2010.12.11 (Sat)
唐沢俊一の仙台時代って、いつからいつまで? (1)
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (2)
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (3)
の続きのようなもの。
唐沢俊一の裏モノ日記に見られる仙台時代 (東北薬科大在学時代……のはず) に
まつわる記述については、2ちゃんねるのスレにもいくつか書き出され検証されている
(Read More 参照のこと)。
で、少し前に、こちらの Read More の方に以下の書き込みを引用したのだけど……。
>126 :無名草子さん:2010/11/16(火) 18:14:07
>http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
>
>「ここの年表、変だよねー」と、昔の友人と、話していたのでした。
>
>だって、ガンダム論争の頃、仙台にいたでしょう?
>
>「唐沢さんは、お家が裕福だから、薬科大と青山に在籍できてたのかもよ」
>
>なんて言う人もいたけれどね。
1980 年 12 月の後半にスタートで、1981 年の 8 月までに続いたガンダム論争。その
「ガンダム論争の頃、仙台にいた」というのを、もしかしたら裏づけるかもしれないのが、
2002 年に書かれた以下の日記。
裏モノ日記 2002年 05月 02日 (木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20020502000000.html
http://megalodon.jp/2010-1211-1119-29/www.tobunken.com/diary/diary20020502000000.htmlドームでプロレス見るのも久しぶりである。と、いうか、北尾のプロレス
デビューのとき以来だから、もうはるか昔に属する事項ではないか?
さらに昔、大学時代、ことに仙台にいた自分は仙台市体育館や宮城県
スポーツセンター、気仙沼あたりまでしょっちゅう足を運んで、めったに
テレビ中継もない田舎プロレスの醍醐味を味わっていたものだった。シン
のサーベルのうなりやブロディの鎖のジャラジャラをすぐ耳元で聞けた
(ローラン・ボックの、イヤミたらしい技もほとんどリングサイドで見られた)
のは仙台時代の数少ないいい思い出のひとつである。やはりプロレスの
プロレスらしい味は薄暗い地方会場の照明の下にあり、ドームはベイダー
×ハンセンのような巨弾戦であってもアリーナからは豆粒みたいに見えて
(これは北尾より前か後か、それとも同じときか?)、あまりプロレス観戦
には向かないように思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ローラン・ボック
>日本へは1981年と1982年、猪木の団体である新日本プロレスに通算3回来日して
>いる。1981年夏の初来日では木村健吾や長州力をダブルアーム・スープレックスで
>短時間で料理し、センセーショナルな日本マット登場を果たしたが、腹周りには贅肉
>がダブつき、長時間の試合も望めないコンディションだった。一説によれば、ビジネス
>を兼ねての来日であったという(マスクド・スーパースター談)。
http://www.maskedsuperstar.com/Japanmemory.htm
>ローラン・ボック? 私の記憶からほとんど消えていたレスラーだな(笑)。〈略〉(He
>was very strong and a very good amateur) 後で知ったが彼はレスリング以外の
>ビジネスが目的で日本に来ていたとは誰も知らなかった。だからいつも一人だったの
>かもしれない。何で握手を拒否したか?あの場面で握手する必要もないし他人の試合
>を邪魔するなっ、当時はそんな気持ちだったような気がする。マスクドスーパースター
>/ Sincerely, Superstar
気になったのは、Wikipedia には「1981年と1982年、猪木の団体である新日本プロレス
に通算3回来日」と記述されていて、なおかつ、それ以降の来日については何も書かれ
ていなかったことだ。あちこちググってみても、1982 年の新春のシリーズよりも後に、
ローラン・ボックが来日していたという話は見つからない。
http://blogs.yahoo.co.jp/shinnochan1965/937848.html
>その翌年、新春黄金シリーズに来日し、
>IWGPの欧州代表最有力候補ってことで、木村健吾・長州力・藤波辰巳を秒殺!
>その時のフィニッシュは、高速低空のWアームスープレックス!特に投げる前に腕を
>極めた時の頭の位置がヤバイ!脇に挟んで、強引に持っていっちゃう!
>
>当時、ビルロビンソンの人間風車を超えた危険な技ということで、注目を浴びた。
>そのシリーズ以来、ボックは来日していない。
>プロモーターも兼務していたため、金銭トラブルやらなんやらの噂も・・・。
まあ、上に引用したブログの人は、ローラン・ボックが長州力を秒殺したという 1980 年
8 月の試合と、猪木が「ローラン・ボックに反則勝ち」したという 1982 年元旦の戦いを
混同している可能性があるのだけれども……。
http://www.twc-wrestle.com/jyoho0206.html
>1982年(昭和57年)
> 1. 1 後楽園で猪木がローラン・ボックに反則勝ち。藤波が返上したWWFジュ
>ニア王座決定戦でタイガーマスクがダイナマイト・キッドに勝利し王座獲得。
http://www.dreamgate.ne.jp/mohba/new03.html
>長州力 VS ローランド・ボック (56. 8. 2)後楽園
ローラン・ボックについて、要領よく説明してくれているなと思ったのが以下のページ。
こちらには「82年元旦の猪木戦(反則負け)を最後にフェードアウト」と明記されている。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/izakaya/keywords/hgyou/bock.html
>猪木が参戦したいわゆる「欧州ツアー」を主催、
>決勝戦でスープレックスの連発で猪木を圧倒し判定ながら勝利して日本のマニアか
>ら注目を集める。
>情け容赦ないアマレス式の投げ攻撃から「墓堀人」との異名がつけられ、
>「アンドレをスープレックスで投げようとした」
>「マスカラスを秒殺した」などの伝説を持ち日本マット登場が期待されたが、
>交通事故、血栓症など度重なるトラブルで体調を崩し何度も来日が延期された。
>81年に体調不完全ながらようやくその雄姿を日本のファンの前にあらわし、第1戦の
>木村健吾戦では95秒の圧勝、
>IWGP本戦ヨーロッパ代表の期待がかかったが
>82年元旦の猪木戦(反則負け)を最後にフェードアウト、本国で脱税容疑で収監され
>たとのこと。
>2004年現在生死すら不明の状態である。
また、記名の記事で、再来日はなかったと断言している記事もある。
http://miruhon.net/news/2008/01/post_157.html
>『美城丈二の“80’S・プロレス黄金狂時代 ~時代の風が男達を濡らしていた頃”』
〈略〉
> 1982年1月1日、S・ハンセン全日本転出を受け、初の“元日決戦”で再び雌雄を
>決しようと闘ったふたりではあったが、不可解なボックのレフェリー暴行に拠る反則負
>けに終わっている。
〈略〉
> のち、ボックの再度の日本来日は遂に実現には至らなかった。一説には猪木の欧
>州遠征時のギャラ(時のNWA、AWA、WWWF、三大王者並みの一年分に相当す
>るギャラとされる)をなんだかんだといちゃもんをつけ出し渋ったボックに対する報復
>の為に来日させ、その際のギャラで欧州遠征時のギャラを相殺した、との裏話めい
>た側面も聞き及んではいるが真相は果たしてどうか!?
