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2011.06.25 (Sat)

そもそも「共産党シンパであった私の小学校の担任」って実在の人物なの?

http://www.tobunken.com/news/news20110619140808.html

イベント
2011年6月19日投稿
時代の幕をひいた男 【訃報 平田隆夫】
http://www.youtube.com/watch?v=MSqGUyfw1x8&feature=player_embedded

幡ヶ谷にある中華料理店『チャイナハウス』で何回かお会いした。
ここのマスターの奥さんが、『平田隆夫とセルスターズ』の女性ボーカル
(二人いるが、そのうちのメガネの方)のみみんあいさんだった。
〈略〉
1972年。世の中は若者たちを覆っていた敗北感、虚脱感、虚無感からの
脱却にあがいていた。比較的年少の男子は天地真理に、女子は郷ひろみに
キャアキャア騒いでいたが、大学生たちは妙にシニックに、しかし抵抗の
気概は無くして、あさま山荘事件で最後の抵抗を試みた赤軍派にも、
シンパシーを表明する者は少なかった。
〈略〉
『ハチのムサシは死んだのさ』は、作詞の内田良平に言わせると政治的な
意味合いなどは全くない、ただのナンセンス・ソングであるということ
だったが、それが事実であるにせよ、あの時代の若者たちには例外なく、
70年安保への追悼と、その戦いの総括という意味合いを以て歌われていた。
共産党シンパであった私の小学校の担任はこの歌が嫌いで、私たちが歌って
いると、”そんな敗北を美化した歌は歌ってはいけない“と叱ったものだ。

結局、自分たちのやっていたことはハチにすぎない自分の身上を省みず、
太陽に突進していった無謀なことだったのだ、という自嘲の笑いと、
しかし、その向こう見ずな勇気は若さ故の特権だったのだ、という自己満足、
そして夕陽の燃える麦畑に眠る一匹のハチのむくろ、というメルヘン的な
情景。そこに収斂する物語は、あの戦いを一篇のストーリィにまとめ、
自己完結させるに必要充分な内容とイメージを持っていた。
ある意味、あの歌は安保にいつまでもイジイジこだわっていた連中に
引導を渡した歌だったのである。

歴史の上では、そのつもりがなくとも、そのような役割を背負ってしまう
人物がいる。平田隆夫とセルスターズは、まさに、その歴史の役割、“戦後”
の幕引きを請け負ったグループだったと思う。

その幕を引き終ったところで、平田氏はポン、とセルスターズを解散させて
しまった。その後再結成したりもするが、やはり、時代を背負ったものは
時代と共に変化しなくてはいけない、という意識があったのだろう。

ところで、謎であったのが“セルスターズ”というグループ名である。
“衛星”という意味ならテルスターズだ。みみんさんにこの点を質問したら
「最初テルスターズにしようと思ったンだけど、平田さんの頭のてっぺん
がそのころもう、薄くなりはじめていたのよネ。頭が“照る”スターズじゃ
イヤだから、一文字変えてセルスターズにしたのヨ」
ということだったが、果たしてホントウかどうか。

http://megalodon.jp/2011-0625-1509-40/www.tobunken.com/news/news20110619140808.html

×小学校の担任 ○中学校の担任 (?)
ד衛星”という意味なら ○人工衛星の名前からとったのなら
または
×テルスターズ ○テルスター

今回、平田隆夫の訃報にあたり、唐沢俊一は長々と『ハチのムサシは死んだのさ』の
歌詞について語り、「ある意味、あの歌は安保にいつまでもイジイジこだわっていた連中
に引導を渡した歌だった」とか書いている。

ちなみに、歌詞の全文は、こちらでも読める。

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND3623/index.html
>作詞:内田良平 作曲:平田隆夫

