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2011.02.07 (Mon)

「オトナたちの反対こそを唯一のエネルギー」の「反逆の歌」ということにされた『ダイアナ』

http://www.tobunken.com/news/news20110205140404.html

イベント
2011年2月5日投稿
反抗した男 【訃報 山下敬二郎】
〈略〉
……こんな家長のいる家に生れて、まっとうに育つのは至難の業である。
敬二郎も当然グレて、非行の限りを尽した。あまりのグレぶりに、さすが
子供に無関心な金語楼も呆れ、少年院に入れることを考え始めた。
それを知って敬二郎少年は仰天し、ヨーデルで有名なウイリー・沖山
のカバン持ちになって、何とか親の目をごまかした。

親分肌の沖山のところには多くの若手業界人が集まっていた。雪村いづみも
いたし、ペギー葉山もいた。中でも山下敬二郎にとって大きかったのは
渡辺晋とシックスジョーズのマネージャーをしていた渡辺美佐がいたこと
だった。美佐はひと目でこの若者の不良性ゆえの魅力を見抜き、彼を
日劇ウェスタン・カーニバルのスターとして売り出すことを考えた。
平尾昌晃、ミッキー・カーチスなどと出演した1958年2月8日の
第一回ウェスタン・カーニバルの熱狂ぶりは語りぐさになっている。

彼の最大の、いや、唯一のヒット曲が『ダイアナ』。周囲の反対など
ものともせず、いや、オトナたちの反対こそを唯一のエネルギーとして
年上の女性を追い求める、反逆の歌であった。

この時代のティーンたちの多くは、父親像というものを持てずに育った
世代である。かつて厳然と存在した日本の父親像は敗戦でその威厳を消失
させ、その次の世代は生きること、家族に食べさせることに忙しく、
家庭を、子供たちを省みる暇がなかった。父親という失われた存在を
求めるが故に、父親の世代に反抗してあがく敬二郎に、当時の若者は共感を
抱いたに違いあるまい。それは暗い熱狂に支えられた共感であったが。

ロカビリーブームはあっという間に過ぎ去り、平尾昌晃は歌謡曲の世界へ、
ミッキー・カーチスは映画の世界へと転身した。ひとり、山下敬二郎だけが
『ダイアナ』と一緒にフェード・アウトしていった。パチプロになって
生活費を稼いでいた時期まであったらしい。その間に、4度の結婚と離婚
を経験。“家庭”の保ち方を身につけていない彼に、暖い家庭を作る素地は
なかったようだ。

やがてロカビリーは“現在”の熱狂から、ノスタルジアと変わる。かつての
痛みを伴った狂騒は、時と共に甘い郷愁へと転化していく。その郷愁の
時代のシンボルとして山下敬二郎には再び脚光があたり、彼の歌う
『ダイアナ』の反抗のメッセージは、若く無謀が許された時代へのあこがれ
のメッセージと変わり、再び許容された。

1991年、26歳年下の歌手・山下直子と結婚、彼女と一緒にカントリー・
ウエスタンのステージを行いながら、二人の子供にも恵まれる。
聞いた話で本当かどうか知らないが、子供たちは思春期を迎えチョイグレ状態だ
そうである。かつての自分と引き比べて、子供たちの“反抗”を、彼はどう、
思っていたのか。


×ウイリー・沖山 ○ウイリー沖山

http://www.doyo.jp/willy/profile.htm
>ウイリー沖山
> プロフィール


「唯一のヒット曲が『ダイアナ』」というのは、「バルコニーに坐って」などの存在もあるから、
言い過ぎまたはガセと考えてよいだろう。というか、何でわざわざ「彼の最大の、いや、
唯一のヒット曲」なんて書き方をしなければいけないのか……。

http://blogs.yahoo.co.jp/music1960_70/43173547.html
>ロカビリー3人男の一人、山下敬二郎のデビュー・シングル「バルコニーに坐って/
>ダイアナ」
>ポール・アンカのヒット曲を日本語と英語でカヴァーしたB面収録曲「ダイアナ」が大
>ヒット。
>1958年4月に発売されたこの曲は山下敬二郎の代表曲となりました。
〈略〉
>勿論A面の「バルコニーに坐って」もヒットしたようです。1958年5月に最高5位まで
>上昇。
>こちらはエディ・コクランのヒット曲をカヴァーしたものであります。


