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2011.03.06 (Sun)

「家庭の主婦の足の裏にペンキ」については継続して情報を募集したい

『ウラグラ! ベスト・オブ・裏モノの神様』 P.34 ~ P.35

神● “ウサギ小屋”と言われた、というのがよほどのショックらしく、20年
以上そのウラミを重ねているのが住宅評論家と称する連中じゃが、いっこう
に改善されておらん。

唐● しかし、狭い狭いと言いますけどね、ロンドンのアパートなんか見ると
もっとチマチマしてますぜ。なんで日本ばかりがそう言われるのか。
〈略〉
唐● 日本人の“縮み指向”に、案外ウサギ小屋は似合っているのかも
しれませんね。アメリカの映画など見ると、人が2人か3人で住むのに、
あそこまで大きい家が必要かいな、とも思いますしね。

神● 日本のウサギ小屋は、そういう無駄を排そうという、すさまじいまで
の合理的精神によって設計されたのじゃ。戦後、大学の計画学のセンセイ
たちがな、家庭の主婦の足の裏にペンキを塗り、普通に家事をさせて、
その足跡を徹底分析した、そして、その歩数から無駄な部分をどんどん
削っていったそうじゃ。

唐● ひえー。

神● その結果、縁側などという非合理的な部分はなくなり、廊下が不要
ということになり、台所と茶の間が分かれているのは不経済ということに
なり、しこうして、あの公団住宅の設計が完了した。


「家庭の主婦の足の裏にペンキを塗り、普通に家事をさせて、その足跡を徹底分析」して
動線を把握しようとしたのかな、しかし足の裏のペンキは乾くまでどのくらい保つものかと
いうのと、「公団住宅の設計」はどんなものだったんだろうかと思って調べてみた。

唐沢俊一のいう「大学の計画学」というのは、多分「建築計画学」のことだろうとして。

http://ja.wikipedia.org/wiki/建築計画学
>動線
>計画建築物の中を利用者や備品が移動する経路を動線という。平面計画の工夫によっ
>て動線の長短、わかりやすさ(迷いにくさ)が決定される。
〈略〉
>昭和初期になると、西山夘三が庶民住宅を対象とした綿密な調査を始める。西山は、
>住宅の間取りと居住者の生活の関係を調査していった。こうして、科学的分析と、実地
>での利用実態調査や人間心理への洞察の両面において、建築計画学の地盤は整っ
>た。
>第二次世界大戦後に建築計画学の発展に大きく貢献したのは吉武泰水である。吉武
>は、西山の庶民住宅調査を発展させ、人間生活と空間の関係の調査を応用につなげて
>いった。集合住宅・病院・学校などの公共性の高い建築物を研究対象とし、定量的方法
>論を確立する。
〈略〉
>鈴木成文 - 住居学に多くの成果がある。公団住宅51C型(2DK)の考案者である。


「公団住宅51C型(2DK)の考案者」という鈴木成文は、2010 年 3 月に亡くなっているが、
死の直前まで公式ウェブサイトの日記を更新していたとのこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木成文
>第二次世界大戦後の復興期の公共施設計画S研究を行う中で、1951年(昭和26年)、
>公営住宅の標準型「51C」の設計に研究室の一員として参加[1]。「51C」はダイニング
>キッチン付公営住宅の原型となった[1]。2001年(平成12年)、日本建築学会賞大賞受
>賞。
〈略〉
>2010年(平成22年)3月7日、虚血性心不全により死去した[1]。満82歳没。2003年(平
>成15年)から始め、書籍化もされた公式ウェブサイトの『文文日記 日々是好日』は同年
>3月4日のエントリーが最後であった[2]。


ただし、鈴木成文の日記には「51C」の話は出てくるものの、唐沢俊一の書いているような
「無駄を排そうという、すさまじいまでの合理的精神によって設計された」という話は見つけ
られなかった。

http://www.s-suzuki.com/suzuki/dialy_back/dialy_2009_02.html
>紀伊國屋書店出版部から連絡で近く刊行予定の『戦後日本スタディーズ』に「51C」
>の図の転載許可願い。転載は無論承諾したが本の編者の内の上野千鶴子ほか2名の
>鼎談中には明らかな誤りもあったので指摘した。51Cを公団住宅標準設計としているが
>実は公営住宅の前身の国庫補助住宅だ。51Cに4人家族が暮したと書いているが当時
>の住み方調査では家族は3人から11人に分布し、山は5人だ。35平米の住戸をDKと
>寝室に分割しと書いているが台所と居室は開放的に繋げ分割してはいない。今は80平
>米になったがフロアプランのプロトタイプは変ってないと書いているが空間を繋げて生活
>を重合させる 51C型から個室分割の nLDKへと大きく変質した。社会学の住居認識は
>この程度のものなのだ。


