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2010.12.05 (Sun)

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (3)

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (2)

の続き。

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)」の Read
More
に引用したよりも後の2ちゃんねるのスレへの書き込みのうち、ヤマト関係はここ
Read More に収納済みで、こちらの Read More には上京以後の住まい関係を主に
抜き出してみた。


で、2ちゃんねるの書き込みにはなかったけど、今回いろいろググっているうちに、こう
いうのを発見したので、唐沢俊一は上京 1 年目は浪人生として予備校に通っていた
ことが、ほぼ確定ということになるのかなと思ったり。

裏モノ日記 2009年 08月 09日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20090809120957.html

阿佐谷商店街は七夕祭りで、巨大な飾り物が天井を埋め尽くす。
学生時代、夏期講座をサボって一日、この七夕祭りを切ない思いで
眺めていたっけ。

http://megalodon.jp/2009-0814-2132-32/www.tobunken.com/diary/diary20090809120957.html

8 月上旬には青山学院大学は夏休みで講義はないはずだし、夏期講座ってだいたい
予備校のものだよなあ、と。高校生時代に東京の予備校の夏期講座を「サボって一日」
という線も一応考えられるけど、その行き先として「阿佐谷商店街」の七夕祭りはないん
じゃないかと思うし。


それはともかく、表題の「東京で弟といっしょに住んで」いたかどうかの話。

『奇人怪人偏愛記』には「弟と二人暮らし」とか、「上京して学生をしていた頃からしばらく
の間、弟と一緒に阿佐ヶ谷に住んでいた」とか書かれているのだけど、東京で弟と同居
していたことを裏づける資料は、実はこの本以外にはないかもしれないということに気が
ついた。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-18.html に引用した分
『奇人怪人偏愛記』 P.17

それから東京の阿佐ヶ谷で弟と二人暮らしをしていた時期に住んでいた
住居というのが、これまた一般の住居とはかなりかけ離れたものだった。
〈略〉
われわれがここを大変気に入っていたのは、家の隣は銭湯、路地の出た
ところが弁当屋という独身男性の暮らしには至便きわまりないところで、
おまけに大家が不動産と喧嘩して手を切ってしまったため、長年の間、
家賃が一回も上がらないという理由があったからであった。

『奇人怪人偏愛記』 P.28

上京して学生をしていた頃からしばらくの間、弟と一緒に阿佐ヶ谷に住ん
でいた。私も弟もここが気に入り、通算で五年以上も住み着いてしまった。



唐沢俊一は 1958 年生まれで、本人の自己申告によれば 1977 年はワザと浪人して
札幌でサークル活動。弟の唐沢なをきは 1961 年生まれで「多摩美術大学の付属の
専門学校」に通うために上京
。「学生をしていた頃からしばらくの間」ならば、1980 年
から 1982 年頃の同居のはずなのだが……まず唐沢俊一自身の手による裏モノ日記
の記述とそれが微妙に食い違う。

裏モノ日記 2006年 08月 18日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20060818180950.html

体調悪し。体力つけねばと東中野『大盛軒』で焼肉麺。なをきが東中野に
下宿していたころ、こればかり食べていた。つまりは四半世紀25年前と
同じものを食べているわけ。


2006 - 25 = 1981 だから、「なをきが東中野に下宿していたころ」というのが 1981 年。
阿佐ヶ谷はどこにいったかという話に……。では、唐沢なをきの上京 1 年目または上京
2 年目のみ阿佐ヶ谷で同居していて、それ以外は唐沢なをきは東中野に住んでたという
可能性はどうかというと、以下の唐沢なをきのブログ (書き手は奥さん) を読むと、それも
ちょっと考えにくい。

http://blog.nawosan.com/archives/51683197.html
>「東京に出てきてからやっとデッキのお金が貯まったんだよ!
> 大学の1年目か2年目だなー」
> また、大学とか言ってる! なをさんが行ってたのは大学じゃなくて美術系の専門
>学校なんすが、その学校は変則的で3年制だったんすよ。それで家族がみんな大学、
>大学と呼んでたので、なをさんも大学とかよく言ってんすよね。最初、見栄はってんの
>かと思った。もしなをさんが会話中で「大学」って言ってたら、それは専門学校のこと
>なんで脳内変換してやってくださいね。〈略〉

> 話がそれたが、ともかく、30万貯めたなをさんはダンボールの貯金箱を持って新宿
>のさくらやに行って、ベータビデオのJ9を購入。配送してもらえばいいのに、わざわざ
>東中野の下宿まで電車で持ち帰ったんだそうです(笑)。

> 「だって、その夜、日曜洋画劇場で日本で初めて『サイレントランニング』を放送する
>っていうからさ! 配送とか待ってられなかったんだよ。J9は20kgくらいあって重かった
>けど、どうしても録画したかったんだよ!」


「大学の1年目か2年目だなー」で「東中野の下宿」ということは、上京 1 年目と 2 年目、
つまり 1980 年と 1981 年は東中野に住んでいたという記憶がベースとなっているはず
ということで (『サイレントランニング』は 1981 年との検証はされているが、唐沢なをきは
この時点では、それを知らずに、というか忘れて「大学の1年目か2年目」といっている)。

このビデオデッキ問題については、以下のエントリーもあわせて参照していただきたいの
だが、上に引用した唐沢なをきが J9 を買ったというバージョンのみでなく、唐沢俊一が
1978 年に J7 を買ったバージョン (裏モノ日記 2008年 01月 19日) でも、唐沢俊一が
J9 を買ったというバージョン (『トンデモ創世記2000』) でも、兄弟が共同して購入した
との記述は存在しない。その時期、同居していたという記述も、実はない。

筋肉痛と嘘とビデオデッキ
唐沢なをきの時空超越 (藤岡真blog)
唐沢なをきからもパクっていた唐沢俊一 (藤岡真blog)

裏モノ日記にも、その手の記述は見あたらなくて、しいていえば以下に引用する日記が
学生時代の同居をにおわせていると見えなくもないのだけど……。

裏モノ日記 2007年 12月 25日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071225112727.html

昼は母の室で、訪ねてきたなをきと一緒に。
お互いくたびれた顔をしている。
母の作った牛飯をかきこみながら、雑談いろいろ。
〈略〉
30年前、阿佐谷のボロ下宿で酒をかっくらいながら二人でオダを
上げていた時代に戻ってしまった。
お互い仕事なので、じゃあ、と別れかけて、
「もう一回言うけどダメだよな、あれ」
「ああ、ダメだダメだダメだダメだ」
「とにかくダメだよ!」
「ああ、ダメだ!」
と繰り返したほど。
お互い、最近あまり人の悪口を言ってなかったのでだいぶ
エグゾースト出来た気分。


exhaust できたとは、くたくたになれたということか、それとも排気できたということか。
多分、解毒という意味ならデトックスあたりがくるんじゃないかと思うけど、おいといて。

