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2011.02.11 (Fri)

なぜかルパン三世を思い出した<『ビッグ・コンボ』のサーチライト

http://www.tobunken.com/diary/diary20110131145649.html

31日
月曜日
古い映画をみませんか・4 【ビッグ・コンボ(暴力団)】

『ビッグ・コンボ』ジョゼフ・H・ルイス監督(1955)

フィルム・ノワールの神髄、のような一本。
日本公開時の題名は『暴力団』という、これまたストレートなもの。
『ゴッドファーザー』でコルレオーネに敵対するバルツィーニ家の
ドンを演じたリチャード・コンテが、ミスター・ブラウンという、
何とも平凡な名前で、自分の身の保全のためには部下でも何でも
平気で殺すボスを印象深く演じている。

なにしろ低予算のB級映画なので、ビッグ・コンボ(大組織)という
タイトルに反して、コンテの一味は副ボスのブライアン・ドンレヴィと
下っ端のリー・ヴァン・クリーフ、アール・ホリマンの4人しか
出てこない(後は警察の一斉手入れで牢屋にぶち込まれた子分たちが
出てくるが、それでも十数人)。そもそも、主人公の刑事(コーネル・
ワイルド)が捜査予算をオーバーしてまでコンテを追いつめることに
執着する、そのモトとなるコンテ一味の犯罪がどんなものかもよく
わからない。

照明の天才、ジョン・オルトンによる撮影は陰影を極端に強調し、
ほとんどの場面で画面の半分は暗くて何が映っているんだか
わからない。非常にスタイリッシュではあるが、セットやエキストラ
の数をケチるための手段ではなかったか、とも思える。
とはいえ、冒頭、夜会服を着たヒロイン、ジーン・ウォレスを
ヴァン・クリーフとホリマンが詰問するシーンでは、照明が三人の
上半身にのみ当たり、ウォレスの剥き出しの肩と腕が強調される
ため、まるで彼女が全裸にされて責められているかのように見える。
そしてラストシーン、彼女は自分を責めさいなんだコンテを、
サーチライトで追いつめ、“光”で復讐を果たすのである。
ファンタジー映画などで象徴的に語られる“光と闇の戦い”が、
ここでは超具体的に呈示される。

へえ、と思ったのは、コンテの取り調べに嘘発見器が使われることだ。
この映画の公開が1955年。嘘発見器は1950年代初頭から
いわゆる“赤狩り”、マッカーシズムによる共産主義者摘発に多用され
ることで広まり、悪魔の機械として恐れられていた。それを正義の側
である主人公が使うことで、追う者と追われる者の立場の相違が
不鮮明になってしまう。もちろん、あえてやっているのだ。

本作の脚本はフィリップ・ヨーダンとされているが、彼こそは
ハリウッド映画の黒歴史を代表する怪人物で、赤狩りで仕事が出来なく
なった脚本家たちに名前を貸して仕事をさせ(これを“フロント役”
という)、基本7:3の割合で脚本料を取り(もちろんヨーダンが
7である)財をなした、と言われる人物である。本作の脚本も
おそらくは別人の手になるものと思われるが、誰かはまだわかって
いない。赤狩りでハリウッドを追われた人物が、自分たちを追った
悪魔の機械である嘘発見器を主人公に使わせる、この倒錯した感情
こそ、40年代から半ばから80年代末まで、形を変化させながら冷戦ノイローゼと
して欧米を覆っていた神経症的状況の、極めて50年代的なあらわれと言えるだろう。


レプリカントには消えない薔薇を」のエントリーでは、主に『ブレードランナー』について
書いたので、今回は『ビッグ・コンボ』について。

唐沢俊一の書いていることのうち、「フィルム・ノワールの神髄」、「日本公開時の題名は
『暴力団』」、「リチャード・コンテが、ミスター・ブラウンという〈略〉ボスを印象深く演じて
いる」、「主人公の刑事(コーネル・ワイルド)が捜査予算をオーバーしてまでコンテを追い
つめることに執着する」、「照明の天才、ジョン・オルトンによる撮影は陰影を極端に強調」、
「非常にスタイリッシュ」――といったあたりが、ネット上で読むことのできる映画評と、内容
および表現がかぶっているのは、ほぼ予想通りだから、よいとして。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D3%A5%C3%A5%B0%A1%A6%A5%B3%A5%F3%A5%DC
>原題『The Big Combo』。
>1955年製作のアメリカ映画。
>劇場公開題『暴力団』。原題は「一大犯罪組織」の意。マフィアのことだが、低予算のた
>め大組織の存在感はない。
〈略〉
> 古典フィルム・ノワールの代表作の1本。とりわけジョン・オルトンのスタイリッシュな
>モノクロ撮影がすばらしい。
> 都会を舞台に、ある大組織の犯罪を追うダイヤモンド刑事(コーネル・ワールド?)は、
>犯罪大組織のボス、ブラウン氏(リチャード・コンティ)の愛人スージー(ジーン・ウォレス)
>に惹かれてゆく。自ら拷問を受け、女友達をブラウン氏に殺されたダイヤモンドはブラウ
>ン氏の過去を知る怪しい人物たちと接触し、彼を追いつめていく。


http://cul-de-sac.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/h-34a0.html
>監督は「拳銃魔」のジョーゼフ・H・ルイス。先の「B級ノワール論」で紹介されていた3人
>の監督の内の一人だ。
〈略〉
> 特筆すべきは撮影(ジョン・オルトン)の見事さで、光と影の織り成す完璧な映像美に
>はただただ見惚れるばかり。闇の中に人物が絶妙の位置で浮かび上がるライティング
>の素晴らしさ。これぞフィルム・ノワール、これぞ映画の醍醐味!


