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2011.11.13 (Sun)

京本政樹の登場する裏モノ日記 (2)

裏モノ日記 2002年 07月 25日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020725000000.html

 ネット巡回。昨日の青山智樹氏、やはり酔っての書き込みだったか、
Oさんのところで謝っていた。氏のところの日記も、読んで脱力するばかり
で、今更、何を言うこともない。が、ハマコンにゲストで来た京本政樹の
ことに触れていて、ちょっとニヤリとする。これもどうしようもない想い出だ
が、あのとき、彼をゲストに呼んだのは私なのであった。……あの年の春、
京本氏は自分の監督・主演ビデオである『髑髏戦士スカルソルジャー』を
撮っていて、潮さんが京本氏の扮する主人公の従者という大役で出ずっぱり
だったこともあり、私も毎日、撮影現場に出かけていた。単に潮さんの健康
状態を気遣っての様子見だったが、いつのまにか京本氏がやけにこちらに
親しく話しかけてくるようになり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品
をマスコ ミに宣伝させようと踏んでいるらしかった。

 それは、もしこの作品が売れれば次の仕事にも関わってくることでもあり、
私に断る理由はなかった。少なくとも私の口利きで、このビデオのマンガ化
作品が徳間書店『少年キャプテン』と秋田書店『ホラーハウス』の二誌に
載り、夕刊フジになをきが撮影所訪問記を描いた。まともなルートを通せば
それなりの金が必要なもので、宣伝費としてみればかなりのものを京本氏
は浮かしたことになる。で、それに加え、京本氏は、ビデオとしては異例の
ことだが、どうしても完成試写をどこか大きなホールを借りてやりたい、と
言い出した。それも、タダで。この作品のプロデューサーは当時京本氏が
在籍していたAというプロダクション(今でもそこなのかも知れないが)、
そしてKという中堅のビデオ製作会社で、どちらも別企画で京本政樹ほしさ
に、この作品を彼が監督したい、というわがままをきいてやっているようで
(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!”
と、私をオタクとも知らずにささやいた)、そんな宣伝費はとても出してくれ
そうになかったのだ。なら京本氏が自腹を切ればとも思ったが、氏はその頃、
再婚準備に忙しく、あまりこっちに回 せる金もなかったようだった。金がない
のはこっちも同様である。
〈略〉
「ありますよ、最高の会場!」
 私は『ガメラ・大怪獣空中決戦』の中山忍のように叫んだ。“しかも、
宣伝も客集めも、何にも心配ないところが!”と。さっそくその晩、実行
委員会に電話をして、企画をツッコンだ。潮さんはすでに地獄大使ショー、
平山亨氏との対談、という企画で出演が決まっていたが、それに加えて
京本政樹、黒部進という豪華ゲストが来るとなれば、向こうに否やがある
わけもない。みなとみらいのホールを使ってスカルソルジャー上映プラス
座談会を企画しましょう、と即決が下った(黒部氏はK社の方で責任を
持って呼ぶ、ということだったが、後で確認したらちょうどその時期は
アフリカ旅行の最中で、ということでNGになった)。これが確かその年
の5月ごろのことである。プログレスレポートにも京本氏の名前が載り、
K社、Aプロからは大感謝されたし、こちらも面目を保てた上に豪華な
企画も実現できて、いい気分であった。

 ……ところが、大会開催間際の7月末になって、Aプロから横やりが
入った。“作品の上映はかまわないが、京本がそこに行ってトークショーを
するということになると、これは仕事が発生することになる。ギャラを出して
くれないと困る”と、言うのである。冗談ではない。トークショーの件は最初
から話しているし、大体、自分の映画の試写に監督が行って挨拶なり、
なんらかの話をするのは業界の慣例ではないか。Aプロの社長と私は談判
したが話は平行線であり、しかも、“実はその日はすでに次の作品の撮影が
始まっており、京本は京都にいる。横浜の会に出演するのは無理だ”と
言いだした。……つまり、この京都での作品に京本氏の出演をOKさせる
ために、Aプロは『スカルソルジャー』に金を出したのであり、釣った魚に
これ以上エサをやることはない、という態度だったのである。K社にも話して
みたが、他の作品のことに関してはこちらも口を出せない、と困惑した様子。
で、最終的に京本氏自身と話して見ると、彼の方では“ぜひ、試写会には
出たい。ボクの責任で出ます!”と力強い返事であり、調べたところ、スケ
ジュールは何とか都合がつけられ、その日の朝の撮影が終わってすぐ、
新幹線で横浜に来て、試写、トークをすませ、トンボ帰りで京都に帰れば
OKである、と言ってくれた。私は面目をつぶさずにホッとして、ああ、やはり
情熱がある人物は違ったものだ、と、彼をちょっと尊敬する気持ちにすら
なったものである。……次の一言を聞くまでは。
「で、当然、新幹線の代金はカラサワさんの方で出してくれますね?」

