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2011.01.10 (Mon)

東京で弟と半年間だけいっしょに住んでいたという唐沢俊一

『とても変なまんが』 P.17 ~ P.18

 さて、この作品、『風と木の詩』の影響を受けて、商業誌にこのような
やおいモノが連載された、たぶん最初期の作品だ。掲載誌は『アドン』。
現在は廃刊になってしまったが当時は『さぶ』『薔薇族』とならぶこの
業界の老舗雑誌だった。『どりーむ2』というのがそのタイトル。作者は
斑鳩美里(いかるがみさと)。いかにもという感じの、どうにかしてよ的な
センスのペンネームである。この筆名以外、正体も不明。性別も不明。
他にはどういう作品を描いているかもわからない。……いや、この他に
作品があるとは思えない。
 なにしろ、絵が下手なのだ。ただの下手ではない。ド下手である。神田
森莉の絵もすさまじいけれど、あれはどんなに下手でもプロの絵だ。この
作者の絵は素人の絵なのである。素人なりに変に同人誌ズレして、線が
固まってしまっているところがまた情けない。
 掲載時期は……すみません、わからない。なにしろ、掲載誌が掲載誌
だけに、所持しているところが家人にわかるとちとマズい。マンガのところ
だけ切り取ってスクラップしていたのだが、データをメモしておくのを忘れ
てしまったのである。まあ、よく見るとバックの壁に『機動戦士ガンダム』
のザクの絵のポスターなどが貼ってあるから、少なくとも一九七九年以降
であることは確かだ。そう言えば、シャアみたいなキャラクターがストーリィ
に関係なく上級生の役で出てきて、
「中等部って……ひたすらだなあ」
 という脇の人物のセルフに、
「フッ……ぼうやだからさ」
 などとつぶやいたりする。まるきり同人誌の感覚ですな、このあたりは。


……まあ、個人的には、神田森莉の絵を下手だとは思わないのだが、おいといて。

昨年の大晦日に、「風狼をあつめてはやし古本市」のエントリーを書くために、『とても変な
まんが』を読んでいて見つけてしまったのが、上に引用した文章である。で、その時点で、
以下のエントリーで作成した年表の再検討が決定したかな、と。w

唐沢俊一の仙台時代って、いつからいつまで? (2)
本当に東京で弟といっしょに住んでいたかもしれない唐沢俊一

「ド下手」な絵と唐沢俊一の目との組み合わせだと、本当に「ザクの絵のポスター」だった
のか不安だというのはあるが、まあ「ぼうやだからさ」というセリフもあるということだから、
ガンダム以降というのは間違いなくて、唐沢俊一の書いている通り「少なくとも一九七九年
以降であることは確か」として。

『アドン』が廃刊になったのが何年かはよくわからなかったけど、1990 年頃までは発売
されていたということでよいだろうか。
http://piza.2ch.net/log/gay/kako/964/964439863.html
http://unkar.org/r/gaypink/1130188619

ここで気になるのは、漫画をスクラップしていた理由というのが、スペースの節約とかでは
なくて、「掲載誌が掲載誌だけに、所持しているところが家人にわかるとちとマズい」からだ
と、はっきり書いていること。唐沢俊一が北海道で親と同居していたのは 1977 年の一浪
時代までと、東京をしくじって帰ってきたという 1986 年から 1988 年頃まで。ただし、後者
は、JUNE の存在を考えると、「商業誌にこのようなやおいモノが連載された、たぶん最初
期の作品だ」というには遅過ぎる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNE
>JUNE(ジュネ)は、株式会社マガジン・マガジン(創刊時は「サン出版」)が発行してい
>た、女性向けの男性同性愛をテーマとした漫画小説混合雑誌の名称。
〈略〉
>1978年10月に『COMIC JUN』として、創刊。3号から『JUNE』と改名し、1979年8月の
>8号まで刊行して休刊。その後1981年に復刊し、復刊1号(1981年11月)~87号(1996
>年4月)まで刊行。


