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2011.01.03 (Mon)

ゼカリア・シッチン……というより育てるヴェリコフスキー

http://www.tobunken.com/news/news20101223055321.html

イベント
2010年12月23日投稿
信じさせた男 【訃報 ゼカリア・シッチン】
〈略〉
ニビル人たちは地球の地下資源、なかんずく金(きん)を求めており、
それを採掘する労働力として、猿の遺伝子を自分たちの遺伝子と
かけあわせ、半ニビル人のような生物を作り出した。
それこそがわれわれ地球人であり、これが聖書にある
「神は自らに似せて人間を作った」
という言葉の真の意味だという。その他、聖書の記述は
古代シュメールの文献から来ており、これを解読することで
古代文明の謎が解ける、と主張して世界的ベストセラーとなった。

……もちろん、これらの説は多くの学者によってその誤謬を指摘され
トンデモ扱いをされているわけだが、このようなことを言い出した
のはシッチンが最初ではなく、また最後でもない。
エマニュエル・ヴェリコフスキー、エーリッヒ・フォン・デニケン、
そしてグラハム・ハンコック……と、時代と共に次々に出現している。

なぜこういう超古代文明論(古代宇宙人論)は人々に受入れられる
のか。日本ではこういう論はロマンというくくりで論じられる。
しかし、西欧諸国にとり、この論はキリスト教という大きな思想系
とからんでくる、やや複雑かつ深刻な問題なのだ。

世界の代表的宗教の中で最もロマンティックな天地創造神話を
持つキリスト教は、皮肉なことに近代以降、最も科学的・論理的な
思想により構築された文化を発達させることになった。そうなると、
その思考と神話を融合させなくてはならなくなる。大抵の人間は
思考の境を不分明にして
「あれはあれ、これはこれ」
といいかげんにしてオシマイにしているが、中にはそこに整合性を
求めたがる人もいるわけで、その整合性をどちらかに寄せてしまうと
ドーキンスのように無神論者になるか、あるいはキリスト教原理
主義者になって科学を否定せざるを得なくなる。
「何とか信仰に科学の裏付けを持たせることができないか」
と考える人が出るのは至極当然であり、例え疑似科学であっても
“聖書の記述は科学的に解明できる”とする思想に一定のニーズが
あるのはきわめて自然なことなのである。
さすがに聖書だけでは持たないのでさらに古いエジプトだのシュメール
だのの古代史まで持ち出しはするが、これらが正しいのなら聖書も
また……と人は考えることが出来るのだ。
例えその理論が、結局のところ神を宇宙人に置き換えただけであり
至高の存在の有無という問題を先送りしただけであろうとも。
〈略〉
スケプティックス(懐疑論者)たちは当然のことながらシッチンの
論をボロクソに言う。『Skeptic'sDictionary』
http://www.genpaku.org/skepticj/sitchin.html によると
「彼らの著作はまともな科学ではなく、出来の悪いSFである。
しかし彼らは、善きミステリーを愛して世界や科学的研究の限界に
無知で分別のない、そんな人々にとっては魅力的なのだ」


×『Skeptic'sDictionary』 ○『Skeptic's Dictionary』

さて、「トンデモ扱いをされているわけだが、このようなことを言い出したのはシッチンが
最初ではなく、また最後でもない」の、「このようなこと」が何をさしているか、実は今ひとつ
はっきりしていない件について。

唐沢俊一の文章だけを読むと、「このようなこと」とは、「ニビル人」が「猿の遺伝子を自分
たちの遺伝子とかけあわせ、半ニビル人のような生物を作り出した。それこそがわれわれ
地球人」、「聖書の記述は古代シュメールの文献から来ており、これを解読することで古代
文明の謎が解ける、と主張」などをさしているかのようにも読めるが、そのようなことは、
ヴェリコフスキーも、デニケンも、ハンコックもいっていないはずで。

藤岡真blog」の「徹底検証 唐沢俊一追討日記 その35 ゼカリア・シッチン」で既に
指摘されているように、ゼカリア・シッチンと「エマニュエル・ヴェリコフスキー、エーリッヒ・
フォン・デニケン、そしてグラハム・ハンコック」と、唐沢俊一のような形で「十把一絡げで
語る」ことに、そもそも無理がある。ヴェリコフスキーは「超古代文明論(古代宇宙人論)
なんかとは、全然関係ない」というのも同ブログで指摘されている通り。

