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2011.02.27 (Sun)

似ているようで違う ―― サイエンス・フリクションとサイエンス・フワクション

http://www.tobunken.com/diary/diary20110225110114.html

古い映画をみませんか・11 『science friction』(1959)

http://www.youtube.com/watch?v=rvmXDeNGy3s

アメリカの実験映像作家スタン・バンダービークの作品。
「あれ、『モンティ・パイソン』?」
と思った人も多いことと思う。
実はこっちの方が先輩で、テリー・ギリアムはイギリスに
渡ってアニメーションを制作するとき、バンダービークの
写真コラージュ手法をモデルにした、と語っている。
こうして見ると、コラージュ手法以上にいろいろな部分を
丸々いただいている気がする。
作中、怪しげな実験をしている科学者を演じているのは
作者のバンダービーク自身で、作者が自演、というのも
モンティ・パイソンの先駆である。

タイトルの『science friction』はもちろん、『science fiction』
のもじり。『4Dマン』のときにも書いた、スプートニク・
ショックによる米ソの宇宙開発競争の激化によるfriction(摩擦・
軋轢・不和)を描いた作品である。コラージュ元として
出てくる人物に当時のアメリカ大統領アイゼンハワー、
ソビエト最高指導者フルシチョフの顔が出てくるが、もはや
若い人たちにはわからないかもしれない。

コラージュ技法は作者のバンダービークのトレードマーク
だったが、バンダービーク自身、その人生はさまざまな
要素のコラージュで成り立っているような人物だった。
大学時代には建築家のバックミンスター・フラー、音楽家の
ジョン・ケージ、バレエ振付師のマース・カニンガム等と
交流して影響を受け、前衛美術家として作品を発表、やがて
生活のためにテレビ番組のアート・ディレクターとして
働くようになり、1953年、子供向け番組『ウィンキー・
ディンク・アンド・ユー』のアニメーションを担当、大評判を
得る。この番組はホストのジャック・バリーと、アニメの
ウィンキー少年がからむ構成で(ちなみにウィンキーの声は
ベティ・ブープやオリーブ・オイルをアテたメエ・クエステル)、
これもモンティ・パイソンのアニメコントの原型かもしれない。

やがてバンダービークは実験映像の世界に戻り、写真コラージュ
手法で風刺性の強いアニメ作品を発表していたが、単なる
アニメ制作には飽き足らず、上映の方式そのものを改革しようと
ニューヨーク郊外のストーニー・ポイントにプラネタリウム式
のドーム状上映館を建てて、マルチプル映写機で天井に上映する
というような実験を繰り返していた。……現代ではむしろ単なる
奇人で片づけられてしまうかもしれないが、60年前後という
時代は、芸術、科学、全ての分野において、これまでの常識を
打ち破る発想が必要とされた時代であった。彼の映像性に興味を
示したのがベル研究所のケン・ノールトン(錯覚アートの先駆者)
で、彼はバンダービークに一緒にやらないかと声をかけ、それに
応じたバンダービークはベル研の後援を得てコンピューター・
グラフィックの研究に取り組み、世界最初期のコンピューター・
アニメーション作家となる。YouTubeにはその作品も
あるから、ぜひご覧になっていただきたい。

バンダービークは米ソの冷戦状況、宇宙開発競争を、その
作品で茶化してみせた。『science friction』の中で自身が
演じた、ジキルとハイドのパロディのような、実験を繰り返す
うちに怪物化してしまう科学者の姿は、あきらかにその
サタイアであろう。だがしかし、その彼をひろいあげ、予算を
与えて、コンピューター・グラフィックの研究を思う存分
させたのは、まさに、その宇宙開発競争のモトとなった
スプートニク・ショックだった。この時代、アメリカでは科学
研究の重要性が再認識され、各研究施設等に対する国の補助も
大幅に増額された。バンダービークのような、一種アナーキー
な男を天下のベル研が拾い上げるというのも、時代ならでは
という感じである。

