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2011.07.03 (Sun)

「われわれの世代」なんて書かないで「弟の世代」にしとけばよかったのに

http://www.tobunken.com/news/news20110629110416.html

イベント
2011年6月29日投稿
早熟だった男 【訃報 竹内博】

上の世代たちが70年安保の余波でシラケているとき、われわれの
世代はシラケるどころではなく、身を熱く火照らせていた。
「ついに、自分が理想としていた本が目の前に出現した」
という興奮が全身を満たしていた。
ケイブンシャ発行の『原色怪獣怪人大百科』(1971)である。
本とも言えぬ、ポスター大のシートを折り畳んでケースに入れただけの、
簡易な作りの刊行物だったが、その出現はまさに事件であり、画期的出来事
であり、こちらをして狂喜乱舞させるものだった。
〈略〉
世の中には凄い人がいるものだ、などと感心していた私は、その後、彼が
自分とたった3歳しか違わないということを知って愕然とする。
この本を作ったとき、まだ17歳(!)。
早熟の天才、それが竹内博だった。
〈略〉
後で、ジャーナリストの佐野眞一氏の著作で、ケイブンシャ社員として
彼がこの本の製作に加わっていたことを知った。大学を出てケイブンシャに
入社し、最初に彼がやらされたのがこの『原色怪獣怪人……』で、その作業は
新宿の連れ込みホテルの一室で行われたらしい。隣室から漏れる男女の
あえぎ声を耳にしながらレッドキングだのバルタン星人だのの身長体重を
書かされる作業は、当時の”一般常識”を持った青年として、かなりの
抵抗があったようだ。そんな彼がその文中に
「『怪獣博士』という異名を取っていた円谷プロの少年社員」
という表現で登場させているのが竹内博氏である。いい加減に仕事をしていた
彼をその少年は叱咤し、本造りというものの心を学ばせてくれた、と佐野
氏は書いている。

われわれの世代はカタログ世代と呼ばれる。
それはマガジンハウス社の『POPEYE』や講談社の『ホットドッグ・プレス』
が作り出した文化世代だ、と一般に言われているが、私はそれ以前に、
あまりに情報量が多く雑然としたその状況を、とりあえず一望できるまでに
まとめようという考えは、この71年の竹内氏の『原色怪獣怪人大百科』が
嚆矢ではないか、と秘かに思っている。あれを卒業した子供たち(一部に
私のように卒業しなかった者も残るわけだが)が、音楽に、衣服に、
アイドルに、『原色怪獣怪人大百科』と同じ形式を求めたのである。
彼はただ怪獣図鑑を作ったのではなかった。スタイルを創出したのである。

やがて彼のもとには、同じように『大百科』にハマり、そのデータの不備
やさらに完全な放映リストなどを自作していた者たちが集り、現在のオタク
文化の原型のようなものが形作られる。それが伝説の『怪獣倶楽部』であり、
集ったメンバーには氷川竜介、開田裕治、池田憲章、富沢雅彦などがいた。
〈略〉
ただ一点、一点のみ、あまりに早い逝去故に本来実際にお会いして述べる
べきであったのがかなわなかった竹内氏の本を読んでの不満は、これだけの
情報・資料を以てその輪郭を描いた怪獣・特撮の世界に、9分の熱は感じ
られても、1分の“狂気”が抜け落ちていたことである。それを初めて感じ
たのは、氏の師匠である大伴昌司の軌跡を追った『OH!の肖像』を
読んだときのことだ。大伴氏を絶賛し、その早世を惜しみ、“今、ヤツが
ここにいてくれたらねエ”と嘆く野田昌宏氏と、気持ち悪い奴、とミも
フタもなく切って捨てる実相寺昭雄監督。この大物二人の、大伴氏への評価
の徹底的落差を、並列して記すのみでなぜ追わなかったのか、その間(あい)
に生じる人間の複雑さをこそ、描いて欲しかったという思いも確かにある。

……とはいえ、また思えば、その泥沼に足を敢て踏み込まず、データとして
のみ残すというやり方は、カタログ的手法を生み出した男・竹内博にあい
相応しい、と言えるのかもしれない。いずれにしてもはっきりしているのは、
竹内氏は、氏なかりせば残ることすらおぼつかなかったデータを膨大な量、
後生に残したということだ。その分析と評価は、後の世代に託された大きな
遺産であり、宿題と言えるのだろう。それが散逸しないことを切に祈る。

http://megalodon.jp/2011-0703-1118-27/www.tobunken.com/news/news20110629110416.html

