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2010.12.22 (Wed)

50 年代だって、怒れる若者にスウィンギングだったイギリス?

http://www.tobunken.com/news/news20101217162755.html

イベント
2010年12月17日投稿
輝きを見せた男 【訃報 クライブ・ドナー】
〈略〉
IMDbでも、70年代以降の彼の作品で評価が高いものは
ほとんどない。評価としてはアルチザン的に、コメディであれ
SFであれファンタジーであれ、来た仕事は無難にこなす
B級監督といった感じであろう。

だが、クライブ・ドナー(アメリカの映画監督リチャード・ドナーと
混同しないこと)が光り輝いていた時代というのがあったので
ある。彼の才能は、スウィンギング60’sと密接につながって
飛躍していた。逆に言うと、ビートルズを頂点とする60年代
ロンドンの文化潮流が止んだとき、クライブ・ドナーもまた
その才能の輝きを失ったのである。

軍隊生活を終えて映画業界に飛び込んだドナーがまず足を踏み込んだ
のはフィルム編集の世界で、名匠デヴィッド・リーンのもとで
アルバイトをしていた。50年代半ばにはすでに監督として
デビューし、『少年は知っていた』(57)はビビッドな思春期の
少年心理とミステリ趣味をうまく組み合わせたサスペンスとして
評価される。
しかしイギリス映画は50年代末にハリウッド映画におされて
衰退、映画を作れなくなったドナーはしばらくテレビの世界に身を投じ、
雌伏の時期を過す。刑事ものから歴史ドラマまで“何でも撮れる”
器用さはここで身につけたのだろう。

やがて、イギリス映画が息を吹き返すのは60年代に巻き起こった
“怒れる若者たち”ムーブメント。マルコム・マクドウェル、
デヴィッド・ヘミングス等、一癖ありそうなヤング・スターたちが
社会問題を扱った問題作で一躍スターの座に踊り出で、そして、
それに『ヤア!ヤア!ヤア!』『ナック』『僕の戦争』の
リチャード・レスター監督が、ブリティッシュ・ポップスタイルの
軽みで対抗した。『ヤア!ヤア!ヤア!』には“ビートルズが
やってくる!”、『僕の戦争』には“ジョン・レノンの”と邦題で
つくことでもわかるように、レスターはビートルズのメンバーを
映画に起用し、世界的人気を得、イギリス映画の商業的価値を
一躍高めた。

こういう波の中、アメリカで『欲望という名の電車』『七年目の浮気』
などを手がけていたプロデューサー、チャールズ・K・フェルドマン
がイギリスに乗り込み、大金をかけてブリティッシュ・ポップの
決定版映画を作ろうと考えたのも、時流から言ってまっとうな
判断であった。フェルドマンは脚本にはアメリカからつれてきた
筆も立つ新人コメディアン、ウディ・アレンを起用し、出演もさせ、
イギリス映画界からはピーター・オトゥール、ピーター・セラーズ
の二大人気スターを主演に迎えて、さらに人気のブリティッシュ・
シンガー、トム・ジョーンズにバート・バカラック作曲の主題曲を
謳わせるという豪華版映画を企画した。
それが『何かいいことないか子猫チャン』(1965)

http://www.youtube.com/watch?v=G2iaE_pdh_8

そして、監督に起用されたのがクライブ・ドナーだったのである。


×『ヤア!ヤア!ヤア!』 ○『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』
×『僕の戦争』 ○『ジョン・レノンの僕の戦争』

「60年代に巻き起こった“怒れる若者たち”ムーブメント」というのには、少し引っかか
りを感じた。「怒れる若者たち」は、「1950年代に登場したイギリスの若手作家たちの
ムーブメント」と定義されているため。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=怒れる若者たち&dtype=0&dname=0na&stype=0
>いかれるわかものたち【怒れる若者たち】
>《 Angry Young Men 》1950年代に登場した英国の作家の一群に与えられた称。
>ジョン=オズボーンの、社会に抵抗する青年たちを描いた戯曲「怒りをこめてふり
>返れ」(1956年)による。ほかに、コリン=ウィルソンやアラン=シリトーらがいる。


http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%DC%A4%EC%A4%EB%BC%E3%BC%D4%A4%BF%A4%C1
>怒れる若者たち
>ジョン・オズボーン?の戯曲「怒りをこめて振り返れ」(LOOK BACK IN ANGER)という
>タイトルにちなんで、1950年代に登場したイギリスの若手作家たちのムーブメント。
>同時期のアメリカではビート・ゼネレーションの運動が起きていた。


似ているようで違う――失われた世代と打ちひしがれた世代」のロスト・ジェネレー
ション問題再び――かとも思ったが、どうも映画の世界では、“怒れる若者たち”は
主に 1960 年代ということになっているようなので、これは間違いにはカウントしないと
して。

http://www.amazon.co.jp/dp/B0002E4FPU
>遥かなる戦場 [DVD]
〈略〉
> 1850年代のはじめ、イギリスのカーディガン子爵(トレヴァー・ハワード)率いる第11
>騎兵隊に配属されたノーラン大尉(デイヴィッド・ヘミングス)は、ささいなことから子爵
>と衝突を繰り返し、睨まれていく。やがてイギリスはフランスと連合してクリミア半島
>へ出陣し、ロシア軍とエクレバの地で激突するのだが…。
> 1854年に始まるクリミア戦争。その中でも最も過酷な戦いとなったエクレバの戦い
>をクライマックスとする、壮大かつスキャンダラスな戦争大作。監督は、1960年代英
>国“怒れる若者たち”世代の代表格トニー・リチャードソン。


http://ruccodvdlabel.blog96.fc2.com/blog-entry-420.html
>カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。英国フリーシネマ運動の旗手、リンゼイ・
>アンダーソン監督が、封建的な全寮制学校に対して反旗を翻す、怒れる若者たちを
>描いた衝撃作!