思えば、60年代、チェコが人形アニメ王国としての黄金時代
を謳歌し得たのも、社会主義国家の文化優位性を世界に宣伝
するために国が文化政策の一環としてアニメ制作を優遇した
ためであった。われわれは今、トルンカやボヤールの作品の
芸術性をため息をつきながら観賞するが、その裏には複雑な
政治的思惑がからんでいる。バンダービークの作品もまた、
そういった時代的状況の中の産物と見れば、自ずと違った感慨
も浮かんでくる。


×ケン・ノールトン(錯覚アートの先駆者) ○ケン・ノールトン(錯覚アートで有名)
×メエ・クエステル ○メイ・クエステル

Stan VanDerBeek は、「スタン・バンダービーク」より「スタン・ヴァンダービーク」表記の方
が、ネット上で検索の際はいろいろな情報が拾いやすいみたいですよ、と。というか「バン
ダービーク」だと、唐沢俊一のこの文章が、いきなり検索結果の上位に表示されてしまう。

下に引用する文章には、「ヴァンダービークのフォトコラージュによる作品はその後の作家
に大きな影響を与え」、「モンティ・パイソン時代のテリー・ギリアム(Terry Gilliam)による
幕間のアニメーションはそうした例であり、ギリアム自身その影響を語っていた」ことが
述べられている。

また、「SCIENCE FRICTION」は「旧ソ連・アメリカ間の宇宙開発競争をシニカルに、そして
ユーモラスに描いた」作品で、「タイトルも、『サイエンス・フィクション(Science fiction)』に
『衝突/フリクション」をかけてる」もので、「フルシチョフを揶揄するかのようなイメージ」が
登場するとも書いている。

さらに、「60年代にはベル電話通信研究所の後援を受けてコンピューター・アニメーション
("Poem Field"シリーズ)を制作発表」あたりまでをカバー。

http://blogs.dion.ne.jp/wuemme/archives/604493.html
>SCIENCE FRICTION
>サイエンス・フリクション
>16mm, 10mins, colour, sound, 1959, US

>旧ソ連・アメリカ間の宇宙開発競争をシニカルに、そしてユーモラスに描いた、フォト
>コラージュによるアニメーション作品。タイトルも、「サイエンス・フィクション(Science
>fiction)」に「衝突/フリクション」をかけてる。(ヴァンダービークの作品にはこうした語呂
>合わせのタイトルが多い)特にフルシチョフを揶揄するかのようなイメージが登場する
>が、それは翻ってアメリカの科学信奉と乱開発の現状に強烈な疑問を投げかけている
>のに他ならない。劇中劇で(ヴァンダービーク演じる)マッド・サイエンティストが自ら開発
>した薬品で自滅してしまう描写はバカバカしくも、当時の冷戦状態のフラストレーションを
>体現しているかのようだ。

>スタン・ヴァンダービーク

>フィルムメーカー、メディア・アーティスト。1927年、デンマーク、オランダ系の家系のもと
>に生まれる。クーパー・ユニオン(Cooper Union)、ブラックマウンテン・カレッジ(Black
>Mountain College)で学ぶ。72年にはクーパー・ユニオンから名誉博士号を授与される。
>84年没。
>55年から映画制作を始める。特に実験的なアニメーション-フォトコラージュ技法-は彼
>を特徴付ける作風として、その後のフィルムメーカーに大きな影響を与える。また、60年
>代にはベル電話通信研究所の後援を受けてコンピューター・アニメーション("Poem
>Field"シリーズ)を制作発表する。70年代には映画(映像)の可能性-拡張映画
>"Expanded Cinema"-を求めてニューヨーク近郊のストーン・ポイントに「ムービー・ドロー
>ム("Movie Drome")」という全転周型ドーム状のシアターをつくり、視覚・音響のライブ・
>パフォーマンスを開催する。彼は新たな視覚体験に強い関心を寄せていた。それ故に彼
>の表現スタイルは多岐に及ぶ。彼はマルチ・メディア・アートの代表的な先駆者の一人
>だ。
>尚バイオグラフィー、作品歴はこちらを参照。ヴァンダービークのフォトコラージュによる
>作品はその後の作家に大きな影響を与えた。それは実験映画に作家ばかりではなく、
>むしろこの手法をTV-CMなどに転用されるケースが多かったのではないだろうか。実
>際、モンティ・パイソン時代のテリー・ギリアム(Terry Gilliam)による幕間のアニメーショ
>ンはそうした例であり、ギリアム自身その影響を語っていた。
>また、今日の作家でもルイス・クラー(Lewis Klahr)は、ヴァンダービークへのオマージュ
>ともいえる作風で制作を続けている。