×まだ17歳 ○まだ16歳

藤岡真blog」の「読んで書いていますか?」には、『OH!の肖像 大伴昌司とその時代』
内の実相寺昭雄の発言を引用して、「少なくとも、気持ち悪い奴、とミもフタもなく切って捨
てたりしてはいないこと一目瞭然である」と書かれている。

「現場では怪獣作る時に大伴さんが知恵を出したとか、そういうことは、ほとんどなかった」
とか「ほとんどお見かけしたことないね。現場では……」とか話していたのを、「気持ち悪い
奴、とミもフタもなく切って捨てる実相寺昭雄監督」ということにしてしまう唐沢俊一こそが、
おそろしく「気持ち悪い奴」じゃないかと思えてしまうのだが……。

唐沢俊一は、「竹内氏の本を読んでの不満は、これだけの情報・資料を以てその輪郭を
描いた怪獣・特撮の世界に、9分の熱は感じられても、1分の“狂気”が抜け落ちていた
こと」とも書いている。

これについて、2ちゃんねるのスレには、「優れた仕事を残した人に対して本当に失礼
だ」、「『創作・創造に凶器は必須』は、ある意味で真理だけど それを聞きかじっただけの
厨二が〈略〉書いた文字列以上でも以下でもない」などといった感想が書き込まれている
(Read More 参照)。

「1分の“狂気”」がないと、「本来実際にお会いして述べるべきであった」とまで述懐する
ような「不満」をもたなくては気がすまないものか、唐沢俊一本人も認めているように、
「泥沼に足を敢て踏み込まず、データとしてのみ残すというやり方」もあるのではないかと
思うし、そもそも「1分の“狂気”」なんて狂気含有率ではおさまりきらず、「気持ち悪い奴」
に成り下がっているきらいのある唐沢俊一が、他人様の訃報に際し何を言い出すのやら
……と思ったりもする。

サイコさんまたはエキセントリック中年ミドルエイジからの手紙
スモールサークルまたは破壊的カルトからの生還
唐沢俊一先生、その病、直っていません
あなたに似た人


さて、2ちゃんねるのスレには、いつものように (?)、「テンテーは世代わけ大好きだね」と
書き込まれていたけど、今回の「われわれの世代」は、違和感バリバリの代物でもある。

「上の世代たちが70年安保の余波でシラケているとき、われわれの世代は」と唐沢俊一
は書いているが、1958 年生まれの唐沢俊一は、いわゆる「しらけ世代」にもろ該当する
はずではないかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/しらけ世代
>しらけ世代(しらけせだい)とは、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎え
>た、政治的無関心が広まった世代を指す語。
〈略〉
>この世代を指す範囲の定義は3つ(1.1950年代後半に生まれた世代。2.1950年代から
>1960年代前半に生まれた世代。3.1950年代に生まれた世代。)ある。


まあ、上に引用の Wikipedia の項目は、「この記事には『独自研究』に基づいた記述が
含まれているおそれがあります」と注意書きがあるので、そのまま信用してよいかどうか
考慮の必要はあるかもしれない。ただ、1960 年代前半生まれのひとりとしていわせて
もらえるのなら、「しらけ世代」とは自分らより少し年上の 1950 年代生まれを主にさし、
ときには 1960 年代前半生まれも含まれることもある――という定義に違和感はない。


今回唐沢俊一のいう「われわれの世代」の方は、さらに違和感をおぼえるのが、1971 年
の『原色怪獣怪人大百科』を前にして、「ついに、自分が理想としていた本が目の前に
出現した」と興奮し、「シラケるどころではなく、身を熱く火照らせ」、「狂喜乱舞」したとか
書かれていること。

唐沢俊一によると、「自分とたった3歳しか違わない」竹内博が、「この本を作ったとき、
まだ17歳」。となると唐沢俊一は 14 歳だったという計算になり、『原色怪獣怪人大百科』
を目の前にして「狂喜乱舞」した「世代」というには、年をとりすぎな気がする。もっとも、
1971 から 1958 を引くと 13 だから、唐沢俊一は 13 歳のはずで、何かが間違っていると
いうことになるのだが。

