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2010.12.04 (Sat)

本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル『スカーレット・スカーフ』(3)

本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル「スカーレット・スカーフ」(1)
本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル『スカーレット・スカーフ』(2)

の続き。

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)」の Read
More
に引用したよりも後の2ちゃんねるのスレへの書き込みを Read More に収納
してみた。

『トンデモ創世記2000』 P.32 ~ P.33

高校三年のときに『宇宙戦艦ヤマト』との出会いがあったんですよ。
志水● 当時はやっぱり『ヤマト』だよね。
唐沢● その頃、人気番組は長く続いて関係資料とかも集まるけど、
『宇宙戦艦ヤマト』は人気がなくて二クールで打ち切られてしまった。
だから語ろうとしても語る相手が周囲にいない。このときはじめてSF話
やオタク話ができないという飢餓的状況にあった。それは札幌にアニメ、
SFオタクのメッカとなった「リーブルなにわ」という書店がありまして、
この書店の店長だったHさんという人が元々は詩のファンだったり、
同時にファンタジー文学のファンでもあったんです。国書刊行会の本
とか月刊ペン社の「妖精文庫」だとか、他の本屋さんには置いてない
ような本も売ってましたね。専門のコーナーまであって札幌では一番
売れている書店だったんだけど、我々はそこを溜まり場にしていた。
書店がビルの地下一階、二階で、地下一階の店内の真ん中には
防火扉がデーンとあるわけですよ。で、ドアの部分には物が置けない
ので、空いたスペースに模造紙の「伝言板」を貼って、お客さんの意見
交換の場にしてた。それこそ最初はデートの約束だとか読書感想が
書き込まれていたけど、徐々にアニメ・マニアのものになりはじめて、
自分で選定した「手塚治虫ベストテン」 とか、「星新一作品ベストテン」
とかを書く奴が出てきた。
 その中に「『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブを作りませんか?」って、
わずか一行、目立たなくあったんですよ。すぐに連絡して参加しました
よ。その辺りから「『宇宙戦艦ヤマト』の再放送嘆願をしましょう」とか
いう、いわゆるファン活動をはじめましたね。札幌が東京に比べて有利
だったのは、地方局でしたから放送局がこじんまりしていて、STV(札幌
テレビ)とかHBC(北海道テレビ)など、だいたい五、六十人の署名を
集めて送ると再放送してくれたんですよね。
志水● いいねぇ。
唐沢● 取っかえ引っかえ、『宇宙戦艦ヤマト』『海のトリトン』『宇宙戦艦
ヤマト』『海のトリトン』……ってやったり。『ルパン三世』『ガッチャマン』
『ルパン三世』『ガッチャマン』……とかね。各局に我々が嘆願したんです
よ(笑)。
〈略〉
 とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんな
に北海道で再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。ヤマト関
連のレコードもずっと注文が続いたり。さっきの「リーブルなにわ」の上が、
レコード屋なんですよ。アニメのレコード注文がかなりあるんで、レコード会社
のコロムビアの営業マンや、出版の営業マンとかが、札幌の地方営業で
「リーブルなにわ」詣でをするようにまでなったんですよね。


このすぐ後に、「角川歴彦さんにも感心してもらったんだぞという夢または妄想」で引用
した文章が続く。

本当はヤマトのファンでも何でもなかった唐沢俊一」のエントリーに引用した『トンデモ
美少年の世界』では、「そのほとんどが大学の一年生と予備校生であったことだ(僕自身
予備校生だった)」と書かれている唐沢俊一の宇宙戦艦ヤマトのファンクラブ活動だが、
この『トンデモ創世記2000』では、「高校三年のときに『宇宙戦艦ヤマト』との出会いが
あったんですよ」――と微妙に前にズレはじめている。これがもっと前にズレて、出会いが
高校二年のときになるバージョンも後年登場する。

ただ、この本でも「あの予備校時代の一年って、今の四十になってからの時間で考える
と五、六年に匹敵するようなかなり濃い一年だったな。」と書かれているので、唐沢俊一
が活発に動いていたのは 1977 年になってからのことで、先駆者を気取るには無理の
あるタイミングといえるだろう (後述。それとここも参照)。


さて、唐沢俊一は、「レコード会社のコロムビアの営業マンや、出版の営業マンとかが、
札幌の地方営業で『リーブルなにわ』詣でをするようにまでなったんですよね」と、ここに
書いている。このリーブルなにわという書店について、唐沢俊一は何度も言及している。

本当はサークルの代表者ではなかった唐沢俊一
「私の活動を指示してくださっていた書店の店長」「私が出していたアニメ研究同人誌」

(「唐沢俊一以外が紹介していれば、もっと売れていた気がする『綺想迷画大全』」の
Read More にも、リーブルなにわの話題が少々)。

しかし、「出版の営業マン」はよいとして、「レコード会社のコロムビアの営業マン」が、
どうして書店である「『リーブルなにわ』詣で」をしなければいけないのだろうか、レコード
会社の営業マンもまあ、上の階にあったレコード店に寄ったついでに「リーブルなにわ」
に顔を出すこともあったかもしれないが、「詣で」ていたのは主に「玉光堂」ではないか
――と思うようになったのは、2ちゃんねるに書き込まれた以下の書き込みを読んでから。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/412-
>412 :無名草子さん:2010/12/01(水) 10:38:13
>『宇宙戦艦ヤマト』と70年代ニッポン』(アライ=ヒロユキ・著 社会評論社・刊)の
>p245-246に
>興味深い記述を発見したので以下に引用する。(改行も原文のまま)

>> いまや世界に冠たるアニメソング人気の火付け役のひとつは、日本コロムビアの木村英俊の企画で
>>一九七六年に発売された『テレビまんが主題歌のあゆみ』という四枚組のセットレコードである。
>(中略)
>> このころ、日本コロムビアに大量に届くファンレターの中には、『ヤマト』のシングルレコードの
>>再発を望む声が多かったという。放映時のシングルセールスの惨敗の泣かされた木村だったが、時代
>>の変化を感じ、『ヤマト』のドラマ編レコードの発売を決断する。
>> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、映画公開は翌月
>>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌市のレコー
>>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。(木村英俊『THE アニメ・ソング』角川書
>>店、一九九九年)。オリコンのLPチャートを、八月二九日から一〇月三日までの六週間首位をキープ
>>した。累計で一五〇万枚売れたという。ここにも、草の根で『ヤマト』を支えるファン層の動きを見
>>ることができる。

>引用終わり。
>「ヤマトブームは札幌から始まった」には程遠いのだが、ひょっとしてこれが唐沢ぼ大言
>壮語の根拠か?