これで、「ニューヨーク郊外のストーニー・ポイントにプラネタリウム式のドーム状上映館を
建てて、マルチプル映写機で天井に上映」の時期がズレていなければ、上に引用の文章
が有力ネタ元候補だったのだが、惜しいことである (?)。

唐沢俊一のように「60年前後」と書いてしまってよいかは微妙だが、New York の Stony
Point に Movie-Drome は 1963 年から 1965 年にかけて建てられたとのこと。

http://www.h3.dion.ne.jp/~fmic-tyo/KB/KB51-100/KB_no90.htm
>■アメリカのアンダーグラウンド映画の中で、スタン・ヴァンダービークは独自な位置を
>占めている。60年代のなかば頃、エクスパンデット・シネマ(拡張映画)と呼ばれる映画
>がさかんにつくられるようになるが、ヴァンダービークはエクスパンデット・シネマを代表
>する映像作家であった。エクスパンデット・シネマとは、既成の映画概念を拡張する試み
>で、客席から正面のスクリーンを眺めるという通常の上映形態から逸脱するような表現
>を探求した。ヴァンダービークが頻繁に行ったのはマルチ・プロジェクションで、部屋のあ
>ちこちにいくつもの映像を同時に投影した。とくに、自宅のスタジオを改造した「ムービー
>・ドローム」は有名である。


http://www.daylightmagazine.org/blog/2008/10/15/253
> Obviously, this was a project that was never fully realized, or VanDerBeek might be
> credited with creating an imaginative precursor to the Internet. But, from 1963 to
> 1965 he did build a full-scale prototype of a Movie-Drome out of an abandoned
> grain silo up in Stony Point, New York. Inside, he held multi-media events that
> employed dozens of film and slide projectors to produce what he called “a super
> collage or movie mosaic.”


http://toshokan.city.fukuoka.lg.jp/docs/eizo/seminar/matumoto.html
>映写をしてる人たちは、再生技師ではなくて、刻々マルチ・プロジェクションのパフォーマ
>ンスをコラボレーションとして作り上げている共同制作者、あるいはパフォーマ-となっ
>てくるわけですね。これは一つの例なわけですが、そんなことを可能にするのも小型の
>プロジェクターだからできるわけで、映画館にあるような35ミリのプロジェクターでそんな
>ことしようたってできるわけがない。だから小型がいいっていうわけではなくて、小型化の
>辞せ援実践を通して企業の映画からは生まれにくい自由なものづくりの発想が出きるよ
>うになる。それからまたそれを実現することが可能になる。そこに価値ある何かが生まれ
>てくることによって「小型化」ということがすごくポジティブな意味を持ってくるわけですね。
>同様にフィルムやスクリーンにしてもそうなんですが、映画を構成している基本的ないろ
>んな要素すべてに関してそういう大胆な試みがいろいろと行われた。これは今いったよう
>な60年代のある種の大きな変革期といったようなもののなかで、文化全体が構造的に
>大きく地殻変動を引き起こしている、いうことと切り離せない形で、映画に対する考え
>方、映画の観念、それから映画の感性、映画の価値観、そういうものが大きく揺らぎも
>し、またあらたに新しく生まれもしたということがいえるわけです。