参考:
- http://www.youtube.com/watch?v=MZruhcezujk

http://naonikki2011.blog.so-net.ne.jp/2011-01-06-2
>山下敬ニ朗さんといえば、東京都出身のロカビリー歌手。
>初期ドリフターズのメインボーカルを務めていたよね。

>聞いておきたい、山下さんのヒット曲??
>視聴できるみたいです^^


また、上でいう「視聴できるみたい」な「山下さんのヒット曲」のリンク先はこれ↓

http://item.rakuten.co.jp/neowing-r/kics-8177/?scid=af_ich_link_tbl
>ロックンロール~甦るロカビリー三人男 / 平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎
>ハウンド・ドック / 山下敬二郎
>おお!キャロル / 山下敬二郎
>ロンリー・ブルー・ボーイ / 山下敬二郎
>バルコニーに座って / 山下敬二郎
>センド・ミー・サム・ラビン / 山下敬二郎
>ダイアナ / 山下敬二郎


それから、個人的に気になったのは、ドリフターズ関連で、以下の Wikipedia の記述に
ある「1977年ブームでロカビリーブームのコントに出演」との記述。

http://ja.wikipedia.org/wiki/山下敬二郎
>父は落語家・喜劇俳優の柳家金語楼、異母兄は作家・演出家の山下武、実妹は女優・
>声優の有崎由見子。祖父は三遊亭金勝。叔父は先代昔々亭桃太郎。ウイリー沖山の
>弟子を経て、初期ドリフターズ(サンズ・オブ・ドリフターズ)でメインボーカルを務める。
>創立間もない渡辺プロダクションの専属になり、1958年2月に開かれた第1回日劇ウエ
>スタン・カーニバルで大々的に売り出される。
>持ち歌はポール・アンカの「ダイアナ」の日本語カヴァーで、平尾昌晃、ミッキー・カー
>チスと共に「ロカビリー三人男」と呼ばれ、一世を風靡した。
〈略〉
>ドリフ大爆笑 - 1977年ブームでロカビリーブームのコントに出演ちなみにオチは千昌
>夫がした。(1977年、フジテレビ)


自分 (1960 年代前半生まれ) がものごころついた頃にはもうロカビリーブームは終わって
いたはずだけど、その割には山下敬二郎の『ダイアナ』など日本でのロカビリーのカバー
に馴染みがあるのは、多分この 1977 年のリバイバルがあったせい。1977 年のプレスリー
死去、80 年代のストレイ・キャッツをはじめとするネオロカビリー、原宿のホコテンで踊って
いたローラーたちなどと、どれだけ連動していたかという話になると自信がないけど……。

http://pointex.biz/initial/archives/2011/01/0701255712967
>次に脚光を浴びたのは、1977年のロカビリー三人男のリバイバル。
>これはオールディーズ、60年代ポップスのリバイバルブームを受けて企画されたもの
>で、すでに作曲家として名を成していた平尾昌晃の尽力によるものでした。
>(右)シングル『上陸!ロックンロール・タイフーン』c/w
>『聖者の行進』平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎
>1977年 CBS・ソニー


http://briller.ocn.ne.jp/playback/08/0816_source.html
>1977年(昭和52年) 8月16日(火) のニュース
>ロカビリーのプレスリー、42歳で逝く
>1956(昭和31)年1月、アメリカで発売された『ハートブレイク・ホテル』のヒットにより
>エルヴィス・プレスリーは、世界のロカビリーブームの火つけ役となる。ビートルズ以前
>で、世界で最も影響を与えたミュージシャンといわれ、日本のロカビリー系歌手の多く
>は、プレスリーの影響受けた。後期になるとカントリーやゴスペル、バラードなど、さらに
>ジャンルを広げる。8月16日、心臓発作により急逝。


http://okujun.exblog.jp/3985430/
>1980年って言えば昭和55年
>ストレイ・キャッツが出る前で言わば第2次ロカビリー・ブームの前


http://ja.wikipedia.org/wiki/ロカビリー
>日本では1980年代初め竹の子族と共に原宿の歩行者天国を賑わせた。2005年、湯川
>れい子・小野ヤスシ・高田文夫らにより「全日本ロカビリー普及委員会」が発足。その会
>長に日本を代表するロカビリーシンガーのビリー諸川が就任した。


