2017年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.06 (Sun)

レプリカントには消えない薔薇を

http://www.tobunken.com/diary/diary20110131145649.html

31日
月曜日
古い映画をみませんか・4 【ビッグ・コンボ(暴力団)】

『ビッグ・コンボ』ジョゼフ・H・ルイス監督(1955)

フィルム・ノワールの神髄、のような一本。
日本公開時の題名は『暴力団』という、これまたストレートなもの。
『ゴッドファーザー』でコルレオーネに敵対するバルツィーニ家の
ドンを演じたリチャード・コンテが、ミスター・ブラウンという、
何とも平凡な名前で、自分の身の保全のためには部下でも何でも
平気で殺すボスを印象深く演じている。

なにしろ低予算のB級映画なので、ビッグ・コンボ(大組織)という
タイトルに反して、コンテの一味は副ボスのブライアン・ドンレヴィと
下っ端のリー・ヴァン・クリーフ、アール・ホリマンの4人しか
出てこない(後は警察の一斉手入れで牢屋にぶち込まれた子分たちが
出てくるが、それでも十数人)。そもそも、主人公の刑事(コーネル・
ワイルド)が捜査予算をオーバーしてまでコンテを追いつめることに
執着する、そのモトとなるコンテ一味の犯罪がどんなものかもよく
わからない。

照明の天才、ジョン・オルトンによる撮影は陰影を極端に強調し、
ほとんどの場面で画面の半分は暗くて何が映っているんだか
わからない。非常にスタイリッシュではあるが、セットやエキストラ
の数をケチるための手段ではなかったか、とも思える。
とはいえ、冒頭、夜会服を着たヒロイン、ジーン・ウォレスを
ヴァン・クリーフとホリマンが詰問するシーンでは、照明が三人の
上半身にのみ当たり、ウォレスの剥き出しの肩と腕が強調される
ため、まるで彼女が全裸にされて責められているかのように見える。
そしてラストシーン、彼女は自分を責めさいなんだコンテを、
サーチライトで追いつめ、“光”で復讐を果たすのである。
ファンタジー映画などで象徴的に語られる“光と闇の戦い”が、
ここでは超具体的に呈示される。

日本で光と影にこだわった映像作家には鈴木清順がいるが、
清順はカラー時代になり、光と影に加えて“色”をそこに取り入れざるを
得なくなる。しかし、やはり白と黒のシンプルな画面構成が与えるインパクトには
かなわない。カメラの生み出す魔術的効果というのは、やはりモノクロ
映画ならではのものなのだなあ、とつくづく感じる。

へえ、と思ったのは、コンテの取り調べに嘘発見器が使われることだ。
この映画の公開が1955年。嘘発見器は1950年代初頭から
いわゆる“赤狩り”、マッカーシズムによる共産主義者摘発に多用され
ることで広まり、悪魔の機械として恐れられていた。それを正義の側
である主人公が使うことで、追う者と追われる者の立場の相違が
不鮮明になってしまう。もちろん、あえてやっているのだ。

本作の脚本はフィリップ・ヨーダンとされているが、彼こそは
ハリウッド映画の黒歴史を代表する怪人物で、赤狩りで仕事が出来なく
なった脚本家たちに名前を貸して仕事をさせ(これを“フロント役”
という)、基本7:3の割合で脚本料を取り(もちろんヨーダンが
7である)財をなした、と言われる人物である。本作の脚本も
おそらくは別人の手になるものと思われるが、誰かはまだわかって
いない。赤狩りでハリウッドを追われた人物が、自分たちを追った
悪魔の機械である嘘発見器を主人公に使わせる、この倒錯した感情
こそ、40年代から半ばから80年代末まで、形を変化させながら冷戦ノイローゼと
して欧米を覆っていた神経症的状況の、極めて50年代的なあらわれと言えるだろう。

