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2011.03.27 (Sun)

谷沢永一についても時空を歪ます

http://www.tobunken.com/news/news20110325155851.html

イベント
2011年3月25日投稿
渉猟した男 【訃報 谷沢永一】

3月8日、心不全により死去。81歳。

志水一夫氏が亡くなったとき、その蔵書が四万冊と報告されたが、
この人の蔵書数は二十万冊だったそうである。志水氏の五倍である。
今後どうやって整理するのか、他人事ながら心配になる。

昭和後期の保守文壇人で、容赦ない辛口評論と言えば百目鬼恭三郎と、
この谷沢永一の両氏が横綱だった。
『アホばか間抜け大学教授』というタイトルのエッセイがあると言えば
どれくらいの辛口の人かは想像できると思う。

百目鬼氏の辛口が、どちらかというと教養人の高みからのもので
あったのに対し、谷沢氏の辛口は、大阪人らしく庶民の側に立っている
が故のもので、自腹を切って本を買う市井の人々に、その値段に見合う
だけの内容のものを売りなはれや、という感じの辛口であった。
いわばおせっかいなのだが、そのおせっかいぶりがいかにも谷沢永一式、
であった。

大学づとめをしながらも大学紀要や大学教授に厳しかったのも、学生
たちの支払う高い授業料に見合った努力を今の大学はしていない、という
憤懣からだった。大学時代の同人誌仲間、開高健・向井敏、谷沢永一の
三人による鼎談集、『書斎のポ・ト・フ』(潮出版)の中で、当時
学習院大学教授だった篠沢秀雄氏の講義集を絶賛していたのも、
そのあらわれだった。
〈略〉
その谷沢氏自身は自分の講義をエンタテインメントにする代わりに、
年度の最初の講義において新入生たちに、出欠は一切取らない、
レポートは原稿用紙四○○字詰め二枚(だったか一枚だったか)以内、
ただし白紙で出そうがぎっしり書き込もうが点数は一律同じ、全員
合格とするのでそのつもりで、と訓示したそうだ(いまそのエッセイが
載った書籍が出てこないので記憶で書く。記憶違いは後で訂正する)。
本当に諸君のうちで近世文学を勉強したいと思う方だけが講義を
受けてくれればそれでよろしい、文学などというものは本当に好きな
人間以外には無用のもので、そうでない方はそんなものを勉強する
あいだにアルバイトでもなんでもした方がよほど青春の時間を
有意義に使うことになる、よって次回以降は教室を学内で一番小さい
部屋に移動する、出席する諸君は間違えないように、では大部分の
諸君には二度とお目にかかることはあるまい、お元気で、さようなら
と言い捨てたそうである。これも大阪人らしい功利主義だと思う。

江國滋氏をして“人間わざと思われず”と感嘆せしめた読書量は
学術書、教養書ばかりか雑書、俗書の類までを渉猟していた。
『完本・紙つぶて』(文藝春秋社)の中で、富島健夫のポルノ小説まで
読破して、その優劣を論じていたのを読んだときはひっくり返った
ものだった。それだけの本を読みながら、また書き、200冊近くの
著書・共著がある。しかもそれが、一年のうち数ヶ月に及ぶという
定期的な鬱病の期間を除いた時間でなされているのである。
あまりの多作に、親友の開高健が少しペースを落とした方がいい、
と忠告したというが、その癖は死ぬまでやまなかったようだ。
開高氏は89年に亡くなり、向井氏また2002年に逝く。
一人取り残された寂寞感を、本を書くことでまぎらしていたので
あろうか。

そのせいでもないだろうが、1990年代末、いわゆる
進歩的文化人を、口を極めて罵りはじめたときからの著作には、
ちょっとついていけないという感じがしたのも事実である。
罵倒というのは感情で為されるものであり、これは辛口とは違う
ものだ。谷沢氏は、向井氏や開高氏と同じく、若い時代に左翼
活動を経験しており、その近親憎悪的な感情が迸ってしまった
のではあるまいか、とさえ思えたものだった。
私には、やはりこの人の最良の仕事は、開高・向井両氏とトリオを
組んだ『書斎のポ・ト・フ』をはじめとする、80年代半ばから
90年代にかけての著作にあると信ずる。

そして、もちろん『完本・紙つぶて』。書誌学者としての成果では
薄田泣菫の名コラムを網羅した富山房百科文庫の『完本・茶話』
(浦西和彦との共編)だろう。岩波文庫の『茶話』と比較して読んで
見れば、編者の優劣がそのまま、本の面白さに直結しているのが
明らかになるはずだ。

