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2011.09.20 (Tue)

唐沢俊一先生はチョンマゲでなくて帽子姿で落語をするという噂

http://www.tobunken.com/news/news20110912125038.html

イベント
2011年9月12日投稿
江戸にいた男 【訃報 柳家さん助】

三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時、出てくるのが楽しみだった
のがこのさん助師匠だった。
頭にちょんまげを乗せていて、もちろんカツラなどではない、ホンモノの
ちょんまげであった。出てくると、
「頭にピストルのようなものを乗っけておりますが……」
と話をはじめ、
「そそっかしい方は“ずいぶん目方のない関取だこと”とか思うようで」
などと笑わせていた。確かに、鶴のような痩身であった。

もっとも、ちょんまげを結うなどという小細工を認めていたわけではない。
学生で落語ファンなどというのは生意気な存在で、最初にそのちょんまげ
姿の高座を聞いたときには
「そんな外見でなく、芸で興味をひけ」
とか鑑賞ノートに感想を書いた(これだけで嫌なマニアである)りした。

しかし、そのうちそれが気にならないどころか、楽しみになってきたのは、
この師匠の口調や風貌が、いかにも落語に登場する長屋の住人、という
雰囲気をただよわせていたからで、ずっと後で立川談志家元にそのことを話したら、
「うん、江戸時代の長屋にいたのはああいう顔の男だ」
と、まるで見てきたかのような断言をしてくれたことがある。
寄席が楽しかったのは、芸の突出した人ばかりでなく、こういう、“雰囲気”で
楽しませてくれる芸人さんがたくさんいたからである。

美人の代名詞を山本富士子でずっと通していたり、アナクロさもあったが
そこが嬉しい高座であった。落語というものは(少なくとも寄席の落語という
ものは)進化しちゃダメだ、という私の持論はそこから生れた。
いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、
そこでギリギリ止まっていてくれないと、本質が変化しちゃうのだ。

http://megalodon.jp/2011-0919-2334-15/www.tobunken.com/news/news20110912125038.html

唐沢俊一も書いているように、「頭に丁髷を結っていた」という柳家さん助。

http://ja.wikipedia.org/wiki/柳家さん助
>柳家 さん助(本名:松本 光春、1926年8月6日 - 2011年9月9日)は、埼玉県大里郡寄
>居町出身の落語家。落語協会所属(協会相談役)。出囃子は『しゅんどう』。かつては
>頭に丁髷を結っていたことで知られている。2011年9月9日、肺炎のため死去[1]。85歳
>没。


「カツラなどではない、ホンモノのちょんまげであった」というのも本当らしく、チョンマゲを
揺っていた期間は、着物の襟の汚れ、頭頂部の剃り、そして洗髪と、経費も手間もかかり
何かと大変だったそうだ。本当は写真でも見てみたかったけど、残念ながら見つけること
はできなかった。

http://blog.goo.ne.jp/yanagiyakoenji/e/b8d4cfc078aeb2d4c3a24f3f94a6932d
>★昔、大先輩のさん助師匠がチョンマゲを結っていた時期があった。マゲを結う前、髪
>の毛をどんどん伸ばして由井正雪みたいになっちゃた、楽屋の噂では国家転覆を狙っ
>ているのではないか?と洒落た噂を流す人がいたが、な、なんとチョンマゲを結ってし
>まったのだ。これには驚きましたね\(>。<)/ギャ-

>さん助師匠そのものが面白い方だしその上にチョンマゲで、高座に上がると噺をする前
>から馬鹿うけで落語にならなかったことがあった。結局、現代の生活にはマゲは不向き
>だということでいつの間にかやめちゃった。元結という紙で頭を結う紙の管理が大変で
>代用で白いゴム紐で結っていた。お侍のマゲでも背面の襟が汚れやすいので着物で
>生活することは経費が掛かりすぎるといっていた。中剃りもマメにやらないと不潔に感じ
>る、髭(ひげ)と髷(まげ)用に顔と頭の天辺を電気カミソリで剃るのが大変らしい。とにか
>く自分一人じゃ大変なのでお内儀さんの負担が増えて大変だったそうだ。現代のお相
>撲さんのチョンマゲの苦労と似ていて、洗髪が大変なんだよ。毎日、朝シャンなんて絶
>対無理だと言っていた。


上の引用には「さん助師匠そのものが面白い方だしその上にチョンマゲで」と書かれて
いるけど、考えてみると唐沢俊一が書いている「そんな外見でなく、芸で興味をひけ」に、
「芸の突出した人ばかりでなく、こういう、“雰囲気”で楽しませてくれる芸人さん」という
のは、かなり酷い言い草のような。