鈴木成文自身が、「51Cを公団住宅標準設計としているが実は公営住宅の前身の国庫補
助住宅だ」、「空間を繋げて生活を重合させる 51C型から個室分割の nLDKへと大きく
変質」と書いてもいるので、唐沢俊一のいう「あの公団住宅の設計」とは微妙に異なる話
なのかもしれないと思った。

ということで、さらに探してみて、「台所と茶の間が分かれているのは不経済」というのに
近いかなと思ったのが、以下に引用するもの。「不経済」というより、「公団は面積制限の
ために居間が基本的につくれなかった」ので、「リビングではなくダイニング」の「食事室兼
台所」となったという話。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_c02.html
>女性建築家第一号浜口ミホの描いたもの
>ダイニングキッチンの誕生 北川圭子
〈略〉
> 1955年(昭和30)に日本住宅公団ができたときに、本城和彦さんがミホさんに白羽の矢
>を建てて、ああいう台所が実現したのです。

>本城和彦 (ほんじょうまさひこ 1899~2002年)ダイニングキッチンという造語の命名者。
>1938年(昭和13)東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、逓信省営繕課に入省。戦後
>間もなく戦災復興院に移り、経済復興計画の作業や国土総合開発法の立法に携わる。
>日本住宅公団在職中には、当時の公営住宅規模(2K:12坪)を超えた公団の規模(2DK)
>を決定し、住宅内の食寝分離型を進めて居住水準を高めるなど、現在の間取りの原型
>となるスタイルをつくり上げた。

> ダイニングキッチンという言葉は本城さんが使い始めます。その理由は、公団は面積
>制限のために居間が基本的につくれなかったんですね。それで、リビングではなくダイ
>ニングだろうと。図面には、食事室兼台所と書いてありますから。終戦後、ドイツ語を敬
>遠して英語化が進んだために一時期リビングキッチンと呼ばれた時期もあって、名称に
>混乱が生じました。


「台所と茶の間が分かれている」かどうかはあまり問題ではなく (台所と茶の間の仕切りの
有無は、面積にはさほど影響しなさそう)、居間としての茶の間が食事室を兼ねるかどうか
が問題になるように思える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/居間
>茶の間(ちゃのま)とは、日本家屋の中で、家族が集う、生活の中心となる部屋のこと。
>日本家屋においては「居間」「リビングルーム」に相当する空間であるが、食事をする
>「食堂」「ダイニングルーム」の役割も兼ねることが多い。


また、先に引用したページを見ると、「無駄を排そうという、すさまじいまでの合理的精神
によって設計された」住宅というものは、何も戦後の「日本のウサギ小屋」が最初ではない
ようで、「狭い空間の中でいかに最小限の生活機能を満たすかという『生活最小限住宅』」
の概念は、「第一次世界大戦後のドイツを中心としたヨーロッパ」で最初に出てきたのだと
いう。

……そういえば、唐沢俊一本人も、「ロンドンのアパートなんか見るともっとチマチマして
ますぜ」なんて書いているんだよなあ。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_c02.html
>生活最小限住宅運動
> 狭い空間の中でいかに最小限の生活機能を満たすかという「生活最小限住宅」の
>概念が最初に出てくるのは、第一次世界大戦後のドイツを中心としたヨーロッパです。
>敗戦国で戦地からの引揚者が戻ってきたことによる住宅不足がその原因です。この運
>動はアメリカにまで広まりました。

> 生活最小限住宅はCIAMの第2回会議(1929年)のテーマにもなり、前川先生はコルビ
>ジェの事務所から参加して目の当たりにしました。
〈略〉
> 生活最小限住宅の中で試みられたのが、ヴォーン・キュッへなのです。あちらは靴を
>履きベッドで暮らすわけですから、かなり無理があります。ソファをベッドにして、押し入
>れにも子供を寝かせなければ、家族4人が暮らせないような間取りです。夫婦が中心に
>なるところが、やはりヨーロッパですね。38m2だったかな。日本の場合は、和室で逃げ
>ることができますので、少しは楽でしょう。

> 前川先生の影響か、東大では生活最小限住宅運動が非常に盛り上がったわけですけ
>れど、私がキャッチしていないだけかもしれませんが、ほかではあまり聞いたことがあり
>ません。京大とか、西山夘三先生はどう考えていらっしゃったのか。この時代、東大では
>ヨーロッパに目が向いていたのかもしれないな、とも思います。


