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2011.06.13 (Mon)

真の心の平安のためには、あきらめるより情調オルガン

鳥取地震そして仙台のファン」に続いて、「地震についても、もっと集めてみようか」の
その 2。

裏モノ日記 2004年 10月 24日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20041024000000.html

焼酎と地震情報で疲れて寝こけていたがふと目を覚ますと四時半。あわ
ててテレビつけたらコミビアをちょうどやっていた。地震情報番組体勢で
飛ぶのではないかと心配していたが、地震情報画面で小さくなってはいた
がちゃんとオンエア。……第一回よりはるかに見やすく、また声も聞き取り
やすく、面白いのに驚く。編集とダビングにスタッフが慣れたということか。
おぐりゆか、まだカンペを追って目が流れているが、その存在感、前回の
三割増しくらい。このまま大きくなっていったら凄いと思う。こんな時間に
ブラウン管で見た人物を十数時間後に舞台で観る。思うとまたなかなか
おもむきのあるものである。

 とはいえ、脳天気に喜んでばかりもいられぬ地震の惨状。また例に
よって“これは天災ではない、人災だ”とか喚いている者もいるようだが、
マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災なんてものは
無いに等しくないか。人の力には限界があるし、そこまでの災害に常に
備えなくてはならない、となったら、日常生活が破綻を来すだろう。人間
は常にリスクを背負って生きているのだ。準備結構、防災意識結構。
しかし、いざ災難が降りかかった際の選択肢のひとつに“天命と思い
あきらめる”という一条を用意しておかなければ、真の心の平安は得られ
ないのではないか。 現代にそれを説く紅羅坊名丸先生はいないのか?


「マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災なんてものは無いに等しくない
か」というのは、いろんな意味でおかしな理屈で、マグニチュードの数値がどうであろうと、
人災により被害が拡大する場合とそうでない場合があると思うけど。

もっとも、唐沢俊一が日記で言及している「2004年10月23日」の新潟県中越地震は、
「“これは天災ではない、人災だ”」などといわれる要素は見あたらないような気が。

http://www.hinet.bosai.go.jp/topics/niigata041023/
>平成16年(2004年) 新潟県中越地震
>2004年10月23日17時56分に新潟県中越地方においてM6.8の地震が発生しました。
>その後も震度6強を複数回観測するなど、活発な余震活動が継続しています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/新潟県中越地震
>新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年(平成16年)10月23日17
>時56分に、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の
>地震。
〈略〉
>・死者68人
>・重傷633人、軽傷4,172人
>・住宅の全壊3,175棟、半壊13,810棟、一部損壊105,682棟
〈略〉
>家屋の全半壊はおよそ1万7000棟に上り、一部で火災が発生したものの、家屋密集
>度、人口密度が低い地域で発生した地震であったため、瞬間的に阪神・淡路大震災を
>越えた規模と比べれば被害ははるかに少なかった。山間部で人口が密集する都市が
>少なかったこと、豪雪地帯のため雪に押し潰されないよう建物が頑丈に作られていたこ
>と、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていた
>事などが、被害を抑えた要因だといわれている。
〈略〉
>被災者の身体的被害
>車の中で長期間寝泊りすることで、下記のような症状を起こし、今回の地震で数名が死
>に至った。
>・深部静脈血栓症: いわゆるエコノミークラス症候群
>・心筋梗塞・脳梗塞: 精神的あるいは身体的ストレスで発症リスクが高まる
>・血栓症: 排気ガス中の一酸化炭素吸入による


「車の中で長期間寝泊りすることによって命をおとした」人たちの話は当時聞いたおぼえ
があるし、何とか防げなかったのかとは思う。でも、そのようなことをもって人災だとか主張
していた人がいたという記憶はない。

そもそも、唐沢俊一のいう「“これは天災ではない、人災だ”とか喚いている者」とは何が
どうだといって人災と主張していたのかわからない。「喚いている者」が本当にいたのか
どうかさえわからないが、「新潟地震 震災」でググってみたら、こういうの↓はあった。

http://www.youtube.com/watch?v=yKelRMAnyis
>中越地震&中越沖地震は人災かも知れない!

もしかして、と学会が最近お気に入り (ここここを参照) の人工地震ネタなのだろうか。
つい最近も別件で聞いたような気がするアレ。

http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1466.html
>民主党・梶川ゆきこ議員「今回の震災は『人工地震』によるもの。ネットで検索すれば
>わかる」


http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1473.html
>民主党・梶川ゆきこ議員が「人工地震」の根拠として出した「ゴルゴ13 第6話」はコラ
>画像だった


まあ、上の例のように、冗談サイトの加工したものをオリジナルと勘違いし、フィクションと
現実をごっちゃにして、それ何て唐沢俊一? ということをやらかしてくれれば、何の冗談だ
と即座にいえるわけだが。

ドメインからして uso8oo.com なのに……
久生十蘭の小説だけでチベットを語る?