謀られたようなものである。K社の企画担当である女性の方を見たら、彼女
は申し訳なさそうな顔で、“本来、うちで出さねばならないものなんでしょうが
……”とだけ言った。すでに京本氏の意向で通常以上のポスターやチラシ、
立て看を作り、これ以上は宣伝費は出せないようだった。しかも相手は潮さん
という人質をとっている。ここでもう一度話をこじらせてどうこう、という気力も
私には残っていなかった。 
〈略〉
K社の宣伝担当さんは帰り際、深々と頭を下げて、“今回は本当にご迷惑
をおかけしました。今後、カラサワさんとはお仕事上でいろいろおつきあい
をお願いしますので……”と言ってくれて、私は、これで少なくとも、新刊線
代を無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた(もっとも、あとでお笑いビデオの
企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、苦しくて新しい企画とか、
やれないんですよね~”と、掌を返したような態度だったのには呆れ返った。
今でもこのときの件に関し、京本政樹をうらむ気持ちはあまりないが、この
女性に対する印象はかなり悪い)。


×『ホラーハウス』 ○『サスペリア』

本当はコレクターではなかった京本政樹 (1)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (2)
本当はコレクターではなかった京本政樹 (3)

ときて、

京本政樹の登場する裏モノ日記

の方は、「新刊線代」と「ベトセラー作家」の小ネタで終わりにするつもりだったんだけど、
これコメント欄に、いろいろ書き込まれたり書き込んだりしたので、続きみたいなものを。

上に引用した裏モノ日記は、以前「唐沢俊一と潮健児の過ごした平成の 2 年間と数ヶ月
について
」のエントリーに一部引用したことがあって、そのときも「いつのまにか京本氏が
やけにこちらに親しく話しかけてくるようになり、どうも、彼は私のルートを使って、この作品
をマスコミに宣伝させようと踏んでいるらしかった」のあたりの記述には、少し引っかかって
はいた。

京本政樹が唐沢俊一に「親しく話しかけて」きたのは本当だと仮定するとして、それを
「やけにこちらに」とか、「マスコミに宣伝させようと踏んでいるらしかった」とか、悪意を
感じさせる枝葉をくっつけて表現する様子に、唐沢俊一という人は厄介な人なんだなあと
思ったため。

イッセー尾形のときは、「森田氏は私に冷淡だった。観客とケンカするなどもってのほか、
彼らは金を払って来てくれているのだぞと、口にこそしなかったが、表情がそれを語ってい
た。私は裏切られたと思った。逆上した。イッセーは何も言わなかったが、言わないことも
また裏切りだった」だったので、うわっ扱いが難しい人なのだなと思った (ここを参照) が、
「親しく話しかけ」たらよいという話でもないらしい。

しかも、唐沢俊一の言い分を信用するとしても、京本政樹の求めたのは、『髑髏戦士ザ・
スカルソルジャー 復讐の美学』という作品の宣伝である。ここのコメント欄に書いたことの
繰り返しになるが、この作品は唐沢俊一自身、「潮さんが京本氏の扮する主人公の従者
という大役で出ずっぱりだった」と書いている。なのに、他人の京本政樹のために宣伝し
てやったといわんばかりの恩着せがましさは何なのだろう……。

上に引用した 2002 年の裏モノ日記には、「単に潮さんの健康状態を気遣っての様子見
だった」としか書かれていないので、取りようによってはまるで善意のボランティアのみの
「私も毎日、撮影現場に出かけていた」みたいにも見えるが、ここにも一部引用したことの
ある 2007 年の日記には、「京本政樹監督・主演のVシネマ『髑髏戦士スカルソルジャー』
という作品に潮健児のマネージャーとして参加した」と書いてある (魚拓)。また、2000 年
の裏モノ日記
で唐沢俊一は、「私が潮健児の所属するプロダクションの代表である限り、
仕方のないことであった」とも書いている (ここも参照)。

つまり、唐沢俊一は当時、潮健児のマネージャでもあり、所属プロダクションの社長でも
あったということだ。その潮健児が「出ずっぱり」で、キャストとしても主演の京本政樹の
次にクレジットされているような『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』という作品。何も京本
政樹にどうのこうのと促されなくても、自分のもつ伝手を駆使して宣伝につとめたとしても
バチはあたらないだろうと思うのだが……素人考えだといわれればそれまでだけど。

http://bclassmovie.blog38.fc2.com/blog-entry-204.html
>キャスト 京本政樹、潮健児、浜田朱里、繁田知里、桑田健作

