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2011.08.02 (Tue)

似ているようで違う ―― 博覧強記の小松左京と博覧強記の仕事術 (2)

http://www.tobunken.com/news/news20110729122033.html

2011年7月29日投稿
さよなら巨星(ジュピター) 【訃報 小松左京】
〈略〉
小松左京という名前が『日本沈没』で日本中に知れ渡った頃。
NHKの演芸番組を見ていたら、桂米朝師匠の番組の解説に
小松氏が出てきて、米朝師匠との長いつきあいのことを語り、
「『日本沈没』ね、あれ、落語聞いてて思いついた話で」
と言い出した。米朝師匠が
「はて、そんな噺、あったかいな……」
と首をひねっていると、
「『釜どろ』いう落語があるでしょう、泥棒をつかまえようと
釜の中に入っていたら、釜ごと盗まれて野原に捨てられて、
顔を出して“しまった、家を盗まれた”……ちゅうやつ。
“国破れて山河あり”というのはあるが、“国破れて山河なし”に
なったらどうなるか、そう考えているうちに思いついたのが、あの
小説で……」
と語り、米朝師匠は
「なんや、冗談みたいな思いつきであないに儲けておいて……
落語協会になんぼか寄付しなはれや」
と冗談にまぎらしていた。

普通に考えてそんなわけもない、これは落語の番組に出るのだから、
という一種のリップサービスであるわけだが、小松左京という
人は、これが抜群にうまい人だった。『さよならジュピター』の
プロモーションで一時やたらいろんな番組に出演していたが、
グルメ番組に出れば宇宙食に話をからめ、街角情報番組に出れば
日向ぼっこに適した路地から太陽というものの大切さに話題をつなげ、
『さよならジュピター』に話を持っていく、その持っていき方が
自由自在という感じであった。コジツケがすぎるという見方もある
だろうが、そういう番組の大半の、SFに興味もないであろう
視聴者に、自作の映画の話を聞いてもらうための見事なテクニック
であることは確かであった(映画自体はそのテクニックを下手に
応用してしまった悪例でしかなかったのが残念だったが……)。


似ているようで違う ―― 博覧強記の小松左京と博覧強記の仕事術」の続きのようなもの
……だけど、今回は唐沢俊一の文章とは、直接はあまり関係ない派生トリビア編。

そもそもは、小松左京が桂米朝に番組内で語ったという『日本沈没』は『釜泥』からヒント
をえたという話とか、「グルメ番組に出れば宇宙食に話をからめ、街角情報番組に出れば
日向ぼっこに適した路地から太陽というものの大切さに話題をつなげ」たとかいう話を、
唐沢俊一以外の誰かが語っていないかといろいろ探していたのだけど……探したものは
見つからない一方、いろいろと興味深い話が目についたので……。

ただし、以下にあげるのは、ネット上で読める新聞記事からの切り貼りが主でしかなく、
何を今さらと思う人も多そうなのが怖いけど……その点についてはご容赦を。

- 小松実の兄は姓名判断にこっていた。小説を雑誌に応募しようとしていた弟に「『右京』
 なら大金持ちになれる、『左京』は新しいことができる」といった。「新しいこと」を選んだ
 弟は、「小松左京」の名で、『地には平和を』 (1963 年) というSF小説を世に出した。
(http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110729k0000m070144000c.html)

- Wikipedia の記述では話は少し違い、早川書房主催の第1回空想科学小説コンテスト
 応募にあたり、「五画と八画の文字を使えば大成する」と兄から助言されたのを受け、
 「左がかっていた京大生だから」というので「左京」を選んだ。
 京都大学時代には、日本共産党に入党して政治活動もしていたのだ。「反戦平和」を
 唱える共産党に共鳴していたのに、ソ連は原爆開発。ショックを受け共産党を離党した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京)