で、「ベル研究所のケン・ノールトン(錯覚アートの先駆者)」について。

1931 年にダリが『記憶の固執』を描き、やはり 1930 年代頃からエッシャーが「不可能
図形的な要素を取り入れた版画」を描き続けていたのに、ケン・ノールトンを「錯覚アート
の先駆者」にするのは、少し無理があるでしょう、ということで。アルチンボルドにいたって
は (?) 16 世紀の画家なのだし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュゼッペ・アルチンボルド
>ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo, 1527年 - 1593年7月11日)は、
>イタリア・ミラノ出身の画家。マニエリスムを代表する画家の1人とされる。
>静物画のように緻密に描かれた果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な
>肖像画の製作で世に知られる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/サルバドール・ダリ
>1931年 記憶の固執(柔らかい時計)(La persistència de la memòria)

http://ja.wikipedia.org/wiki/不可能図形
>オランダの芸術家M・C・エッシャーは不可能図形的な要素を取り入れた版画を1930年
>代から描き続けていた。1957年、初めて真の不可能物体を含む版画「立方体とマジック
>リボン」を制作した。その後も不可能物体を含む版画を描き続け、時には全体が不可能
>図形となっているものもある。


http://artsdb.s140.xrea.com/mag-s/searchmag.cgi?TITLE=LE%20CHATEAU%20DES%20PYRENEES
>ピレネーの城 Le Château des Pyrénées / THE CASTLE IN THE
>PYRENEES ○油彩・カンヴァス200.3×130.3cm1959 ≪0902≫エルサレム、イスラエ
>ル美術館蔵


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1253.html
> 誰もがエドウィン・ボーリングが1941年に描いた『あなたは私の妻と姑を見ている』
>(図1)を知っているが、その60年前にその原型がドイツの絵葉書(図2)にあったことは
>知らない。
〈略〉
> ヘルマン・ワイル(670夜)の『シンメトリー』やリチャード・グレゴリーの『インテリジェン
>ト・アイ』(みすず書房)以来、錯視はずっとぼくの友人だったけれど、錯視画がいまだに
>街角にあるトリックアートのたぐいにすぎないと思われているのでは、寂しい。よく知られ
>たアルチンホルド(図3)やダリ(図4)やマグリット(図5)やエッシャー(図6)の挑戦で、
>すでに錯視は「遊の発生」ないしは「概念生成」であることなど、とっくに理解されている
>はずなのだが、どうも世の中のアート論、そこまで進捗していないようだ。
〈略〉
> どういう作品がたんなるトリックアートではないかということは、たとえばケン・ノールトン
>の作品を見るといい。ノールトンはコーネル大学で物理工学の学位をとり、MITで情報
>工学の博士号をとったのちベル研で鳴らした名うてのコンピュータ開発者だが、そのビッ
>トマップ・グラフィック・アートはそうしたデジタル技術の経歴をはるかに超えた作品群に
>なっている。
> 64個の点字ドットのみで表現された『ヘレン・ケラー』(図7)はどうか。999個のサイコ
>ロでアインシュタンの顔を表示した『神は宇宙とサイコロ遊びはしない』(図8)はどうか。
>テーブルマジックの天才レナート・グリーンをトランプ・シンボルで組み立てた『トランプ・
>マジック』(図9)、さらにはコンピュータ雑誌の編集長バート・ヘルツォークをキーボードだ
>けで肖像化してみせた『年老いたコーダー』(図10)など、見る者を驚かせる(数十センチ
>目を離して鑑賞のこと)。
〈略〉
> しかしノールトンの本領にはさらに奥がある。そのことは『ジャック・クストー』(図11)と
>『ウィル・ショート』(図12)に如何なく発揮されている。『クストー』はノールトン自身が浜辺
>で拾い集めた貝だけで構成されたクストー像なのである。この錯視表現のプロセスに費
>やされたリスペクトとコレクティブ・ワークこそ、そもそもアートが秘めてきた本来そのもの
>だ。『ショート』のほうは、ニューヨークタイムズのクロスワード・パズルで著名なウィル・
>ショートをの顔を、なんとクロスワード・パズルのタテヨコのお題と解答を含んで成立させ
>てしまったのである。これはエディトリアル・アートとさえ言いたい。