ケイブンシャこと勁文社が『原色怪獣怪人大百科』を刊行したのは「1971年(昭和46年)
12月」で正しくて、1955 年生まれの竹内博が 1958 年生まれの唐沢俊一と 3 歳違い
なのも本当。つまり、竹内博が「この本を作ったとき、まだ17歳」というのは唐沢俊一の
単純な計算ミスで、実際は竹内博は 16 歳だったということになる。

ついでにいえば、唐沢俊一の文章だと、佐野眞一だけでなく竹内博も勁文社の社員の
ようにも読めてややこしいけど、竹内博は 1971 年に円谷プロに入社していたという話
らしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/勁文社
>株式会社 勁文社(けいぶんしゃ)は、かつて存在した日本の出版社である。対外的に
>は、「ケイブンシャ」とカタカナ表記しており、文庫本シリーズである『ケイブンシャ文庫』
>などでも知られた。
〈略〉
>1971年(昭和46年)12月、時の怪獣ブームの中で『原色怪獣怪人大百科』を刊行し、
>大ヒットを飛ばした。これはページ形式の本ではなく、大判のシートを折りたたんだ組本
>であった。編集を担当したのは、のちにノンフィクションライターとなる佐野眞一。社の近
>くの旅館にこもり、このヒット作を作り上げた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/竹内博
>竹内 博(たけうち ひろし、1955年8月7日 - 2011年6月27日)は、日本の特撮映画研
>究家、香山滋研究者である。日本推理作家協会会員。日本SF作家クラブ会員。酒井
>敏夫の名でも特撮関連書籍を著述している。

>略歴
>東京都江東区に生まれ、後に神奈川県横須賀市に移った為、横須賀を出身地とする。
>少年時代から香山滋の怪獣小説と特撮映画に魅され、1971年(昭和46年)に円谷プロ
>入社(営業、企画、制作)、1987年(昭和62年)に退社。大伴昌司に師事する。師の死
>後、その遺志をつぎ、怪獣・怪人大百科、特撮研究書等を多数執筆する。
>代表作は「ウルトラ怪獣大事典」「OHの肖像」「写真集特技監督円谷英二」「東宝特撮
>怪獣映画大鑑」など。編集に「香山滋全集」などがある。また、1975年(昭和50年)、円
>谷プロを取材に来たアマチュア時代の中島紳介らと知り合ったことがきっかけで、竹内
>の主催で特撮研究団体「怪獣倶楽部」を結成。メンバーには中島紳介、安井ひさし、原
>口智生、徳木吉春、聖咲奇、西脇博光、金田益美、開田裕治、氷川竜介、池田憲章、
>富沢雅彦らがおり、のちに特撮/アニメ評論に関わる多数の人物が輩出した。
>2011年(平成23年)6月27日午後8時11分、多臓器不全のため東京都八王子市の病
>院で死去した[1]。55歳没。


16 歳にしても 17 歳にしても竹内博は「早熟だった男」として、「たった3歳しか違わない」
でいて、ひたすら受け手として「狂喜乱舞」していた唐沢俊一は、彼のいう「われわれの
世代」にしてはオクテに過ぎるのではないかと思えてしまう。以前にここここに書いた
小学校留年説でもとらない限り、1971 年当時の唐沢俊一は、もう中学生になっていた
はずであるため。

まあ、中学生だろうが高校生だろうが、「シラケるどころではなく、身を熱く火照らせ」たの
が唐沢俊一が日頃いっている「オタク第一世代」であり、「われわれの世代」とはそれを
さしていると解釈すれば、違和感は消える。唐沢俊一と同じ年に生まれ『怪獣倶楽部』に
属していた氷川竜介のような人もいるし (彼の場合は、唐沢俊一と違い、学生時代から
プロの書き手として活躍していた早熟タイプみたいだけど)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/氷川竜介
>氷川 竜介(ひかわ りゅうすけ、1958年 - )は、兵庫県姫路市出身の男性フリーライ
>ター、編集者、アニメーション研究家である。東京工業大学卒業。中谷達也、ロトの
>筆名も持つ。
〈略〉
>高校時代の1975年、竹内博主導により結成された「怪獣倶楽部」(メンバーは中島紳
>介、安井ひさし、原口智生、徳木吉春、聖咲奇、西脇博光、金田益美、開田裕治、池田
>憲章ら)に参加。
>アニメ『宇宙戦艦ヤマト』ファンクラブ「ヤマト・アソシエイション」会長を務めたことから、
>大学在学中の1977年よりアニメ雑誌にアルバイトとして参加。当時アニメブームによっ
>て創刊されたばかりのアニメ雑誌は、草創期でプロのアニメ専業ライターがおらず、ファ
>ン活動を行なっていた者がプロ活動を始める格好の舞台となっていた。


