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2011.01.30 (Sun)

『偽りの米軍残り物説』をスクール革命で語った唐沢俊一

2011 年 1 月 31 日 11:45 からの日テレ『スクール革命』

・「有数の米所 宮城県民の好物は~」という問題がでた。

・牛タンのことかなといった出演者がいたが、仙台人はそんなに牛タンを食べないらしい
 という話になった。

・そこで唐沢俊一が、駐留していた米軍はタンなどを食べないで捨てていたのだが、
 それまで食べていなかったタンを工夫して牛タン料理にした、とかいう蘊蓄を疲労。

・ちなみに、番組的な正解は東MAXの方がスパゲティと解説。2002年のワールドカップ
 でイタリアのチームが仙台に滞在したところ、パスタブームがおきてそれが今も続いて
 いるという話だそうだ。

で、唐沢俊一が番組で話したような牛タンの由来の話は、ネット上のあちこちで見かける。

http://gyutan.goko-h.com/gyutan.html
>仙台牛タンの発祥の由来は、第二次世界大戦後間もない食糧難の時代「味の太助」
>(本店・仙台市青葉区)の創業者:佐野啓四郎さん(故人)が仙台に駐留した米軍が、
>食料に使わなかった肉牛の舌(牛タン)を、炭火で焼いて客に出したのが始まりでした。


ところが、このような「米軍残り物説」は、実は偽りだったという話もまたネット上にある。

http://chiebukuro.travel.yahoo.co.jp/detail/1347625198.html?p=宮城県&pg=16
>■誤った解釈をされた回答者さんがいらっしゃいますので、補足します
>http://www.gyutown.com/about/history.htm
>↑こちらの『偽りの米軍残り物説』に詳細が書かれておりますよ

>ケータイから閲覧できるかわからないので、一部だけ抜粋しておきますね

>※ 仙台牛タン焼きの誕生は定説では昭和初期に当時、仙台に駐留してたアメリカ兵が
>食べ残した牛肉の余剰部分を利用したのがはじまりとされてきました。しかし調査をして
>みると当時、アメリカ進駐軍は、アメリカ本土から牛肉を解体したものを輸入していたた
>め、牛タン自体はほとんど輸入されていなかったそうです。・・・


おや、と思ってリンク先を見てみると、確かにアメリカ進駐軍は、どうせ捨てることになる
牛タンをわざわざアメリカ本土から輸入していたわけではなく、「宮城県内や山形の農家を
回り、牛タンを集めていました」と、仙台牛タン焼きを誕生させた佐野啓四郎の息子が証言
している。

http://www.gyutown.com/about/history.htm
>偽りの米軍残り物説
> 仙台牛タン焼きの誕生は定説では昭和初期に当時、仙台に駐留してたアメリカ兵が
>食べ残した牛肉の余剰部分を利用したのがはじまりとされてきました。しかし調査をして
>みると当時、アメリカ進駐軍は、アメリカ本土から牛肉を解体したものを輸入していたた
>め、牛タン自体はほとんど輸入されていなかったそうです。

>当時の”牛”事情について
> 宮城県内では裕福な農家しか牛を飼うことが出来ませんでした。
> 宮城県内の畜場や山形のと畜場では一週間にと畜する頭数は平均2、3頭ぐらい。
>と畜予定の牛タン予約をして、確保でき次第それを集めてきて使っていました。アメリカ
>産の余りものを使ったわけではないそうです。

>「旨味 太助」社長 佐野八勇氏の話
> 「お店は第1、3、5日曜が定休日でしたが、平日に電話で各と畜場へ依頼をして休み
>のたびに、おやじのお供で宮城県内や山形の農家を回り、牛タンを集めていました。
>昭和41年の秋口から昭和53年のお盆まで、私が休みをいただけたのは、1年のうちに、
>8月16日(お盆)と正月の元旦だけでした。」

> 仙台牛タンの名前が有名になるにつれて、いつからかこのような米軍残り物説が生ま
>れたようです。


そして、もともと和食の職人であった佐野啓四郎と牛タンという素材との出会いも、アメリカ
進駐軍とは関係なく、「ヒット商品を出しても、周りのお店に次々と真似されてしまう」ことに
悩んで、洋食屋を経営していた友人に相談したら牛タンはどうかと提案されたというお話。
勧めにしたがいタンシチューを食べてみて、その旨さに驚いたものの、焼き料理中心の
店ではじっくり煮込むという調理法を採用するわけにはいかなかったので、牛タン焼きと
いう料理にするまでには独自に試行錯誤を重ねたとのこと。

http://www.gyutown.com/about/history.htm
>人には真似のできないものを
> 当時は食糧難ということもあり、焼き鳥屋といっても鶏肉だけではなく、豚肉や牛肉な
>ど、様々な素材を焼き料理として出していました。
> そんな中、和食の職人として腕をふるっていた啓四郎氏の悩みは、焼き料理は調理方
>法が簡単なので、ヒット商品を出しても、周りのお店に次々と真似されてしまうことでした。
> 「誰にも真似のできない自分だけの料理を造りたい!」
> そんな気持ちが自然と芽生えるようになりました。生粋の職人だった佐野氏にとっては
>必然的ともいえる欲求だったのかもしれません。