では、唐沢俊一が何でまた最初に引用したような文章を書いたかというと、推測でしか
ないが、唐沢俊一も引用している Skeptic's Dictionary (の和訳) の中の、以下の文章が
悪かった (?) のではないかと。

http://www.genpaku.org/skepticj/sitchin.html
>シッチンは、エーリッヒ・フォン・デニケンやイマニュエル・ヴェリコフスキーとともに、
>古代史にまつわる疑似科学の伝奇作者として、聖なるトリオの一角をなしている。彼ら
>はみな、古代の伝説が伝説などではなく歴史的・科学的事実だという仮定からはじまっ
>ている。


上に引用した文章は別に間違ったことは書いていない。確かに 3 人とも「古代史にまつわ
る疑似科学の伝奇作者」だし。「古代の伝説が伝説などではなく歴史的・科学的事実だと
いう仮定から」論を組み立てているのだし。唐沢俊一のように、「超古代文明論(古代宇宙
人論)」のようなくくり方をしているわけではないのだ。

しかし、唐沢俊一はどうも、3 人を (細かい相違はあっても) すべての点でひとくくりにして
よいと考えて、それで「例え疑似科学であっても“聖書の記述は科学的に解明できる”と
する思想に一定のニーズ」と主張しているのではないかと。

そのような「キリスト教原理主義者」的なニーズに一番応えるものは、下の引用にも登場
する「創造論者」だろう。

http://www.genpaku.org/skepticj/velikov.html
>一言で言えば、かれは進化論に反対する創造論者たちのように、聖書が科学的な真実
>の基盤であり導きの糸であるという想定から出発しているわけだ。現代の天文物理学者
>や天文学者の見方が旧約聖書のある下りに相反している場合、現代のほうがまちがっ
>ていると決めつけられる。だがヴェリコフスキーの信念は、天地創造論者よりずっと先を
>行っている。というのもヴェリコフスキーはあらゆる古代神話や伝説や民間伝承を事実
>だと考えているからだ。古代神話を批判なしに都合のいいところだけ受け入れているの
>で、かれのやっているのは歴史とも呼べない。


http://www.genpaku.org/skepticj/creation.html
>創造論者とは、聖書の創世記に記されている宇宙の創成についての記述を、寓話など
>ではなく文字どおりの真実だと信じている人々のことである。


そして、ゼカリア・シッチンになると、聖書よりもむしろシュメール神話の方を重視している
かのようにみえる。

http://www.genpaku.org/skepticj/sitchin.html
>シッチンは古代シュメール文字の石板を独力で正確に読み取ったと述べ、自身の名声
>の正当性を主張している。シッチンによれば、シュメールの石板には、神がおよそ45万
>年前に別の惑星(3,600年周期で太陽を巡る惑星ニビル)から地球へやってきて、メスザ
>ルになんらかの遺伝子操作を施して人間を創り出したことが書いてあったのだ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ゼカリア・シッチン
>シッチンによると、シュメール神話ではアヌンナキと呼ばれており、シッチンが創世記に
>登場するネフィリムだとしている、技術的に進歩した人類と類似した姿を持った地球外生
>命の本拠が、二ビルである。 アヌンナキたちは45万年前に地球に到達し、鉱物資源、
>特に金を探索、アフリカで鉱脈をみつけ採掘を行った、とシッチンは述べている。これら
>の「神々」は、二ビルから地球への植民遠征に出された、一般庶民の労働者に相当する
>神々であった。アヌンナキは、金鉱山で働く奴隷となる生物として、地球外生命体の遺
>伝子をホモ・エレクトスの遺伝子とかけあわせ、人類を遺伝学的に設計した、とシッチン
>は信じている。
〈略〉
>シッチンは、自分の調査は多くの聖書の記述と適合し、聖書の記述はもともとはシュメ
>ールの文献から来たものであるとしている。


「聖書の記述」は神の言葉ではなく、「もともとはシュメールの文献から来たものである」
なんて原理主義者の人たちは怒りそうな気がするけどなあ。むしろ、信仰という意味では
唐沢俊一いうところの「思考の境を不分明にして『あれはあれ、これはこれ』といいかげん
にしてオシマイ」にする人たち向きのような気がする。

