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2011.10.30 (Sun)

北杜夫に耽溺していたって本当ですか、唐沢俊一先生 - (または「佳作の下」)

http://www.tobunken.com/news/news20111026222655.html

2011年10月26日投稿
葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】

10月24日死去・84歳。

日本歌壇の巨人・斎藤茂吉の息子である、ということに大きな
コンプレックスを抱き、父のことを徹底して第三者的に
「茂吉は」
と書く、というスタイルが、子供心に非常に気取っていて、
そしてカッコよく感じた。今でいう“クール”という概念に近い。

それが私の小学校4年のときだから、おそらく生れて初めて、
“ハマった現役作家”だったろう。星新一を知るのはその後に
なる。もちろん、『楡家の人びと』などはまだ難しすぎて、
『どくとるマンボウ』シリーズが主であった。
品のあるユーモアエッセイの、戦後における最高峰で、たとえ対象
が下品なものでも、それを見事に格調あるものに転換させてしまう。
『昆虫記』にあった、毛じらみにたかられた時の経験を擬古文調に
綴った戯文など、なんべんもなんべんも読み返して、暗記してしまった
ほどだった。

そういう、自分を茶化し、偉大な父を他人のように扱い、
自らの躁鬱病すらも滑稽化して描写するといった心理が、多分に
屈折し、自己韜晦した人間不信の産物であると知ったのは
20代に足をつっこみかけた頃になってやっと、であった。
思えばあんな楽しい童話風ナンセンス『さびしい王様』だって、
その裏側に恐ろしいまでの人間不信、人生に対する懐疑が隠されて
いた、実は暗い、恐ろしい話であった。

とはいえ、北杜夫の作品が陰湿でなく、またドライすぎもしない
のは、その記憶にある風景が美しいからだろう。
おそらく、神経が繊細すぎるほど繊細で、傷つき易い心を抱え、
そして頭のよかった宗吉(本名)少年は、カメラのような記憶力を
もって、周囲の光景や人々の言動を、その脳内に刻んでいったのだろう。
『楡家の人びと』も、その原型は、作者が自ら体験し記憶した父・茂吉の
青山脳病院時代のエピソードが元になっているし、プルーストの『失われた
時を求めて』の北杜夫版とも言うべき『幽霊』(だから作者は、『失われた~』
を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に急いでこの作品を
書いたという)
は、その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入れば
すぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工
のような佳品であり、私個人としては『楡家の~』よりこちらを推す。

北杜夫は1927年(昭和2年)生れで、太平洋戦争が始まったとき、
14歳だった。その後いかに辛酸を嘗めようと、いい生れの家の子の
特権で、美しい少年時代の想い出を山のように持っていただろう。
わずか3歳の年齢差の野坂昭如の少年時代の記憶が悲惨を極めて
『火垂るの墓』を産んだのと、対照的である。野坂や、昭和9年
生れの筒井康隆に比べると、年代こそそんな差はないにも関わらず、
北杜夫にはあきらかに戦前の、古き良き教養と気品、いう基盤がその
文章に備わっていた。そして、その中心に位置する父親像との葛藤が、
彼の文学に一種の複雑さを与えている。兄で同じく精神科医であった
斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の性器にコンプレックスを抱いて
いたなどと分析しているのを見ても、この兄弟にとり、偉大すぎる
父をまず否定しないことには、自分のアイデンティティが確立でき
ないという、大きな枷があったことを見てとれる。それが知性から
くるユーモアにくるまれているところに、北杜夫文学特有の苦い笑い
があったのだと思う。平成になってから刊行された『斎藤茂吉伝』は、
長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文だったのかも
しれない。

小学生時代の私の北杜夫耽溺はかなりのもので、小学校のとき、全国
読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったときの感想文が
北杜夫の『高みの見物』のものだった。そのときの講評に
「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
と書かれたのが、非常にうれしかったのを記憶しているほどである。
そのくせ、会ってみようとか、講演を聞きに行こうとかという気には
ならなかったのは、この人がこの人であるのは、その生まれた家と
時代の文化の恩恵があったからであり、いくらあこがれても同じ
レベルにはなれない、ということを本能的に知っていたからだろう。


×『斎藤茂吉伝』 ○茂吉の人生を描いた4部作の評伝

2ちゃんねるのスレ (Read More 参照) では、「『北杜夫 高みの見物』でググったら検索
結果の上位に一行知識さんの旧ブログが出てきた。 そんなに想い出深いなら、なぜ書名
を誤って覚えていたのだろう?」 と書き込まれていたが、それについてはこれ↓を参照。

「もしかして:北杜夫 高みの見物」

で、「ゴキブリを主人公にした、たぶん世界で最初の小説」かどうかはわからないが、この
『高みの見物』 (「高見の見物」ではない) がゴキブリを主人公にしているのは確かで、
唐沢俊一はゴキブリを雑学ネタに使うことが多い。必然的にガセネタも多数。

cock ってそんなに避けたい言葉かなあ
「車にゆられて」とも言うそうな
極楽トンボならぬゴキブリトンボがいた
久しぶりのゴキブリ
北海道にはゴキブリがいない説についても少し気になったり
ネタがゴキブリなだけに気分がうあああああああああ
卵鞘のフライだとしたら、「ぽりぽり食う」というのは、ちょっとアレかも
ゴキブリは食器に閉じ込められるんじゃなくて、かぶりつくということで
コピーが得意か不得意かわからないとな、の唐沢俊一先生
エサにするのさフナムシを
そんなゴキブリレストラン、いろんなゴキがもがいてる
蜚蠊、蜚蝱、蜚鴻、そして蜚語

