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2010.12.29 (Wed)

なぜかなかったことにされている池部良主役の文芸作品

http://www.tobunken.com/news/news20101219000639.html

イベント
2010年12月19日投稿
天職でなかった(?)男 【訃報 池部良】
〈略〉
『青い山脈』(49)の頃は知らず、代表作(最高傑作であろう)
『暁の脱走』(50)はもちろん辛気臭さの限りをつくした映画であったし、
私が名画座巡りしながら観た『白夫人の妖恋』(56)でも辛気臭かったし、
『潜水艦イ57降伏せず』(59)のラスト、潜水艦で敵駆逐艦に体当たりする
池部艦長も当然の如く辛気臭かったし、『昭和残侠伝』シリーズ(69~)でも
辛気臭かった。その『残侠伝』で名コンビだった高倉健主演の『冬の華』(78)
では 冒頭で健さんに殺されてしまう役。わけありという感じで淡々と殺されて
いた。
今思うと、この役がその数年間に見た池部良で一番辛気臭くなかった
かも。とにかく、中年すぎてからのこの人がほがらかに笑った
映画を見たことがない。なにしろ、別に辛気臭くなくてもいい
『小説吉田学校』(83)の緒方竹虎ですら辛気臭いのである。

『あゝ決戦航空隊』(74)では米内光政役。この役、山村聰あたりがやると
悲痛な演技の中にも豪放磊落さがにおうのだが、池部良の米内大臣が
鶴田浩二の大西瀧治郎に戦争継続を迫られるあたりのシーンは
日本辛気臭い大賞ものかと思うくらい辛気臭い演技のぶつかり合いだった。

それでいて、その演技には気品と知性がただよっていた。
“スケベ良”とあだ名されたくらいモテたそうで、むっつりスケベという
やつかと思ったら、本人は非常にユーモアあふれる、洒落た紳士で
あったらしい。なるほど、父君はユーモアあふれた政治漫画などで
知られる漫画家の池部均なのであった。ユーモア感覚に優れていたのも
当然である。

その彼がなぜ、辛気臭い顔でばかり映画に出ていたのかと言えば、
俳優という職業を天職とは思ってなかったからだろう。
戦後の再デビューである『青い山脈』は、33歳にもなって18歳の
役で出ることが実はイヤであったらしいし、『昭和残侠伝』シリーズは、
日本映画俳優協会の理事長の身でヤクザ役を演じることに抵抗があり、
名前を出来るだけ小さくしてくれと東映の俊藤浩滋に頼んでいる。
『妖星ゴラス』(62)をはじめとする特撮シリーズも、実は嫌々の出演で
あったらしい。
代表作がことごとく意に染まない出演であったという珍しい役者である
わけだが、これは本来は映画監督を志していたのに、たまたま役者の方で
職を得てしまったという、人生のもともとでの食い違いによるのかもしれない。
あの顔は“人生、ままにはならない”という諦念の顔だったのかもしれない。
〈略〉
池部さんは潮さんのパーティにも出席してくださり、
「僕が撮影所で潮ちゃんにつけたあだ名が“ピラニア”で、それが東映内で
流行り、後のピラニア軍団の名前の元となった。あの名前は僕と潮ちゃん
にマルCがある」
と、ユーモアたっぷりのスピーチをしてくださった。実はこのとき、鼻梁など
がげっそりとこけ、かつての二枚目のイメージがだいぶ損なわれていたよう
に感じたのだが、後で聞いたら、持病のマラリアで熱が出て、出席もあや
ぶまれたのを“潮ちゃんの一世一代だから”と、病を押して出席してくれた
とのことだった。あの時のお礼とお詫びもまた、伝えられぬまま、だった。


×池部艦長 ○河本艦長
×池部均 ○池部鈞
×日本映画俳優協会の理事長の身で ○日本映画俳優協会代表理事の身で

まあ「池部艦長」というのは言葉の綾で……という話だろうけど、役名と芸名がたまたま
同じ名字だった場合とまぎらわしいので、一応。

http://ja.wikipedia.org/wiki/潜水艦イ-57降伏せず
>艦長・河本少佐:池部良

池部良の父、池部鈞は、洋画家であり、社会批評的な漫画家でもあり、随筆やラジオ
ドラマを書いたりしたことも。

http://ja.wikipedia.org/wiki/池部良
>風刺・風俗漫画家として一世を風靡した池部鈞の息子として、東京市大森区(現・
>東京都大田区)に生まれる。