2007 - 30 = 1977 だから、まあ 3 年か 4 年はオマケしてあげるとして (?) 1980 年か
1981 年くらいまでの話として……やはり唐沢なをきは東中野のはずだから……弟が
兄の下宿に遊びにきて酒を飲んだという話にしかならないなあ。

では、実は唐沢俊一は学生時代には阿佐ヶ谷に住んでいなかった――というのは、いくら
唐沢俊一とはいっても、複数の本の記述や以下の裏モノ日記の記述から考えて、ありえ
ないんじゃないかと思うし。

裏モノ日記 2003年 01月 10日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030110000000.html

 1時45分、新宿までタクシー、そこから中央線で阿佐谷。Web現代の
写真撮影 で中野なのだが、その前にこの連載で阿佐谷の、学生時代の
下宿跡を訪ねてみる、というのが出来ないかと思い、前調査に立ち寄って
みた。〈略〉ポツンポツンと新しい建物が建っているが、いやしかし、驚く
ほど当時(二十四年前)の光景がそのままに残っている。〈略〉もっとも
その隣の、大きな赤ちょうちんの破れたのをブラ下げていたホルモン焼き
屋は無くなっていた。ここは後に植木不等式氏や松村克也監督と再訪した
ことがあるが、ホッピーなる飲料の味を初めて知ったところであり、見知らぬ
相客と青臭い芸術論だの政治論だのを戦わせたり、イカサマ競馬師の
オヤジさんから、競馬の八百長のやり方のノウハウを伝授されたりしたこと
もあったところだった。
〈略〉
 なをきの『ホスピタル』のモデル(もちろん、外見のみ)になった河北病院
は入口近辺が改装されていた。徳川夢声から寺山修司まで、有名人が
多数この病院で息を引き取っていることもあるが、いろいろと当時から問題
あるウワサも流れていて、“シニキタ病院”などとも呼称されていたが、ます
ます繁盛っぽいのはめでたい。
〈略〉
 さらに奥へと歩いていき、冬の陽射しが最後の輝きを保つ2時過ぎの
晴れわたった空に、『玉ノ湯』の煙突が立っているのが見えたときは無性
にうれしくなった。阿佐谷で二度目の住居となった近藤サマ離れの隣りに
ある大きな銭湯で、学生街らしく夜中の一時過ぎまでやっており、ここある
によって私の阿佐谷生活は優雅なものになっていた(なにしろ、札幌の家
で二階の私の部屋から風呂場へ行くよりも、この銭湯に下宿から行く距離
の方が近かったのだ)。
〈略〉
 探索はそこまでにしよう、と思っていたのだが、この離れが(取り壊し待ち
のようにも思えたが)残っていたことで、もう少し足を延ばし、東京で最初に
住んだアオイ 荘の方まで行ってみよう、と、名物の五叉路(阿佐谷駅、中杉
通り、早稲田通り、高 円寺方面、馬橋公園方面への5本の道が交わる)を
越して行ってみる。
〈略〉
 で、その先を歩く。ここから先は住宅街で、さほどの思い入れもなし。
しかし、若かったとはいえ、当時から“駅から遠いなあ”と思っていたが、
やはり今歩いても遠い。近藤家の離れが駅から五分で、アオイ荘はそこ
からさらに七、八分歩く。友人などに道を教えるとき、“まだ歩くのか、
どこかで間違えて通り過ぎてしまったんじゃないか、と思った頃に倉庫が
見えるから”とよく言っていたバラック建ての倉庫は、まだそっくりそのまま。
しかし、その先にはちょっとお洒落な住宅が並んでいて、
「ああ、やはりもう建て直されたか」
 と、おかしなことにやや、ホッとしたのだが、そこでどうも記憶がトンで
いたらしく(上記の道案内が頭にあったからだろう)、その二軒の家の先
に、なんと、全部当時のままで、ありましたですよ『アオイ荘』。ひと気は
なかったが、“瀧澤”という表札もそのままで、雨戸も開けられて、まだ
住人がいる模様。ではあの婆さんがまだ生きているということか?
 7年前、訪ねたとき偶然にもこの婆さんに会って、ソバをおごられて
しまった。


× 河北病院 ○ 河北総合病院

2ちゃんねるのスレでも指摘されていた通り (Read More 参照)、「河北総合病院」が
正しい。
http://kawakita.or.jp/index.html
>社会医療法人河北医療財団河北総合病院(東京都杉並区)

「玉の湯」の地図は以下で見ることができ、「河北総合病院」がすぐ近くにあることも
わかる。

http://www.google.co.jp/maps/place?cid=13397798618281382578
>玉の湯 〒166-0001 東京都杉並区 阿佐谷北1-13-7

『奇人怪人偏愛記』の「阿佐ヶ谷で弟と二人暮らしをしていた時期に住んでいた住居」、
「阿佐谷で二度目の住居となった近藤サマ離れ」というのは、この玉の湯の隣で、その
前に住んでいたという「アオイ荘」の住所は下記の通り。

http://www.its-mo.com/c/アオイ荘/ZIDX_BLD,4-22-50-168-332300313/
>名称  アオイ荘
>業種  ビル
>住所  東京都杉並区阿佐谷北5丁目9‐8


http://www.its-mo.com/map/?&lat=128541100&lon=502721640&lvl=16&nc=1&icn=link02:128541100:502721640&name=アオイ荘
の地図を縮小していくと、日記でいう「近藤家の離れが駅から五分で、アオイ荘はそこ
からさらに七、八分歩く」は、まあそんなものかと納得できるのだけど、この日の裏モノ
日記でよくわからないのは、「名物の五叉路(阿佐谷駅、中杉通り、早稲田通り、高 円
寺方面、馬橋公園方面への5本の道が交わる)を越して」という記述。この五叉路という
のは、地図をだいぶ縮小していくと、左上の方に見えるアレではないのかなあ。これは、
玉の湯とアオイ荘を結ぶ線から、かなり離れていて、ここを通ると「七、八分歩く」では
すまない遠回りになりそうなんだけど。

で、このアオイ荘にも、ある程度長い期間 (最低 1 年くらいは) 住んでいたものと仮定
しないと、「7年前、訪ねたとき偶然にもこの婆さんに会って、ソバをおごられてしまった」
というのが多少不自然な話となるし、「芳賀堂書店」に通ったというのも、玉の湯の隣で
はなくアオイ荘からということでないと、「すぐ近く」というのは無理がある。


裏モノ日記 2006年 03月 13日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20060313000000.html

まだ出久根達郎さんが直木賞作家になる前、古本屋の親父だった頃、
ちょうど下宿のすぐ近くだった芳賀堂書店でこの本を探している旨を
告げると、出久根さんは
「なんだ、そんな本探しているのか」
といいたいような口調で、
「あ、それならうちの書庫にありますよ。次にいらっしゃるときまでに出して
おきましょう」
と笑って、それきりだった(出久根さんにはその他の本も何冊か探書を
お願いし、同じように安請け合いしてくれたが、結局一冊も探し出して
くれたことはなかった)。