>世界中で学生運動の気運が高まっていた1960年代後半。騒然とした時代の空気を
>吸い込みつつ、怒れる若者たちのアナーキーな姿を鮮烈なタッチで描き、本作の撮
>影直後、パリで学生を中心に起こった《68年5月革命》をいち早く先取りすることにも
>なった、衝撃の学園ドラマだ。5月革命の真っ只中で1968年のカンヌ国際映画祭は
>開催中止。そして翌69年、再開後最初のカンヌでパルムドールを見事受賞した。反
>抗的な主人公を不敵に演じるのは、後に「時計じかけのオレンジ」「カリギュラ」など
>でも怪演を披露するマルコム・マクダウェル。


(マルコム・マクドウェル主演の『カリギュラ』については、前エントリーを参照のこと)。

しかし、「マルコム・マクドウェル、デヴィッド・ヘミングス等、一癖ありそうなヤング・
スターたちが社会問題を扱った問題作で一躍スターの座に踊り出で、そして、それに
『ヤア!ヤア!ヤア!』『ナック』『僕の戦争』のリチャード・レスター監督が、ブリティッ
シュ・ポップスタイルの軽みで対抗」というのは、唐沢俊一の得意な時空歪ませでは
ないかと。

マルコム・マクダウェルのデビューは 1967 年で、怒れる若者の映画『If もしも.... 』は
1968 年。デヴィッド・ヘミングスのデビューは早かったが、ブレイクしたのは 1966 年で
怒れる若者の『遥かなる戦場』はやはり 1968 年。『ビートルズがやって来る ヤア!
ヤア!ヤア!』の 1964 年、『ナック』の 1965 年、『ジョン・レノンの僕の戦争』 1967
年よりも後のことだし、何より肝心のクライブ・ドナー『何かいいことないか子猫チャン』
が 1965 年なので……これで「こういう波の中」とかいわれても困るような気が。

http://ja.wikipedia.org/wiki/マルコム・マクダウェル
>1967年にケン・ローチの『夜空に星のあるように』で映画デビュー。
〈略〉
>If もしも.... If.... (1968)


http://ja.wikipedia.org/wiki/デヴィッド・ヘミングス
>1954年にデビューしたものの、B級作品への出演が続く。1966年、ミケランジェロ・
>アントニオーニの『欲望』に主演してブレイク。
〈略〉
>遥かなる戦場 The Charge of the Light Brigade (1968年)


http://www.weblio.jp/content/ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!
>ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!
>原題: A Hard Day's Night
>製作国: イギリス
>製作年: 1964


http://ja.wikipedia.org/wiki/ナック_(映画)
>『ナック』(なっく 原題:The Knack ...and How to Get It)は1965年のイギリス映画。

http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=8950
>ジョン・レノンの僕の戦争 (1967/英)
>How I Won the War


思うに、「リチャード・レスター監督が、ブリティッシュ・ポップスタイルの軽みで対抗」、
そして、「こういう波の中」で『何かいいことないか子猫チャン』とか続けたかったのなら、
マルコム・マクダウェルやデヴィッド・ヘミングスではなく、アラン・シリトー原作の映画
あたりを、「“怒れる若者たち”ムーブメント」の例としてあげるべきだったのではないか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アラン・シリトー
>シリトーの文壇への登場は、『怒りをこめてふりかえれ』のジョン・オズボーン、『ラッ
>キー・ジム』のキングスレー・エイミス、『急いで駆け降りよ』のジョン・ウェインなど、
>「怒れる若者たち」(Angry Young Men)と呼ばれる一派と時を同じくしていたため、
>そのメンバーの一人と見なされることが多い。
〈略〉
>代表作『長距離走者の孤独』『土曜の夜と日曜の朝』は、1959年、1960年に映画化
>され、いずれもアカデミー賞などを賑わせた。


ただし、「1959年、1960年」の作品を引き合いに出したら出したで、今度は「イギリス
映画は50年代末にハリウッド映画におされて衰退」、「やがて、イギリス映画が息を
吹き返すのは60年代に巻き起こった“怒れる若者たち”ムーブメント」との整合性が
取りにくくなるという問題が出てくるけど。

そして、一番、何だかなあと思うのは、そもそも「60年代に巻き起こった“怒れる若者
たち”ムーブメント」とやらは、今回の記事の一応主役であるはずのクライブ・ドナーと
直接的な関係はあまりないんじゃないかということ。唐沢俊一が言及しているのは、
「怒れる若者たち”のデヴィッド・ヘミングス主演 でイギリス映画としてはかなり大規模
な歴史アクション『アルフレッド大王』 を撮ったりもした」くらいしかなくて……。


で、2ちゃんねるのスレでも話題になった、『ヤア!ヤア!ヤア!』とか唐沢俊一は
書いているけど、原題は A Hard Day's Night だよ……という問題について (Read More
参照)。

「『ヤア!ヤア!ヤア!』には“ビートルズがやってくる!”、『僕の戦争』には“ジョン・
レノンの”と邦題でつくことでもわかるように」も何も、邦題はそれぞれ『ビートルズが
やって来る ヤア!ヤア!ヤア!』に、『ジョン・レノンの僕の戦争』なのだから、唐沢俊一の
書いていることは変。

原題はそれぞれ『A Hard Day's Night』に『How I Won the War』であり、つまり『ヤア!
ヤア!ヤア!』も『僕の戦争』も、原題の片仮名表記でもなければ直訳でもないのだ。

http://www.amazon.co.jp//dp/B00005QBRN
>『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』の邦題で、1964年に日本で初公開された
>ビートルズのスクリーンデビュー作。30年以上の時を経ても、変わらぬ新鮮さを保ち
>続ける音と映像を、デジタルリマスターにより高品質化したリニューアル版。


http://www.amazon.co.jp/dp/B00009AUVK
>ジョン・レノンの僕の戦争 [DVD]

http://en.wikipedia.org/wiki/How_I_Won_the_War
> How I Won the War is a black comedy film directed by Richard Lester, released
> in 1967.


それに「邦題でつく」のは「ビートルズがやって来る」で、“ビートルズがやってくる!”
ではないし。あと、個人的に『ヤア!ヤア!ヤア!』に違和感があるのは、『ヤア!
ヤア!ヤア!』は水野晴雄がいた日本ならではの表記だというせいと、『ビートルズ
がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』の、『ビートルズがやって来る』の方を削除して『ヤア!
ヤア!ヤア!』だけ残すのか、逆ならまだわかるけど、と思ってしまうせい。

アルバムジャケットとか、『ビートルズがやって来る』の方を大きめの活字で印刷して
いるものが多いようなので。

http://www.ld-dvd.2-d.jp/gallery2/hikaku_hardday.html
http://www.ld-dvd.2-d.jp/gallery2/image/hardday_img/hardday_j_ld2.gif

http://yojimbonoyoieiga.at.webry.info/200806/article_2.html
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/981/16/N000/000/000/yayaya-lpjpn.jpg

http://no--bad.blog.so-net.ne.jp/2010-11-07
https://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_2e2/no_bad/A20Hard20Day's20Night-4.jpg

http://plaza.rakuten.co.jp/696900/diary/200909100000/
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Percussion/3270/image/BEATodeon02.jpg