> 往時の日本プロレス界、もう一方の雄、“御大”故・馬場氏はボックに関し、遂に黙
>したきり、ついぞボック招聘には動かなかった。
で、唐沢俊一の「ローラン・ボックの、イヤミたらしい技」という表現にも違和感があった
のだが、上の記事を書いた人が別のところで書いたこれ↓がネタ元なのかと思ったり。
とはいっても、この人もローラン・ボックの繰り出していたのが「イヤミたらしい技」である
とは書いてはいないような気もするのだけど。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/yoshiki812/article/81
> 確かに身震いするほど強いとは思ったが華を感じなかった。ひとによってはお読み
>くださる方々の中にも同意をよせてくださる方もおられるかも知れない。何か、人間的
>な嫌味さ、意地悪さをその顔立ちから感じてしまったという、はなはだ、嗤(わら)われ
>てしまいかねない思いに私は陥ってしまっていたのだ。
>
> 嗅覚だから仕方が無い。好みという奴だから頑是無い。
>
> 果たして、後年、ボックの人間性を疑う“鬼畜性”なるものが一部マスコミから漏れ
>出したとき、私はひとりそれ見たことか!!とほくそ笑んだものだ。
>
> 様々なレストラン、バー、賭博場すら経営し成功を収めている実業家。プロモーター
>業もこなし、その自身、リング登場は、“合法的に人間をなぶりいたぶれる場所”と
>の、特にこの平然とそう語ったとされるボックのインタビュー記事のくだりには辟易感
>すら、抱いた(自身を、そう思わす語りなら、さもありなん・・・)。
その他参考 URL:
- http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1981_kansenki/19810806_shinnihon.html
- http://www.plus-blog.sportsnavi.com/yoshiki812/article/160
- http://white.ap.teacup.com/corona/1938.html?guid=on
- http://www.youtube.com/watch?v=sOeJiht8nSQ
- http://igindenwrestle.seesaa.net/article/58969714.html
- http://www.showapuroresu.com/waza/bock.htm
- http://pu6resu.blog64.fc2.com/blog-entry-27.html
- http://www.asakusakid.com/past-column/wrestler1.html
話は変わって、今回2ちゃんねるのスレに抜粋された日記 (Read More 参照) には、
1985 年の阪神優勝を、仙台空港のテレビで見ていたという日記も含まれる。
裏モノ日記 2003年 09月 15日 (月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030915000000.html
広岡西武に勝って日本一になった時は覚えている。あのときは用事が
あって仙台に行っており、仙台空港の狭いロビーのテレビでその瞬間を
見ていた。広岡達郎という管理能力に長けた、一般庶民が一番嫌うタイプ
の上司に率いられたチームを敵に回していたのも、あの当時の人々の
阪神びいきを助長していたのではないか。あと一人打ち取れば日本一、
というときにバッターボックスでガオーッ、という感じで長身のゲイル投手
が吠えた場面が印象に残っている。“神さまエスさまバースさま”と謳わ
れたバースよりもゲイルの方を贔屓にしていたあたり、私のひねくれた
性格は当時から 変わっていない。
裏モノ日記 2009年 03月 10日 (火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20090310120128.html
もうひとつはさらに古く、阪神優勝の1985年に、
熱狂したファンによって道頓堀川に投げ入れられたカーネル・
サンダース人形が24年ぶりに発見されたというニュース。
24年前の、まさに優勝の瞬間を見たのは、仙台空港の待合室
だった。空港までの送迎バス中でもラジオで試合模様がずっと
流れ、待合室のテレビでその瞬間を見られた。ピッチャーの
ゲイルが何かやたら興奮して、ずっとワオワオ叫び続けながら
投球していたっけ。
どちらもすでにふた昔以上を閲していることでありながら、
つい昨日のことのように思い出せる。
どちらのときも、当時の自分は時間をかなり持て余していたように
記憶しているが、それだけに事件が自分の中に印象的に(当時を
記憶するよすがとして)残っているのだろうか。
「閲している」は「越している」と書きたかったのかとも思ったが自信がない……。
気になるのは 2003 年の日記の方の「あのときは用事があって仙台に行っており」と
いうのと、仙台空港からどこに行ったのだろうかということ。
「唐沢俊一先生、その病、直っていません」、「プータローだった男」、「ロックンロール・
アニドウ、いい加減にして」のエントリーもあわせて参照していただきたいのだが、前年
の 1984 年には電車の中でピコワードを打ちながら、イッセー尾形のいる東京と、自分
の住んでいた仙台とを往復していたはずの唐沢俊一である。
まあ 1984 年はまた『三国志百態』の出た年であり、このとき唐沢俊一はプータロー
のアニドレイとしてアニドウで本の発送を手伝ったという自己申告もあるのだが……。
それはともかく、1985 年に仙台で東北薬科大に通っていたとするならば、2003 年の
日記の、「あのときは用事があって仙台に行っており」とかいうのは不自然な記述のよう
な気がする。2009 年の日記にある「当時の自分は時間をかなり持て余していたように
記憶している」も、仮にも薬科大に籍があって、さらにイッセー尾形の公演のたびに東京
に行っていたとするのなら、結構忙しい生活だったとして記憶されている方が自然では
ないかと思ったりもする。
また、2009 年の日記がアップされた当時、2ちゃんねるには以下のような書き込みが
あった。
http://mimizun.com/log/2ch/books/1236705715/
>250 :無名草子さん:2009/03/13(金) 07:47:41
>裏モノ日記
>
>>熱狂したファンによって道頓堀川に投げ入れられたカーネル・
>>サンダース人形が24年ぶりに発見されたというニュース。
>>24年前の、まさに優勝の瞬間を見たのは、仙台空港の待合室
>>だった。空港までの送迎バス中でもラジオで試合模様がずっと
>>流れ、待合室のテレビでその瞬間を見られた。
>
>なにが「まさに優勝の瞬間」だよ。テレビで見ただけのことだろ?
>おれは大阪にいて、阪急の駅降りたときに優勝が決定。駅前の呑屋から
>どっと人が飛び出してきて商店街が大騒ぎになった。
>思いで書くなら、この程度のこと書いとくれ。、
>
>251 :無名草子さん:2009/03/13(金) 07:58:39
>>待合室のテレビでその瞬間を見られた。
>
>見られた?
>「見せられた」「見ることが出来た」「見た」「見せつけられた」
>微妙な違いでその状況や、唐沢自身の立ち位置みたいな事が表現できるが
>「見られた」って何?
>
>という唐沢くんの苦手な日本語の話はさておき
>この時は仙台にいたんだね。
>1985年11月2日の日本一決定の瞬間には。
>
>確かに検証blogでも、1986年に東北薬科大学を休学となっているので
>1985年11月に仙台にいるのもありだね。
>http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090216/1234749746
>これでまたピースが埋まった(のかな?)
>
>
>仙台空港という事は、東京へ行くのではなく札幌へ行くためだったのか?