>413 :412:2010/12/01(水) 10:40:41
>一部訂正

>× シングルセールスの惨敗の泣かされた
>○ シングルセールスの惨敗に泣かされた


そして、自分は唐沢俊一の書いた文章の中に、「リーブルなにわ」というのは何度となく
目にしたことがあるけど、「玉光堂」の方は見た覚えがない。

調べてみたら、リーブルなにわが一ヵ所のみ (チェーン店でも何でもないため) である
のに対し、玉光堂は札幌に 13 店ある。「札幌市中央区」のみとっても 3 店もある。
唐沢俊一のいう「『リーブルなにわ』の上が、レコード屋なんですよ」の「レコード屋」とは、
札幌の四丁目店をさすものと思われる。

http://www.hotfrog.jp/企業/なにわ書房-リーブルなにわ
>なにわ書房 リーブルなにわ北海道 札幌市中央区 南1条西4丁目 Japan
>電話: 011-221-3800


http://www.gyokkodo.co.jp/?page_id=27
>玉光堂 >> 札幌
〈略〉
>四丁目店 〒060-0061 札幌市中央区南1条西4丁目
>TEL 011-231-5501 FAX 011-252-0677


「木村英俊『THE アニメ・ソング』角川書店、一九九九年」でいう「『ヤマト』の再放送が
北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌市のレコー ド店玉光堂で爆発的に
売れ、これが全国へと広がっていった」――というのが本当だとして、それがどれだけ、
唐沢俊一たちが本拠地にしていたリーブルなにわの上の階にあった、四丁目店という
一店に依存したものだったのかは疑問に思う。札幌に何店もある一店のみが、そんなに
突出して売り上げを誇っていたというのだろうか。

そのような疑問をもたせないようにするため唐沢俊一は「玉光堂」の名前を前面に出す
ことを避け、もっぱら「リーブルなにわ」にだけ言及していたのか、それとも「玉光堂」と
「リーブルなにわ」は同じ建物にあるが別の店ということを、あまり認識していなかった
のか。どちらにしても怖い話のような気がする。


さて、2ちゃんねるのスレには、「当時のサークル者です」という人による以下の書き込み
があった。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/460
>460 :無名草子さん:2010/12/02(木) 03:35:36
>>>412
>当時のサークル者です。

>玉光堂はリーブルなにわとは地下通路で繋がっているレコード屋さんす。
>ちょうど地下鉄大通り駅の上にあり、入り口が1階なので
>位置的にとてもレコードが買いやすい店です。

>私もヤマトのレコードや他のアニメのレコード、その他のレコードを
>だいたいこの玉光堂で買いました。
>ここでレコードを買うと特典のポスターがもらえたからです。

>でも、誰かから「この店で買うように」などという支持を受けた事は
>ありません。
>もし、そういう活動があれば覚えているはずです。

>唐沢さんの嘘には、もううんざりです。
>何でも自分の手柄にしないでください。

>同じ道民として恥ずかしいです。


「何でも自分の手柄にしないでください」、「同じ道民として恥ずかしいです」は、前のスレ
の、このあたりの書き込みを受けてのものなのかな。

http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001
>649:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:32:20
>2006.07.23 http://www.tobunken.com/diary/diary20060723000000.html

>>工藤さん、前田ひろゆきさんとも挨拶。前田さんは新感線の池田成志に似ているような。
>>工藤さんは札幌出身で、私たちの『ヤマト復活運動』をダイレクトに見て育ったという。
>>『アタックヤング』のことなどで盛り上がる。あそこで流れていたアニソンや特ソンは
>>ほとんど、私からの提供のレコードだったと言ったら
>>「それを聞いて育った曲の提供者とここで一緒にいるというのは変な気分ですねえ」
>>と言っていた。

>650:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:35:13
>『オタクアミーゴス』168
>岡田 ヤマトのエンディング曲「真っ赤なスカーフ」のリクエストをラジオ局に
>   出そうっていう運動もありましたね。

>唐沢 当時札幌のラジオ局の深夜放送で「アタックヤング」というのがあって、
>   そこに「なつまん」というコーナーがあった。「懐かしのマンガ・アニメ」。
>   我々のグループが古いソノシートとかレコード、どんどん貸して流させて
>   いたんですよ。俺の一オシは「ハカイダーのうた」だったんだけど(笑)。
>   やはり一番人気は「真っ赤なスカーフ」で、なぜかというと、再放送ワク
>   では副主題歌がかからない、CMでカットされちゃう。
>   これであれを聞きたい、という欲求不満が一気に爆発した。
>   今にいたるヤマトムーブメントは、あのかからなかった「真っ赤な…」が
>   大もとなのね(笑)。それで、レコード会社とかにも、とにかく札幌で何
>   かが起こっているらしいって事がわかって、西崎さんが来ることになった。
>   「ヤマトファンの皆さんの熱い声が聞きたい!」とか言って。


音源の提供をしたのは、唐沢俊一ではなく、当時のサークルで本当にリーダーをして
いた人のはずなのに (こちらを参照)。

または、こちらの書き込みに引用された唐沢俊一の言い草に、たまりかねて……かも。
「何でも自分の手柄」にする気満々のように見えるし。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/460
>326 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:05:32
>【インタビュー】雑学王 - 唐沢俊一の素
>4 『宇宙戦艦ヤマト』ファン活動伝説
http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/05/15/karasawa/003.html

>>「まず、署名運動をして、再放送嘆願の便りをみんなに書かせては、50通、100通
>>まとめて地方局に送る」

>>――それで、実際に何度も再放送されたわけですね。

>>「地方都市ならではだと思うんですけれども、50通、100通程度でも局が動いて
>>くれるわけですよ。で、後から聞いたら、その再放送で得た収入が『ヤマト』劇場版
>>製作の資金として役立ったそうですね」

>>――ほかには、どんなことを……。

>>「レコードなんかも、みんなで同じ店で買う。すると、その売り上げがいいというデータが
>>中央に伝わって、それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る」

>>――その中に『ヤマト』のプロデューサーの西崎義展さんもいらしたわけですね。
>>それが、高校を卒業なさるくらいの時期……。

>>「僕は、『ヤマト』のファン活動をするために、わざと1年浪人したんですよ(笑)。
>北海道に残りたくて」


そして、先に引用した 412460 に対して、以下のようなレスがついていったのは、
よいとして。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/535
>535 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:20:28
>>>412
>> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、
>映画公開は翌月
>>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌
>市のレコー
>>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。

>>>460
>>玉光堂はリーブルなにわとは地下通路で繋がっているレコード屋さんす。
>>ちょうど地下鉄大通り駅の上にあり、入り口が1階なので
>>位置的にとてもレコードが買いやすい店です。