それより問題は、唐沢俊一は「ビートルズを頂点とする60年代ロンドンの文化潮流が
止んだとき、クライブ・ドナーもまたその才能の輝きを失った」、「レスターはビートルズの
メンバーを映画に起用し、世界的人気を得、イギリス映画の商業的価値を一躍高めた」
とビートルズについて長々と言及しているが、冷静に考えてみると、ビートルズもまた、
クライブ・ドナーとは直接的な関わりがあまりないんじゃないかなあということ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/何かいいことないか子猫チャン
>『何かいいことないか子猫チャン』(なにかいいことないかこねこちゃん、原題:What's
>New,Pussycat?)は、クライヴ・ドナー監督による1965年製作のコメディ映画。
>ウディ・アレンが脚本・出演を兼ね、類稀なる艶笑コメディに仕上がっている。トム・
>ジョーンズの歌う主題歌も有名。


http://www.sound-affects.co.uk/?eid=50
>何かいいことないか子猫チャン WHAT'S NEW PUSSYCAT? (1965)
>1965年制作 イギリス映画
>監督:クライヴ・ドナー
>脚本:ウディ・アレン
>出演:ピーター・セラーズ、ピーター・オトゥール、ロミー・シュナイダー、ウディ・アレ
>ン、ウルスラ・アンドレス、キャプシーヌ他

>時はスウィンギン 60's。所は花の都パリ。Dr.フリッツ・ファスベンダーは自称パリで
>No.1の精神分析医だがその実かなりテキトーで女好き。そんなドクターのところに、
>光線の具合ですごくハンサムに見えるらしく出会う女性みんなから誘惑されてしまう
>モテモテのファッション雑誌編集長マイケルが相談にやってきた。


2ちゃんねるのスレでは、「スウィンギング60’s」ってありなのか、「スウィンギング・
ロンドン」じゃないのかと話題になったけど (Read More 参照)、想像でしかないが
唐沢俊一はもっぱら「スウィンギング60’s」でググって、「スウィンギング・ロンドン」
ではあまり検索していないから、本来クライブ・ドナーとはそんなに関係ないビートルズ
の記述が多めになってしまったのかも。

http://www.oi-bijutsukan.com/item-0810111.html
>60年代のファッション『スウィンギング60sファッションスタイル/Swinging 60' Fashion
>Style』


http://music.goo.ne.jp/cd/DVDORID652199-1/index.html
>ザ・スウィンギング 60’S ザ・ビートルズ - ザ・ビートルズ

http://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA463066/
>「ザ・スウィンギング 60'S ザ ローリング ストーンズ」

または、「スウィンギング・ロンドン」だと 1950 年代も入ってしまう可能性があるので
避けたのかも。「イギリス映画は50年代末にハリウッド映画におされて衰退」と主張
するのに、ちょっと都合が悪いから……とか。

http://d.hatena.ne.jp/petsounds/20100731/1280594187
>北浦和の埼玉県立近代美術館で「スウィンギング・ロンドン 50's-60's」。モッズも
>含め、当時のロンドンの文化を紹介する企画は珍しものではありませんが、ジミー・
>ペイジのギターや衣装が見られるというところが目玉なのでしょうか。




More...

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1291896477/
-------
482 :無名草子さん:2010/12/18(土) 01:32:39
「ニューシネマ」を間違えてとらえてるのは、
「われわれ」の中でもひとりだけなんである。

483 :無名草子さん:2010/12/18(土) 01:38:20
こんなアホウに追討されるとは、アーサー・ペンもやりきれまい。

484 :無名草子さん:2010/12/18(土) 01:45:21
新東宝に関してもなんとも・・・なんである。

485 :無名草子さん:2010/12/18(土) 01:49:55
大学出のインテリは嫌いなんである。

ちなみにハロルド・グールドなんてあんまり知らないのがバレバレなんである。

486 :無名草子さん:2010/12/18(土) 01:58:12
60年代のスウィンギング・ロンドンの認識がすさまじくズレまくりて唖然。。。

実は「R.I.P.」も。何の略語か知らないんである。

487 :無名草子さん:2010/12/18(土) 02:13:04
イギリス史なんて知らないのがバレバレなんだから書くな!
「ブリティッシュ・ポップ」も「怒れる若者たち」も、
リチャード・レスターに関する文章も。すべてめちゃくちゃ。

そもそもクライヴ・ドナーなんて興味なかったくせに、追討が勘違いしまくりでひどすぎ!
たぶん唯一見たと思われる「何かいいことないか子猫チャン」についての文も最低。


だいたい「スウィンギング60’s」ってなんだよ・・・聞いたことねえし。


「われわれ映画ファン」なんてぬかすんじゃねえよ。

488 :無名草子さん:2010/12/18(土) 04:13:20
>所詮私はアメリカン・ニューシネマで
映画にハマった人間なのである

え、そうなの??空沢がアメリカン・ニューシネマにハマったの??

音楽に関しての無知無関心っぷりからしてないだろこれは。
ステッペン・ウルフも知らないはず。

494 :無名草子さん:2010/12/18(土) 09:14:35
>>488
>ステッペン・ウルフ

「あー、アッタアッタ」

531 :discussao:2010/12/19(日) 11:07:11
>>487

>だいたい「スウィンギング60’s」ってなんだよ・・・聞いたことねえし。

いや、よく聞くよ。唐沢サンじゃないんだから、決めつける前に一回は調べよう。

532 :無名草子さん:2010/12/19(日) 11:28:53
>>487ではないけどググってみた。
http://www.oi-bijutsukan.com/item-0810111.html
うーんと、オサレ系?

533 :discussao:2010/12/19(日) 12:17:15
Swinging 60'sっていうと、60年代中期のロンドンを中心にした風俗全般を指すのでは?
特にファッションと音楽についてで、Swinging Londonと意味は同じでしょ。
(60年代の)ロンドンという「場所」についての話しか、60年代という「時代」についての話かの違いだけで。

534 :無名草子さん:2010/12/19(日) 13:09:07
にたにた笑っている人。

え? 私のことですよ。

535 :無名草子さん:2010/12/19(日) 14:20:26
>>532
うん、オタには無縁の言葉。

それよか
>『ヤア!ヤア!ヤア!』には“ビートルズが
>やってくる!”~と邦題でつくことでもわかるように、

「ヤア!ヤア!ヤア!」も邦題で、原題が「A Hard Day's Night」なのは
基本的すぎてつっこむのも馬鹿らしいから誰も触れないのか?

536 :無名草子さん:2010/12/19(日) 14:23:38
ファッション業界の後付け用語っぽいね。
唐沢的には守備範囲外のいちばん遠いところ。

537 :無名草子さん:2010/12/19(日) 15:18:39
>>535
まさか Yeah! Year! Year! が原題と思っているわけではないよねまさかと
触るのを怖がっている

538 :無名草子さん:2010/12/19(日) 16:30:49
http://www.tobunken.com/news/news20101219114940.html

> ……しかし、『ハスラー』誌の栄華も長くは続かなかった。
> より過激さを、過激さをと追求していって、すぐに行き詰まってしまった
> のである。このエロ業界の行き詰まりは、日本でも80年代にパラレルに
> 起った。ヘアヌード全盛時の某出版社の、やたけたに金をかけた忘年会に、
> 冒頭で名前を出した立川談志がゲストで招かれ、こう挨拶した。
> 「……ここまで見せて、あとはどうすンのかね? え? 内臓でも見せるの?」
> そう、エロ資源というのは、すぐに枯渇してしまうのである。
> ヘアヌードバブルが崩壊したのはこのパーティの翌年くらいだった。


「このパーティ」が何年のことか知らないけれど、80年代じゃないよね?

