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2011.03.30 (Wed)

朝日の担当の人は目を通したのだろうか<『マキノ雅弘―映画という祭り』

http://book.asahi.com/review/TKY200811250199.html

マキノ雅弘―映画という祭り [著]山根貞男
[掲載]2008年11月23日
[評者]唐沢俊一(作家)

■逆転の視点で「早撮り」読み解いた

 「マキノ雅弘は生涯に二百六十本余りの映画を撮った」と、本書の冒頭
にある。「余り」というのは共同監督や応援監督作品もあって正確な本数が
つかめないからだが、それにしても大変な数であることに変わりはない。
そのすごさと共に、マキノ雅弘研究の難しさもこの冒頭にすべて言い尽く
されている。

 フィルムの現存する作品を全部見尽くすだけでも、大変な作業なのである。
黒澤明の全監督作品数は30本(共同監督作品を入れても31本)、多作
と言われた市川崑でも七十数本である。日本映画の父・マキノ省三の長男
として幼い頃から映画界入りしていたとはいえ、マキノ雅弘がいかにすさま
じい勢いで映画を撮りまくっていたかがわかる。

 当然のことながら早撮りが特色であり、1936年の作品「江戸の花和尚」
の撮影はわずか実質28時間だったという。最近のビデオ映画でもそんな
まねはできない。これが「しょせんはマキノ作品は拙速の通俗作品であって、
きちんと評価するには値しない」という偏見を生んだ原因になったのではない
か。

 本書の特徴は、当初は効率から編み出されたその早撮りこそマキノ監督
の独自の映画手法であった、という逆転の視点でその作品群を読み解いて
いることだ。早撮りの必要性から生まれた同一カットの繰り返しや中抜き
(シーンのまとめ撮り)が、マキノ演出独特のリズムとテンポを作りあげて
いった。

 その分析の裏に、膨大な数の現存作品に丁寧に目を通すという根気の
いる作業があったことは言うまでもない。マキノ雅弘にほれ込んだ著者だ
からこそ出来た本であろう。

 作品を見ている人にも見ていない人にも楽しさを感じ取ってもらえる紹介を
心がけた、とあとがきにある。その試みが見事に実を結んだ、生誕100年に
ふさわしい刊行物であるが、もし、マキノ雅弘をよく知らない読者であれば、
著者が編集に加わっている自伝『映画渡世』(平凡社)をまず、読んでから
手に取ることをお勧めしたい。これがまた、破天荒に面白い本なのである。

http://megalodon.jp/2011-0329-0607-53/book.asahi.com/review/TKY200811250199.html

×1936年の作品 ○1938年の作品

「幼い頃から映画界入りしていたとはいえ」といわれても……それと、「生涯に二百六十本
余りの映画を撮った」とは直接はつながらないのではないかという気が。いくらマキノ雅弘
といっても (?) 「幼い頃から」「映画を撮りまくって」いたわけではないのだし。

これが俳優として参加した作品の多さについての話ならば、「幼い頃から」うんぬんという
のもわかるのだけれど。実際、マキノ雅弘は「俳優として百七十本近くに出演し」 (『マキノ
雅弘―映画という祭り』 P.10) てもいたそうだ。

さて、この回の朝日新聞の書評で唐沢俊一の紹介している本『マキノ雅弘―映画という
祭り』の最初の方 (この本には前書きはない)、「第一章 破れかぶれの映画渡世」には、
以下のようなことが書かれている。

『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.11
>四歳のころから父親の撮る日活作品の数々に子役として出演し、青年期には父親の
>興したマキノ映画で主役を張り、人気スターのひとりとなった。そして、弱冠十八歳の
>ときに監督としてデビューし……といったふうに書いていたら、なにしろ上述の数字だ
>から、きりがない。