「芸の突出」しているわけでないのに、落語協会理事や相談役に就任できるものなのかと
疑問に思うし……このエントリー自体は間違い探し編にいれるつもりはないけれど、この
点については、唐沢俊一のガセみたいなものではないかと疑問を呈しておきたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110909-00001248-yom-peo
>柳家さん助氏(落語家)が死去
>読売新聞 9月10日(土)0時41分配信
> 柳家さん助氏 85歳(やなぎや・さんすけ、本名・松本光春=まつもと・みつはる=
>落語家)9日、肺炎で死去。告別式は親族で行う。自宅は東京都板橋区大谷口2の65
>の9。喪主は妻、アケミさん。
> 1951年に五代目柳家小さんに入門、61年に真打ち昇進。落語協会理事を経て20
>06年に相談役就任。滑稽噺(ばなし)を得意とした。
>最終更新:9月10日(土)0時41分


http://unkar.org/r/rakugo/1203262186
>63 :重要無名文化財:2008/03/03(月) 09:21:25
>あの近石真介や亡くなった三波伸介が落語の弟子すじになるんだよね

>64 :重要無名文化財:2008/03/03(月) 11:18:24
>円歌が当時一番恐れた噺家
>「さん助さん、なんであんなに普通にしゃべっておかしんだろう」三平談


で、唐沢俊一は、「三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時」に柳家さん助のチョン
マゲ姿を見たというのだから、1980 年前後に目撃したということになる。この時期、柳家
さん助がチョンマゲだったかどうかは裏が取れなかった。

「昭和50年」、つまり、1975 年の時点にチョンマゲだったのは、ほぼ確実として。

http://blog.livedoor.jp/shunputei_shocho/archives/50288248.html
> 写真は、柳家さん助師匠です。落語協会のプロフィールによると1926年生まれですか
>ら、今年の誕生日がきたら80歳になる「落語界の重鎮」です。
> 私が入門した昭和50年当時は、ちょんまげを結っていました。「ちょんまげの噺家」で
>売っていました。フラのある面白い師匠です。


以下の2ちゃんねるの落語板での書き込みが正しければ、2001 年から数えて 20 年前、
1980 年くらいにはもう、柳家さん助はチョンマゲではなかったことになる。

http://logsoku.com/thread/hobby2.2ch.net/rakugo/999614867/
>141 : 重要無名文化財 : 01/12/30 00:52
>柳家さん助?ってもうお亡くなりになってるの?
>確か「ちょんまげ」結ってた人・・。

>142 : 重要無名文化財 : 01/12/30 00:57
>>>141 おいおい、殺すなよ(w お元気ですよ。
>ただしチョンマゲは、もう20年以上前にやめたけど。


でもまあ、唐沢俊一が最初に上京したという 1978 年あたり (ここここを参照) には、
柳家さん助はチョンマゲ姿で新宿末広亭だったとして。……気になるのは、2ちゃんねる
のスレでも指摘があったように (Read More 参照)、その時期の唐沢俊一の異様な忙しさ
である。唐沢俊一の自己申告によると、大学に入って名画めぐり古本通い
アニドレイ、それに今回の「三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた」が追加され
たのだから……。

唐沢俊一は落語のネタに言及することが多く、うちのブログでも何回か取りあげてきた。
だが、唐沢俊一が若い頃、「新宿末広亭に入り浸っていた」という話は、今まで出てきて
いない。

落語関係でも落伍者のライター?
駄ボラのいかがわしさの混入率高過ぎ<『トンデモ一行知識の世界
モノカキというより落語家、でも落語からも落伍しそうな唐沢俊一先生?
芸ごとだかゲイごろだか洗脳セミナーだかわかったもんじゃないが……
唐沢俊一と SF 大会 ―― 大事だったのはメロンとステーキ
ときどきは江戸の鹿野武左衛門のことも思い出してあげてください
女王を王女と間違えるとは……恐れ入谷のイリザベスかも
輝きが一瞬だったのは三遊亭圓楽のことではなくて……
そして百バカは百を超える
『幽』に使い回し発覚、でも「怪我の功名」←間違った方向に全力でポジシン
「地下へ潜れ!」と唐沢俊一は言った
井上ひさしについても時空を歪ます
劇団に関しては語らないのがルール? < 恐怖の人間カラオケ
「オトナたちの反対こそを唯一のエネルギー」の「反逆の歌」ということにされた『ダイアナ』
「そのそのほのめかしの手段」。……落ち着こうよ、唐沢俊一先生
その団鬼六さん、あなたの脳内で劣化コピーされてませんか

三遊亭圓楽についての話のとき (ここを参照) は、「もう二十年くらい前の横浜の落語会」
での思い出を語っている。「横浜の落語会」とは、団鬼六のとき (ここを参照) に出てきた、
「伯父のプロダクションが横浜で定期落語会をやっていた」ことをさすと思われる。

唐沢俊一が熱心に落語を聞いていたのは、この時期か、高校生の頃のようだ。

http://www.tobunken.com/diary/diary20051014000000.html
>高校生のころ、ラジオ局主催で行われる札幌のホール落語会に足しげく通い、談志の
>『風呂敷』や『権兵衛狸』、圓楽の『悋気の火の玉』『阿武松』『短命』などを聴くのが本
>当に楽しみだった。