樋口可南子の「ウォーターフルーツ」、宮沢りえの「Santa Fe」がいずれも1991年。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Santa_Fe

> 発売当時はヘアヌード(陰毛を修正せずに写しているヌード)が日本では
> 黙認されはじめたばかりであり、発売1ヶ月前に全国紙にヌード写真の入っ
> た全面広告が掲載されたこともあって、発売前から話題を呼び、社会現象
> ともなった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%89

> 1980年代、末井昭編集の雑誌『写真時代』(1981年-1988年)では荒木経惟
> らによるヌードを掲載したが、時々陰毛が写っている事があり警視庁に呼び
> 出されては注意を受けていた。


テンテーの80年代の記憶はまさにパラレルワールド。

539 :無名草子さん:2010/12/19(日) 16:34:51
「オースティン・パワーズ」や「ぱにぽにだっしゅ!」のOPみたいに
おサイケがぐるぐる回ってるアレならやっぱり「スウィンギング・ロンドン」だよなあ。

540 :無名草子さん:2010/12/19(日) 17:08:03
>>538

パーティって、「ナイタイ」の忘年会のことじゃないかな?
団鬼六とか談志師匠とかやたら来ていた記憶が。
たしか1997年くらいだったと思う。

541 :discussao:2010/12/19(日) 19:54:51
>>535
>うん、オタには無縁の言葉。

http://www.youtube.com/watch?v=sgO5zBMBRs0
http://www.beat-net.info/rollingstones/swinging60s.html
http://www.store-mix.com/ko-bai/product.php?pid=1083836
http://heartbeatmoments.webs.com/swinging60s.htm
http://www.dailymotion.com/video/x1kexb_y-swinging-sixties-y_people
など参照。Swinging LondonとSwinging 60'sが同じものを指すのは同前。
60年代中期のロンドン・サブカルチャーが「小汚いオタク」と隔絶したオシャレな大衆文化
だという意味なら「オタには無縁」なんだろうが、例えばその頃のビートルズやストーンズも
この範疇に入っているので、「無縁」と言い切れるかどうか難しいところ。

>>535
>「ヤア!ヤア!ヤア!」も邦題で、原題が「A Hard Day's Night」なのは
基本的すぎてつっこむのも馬鹿らしいから誰も触れないのか?
ドイツ盤が『Yeah! Yeah! Yeah! (A Hard Day's Night)』 、
ウルグアイ盤が『Ye, Ye, Ye!』、ブラジル盤が『Os Reis Do I?, I?, I?!』
(ブラジルでは一時ロックという音楽をイエー・イエー・イエーと呼んでいた)
ので、原題とは違うけれど「ヤア!ヤア!ヤア!」でもいいんじゃね?堅いこと言うなよ、という気持ちはある。
それより『HOW I WON THE WAR』に『ジョン・レノンの僕の戦争』という邦題が定着したのってかなり後のことで、
邦題がリアル・タイムな商業貢献をしたことはないでしょ?

542 :無名草子さん:2010/12/19(日) 20:01:18
渡部猛さんの「追討」をやるんだろうな、テンテーは。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%83%A8%E7%8C%9B

543 :デューの字:2010/12/19(日) 21:38:58
>ドイツ盤が『Yeah! Yeah! Yeah! (A Hard Day's Night)』 、
>ウルグアイ盤が『Ye, Ye, Ye!』、ブラジル盤が『Os Reis Do I?, I?, I?!』
>(ブラジルでは一時ロックという音楽をイエー・イエー・イエーと呼んでいた)
>ので、原題とは違うけれど「ヤア!ヤア!ヤア!」でもいいんじゃね?堅いこと言うなよ、という気持ちはある。

原題じゃないのなら原題じゃないでしょうが。


544 :無名草子さん:2010/12/19(日) 21:49:12
>上記四谷怪談は新東宝だが、その倒産後東宝に移籍し、またも『四谷怪談』(豊田四郎・65)に
>出演している。もうこの時は30代になっていて、役は佐藤与茂七(平幹二朗)の妻、おそで。与
>茂七が死だと思い込み(実は別人)、その下手人である直助権兵衛(中村勘三郎)の言葉に騙され、
>仇を討ってやると言われて、その代償に直助に身をまかせる。そこに実は生きていた夫の与茂七が
>現われ、与茂七への貞操でわざと彼の刀にかかって死ぬおそで。直助権兵衛も討たれるが、この映
>画での彼は「へ、おそでさんとも契れたし、俺は幸せだ」と笑って死んでいく。確かに、池内淳子
>と寝られたのなら本望だろう、と思えたものだ。

おそでが直助権兵衛に身を任せたのであって、池内淳子が中村勘三郎とセックスしたというわけでは
ないでしょうが。

というか、テンテーは映画の濡れ場はことごとく本番をやってると思ってるのか?
そしてそれが羨ましいとも?

545 :無名草子さん:2010/12/19(日) 22:06:19
演劇の演出や脚本をやってれば女優食い放題と思いこんでる人ですからな

546 :無名草子さん:2010/12/19(日) 23:15:46
周りにいる馬鹿どもも「女優が大きな役を獲得するのは枕営業のおかげ」と思いこんでるらしいしw

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Comment

●テディボーイってんで

すみません、とにかく全部ブライアン・エプスタインのせい……というのは、あちこちでブチあたるのですが、その元となる資料は? となると、うまく探せていません。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016584785
>ビートルズはいつごろまでリーゼントヘアーをしていて、いつごろからマッシュ
>ルームカットになったのでしょうか? 『プリーズ・プリーズ・ミー』のジャケット
>ではリンゴ・スターがまだリーゼントヘアーです。

>当時のイギリスの若者のライフスタイルにロッカーズとモッズがありました。
>(ハードデイズナイトの映画でリンゴが女性からモッズ?ロッカーズ?と質問
>されています^^)

>ハンブルグ時代のビートルズはリーゼントヘア・革ジャンに代表されるロッカーズ
>ファッションでした。

>1961年の末にブライアン・エプスタインがマネージャーについてからモッズ
>ファッションにイメージチェンジしていきます。

>リンゴは1962年8月にビートルズに加入していますが、これはレコーディング
>契約の後でもあってか、彼は後々まで、新参メンバー扱いをされて直になじ
>んでは行けなかったようです。