ついでに、今回の文章にちらっと登場している「プルーストの『失われた時を求めて』」に
ついては、これ↓

失われた時を求めての「翻訳」
失われた時を求めて

ついでのついでに、「擬古文」については、こういうもの↓も。以下のリンクでの引用では、
同じ (?) 「擬古文」が相手でも、「高校時代の古文の時間を思い出す」とか、「戦後教育し
か受けていない身にはこの擬古文は意味を追うだけでせいいっぱい」とか、今回とは設定
のブレみたいなものが気になるが、おいといて。

擬古文といわれるとなぜかギコハハハを思い出す

いや、どうして長々とガセネタを列挙しているかというと、唐沢俊一のいう「小学生時代の
私の北杜夫耽溺はかなりのもの」は本当で、それが唐沢俊一の雑学ネタの選択に反映
していると考えるべきか、今回の北杜夫の訃報にあたって唐沢俊一の書いた文章が、
雑学関係で集めた材料を並べなおしてみただけのものか、判断に迷っているため。まあ、
判断を下す必要があるかどうかは別にして。


唐沢俊一によると、北杜夫の作品は、「屈折し、自己韜晦した人間不信の産物」であり、
『さびしい王様』などにも「恐ろしいまでの人間不信、人生に対する懐疑が隠されていた」
ということになる。

これで思い出したのは、唐沢俊一の裏の目コラム『星新一追悼』 (ここここも参照) の
「一見明解な作品の底に、すさまじいまでの人間不信が隠されている、苦い大人の小説」
や、唐沢俊一が以前に掲示板に書き込んだ (ここここを参照)、「韜晦趣味、という言葉
をご存知でしょうか。〈略〉星新一さんは自己の年表にも空白の部分を残して」とかいう
記述たち。何だか使い回しのようにも思えた。

Wikipedia の北杜夫の項にも、彼と星新一は「共通点が多い」という記述はあるし、両者は
印象として似ている部分も多いとは思うのだが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
>・星新一
>  SF作家。日本のSFのパイオニアの一人。星が1歳年長だが、共に東北生まれで洋
>  行帰りの有名人を父に(中年以降にできた子供で、20代半ばで死別しているところ
>  も同じ)、東京の名家出身の女性を母に持ち、山の手で生まれ育って理系の帝大を
>  卒業後に研究生活を送るなど、共通点が多いこともあり、特に親しかった。酒好きの
>  星の珍妙な行動については北の随筆が詳しい。


明快で平易な文章、ユーモアにくるまれた文章の底には実は――という評はありだとは
思うが、個人的には、「屈折し、自己韜晦した人間不信」、「恐ろしいまでの人間不信」
とまで書いてしまうのは、どうかなあと思う。「神経が繊細」で止めておかないで「神経が
繊細すぎるほど繊細で、傷つき易い心」も北杜夫ってそういう作家だっけと思ってしまうし、
これは自分が無知なだけかもしれないが、「カメラのような記憶力」という話も聞いたこと
がないし……。

http://twitter.com/#!/AkagiKeiji/status/129423331056287744
>医者で、作家の北杜夫さんが亡くなられた。北さんは、生前常々「執念深い蛇の様な
>粘液質を、爬虫類のごとき冷酷な意志を」持ちたいと言っていた。私にも、もしこの性格
>が備わっていたら、大人物に成っていただろう。残念ながら、北さんにも、私にも全く無
>縁のモノであつた。


なお、「だから作者は、『失われた~』を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に
急いでこの作品を書いたという」の真偽も不明。自分は、以下のブログのコメント欄への
書き込みくらいしか見つけられなかった。

http://blog.goo.ne.jp/qwer0987/e/c4b852526a8da40d9d445c7c6125feac
>幽霊 (庶民)
>2009-04-02 22:34:39
>北さんは、当時、プルーストの「失われた時を求めて」を読む前に、「幽霊」を書いたそう
>です。もし、読んでしまったら、書けないかも知れないと思ったそうです。


で、「その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入ればすぐ砕けて散って
しまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工のような佳品」というのは、好意的に
解釈すれば、以下のようなことをいいたかったのだと思われる。「カメラのような記憶力」
は、どこにいった――というのをおいておけば、だが。

http://blogs.yahoo.co.jp/rtpcrrtpcr/38142149.html
>自伝的記憶は心の神話であるという記述から、北杜夫の「幽霊」を思い出してしまいま
>した。高校生の頃に繰り返し読んでいた本。冒頭の一節は暗記しています・・・・あらら、
>だいぶ忘れています。


2ちゃんねるのスレには「唐沢の言動を検証している人たちへの当てつけですかね」とか
書き込まれたりしているけど。

そういえば、今回の唐沢俊一の文章は、「滑稽化して描写するといった心理が、多分に
屈折し、自己韜晦した人間不信の産物」だの、「神経が繊細すぎるほど繊細で、傷つき
易い心を抱え、そして頭のよかった」だの、「いい生れの家の子の特権で、美しい少年時
代の想い出を山のように持っていた」だの、「記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という
作業が入ればすぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工」だの、
ポエム度高めに唐沢俊一のなりたかった姿、他人からそうと見られたかった姿をだらだら
紹介されているような気さえしてくる。そんなことをあんまり考えると精神衛生上悪いの
で、気のせいということにしようとは思うのだが。


その他参考URL:
- http://togetter.com/li/205946
- http://blog.livedoor.jp/headline2ch/archives/53087510.html
- http://logsoku.com/thread/book.2ch.net/book/1011515428/
- http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/406.html
- http://www11.ocn.ne.jp/~abe/yoru.html