『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.12
>フィルムが現存しないので、その第一作の出来映えはわからないが、十八歳でデビュー
>した新人監督は翌年には十本も撮っている。いくら社長の御曹司とはいえ、箸にも棒に
>もかからない作品であれば、それほどの連投はできなかったであろう。一九二八年には
>八本、二九年にも八本、と快進撃がつづく(本数は共同監督作品も含み、数え方は封切
>り年による。以下同様)。


上記のようなことが、唐沢俊一の手にかかると、「日本映画の父・マキノ省三の長男として
幼い頃から映画界入りしていたとはいえ」と要約されることになるらしい……何だかなあと
いうか、無駄にわかりにくい。


で、唐沢俊一の文章だけを読んでいたときには気にならなかったのだけど、『マキノ雅弘―
映画という祭り』を読んでから唐沢俊一の書評を読み直すと、そこに書かれていないこと、
言及されていないことが、どうしても気になってくる。

唐沢俊一のいう「早撮りの必要性から生まれた同一カットの繰り返しや中抜き(シーンの
まとめ撮り)が、マキノ演出独特のリズムとテンポを作りあげていった」は、本の第一章
(主に前半) に書かれていることである。「逆転の視点で『早撮り」読み解いた」と題した
唐沢俊一の書評では、そこから一気に「あとがき」に話が飛んでしまう。

本の題名にも含まれ、本の裏表紙の紹介文 (以下の Amazon での内容紹介と同じ) にも
登場する「祭り」という文字。この「祭り」の「ま」の字も、唐沢俊一の書評には出てこない。

http://www.amazon.co.jp/dp/4106036215
>昭和という時代に、生涯260本あまりの映画を撮った男がいた。マキノ雅弘。時代劇や
>任侠映画はもちろんのこと、喜劇にメロドラマにミュージカルと奔放自在に撮りまくった。
>画面を見ていると、まるで祭りのようにわくわくしてしまうのは何故だろう。邦画にかけて
>は随一の見巧者が、マキノ生誕100年を機に、その全魅惑を解き明かす。


したがって、「第二章 映画という祭り」に出てくる阿波踊りや祭り囃子やお面についてや、
第四章などで言及されている「ワッショイワッショイ」のかけ声についてといった話は、この
書評の中には当然出てこない。

『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.83
>第四章 ヒーローと大衆

>ワッショイワッショイ
> マキノ雅弘の映画を何本も見た人なら、「ワッショイ! ワッショイ!」の画面に感銘
>を受けた覚えがあるにちがいない。登場人物たちが、べつに祭りの神輿を担ぐわけで
>もないのに、「ワッショイ! ワッショイ!」のかけ声とともに一丸となって走り出す。
>マキノ作品には、そんな光景の出てくるものが数多くあり、画面に沸き立つ熱気で見る
>者を興奮させるのである。


「マキノ雅弘の自作リメイクの数は尋常ではないが」 (「第七章 リメイク考」 P.181) という
話も出てこなければ、「第六章 ラブシーン作法」その他の箇所で語られる、「ツーキャメ」
方式のカメラワークの効果がどうこうといった話も無視される。

『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.174
> 二つのシーンは明らかに「ツーキャメ」方式によるもので、室内の藤純子と池部良の
>会話も、路上の高倉健と池部良の対話も、二台のキャメラで撮った映像を織り上げて
>ゆくように編集され、一見カットバックのようでありながら、カットバックよりも滑らかな
>動きを画面にもたらす。



ないない尽くしのなかで、唯一言及している「早撮り」についての記述はしっかりしている
――というのならまだよかったのだが、「一九三八年の片岡千恵蔵主演『江戸の花和尚』」
を、「1936年の作品『江戸の花和尚』」にしてしまっているのだから、何というか……。

『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.14
>マキノトーキーは一九三七年に解散を余儀なくされ、マキノ正博は日活に入社するが、
>そこでも早撮りの技は発揮された。『血煙高田馬場』『自来也』の同時封切りがその
>証左にほかならない。そして、そのつぎの作品、一九三八年の片岡千恵蔵主演『江戸
>の花和尚』は、なんと実質二十八時間で撮影されたという。