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=86091
>京本政樹  鳴海達也/スカルソルジャー
>潮健児    ガジャ
>本田博太郎 伯牙天慌(友情出演)
>浜田朱里  伯牙澪
>繁田知里
>長門裕之  沢本(友情出演)
>黒部進   宗方(友情出演)
>森田健作  (特別友情出演)
>横山ノック  (特別友情出演)
>龍虎     (友情出演)

〈以下略〉

さらに気になるのは、「もしこの作品が売れれば次の仕事にも関わってくることでもあり、
私に断る理由はなかった」と唐沢俊一は書いているが、その「次の仕事」とは誰の仕事
のことか、潮健児なのか唐沢俊一なのか。

「これで少なくとも、新刊線代 (原文ママ) を無駄にせずにすんだ、と自分を慰めた」と、
「企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、〈略〉掌を返したような態度だったのには呆れ返っ
た」というのを見ると、潮健児ではなく自分の売り込みにのみ必死だったのではないかと
いう感じ。


で、唐沢俊一によると、「まともなルートを通せばそれなりの金が必要なもので、宣伝費と
してみればかなりのものを京本氏は浮かしたことになる」とのことである。

潮健児がどうこうというのはおいておくことにして、とにかく唐沢俊一は、「徳間書店『少年
キャプテン』と秋田書店『ホラーハウス』の二誌に載り、夕刊フジになをきが撮影所訪問記
を描いた」のは、「私の口利きで」とのみ主張する。

しかし、「徳間書店『少年キャプテン』」とくれば、唐沢なをきのコネではなかったのかと
思ってしまうのだが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/唐沢なをき
>徳間書店の『ハイパーゾーン』に持ち込んだのをきっかけに『月刊少年キャプテン』から
>読切の仕事を貰う[3][21]。それ以後、連載も増えて順調に仕事を続けられるようにな
>り、20年以上精力的に執筆している。


唐沢俊一が徳間書店から出した単著は 1990 年の『ようこそ、カラサワ薬局へ』の 1 冊
のみ。あとは唐沢なをきとの共著が 1 冊あるが、それは 2007 年の出版で、1992 年の
『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』から 15 年も経ってからのことである。

http://uwasano3.web.fc2.com/karasawa-syunnichi-tyo.html
>『トリビア兄弟の本当にあった悪趣味な話(Tokuma favorite comics) 』 唐沢俊一、
>唐沢なをき(徳間書店)2007/03 \400 紀伊國屋 amazon
〈略〉
>『ようこそ、カラサワ薬局へ(Tokuma books) ちょっとあぶないクスリ通になる、まち
>の薬局完全攻略』唐沢俊一(徳間書店) 1990/02


「秋田書店」の方も、唐沢なをきの方ならばコネがあっただろうと思われる。1992 年に
コミックスを秋田書店から出しているし。で、この漫画は唐沢なをきの単著のようで、
唐沢商会とか唐沢俊一の原作ものではない模様。

http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0192179878
>鉄鋼無敵科学大魔號
>テツコウ ムテキ カガク ダイマゴウ
>少年チャンピオン・コミックス
>唐沢 なをき 著  出版社 秋田書店
〈略〉
>ジャンル コミック
>発行年月 1992年04月


その他参考 (?):
http://www.uoo.ne.jp/archives/2007/06/uma1.html
>『世界の怪獣』(中岡俊哉・著/秋田書店刊)も肌身離さず持ってましたしね。

一方、唐沢俊一の方はというと、「秋田書店 唐沢俊一」でググってみたら、何とトップに
うちのブログの「明るい光のなかにいた人だと思います<和田慎二 (2)」がきてしまった
くらいのもので……唐沢なをき抜きでの、秋田書店とのつながりはあまりなかったのでは
ないかと思われる。

ええと、そして、唐沢俊一の伝手にしても唐沢なをきの伝手にしても、「秋田書店『ホラー
ハウス』」というのは、たぶん何かの間違い。『ホラーハウス』という雑誌を発行していたの
は大陸書房で、秋田書店から出ていたホラー漫画雑誌は『サスペリア』だから。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ホラーハウス
>・大陸書房より発行されていたホラー漫画雑誌。

掲載は『ホラーハウス』で、「秋田書店」というのが唐沢俊一の間違いという可能性も一応
考えたけど、1992年6月頃の休刊なら、『髑髏戦士ザ・スカルソルジャー』の掲載する前に
なくなっていた雑誌ということになりそうだし。

http://gensou-japan.g.hatena.ne.jp/alisato/20070419/p1
>創刊:1986年 『サスペリア』(秋田書店)    休刊:
〈略〉
>創刊:1986年 『ホラーハウス』(大陸書房)   休刊:1992年6月?


