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2010.12.12 (Sun)

唐沢俊一の仙台時代って、いつからいつまで? (2)

唐沢俊一の仙台時代って、いつからいつまで? (1)」の続き。2ちゃんねるのスレへの
書き込みは、そちらRead More を参照のこと。

裏モノ日記 2007年 11月 09日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071109091813.html

テキストファイルにして送って、それからすぐ、
パチスロ必勝ガイドのコラム。
今月のお題は『湘南爆走族』。
仙台にいた当時、この作品に出会って、何気なく読んでいるうちに
これはすごい、とハマりこんでしまった記憶がある。主人公以外の
キャラを大事にしない『バリバリ伝説』に比べ脇の方に至るまでの
登場人物全員にドラマがあった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/湘南爆走族
>『湘南爆走族』(しょうなんばくそうぞく)は、吉田聡による日本の漫画作品、及びそれ
>を原作とした映画とアニメ。吉田聡の代表作でもある。『少年KING』(少年画報社刊)
>に1982年から1988年まで連載されていた。
〈略〉
>主人公である江口の一人舞台になる事は少なく、他のメンバーやライバル達も各々
>の個性を確立せさ、それぞれのキャラをクローズアップしたストーリーが見られるのも
>本作の特徴。連載ではギャグメインで一話毎に単発で完結するのが基本だが、江口
>と権田のタイマン勝負、ボクシングに打ち込む権田のエピソード、族同士の抗争編な
>ど、シリアスな展開の数話に渡る長編もある。


とりあえず、「1982年から1988年まで」の何年かは、唐沢俊一は仙台暮らしだったと
いうことだとして。

ここで思い出したのが唐沢俊一の書いた『B級学』という本で、そこで『湘南爆走族』は
「同時期にシリアス(かつ上品)なバイクものマンガを同誌で連載していた五十嵐浩一
を抜いて、いちやくバイクマンガ、族マンガのカリスマになってしまった」 (P.130) という
ことになっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/五十嵐浩一
>1982年から少年キング連載の「ペリカンロード」がヒット。代表作となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ペリカンロード
>当時ブームだったバイク漫画の一つで、連載されていた『少年キング』では「湘南爆
>走族」と人気を二分していた。


同じ 1982 年に連載開始だし、『湘南爆走族』が『ペリカンロード』を抜いたとかいう
根拠 (単行本の売り上げなど) も、『B級学』では特に示されてはいないのだが。

何か別の作品を貶さなければ気が済まない唐沢俊一の性質によるものなのだろうか、
1999 年の『B級学』から 8 年経った裏モノ日記の方には、「主人公以外のキャラを大事
にしない『バリバリ伝説』」である。

……『バリバリ伝説』を、ちゃんと通して読み込んでいない自分でさえ、あれ、歩惟は?
秀吉は? と思ったりするわけではあるが。

参考 URL:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/バリバリ伝説
- http://kurumaseibi.livedoor.biz/archives/51280210.html

まあ真面目に怒るだけバカらしい話で、ここはさらりと、唐沢俊一は漫画の評論とかに
手を出さなかった方がよかったのではないか――と疑問を表明するにとどめておくのみ
として。

実は、『湘南爆走族』が「主人公以外のキャラを大事に」とかいう話は、『B級学』には
いっさい出てこない。想像するに、Wikipedia に書いてある、「他のメンバーやライバル達
も各々の個性を確立せさ、それぞれのキャラをクローズアップしたストーリーが見られる
のも本作の特徴」というのを引き写しただけではないかと。そもそも『B級学』という本の
中に、「主人公以外のキャラを大事に」してどうのこうので作品を論じている箇所など
見あたらないのだし。むしろ、ひたすら主人公重視。


で、「仙台」で裏モノ日記をググっていてみつけた以下の日記は、仙台が実家だという
荒木飛呂彦の話であって、唐沢俊一の仙台時代と直接は関係ないのだけど、これも
『B級学』つながりで少し気になったもの。