困ったことに、唐沢俊一は「マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災なん
てものは無いに等しくないか」という否定の仕方をしてくれているものだから判断に悩む。

Wikipedia によると、核爆発による人工地震は、「マグニチュード6.97に相当する揺れ」、
「マグニチュード7.0相当」の例もあるそうだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/人工地震
>人工地震は、人工的な発破などにより発生する。一方、通常の地震動を発生させる地
>震のことを、自然地震と呼ぶことがある[1]。
>土木工事などに使われる発破は地震波を発生させるため、しばしば自然地震と誤認
>される。ただし地震波には、P波に比べてS波が小さい、表面波が卓越する、すべての
>観測点で押し波となるなどの特徴があり、自然地震による地震動との判別は可能であ
>る。核爆発によるものは代表的な人工地震のひとつであり、大規模な地震動となった
>例もある(後述)。
〈略〉
>1973年9月12日に、ノヴァヤゼムリャの北島で行われた核出力4.2Mtの地下核実験で
>は、マグニチュード6.97に相当する揺れが発生した[2]。
〈略〉
>アメリカ合衆国が1971年から1972年にかけて行なった地下核実験(グロメット作戦)の
>うち、1971年アムチトカ島における地下核実験(カニキン・プロジェクト[3])においてW71
>核弾頭が使用された際、核出力は5Mtで地下核実験としては最大規模の記録を出した
>が、マグニチュード7.0相当の人工地震も記録した[4]。
〈略〉
>誘発地震
>人工震源と異なり、人為的な原因によって引き起こされる自然地震を誘発地震という。
〈略〉
>流体注入による誘発地震
>水分やガスといった流体が地中に注入されることで地震が誘発されることがある。ロッ
>キー山脈のアメリカ軍の兵器工場で、1962年3月から深さ3670メートルの地下に放射
>性の廃水を廃棄し始めたところ、1882年以来80年間地震が無かった場所に地震が発
>生し始めた。また、注入量や圧力に比例するように地震の数が増減した[6]。
〈略〉
>2. ^ Frozen in Time: A Cold War Relic Gives up its Secrets
>3. ^ Project CANNIKIN。カニキン実験とも。
>4. ^ W-71 warhead information including at Globalsecurity.org
〈略〉
>6. ^ 島村英紀「人間が起こした地震」


まあ前述のビデオによると、新潟県中越地震は「水分やガスといった流体が地中に注入
されることで地震が誘発」の方だという主張のようだし、そもそも Wikipedia に書かれて
いるからといって、どれだけ信用してよいかという問題もあるのだが……。

いや実際「人工地震」でググると怪しげなページばかりがヒットする一方、上に引用した
ような Wikipedia の記述の真偽を解説してくれている資料も見つけられないのが困った
ところで……「地下に放射性の廃水を廃棄し始めたところ、1882年以来80年間地震が
無かった場所に地震が発生」あたりは、時節柄シャレにならないと思ったりするし。

で、Wikipedia の記述の妥当性についての判断は、もう自分の手にあまるので、おいて
おくとして (←おい)。

人工地震の実体はどうあれ、「マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災
なんてものは無いに等しくないか。人の力には限界があるし、そこまでの災害に常に備え
なくてはならない、となったら、日常生活が破綻を来すだろう」という唐沢俊一の理屈は、
少し変だとは思う。

いくら「人の力には限界がある」といったって、たとえば新潟県中越地震は、「豪雪地帯の
ため雪に押し潰されないよう建物が頑丈に作られていたこと、また小千谷市などでは阪神
・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていた事などが、被害を抑えた要因だと
いわれている」とのことである。

「M6.8の地震」「震度6強」を過小評価するつもりはさらさらないが、地震国日本としては
前代未聞の大地震とは到底いえない。「そこまでの災害に常に備えなくてはならない、と
なったら、日常生活が破綻を来すだろう」とはいっていられないだろう。新潟は 1964 年に
「M7.5」の地震を経験しているのだし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/新潟地震
>新潟地震(にいがたじしん)は、1964年(昭和39年)6月16日13時1分41秒、(JST)、
>新潟県粟島南方沖40km(北緯38度22.2分、東経139度12.7分、深さ34km)を震源とし
>て発生した地震。地震の規模はM7.5。サハリンから新潟沖へとつながる日本海東縁変
>動帯で発生した地震の一つ。