まあ仙台空港から東京に行く便もあるから (後述)、仙台空港から東京という線も考えら
れるのだけど、こちらのコメント欄でも言及させてもらった通り、『トンデモ創世記2000』
でも日経のインタビュー記事でも、唐沢俊一は、仙台で学生をしていたときに、東京の
イッセー尾形のところに通うのには電車 (インタビュー記事では東北新幹線) を使って
いたと語っている。東京と仙台の往復に飛行機を使っていたことがあるとか語っていた
文章は、少なくとも自分は見た覚えがない。
一方、以下に引用する裏モノ日記を見ると、札幌から最初に仙台空港に降り立ったとき
には、飛行機を使用していたということになるようだ。
裏モノ日記 2006年 11月 07日 (火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20061107090048.html
10時半、ホテル出て空港までタクシー。話し好きな運転手さんで、私が
いた頃の仙台との変わったポイントをいろいろ聞く。空港まで高速道路が
通って、これが一番の変化か。昔は田んぼの中の道路を走っていた。
最初に来たとき、これで
「ひどい田舎に来てしまった」
と絶望したものである。この高速を使っての飛行機客輸送はいま、仙台
のタクシーのドル箱だが、来年、空港への第三セクター鉄道が開通して、
15分で仙台中央部と空港を結ぶことになるので、もうダメだろうとのこと。
それにしても、今日は好天気で、朝の光の中を走るのが実に気持ちいい。
30分ほどで着。料金は都内~羽田とほぼ同じくらい。空港も、私の在仙台
の頃は入り口から入ってすぐ搭乗口、みたいなちっぽけな空港だったが
立派になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Aerial_photo_of_Sendai_Airport_in_1984.jpg
の写真を見ると、なるほど「昔は田んぼの中の道路を走っていた」というのもわかるよう
な気がするけど、http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:20081012SendaiAirport.JPG
を見ると、2008 年でも空港の北には田んぼが広がっているようにも見える。
「空港まで高速道路が通って、これが一番の変化か」と書いてあるが、仙台東部道路
の開通が 1994 年との話なので、「ひどい田舎に来てしまった」と唐沢俊一が嘆いた
のが何年のことであるかは、この日記からは見当がつかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/仙台東部道路
>1994年3月30日:仙台空港IC - 仙台東IC開通
http://www.geocities.jp/tokyoctrl/oldhnd/oldhnd.htm
>▲Boeing727-200(JA8355)
> 1984年1月28日の東京-仙台便(NH815便 1440発1525着)。RWY04-22エンドの
>オープンスポットから撮影したもの。タラップ車はどこのメーカーか?DATSUNだろうか。
>非常に古めかしい。
http://mentai.2ch.net/space/kako/995/995083941.html
>7 名前: NASAしさん 投稿日: 2001/07/14(土) 20:55
>
>仙台/羽田という路線が昔あった。新幹線開通直前の1980年当時、国
>鉄の上野/仙台間は最速4時間15分で片道5900円(特急)。 対して航空
>機は所要45分で片道10600円。鉄道が4時間超だから、本来充分勝負で
>きるはずなのに、航空便はB3で5往復程度だった。
>
>新幹線に潰されたというけれど、もともと開業以前から航空需要のシ
>ョボい路線だったのよね。
http://www.77bsf.or.jp/business/quarterly/no28/senjin.htm
>建設準備委員会が設けられ、45年に「仙台空港ビル株式会社」が設立された。
>
> 初代社長には堀豁東日本興業?社長が選ばれ、直ちにターミナルビルの建設に
>着手した。翌年白亜のターミナルビルが完成したが、堀社長の意向で「経営見通し
>が困難な状況下、建設事業費は借入れをしない範囲内にとどめるべし」としたため、
>冷房設備はなく、翌年の夏は猛暑で悩まされたという。
> 47年に2千メートル滑走路ができ、大型ジェット機が東京および札幌との間を就航
>するようになった。51年には大阪便が運航、52年からは東亜国内航空も乗り入れて
>名古屋便を運航、翌年には福岡便も就航し、旅客数は53年に100万人に達した。そ
>の後も定期路線先は次々に増え、54年に新潟、55年に沖縄と拡大し、55年の旅客
>数は140万人をこえるにいたった。
>
> こうした中で昭和59年に、仙台において二つの国際会議が開催された。一つは民
>間ユネスコ世界大会であり、いま一つは国際ウイルス医学会で、いずれも仙台では
>初めての大型国際会議であった。当時の東北新幹線は大宮始発のため、成田空港
>から大宮駅を経て仙台に来るというアクセスの悪さに加えて、会議場は狭く、ホテル
>も整備されておらず、厳しい条件下ではあったが、市民挙げての協力によって成功
>裡に終了した。
で、再び、ここなどに引用した『奇人怪人偏愛記』の記述によると……。
『奇人怪人偏愛記』 P.21
私がその家に住んでいたのは前記のとおり、小学校四年生から十九歳の
予備校生の頃までの十年間と、その後一時東京をしくじって実家に戻って
いた二年間の、約十二年間である。
『奇人怪人偏愛記』 P.44 ~ P.45
二十代後半の頃、それまでの文弱におぼれた怠惰な生活(演劇関係
のプロデュースとか、文筆の徒としての活動とか)に一時見切りをつけて、
田舎に引っ込み、真面目事務員生活をしばらく続けたことがあった。
〈略〉 さすがにそのあたりになってくると、自分の意識が変調を来している
ことが自分でもわかるようになった。都落ちして落魄となっている自分の
自意識を、どこか別の部分で補填しようとする気持ちがわれ知らず働いて、
ガラにもない肉体鍛錬に自分を走らせたのだろうか。気味が悪くなり、
あわてて再度上京し、以前からつきあいのあった出版社に行って、なにか
仕事をくれるように頼んだ。一九八八年頃のことである。
「東京をしくじって実家に戻って」いたのが約 2 年間。「あわてて再度上京」したのが
「一九八八年頃」と「頃」がついているので、1985 年から 1987 年くらいが実は札幌に
引っ込んでいた時期と考えることも可能ではないかと。
そうすると、特に阪神ファンでもない唐沢俊一が、大阪とは関係のない仙台空港で、
阪神優勝の様子をテレビで見た様子を、特に記憶に残していることの説明がつくような
気もする。
ただし、ここでもふれたように、唐沢俊一が「紀伊国屋公演のパンフにも文章を書いた」
りしていたのが 1986 年頃で、前説事件もその年のことのはずで、1985 年の 11 月に
「一時見切りをつけ」たりはしていなかったようなのが難点。
More...
http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001-------
883:無名草子さん:2010/11/25(木) 07:18:12
唐沢俊一史の中では弟と一緒に住んでいて、ビデオデッキを共同購入したかのような
記述があるんだけれど、なをさん史の中では高校時代から金を貯めてついに購入した
という話になっていて、兄貴のアの字も出てこない。
885:無名草子さん:2010/11/25(木) 07:25:24
テンテーの姿は、「まんが極道」のエピソードの集成で大体合ってるんじゃないか?
マンガ家のところに邪魔しに来てはけなしまくる一般人
原作を書いたことになっているけど何もしていない態度のでかい男
いばりんぼ
作品を見せながらいいわけばかりする無能同人メンバー
ド下手糞なのに、ちょっと雑誌に載っただけでプロだと自称
891:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:31:45
あの時代は風呂無しの下宿とかアパートとかが多かったんじゃない?
寝るだけに戻ってくるとか。
892:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:46:13
なをさんは、そのビデオデッキの現物を未だに持っていて、ブログにも掲載しているからねえ
それに比べて俊一は仙台では安物の中古を買ってきてそれを見ていたという記述がある
あの大枚はたいて、苦労して担いで下宿に持って帰ったビデオデッキはどこへいった?
それと下宿に関しては、ぴあの投稿では途中から住所変わっているんだよね。
3回目の投稿から「新宿区」になっている。
その前は阿佐ヶ谷だったんだろうか?
893:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:53:35
弟から聞いた記憶がゴッチャになっていたりする?