……だが、人生を通じての最大の傑作は、大学時代、貧乏で本も
買えずにいた後輩に、自分の膨大な蔵書を解放し、自由に読ませ、
貸し与え、挙句に同人誌『えんぴつ』に引きずり込んで誕生させた、
作家・開高健ではなかったかと思う。

あちらでまた開高・向井氏らと、闊達な読書談義を交してください。
R.I.P.

http://megalodon.jp/2011-0327-1851-14/www.tobunken.com/news/news20110325155851.html

×80年代半ばから 90年代にかけて ○70年代末から 80年代半ばにかけて
×富山房百科文庫 ○冨山房百科文庫

「四○○字詰め二枚」のみ漢数字使用の表記不統一は原文ママ。


唐沢俊一のいう「80年代半ばから90年代にかけての著作にあると信ずる」に、あれっと
思ったのは、以下のブログの記述を読んだとき。唐沢俊一が繰り返し言及している『書斎
のポ・ト・フ』は「80年代半ばから」に該当しない。

http://blog.goo.ne.jp/issatsu/e/754ae33a9d138733e0415a2db8c90b8d
>この作品のことを最初に知ったのは、開高健・谷沢永一・向井敏による鼎談「書斎の
>ポ・ト・フ」(潮出版社 1981)を読んだときだったかと思う。


実際、『書斎のポ・ト・フ』の単行本は 1981 年に出ている。想像するに、唐沢俊一は、
1984 年刊の文庫版しかもっていないため、「80年代半ば」の本と勘違いしてしまったの
ではないかと。

http://www.amazon.co.jp/dp/4267006016/
>書斎のポ・ト・フ [単行本]
〈略〉
>単行本: 245ページ
>出版社: 潮出版社 (1981/09)
>ISBN-10: 4267006016ISBN-13: 978-4267006012
>発売日: 1981/09


http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7465E/
>書斎のポ・ト・フ (1984年) (潮文庫) [古書] [文庫]
〈略〉
>文庫: 242ページ
>出版社: 潮出版社 (1984/7/16)
>ASIN: B000J7465E
>発売日: 1984/7/16


それだけならまだよいが、唐沢俊一が「そして、もちろん」と推している『完本・紙つぶて』。
これは 1978 年の本である。

http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8MP6K
>完本・紙つぶて―谷沢永一書評コラム 1969-78 (1978年) [古書] [-]

この『完本 紙つぶて』は、1980 年のサントリー学芸賞を受賞している。唐沢俊一のいう、
「あまりの多作に、親友の開高健が少しペースを落とした方がいい、と忠告した」という話
は、多分この受賞のときの評のことをさしているのだろう。

http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/gei_bun0005.html
>サントリー学芸賞
>1980年度 芸術・文学部門
>谷沢 永一 (たにざわ えいいち)
>『完本 紙つぶて』(文藝春秋)を中心として
〈略〉
>しかし、昨今この著者はハズミがつきすぎてあちらこちらに安易に書きすぎるとの声も、
>審査の席のあちらこちらで聞かれた。民の声は神の声。好漢、自重されよ。
> 開高 健(作家)評


『完本・茶話』はどうかというと、こちらは 1983 年に上と中、1984 年に下巻が出ている。

http://www.amazon.co.jp/dp/4572001375/
>完本 茶話 (上) 冨山房百科文庫 (37) [文庫]
>薄田 泣菫 (著), 谷沢 永一 (編集), 浦西 和彦 (編集)
〈略〉
>文庫: 328ページ
>出版社: 冨山房 (1983/11/25)
>言語 日本語
>ISBN-10: 4572001375
>ISBN-13: 978-4572001375
>発売日: 1983/11/25


http://www.amazon.co.jp/dp/4572001391/
>完本 茶話 (下) 冨山房百科文庫 (39) [文庫]
>薄田 泣菫 (著), 谷沢 永一 (編集), 浦西 和彦 (編集)
〈略〉
>文庫: 700ページ
>出版社: 冨山房 (1984/2/28)
>言語 日本語
>ISBN-10: 4572001391
>ISBN-13: 978-4572001399
>発売日: 1984/2/28


