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2011.04.07 (Thu)

4 歳で、「達者な若手が出てきたなあ」

http://www.tobunken.com/news/news20110329115020.html

イベント
2011年3月29日投稿
狂気を秘めていた男 【訃報 坂上二郎】

初めてわれわれの前に“出現”したときのコント55号は
心底から衝撃的だった。親類に芸人がいることもあり、お笑い好きな
子供であった私は、そのころすでにいっぱしのお笑い通(テレビでの、
だったが)であり、やすし・きよしが出てきたときなども
「達者な若手が出てきたなあ」
などと思っていたイヤなガキであったが、新人のギャグに
「なんだ、これは???」
と衝撃を感じたのは、コント55号が最初の体験であった。
忘れもしない名作『帽子屋』がその初体験であったが、観ている
こちらが必死で食い付いていかないとおいてきぼりにされるような、
そんな感覚を味わった。これが時代の尖端、というものなのだろう。
そう思った。
〈略〉
そのM系狂気が攻撃的な狂気に転じると……『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』
(69~70)のコントで、社長室に入ってきた二郎さんが、社長(宍戸錠)に向い、
神妙な表情で“社長……”と言うのがあった。
「社長……(突如、思い詰めた顔になり)結婚してください!」
〈略〉
『コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!』(69~70年)は、まさにその
二郎さんの狂気が全開になった番組だった。あの時代に、下着になることはおろか
その下着まで脱いでしまう人気女優がいたのも、二郎さんのかもしだす
狂気の渦にまきこまれてしまったからだろう。あれだけ一生懸命になって
ジャンケンをし、脱いでいるのである。自分も脱ぐことが当然、という
ような気分にならざるを得ない。

http://megalodon.jp/2011-0405-2320-18/www.tobunken.com/news/news20110329115020.html

×『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』 ○『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』
×『コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!』
○『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』または『コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!』

「巨泉・前武ゲバゲバ90分!」でググっても、「もしかして」表示がされるわけではない。
ただ、「巨泉×前武」の文字が、結果にずらずら並んだりはする。本家の日テレのサイト
にも「巨泉×前武 ゲバゲバ90分!」と書かれている。

http://www.ntvshop.jp/410/p/g/gbz088/
>巨泉×前武 ゲバゲバ90分!傑作選DVD-BOX(2枚組)

>'69年から'71年にかけて日本テレビ系にて放送され、驚異的な人気を誇った伝説の
>ギャグバラエティ番組『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』に再び出会える狂喜乱舞のDVD-
>BOXです。


「コント55号の裏番組をブッ飛ばせ!」の方は、「もしかして: コント55号の裏番組をぶっと
ばせ! 」と、しっかり (?) 表示される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コント55号の裏番組をぶっとばせ!
>コント55号の裏番組をぶっとばせ!(コントごじゅうごごうのうらばんぐみをぶっとばせ!)
>は、1969年4月27日から1970年3月29日まで日本テレビ系で放送されていたバラエティ
>番組である。テレビ欄や雑誌の紹介では『コント55号! 裏番組をブッ飛ばせ!!』と表記され
>ていた。
〈略〉
>野球拳は下着まででギブアップ(女性はたいていブラジャーにパンティ、あるいはパン
>ティ一枚)するのが通例だが、中にはパンティも脱いで全裸になった「女傑」もいた。


『コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!』を採用しているところの方が目立つような気も。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110310/ent11031015140010-n1.htm
>テレビのバラエティー番組にも進出し、44年に始まった「コント55号!裏番組をブッ
>飛ばせ!!」などで活躍した。コントの中で始めた飛行機の手ぶり付きの「飛びます、
>飛びます」は、坂上さんの代名詞ともいうべきギャグとなった。


http://ceron.jp/url/www.youtube.com/watch?v=lCt84kL2lro
>YouTube - 『コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!』 1969