唐沢俊一は、「さすがに聖書だけでは持たないのでさらに古いエジプトだのシュメールだの
の古代史まで持ち出しはするが、これらが正しいのなら聖書もまた……と人は考えること
が出来るのだ」と書いているが、かなり無理な理屈で、「さすがに聖書だけでは持たない」
と言い出すこと自体、唐沢俊一のいう「何とか信仰に科学の裏付けを持たせることができ
ないか」、「“聖書の記述は科学的に解明できる”とする思想に一定のニーズ」の (少なく
とも部分的な) 否定につながっていく。前述のとおり、世の中には創造論者とよばれる人
たちもちゃんと存在するのだから。

さらにデニケンとなると、「ペルーのナスカの砂漠にある巨大な動物画が、古代宇宙人の
空港だとしている」話とかが有名なのだけど、それのどこが「“聖書の記述は科学的に解明
できる”」というニーズに応えているのかと。

http://www.genpaku.org/skepticj/vondanik.html
>フォン・デニケンの主張を裏付ける証拠はどこにあるのだろうか?そのいくつかは詐欺で
>ある。たとえば、彼は遺跡から発掘されたという土器の写真を作成した。この土器には
>空飛ぶ円盤が描かれており、聖書時代のものだといわれている。しかし、ノバ(公共放
>送のテレビ番組)の調査チームは、この古代のものとされる土器を造った陶芸家が見つ
>かっている。彼らは詐欺の証拠を持ってフォン・デニケンに、立ち向かった。デニケンは、
>証拠を見せないと信じない人間がいるのだから偽造は正当化されるのだ、と答えたのだ!

>しかし、フォン・デニケンの証拠のほとんどは見かけ倒しか欺瞞的議論でしかない。彼の
>データは主に考古学の遺跡や古代の伝説に基づいている。彼には古代の宇宙飛行士と
>いう仮定がまず最初にあり、データはすべてそれに合わせるものでしかない。たとえば、
>彼はペルーのナスカの砂漠にある巨大な動物画が、古代宇宙人の空港だとしている。
>地上画の幅が滑走路としては狭すぎて、現実にはどんな航空機にも無意味だという事
>実を、彼は都合よく無視している。これら地上画が原住民の科学や神話に関係している
>だろうとは考慮しないのである。


ちなみに上に引用した文章中にある「聖書時代」というのが、『Skeptic's Dictionary』の
フォン・デニケンの項で、「聖書」という単語が登場する唯一の箇所である。それだけで
判断するのは早計かもしれないけど、聖書とかそういうのはもう主要な関心からはずれて
いるのではないかと思う。

で、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』は、とりあえずデニケン+αということで。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1215520997
>フォン・デニケンは、 1991年に『未来の記憶』で世界を笑わせてくれたことからイグノー
>ベル文学賞を受賞した人物だが、「神々の指紋」とは、そのデニケンの説を含む、もっと
>もっと有名な世界中のトンデモ説・トンデモ本を整理・編集した大作だ。


その他参考:
- http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/review/review1.htm

http://www.tobunken.com/news/news20101223055321.html

科学の発達は常にその裏に信仰の消失という危険性をはらんでいる。
西欧の科学者が常にその二律背反に直面しているという現実は大きい。
ヴェリコフスキーの論など、日本ではその紹介のとき、くどいくらい
にそのデタラメぶりを叩いておかないとまっとうな文化人と思われなく
なる、という強迫観念に書評者はかられるらしいが、これがアメリカ
だと、ヴェリコフスキー理論を“正しいもの”という前提にして、
J・P・ホーガンのように『揺籃の星』という大作SFをものして
しまう作家まで出てくる。これが翻訳刊行されたときの日本での
SF関係書評の困惑ぶりはちょっと興味深いものだった。

ゼカリア・シッチンはその特徴的な名前でわかるようにイスラエル
生れのユダヤ人である。ヴェリコフスキーもユダヤ人であった。
信仰というものを人生の基礎におくユダヤ人である彼らにとり、
旧約聖書を“科学的に読み解く”という作業は、非常に高いニーズに
支えられた行為ではなかったか、と思うのである。