裏モノ日記 2004年 04月 30日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000707000000.html

 昼から雨、という報道だったが、まだかろうじて降らず。帰って週刊読書
人原稿、荒木飛呂彦。『バオー・来訪者』でいく。文庫で新刊になったもの
を小松からの帰りに改めて読んだが、この作品で著者は初めて仙台の
実家から東京に出てのマンガ家生活を始めたと後書きにある。当時(84
年ころ)の東京はレンタルビデオショップが急速にその数を増していた時期
であり(信じられないかもしれないが80年ころはまだ新宿とか中野といった
大きい駅にしかレンタルショップがなく、みんな電車に乗って借りにいって
いた)、海外もののB級ホラーが大量に出回った。たぶん、上京して一人
暮らしを始めた作者はそれらを借りまくり、見まくったことだろう。その影響
が露骨な作品であり、そういう意味で、当時の作者の置かれた状況背景
が子細に読み取れる楽しさがある。
 マンガ批評には(いや、マンガばかりでなく全ての批評には)その作品を
周囲と切り離し、独立したものとして純粋な作品批評を行う行き方と、出来
るだけその作品の生まれた時代とその周辺の情報を取込み、それとの
関連性を重視して“いかなる条件下であったからこそこの作品が生まれ
たか”を読みとっていくやり方とがある。最近は後者の批評がさかんだが、
この方法論の危険性は、その作品の作者と時代の関連性よりも、その作品
を読んだ評者と時代の関連の方ばかりが先だってしまい、マンガ作品を誰も
聞いてない己れのイニシエーションの記録としてしか語れない評者が多い
ことだ(大塚英志や竹熊健太郎などが代表だろう。鶴岡法斎にもその危険
性がある)。


「作品を誰も聞いてない己れのイニシエーションの記録としてしか語れない評者」という
点においては、唐沢俊一以上の人物を自分は見たことがない――特に朝日新聞の書評
――のだが、おいといて。

荒木飛呂彦が「仙台の実家から東京に」出てきたという 1984 年。唐沢俊一は、その
「当時(84年ころ)の東京はレンタルビデオショップが急速にその数を増していた時期
であり」とか、まるで 1984 年には東京に住んでいたようなことを書いている。

もしかして、「仙台の大学に通っていたんですけど、講演があるたびに二ヵ月に一度
往復していました」 (こちらを参照)、仙台から東京のイッセー尾形のところに通う往復
の電車の中では、その頃買った「ピコワード」 (1984 年発売) を、「プロでも何でもな
かったんですけど、プロっぽい顔をして」打ち込んでいたという方がガセというか嘘で、
1984 年にはプータローのアニドレイとして、アニドウに常駐し『三国志百態』の発送
などをしていた (ここここを参照) という方が実態に近いのだろうか。

それはともかく、『B級学』の中で唐沢俊一は、以下のように『バオー・来訪者』に言及
している。

『B級学 マンガ編』 P.123 ~ P.124

 私事的なかかわりを言うと、若いころに講談社に作品(マンガ原作)の
持ち込みをしていたことがあって、そのころは、彼の作品がそろそろヤング
マガジン誌で人気が出始めたあたりだった。
 結局、半年近く書き直しをさせられ続けたものの、最後まで私の原作は
採用されず、このことはいまだにうらみに思っているのだが、そのときの
担当編集者が、ある程度年配の、それから数年して局長になったという
クラスの人物だった。つまり年齢が望月より一世代古い人で、そのとき
正式な担当として彼がついていたのが弘兼憲史だった。彼の意見を講談
社における当時の平均的意見ととっていいだろう。
 今にして思うとどうもその編集者は、私の原作より、私が雑談でしゃべる
マンガ情報をリサーチに使うために会っていたらしい。ときどき喫茶店に
呼ばれては、今「少年ジャンプ」のマンガではだれが一番おもしろいと思う
かとか、「少年マガジン」や「ヤングマガジン」のマンガの欠点はどこにある
んだろうかというようなことをいろいろ聞き出そうとしていた。
 ちなみに言えば、「少年ジャンプ」のマンガでだれが一番おもしろいかね
と訊かれたとき、私が一押しで名を挙げたのが荒木飛呂彦だった。まだ
『ジョジョの奇妙な冒険』を描く前で、『バオー・来訪者』というSF物でマニア
人気が出始めていたころだった。
「これはすごいでしょ」
といったら、
「マニア作家はうちではいらない」
 と、ケンもホロロに言われたのを覚えている。その一言で“あ、こいつは
馬鹿だ”と思ったものだ。
 ……それはともかく、じゃあヤングマガジン系統の作家では、というとき
に望月峯太郎の名を挙げ、『バタアシ金魚』という作品の新しさを指摘した。


