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2010.12.17 (Fri)

世田谷一家“残”殺事件というのはナイんじゃないですか唐沢俊一先生

シリコン川を渡る」のコメント欄に書いた世田谷一家殺害事件と唐沢俊一について、
こちらに独立させてまとめてみる。

なみきたかしと唐沢俊一の奇妙な関係」のエントリーの方には、「唐沢俊一は本当に
『自分のホームページに“世田谷一家惨殺事件の犯人は なみきたかしだ”と書いた』
のかどうかも、ちょっと気になったりする」と書いたけど、そのような記述はみつからな
かった。少しカスるかなと思ったのが以下に引用する日記。

裏モノ日記 2001年 11月 19日 (月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011119000000.html

K子を送りだしたあと、机まわりを少し整理して、Web現代の原稿を書き
出す。……と、きわめて日常的平均的な朝であったが、10時半ころチャ
イムが鳴った。宅急便かと思って出ると、“成城警察ですが”とインタホン
の向こうで声。成城と聞いた時点でハハアと思い、ドアをあける。背広を
来た二人連れ。一人は中年、もう一人は若いのという、典型的なコンビで
ある。ヒモつきの警察手帳を呈示して、“御存じと思いますが、世田谷の
事件のことで、ちょっとセンセイにお話をうかがいたいと思いまして”と中年
の方が極めてモノヤワラカい口調で言う。名刺を出してきたのでこちらも、
と出そうとしているうちに、“あの、ちょっと上がってよろしいですか”と言い
ながら上がってきた。
 椅子をすすめるとカバンから『社会派くんが行く!』を取り出して、“この
ご本によりますと、センセイはみきおさんとお知り合いだったそうで……”
とくる。宮沢さん、と言わずにみきおさん、と呼ぶのは何かの引っ掛けだ
ろうか。こちらは予想していたからあわてもせず、“ハア、その通りですが、
しかしありゃァ私が二十歳くらいのときですから、もう二十数年前のこと
で……”と、東大アニメ研の上映会のことなどを話す。向こうは丁寧に
ノートをとっていたが、私のところなどに来るまでに、よほどいろいろ関係
を洗っていたのだろう、アニドウという名前もなみきたかしという名前も、
どう書きます、などとも訊き返さずにスラスラとメモしている。知らせが来た
のがその事件のあった大晦日の夜で……と話したが、あとで日記を調べ
たら翌日の元旦の夜であった。まあ、北海道にいたんだからアリバイとし
ては十二分であろう。事件の前日はと訊かれたらコミケを説明せねばなら
んか、とややメンドくさく思っていたが、そこまでは訊かれなかった。

 ざっと三十分ほど、いろいろ質問される。刑事さんも大変だなあ、という
のがこちらの印象。広島アニメフェスのことに話が及び、“広島で開催す
る、ということで、変な政治色がつくことに私は反対した(あちこちの知り
合いに確かその旨を手紙に書いた)んですが”というと、若い方が“アート
アニメの純粋性の問題ですよね”と、いやにマニアックぽい意見を述べた
のが面白かった。一応仕事で、と身長体重血液型から足の文数まで記録
され、さらに指紋をとられた。それはいいが“このご本(『社会派くん』)は
編集部から資料にもらってきたんですが、何か参考までに、センセイの
ご著書を一册、いただけませんかねえ”と言うので、共著ですがと、たま
たま昨日届いたばかりの『トンデモ本の世界R』の5刷分を渡す。著書
まで持ってかれるとは思わなかった。しかし、警察で彼らがサイババだの
UFOだのについて読むかと思うとちょっと笑える。それにしても、刑事
からインギンに“先生、先生”と呼ばれるというのは、コロンボの犯人に
なったみたいでいささかウレシイ。話の最中に原稿まだでしょうか、と
講談社のYくんから電話あり、“いや、いま刑事に取り調べられている
ところで”と、言いたくてたまらなかったが、さすがにガマンする。


裏モノ日記 2001年 11月 23日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011123000000.html

