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2011.08.17 (Wed)

明るい光のなかにいた人だと思います<和田慎二 (2)

http://www.tobunken.com/news/news20110720132206.html

イベント
2011年7月20日投稿
暗いところにいた男 【訃報 和田慎二】
〈略〉
……しかし、その作品は違った。あきらかに自分たちと同じ嗜好、
同じ感覚を持った者が、少女漫画という異分野の中で、堂々と存在感
を示しながら、しかも王道を行っていた。作品のあちこちに仕掛け
られていた楽屋オチが、自分たちと同じオタク(そんな言葉はまだ
なかったが)たちに向けてサインをビシビシ飛ばしていた。
『アラビアン狂騒曲』で空飛ぶカメが出てきて、
「お前、ガメラの親戚か?」
「へえ、オイでんねん」
なんてギャグには絶倒したものである。当時は少女マンガのおしゃれ
な世界に怪獣の名前が出てくるなど、ありえないことだった。
それはあきらかに、少女マンガの本道の読者たちでない、われわれ、
スノビズムで少女マンガを読んでいる者たちに向けての発信だった。
異邦人の街をさまよっているところで同国人が店を開いているのに
偶然出会った、というような感じだった。しかも、異邦人たちに
その店は評判で繁盛しているのだ。

やがて70年代後半。私も含め、それまで地方でオタク的活動を
続けていた者たちが続々と東京に集結しはじめ、当時の東京はオタク
文化の黎明状態となりつつあった。それまで仁侠映画などが中心
だった名画座のオールナイト上映も、客が集るというので、アニメや
特撮特集を多くかけるようになっていった。それまでは少ない情報を
頼りに、各地域の公民館などで五月雨的に上映されていた東映アニメ
の名作がまとめて上映され、池袋文芸坐、上板東映、吉祥寺東映
などに『ぴあ』を参照して回れば、二ヶ月に一度あてくらいで
『ホルスの大冒険』を見ることが出来るようになっていった。
そうしているうちに、『ピグマリオ』の連載が開始された。
……たぶん、私と和田氏はあの時期、名画座の暗い空間をかなりの
確率で同時体験していたと思う。

マンガの世界でもかなり早く、まして少女マンガの世界ではほぼ
初めて、オタク的な趣味を持ち込んだ先駆者であった。
第一次オタク世代の情熱と凝り性がいい具合に作品に作用していた
が、しかしまた、第一次オタク世代の欠点である、作品世界に
愛着があるあまりにスッキリ終らせられず、話が延々と膨らんで
しまう、という特長も持ちすぎるくらい持っていた。
それが元での出版社との決別など、トラブルを起したこともあった
ようだ。アニメ化、実写化された人気シリーズを持って、悠々自適
に作品を描ければどんなによかったか。
〈略〉
7月5日、虚血性心不全で死去、享年61歳。
早すぎる死であったと思うが、手塚、石森、藤子Fとならぶ、
これはマンガ業界という戦場における戦死者名簿の平均年齢なの
かもしれない。業界自体が考えるべき問題と言えるだろう。
いずれにしても、かつて同じ暗い空間にいた同志に、心からの
ご冥福をお祈りするものである。


×オイでんねん ○イトコでんねん

明るい光のなかにいた人だと思います<和田慎二」の続き。

唐沢俊一が書いている「アニメ化、実写化された人気シリーズを持って、悠々自適に作品
を描ければどんなによかったか」の「悠々自適」って、どうなんだろうか。必ずしも「定年退
職後の生活などをいう」とはかぎらないかもしれないが、半ば引退した状態でのんびりと
作品を発表していたのならば「どんなによかったか」と、唐沢俊一は書いているように読め
てしまうのだけど……。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=悠々自適&dtype=0&dname=0na
>ゆうゆう‐じてき〔イウイウ‐〕【悠悠自適】
>[名](スル)世間のことに煩わされず、自分の思いのままに暮らすこと。「―の生活」


http://www.yojijukugo.net/yojijukugo/悠々自適.html
>悠々自適 (ゆうゆうじてき)
>意味: 俗世間を退いて、のんびりと日々を過ごすこと。定年退職後の生活などをいう。
>悠悠自適。


和田慎二本人が、もう働きたくないと悲鳴をあげていたとか、過労で体調を崩していた
とかいうのならともかく、唐沢俊一を含め誰もそのような話をしているわけでもないのに、
どうして「世間のことに煩わされず」、「俗世間を退いて」いたならば「どんなによかったか」
ということになるのか、わからない。