『B級学』の注釈にもあるように、『バオー・来訪者』は「少年ジャンプ」に、「昭和59年」
(1984 年) から「61年」 (1986 年) にかけて連載され、『ジョジョの奇妙な冒険』の方は
「昭和62年からの連載」 (1987 年) である。

つまり、唐沢俊一の言葉を信じるとすれば、1984 年から 1986 年の間に、「半年近く
書き直しをさせられ続けた」という「半年」が入る。さらに、『バタアシ金魚』が連載開始
していたとすると、1985 年後半または 1986 年ということになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/望月峯太郎
>1985年に『週刊ヤングマガジン』にてデビュー。同年、『バタアシ金魚』を連載。

問題は、「ときどき喫茶店に呼ばれては」という記述を考慮すると、「書き直しをさせられ
続けた」という「半年」の間、唐沢俊一が東北薬科大のある仙台とか、実家のある札幌
とかに住んでいたとは思いにくくなること。札幌や仙台にいる人間を、そう気軽に喫茶店
に呼びつけるわけにもいかないだろうと思われるため。

なお、「正式な担当として彼がついていたのが弘兼憲史だった」との記述から推測する
に、これは「弘兼憲史のアシスタントを1年ほど勤めて」いたという唐沢なをきのコネで、
原作原稿を見てもらえる手はずになったのではないかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/唐沢なをき
>漫画家デビューのため小学館へ持ち込みを開始するが[12]持ち込み時代はギャグ
>や絵柄について否定され続け[12][13][14]、時として高橋留美子の絵柄を真似るよう
>言われたという[7][12][13]。この時期に小学館の編集者から紹介されて弘兼憲史の
>アシスタントを1年ほど勤めてゆく[12][15][16]。
> 白泉社の担当から評価されて、1985年に「南里こんぱる」のペンネームで同社の
>『月刊コミコミ』1986年1月号に掲載された『無敵刑事』でデビュー。同年末にコミコミ
>編集部の紹介でとり・みきのアシスタントへはじめて向かう[17][18][19]。『コミコミ』で
>の仕事は3ヶ月に1回しかなく他に月数回のアシスタントのとエロ雑誌のカットだけが
>収入源[20]だったが、作品については特に文句を言われなくなったという[13]。


唐沢なをきが白泉社の『月刊コミコミ』で連載開始が 1986 年ということは、「半年近く
書き直しをさせられ続けた」というのは、1985 年から 1986 年にかかるかかからないか
くらいの時期ではないかと思われる。

そして唐沢俊一にとって 1986 年という年は、弟は漫画家デビューしたけど兄の自分は
原作者デビューを果たせないまま、力を入れていたイッセー尾形関連では、池袋西武
のスタジオ200で前説をやった際に、観客に野次を飛ばされ引っ込めと叫ばれたのを
機に「自分勝手に俺は見捨てられたと思い込んで悪態をつくだけついた末に、去って
いった」 (本人の日記より。ここを参照) した年だったということができる。

このときの住まいは、仙台ではなく東京だった――とした方が、『奇人怪人偏愛記』 P.21
「その後一時東京をしくじって実家に戻っていた二年間」、P.45 の「あわてて再度上京」
という記述と整合性がとりやすい。まあ、この本の記述を、どれだけあてにしてよいかと
問われると困るのだけど……。