>『プリーズ・プリーズ・ミー』のリリースされた1963年3月現在では、まだ正式
>メンバー気分ではなかったのかも知れませんね。

デビュー前のビートルズは、ロッカーズというより「テディ・ボーイ」だったという線はありかもしれません。

http://sp-fairy.com/essay16.html
> よく言われることだが、先ほども話題に出たビートルズはデヴュー前と後で
>両方のスタイルを採り入れていた。ビートルズがお好きな方には改めてお話
>することでもないが、彼らは元々リバプールの、テディ・ボーイ気取りの不良
>少年たちだった。憧れはアメリカのロックンローラー、エルビス。そのうえ
>マーロン・ブランドも彼らのお気に入りで、前述の「乱暴者」に出てくる暴走族の
>名前は「BEETLES」だった。当然それっぽい格好を好むようになるわけで、
>デヴュー前、ハンブルク時代の写真などを見ると、髪型こそマッシュルーム・
>カットにシフトしてはいたが、完全なるロッカーズ・ファッションだった。そんな
>ファッションで身を固めて夜通しロックン・ロールを演奏していた、ワイルドな
>バンドだったわけである。ちなみにCAROLは、この頃のビートルズのスタイルを
>採り入れてデヴューを飾ったわけだ。
> ところがマネージャーとなったブライアン・エプスタインのイメージ戦略で、
>彼らはモッズ・ファッションのさわやか系バンドへと変貌を遂げた。ピエール・
>カルダンがデザインしたという、有名な「襟なしスーツ」は別格として、初期の
>ビートルズはまさにモッズ・ルック。ジョンに到ってはモッズ・キャップまで愛用
>していた(このキャップ、一説ではボブ・ディランの影響とも言われていた)。
> 考えてみるとロッカーズがアメリカから輸入されたファッションっぽかったのに
>対して、一方のモッズ・ファッション、いかにもイギリスっぽいスタイルだった。
>まあ、一応イタリアン・ファッションの影響があったらしいが、ベルベット・ラペル
>の襟などというのは、それこそシャーロック・ホームズの時代から着られていた
>ものだ。それに、スーツを着るおしゃれというのも、伝統を重んじるイギリス人の
>発想が大きく反映されているように思うのだが、いかがだろうか。今でも充分
>カッコいいスタイルであるし、冒頭のCMの影響でまたモッズの流行がやって
>くる勢いも感じられる。

で、エドワーディアンとか。だんだん難易度あがってくるような。^^;

http://ronna1210.blog46.fc2.com/blog-entry-39.html
>ピストルズの仕掛け人のマルコム・マクラレンとヴィヴィアン・ウエストウッドが
>ロンドンに出したブティック「LET IT ROCK」は当初テディ・ボーイやロッカーズ
>を相手に江戸ジャケ(エドワードジャケット)やジョージコックスのラバーソール
>を売ってたくさい
>初期のピストルはテッズっぽい格好をしてるけど、テッズの連中はパンクスが
>相当、嫌いだったみたいでジョニーとかしょっちゅう狙われてしばかれてたらしい
>昔のイギリスはすぐ派閥争いが起こるんだよな~、日本の昔のつっぱりと一緒
>だ~
>しかし、テッズがパンクファッションにもたらした影響は大きくスタッズベルトや
>リストバンドはもともとテッズが喧嘩用に武装していたものっぽいビートルズも
>ハンブルグ時代はテッズもしくはロッカーズ調で実に悪そうだ~(ちなみに林檎
>はまだいません、ピートベストさんです)
>でも、マネージャーのブライアンエプスタインに「ダサいからやめろ」と言われ
>て・・・モッズになっちゃいました~かわいい~(ちなみに林檎さんいます)

http://ameblo.jp/londonecko/entry-10574771873.html
>マネージャーになったブライアン エプスタイン氏がおしゃれな人で、特注
>スーツをソホーのダギー ミリンズにオーダーし、髪型もニートにカットさせ、
>イメージをクリーンに仕立てだったビートルズ...
>今は当時のスーツをも再制作していて買えるらしい
>元々はエドワーディアンの襟なしスーツが、モッズに受け継がれ、ビートルズも
>そのスタイルで、ということらしい。ただ、P カルダンがそのスタイルをパリで
>発表して、その影響から取り入れられ始まった..

伝記マンガの方は、なんか皮ジャンにリーゼントのビートルズのメンバーの誰かが、それっぽいバイクにまたがっている絵があったような……くらいしか覚えていないので、ビートルズが本当にバイクを乗り回していたかどうかは怪しいです。(そもそもそのマンガがあてになるかどうかも……)。
トンデモない一行知識 |  2010年12月30日(木) 20:24 |  URL |  【コメント編集】

●連投失礼します><

あと毎回言い忘れてしまっているのだけれど、
やっぱりモッズだとかロッカーズだとかのサブカルの中心地はロンドンなんだから、相当ローカルなリバプールのビートルズを基準にそれらの文化をカテゴライズするのって無理があるように感じるんですよ。いままで出てきたファッション関連の記事全般について、私がかなり違和感を感じている理由は(己のファッション・センスはさておき)そういったことに由来します。
discussao |  2010年12月29日(水) 12:04 |  URL |  【コメント編集】

トンでもない一行知識さんの紹介されたとこを参照すると、

http://mad-bit.com/main/index.php?page=14
>ロッカーズまたはトン-アップ・ボーイズ(Ton-Up Boys=暴走族)という。イギリスのオートバイに乗る労働者階級の若者の間で1960年代に始まったサブカルチャー。ロッカー風の若者は1950年代にも存在したが、それ以前の若いモーターサイクリストは集団化されていなかった。

という記述があり、ここでの解釈も「ロッカーズ」という「族」の発生は60年代(おそらく’64年)であるとされているようです。
ロッカーズ発生を’64年と推定するのは、この年の英ロッカーズ映画「The Leather Boys」http://www.youtube.com/watch?v=YWceDh_59MQ
と、ビートルズ(=ロックンロールの若者文化)人気の定着というあたりをおおよその根拠。

前にも話にあげたピーター・バラカンは世代的に間に合わなかったのだけれど、いろいろなところで「モッズもロッカーズも同時期に発生し、同時期に消滅した云々」という話をしています。もちろんもっとコアなちがう解釈をする同時代人もいるとおもいます。けれども概ねモッズ&ロッカーズは’64年前後に生まれ’66年あたりで消滅した流行という理解はそう的外れではないとおもわれます。http://www.hmv.co.jp/news/article/908260140/

ロッカーズ(=Torn-up Boys)だとこんなのも出てきます。http://www.youtube.com/watch?v=l34sdWu0rFI
ロッカーズというかモロ暴走族ですね、’53年米映画マーロン・ブランドの『乱暴者』直系というか。それで流れている曲がロックンロールで、ロックンロールだけれども分類としては米のサーフ・サウンドでもあったりします。様々なカテゴライズが可能だという証明ですな。いわゆるサーフ・サウンドの例として(お下劣な)Trashman「Surfin' Bird」http://www.youtube.com/watch?v=QXLqMB6vBic