さて、唐沢俊一も書いている通り、北杜夫は「日本歌壇の巨人・斎藤茂吉の息子である」
し、その「父への複雑な感情」については、以下に引用する訃報記事でも取りあげられて
いる話ではある。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/10/26/kiji/K20111026001895860.html
>北杜夫さん死去…父への複雑な感情が文学に

> 「どくとるマンボウ」の愛称で親しまれてきた北杜夫さんの文学の原点にあったのは、
>父の斎藤茂吉への複雑な感情だった。
> アララギ派を代表する歌人の茂吉は、ささいなことで激怒する。北さんはそんな父を
>恐れていたが、1945年に空襲で東京の生家が焼け、しばらく親類の家に世話になっ
>ていたとき、茂吉の歌集「寒雲」をひもとき、強く引き寄せられた。
> さらに長野県の旧制松本高校に入学すると、茂吉の初期歌集「赤光」と「あらたま」か
>らの自選歌集「朝の蛍」を読んで心酔し、創作活動へ向かう出発点になった。「私は理
>科少年で文学の本はほとんど読まなかったが、それからは父を崇拝するようになった」
>と晩年語っている。
> やがてトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」などの影響を受け小説を書き
>始めるが、北さんに文学への目を開かせたのは茂吉の歌だったのだ。
> 自身の一族をモデルに描いた大河小説「楡家の人びと」は、昭和文壇の記念碑的作
>品に。また自らの体験も踏まえて父茂吉の歌と生涯を描いた評伝4部作は、父への思
>いを、時を隔てて客観的な目で見つめ直す試みだった。
>[ 2011年10月26日 10:15 ]


http://sankei.jp.msn.com/life/news/111026/art11102613280007-n1.htm
>重厚な純文学と、ユーモア作品が同居  2011.10.26 13:26
〈略〉
> アララギ派の歌人で精神科医という偉大な父、斎藤茂吉を持ったことが重圧になった
>と明かしたこともある。東北大医学部在学中に、独作家、トーマス・マンの「ブッデンブ
>ローク家の人びと」などの影響を受け、小説を書き始めるが、北さんを文学に向かわせ
>たのも、「赤(しゃっ)光(こう)」など父、茂吉の歌集に強く触発されたからだ。平成5年、
>医局時代の体験をまとめたエッセーに触れ、「父に強制されていやいやながら医学の
>道に進んだのですが、精神科を選んだのは自らの意志によるものでした。それは精神
>医学が人間の心を探るという点において文学と通じるものがあると考えたからです」と
>話している。父親への複雑な思いは、茂吉の人生を描いた4部作の評伝で、平成10
>年に大佛次郎賞を受賞するという形で結実した。


http://www.asahi.com/obituaries/update/1026/TKY201110260123.html
>作家の北杜夫さん死去 「どくとるマンボウ」シリーズ
〈略〉
> 64年、脳病院を築いた祖父らをモデルに一家3代の興亡を活写した長編小説「楡家
>の人びと」(毎日出版文化賞)を刊行、三島由紀夫に「戦後に書かれたもっとも重要な
>小説の一つ」と絶賛される。


しかし、唐沢俊一の書いている「大きなコンプレックス」だの、「平成になってから刊行され
た『斎藤茂吉伝』は、 長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文」だのは言い
過ぎな気がする。というか、その「コンプレックス」の現れとして、「父のことを徹底して第三
者的に『茂吉は』と書く、というスタイル」とかいうのは、あまり説得力がないような……。

唐沢俊一にすれば、「偉大な父を他人のように扱い」ということになるようだが、教科書に
載るような人物であるし、上に引用したような新聞記事でも「茂吉は」と表記されるしで、
息子であっても「茂吉は」としか書きようがなかったり、書きにくかったりではなかったかと
想像されるため。こんな文脈で「茂吉は」はないだろうというケースを、唐沢俊一が紹介
してくれていたら、話は違っていたと思うけど。

また、「偉大すぎる父をまず否定しないことには、自分のアイデンティティが確立できない
という、大きな枷」などとかましている割には、そのようなことが見て取れるのだと紹介して
いるエピソードが、「兄で同じく精神科医であった斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の性
器にコンプレックスを抱いていたなどと分析している」でしかなかったりするし……。

そもそも唐沢俊一は「葛藤のあった人」と「葛藤」にのみ言及し、「平成になってから刊行
された『斎藤茂吉伝』は、長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文」と書いて
いるが、下の引用でいう「父と息子の葛藤と和解」を描いた『どくとるマンボウ青春記』は
1968 年。

http://www.alumni.tohoku-university.jp/2010/nov/hitogoroku.html
> 北の『どくとるマンボウ青春記』は、精神科医で文学者父茂吉への畏敬と自立の物語
>とも読めます。昆虫好きで動物学者に憧れた北に、「おっかない父」茂吉は医学部進学
>を厳命、泣く泣く志望転向。東京から離れ、父茂吉に内緒で詩や小説を書くにも好都合
>と東北大学を受験しました。
> これらの経緯が、若者特有の自意識と懊悩の叙情性を秘め、マンボウ流に愉快に楽
>しく表現。同書は、小説家北の出発点が分り、父と息子の葛藤と和解という普遍のテー
>マをも描く好著です。