で、まあ、ググったそもそもの動機は、番組名に突っ込みをいれたかったからではなくて、
「下着まで脱いでしまう人気女優」とは誰のことか、そもそも実在するのか気になったせい
なんだけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コント55号の裏番組をぶっとばせ!
>・野球拳は下着まででギブアップ(女性はたいていブラジャーにパンティ、あるいはパン
> ティ一枚)するのが通例だが、中にはパンティも脱いで全裸になった「女傑」もいた。


http://blogs.yahoo.co.jp/omoide_list/523760.html
>私の記憶によると、間違っているかもしれないし、全部の放送を見たわけではないが、
>「小○○キ」という若い女優が、パンティーまで脱いで売っていた記憶がある。おっと、
>大事なことを言い忘れたが、まさか、ホントにストリップショーの如く、そのままパンツ
>まで脱いでいくのではなく、ブラジャーから先は、ホームサウナのような着替え用ボック
>スに入って、バスタオルをまとって脱いでいく手順を経る。


その他参考 URL:
- http://www.youtube.com/watch?v=lCt84kL2lro
- http://www.dailymotion.com/video/xakhhe__creation
- http://toki.2ch.net/test/read.cgi/natsutv/1100540799/
- http://pink.nihongodeok.net/thread/set.bbspink.com/test/read.cgi/natuero/1096226736/

唐沢俊一は「人気女優」と書いているが、その割には全部脱いだ人の名前は出てこない
のが引っかかる (大物だから表で語られない可能性も頭に浮かんだが、2ちゃんねるの
ような場所なら遠慮なく誰かがバラしそうな気もする) が、裏をとれなかったことだし、この
件は保留ということで。

それにしても、「下着になることはおろかその下着まで脱いでしまう人気女優がいた」は、
日本語としてかなり不自然なような。下着になる女優はおろか、下着まで脱いでしまう
人気女優もいた、とかいうことをいいたかったんだろうけど。


さて、今回の唐沢俊一は、志望した日付けや年齢についてなぜか書いていないのだが、
報道によると、坂上二郎が亡くなったのは、2011年 3月 10日。76 歳だったとのこと。

http://www.sanspo.com/geino/news/110310/gnj1103101519022-n1.htm
>「コント55号」坂上二郎さんが死去 76歳
>2011.3.10 15:18
>コント55号のコメディアンで俳優の坂上二郎(さかがみ・じろう)さんが10日午前9時
>40分、脳梗塞のため亡くなった。76歳だった。
〈略〉
>昭和9年、鹿児島県生まれ。歌手を目指して19歳で上京、歌手の付き人を経て漫才師
>になり、東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」のコントで共演した萩本欽一と昭和41
>年「コント55号」を結成。松竹演芸場や有楽町の日劇で「机」「帽子屋」など、舞台狭し
>と駆け回る勢いのあるコントを披露、萩本の全身を使った突っ込みをきっちり受け止める
>「チッコイ目の二郎さん」として人気者に。
〈略〉
> その後、テレビのバラエティー番組にも進出、お茶の間でも人気を得るが、昭和40年
>代後半から俳優としても活躍、TBS系「夜明けの刑事」、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」
>など多くのドラマに出演した。

http://megalodon.jp/2011-0405-2337-19/www.sanspo.com/geino/news/110310/gnj1103101519022-n1.htm

で、上に引用した記事を読んで、「子供であった私は、そのころすでにいっぱしのお笑い通
(テレビでの、だったが)であり」に、「忘れもしない名作『帽子屋』がその初体験であった」
って、本当なのかなあと思った。「テレビのバラエティー番組にも進出」する前のネタを、
もっぱら「テレビでの」、「いっぱしのお笑い通」の子どもだった唐沢俊一が見て、「これが
時代の尖端、というものなのだろう」と思ったというのが少し不自然に感じたので。