>ところがテンテーが「トンデモ創世記2000」で書いているレコード店は
>>とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんなに北海道で
>>再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。ヤマト関連のレコードもずっと
>>注文が続いたり。さっきの「リーブルなにわ」の上が、レコード屋なんですよ。アニメ
>>のレコード注文がかなりあるんで、レコード会社のコロムビアの営業マンや、出版の営
>>業マンとかが、札幌の地方営業で「リーブルなにわ」詣でをするようにまでなったんで
>>すよね。
>『トンデモ創世記2000』 P.33

>爆発的にアニメのレコードが売れた玉光堂はリーブルなにわと地下通路で繋がって
>いるけれど
>そこの2階にあるワケではないという事なのですね。


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/537
>537 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:34:17
>>>412
>> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、
>映画公開は翌月
>>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、
>札幌市のレコー
>>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。

>これだと
>1977年1月~3月:札幌テレビで「宇宙戦艦ヤマト」の再放送
>  ↓
>1977年7月25日:ヤマトのサントラ(ドラマ編)
>  ↓
>1977年8月6日:映画編集版「宇宙戦艦ヤマト」上映

http://homepage1.nifty.com/YAMATO/yamato/dsy/1.html
>このリストによると札幌でのヤマト再放送は
>1975/9/10 北海道札幌テレビ
>1977/1-3 札幌テレビ
>1982/12/20 北海道STV
>となっています。
>>とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんなに北海道で
>>再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。
>はデタラメな話なんだろうね。
>というか、1977年1月-3月に再放送で、それを見た唐沢がファンクラブを立ち上げて
>「このサークルを維持するためにボクは浪人しなくちゃいけない」って
>その再放送の時期が、高校3年の3学期なんだよな。
>で、その後に再放送されたのが1982年、えっと……再放送嘆願書を出したけど
>再放送はされなかったという事でよろしいんで?


以下のような気持ちの悪い書き込みもノイズとして混じるのが、ご愛嬌というか……。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/531
>531 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:04:51
>>>460
>あなたは下っ端のようだから、知らなかったのかもしれないね。
>どうせならサークルのリーダー格の人に聞きたいね。
>札幌の自慢になることなのに、否定するなんて変だよね。


http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/05/15/karasawa/003.html で唐沢俊一が
「レコードなんかも、みんなで同じ店で買う。すると、その売り上げがいいというデータが
中央に伝わって、それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る」と
いっているのだが、「下っ端のようだから、知らなかったのかも」なんて有様ではサークル
の功績として成立しにくいし、まして唐沢俊一のポイントには全然ならない。

それよりも、「札幌の自慢になることなのに、否定するなんて変だよね」には、ちょっと
ゾワッときたというか……ええと、前にここで説明した本人降臨疑惑再び、とかやっても
よいですか。


それと、宅八郎の武勇伝との類似についても、2ちゃんねるのスレで話題になっていた
(Read More 参照)。

一方、うちのコメント欄には以下のような書き込みが。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-568.html#comment1921
>僅か19歳でヤマトブームを巻き起こし、百人以上のアニメファンを集める上映会を
>開催している・・・・・札幌よりはるかにアニメファンが多い東京の上映会でも、参加者
>40人以下なんて、当時ザラだったんですけどね。

>そんなすごい若者が入会するとなれば、アニドウだって大喜びで幹部に迎えてくれま
>すよ。 そして『FILM1/24』でも、“この度メインスタッフに加わった青山学院大学の学
>生会員、唐沢俊一くんは現在のヤマトブームの立役者であり・・・”とかなんとか、編集
>後記で絶対に紹介されます。

>それなのに全く唐沢の名前がないのは、そんなウソを当時の唐沢は思いついていな
>かったか、ウソをついてもすぐばれるからでしょう。


それらを受けて、こちらコメント欄に書かせてもらったことの繰り返しになるが、宅八郎
がヤマトから海外レトロアニメ嗜好のアニドウへの流れを唐沢俊一と共有していること、
『イカす!おたく天国』という書籍の存在があること、そしてとにかく宅八郎というのは
有名人であることなどから、唐沢俊一が自称する武勇伝のモデルになったのではないか
と想像したりする。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-109.htmll#comment167
>※乱暴な整理になりますが、「宇宙戦艦ヤマト」ブームから海外アニメ(&日本の
>レトロアニメ)を嗜好するアニドウを横断したという意味では、唐沢とボクは似たもの
>同士です(年齢が異なりますが、ボクは高校生だったので)。


http://homepage3.nifty.com/saikyo-shingakusya/diary/200206.html
> 帰り、宅八郎『イカす!おたく天国』(太田出版、1991)読了。
> その功罪はともかく、宅八郎の存在は、「オタク史」――社会におけるオタク認知の
>過程を追う上で、決して欠かすことのできないファクターだと思う。象徴的効果は、そ
>れこそのちのオタキングどころの騒ぎじゃないほどだったし。
〈略〉
> 彼が恵まれているのは、オタク第一世代(開拓世代)特有の行動力・パイオニア精
>神と、(いい意味で)リスク計算が全くできないところだ。
> 14歳で『ジャイアントロボ』再放送嘆願署名活動に奔走しみごと再放送を勝ち取り、
>高1で近所の映画館を借り切ってアニメ上映会を開く、身の程知らずと言っても差し支
>えない天真爛漫さとハイパーアクティヴぶりはすさまじい。もちろん、アニメに関わる
>署名活動も、アニメ上映会も、以前から全国のオタクが行っていたイベントであり、独
>自性は全くないものの、10代半ばの厨房が独力でやってのけたそのエネルギーに
>は、正直驚嘆を禁じ得ない。


つまり、唐沢俊一が自ら語る『宇宙戦艦ヤマト』関連の武勇伝は、サークルの本当の
リーダーの人の功績
に加えて、宅八郎の『ジャイアントロボ』再放送嘆願署名活動など
を混ぜたようなものともいえる。

それが、『イカす!おたく天国』などよりも前の出版物、たとえばアニドウの会誌への
投稿や、『ぴあ』への投稿の中にでも残っていればよかったのだが、若い頃の唐沢俊一
はひたすらそのような自慢をすることを避けた、ということらしい。まあ、それでも、誰か
当時をしっている人が、1990 年代以降に語られはじめた唐沢俊一の自慢話を裏づける
ような証言をしてくれればよいのだろうけど、そういう話は寡聞にして聞かないし。


さらに、今回2ちゃんねるの書き込みに引用された文章をながめながら、唐沢俊一の
いう「『宇宙戦艦ヤマト』は人気がなくて二クールで打ち切られてしまった。だから語ろう
としても語る相手が周囲にいない。このときはじめてSF話やオタク話ができないという
飢餓的状況にあった。」に、改めて違和感が……。