『映画俳優 池部良』 P.14
>池部 そうね、僕の親父は池部鈞といって、洋画家なんです。洋画家と同時にその
>ほうが儲かるから、儲かるってのもおかしいけど、漫画をやっていました。今の漫画
>とはちょっと違って、社会批評的なものだけど。ある種の芸術性のある仕事をやって
>いたもんだから、株が上がったとか下がったとか、お金のことはちょっと縁が離れて
>いました。


http://rabuchan.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-d476.html
>「そよ風ときにはつむじ風」には池部鈞さんが洋画家、社会戯評漫画家であるいっぽ
>うで、随筆を書いたり、ときにはラジオドラマを書いたりしていたエピソードもあった。


http://www.amazon.co.jp/dp/B000JB4MOK
>ニャンチュウ物語 (1955年) (旅窓新書) [古書] [新書]
>池部 鈞 (著)


ただ、名前については、Google で「もしかして: 池部鈞」となる一方、はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%D3%C9%F4%B6%D1 では「池部均」で、別名が
「池部釣」となっているので、「池部均」名義での活躍もあったのかもしれないとは思う。
漫画家としては「池部均」だったとかとも考えたけど、たとえば
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/189932/
では本文が「池部均」となっているが、引用されている漫画の絵には「鈞画」とサインが
はいっているし、それとオフィシャルな性格の強い文書に「池部均」はあまり登場しない
ようなので、とりあえず「×池部均」ということにさせてもらった。

その他参考:
- http://megalodon.jp/2010-1229-1804-33/page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h148132222


で、「辛気臭い顔」については、「徹底検証 唐沢俊一追討日記 その33 池部良
をあわせて参照のこと――として、「持病のマラリアで熱が出て、出席もあやぶまれた
のを“潮ちゃんの一世一代だから”と、病を押して出席してくれた」池部良のことを、
「かつての二枚目のイメージがだいぶ損なわれていたように感じた」とか、普通に考え
れば感謝こそすれ悪感情を抱く要素はないだろう故人のことを、驚くほど執拗に貶す、
その理由は謎である。

今回はタイトルからして「天職でなかった(?)男」と、ひどいものだし、「辛気臭い顔」
というのは、唐沢俊一によると、もともと俳優志望ではなかった男の「“人生、ままには
ならない”という諦念の顔だったのかもしれない」ということだそうだ。

しかし、池部良自身は最後まで「『自分は(映画)俳優である』という意識を持って」
いたというし、東宝からは止められながら出演したという松竹の『現代人』 (1952 年)
で、「池部良は、この作品との出会いをきっかけに、俳優という職業を『男子一生の
仕事』と意識するようになったそうだ (『映画俳優 池部良』 P.313) という話もある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/池部良
>文筆業が中心となってから(2010年5月当時、雑誌「百歳万歳」ほか4誌にエッセイを
>連載中だった)でも「自分は(映画)俳優である」という意識を持っている。しかし「オ
>ファーがあっても(相手から)年齢を聞かれて、答えると『じゃあ、この話は……』と断
>られてしまう」ことを2008年2月の『徹子の部屋』出演時に語っている。


『映画俳優 池部良』 P.91
>池部 僕は、当時、俳優という仕事を男子一生の仕事にしようなんて思っていなかっ
>たし、俳優としてうまくやっていける自信もなかったんです。監督になりたい人間が
>俳優をやっているんですから、気持ちの上で矛盾だらけの生活をしていたんですよ。
>だから、出ろと言われれば、何でもかんでも出演していた。俳優冥利に尽きるんだ
>けど、一年の間に何本も出された。それこそ休む暇もないくらいね。
> ところが、ふと考えたら、どの映画も二枚目だのつっころばしだのと言われてばかり
>で、嫌気がさしちゃったんだね。それで、俳優を辞めようと思ったんだけど、辞める前
>にひとつ自分でも気に入ったものをやってみたいと思って。それで、アメリカのドライ
>サー(Theodore Dreiser)という小説家の「アメリカの悲劇」を学生時代に読んだこと
>を思い出して、ああこれを日本語版にしてみたいなと思った。ところがそれを会社に
>出したら、にべもなくダメだと言うんだ。そんな人気ない本で映画なんか作れるはず
>がない、だいたいアメリカのものを日本に変えるのはおかしいじゃないか、と折角
>出した企画がボツにされちゃった。
> 本当に困ったなと思った。そんなときに松竹から台本を持ったお使いが来た。この
>台本が猪俣(勝人)さんの『現代人』という台本なんだけど、読んだらまあ……。
>「アメリカの悲劇」とは全然違うんだけど、社会的なテーマがあって、出てくる人間が
>とても面白くて、なるほどと思う人物が描かれていた。僕のやった男は、利己主義
>とは異なる個人主義を備えた人物だったんですね。だから、すごく面白く感じて、
>早速飛びついた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Gendaijin.jpg でも参照できる『現代人』の
スクリーンショットは、『映画俳優 池部良』という本の表紙にも採用されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/池部良
>その後は1950年に新東宝の『暁の脱走』、1952年に松竹の『現代人』と他社の作品
>にも出演。特に『現代人』では池部がそれまでの二枚目スターから演技派俳優として
>最初に認められるようになった作品であった。
>『坊っちゃん』(1953年、岡田茉莉子共演、丸山誠治監督)、『雪国』(1957年、岸惠
>子共演、豊田四郎監督)、『暗夜行路』(1959年、山本富士子共演、豊田四郎監督)
>などの多くの文芸作品で翳のある青年を好演し、文芸路線や都会派映画に欠かせ
>ない二枚目スターとして君臨した。
>1960年代に入ると徐々に脇役に転じたが、1964年に主演した『乾いた花』(篠田正
>浩監督)でのヤクザ役が評判となる。