- 大阪に「アパッチ族」と呼ばれた者たちがいた。戦後、空襲で焼け野原になった大阪城
 近くの砲兵工廠跡にいたくず鉄泥棒たちで、警官らと派手にやりあい、追い払われても
 すぐに舞い戻った。
 小松左京の初長編『日本アパッチ族』 (1964 年) は、「鉄を食べる」人間という着想、
 〈社会のくずといわれた連中が、くずであるがゆえに超人間的な存在になるという構想〉
 で書いたもの。代表作のひとつとされ、スピーディな展開にファンも多い。
(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110730/plc11073003420008-n1.htm
http://www.news-postseven.com/archives/20110730_27020.html)

- 星夫くんと月子ちゃんが登場する『空中都市008』 (1969 年) も小松左京の作品。1969
 年から 1970 年にかけて NHK でも放映された。たくさんの子どもがワクワクしながら、
 本を読み、テレビを見ていた。そのうちのひとり、小学四年生のときに『空中都市008』
 を愛読していた少年は、後にノーベル賞をとった。2002 年ノーベル化学賞の田中耕一
 がその人。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京
http://ja.wikipedia.org/wiki/空中都市008
http://www.ne.jp/asahi/sf/komaken/komatsu/dousei/do0211.htm)

- 大阪万博 (1970 年) での小松左京は、テーマ館サブ・プロデューサー。太陽の塔内部
 の展示も担当。岡本太郎とともに「太陽の塔」内の展示を考え、DNA の巨大な模型を
 作り、生物の進化を現すようにした。

 万博跡地にできた国立民族学博物館 (1977 年) の設立にも関わった。太陽の塔には
 石毛直道らが収集した世界中の神像や仮面を展示されていて、それらのコレクションが
 国立民族学博物館の元となった。

 石毛直道は、『人間博物館 「性と食」の民族学』 (1977 年) の共著者でもある。

 その石毛直道 (国立民族学博物館元館長) は、告別式では、棺の中に小松左京の好き
 だった酒とたばこを入れ、「あの世でいい居酒屋を探しといてほしい」と語りかけた。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/小松左京
http://ja.wikipedia.org/wiki/太陽の塔
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/29/20110729-055900.php
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110728/art11072821190010-n1.htm)

- 『日本沈没』 (1973年) では、12 桁の電卓 (当時 13 万円) で日本列島の“重さ”を計算
 した。小松左京がいうには、「細部をつめないと、安心して書き出せないんだね」。

 「日本を丸ごと沈めちゃうなんて、世が世なら治安維持法違反で逮捕だもの(笑い)。
 あのとき僕は夜逃げも覚悟した」と、小松左京は当時のことを語っている。
 夜逃げ先として調べたオーストラリアを、『日本沈没』の中では、日本国民が避難する
 先に使った。
 拍子抜けすることに、右翼から 1 件、左翼から 2 件抗議の電話があっただけ。夜逃げ
 はしなくてすんだ。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110730_27020.html)

- 『日本沈没』の部数は、上下巻あわせて 400万部を超した。税金の支払いを心配した
 小松左京は「もう増刷を止めてくれ」と出版社に電話したが、「それはできません」と
 断られた。
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110728-OYT1T01145.htm)

- 『日本沈没』のなかで小松左京は、マグニチュード7.6級の直下型地震によって、高速
 道路の高架が傾き、車が次々と落下し炎上する場面を描いた。
 本を出したら、大学教授に呼ばれ、「キミは高架の建築基準を知らないのかね。高速
 道路が傾くわけないだろう」といわれた。
 そんなものかと思っていたら、阪神大震災 (1995 年) では高速道路が横倒しになった。
 「SFより現実の方がはるかに上回ったわけです」と小松左京はいった。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110728_27013.html)