で、まあ、唐沢俊一本人が「作詞の内田良平」と書いている通り、作詞は平田隆夫では
なくて俳優の内田良平だし、その内田良平も「政治的な意味合いなどは全くない、ただの
ナンセンス・ソング」と語っていたと、これまた唐沢俊一本人が書いているのだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/平田隆夫とセルスターズ
>1968年に結成。1971年8月に「悪魔がにくい」でデビューし、オリコンチャートにおいて
>翌1972年1月より5週連続1位を記録[1]。同年2月に発売された、内田良平の詩を歌詞
>に使用した「ハチのムサシは死んだのさ」が、その寓話的な歌詞などにより連続ヒット
>する[1]。同曲は殺虫剤のコマーシャルソングにも使われ[1]、その年の第23回NHK紅白
>歌合戦に初出場した。
>1976年に解散したが、1993年、メンバーに松本朱未、川原まいを加え再結成[2]。
>メンバーの平田隆夫と菊谷栄二が埼玉県川口市でスナック「ハチのムサシ」を経営して
>おり、店内のステージにて演奏活動を行っている。


http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-1ed3.html
>さて上記の大ヒット二曲ですが、
>数字的には『悪魔がにくい』の方がかなり上で、これも印象的な歌ですが、
>やはり『ハチのムサシは死んだのさ』はあまり強いインパクトを持った名曲です。

>『悪魔がにくい』は作詞作曲とも平田氏ですが、『ハチのムサシ』は作曲のみの担当です。
>詞の内容は時代からいっても学生運動の挫折をイメージさせるものですが、
>作詞は意外にも俳優の故内田良平氏が務めています。


個人的には、『ハチのムサシは死んだのさ』の歌詞は、何かイカロスと宮本武蔵を足して
二で割ったようなハチのことを歌ったような歌でよくわからない (←貶してるのではなくて)
し、集団で戦う学生運動と一人で戦うハチのムサシはちょっと毛色が違う気もするから、
「ただのナンセンス・ソング」といわれた方がしっくりくる。

とはいっても、当時の大人たちは学生運動の挫折がどうこうといっていた記憶もあるし、
先に引用したブログの人も、「詞の内容は時代からいっても学生運動の挫折をイメージ
させるもの」と書いているし、唐沢俊一のいう「あの時代の若者たちには例外なく、70年
安保への追悼と、その戦いの総括という意味合いを以て歌われていた」というのもまあ、
「例外なく」は言い過ぎだろうと思うけど、よいとして。

当時小学生だった自分と、それより年上だった人たちとは、歌の受け止め方が違うかも
しれないなあと思って読んでいくと、「共産党シンパであった私の小学校の担任はこの歌
が嫌いで、私たちが歌っていると、”そんな敗北を美化した歌は歌ってはいけない“と叱っ
たものだ」とか唐沢俊一が書いているので、少し驚いた。

唐沢俊一自身、「1972年」という年は、「あさま山荘事件」が起こった年でもあると書いて
いるくらいだから、『ハチのムサシは死んだのさ』は 1972 年の曲だという認識は共有して
いるはず。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1972年
>2月19日 - 連合赤軍によるあさま山荘事件。2月28日に全員逮捕。
〈略〉
>天地真理「ひとりじゃないの」「ちいさな恋」「虹をわたって」
〈略〉
>平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」「ハチのムサシは死んだのさ」
〈略〉
>郷ひろみ「男の子女の子」


で、1958 年生まれの唐沢俊一は 1972 年には 13 歳か 14 歳のはずで……それでなぜ
「小学校の担任」に叱られなければいけないのかと。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
>■1971(昭和46)年:12~13歳(中学1年生)
〈略〉
>■1972(昭和47)年:13~14歳(中学2年生)


先に引用した Wikipedia によると、「同年2月に発売された、内田良平の詩を歌詞に使用
した『ハチのムサシは死んだのさ』」とのことだから、この曲が発売された時点では唐沢
俊一は 13 歳の中学 1 年生という計算になる。

……しかし、以前に「1970 年カラサワシュンイチ 12 歳」のエントリーで書いた件もある
ので、判断が難しい。上の方には「×小学校の担任 ○中学校の担任」と書いたけど、
もしも唐沢俊一小学校留年説を再浮上させるのなら、「小学校の担任」で正しいという
ことになる。

時空の歪みはそこだけではなくて、「“戦後”の幕引きを請け負ったグループだった」に
「その幕を引き終ったところで、平田氏はポン、とセルスターズを解散させてしまった」と
いうのも少し変。平田隆夫とセルスターズの解散は 1976 年のことで、唐沢俊一のいう
「安保にいつまでもイジイジこだわっていた連中に引導を渡した歌」を発表してから、4 年
も経過した後のことである。