この『どくとるマンボウ青春記』の発表は、兄の斎藤茂太との対談 (1976 年) と比べても
8 年も前のこと、ともいえるわけで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
>・大佛次郎賞 『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』の茂吉評伝4部作に対し。
〈略〉
>・どくとるマンボウ青春記(旧制松本高等学校学生時代の随筆)中央公論社、1968 
>文庫
〈略〉
>・この父にして 斎藤茂太対談 毎日新聞社 1976 講談社文庫


で、上に引用の Wikipedia では「茂吉評伝4部作」、報道では「父茂吉の歌と生涯を描い
た評伝4部作」、「茂吉の人生を描いた4部作の評伝」となっている大佛次郎賞の評伝
は、唐沢俊一の書いているように『斎藤茂吉伝』という題はついていない。『斎藤茂吉伝』
というのは、別の著者の書いた本の題名に使用されているのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/斎藤茂吉
>伝記文献
>・斎藤茂太 「茂吉の体臭」 岩波書店、岩波現代文庫で再刊、平成12年
>・柴生田稔 「斎藤茂吉伝」、「続斎藤茂吉伝」 新潮社 昭和56年


http://www.amazon.co.jp/dp/4806045667
>年譜 斎藤茂吉伝 [-]
>藤岡 武雄 (著)


自分は未読なので、あまりいえないけど、唐沢俊一は本当に北杜夫の評伝 4 部作を
読んだ上で、「卒業論文」などと書いたのだろうか。

だいたい「唐沢俊一 北杜夫」でググった結果のトップは、このエントリーの Read More
引用している2ちゃんねるのスレで、その次が、うちのブログの「もしかして:北杜夫 高み
の見物
」。3 番目に唐沢俊一のこの「葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】」がきて、さらに
その次が「藤岡真blog」の「唐沢俊一『トーマス・マン』を語る」という状況で。

あれ、どこかで北杜夫に言及していなかったっけ――と、今度は「唐沢俊一 裏モノ日記 
北杜夫」でググったら、「北杜夫が学生時代、先輩たちが嬉々として語り合っている中国
の凄いエロ小説というのを手に入れ、どんな凄い描写があるのかと ドキドキしながら読ん
だら、詩の交換ばかりしていて全然そんな 描写がないのでがっかりした、というような内
容のエッセイを書いていたが」というのは見つかった (ここを参照)。

後は、http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/books/1305049695/ でも引用
されていた、これ↓とか。

http://www.tobunken.com/diary/diary20080828122901.html

「弟がいてね、マンガ家になっているんだが、これと昔、共同で
マンガをノートに描いていた。一人が描いて、飽きるともう一人が
描き継いで、という形で。将来は兄弟で藤子不二雄みたいな
コンビマンガ家になろう、と思っていた。で、最初はこっちの方が
明らかに 絵がうまいんでリーダーシップが取れていたんだが、
小学5年生くらいになると、それが逆転してくるんだな。
仲間うちなら嫉妬をバネにこっちもうまくなろうと練習するんだろうが、
弟相手だと嫉妬もできない。次第にこっちは、キャラクター設定とか
ストーリー設定とかに回るようになっていった。
で、しまいにマンガ家になるのはあきらめて、文字だけの
仕事になろう、と方針転換したんだよ」
「じゃ、ザセツなんですか」
「ザセツだねえ」

実際には、この時期に北杜夫のどくとるマンボウシリーズに
出会ったこともあって、エッセイの面白さに目覚めたという
ことが最も大きいのだが、小学生に北杜夫といってもわか
らない。「星新一なら知ってる?」と訊いたが知らないそうだ。


今回、唐沢俊一は「それが私の小学校4年のときだからおそらく生れて初めて、“ハマっ
た現役作家”だったろう。星新一を知るのはその後になる」と書いているが、上の裏モノ
日記を読むと「小学5年生」のときに北杜夫に出会ったようにも読める。まあ、いいか。

とにかく、耽溺していたと書いている割には、唐沢俊一は星新一を語るときほどの熱心さ
を、北杜夫に対しては向けていないなあという感じ。


んで、2ちゃんねるのスレでは、「普通、佳作の下ぐらいの感想文に寸評なんか付かない
ぞ」とか、「『全国読書感想コンクール』の『校内選考』で佳作の下になったんだよ。』とか、
「それはそうと、『佳作の下』ってそもそも何だろう」「そりゃ『佳作より下』ということだから
選外だということでしょうw」に「選外(選外佳作)、という言葉を知らなかったとか?」とか、
いろいろ突っ込まれていた「読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったとき」に
ついて。

個人的には、どのコンクールにしても、「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
なんてことを講評に書くものかなあ……と思った。唐沢俊一が「と書かれたのが、非常に
うれしかったのを記憶しているほどである」といっているので驚いたけど、「かなり作者に
酔っています」というのは、小学生の読書感想文に対する評らしくないと思うし、褒め言葉
にも聞こえなくて、むしろ自分がそういわれたら傷つきそうだと思うのだけど……。

まあ、実際はどんな感じなんだろうと、「青少年読者感想文全国コンクール」や、全国学芸
科学コンクール
(読書感想文部門あり) を見たら、前者は講評なしで、後者も総評のみで
個々の感想文についての評はないようだった。ちなみに両方とも「佳作」という賞はない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/読書感想文
>読書感想文の作成指導においては単なる読後「感想」の記述にとどまらず自己の経験
>等を交え自分の「意見」を記述することが求められることも多い。そのため、客観的な文
>章の作成はあまり重視されず主観的な文章の作成が奨励される。さらに、道徳的な感
>想には高い評価が与えられやすい。例えば、課題図書の内容について「あまり面白く
>ない」「陳腐なストーリーである」「興味が湧かない」などの否定的な感想や客観的な分
>析などは悪い評価を受けやすく、「興味深く面白い」「とても共感した」「これまでの考え
>を反省した」などの肯定的、主観的または道徳的な意見・感想は良い評価を受けやす
>い。このような読書感想文の評価基準は青少年読書感想文全国コンクールにおいて好
>成績を収めた読書感想文からも読み取れる。