 9時、散会。芝崎くん、会誌売れ残りを家まで運んでくれる。急いで寝る。
変な言い方だが、なにせ1時から『社会派くんが行く!』の打ち上げなの
で、少しでも寝ておかないと体力が持たない。が、テンション上がっている
のでなかなか寝つけぬ。ウトウトしたあたりで電話入り、公会堂ナナメ向か
いのアジアンレストラン『モンスーン・カフェ』。K田さん、K瀬さんはじめ
アスペクトのスタッフ、カメラマンで世田谷で職務質問された坂本光三郎
さん、それに村崎さんと奥さんの森園みるくさん。警察がやってきた話で
当然大盛り上がりであり、私と村崎さんの会話、ほとんどトークライブに
なる。K瀬さんが何度も吹き出していた。森園さん、ちゃんと私の日記を
読んでいてくれてるそうで驚く。後からK子も加わる。森園さんとN・Y在住
の生田くんが共通の知り合いとわかる。世界は狭い。いや、モノカキなん
てのの世界だけか?


「それに村崎さんと奥さんの森園みるくさん」と書いてしまっているなあ (ここを参照) と
いうのは別エントリーでやるとして。

まあ、この裏モノ日記だけではなく、唐沢俊一はあちこちでこのエピソードを言いふらし
ていたようで、その甲斐があったのか、たとえば最近でも以下のように話題にする人が
いたりもする。

http://2chnull.info/r/newsplus/1292143745/1-1001
>242:名無しさん@十一周年:2010/12/12(日) 21:31:59 ID:JVl4FZpdO
>これ子どもの殺し方がものすごく残虐だったんだよな

>奥さんの殺し方が輪をかけて残虐

>鳥肌たったよ

>ご主人がアニメサークルのアニドウの会員だったんだけど、
>当時アニドウの運営側だった唐沢俊一と、会員だった宅八郎には警察から照会が
>あったそうだ。


唐沢俊一が「当時アニドウの運営側だった」かどうかは、ここここここのコメント欄を
参照していただくとして……。

さて、この日の裏モノ日記では、「センセイはみきおさんとお知り合いだったそうで」、
「ハア、その通りですが、しかしありゃァ私が二十歳くらいのときですから、もう二十数年
前のことで」と書かれている。

しかし、事件直後の日記を読むかぎりでは、これは本当に「お知り合い」といえるレベル
なのか、ちょっと疑問に思えてくる……。

http://web.archive.org/web/20030622203055/www.tobunken.com/olddiary/old2001_01.html

裏モノ日記 2001年1月

1日(月) 一年の計はガンダムにあり
〈略〉
 なをきとはまた業界のウワサばなし。某社のこととか某社のこととか
聞いて、腹を抱えて笑う。メール確認してみたら、緊急連絡あり、暮れに
世田谷で一家四人惨殺された被害者、アニドウ時代に顔見知りだった
人物ではないか、という。ちょっと驚いた。11時過ぎ、タクシーでホテル
に帰り、またビール飲んで寝る。

〈略〉

3日(水) 良平は死なずただ消えゆくのみ
〈略〉
世田谷の殺人事件の被害者は、やはり昔のアニドウ関係者であった
らしく、新聞で川本喜八郎さんなどがコメントを寄せている。東大アニ研
出身らしい。当時、よくここ主催の上映会などに出かけたもので、井上くん
などが“あいつら東大まで行ってて、なんでアニメなんか見てるんですかね”
と、毒づいていたものである。

〈略〉

19日(金) ロボトミ秀吉
〈略〉
 2時、時間割で村崎百郎氏と『ウルトラグラフィックス』対談。年末から
こっちに かけての猟奇犯罪の数の多さに、ちょっとまとめるのが追っつ
かない。世田谷一家残 殺の被害者というのは東大出だそうだが、なにか
スカトロ男優のような顔をしている という話になる。村崎さんウレシそうに、
「そう言えば、公文式(被害者一家がその塾をやっていた)というのはコウ
モン式と 読めないか」
 よくこういうことを考えつくものである。