で、唐沢俊一の文章だけならともかく、上に引用したような文章を読んでいくと、「コンピュ
ーター・グラフィック」の作品も見てみたくなるのだが、唐沢俊一は、「世界最初期のコンピ
ューター・アニメーション作家となる。YouTubeにはその作品もあるから、ぜひご覧になっ
ていただきたい」と書くだけで、作品のリンクを示すなどという親切なことはしてくれなかっ
たりする。

多分、これら↓のことだと思うのだけど。

http://www.youtube.com/watch?v=BMaWOp3_G4A
> Stan Vanderbeek and Kenneth Knowlton-Poemfield no.2

http://www.youtube.com/watch?v=VTrKWJe6CS4
> Stan Vanderbeek: The Computer Generation part 2

http://www.bharatstudent.com/ctv/watchvideo.php?vid=hhkpifcloijpn
> Stan Vanderbeek The Computer Generation part 1 | Bharatstudent.com


そして、「ベティ・ブープやオリーブ・オイルをアテたメエ・クエステル」について。

http://en.wikipedia.org/wiki/Winky_Dink_and_You
> Winky Dink And You was a CBS television children's show that aired from 1953 to
> 1957, on Saturday mornings at 10:30 a.m./9:30 central. It was hosted by Jack
> Barry, and featured the exploits of a cartoon character named Winky Dink (voiced
> by Mae Questel) and his dog Woofer, with sound effects provided by Joseph
> Scholnick. The show, created by Harry Prichett, Sr. and Ed Wyckoff, featured Barry
> and his sidekick, the incompetent Mr. Bungle (Dayton Allen), introducing clips of
> Winky Dink, noted for his plaid pants, tousled hair, and large eyes.


http://en.wikipedia.org/wiki/Mae_Questel
> Mae Questel (pronounced "ques-TELL"; September 13, 1908–January 4, 1998)
> was an American actress and vocal artist best known for providing the voices for
> the animated characters, Betty Boop and Olive Oyl.


Mae Questel は、日本では「メイ・クエステル」と表記されるのが一般的な模様。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ニューヨーク・ストーリー
>3話目/エディプス・コンプレックス(Oedipus Wrecks) (ウディ・アレン)
>出演:ウディ・アレン、メイ・クエステル、ミア・ファロー、ジュリー・カブナー


http://www.amazon.co.jp/dp/product-description/B001671JEC
>●ディック・ハイマンが映画のために作曲した「カメレオン・デイズ」を1930年代の雰囲
>気でレコーディングするため、初代ベティ・ブープや(ポパイの)オリーブの声を演じていた
>メイ・クエステルが老人ホームから探し出された。


まあ、以下のように「メエ・クエステル」表記のものもあるようだけど……でも、これだと、
まるで生涯出演した作品がこれ一作のみのように見えてしまう。役名も不明。

http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp141557
>「NATIONAL LAMPOON'S CHRISTMAS VACATION」2009年11月29日 18時10分
>... ダイアン・ラッド、ジョン・ランドルフ、E・G・マーシャル、ドリス・ロバーツ、ジュリア・
>ルイス・ドレイファス、メエ・クエステル、ウィリアム・ヒッキー、ブライアン・ドイル・マー
>レイ、ジュリエット・ルイス、ジョニー・ガレッキ、ニコラス・...


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