――と、それやこれやがあるので、唐沢俊一の書いている「ロカビリーブームはあっという間
に過ぎ去り、平尾昌晃は歌謡曲の世界へ、ミッキー・カーチスは映画の世界へと転身した。
ひとり、山下敬二郎だけが『ダイアナ』と一緒にフェード・アウトしていった。パチプロになっ
て生活費を稼いでいた時期まであったらしい」は、どうなのかと思ったのだ。それでなくとも
追討”と表現するのがふさわしい酷い言い草のような気がするが。

で、山下敬二郎がパチプロのようなことをしていたと書いているページを探してみたが、
該当するのは以下のブログくらいだった。

http://ameblo.jp/mako1110/entry-10760525716.html
>2011-01-07 00:33:47
>追悼!山下敬二郎さん
〈略〉
>山下敬二郎は喜劇王柳家金語楼の息子だ。テレビ、舞台で見る喜劇王は家庭では
>父親でなく帝王だった。彼の人生は父との戦いであり、父を求める旅だった。

>山下敬二郎は作られたアイドルだった。天才ヨーデル歌手ウイリー沖山の弟子となり、
>父の存在を沖山に投影していた彼を渡辺美佐はウエスタンカーニバルを利用し、アイ
>ドルに育て上げた。女も金も思いのままになる彼は帝王になった。はからずも彼が嫌悪
>した帝王になった。

>祭りが終わり、木枯らしの吹きすさぶ荒野へ彼はひとりいた。平尾昌明やミッキーカー
>チスが違う世界に旅立っても彼はダイアナを抱きしめ、荒野にいた。生活のためパチ
>プロまがいのことをし、荒んだ女たちとどん底の生活をしていた。

>唄の仕事はあっても要求されるのはダイアナだけで、平尾や守屋や水原のように歌謡
>曲の世界にいることも許されなかった。ましてや、かまやつのような進化もミッキーのよう
>な転身もできなかった。あまりにも不器用すぎたのだけど、一度手中に収めた帝王の座
>を捨てることはできなかった。

>90年代にリバイバルのブームが来た。かっての仲間たちとの仕事も増えた。
>彼はプライドを捨て、ダイアナを唄った。結婚もした。子供もできた。妻、山下直子とウイ
>リー沖山に鍛えられた自身の原点、カントリー&ウエスタン歌手の道をようやく歩き始め
>た。

>子供たちも成長し、娘は音楽の道を歩き始め、父譲りの才能の片りんを見せ始めてい
>る。ただ、息子との間にかって自身が味わった溝が存在し、会話が 無くなっていった。
>父という存在の探索はまだ彼のテーマだったのだ。


……もしかして唐沢俊一はこれを読んで書いたのかと思ってしまうほど、文章の構成要素は
似ている。「喜劇王柳家金語楼の息子」、「喜劇王は家庭では父親でなく帝王」、「父と
の戦い」、「天才ヨーデル歌手ウイリー沖山の弟子」、「渡辺美佐」、「ウエスタンカーニバ
ル」、「平尾昌明やミッキーカーチスが違う世界に旅立っても」、「生活のためパチプロまが
いのことをし」、「90年代にリバイバルのブーム」、「結婚もした。子供もできた」、「息子と
の間にかって自身が味わった溝が存在」。

似てはいても、「ウイリー・沖山」のような誤記がなく、「唯一のヒット曲」のようなトゲの
ある表現もなく、2ちゃんねるのスレでも批判されていた (Read More 参照) 『ダイアナ』は
「反逆の歌」だとかいう珍説もなく、唐沢俊一の書くもののような悪文でもない――という
違いだけで、ずいぶん文章の質も印象も違ってくるものだというのにも驚いた。

おまけ:
http://www.tobunken.com/diary/diary20061021224534.html
>21日
>土曜日
>山下形而上

>金語楼の息子がロカビリー歌手というのは形而上的現実だねえ。


# 形而上の意味を間違えているような……。

その他参考:
- http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100608/1275967011



More...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1296401270/
-------
992 :無名草子さん:2011/02/06(日) 00:05:20
山下敬二郎の追討最低だ。

音楽的な部分にはまったく触れずにゴシップ記事を並べただけで
唐沢の時代的な主観はまったく入っていない。

山下敬二郎の「ダイアナ」を反抗の歌と聞いていたヤツがどんだけいるんだよ。
あの曲は、年上の女性に憧れるグローインアップを歌っただけの甘い歌だよ。

>彼の最大の、いや、唯一のヒット曲が『ダイアナ』。周囲の反対など
>ものともせず、いや、オトナたちの反対こそを唯一のエネルギーとして
>年上の女性を追い求める、反逆の歌であった。

