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2011.08.07 (Sun)

微妙に平行世界な前田武彦と三波伸介について

http://www.tobunken.com/news/news20110807103701.html

イベント
2011年8月7日投稿
命を拾った男 【訃報 前田武彦】

1970年のミュージカル映画『恋の大冒険』(羽仁進監督)で、
「悪役のいない映画なんて……」
と歌いながら、自分の惚れているモデル(由紀さおり)の写真を
日本中からかっさらって部屋中に張りまくっていたこの映画の中の悪役、
迷竹(マイタケ)ラーメンの社長を楽しそうに演じていた。
この迷竹ラーメン、折りからのインスタントラーメンブームで大増産を
続けているが、その秘密は、田舎から集団就職で上京してきた女の子たちに
毎夜、催眠学習テープを聞かせて、会社に忠誠を尽くすよう洗脳して
しまうことにあった。その、テープを流す部屋はいくつもモニターが
並んでいて、社員寮を監視できる。そのスイッチをいじくっていると、
突然テレビに切り替わり、芳村真理が出てくる。それを見て社長、スイッチを
切り替えて
「やめよう、これはつまらん」
もちろん、『夜のヒットスタジオ』で前田武彦・芳村真理のコンビが
毒舌トークで売れに売れていた頃である。見事な楽屋オチだった。

その『夜ヒット』での、
「共産党バンザイ」
事件があって彼がテレビから全く姿を消すのはそれから三年後。
このバンザイ自体は見ていないのだが、当時の状況を書いた証言によると、
別に共産党候補の名前を上げてバンザイと言った訳ではなく、エンディング
まぎわに、最後に歌った歌手に“バンザーイ”とオフマイクで言っただけで、
言われた歌手(『東京ロマンチカ』の三条正人)も、何だかわからず、
それに応じてバンザイを返したという。ところが、その後、その共産党議員
(イベントにゲストで招いた前田氏が、リップサービスで“当選したら
番組でバンザイをしますよ”と言った)が感激してその約束のことを
マスコミにしゃべり、それを耳にしたフジの鹿内社長が激怒した、という
ことだったようだ。草創期のNHKテレビに放送作家として入ってから、
前田氏にとってテレビの世界は自分と同一化していたところであったろう。
自分のことをテレビの申し子、という認識でいたかもしれない。その自分が
テレビの一言で職を失うことになる。テレビはすでに、前田武彦個人の思いを
はるかに超えた怪物に成長していたのである。

ちなみに、前田武彦が降りた『夜ヒット』の後、しばらくの空白を経て
引き継いで司会を務めたのは三波伸介。その前に、『笑点』の司会も三波
は前武から引き継いでおり、不思議な因縁があったといえる。『笑点』
の司会を前田が降りたのは、レギュラーを何本も抱えて多忙を極めていた
ため。三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった筈だが、律義に司会を
務め、結局のところ心臓をやられて(解離性大動脈瘤破裂)52歳の働き
盛りで死亡する。前田武彦が82の長寿を保ったのは、ひょっとして、
あそこでテレビタレントとしての多忙から解放されたためかもしれない。

テレビから遠ざかっていた時期、彼は市川崑の映画『吾輩は猫である』
(1975)に出演している。顔見せ程度の出演だったが、演じたのは
哲学者・八木独仙。この当時、このキャスティングにはちょっと違和感が
あったものだ(苦沙弥先生の仲代達矢、迷亭の伊丹十三などが絶妙な
キャスティングだったのに比べて)。テレビ業界人の(まだその時には
そう思っていた)前田武彦に、「己を無として周囲に従い、逆らうな」と
いう東洋思想を唱える独仙の役を振るのがどうしても理解できなかったのだ。
その後、この時期が前田武彦にとって不遇の時代であったことを知り、
何か、妙に深い配役に思えてきてしまったものである。そう言えば、
三波伸介もこの映画には実業家の金田の役で出演していた。