「その後再結成したりもするが、やはり、時代を背負ったものは時代と共に変化しなくては
いけない」というのも意味不明で、平田隆夫は旧メンバーでのライブも数多くこなしていた
そうなのだし。

http://oldfashioned.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-1ed3.html
>その後、1993年に平田氏と菊谷栄二氏を中心に女性ボーカル二人は新メンバーを
>加えて再結成しました。

>平田氏と菊谷氏は西川口でミュージックパブ「ハチのムサシ」を経営、
>そこを拠点に音楽活動を続ける一方、近年もテレビの懐メロ系の番組に時々出演して
>いました。
>しかし、テレビ出演の際は主に旧メンバーで現在はソロ活動している村部レミ氏、みみ
>んあい氏が一時復帰して登場することが多く、やや変則的な活動でした。


で、唐沢俊一が常連だった中華料理店の「マスターの奥さん」でもある「『平田隆夫とセル
スターズ』の女性ボーカル(二人いるが、そのうちのメガネの方)のみみんあいさん」。

「そのうちのメガネの方」というのは、唐沢俊一が示したリンクよりも、
http://www.youtube.com/watch?v=O4JmgpYjJV0
で見た方がわかりやすい。

彼女が唐沢俊一に「最初テルスターズにしようと思ったンだけど」とか説明したとのこと
だが、その前に唐沢俊一の書いている「“衛星”という意味ならテルスターズだ」というの
が、最初は意味がわからなかった。衛星はサテライトではなかったか、テルスターズと
いうこともあるのかと悩んだりしていたので……。まあこれは自分が無知なせいもあった
んだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/衛星
>衛星(えいせい、Natural Satellite)は、惑星や準惑星・小惑星の周りを公転する天然
>の天体。ただし、惑星の環などを構成する氷や岩石などの小天体は、普通は衛星とは
>呼ばれない。
〈略〉
>人間が作った人工天体の場合には、天然の衛星(自然衛星)と区別するために「人工
>衛星」(Artificial Satellite) と呼ぶ。英語では、口語的に "moons" という言葉で、月に
>かぎらず、各惑星等の衛星全般を指すこともある。


実は、「“衛星”という意味ならテルスターズだ」というのは、5 年前の裏モノ日記の記述を
セルフ劣化コピーしたものと思われる。

http://www.tobunken.com/diary/diary20060310000000.html

ロビーにすでに来てくれているみみんあいさんに挨拶、9階スタジオへ。
今日のゲストは純粋に私が昔ファンで、しかもいま、近しいところにいる、
というだけの人。一応、理屈として眼鏡っ娘の元祖という位置づけをする。
後は完璧に趣味の世界。『ハチのムサシは死んだのさ』はいまだにわが
心の歌なのだがそれを歌っていた人とこうやって話が出来る。人ようらや
め、である。

打ち合わせ中にポンポンいい話が出て、あせる。ラジオ慣れとかしている
人なら、同じ話を本番でもしてくれるが、そうでないと
「あ、これはさっき話したから」
と、そこをトバしてしまったりするのである。最初は人工衛星にちなんで
“テルスターズ”だったのがセルスターズになったのは、バンメシ(バン
マスのこと)がそろそろ頭が薄くなってきて、「テルよりセルがいいだろ」
と言った、という話など爆笑。


「最初は人工衛星にちなんで“テルスターズ”だった」のなら意味は通る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/テルスター衛星
>テルスター衛星(テルスターえいせい、英: Telstar)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)
>が打ち上げた通信放送衛星。1号機はAT&T製で1962年(昭和37)7月10日に打ち上げ
>られ、パリからアメリカへのテレビ中継に成功した。


「“衛星”という意味ならテルスターズだ」と、「人工衛星」の「人工」を省いて、わざわざ
「“衛星”」と引用符までつけて、さらに「テルスターズ」と複数形だと、固有名詞ではなく
普通名詞としての「衛星」の説明になると思うんだけど……。

ちなみに「Telstars」でググると、海外のバンドがヒットしたりする。

http://www.soft-tempo.com/records/2009/12/telstars_spelstars.php
>モッドな音を発していた60年代とは打って変ってポップなダンス・バンドへと変貌した
>TELSTARSの74年作。