それにしても、「青少年読者感想文全国コンクール」の方の、「入賞作品紹介」を読んで
みて少し驚いたのは、ここで求められる優秀な読書感想文とは、自分語りエッセイ的な
要素をしっかりいれているもののようであったこと。これではまるで、唐沢俊一が朝日の
書評欄に書いていた文章みたいなもので、もしかしたら唐沢俊一はこの時期、「読者感想
文全国コンクール」で優秀だと評価されるタイプの文章を目指して書いたのかも――と
妄想してみたり。


おまけ:
http://www.dokusyokansoubun.jp/q_and_a.html
>Q:読んだ本の本文や解説などを引用してもいいですか。
> 読書感想文は、本を読んでの自分の思いや心の動きを中心に書くものですから、で
>きるだけ自分のことばを使って書くようにしましょう。確かに解説やあとがきなどは、本
>の世界をより深く理解するために参考になることがあります。ですから、場合によっては
>引用する必要が出てくるかもしれません。そのときは、どうしても必要な部分だけを引
>用することにして、必ず「 」(カギかっこ)でくくりましょう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/読書感想文
>googleなどで「読書感想文」を検索すると著作権フリーでコピペを許可している読書感
>想文の文例がダウンロードできるサイトが上位に表示されるのが現状である[3][4]


文例がダウンロードできるサイト:
- http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/
- http://www2k.biglobe.ne.jp/~onda/debu.html




More...


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1318725494/
-------
830 :無名草子さん:2011/10/26(水) 17:24:51.27
どんなにバカやろうが、金があるもんな>藤岡。
テンテーがどんなに逆立ちしても無理。

北杜夫はまだ追討されてないようで良かった。
今日中に追討でたら脚本出来てないのに遊んでるのがバレるとかな。

847 :無名草子さん:2011/10/26(水) 23:48:22.68
>>830
2ちゃん雀に挑発されたとでも言い出す気なのかな?
>ニュース
>最新のニュースを2011年10月26日(22:26)にアップしました。
で、
http://www.tobunken.com/news/news20111026222655.html
>2011年10月26日投稿.
>葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】

848 :無名草子さん:2011/10/26(水) 23:55:05.95
>そういう、自分を茶化し、偉大な父を他人のように扱い、
>自らの躁鬱病すらも滑稽化して描写するといった心理が、多分に
>屈折し、自己韜晦した人間不信の産物であると知ったのは
>20代に足をつっこみかけた頃になってやっと、であった。

>プルーストの『失われた時を求めて』の北杜夫版とも言うべき『幽霊』(中略)
>は、その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入れば
>すぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工
>のような佳品であり、私個人としては『楡家の~』よりこちらを推す。

「自己韜晦」「事実の検証が入ればすぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさ」
……唐沢の言動を検証している人たちへの当てつけですかね。

849 :無名草子さん:2011/10/26(水) 23:58:41.83
>>848
ざまぁw

850 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:01:32.17
>北杜夫は1927年(昭和2年)生れで、太平洋戦争が始まったとき、
>14歳だった。その後いかに辛酸を嘗めようと、いい生れの家の子の
>特権で、美しい少年時代の想い出を山のように持っていただろう。

「いいとこのボンボンは幼少期は幸せだったはずだ」を美化して言ってるだけで、
話の中身はいかにも陳腐で具体的でない。

>平成になってから刊行された『斎藤茂吉伝』は、
>長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文だったのかも
>しれない。
検証ブログの※欄に伊藤さんが書き込んだ、「唐沢はいつ『学校』から卒業できるのでしょうか?」
を遠回しに当てこすってるのかなと。

851 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:08:10.48
>>849
唐沢の発言が「間違いなく当てつけであると明言できる」とは書いてないので、
なんでそんなに勝ち誇れるのか不思議なんだけどね。

そもそも、もし「当てつけである」と断言して良いなら、むしろ唐沢にとって
不利な話(唐沢ざまぁw検証班や2ちゃん雀を意識してやがんの)になるんだけど。


852 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:12:05.87
>>851
日本語の乱れに、本人の興奮度合いが見て取れる。

853 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:22:11.90
唐沢俊一という慧眼の持ち主は、小学生のとき既に斎藤茂吉の凄さを理解していたんだなあ。さすがだ。

854 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:22:21.04
>兄で同じく精神科医であった斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の
>性器にコンプレックスを抱いていたなどと分析しているのを見ても、
>この兄弟にとり、偉大すぎる父をまず否定しないことには、自分の
>アイデンティティが確立できないという、大きな枷があったことを
>見てとれる。

父親を患者に見立てて、医師となった兄弟二人が精神分析を行なってるだけでしょ。
茂吉の子供達のアイデンティティの確立っていうほど大袈裟な話かね。

二人が「父親殺し」を行なったのがその手のエピソードだったと言うなら、
「俺たちの方が親父よりペニスがデカイぜ」とかではないとおかしいし。

息子たちがアイデンティティを確立するのに親父のペニスの悩みをとりあげた、
なんて話を書いてるってことは、唐沢にとっては短小包茎とかハゲとか、
そういう身体的「コンプレックス」が人生や世界の大問題だってことなのか?