http://gretagarbo.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_5809.html
>『暴力団』という題名で、日本公開された本作は、<フィルム・ノワール>映画の佳作です
>ね。けだるいジャズっぽい音楽、光と影の秀逸なカメラワーク、そして腹黒いギャング団
>のリーダー、その人物に執着するあまり捜査費用を使いすぎクビになりかけている刑
>事、そして何とかしてブラウンから逃れようとあがくがそれが出来ない彼の情婦、刑事の
>ガールフレンドの踊り子…と、<フィルム・ノワール>の条件が軒並み揃っているんです
>ねぇ。


http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/critique07aug.htm
>照明の魔術師オルトンの撮影の見事さがラストシーンの煙と影の映像からも理解でき
>ます。
> コーネル・ワイルドの警部補が「正義派」らしく一本調子なため、共感を呼びにくいの
>ですが、ラジオの音を補聴器で大きくする拷問や爆弾入りの弁当など、突出した表現が
>多々あります。


気になったのは、複数の人間が言及しているのだけど唐沢俊一がいっさいふれていない
ことについてで、ひとつはすぐ上の引用でいう「ラジオの音を補聴器で大きくする拷問」、
もうひとつは『B級ノワール論』という本の存在である。

http://slashdot.jp/~Pravda/journal/474794
>吉田広明『B級ノワール論』(作品社、2008年)の解説によると、この映画に見える「手慣
>れた感じ」は、ルイス監督の自作『秘密調査員』やフリッツ・ラング監督作品『復讐は俺
>に任せろ』の二番煎じだからのようです。18min.頃の、大量検挙で悪人どもが警察に
>連行されるシーンは、『拳銃魔』のストックからの流用。


「B級ノワール論」でググると、上から 2 番目あたりに、唐沢俊一の朝日新聞での書評が
くるのだが……。

http://book.asahi.com/review/TKY200901270152.html

B級ノワール論―ハリウッド転換期の巨匠たち [著]吉田広明
[掲載]2009年1月25日   [評者]唐沢俊一(作家)
〈略〉
 だが、皮肉なことに本書が成立し得たのは、暗い映画館や古いフィルム
という“過去の”映画状況が完全に変化した、2000年代初頭の映画シーン
のたまものである。言うまでもなく、DVDソフトの充実などによる、1940年
代から50年代にかけての日本未公開作品群の、系統だった、しかも膨大
な作品数の鑑賞が可能となった時代背景がこのユニークな映画論集を完成
させたのである。
〈略〉
ひさびさに赤鉛筆を片手に、会心の指摘に傍線を引きながら読むという
知的興奮を体験した本である。


本の方は表紙がよい感じに思えたし (http://www.amazon.co.jp/dp/4861822114)、また、
唐沢俊一以外が言及しているのは見あたらなかった冒頭の場面――「冒頭、夜会服を着た
ヒロイン、ジーン・ウォレスをヴァン・クリーフとホリマンが詰問するシーンでは、照明が三人
の上半身にのみ当たり、ウォレスの剥き出しの肩と腕が強調されるため、まるで彼女が
全裸にされて責められているかのように見える」と唐沢俊一は書いている―――この場面に
ついて、本ではどのように語られているかが興味があったので、買ってみることにした。

冒頭の場面とは http://www.youtube.com/watch?v=hebHHPn9KPQ のそれだと思うが、
確かにバッグを胸元に当てたポーズの箇所などでは、何も着ていないみたいに見えなくも
ないけど、でもこれは「全裸にされて責められているかのように見える」といえるものなの
かなあ……とちょっと微妙に思えたため。唐沢俊一の文章を先に読んでいたせいか、いか
にも「責められている」という感じの場面を何となく想像していたのだけど。ここでは逃げる
ヒロインを二人が追いかけ連れ戻す様子が描かれていて、「詰問するシーン」というには
どうかなあというか、そのそも「詰問」はあまりしていないような気が。


なお、『The Big Combo』の最後は http://www.youtube.com/watch?v=n6Zyw-Ji5Z4 で、
全体は http://www.youtube.com/watch?v=axlCehRdy5w で、見ることができる。


で、『B級ノワール論』なのだが、こちらには (ネット上の映画評の多くと同様?)、件の冒頭
の場面についての記述はなかった。ついでにいえば、嘘発見器 (こちらを参照) にも興味を
ひかれなかった模様。