なので、上の方には「×『ホラーハウス』 ○『サスペリア』」と書いた。しかし、本当に
当時の『サスペリア』が掲載誌だったかどうかは裏が取れなかった。情報をもっている
方がいたら、よろしく (←おい)。

その他参考 (?):
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-570.html
>唐沢さんの嘘には、もううんざりです。
>何でも自分の手柄にしないでください。

>同じ道民として恥ずかしいです。



それから、コメント欄で、京本政樹はずっと自分が社長の個人事務所ではなかったのか、
Aプロとは何だろうとか書いていたら、「Aがイニシャルだとすれば『愛企画』ではないかと
思います」という情報をいただいた。

唐沢俊一に「(Aプロの女性社長は“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!”
と、私をオタクとも知らずにささやいた)」と書かれてしまった――唐沢俊一のことだから、
話をつくっているんじゃないかという気がしてたまらないけど――「女性社長」というのは、
この人↓のことになるだろうか。

http://ameblo.jp/ai-kikaku/theme-10010034421.html
>社名:株式会社愛企画
>代表取締役社長:吉川 愛美


確かに、プロデューサーとして名前のあがっているひとりではある。

http://www.yesasia.com/global/1004847228-0-0-0-ja/info.html
>髑髏戦士 ザ・スカルソルジャー 復讐の美学
〈略〉
>京本政樹(製作総指揮) | 浅賀孝郎(プロデューサー) | 吉川愛美(プロデューサー) |
>中川節子(プロデューサー)


ただし、唐沢俊一の書いているように「この作品のプロデューサーは当時京本氏が在籍
していたAというプロダクション」といえるかどうかは疑問に思う。3 人のうちの残り 2 人は
愛企画の人ではないみたいなので。
浅賀孝郎: http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=129928
中川節子: http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=258986

また、京本政樹の自伝『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』の記述によると、「当時京本
氏が在籍していた」のは「オフィス斬」というところのようだ――という問題もある。

『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.180
> この頃、ボクは自分の事務所経営に悩むようになった。反対を押し切って独立し、
>まったく自分ひとりの力でここまでの道を切り開いてきたが、そろそろ会社の経営は
>誰か別のヒトに任せて俳優業に専念したかった。そのことをあるプロデューサーに
>話したら、適任者を紹介してくれた。現在、ボクが所属するプロダクションの社長である
>湯山雄介氏である。それ以後、ボクが個人的にやりたい企画プロデュース(フィギュア
>の制作など)は従来通りの個人事務所『京本オフィス』で行い、俳優、京本政樹の
>マネジメントは湯山社長率いる『オフィス斬』で行うというスタイルが確立された。


上でいう「この頃」というのは京本政樹の初の座長公演の頃だから 1988 年。それから
自伝が出版された 2001 年までは上記体勢とのことなら、1992 年の所属プロダクション
は『オフィス斬』だったのではないかと。

それと、興味深く思ったのは、京本政樹の自伝には、『スカルソルジャー』では京本政樹
自身が「プロデューサーも兼ねているので制作予算を握って」いた、「細かい予算管理に
までアタマを悩ませた」と書かれていること。

『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.190
> 実際に撮影に入ると、ひとりですべてをやるのはものすごく大変だった。作品のディレ
>クションだけでなく、プロデューサーも兼ねているので制作予算を握っている。クリエイ
>ティヴの頭脳とお金勘定の頭脳を同時に使わねばならない。夜中に突然、助監督から
>電話がかかってきて「注文していた看板ですが、3文字だと○○○○円、4文字だと
>○○○○円だそうです。どっちにしますか?」などと相談されたりするなど、細かい予算
>管理にまでアタマを悩ませた。


『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 P.191
>ロケハンなども含めた監督業務から主演、撮影後の編集、音楽制作、それから予算管
>理やキャスティングに至るまで何から何までやったので、まさに3ヵ月間、不眠不休に
>近い状態だった。そりゃそうだろう。通常なら分業されていて、それでも大変なひとつひ
>とつの仕事を全部ひとりでやるわけだから。満足感もひとしおだったが、やることが多す
>ぎた。さらに、予算も少なかったので気分的には3ヵ月、タダ働きした気分である(たぶ
>ん時給に換算すると1時間50円くらいだったんじゃないだろうか?)。まあ、自分のやり
>たかったことだから仕方ないが、正直いって疲れてしまった。そして、3ヵ月の貴重な経
>験により、ある結論を得た。
>「本当にオレがやりたいことは役者業なんだ」