- 「日本列島弧を中心にして、巨大な地殻変動が起こりかけている、というアメリカ測地
 学会の発表が電撃のように世界をゆすぶったのは三月十一日…」。

 『日本沈没』の中の「その日付にはドキリとさせられる」と読売新聞の編集手帳 (2011年
 7月29日) は書いた。東日本大震災からこっち、ドキリとしないでいるのは難しい。

 東日本大震災について、小松左京は、「いつ死んでもええテ思てたんやけどな。ほんま
 やで。でもこれから日本がどうなるのんか、もうちょっと長生きして、見てみたいいう気に
 いまなっとんのや」 (2011 年 5 月 23 日) と語ったという。これを現実にしてくれれば
 よかったのに。
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110728-OYT1T01145.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110728/bks11072819140002-n1.htm)

- 日本SF大会のファン投票で選ばれる星雲賞。1974 年に『日本沈没』は、日本長編賞
 を受賞した。同じ年の日本短編賞は、筒井康隆の『日本以外全部沈没』。

 後に小松左京は自伝 (『SF魂』) に書く。「筒井さんは後に、紫綬褒章をもらうわけだけ
 ど、それはこの時、日本以外を沈めたからじゃないかという説がある」。ちなみに、筒井
 康隆の紫綬褒章は「SF界では、はじめての慶事」。2002 年のことだが、後に続く日本
 SFの小説家は、今のところいない。
(http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011072902000012.html?ref=rank
http://www.ne.jp/asahi/sf/komaken/komatsu/dousei/do0211.htm)

- あだ名は「ブルドーザー」。「持ち前のバイタリティー」ゆえという人もいれば、「該博な
 知識と大胆な発想で次々に作品を発表する姿」からという人もいる。
 「星新一さん(故人)がけもの道を開き、小松さんが整え、その上を筒井康隆さんが
 スポーツカーを駆って走った」からだと説明する人もいる。
(http://www.news-postseven.com/archives/20110729_27016.html)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011072902000012.html?ref=rank
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/29/20110729-055900.php)

- 「ゆうきまさみ年代記」の中で、小松左京はゆうきまさみとの対談の中で、レイバーと
 コンピュータウィルスに関する視点を提示していた。
 当時 58 歳だった小松左京が、コンピュータやウィルスについて嬉々として語ったのは
 1989 年のこと。コンピュータも、そのウィルスも、まだまだ一般的ではなかった頃の話。
(http://slashdot.jp/articles/11/07/28/0626257.shtml)

- 小松左京が亡くなって数時間後の高座のまくらで、桂吉坊は小松左京の訃報をネタに
 した。

 桂米朝とは 50 年来の仲だった小松左京は、米朝独演会にも毎年きていた。しかし、
 ある年の独演会に小松左京の姿がなかった。楽屋などでは、「死んだんと違うか」、
 「ンなアホな…」と、皆が心配していた。
 理由を聞かれた小松左京は、「自分の入れ歯に噛まれた」という。

 「胸ポケットに入れ歯を入れてた時に、こけはって、それで噛まれたらしい。先生ご自身
 がSFでした」。
(http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110730/enn1107301419005-n1.htm)

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Comment

( ・∀・)つ〃∩ へぇ~
……って、買い占めれば地名変更が自由になるものなのですか。
明日の待ち合わせは、きゅうひゃくきゅうじゅうろくにちまえ……じゃなくって、
きゅうひゃくきゅうじゅうごにちまえのあの場所でとか、滅茶苦茶ややこしくなって
楽しそうです。^^

その他参考:
http://sui-haku.at.webry.info/200904/article_607.html
http://winoue.com/rensai/16-2
トンデモない一行知識 |  2011年08月03日(水) 22:48 |  URL |  【コメント編集】

●千日前

 大阪万博のプロデューサーだったとき、大阪千日前一帯の土地を買い切って、開会千日前から地名をカウントダウンするというアイデアを出したとか。さすが。当然、不採用でしたが。
藤岡真 |  2011年08月02日(火) 10:37 |  URL |  【コメント編集】

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