唐沢俊一も書いているように、「早すぎる死」である。人気漫画家であり、死の直前まで
バリバリ現役で人気の連載をかかえていた点など、「手塚、石森、藤子Fとならぶ」とは
いえるだろう。なのに、なぜ……と思う。それに和田慎二のすごい点は、画力が安定して
いて、絵が荒れたり劣化したりしていたのを見た覚えがなく、読者からすると本当に元気
で活躍している人にしかみえなかったように思うのに。

「どんなによかったか」に引っかかりはじめるときりがなくて、まさか「アニメ化、実写化さ
れた人気シリーズを持って」の部分は、「どんなによかったか」にかかったりしないよね、
と心配になったりする。唐沢俊一は『スケバン刑事』については、なぜか題名すらあげて
いないので。いやでも『ピグマリオ』の方はあげているから大丈夫なのか。

http://matome.naver.jp/odai/2130989174696347101
>ドラマ化したスケバン刑事やアニメ化したピグマリオ、超少女明日香に怪盗アマリリス
>等の作品で知られた漫画家の和田慎二先生が亡くなりました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ピグマリオ
>テレビ東京系列で1990年11月5日から1991年9月16日にかけて放送。完結せずに第4
>部途中で中途半端に終わっている。原作者の意向で再放送およびDVD化は絶望的な
>状況である。東映ビデオ製の「日本アニメ主題歌大全集」(ビデオソフト、DVD)にもOP
>&EDは未収録である。2000年にAt-Xで再放送したのを最後に再放送されていない。な
>お、#14からは原作イラストに近づけたキャラクターデザインに修正され放映された。



で、以下、前回同様、『ミステリーボニータ』 9 月号の「和田慎二先生メモリアルページ」
からいくつか引用するけど、記述中のページ番号が間違っていたらゴメン……というのも
前回と同じ。

「和田さんとはアシスタントを通じて知り合いました」、「家も近かった」という田森庸介は、
以下のようなことを書いている。

田森庸介 (『ミステリーボニータ』 P. 167)
> 実は最初のうち、お互いの作品を知らなかったのですが、ひょんなことで、ふたりとも
>長編ヒロイック・ファンタジーを描いていることを知って、非常に驚かされました。今では
>それほど珍しいことではありませんが、当時は学園ラブコメ漫画が全盛で、SFとファンタ
>ジーは御法度だった時代です。そんな厳しい環境の中で、和田さんは少女漫画誌に、
>私は小学生新聞に活路を見いだしていたものでした。そんなふたりが偶然にも近所に
>住んでいて、知らず知らずのうちに親交を深めていたなんて、まさに類は友を呼ぶとい
>うか、奇遇というか、不思議な縁を感じずにはいられません。その後、ふたりの描いて
>いた長編ヒロイック・ファンタジー作品は、それぞれアニメ化されたのですが、主人公の
>声を演じてくれた声優さんも偶然同じ人でした。
〈略〉
> ただ厄介なことに、同じ趣味の人間がつるむと、歯止めが無くなるのです。一時UFO
>キャッチャーに凝っていた頃、ふたりで新宿や川越のゲームセンターに行っては、UFO
>キャッチャー荒らしに興じましたが、アームの設定が甘い台を見つけては、商品を根こ
>そぎ獲り尽くしたものです。一体、大の大人が、昼日中から何をやっているのやら。


やはり、唐沢俊一のいう「スノビズムで少女マンガを読んでいる者たち」というのはハズし
ているような気が。

前のエントリーで引用した永久保貴一も、「少年マンガ誌からエスパーやサイボーグや
二枚目の正義の味方が消えて,さみしく思っていたとき 本屋さんで『超少女明日香』の
コミックを手に取りました」が、確かに少年マンガで SF が嫌われていた時期はあったかも
しれないなあと思った。

ちなみに、永久保貴一は、『アラビアン狂騒曲』のイラストを描いていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アラビアン狂想曲
>『アラビアン狂想曲』(アラビアンきょうそうきょく)は、和田慎二の漫画。1976年に秋田
>書店『月刊プリンセス』9月号に掲載された。