894:無名草子さん:2010/11/25(木) 09:01:25
他人の体験と自分の体験が混ぜて書かれているような希ガス
944:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:40:38
2001年02月16日(金曜日)
そこから東中野の商店街通りを散策。(略)なをきの下宿があったころ、
2001年10月20日(土曜日)
夢の中に出てくる東京は、多分最初に上京したときに下宿した阿佐谷がモデルなのだろうが、
2002年11月29日(金曜日)
大学時代、初めての下宿生活での隣人が静岡の出身で、
2003年01月10日(金曜日)
阿佐谷の、学生時代の下宿跡を訪ねてみる
『玉ノ湯』の煙突が立っているのが見えたときは無性にうれしくなった。
阿佐谷で二度目の住居となった近藤サマ離れの隣りにある大きな銭湯で、
学生街らしく夜中の一時過ぎまでやっており、ここあるによって私の
阿佐谷生活は優雅なものになっていた(なにしろ、
札幌の家で二階の私の部屋から風呂場へ行くよりも、
この銭湯に下宿から行く距離の方が近かったのだ)。
もう少し足を延ばし、東京で最初に住んだアオイ荘の方まで行ってみよう
近藤家の離れが駅から五分で、アオイ荘はそこからさらに七、八分歩く。
ありましたですよ『アオイ荘』。ひと気はなかったが、“瀧澤”という
表札もそのままで、雨戸も開けられて、まだ住人がいる模様。
二階の下宿部分へ通じるドアも、当時のまま。ここの玄関で、
あの頃つきあっていた彼女と……イヤそこまで思い出すこともない、
2003年06月12日(木曜日)
仙台に下宿していたときも、マンションの四階で、
エレベーターなしの四回はキツくていやだなあ、と思っていたが、
しかし、いまのマンションも四階なのだが、蚊は平気で入ってくる。
945:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:42:08
2004年04月30日(金曜日)
私の、今の私に到る道は、札幌から上京したその初日に、
下宿の歓迎会の誘いも断って、この紀伊國屋ホールにアニドウの
上映会を見にいったことから始まった。
2006年03月13日(月曜日)
まだ出久根達郎さんが直木賞作家になる前、古本屋の親父だった頃、
ちょうど下宿のすぐ近くだった芳賀堂書店でこの本を探している旨を告げると、
2006年08月18日(金曜日)
体力つけねばと東中野『大盛軒』で焼肉麺。
なをきが東中野に下宿していたころ、こればかり食べていた。
2007年12月13日(木曜日)
思えばしりあがりさんの作品を初めて読んだのは、大学のとき、
下宿から歩いて十分ほどのところにあった芳賀堂書店(作家に
なる前の出久根達郎氏のやっていた古書店)に置いてあった
多摩美大の漫研の同人誌に、氏が本名で描いていた漫画だった。
2007年12月25日(火曜日)
昼は母の室で、訪ねてきたなをきと一緒に。
30年前、阿佐谷のボロ下宿で酒をかっくらいながら二人でオダを
上げていた時代に戻ってしまった。
946:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:43:00
2008年01月19日(土曜日)
29年前の1979年、バイトをやり、生活費を切り詰めて
やっと買ったベータマックスSL-J7(今の私にはその二つの
行為だけで25万8千円を稼ぎ出す根性はない。あのころの
オタク熱意の凄まじさよ)を秋葉原から阿佐谷の下宿までかついで帰り
翌日全身筋肉痛にさいなまれたことを思い出す。
2008年03月20日(木曜日)
何か生臭いな、と思ったら、カエルが車にひきつぶされていた。
昨今の温かさで、冬眠から覚めて地上に出てきたとたんに
輪禍にあった模様。昔、阿佐谷の下宿の前の道が、
雨降りのたびにカエルの事故現場になっていたのを思い出す。
2008年12月31日(水曜日)
あれは20歳のときだったか、ソニーのJ9を秋葉原で買って、
阿佐谷の下宿まで持って帰ったときには、あまりの重さに翌日一日、
筋肉痛で体がピクリとも動かなかったほどだった。
947:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:43:47
2009年02月14日(土曜日)
阿佐谷にあった『トトロの家』が放火(?)で全焼、との
ニュース。昔、下宿していたときはこの家の前を毎日通っていた。
2009年06月26日(金曜日)
マイケルが『スリラー』を発表した82~3年、
ちょうど東京で下宿生活を私は送っていたが、当時の新文化
であったレンタルビデオ店の、開店する際のカンバンとなる商品が
まず、たいてい『スリラー』のビデオであった。
2009年07月03日(金曜日)
(夢)その宿というのは私が学生時代下宿していたアオイ荘だった。
2010年01月05日(火曜日)
豚肉のしゃぶしゃぶは、向田邦子のエッセイで覚えたもの。
弟と二人の下宿時代の定番料理だった。
948:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:50:46
2008年08月21日(木曜日)
阿佐谷駅前の喫茶店、アコヒーダに閉店の貼り紙。
ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる。
なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここの
モーニングセットだった。デビューした後の、唐沢商会での
打ち合わせもここだった。その前、やはり阿佐谷に住んで
いたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所も
ここだった。彼女と別れたあともここで原稿を書いていた。
偶然、彼女が某A書店の編集に叱責を受けているのを見たのも
この店だった。アシスタントで紹介された大物マンガ家の
ところで、彼女のミスで原稿を紛失して首になったということ
だった。その後彼女は占い師になった(それも凄い転身だが)。
それで食えているとは思えなかったが、どうしたろうか。
故郷へ帰ったか、まだこちらで暮らしているのか。
以前、ふと思い立ってググってみたが彼女の使っていた
ペンネームでも、また本名でも、一件もヒットしなかった
(同人誌に使っていた名前では一件あったが、もう何年も前の
ものだった)。
往時茫々にして全て夢の如し。
949:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:58:01
2009年01月22日(木曜日)
『私を愛したスパイ』
ところでこの映画は、1977年12月の公開。私が上京したのが
1978年の3月で、上京する前の正月に、札幌の映画館で観た
最後の映画であった。
当時のガールフレンドたちと一回ずつ日を変えて観に行ったので、
計5~6回は観た勘定になる(まあ、はるか昔のことで、
そのような世迷言を発するほどもう、自分も老耄しておりますので)。
2002年03月29日(金曜日)
リバイバルの『情婦』を丸の内に観にいったとき、当時のガールフレンドが
観終わって怒って私を置いて一人で帰ってしまったこともあった。
まあ、彼女は黙壺子フィルム・アーカイヴなどの常連客で、
『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』の大信奉者だったから、
こういう王道には反発を感じたのだろう。
メモ
『ピンク・フラミンゴ』は1972年製作の映画だが日本公開は1986年
950:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:04:55
>>934
コメント欄なんか気にしたこともない
っていうか普通読まない
951:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:13
2001年06月23日(土曜日)
と、地図が全部古書店起点で成り立っていて呆れたそうである。
私も昔はそうだったなあ。
学生時分、札幌時代につきあっていた女の子が東京へ出てきたとき、
名画座と本屋しか東京を案内できず、怒られたものだ。
2003年05月15日(木曜日)
ネットでちょっと資料検索。していたら、のぞいたサイトの主宰者が、
昔つきあっていた女性だった。ちょっと驚く。
ううむ、趣味とかその他、まったく変わっていないなあ。
人を攻撃する口調のきびしい女性で、別れたときには、
もうもう二度とああいう口の悪い女とはつきあうまい、
と思っていたものだが、結局、彼女に数倍して口の悪い女性を妻にしてしまうとは。
2003年07月15日(火曜日)
大学一年あたりで、つきあっていた女の子が“でも、あの坂口祐三郎って絶対ヘンだよー、
首筋がやけに細いしさー、目キラだしさー、唇色っぽすぎるしさー”と
熱心に主張してから、そうかと思って改めて見てみると、なるほど、これはヘンだった。
2004年07月12日(月曜日)
朝、ロシアアニメ『雪の女王』の上映会で昔、同人誌でつきあっていた子と出会う、
という夢を見た。
952:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:59
2006年01月10日(火曜日)
映画『日蓮』、大学時代新宿松竹で観たことがあるが、
キャストだけはめったやたらに豪華だったが映画の内容はほとんど記憶にない。
チケット買って入るとロビーのところでクジがあって、それが当たった。
2万円相当の真珠が当たって、それをネックレスに加工するので5000円払え、
という詐欺みたいな手口。一時はロードショーの映画館にやたらこの商売が
進出していたものだ。呆れていらないと言おうと思ったが、
その当時つきあっていた彼女へのプレゼントになるかも、と思ってつい、
支払ってしまったことをいまでも後悔している。
2007年10月23日(火曜日)
「マグマ大使の笛の音の話」
昔、つきあっていた彼女も“ピポロピー”派だったので、
日本中、このピポロピーで認識していると思ったのだ。
こんな少数派だったとは。
2009年08月21日(金曜日)
それから新宿駅東口地下の喫茶店でもちょっと出演者関係の話。
ここ、昔はメイって店名で、札幌で最後につきあっていた
女の子の名前と同じでずっと気になっていたまま三十年近く、
入ることなくこの喫茶店に変わってしまった。何か飲んだ
コーヒーの味もほろ苦い。
953:無名草子さん:2010/11/26(金) 02:06:42
ビデオの機種が違わくないか?
954:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:08:43
当時のガールフレンドの中にオトコノコも混じっていそうだ。
955:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:13:42
またBL妄想か。
956:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:50:00
妄想もここまでだとキモイわ
957:無名草子さん:2010/11/26(金) 06:59:40
ドンファンだけはガチ
ということにしてあげないと、あまりに悲しすぎる。
958:無名草子さん:2010/11/26(金) 07:30:24
なぜ結婚してる男が昔の彼女の話ばかり日記に書くんかなー。理解できんわ。
つきあってたって、どんくらい?
959:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:06:11
阿佐ヶ谷
・最初に上京した場所(2001/10/20)
・初めての下宿で隣人が静岡の人(2001/11/29)
・30年前、なをきと酒をかっくらっていた(2007/12/25)
・1979年βマックスSL-J7を秋葉原からかついで帰る(2008/01/19)
・20歳の頃ソニーJ9を秋葉原からかついで帰る(2009/02/14)
・下宿の前の道でカエルが轢かれていた(2008/03/20)
・トトロの家の前を毎日通っていた(2009/02/14)
・駅前の喫茶店アコヒーダ、デビュー当時の唐沢商会の打ち合わせ(2008/08/21)
・同店・阿佐ヶ谷に住んでいた彼女との待ち合わせ場所(2008/08/21)
阿佐ヶ谷:アオイ荘
・東京で最初に住んだ下宿(2002/11/29)
・龍澤という表札があり、下宿は二階(2002/11/29)
・ここの玄関で当時の彼女と何かあったらしい(2002/11/29)
・下宿では初日に歓迎会が開かれるようなフレンドリーな感じ(2004/04/30)
・しかしそれを蹴ってアニドウの上映会を見に行った(2004/04/30)
・大学へ入学した日にアニドウの上映会に行った(「トンデモ創世記」53ページ)
阿佐ヶ谷:近藤サマ離れ
・阿佐ヶ谷で二つ目の下宿先(2002/11/29)
・隣には「玉ノ湯」という銭湯がある(2002/11/29)
出久根達郎の「芳賀堂書店」という古本屋(芳賀堂書店は阿佐ヶ谷にあったらしい)
・下宿のすぐ近く(2006/03/13)
・ここでしりあがり寿が書いていた大学の同人誌を読んだ(2007/12/13)
960:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:07:51
仙台
・エレベーター無しのマンション4階に住んでいた(2003/06/12)
東中野
・なをきの下宿があった場所(2001/2/16)
・「大盛軒」の焼肉麺をなをきが下宿していた頃食べた(2006/08/18)
場所不明
・1982~83年、スリラーの次期に東京で下宿生活(2009/06/26)
・なをきと下宿で豚しゃぶを食べていた(2010/01/05)
961:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:15:30
・1979年βマックスSL-J7を秋葉原からかついで帰る(2008/01/19)
・20歳の頃(1978-79年)ソニーJ9を秋葉原からかついで帰る(2009/02/14)
・ソニーJ9を秋葉原から担いで帰る「トンデモ創世記」65ページ
-------
http://2chnull.info/r/books/1290754116/1-1001
-------
214:無名草子さん:2010/11/29(月) 09:20:25
唐沢の場合、プロフィールによって学部が違うってのが多すぎて異常なんだよね。
学歴詐称の前にそれはねえんじゃない?って感じ。
家族が学歴詐称を黙認しているかどうかは不明。
自分の兄貴も大学出ているハズだが、卒業証書も見た事ないし
「本当に卒業したの?」とか聞いた事がないから。
卒業時にすでに仕事をしていたらしいので、卒業式には出なかった
という話は聞いた事あるが....
就職をした事がある人なら、卒業証明書は必要になるけど
唐沢テンテーは就職経験もないからなあ
215:無名草子さん:2010/11/29(月) 09:22:50
> 証拠もないのに印象操作で事実のようにみせかけるいつもの手法だな
それは唐沢俊一という人のいつもの手ですね。
223:無名草子さん:2010/11/29(月) 10:54:36
青学は二部に受かったけどビビリで一度も通わなかったと見ている
224:無名草子さん:2010/11/29(月) 10:59:13
受かっても通わないんじゃダメでそ
225:無名草子さん:2010/11/29(月) 11:02:14
二部って合格者名簿とかないのかな
226:無名草子さん:2010/11/29(月) 11:05:23
青学の二部だったら、同期に川嶋なお美がいるね。
1960年生まれなので、1958年生まれ1浪の唐沢の1年後輩だけど
あの当時、ミスキャンパスでそれを見る為に授業中、関係ない学生も集まって
大騒ぎになったり、テストでカンニングして芸能ニュースになったりした。
ついでに唐沢が入学した年に、青学軽音部を母体にしたサザンオールスターズがデビュー
227:無名草子さん:2010/11/29(月) 11:06:33
テンテーの脳みそ的に、一部は受からないと思った
241:無名草子さん:2010/11/29(月) 13:44:01
>>189
> 青学なんざ、そもそも昔は誰でも入れるような学校だったらしいので、
> (今でもしょせんMARCHだ)入学したのは確かなんじゃないか?
実家に残ってた当時の受験案内(全国進学情報センター)によると、偏差値的には50半ば。
MARCHくくりの大学は大体このへんにいて早慶より少し下なので、今と私大内位置づけは
そう変わらないと思われる
242:無名草子さん:2010/11/29(月) 13:48:23
やっぱり通わなかった薬科大のことは、
けっこう細部を交えて語ってるから、
青学「卒業」は絶対にありえないし、
まともに単位を取っていることも考えられない。
243:無名草子さん:2010/11/29(月) 13:49:26
あそこまで自慢好きなテンテーなら、
青学時代にムカついたことなどを面白おかしく脚色しないはずがないし
244:無名草子さん:2010/11/29(月) 14:01:27
たとえば、
クラスメイトに「オマエ、アニメとか特撮を追いかけているんだって馬鹿にされ
それ以降、学校にはあまり行かなくなったとか
輪に入る事が出来なかったとか
そういう話も一切出てこないよね。
学校にあまり通わずに、古本屋がよいとか、映画館まわりとか
って書いているけれど、その当時のエピソードもほとんどない。
金を工面したとか、欲しかったが高くて躊躇して何度も通って
なんとか金を工面して出かけたらすんでで売れていたとか
そういう話はあんまりないんだよね。
古本市などに来る変な客とかの話は商会の頃書いていたけど
そんなの古本仲間の話で「あるある」で広がっていそうなネタ。
自分が主役のエピソードを語らないんだよね。
245:無名草子さん:2010/11/29(月) 14:10:11
>青山学院大学文学部=英国ゴシック文学
>東北薬科大学=製薬学
薬学部の製薬学科に通っていたことを、
「製薬学専攻」なんて表現するかな?
大学院でマスターかドクターの製薬学を専攻してた
ということなら分かるけど。
246:無名草子さん:2010/11/29(月) 14:13:09
東北薬科大も通ってないでしょ
でもその件については「ドイツ語だった」など細部を語っている
青学ではそういうことすら語ってない
247:無名草子さん:2010/11/29(月) 14:31:22
薬科大学の時は、近くの田んぼに行って蛙を捕まえた
なんて話を書いていたような気がする。
って、そんな授業は多分、1年目の1学期頃の話だろう。
プライドが帽子とメガネをしているような唐沢だから
自分より年齢のかなり若い奴の中に混じって同等の扱いでいられるワケない。
もし通っていたとしても、1浪の青学でも、何歳年下かも判らない薬科大学の時も
仲間の中で、年上って事でいばりんぼ風を吹かせていたんじゃないかな?
「●●●とかって知らないだろ」とか下らない知識自慢とかもありで。
251:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:29:42
>>245
「製薬学」だと大雑把すぎて“専攻した”とは言わないと思います。
授業(講義)名や所属研究室の名称が「製薬学」だったらあると思いますが。
薬学科よりも難易度の低い製薬学科を受験した(させられた)という
ことではないでしょうか?
252:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:31:23
2001年12月08日(土曜日)
>仙台にいたとき、駅ビルの日替わりランチが実に私の嗜好にあったまずさで、
>日曜除いた週6日、そればかり食べていたことがある。
日曜除いた週6日というのは、学校のない日曜日はその駅ビルに行かなかったという事なのかな?