歌詞の出だしは確かに「君は僕より年上と周りの人は言うけれど」だが
そのあとは、ただひたすら君の事が好きなんだ、とプロポーズするだけの歌。
どこに反逆の影があるんだよ。

>平尾昌晃、ミッキー・カーチスなどと出演した1958年2月8日の
>第一回ウェスタン・カーニバルの熱狂ぶりは語りぐさになっている。

これもWikipedia程度のザックリした文章だな
山下敬二郎はソロじゃなくウエスタン・キャラバンのボーカルとして出演。
ミッキーカーチスもクレイジー・ウエスト、平尾昌章もオールスターズ・ワゴン
それぞれのボーカル。ソロとして話題になったのは、2回目から。

-------

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1296898429/
-------
22 :無名草子さん:2011/02/06(日) 00:48:00
ロカビリーが反抗的な音楽ってw
もともとカントリー&ウエスタンにビートが加わったモノだし
実際に当時の曲を聞くと、凄く健全。
リーゼント&ギターで不良ってのは、かなり脚色された当時の印象だよ。

-------
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Comment

●またポカしてしまいました。

失礼しました。
即席(明星)をチキン(日清)と書いてしまいました><

『チキンラーメンの唄』のほうは三木鶏郎の作品で
>目と目で分かる アナタとワタシ 好き 好き チキンラ~~メン♪
でした。
discussao |  2011年02月10日(木) 06:42 |  URL |  【コメント編集】

45 年程前の CM だそうでリアルタイムの記憶はないですが……

http://oyajji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-d186.html
>忌野清志郎さんは、コンサートではよく「明星即席ラーメンのうた」を歌っていた
>そうですね。私も子供心にすごく懐かしいCMソングです。
〈略〉
> 明星即席ラーメン~ パパといっしょに食べたいの~♪
> (ミッキー・カーチス 作詞・作曲・歌唱「明星即席ラーメンのうた」)

http://www.youtube.com/watch?v=LtiCtIjF5gI

>義兄が子役で出演

見たいと思って探したのですが、うまく見つけられませんでした。残念。
トンデモない一行知識 |  2011年02月10日(木) 00:55 |  URL |  【コメント編集】

●後ろから前からの、ずっと前

http://ja.wikipedia.org/wiki/平尾昌晃
>ロカビリーブームが去った1960年代半ば、北海道からじわじわ火がつき始めた
>「おもいで」で再ブレーク。「おもいで」は、渡辺プロの新人歌手だった布施明が
>再レコーディングし、これもヒットとなった。続けて、「霧の摩周湖」、「恋」、梓
>みちよ「渚のセニョリータ」などがヒット。「霧の摩周湖」、「渚のセニョリータ」で
>は、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞。
>その後も、作曲家として非凡な才能を発揮していたが、結核で長期間の休養を
>余儀なくされる。1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで
>様々な作風の曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供してい
>る。作詞家山口洋子とのコンビはこの時代を代表するゴールデン・コンビとして
>知られている。
>後に「平尾昌晃音楽学校」を創立し、同校から石野真子、狩人、松田聖子、
>森口博子、後藤真希、林明日香、倖田來未等を輩出した。卒業生の一人で
>ある畑中葉子とデュオを組み、「カナダからの手紙」、「ヨーロッパでさよなら」
>等のヒットを出した。

何だか平尾昌晃氏といえば、割とすぐに偉い作曲家の先生に転身した人というイメージがあったのですが、「結核で長期間の休養」とか、いろいろ大変だった時期が何年かあったのかも。

偉い先生という印象が強いのは、「平尾昌晃音楽学校」のせいだったかと思います。畑中葉子とどこかの歌番組に出たとき、他の生徒さんもずらりと並べて、マイクを向けられた一人は「(畑中葉子さんは) 先生と一緒に堂々と歌っていてすごいですぅ」とか答えていたのを覚えています。
トンデモない一行知識 |  2011年02月10日(木) 00:40 |  URL |  【コメント編集】

●脱線

本題とは何の関係もありませんが。
明星即ラーメン、パパと一緒に食べたいの、のCMに義兄が子役で出演していました。
藤岡真 |  2011年02月09日(水) 21:57 |  URL |  【コメント編集】