意外だったのは、この本の著者は、「想像させることで直接描写以上に効力を持つ暴力
描写、性描写」の「性描写」として、「二人組の手下が、同じ部屋に寝ていることからホモ
セクシャルと分かる」ことや「この映画は口唇性愛を描いている」ことに注目しているのに
対して、唐沢俊一はこのどちらについても書いていない。

「ホモセクシャル」に「口唇性愛」とか、唐沢俊一が食いつきそうなネタなのに……あ、いや
文句をいっているのではなく、安易にコピペしたりしなかったことは、むしろよいことかと。

『B級ノワール論』 P.79
> 警官が悪人を追いつめるというほとんど形骸化した内容以上に、悪人と刑事とのキャ
>ラクター造型のほうに遥かに重きが置かれている。実際この作品では、もはやギャング
>の実体が何なのかはどうでもよくなっている(原題の『ビッグ・コンボ』は大組織を意味
>するが、実質ギャングは首領を含めて四人しか出てこないし、何を生業にしているのか
>判然としない)。この映画の見るべき内容とは、刑事の悪の追及という犯罪もののストー
>リーであるよりは、ギャングの情婦の魅力に偏執狂的に囚われる刑事と、洗練され、性
>的魅力にこと欠かないギャングの首領の逆転した位置関係そのものであり、それを支え
>る、想像させることで直接描写以上に効力を持つ暴力描写、性描写である。


『B級ノワール論』 P.111
> まず、それを明示する台詞や場面はないものの、二人組の手下が、同じ部屋に寝てい
>ることからホモセクシャルと分かる。この時代にあって、そしてまたマチスモの支配する
>犯罪映画の環境にあって、ホモセクシャルがほのめかし程度であれ取り上げられること
>自体極めて異例であり、これもノワールのオルタネイティブ的性格を示すものだろう。
>ウォレスがコンテから離れられないのも性的執着の故である。この映画は口唇性愛を描
>いているが、あくまでほのめかしに留められているその描写はかえって想像を掻き立て
>る。立っているウォレスを後ろから抱きしめるコンテが首筋や胸にキスをする.コンテの
>顔は次第に下がってゆき、やがて視界から消える。そのままカメラがウォレスの顔に寄
>り、ウォレスの顔のみを捉え続けるのだが、その顔はやがて恍惚で満たされる。これは
>脚本にあったものではなく、ルイスによる即興らしいが、この場面を見たワイルドは激怒
>したという(ワイルドとウォレスは実の夫婦である)。製作者でもあるワイルドに、ルイス
>は、一体何が映っているというんだ、と突っぱねた。検閲もこの場面に難癖をつけてきた
>が、同じような逃げ口上で押し通した。


『B級ノワール論』 P.112
>最終的にこの生き残った手下の証言により、コンテは逮捕されることになるが、霧の飛
>行場に逃げ出したコンテとウォレスの二人、ここでもウォレスがコンテの居場所をサーチ
>ライトで照らして警察に知らせることによって、コンテを死に追いやる。〈略〉しかし最後に
>ワイルドとウォレスが並んで飛行場を去ることで〈略〉映画は終わるのである。


(すぐ上の引用については、http://eigageijutsu.com/article/120762775.html の著者
インタビューに、「コンテを死に追いやる。→コンテを逮捕せしめる。」との訂正がある)。


それから、本を読んでいて、以下の記述で「おや」と思った。

『B級ノワール論』 P.78
>脚本のクレジットはフィリップ・ヨーダンであるが、ヨーダンはブラックリスト脚本家を雇っ
>て脚本を書かせ、自分の名義で発表することで有名で、この作品についても実際にヨー
>ダンが書いているのか、それとも誰かに書かせたものなのか、詳細は現在に至るまで
>判明していない。


唐沢俊一が書いていた「本作の脚本もおそらくは別人の手になるものと思われるが」と
いうのを特に疑っていなかったのだけど、「別人の手になるもの」は定説でも何でもなく、
フィリップ・ヨーダン自身が脚本を書いた可能性も低くないようだ。

http://cul-de-sac.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/h-34a0.html
>脚本は「レッドパージ・ハリウッド」でも紹介されていた怪人物フィリップ・ヨーダン。ヨー
>ダンは「赤狩り」に遭った複数の脚本家の代理人として名を貸しており、本作の脚本も
>本当に本人が執筆したものか分かっていないという。


でも、フィリップ・ヨーダンが自分で書いた脚本ということになると、唐沢俊一のいう「赤狩り
でハリウッドを追われた人物が、自分たちを追った悪魔の機械である嘘発見器を主人公に
使わせる、この倒錯した感情」というのが、まるで成り立たなくなる、と。


その他参考:
http://d.hatena.ne.jp/kinokos/20090507/p1
>「ビッグ・コンボ」とはマフィアの大組織のことだが、製作当時マフィアという語は一般に
>知られていなかった


http://ja.wikipedia.org/wiki/マフィア
>1957年11月幹部がペンシルベニア州アパラティンに集合した際のFBIによる大量検挙
>で、マフィアの名がアメリカのメディアにも登場するようになった。



『B級ノワール論』の朝日新聞での書評については、別エントリーでやる予定。


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