一方で、この嘘発見器の取り調べ風景は現代のわれわれには、
当然のことながら、同じく光と影を強調したある映画を連想させる。
リドリー・スコット監督による『ブレードランナー』(82)の、
フォークト・カンプフ測定器によるレプリカント判別のシーンである。
原作にある心理試験法を、フイゴのような蛇腹が動く、奇妙に
生物的でアヤシゲでクラシカルな装置のイメージに収斂させたのは
監督のスコットが、この映画の基調である“誰がレプリカントか
わからない”という不安感(68年に書かれた原作ではそれはもっと哲学的な
問いかけを含んだ人間存在の問題である)を50年代のアメリカに蔓延していた
“誰が共産主義者かわからない”という社会的不安感に重ねようとし、
その理不尽な分別のシンボルを嘘発見器という怪しげな機械のイメージに
重ねようとしていたからに他ならない。


×嘘発見器は1950年代初頭から ○嘘発見器は1940年代後半から

いわゆる赤狩り (第二次の) の嵐がはじまったのも、ポリグラフが嘘発見器として使用され
はじめたのも、1947 年からとされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/嘘発見器
>代表的なものとしてポリグラフを使用した装置が有名である。嘘発見器に使用される
>ポリグラフは発明者の名前を取ってキーラー・ポリグラフ(KEELER POLYGRAPH)と
>呼ばれており、これがポリグラフ=嘘発見器という代名詞化を生み出す原因となった。
〈略〉
>1921年 ジョン・ラーソンによって発明される。
>1947年から1953年にかけてテネシー州オークリッジにある核開発施設で18000人の
>職員全員が定期的に嘘発見器にかけられた。レナード・キーラー(Leonard Keeler)が
>開発した装置が用いられた
>1951年 Y・イマムラがアメリカ陸軍で研修を受けてが日本で初めて嘘発見器の技術者
>となる
>1966年 アメリカポリグラフ協会( American Polygraph Association)が設立


http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Scare
> The term Red Scare denotes two distinct periods of strong Anti-Communism in
> the United States: the First Red Scare, from 1919 to 1920, and the Second Red
> Scare, from 1947 to 1957.


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/4362/sk-tyaginuma-1.html
>米ソ冷戦が激化する1940年代後半、ハリウッドには赤狩りと呼ばれる嵐が吹き荒れた。
>それは共産主義思想をもった者達を摘発しようとする凶行であり、共産主義と認められ
>た者達は、ハリウッドのブラックリストに載せられ、映画界、演劇界などの表舞台から締
>め出されることを意味する。
>非米活動委員会は、多くの映画人を聴取し、彼らに尋ねた。『あなたは、共産党員か、
>もしくは、以前そうであったか』と。


唐沢俊一のいう「冷戦ノイローゼ」については、「『ノイローゼ』は 1955 年の流行語」の
エントリーをあわせて参照のこと。『猟奇の社怪史』では 1960 年代のことだとしていた
「冷戦ノイローゼ」を、今回は「40年代から半ばから80年代末まで」と思い切り範囲を
広げている。

「80年代末まで」というのはいくら何でも範囲を広げ過ぎではないかと思うが、唐沢俊一
が今回書いている内容からすると、とにかく 1980 年代も含ませる必要があったのかもしれ
ない。なにしろ 1982 年公開の『ブレードランナー』に出てくるフォークト・カンプフ測定器を、
「50年代のアメリカに蔓延していた“誰が共産主義者かわからない”という社会的不安感
に重ねようとし、その理不尽な分別のシンボルを嘘発見器という怪しげな機械のイメージ
に重ねようとしていたからに他ならない」というところまで話をもっていかなければいけない
わけだから。

そもそも、唐沢俊一は嘘発見器のことを「悪魔の機械」だと二度も繰り返し書いているが、
別にこれは一般的な認識ではない。たとえば、唐沢俊一もよく話題にする『刑事コロンボ』
にも嘘発見器は出てきて、そこでは「悪魔の機械」として扱われてはいない。

http://www.webnews.gr.jp/columbo/01_1112.html
>コロンボは奥さんの話がテンでばらばらなので、奥さんに疑いをもつ(フリをする)。コロ
>ンボは、コリアー先生の勧めで、嘘発見器にかけようと(本気でそう思ったのかは疑問)
>する。


だいたいにおいて、刑事ものに嘘発見器が出てくるときは、装置の限界や結果の信憑性
への疑問に言及されることはあっても、これは赤狩りに使われた機械だと視聴者に意識
させることはあまりないし、「追う者と追われる者の立場の相違が不鮮明になってしまう」
こともないと思うのだが。