〈略〉

29日(月) ホエホエ、みんなわスと一緒にエジプトをエクソダス。
〈略〉
 頭を冷ますためにネットをのぞく。一部で名の高い死体観察日記サイト
『今日の仏 さん』、主宰者はあの世田谷一家残殺の被害者、宮沢氏の
英語塾に昔通っていたんだ とか。これでショックを受けたものか、閉鎖
ではないにしろ、18日をもってこのサ イトは“第一部完”とのこと。まあ、
すぐ二部を始めます、とのことですが。
http://sv.mcity.ne.jp/diary/745/
 あの宮沢氏は、アニメ関係者の間でもまことに評判のよろしかった人物
であるらし く、私と村崎百郎のウルトラグラフィックスの鬼畜対談、編集者
が掲載するのを少し ビビっている(笑)。


×残殺 ○惨殺

通夜や葬式に呼ばれるような間柄でもないのに、噂話で情報を仕入れ、誰に依頼され
たわけでもないコメントを日記にえんえん書き綴るというのは、「『ハルシオンを手放せ
なかった二十代前半』じゃあないでしょう?
」のエントリーで取り上げた件と似ているが、
「世田谷一家残殺」 (原文ママ) の方は、亡くなった被害者と唐沢俊一が「顔見知り」
だったかどうかすら、何だかよくわからない。

唐沢俊一は、被害者について、「昔のアニドウ関係者であったらしく」、「東大アニ研
出身らしい」、「アニメ関係者の間でもまことに評判のよろしかった人物であるらしく」
などと、知り合いでなくとも聞きかじりで書けるようなことしか書いていない。「当時、
よくここ主催の上映会などに出かけたもので」と唐沢俊一はいうが、彼が足を運んだ
上映会に被害者がきていたかどうかもわからない。昔、上映会などで顔をあわせたこと
があるかも知れない――といった程度のような……。

最初に引用した日記の「アニドウという名前もなみきたかしという名前も、どう書きます、
などとも訊き返さずにスラスラとメモ」も、「広島アニメフェスのことに話が及び、“広島で
開催する、ということで、変な政治色がつくことに私は反対した(あちこちの知り合いに
確かその旨を手紙に書いた)んですが”」も、考えてみれば、被害者と面識があるか
ないかとは関係のない話である。

こうなると、その日記の中の、「刑事からインギンに“先生、先生”と呼ばれるというの
は、コロンボの犯人になったみたいでいささかウレシイ」とか「話の最中に原稿まだで
しょうか、と講談社のYくんから電話あり、“いや、いま刑事に取り調べられているところ
で”と、言いたくてたまらなかったが、さすがにガマン」という、はしゃぎ過ぎではないか
の記述も、事件から少し時間が経っているから (刑事の訪問は最初の『社会派くんが
ゆく!』の発売直後で事件から 11 ヵ月後)、「一応仕事で、と身長体重血液型から足の
文数まで記録され、さらに指紋をとられた」のにびびったから、などと好意的な解釈を
するのが、ちょっと難しくなってくる。

「世田谷一家残殺」 (原文ママ) 事件直後の日記にも、死者を悼むような記述は全然
見あたらなくて、被害者が東大出ということに妙に拘り、「“あいつら東大まで行ってて、
なんでアニメなんか見てるんですかね”」とか。

考えてみれば、こちらのエントリーに引用したように、「松本サリン事件で世間が騒いで
いる最中」には、「そのあたりの毒物死のデータを私も仲間の物書きもみんな、必死で
パソコン通信のニュースサービスから検索」して、マムシにかまれて亡くなった会社員
がいれば「なんだこの会社員は。こういう事件のさなかに人騒がせな」と罵倒した件を、
何度も使い回して発表したりする唐沢俊一である。被害者と自分に接点があったという
ので、これで書くネタができたと、ただただ大喜びしたのかもしれない。