「飢餓的状況」というのが、もっとヤマトを見たい、ヤマトについて知りたいとかいうのなら
わかるのだけど、他の「SF話やオタク話」を語る相手は身近にいても、ヤマトについて
のみ「語る相手が周囲にいない」というのがありうるものなのかなあ。

それはともかく、今回面白いなと思ったのは、あのアニドウが発行していた「日本初の
アニメーション”専門誌”ファントーシュ創刊号」に、「”スターシャは死んでいた”」とか
ヤマトについての話題がしっかり載っていたということ。1975 年のことである。

http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfamp703/Fantoche_01.htm (ヤマト懐かしアイテム)
>解説:いにしえの記憶・・・日本初のアニメーション”専門誌”ファントーシュ創刊号で
>す。発行所はファントーシュ編集室となっています。(編集・発行人は個人名で並木孝
>氏の名前があります)
〈略〉
>※この創刊号には宇宙戦艦ヤマトが再浮上して劇場公開にいたる過程を紐解くひと
>つの重大な記事が掲載されています。下画像は本誌掲載の記事ですがタイトルは
>”スターシャは死んでいた”とあります。赤枠で囲った部分は記事最下段に掲載された
>絵コンテの一部です。これは後に劇場公開されるときに現れるスターシア死亡編の石黒
>昇氏執筆絵コンテの一部です。詳細は別掲『スターシア死亡シナリオ製作過程の謎』
>に紹介します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アニメ雑誌
>1975年、『宇宙戦艦ヤマト』の再放送を口火にアニメファンが急増する。この人気に
>出版界が反応し、1977年にサブカルチャー雑誌『月刊OUT』がヤマト特集を掲載し、
>読者の反響の高さから程なくアニメ主体へと誌面造りの舵を切る。
〈略〉
>季刊ファントーシュ(FANTOCHE)(ファントーシュ編集室→バルク)
>日本で最初の活字アニメ雑誌。創刊号は昭和50年(1975年)10月31日初版発行、
>定価300円。誌名の上に「◎日本最初のアニメーション専門誌◎」と記されている[5]。
>自費出版誌で、内紛や赤字問題などで運営が定まらなかった。創刊号の発行責任者
>はアニドウ代表の並木孝。『ファントーシュ』とは20世紀初頭にフランスのエミール・
>コールが制作した短編アニメーションのシリーズ名。1977年8月に7号で休刊、1979年
>1月に復刊するも翌1980年に再び休刊。


http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi88.shtml
> 創刊号は昭和50年(1975年)10月31日初版発行、定価300円、編集・発行人が
>並木さんで、発行所はファントーシュ編集室として甲谷さんの住所になっています。
>制作協力には小松沢甫さん、丸山晃一さんたちと共に私(富沢洋子)の名も載ってい
>ます。最近まで自分は「FANTOCHE」には関わっていないと思い込んでいたのです
>が、実際の誌面を見ると『ハイジ』の紹介と「TV/ANIMATION」の項、海外アニメの紹
>介「あなたも上映会を」のコーナーを担当しています。ただし前ふたつのページはどう
>いうわけか活字でなく私の手書き文字なのですが。
> 創刊号の表紙は白地の中心に古川タクさんの『驚き盤』の1コマがモノクロで大きく
>あしらわれ、誌名は「FANTOCHE」と記されています。表紙を開くと並木さんによる巻
>頭言「創刊にぶちあたって」。右側の目次は活字と複数の筆跡の手書き文字が入り
>混じって雑然とした印象は否めません。巻頭の「創刊に……」と題するページには
>政岡憲三さん、手塚治虫さん、森やすじさんをはじめ錚々たるメンバーからの祝辞が
>並び、内容も杉本五郎さんの「映画フィルムはなぜ?」と中村武雄さんの「日本人形
>アニメーションの歴史」の連載、ハリーハウゼン研究、『わんぱく王子の大蛇退治』の
>シナリオ(前半)掲載と、とても意欲的なのですが。



More...

http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001
-------
649:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:32:20
2006.07.23 http://www.tobunken.com/diary/diary20060723000000.html

>工藤さん、前田ひろゆきさんとも挨拶。前田さんは新感線の池田成志に似ているような。
>工藤さんは札幌出身で、私たちの『ヤマト復活運動』をダイレクトに見て育ったという。
>『アタックヤング』のことなどで盛り上がる。あそこで流れていたアニソンや特ソンは
>ほとんど、私からの提供のレコードだったと言ったら
>「それを聞いて育った曲の提供者とここで一緒にいるというのは変な気分ですねえ」
>と言っていた。

650:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:35:13
『オタクアミーゴス』168
岡田 ヤマトのエンディング曲「真っ赤なスカーフ」のリクエストをラジオ局に
   出そうっていう運動もありましたね。

唐沢 当時札幌のラジオ局の深夜放送で「アタックヤング」というのがあって、
   そこに「なつまん」というコーナーがあった。「懐かしのマンガ・アニメ」。
   我々のグループが古いソノシートとかレコード、どんどん貸して流させて
   いたんですよ。俺の一オシは「ハカイダーのうた」だったんだけど(笑)。
   やはり一番人気は「真っ赤なスカーフ」で、なぜかというと、再放送ワク
   では副主題歌がかからない、CMでカットされちゃう。
   これであれを聞きたい、という欲求不満が一気に爆発した。
   今にいたるヤマトムーブメントは、あのかからなかった「真っ赤な…」が
   大もとなのね(笑)。それで、レコード会社とかにも、とにかく札幌で何
   かが起こっているらしいって事がわかって、西崎さんが来ることになった。
   「ヤマトファンの皆さんの熱い声が聞きたい!」とか言って。

651:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:40:37
>日記 :: 2003年 :: 01月 :: 05日(日曜日)
>食って、少し書棚等を整理す。さすがにもう、だらけるのに飽き飽きしたらしい。
>昔のヤマトファンのころの同人誌も出てくるが、いや、いくら懐かしいとはいえ
>恥ずかしくて読めないですな。嗚呼、この当時のメンバー達いまいずこ。
>石川肇は以前開いていた自分のサイトも閉じてしまったようだし、大迫秀人も
>岩谷明も行方知れず。ロリコンマンガ家になったくりいりもなかはまだ同人誌を
>出していて、こないだの冬コミにもブースを出していたようだが。

・石川肇
・大迫秀人
・岩谷明
・くりいりもなか

の行方を捜す方法はないかね?

653:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:45:15
>>649
>工藤さんは札幌出身で、私たちの『ヤマト復活運動』をダイレクトに見て育ったという。

ここで出てくる工藤さんとはイラストレーターの工藤稜さんなんだけど
2009年から「宇宙英雄ローダン・シリーズ」の表紙イラストを担当している。
唐沢テンテーがヤマトのファンクラブより前に、やっていたファンクラブのローダンですよ。

再び工藤さんと巡り会う事があったらテンテーは、ヤマトやアタックヤングの話より
「キミが手がけているローダンは、私が70年代にドイツの本社にまで手紙を書いて
 公式ファンクラブを作ったのだよ。
 その時の私の尽力があるからこそ、今でも文庫のシリーズ刊行が続いているんだよ」
と言ってやればいい。
尊敬されるぞ。

654:無名草子さん:2010/11/22(月) 18:55:18
唐沢は、もっと早く「大ホラ吹き」キャラにクラスチェンジするべきだったね。

変に芸人気取るくせに、つく嘘つく嘘、自分を飾り立てようとする見栄から出た話ばっかり。

668:無名草子さん:2010/11/22(月) 20:59:54
>>651
>>659
>くりいりもなか
>@uminekoya33 横浜在住。実家は札幌。
>猫と海が大好き。同人誌なども発行しております
http://hidebbs.net/bbs/c_core?n=48293187

確定かな?今年の冬コミにも参加するそうなので、検証班さんが会いに行くと面白いかも
札幌時代の貴重な証言が聞けるかもしんない

727:無名草子さん:2010/11/23(火) 01:38:04
実際、色々な所で語りまくっていた(というか、その話で唐沢は有名になって来た)
「ヤマトのファンクラブ」「俺がヤマトの再放送運動を起こしてブームを作った」
という10年以上前の話を、90年代の若者に吹き込み続けてきた。

その当時はパソコン通信だけの時代で、すぐ調べられる資料も少なかったが
インターネット時代に入ってきて、唐沢の大嘘がすぐばれてしまう
そして唐沢の喋ったウソがより多くの人に知られるようになっていって
今の現状。

唐沢が「オタク第一世代」というポジションを築いた時代というのは
今と比べようがないほど過去の検証が難しい時代だった
という事が唐沢にとって良い方向へ風が吹いていたという事。

729:無名草子さん:2010/11/23(火) 01:42:10
70年代中期のSMマガジンに広告を載せた

なんて話も
2000年の段階で、あの当時編集部にいた人が今も居るかは不明だし
リアルタイムの読者だって、すべてを記憶しているワケでは無いので
「もしかしたらそんな広告があったかもしれない」と思いこむ。

まさか、バックナンバーを全部チェックして、掲載されていない
ってのを調べる人が出てくるなんて思わないよね。
熱狂的な唐沢マニアで「過去の唐沢さんの業績を網羅したい」なんて
人が現れるなんて可能性も低いし。

802:無名草子さん:2010/11/23(火) 21:46:24
>>799
コピペしてみる。これでまた荒らしが続けば
「本人か関係者による流し」の可能性高

651 :無名草子さん :2010/11/22(月) 18:40:37
>日記 :: 2003年 :: 01月 :: 05日(日曜日)
>食って、少し書棚等を整理す。さすがにもう、だらけるのに飽き飽きしたらしい。
>昔のヤマトファンのころの同人誌も出てくるが、いや、いくら懐かしいとはいえ
>恥ずかしくて読めないですな。嗚呼、この当時のメンバー達いまいずこ。
>石川肇は以前開いていた自分のサイトも閉じてしまったようだし、大迫秀人も
>岩谷明も行方知れず。ロリコンマンガ家になったくりいりもなかはまだ同人誌を
>出していて、こないだの冬コミにもブースを出していたようだが。

・石川肇
・大迫秀人
・岩谷明
・くりいりもなか

の行方を捜す方法はないかね?

659 :無名草子さん :2010/11/22(月) 19:44:24
つか、くりいりもなかさん、twitterにいるじゃん
http://twitter.com/uminekoya33

820:無名草子さん:2010/11/23(火) 23:58:06
中間まとめ
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-564.html

821:無名草子さん:2010/11/24(水) 00:00:39
くりいりもなかって、なをさんの初期の単行本かなんかに名前出てなかった?

833:無名草子さん:2010/11/24(水) 08:20:09
唐沢が露見することを恐れているのは、ヤマトの嘘とかドンファンの嘘じゃなくて、
もっとみっともないことだよ。女にチンポ見せて、取り押さえられて泣いて謝ったとか。

877:無名草子さん:2010/11/25(木) 02:30:07
>>831
どうもです。いろいろ勘違いして書いているかもしれないので、皆様のツッコミ募集中です。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-564.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-565.html

878:無名草子さん:2010/11/25(木) 03:58:42
くりいりもなかさんって、うみのまもるさんだったのか。
おそらく唐沢さんよか前にSSにいたはず。
SSでは、うみのまもるさんだったので気がつかず。

879:無名草子さん:2010/11/25(木) 04:03:42
>>877
なんつーか、なをきの年表も作って検証するべきなんですかねえ。
手元にある「とりから往復書簡」だと上京して阿佐ヶ谷に11年住んでたとか、
風呂なしの下宿だったとか、2人で暮らしてた雰囲気がまるでなくて
兄の存在があやしいんですよねえ。

880:無名草子さん:2010/11/25(木) 05:14:35
もなかさん、今はプロではないので、唐沢検証には
巻き込まないで差し上げてください

948:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:50:46
2008年08月21日(木曜日)
阿佐谷駅前の喫茶店、アコヒーダに閉店の貼り紙。
ここ数年は足を踏み入れていないが、利用して二十年になる。
なをきと一緒に住んでいたデビュー前、朝食はおもにここの
モーニングセットだった。デビューした後の、唐沢商会での
打ち合わせもここだった。その前、やはり阿佐谷に住んで
いたマンガ家志望のガールフレンドとのデートの待ち合わせ場所も
ここだった。彼女と別れたあともここで原稿を書いていた。
偶然、彼女が某A書店の編集に叱責を受けているのを見たのも
この店だった。アシスタントで紹介された大物マンガ家の
ところで、彼女のミスで原稿を紛失して首になったということ
だった。その後彼女は占い師になった(それも凄い転身だが)。
それで食えているとは思えなかったが、どうしたろうか。
故郷へ帰ったか、まだこちらで暮らしているのか。
以前、ふと思い立ってググってみたが彼女の使っていた
ペンネームでも、また本名でも、一件もヒットしなかった
(同人誌に使っていた名前では一件あったが、もう何年も前の
ものだった)。
往時茫々にして全て夢の如し。