「“人生、ままにはならない”という諦念の顔」というのも池部良にはそぐわない話で、
諦念に支配されていたような人は、「アメリカの悲劇」の日本語版を映画にしたらどうか
などという企画を会社に出したりしないと思う。後に、「原作を読んだ池部良が東宝に
企画を提出し、映画化が実現したという」 (『映画俳優 池部良』 P.361) 『トイレット部長』
(1961 年) という作品もある。


だいたい、唐沢俊一の“追討”文章では、「代表作がことごとく意に染まない出演」と
いいながら、その例としてあげているのは、『青い山脈』、『昭和残侠伝』シリーズ、
『妖星ゴラス』のみだというのも首をひねる話で、『現代人』も、『坊っちゃん』、『雪国』、
『暗夜行路』といった文芸路線も、『乾いた花』も、果ては唐沢俊一自身が「代表作
(最高傑作であろう」とか書いたばかりの『暁の脱走』も、まるでなかったことのように
されて、「代表作がことごとく」となっているのも問題ではないかと思う。

Wikipedia と池部良本人のサイトのプロフィール、どちらか片方だけでも目を通していた
ならば、『暁の脱走』よりも後、『昭和残侠伝』シリーズよりも前の作品をいっさい無視
して、「代表作がことごとく」とは、なかなか書けないと思うのだが……。

http://www.dongyu.co.jp/profile/RyoIkebe/movie.html
>■1988年
> 「青い山脈88’」 斎藤武市監督
> 「海へ ?See You-」 蔵原惟繕監督
>■1986年
> 「植村直巳物語」 佐藤純彌監督
>■1984年
> 「MISHIMA」 ポール・シュレイダー監督
> 「ザ・オーディション」 新城卓監督
>■1983年
> 「小説 吉田学校」 森谷司郎監督
> 「居酒屋兆冶」 降旗康男監督
>■1980年
> 「駅 -STATION」 降旗康男監督
>■1967~1973年
> 「昭和残侠伝シリーズ」
>■1964年
> 「乾いた花」 篠田正浩監督
>■1959年
> 「暗夜行路」 豊田四郎監督
>■1957年
> 「雪国」 豊田四郎監督
>■1952年
> 「現代人」 渋谷実監督
>■1950年
> 「暁の脱走」 谷口千吉監督
>■1949年
> 「青い山脈」 今井正監督


前エントリーの件ともカブるのだけど、唐沢俊一が素でボケているのか、思いつきを
押し通して書くために都合の悪い (?) 作品の存在にあえて目をつぶりながら書いて
いるのかは、観測者側からは区別がつかない。


それと、「意に染まない出演であった」、「人生のもともとでの食い違いによるのかも」、
「あの顔は“人生、ままにはならない”という諦念の顔」で「辛気臭い顔」というのは、
まるで池部良が嫌々ながら演じていたから、それが表情にも出てしまったといわん
ばかりの失礼な記述だと思うが、唐沢俊一本人が「『青い山脈』(49)の頃は知らず」
と書いているくらいだから、「意に染まない出演」と「辛気臭い顔」とは必ずしもリンク
しないと、唐沢俊一自身も認めていたことになるのだろう。

そもそも、『青い山脈』や『昭和残侠伝』シリーズを、「意に染まない出演であった」と
まとめてしまってよいものかどうかも微妙。

『映画俳優 池部良』 P.54 ~ P.55
>――次は『青い山脈』についてお聞きしたいと思います。『青い山脈』は、原作者の
>石坂洋次郎さんが六助役に池部さんを指名されたそうですね。石坂洋次郎さんの
>奥様が池部さんのファンだったということで。