東北薬科大学は宮城県仙台市青葉区小松島4丁目4-1で、仙台駅まで約3キロだけど
この駅ビルというのは北仙台駅か東照宮駅の事だと思う。
この文章だと、通っていたという感じだね。
2002年05月02日(木曜日)
>さらに昔、大学時代、ことに仙台にいた自分は仙台市体育館や宮城県スポーツセンター、
>気仙沼あたりまでしょっちゅう足を運んで、めったにテレビ中継もない田舎プロレスの
>醍醐味を味わっていたものだった。シンのサーベルのうなりやブロディの鎖のジャラジ
>ャラをすぐ耳元で聞けた(ローラン・ボックの、イヤミたらしい技もほとんどリングサ
>イドで見られた)のは仙台時代の数少ないいい思い出のひとつである。
唐沢=プロレスというと「知りもせずにダボラ吹くな」だけど、数少ないいい思い出と書いている。
この辺に関してはウソをつく必然性もないので、本当のことなのかなぁ
唐沢の場合は、記憶違いという部分も年表を複雑にする要因であるけど。
2003年06月12日(木曜日)
>仙台に下宿していたときも、マンションの四階で、エレベーターなしの四回はキツくて
>いやだなあ、と思っていたが、大家は“四階がいいですよ、網戸なんかしなくても蚊は
>入ってきませんし”と言っていた。蚊は三階くらいの高さまでしか飛べないのだそうで
>ある。確かに仙台にいる間じゅう、蚊に刺されたことはなかったように記憶している。
253:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:32:26
2003年09月08日(月曜日)
>昨日、と学会例会で原田実氏が山東京伝の黄表紙を紹介していたので、ひさしぶりに善
>魂悪魂の登場する『心学早染艸』を読みたくなり、引っぱり出してきたもの。
>思えば仙台で引きこもり同様の学生生活を送っていたとき、ちょうど新刊書店で発売さ
>れたばかりだったこの文庫をむさぼるように読んでいた。あのとき、私の胸に巣くった
>のは、善魂・悪魂ど ちらであったろうか。
2003年09月15日(月曜日)
>広岡西武に勝って日本一になった時は覚えている。あのときは用事があって仙台に行っ
>ており、仙台空港の狭いロビーのテレビでその瞬間を見ていた。
2009年03月10日(火曜日)
>もうひとつはさらに古く、阪神優勝の1985年に、
>熱狂したファンによって道頓堀川に投げ入れられたカーネル・
>サンダース人形が24年ぶりに発見されたというニュース。
>24年前の、まさに優勝の瞬間を見たのは、仙台空港の待合室
>だった。空港までの送迎バス中でもラジオで試合模様がずっと
>流れ、待合室のテレビでその瞬間を見られた。ピッチャーの
>ゲイルが何かやたら興奮して、ずっとワオワオ叫び続けながら
>投球していたっけ。
仙台空港という事は、東京へ行くのではなく札幌へ行くためだったのか?
2007年11月09日(金曜日)
>今月のお題は『湘南爆走族』。
>仙台にいた当時、この作品に出会って、何気なく読んでいる
>うちにこれはすごい、とハマりこんでしまった記憶がある。
>主人公以外のキャラを大事にしない『バリバリ伝説』に比べ
>脇の方に至るまでの登場人物全員にドラマがあった。
254:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:42:06
唐沢の日記は、あえて正確さにこだわらず彼が感じたこと、思ったことを分け隔てなく書いている。
業務日誌ではなく、一つの日記文学。お前らの無粋さというか、芸術を解さない頭の悪さにほとほと
あきれる。
ピカソの絵に写実的正確さを求めるか?
唐沢流「夢の中」な文章の妙味が味わえないセンスはなんとかしたほうがいい。
まあ、こればかりは生まれつきの才能があって今からではいかんともしがたいのだろうが。
猛省せよ。
255:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:45:41
>>254
芦原さん、こんにちは。
256:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:50:56
>>254
あえて正確さにこだわらず
「日記文学」?「芸術」?…釣り?煽り?
文章の妙味といううより珍味というかえぐ味というかはたっぷりだけど。
257:無名草子さん:2010/11/29(月) 16:55:43
>>254
褒め殺しってこういうのを言うんだなあ。GJ。
258:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:01:02
>>254
名文だ 次のスレにも残したいw
ピカソをバカにすんな!
259:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:10:08
1985年に仙台・・・変だな
何か薬科大には3年いたとか見たような・・・
留年したとかで空白があるなら解らないでもないが・・・
260:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:12:36
>>254
「芸術」ねえ…
酒って怖いなあ。俺も気をつけなきゃ。
261:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:17:56
ワタシ本人が一番、今までが全て「夢の中」であって欲しいんであるコレハコレハ。
262:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:23:20
薬科大って入るのは簡単だけど卒業するのは難しいらしい。
263:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:26:47
曲がりなりにも英文を卒業したのなら、
文学系の教養に対する態度が今とは違ったものになっているはず
インテリ批判をするにしても言い方とか色々
264:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:30:04
>>252
仙台に20年弱住んでいるけど、北仙台には今でも駅ビルめいたものはないし、
東照宮は無人駅一歩手前くらいの規模だよ。
唐沢が住んでいたのはもっと昔だろうし、当時はもっと規模は小さかったと思う。
仙台は仙台駅周辺のみが都市部と言っていいので、仙台駅までの定期を買うか、
仙台駅周辺に住んで仙台駅ビルのランチを食べることは可能だと思うけれど、
上記2駅を通過するJR仙山線はいまだに単線で、本数もそれほど多くないので、
毎日ランチ食べていたら大学に戻れないと思う。
そして仙台駅の駅ビルは、一応テナント料も高いと思うので、まずい料理屋は
淘汰されると思う。そして(特に学生が)毎日食べるにはやはり価格が高い。
265:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:30:54
>>254
「理屈とこう薬はどこへでも付く」と言うが、本当だな(笑)。
「韜晦趣味」」と「あえて正確さにこだわらない」記述で、ウソばっかり書いていると。それは知ら
なかった。
ウソだらけなのは、日記だけじゃなくて、あらゆる発表された文章が含まれているんだが。ピカ
ソの喩えはひどすぎると思うが。ちなみにピカソは写実的な絵も死ぬほど上手だったらしいぞ。
唐沢も一度、文句の付けようの無いのを書いて、「韜晦趣味」」と「あえて正確さにこだわらない」
のはワザとだと証明して欲しい。
266:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:54:07
あえて正確にこだわらずに書き散らした結果
自分で脳内の記憶を改竄してしまい
他人が書いた文章も自分の物だと思いこんだりするように
なっていったのですね。
267:無名草子さん:2010/11/29(月) 17:56:31
「韜晦」するべきなにものかがあるのかよくわからない
268:無名草子さん:2010/11/29(月) 18:37:15
俊一くんの自尊心に決まってるじゃないか。
269:無名草子さん:2010/11/29(月) 18:46:56
他人を傷つける嘘を吐くのを止めていただきたいものだ。
無理だろうけど。
270:無名草子さん:2010/11/29(月) 18:58:04
>>254
>日記文学
すごいなー(棒。
>夢の中
っていう事は、テンテーの日記は嘘だらけなんだね。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-567.html#comment1914
>この事務所に行くと、応接スペースの壁に串間さんのこれまでの仕事、執筆
>予定の入っている仕事、企画中の仕事、と区分けされたものがズラリと紙に
>書き出されている。執筆中のもので十冊近く、執筆予定で三十冊くらい並んで
>いるのに驚く。
> まあ、訪れてくるインタビュアーへのハッタリもあるんだろうが、ともかくこれ
>だけ「やりたいこと」の数があり、それを順次具体化している串間氏の人生が
>本当にうらやましい。
こういう発想しちゃうし。裏モノ日記ってハッタリだらけなんだね。
271:無名草子さん:2010/11/29(月) 19:22:29
本物の元アニドウスタッフの五味洋子さんのコラムが進めば、
テンテーの輝かしくともなんともない過去もある程度わかるのだな。
アニドウのスタッフでもなんでもない、ただのお手伝い程度だと。
ってか、出てこないよな、多分。
272:無名草子さん:2010/11/29(月) 19:30:23
「いいものを見た」という顔をした人がいた(気がした)だけで
日記に書いちゃうような人が、立派な学歴を疑われて黙ってる
はずがないだろう?
273:無名草子さん:2010/11/29(月) 19:57:31
>>264
ちょっと前に東北大行く用があったけど、確かに駅からバス20分も行かないうちにすごいことになってたな
駅前とアーケードはあんなに栄えてるのに。
274:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:00:53
唐沢の日記は、あえて正確さにこだわらず彼が感じたこと、思ったことを分け隔てなく書いている。
業務日誌ではなく、一つの日記文学。お前らの無粋さというか、芸術を解さない頭の悪さにほとほと
あきれる。
ピカソの絵に写実的正確さを求めるか?
