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2011.12.18 (Sun)

バナナとロリータ

http://www.tobunken.com/news/news20111215140741.html

イベント
2011年12月15日投稿
ひねくれていた男 【訃報 ケン・ラッセル】
〈略〉
そして、妖艶な美少女というイメージが定着しているサロメを、
イモジェーン・ミライス・スコットという、ガリガリの色気皆無な
女優に演じさせ、それが芝居の中では父親のヘロデをはじめ
男性たちがこぞって美しい、こちらを向いて欲しい、言葉をかけて
もらいたいと渇望する美女という設定になっているという皮肉。
「所詮、作り物であるのなら、その“作り物性”を徹底して
つきつめるべき」
というラッセル独自のケレンなのであろう。
〈略〉
『サロメ』にはラッセル自身も、お稚児のような美少年の助手を
引き連れた娼館専属のカメラマンという役で登場する。そんな職業
が本当にあったのかどうかしらないが、このツクリモノめいた
怪しげさが、いかにもラッセルらしかった。登場人物として芝居の
中に登場する他、カミナリや風の音を効果マンとして作っていた。
この人工の音や光こそが、すなわちラッセルの作品ということ
なのではなかろうか。そして、ラスト、サロメが殺されるという
舞台上のストーリーと、現実世界が交叉して映画は終わる。
警官がグレンダ・ジャクソン(ラッセル映画の常連)演ずるヘロデヤに
「メイドが殺されたのです」
と告げると、彼女は
「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」
と言って大笑いし、その笑いはワイルドと娼館主人に伝染して、
映画は哄笑のうちに終る。

ラッセル映画に対し、これは悪ふざけがすぎるんじゃないか、これは
いくらなんでも映画をバカにしているんじゃないかと文句を言っても、
「バナナの皮にすべっただけ」
と笑われるような、そんな気がしてならない。


ケン・ラッセル監督の『サロメ』は http://www.youtube.com/watch?v=OULCUo1e29s
で、なぜか全部を見ることができた。

で、まあ、「ガリガリの色気皆無な女優」というのは、前半部分はともかく――映画の最初
の方にも、オスカーと娼館主人との「ガリガリじゃないか 耐えられるのか」「できなければ
私が殺そう」「君には安い買い物か」という物騒な (?) 会話があったりする――「色気皆無」
というのは,ガセやデマに分類してよいのではないかと。

だって何だかすごかったんだもん、下でいう erotic dance のシーンとか。

http://movies.nytimes.com/movie/42659/Salome-s-Last-Dance/overview
> While she performs, Wilde slips off with a young male performer, arousing Bosey's
> jealousy. After Salome's erotic dance (at the end of which she momentarily
> changes sexes), she confounds Herod by demanding the prophet's head.


「所詮、作り物」といわれたらそれまでだが、erotic dance の迫力は、劇中劇のヘロデ王
役の人のニヤケ顔に、作り物めいた不自然さを感じなかったりするレベル。

もちろん好みは人それぞれだし、やはりボンキュッポンじゃなけりゃダメという信念のもと、
おっぱい丸出し黒ボンテージの兵士役のお姉さんや、金色ミニスカまたは腰巻き (?) だけ
の上半身裸で踊っている人の方がずっと色っぽいのになあ……みたいな好みの表明で
あったのなら、それはそれで充分理解可能である。

しかし、「美女という設定になっているという皮肉」とか、「所詮、作り物であるのなら、その
“作り物性”」とかいう方に話を引っ張るなら,誰が見ても美女からかけ離れていて、色気
も欠片もなくて、という女優が対象でなければ説得力がないでしょう、ということで。

ネット上をざっと検索してみたかぎりでも、「色気皆無な女優」なんて罵倒めいた表現を
しているのは唐沢俊一くらいのもので、「サロメは蒼井優に少し似ていて魅力的だった」
( http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_8073.html ) と書いている人も。怪演と表現している
人もそこかしこにいるみたいだけど。

それはともかく、ケン・ラッセルのサロメは「妖艶」とは対象的――とする人なら結構いる。
ただ、「色気皆無」というより、「ロリータ風」「ロリータ系」ととらえている人が多いようなの
だ。これには個人的に同意。

http://nicoviewer.net/sm10073142
>今までのサロメ像が持つ“妖艶さ”を強調するのではなく、ロリータ風の容貌にするなど
>彼独自の解釈が興味深い作品


http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/49a535510df53bbea057a024ba71b447
>主役であるサロメは、館の女中が演じるのですが、これが聖書のエピソードではもともと
>少女ではあるのですが、とても妖艶とはほど遠いロリータ系の女優をあてがっているの
>です。背は低く平坦な胸、ボーイッシュなシルエットと女性的というよりは中世的。それ
>が上半身を露にしたダイナマイトボディーの女性の家来と対比され一層強調されている
>のです。それは今流行のゴスロリに近いのかも。