ええと、唐沢俊一の文章の構成が、「楽屋オチが、自分たちと同じオタク(そんな言葉は
まだなかったが)たちに向けてサインをビシビシ飛ばしていた」の次が『アラビアン狂想
曲』の説明、それから「やがて70年代後半」となっていたので、『アラビアン狂想曲』は
1970 年代前半の作品のように錯覚してしまったけど、雑誌掲載が「1976年」であるから、
この時点で 1970 年代後半になっていたわけで、つまり唐沢俊一はここでも微妙に時空を
歪ませていたということで。

また、唐沢俊一は「へえ、オイでんねん」と書いているが、作中に出てくる空飛ぶ大亀は、
ガメラの甥ではなく、いとこという設定だったらしい。

http://ameblo.jp/toumatoshihito/entry-10946159520.html
> 和田氏のマンガの中で個人的に好きなのは、読み切り作品の「アラビアン狂想曲」で
>ある。今から35年前の夏に秋田書店の「月刊プリンセス」に掲載されたこのアラビアン
>ナイトを下敷きにした作品は、魔王に捕われの身となったアミール姫を助けるために恋
>人のハッサンが大活躍するストーリーであるが、大怪獣ガメラのいとこという巨大ガメや
>10数cmの身長しかない双子の魔女イーニィ・ミーニィとマーニィ・ムーの助けを借りなが
>ら、行く手を阻む魔法使いや悪魔、妖怪(これが妙に俗っぽい)などさまざまな荒唐無稽
>な敵と対決していく。


http://blog.goo.ne.jp/gameraishi/e/c1118040c6ca8b24d2fb9b09a6c4b7d2
>先日古い漫画「アラビアン狂想曲」(和田慎二作)にネタ発見しました。
>主人公(アマルガムハッサン)が王妃様より魔王にさらわれた姫救出に向かう手助けに
>「海がめ」を貸し与えます、主人公はこれじゃあ何時魔王のところにつけるか判らないと
>憤りますが、、、なんと「海がめ」の正体は空飛ぶカメ!「海がめ」曰く「ガメラのいとこ」
>でんねん、、、しかし主人公は途中で敵に襲われ墜落、、、以下省略


んで、上の引用の記述を読むと、和田慎二は特撮が好きだったのかと思えるが、実際、
「アニメや特撮の話とかもよくしたなぁ~」と、思い出を語っている人もいる。

佐藤元 (『ミステリーボニータ』 P. 156)
>自分と和田慎二先生との出会いは三十数年前、花とゆめのイベントでした。その時、
>バイト先でもらった「ホルスの大冒険」のポスターを和田先生にプレゼントしたら、お返し
>に、同じようなポスター大の紙に先生の好きな「ヒルダ」のキャラを等身大で書いていた
>だいたのが、まさに……!
(右にイラストがあって「感動っす!!」の描き文字)
>ふぁ~すと・いんぷれっしょん・もすと・めもりーですね!

>しかも、プロになった後に先生にお会いしたら、その「ヒルダ」の事を覚えていてくださっ
>ていた上に、その後も自分のような下っ端の人間にも優しく可愛がってくれました。
>コレクターという共通の趣味もあり、多い時で週一くらいで先生のお宅でオタク話に華が
>咲いたモンでしたw!
(左にイラストがあって再び「感動っす!」の描き文字、それと「アニメや特撮の話とかもよく
したなぁ~」と)


前のエントリーには、唐沢俊一が「第一次オタク世代」に属するのならば、その 8 歳上で、
1971 年にプロデビューした和田慎二が「第一次オタク世代」に属すると考えるのは変だと
いうことを書かせてもらった。「花の24年組」の山田ミネコ (1949 年生まれ) と、ほぼ同年
代としての交流をもっていた和田慎二を、唐沢俊一と同じ世代のオタクに分類するのは、
あまりに無理がある。

ただ、和田慎二がオタクとかコレクターとか呼ばれる人であったことは、いろいろな人が
証言している。

ささやななえこ (『ミステリーボニータ』 P. 155)
> 今年の6月、阿佐ヶ谷での永島慎二展で、来客ノートにガンさんの名前を見つけたよ。
> 初日にやっぱり来ていたね。しかもまたもや永島さんのいい絵をしっかりおさえてたね。
>あ、また先越された――と思ったよ。だいたいね、永島さんの個展教えたのは私なんだぞ。
>その私を差し置いて――と、いつもだったら電話していた。「今頃来るお前さんが悪い!」と、
>返事はいつも同じ。しばらく振りの挨拶代わり。――今回に限って何故電話しなかったん
>だろう。
>京都から戻ってきたばかりで睡眠不足で疲れていて、クタクタで……。
> どんな理由だって、もう遅い。ガンさん、この悔いを、私ずっと持つだろう。ガンさん、あんた
>ホントにいい友達だった。ガンさん、何回生まれ変わっても、仲の良い友人として、また
>会おうね。