>音楽と着るもの以外のライフスタイルというとバイクにも着目でしょうか。

↑も併せて望月峯太郎『バイクメ~~ン』の世界ですな。ノートンとトライアンフの友情物語。ドトキンは「コーヒー・バー・カーボーイズ」ならぬ「カフェバーカーボーイ」と呼んでいますが。


>以前、ビートルズの伝記マンガ (←おい) で、デビュー前のビートルズはロッカーズのファッションで、モッズが乗り回しそうもない (スクーターでない) バイクを愛用していたというのは見た覚えがあります。

むう、そうですか。玉石混淆な伝記・評伝で得たテキトー知識なんですが、デビュー前のビートルズにあんまりバイクってイメージは沸かないんですが、まぁ私が知らないだけなんでしょうね。デビュー前の乗り物っていうと、ハンブルク巡業だかのときの船積みされるポンコツなバンや、ポールがジョンの家に遊びに(練習に)行くときギターを背負って乗っていた自転車などが印象に強いので、そういった偏見のたまものでしょう。
discussao |  2010年12月29日(水) 11:33 |  URL |  【コメント編集】

>ハンク・マーヴィンのリード・ギター、とっても切なくていいですね。

同意です。今さらですが YouTube って本当にいろいろあるですね。

スーツの形状だけだと、ロッカーズはあまりスーツ着ない、着たとしても「深いVラインに1ボタン」?
http://mad-bit.com/main/index.php?page=14

音楽と着るもの以外のライフスタイルというとバイクにも着目でしょうか。
http://www.hakuraido.com/hakuraido_01/rockers/newpage1.html

以前、ビートルズの伝記マンガ (←おい) で、デビュー前のビートルズはロッカーズのファッションで、モッズが乗り回しそうもない (スクーターでない) バイクを愛用していたというのは見た覚えがあります。

ジョン・レノンのバイク
http://www.thebeatles.co.jp/contents/museum/john/john002.htm

これは違う……けど何か笑えた
http://www.beatlesbike.com/beatlesbikepics.htm

しかし、ロッカーズは徹底的にドラッグは嫌ってスピード命だったぞという話もあって。後年のビートルズを思うと、どこまでロッカーズだったのだろうという気もしてきます。
トンデモない一行知識 |  2010年12月27日(月) 00:00 |  URL |  【コメント編集】

ふうむ、「ファッション」のカテゴリーとしての「モッズ・ファッション」かあ……
これなんか参照するとhttp://www.youtube.com/watch?v=wjfKX4yyX0k(特に1:10あたりのギターを弾くポールなど)、デビュー前からロッカーないでたちが正規ながらもカジュアルに「モッズ・スタイル」だったと言うことですかね……
というかカジュアルなスーツが後々「モッズ・スーツ」と統一して呼ばれるようになったんじゃない?特にビートルズがらみで。アニマルズも「モッズ・スーツ」だしhttp://www.youtube.com/watch?v=mmdPQp6Jcdk、ビートルズ以前から活躍しているシャドウズも「モッズ・スーツ」http://www.youtube.com/watch?v=FX9AACWlk7I&feature=related(0:55ハンク・マーヴィンの間奏あたりからハッキリ分かる)。「族」としてのモッズがカジュアルなスーツも大事なアイテムだったということと、このカジュアルな「モッズ・スーツ」を非「モッズ」なミュージシャンも愛着していたっていうことは分けて考えないといけないんじゃないだろうか?
てな感想を持ちました。ハンク・マーヴィンのリード・ギター、とっても切なくていいですね。
discussao |  2010年12月25日(土) 18:42 |  URL |  【コメント編集】

●だいたい唐沢俊一のくせにファッション系の話題に手をだしてくれたから (?) 苦労する

>discussao さん
>完全に唐沢俊一の話はどっかにいってしまっているコメント

あはは。唐沢俊一の話はどこかに飛んでいってしまっても差し支えないのですが、ちょっとだけ話を戻して (?) 『何かいいことないか子猫チャン』の方にいかせてもらうと、ウディ・アレンに精神分析というのはかなりアメリカという感じがするし、舞台はパリだし。

discussao さんが最初のコメント欄に書いていらっしゃったように、「ロンドンの流行が各国あちこちに飛び火して」というのがスウィンギング・ロンドンだから、舞台がパリのスウィンギング・ロンドンの映画があってもよいのでしょうが、人情として「ロンドン」と書かれていると……というのがあるので、唐沢俊一が「スウィンギング60’s」という表現の方を選択した気持ちはわかるかな、と思います。まあ件の“追討”文章は、そのくせイギリスの景気の良し悪しにのみ拘り過ぎじゃないの、というものですが。

ミニスカートが 1960 年後半から世界的に大流行したのも、パリコレでクレージュがとりあげたからこそ、というのがあるので (実際、いかにも当時の代表的ファッションと思わせるのはこっち)、ファッションはやはりパリ強いなあという感じ。いかにものモンドリアン柄のワンピースはイブ・サンローランだったりしますし。

http://history.fashion-press.net/miniskirt-couture.htm
>1965年、クレージュはオートクチュールコレクションでミニスカートを発表します。
>股が露出することで全体のプロポーションが新しくなり、これまでのハイファッ
>ションにはないエロティシズムが生まれます。
〈略〉
>クレージュをきっかけにミニスカートは大流行しますが、これはクレージュが
>初めて世に出したわけではありませんでした。(ハイファッションの世界では
>初めて取り上げますが。)

>クレージュが取り上げてすぐに、ミニスカートの流行に火がいたのはすでに
>その時、ミニスカートが普及するらめの土台が整っていたからです。ストリート
>ファッション(街から生まれたファッション文化)がハイファッション、そしてマス
>ファッションに波及した出来事でした。

>ミニスカートはもともとミニの元祖と言われているマリー・クワントなどストリート
>系の小さなブランドが取り上げており少なからず話題にはなっていたこと、若者
>がもつ反体制的な精神に響いた点などの背景のもと、ミニスカートはアメリカ、
>イギリスなどで大流行してゆきます。

>クレージュのコレクションの後、日本でもアパレルメーカーがミニスカートを取り
>入れましたが、一大ブームとなったきっかけは、1967年に当時のスーパーモデ
>ル・ツィッギーが来日した時でした。ツィギーの影響で日本でもミニスカートを
>はく女性が爆発的に増えました。