http://hikawa.cocolog-nifty.com/data/2011/06/post-45ae.html
>訃報:竹内博さん
〈略〉
>1970年代に円谷プロダクションにてプランナーとして活躍。
>特撮映画・テレビ関係の出版物、サントラ盤の編集・執筆に活躍し、ゴジラ・ウルトラ
>マンの再評価を確立するとともに、同人・怪獣倶楽部を主宰、多くの後進を育てました
>(※)。
〈略〉
>※氷川自身も、その同人のひとりで末席を汚していました。
> 研究の仕方、データや資料の集め方、仕事に対する考え方など、多くのことを教わ
>り、竹内さんは大事な師匠だと思っています。そもそも、特撮やアニメが研究や評論の
>対象となったり、クリエイターで語られ、散逸してしまう資料を残して後世の研究につな
>ぐという、いまでは当たり前になった「概念」そのものを作られたのが、竹内さんだと思っ
>てます。
>本当に、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。心からの感謝を捧げます。



……しかし、「われわれの世代」とは「オタク第一世代」のことと脳内補完して読み進めて
いくと、「われわれの世代はカタログ世代と呼ばれる」で、「えっ?」と戸惑うはめになる。
1958 年生まれの唐沢俊一は、一般的には「カタログ世代と呼ばれ」てはいないのでは
ないかと。

http://www.jiyu.co.jp/GN/cdv/backnumber/200210/topics02/topic02_01.html
>◆カタログ世代
>1960年代生まれをこう表現する場合がある。1977年創刊の『POPEYE』をはじめ
>『Hanako』『ホットドックプレス』などなど“カタログ系”の雑誌からノウハウを学んだ世代
>で、マニュアル世代という言い方と意味が重なる。現在はこの種の雑誌のトップは
>『○○ウォーカー』。


しかも、唐沢俊一の定義でも、カタログ世代といえば「マガジンハウス社の『POPEYE』や
講談社の『ホットドッグ・プレス』」である。

「音楽に、衣服に、アイドルに、『原色怪獣怪人大百科』と同じ形式を求めた」と唐沢俊一
は書くが、中学生以上で『原色怪獣怪人大百科』を愛読していて、大学生になったら
『POPEYE』や『ホットドッグ・プレス』などの「雑誌からノウハウを学んだ」1950 年代後半
生まれの人たちというのは、ちょっとイメージがわかないんだけど……。

『POPEYE』の創刊は 1977 年だが、前述の氷川竜介は「大学在学中の1977年よりアニメ
雑誌にアルバイトとして参加」と、既に情報の送り手側に回っている。

唐沢俊一はというと、頻繁に自分語りを繰り返す彼の文章の中で、『POPEYE』や『ホット
ドッグ・プレス』といったカタログ雑誌の名前を見ることはめったにない。いや、全然ない
わけではなく、2007 年 7 月の裏モノ日記に「『POPEYE』のスターウォーズ特集」とか、
『POPEYE』の方は 3 ヵ所ほどチラリと登場していたけど。『ホットドッグ・プレス』の方は、
「site:tobunken.com」の中では、今回の“追討”記事の中にのみ登場。

まあ、「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと」に引用した文章などを読んでも、
「音楽に、衣服に、アイドル」などとは、ほぼ無縁で過ごしたと思われる唐沢俊一である。
これらの事柄について、カタログ雑誌をマメにチェックしたりしていたとも考えにくい。


で、個人的な違和感についてあれこれ書いてきたけど、実はこれは「われわれの世代」
というのを、1958 年生まれの唐沢俊一の世代だと思うのをやめて、1961 年生まれの
唐沢なをきの世代イコール「われわれの世代」と考えるようにすれば、割とすんなり納得
できたりする。

