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2011.01.15 (Sat)

一人暮らしの弟と「一緒に住んでいた」時期があるかもしれない唐沢俊一

裏モノ日記 2008年 08月 21日 (木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20080821114006.html

1時半までいて、タクシーで帰宅。
阿佐谷駅前の喫茶店、アコヒーダに閉店の貼り紙。
ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる。
なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここの
モーニングセットだった。デビューした後の、唐沢商会での
打ち合わせもここだった。その前、やはり阿佐谷に住んで
いたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所も
ここだった。彼女と別れたあともここで原稿を書いていた。
偶然、彼女が某A書店の編集に叱責を受けているのを見たのも
この店だった。アシスタントで紹介された大物マンガ家の
ところで、彼女のミスで原稿を紛失して首になったということ
だった。その後彼女は占い師になった(それも凄い転身だが)。
それで食えているとは思えなかったが、どうしたろうか。
故郷へ帰ったか、まだこちらで暮らしているのか。
以前、ふと思い立ってググってみたが彼女の使っていた
ペンネームでも、また本名でも、一件もヒットしなかった
(同人誌に使っていた名前では一件あったが、もう何年も前の
ものだった)。
往時茫々にして全て夢の如し。

http://megalodon.jp/2011-0115-1944-15/www.tobunken.com/diary/diary20080821114006.html

×往時茫々にして全て夢の如し ○往時茫々夢の如し

「往時茫々にして全て夢の如し」については、「唐沢俊一検証blog」の「問題が幾たびも
大ありー。
」を参照のこと。

で、「東京で弟と半年間だけいっしょに住んでいたという唐沢俊一」の続きというか、ちょっと
補足というか。

上に引用したのは、2008 年の裏モノ日記で、確かにその年に阿佐ヶ谷駅南口駅前にある
アコヒーダという喫茶店が閉店したらしい。

http://mimizun.com/machi/machi/tokyo/1007716238.html
>160 名前: 阿佐谷南3丁目 投稿日: 2001/12/22(土) 13:18 ID:8DCghW3I
>南口駅前の喫茶店「アコヒーダ」
>「あっ、コーヒーだ!!」ではなく
>「acogida」=スペイン語で「歓迎」という意味みたいです


http://yomi.mobi/read.cgi/tokyomachibbs/tokyomachibbs_tokyo_1216637613
>226 名前:東京都名無区 mailto:sage [2008/08/16(土) 00:36:13 ID:8olLmVf.]
>今更かも知れませんが、駅前の喫茶店アコヒーダ、8/20で閉店なんですね。
>長いことお世話になった店がなくなるのは本当に寂しいです。


この日記だけを読めばまあ、「ガールフレンド」が「某A書店」 (秋田書店?) の編集に原稿を
紛失してどうのこうのと叱責される現場にいあわせるなんてできすぎな話ではないかとか、
その編集も機密保護とかにもう少し気をつかってもよいのにとか、そもそも編集がどこかに
原稿を置き忘れるならともかくアシスタントが紛失させるというのはどういう状況なんだろう
かとか思うくらいだが、2008 年に書かれたこの日記に、その喫茶店を「利用して二十年に
なる」とあるのが怖いところ。

2008 - 20 = 1988 だから、日記に書かれている様々な思い出――「なをきと一緒に住んで
いたデビュー前、朝食はおもにここのモーニングセットだった」というのも、「やはり阿佐谷に
住んでいたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所」にしていたという
のも含めて全部――1988 年以降のできごとということになってしまいそうなのだ。

前エントリーにも引用したが、唐沢なをきのブログの方には、以下のような記述がある。

http://blog.nawosan.com/archives/51742373.html
>上京してここで約半年、その後、数百メートル離れた「近藤方離れ」に今度は兄と同居で
>半年、そして東中野の下宿に1年間住んだ後、住み心地のよかった近藤方にまいもどっ
>て、えんえん6年半もここに一人暮らししてたわけですよ。

>こっちの「近藤方離れ」も思い出深い場所で、もどったあと持ち込み漫画も全部ここで描
>いてたわけですよ。漫画家デビューも初単行本上梓も、みんなこの下宿で経験したわけ
>ですよ。ほとんど昼間、日も当たらない隠れ家みたいな部屋だったんですが、妙に愛着
>がわいちゃってなあ。『ホスピタル』やら『カスミ伝』やらの原稿、この下宿にとりにきても
>らった編集さんも多いっすなあ。


1961 年生まれの唐沢なをきは、1980 年に阿佐ヶ谷、1981 年に東中野、1982 年から
1988 年の後半くらいまでは「一人暮らし」だったと、はっきり書いてあるわけで。

「なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここのモーニングセットだった」の
「デビュー前」とはいつ頃のことかという問題が発生する。上のブログに書いてある通り、
弟の唐沢なをきは阿佐ヶ谷「近藤方離れ」に「一人暮らししてた」期間に漫画家デビュー
を果たしている。それに対し、高橋留美子相手に先輩面していた割には (ここを参照)、
唐沢俊一のデビューはさらに後の話となるのだが、それでも 1988 年のはじめには平凡
パンチでデビューを果たしているはずなのに。

http://picnic.to/~ohp/karasawa/kinmirai.htm
>唐沢なをき(唐沢商会名義)近未来馬鹿
〈略〉
>■青林堂版
>原作者:唐沢 俊一
>初版発行:1990/10/15
〈略〉
>●収録
>タイトル       初出
>鉄鋼人間28号  平凡パンチ 1988年1月7-14合併号


「やはり阿佐谷に住んでいたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所」
にしていたというのが本当なら、1988 年以降の何年間か、ソルボンヌK子といわゆる二股
をかけていた期間があったということになるかもしれないという問題も浮上。

http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/books/1246496832/501-600
>616 :無名草子さん:2009/07/06(月) 10:41:18
>【俊一・景子 愛の軌跡】