さらに唐沢俊一は、「人間は常にリスクを背負って生きているのだ。準備結構、防災意識
結構。しかし、いざ災難が降りかかった際の選択肢のひとつに“天命と思いあきらめる”と
いう一条を用意しておかなければ、真の心の平安は得られないのではないか」と書いて、
「現代にそれを説く紅羅坊名丸先生はいないのか?」と続ける。

紅羅坊名丸先生って誰のことかと思ったら、落語の登場人物で、「だったら、全て天災だと
思ってあきらめなさい。天のせいにすれば、喧嘩をしないですむ」とか、これまた時節柄
シャレにならない (かもしれない)、ありがたい言葉をほざいてくれる人ですね、と。

http://ginjo.fc2web.com/46tensai/tensai.htm
>柳家小さんの噺、「天災」によると。
>  私は紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)ですが、ご隠居さんのお手紙を拝見すると
> ”おっかさん”に手を挙げるそうですが、そのような事はないでしょ。ない!蹴飛ばす。
> では、お話をしますと、喧嘩がお好きなようですが、柳に風のごとく、堪忍が大事。
> 例えば、小僧が水を掛けたら・・。屋根から瓦が落ちてきたら・・。大きな原中で夕立、
> ずぶ濡れになったら、どこに喧嘩をウリりますか。あきらめらぁ?。だったら、全て天災
> だと思ってあきらめなさい。天のせいにすれば、喧嘩をしないですむ。
>  分かった!帰るけれどお茶が出ないのは天災と諦めるが、戸の開けっ放しは天災
> だと諦めな。


http://www.rakugofan.com/?page_id=697
>紅羅坊名丸:
>「人間、いかなるときも堪忍が重要。たとえば小僧に水をかけられた時でも、これはたま
>たまそこを通りかかった不運。雨に降られたんだと思えば良い。小僧が水をかけたので
>はなく、天が雨を降らせたんだ。つまり“天災”にあったと諦めれば腹も立たないだろ
>う。」


さて、唐沢俊一の「“天命と思いあきらめる”」に「真の心の平安」とかいうのは、今回の
震災を経てなお健在かどうか。

『時には沈黙を』にはなっていません (2)」のエントリーに引用した文章では、このような
ことを書いている。

http://www.tobunken.com/news/news20110406142814.html

私は、マスコミに出る学者は御用学者でないといけないと思って
います。
それを信じるかどうかは個人の自由として、マスコミ情報の混乱は
災害時に大きな混乱を引き起こす可能性がある。
統一されていない、さまざまな意見の乱立は受け取る側が混乱します。
何よりも原発付近の、身動きのとれない被災者たちの心の安定をこそ
考えて、非常時の情報は流すべきなのです。


「“天命と思いあきらめる”」というより、「知らぬが仏」を断固として推奨――という感じ?

『逃げちゃダメだ』を他人に押し付けるのは止めた方が……」に引用した文章では、
以下のようなことをいっている。

裏モノ日記 2011年 04月 20日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20110420115339.html

今回の原発事故でも、不安を煽るように、福島から逃げろ、東京を離れろ、
生命が危ないとツイッターなどで書き込む者が多くいた。
しかし、現実問題として、逃げたくとも逃げることの出来ない人たちが、
福島にも東京にも大勢いるのである。老人、病人、生活困窮者。
そういう人々を置いて自分だけ安全圏に逃れようとしたとき、生命は
助かったとしても、彼らは人間として死んだも同然の存在になるだろう。



ええと、要するに、唐沢俊一自身は、「“天命と思いあきらめる”」だけで「心の平安」を
得られる人ではないらしい。「身動きのとれない被災者たちの心の安定をこそ考えて、
非常時の情報は流すべき」だとマスコミの流す情報の傾向について注文をつけているし、
「不安を煽るように、福島から逃げろ、東京を離れろ、生命が危ないとツイッターなどで
書き込む者」も非難の対象だ。

「自分だけ安全圏に逃れようとしたとき、生命は助かったとしても、彼らは人間として死ん
だも同然の存在になるだろう」とかいう呪いの吐き方は、「真の心の平安」からはほど遠い
心境のように見受けられる。つまり他人が「安全圏に逃れ」たりするのも、唐沢俊一の
「心の平安」を妨げるもののひとつである。厄介だなあ。

まあ普通は、「“天命と思いあきらめる”」に「真の心の平安」とくれば、「あきらめる」の
主語は自分自身となるところを、唐沢俊一の場合は、とにかく自分以外の他人も皆が皆、
すべて「天命と思いあきらめ」てくれないと、唐沢俊一に「真の心の平安」が訪れることは
ない――とすれば、一応筋は通る。ワガママもいいところだけど、他人にこの種のあきらめ
を強制するメンタリティは、唐沢俊一の専売特許ではないかもしれないと思う今日この頃
である。