「和田先生とは男の少女まんが家でアニメマニアということもあって30年来のおつきあい
だったのですが」 (『和田慎二メモリアルBOOK』) の竹本泉のように「マニア」と表現して
いる者もいる。

佐伯かよの (新谷かおるの妻) によると、「夜中になると恋人に会う様にイソイソと出掛け
て行く新谷でした マンガの話 フィギュアの話 時々健康の話…」 (『ミステリーボニータ』
P. 157)。

和田慎二はフィギュアのコレクターでもあったそうだ。

藤田和日郎 (『ミステリーボニータ』 P. 181)
>■和田先生と はじめて お会いしたのは 何かの マンガ家 イベント でした。

>「わっ、わだセンセイ!」「やあ、フヂタくん」
>扇型の大ニモツ
>■それから ワンダーフェスティバル (モケイのコミケのようなイベント) で何度か お会い
> して その つど ぐわーっと お話させて いただきました。
>大好き だったん だもん。


あらいずみるい (『ミステリーボニータ』 P. 146)
>吉祥寺某所
>「わーい」大漁 大漁!
>「あ和田センセ」
>某月X日
>「エヴァチップ大人買い~」
>某月Y日
>「アスカのレア出たよ~」
>某月Z日
>「エヴァチップ食べて~」

>いつ遭遇しても無邪気で屈託ない笑顔に毎度、幸せな気分になりましたポワワ…
>ステキおたくで漫画も面白いとかあこがれ過ぎマス、先生!!


ここで、不思議なのは、今回唐沢俊一は、フィギュアのフの字も出していないこと。

「たぶん、私と和田氏はあの時期、名画座の暗い空間をかなりの確率で同時体験してい
たと思う」なんてことを書くより――和田慎二が名画座通いをしていたという証言は、今回
『ミステリーボニータ』の追悼特集の中にもなかった――ワンダーフェスティバルの会場の
同じ屋根の下にいたはずとか書く方が確実だったはずなのに。

なにしろ、唐沢俊一といえばフィギュアだ。『フィギュア王』に連載をもっていたくらいだ。
以前、「大事なことだから2回やるかもしれませんよ、と」のエントリーで引用したことが
あるが、「表日記にまったく同じ文章が2回、続けて記載」されたときには、「旧知のNと
いう編集者(元フィギュア王)から、 何か私の体調を気づかう、心配したようなメール」が
届くくらいのものなのだ (ここも参照)。

それ以外にも、『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン』という「価格:38,000 円+税」
のフィギュア写真集 (3,800 円ではない) の監修をやったこともあるし、フィギュアとは少し
違うのかもしれないが、「アニドウ時代」は、「プータロー」の「アニドレイ」のひとりとして、
『三国志百態』写真集の発送の手伝い」をしたこともあるのが唐沢俊一である。

で、フィギュアは 2.5 次元という理解でよいんでしょうか?
2000 年 4 月の『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン』
あーっとアートですかの『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン 1998』
2000 年 5 月の『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン』
2000 年 11 月の『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン』
プータローだった男

フィギュア自体についての彼の記述は、「例えばボーメ作品のフィギュアの肌の曲線処理
の美しさなど、このアリンダで見ると溜息が出るほどである」くらいなもの。「全て撮影者・
服部昌一郎氏のスタジオで撮影」、「現在日本のトップに位置するモデラーたちのスタジ
オにおもむき、そのプロフィールについて徹底取材」あたりはまだわかるとして、どういう
わけだか、「デューンアートK/y100kg」 (本の用紙) とか、「アリンダOFT100ミクロンと
いうフィルム」、そして「このアリンダページを見る際にはめていただくため」の「白手袋が
ついている」こととかについて、異様な (?) 情熱をもって語る。