1978 年から 1979 年は、弟の唐沢なをきは高校生で実家にいて、唐沢俊一は東京で
一人暮らしで、ということで除外すると、1980 年から 1985 年の間に弟と同居していた
期間がやはりあったということになる。……これが「家人」じゃなくて「同居人」とかいう
表現だったら、誰か女性と同棲という可能性も一応考慮しなきゃいけないのだが、その
場合は「家人」といわないだろうし。

――とか迷っているうちに、年があけたばかりの唐沢なをきの「からまんブログ」。

http://blog.nawosan.com/archives/51742373.html
>2011年01月03日
〈略〉
>2日の今日は高円寺を経由して阿佐ヶ谷まで行ってきました。

>駅から5分くらいの、でっかい総合病院のご近所。
>いや~、この界隈はなんとも思いで深くって。ここらへん歩く
>だけで懐かしくて胸が熱くなるんですよ、俺。

>今回の散歩で確かめたかったのは、ですね。
>上京して初めて俺の住んだ下宿が、建て替え工事してるんですよ!
>このあいだ、近所のファミレスで深夜、ネーム作業やった帰り道にクルマで通りかかって
>チラ見したんですが、今回、改めてじっくりと確認。
>…新しく建つ家の世帯主のお名前が違ってるところを見ると、下宿のばあさん、お亡くな
>りになっちゃったんでしょうか。うーん、そうか。もう、あれから30年もたつんだもんなあ。
>いや、口うるさくてうっとおしくて、はっきり言って「勘弁して」なばあさんだったけど、なん
>だかウルっときちゃうなあ。

>上京してここで約半年、その後、数百メートル離れた「近藤方離れ」に今度は兄と同居で
>半年、そして東中野の下宿に1年間住んだ後、住み心地のよかった近藤方にまいもどっ
>て、えんえん6年半もここに一人暮らししてたわけですよ。

>こっちの「近藤方離れ」も思い出深い場所で、もどったあと持ち込み漫画も全部ここで描
>いてたわけですよ。漫画家デビューも初単行本上梓も、みんなこの下宿で経験したわけ
>ですよ。ほとんど昼間、日も当たらない隠れ家みたいな部屋だったんですが、妙に愛着
>がわいちゃってなあ。『ホスピタル』やら『カスミ伝』やらの原稿、この下宿にとりにきても
>らった編集さんも多いっすなあ。


「数百メートル離れた『近藤方離れ』に今度は兄と同居で半年」に、「住み心地のよかった
近藤方にまいもどって、えんえん6年半もここに一人暮らししてた」、である。

本当に東京で弟といっしょに住んでいたかもしれない唐沢俊一」のエントリーには、以下
を引用したけど、「僕も協力したんだけどね」や「個人契約でリースして運びこませた」とか
別に同居のしるしではなかった、唐沢なをきは、「持ち込み漫画も全部」、「漫画家デビュー
も初単行本上梓も」、どれも「近藤方離れ」で「一人暮らし」しながら、のことだったと。

『トンデモ創世記2000』 P.218 ~ P.219

唐沢● 弟がね、ライバルを抜いてたのはね。僕も協力したんだけどね、
まだ四畳半の部屋でマンガ描いてたときにファックスとコピー機の最新
機種を入れたんですよ。拡大できるやつを。
〈略〉
唐沢● それまでは資料のコピー取るときも、いちいち外へ出てコンビニの
十円コピーを利用してたのを全部自宅でできるようにしたんですよ。これが
原稿書くのにえらい能率的で、背景貼りつけたりするときや、トレースの
ときも新しい状態でできるっていうのは、作業効率が格段にあがりました
ね。実をいうとリースだったんですけどね。リース会社の知り合いがいた
んで、個人契約でリースして運びこませたんですよ。木造の離れの一軒
家を二つに割って、二軒で貸してたんですけど、四畳半で二間っていうと、
普通は横につながっているんですけど、縦につながってるんですよ。一階、
二階って、はしごみたいな階段を登るような作りで、しかも、日が差さない
から一階なんて一日中真っ暗。普段は会社のオフィスとかに運んでいる人
たちが見て、「何だこれは?」って言われて、なおびっくり。それにしても、
あのはしご段をよく上げたなと思ったよね。
 実は、そのときのことを小説にしないかって言われてるんで、今二人で
まとめているんですけど、当時はなにしろスケジュールがぎっしりだったん
で、「ああ売れてらっしゃるんですね」ってそのリース会社の人にも言われ
たりしてさ。まあとにかく、本をコピーしてファイルしたり、その頃からコピー
機は本当に必需品でしたね。