後に前田氏は『笑アップ! 歌謡大作戦』の銅像役とか、天気予報のキャスター
など、かつてのテレビの帝王から見ると“落ちぶれた”と見られかねない
役で見かけていたが、本人は案外、これも世の中に逆らわない生き方なのだ、
と独仙先生の境地に達していたのかもしれない。もともと、予科練で特攻兵器
『蛟竜』の乗組員として訓練中に終戦となって拾った命だった。

子供時代、私はこの人の作詞した歌を空気のように口ずさんでいた。
言うまでもなく『エイトマン』の主題歌である。平井和正、あるいは
桑田次郎と何か交遊があったのだろうか、同じコンビの作品でソノシート
になっている『超犬リープ』、『エリート』まで作詞している。
あのエイトマンの、堂々とした王道のアニメソング(当時の)感覚と、
テレビでの融通無碍なトークのイメージがどうしても重ならず、同名異人
だと長いこと思い込んでいた。

テレビという業界で生き残るための秘訣は、“顔を使い分ける”ということ
である。前田氏が共産党シンパであったわけではない。テレビという、
雑多な価値観の寄せ集めであるメディアに関わっている以上、そのとき
そのときの顔を作り、その番組で一番力のあるタレント(と、その思想)
に媚びを売らないと生きていけない。私などはそれが嫌で仕方なかったし、
そこまで顔を作る技術も持ち合わせてはいなかったが、前田武彦氏はそういう、
顔を使い分けてマルチに生きる名人だったと思う。その名人がたった一回、
テレビという魔界の陥穽に墜ちたのがあの「バンザイ」だったのだろう。

『シャボン玉ホリデー』、『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』など、思えば
私はギャグというものをこの人に習ったようなものだった。
8月5日、肺炎で死去。82歳。
良き時代の記憶を新たにすると共に、ご冥福をお祈りする。
R.I.P。

http://megalodon.jp/2011-0807-1959-38/www.tobunken.com/news/news20110807103701.html

×イベントにゲストで招いた前田氏 ○応援演説を依頼された前田氏
×フジの鹿内社長 ○フジテレビオーナーの鹿内信隆
×三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった筈だが
○三波は『笑点』の司会を引き受けることによってブレイクし、
×『笑アップ! 歌謡大作戦』 ○『笑アップ歌謡大作戦』
×R.I.P。 ○RIP または R.I.P.

RIP 問題については、以下を参照のこと。

安らかに眠るのは暗がりのなか
おっぱいがいっぱい
とにかく、「原作は愛と・ディネーセンの『アフリカの日々』」
カッコイイ怪しげな男と全然そんなことはない怪しげな男と


今回、唐沢俊一の書いていることのうち、「『夜のヒットスタジオ』で前田武彦・芳村真理
のコンビが毒舌トークで売れに売れていた」、「楽屋オチ」、「共産党バンザイ」、「草創期
のNHKテレビに放送作家として入って」、「『笑点』の司会」、「『シャボン玉ホリデー』、
『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』など」については、通常の訃報記事にも書かれていること
である。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110806-816255.html
> 「ゲバゲバ90分!」「夜のヒットスタジオ」などバラエティー番組や歌番組の軽妙な
>司会で、「マエタケ」の愛称で人気を集めたタレント前田武彦+(まえだ・たけひこ)さん
>が、5日午前11時16分、肺炎ため都内の病院で亡くなった。82歳だった。
〈略〉
> 前田さんは60年代後半から70年代にかけてテレビの顔だった。放送作家として53
>年にNHK「こどもの時間」の脚本を書き始め、日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」では
>故青島幸男さんとともに活躍。ラジオ番組「東芝ヒットパレード」などのパーソナリティー
>も務めたことから、タレントとしての活動を始めた。
>  68年にフジテレビ系歌番組「夜のヒットスタジオ」で芳村真理と司会を務め、個性的
>な司会が人気を呼び「マエタケ」の愛称で親しまれた。毒気を含んだ話術で若手女性
>歌手を泣かせることも多かった。69年から放送の日本テレビ系「巨泉・前武のゲバゲ
>バ90分!」では当時人気を二分した大橋巨泉と組んで高視聴率を記録。フジテレビ系
>「ゴールデン洋画劇場」の初代映画解説者となり、日本テレビ系「笑点」でも立川談志
>の後を受けて2代目司会を1年間務めた。
>  しかし、台本を無視した「フリートーク」「楽屋落ち」という当時は斬新な手法を取り入
>れたトークの面白さの一方で、毒舌が物議を醸すこともあった。
> 73年に「夜のヒット-」生放送中、選挙に当選した共産党候補者に向けて「バンザ
>イ」と叫んで、当時のフジテレビオーナーの怒りを買い、司会を降板させられた。その影
>響で一時期、番組を相次いで降板するなどテレビ界から干された。