末広亭の方は、裏モノ日記にもそんなに出てこない。「site:www.tobunken.com 末広亭」
でググってヒットするのは 18 件で、その中で末広亭で落語を聞いたという話は 2 件
くらいか。

http://www.tobunken.com/diary/diary20020814000000.html
> 5時、新宿三丁目、末広亭に神田山陽襲名披露興業を聞きに行く。『クリクリ』の絵里
>さんケンさんからのお誘い。末広亭に(打ち合わせとかでなく)落語を聞きに行くのは十
>何年ぶりのことだろうか。


http://www.tobunken.com/diary/diary20060510000000.html
>新宿、末広亭で春風亭昇輔改メ瀧川鯉朝真打披露興業最終日。さすがに満席。なんと
>か席を見つけて座る。ちょうど夢太朗(長屋の花見)が上がっているところで、それから
>Wモアモアの漫才、小遊三(時そば)、小柳枝(粗忽長屋)でお仲入り。口上は三人の
>新真打とそれぞれの師匠に小遊三、司会が昇太。


まあ、チョンマゲ姿の柳家さん助を目撃しているのだから、何度か新宿末広亭には足を
運んでいたのだろうけど、「入り浸っていた」とまでいえるかどうかは少々疑わしい、という
ことで。


ついでに、これは自分だけかもしれないが、「いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前
半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、そこでギリギリ止まっていてくれないと」というの
には、どういう意味だろうと少し悩んだりした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/吉原遊廓
>戦後、純潔主義を掲げるキリスト教女性団体である婦人矯風会の運動などにより、昭
>和31年(1956年)5月21日に売春防止法が可決成立し、翌昭和32年(1957年)4月1日
>に施行されると、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろし、一部は「トルコ風呂」(ソープラン
>ド)に転身する。


「うん、江戸時代の長屋にいたのはああいう顔の男だ」という立川談志の断言を紹介し、
タイトルからして「江戸にいた男」なのに、何で「昭和30年代前半、つまり吉原遊廓が
まだあった時代」が出てくるのかと。江戸時代でなくとも、明治か大正くらいに線を引くの
ならば、古典落語と新作落語の境目のことかと素直に思えるのだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/古典落語
>古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代に作
>られたものを指す。それよりも新しい時代に作られた演目は、新作落語と呼んで区別さ
>れる。


しかし、考えてみると、「昭和30年代前半」ということにしないと、「美人の代名詞を山本
富士子でずっと通していた」というのが、おさまりが悪くなる。江戸時代や明治時代で時間
をとめてしまうと、山本富士子もいなくなってしまうことになるから……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山本富士子
>1950年、読売新聞社、中部日本新聞社、西日本新聞社の三社が主催する第1回ミス
>日本(700人近い応募者があった)の栄冠に輝く。



More...


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1315454004/
-------
876 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:33:29.75
http://www.tobunken.com/news/news20110912125038.html
>三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時、出てくるのが楽しみだった
>のがこのさん助師匠だった。

またしても唐沢伝説が濃くなりました。
30年ほど前、1980年初頭
唐沢俊一はほぼ毎日映画館に通い、名画座であらゆる映画を見まくり
連日古本屋に通って、さらに毎日パチンコに通い、
毎日阿佐ヶ谷の飲み屋で飲んだくれジジイに人生をレクチャーされ
栄養失調で死ぬ直前までいきながら
さらに新宿末広亭に入り浸っていたらしいです。

実に濃密な青春時代を送っていますね。
さらにアニドウに参加し、ぴあに投稿して手塚を激怒させ
デビュー当時の高橋留美子に業界の先輩として苦言を呈し.....


1980年当時の唐沢さんのスケジュールを知りたいです。

877 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:36:26.81
>いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、
>そこでギリギリ止まっていてくれないと、本質が変化しちゃうのだ。
>もちろん、進化した落語も面白い。しかし、それは“座ってやる1人演劇”と
>しての面白さで、もはや落語ではない。知人友人に、何とか落語を改革
>したいと頑張っている人たちが多いので、悪いとは思うが、この考えは
>私の中でもはや結論になってしまっている。


帽子をかぶったまま落語家の真似事をしている半可通には言って欲しくねえセリフだな。

878 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:38:15.47
>>876
芝居に通いつめていたし。

879 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:39:00.68
>9日、肺炎で死去。85歳。……と、いうことは私が始めて
>彼の高座を聞いたとき、今の私とほぼ同年代だったわけか。うーん、ずいぶん
>おじいさんだな、と思ったのだが。

現在53歳の唐沢俊一は、自分がどんだけ老けて
ジジイに見られているのか気が付いていないのか?
ハッキリ言って、すでに定年退職して随分経つ、
オッサンを遙かに超えた70間近のジジイにしかみえないぞ。

880 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:40:55.77
唐沢が自ら語っている言葉だけで年表を作ったら凄い人生になりそうだなぁ


881 :無名草子さん:2011/09/13(火) 11:42:30.72
幼少期は聖徳太子と張るだろうな

891 :無名草子さん:2011/09/13(火) 12:00:21.08
世間の53歳ってもっと元気だろw
唐沢って10年以上前から「昔は」とか語っていたから
10年ぐらい前の段階で60歳ぐらいなのかと思って読んでいた。

あの頃、まだ40チョイって所かよ.....

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