それと、ビートルズが着ていたのはモッズスーツというか、モッズスーツとはビートルズが初期に着ていたようなアレ、と覚えていたのですが……。

http://sloane.blog37.fc2.com/blog-entry-151.html
>上の写真はビートルズのスーツスタイル。
>当時の流行のモッズスタイルといわれるスーツで、
>モッズというのは「モダニスト」の意味だそうです。

http://www.jeu2.com/j-sute-mozzu.htm
>判り易くいうと、ビートルズのスタイルがモッズスタイル。
>ラペル(襟)細く、Vゾーンが狭く、3つボタンか4つボタン。
>パンツは、スリムの足首丈。当時のモッズたちは、型崩れを嫌い、
>地下鉄でも座らなかったといわれています。

http://www.fashion-rekishi.com/60.html
>60年代半ば、音楽の世界ではグループサウンズに注目が集まります。ブーム
>が起こったのはビートルズが来日した1966年。音楽面での衝撃とともに、彼ら
>が着ていたモッズファッションは、日本のメンズファッションにも大きな影響を
>与えました。ロンドンの下町から発信された、モダーンズを略してモッズと呼ば
>れたファッションの特徴は、長髪に船員帽、水玉や花柄など派手な柄でウエスト
>を細くしたシャツ、股上の浅いスリムパンツ、幅広ネクタイ、そしてブーツなど。
>こうしたスタイルは、日本ではGS(グループサウンズ)ファッションとして開花
>します。モッズファッションをアレンジしたミリタリー調のザ・スパイダーズ、
>フェミニン調なタイガースなどが代表的なバンドです。
トンデモない一行知識 |  2010年12月25日(土) 11:17 |  URL |  【コメント編集】

●完全に唐沢俊一の話はどっかにいってしまっているコメント

>うーん、私は、Mary Quant がスカートの丈を短くしはじめたのが 1950 年代後半、それとモッズが 1950 年代後半からの風俗というのがあるので、展示内容によっては 50s をつけるのもアリかなと勝手に補完しています。

ああ、モッズやロッカーズの発生は’50年代末頃だよってヤツですね。でもさァ音楽の例を取ると、その頃のイギリスってスキッフル・ブームはあったけれど、でもまだロックンロールが定着したとはいえない時期でしょ?それはまさにビートルズ(およびビートルズに代表される世代)が開拓したことだからさァ。今話しているSwinging LondonだかSixtiesだかのカテゴリーからは大きく外れているよね。発生は’50年代末だけど流行としてのピークは64年頃で、ここはピークを中心にして発生期は切って捨てていいと思いますけど。マリー・クワントのミニ・スカートについても同様。流行として定着したのは’60年代中期です。そういう時間軸の違いがポイントのひとつ。

もうひとつのポイントは、モッズ・ブームとスウィンギング・ロンドン(ならびにシックスティーズ)は重なる部分もあるけれどカテゴリーとしては別だというとこですね。具体的にザ・フー『I Can't Explain』(1965)動画のバンドを含めたキャストがモッズで(http://www.youtube.com/watch?v=h3h--K5928M)、『Pictures Of Lily』(1967)のピート・タウンゼントを除いたメンバーのファッションがスウィンギング・ロンドンでしょう(モッズはこんなフリフリ袖着ないからね)(http://www.youtube.com/watch?v=7BmkBroiw1s)。
ピーター・バラカンの思い出話で’、64年中坊の頃にモッズに憧れてたのだけれど、高校生になっていざスクーターを買ってみたらもうモッズの影も形も無くなっていたというエピソード……、ええとネットでも拾えましたねhttp://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20050518/barakanこの1967年という年はSwingingまっさかりなワケで、モッズ・ムーブメントとスウィンギング・ロンドンが決して重なり合うものでないことは分かっていただけると思います。


>しかし、ヒッピーは 1960 年代後半からで、サイケはスウィンギングロンドンの範疇に入るとされているようで……難しいですね。@_@

ええと、「サイケデリック」は脇に置いといて、「ヒッピー」を除外したのはこれが「Love&Peace」なアメリカ西海岸文化の範疇になるからで、まァじっさいはSwingingLondonと言っててもだんだんその影響を受け入れ、フリフリ衣裳を脱ぎ捨てて、やがてはスワンプ・ロックなんかやりだすのだけれど、そういうウェスト・コーストの文化と区別する意味で「ヒッピー的なもの、アーシーなもの」を除外した次第です。

>ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズファッションをしていたが マネージャーの指示によりモッズファッションでデビューした。

この記述は問題外でしょうね。ビートルズは、ブライアン・エプスタインの指示でスーツをコスチュームとする前に、ハンブルグのアストリッド・キルヒアやクラウス・ファアマンの影響から同地の「族」エグジス(実存主義者)のカットをまねており、ロッカーのなりで頭はマッシュルームというかなり奇抜なスタイルになっていました。http://www.fabfour.co.jp/blog/index.php?e=525ビジュアルはこちら(ピート・ベストのみリーゼント)http://www.beatlesource.com/savage/main.html
さらにデビュー時ビートルズの衣裳がモッズ・ファッションってのは噴飯物でしょ?スーツ着てりゃなんでもモッズってんじゃないんだから……。
discussao |  2010年12月24日(金) 02:07 |  URL |  【コメント編集】

>discussao さん
>アッシュさん

>引用された美術館の催しのタイトルはちょっと杜撰な気がしますが。

うーん、私は、Mary Quant がスカートの丈を短くしはじめたのが 1950 年代後半、それとモッズが 1950 年代後半からの風俗というのがあるので、展示内容によっては 50s をつけるのもアリかなと勝手に補完しています。

en.wikipedia.org/wiki/Mod_(subculture)
en.wikipedia.org/wiki/Miniskirt
en.wikipedia.org/wiki/Mary_Quant

# http:// をつけてないのは、書き込みがハネられるのを避けるためで
# 他意はありません。それにしても M ばかりw

TIME の Swinging London 特集が 1966 年で、ツイッギーだクレージュだという方をもっぱらさすとしたら、1960 年代中盤でないと、ということになるのでしょうけど……。

>ヒッピー的なもの、アーシーなものが入ったらswingingは終了

しかし、ヒッピーは 1960 年代後半からで、サイケはスウィンギングロンドンの範疇に入るとされているようで……難しいですね。@_@

http://vintageichie.blog94.fc2.com/blog-category-44.html
>スウィンギン・ロンドン後期時代 の代表格と言えるかもしれません!〈略〉
>パワーに溢れる色彩とサイケデリックの模様には見惚れるばかりです。

http://eu-vintage-ichie.com/swinginglondon.html
>Swinging London【是非とも レトロヴィンテージファッションをコーディネートに
>入れてください】
>「スウィンギン・ロンドン」あるいは「スウィンギング・シックスティーズ」という
>この時代を形容するロンドンの熱狂について明確な定義はなく、ロンドンが
>「スウィンギング」していた時代。カーナビー・ストリートとキングス・ロードが
>当時を象徴する通りで一般的には1964年~1967年位を指す。60年代は
>ファッションの激動期で世界の政治や経済が大きく揺れ動く時代の風と共に
>ファッションも大きく揺れ動く。60年代初頭、ファッション50年代のエレガンスを
>引き継ぎ、洗練・コンサヴァティブの匂いをまとう。ところが60年代中盤になると
>派手やかなモッズ、自由を謳歌するヒッピーやサイケデリックが台頭、スタイル
>はヒップでファンキーへと大変貌を遂げる。またスウィンギン時代の活況を主導
>していたのは労働者階級・lower- middleクラスの出身者が中心で「classless」
>が時代の象徴とも言われ、66年頃からファッションやカルチャー、音楽など有名
>雑誌がロンドン特集を組みアメリカやパリの注目を浴び、ロンドンの巨大な流行
>のうねりが広がっていった。そう。60年代はファッションの宝箱なのである。