ネタ元の記述をそうだけれど、平尾昌章やミッキー・カーチスの他分野での活躍の反して山下敬二郎ひとりが辛酸を嘗めていたという書き方もどうなんだろうか?
ミッキー・カーチスの映画での活躍も63年まで。レコーディング・アーチストとしては山下敬二郎のほうが成功しており(たぶんミッキーの歌でよく知られているのは、「明星チキンラーメンの唄」―株と虫にも食べさせた―くらいだと思う)、ヴァンカーズやサムライズを結成してハードな海外巡業(というかドサ回り)をしている。
平尾昌章は「ミヨちゃん」以後失速し、作曲家として「おもいで」をヒットさせたけれども本人は谷川俊太郎のヘンな詩に曲をつけたのを歌ったりしてウダツが上がらなかった。事務所としては俳優として方向転換させようとしていたのだけれど、こっちも伸び悩んでおり70年代に作曲家として復活するまでは雌伏の時代だったようです。
discussao |  2011年02月09日(水) 00:54 |  URL |  【コメント編集】

>discussao さん
どうもです。(_ _)

http://d.hatena.ne.jp/discussao/20110206
も、あわせて参照のこと、ですわね。

キャロルのデビューも、本文からリンクした「ロックンロール~甦るロカビリー三人男 / 平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎」も 1972 年で、モノゴコロはついていた歳のはずなんですが @_@ どちらもリアルタイムで聞いた記憶があまりちゃんとなくて……テレビでときおり流れる昔の映像や BGM として使用されるもの、懐メロっぽい番組での登場でちらちら耳にしていたとは思うのですが。

本家のプレスリーやビートルズの曲として認識したのが先で、『カナダからの手紙』 (1978 年) の前後、ああ昔、日本語で歌っていた人たちもいたのだなあというので、きみはぼくより年上だの地獄の底までだのと覚えたんじゃないかと思います。それより前は、歌番組で単発の企画としてやる、英語の歌の日本語カバーをその場で歌うアレと、あまり区別をつけていなかったという感じで。

特に音楽的な感度が高いわけでもないパンピーはそんなものだったのではないかと思う一方、単に私がぼーっとし過ぎな子だったからという気もします。^^;
トンデモない一行知識 |  2011年02月08日(火) 01:39 |  URL |  【コメント編集】

>その割には山下敬二郎の『ダイアナ』など日本でのロカビリーのカバーに馴染みがあるのは、多分この 1977 年のリバイバルがあったせい。

ロックンロール(ロカビリー)・リバイバルは1960年代末から始まっています。ザ・スパイダースの最後のLP『ロックンロール・ルネッサンス』曲目リスト参照(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9-6-%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9/dp/B00000JX4Z)同時期ジョン・レノンも『ライヴ・イン・トロント』でロックンロール大会を繰り広げているので世界的な流行りだったようです。
「平尾昌晃の尽力」とは別にミッキー・カーチスはバンド、ポーカーフェイス他で70年代ロックンロール・サウンドにチャレンジしています(ミッキーがプロデュースしたキャロルの影響も大きいですが)。
あと自分のところでも書いたけれど、山下敬二郎は70年代のオリジナル・ロカビリー・ミュージック・テープが叩き売られていたので、それでロカビリーを知った人も少なくないと思います。
同じく繰り返しだけれど、山下敬二郎といえばサンダーバード欲しさにナベプロからマナセ(追記:間違いです。銀座ACB谷社長の音楽事務所・東洋企画です)に移籍したエピソードは抜かせません。


平尾昌章『気まま人生 歌の旅』で『ダイアナ』を巡る両者の争いが描かれています。平尾も絶対にヒットする『ダイアナ』を万全の体制で録音していたのですが、それを察知した山下サイドに先を越されて売り上げで水を上げられたそう。そう記すくらい山下敬二郎と『ダイアナ』はイメージとして結びついていたということ。また、山下の『バルコニーに座って/ダイアナ』は標準的な歌謡曲史では『ダイアナ』―つまりA面ダイアナとして紹介されているので、レコーディング・キャリアに恵まれなかった山下敬二郎としては「代表曲『ダイアナ』」も致し方ない気はします。
discussao |  2011年02月07日(月) 08:16 |  URL |  【コメント編集】

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