949:無名草子さん:2010/11/26(金) 00:58:01
2009年01月22日(木曜日)
『私を愛したスパイ』
ところでこの映画は、1977年12月の公開。私が上京したのが
1978年の3月で、上京する前の正月に、札幌の映画館で観た
最後の映画であった。
当時のガールフレンドたちと一回ずつ日を変えて観に行ったので、
計5~6回は観た勘定になる(まあ、はるか昔のことで、
そのような世迷言を発するほどもう、自分も老耄しておりますので)。

2002年03月29日(金曜日)
リバイバルの『情婦』を丸の内に観にいったとき、当時のガールフレンドが
観終わって怒って私を置いて一人で帰ってしまったこともあった。
まあ、彼女は黙壺子フィルム・アーカイヴなどの常連客で、
『ピンク・フラミンゴ』や『フリークス』の大信奉者だったから、
こういう王道には反発を感じたのだろう。


メモ
『ピンク・フラミンゴ』は1972年製作の映画だが日本公開は1986年

951:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:13
2001年06月23日(土曜日)
と、地図が全部古書店起点で成り立っていて呆れたそうである。
私も昔はそうだったなあ。
学生時分、札幌時代につきあっていた女の子が東京へ出てきたとき、
名画座と本屋しか東京を案内できず、怒られたものだ。

2003年05月15日(木曜日)
ネットでちょっと資料検索。していたら、のぞいたサイトの主宰者が、
昔つきあっていた女性だった。ちょっと驚く。
ううむ、趣味とかその他、まったく変わっていないなあ。
人を攻撃する口調のきびしい女性で、別れたときには、
もうもう二度とああいう口の悪い女とはつきあうまい、
と思っていたものだが、結局、彼女に数倍して口の悪い女性を妻にしてしまうとは。

2003年07月15日(火曜日)
大学一年あたりで、つきあっていた女の子が“でも、あの坂口祐三郎って絶対ヘンだよー、
首筋がやけに細いしさー、目キラだしさー、唇色っぽすぎるしさー”と
熱心に主張してから、そうかと思って改めて見てみると、なるほど、これはヘンだった。

2004年07月12日(月曜日)
朝、ロシアアニメ『雪の女王』の上映会で昔、同人誌でつきあっていた子と出会う、
という夢を見た。

952:無名草子さん:2010/11/26(金) 01:07:59
2006年01月10日(火曜日)
映画『日蓮』、大学時代新宿松竹で観たことがあるが、
キャストだけはめったやたらに豪華だったが映画の内容はほとんど記憶にない。
チケット買って入るとロビーのところでクジがあって、それが当たった。
2万円相当の真珠が当たって、それをネックレスに加工するので5000円払え、
という詐欺みたいな手口。一時はロードショーの映画館にやたらこの商売が
進出していたものだ。呆れていらないと言おうと思ったが、
その当時つきあっていた彼女へのプレゼントになるかも、と思ってつい、
支払ってしまったことをいまでも後悔している。

2007年10月23日(火曜日)
「マグマ大使の笛の音の話」
昔、つきあっていた彼女も“ピポロピー”派だったので、
日本中、このピポロピーで認識していると思ったのだ。
こんな少数派だったとは。

2009年08月21日(金曜日)
それから新宿駅東口地下の喫茶店でもちょっと出演者関係の話。
ここ、昔はメイって店名で、札幌で最後につきあっていた
女の子の名前と同じでずっと気になっていたまま三十年近く、
入ることなくこの喫茶店に変わってしまった。何か飲んだ
コーヒーの味もほろ苦い。

954:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:08:43
当時のガールフレンドの中にオトコノコも混じっていそうだ。

955:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:13:42
またBL妄想か。

956:無名草子さん:2010/11/26(金) 03:50:00
妄想もここまでだとキモイわ

957:無名草子さん:2010/11/26(金) 06:59:40
ドンファンだけはガチ



ということにしてあげないと、あまりに悲しすぎる。

958:無名草子さん:2010/11/26(金) 07:30:24
なぜ結婚してる男が昔の彼女の話ばかり日記に書くんかなー。理解できんわ。

つきあってたって、どんくらい?

-------


http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/
-------
117 :無名草子さん:2010/11/28(日) 01:00:24
小ネタ

札幌の喫茶店 土曜の昼下がり 男性3名 女性3名
いつも来るサークルの女の子が来ない
唐沢氏がその女の子に電話をかけて戻ってくる

唐沢「×××(女の子の名前)不機嫌で、病気じゃないけど気分悪いから来ないって。ワガママなんだよな、あの人」

A 「×××さん 毎週来ているんだから来ない時もあるわよ 女の子だし」

唐沢「あっ そうか 女だもんな 生理なんだ ××× 生理なんだ」

後の席の客も振り向くような喫茶店中に響く唐沢氏の大声、サークル仲間は男女ともドン引き。

唐沢氏はAさんにヒジ鉄を喰らわされてました。


×××さんの知らない話です。


231 :無名草子さん:2010/11/29(月) 11:40:20
http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfamp703/Phantom_Yamato_Theatre.htm
> ”スターシア死亡編”は長らく劇場公開決定後、映画用にオリジナルストーリーとして製作されたものと
>信じられていました。しかし当時の書籍・雑誌類を追跡調査して新たな事実を知りました。
> 左画像はTVシリーズ宇宙戦艦ヤマト本放送終了後僅か7ヶ月後の昭和50年10月31日に初版発行
>された自称日本初のアニメーション”専門誌”ファントーシュ創刊号掲載記事です。この号発行時は劇場版は
>おろか再放送によるブームの盛り上がりもまったく起こっていない時期です。
> ところがこの時点で既になんと石黒昇氏によって描かれたスターシア死亡編の絵コンテの一部が掲載
>されています。
> 下記の時系列データと照合するとわかりますが、スターシア死亡シナリオは初回放映後まもなく(なんと
>2ヶ月後)作成され、すぐに映像化されていたことが判ります。
> 劇場公開時、また現在DVDで見ることができる撮り下ろされた”長編用”オリジナル部分がなぜTVシリーズに
>劣る粒子の粗い16mmフィルムで撮影されているのか?長年の謎がようやく解けました。TVシリーズは
>スポンサーがついていたため35mmフィルム撮影が可能でした。ところが劇場公開の目処などまったくついて
>いない時期に予算がつかない状態での制作となったオリジナル映像が16mmフィルムでの制作となって
>しまったということなのでしょう。

> 長い間謎だったスターシアが死亡する宇宙戦艦ヤマト劇場版オリジナルの製作過程を追ってみました。
>大きく次の流れになります。
(以下略)

232 :無名草子さん:2010/11/29(月) 11:43:39
http://www.cwo.zaq.ne.jp/bfamp703/Fantoche_01.htm
>解説:いにしえの記憶・・・日本初のアニメーション”専門誌”
>ファントーシュ創刊号です。発行所はファントーシュ編集室となって
>います。(編集・発行人は個人名で並木孝氏の名前があります)