裏モノ日記 2007年 12月 13日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20071213130116.html

思えばしりあがりさんの作品を初めて読んだのは、大学のとき、下宿から
歩いて十分ほどのところにあった芳賀堂書店(作家になる前の出久根達郎
氏のやっていた古書店)に置いてあった多摩美大の漫研の同人誌に、氏が
本名で描いていた漫画だった。



「芳雅堂書店」は、ググるとトップにくるページでは、なぜか「杉並区阿佐谷北5-46-24」
となっているけど、他の資料では「高円寺」「高円寺北4丁目早稲田通り」となっている。

http://www.kosho.ne.jp/address/23/suginami.html
>芳雅堂書店  杉並区阿佐谷北5-46-24  03-3338-9474 古書全般

http://plaza.rakuten.co.jp/yumenosuke2/diary/200411270000/
>昨日整理していた本に、「芳雅堂書店」という古書店票をみつけた。
>松田修の『日本逃亡幻譚-補陀落世界への旅』という本に貼りつけてあった。

>「芳雅堂書店」といえば、知るひとぞ知る、かの出久根達郎氏がかつて営んでいた
>本屋である。
>ブルーの地に白抜きで屋号と、住所の代わりに「高円寺北4丁目早稲田通り」と記して
>ある。
>店をいつ閉じたのか、詳しいことは知らないが、たしか作家業が忙しくなってもしばらく
>は営業していたはずだ。


http://mimizun.com/2chlog/book/book.2ch.net/book/kako/1054/10543/1054300337.html
>8 名前:吾輩は名無しである :03/06/02 13:54
>高円寺のはずれ、早稲田通りに、芳雅堂書店はありました。
>まあ一部の人に好評の店でした。今は閉店。
>エッセイにもなぜ閉店したかあったはず。
>この人は小説より、エッセイ 雑文に味があるのでは。


http://lib.nishi-iburi.jp/tosmok.asp?tilcod=98682&mngkbn=01&style=10
>著者紹介:1944年茨城県生まれ。高円寺で芳雅堂書店を経営、85年「古本綺譚」
>を発表。93年「佃島ふたり書房」で直木賞受賞。著書に「猫の縁談」「本のお口よごし
>ですが」など。


まあ「阿佐谷北5-46-24」だとしても、「高円寺北4丁目早稲田通り」と同様 (?)、阿佐ヶ
谷駅と高円寺駅との中間あたり、「早稲田通り」沿いになり、アオイ荘から 10 分くらい
の位置となる。玉の湯から 10 分というのは多分無理。


で、まあ、「本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)
でも紹介した衝撃の発言:

http://www.logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/books/1289833088/
>126 :無名草子さん:2010/11/16(火) 18:14:07
http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html

>「ここの年表、変だよねー」と、昔の友人と、話していたのでした。

>だって、ガンダム論争の頃、仙台にいたでしょう?

>「唐沢さんは、お家が裕福だから、薬科大と青山に在籍できてたのかもよ」

>なんて言う人もいたけれどね。


これを考慮にいれて (?)、唐沢俊一は 1977 年には札幌で浪人、1978 年には阿佐ヶ谷
のアオイ荘で浪人、1979 年には玉の湯の隣の近藤サマ宅で浪人、1980 年の弟の
上京と入れ替わりに東北薬科大に入学して仙台に、ただし 1980 年以降も弟を頼って
頻繁に上京していたという仮説をたてることも一応可能なんじゃないかと思う。

本当は、唐沢なをきが阿佐ヶ谷に住んでいた期間というのも特定したい気がするけど、
多少疲れてきたので、続きは (あるとすれば) 別エントリーで。

裏モノ日記 2001年 02月 16日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010216000000.html

 そこから東中野の商店街通りを散策。十年ほど前、東中野に事務所があっ
たころ、さらにその前、なをきの下宿があったころ、さらにさらにその前、中田
(親類)の家にしょっちゅう晩飯をタカリに行っていたころ、よく通った道だが、
面白かった店や古本屋がのきなみ無くなっていてガッカリした。



以下は、唐沢なをき側から発信されている情報。兄の影はない。

http://blog.nawosan.com/archives/51620933.html
> 今回は、バトンを受けたんだか受けてないんだかわかりませんが、なをさんが
>ずーっと住んでた阿佐ヶ谷の話。もう中野に引越して10年ですが、今でもしょっちゅう
>行ってます。良い街ですよー。
> でも、けっこう様変わりしてて、阿佐ヶ谷南口駅前の「アコヒーダ」という、なをさん
>定番の打ち合わせ喫茶店が、取り壊されちゃったのが寂しい。


http://blog.nawosan.com/archives/51640910.html
>「阿佐ヶ谷のハナシで ひっぱります」
>「そーいえば 学生時代 いろいろ通った
>なつかしの 飲み屋街は どおなってるかな!? 今!!」
>「つぶれまくってました(やっぱり)」
>「うわあ なんか これは
>ほぼ全滅?」


http://blog.nawosan.com/archives/51596485.html
>昔は、ゲロ吐きそうになりながら、一人で深夜の阿佐ヶ谷の中杉通りを、何十回とな
>くグルグルグルグル、歩き回りながらアイデア考えてたんですけどね。
>あれは本当に、つらい。
>冬の寒い時期とか、夜中に早稲田通りから青梅街道のあいだをずーーーっと往復で
>歩き回って、ついに明け方まで一個のギャグも思いつかなかった時なんか、マジで
>泣きたくなりましたよ。胃に穴が空くかと思ったですよ。
>あの漫画の作り方は、今、もう体力的に無理。

>いや、『電脳炎』からこっち、の唐沢なをき作品は、どれもこれも内助の功、といいま
>すか、多かれ少なかれウチの奥さんに助けてもらってるんで、ひたすら感謝、感謝で
>すよ。 ありがとう! 南無、奥さん大明神。


http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/08/06/karasawa/001.html
>――高校卒業後に、上京されたんですよね。

>「多摩美術大学の付属の専門学校のほうに進んだんですけど、そのために東京に
>やって来たんですね。東京の暮らしというのが、またこれが田舎の高校生には刺激
>的で(笑)。そのころまだ、ビデオとかそういうのがない時代ですから、映画の二番館、
>三番館巡りですよ。札幌にはあまりありませんでしたから、名画座の類は。あとは神
>保町の古書店めぐり。すごくエキサイティングで、あれよあれよという間に、1年、2年
>経ってしまって(笑)。まあ、そういうのを経て、そろそろちゃんとマンガ家になりたい
>な、というのはあったんですね。それで、やっと描き始めたわけですよ」



追記: 「私たち兄弟は阿佐谷で共同生活していた」と書かれている裏モノ日記を見つ
けた。ただし、学生時代のこととは書かれていないけど。

裏モノ日記 2007年 04月 23日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070423125720.html