さて、2ちゃんねるのスレにもいくつか抜き出されている (こちらRead More 参照)
唐沢俊一が仙台時代について語っている日記だけど、先に引用した『湘南爆走族』に
言及している日記、以下に引用する「『江戸の戯作絵本』(三)」について書いた日記
以外には、具体的な時期を特定できそうなものは見あたらない。

裏モノ日記 2003年 09月 08日 (月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030908000000.html

朝、寝床ですでに消えて久しい社会思想社現代教養文庫の『江戸の
戯作絵本』(三)を読む。昨日、と学会例会で原田実氏が山東京伝の
黄表紙を紹介していたので、ひさしぶりに善魂悪魂の登場する『心学
早染艸』を読みたくなり、引っぱり出してきたもの。思えば仙台で引き
こもり同様の学生生活を送っていたとき、ちょうど新刊書店で発売され
たばかりだったこの文庫をむさぼるように読んでいた。あのとき、私の
胸に巣くったのは、善魂・悪魂ど ちらであったろうか。


http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/439011039X.html
>現代教養文庫江戸の戯作絵本 〈第3巻〉 変革期黄表紙集
>小池正胤
>社会思想社
> (1982/04 出版)


これも 1982 年。日記だけみると、唐沢俊一は 1983 年以降は、別に仙台にいないと
いうことにしても、特に問題は発生しないかも……。

裏モノ日記 2002年 06月 19日 (水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020619000000.html

ひさしぶりなので道を忘れて、看板を探して、アア、あそこだあそこだ、
と歩きだそうとしたら、地面に置いてあったあ旗竿の台のコンクリートに
足をひっかけ、ずざっ、と前倒しに転んでしまった。見ると、ズボンの膝
のところがスリ剥けて大穴が開いている。あちゃあ、と思うが、とにかく、
このままじゃ歩けないから、どこかでツルシのズボンを買おう、と探す。
さすが戎橋通りで、ちょっと若向けの店だったが、すぐ見つかり、店の奥
(と、いっても通路の陰だが)で履き替えさせてもらい、ことなきを得る。
膝小僧も赤くなってはいるが血は出ていない模様。仙台時代、ジーパン
を新調して、その店からの帰り道に、同じように転んで一本、買って数分
で台無しにしたのを思い出した。あのときは貧乏の極みだっただけに、
泣くに泣けなかった。


「あのときは貧乏の極み」だったらしいことはわかるが、時期はいつでも、場所が仙台で
なくともよい内容だし。それにしても唐沢俊一って、こういうときの着替えに店の試着室
を使うことが余程嫌いなんだろうか (ここを参照)。

裏モノ日記 2001年 12月 08日 (土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011208000000.html

仙台にいたとき、駅ビルの日替わりランチが実に私の嗜好にあった
まずさで、日曜除いた週6日、そればかり食べていたことがある。



2ちゃんねるのスレでも書き込みでは以下のように突っ込まれていたが、先に引用した
日記の「あのときは貧乏の極み」と、「駅ビルの日替わりランチ」を「日曜除いた週6日、
そればかり食べていた」というのは、ちょっと矛盾するような。まあ、駅ビルのランチのみ
を食べていたのはごく短期間とか、好意的な補完は可能なのだけど。

http://2chnull.info/r/books/1290754116/1-1001
>264:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:30:04
>>>252
>仙台に20年弱住んでいるけど、北仙台には今でも駅ビルめいたものはないし、
>東照宮は無人駅一歩手前くらいの規模だよ。
>唐沢が住んでいたのはもっと昔だろうし、当時はもっと規模は小さかったと思う。

>仙台は仙台駅周辺のみが都市部と言っていいので、仙台駅までの定期を買うか、
>仙台駅周辺に住んで仙台駅ビルのランチを食べることは可能だと思うけれど、
>上記2駅を通過するJR仙山線はいまだに単線で、本数もそれほど多くないので、
>毎日ランチ食べていたら大学に戻れないと思う。