『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』より前のコント55号の出演作品には、以下のものがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/コント55号の世界は笑う
>1968年4月よりフジテレビでスタートした平日昼のベルト番組「お昼のゴールデンショー」
>のレギュラーとして一躍注目を浴びる存在となったコント55号をメインに据えてスタート。


http://ja.wikipedia.org/wiki/チータ55号
>『チータ55号』(チータごじゅうごごう)は、1968年7月16日から同年12月3日までTBS系
>列(一部を除き)の毎週火曜19時30分 - 20時00分(JST)に放送されたバラエティ番組
>である。


「帽子屋」をやっていた可能性が高いのはフジテレビの方か。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/comedy/20051028et0b.htm
> コント55号は、来年、結成40周年を迎える。今月19日に同時発売されたのは、TB
>S、フジテレビ、テレビ朝日の番組の名場面を集めた「コント55号傑作コント集」(2枚組
>み、約220分)と、日本テレビの同名番組の傑作集「コント55号のなんでそうなるの?」
>(同、約250分)。局の垣根を越え、残っているコント映像を網羅した珍しい企画だ。
> 前者には、最初のコント「机」や、芸風を確立したと言われる「帽子屋」、坂上のギャグ
>「飛びます、飛びます」の元になった「結婚コンサルタント」など約30本を収録。
〈略〉
> 「帽子屋」は、帽子屋の二郎さんに欽ちゃんがいろいろなことをやらせるという55号コ
>ントの典型。それ以前はボケは失敗ばかりで、ツッコミが注意するという図式だったが、
>55号は何でもできる二郎さんを欽ちゃんが変な世界にいざなう。芸達者な二郎さんと欽
>ちゃんの狂気がぶつかり合う丁々発止のバトルが魅力。
〈略〉
>(2005年10月28日 読売新聞)


上に引用の文章は、唐沢俊一のつけたタイトル「狂気を秘めていた男」の有力ネタ元候補
かとも思えたが、おいといて。

しかし、北海道でフジテレビ系の番組を流しているという北海道文化放送は 1971 年設立
とのことだから、子どもの頃の唐沢俊一が見たとしたら TBS 系の『チータ55号』と考えるの
が妥当かも。……そもそも、唐沢俊一が、「帽子屋」をどの番組で見たか書いていてくれた
らよかったのだが。「衝撃を感じた」とか書いているのだし。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251490312
>テレビ朝日は北海道で何処のテレビ局ですか??

>北海道放送(HBC)…TBS系
>北海道文化放送(UHB)…フジテレビ系
>北海道テレビ(HTV)…テレビ朝日系


http://uhb.jp/recruit/company/
>社名 北海道文化放送株式会社
>設立 1971年6月


http://www.hbc.co.jp/hbc/hbc-guide/history.html
>1957年4月1日 テレビ本放送開始

http://www.htb.co.jp/htb/information/index.html
>会社名  北海道テレビ放送株式会社(HTB)
>放送開始 昭和43年11月3日


そして、これもまた違和感があった、「やすし・きよしが出てきたときなども『達者な若手が
出てきたなあ』などと思っていたイヤなガキ」について。

Wikipedia でたどっていくと、横山やすし・西川きよしは 1962 年の「てなもんや三度笠」
で「出てきた」ようなのだが……となると、1958 年生まれの唐沢俊一は 4 歳のときで、
「達者な若手が出てきたなあ」という感想は、いくら何でも、という気が。


http://ja.wikipedia.org/wiki/横山やすし・西川きよし
>てなもんや三度笠(朝日放送)
>かねてつトップ寄席(朝日放送)
>仁鶴・やすきよのただいま恋愛中(朝日放送)
> やすしは初期のみ出演。のちに笑福亭仁鶴ときよしの2人司会となる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/てなもんや三度笠
>『てなもんや三度笠』(てなもんやさんどがさ)は、1962年(昭和37年)5月6日から1968
>年(昭和43年)3月31日まで朝日放送(ABC)製作・TBS系列で放送されたテレビコメディ
>番組。