二人で業界ばなし、
「××って、最近仕事がないらしいねえ」
「あんなに人気あったのに、コワいねえ」
「われわれもいつ、そうなるか」
「用心しないといけないねえ」
考えてみると、私たち兄弟は阿佐谷で共同生活していた、まだ売れる
気配のケの字もない頃から
「売れなくならないためにはどうしたらいいか」
と話しあっていたような気がする。また、売れたが故にヘンになっちゃった
人とか、長年売れないためにヘンになっちゃった人とかのゴシップも大好き
であった。その成果(?)が、私の文サバ塾であり、なをきの『漫画家超
残酷物語』であるような気がする。


では、兄弟が同居というのは、『奇人怪人偏愛記』の出た 2006 年から 2007 年に
かけてのみ言及されている設定かというと、『トンデモ創世記2000』に、以下のような
記述もあった……。

『トンデモ創世記2000』 P.220

唐沢● それとビデオデッキ。前も話したJ9。あのときベータにするか
VHSにするかで、ベータを勧めた奴からこのあいだ手紙が来たんです
よ。今で良かった。ちょっと前なら絞め殺していた(笑)。
志水● (爆笑)
唐沢● そいつの言うことを聞いて秋葉原まで買いに行ったんですよ。
阿佐ヶ谷に住んでたから新宿の方が近いのに。で、とにかく重いんです
よ。今のビデオは本当に軽いけどね。弟と二人で担いで帰って、次の日、
筋肉痛。当時はテープも高かったしね。



ちなみに、引き続き裏モノ日記を検索しているが、今のところ唐沢俊一が学生時代に
阿佐ヶ谷以外に住んでいたことがあると書いてある箇所は見つかっていない。

裏モノ日記 2003年 01月 22日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030122000000.html

Dさんが以前、阿佐谷に住んでいたのは、私の住んでいたのと同じ通り、
私も以前通ったことのある銭湯(玉の湯が休みの日はこっちへ行ってい
た。今はもうない)の近くだったとか。


裏モノ日記 2007年 03月 19日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070319172616.html

入浴時に貝印ゴールドSでカカトを削る。おお、削れるけずれると感激。
阿佐谷の銭湯でこれでカカトを削っていた30年前を思い出すなあ。



東中野の伯父の話は出てくる。

裏モノ日記 2001年 01月 22日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20010122000000.html

受験生のころ、東中野の伯父の家に泊ってうまれて始めてウィスキー
でベロベロになり、翌日、目ヤニで目が開けられず、失明したかと一瞬
パニックを起こしたものだ。


裏モノ日記 2003年 02月 23日(日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20030223000000.html

そう言えば、二十数年前の学生時代、うちの一族の長格である東中野の
大伯父が突如、
「俊一、『日本の首領』という映画を観に行きたいから上映しているところ
を調べて連れていけ」
 と言い出したことがあった。





More...

http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001
-------
821:無名草子さん:2010/11/24(水) 00:00:39
くりいりもなかって、なをさんの初期の単行本かなんかに名前出てなかった?

833:無名草子さん:2010/11/24(水) 08:20:09
唐沢が露見することを恐れているのは、ヤマトの嘘とかドンファンの嘘じゃなくて、
もっとみっともないことだよ。女にチンポ見せて、取り押さえられて泣いて謝ったとか。

877:無名草子さん:2010/11/25(木) 02:30:07
>>831
どうもです。いろいろ勘違いして書いているかもしれないので、皆様のツッコミ募集中です。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-564.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-565.html

878:無名草子さん:2010/11/25(木) 03:58:42
くりいりもなかさんって、うみのまもるさんだったのか。
おそらく唐沢さんよか前にSSにいたはず。
SSでは、うみのまもるさんだったので気がつかず。

879:無名草子さん:2010/11/25(木) 04:03:42
>>877
なんつーか、なをきの年表も作って検証するべきなんですかねえ。
手元にある「とりから往復書簡」だと上京して阿佐ヶ谷に11年住んでたとか、
風呂なしの下宿だったとか、2人で暮らしてた雰囲気がまるでなくて
兄の存在があやしいんですよねえ。

880:無名草子さん:2010/11/25(木) 05:14:35
もなかさん、今はプロではないので、唐沢検証には
巻き込まないで差し上げてください

883:無名草子さん:2010/11/25(木) 07:18:12
唐沢俊一史の中では弟と一緒に住んでいて、ビデオデッキを共同購入したかのような
記述があるんだけれど、なをさん史の中では高校時代から金を貯めてついに購入した
という話になっていて、兄貴のアの字も出てこない。

885:無名草子さん:2010/11/25(木) 07:25:24
テンテーの姿は、「まんが極道」のエピソードの集成で大体合ってるんじゃないか?

マンガ家のところに邪魔しに来てはけなしまくる一般人
原作を書いたことになっているけど何もしていない態度のでかい男
いばりんぼ
作品を見せながらいいわけばかりする無能同人メンバー
ド下手糞なのに、ちょっと雑誌に載っただけでプロだと自称

891:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:31:45
あの時代は風呂無しの下宿とかアパートとかが多かったんじゃない?
寝るだけに戻ってくるとか。

892:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:46:13
なをさんは、そのビデオデッキの現物を未だに持っていて、ブログにも掲載しているからねえ
それに比べて俊一は仙台では安物の中古を買ってきてそれを見ていたという記述がある
あの大枚はたいて、苦労して担いで下宿に持って帰ったビデオデッキはどこへいった?

それと下宿に関しては、ぴあの投稿では途中から住所変わっているんだよね。
3回目の投稿から「新宿区」になっている。
その前は阿佐ヶ谷だったんだろうか?

893:無名草子さん:2010/11/25(木) 08:53:35
弟から聞いた記憶がゴッチャになっていたりする?

894:無名草子さん:2010/11/25(木) 09:01:25
他人の体験と自分の体験が混ぜて書かれているような希ガス

944:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:40:38
2001年02月16日(金曜日)
そこから東中野の商店街通りを散策。(略)なをきの下宿があったころ、

2001年10月20日(土曜日)
夢の中に出てくる東京は、多分最初に上京したときに下宿した阿佐谷がモデルなのだろうが、

2002年11月29日(金曜日)
大学時代、初めての下宿生活での隣人が静岡の出身で、

2003年01月10日(金曜日)
阿佐谷の、学生時代の下宿跡を訪ねてみる
『玉ノ湯』の煙突が立っているのが見えたときは無性にうれしくなった。
阿佐谷で二度目の住居となった近藤サマ離れの隣りにある大きな銭湯で、
学生街らしく夜中の一時過ぎまでやっており、ここあるによって私の
阿佐谷生活は優雅なものになっていた(なにしろ、
札幌の家で二階の私の部屋から風呂場へ行くよりも、
この銭湯に下宿から行く距離の方が近かったのだ)。