>池部 まあ、ファンといえるかどうかわからないけど……。僕はもちろん知らなかった
>んだけど、石坂先生ご夫妻が「三田文学」で小説を書きたいというんで、弘前から
>初めて東京に出てきたときに、大森へ住まわれていたの。そしたらその近所に、僕の
>家があったのね。毎日暮らしているうちに、毎朝、こんなちっちゃいめらしっこい(格好
>良く可愛い)男の子がランドセルを背負って小学校に通うわけ。それが僕だったの。
>めらしっこいなんて、僕の口から言うのは気が引けるんだけど。それで『青い山脈』を
>やるときに、「池部良があのときの可愛い少年だ。ならば、六助はあの子に決めた」
>という経緯があって。六助をやるときには、僕の年はもう三十一かな。それで十八歳
>の少年をやるわけじゃない。少年のときのことなんか覚えてないから、「勘弁してく
>れ」と言ったら、プロデューサーが「良ちゃんでなければダメだと石坂先生がおっしゃ
>ってる」と。そのお話だけだったらいいんだけど、「もし六助を僕にやらせないなら、
>映画化権は渡さない」とおっしゃっていると言うの。「だから、出てくれよ」と。つまり、
>俳優として見込まれていたってわけじゃなくて、やむを得ず出ちゃったという感じ
>だな。


しかし、「僕の年はもう三十一かな。それで十八歳の少年を」、「勘弁してくれ」という
のを、撮影に入ってからも引きずっていたようなことを、池部良が述べているわけでも
ない。

また、彼が主役でないと「映画化権」をもらえないという話は、『暗夜行路』のときにも
出てきて、このとき池部良は映画化権をもらうために積極的で、志賀直哉のところに
自ら挨拶に出向いていたりする。唐沢俊一の定義する代表作には入っていないかも
しれないが、『暗夜行路』 (1959 年) もまた、池部良の代表作のひとつと扱われること
が多いのは、前述の通り。

『映画俳優 池部良』 P.127 ~ P.128
>――『暗夜行路』の映画化も、池部さんじゃないと了解しないという感じだったんです
>よね。

>池部 その前に色々と交渉があったらしいんだけど、プロデューサーが「良ちゃんが
>行けば、オッケーしてくれるよ。行ってきてよ」と言うから行った。当然、ダメだと思った
>んだよね。僕が直接志賀先生に、「『暗夜行路』をやりたいとプロデューサーが言って
>いるんですけど、どうでしょうか。映画化権をいただけますか」と申し上げた。そうし
>たら「いいですよ、但し、池部君、君が謙作をおやりになるんだったらいいです」、
>「それは身に余る光栄です」となって、映画化権をもらってきた。


一方、『昭和残侠伝』の方は、「日本映画俳優協会代表理事であった池部は映画俳優
と暴力団との完全絶縁を表明」 (この時点では「日本映画俳優協会理事長」ではない)
した都合もあってか、出演には最初だいぶ抵抗があった様子。

http://ja.wikipedia.org/wiki/池部良
>1965年、映画俳優(石原裕次郎、里見浩太郎、山城新伍ら)が暴力団のために拳銃
>を密輸していたことが明るみに出た。警察庁は芸能興行関係者に暴力団との腐れ縁
>を絶てと強い調子で警告。同年2月22日、日本映画俳優協会代表理事であった池部
>は映画俳優と暴力団との完全絶縁を表明した。
>同年9月、東宝を離れ池部プロダクションを設立。自ら映画を企画しストーリーを書く
>ようになるが、1967年に1億円の負債を抱え倒産。
>一方同年、東映より高倉健主演の『昭和残侠伝』(1965年)の出演を依頼されたが、
>妻が強く反対し、当初は断っている。しかしプロデューサー俊藤浩滋による再三の
>申し入れもあり、妻を説得するために「ポスターに名前や写真を出すときは小さくする
>こと、刺青は入れないこと、毎回死ぬこと」を条件として、引き受けた。公開された
>『昭和残侠伝』はヒットし、池部もシリーズを支えていく。なかでも『昭和残侠伝 死ん
>で貰います』(1970年)で池部演じる風間重吉がクライマックスで高倉に語る「ご一
>緒、願います」は流行語となった。
>1983年より2009年まで、日本映画俳優協会理事長を務める。