まあ、上の記事に書かれているようなことは Wikipedia の前田武彦の項にも書かれて
いて、さらに「『エイトマン』の主題歌」の作詞、「『蛟竜』の乗組員として訓練中に終戦と
なって拾った命」も Wikipedia から情報を拾えるけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/前田武彦
>武彦は司会や脚本家のほか、作詞家として、平井和正原作のアニメ『エイトマン』の
>主題歌の作詞(萩原哲晶作曲・克美しげる歌唱)もしている。
〈略〉
>その他
>戦時中、武彦は特攻兵器「蛟龍」の搭乗員となるべく猛訓練を受けた。これについて
>出演したテレビ番組で武彦は、「(自分の受けた訓練は)優しさなんか一つも無かった。
>死んでいく人間に対して棒で殴ったりしていた」、「(戦争を)最後までやるのかと思って
>いたら終わってしまった」と首を傾げながら当時の心境を述べている[3]。海軍通信兵
>だった武彦は、手旗信号を解読することができる。


「共産党バンザイ」事件については、前田武彦の項には、「詳細は『夜のヒットスタジオ』
を参照」とも書かれていた。そちらの記述は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夜のヒットスタジオ
>1973年6月、前田武彦が参議院大阪選挙区補欠選挙に立候補した日本共産党の沓脱
>タケ子候補の応援演説の際に「生放送中に候補者が当選した際にはバンザイを必ず
>やりますから見ていてください」という旨の約束をし、その候補者が当選したことから
>『夜ヒット』のエンディング時にバンザイのポーズをしたところ、このことが「反共」を掲げ
>ていた鹿内信隆フジサンケイグループ議長の逆鱗に触れ、これが引き金となり、最終
>的に前田は同年9月をもって当番組の司会を勇退、他局の大半のレギュラーもこれと
>時同じくして降板の憂き目に遭った(「共産党バンザイ事件」)。
>この騒動は『夜ヒット』に大きなダメージを与えた。低視聴率に苦悩していた当時のフジ
>テレビにとり数少ない「数字を見込める番組」であったこともあり番組自体は続けられる
>こととなったが、番組についてしまった負のイメージの早期払拭を図るべく、前田の解
>任と同時に芳村真理も一旦降板させ、1973年10月からはあえて正規の司会者を置か
>ずに、ゲスト歌手の中から男女1名ずつ司会を起用。
〈略〉
>1974年4月から『夜ヒット』はスタジオ観覧者を募っての公開放送に転換。司会は芳村
>と、当時『笑点』(日本テレビ)の豪快な進行振りで司会者としても知られつつあった
>三波伸介、そして華やかさをより前面に押し出す意味合いからもう一人の女性司会者
>として朝丘雪路のトリオ体制となった。