もう少し足を延ばし、東京で最初に住んだアオイ荘の方まで行ってみよう
近藤家の離れが駅から五分で、アオイ荘はそこからさらに七、八分歩く。
ありましたですよ『アオイ荘』。ひと気はなかったが、“瀧澤”という
表札もそのままで、雨戸も開けられて、まだ住人がいる模様。
二階の下宿部分へ通じるドアも、当時のまま。ここの玄関で、
あの頃つきあっていた彼女と……イヤそこまで思い出すこともない、

2003年06月12日(木曜日)
仙台に下宿していたときも、マンションの四階で、
エレベーターなしの四回はキツくていやだなあ、と思っていたが、
しかし、いまのマンションも四階なのだが、蚊は平気で入ってくる。

945:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:42:08
2004年04月30日(金曜日)
私の、今の私に到る道は、札幌から上京したその初日に、
下宿の歓迎会の誘いも断って、この紀伊國屋ホールにアニドウの
上映会を見にいったことから始まった。

2006年03月13日(月曜日)
まだ出久根達郎さんが直木賞作家になる前、古本屋の親父だった頃、
ちょうど下宿のすぐ近くだった芳賀堂書店でこの本を探している旨を告げると、

2006年08月18日(金曜日)
体力つけねばと東中野『大盛軒』で焼肉麺。
なをきが東中野に下宿していたころ、こればかり食べていた。

2007年12月13日(木曜日)
思えばしりあがりさんの作品を初めて読んだのは、大学のとき、
下宿から歩いて十分ほどのところにあった芳賀堂書店(作家に
なる前の出久根達郎氏のやっていた古書店)に置いてあった
多摩美大の漫研の同人誌に、氏が本名で描いていた漫画だった。

2007年12月25日(火曜日)
昼は母の室で、訪ねてきたなをきと一緒に。
30年前、阿佐谷のボロ下宿で酒をかっくらいながら二人でオダを
上げていた時代に戻ってしまった。

946:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:43:00
2008年01月19日(土曜日)
29年前の1979年、バイトをやり、生活費を切り詰めて
やっと買ったベータマックスSL-J7(今の私にはその二つの
行為だけで25万8千円を稼ぎ出す根性はない。あのころの
オタク熱意の凄まじさよ)を秋葉原から阿佐谷の下宿までかついで帰り
翌日全身筋肉痛にさいなまれたことを思い出す。

2008年03月20日(木曜日)
何か生臭いな、と思ったら、カエルが車にひきつぶされていた。
昨今の温かさで、冬眠から覚めて地上に出てきたとたんに
輪禍にあった模様。昔、阿佐谷の下宿の前の道が、
雨降りのたびにカエルの事故現場になっていたのを思い出す。

2008年12月31日(水曜日)
あれは20歳のときだったか、ソニーのJ9を秋葉原で買って、
阿佐谷の下宿まで持って帰ったときには、あまりの重さに翌日一日、
筋肉痛で体がピクリとも動かなかったほどだった。
947:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:43:47
2009年02月14日(土曜日)
阿佐谷にあった『トトロの家』が放火(?)で全焼、との
ニュース。昔、下宿していたときはこの家の前を毎日通っていた。

2009年06月26日(金曜日)
マイケルが『スリラー』を発表した82~3年、
ちょうど東京で下宿生活を私は送っていたが、当時の新文化
であったレンタルビデオ店の、開店する際のカンバンとなる商品が
まず、たいてい『スリラー』のビデオであった。

2009年07月03日(金曜日)
(夢)その宿というのは私が学生時代下宿していたアオイ荘だった。

2010年01月05日(火曜日)
豚肉のしゃぶしゃぶは、向田邦子のエッセイで覚えたもの。
弟と二人の下宿時代の定番料理だった。

948:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:50:46
2008年08月21日(木曜日)
阿佐谷駅前の喫茶店、アコヒーダに閉店の貼り紙。
ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる。
なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここの
モーニングセットだった。デビューした後の、唐沢商会での
打ち合わせもここだった。その前、やはり阿佐谷に住んで
いたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所も
ここだった。彼女と別れたあともここで原稿を書いていた。
偶然、彼女が某A書店の編集に叱責を受けているのを見たのも
この店だった。アシスタントで紹介された大物マンガ家の
ところで、彼女のミスで原稿を紛失して首になったということ
だった。その後彼女は占い師になった(それも凄い転身だが)。
それで食えているとは思えなかったが、どうしたろうか。
故郷へ帰ったか、まだこちらで暮らしているのか。
以前、ふと思い立ってググってみたが彼女の使っていた
ペンネームでも、また本名でも、一件もヒットしなかった
(同人誌に使っていた名前では一件あったが、もう何年も前の
ものだった)。
往時茫々にして全て夢の如し。

949:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:58:01
2009年01月22日(木曜日)
『私を愛したスパイ』
ところでこの映画は、1977年12月の公開。私が上京したのが
1978年の3月で、上京する前の正月に、札幌の映画館で観た
最後の映画であった。
当時のガールフレンドたちと一回ずつ日を変えて観に行ったので、
計5~6回は観た勘定になる(まあ、はるか昔のことで、
そのような世迷言を発するほどもう、自分も老耄しておりますので)。

2002年03月29日(金曜日)
リバイバルの『情婦』を丸の内に観にいったとき、当時のガールフレンドが
観終わって怒って私を置いて一人で帰ってしまったこともあった。
まあ、彼女は黙壺子フィルム・アーカイヴなどの常連客で、
『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』の大信奉者だったから、
こういう王道には反発を感じたのだろう。


メモ
『ピンク・フラミンゴ』は1972年製作の映画だが日本公開は1986年

950:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:04:55
>>934
コメント欄なんか気にしたこともない
っていうか普通読まない

951:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:13
2001年06月23日(土曜日)
と、地図が全部古書店起点で成り立っていて呆れたそうである。
私も昔はそうだったなあ。
学生時分、札幌時代につきあっていた女の子が東京へ出てきたとき、
名画座と本屋しか東京を案内できず、怒られたものだ。

2003年05月15日(木曜日)
ネットでちょっと資料検索。していたら、のぞいたサイトの主宰者が、
昔つきあっていた女性だった。ちょっと驚く。
ううむ、趣味とかその他、まったく変わっていないなあ。
人を攻撃する口調のきびしい女性で、別れたときには、
もうもう二度とああいう口の悪い女とはつきあうまい、
と思っていたものだが、結局、彼女に数倍して口の悪い女性を妻にしてしまうとは。

2003年07月15日(火曜日)
大学一年あたりで、つきあっていた女の子が“でも、あの坂口祐三郎って絶対ヘンだよー、
首筋がやけに細いしさー、目キラだしさー、唇色っぽすぎるしさー”と
熱心に主張してから、そうかと思って改めて見てみると、なるほど、これはヘンだった。