×イスラエル生れ ○アゼルバイジャン (旧ソ連) 生まれ

個人のサイトには、「ユダヤ人(イスラエル生まれ)」と書かれているもの、「ロシア系ユダ
ヤ人」と書かれているもの、いろいろだけど、ここはまあ Wikipedia の記述を信用しようと
いうことで。

http://inri.client.jp/hexagon/floorCXF/cxf1000.html
>●奇想天外な宇宙論といえば、現在、シュメール言語学者で、「宇宙考古学」の権威で
>あるゼカリア・シッチン博士も、ユダヤ人(イスラエル生まれ)であるが(現在はニュー
>ヨークに住み、執筆活動をしている)、彼は「異星人が遺伝子操作により地球人を創っ
>た」と主張していることで有名である。


http://blogs.yahoo.co.jp/ttdkh395/44237169.html
>Filer's Files #47 2010 によると、ロシア系ユダヤ人の宇宙考古学者ゼカリア・シッチン
>氏が10月9日の朝、ニューヨーク市で90歳の生涯を閉じていたことが、彼のウェブサイト
>www.sitchin.comに掲示されたとのこと。


http://homepage3.nifty.com/ii/note111.htm
>もちろん彼らが今も生存しているわけではないが、ロシア出身の宇宙考古学者ゼカリア
>・シッチン氏によってシュメール人の残した天文学の知識が解明された。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ゼカリア・シッチン
>アゼルバイジャンのバクーに生まれ、パレスティナで育つ。 古代ヘブライ語、現代ヘブ
>ライ語、その他のセム系・ヨーロッパ系言語、旧約聖書、近東の歴史・考古学に関する
>知識を身につける。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) を卒業。専攻は経済史。
>その後、長期にわたりイスラエルにおいてジャーナリスト・編集者を務めた後、現在は
>ニューヨークに在住し著述活動を行っている。 著書は多くの言語や点字に翻訳され、
>ラジオ・テレビに紹介されることも多い。 2010年10月9日逝去。享年90。


http://en.wikipedia.org/wiki/Zecharia_Sitchin
> Born January 11, 1920 (aged 90) Baku, Azerbaijan SSR

「ユダヤ人」かどうかはわからなかった。個人的には、敬虔なユダヤ教徒ならば、もっと
「旧約聖書を“科学的に読み解く”という作業」に邁進し、シュメールの石板の解読の方は
ほどほどにしてもよかったのではという気がするのだが。


それから、これも個人的な想像にすぎないけど、「ヴェリコフスキーの論など、日本では
その紹介のとき、くどいくらいにそのデタラメぶりを叩いておかないとまっとうな文化人と
思われなくなる、という強迫観念に書評者はかられるらしい」に、「これが翻訳刊行された
ときの日本でのSF関係書評の困惑ぶりはちょっと興味深い」などと唐沢俊一に書かせた
のは、創元SF文庫の解説の文章ではないかと思う。