>彼らがスウィンギング・60sの頂点と言われると首をひねりたくなります。

「モッズファッションでデビュー」したからよいようなものの (?)、ロッカーズのままだったら、「スウィンギング・60s」とはまた別系統のバンドとして活躍していたかも。実は出自はあまりスウィンギング・ロンドンではなかったといえるかもしれませんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/モッズ
>ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズファッションをしていたが
>マネージャーの指示によりモッズファッションでデビューした。

http://history.fashion-press.net/modslook.htm
>このようなスタイルはビートルズ、ローリングストーンズが身に着け、さらに
>世界的な注目が集まります。ミニスカートともににスウィンギングロンドン
>というイメージで世界へ発信されます。


>付記:あ、『ヤア!ヤア!ヤア!』と『イエー!イエー!イエー!』は違うとかいう
>ツッコミがあると嫌だな。

あ、まさにそれがあるから、本文をあのように「水野晴雄がいた日本ならではの表記」書いたのですが。^^; 『ヤア!ヤア!ヤア!』はあの時点ではしょうがなかったということもできるでしょうが、これをそのまま今にもってこられると、『Yeah! Yeah! Yeah!』や『Ye, Ye, Ye!』の片仮名表記なのねという好意的な解釈もちょっとしにくくなるかな……と。
トンデモない一行知識 |  2010年12月23日(木) 11:26 |  URL |  【コメント編集】

>アッシュさん
Swinging Londonは「’60年代中期のロンドンで発生したファッションやサブカルチャーにおける新しい潮流」を指すので、そこにリバプール出身のビートルズが入るのはおかしくないです。ビートルズはロンドンのアビーロードで数々の傑作をレコーディングし、それが世界的ヒットをもたらしたワケですから、まさしくSwinging Londonの中心にいたといえます。初期のビートルズはマージービートの規範となっていましたが、ディランの影響を受けた『フォー・セール』など短期間のうちに音楽的成長を遂げ、66年の『リボルバー』の頃になると「マージービート」というイメージは完全に払拭されてしまいました。そしてこの『リボルバー』期あたりがビートルズのなかでSwinging Londonとして捉えられはじめた時期だといえましょう。

>トンでもない一行知識さん
>あと、個人的に『ヤア!ヤア!ヤア!』に違和感があるのは、『ヤア!ヤア!ヤア!』は水野晴雄がいた日本ならではの表記だというせいと、『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』の、『ビートルズがやって来る』の方を削除して『ヤア!ヤア!ヤア!』だけ残すのか、逆ならまだわかるけど、と思ってしまうせい。

私が『ビートルズ・フォー・セール』を『フォー・セール』と略記したように、唐沢は『ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』を『ヤア!ヤア!ヤア!』と略したんだろう、というのが2ちゃんでも書いた私の解釈なんですが、基本的に文筆業者は正式名称を使用せねばいけないということなら、そうですか厳しいですねという感想です。日本以外にも『A Hard Day's Night』のことを『イエー!イエー!イエー!』と表現する国があるのは2ちゃんで述べた通り(だから日本では水野晴郎云々って話で落ち着いてるけれど、もっとイロイロ事情があるんじゃないかと思う)。そんな詰まんない事を知ってるので『ヤア!ヤア!ヤア!』に違和感を感じない私が特殊、と言われれば反論出来ない。でもま、あの頃(っても70年代前半)みんな『『ヤア!ヤア!ヤア!』って読んでたけどね、映画のほうを。

付記:あ、『ヤア!ヤア!ヤア!』と『イエー!イエー!イエー!』は違うとかいうツッコミがあると嫌だな。
discussao |  2010年12月23日(木) 03:07 |  URL |  【コメント編集】

大事な点として、ビートルズはロンドン出身じゃないことを指摘したいです。
ロンドンとリヴァプールをごっちゃにして考えるようなことは、少なくとも60年代半ばの当時のイギリス人はしていなかったはずです。
ビートルズやゲリー&ザ・ペイスメイカーズらは、当初(63~65年頃)はマージービートなどと呼ばれていたけれど、これはリヴァプールのマージー川から取られた呼称です。それだけ局所的な表現が使われたこと自体が、イギリスの一地方からの流行だと認識されていた証左です。
ビートルズの影響は大きかったに違いないけれど、彼らがスウィンギング・60sの頂点と言われると首をひねりたくなります。
そもそもロンドンの人たちじゃないんですから。
アッシュ |  2010年12月22日(水) 23:22 |  URL |  【コメント編集】

●あちこち連投失礼(というか呼ばれた?)

>想像でしかないが唐沢俊一はもっぱら「スウィンギング60’s」でググって、「スウィンギング・ロンドン」ではあまり検索していないから

googleだと「swinging london」で285万ヒット、「swinging 60」で5180万ヒット。一般教養に頼って辞典で調べるとジーニアス英和大辞典には「60」のみswingingの用例として記載され、ランダムハウス英和大辞典だと項目として「swinging sixties」が立っており「London」はswingingの用例として記載。
だから、リアル・タイムではスウィンギング・ロンドンという呼称だった(し今も使われてはいるけれど)、風俗史的にグローバルな視点が求められるようになり、ロンドンの流行が各国あちこちに飛び火して、例えばGSの「カーナビーツ」なんかが生まれたりしたといった現象を含めスウィンギング・シックスティーズが優勢になったんじゃなかろうか?

>または、「スウィンギング・ロンドン」だと 1950 年代も入ってしまう可能性があるので避けたのかも。

Swinging Londonは60年代中期限定と捉えるのが通常で、引用された美術館の催しのタイトルはちょっと杜撰な気がしますが。スウィンギング・ロンドンったらグラニー・テイクス・ア・トリップやマリー・クワントのファッションが流行の最先端だった頃、ストーンズで言うと『アフターマス』以後『ベガーズ・バンケット』以前といった期間限定(ヒッピー的なもの、アーシーなものが入ったらswingingは終了という意味)でしょうね。http://en.wikipedia.org/wiki/Swinging_London
あと『レコード・コレクターズ 2000.11月号 スウィンギン・ロンドンの狂騒』も参考にしました。

discussao |  2010年12月22日(水) 06:27 |  URL |  【コメント編集】

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