その後の「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」は 1970 年で、『コント55号の裏番組をぶっと
ばせ!』よりも後。

http://ja.wikipedia.org/wiki/仁鶴・きよしのただいま恋愛中
>仁鶴・きよしのただいま恋愛中(にかく・きよしのただいまれんあいちゅう)は、1970年
>1月から1977年9月にかけて朝日放送(ABC)製作で放送された恋愛バラエティ番組で
>ある。


まあ、「達者な若手が出てきたなあ」は、「親類に芸人がいる」ので、その親類 (伯父?) の
いっていたことに影響されていただけではないかとも思えるが。

それにしても、「弟に見送られて逝った山城新伍」のエントリーに引用した裏モノ日記で
唐沢俊一は、「バラエティ番組を見る習慣のなかった70年代の唐沢家だったが、初めて
毎回チャンネルを合わせるようになったのが和田アキ子司会の『うわさのチャンネル!』
だった」と書いていたんだけど、なあ。いつから「いっぱしのお笑い通(テレビでの、だった
が)」に設定変更したんだろう。

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Comment

●送信しようとしたらまた余震

>ハヤタ隊員さん

>あと、やすきよのデビューは1966年ですから、

うわ、そうですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/横山やすし・西川きよし
>コンビ結成は1966年6月1日。

これは完全に私の思い込みによるミスです。恥ずかしい……。(_ _);

コント55号の方は子ども心に「若手が出てきた」という意識があった (メディアや
家族との会話から仕入れたのと思います) のですが、やすきよについてはそういう
のがなかったので、「出てきた」のはもっと早いのではという先入観があったのが
敗因でした……。

>もともと漫才師ではないきよしがあまりにも下手なので、 「達者な若手が出て
>きたなあ」という感想はないですね。

あ、そうなのですか。子どもが自力で、達者でどうのこうのと考えつくのは不自然に
思えたので (判断以前にそのような評価軸を思いつくか)、 これは伯父さんあたり
の意見だったのだろうと想像していたのですが、これもハズしていた可能性大、
ですね、うーん。

おまけ (こんなに足を上げたりしていたのかと)
http://www.youtube.com/watch?v=S2AJeGuE_J4
http://www.youtube.com/watch?v=oF74KiCbAzk
http://www.youtube.com/watch?v=54_8B9IFMQs
トンデモない一行知識 |  2011年04月12日(火) 08:11 |  URL |  【コメント編集】

「うわさのチャンネル!」の時期なら、「コント55号のなんでそうなるの?」じゃないですかね。
この番組は純粋なコント番組だったみたいですし。

あと、やすきよのデビューは1966年ですから、

>横山やすし・西川きよしは1962 年の「てなもんや三度笠」で「出てきた」ようなのだが……

は正確ではないですね。
「てなもんや三度笠」に出演してるのは、1967年か1968年ではないかと思います。
レギュラーとしては末期の十数話だけですから。

あと、やすきよは、1968年の秋から半年間、
TBSの「ミニミニ・バンバン」という番組にレギュラー出演してます。
小林信彦の「天才伝説 横山やすし」の序章で書かれてるバラエティー番組ですが、
この番組では漫才をしておらず、冷遇されたみたいですから、この番組ではないでしょう。

この頃の漫才をCDで聞いたことがあります。
やすしは唸るほど上手いのですが、もともと漫才師ではないきよしがあまりにも下手なので、
「達者な若手が出てきたなあ」という感想はないですね。
ネタの中で、やすしがスパイダーズの「夕日が泣いてる」を歌っているのを聞いてビックリしましたが、
よく考えたら、同世代なんですね。)

しかし、何でこの人は、いつも「自分が見つけた」という書き方をするのでしょうね?
ハヤタ隊員 |  2011年04月11日(月) 11:23 |  URL |  【コメント編集】

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