1961 年頃の生まれだったら、小学生の頃に『原色怪獣怪人大百科』に出会って、高校
から大学の頃は『POPEYE』や『ホットドックプレス』といった「“カタログ系”の雑誌」をよく
読んでいて――という人たちは、結構多かっただろうなと想像できる。

オタク第一世代がどうこうと先に書いたけど、こうやって考えてみると、第一世代は通常は
「1960年代生まれ」をさすという、通常の (?) 定義の方が、しっくりくる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/おたく
>時代の変化に合わせておたくも変化してきた。1960年代生まれを第1世代とし、70年代
>生まれを第2世代、80年代生まれを第3世代とする、東浩紀の行なった分類が現在の
>議論で広く用いられている[22][23]。
〈略〉
>22. ^ 東、『動物化するポストモダン』。13ページ。
>23. ^ 東浩紀「オタク現象と日本のポストモダニティ」、『ユリイカ』第40巻第7号、青土
>   社、2008年6月、220-233、ISSN 13425641、NAID 40016131659。


つまり、まあ、ビデオの件とか (ここを参照)、コピー機の件とか (ここを参照)、3 歳離れた
弟の実績みたいなものを、自分のものであるかのように語る癖が唐沢俊一にはあって、
今回は「弟の世代」の話を、強引に「われわれの世代」の話にしてしまったものだから、
一般論としては成り立ちにくい妙な世代論になってしまったものと思われる。


なお、「カタログ文化」という意味で、「『原色怪獣怪人大百科』が嚆矢」というのは少し
変ではないか――という疑問の声も2ちゃんねるのスレではあがっていた (Read More
参照)。

その他参考:

http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/20061220/p2
>―:昔、雑誌が魅力的に見えたのは何故だったと思われますか。

>宮台:カタログ文化があったから。雑誌が隆盛だったのもカタログ文化の御蔭。カタログ
>文化はカウンターカルチャーの生き残りです。カウンターカルチャーは政治的オルタナ
>ティブを目指す動きだったけど、1960年代末に政治的敗北が見え始めてから、文化的
>オルタナティブを目指す動きに変異した。日本のアングラブームが典型。アメリカでは、
>カウンターカルチャーが終ると、ドラッグレス・ハイと結びついたバックパッカーブやサバ
>イバルのブームになった。その中からアップルコンピュータとかシリコンバレーも出てき
>た。

> 別の言い方をすれば、北朝鮮やキューバやパレスチナなどの現実の場所に「ここでは
>ないどこか」を求める動きが終焉。かわりに「ここではないどこか」が内面的なものにな
>る。それが70年代前半の「政治的オルタナティブから文化的オルタナティブへ」の動き
>だね。その中にカタログ文化が組み込まれていたんだ。「ここではないどこか」を、政治
>的オルタナティブじゃなく文化的オルタナティブとして捉える営みの一つが、カタログ文
>化です。キーワードは「読み替え」。ただの平凡な街も、カタログを手にして歩くと、別世
>界。オルタナティブなコスモロジーに変容する。世界を読み替えるツールがカタログとい
>うわけ。代表格が『Made in USA Catalog』。後継雑誌が初期『Popeye』だった。

> 繰り返すと、オルタナティブな素材を探すのでなく、凡庸な素材を非凡に読み替える。
>読み替えの手続き自体は60年代のパロディーカルチャーを引用したもの。ただパロ
>ディーが意味に反意味をぶつける「カウンターカルチャー」だったとすると、カタログは
>意味と反意味の対立に非意味をぶつける「諧謔カルチャー」に繋がっていく。真剣な対
>立を前にして横にズレる営み。差異や記号と戯れる営み。そこから『ビックリハウス』も
>出てきた。

> カタログ文化を支えた文脈が脱落して、マニュアル文化に変わるのが77年。マニュア
>ルは「こんな君にはこんなコが似合いだ」「こんなコにはこんなデートコースが似合いだ」
>と指南するわけ。カタログ的な「読み替え」じゃない。街のコスモロジーが既定のものと
>してあり、その利用法を若い田舎者に教える。この変化は『ポパイ』の変節や、変節し
>た『ポパイ』に二匹目のドジョウを狙った『ホットドッグプレス』の展開にも示されていた。



More...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1309102962/
-------
510 :無名草子さん:2011/06/29(水) 18:40:58.15
テンテーの追討更新来ました
早熟だった男 【訃報 竹内博】