>1986~87年頃:唐沢とK子が手紙で知り合う。
>1988年頃:遠距離恋愛を口実に唐沢が東京に再度出てくる。
>1989年:唐沢が弟に頼って原作者デビュー
>1991年7月:鹿野景子×唐沢俊一『マンガ年金入門』
>1991年9月:鹿野景子×唐沢俊一『ギロチン女』
>1993年:オノプロを閉じる
>1994年4月:唐沢俊一×ソルボンヌK子『森由岐子の世界』

>2002年秋:深夜枠で「トリビアの泉」放送開始 スーパーバイザー
>2003年7月;ゴールデン枠に「トリビアの泉」移動 大ヒット
>2004年:劇団に入り浸り看板女優おぐりゆかに御執心
>2005年5月14日:日記にバーバラ・アスカ登場
>2005年5月:おぐりゆかとの週プレ連載「名も無く美しいニュースたち」始まる
>2005年8月9日:日記に幻冬舎トテカワさん登場
>2005年:ラジオ「ブジオ!」始まり、おぐりを無理矢理出演させる
>2005年11月10日:バーバラとのトークイベント「古書と新刊の話」

>2006年:K子と別居していることが明らかとなる
>2006年03月:おぐり単行本「 魂食!」唐沢全面プロデュース
>2006年:単行本を出した事すでにおぐりの劇団と仲違いして決別していた
>2006年:トテカワ担当の「新・UFO入門」を書き始める

>2007年3月:おぐりと切れたためなのかK子との共著が復活「三丁目の猟奇」
>2007年5月:唐沢の未来を決めた「新・UFO入門」発刊


可能性としては、「ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる」という
のは、足を踏み入れていない「ここ数年」や、唐沢俊一が仙台に住んでいた年数などを
引いて「二十年になる」のであって、実際に利用しはじめたのは 1980 年前後からという
ものがひとつ。

もうひとつの可能性としては、「一緒に住んでいた」という認識が、唐沢俊一と唐沢なをき
とではズレているのではないかというのがある。

現在、からまんブログの方には、以下のような文章がアップされている。

http://blog.nawosan.com/archives/51744111.html
>なを「そんなわけあるかい。新聞だって、政党の機関紙とかじゃなくて普通の全国紙だ
>ぞ。で、前に住んでた阿佐ヶ谷の下宿に行ってみたら、大家さんが
>“唐沢さんが引っ越したあと、ずーっとあの部屋、空いてたのよ。もう不動産屋さんは通し
>てないんだけど、また住む?”
> っていうから、戻ってきたんだ」
> 阿佐ヶ谷の下宿の大家さんは東中野とは正反対で、お兄さんどころかアシスタントさん
>や編集さんがよく来るようになっても文句を言われなかったそうです。
> でも、不動産屋さんを通さずに部屋を貸してもらってたとは珍しいね。更新料も6年くら
>いの間に一度しか請求されなかったそうすよ。


「もう不動産屋さんは通してないんだけど」とあるので、唐沢俊一と唐沢なをきが同居して
いた時代は不動産屋を通していたが、唐沢なをきが一人暮らししていた期間は「不動産屋
さんを通さずに部屋を貸してもらってた」ために「更新料も6年くらいの間に一度しか請求さ
れなかった」という話のように読める。

しかし、以前にもここなどで引用したことのある『奇人怪人偏愛記』の記述は以下の通り。

『奇人怪人偏愛記』 P.17

それから東京の阿佐ヶ谷で弟と二人暮らしをしていた時期に住んでいた
住居というのが、これまた一般の住居とはかなりかけ離れたものだった。
〈略〉
われわれがここを大変気に入っていたのは、家の隣は銭湯、路地の出た
ところが弁当屋という独身男性の暮らしには至便きわまりないところで、
おまけに大家が不動産と喧嘩して手を切ってしまったため、長年の間、
家賃が一回も上がらないという理由があったからであった。



「大家が不動産と喧嘩して手を切ってしまったため、長年の間、家賃が一回も上がらない」
というのを、「われわれがここを大変気に入っていた」理由としてあげている。……なぜ
「われわれ」と、唐沢俊一自身もそこに含ませて書いているのかは謎。

唐沢なをきが「えんえん6年半もここに一人暮らししてた」期間というのは、唐沢俊一の
東北薬科大で仙台在住時代や、東京をしくじって北海道の実家に帰っていたと自己申告
している時期とかぶる。これらの、自分が東京に住まいをもっていない期間に、唐沢俊一
は弟の住まいに頻繁に泊まりにきて、それが彼の認識では「なをきと一緒に住んでいた
デビュー前」ということに変換されているのではないかと。いや想像に過ぎないのだけど。


なお、上の方では唐沢俊一のデビューを『パンチザウルス』の 1988 年にしてみたけど、
唐沢俊一が『トンデモ創世記2000』で語っている自己申告によると、唐沢俊一 27 歳、
つまり 1985 年頃には「もの書き業界に入っ」て「オンリーになった」ということになる。
1985 年から 1988 年くらいの間に何を書いていたのかは……不明であるが。

『トンデモ創世記2000』 P.85 ~ P.86

 いろんなことやってたんで、もの書き業界に入ったのは案外遅いんですよ。
オンリーになったのが二十七歳のときかな、いろんな業界にいたんだけども、
単にファンだからいただけでして……。アルバイトでコラムを引き受けて書き
はじめたのが二十五歳のときですから、出遅れたって焦りもありましたね。
そこで、みんなが持たずに自分が持っているものは何だって考えて、持ち
ネタっていうか財産、財布の中身ですよね、一番揃っていたのがオタクネタ
だったっていうところでしょうか。



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