855 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:30:47.36
君の難癖の方が意味不明

856 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:31:06.83
>いい生れの家の子の特権で、美しい少年時代の想い出を山のように持っていただろう。
というテンテーの説に対して、ウィキペディアは簡単にこう触れている。

>少年時代は昆虫採集に深く熱中する日々を送り、文学には興味を抱かなかった。

手塚治虫も子供時代は昆虫少年だったというよね。

>北氏には比べられないが、私の少年時代が幸福なものであったと
>したなら、それは北杜夫の文章に耽溺していたから、と言えることは
>確かであろう。

褒め言葉じゃないよなあ。

「昆虫採集に熱中して文学には無関心だった」北杜夫の少年時代に比べて、
「北杜夫の文学に耽溺していた」テンテーの少年時代は幸せではなかった、て。

それにしてもテンテーの描いている「坊ちゃん育ちだったんだから絶対に
幸せだったはずの北杜夫の少年時代」って具体的にどういうイメージなんだろ?

857 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:51:15.90
>小学生時代の私の北杜夫耽溺はかなりのもので、小学校のとき、全国
>読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったときの感想文が
>北杜夫の『高みの見物』のものだった。そのときの講評に
>「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
>と書かれたのが、非常にうれしかったのを記憶しているほどである。

ウィキペディアによると
>高みの見物 新潮社、1965

http://tc5810.fc2web.com/yomimonoka.htm#北 杜夫の3冊
>高みの見物は、昭和39年4月から10月にかけて、地方新聞4紙に連載された新聞小説です。
>北杜夫が書いた最初の新聞小説で、彼自身は失敗作と認めている作品ですが、そんなに
>悪くない。ゴキブリを主人公にしてまわりの世界の様子を語らせる、という設定は、
>漱石の「吾輩は猫である」のパロディのようですが、北杜夫自身は、そんな事を考えて
>書いたわけではないと言っています。

元々は1964年の連載小説で、翌年に単行本化、だから唐沢が小学生の時に読んでいても
おかしくはないとは言えるんだけど、何だか「小学生のころはホント早熟な神童でした」を
アピールしたくてこんな話を書いてるのかと疑いたくなってしまった。

ユーモア小説を読んで感化されたからって、ユーモア小説風の感想を書くものなのかというのも
さることながら、それが付き返されるとか顰蹙を買うではないというのも何だか。
こういう「美しい幸福」を経験していれば、唐沢はもっと学校が好きになってたんじゃないかと。

858 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:53:43.74
「北杜夫 高みの見物」でググったら検索結果の上位に一行知識さんの旧ブログが出てきた。

そんなに想い出深いなら、なぜ書名を誤って覚えていたのだろう?

859 :無名草子さん:2011/10/27(木) 00:58:21.30
どくとるマンボウシリーズとかあったから小学生が読んでもそんなにおかしくないだろう。
早熟アピールというのも穿ちすぎ。
なんか検証班のケチ付けみたいだな。外し方が。

860 :無名草子さん:2011/10/27(木) 01:03:07.89
>>853
室長乙

861 :無名草子さん:2011/10/27(木) 01:04:13.73
>会ってみようとか、講演を聞きに行こうとかという気には
>ならなかったのは、この人がこの人であるのは、その生まれた家と
>時代の文化の恩恵があったからであり、いくらあこがれても同じ
>レベルにはなれない、ということを本能的に知っていたからだろう。

「本能的に知る」はこういう風に使うかという疑問が。
「本能的に」というにはあまりにも理屈を捏ねていないか。

それに、憧れの人に直接会ったり生で見学しようとしたりするのは、
相手と同じレベルになるためではない。そもそも、会ったり見たりしただけで
相手と同じレベルになるという発想自体が変。

さらに言うなら、テンテーがあぁルナやと学会と付き合っているのは、向学心
とか向上心とかが問われることのない、自分の身の丈に合った相手だと見做してる
からだということもこれで分かる。

863 :無名草子さん:2011/10/27(木) 01:18:43.20
>この兄弟にとり、偉大すぎる父をまず否定しないことには、
>自分のアイデンティティが確立できないという、大きな枷が
>あったことを見てとれる。

というか、北杜夫は医業のかたわら作家・エッセイストとして活動してる。
兄さんの斎藤茂太もエッセイストの顔を持つ。

父と同じく医者にして文学者という二足の草鞋を履くにしても、
詩歌でも韻文でもなく散文を選び、ユーモラスな表現を得意とした、
というところを見ても、少なくとも北杜夫は、
自分の個性もアイデンティティも分かっていたはず。

865 :無名草子さん:2011/10/27(木) 01:26:56.63
それにしても、テンテーってヲタ第一世代を名乗っているなら、なぜ北杜夫の追悼に
この話を書かないんだろう?
手塚治虫が嫌いだから??
http://tezukaosamu.net/jp/anime/3.html
こっちの方が、小学生としては普通の記憶の筈なんだけどなあ。

866 :無名草子さん:2011/10/27(木) 02:11:55.02
>野坂や、昭和9年生れの筒井康隆に比べると、年代こそそんな差はないにも関わらず

10代で3年差と言えばむちゃくちゃ違うだろ。
北杜夫本人も書いていたが、終戦直後に自分で食い物の工面ができる旧制高校生だった北杜夫と
そんなことのできない年代の筒井、野坂とはえらく違う

まあ唐沢先生はいろいろと時空を要越してるので、そういう世間の常識にはとらわれないのかも

>>865
それ北杜夫もエッセイで書いてるよね。
手塚がぽんぽん機関銃のようにアイディアを出したがほとんどボツにされ、北杜夫のは
なぜか船の上で暮らしてるというペットのイルカだけ採用されたとか