上でいう「前川先生」こと前川國男が、生活最小限住宅運動の影響を受けて建てたという
自邸は、現在「江戸東京たてもの園」に保存されているとのこと。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_j01.html#colum
>近代化以前の住まいは、時代性や格式といった様式に支配されていた。農民の家は農
>家らしくとか、風水による間取りの決定といった具合に。それは、用途に即していたし、
>自然環境を考慮したら当然の成り行きだったので、理にかなったことだった。
>近代住宅は、そうした支配から住まいを解放しようとしたもの。水まわりにも、創意工夫
>が満ちているように思える。LDKの登場で画一化してしまった現在の住宅から見ると、な
>んとも自由で、「設計の思想」が迫ってくるのである。
>江戸東京たてもの園に移築・保存されている前川國男自邸は、まさにその代表だ。
>1942年(昭和16)、建築資材と延べ床面積の制限(「木造建物建築統制規制」1939年)と
>いう厳しい条件下で竣工した。


「1942年(昭和16)、建築資材と延べ床面積の制限(『木造建物建築統制規制』1939年)と
いう厳しい条件下で竣工」とあるが、これらの規制は戦後になってからのものではないこと
に注目しておくべきかも。

唐沢俊一が書いているように「縁側などという非合理的な部分」、「廊下が不要」と考えた
かどうかは別として、集合住宅ではないこの家にも縁側はないし廊下もない。

元ネタ (?) の、「ドイツで流行っていたヴォーン・キュッへ(Wohn Kuche)」の図面:
http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/images/31_c_img02.gif
を見ると、当然縁側はなく (バルコニーはある)、廊下もない。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_c01.html
>ダイニングキッチンの成立は、1941年(昭和16)の西山夘三先生の食寝分離論、それか
>ら10年後1951年(昭和26)の吉武泰水先生と鈴木成文先生の「公営住宅51C」、この
>ルートから公団住宅「55-4N-2DK」に、そして全国に普及する、というもの。これが定説
>になっていたわけです。
〈略〉
>ところが、東京・等々力に建てた自邸のダイニングキッチンは前川國男先生から教授さ
>れドイツで流行っていたヴォーン・キュッへ(Wohn Kuche)であったという、まったく違う話
>が隆一さんの口から聞かれたんです。この家は疎開前に売ってしまい、戦後すぐに壊さ
>れ、残念ながら写真も図面も残っていません。
〈略〉
>ヴォーン・キュッへというのは、ドイツ語で、Wornraum(居間)とKuche(台所)を合体させた
>言葉です。私もこのドイツ語は初めて聞きましたし、今では建築業界でも忘れられてしま
>っていると思います。
>日本では1930年(昭和5)ごろに『国際建築』(国際建築協会)と、ほかの何冊かに紹介さ
>れています。当時の広辞苑に載っているほど広まった言葉です。今でいうダイニング
>キッチンですが、ミホさんは戦前にもう既に、ヴォーン・キュッへを提案しています。
>1949年ごろ、ドイツ語だったヴォーン・キュッへが、敗戦という背景があって英語のリビン
>グキッチンに置き換わっていきます。


「ヴォーン・キュッへ」というものが、1930 年代にはもう日本の建築雑誌 (『国際建築』) に
載っていたというだけではなく、「当時の広辞苑に載っているほど広まった言葉」とのことだ
から、唐沢俊一の主張するストーリー――「戦後、大学の計画学のセンセイたち」が、「無駄
を排そうという、すさまじいまでの合理的精神」を発揮し、「家庭の主婦の足の裏にペンキ
を塗り、普通に家事をさせて、その足跡を徹底分析」といった実験を重ねた結果、「縁側
などという非合理的な部分はなくなり、廊下が不要ということになり、台所と茶の間が分か
れているのは不経済ということになり」「あの公団住宅の設計が完了」――とかいうのは、
あらかたガセ、と考えてよいだろう。


「家庭の主婦の足の裏にペンキを塗り、普通に家事をさせて、その足跡を徹底分析」に
ついては、なお気になるところではあるが……。

ドイツで生活最小限住宅という概念が発生したときに、動線を考えるにあたってそのような
実験が実施されたという可能性もあるのかなと、個人的には思ったりもする。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_c02.html
>生活最小限住宅がテーマになったCIAMで、エルンスト・マイとマルガレーテ・シュッテ=
>リホツキーが提案した、フランクフルト・キュッへ(1929年)


図: http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/images/31_c_img03.gif