233 :無名草子さん:2010/11/29(月) 11:55:06
>※この創刊号には宇宙戦艦ヤマトが再浮上して劇場公開にいたる過程を紐解くひとつの重大な記事が掲載されています。

238 :無名草子さん:2010/11/29(月) 12:59:12
最近出た『宇宙戦艦ヤマトと70年代ニッポン』(アライ=ヒロユキ・著
社会評論社・刊)という本を買った。
まだよく読んでいないが、本放送後の『ヤマト』再浮上に向けた製作側の企画や
ファンクラブの活動は今まで思われていたよりずっと早く(星雲賞の件は別に
しても)始まっていたような気がしてきた。

308 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:01:03
『宇宙戦艦ヤマトと70年代ニッポン』読み込み中。
『ヤマト』再放送は先ず関西地方からスタートし、視聴率20パーセントを超え
全国に波及していったらしい。
また本放送終盤頃、既に一部の熱狂的なファンの盛り上がりは凄かったとか。
西崎Pによる『ヤマト』再浮上の戦略も本放送終了直後から動き出していたらしい。
ただ、ブーム前のことで、1975~76年頃のファンクラブの数や再放送の状況等の
具体的なデータが今一つはっきりしない。
当時の状況に詳しい人が読めばまた違うかも?
部屋のどこかに『OUT』創刊2号とヤマト特集第2弾が掲載された号もあるはずなんだが…

309 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:03:06
なぜヤマトの熱狂が後世に伝わらなかったのかの検証が少ないよな
西崎のせいってことになってるけどそれだけとも思えない

311 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:16:32
>>309
>ヤマトの熱狂が後世に伝わらなかった

すいません、おっしゃる意味がわからないのですが。

313 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:17:34
知泉さんは、唐沢が1977年にヤマトの再放送を見てファンになるのより前に
再放送を見て大絶賛をしている同級生に冷静なツッコミを入れていたらしい。
知泉さんって静岡だよね?

314 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:21:57
唐沢が1977年に見たのは当然再放送で、
そこから唐沢が再放送嘆願書を出したって言われてもねえ
知泉さんもそれ以前に再放送を見ているワケだし、
もう日本各地で再放送がかなりされていた
って事でしょ?

札幌は以上にヤマトの再放送が多い地域だった
だっけ?
でも記録ではそんなに回数再放送されていないみたいだし。
唐沢が再放送の嘆願書を出したとされている1977年以降の
札幌地区での再放送は記録されていない。

315 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:23:00
知泉さんが静岡でみた再放送って
もしかして宅八郎が浜松だかの高校生の時に
テレビ局に送った嘆願書で再放送されたってヤツ?

317 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:24:08
宅も同じような伝説を抱えて、80年代末にオタクカテゴリーでデビューか
そりゃ唐沢は潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。

318 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:25:26
×そりゃ唐沢は潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。

●そりゃ唐沢にとっては潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。

321 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:40:59
>>313-314
唐沢達の嘆願書等の運動については1976年説と1977年説がある(唐沢自身の
記述が定まっていない)けど、1977年だったら話にもならないよ。
『OUT』の特集がその年の春で、夏には映画版が公開されている。
1977年になってから活動を始めたんでは、既に動きだしたブームに乗ったに
すぎないことになる。
映画版公開の頃には全国に非公認ファンクラブが何百団体もあったはず。
ウチの田舎は山に囲まれたド田舎だけど、周囲で1966年(当時中1、季節は
よく憶えていないが)のうちには女子を中心に「ヤマト、ヤマト!」と
騒いでいた記憶がある。その頃、既にド田舎にまで再放送による熱気が
伝わっていたことになる。
 

323 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:44:19
>>319>>320本人乙w

324 :321:2010/11/30(火) 10:44:39
間違えた(嫌な予感が・・・)。

×周囲で1966年→ ○周囲で1976年。

326 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:05:32
【インタビュー】雑学王 - 唐沢俊一の素
4 『宇宙戦艦ヤマト』ファン活動伝説
http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/05/15/karasawa/003.html

>「まず、署名運動をして、再放送嘆願の便りをみんなに書かせては、50通、100通
>まとめて地方局に送る」

>――それで、実際に何度も再放送されたわけですね。

>「地方都市ならではだと思うんですけれども、50通、100通程度でも局が動いて
>くれるわけですよ。で、後から聞いたら、その再放送で得た収入が『ヤマト』劇場版
>製作の資金として役立ったそうですね」

>――ほかには、どんなことを……。

>「レコードなんかも、みんなで同じ店で買う。すると、その売り上げがいいというデータが
>中央に伝わって、それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る」

>――その中に『ヤマト』のプロデューサーの西崎義展さんもいらしたわけですね。
>それが、高校を卒業なさるくらいの時期……。

>「僕は、『ヤマト』のファン活動をするために、わざと1年浪人したんですよ(笑)。北海道に残りたくて」

(略)

>――SFファンだった唐沢さんと『宇宙戦艦ヤマト』のファン活動とは、どう
>つながるんでしょう?

>「昔ながらのSFファンジンを作っていて、創作をやり、SFを研究するみたいな団体が
>ずっとあったわけですよ。これが超正統派で、そこから派生して、だんだんゆるい
>グループができたり、さらに造反組のグループができたり」

327 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:13:04
トンデモない一行知識の世界 OLD
「宇宙戦艦ヤマトのビッグネームファンになりたかった唐沢俊一?」
http://tondemonai2.web.fc2.com/666.html

>・唐沢俊一が高校二年生の 1975 年は、かつて志水一夫との共著『トンデモ創世記
> 2000』で、『ペリーローダン』ファンクラブを結成して、「SFマガジン」にファンクラブ
> 結成の広告を出したのといっていた (「SFマガジン」をチェックした人によると、該当
> する広告など存在しないとのこと) 年。その後で、スター・ウォーズのファンクラブを
> 作ろうとしたが他の人に先を越されたのでヤマトにしたとしているが、だとしたら、
> 唐沢俊一のヤマトファンクラブは、スター・ウォーズの 1977 年より前ということは
> あり得ない。

> この 1975 年には、『宇宙戦艦ヤマト』は、1975 年の星雲賞を受賞。兵庫県などで
> 「ヤマト再放送運動」のサークルが、すでに立ち上がっていた。

328 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:18:30
唐沢は「トンデモ創世記」の中では
スターウォーズのファンクラブを作ろうとしていたら
先に作ったヤツが本国にファンクラブを作った旨の手紙を出し
とんでもない請求をされたのを見て
「作らないで良かった」と胸をなで下ろして
「じゃ、ヤマトを」と言う事になったらしい。

スターウォーズはアメリカで1977年に公開され、日本では1978年



ちなみに
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010113000066
アービン・カーシュナー氏死去=スター・ウォーズ「帝国の逆襲」監督


329 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:21:31
>「レコードなんかも、みんなで同じ店で買う。すると、その売り上げがいいというデータが
>中央に伝わって、それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る」

これなんかも、一体何人のサークルでやっていた話なんだろうね。
つーか、サークルでやっている場合、一人がレコードを買うと
みんなでテープにダビングしていたから、それほど売上げは行かないと思う。

330 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:23:40
>>238
「今まで思われてた」っていつよ?