2004年07月12日(月曜日)
朝、ロシアアニメ『雪の女王』の上映会で昔、同人誌でつきあっていた子と出会う、
という夢を見た。

952:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:59
2006年01月10日(火曜日)
映画『日蓮』、大学時代新宿松竹で観たことがあるが、
キャストだけはめったやたらに豪華だったが映画の内容はほとんど記憶にない。
チケット買って入るとロビーのところでクジがあって、それが当たった。
2万円相当の真珠が当たって、それをネックレスに加工するので5000円払え、
という詐欺みたいな手口。一時はロードショーの映画館にやたらこの商売が
進出していたものだ。呆れていらないと言おうと思ったが、
その当時つきあっていた彼女へのプレゼントになるかも、と思ってつい、
支払ってしまったことをいまでも後悔している。

2007年10月23日(火曜日)
「マグマ大使の笛の音の話」
昔、つきあっていた彼女も“ピポロピー”派だったので、
日本中、このピポロピーで認識していると思ったのだ。
こんな少数派だったとは。

2009年08月21日(金曜日)
それから新宿駅東口地下の喫茶店でもちょっと出演者関係の話。
ここ、昔はメイって店名で、札幌で最後につきあっていた
女の子の名前と同じでずっと気になっていたまま三十年近く、
入ることなくこの喫茶店に変わってしまった。何か飲んだ
コーヒーの味もほろ苦い。

953:無名草子さん:2010/11/26(金) 02:06:42
ビデオの機種が違わくないか?

954:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:08:43
当時のガールフレンドの中にオトコノコも混じっていそうだ。

955:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:13:42
またBL妄想か。

956:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:50:00
妄想もここまでだとキモイわ

957:無名草子さん:2010/11/26(金) 06:59:40
ドンファンだけはガチ



ということにしてあげないと、あまりに悲しすぎる。

958:無名草子さん:2010/11/26(金) 07:30:24
なぜ結婚してる男が昔の彼女の話ばかり日記に書くんかなー。理解できんわ。

つきあってたって、どんくらい?

959:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:06:11
阿佐ヶ谷
・最初に上京した場所(2001/10/20)
・初めての下宿で隣人が静岡の人(2001/11/29)
・30年前、なをきと酒をかっくらっていた(2007/12/25)
・1979年βマックスSL-J7を秋葉原からかついで帰る(2008/01/19)
・20歳の頃ソニーJ9を秋葉原からかついで帰る(2009/02/14)
・下宿の前の道でカエルが轢かれていた(2008/03/20)
・トトロの家の前を毎日通っていた(2009/02/14)
・駅前の喫茶店アコヒーダ、デビュー当時の唐沢商会の打ち合わせ(2008/08/21)
・同店・阿佐ヶ谷に住んでいた彼女との待ち合わせ場所(2008/08/21)

阿佐ヶ谷:アオイ荘
・東京で最初に住んだ下宿(2002/11/29)
・龍澤という表札があり、下宿は二階(2002/11/29)
・ここの玄関で当時の彼女と何かあったらしい(2002/11/29)
・下宿では初日に歓迎会が開かれるようなフレンドリーな感じ(2004/04/30)
・しかしそれを蹴ってアニドウの上映会を見に行った(2004/04/30)
・大学へ入学した日にアニドウの上映会に行った(「トンデモ創世記」53ページ)

阿佐ヶ谷:近藤サマ離れ
・阿佐ヶ谷で二つ目の下宿先(2002/11/29)
・隣には「玉ノ湯」という銭湯がある(2002/11/29)

出久根達郎の「芳賀堂書店」という古本屋(芳賀堂書店は阿佐ヶ谷にあったらしい)
・下宿のすぐ近く(2006/03/13)
・ここでしりあがり寿が書いていた大学の同人誌を読んだ(2007/12/13)

960:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:07:51
仙台
・エレベーター無しのマンション4階に住んでいた(2003/06/12)

東中野
・なをきの下宿があった場所(2001/2/16)
・「大盛軒」の焼肉麺をなをきが下宿していた頃食べた(2006/08/18)

場所不明
・1982~83年、スリラーの次期に東京で下宿生活(2009/06/26)
・なをきと下宿で豚しゃぶを食べていた(2010/01/05)

961:無名草子さん:2010/11/26(金) 08:15:30
・1979年βマックスSL-J7を秋葉原からかついで帰る(2008/01/19)
・20歳の頃(1978-79年)ソニーJ9を秋葉原からかついで帰る(2009/02/14)
・ソニーJ9を秋葉原から担いで帰る「トンデモ創世記」65ページ

※トンデモ創世記では弟と……という事になっているが、弟の上京は1980年4月
※そしてJ9は1980年発売、定価が29万8000円

976:無名草子さん:2010/11/26(金) 10:46:56
>なをきの『ホスピタル』のモデル(もちろん、外見のみ)になった
>河北病院は入口近辺が改装されていた。徳川夢声から寺山修司まで、
>有名人が多数この病院で息を引き取っていることもあるが、

正しくは「河北総合病院」な

>名物の五叉路(阿佐谷駅、中杉通り、早稲田通り、高円寺方面、
>馬橋公園方面への5本の道が交わる)を

河北総合病院のちょっと北にある交差点だね。
つまりこの周辺に唐沢の阿佐ヶ谷2つ目「近藤サマ離れ」という下宿があったのか

ここまでが駅から5分、さらに7・8分歩いて最初の下宿アオイ荘
トトロの家(阿佐谷北5丁目)の前を毎日通ったという記述がある
その五叉路から北に進んだ所にある区立杉森中学周辺が5丁目なのでその周辺か

978:無名草子さん:2010/11/26(金) 10:51:52
79年か80年に、重いビデオデッキを担いで帰ったというのは
当然電車に乗って、駅からですよね...
その時は2つ目の下宿だったんでしょうか?
だとしても、普通に歩いて5分の距離
大変だったですね。


ちなみに自分は1980年に吉祥寺にあったラオックスで
コンポを購入した際、小型の折り畳みの安いカートを
オマケでつけて貰ったので、かなり重かったけれど
翌日、筋肉痛にはなりませんでしたよ。

981:無名草子さん:2010/11/26(金) 11:20:06
あ、オレも2万円程度のレコードプレーヤーを購入した時に
本当にちゃちだったけど折り畳みカートを付けてもらった。
唐沢も29万もするビデオデッキを購入したんだから
その辺のオマケは無かったのかな?