http://www.tsogen.co.jp/wadai/0407_06.html
>ジェイムズ・P・ホーガン『揺籃(ようらん)の星』 解説[全文]金子隆一
>ジェイムズ・P・ホーガン『揺籃の星』
>内田昌之訳/創元SF文庫
〈略〉
> 本書もまた、ホーガンの多くの作品の例にもれず、無数の耳なれない科学用語、科学
>的概念がちりばめられている。科学用語の氾濫に免疫を持たない読者の中には、必
>ず、ホーガンのナイーブなるが故に力強いそのアジテーションに心酔し、しだいに、過去
>の地球と太陽系が直面したという仮想のカタストロフィの歴史を事実として受け入れ、つ
>いには、それを認めようとしない主流派科学への不信と憎悪を抱き始める人もいるだろ
>う。ひょっとしたら、近い将来、本書はSFプロパー以外の新しい読者層をひきつけ、「科
>学小説の世界的巨匠、J・P・ホーガン氏もついにヴェリコフスキーの正しさを全面的に認
>めた!」などとその手の雑誌に書かれるようになるのかも知れない。
> しかし、あえてご忠告しておきたい。それは、本書へのもっとも危険なはまり方だ。
> ホーガンを真に楽しむためには、もっとずっと覚めた(ひねた?)、とりあえず何事もう
>のみにする前に立ち止まって考えるという姿勢が絶対不可欠なのである。
> 科学用語を多用するからといって、ホーガンが必ずしも科学的に正しい事だけを述べ
>ているとはかぎらない。彼も、ヴェリコフスキー理論の苦しさは重々承知の上でこの作品
>を書きはじめたのは明らかである。何よりも、ヴェリコフスキー理論の最大の問題点、い
>かにして金星が木星から飛びだし得たかという点について、ホーガンは具体的に語るこ
>とを避けている。彼が少しでも本気であったなら、この部分にもっとも力を入れ、強引に
>それを可能とするような架空理論を構築して見せたに違いない。それを放棄したという
>事自体がすでに彼の姿勢表明であるともとれる。しかし、基本設定を「ウソですよ」のサ
>インとともに提示したとしても、それをもっともらしく見せるための手続きの部分にぬかり
>があったのでは、話はどんどんリアリティを失って行く。物語の虚構性が高くなればなる
>ほど細かいネタでは真実を語らなければならない、というのは小説の鉄則である。その
>点において、少なくとも本書は決して手厚いとは言いかねる。
> ここで、本当に成熟した大人の読者なら、にやにやしつつすべてを受け入れ、一人ツッ
>コミを入れた回数を自分で数えるという余裕さえ持つことができるだろう。先ほどから言
>っている心構えとは、要するにそのような気の持ちようのことだ。だが、残念ながら、これ
>を書いている筆者自身はまだまだ青かった。ゆったり、鷹揚にかまえようと自分自身に
>言い聞かせつつも、時々表情がひきつるのが自分でもわかった。上巻だけで付箋を貼っ
>た箇所は四十箇所にのぼった。あれほど騒がれたシューメーカー=レビー第九彗星をも
>う忘れたのか、とか、一つでいいから実例をあげてみろよ、とか、今どきそんな恐竜の復
>元をする奴ァもういないよ、とか、ウルトラサウルスなんてとっくに消滅してるよ、とか、カ
>ニがあぶくを吹くような筆者のつぶやきを書き連ねていけば、それこそ何十枚でも原稿
>が書けることだろうが、それは読者諸兄姉へのお楽しみとして置いておこう。


まあ唐沢俊一自身も http://www.genpaku.org/skepticj/sitchin.html から引用している
ように、シッチン、ヴェリコフスキー、デニケンといったトンデモさんの「著作はまともな科学
ではなく、出来の悪いSF」というのはよくいわれることであり、と学会の本にもそういう記述
が確かあったと思う。

「出来の悪いSF」でも信じる読者がいるのに、それを一流の作家が書いてしまうとなると
……読者への影響を考えれば、これはシャレにならないかもしれないと紹介者が警戒する
のも無理はないだろう。ただ、ヴェリコフスキーの理論についての説明が詳細であるのは、
ホーガンの『揺籃の星』は「ヴェリコフスキー理論を“正しいもの”という前提」で書かれて
いて、そのヴェリコフスキーは日本ではそうは馴染みがないせいもあると思うけど。

創造論とまではいかないとしても、ヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』は、こちらのページ
でいう「あからさまなキリスト教原理主義のプロバガンダ」だとされていて、それがキリスト
教の信者の少ない日本では、向こうほどは浸透しなかった理由だという人もいる。

http://www.tobunken.com/news/news20101223055321.html

もし、シッチンらの論が懐疑論者の言うように人間に有害なもので
あったとして、で、あれば懐疑論者がそろそろ向いあわなくては
いけないのは、なぜ大衆がそういう論を(懐疑論者の好む科学的な
論でなく)信じたがるのか、ということの解明と対策だろう。
そこのポイントを解明しない限り、いくらシッチン個人をつついても
ダメであり、第二第三、いや、第一〇〇第二〇〇のシッチンが
現われるだけであろうと思うのである。


なるほど、「いくらシッチン個人をつついてもダメ」だから、メインはシッチンのはずなのに、
唐沢俊一はヴェリコフスキーを重点的につついていたのかと。冷静に考えるとジェイムズ・
P・ホーガン『揺籃の星』なんてのは、シッチンと直接は関係しないのにかかわらず。

「なぜ大衆がそういう論を(懐疑論者の好む科学的な論でなく)信じたがるのか、ということ
の解明」は、まず唐沢俊一がしっかりやるべきではないか、「旧約聖書を“科学的に読み
解く”」とか原因の一部のみに着目するのではなく――と書きかけて気がついたのだけど、
もしかして唐沢俊一はこの文章を書くにあたり、自分のことを「懐疑論者」と定義しては
いないのかもしれない。