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Comment

>唐沢俊一の書き方だと、平田隆夫は<中華料理店『チャイナハウス』>の
>マスターでみみんあいと結婚しているかのように読めちゃいます。

><“戦後”の幕引きを請け負ったグループ>とか大袈裟だし。

今回は (も?)、よく読めば嘘は書いていないんだけど、誤読しやすい文章だと
思います。

私は、本文を書いている途中で、あれ、Wikipedia には「メンバーの平田隆夫と
菊谷栄二が埼玉県川口市でスナック『ハチのムサシ』を経営」と書いてある……
じゃあ幡ヶ谷の店というのは――と、ちょっとわからなくなったりしました。@_@

歌詞についても、あれ、作詞は平田隆夫じゃないじゃないか……ああ、でも、
「作詞の内田良平に言わせると」とは一応書いてあるなあ、と。

このわかりにくさは、今回にかぎっては意図的なものではないかと思います。
全体的に何とか「時代の幕をひいた男 【訃報 平田隆夫】」という題の通りに
まとめようと、必死な感じで。


『太陽がくれた季節』は、学校放送で流れていたせいで、個人的にはかなり
ヘビーローテで聞いた覚えがあります。「青い三角定規」というグループ名が
お洒落だとか、所属事務所の社長さんか誰かがかなり愛着をもっていた名前
だったために新青い三角定規が結成されたとかいう話もあったかと。

『だれかが風の中で』や『出発の歌』は、今回久しぶりに聞き直してみたら、
予想とは少し違ってアナクロ懐メロという感じがしなくて、ワタシ的には結構好き
です。CM への起用で耳にしていた期間が長いせいかもしれませんが、特に
『出発の歌』。逃避にしたって、銀河を超えて宇宙にまでいくなら大したものだと
思えますし、曲は小室等ですし。
トンデモない一行知識 |  2011年06月26日(日) 19:57 |  URL |  【コメント編集】

唐沢俊一の書き方だと、平田隆夫は<中華料理店『チャイナハウス』>のマスターでみみんあいと結婚しているかのように読めちゃいます。みみんあいが唐沢のラジオ番組に出たとき、平田は彼女に携帯をかけてきたとか。という事はとうぜん番組には関わっていないと思われるので、なら唐沢と<痛いほど力強い握手>をしたのはみみんあいがラジオ出演した後に、わざわざセッティングしてだか偶々だかで『チャイナハウス』に両者が対面してということだろうから、そのへん時間軸に沿って記してほしいところ。

<70年安保への追悼と、その戦いの総括という意味合いを以て歌われていた。>
↑はいつもの紋切り型世相語りで、同時期に同様なチャート・ランキングにいた上條恒彦の『だれかが風の中で』というかなりそういうニュアンスの歌のことに言及されていない点でディテールの正確さを欠いている。だから、とりたてて『ハチのムサシ・・・』が突出していたってわけでもないと思う。内相的な歌目立ったんだよ、『別れの朝』とか。<“戦後”の幕引きを請け負ったグループ>とか大袈裟だし。
上條で言えば、前シングル『出発の歌~失われた時を求めて』からしてかなり<70年安保への追悼>っぽいし(作詞は及川公平~『だれかが風の中で』は和田夏十)、上條恒彦は歌声喫茶『灯』→労音出身ってこともあり彼の歌は<共産党シンパ>とは相性はとてもいい。だけど『出発の歌』は<敗北を美化>どころか<逃避のススメ>だよなあ・・・。
私は唐沢少年のように世相に詳しくなかったので、1972年春先のリアルタイムでは『太陽がくれた季節』や『夜明けの停車場』を愛しながらもNHK少年ドラマシリーズ『とべたら本こ』主題歌がとっても印象に残っている。

The Telstarsはいろいろあって、一行知識さんの挙げたスウェーデン・バンドのほかにアメリカ(ビリー・ストレンジのバック・バンド)、イギリスなどのがネットで出てきますね。テルスターズというネーミングの由来は、どこのバンドであろうがトルネードズのエレキ・インスト『テルスター』からだろうことは間違いないでしょうが。
discussao |  2011年06月26日(日) 11:07 |  URL |  【コメント編集】

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