これについては、唐沢俊一の書いている、「すでに京本氏の意向で通常以上のポスター
やチラシ、立て看を作り」と、話が一致しているのかもなあと思った。「通常以上の」という
のが正しいかどうかは別にして。


で、「“実はその日はすでに次の作品の撮影が始まっており、京本は京都にいる。横浜の
会に出演するのは無理だ”」とか、「この京都での作品に京本氏の出演をOKさせるため
に、Aプロは『スカルソルジャー』に金を出したのであり、釣った魚にこれ以上エサをやる
ことはない、という態度だった」とかについては、そもそも該当する作品があるのか疑問に
思ったが、これは『痛快時代劇スペシャル 勢揃い清水一家・次郎長売り出す』または
『大型時代劇スペシャル 新撰組・池田屋の血糊』のことと考えてよいのだろうか。

京本政樹の自伝『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』 (P.244) では、「1992▼ドラマ」は
以下の通り。

>~3/27 東京 大江戸捜査網2                         秋草新十郎 
>9/29  日本 痛快時代劇スペシャル 勢揃い清水一家・次郎長売り出す 追分三五郎
>10/2  TBS 大型時代劇スペシャル 新撰組・池田屋の血糊       長倉新八


P.245 の『映画』が以下の通りとなる。(どちらも「備考」欄は省略)。

>9/26  KSS 髑髏戦士ザ・スカルソルジャー 復讐の美学 (Vシネマ)   鳴海達也
>11/7~ 森田フィルムズ 当選確実                      科捜研役


『当選確実』の方は京都で撮影ではなさそうだし、9 月末や 10 月はじめに放映される
テレビ番組の撮影が、SF 大会のある 8 月上旬からはじまるものかは、わからないのだ
けれど……。

ただまあ、上に書いてあることにより、唐沢俊一いうところの「Kという中堅のビデオ製作
会社」は、判明したような。KSS というのが、それ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ケイエスエス
>株式会社ケイエスエス (KSS Inc.) は、オリジナルビデオ(Vシネマ)・美少女系アニメを
>製作する映像コンテンツ制作事業社。一時期PC用家庭用ゲームも制作していた。他に
>も出版事業や音楽事業、ポストプロダクション事業も手掛けていた。現在は休眠会社で
>ある。


唐沢俊一相手には、「お笑いビデオの企画を持ってK社の彼女を訪ねたら、“ウチもいま、
苦しくて新しい企画とか、やれないんですよね~”と、掌を返したような態度」だったとの
ことだが、京本政樹相手には、後で別の仕事をいっしょにしたりしているようである。まあ、
比較するだけ失礼な話かもしれないが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/京本政樹
>・行動隊長伝・血盟(2003年、KSS) - 石津勝利 役
〈略〉
>・まるで悲しみが雨のように口づける…(1998年、KSS、映画『修羅之介斬魔剣~妖魔
> 伝説~』主題歌)
〈略〉
>・LOVE IS ALL(1998年、KSS)



ええと、それから、こちらのコメント欄には、「1990 年代前半の京本政樹とは、唐沢俊一
および彼と同系統同クラスのライターたちにとって、モロ商売仇であったかもしれません。
それで一方的に妬まれ恨まれている可能性もあるかと思えてきました。」なんて書いて
みたりもしたけど、この件については、機会があったら、また。

http://www.amazon.co.jp/dp/489189234X
>京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)

http://www.amazon.co.jp/dp/4575290092/
>HERO交友録 [単行本]

http://www.amazon.co.jp/dp/4522215118/
>超ウルトラ雑学クイズ―ウルトラ戦士が出題する常識・雑学問題115 [単行本]

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Comment

>ミナミさん

どうもです。(_ _)

http://www.youtube.com/watch?v=59-WKTfiFc8&feature=related

あ、甲斐バンド……ではなくて、KAIFIVE だ♪というのは、おいといて。

もしかしたら、「俳優業に専念したかった。そのことをあるプロデューサーに話したら、
適任者を紹介してくれた」の、「あるプロデューサー」が吉川愛美氏または愛企画に
当時属していた人のかもしれないと想像したりしました。


>潮さんは一人の俳優さんなのに、まるで自分の所有物

唐沢俊一本人が、当時、潮健児さんのファンから、「潮さんを私物化している」とか
非難されたと書いているくらいですし……。

http://tondemonai2.web.fc2.com/809.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/810.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/811.html

>唐沢さんよりも京本さんのほうがよほど潮さんを大事に思っていたのではないで
>しょうかね?