参考:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/ポリグラフ


それでもまだ、1955 年の『ビッグ・コンボ』の方なら、時代背景等を考慮して、「赤狩り」と
結びつけるのもわからないではない。

http://cul-de-sac.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/h-34a0.html
> ノワール特集、ジョーゼフ・H・ルイス監督「暴力団(ビッグ・コンボ)」(1955年)再見。
>監督は「拳銃魔」のジョーゼフ・H・ルイス。先の「B級ノワール論」で紹介されていた3人
>の監督の内の一人だ。脚本は「レッドパージ・ハリウッド」でも紹介されていた怪人物
>フィリップ・ヨーダン。ヨーダンは「赤狩り」に遭った複数の脚本家の代理人として名を貸し
>ており、本作の脚本も本当に本人が執筆したものか分かっていないという。


しかし 1982 年の『ブレードランナー』、それも実は嘘発見器とは別物のフォークト・カンプフ
測定器について、「監督のスコットが、〈略〉50年代のアメリカに蔓延していた“誰が共産
主義者かわからない”という社会的不安感に重ねようとし、その理不尽な分別のシンボル
を嘘発見器という怪しげな機械のイメージに重ねようとしていたからに他ならない」とか
いわれても……リドリー・スコット監督がどこかでそう話していたとかいうのなら別だけど。
でも「監督のスコット」と「赤狩り」とを特に関連づけるエピソードは自分にはみつけられな
かったし、唐沢俊一がそのような話を紹介しているわけでもない。

これ、とにかく『ブレードランナー』の話をしたかっただけなのかなあ。「光と影に加えて“色”
をそこに取り入れざるを得なくなる」のはどちらも同じはずだが、鈴木清順の方は「しかし、
やはり白と黒のシンプルな画面構成が与えるインパクトにはかなわない」とか貶しているの
に対し、『ブレードランナー』の方は「同じく光と影を強調したある映画」と扱いがだいぶ違う
のは、『ブレードランナー』至上主義の気がある (ナントカの一つ覚えとは書かないでおく)
唐沢俊一ならでは、ということで。

http://www.tobunken.com/diary/diary20040406000000.html
>要するに猿真似、猿真似と言えば『イノセンス』もこれもそうだし『ロストメモリーズ』まで
>そうだったけど、未来社会の設定をナレーションもしくは字幕で説明した後に、いきなり
>“ゴオオオオオ”てな音響と共に機械文明の退廃を極めた風の大都会の光景をCGド
>ワーッと流して見せる演出、モウいい加減にやめようじゃありませんか最近の監督さん
>たち、どうやったって『ブレードランナー』のパチとしかみんな見てくれないわけだし、その
>圧倒的な画面のパワーはCGなんか一個も使っていない『ブ レードランナー』に絶対敵
>わないわけだし。



で、唐沢俊一の唱える、『ブレードランナー』のフォークト・カンプフ測定器は赤狩りで使用
された嘘発見器だという説。いわれてみれば、そういう見方もあるかもね、とか思えれば
よかったのだけど、個人的には「フイゴのような蛇腹が動く、奇妙に生物的でアヤシゲで
クラシカルな装置」といわれて「……えっ?」と思ってしまったし。

フォークト・カンプフ測定器は http://asanagi987.blog27.fc2.com/blog-entry-189.html
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/s/a/asanagi987/20100622075437bb3.jpg
http://blog-imgs-42.fc2.com/a/s/a/asanagi987/20100622075437978.jpg

動画の方は以下で見ることができる。
http://www.fooooo.com/watch.php?id=idsLV5AJyDk
http://www.youtube.com/watch?v=Qc_204tXHZY

ちなみに、http://japanese.engadget.com/2009/04/24/ipod-shuffle-kindle-2/ で紹介
されているのは http://www.youtube.com/watch?v=Qc_204tXHZY の場面のパロディ
かな、と。