上の引用にもあるように、『完本 茶話』は「冨山房百科文庫」。「富山房百科文庫」で
ググると、「もしかして: 冨山房百科文庫」と表示されるのは、まあお約束ということで。

http://www.fuzambo.net/bunko/index.html
>自分をみつめ
>広く人間性にふれる
>冨山房 百科文庫

>冨山房は、イギリスのカッセル、ドイツのレクラム、フランスのラルースなどの小型判
>古典文庫の刊行と相前後して、いち早く一九〇三年 (明治三十六年)「袖珍名著文庫」
>を発刊し、以後大正時代には 「名著文庫」 新版、昭和に入って 「冨山房百科文庫」 を
>出版し、 いわばわが国におけるポケット判古典叢書の先駆者としての役割を果たしてま
>いりました。


で、「80年代半ばから90年代にかけて」に話を戻すと、どうしてまた唐沢俊一のあげて
いる本の中に、1985 ~ 1990 年に出た本が一冊もないのだろう……と首をひねり続ける
ことになる。前半に登場の『アホばか間抜け大学教授』はどうかと思ったが、これが収録
されている『あぶくだま遊戯』は 1982 年 (昭和 57 年) の本のようだし。

http://www.nanchik.com/html/authorlist.htm
>谷沢永一著:「あぶくだま遊戯/社会批評集」単行本S57/6/20文藝春秋社刊第1刷500
>円目次より:アホバカ間抜け「天声人語」の研究/アホバカ間抜け大学紀要/アホ馬鹿
>まぬけ大学教授/他。この頃の谷沢は痛快の一語に尽きる。店主お勧め。


http://www.nanchik.com/html/authorlist.htm
>谷沢永一著:「あぶくだま遊戯/社会批評集」単行本S57/6/20文藝春秋社刊第1刷500
>円目次より:アホバカ間抜け「天声人語」の研究/アホバカ間抜け大学紀要/アホ馬鹿
>まぬけ大学教授/他。この頃の谷沢は痛快の一語に尽きる。店主お勧め。


もしかしたら、唐沢俊一は 1986 年刊の文庫本を念頭においていたのかもしれないが、
それは『紙つぶて(全)』という題名で、唐沢俊一は『完本・紙つぶて』と書いているし……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/谷沢永一
>完本・紙つぶて 谷沢永一書評コラム 1969-78 (文藝春秋 1978.8)
〈略〉
>紙つぶて 二箇目 谷沢永一/コラムと断簡 1975-81 (文藝春秋 1981.6)
〈略〉
>紙つぶて <全> (文春文庫 1986.3)


http://www.amazon.co.jp/dp/4167411016
>紙つぶて(全)―谷沢永一書評コラム (文春文庫) [文庫]
〈略〉
>文庫: 538ページ
>出版社: 文藝春秋 (1986/03)
>ISBN-10: 4167411016
>ISBN-13: 978-4167411015
>発売日: 1986/03


唐沢俊一は今回の震災以降、「最も大事なことは“日常を崩さない”こと」だと繰り返し強調
している (ここここを参照) が、何も“”日常までも、断固として崩さないで
いることもないのにと思う。


それにしても、今回、個人的にちょっと酷いのではないかと思ったのが、「人生を通じての
最大の傑作は、〈略〉作家・開高健」とのくだり。「自分の膨大な蔵書を解放し、自由に読ま
せ、貸し与え、挙句に同人誌『えんぴつ』に引きずり込んで誕生させた」って、それは普通、
業績とか別の言い方をするものではないかと。唐沢俊一はあえて「傑作」という表現を選ん
だのかとも想像するが、本人の著作以外を「人生を通じての最大の傑作」だとしてしまうの
は、特に追悼の文章において、それはないんじゃないかと思った。


ちなみに、谷沢永一の蔵書数については、15 万冊と 20 万冊と諸説あります状態のよう
だが、『本は私にすべてのことを教えてくれた』(2004 年) の内容紹介に 20 万冊とあるの
で、そちらが正しいのだろう。「阪神大震災では、2トントラック3台分の蔵書を処分した」と
いう分を加えると、もっと多かったということなのだろうか。

http://www.amazon.co.jp/dp/4569634117/
>徹底的に、本に彩られた人生。蒐書六十余年、その数二十万冊以上。日本で最も本を
>愛する読書人が著した、心あたたまる読書自伝。本は、「生涯の師」であり、「終生の
>友」である。読書に徹した人生を、思い出の書を枕に回顧する。


http://book.asahi.com/news/OSK201103090032.html
>蔵書家としても知られ、被災した阪神大震災では、2トントラック3台分の蔵書を処分した
>という。他に著書「回想 開高健」「『新しい歴史教科書』の絶版を勧告する」など。