しかし、唐沢俊一の書いている「言われた歌手(『東京ロマンチカ』の三条正人)」という
のは、以上の資料には含まれていない。で、ググってみたら、以下のような文章が見つ
かった。

http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-260.html
>その『事件』については、件のマエタケの自著に依って解説したいと思います。
>事の発端は、日本共産党からの宮本顕治書記長(当時)との会談の申し入れ。
〈略〉
>この会談の成功で共産党はその後も、
>前田を各種イベントに呼び、どれも好評を博したのみならず、
>前田にとっても非常に心地よい部類の仕事だったようです。
>そして1973年6月。大阪参院補選、自民党・森下仁丹の森下泰、
>共産党・沓脱タケ子の自共決戦で、共産党は前田に応援を依頼。
>応援演説には躊躇しつつも、これまでの付き合いから激励くらいならと、
>ギャラをきちんと貰ってあくまでも仕事として、前田は受諾。
>ただ頑張って下さいと言えば済むだろうと思っていた前田でしたが、
>天王寺駅前の大演説会場に於いて、一言を求められてしまいます。
〈略〉
>「沓脱さんが当選されたら、その生放送(翌日のヒットスタジオ)で
> バンザイします。皆さん、見てて下さい」
>一般人のファンに、テレビから合図を送って下さいとせがまれ、
>手を振ったりはしていたという前田は、その調子でこんな約束をしたのでした。
>そして選挙は沓脱候補の当選。前田は番組中のいつバンザイをしようか悩みます。
>それも番組が進行するうちに忘れていたのですが、フィナーレで、
>最後の出演者・東京ロマンチカが通り過ぎる時に気がつき、
>既にマイクもオフになって音声は届かないまでも、
>「三条君お疲れさま。バンザーイ」とやったのでした。
>三条正人も意味がわからぬまま、つられてバンザイとやったと言います。
>この一件が、フジサンケイグループの週刊誌によって報じられ、
>マエタケの共産党バンザイ事件として問題化。
>次の秋の改変期、ヒットスタジオは勿論、十二年続いていたラジオも含め、
>すべての番組から降板を余儀なくされたのでした。
>フェードアウトと言うにはあまりに急激な暗転。
>前田はこの後しばらく、経済的にも苦境に立たされたようです。
>このバンザイシーンも含め、前田は初期のオープンリールのビデオで
>ヒットスタジオなどを所有していたようですが、
>根に持っても仕方ないと全て処分してしまったとか。
>なんとまあ、貴重な文化遺産を(苦笑)。


……唐沢俊一は、「当時の状況を書いた証言によると」などともっともらしく書いていたが、
元ネタは前田武彦の自伝だったと。

で、まあ、何を元にしたとしても、「フジの鹿内社長」というのは理解に苦しむ。「社長」
と書いてある資料は見あたらなかったし、共産党バンザイ事件のあった 1973 年当時、
フジテレビの社長は別の人物 (浅野賢澄) だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フジテレビジョン
>歴代社長
>水野成夫(1957年設立 - 1964年)
>鹿内信隆(1964年 - 1968年)
>浅野賢澄(1968年 - 1982年)


「その共産党議員(イベントにゲストで招いた前田氏が、リップサービスで“当選したら
番組でバンザイをしますよ”と言った)」の「イベントにゲストで招いた前田氏」というのも、
「応援演説を依頼された前田氏」の間違い。

「本人は案外、これも世の中に逆らわない生き方なのだ、と独仙先生の境地に達していた
のかもしれない」というのも、ハズしている可能性大。

http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-260.html
>前田と共に相方の芳村真理も降板決定。
>二人のさようなら番組が作られたのが、せめてもの救いでしょうか。
>送り出される芳村真理は涙。内心憮然たるマエタケには涙は無し。
>しかし、放送後の歓送パーティーで、ダン池田が放った言葉に泣いたと言います。
>「正直でいつも本当の事を言う前田さん。別れるのが…悔しい!」
>事情がわかっていてもみんなおざなりな挨拶しかしない中、
>池田がこう言った時には自分でも信じられないくらいに涙が出て、
>抱き合ったと言います。よほどに悔しかった事がわかります。
>芳村はしばしのブランクの後、出来レースのように復帰。
>この事も前田のプライドを大きく傷つけました。



