馬)を
「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても
落語研究会の対象にゃあならなかった」
「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。
精々チャンバラの世界の両刀遣いであった」
とさんざけなし、その持ちネタである『歌劇の穴』のセンスの古さを
あげつらった揚げ句、いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら
「迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』とトメさん大明神である」
と断言し、
「そして聴きたい題目(ネタ)は『歌劇の穴』」
と言いきってしまうのだ。

下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾しているのだが、
談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”の体現である
文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛が噴出した、
素晴らしき矛盾の言であると思う。いや、矛盾ではないのかもしれない。
以前にも人と話したことがあるが、聞いてるときは“下手だなあ”
と思ってる芸人の方が、二十年たってみると無性に懐かしくなる。
上手い芸人が好き、なんてのはまだ、本当の演芸ファンでは
ないのかもしれない。いや、演芸に限らず……。


「ここでは字数の制限で言い尽くせなかった」の「ここ」とは朝日の書評のことで、そちら
については、もうちょっと何とかならなかったかな」の『談志絶倒 昭和落語家伝』の朝日
書評
のエントリーを参照のこと。

「下手な同業者に厳しい談志の言としては矛盾している」と唐沢俊一はいうが、もともと
立川談志は、「とてもとても落語研究会の対象にゃあならなかった」ようなタイプの噺家を
否定してはいなかった――というか、落語研究会的な上手い下手の評価に、しばしば懐疑
的な意見を表明する人だったのでは。

以前、「『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道?」のエントリーにも引用したけど、
唐沢俊一自身、立川談志の、「おもしろけりゃ、それでいいやネ……」という言葉を紹介
したりもしているのだ。

裏モノ日記 2002年 05月 31日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020531000000.html

 もう一○○回以上になるだろうが目を通し、いまだ膝を叩く部分ばかりな
のには驚く。もっとも、これは私の落語論が全てここから出発しているんだ
から無理はない。うるさ方のマニアがいちいちトックリの持ち方の高低まで
指摘して高座を批評する若手試演会の様子を聞いて、
「いいじゃねえか、トックリなんかどう持ったって、おもしろけりゃ、それでいい
やネ……。そんな連中のいうことを聞いてると、売れなくなっちまわァね」
 と毒づくところは何べん読んでも笑える。今でも落語に限らず、あらゆる
分野において、“いうことを聞いてると、売れなくなっちまう”批評家という
のがいる。


立川談志は、下手な噺家なんかよりも、つまらない噺家に、とにかく厳しかったと思う。
『談志絶倒 昭和落語家伝』での桂小文治――唐沢俊一が話題にしている、のちの九代目
桂文治「トメさんの文治」「翁家さん馬」とは別人――についての記述などは、かなり厳しい。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.78 (桂小文治)
> これは何度も聴いているが、つまらなかった。
> 『英語本屋』『つもり貯金』『理屈按摩』なんというものもあったっけ。
> この師匠も、勿論古典も演ったが、愚作の新作や古典の改良が随分ある。この種の
>ものは、誰が演っても皆ダメ。「右女助の小勝」を除いては。
>“それは談志、お前がこのスタイルが嫌いなせいだろう”と自問してみるが、どうみても
>面白くない。無理がある。ナンセンスにもなってない。
>“それらを含めて寄席なんだ”と、これまた色川武大氏の弁である。
>「したがって、寄席とは、こよなくつまらない場所なんだよ、あそこは。同じことを毎日
>々々喋り、それを聴かされる。けど、ほかに行くところのない僕としては、そこにいた。
>で、それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」


唐沢俊一が朝日の書評で連発していた「ノスタルジー」とか「昔はよかった」というのは、
立川談志本人の意見よりも、すぐ上に引用した「色川武大氏の弁」にやや近い。もっとも
唐沢俊一の方には、「ほかに行くところのない僕」というものがない分、悪い意味で軽く、
「それが後年になって懐かしく思い出されて、語るんだよ」といったとしても、色川武大の
ような説得力を持たせることは難しいだろう。

立川談志はといえば、色川武大の言葉を紹介しつつも、桂小文治に関しては、「こよなく
つまらない」ことを、「後年になって懐かしく思い出されて」までの境地にはいけなかった
らしい。

ネタがつまらなかったといい、売れなくなった老芸人は浅い (早い時間) の出番にされるの
だが「浅い出番にされた小文治師匠、強引に深いところに自分の権勢で上がっていった
ような気がする。プログラムは浅いが、勝手に深い時間に上がるのだ」 (P.81) とバラし、
落語家のくせに白粉で顔をパフパフはたいてから高座にあがるなんてとクサし、最後まで
大したフォローもなく文章を終えている。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.81 (桂小文治)
> と語っている事柄は皆、小文治師匠の全盛を知らない談志が、自分の見たことだけを
>基準に書いているという反省がある。
> 小文治というと、“ああ、踊りだよな”という表現で終わってしまう。
> 本来は、若い頃、売れまくった頃の情景を書き添えなければいけない、書かなければ
>いけないのだろう。でも、それは無理です。


