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2011.06.06 (Mon)

地震に敏感というのは役に立ちそう……気圧に敏感よりは

『唐沢俊一の雑学王』 P.113 「地震」のトリビア
四コマ漫画より。

吉川英治は地震に敏感だった
「おや何か…」
「外へ出なくては」
関東大震災はこうして助かっている
当時のペンネームの一つ“雉子郎 (きじろう)”
「雉子も地震に敏感な鳥だしね」
「荒廃した東京の人々に娯楽を!」
キングが創刊され、ここに書いた小説ではじめて“吉川英治”を使う
そして大文学作家になったのであった
「震災と宮本武蔵のビミョーな関係」


唐沢俊一は「関東大震災はこうして助かっている」と断言してしまっているし、「“雉子郎
(きじろう)”」という「ペンネーム」――川柳の号でもある――は「雉子も地震に敏感な鳥だし
ね」という理由でつけられたかのように書いているけど、これらの真偽は微妙。

以下は、ブログ「吉川英治記念館学芸員日誌」からの引用。

http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2005/07/post_31de.html
>ところで、吉川英治は、非常に地震に敏感だったそうです。
>少し前に書いたように、吉川英治は関東大震災を経験しています。
>いま流行のPTSDやトラウマを声高に喧伝する人たちなら、関東大震災の経験が吉川
>英治を地震に敏感にした、などと言い出しそうですが、事実はそうではなく、関東大震
>災以前から驚くほど敏感だったのだそうです。
>いわゆる初期微動の段階で地震を察知し、周りの人が地震と気が付いた時には、とっ
>くに建物の外に逃げ出していた、などという話も伝わっています。
>むしろ、そのおかげで関東大震災の被害をまぬがれた、と言った方が良いかもしれま
>せん。

>吉川英治が川柳家時代に名乗っていた「雉子郎」という号も、キジが地震に敏感な鳥だ
>ということにちなんだものだ、とする説もあります。

>ただ、これに関しては、「焼け野の雉、夜の鶴」からとったものと、吉川英治本人が書き
>残しています。

>「焼け野の雉、夜の鶴」とは、「巣を営んでいる野を焼かれた雉子が自分の身を忘れて
>子を救い、また、霜などの降る寒い夜、巣ごもる鶴が自分の翼で子をおおうというところ
>から、親が子を思う情の切なるたとえ(広辞苑)」ということわざです。


まあ唐沢俊一も「“雉子郎 (きじろう)”」の由来は「キジが地震に敏感な鳥だということに
ちなんだものだ」と、はっきり書いているわけではないし、実際にそういう説もあるとのこと
だから、間違いだとまではいえないが。

「初期微動の段階で地震を察知」する能力があったために、「関東大震災の被害をまぬ
がれた」という話もあるようだし。ただし、「周りの人が地震と気が付いた時には、とっくに
建物の外に逃げ出していた」というのが関東大震災の際のエピソードかどうかはわから
ない。

気になるのが、漫画の絵では、自宅に一人でいて原稿執筆しているときに揺れを感じて
外に出たら、その直後に自宅は倒壊したようにしか見えないこと。そこに「関東大震災は
こうして助かっている」という文字がかぶさっている。

関東大震災の年には、吉川英治は東京毎夕新聞社に入っていたという話だし、すでに
赤沢やすと結婚していた。で、関東大震災の発生したのは平日 (9 月 1 日) のお昼時。
会社にいたにしても、自宅で何か原稿を書いていたにしても、周囲に誰もいないのも、
一人きりで家から逃げたように描かれているのも、不自然な気がする。

http://yoshikawa.cocolog-nifty.com/soushido/2006/09/post_7474.html
>大正12年の今日、関東大震災が発生しました。

>何度か書いているように、吉川英治はこれを経験しています。
>この時のことを自筆年譜にこう書いています。

>  九月、関東大震災。社屋焼失。
>  新聞休刊、社業再起の見こみたたず、全社員一応解散ときまる。焦土の生計として
>  上野の山に葭簀を持ち牛飯を売る。夜々、焦土流離の人々と樹下に眠り、あらゆる
>  境遇と人間の心に会う。――この事より卒然と文学の業の意義深きを感じ、身辺す
>  べての物を売って、十月中、北信濃の角間温泉へ籠る。


http://ja.wikipedia.org/wiki/吉川英治
>1910年(明治43年)に上京、象眼職人の下で働く。浅草に住み、このときの町並みが
>江戸の町を書くにあたって非常に印象に残ったという。またこのころから川柳をつくり始
>め、井上剣花坊の紹介で「大正川柳」に参加する。1914年(大正3年)、「江の島物語」
>が『講談倶楽部』誌に3等当選(吉川雉子郎の筆名)するが、生活は向上しなかった。
>のちに結婚する赤沢やすを頼って大連へ行き、貧困からの脱出を目指したが変わら
>ず、この間に書いた小説3編が講談社の懸賞小説に入選。1921年(大正10年)に母が
>没すると、翌年より東京毎夕新聞社に入り、次第に文才を認められ『親鸞記』などを執
>筆する。
>関東大震災により東京毎夕新聞社が解散すると、作品を講談社に送り様々な筆名で
>発表し、「剣魔侠菩薩』を『面白倶楽部』誌に連載、作家として一本立ちする。1925年
>(大正14年)より創刊された『キング』誌に連載し、初めて吉川英治の筆名を使った「剣
>難女難」で人気を得た。このとき本名の「吉川英次」で書くように求められたが、作品が
>掲載される際に出版社が名を「英治」と誤植してしまったのを本人が気に入り、以後こ
>れをペンネームとするようになった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/関東大震災
>関東大震災(かんとうだいしんさい)は、大正12年(1923年)9月1日11時58分32秒
>(以下日本時間)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源
>として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。



その他参考 (漫画に描かれた表紙の絵は一応あっている?):
http://www.dnp.co.jp/about/history.html (表紙画像)
>★5 大日本雄弁会講談社(現、講談社)「キング」創刊号

http://ja.wikipedia.org/wiki/キング_(雑誌)
>創刊号は1925年(大正14年)1月号で定価50銭。

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