それから、「不思議な因縁があったといえる」ってほどのものではないんじゃないかの
三波伸介に関する Wikipedia の記述は以下の通り。

http://ja.wikipedia.org/wiki/三波伸介_(初代)
>三波 伸介(みなみ しんすけ、本名:澤登三郎(さわと さぶろう)、1930年(昭和5年)
>6月28日 - 1982年(昭和57年)12月8日)は、日本のコメディアン・俳優・司会者・タレ
>ント。昭和期を代表するテレビスターのひとり。
〈略〉
>1970年に「笑点」の3代目司会者に就任。そのきっかけは、てんぷくトリオとしてゲスト
>出演した地方収録の回で、飛行機の欠航により出演できなかった前田武彦の代役とし
>て司会を務めたこと。当時はまだ司会経験が浅かったものの、元々落語に造詣が深
>かった事もあり、5代目三遊亭圓楽ら並み居る落語家達を相手に大喜利を取り仕切っ
>た。番組自体の人気を上げたことはもちろん、自身がピン芸人としてブレイクするキッカ
>ケとなった。
〈略〉
>52歳没。
> 巨漢であったことと、多忙のため多い日でも3~5時間しか睡眠を取れず、タバコは一
>日最低でも3箱を吸い、さらにコーヒーも数杯好んで飲んでいた事が祟って心血管に負
>担が掛かり、それが命取りになったと考えられる[要出典]。
〈略〉
>・三波は50歳になった頃から、テレビでの活動を減らし、舞台での活動に力を注ぎ始め
> ていた。当時の芸能界において、喜劇役者の代表といえば映画の渥美清、舞台の藤
> 山寛美、そしてテレビの三波を指すのが通例であり、三波はテレビでの成功を収めた
> 後、今度は渥美と藤山のライバルとして彼らと同じ舞台で競うことを新たな目標にし
> ていたというが、その目標は三波自身の突然の死により途中で断たれることとなった。


2ちゃんねるのスレでも少し話題になっていたけど (Read More参照)、唐沢俊一がいう、
「『笑点』の司会を前田が降りたのは、レギュラーを何本も抱えて多忙を極めていたため。
三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった筈だが、律義に司会を務め、結局のところ
心臓をやられて(解離性大動脈瘤破裂)52歳の働き盛りで死亡する」は、やはり何か
変ですね、と。

「解離性大動脈瘤破裂)52歳の働き盛りで死亡」というのは、訃報.com と内容が一致
しているから、よいとして。

http://fu-hou.com/list.php?cause=解離性大動脈瘤破裂
>三波伸介
>司会者、お笑い芸人、「てんぷくトリオ」のメンバー
>命日:1982年 12月8日 享年:52 死因:解離性大動脈瘤破裂
 

1970 年に『笑点』に抜擢された時点では、「三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった
筈だが」という状況にはなかっただろうと思われる。三波伸介が亡くなったのは、それから
12 年も経ってからのことである。

ちなみに、『夜のヒットスタジオ』の司会の方を三波伸介がやっていたのは、1974 年から
1976 年の 2 年間のみで、その後は井上順の司会となっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/夜のヒットスタジオ
>2代:芳村真理 ・三波伸介・朝丘雪路 1974年4月1日~1975年3月31日→芳村真理
> ・三波伸介 1975年4月7日~1976年3月29日
〈略〉
>3代:芳村真理・井上順 1976年4月5日~1985年9月25日


さらに、三波伸介は、亡くなる 2 年前頃から、「テレビでの活動を減らし、舞台での活動に
力を注ぎ始め」ていたとのこと。

これで、三波伸介は「律義に司会を務め、結局のところ〈略〉52歳の働き盛りで死亡す
る」に続けて、「前田武彦が82の長寿を保ったのは、ひょっとして、あそこでテレビタレント
としての多忙から解放されたためかもしれない」とやるのだから、たまらない。