873 :無名草子さん:2011/10/27(木) 11:19:39.86
>>857
ずいぶんと丁寧な全国読書感想文コンクールだな。
普通、佳作の下ぐらいの感想文に寸評なんか付かないぞ。

76 :無名草子さん:2011/10/27(木) 11:47:44.55
>>873
ユーマンが言っていた「北芝健はウソは付かないが、話は盛る」っていうのは、唐沢にも若干当てはまる。
たぶん、唐沢は本当の事を言っている時も盛るんだと。だから、細かく検証すると全部ウソという話になる。

佳作の下に細かい選評が出るのなら、全国では無く、校内やクラス内の小さなコンテストで、指導目的だっ
たからじゃないの?みんなの絵日記に先生が感想を付けるみたいな感じ。

そこで、コンテストの規模が小さいと言うと気恥ずかしいから、ちょっと盛ったんじゃないかな?選評が本当
にあったとしたら、全国の読書感想コンクールなんてそんなに無いし、調べれば判ると思うけど。

877 :無名草子さん:2011/10/27(木) 14:52:38.26
「全国読書感想コンクール」の「校内選考」で佳作の下になったんだよ。

878 :無名草子さん:2011/10/27(木) 14:56:37.22
アンチって学生の頃から作文がヘタだった売れないライターが多いのかな?

879 :無名草子さん:2011/10/27(木) 15:45:18.20
>>878
え? 何言ってんのお前?
どう見ても「作文がヘタ」な「唐沢」って流れだけど。

885 :唐沢俊一:2011/10/27(木) 19:05:22.91
皆さん、唐沢でございます。

このスレッドの主役は、この唐沢俊一でございます。

どうか、この私めをお忘れなく。

唐沢俊一でございます。

886 :無名草子さん:2011/10/27(木) 19:27:44.81
アンチって君は、本当に日本文が理解出来ないなぁ…

唐沢の当時の作文能力の話題なんてしてないし、どうでもいいんだよ。

>>877の書いているように
>「全国読書感想コンクール」の「校内選考」で佳作の下になった

なら、単に「読書感想文のコンクールで佳作の下になった」と書けばいいのに。

あえて細かく書くなら、>>877のように書くべきだし。端折って書いて、自分を大
きく見せようとするのは、本当にみっともない。



887 :無名草子さん:2011/10/27(木) 19:32:09.97
だって佳作の下だよ。もう、何の見栄だったか判らないくらいじゃん(笑)。

無意識のレベルで盛ってしまう唐沢は本当に面白いよ。

888 :無名草子さん:2011/10/27(木) 20:26:25.43
校内選考ではそういう評価だが、それより他の、例えば家庭内選考で
あれば、ぶっちぎりの努力賞だと言いたいのだろう。

889 :無名草子さん:2011/10/27(木) 20:30:09.77
とりから往復書簡で、
小学生のなをきの絵が賞取って新聞に載ったという話が
ウラヤマシクテウラヤマシクテ

890 :唐沢俊一:2011/10/27(木) 21:16:45.72
皆さん、唐沢でございます。

このスレッドの本当の主役は、
スレタイ通りこの唐沢俊一でございます。

何とぞ、何とぞ、この私めをお忘れなく。

唐沢です。唐沢俊一でございます。

893 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:12:01.58
>>883
健常者が一番偉いんであると言いたげなその台詞が思い返すほどの名言とは
思えないなあ


それはそうと、「佳作の下」ってそもそも何だろう
校内選考でもも少し上の時でもいいんだけど、普通クラス順なり五十音順なりで
並べて、上も下もないしいちいち意識もしなくない?
大体佳作クラスで優劣ってあってないようなものだし

ただの謙遜ぶった表現にしても、「佳作に引っ掛かった」とか言い様がある気が


894 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:21:24.14
>>893
>それはそうと、「佳作の下」ってそもそも何だろう

そりゃ「佳作より下」ということだから選外だということでしょうw

895 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:22:02.16
>>893
選外(選外佳作)、という言葉を知らなかったとか?

896 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:24:23.14
ヘルマン・ヘッセは「車輪の下」。

カラタワテンテイは「佳作の下」。


897 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:26:41.05
【盛ったのに】盗作屋・唐沢俊一199【佳作の下】

898 :無名草子さん:2011/10/27(木) 23:31:33.75
佳作になったけどパクリがバレて取り消しになった=佳作の下

899 :無名草子さん:2011/10/28(金) 00:00:34.96
どうしてアンチって唐沢に嫉妬ばかりしている売れないライターばっかりなのだろうか?