その他参考 URL:
- http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%AB%C2%F4%B1%CA%B0%EC
- http://sankei.jp.msn.com/life/news/110314/art11031408190002-n1.htm


追記: 「それにしても」の段落をコピペミス (_ _); で抜かしていたのを追加。



More...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1300486298/
-------
416 :無名草子さん:2011/03/26(土) 09:22:39.57
http://www.tobunken.com/news/news20110325155851.html

2011年3月25日投稿
渉猟した男 【訃報 谷沢永一】
3月8日、心不全により死去。81歳。

テンテーの追討が追いついてきました。

>志水一夫氏が亡くなったとき、その蔵書が四万冊と報告されたが、
>この人の蔵書数は二十万冊だったそうである。志水氏の五倍である。
>今後どうやって整理するのか、他人事ながら心配になる。



417 :無名草子さん:2011/03/26(土) 09:54:24.75
>>416
葬儀の場で遺産の話するのと同レベルの不謹慎さだね。
さすがテンテー。まさに追討。
遺族にケンカ売ってるとしか思えない。

418 :無名草子さん:2011/03/26(土) 10:45:25.98
いやそれはさすがに難癖すぎる。

422 :無名草子さん:2011/03/26(土) 16:04:35.37
>>416
>そのせいでもないだろうが、1990年代末、いわゆる
>進歩的文化人を、口を極めて罵りはじめたときからの著作には、
>ちょっとついていけないという感じがしたのも事実である。
>罵倒というのは感情で為されるものであり、これは辛口とは違う
ものだ。

確かに大江健三郎を叩いてたのは
90年代だが、吉本隆明との
論争は1977年のことだし
藤岡信勝も叩いてたから(新しい歴史教科書をつくる会の『新しい歴史教科書』について)
左だけ叩いてたわけじゃ
ないんだが

だいたい谷沢永一論じゃなくて
追悼なんだから、こんなこと
かかなくていいだろう

やっぱり「こんなに優秀な故人も晩年は~」という
図式に持っていきたかったのかねえ

491 :無名草子さん:2011/03/27(日) 03:34:45.13
>>422
谷沢永一が左翼叩きをしていたのは昔からだけど、吉本と論争してたころは割と理知的にやってたのに対して
90年代にやってた進歩的文化人批判はかなり感情的な上に一方的な攻撃だったような。
ただ、不幸な晩年というよりは嫌いなソ連がつぶれて我が世の春を感じちゃっただけだと思う。

あと歴史教科書批判はかなり例外的な話だと思うよ
ウヨ文化人内で覇権とられて仕返し、みたいな「噂の真相」的な裏があるとまではいかないにしても

492 :無名草子さん:2011/03/27(日) 03:39:12.76
作る会に対する攻撃はちょっと常軌を逸していたな。鬱病とか言ってたけど、双極性障害で他人への攻撃が
マックスになる時期があったのでは。
結局アンチって唐沢に嫉妬している不勉強なライターが多いのかな?

493 :無名草子さん:2011/03/27(日) 06:25:09.04
>>491
吉本の件も「作る会」の件も頷けます
おっしゃる通りです
ただ唐沢の文章はこう続くんです

>谷沢氏は、向井氏や開高氏と同じく、若い時代に左翼

>活動を経験しており、その近親憎悪的な感情が迸ってしまった

>のではあるまいか、とさえ思えたものだった。

>私には、やはりこの人の最良の仕事は、開高・向井両氏とトリオを

>組んだ『書斎のポ・ト・フ』をはじめとする、80年代半ばから

>90年代にかけての著作にあると信ずる。

と。これだとイデオロギーと無縁の人が
突然おかしくなったような
印象を与えられますが
そうではないわけです
80年代半ばから「諸君!」にでてたわけだし

>>491さんがおっしゃるように
>嫌いなソ連がつぶれて我が世の春を感じちゃっただけだと思う。

のだから谷沢永一のイデオロギーは逆に一貫していたのだし
で、唐沢がそのイデオロギーが嫌なのなら
最初からかかなきゃいいだろう
追悼なんだし、また晩年にケチつけたいだけなんだな、と私は受けとりました

-------

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Comment

>JKH さん
>引用の範疇を超えていますね。

そうですか……いろいろ難しいと思いつつ、精進していこうと思います。
トンデモない一行知識 |  2011年03月28日(月) 23:42 |  URL |  【コメント編集】

●ささやかな違和感

引用の範疇を超えていますね。ミイラ取りがミイラになってはいけません。
JKH |  2011年03月27日(日) 22:50 |  URL |  【コメント編集】

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