で、まあ、確かに、映画の中のフォークト・カンプフ測定器は「忌み嫌われるデザイン」と
してつくられたという話もあるようだし、「黒い蛇腹がつていてフガフガ動」いたりする。

http://blogs.yahoo.co.jp/aku_4/12322038.html
>机の上のクモのように忌み嫌われるデザインというリドリー・スコットの指示でシド・ミード
>が描いたのは、まさにイヤ~な感じの機械でした。


http://ishokuna-hanashi.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_19a9.html
>また、あらためて小道具がいいね。例えばフォークト・カンプフ測定器に黒い蛇腹がつい
>ていてフガフガ動くところのレトロ具合なんかとてもいい感じだ。


でも、これを「奇妙に生物的でアヤシゲで」いうのは、溶接用メガネを「やたらメカニックなそ
の作りがそのまま、共産主義の機能主義的非人道体勢のアナロジーになっていた」とか
書いていた件 (ここを参照) と同様、幾分暴走気味なような……。

それに「奇妙に生物的でアヤシゲで」というのを肯定したらしたで、「赤狩り」に使われた
嘘発見器と重ねあわせるのがますます難しくなるという問題がでてくると思う。ポリグラフ
が「奇妙に生物的でアヤシゲ」な機械という話は聞いたことがないし、そもそもイメージと
しては http://file.ascensionnote.blog.shinobi.jp/uso.jpg のようにギザギザの波形が
描き出される図の方がまず思い浮かぶと思うし。


それだけならまだよいのだけど、「68年に書かれた原作ではそれはもっと哲学的な問い
かけを含んだ人間存在の問題である」とする一方、映画の方は「50年代のアメリカに蔓延
していた“誰が共産主義者かわからない”という社会的不安感という社会的不安感に重ね
ようとし」とかいうのには、どうしても違和感が。

「“誰がレプリカントかわからない”という不安感」の「誰が」に自分自身も含まれるのは、
原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も、映画の『ブレードランナー』も同じような
ものである。映画では、レプリカントと判定されたレイチェルは、人間の記憶を移植されて
いた存在で、疑いはもちはじめていたものの、自分のことを人間だと思っていた。

http://asanagi987.blog27.fc2.com/blog-entry-189.html
>このテストは、映画ブレード・ランナーで、人間とレプリカントの判別をするために行われ
>ました。
>検者によって、被検者の感情を刺激する質問がなされます。
>同時に、瞳孔検出装置によって瞳孔の大きさが測定されます。
〈略〉
>「雑誌を読んでいると、女性のヌード写真が飛び込んでくる。夫に見せると、彼はそれを
>よろこんで壁に張る」
> 「これは、レズビアンかどうかのテストなの? 私は夫にそんなことはさせない」

>「これが最後の質問。劇中で宴会が始まる。オードブルは生ガキだが、次にゆでた犬が
>出る・・」
>ここでレイチェルは無反応だったために、レプリカントと判定されます。。


http://web.me.com/azinori/vk/br_02.html
>デッカード「彼女がそうなら、機械は有効ですよ」
>タイレル「機械は使えるよ。正解だ」
〈略〉
>デッカード 「彼女、知らなかったんですか?」
>タイレル 「記憶の移植だ。彼女はプログラムされた存在だ。 しかし、彼女の能力はプロ
>グラムを超えたと思うがね。彼女自身、疑い始めていたと思う」
>視線をそらさずに、レイチェルはうなずく。


これと、赤狩りでの「“誰が共産主義者かわからない”という社会的不安感」、ひいては、
いつ自分が共産主義者だと他人に密告されるかわからない、共産主義者だというレッテル
を貼られてしまうかわからないという恐怖とは、一応別物と考えた方がよいと思う。レプリ
カント判別のテストで問われるのはもっぱら感情移入能力であり、思想信条や過去の政治
活動は関係しないし、密告が奨励されているわけでもない。

いやまあ、この両者を重ねあわせる解釈もありだとは思うし、全否定するつもりはないのだ
けど、小説の方は「哲学的な問いかけを含んだ人間存在の問題」で、映画の方は「“誰が
共産主義者かわからない”という社会的不安感」だ、なぜなら映画には「奇妙に生物的で
アヤシゲでクラシカルな装置」が出てきて、これが「理不尽な分別のシンボル」だから――
とか主張されても、困るというか納得するのは難しいぞ、と。


スポンサーサイト

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

21:15  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://tondemonai2.blog114.fc2.com/tb.php/612-362ba971

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。