『映画俳優 池部良』 P.145 ~ P.146
>池部 最初は抵抗がありましたね(笑)。今まで、文芸作品中心でずーっとやって
>きたでしょ。しかも、東宝はサラリーマン社会だから、義理人情とかなんとかはない
>んだよね。なんとなくやり取りが空々しい、そういう中で育ってきたものだから……。
>それから、当時はそういう映画に出てしまったら、俺はもうお終いかなと思っていた
>んだよ。だけど、勧め上手というのか、説得力があったというのかな。俊藤(浩滋)
>さんというプロデューサーが、「池部さんがいないとこの映画はできませんで」なんて
>うまいこと言うから、すっかりほだされてね。「僕がいなくたって大丈夫でしょ」と言う
>と、「いやあ、そんなことありまへん。高倉健なんてのは出たてで、本当にホヤホヤ
>ですから。ひとつあれの支えになっていただけませんか。お願いしますわ」と、頭を
>下げられて。畳の上に頭をこすりつけるんだよ。そんなことは東宝でされたことない
>からね。東宝は本当に冷たい会社だから。
> それで、まあ出たんだけど……。一、二本出てから、面白くなってきた。話が単純
>だし、時代映画そのものじゃないんだけど、半時代映画的なんだよ。段々型を作って
>いく、この面白さがある。それから、俊藤さんが言われた「日本人の、女性は入れ
>ないけど、原型っていうのはこういうところにあるんですよ。義理と人情、これですよ」
>ということ。これは非常に面白い。義理人情を色々と敷衍していくと、なるほどと思う
>ところがあるからね。『昭和残侠伝』シリーズは、オーバーに言うと自由主義みたい
>なものを描こうとしている。自由主義というのは、ある枠があって、その枠の中で自由
>に生きていくということが必要なんですよ。だから、枠のない自由主義というのはあり
>得なくて、その枠がなかったら、放埒というか、デタラメになってしまう。まあ、やくざ
>的な義理人情だけを基にして生きていたら、ちょっとおかしくなっちゃうけれども。
>そんなこんなで、やっている間に面白くなって、九本撮ったのね。


「池部さんがいないとこの映画はできませんで」という類いの口説き文句には、ほだされ
やすいタイプなのかなとも思わせるし、それだけ熱心に望まれる俳優であったということ
は、本人も誇りに思っていたフシもある。逆に、唐沢俊一はそこら辺を、わざと無視して
いるフシがあるのだが。

このようにして出演した作品自体への評価が好意的であるのは、『青い山脈』と『昭和
残侠伝』シリーズに、共通しているかのように思える。

これが特撮シリーズとなると、唐沢俊一の書いている「『妖星ゴラス』(62)をはじめと
する特撮シリーズも、実は嫌々の出演」というのが、かなりあたっているような感じと
なってしまう。

『映画俳優 池部良』 P.181
>――特撮映画の代表作に出ていらっしゃいますよね。『妖星ゴラス』だとか『宇宙大
>戦争』だとか。どちらも主役で出ていらっしゃいます。

>池部 ひどくみっともないんだよ。

>――特撮映画に対して距離を置いていらっしゃる理由はあるのでしょうか。

>池部 はっきり言うと、要するに俳優の出番がないんだよ。あれだけ俳優がいるんだ
>けどね。なんとか博士、なんとかパイロット、というだけの話であってね。その博士が
>「ああでもない、こうでもない」という気持ちをこねまわす類の映画じゃない。ストーリ
>ーの九十%は特撮で、俳優じゃないから。



(潮健児関連については、別エントリーでやる予定)。
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Comment

# お名前以外は公開でよいですよね。

>今にはじまったことじゃないですが、ここまで不愉快な訃報も珍しい。
>故人になにか怨みでもあるのかな。
>先日、近所で偶然手にした婦人週刊誌の瀬戸内寂聴さんの池部良さんと
>清川虹子さんを交えた思い出話は素敵でした。
>それだけに冷水浴びせられた気分。

「故人になにか怨みでもあるのかな」に「冷水浴びせられた気分」には激しく同意です。

実際にアップされた文章を読むまでは、池部良氏相手には“追討”ではなく追悼をやるんでないの? と甘いことを考えていたので、読んで結構驚きました。

『星を喰った男』の出版にあたって何か叱られたか、芸術家の家庭に生まれ二枚目でプロデューサーみたいなこともあって文才もあってというあたりに嫉妬のツボをつかれまくったか……。
トンデモない一行知識 |  2010年12月30日(木) 20:50 |  URL |  【コメント編集】

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 |  2010年12月29日(水) 22:21 |   |  【コメント編集】

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