>そして仙台駅の駅ビルは、一応テナント料も高いと思うので、まずい料理屋は
>淘汰されると思う。そして(特に学生が)毎日食べるにはやはり価格が高い。


ちなみに、東北薬科大のサイトに書いてあるアクセス方法は以下の通り。

http://www.tohoku-pharm.ac.jp/new/index.cgi?eid=2
>・仙台市営バスを利用の場合(仙台駅から)
>JR仙台駅前 市営バス17番乗り場( LoFt前)より、「宮町小松島経由 瞑想の松循環」
>または「宮町南光台入口経由 地下鉄旭ケ丘行」に乗り、いずれも「東北薬科大・東北
>高校前」バス停下車(約20分)、バス停より徒歩1分。
>・仙台市地下鉄を利用の場合(仙台駅から)台原駅より徒歩15分
>・JR仙山線を利用の場合(東照宮駅から)東照宮駅より徒歩15分


で、確かに台原駅や東照宮駅には、駅ビルとかその類いのものは、なさそうである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/台原駅 (写真)
http://ja.wikipedia.org/wiki/東照宮駅 (写真)

仙台駅からバスという手もあるけど、昼休みに合計 40 分以上かけて往復したと考える
よりは、授業は常に午後からのみの出席と考えた方が辻褄があうような。それで卒業
するのは難しいだろうが、東北薬科大については、唐沢俊一のプロフィールに書かれる
ときは、常に「中退」と記述されているから問題なし (?)。

その他参考 URL (現在の駅ビル内の店。まあフツーっぽい感じ):
- http://www.jr-tss.co.jp/02.files/sendai_st_1f.shtml
- http://www.ekipara.com/html/Indication/ShopHtml/DI000SND_002.html
- http://www.ekipara.com/html/Indication/ShopHtml/DI000SND_005.html
- http://www.ekipara.com/html/Indication/ShopHtml/DI000SND_008.html
- http://www.ekipara.com/html/Indication/ShopHtml/DI000SND_011.html

裏モノ日記 2003年 06月 12日 (木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030612000000.html

一昨日、掃除が来て、換気のためにずっと窓を開けていたら、やはり蚊
が入ったらしく、昨日の晩額を一カ所、顎を一カ所刺された。額のところ
が大きく腫れて、さわると痛い。仙台に下宿していたときも、マンションの
四階で、エレベーターなしの四回はキツくていやだなあ、と思っていたが、
大家は“四階がいいですよ、網戸なんかしなくても蚊は入ってきませんし”
と言っていた。蚊は三階くらいの高さまでしか飛べないのだそうである。
確かに仙台にいる間じゅう、蚊に刺されたことはなかったように記憶して
いる。しかし、いまのマンションも四階なのだが、蚊は平気で入ってくる。
東京の蚊は仙台の蚊より高く飛べるのか。あるいは、窓でなく、エレベー
ターなどを使って上階に上がってくるのだろうか。“蚊を二階にあげてはし
ごを外す”という小咄を思い出した。


×エレベーターなしの四回 ○エレベーターなしの四階

「昨日の晩額を一カ所」の「晩額」とは何かと思ったが、「昨日の晩」に「額を一カ所」
ということだったのね。蚊やゴキブリは 4 階までは上がってこないとかは、都内でも
いわれることだけどなあ。

裏モノ日記 2004年 04月 30日 (金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20040430000000.html

昔、よく軽トラでアヤシゲな兄ちゃんがカニを安売していて、仙台にいた
時分、買ったら“いいお兄さんだなあ、オレ、兄さんのこと大好きだから
まけるよ”とか言って三バイも買わされて、結局、食べてみたらミソなど
ほとんどないスカスカのカニだったことがあった。この、ミソの詰まった
カニとそうでないカニの差は何なのか、と、中島らももエッセイに確か
書いていたが、脱皮前か後かの違い だったのだな。