はしゃいだ様子は、プロフィール欄での「世田谷一家残殺」 (原文ママ) 事件への言及
のしかたにもあらわれている気が……。

http://www31.atwiki.jp/karasawafan/pages/108.html
>2001年03月『ブンカザツロン』
>エンターブレイン
>1958年札幌生まれ。アニメブームの発火点といわれた当地でオタク修行にいそし
>む。大学は二つ行くが、どちらもオタク活動に忙しく、ロクに通わず。世田谷一家残
>(ママ)殺事件の被害者も在籍していたアニメ研究会、“アニドウ”に所属し、芸能プロ
>ダクション経営などを経て、オタクライターとして独立。意外かも知れないが、志水一
>夫、開田裕治、竹内博、永瀬唯などオタク第一世代の中では、一番の若手世代に属
>する。
〈略〉
>2003年03月『社会派くんがゆく! 激動編』
>アスペクト
>唐沢俊一 Shunichi Karasawa
>1958年北海道生まれ。カルト物件評論家。「と学会」中心メンバー。実弟・唐沢なをき
>や妻・ソルボンヌK子とのコンビによるマンガ原作から、古本・雑学・薬・映画・演芸な
>どをめぐるエッセイ、小説執筆にイベント・プロデュース、テレビ出演までこなす出版
>界一の勤労文士。古今東西どんなニュースにも“裏”の顔を見つけ出す天才。前著
>『社会派くんがゆく!』のおかげで、世田谷一家殺人事件の宮沢さんと古い知り合い
>だったことがバレて捜査本部から事情聴取を受けたり(実話)、女性読者から「こんな
>人だとは思いませんでした」と言われたり、ロクな目に遭っていない。著書に『キッ
>チュワールド案内』(早川書房)、『怪網倶楽部』(講談社)、『カルト王』(幻冬舎文
>庫)、『お父さんたちの好色広告』(ちくま文庫)など多数。


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Comment

●Re: 「残殺」といふ熟語は存在します。

>殘(残)にはもともと「そこなふ」「ころす」といふ字義があるのださうです。
> ざん-さつ【残殺】そこない殺すこと。(広辞苑第五版)
>【残殺】ざんさつ そこない殺す。人に害をあたえたり殺したりする。
>(角川新字源)
>このやうなことを書いて送るのを、利敵行爲と思つてくださいますな。むしろ、
>細かいところにやたらと粘着してくるやうなをかしな擁護(「來靜」事件の時の
>やうな?)が現はれないやう、先手をとらうと思つてのことです。またあの事件
>の通稱として「残殺」「惨殺」のどちらがふさはしいか、といふことについては
>また別に考へられるべきことと思ひます。當時の新聞の縮刷版などを見れば、
>何らかの解答が得られるやうな氣もしますが…。

>自分、立場上少々微妙なところがあるので、シークレットモードで送ります。
>このチキンハートをお笑ひください。

いえいえ、ご指摘ありがとうございます。(_ _);

# お名前以外は全オープンでだいじょうぶですよね?
# 問題があるようなら、別途ご指摘ください。(_ _)
# それと、うちのブログはその手の指摘はガンガン歓迎ですので。

で、確かに、辞書によっては、「残殺」もしっかり載っていますね……。
大辞泉にはないようだけど、大辞林にはある、みたいな。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=残殺&dtype=0&dname=0ss&stype=0
>ざんさつ0 【残殺】〔補説〕
>「残」はそこなう意そこない殺すこと。また、むごたらしく殺すこと。

それに、ことえりの変換候補には、「残殺」というのも表示されるという……。「惨殺」、「斬殺」、「ざん殺」の次にくるのを見落としていました。ATOK では「残殺」は出ないようです。