この本の記述とか読むと、そんな感じが凄くします。

『京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)』 P.144
> その七色仮面だが当時のTVは白黒で、仮面の本当の色はメンコやカルタなど>から金色と想像するしかなく、通説でも金色とされてきた。だが、出演者の潮健児
>さんの証言で、実は銀色であったという事が判った、この新事実をみなさんにお伝
>えしよう。

>■特別寄稿
>潮健児
>『七色仮面』は37才の頃の作品です。まだTV映画も初期で、機材も映画と同じ35
>ミリのカメラを使ってたから、ぼくも本編と同じ気持ちで、コブラ仮面の部下のサソ
>リの万吉という役を気合いを入れてやりました。あの仮面よく金色と言われますが
>実際は銀色でしたよ。被ったのは主演の波島さんとは別の人と記憶してますが、
>子供版『多羅尾伴内』みたいでしたねぇ。後にダイヤ仮面という役で、七色仮面と
>対決もしましたしね。
> ぼくは子供番組はとても大事なものだと思います。子供の頃の印象は大人に
>なっても残るからね。だから、「子供番組やらせたら潮健児は最高の芝居するね。」
>と言われたいという、プライドを持って仕事してます。長くやって愛着のある地獄大使
>を初め、ぼくがおそらく、子供番組出演の最多記録を持ってるのも、そんなプライド
>を持ってるからなんです。(談)
トンデモない一行知識 |  2011年12月01日(木) 22:41 |  URL |  【コメント編集】

●参考になるかわかりませんが・・・

こんばんは。

>また、京本政樹の自伝『META-JiDAIGEKI by Kyomoto-Mix』の記述によると、「当時京本
>氏が在籍していた」のは「オフィス斬」というところのようだ――という問題もある。

についてですが、京本さんが所属していた「オフィス斬」の社長・湯山雄介氏という方は、元々「愛企画」で企画業務に携わっていた人のようです。
youtubeを見ていたら、偶然ドラマのスタッフロールで見つけました。
http://www.youtube.com/watch?v=59-WKTfiFc8&feature=related
斬の京本さんのプロフィールは、紹介部分を除けば、「主な作品」が1993年からしか出ていませんから、もしかしたら、その年辺りから、湯山氏が愛企画から独立して斬を立ち上げたのかなと思いました。京本さんがここに所属し始めたのがいつからかは正確にはわかりませんが、スカルソルジャーの時に、その2つの事務所の両方の関係者と繋がりがあってもおかしくないなと思いました。
参考になるどころか、大した問題ではないかもしれませんね、すみません(苦笑)

それとは関係ないですが、この唐沢氏という人、潮さんのことを「人質」なんて書き方してたんですね。潮さんは一人の俳優さんなのに、まるで自分の所有物。
私は京本さんのファンなのでスカルソルジャーでの潮さんしか知らないのですが、唐沢さんの潮さんに対する態度もちょっとひどくないかな・・・と思ってしまいました。唐沢さんよりも京本さんのほうがよほど潮さんを大事に思っていたのではないでしょうかね?見当外れな感想でしたらごめんなさい(苦笑)
ミナミ |  2011年11月29日(火) 03:48 |  URL |  【コメント編集】

>ネタ収集装置だったとはいえ、

この、著書へのコピペの容易さを重視したかのような「不用な書き込みは出来るだけ
ご遠慮ください」ルールのせいで、ガセへの突っ込みや派生トリビアの投稿が抑止
され、その結果、ガセの多さや唐沢俊一スルーの法則の発動につながったんじゃ
ないかと疑っています。

「遺産は腕づくで取りあえ」については、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-758.html
の方に書いてみました。

「腕づくで取りあえ」というのは、遺骨の件なんかも、そうですね……。

http://tondemonai2.web.fc2.com/809.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/813.html

メフィストの帽子については、そもそもスカルソルジャーで使用されていた帽子は、
潮健児さんがずっと所有していたものなのか、それとも新しくつくったものなのかも
よくわからないかなと思い始めています。
トンデモない一行知識 |  2011年11月21日(月) 02:19 |  URL |  【コメント編集】

●刈り場

ネタ収集装置だったとはいえ、
> ここは一行知識を淡々と集める掲示板ですので、不用な書き込みは出来る
>だけご遠慮ください。
って、そんなに不用な事とも思えないのですが。
イケイケな議長様の判断ですから、仕方ないとはいえ…。