これに対し、翁家さん馬に向ける立川談志の視線は暖かい。唐沢俊一が引用している
通り、「一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあ
ならなかった」、「新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々チャン
バラの世界の両刀遣いであった」と「さんざけなし」ているのは本当だし、「その持ちネタで
ある『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらっ」たりもしているのだが、貶すと同時に褒め
てもいるし、語り方が楽しげだ。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.162 ~ P.164 (九代目翁家さん馬)
> 本名,高安留吉、いい名だ。庶民の名である。長屋の住人の名でもある。
> で、楽屋では「トメさん」と、同僚、同期、仲間は呼ぶ。
> 馬風はガキの頃から一緒に育ったし、手前えのほうがガキ大将だから、同じ噺家に
>なっても、“トメ公”と親しげに呼んだ。
> いい顔である。これまた庶民の、江戸っ子の顔だ。それもどっか飄々としていて、もっ
>というと人のいい、もっといやァ間が抜けていて、性格もそうで、すごォーく人がいい。
>あまり、いや、怒ったのをまったく見たことがない。いや怒ったときもあったろうが、
>「でネェ、これがネェ、ですからネェ」
> が高座の口癖で、新旧両刀遣いだが、とても両刀遣いなどというものに非ズ。精々
>チャンバラの世界の両刀遣いであった。

> 一口にいやァ、“下手”“お下手”である。で、とてもとても落語研究会の対象にゃあな
>らなかった。寄席で喋るネタも、ほとんど物凄いアナクロの『歌劇の穴』。
>「ねえ、お客さん、近頃の歌ァ聞いて下さい。何ですか、あれ、“忘れちゃいやよ”てン
>ですがネ」
〈略〉
>「忘れちゃいやよ」は確か戦前、歌詞からいって戦雲暗くなる前の渡辺はま子のヒット
>曲だ。調べりゃすぐ判るが、相変わらず家元、記憶だけを頼りにこの原稿用紙に立ち向
>かっているのだ。いや座って向かっているのだ、落語らしくね。


唐沢俊一が朝日の書評に、「自分が知る以前の各落語家の経歴なども、調べればわか
るものを、あえて自分の記憶の範疇(はんちゅう)のみで語っている。調べて書いたものは
ノスタルジーの域を逸脱するというのだろう」とかいっていた (ここを参照) のは、上でいう
「記憶だけを頼りに」にかかっていたのだろうか――と今気がついた。渡辺はま子は落語家
ではないけど。「各落語家の経歴」の方は、各章の始めに記載されているけど。

それはさておき、唐沢俊一は、「『歌劇の穴』のセンスの古さをあげつらった揚げ句」と、
「いま、誰の落語が聴きたいかときかれたら」の間にはさまっている、以下のような記述を
飛ばして紹介している。このせいで、「談志のノスタルジーの中にある、古き良き“寄席”
の体現である文治の存在そのもの、生き方そのものに対する愛」とかいうのが、意味不明
かつ唐突な記述にしかなっていないのだろうと思う。

『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.167 (九代目翁家さん馬)
> このトメさん、妙に落語は可笑しいのだ。下手すぎたのがよかったのか、同じ下手でも
>月の家円鏡の下手は嫌だった。下手な噺家は、あげりゃあいくらでもいるが、トメさんは
>別格で、下手だが、何か愛嬌があったのだろう。


『談志絶倒 昭和落語家伝』 P.168 (九代目翁家さん馬)
> 演題は変わったところで『大蔵次官』『電話室』。前者は十代目文治の父親柳谷蝮丸
>の新作、後者は大阪時代に林屋染丸に教わったのだろう。
> これらの噺、他に演り手はいなかった。いえ、別に難しいからではございません。バカ
>バカしいからであります。
> 思い付くままに書くと、『大師の杵』『不動坊』『女給の文』『古手買い』『寄合酒』
>『牛の丸薬』『桃太郎』『小粒』。『辻八耳』は先代からか……。
> と書いてて、この師匠のネタと姿を思い出せる人は、いま、はたして……やめよう。
>悲しくなる。
> けどトメさん、ラジオ民放の時代を迎え、その栄光もいささか生まれ、あの絶品『勘定
>板』の物凄さ。後年、後輩の柳家小さん師匠も、この師匠を大いに立てた。興津要
>(早大教授)も同様であった。
> オイ、談志、いま、もし誰かが高座に出てきて聞かせてくれるとしたら、誰だい、と
>いう、よくあるセリフというか、ゲームでもあるが、迷わずに言う。春風亭柳好の『棒鱈』
>とトメさん大明神である。そして聞きたい題目は『歌劇の穴』。


でも、まあ、引用が不正確というわけとも違うし、唐沢俊一は『談志絶倒 昭和落語家伝』
という本の、翁家さん馬 (のちの九代目桂文治) の章にだけはきちんと目を通していると
いえるだけよしとするべきかも。さすが生まれてはじめて聞いた落語が桂文治だけある
(ここを参照)。というか……はっきりいって、唐沢俊一が、『談志絶倒 昭和落語家伝』と
いう本のそれ以外の部分に、どれだけ目を通しているかははなはだ疑わしいと、個人的
には思っているのだけど。


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Comment

はじめまして (_ _)
「入川保則 唐沢俊一」でググるとトップがうちのこのエントリーで、次は
http://www.rokusaisha.info/?p=1129
で、接点はあまりなさそうですけど、京本政樹も出ていた「部長刑事」というのと、
がんで延命治療拒否というのが、ネタにされないかと少し心配ですね。
トンデモない一行知識 |  2011年12月28日(水) 00:09 |  URL |  【コメント編集】

●初めまして。こんばんは。

ひとまず一言。テンテー、入川保則さんだけは追討するな!書くな!!
タック若木 |  2011年12月25日(日) 17:57 |  URL |  【コメント編集】

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