また、「あそこでテレビタレントとしての多忙から解放された」と書くだけならともかくとして、
「『笑アップ! 歌謡大作戦』の銅像役とか、天気予報のキャスターなど、かつてのテレビ
の帝王から見ると“落ちぶれた”と見られかねない役で見かけていた」とは、悪意があり
過ぎなまとめ方のような。ついでに、『笑アップ! 歌謡大作戦』は『笑アップ歌謡大作戦』
の間違いみたいですね、と。

http://ja.wikipedia.org/wiki/前田武彦
>メディア出演復帰
>1980年代前半になると、武彦は『朝のホットライン』(TBSテレビ)にお天気キャスターと
>して出演、「お天気マン」と呼ばれて徐々にテレビ出演の機会を増やしていった。また、
>俳優として映画、『釣りバカ日誌』シリーズ(東映)や、『想い出づくり。』(TBS)に出演し
>た。
〈略〉
>・歌謡ハラハラサンデー(1977年 - 1978年、テレビ朝日、「ハラハラ大法廷」の裁判長> 役)
>・笑アップ歌謡大作戦(1979年 - 1981年、テレビ朝日、2代目校長
〈略〉
>主な出演映画
>・男はつらいよ 私の寅さん(柳文彦役、1973年、山田洋次監督、松竹)
>・金環蝕(島田役、1975年、山本薩夫監督、東宝)


http://www.sankeipro.co.jp/TakehikoMaeda.html
>■テレビ
>「巨泉・前武のゲバゲバ90分」「そこが知りたい」「夜のヒットスタジオ」「スーパーワイ
>ド」「笑アップ歌謡大作戦」「シネマパラダイス」「人生楽笑」「サンデーモーニング」他
〈略〉
>■映 画
> 「男はつらいよ」「祝辞」「愛しのチイパッパ」「釣りバカ日誌」「晴れときどき殺人」「青春
>デンデケデケデケ」「マルヒの女」(2000年・和泉聖治監督)他


http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20110806-816255.html
>  90年代にはTBS系「朝のホットライン」のお天気キャスターや俳優として映画「男は
>つらいよ」「釣りバカ日誌」シリーズに出演した。晩年は旧知の永六輔さんのラジオ番組
>に度々出演し、入院直前の7月16日放送のTBS「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔そ
>の新世界」が最後の出演となった。



それと、何か前回 (ここを参照) に続いて『吾輩は猫である』のネタなのは、よいとして。

前田武彦のことを「テレビ業界人」だと思っていたという理由で、映画『吾輩は猫である』
(1975 年) の、「『己を無として周囲に従い、逆らうな』という東洋思想を唱える独仙」の
「キャスティングにはちょっと違和感」があったとかいうのは、悪い意味で唐沢俊一の独創
性が発揮されているような。

http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou32/wagahaihanekodearu.html
>苦沙弥の細君に波野九里子、姪の雪江に島田陽子、後半登場する、独仙に前田武
>彦、東風に若き篠田三郎などが扮し、どの役も、適材適所のキャスティングだと思うが、
>いかんせん、話が地味。


http://neko.koyama.mond.jp/?eid=507991
>岡本信人 (水島寒月)          前田武彦 (八木独仙)
>岡本演じる寒月は最初映画を観たとき“?”だったが、今はこれもアリだと思っています。

(写真: http://nekokoyama.img.jugem.jp/20100919_666561.jpg)

確かに、寒月というのは線の細い色男タイプじゃなかったっけ、というのは、おいとて。
まあ前田武彦の八木独仙は顔の長さが不足しているという突っ込みはありかもしれない。