> ・『鳥獣戯画』で有名な鳥羽僧正の遺言。「遺産は腕づくで取りあえ」
これ、座右の銘なんでしょうね、追討も『星を喰った男』の件もこの精神によってるんですね。

唐沢氏によって流された京本さんの『メフィスト帽デマ』も、元は唐沢氏自身の精神構造から来たんでしょうね。
亡くなった人から奪うのはO.K.という。
唐沢氏自身の鏡像から生んだデマだったのだと再確認出来ました。
NNT |  2011年11月20日(日) 17:44 |  URL |  【コメント編集】

>ドラマの場合、8月に10月以降の放映作品の撮影をするのは普通だったと思います。

なるほど。となると、「痛快時代劇スペシャル 勢揃い清水一家・次郎長売り出す」や
「大型時代劇スペシャル 新撰組・池田屋の血糊」が、京本政樹氏が新幹線でトンボ
返りする原因となったお仕事となる可能性は、やはり充分にあったということですね。

「この京都での作品に京本氏の出演をOKさせるために、Aプロは『スカルソルジャ
ー』に金を出したのであり、釣った魚にこれ以上エサをやることはない、という態度」
の方は、いまだ納得しかねるものがありますが。

愛企画の吉川愛美という人は、『京本政樹のHERO考証学』 (バンダイ) の奥付に
「協力」として名前が出ていたりします。

http://www.amazon.co.jp/dp/489189234X
>京本政樹のHERO考証学 (B‐club special)

「“わたし、こういうオタクモノって本当は大ッ嫌い!” と、私をオタクとも知らずにささ
やいた」ような人が、あちらには協力者、こちらにはプロデューサーとして名前 (や
お金?) を出す理由は、「この京都での作品に京本氏の出演をOKさせるため」で、
その作品とは (スペシャルとはいえ) 単発のドラマというのが、今ひとつしっくりきま
せん。

>弱小芸能プロの経営者として、次のお仕事をくれるかもしれない京本氏と対等に
>ケンカ

これはさすがに、1992 年当時は、正面切ってケンカはしなかったというか、できな
かったと思います。10 年後の裏モノ日記に、ブツブツ書くのがせいぜい、といいますか。

ケンカどころか、潮健児著『星を喰った男』がバンダイから出版できたのは、京本
政樹氏のおかげという可能性すらあると思います。同じバンダイの『京本政樹の
HERO考証学』と、翌年の『星を喰った男』は、制作スタッフもかぶったりしているため。

その後もバンダイと仕事を続ける京本政樹氏と、一回こっきりの唐沢俊一という
差は、さもありなんとしかいいようがないです。
トンデモない一行知識 |  2011年11月20日(日) 15:54 |  URL |  【コメント編集】

何様のつもり……議長様のつもり、とか。

真偽確認どころか、そのままコピペして本に使えるものだけ投稿しろといわんばかり
の姿勢が、いっそ潔い (?) といえるかも。

http://web.archive.org/web/20030720034923/http://www.tobunken.com/oldlog/log0001.html
> 一行知識掲示板、早くも200代に到達しました。皆様のご協力に感謝
>いたします。
>  今さらではありますが、ニフでの一行知識ルール(あったのか)をご存
>じない方もいらっしゃると思うので、基本的注意。
> ・長くて3行まで。出来るだけ短くまとめましょう
> ・意外な視点、が一行知識の命
> ・俳句や短歌と同じく、推敲してから書き込みましょう
> ・あまり専門的なネタは避けましょう
> ・この掲示板を時候の挨拶、ただの感想の書き込みに用いるのは出来るだ
>けやめましょう(近々、意見交換用掲示板も設置の予定)

> 以上。
> ・『鳥獣戯画』で有名な鳥羽僧正の遺言。「遺産は腕づくで取りあえ」

http://web.archive.org/web/20030811041724/http://www.tobunken.com/oldlog/log0002.html
>>dindi あらため 深沢千尋さん
> ここは一行知識を淡々と集める掲示板ですので、不用な書き込みは出来る
>だけご遠慮ください。