中島らもが、そう書いていたかどうかは未確認。これも時期の特定には役立ちそうも
ない日記。


で、http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090216/1234749746
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20091214/1260648119 とは別バージョンの
年表をテキトーに作ってみるテスト。

1977 年: 札幌で一浪 ヤマトのファンではないファンクラブに参加 (代表者は別の人)
1978 年: 東京で一浪 住まいは阿佐ヶ谷駅から 12 分のアオイ荘
1979 年: 東京で二浪? 住まいは阿佐ヶ谷駅から 5 分の近藤様宅、玉の湯隣
1980 年: 仙台 (東北薬科大) 1 年目 大学に入ったばかりで『少年期』を買う
1981 年: 仙台 (東北薬科大) 2 年目 ローラン・ボックのプロレス観戦
1982 年: 仙台 (東北薬科大) 3 年目 『江戸の戯作絵本』(三)、『湘南爆走族』
1983 年: 仙台 (東北薬科大) 4 年目
1984 年: 東京 プータロー イッセー尾形にピコワード
1985 年: 東京 イッセー尾形 用事で行った仙台空港のテレビで阪神優勝を見る
1986 年: 東京 イッセー尾形 前説事件
1987 年: 札幌 『奇人怪人偏愛記』 P.21「一時東京をしくじって実家に戻っていた」
1988 年: 東京

些細な問題として、青学はいつ卒業したという問題が浮上するが、まあ、どうしてもと
いうならば、1983 年以降にはめ込んでみるのもよいのでは。

追記: コメント欄の指摘を受けて、年表の「東京薬科大」を「東北薬科大」に修正。

追記 2: コメント欄の指摘を受けて、「弘兼」その他を修正。

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Comment

●唐沢商会を照会する

>アッシュさん
>「100回くらい書き直しさせれば才能が無かったって気づく」

しかし、その唐沢俊一を原作家として起用した唐沢なをき……と、いうこともできるのが何とも……。
トンデモない一行知識@レス遅延気味すみません |  2010年12月17日(金) 23:14 |  URL |  【コメント編集】

●どうでもいいことですが

原作持込の話は、「まんが極道」に出てきた「100回くらい書き直しさせれば才能が無かったって気づく」という話を連想しました。
アッシュ |  2010年12月15日(水) 18:53 |  URL |  【コメント編集】

まあ、スカスカなんかじゃなくて、ドス黒いドロドロがたんまり詰まっているかもしれませんことよ。
トンデモない一行知識 |  2010年12月15日(水) 00:01 |  URL |  【コメント編集】

>ミソなど ほとんどないスカスカ
なのはカニじゃないのでは?と思ってしまいました。
NNT |  2010年12月14日(火) 23:28 |  URL |  【コメント編集】

>コバイアさん

ああ、私は、唐沢俊一には珍しく謙虚に、自分が漫画ファンの一般読者扱いされたと認めているのかなと解釈しました。読者のお便りとかアンケートとかだと、ほとんどはその雑誌に掲載している作品についてのもので、他の雑誌で何が面白がられているか、読者の話をじっくり聞く機会はそうはないかもしれないと思いましたため。もちろん、見込みがある人の場合なら、「センスを測るため」とか、どんな作品を書かせたらよいかを探るための質問なのでしょうけど。

>『中島らものたまらん人々』に、身の詰まったカニをどうやって見分けるのか

「ミソなど ほとんどないスカスカのカニ」という書き方をしているし、唐沢俊一は身=ミソと思っているのかも……という怖い考えが、ちらっと頭をよぎりました。w
トンデモない一行知識 |  2010年12月14日(火) 23:16 |  URL |  【コメント編集】

> 私の原作より、私が雑談でしゃべるマンガ情報をリサーチに使うために会っていたらしい。

マンガ原作者志望に過ぎない、しかも結局は採用しなかった若者の知識を、ベテランの編集者が熱心に聞き出そうとするなんてことがあるものでしょうか。本当にあったとしても、それは編集者が唐沢のセンスを測るためにしたことではないかと思います。