29万だったら、店の人が無料で配達してくれるとか
当時もそんなサービスしている店もあった気がする。

984:無名草子さん:2010/11/26(金) 12:19:39
>>981
配送だと翌日になるが、当日晩にどうしても録画したい番組があったので、
やむなく持ち帰ったということを唐沢なをきは書いているとのこと。
俊一のほうはそういう理由なしで、単に苦労自慢してるから意味不明になっている。

-------

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/
-------
117 :無名草子さん:2010/11/28(日) 01:00:24
小ネタ

札幌の喫茶店 土曜の昼下がり 男性3名 女性3名
いつも来るサークルの女の子が来ない
唐沢氏がその女の子に電話をかけて戻ってくる

唐沢「×××(女の子の名前)不機嫌で、病気じゃないけど気分悪いから来ないって。ワガママなんだよな、あの人」

A 「×××さん 毎週来ているんだから来ない時もあるわよ 女の子だし」

唐沢「あっ そうか 女だもんな 生理なんだ ××× 生理なんだ」

後の席の客も振り向くような喫茶店中に響く唐沢氏の大声、サークル仲間は男女ともドン引き。

唐沢氏はAさんにヒジ鉄を喰らわされてました。


×××さんの知らない話です。


439 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:22:50
アンチも相変わらず青学だ、ヤマトだと進歩がないのに呆れるなあ。唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。
日記の日付が正しい今違っているって小学生の夏休みの日記のでも読んでた方がいいんじゃないの?
で、何月何日ラジオ体操に行きました、と書いてますが、その日は雨でラジオ体操体操はありませんでした、と「検証」するみたいなさ(笑)。
青学に入学した日にアニドウの、ってのも別にその日に意味があるわけじゃなくて、青学に入学して下宿に引っ越してきた頃にアニドウの、と読み替えれば別に関係ない。
本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。


440 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:23:47
唐沢の日記というテクストを読むという体験は、虚構と現実が渾然一体となったボードリヤールのいうシュミラクルの中で感覚を過剰なまでに刺激される目眩を楽しむわけであるから、
「正確」なんてつまらない価値観にとらわれない、ラカン的勇気をというものを持って取り組んで欲しいなあ。

あと本人だとか、~まで読んだみたいな紋切り型の罵倒だけは勘弁して欲しいね。お願いだから(笑)。
結局アンチってそういうコピペに毛が生えた程度のことで自分では気が効いた反論と思い込んでいるところが滑稽きわまりないんだよなあ。
多少の「独創性」があるまともな意見ならちゃんと読んで反論してあげるからさ(笑)。
ま、がんばってね(笑)

441 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:25:23
1980年代にこういう文体のライターをよくみたなあ

445 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:37:15
>>439
>>440
深夜のお勤めご苦労様です!
日記内の記述云々よりも、それ以外の基礎的な素養がどうかと思うんですがw
P&Gを抜きにしてもね。

446 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:53:15
イマドキ小学生だって日記の天気は調べて書くだろうにw

調べないで知ったかぶりするから回りに面白がられているんだろう?

447 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:59:36
だって「博覧強記」なんでしょ? なんで間違えるのさ。

461 :デューの字:2010/12/02(木) 07:38:13
>>貧乏人は公立に通っていたんだよ。

自分は婆腹と同世代の元・道産子だが、札幌およびその近隣に住んでる秀才は、
札幌南、札幌西、札幌東、札幌北、札幌旭丘……といった進学校中の進学校を目指したものだし、
家庭の経済事情はそこには関係してなかったのも覚えてる。
また、光星高校が「公立の滑り止め」という印象だったのもこれまでの指摘通り。

北海道の私立のエリート進学校と言えば、女子なら藤高等学校、男子なら函館ラ・サール
なんじゃなかろうかと思うんだが。

てか、仮に光星高校がエリート養成機関だったとしても、
テンテーが無学無教養だったという事実は曲げられないし、とうてい曲げようがないんだが。

463 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:50:02
唐沢俊一に青山学院はおろか札幌光星高校にも在籍してなかったとの新説が
      ↑
『噂の眞相』一行情報風

464 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:56:32
>439-440
>唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。

表現者に「面白く書く(描く)」「面白くまとめる」能力が要求されるのは分かるんだが、
読者に「面白い姿勢で読み解く」能力が要求されるという話が理解できない。
そこにボードリヤールやラカンがどう関係するのかも納得しがたい。

全般的に、バカ盛り系さん&来訪者さんの詭弁を久しぶりに聞かされたという感じがした。

465 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:59:47
>>463
いや、それはないw

466 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:10:52
テンテーが日記書き始めた当初は、ネットでいろいろ調べる人も少なくて
コピペし放題、過去の捏造し放題だったんだろうね。

467 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:12:09
常識の斜め下を行くのが唐沢だから
青山学院どころか高校も出てない中卒だったというのが真相でも、おれは驚かないね

468 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:13:59
国語、数学、理科、社会、の学力が中卒レベルなのは、皆さんよくご存知ですよね。

469 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:19:50
>>439
同意

470 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:21:02
中卒でも高卒でも真っ当な人生を送っている人もいるのです。

学歴は人間性には関係ない。

471 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:27:43
中卒なのに大卒を詐称するのは人間性が真っ当でない人。

学力も知識も無いのに博覧強記を気取ったせいでガセとパクリの大山脈ですよ。

472 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:33:03
>>470
>学歴は人間性には関係ない。

うん、全面的に同意。
人間性を疑われるのは学歴を詐称する輩であってね。



473 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:37:24
テンテーの擁護をしよう。

テンテーは光星高校に通っていたよ。
一度だけ制服姿を見たことあるもの。

私服通学女子が「ダッセー」って言っていた。


474 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:44:47
幸いなことに?
あなたがたは凄まじい人間のクズですから、
どれほど冷酷に追い込んで殺処理しても、人間社会のかたは誰も文句は言いませんし、むしろ大喜びですよ。


なるべく急いで進めます。信頼してくださいね。

では、引き続き。

475 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:03:41
>>473
唐沢が高校生の頃に「ダッセー」なんて言葉はない。

476 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:25
>>475
うん。
「ダッセー」じゃなかったかもしれない。
「カッコワルイ」だったかもしれない。

477 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:29
>>439
>>440
日記じゃないよ。
青学入学とアニドウ上映会の話は「トンデモ創世記2000」に載ってる。
テンテーは日記から印刷されたものまで虚偽が混じっているということですね。
それなら知っています。

478 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:09
>>439
>本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
>正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
> あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。

おっと、と学会を、特に山本弘会長を揶揄するのはそこまでだ
しかも、正確ヅラして罵倒したあと、「山本の言ってることもこんなに不正確じゃん」とツッコミを入れられまくって笑いをとるという、関西人ならではのサービス精神の持ち主なんだぞ!

479 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:48
>>473
高校生時代のテンテーを「唐沢俊一」だと認識できたということは、あんたもほぼ同じ年代だということだよな?
だとしたら、「カッコワルイ」の間違いとして「ダッセー」という言葉が出てくるとは思えない。


480 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:33:13
>>479
絡むなぁw
ほぼ同年代だけど「ダッセー」は使うよ。

テンテーの同級生にヤマウチさんだかウチヤマさんという人もいたよ。

テンテーが光星高校に通っていちゃ困る人なの?


481 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:39:44
>>480
今使うかどうかじゃねえよ馬鹿。
その年代ってもう痴呆に突入してんのか?