同じくそこに引用した「私も弟もここが気に入り、通算で五年以上も住み着いてしまった」
というのも、弟との同居期間が 5 年以上とかいう意味ではなかったということで。実家
以外の同居は、半年のみということになる。

『奇人怪人偏愛記』 P.28

上京して学生をしていた頃からしばらくの間、弟と一緒に阿佐ヶ谷に住ん
でいた。私も弟もここが気に入り、通算で五年以上も住み着いてしまった。



そして、最初に引用した「掲載誌が掲載誌だけに、所持しているところが家人にわかると
ちとマズい。マンガのところだけ切り取ってスクラップしていた」が、唐沢なをきが東京に
出てきた 1980 年のことということになるのだろう。

……しかし、親ではなく弟が相手なら、「極北のカルチャー」に「世界の文化的な極限を極
めたい」し、「唐十郎や渋澤龍彦の世界を理解するには」必要なのだとか主張して (ここ
参照)、堂々と『アドン』を部屋にころがしておいてもよかったのでは。『とても変なまんが』
の「釈明」を見ると、「極北のカルチャー」うんぬんとは関係ない話のような気もするけど。

『とても変なまんが』 P.19

 ……ついでにもうひとつ、釈明しておかねばならないのは、ナゼ僕が
『アドン』などを購読していたか、ということについてだが、これはただ
単に、この雑誌が読んでいて面白かったから、というだけの話で他意は
ない。それがアヤシイ、とか言われても返答に窮するのである。



ということで、1980 年に弟と同居とし、「大学に入ったばかりのころで、高い高いと悲鳴を
あげながら、乏しい小遣いをはたいて苦心してこのテの出版物を買い集めていた」 (ここ
を参照) のを 1980 年の『少年期』から 1981 年の『少年期ハードスペシャル』に変更した
年表が以下のもの。

1977 年: 札幌で一浪 ヤマトのファンではないファンクラブに参加 (代表者は別の人)
1978 年: 東京で一浪 住まいは阿佐ヶ谷駅から 12 分のアオイ荘
1979 年: 東京で二浪 住まいは阿佐ヶ谷駅から 12 分のアオイ荘 近所に芳賀堂書店
1980 年: 東京で三浪 住まいは阿佐ヶ谷駅から 5 分の近藤様宅、玉の湯隣で、そのうち
半年間は弟と同居

1981 年: 仙台 (東北薬科大) 1 年目 ローラン・ボックのプロレス観戦
大学に入ったばかりで『少年期ハードスペシャル』を買う
1982 年: 仙台 (東北薬科大) 2 年目 『江戸の戯作絵本』(三)、『湘南爆走族』
1983 年: 仙台 (東北薬科大) 3 年目
1984 年: 東京 プータローアニドウ イッセー尾形ピコワード
1985 年: 東京 イッセー尾形 用事で行った仙台空港のテレビで阪神優勝を見る
ヤングマガジンの編集者に原作原稿を見てもらう
1986 年: 東京 イッセー尾形 前説事件
ヤングマガジンの編集者に見てもらっていた原作原稿は、半年書き直しで掲載されず
1987 年: 札幌 『奇人怪人偏愛記』 P.21「一時東京をしくじって実家に戻っていた」
1988 年: 東京

1981 年の仙台は少し迷ったのだが、ローラン・ボックの件があるし、動かさなければいけ
ない理由もないかと思ったので、変更なし。青学については、こちらにも書いたのだけど、
どうしてもいれたいのならば、1983 年以降におけばよいのでは。


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