> ミソの詰まったカニとそうでないカニの差は何なのか、と、中島らももエッセイに確か書いていた

『中島らものたまらん人々』に、身の詰まったカニをどうやって見分けるのか、というエッセイが載っています。ちょっと趣旨が違うけれど、たぶんこれのことでしょう。
コバイア |  2010年12月14日(火) 00:20 |  URL |  【コメント編集】

>幻灯機さん
>弘兼が広兼となっているのは原文ママなのでしょうか。

いえ、純粋な私の打ち間違いです。ご指摘ありがとうございます。(_ _)
ついでにページも間違っていたので、「P.123 ~ P.124 」と訂正しておきました (_ _);

「4回」のアレといい、どうもボケすぎですね>自分
申し訳ありませんでした。
トンデモない一行知識 |  2010年12月13日(月) 23:44 |  URL |  【コメント編集】

●再度、誤字指摘です

ひとつのコメントにまとめればよかったのですが、後から気付きましたもので…たびたびすいません。

『B級学 マンガ編』 P.124 ~ P.125の引用部分、

>正式な担当として彼がついていたのが広兼憲史だった。

弘兼が広兼となっているのは原文ママなのでしょうか。

裏モノ日記2003年6月12日分へのツッコミのうち、

>×エレベーターなしの四階 ○エレベーターなしの四回

は、○と×が逆です。
幻灯機 |  2010年12月13日(月) 10:38 |  URL |  【コメント編集】

>アッシュさん
>1981年のカミソリが送られてきた件が事実だとすると

ずっと前に2ちゃんねるのスレで話題になったこともありますが、ぶっちゃけ、「カミソリが送られてきた件」は事実ではないだろうと私は思っています。

1981 年に唐沢俊一が東京にいて、『ぴあ』の投稿には住所も書かれていて、嫌がらせっぽい手紙が届いた――まではアリとして、カミソリ入りとかいうのは、人気男性アイドルと共演が決定したブリッコ歌手に出す脅迫状でもあるまいし、という感じで。

>1985年に仙台に一瞬立ち寄る用事というのは、ひょっとして大学退学等の
>手続きだったのか?

これは、とてもありそうな話ですね。どこかの時点で休学届けを出していて宙ぶらりんな状態だったのを、1985 年に正式に退学の手続きをした、とか。
トンデモない一行知識 |  2010年12月12日(日) 21:29 |  URL |  【コメント編集】

http://www31.atwiki.jp/karasawafan/pages/14.html

1981年のカミソリが送られてきた件が事実だとすると、1981年2月には東京、それもぴあ投書欄記載の住所にいたことになりますね。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090216/1234749746
この年表をベースに考えると、1985年に仙台に一瞬立ち寄る用事というのは、ひょっとして大学退学等の手続きだったのか?などと想像します。
アッシュ |  2010年12月12日(日) 20:57 |  URL |  【コメント編集】

>幻灯機さん
ご指摘ありがとうございました。修正しておきました。(_ _)(_ _);

# しかし、どうして間違えたのか (汗)

まあ名探偵役は読者の皆様にお任せして、私はひたすら細かい材料集めにはげみたいかと思っています。

>彼の言う「韜晦」とは、信頼できない語り手による叙述ミステリの一種なのでしょうか(まさか)。

……これは、「まさか」ではすまないかも。
トンデモない一行知識 |  2010年12月12日(日) 18:36 |  URL |  【コメント編集】

●誤字指摘です

エントリ末尾の年表、「仙台(東京薬科大)」ではなく「仙台(東北薬科大)」でありましょう。

唐沢氏の経歴整理、名探偵による謎解きのようですね。
彼の言う「韜晦」とは、信頼できない語り手による叙述ミステリの一種なのでしょうか(まさか)。
幻灯機 |  2010年12月12日(日) 17:30 |  URL |  【コメント編集】

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