これらについては、私のチェックが甘かったせいで、本文を書いているときには気がつきませんでした。後で、お詫びのうえ、追記しておこうかと思います。

>あの事件の通稱として「残殺」「惨殺」のどちらがふさはしいか

個人のブログのようなものを除外すると、「惨殺」はあっても「残殺」はまず見かけないように思います。もっと多いのは、「世田谷一家殺人事件」の方かな、という気も。

http://yabusaka.moo.jp/setagayaikka.htm
>アスキー 「死体の嘘 世田谷一家惨殺事件から『あしたのジョー』まで」 上野正彦
>新潮社「新潮45 02年1月号」 →「世田谷一家惨殺事件の恐るべき『真実』」一橋文哉
>文藝春秋 「文藝春秋 04年4月号」 →「世田谷一家惨殺事件、お地蔵さんの謎」友納尚子

トンデモない一行知識 |  2010年12月22日(水) 00:07 |  URL |  【コメント編集】

●管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2010年12月21日(火) 22:53 |   |  【コメント編集】

50代(元アニドウ会員) さんへのレス (続き)

>>井上くんなどが“あいつら東大まで行ってて、なんでアニメなんか見てるんですかね”と毒づいていたものである。

> 大ウソ。絶対にありえません。

>それなのにこんな無礼な口を井上氏が叩くわけがありません。

「あいつら」「毒づいて」などという表現は、唐沢俊一の悪意による脚色だとして (←決めつけ)、「東大まで行ってて、なんでアニメなんか」というのが、この裏モノ日記が書かれた 2001 年から数えて「もう二十数年前」、1958 年生まれの唐沢俊一が「私が二十歳くらい」という 1978 年から 1980 年の頃の発言として、どれだけ自然なものだったのかも疑問に思います。

オタクバッシングの始まる前で、キモオタとかいう言葉も概念もない時代だし、大学生なのに漫画を読むのかと批判されていたのは、1970 年代前半かそれより前の話ではないかと思いますため。

実際、http://ja.wikipedia.org/wiki/関東大学SF研連絡会議 には、東大の他にも、お茶の水、東工大、一橋、慶応など、いわゆる頭の良い大学がずらずらと並んでいるわけですし。

「アニメなんか」という見方がもしあったとしたならば、科学考証がどうとかニューウェーブがどうとかという方向からきたのかなと思ったりもしますが、それだとすると「なんでアニメなんか見てる」は、少し不自然じゃないかとも思います。そのアニメの内容や質と無関係に、とにかくアニメを見ることそれ自体の否定につながることを「毒づいていたものである」というのは……。
トンデモない一行知識 |  2010年12月18日(土) 00:54 |  URL |  【コメント編集】

>『FILM1/18』(こういう物もあったのです)

『FILM1/18』さんも、五味洋子さんのエッセイには、よく出てきますですね。
http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi71.shtml
> さて、話を1970年代に戻しましょう。私がほぼ独力で作っていたアニドウの
>情報紙『FILM1/18』第27号(1975年9月14日発行)はワラ半紙1枚だった
>バックナンバーと違って、全国大会特別増大ページ号と銘打って簡易オフセット
>14ページ仕立ての小冊子になっています。

「東京大学SFアニメ研究会」は、現在の「東京大学アニメーション研究会」とのことですが:

http://ja.wikipedia.org/wiki/関東大学SF研連絡会議
>東京大学SFアニメ研究会 (現 東京大学アニメーション研究会)