511 :無名草子さん:2011/06/29(水) 18:43:55.81
>われわれの世代はカタログ世代と呼ばれる。

テンテーは世代わけ大好きだね。

514 :無名草子さん:2011/06/29(水) 18:48:57.56
>ただ一点、一点のみ、あまりに早い逝去故に本来実際にお会いして述べる
>べきであったのがかなわなかった竹内氏の本を読んでの不満は、これだけの
>情報・資料を以てその輪郭を描いた怪獣・特撮の世界に、9分の熱は感じ
>られても、1分の“狂気”が抜け落ちていたことである。

テンテーとお会いにならずに良かった気もする。
狂気?そんなもん必要なの?
優れた仕事を残した人に対して本当に失礼だ。通常運転すぎ。

519 :無名草子さん:2011/06/29(水) 19:23:57.92
>>514
「創作・創造に凶器は必須」は、ある意味で真理だけど
それを聞きかじっただけの厨二が「これ(竹内氏)にこれ(凶器は必須)を当てはめてみれば
それらしくアカデミック(笑)な文章になるんじゃね?」レベルで書いた文字列以上でも以下でもないかな
としか言えんわw

577 :無名草子さん:2011/06/30(木) 09:23:26.09
竹内博の追悼をするなら、香山滋研究の功績は外せないよな。

578 :無名草子さん:2011/06/30(木) 09:35:39.00
テンテーの追討ってだいたいこれ
________________________________

針の穴から天を覗く

はりのあなからてんをのぞく

[針の穴から天を覗く]
針の細い穴を通して天を見ても、天のごく一部しか見えないように、
自分の狭い見識で物事を判断しようとすると大きな失敗をする、というたとえ。
また、大して能力がない者が、大きな物事に取り組むことの無益さのたとえ。
類 「管を以って天を窺う」

584 :無名草子さん:2011/06/30(木) 10:33:04.70
http://www.tobunken.com/news/news20110629110416.html
>われわれの世代はカタログ世代と呼ばれる。
>それはマガジンハウス社の『POPEYE』や講談社の『ホットドッグ・プレス』
>が作り出した文化世代だ、と一般に言われているが、私はそれ以前に、
>あまりに情報量が多く雑然としたその状況を、とりあえず一望できるまでに
>まとめようという考えは、この71年の竹内氏の『原色怪獣怪人大百科』が
>嚆矢ではないか、と秘かに思っている。あれを卒業した子供たち(一部に
>私のように卒業しなかった者も残るわけだが)が、音楽に、衣服に、
>アイドルに、『原色怪獣怪人大百科』と同じ形式を求めたのである。
>彼はただ怪獣図鑑を作ったのではなかった。スタイルを創出したのである。

587 :無名草子さん:2011/06/30(木) 10:37:30.15
>>584
カタログ雑誌の流れは
1964年創刊の平凡パンチ、1966年創刊の週間プレイボーイから
始まったんじゃないの?

588 :無名草子さん:2011/06/30(木) 10:37:48.24
『POPEYE』の前身とも言える雑誌として、『MADE IN U.S.A catalog』(1975年/
読売新聞社)がある。あれが所謂カタログ雑誌の先駆であることはほぼ確実。

その「嚆矢」と言うなら『POPEYE』と同じ平凡出版から1964年に出版された『平凡パンチ』は?
本来良い意味で使われることのなかった「こだわり」という言葉を初めて肯定的な意味で使用
したのも『パンチ』だったと思う。まあ、あれは「あまりに情報量が多く雑然としたその状況を、
とりあえず一望できるまでにまとめようと」はしてなかったかもしれないけど。

589 :無名草子さん:2011/06/30(木) 10:39:26.89
唐沢って怪獣とかその辺は卒業しちゃって、30すぎてから仕事にするために
再びその辺を語り始めたって印象だと思っていた。

593 :無名草子さん:2011/06/30(木) 11:14:39.98
ファッションや音楽に疎い唐沢は大きな勘違いをしている。
『POPEYE』や『ホットドッグ・プレス』は理想とするライフスタイルに
絞り込んで編集されており、ポリシーに反するカテゴリーは決して
扱わなかった。あるスタイルを偏執狂的なまでに追求しているところが
新しかった。
“『原色怪獣怪人大百科』と同じ形式”ではないのだ。

-------

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