または、公団の台所を、「流し台→調理台→加熱台」の配置にするか、「調理台→流し台
→加熱台」と流し台を中心にするかを決定するにあたり、主婦に実際に献立をつくって
もらい、その「調理時間」と「歩数」を測定したという話が、「家庭の主婦の足の裏にペンキ
を塗り」になったのかもしれないとも思う。

http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/mizu_31/no31_c03.html
> 日本住宅公団の第一号には間に合わなかったのですが、前川先生が手掛けられた
>晴海高層アパート(1958年 昭和33)から公団一号型が導入されています(一体成型の
>ものは同年竣工の多摩平テラスハウス)。
> ただ、ステンレスの流し台を中心に据えたミホさんの「ポイントシステム」(センター・
>シンク・システム)に対して、家政学で常識とされた「流れシステム」が障害となり、その
>解決のために実験が行なわれました。
> 「流れシステム」とは、食品に手が加えられていく順序(準備→流し→調理→加熱→
>配膳)に従って「流し台→調理台→加熱台」という配列を指します。これが家政学の常識
>となったのは、鈴木式高等流し台以来で、長い間支持されてきたことでした。鈴木の理
>論は、当時もっとも進歩的とされていたアメリカを手本としたものでしたから、ミホさんの
>提案は大きな抵抗を受けました。
> ミホさんは多くの反対の声に対して、公団DKにならったキッチンを設計していた津幡修
>一氏邸に試作品を持ち込んで試用します。津幡さんはアントニン・レーモンドの事務所を
>辞めて公団に入ってきた建築家です。それでもやはり受け入れられず、結局、女子栄養
>大学の助教授だった武保(たけやす)に実験への協力を申し出ました。
〈略〉
> 1956年(昭和26)7月に女子栄養大学で行なわれた実験は、10人の主婦を被験者とし
>て、実際に献立をつくって「調理時間」と「歩数」を測定するもの。結果は「調理時間」は
>それほど変わらないものの、「歩数」では27・5歩対2歩という圧倒的な差で「ポイントシス
>テム」に軍配が上がりました。



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Comment

>日本における都市生活者の住宅の歴史といえば長屋があって、
>>廊下が不要
>ってのはそりゃそうだろうよとか思ったり。

>金持ちでも無い限り、都市生活者の住居環境なんて、
>洋の東西を問わないと思うのですけどね。

同意です。(_ _) そういえば、「ウサギ小屋」というのは悪口ではなかった、誤訳だったという話がなかったっけ――と思ってググったら、ありました。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/usagi
より新潮新書『『エコノミック・アニマル』は褒め言葉だった ー 誤解と誤訳の近現代史』(多賀敏行)の孫引き。

>おかしいな、とよく読むと、原本はフランス語で、英語に翻訳されたと注釈が
>あります。ウサギ小屋については原文では「cage a lapins(カージュ・ア・ラパ
>ン)」。辞書で「lapin」を調べると「cage a lapins」で一つの成句になっていて、
>「画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物」と定義してある。つまり、
>都市型の集合住宅のことを表す俗称で、別にほめる意味はないが、侮辱する
>意味で使ったものでもないようだ、ということに気付きました。フランス人の住む
>パリの集合住宅もこう呼ばれます。何も特に日本を揶揄するために新たに作っ
>た表現という訳ではないのです。

http://www.37sumai.com/special/27_pcup/story01.html

をを、これは当時の忠実な再現ですかしら。私の見たことのあるのは映画村みたいなところのセットくらいで、漠然と予想していたより狭いかなと思ったものでした。
トンデモない一行知識 |  2011年03月10日(木) 08:44 |  URL |  【コメント編集】

●家政科でしたが

建築関係は取らなかったのですが、マンション販売のバイトもした事あるし、学生時代は台所排水の分析をやっていたので、興味をひかれました。
女性学も熱心に学んだ方なのですが、学んだ中に家の形、台所の形からの女性学へのアプローチはあまり無かったと
>本の編者の内の上野千鶴子ほか2名の
>鼎談中には明らかな誤りもあったので指摘した。
で思い出しました。建築の先生は女性学なんか興味無い人だったし。
そして、マンションのショールームで盛り上がるのはやっぱりダイニングキッチンだったと思い出したり。
水まわりは規格ものでどこのマンションも変わらないけれど、やっぱりそこが売りになりました。
一番大事なのは立地ですけどね、あくまでショールームの話です。

唐沢氏は都市における住生活について考察が足りない気がします。
日本における都市生活者の住宅の歴史といえば長屋があって、
>廊下が不要
ってのはそりゃそうだろうよとか思ったり。
http://www.viva-edo.com/nagaya.html
>アメリカの映画など見ると、人が2人か3人で住むのに、
>あそこまで大きい家が必要かいな
って、都市生活者を描いた映画とか見て無いんですかね?
金持ちでも無い限り、都市生活者の住居環境なんて、
洋の東西を問わないと思うのですけどね。
土地に対して人口が多く、物価が高く労働者の賃金が限られているなら、
供給される住居は合理的で適切な広さでなければと思うので、
>いっこうに改善されておらん。
ってのはどうだろうよ?とか思ったり。

うさぎ小屋の歴史が見られる所
http://www.37sumai.com/special/27_pcup/story01.html
行ってみたいです。
NNT |  2011年03月09日(水) 21:06 |  URL |  【コメント編集】

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