唐沢流「夢の中」な文章の妙味が味わえないセンスはなんとかしたほうがいい。
まあ、こればかりは生まれつきの才能があって今からではいかんともしがたいのだろうが。
猛省せよ。
275:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:03:20
>>251
>「製薬学」だと大雑把すぎて“専攻した”とは言わないと思います。
「二ついった大学のそれぞれの専攻は英国ゴシック文学と製薬学」
ということはテンテーは自分が通った大学について、
あるはずもない「専攻」を主張してるってこと?
やっぱり通ってないの?
276:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:09:58
大学の専攻くらい普通は覚えているよな。
脳が老化する前のことなんだから。
277:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:11:03
そもそも学部で専攻って言うの?
自分理系だからか知らないけど、「研究室は○○でした」とは言っても、
「○○専攻してました」って言ったことないんだが
文系でも「××ゼミでした」、ってのしか聞いたことがない
時代が違うからかしら
278:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:13:18
美大とかならあるね。専攻。
279:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:16:02
なをさんが美大の友達を「同じ専攻の仲間」みたいな話をしているのを聞いて
「専攻」とか言い出したとか・・・
280:無名草子さん:2010/11/29(月) 20:58:53
医歯薬学部は医師、歯科医師、薬剤師養成のための
専門機関という位置付けとしても存在してるから、
国家試験を受験する前に細かく専攻に分かれて、
バラバラな分野を勉強されたら困るわけよ。
だから学部で専攻なんて言うことはありえない。
おそらくテンテーは学部って何?って感じだろうけど。
281:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:09:47
>>252
札幌では田舎プロレスを見てなかったのかしら?
282:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:32:09
>>252
1991年に仙台に行ったことがあるのでマジレス。
北仙台駅は、開業当初の駅舎(いい雰囲気)だったので駅ビルなんてない。
東照宮駅は、テンテーがいたころは開業すらしていない。
あと、当時は駅ビルがあるのは仙台駅のみ(地下鉄未開業)で、わざわざ
駅ビルに通うということは、学校には通っていなかったかもしれない。
学校に通っていたら、学食で飯を食うのがデフォだろ。
仙山線で大学に通うなんてことは決してない。当時の仙山線の本数は少なく
バスを使うのが普通。わざわざ仙台駅まで戻って飯を食うというのが、
あまりにも不自然すぎる。
283:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:38:57
テンテーが電車を使うと、常識では考えられない移動をするからなあw
284:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:43:58
その辺をほじくり出したらキリがないよね。まあ芸術なんだからしょうがねえけどさw
285:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:44:27
DAICONの会場から途中欠席して抜け出し
時間の掛かるタクシーで新大阪に到着し、
そこで数本新幹線を乗り過ごし
1時間後に新幹線に乗って東京へ向かい、
寄席にワザと遅れて到着する。
この行動の理由が1つも解らない。
DAICONの会場から中抜けした時も
ラストの15分ほどを切り上げなくても
そのまま終了後、会場の直ぐ側にある駅から
電車で新大阪まで進み
それで間に合う新幹線に乗れば
寄席に遅刻する事もなく東京に到着。
今持ってこの時の行動は西村京太郎にも溶けない
鉄道ミステリーとして語り継がれている。
286:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:48:36
テンテーには痛点は存在しないのですか?
もうこれ以上ブーメランが刺さる余地がないほど
後頭部にグサグサ刺さってますよ。
もうジェロニモみたいです。
287:無名草子さん:2010/11/29(月) 21:51:21
だから、その辺の具体的な話は、仙台二高卒の藤岡さんが全部検証してくれるって。
310:無名草子さん:2010/11/30(火) 10:09:35
>>277
履歴書などに「専攻分野を書いてください」という欄がある場合は
4年生レベルでも研究(実験)した分野を「〇〇を専攻しました」と称するがあります。
ただ、私立薬科大学は国家試験対策勉強を最優先するために4年生が
実験をやらないこともありますし(書類上は研究室に配属されたことになっている)
ましてや唐沢氏は専門科目を履修するまで大学に通っていたかどうかも怪しいのですが。
>>287
>仙台二高卒の藤岡さんが全部検証してくれるって。
仙台二校はつい最近まで女子高だったハズ。
322:無名草子さん:2010/11/30(火) 10:43:08
>>310
>仙台二校はつい最近まで女子高だったハズ。
お前、唐沢並みの馬鹿だな。ちったあ調べろや。
325:無名草子さん:2010/11/30(火) 10:50:43
薬科大の方は、
入学して一応通学したものの、
すぐに通わなくなって中退でいいんだよな
332:無名草子さん:2010/11/30(火) 11:35:38
>>322
訂正:仙台二高はつい最近まで男子校でしたね。
(こちらの勘違いでした。深くお詫びいたします)
439:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:22:50
アンチも相変わらず青学だ、ヤマトだと進歩がないのに呆れるなあ。唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。
日記の日付が正しい今違っているって小学生の夏休みの日記のでも読んでた方がいいんじゃないの?
で、何月何日ラジオ体操に行きました、と書いてますが、その日は雨でラジオ体操体操はありませんでした、と「検証」するみたいなさ(笑)。
青学に入学した日にアニドウの、ってのも別にその日に意味があるわけじゃなくて、青学に入学して下宿に引っ越してきた頃にアニドウの、と読み替えれば別に関係ない。
本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。
440:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:23:47
唐沢の日記というテクストを読むという体験は、虚構と現実が渾然一体となったボードリヤールのいうシュミラクルの中で感覚を過剰なまでに刺激される目眩を楽しむわけであるから、
「正確」なんてつまらない価値観にとらわれない、ラカン的勇気をというものを持って取り組んで欲しいなあ。
あと本人だとか、~まで読んだみたいな紋切り型の罵倒だけは勘弁して欲しいね。お願いだから(笑)。
結局アンチってそういうコピペに毛が生えた程度のことで自分では気が効いた反論と思い込んでいるところが滑稽きわまりないんだよなあ。
多少の「独創性」があるまともな意見ならちゃんと読んで反論してあげるからさ(笑)。
ま、がんばってね(笑)
441:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:25:23
1980年代にこういう文体のライターをよくみたなあ
442:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:35:41
そうそう。
なんでも相対化するだけで結局なにも生み出すことの無かったようなライターね。
443:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:36:42
>>439-440をかいつまんで言うと
唐沢はデタラメなことしか書かない
ということだね。
444:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:37:06
>Posted by 名無し 2008/01/29 02:13
>この人って、子供の頃から頭が良いと言うのも売りの一つだったんだけど、高校受験に失敗して、滑り止めの私立高校に行った・・・と出身地の札幌では言われている。
>確かに「光星高校」卒業だった・・・
どこ受けたの? 北高?
445:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:37:15
>>439
>>440
深夜のお勤めご苦労様です!
日記内の記述云々よりも、それ以外の基礎的な素養がどうかと思うんですがw
P&Gを抜きにしてもね。
446:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:53:15
イマドキ小学生だって日記の天気は調べて書くだろうにw
調べないで知ったかぶりするから回りに面白がられているんだろう?
447:無名草子さん:2010/12/02(木) 00:59:36
だって「博覧強記」なんでしょ? なんで間違えるのさ。
448:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:10:10
>>444
「光星高校」は授業料が割りと高いので、いいとこの坊ちゃんも通っている学校。
貧乏人は公立に通っていたんだよ。
449:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:13:48
>>439-440
唐沢の日記に散りばめられた誤謬を見つけ出すのってすっごく楽しくない?
それ以外には、文章の質も低いしつまらい自意識過剰だし、見るべきものはない。
あと、心や精神が貧しいことを「田舎者」っつうのもなんだか。
唐沢みたいに「都会者」に憧れなくてもねぇ。
ついでに「心や精神の貧しさ」って使う場合は
「心の貧しさ」か「精神の貧しさ」でいいんですよ。
そういえば、唐沢も同じ言葉を繰り返しちゃう性癖があったな。
450:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:17:52
「アン恥垢」という妙な煽り語を使わずシンプルに「アンチ」と書いてるあたり、テンテー本人ぽくて素敵です。
451:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:20:04
ただし、北海道の高校は私立より公立の方がレベルは高い。
私立は「滑り止め」で受ける者が多い。
女の子なんかが通っているのは名門の女学校とかがあったけれどね。
452:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:31:36
ですもんね。
453:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:31:56
テンテーと言えば、五味洋子さんの事を「癲癇持ち女」とか呼んでいたんですけれど
事実ですか?
454:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:33:21
そうみたいですね。
455:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:37:41
テンテーと言えば、なみきたかしさんのことを「おぼっちゃん育ちで経営能力がない」とか言っていたのですが
事実ですか?
456:無名草子さん:2010/12/02(木) 01:43:56
やあ、組織的大量殺人を行う殺人テロ外道の皆さん、こんばんは。
儲かっていませんね。結構です。
あなたがた人外外道が人間社会から奪っていったもの、つまり無数の人命と財産を、すべて返して頂きます。
いいですね。どうぞよろしく。
457:無名草子さん:2010/12/02(木) 02:00:38
>>456
こちらこそよろしく。
458:無名草子さん:2010/12/02(木) 02:41:15
今年の唐沢はここで荒らしが書いてる文章より書いてないんじゃないの
459:無名草子さん:2010/12/02(木) 02:46:37
>>456
相変らず口だけで何もできないクズ野郎だな。
次までには何か行動を起こせよ。ファイトだド阿呆w
461:デューの字:2010/12/02(木) 07:38:13
>>貧乏人は公立に通っていたんだよ。
自分は婆腹と同世代の元・道産子だが、札幌およびその近隣に住んでる秀才は、
札幌南、札幌西、札幌東、札幌北、札幌旭丘……といった進学校中の進学校を目指したものだし、
家庭の経済事情はそこには関係してなかったのも覚えてる。
また、光星高校が「公立の滑り止め」という印象だったのもこれまでの指摘通り。
北海道の私立のエリート進学校と言えば、女子なら藤高等学校、男子なら函館ラ・サール
なんじゃなかろうかと思うんだが。
てか、仮に光星高校がエリート養成機関だったとしても、
テンテーが無学無教養だったという事実は曲げられないし、とうてい曲げようがないんだが。
462:無名草子さん:2010/12/02(木) 07:42:10
>儲かっていませんね。結構です。
「私なんか自分の(編集した)本がテレビに出ちゃって」と自慢したいのかな?
463:無名草子さん:2010/12/02(木) 07:50:02
唐沢俊一に青山学院はおろか札幌光星高校にも在籍してなかったとの新説が
↑
『噂の眞相』一行情報風
464:無名草子さん:2010/12/02(木) 07:56:32
>439-440
>唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。
表現者に「面白く書く(描く)」「面白くまとめる」能力が要求されるのは分かるんだが、
読者に「面白い姿勢で読み解く」能力が要求されるという話が理解できない。
そこにボードリヤールやラカンがどう関係するのかも納得しがたい。
全般的に、バカ盛り系さん&来訪者さんの詭弁を久しぶりに聞かされたという感じがした。
465:無名草子さん:2010/12/02(木) 07:59:47
>>463
いや、それはないw
466:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:10:52
テンテーが日記書き始めた当初は、ネットでいろいろ調べる人も少なくて
コピペし放題、過去の捏造し放題だったんだろうね。
467:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:12:09
常識の斜め下を行くのが唐沢だから
青山学院どころか高校も出てない中卒だったというのが真相でも、おれは驚かないね
468:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:13:59
国語、数学、理科、社会、の学力が中卒レベルなのは、皆さんよくご存知ですよね。
469:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:19:50
>>439
同意
470:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:21:02
中卒でも高卒でも真っ当な人生を送っている人もいるのです。
学歴は人間性には関係ない。
471:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:27:43
中卒なのに大卒を詐称するのは人間性が真っ当でない人。
学力も知識も無いのに博覧強記を気取ったせいでガセとパクリの大山脈ですよ。
472:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:33:03
>>470
>学歴は人間性には関係ない。
うん、全面的に同意。
人間性を疑われるのは学歴を詐称する輩であってね。
473:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:37:24
テンテーの擁護をしよう。
テンテーは光星高校に通っていたよ。
一度だけ制服姿を見たことあるもの。
私服通学女子が「ダッセー」って言っていた。
474:無名草子さん:2010/12/02(木) 08:44:47
幸いなことに?
あなたがたは凄まじい人間のクズですから、
どれほど冷酷に追い込んで殺処理しても、人間社会のかたは誰も文句は言いませんし、むしろ大喜びですよ。
なるべく急いで進めます。信頼してくださいね。
では、引き続き。
475:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:03:41
>>473
唐沢が高校生の頃に「ダッセー」なんて言葉はない。
476:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:25
>>475
うん。
「ダッセー」じゃなかったかもしれない。
「カッコワルイ」だったかもしれない。
477:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:29
>>439
>>440
日記じゃないよ。
青学入学とアニドウ上映会の話は「トンデモ創世記2000」に載ってる。
テンテーは日記から印刷されたものまで虚偽が混じっているということですね。
それなら知っています。
478:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:09
>>439
>本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
>正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
> あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。
おっと、と学会を、特に山本弘会長を揶揄するのはそこまでだ
しかも、正確ヅラして罵倒したあと、「山本の言ってることもこんなに不正確じゃん」とツッコミを入れられまくって笑いをとるという、関西人ならではのサービス精神の持ち主なんだぞ!
479:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:48
>>473
高校生時代のテンテーを「唐沢俊一」だと認識できたということは、あんたもほぼ同じ年代だということだよな?
だとしたら、「カッコワルイ」の間違いとして「ダッセー」という言葉が出てくるとは思えない。
480:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:33:13
>>479
絡むなぁw
ほぼ同年代だけど「ダッセー」は使うよ。
テンテーの同級生にヤマウチさんだかウチヤマさんという人もいたよ。
テンテーが光星高校に通っていちゃ困る人なの?
481:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:39:44
>>480
今使うかどうかじゃねえよ馬鹿。
その年代ってもう痴呆に突入してんのか?
482:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:43:49
>>481
うん。
痴呆に突入しているよ。
483:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:48:52
そりゃよかった。
484:無名草子さん:2010/12/02(木) 09:51:25
学歴詐称疑惑は青山だけでいいよ。もう。
485:無名草子さん:2010/12/02(木) 10:02:47
本人が薬科を中退したと、どこかで書いていたので
残るのは青学だけ。
486:無名草子さん:2010/12/02(木) 10:14:47
たしかに、光星高校に通ってたかどうかなんてどうでもいいな。
いいよそのくらい詐称してもw
487:無名草子さん:2010/12/02(木) 10:15:04
痴呆の人、何か思い出してよ
488:無名草子さん:2010/12/02(木) 10:26:36
>>479
ダサイという言葉は、80年代以降の言葉ではなく
1974年6月「POKETパンチOh!」で、
格好悪い事を意味する言葉として紹介されている。
これでいいですか?
523:無名草子さん:2010/12/02(木) 14:01:12
>>500
>大学当時に開通していない鉄道の記憶が曖昧だったり
青山学院に通ってて、半蔵門線の記憶が定かでないというのは、絶対におかしい。
三越前・半蔵門間の開通は1989年。唐沢が30歳のときだぞ。
本当に青山学院に通ってたのなら、土曜日の午後や金曜日に急に講義が休みになったりして
大学から神保町へ直接行った(金、土は古書会館で古書市がある)こともあるだろうし、
行きかたが面倒だったことぐらい覚えているだろう。
528:無名草子さん:2010/12/02(木) 14:40:40
テンテー、札幌の予備校に通って次の年も大学に受からなかったもので
親戚とかに世間体が悪いから、青学に受かった事にして東京の予備校に
通ったんじゃないか?
それで次の年に薬科大に受かって仙台に住んだ。
その翌年に弟が出てきて、仙台から東京に通う。
薬科大を3年で中退して、弟の所に転がり込む。
何か青学と薬科大の同時進行って信じられないんだ。
530:無名草子さん:2010/12/02(木) 14:46:03
仮に本当に二重在籍していたのなら、校則違反で入学取り消し(というか退学?)じゃないのかな?もう
退学済みの人にどういう処分するのか知らないけど。
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