>  あ、これに対するコメントも不用です。

>・挨拶するならネタをくれ(NIFTY裏モノ会議室のモットー)。

実際、大抵は出典も明記されていないで投稿されているネタを、ほぼそのままコピペ
しているだけの例が多いようです。これで P&G (パクリ&ガセ) の温床にならない方
が、むしろ不思議かも。それと、正しいことが投稿されているけど、その前の年の
『トンデモ一行知識の世界』で、すでにガセネタを発表済みというパターンもありま
した。

http://web.archive.org/web/20030811041724/http://www.tobunken.com/oldlog/log0002.html
>1999/10/30 (土) 23:02
>「ゴキブリ」の名は、平安時代の「御器(ごき=食物を盛る器)かぶり」という名が
>つまってできた。食物のみならず器までかじってしまうことから。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-39.html
>>ゴキブリの語源は「御器かぶり」である。
>>“御器”とは食器のこと。台所の食器棚で、ふせておいた食器を持ち上げると、
>>その下からカサカサ、とはい出すところからつけられた名前なのだろ
トンデモない一行知識 |  2011年11月20日(日) 12:25 |  URL |  【コメント編集】

>『当選確実』の方は京都で撮影ではなさそうだし、9 月末や 10 月はじめに放映される
テレビ番組の撮影が、SF 大会のある 8 月上旬からはじまるものかは、わからないのだ
けれど……。

私はこの当時大学生で、夏休みにエキストラのバイトをしていました。
真夏の現場に、長袖の警官隊の服とか着せられてました。
ドラマの場合、8月に10月以降の放映作品の撮影をするのは普通だったと思います。

潮さんの問題は、「スカルソルジャー」はギャラが発生しているきちんとした俳優のお仕事だということを唐沢氏が理解していないことだと思います。
唐沢氏がSF大会で地獄大使ショーをやらせているのは、ノーギャラだっていうのに。
弱小芸能プロの経営者として、次のお仕事をくれるかもしれない京本氏と対等にケンカしようとするところが、すでに間違っています。
だから、プロダクションが潰れたんだと思います。
やまだ |  2011年11月20日(日) 02:13 |  URL |  【コメント編集】

●「何様のつもりだ」「俺様のつもり」

なんでしょうけど、それでも仕事を手抜きしなかったりしなければ、
今でもまだ通用したのではないでしょうか?

と思いましたが、
『唐沢俊一トンデモ本大賞』でbaudrateRAさんが推薦された
『トンデモ一行知識の世界』の元ネタはニフティの『裏モノ会議室』
に寄せられた雑学という事だったと思い出しました。
自分が成した仕事では無いのに自分の仕事としてパクリ、
ネタを寄せてくれた人の「真偽がわからないから確認した方が良いのでは」
という忠告を無視してガセを振りまいたんですよね。
P&Gの原点で、これがこの人の素(『す』で『もと』)なのだから無理ですね。
NNT |  2011年11月17日(木) 23:40 |  URL |  【コメント編集】

「何様のつもりだ」
これが、
唐沢俊一がこれまで犯してきた全ての誤りの源だと思います。
Sawahara |  2011年11月17日(木) 14:23 |  URL |  【コメント編集】

http://www.la-la-la.or.jp/moricom.html を起点にいくつかのブログを読んでみま
したが、確かにイッセー尾形さん、寡黙かも。 http://ameblo.jp/issey-ogata/

>自分自身の事しか描けない唐沢氏。

自分自身のことを描くプロ (?) といえるなら、それはそれで大したもの (←偉そう)
かもしれませんが、唐沢俊一の場合、「韜晦」だとかムニャムニャいって誤摩化さ
なければいけないレベルですからね……唐沢俊一の自画像というのは、唐沢なをき
や札幌のサークルの代表者の人とか、他人の功績をツギハギパクリしているおかげ
で、ちょっと気持ちの悪いコラージュ状態になっているのではないかと思います。

>どうしてイッセーさんに興味を持ったのか不思議です。

身もフタもないいいかたをすれば、売れていて人気もあったから、とか。
もともとの唐沢俊一の好みって、本人の自己申告とは少し異なり、すごくマニアック
な方にはあまり向かわないと思います。
メジャーまたはマイナーの中のメジャーあたり。
トンデモない一行知識 |  2011年11月15日(火) 05:32 |  URL |  【コメント編集】

●エントリとは微妙に違いますが

>イッセーは何も言わなかったが、言わないこともまた裏切りだった

イッセーさんは、本当に寡黙な方で、本当に必要な事しかしゃべらないし、
興味があるのかないのかは後にならないと分からないという人で、
はっきりいって唐沢氏の事はよくいるありがたいファンの一人としか思っていなかったんじゃないかと…。
自分以外の人間を自身の肉体で生き生きと描くイッセーさんと、
自分自身の事しか描けない唐沢氏。
どうしてイッセーさんに興味を持ったのか不思議です。
NNT |  2011年11月14日(月) 20:14 |  URL |  【コメント編集】

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