>洋食料理の素材「牛タン」 
>啓四郎氏は苦しい胸の内を、洋食屋を経営していた親友の小野氏へ相談しました。
> それから、何日かして小野氏から「お店で牛タンを出してみたら?」と提案されました。
>和食では通常扱うことのない素材でしたが、職人としての好奇心からどんなに美味しい
>ものかと思い、小野氏の勧めに従って、小野氏が知り合いの洋食屋に行き、タンシチュ
>ーを食べてみました。
> 食べてビックリ「コクがあって本当に旨い!」啓四郎氏は、一口で「牛タン」の持つ素材
>の魅力にひかれました。しかしながらタンシチューは3日も4日もかけてじっくり煮込んで
>作る料理のため、焼き料理中心のお店では適さない食材。啓四郎氏の牛タン焼き造り
>の試行錯誤の日々が始まりました。


つまり、唐沢俊一が番組で話していたような、駐留していた米軍と仙台牛タン焼きの発祥
とに関係があるかのような話は、どれもガセ、ということに。


「米軍残り物説」を採用しているページがかなり多いので、これは諸説ありと解釈するべき
話なのだろうかと迷ったけど、そのようなページでも、「太助」の創業者である佐野啓四郎
が牛タン焼きの元祖だとは書かれているのだ。

http://blogs.yahoo.co.jp/makoron205/19436498.html
>太平洋戦争後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が
>残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太
>助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の
>始まりである。


その佐野啓四郎の息子たちが、材料の牛タンは山形などに買い出しにいっていたと語って
いるので、米軍から回してもらったという話は、やはりガセと解釈してよいだろう。

http://www.aji-tasuke.co.jp/history.php?HPSESSID=787633b8b9dc6f5c9a791e8e9abf16a0
>牛タン焼きは仙台が発祥地とされる。「味太助」の初代、佐野啓四郎(故)が昭和二十三
>年、仙台市中心部に牛タン焼きの専門店を開き、全国にその味を広めたことによる。
>佐野啓四郎は、山形県西里村(現河北町)の農家の二男として生まれた。東京で料理
>の修業をしていた二十代の頃(昭和十年頃)、フランス人のシェフからシチューなどに
>使う牛タンの味を教わり、日本人好みの味付けに工夫を重ねた。
>「昭和十年頃だったかねぇ。東京で日本料理の修業をしている時に知り合ったコックが
>言うんだよ。牛の舌ほどうまいものはないってねぇ。まさか、と思って自分で焼いて食べ
>てみたら、これが本当にいい味なんだ。」
>牛タン焼きの生みの親、佐野啓四郎は、初めて牛タンと出会った頃をこう振り返った。
>佐野啓四郎は、戦時中は焼き鳥の屋台を引いたりして花巻市、白石市、宮城県柴田町
>などを転々。戦後間もなく仙台にやってきた。
>開店当時は、物資不足の時代。材料が手に入らず、朝一番の汽車に乗って山形まで
>買い出しに行くことも多かった。物がなくても、牛タン一筋で店を続けていくというこだわ
>りの表れである。
>佐野啓四郎は、平成6年3月15日に他界したが、その後、長男の佐野和男(現店主)
>が「味太助」を引き継いでいる。



参考 (前回 2010 年 9 月に唐沢俊一が「スクール革命」に出演したときのガセビア一覧):
「光宇宙 (ピカチュウ)」は非実在?
オードリー踊るなら
一という名字だったら一という名前をつけたくなるかな人情として
時々でいいからお公家さんのことも思い出してください
実在しない名字をカウントするのは止めましょうということで 10 万種類
元データ不明の「知念」は「約20倍いる」
唐沢俊一に“スミス”を扱わせたのがいけなかったんじゃなかったかという話も
ほにょ、ほんにょ、ほにお、すずきの木
佐藤さんといえば大ムカデ退治と西行法師
天国への梯子だったり天皇の料理人だったりの高橋さん
笑う藤原氏
『キリンヤガ』にはンデミやンガイが出てきたりする
瑠璃の「瑠」は「る」で「璃」は「り」と読むと思うんですが>日テレさん

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