「この時期が前田武彦にとって不遇の時代であったことを知り、何か、妙に深い配役に
思えてきてしまったもの」も、単なる気のせいではないかと。「これも世の中に逆らわない
生き方なのだ、と独仙先生の境地に達していた」と引き合いに出されるほど、『吾輩は猫
である』の独仙は、悟りきった人物のようには描かれていないというのもある。

http://neko.koyama.mond.jp/?eid=375869
>「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいん
>だぜ。第一、今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限は
>ありゃしない。とうてい満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で
>おおいに味わいがある。心そのものの修業をするのだから」と、せんだって哲学者から
>承わった通りを自説のように述べ立てる。
>「えらい事になってきたぜ。なんだか八木独仙(やぎどくせん)君のような事を言ってる
>ね」
> 八木独仙という名を聞いて主人ははっと驚いた。実はせんだって臥竜窟(がりょうく
>つ)を訪問して主人を説服に及んで悠然と立ち帰った哲学者というのが、とりも直さずこ
>の八木独仙君であって、今、主人がしかつめらしく(まじめくさって堅苦しく)述べ立てて
>いる議論はまったく、この八木独仙君の受け売りなのであるから、知らんと思った迷亭
>がこの先生の名を間髪をいれず持ち出したのは、暗に主人の一夜作りの仮鼻を挫(く
>じ)いた訳になる。


http://neko.koyama.mond.jp/?eid=375886
>「君、近頃逢ったのかい」
>「一週間ばかり前に来て、長い間話をして行った」
>「どうりで独仙流の消極説を振りまわすと思った」
>「実はその時おおいに感心してしまったから、僕もおおいに奮発して修養をやろうと思っ
>てるところなんだ」
>「奮発は結構だがね。あんまり人の言う事を真に受けると馬鹿を見るぜ。いったい君
>は、人の言う事をなんでもかでも正直に受けるからいけない。独仙も口だけは立派なも
>のだがね、いざとなるとお互いと同じものだよ。君、※九年前の大地震を知ってるだろ
>う。あの時、寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんだからな」
>「あれには当人だいぶ説があるようじゃないか」
>「そうさ、当人に言わせるとすこぶるありがたいものさ。※禅の機鋒(きほう)は峻峭
>(しゅんしょう)なもので、いわゆる※石火の機(瞬発的に応じるはたらき)となると怖いく
>らい早く物に応ずる事ができる。ほかのものが地震だと言ってうろたえているところを、
>自分だけは二階の窓から飛び下りたところに修業の効があらわれて嬉しいと言って、
>びっこを引きながらうれしがっていた。負け惜しみの強い男だ。いったい禅とか仏(ぶ
>つ)とか言って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」
>「そうかな」と苦沙弥先生、少々腰が弱くなる。


まあ、前田武彦は、独仙のように、しゃべりの面白さより、外見のありがたさで勝負 (?) と
いうタイプではなかっただろうとも思われる。

http://neko.koyama.mond.jp/?eid=394169
>「八木さんは雪江さんの学校の先生なの」
>「いいえ、先生じゃないけども、淑徳(しゅくとく)婦人会のときに招待して、演説をしてい
>ただいたの」
>「おもしろかって?」
>「そうね、そんなにおもしろくもなかったわ。だけどもあの先生が、あんな長い顔なんで
>しょう。そうして天神様のようなヒゲを生やしているもんだから、みんな感心して聞いてい
>てよ」


というか、不遇を連想させるようには描かれてないような気もする<独仙

その他参考 URL:
- http://homepage1.nifty.com/tukahara/suichu-ichiko/yagidokusen.html (長い顔)
- http://www.konekono-heya.com/books/wagahai8.html (独仙流の消極説)


More...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1311346621/
-------
884 :無名草子さん:2011/08/06(土) 07:09:28.97
前田武彦さんが亡くなった。唐沢俊一がくだらない追討をするのだろう。
唐沢俊一に面と向かって追討をやめるように言う知人はいないのか。恥ずかしい。

888 :無名草子さん:2011/08/06(土) 07:28:16.90
>>884
また「今度こそ本当に昭和終わった」みたいなこと書くんだろうな

948 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:02:12.04
>>884
いやな予感的中みたいですよ。
ttp://www.tobunken.com/news/news20110807103701.html

949 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:14:29.92
R.I.P www

950 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:38:00.30
エレニンが中性子星であるなんていう根拠はどうすれば出てくるの?