900 :無名草子さん:2011/10/28(金) 00:09:16.03
檀  一雄は「火宅の人」
唐沢俊一は「佳作の下」

953 :無名草子さん:2011/10/29(土) 10:36:42.14
誰も褒めてくれないので自分で褒めるしかないんだろう。
日記で延々と自分が凄かったという話を書き続けるのって悲しくならないのかな?
小学生の頃私は~
街で私を見た人が~
凄かった、褒められた、とかバッカなのなw

でも、小学校の時の自慢が
>小学校のとき、全国読書感想文コンクールで、佳作の下、くらい
だから、後からチェックする事が出来ないレベルの話。
「佳作の下」でも笑うけど、さらに「くらい」って、
どんだけふわっふわな過去の自慢だよ。

無冠の帝王っつーかw
唐沢俊一のデビュー前って、
どこぞで賞を取ったとか
どこぞのイベントが大成功したとか、
マジにちゃんとチェック出来るものが一つもないんだよね。
ぴあの投稿嵐(現物あり)と、
イッセーの前説事件(中野翠のエッセイ)、ぐらいしか。
それも褒められたり、自慢出来る内容じゃない。

唐沢の自慢って自分語りの中にしか存在していないんだよね。
しかも語るたびにそれがフラフラ変化する。
何かで金賞を取って、それが雑誌に載ったとか一切無いんだよなぁ

-------

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Comment

>横さん

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-269.html#comment753
でコメントしてくださったのですよね。あのときは、ありがとうございました。
今回も、ありがとうございます。(_ _)(_ _)

>執筆時にプルーストを読むのを避けていたことは事実のようですが、“急いでこの
>作品を書いた”というのは不適切ではないでしょうか。

ううむ、唐沢俊一に好意的に補完するとしたら、「それを読みたいが」という記述が
あったので、「急いでこの作品を書いた」に変換してしまったということになるので
しょうか。

しかし、五来達訳の『失はれし時を索めて』が 1934~1935年で、『幽霊』が 1960年
ということを考えると、「急いでこの作品を書いた」は、やはり少々不適切ではないか
と思います。

http://tondemonai2.web.fc2.com/159.html


ところで、以前にいただいたコメントの方を読み直して、北杜夫の SF 指向は
Wikipedia にも書いてあることとして、もしかしたら三島のように円盤関係の団体にも
関与していたのかしら――と思ったり。

http://ja.wikipedia.org/wiki/北杜夫
>初期のSFの愛好者・擁護者であり自身もSF的作品を執筆。1968年・1969年には
>月計画さなかのNASAを訪問・取材。ただし、その取材を元に執筆した著書『月と
>10セント』は月計画の狂騒的な騒ぎを批判した書であった。
〈略〉
>・人工の星 潮出版社 1981 集英社文庫

『どくとるマンボウ航海記』には、以下のような記述も。ただ、円盤団体 (?) への
所属までは、わかりませんでした。

http://cyuunen-hyouryuu.at.webry.info/201110/article_11.html
> 私のいる医局では翌春教室主催の学会をやることになっており、果して許可し
>てくれるかどうか危ぶんでいたところ、教授は人間を見る目を持っている人で私の
>ことはすっかり諦めていたらしく、意外に簡単にオーケーとなった。なにしろ私はも
>う何年も医局にいるくせに論文一つ書こうとはしないのである。医局にいると大抵
>心理とか病理とかの研究室に配属され、いやでも共同研究か何か押しつけられて
>しまうものだが、私はそんなものを命じられぬよう、小部屋の一隅に『宇宙精神医
>学研究室』なる看板をかかげ、自らその主任と称し、そこに隠れて空とぶ円盤の
>書物なんぞばかり読んでいたのである。
トンデモない一行知識 |  2011年11月02日(水) 01:40 |  URL |  【コメント編集】

>とりとりさん

本文には書かなかったのですが、若い頃はハンサムでアイドル並の人気という
側面もあるのですよねえ。<北杜夫
それにしては唐沢俊一は今回、北杜夫を dis ってていない、しかもお医者さんと、
いろいろ条件は揃っているんじゃないかと思いました。^^;

>北杜夫さんに耽溺というなら・・・

文体は影響を受けているような気がしないのでもないと思ったりしています。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-168.html#commenttop
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-508.html#commenttop
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-723.html#more

いつものことですが、元ネタ候補の文章は、むしろ好感度高いものの方が多いの
ですが……。
トンデモない一行知識 |  2011年11月02日(水) 01:02 |  URL |  【コメント編集】

2年ほど前、三島氏関連のエントリーのコメント欄にお邪魔しました。

>なお、「だから作者は、『失われた~』を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に急いでこの作品を書いたという」の真偽も不明。

この点について、関連する可能性がある文章はこれだと思われます。

『マンボウおもちゃ箱』(昭和42年9月刊行)所収の『傲慢と韜晦』より、以下斜体部はそこからの引用です。

冒頭:"自作について解説ふうの文章を書くのは誰でも困惑するものであろうが、私は傲慢と韜晦の術を持ってその責を果たそうと思う。(付記。躁病時代の執筆である。)
(略)
私は視覚型の作家であるが、『幽霊』はその中で数少い音楽性をおびている。記憶のよみがえりというテーマは目新しいものではなく、当時私はフロイトはよんだが、プルーストはよまなかった。『失われし時を求めて』の新しい翻訳が出始めていて、それを読みたいがよむのがこわいという心境であった。結局、小説を書き終えるまで、よむことをしなかった。この作ははじめ第一章までの短編として出発したものである。それが次第にふくれあがり、長編となっていったものである。

執筆時にプルーストを読むのを避けていたことは事実のようですが、“急いでこの作品を書いた”というのは不適切ではないでしょうか。
横 |  2011年10月31日(月) 21:01 |  URL |  【コメント編集】

>ポエム度高めに唐沢俊一のなりたかった姿、他人からそうと見られたかった姿をだらだら紹介されているような気さえしてくる。
 そのとおりかも、自分もいい家の子だし。

 それにしても、北杜夫さんに耽溺というなら・・・もっと文章、作家としての姿勢等々もっともっとがんばりましょう、としか言いようがないです。
 上品さ、ユーモア、育ちの良さ等々が無いからなあ・・・唐沢俊一には

とりとり |  2011年10月31日(月) 20:10 |  URL |  【コメント編集】

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