「もし、シッチンらの論が懐疑論者の言うように人間に有害なものであったとして」って、
自分は「懐疑論者」と思っている人の書き方ではなく、完全に他人事として書いている
ような。

かといって、「第二第三、いや、第一〇〇第二〇〇のシッチンが現われる」のを防止したい
側ではなく、むしろ「第一〇〇第二〇〇のシッチン」を歓迎し本を売りまくりたい側の視点
にたっているようにも思えない。

「そこのポイントを解明」するのに一番熱心なのは、いわゆるトンデモ本を売る側ではない
かと思うのだけど、プロである彼らにしても、なかなか難しい問題らしいのだから。

http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/review/review1.htm
> ちなみに学研『ムー』1996年9月号所収の「ムー新聞」には「『神々の指紋』がな
>んだ!」と題して次のような文が掲載されている。
>「あの本が出るよりも先に同じ内容の「ムー・ブックス」が出ていたのを知ってます?実
>は『アトランティスは南極大陸だった!!』と『神々の指紋』の内容はほとんど同じといっ
>ていいくらいなのだ。すなわち、われわれはあのベストセラーの原点ともいうべき本を
>先駆けて出していたのだ。ドーだ、エライだろう。(中略)あっちは上下巻で3000円、
>こっちはお手頃価格の870円。どうせ同じ内容なら安いほうがいいに決まっているよね
>っ!」
>『ムー』編集者は「ドーだ、エライだろう」と自画自賛しているが、『神々の指紋』とム
>ー・ブックス『アトランティスは南極大陸だった!!』はどちらもチャールズ=ハプグッド
>なる人物が1966年に出した著作『古代海王たちの地図』を主なタネ本にしているのだ
>から、内容が似ていても不思議ではない。そもそも30年も前のネタを未だに使い回して
>いること自体、あまり自慢にするべきことでもあるまい。

> しかし、オカルト本の老舗『ムー』から見れば、どこかで聞いた話ばかりの『神々の指
>紋』のヒットはいささか合点のいかない事態であったことはうかがえる。


そもそも「第一〇〇第二〇〇のシッチン」と心配できるほどトンデモ業界の本がヒット連発
であったのならば、と学会もうれしい悲鳴連発で、突っ込みをいれる本をもっと量産できる
のではないかと思うのだが。その場合、「育てるトンデモ」などと考える必要はなくなる。

http://www.cml-office.org/archive/?logid=376
> 「採るトンデモから育てるトンデモへ」というのが例会の標語みたいになってるわけで、
>新たなトンデモが近くで育つのは歓迎すべきことのはず。




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Comment

>shimojo さん
どうもです。(_ _)

そうですね、その手の本で聖書、キリスト教について、いっさい無関心をつらぬき言及を避けるというのは逆に難しいだろうなと思っています。

唐沢俊一は今回、「さすがに聖書だけでは持たない」とか書いていますが、ネタ的には「さすがに聖書なしでは持たない」といいますか、せっかく、
http://www.genpaku.org/skepticj/velikov.html
でいうところの「古代神話を批判なしに都合のいいところだけ受け入れ」という線でいくのですから、一般に馴染みのあって受けを期待できる聖書 (それ神話かというのはおいといて) 関連を使う理由こそあれ、ハブにする理由はないと思います。

極端な話、幸福の科学やオウムあたりでさえ、ある種の素材として使っていたり。聖書の記述が科学的ということを証明なんてのはほとんど考えていないでしょう。
トンデモない一行知識 |  2011年01月03日(月) 22:24 |  URL |  【コメント編集】

デニケンの「未来の記憶」「宇宙人の謎」では、旧約聖書の創世記、出エジプト記、エゼキエル書、死海文書などを引用し、ロケットや核兵器や近代兵器でこれらの文書に書かれている内容は説明できるとして、宇宙人=≪神々≫が人類を育種し干渉していたという説を主張しています。
シュメールの神話やインカ・マヤの伝説のほうに比重がかかっているとは思いますが、聖書に興味がないわけではなかったと思われます。
もっとも、聖書を扱った方がヨーロッパではセンセーショナルであり、本もよく売れる、という計算もあったでしょうが。
shimojo |  2011年01月03日(月) 13:53 |  URL |  【コメント編集】

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