現在、「江戸の花和尚」でググると以下のページが検索結果のトップにくるのだが、もしか
したら唐沢俊一は、「1936.06.13 江戸の花和尚 マキノトーキー」というのがあるので、
「1936年の作品」と書いてしまったのかもしれない。「なんと実質二十八時間で撮影され
たという」のは日活時代に撮った「江戸の花和尚」の方で、マキノトーキー時代のそれでは
ないはずなのに。

http://www.jmdb.ne.jp/1938/bn000430.htm
>リメイク
>1936.06.13 江戸の花和尚 マキノトーキー 根岸東一郎/マキノ正博
>1938.02.01 江戸の花和尚 日活京都 マキノ正博



本に実際に書かれている内容の紹介の代わりに、限られた字数が費やされているのは、
「しょせんはマキノ作品は拙速の通俗作品であって、きちんと評価するには値しない」など
という、本にも書かれていなければ、そもそもどこの誰が語ったものかもわからない「偏見」
であったり、黒澤明や市川崑の全監督作品数だったり (これも本に書かれているわけでは
ない) する。

それと、大事なことなので二度いいましたよ状態の、「フィルムの現存する作品を全部見尽
くすだけでも、大変な作業」と、「その分析の裏に、膨大な数の現存作品に丁寧に目を通す
という根気のいる作業があったことは言うまでもない」。

著者である山根貞男は、作品全部に目を通すのに青息吐息状態――どころか、失われた
フィルムを惜しみ、昔の予告編にも目配りしと、何かと元気な印象なのだが。

確かに、「膨大な数の現存作品に丁寧に目を通す」のは、「大変な作業」「根気のいる
作業」でもあるかもしれないが……。どうにも違和感がぬぐえないのは、帯に書かれた
「マキノ映画の、ああ底抜けの面白さ!」、背表紙にある「祭りのようにわくわく」、そして
著者が「あとがき」に書いている「あんなに途方もなく面白い映画、ただメチャクチャ楽しい
だけの映画」といったような、楽しさや熱気を伝えようとする表現が唐沢俊一の文章には
いっさくなくて、ただただ全部見るのは大変だと書いているようにみえることだ。

唐沢俊一は、撮る早さと膨大な本数以外には、あまり興味をそそられなかったということ
なのだろうか。

『マキノ雅弘―映画という祭り』 P.300
> 以上からも明らかなように、マキノ作品は私にとって映画の面白さの代名詞にほかな
>らない。だからこそ、見て楽しむだけで充分なのであり、そう決めつけていたのには、
>あんなに途方もなく面白い映画、ただメチャクチャ楽しいだけの映画、それを論じること
>など自分にできるわけがないという断念も混じっている。エッセイふうの文章を書いた
>ことはあるが、あくまで自分なりの感想をまじえての解説でしかない。
> にもかかわらず、マキノ雅弘論を書こうと思い立った。〈略〉そこには、もはや、見て楽し
>むだけでいいと懐手ですましている段階ではなかろうという判断が微妙に含まれている。
〈略〉
> 映画の面白さの代名詞なのだから、とにかくマキノ作品の好きなシーンについて、どう
>面白いのかを語ろう。その作品を見ている人にも見ていない人にも、楽しさを感じ取って
>もらえるように描写して、ぜひ、もう一度、あるいは初めて、その映画を見たくなるように
>努めよう。


で、個人的にかなり引っかかったのが、「自伝『映画渡世』(平凡社)をまず、読んでから」
との唐沢俊一の言葉。

「これがまた、破天荒に面白い本」とあわせて読むのを勧めるのはとてもよいことだと思う
けれど、どうしてまた、著者がいうところの「いわばマキノ作品の名場面集」 (P.301) の本を
読むにあたって、先に自伝を読まなければいけないのかと。どうして、後に読むんではいけ
ないんですか、と聞きたくなる。