しまいには、「総布クロス、箱入り。天地人三巻、重さ総計6キロ」とか、「布クロス張りの
布(新日本の色細めコウジ)だけで1キロ(重さではない。長さだ。つまりロールで1000
メートル)を 使用し、東京の布問屋だけでは足りなくなって地方から取り寄せたほど」と
か。購入した人の感想は、「フィギュアの写真を期待して出したお金が全く違うところで
豪華に使われているところを最初に突きつける設計」だったりする (ここを参照) のも無理
はないというか。

閑話休題。ええと、和田慎二は、いわゆるフィギュア以外の「人形」も好きだったとのこと。

山田ミネコ
>私が人形を作っていたころ(五年くらい前ですかね)
>「人形と友達になれるのは女の子だけなんだよ」
>みたいな事を行ってました、和田君は人形が好きです


篠原千恵
>余談ですが 今度 先生にお会いしたら うかがおうと思っていたコトがありました
>19才の時リヒテンシュタインの首都 ファドーツで買った人形
>出自がわからず ずっと気にになっていたのですが そういえばと 遅ればせに思い出し
>た……
>私より5年くらい前に先生もリヒテンュタインで人形を買ったと雑誌のコメントに描いて
>いらした記憶が…
>結局人形の正体は謎のまま…
>「傀儡師リン」の最終部も拝読できないのはさびしいですが一番心残りなのは先生なの
>でしょう…


一方、唐沢俊一といえば、『人形考』 (http://www.amazon.co.jp/dp/4894191695) という
本の執筆者のひとりでもある。「手塚治虫は人形の本質がわかっていなかったようだ」と
書いていたこともある (ここを参照)。

和田慎二の絶筆となった『傀儡師リン』についての記述がないのは寂しいかぎりだが、
「そうしているうちに、『ピグマリオ』の連載が開始」と、『ピグマリオ』の名前をあげている
のは、人形への思い入れがあったからかもしれない。

……とか思って、唐沢俊一の人形関係の記述を拾い出してみたのだが……これも何か
違ったような。

幼女と少女人形とロボットの区別をつけてから話した方がよくね?
オランダ人以外の地球人も竹夫人を愛用
現在では南極に犬は持ち込み禁止とか
で、リカちゃん人形とかも「赤裸な人間性を剥き出し」にするの?
そもそも美幼女じゃなくて美少女もロリコンの対象?
人形は得意分野ではなかったんですかの唐沢俊一先生
フェティソとアイドルの区別も何か難しい
黒い瞳のお人形はドバイ生まれのプラスチック
イスラム教の喪の色は白にしろと誰が言い出したかは不明
生卵をのみながら頑張っていたフェリーニのカサノバ

ダッチワイフだの、秘法館に展示されている機械仕掛けのエロ人形だの、ロリコン文化の
先駆けとしての『ボッコちゃん』だの、映画『カザノバ』 (原文ママ) に登場する「ダンスから
セックスまで、男性のお相手を全てつとめることができる」等身大の人形だの……何だか
こうやって並べてみると、身も蓋もないくらいに生臭さが前面に出ている興味の持ち方で
あるような。

ちなみに、上に列挙したネタの半分くらいは、元の唐沢俊一の文章を、
http://netcity.or.jp/otakuweekly/BW2.4/column1-1.html
で見ることができる。「唐沢俊一 ワンフェス」でググると、唐沢俊一が書いた文章の中で
は、これが上位の方にくる。

それはともかく、裏モノ日記をチェックしてみたら、『フィギュア王』に連載をもっていたせい
もあって、唐沢俊一は毎回のようにワンフェスを訪れてはいた。

それはともかく、裏モノ日記をチェックしてみたら、『フィギュア王』に連載をもっていたせい
もあって、唐沢俊一は毎回のようにワンフェスを訪れてはいた。唐沢俊一は同時開催 (?)
のトイフェスの方がよりお気に入りのようで、時間をさいて回るのも、物を買い込むのも、
ワンフェスよりはトイフェスみたいだったけど。

- http://www.tobunken.com/diary/diary20010805000000.html
- http://www.tobunken.com/diary/diary20020203000000.html
- http://www.tobunken.com/diary/diary20020804000000.html
- http://www.tobunken.com/diary/diary20030803000000.html
- http://www.tobunken.com/diary/diary20040222000000.html

そういえば、唐沢俊一は自分のコレクション (古本含む) の写真を、『裏モノの神様』等の
自著に掲載させたりしているけど、その中にフィギュアってあまりなかったような気が。

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