951 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:42:44.26
>『シャボン玉ホリデー』、『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』など、思えば
>私はギャグというものをこの人に習ったようなものだった。

ギャグぅ?
「この人に習った」ぁ?
唐沢のギャグって・・・???

952 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:44:00.96
>>948
今回の追討記事で、テンテー曰く
>子供時代、私はこの人の作詞した歌を空気のように口ずさんでいた。
>言うまでもなく『エイトマン』の主題歌である。

まあ、この一節自体は何でもない文章ですが、馬香さんのAA荒らしを散々見せつけられてきた側としては、色々複雑な思いになりますな。

953 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:44:13.68
不幸な晩年だったな

954 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:47:03.27
>私はギャグというものをこの人に習ったようなものだった。

唐沢って人を笑わせるギャグって言えるのか?
人に笑われるガセは数多いけどさ

955 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:50:20.50
>言うまでもなく『エイトマン』の主題歌である。

その歌、うたった人って愛人殺していなかった?
逮捕される前に最後に出した曲が「思いやり」というのも泣ける

956 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:51:23.32
>>952
「馬香さん」というより、唐沢俊一本人と思うけどねえ<エイトマンのAA荒らし
というと、またキーキーいう人を呼び寄せちゃうか。
じゃあ、唐沢俊一本人もやれば、馬香さんもやっているエイトマンAAってところで、
どう? ダメ?w

957 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:52:39.03
>三波もそれと同格か、それ以上に忙しかった筈だが、律義に司会を
>務め、結局のところ心臓をやられて(解離性大動脈瘤破裂)52歳の働き
>盛りで死亡する。前田武彦が82の長寿を保ったのは、ひょっとして、
>あそこでテレビタレントとしての多忙から解放されたためかもしれない。

ここなんか違うよな

958 :無名草子さん:2011/08/07(日) 12:56:44.12
克美しげる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8B%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B

>2007年12月 『封印歌謡大全』の続編『蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか』(三才ブックス)の付録CDに、克美による新録音『さすらい』『おもいやり』『エイトマン』の3曲が収録される。


三才ブックスって唐沢のおもいやりの無さに呆れて唐沢を捨てた出版社?


959 :無名草子さん:2011/08/07(日) 13:20:15.24
>>957
三波伸介は、売れっ子だから『笑点』の司会になったんじゃなくて、
『笑点』の司会になって売れっ子になった希ガス。

960 :無名草子さん:2011/08/07(日) 13:48:15.87
>>956
イッチョカミで話題に紛れ込んで「アン恥垢」の悪口をしっかり言いたい時は、
宇宙人コピペの手を休めるのですね。

毎度なんて分かりやすい。


961 :無名草子さん:2011/08/07(日) 13:52:56.40
三波伸介が司会をしていた「減点パパ」に出るという願望が「減点バカ」になって叶う唐沢

964 :無名草子さん:2011/08/07(日) 14:56:18.03
>>960
頭,大丈夫?
そんなに必死で唐沢俊一本人降臨説はツブしたいんだ?
なるほどねえw

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Comment

スターといえるか微妙ですが前田忠明→前忠とか。漢字二文字ではないけど
キムタクなど、日本人は四音節の言葉が好きなのかもしれないなあと思いま
した。

http://mimizun.com/2chlog/psycho/piza.2ch.net/log/psycho/kako/949/949921386.html
http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/c/ac414b50d3929cd0863e12ac8d65f5e3
トンデモない一行知識@レス遅延気味すみません |  2011年08月11日(木) 05:10 |  URL |  【コメント編集】

●二文字スター論

 スターとして大ブレークするには、「芸名が二文字に略せる」という条件がある。嵐寛寿郎=嵐寛、阪東妻三郎=阪妻、榎本健一=榎健、伴淳三郎=伴淳、勝新太郎=勝新のように。したがって前田武彦=前武が売れたのは当たり前の事。
 二文字スター論は永六輔(=永六)の持論です。
藤岡真 |  2011年08月08日(月) 10:13 |  URL |  【コメント編集】

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