唐沢俊一自身、「見ていない人にも楽しさを感じ取ってもらえる紹介を心がけた、とあとが
きにある。その試みが見事に実を結んだ」とちゃんと認めているようなのに……。

まあ唐沢俊一は、「名場面集」とも呼ぶことが可能な、作品の内容に具体的に言及する
タイプの評論は、読むのも書くのも苦手といったフシがある。単に自分自身を基準にして、
「自伝『映画渡世』(平凡社)をまず、読んでから」と書いたというだけの話かもしれない。

関連ガセビア
『オイッチニーのサン』一冊についても「言い尽く」せないくせに (こっちにも『映画渡世』?)
潮健児のマントの陰に隠れるわけにもいかないヒロポンのネタ
省三も雅弘もチャンバラシーンでは真剣に火花を散らしていただろうけど


ところで、Amazon の『マキノ雅弘―映画という祭り』のレビューにも『映画渡世』を推す
感想が書かれていた。

http://www.amazon.co.jp/dp/4106036215
>By 明日香 - レビューをすべて見る
>14 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
>5つ星のうち 1.0
>薄い本, 2009/4/2
>レビュー対象商品: マキノ雅弘―映画という祭り (新潮選書) (単行本)
>山根さんは編集者としてはとても優秀な方でしたが評論家としてはいまひとつな方だと
>思います。その点、白井佳夫さんととてもよく似ています。同じマキノ本でもかつて山根
>さんが山田宏一さんと編集した「映画渡世」は本当に名著でした。しかし評論となると、
>回りくどいだけで何が言いたいのかさっぱり判らないし文章の水増しが目立ち過ぎます。
>このマキノ本もそうです。山根さんがマキノ映画が本当に好きならもっと魅力的な言葉で
>マキノ映画を語らねば!この本を読んでマキノ監督の映画を見たいとは思いませんよ。
>蓮實さんの悪影響も受けすぎています。

http://megalodon.jp/2011-0330-0805-39/www.amazon.co.jp/dp/4106036215

「この本を読んでマキノ監督の映画を見たいとは思いませんよ」には、えっ、そんなこと
は……と思ったし、「14 人中、4人の方が、『このレビューが参考になった』」なので、
一般的な意見とは少し異なるものとも考えられるが。

話が脇道にそれるがw、試しに「レビューをすべて見る」 (魚拓) をクリックしてみたら、
「所詮学者センセイの感想文集」、「かつて(今もやっていよのか?)」等々、何だかすごく
唐沢俊一的なレビュアーの人だったのが面白かった。

『B級ノワール論』(ここを参照。そういえばこちらでも唐沢俊一は、「『今現に見られるもの
のすべてを見る』ことを自らに課した著者のその作業が、楽しくはありながらも、たいへんな
苦労を伴ったであろうことは想像に難くない。映画評論家を生業にしていなくてよかった、と
胸をなで下ろした」などと書いている。そんなに見るのが苦痛なのか?) については、こんな
レビューが。

http://www.amazon.co.jp/dp/4861822114/
>26 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
>5つ星のうち 1.0
>卒論?, 2009/4/5
>By 明日香 - レビューをすべて見る
>レビュー対象商品: B級ノワール論――ハリウッド転換期の巨匠たち (単行本)
>なんだか映画を学問として学んだ方の卒業論文のような本ですね。かつて旧作が見ら
>れなかった時代は映画研究本を読んで見ることの出来ない映画を想像したりする楽しみ
>がありましたが、DVDなどで見る手だてのいくらでもある今となってはもうこのような本は
>いらないでしょう。誰に読ませようとしているのかよくわからない本です。他の方も書いて
>いますが蓮實さんの推薦文が効力を発揮したのはもう20年も前の話しです。

http://megalodon.jp/2011-0330-1046-48/www.amazon.co.jp/dp/4861822114/

「他の方も書いていますが」って、どこに書いてあるかは不明。 (別の人によるレビューが
1 個あるが、そちらには書かれていない)

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