482 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:43:49
>>481
うん。
痴呆に突入しているよ。

483 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:48:52
そりゃよかった。


484 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:51:25
学歴詐称疑惑は青山だけでいいよ。もう。

485 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:02:47
本人が薬科を中退したと、どこかで書いていたので
残るのは青学だけ。

486 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:14:47
たしかに、光星高校に通ってたかどうかなんてどうでもいいな。
いいよそのくらい詐称してもw


487 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:15:04
痴呆の人、何か思い出してよ

488 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:26:36
>>479
ダサイという言葉は、80年代以降の言葉ではなく
1974年6月「POKETパンチOh!」で、
格好悪い事を意味する言葉として紹介されている。

これでいいですか?

500 :無名草子さん:2010/12/02(木) 11:18:47
学歴に関しては、それが仕事に繋がっていたりするから、飯の種の1つだった。
なんか昨日から、
ヤマトサークルの話が続くと「ヤマト問題は飽きたから」で
大学時代の話が続くと「証明出来ないからPP&Gの話題を」と
違う方向に持っていこうという意見が出るけど

テンテーの面白さは、これらの虚実部分を色々な所で語っているウチに
脳内でジワジワと本物になっていく感じなんだと思うよ。
他人の想い出を自分の想い出のように書くスタイルみたいに。

通学していた青山学院大学の最寄り駅を知らなかったり
大学当時に開通していない鉄道の記憶が曖昧だったり
普通の人だったら「30年前の話だからね」で済むけど
唐沢の場合はその時代の事を何度も書いたりしているワケだから
その都度、その時代の事を思い出したりしていないのか?

実際じゃない記憶はどんどん脚本されていくんだろう。

501 :無名草子さん:2010/12/02(木) 11:29:06

あなたがたは、本当に凄まじい人間のクズですね。

523 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:01:12
>>500
>大学当時に開通していない鉄道の記憶が曖昧だったり

青山学院に通ってて、半蔵門線の記憶が定かでないというのは、絶対におかしい。
三越前・半蔵門間の開通は1989年。唐沢が30歳のときだぞ。

本当に青山学院に通ってたのなら、土曜日の午後や金曜日に急に講義が休みになったりして
大学から神保町へ直接行った(金、土は古書会館で古書市がある)こともあるだろうし、
行きかたが面倒だったことぐらい覚えているだろう。


524 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:24:26
テンテーが新しいネタ振ってくれないから古いネタをいじくりまわすしかないんだよなあw
本当なら学歴問題なんてどーだっていーんだよ。学歴に関わらず馬鹿なんだからw


526 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:29:32
>>学歴に関わらず馬鹿なんだからw
ワラタww全くご指摘の通りww

527 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:37:39
>>511
雑学王とか名乗りながら「古墳は縄文人が作った」とか「第2次大戦は
1941年に始まった」とか小学生以下の知識レベルしかない点を嘲笑われ
てるのも忘れちゃいかないと思いますがw

528 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:40:40
テンテー、札幌の予備校に通って次の年も大学に受からなかったもので
親戚とかに世間体が悪いから、青学に受かった事にして東京の予備校に
通ったんじゃないか?
それで次の年に薬科大に受かって仙台に住んだ。
その翌年に弟が出てきて、仙台から東京に通う。
薬科大を3年で中退して、弟の所に転がり込む。

何か青学と薬科大の同時進行って信じられないんだ。

529 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:42:16
>>524
古いネタをほじくり返しても、新しい驚きが発見できる唐沢先生。
ある意味、じつに芳醇です。

530 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:46:03
仮に本当に二重在籍していたのなら、校則違反で入学取り消し(というか退学?)じゃないのかな?もう
退学済みの人にどういう処分するのか知らないけど。

541 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:02:41
誰かサークルのリーダーかメンバーに聞けばいいじゃん?

それより青学の方が気になるんだけれど。

543 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:05:03
青学は数少ない証明できる事柄だし、本人へのダメージが大きいのでなんとか検証したいね。

545 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:18:45
ヤマトにしても、青学にしても、どちらも普通に考えたらダメージが大きい。
しかしどこを斬ってもP&Gという唐沢俊一は、逆にどこを突っつかれてもダメージは同じ。
もう消え去るのを待ってるだけのような状態。

大御所ぶっていたけれど、10年後に「あの人は誰?」で取り上げられることすら無い
超小物、超無名人だというのがバレちゃっているし。

546 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:22:37
とういうアンチの願望だったとさ。

547 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:22:55
「唐沢俊一2010流行語大賞」はいったい何だったのですか?

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Comment

>ハヤタ隊員さん
>一度閉店しましたけど、その後通販専門の古書店として再開

そうですね、追記をアップした後で、『トンデモ創世記2000』にも、その旨書かれていたことに気がつきました。(_ _);

『トンデモ創世記2000』 P.72 ~ P.73
>唐沢● いや、高円寺なんですよ、道路沿いにありましてね、芳賀堂書店(編註:
>現在店舗はなく「書宴」という目録のみ年一、二回発行している)という名前で。
>出久根達郎さんとはしょっちゅう話してましたね。それが七八、七九年かな。
>それほど特徴のある書店じゃないんですよ、まんべんなく揃えてる。文学書から
>歴史書からビニ本まで置いてあるっていう書店。
〈略〉
>唐沢● そう、広くない。学生が銭湯の帰りにぶらりと寄って、蛍光灯も暗くてね。
>阿佐ヶ谷の学生街のザワザワしたところで、非常に雰囲気のある良い所でしたよ。

# この「編註」も、今回は『風と木の詩』萩尾望都作の類いではなかったようで……。


それにしても、以下のようなページを読むと、唐沢俊一の書いている「出久根さんにはその他の本も何冊か探書をお願いし、同じように安請け合いしてくれたが、結局一冊も探し出してくれたことはなかった」は信じられない気が。

http://www.hue.ac.jp/Seminar/sd_oka/txt/syoen.html
> ほしい全集が出ていて、買う約束をしたまま帰郷してしまい、三年ほどして
>寄ってみると、ちゃんと並んでいた。「あの全集」と言うと、やっと取りに来て
>くれたかという顔をされ、当時決めた値も覚えておられた。間口二間ばかりの
>小さな本屋で、その全集を三年間音信不通の客のため置き続けてくれていた
>店主に対して言葉が出なかった。この店主から、本の見方だけでなく、仕入れ
>や値のつけ方まで教わったことが、大いに役立っている。ちなみにその古本屋
>は芳雅堂といい、店主は出久根達郎氏。本年の直木賞受賞を喜び、かげながら
>祝杯を挙げたのは私一人ではない。書宴は氏の手書きになる芳雅堂在庫目録
>の表題である。
トンデモない一行知識 |  2010年12月06日(月) 23:53 |  URL |  【コメント編集】

●芳賀堂

芳賀堂書店は一度閉店しましたけど、その後通販専門の古書店として再開されたと記憶してます。かつてのお店が高円寺4丁目、現在の住所が5丁目なのではないかと思います。

あと、五差路は、左下にあるセブンイレブンのところじゃないですか。
ハヤタ隊員 |  2010年12月06日(月) 06:41 |  URL |  【コメント編集】

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