>しかし彼女はあくまで大人であり少女ではありません。ですから大人として(経験も豊
>富な?)の意味ありげな性的な挑発を見せていきます。挑発的にバナナを咥えて見せ
>たり、大股開きで坐って見せたりと怪しげで不思議な雰囲気を醸し出すのです。


んで、今回違和感をおぼえたのは、あれっ、唐沢俊一って、ロリータだのロリコンだのと
いっていたのに、実はロリータ系を「ガリガリの色気皆無」と切り捨てるのかということ。

もしかしたら、ロリコンがどうこうと書いていたのは、あくまで商売用だったのかもしれない
とも思った。以前、「そもそも美幼女じゃなくて美少女もロリコンの対象?」で取りあげたこと
のある唐沢俊一解釈のボッコちゃん――「ちょっと冷たい美少女」、「『美人で若くて、つん
としていて、答えがそっけない』 と原作にあるが、まさにこういう美少女に翻弄され、破滅
させられることこそが大人のオトコの夢」と唐沢俊一は書いている――これとサロメは印象
がカブると思ったんだけどなあ。


それから、「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」、「大笑いし、その
笑いはワイルドと娼館主人に伝染」、「映画は哄笑のうちに終る」は、やや不正確のきらい
がある。

映画では、劇中劇が終わってすぐに警官が乗り込んできて、オスカーは未成年者への
わいせつ行為で、劇中劇でヘロデ王役を演じたテイラーは娼館を経営の罪で逮捕。
2 人は「今夜は何と劇的な幕切れを迎えた事だろう」「チルバース 帽子とコートを 出か
ける 遅くなるだろう」と余裕をこきながら (?) 屋敷を出る。

護送の馬車の中でオスカーが、預言者 (ヨハネ) 役はミスキャストだったと言い出し、
「再演の時は彼をサロメに 僕は預言者だ」とか話しているときになぜかヘロデヤ役を
していたレディ・アリス・ウィンザーまで馬車に連れてこられて、

「この私を凶悪な犯罪者と同じ馬車で運ぶとは大変な過ちだわ」
「名前を お嬢さん」
「“ミス”ですって? レディ・アリス・ウィンザーに向かって」
「失礼いたしました レディ ご同行を」
「芝居をするのが犯罪なの?」
「いえ 証人が必要なのです メイドが殺されました」
「殺人ですって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」
(一同笑)
「テイラー様 帽子とコートです」

つまり、「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」は、本当は「殺人で
すって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」だし、笑いは伝染したというより、
一同がいっせいに笑っているようだし、その哄笑のあと、律儀に主人の乗った馬車を追い
かけて走る使用人の、「帽子とコートです」の叫びで映画は終わる。

まあ、そんなことより、そういえば劇中劇でサロメ役の女の子 (ローズ) は、映画の最初の
方でオスカーに葉巻を渡すときにメイド服着ていたよなぁとか、劇の最後でローマの兵士
の槍にあたった場面では、何だか槍が身体を貫通してみたいだったと思い返すと、少し
恐いオチのような気はする。

劇中劇が終わった直後、オスカーは首だけ出して動けない状態の預言者役の青年に、
きれいな顔だの、唇に金粉がついているだの、キスしていいかだのネチネチ絡んでいた。
ヨハネ役はヨハネ役で、「あの少年は君の稚児だが金粉の魅力に負けた」とか返答して
いたりした。で、その少年は天使か何かの役で、芝居に金粉まみれで出ていて、オスカー
は erotic dance の最中にも踊りを無視してひたすらその少年といちゃついていて……と
いうのはよいとして。

逮捕された護送馬車の中で、「再演の時は彼をサロメに 僕は預言者だ」と真顔で話し、
「メイドが殺されました」「殺人ですって? ただの事故死よ バナナの皮ですべったの」
に大笑いのイカれた人物たちを描いているのは、唐沢俊一のいう「悪ふざけがすぎるん
じゃないか」があてはまりそうだとして、「これはいくらなんでも映画をバカにしているんじゃ
ないか」というのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。

http://blogs.yahoo.co.jp/gh_jimaku/archive/2011/11/29
>彼は、同性愛の人々のための障壁を取り除いた・・・その映画
>『恋する女たち』は、1969年のケン・ラッセルを有名にした作品だ。
>その当時の最もセンセーショナルな有名なシーン、アラン・ベイツとオリバー・リードの
>全裸のレスリング。
>オリバー・リードは、監督が「正気でなくなり始めていた」とその時に思った。
>「以前は、彼は健全で好感の持てるテレビ・ディレクターでした」とオリバー・リードは語る。
>「だが、今は彼は狂気の好感の持てる映画監督です。」


「狂気の好感の持てる映画監督」も、唐沢俊一にかかっては、「ひねくれていた男」とのみ
まとめられてしまうというのは少し残念な話かもしれない。

それと、思ったのは、そんなにバナナの皮ですべる話が好きなのか唐沢俊一は……と
いうことだったり。

参考
バナナの皮ですべってころぶのは、そんなバカナ話ではない
シリコン川を渡る

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