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Comment

「マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災なんてものは無いに
等しくないか」という唐沢俊一発言は、神戸の大震災のときの「地震兵器」が頭に
あったせいなのかもしれないと思ったりしています。

http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/852.html

まあ、そのときには、あんな大規模の地震を、人為的に起こすことが可能なのか、
可能だとしても、誰にも察知されることなく地下にあれこれ大工事とか現実味が
ないだろうとか、いろいろ突っ込まれていたと記憶しています。

それがさらに発展して、「マグニチュード6.8なんて規模の地震」が人工地震
なんてありえないという話になったのではないかと……。人工地震イコール
地震兵器に陰謀論という連想が強すぎて、誘発地震の可能性もすっぽり否定と
いう可能性もあります。

この地震は人災うんぬんという話なら、倒壊した家屋は地盤に問題がなかったか、
道路や橋を含めて手抜き工事はなかったか、政府の対応はどうだったか等々が
先に頭に浮かぶのが普通かなと思いますが、唐沢俊一の日記にはそういう読者に
対する思いやりみたいなもんが、やや不足ぎみのようです。


逃げる逃げないについては、いろいろ事情とか要因とかありますから、自分自身
の選択としては、それこそ「“天命と思いあきらめる”」というのもアリかと思います。
私は今のところ、もう自分はいい年だし子どももいないしなので都内にいますが、
状況によっては逃げ出そうかなと思います。

理解し難いのは、赤の他人が逃げることをヒステリックなまでに牽制しようとする
人たちですね。唐沢俊一の場合は、科学的な理論武装とか、経済がどうのこうの
とかへの言及とかがあまりなく、お前だけ助かろうというのか!? という魂の叫びが
剥き出しになっているところが興味深いです。

まあ小さい子どものいる人、自分自身がかなり若い人などは特に、そういう雑音に
あまり惑わされずに決めるのがよいのではないかと思っています。
トンデモない一行知識 |  2011年06月16日(木) 08:44 |  URL |  【コメント編集】

新潟の地震が人災だと騒いでいたのはおそらく
二酸化炭素の地下圧入実験で地震が起きたと主張する人達のことでしょうね。

タイミング的にも状況的にも私はこれが引き金になったと思ってますが
実際のところ証明の方法は存在しないので”かもしれない”としか言えないですね。
長い年月をかけてテンションが溜まった状態で圧入するのと
地震が起きて力が解放された状態で圧入するのではまるで話が違いますから
影響があったのかなかったのかは最早、神のみぞ知るなわけです
ただまあ、個人的には地震大国である日本では深層にちょっかいかけるのはマジでやめて欲しいところです。

で、まあ、なぜに人災と呼ばれたかすらわかってなかったんでしょうな
唐沢氏は、そうでなければトンデモとして叩いてたでしょうからね。

原発事故に関して言えば、私は何が何でも逃げるべきと主張します。
極論ですが、両手に持ったものを手放せない人間は結局すべてを失うことになる。
数十年後、原発近辺でガンで死ぬ人が出ます。
これはもう確定事項です。
たとえ全国平均と変わらなかったとしてもガンで死ぬ人がいないのは逆におかしいですから
自分や家族がガンと告げられたときに、日本のどこにいてもガンになるときはなると思えるか
あの時逃げていればガンにならずにすんだんじゃないかと思うか
私は間違いなく後者なので迷わず逃げます。
見捨てて逃げるというのも個人的にはそれほど問題としません。
少なくとも自分が死ぬよりも大切な人が自分のせいで死ぬほうが辛いですから
身をえぐられる思いをするのも、身をえぐられる思いをさせるのも大差はないです。
捨てる決断は早いほうがいいのです。
もちろんそれを人に強要する気はないでですけどね。

結局のところ唐沢さんは、決断するのが怖いだけなんだと思います。
金平糖 |  2011年06月15日(水) 03:37 |  URL |  【コメント編集】

●地震は間違いなく天災

ですが、建物が倒壊したわけでなく、倒れて来たタンスの下敷きになったとかは人災ですね。
あと、本来沼地や田んぼ跡だった所に家を建ててしまって大変になったとかも厳密にいえば人災かもしれないです。
他にも、整然とした都市計画も無くて開発しちゃったような場所で地震によって起こされた火事で、消防車が入れなかったりしたら人災の気もするし。

あと、避難が人的要素によって遅れたりした結果、災害にあってしまったらそれは人災だとも思う。
正しい状況判断と情報判断が大切ですね。
NNT |  2011年06月13日(月) 16:16 |  URL |  【コメント編集】

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