http://ssa.sakura.ne.jp/ を見ても、昔の活動については載っていないのが、少し残念でした。

探偵ファイルには、以下のように言及されていました。

http://www.tanteifile.com/dragnet/mikaiketsu/jiken/001_050/011_2000_12_30/index2.html
> 「みきお」さんは1956年7月、東京都板橋区で長男として生まれた。都立戸山
>高校を経て、東京大学農学部林学科に入学。大学では森林風致計画学を専攻
>し、建造物が風景に与える影響などを研究した。東大農学部出身という理由で、
>捜査本部内では当初、学生運動との関係が囁かれ、公安当局による内偵捜査
>も行われたが、全く無関係と判明。
> 「みきお」さんは在学中、「SF・アニメ研究会」というサークルに所属し、人形ア
>ニメに熱中。「アニメ好きのモ明るいオタクモで、芸術からスポーツまで薀蓄があっ
>た。ワンダーフォーゲル部に所属して、トレーニングに励み、ハイキングを楽しむ
>など、決して暗い男ではなかった」との言がある(高校時代の友人)。一緒に人
>形制作に当たったスタッフの一人も「柔軟な思考を持った人で、作業でも機転が
>利いて、大助かりだった」と話しており、恨みを買うようなエピソードは出てこない。
> 79年には、NHKの人形劇『三国志』の人形制作で知られる人形美術家の川本
>喜八郎氏の助手として、人形アニメ映画『火宅』や『蓮如とその母』の撮影を手
>伝った。
〈略〉
> 一緒に仕事をした仲間たちは「真面目で年齢の割には純粋。仕事熱心で顧客
>の信頼も厚かったが、家族思いで仕事を趣味とみているところがあり、アニメ関
>係のイベント参加や子供の授業参観を理由に堂々と有給休暇を取る人だった」
>と口を揃える。実際、2000年8月には「短時間にメッセージを込められるアニメー
>ションの良さを広げたい」と、広島国際アニメーションフェスティバルの運営まで
>行うほどであった。休日には深夜まで1階の部屋で一人で趣味のアニメーション
>のビデオを見たり、映画の構想を練ったりする習慣があった。

「イベント参加や子供の授業参観を理由に堂々と有給休暇」なんて、外資では珍しくないだろうにと思いますが……それはともかく。

「川本喜八郎氏の助手」に、「広島国際アニメーションフェスティバルの運営」と。

唐沢俊一は、「“広島で開催する、ということで、変な政治色がつくことに私は反対した(あちこちの知り合いに確かその旨を手紙に書いた)んですが”」と書いていますが、日記に書いたといわないで、「知り合いに確かその旨を手紙に書いた」としているところが、後付けっぽいというか怪しいなあと思います。
トンデモない一行知識 |  2010年12月18日(土) 00:15 |  URL |  【コメント編集】

●唐沢の学歴コンプレックス

>東大アニ研出身らしい。

×東大アニ研   ○東大SFアニメ研

>井上くんなどが“あいつら東大まで行ってて、なんでアニメなんか見てるんですかね”と毒づいていたものである。

大ウソ。絶対にありえません。

唐沢が入会した当時、アニドウのメインスタッフだったKさんという方は東大生です。
東大SFアニメ研に所属されていました。会長さんかどうかは存じませんが。
その為か、アニドウの『FILM1/24』や『FILM1/18』(こういう物もあったのです)には、東大SFアニメ研主催のアニメ上映会の情報がよく載っていました。

『FILM1/24』の編集スタッフとして、井上則人氏と名前が並んでいる号もあります(第30号)。
それなのにこんな無礼な口を井上氏が叩くわけがありません。

同じ頃、関西在住のUさんという方が、『FILM1/24別冊 未来少年コナン』の応援等で、よく上京していました。
スタッフとして名前が載っています。
このUさんは京大生です。

>被害者が東大出ということに妙に拘り

唐沢のことですから、こういう人たちに対する劣等感はすごかったと思いますね。
それでこんな悪口を書いているのでしょう。

『トンデモ創世記2000』のアニドウ関連の唐沢の発言は、百%ウソといっても過言ではありません。

77ページの「東銀座に並木孝と共同の事務所を持ってたんですよ」なんて発言も、証拠は全くないですし。
当然他でのアニドウ関連の唐沢の発言も、ウソばかりと考えてまちがいないでしょう。

私はアニドウ会員だったといっても、ヒラ会員にすぎません。
ただ30年前のアニドウの会誌や手紙を今でも保存してあります。
オタクというのは、好きだったものを保存する性質があると思うのですね。
それらと照らし合わせても、唐沢の言ってることはウソとしか言い様がありません。




50代(元アニドウ会員) |  2010年12月17日(金) 20:55 |  URL |  【コメント編集】

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