331 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:34:47
当時の札幌のサークルの人達が聞いたら
呆れ果てるような嘘なんだと思う。

334 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:43:35
http://www.slideshare.net/redtail2733/contents2009-08
>9. ヤマト再放送期成同盟
>全国に草の根的にできた ファンクラブ の活動。再放送嘆願署名を街頭などで集め,
>日本テレビ系列局へ請願運動 ( シュプレヒコールも )
>主題歌・挿入歌のリクエスト・ハガキを組織的に放送局に送付
>75 年夏休みに全国的に再放送 (17 時台 ) が決定するという戦果

↑これ本当?
>請願運動
>主題歌・挿入歌のリクエスト・ハガキを組織的に放送局に送付
結果、「75 年夏休みに全国的に再放送 (17 時台 ) が決定」って・・・
75年のうちにここまで進んでたとは。

335 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:52:59
シュプレヒコールって…w
70年代ならあり得たのかな


336 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:56:14
>それを聞きつけたテレビ局の人とか制作会社の人がやって来る

と言っておきながら、テレビ局や製作会社の人の話は出てこないよね。
西崎が来た(実際には映画公開時のトークショーが大学で開かれ、その片隅にSSのメンバーも)
若い営業マンの角川歴彦が来た(実際にはすでに役職付きで、77年時点で34歳なので若くもない)
という話はあったけど。

337 :無名草子さん:2010/11/30(火) 11:58:33
宇宙戦艦ヤマトが放送されている時点で、雑誌「SFマガジン」ではかなり話題になっていたし
折り返しが短縮されて放送された事に関して、放送終了直後から色々な意見が出ている。
当時の「SFマガジン」を読む限りでは。

344 :無名草子さん:2010/11/30(火) 14:47:38
>>335
学生運動文化は80年代初頭まで生き残ってたみたいですよ。
うちの高校は78年創立だけど、こないだ同窓会で
1~3期生の人たちはが誰も校歌歌えなくて、
インターナショナルは歌えててびっくりした。

85年だっけ、フジテレビで放送したライブエイドの映像なんか
今見るとインタビューされてる学生諸君が、今なら赤面しそうな
立派な事言ってて今じゃ考えられないです。

345 :無名草子さん:2010/11/30(火) 15:00:37
85年は、古臭い伝統を引きずった大学生はもう片隅に追いやられていて
一気!一気!で女子との飲み会に命を賭けているチャラいのが主流になっていた。

でも、オッス!という世界や、小難しい連中も生き残っていた時代。

360 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:10:37
>>321
>>334>>337が書いてるように、少なくとも75年の本放送時に反応してないと、
「ヤマトブームの立役者」にはなれないと思うんだよね。
SF者ならリアルタイムの「ヤマトか猿の軍団か」って選択を迫られてた訳だし。
でも実際はけっこうハイジに流れてたんだけどw


361 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:13:34
俺は南伸介のお笑いオンステージで原点パパを見ていた。誰よりも負組


362 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:23:26
「裏モノ日記」2003年11月02日(日曜日)
>雑談中に札幌がなんでオタクの発生地みたいになったんです かねえ、という質問が出たので、
>少し詳しく話す。
(略)
>その連帯のきっかけになったのが1975年からのヤマト再放送運動であり、この場合、
>東京や大阪という大都市に比べ、札幌は地方局が、ある程度リクエスト葉書の数が集まれば、
>再放送をしてくれていた。このため、最初は普通のドラマなども再放送していたSTV
>(札幌テレビ)やHBC(北海道放送)の4時~5時台が完全にアニメ再放送枠として
>定着してしまった。

『宇宙戦艦ヤマト』(wikipedia)
本放送の終了後、再放送が近畿地方から始まり、のちに全国的に行われる。

ttp://tondemonai2.web.fc2.com/666.html
> この 1975 年には、『宇宙戦艦ヤマト』は、1975 年の星雲賞を受賞。兵庫県などで
> 「ヤマト再放送運動」のサークルが、すでに立ち上がっていた。

ttp://www.slideshare.net/redtail2733/contents2009-08
>9. ヤマト再放送期成同盟
>全国に草の根的にできた ファンクラブ の活動。再放送嘆願署名を街頭などで集め,
>日本テレビ系列局へ請願運動 ( シュプレヒコールも )
>主題歌・挿入歌のリクエスト・ハガキを組織的に放送局に送付
>75 年夏休みに全国的に再放送 (17 時台 ) が決定するという戦果

363 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:25:49
↑はて?
唐沢はヤマト再放送運動が1975年からあったことを認めているぞ。

364 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:35:04
75年から各地で再放送運動があって盛り上がっていたのだが最終的にヤマトブームを作ったのは札幌の私なのである

365 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:39:36
実は各地で起こっていた再放送運動も札幌にいた私が仕掛けたのである。

366 :無名草子さん:2010/11/30(火) 18:56:04
実は各地でヤマト再放送嘆願書を出していたのは全員私なんである。

368 :無名草子さん:2010/11/30(火) 20:29:29
>>362
>札幌がなんでオタクの発生地みたいになったんですかねえ

え?

369 :無名草子さん:2010/11/30(火) 20:37:04
そんなのどうでもいいから青学疑惑追及しろよ。

370 :無名草子さん:2010/11/30(火) 21:01:02
なんか青学責めを異常に薦める風で、札幌検証を避けようとしている人が湧いてますね

371 :無名草子さん:2010/11/30(火) 21:02:07
やっぱ今。ヤマトが注目されてっから、その煽りでテンテーの真実に火が点いちゃいそうで困っているのかい?

372 :無名草子さん:2010/11/30(火) 21:04:56
でもヤマトネタって延々繰り返してないか?
確かに飽きた

373 :無名草子さん:2010/11/30(火) 21:08:38
いや、ジワジワと真実が炙り出されているよ。
青学の話も同じようなペースで、延々と繰り返しているっちゃー繰り返している。

唐沢が今の仕事で地位を築いたのは「ヤマトを」という「オタク第一世代」を名乗ってきたから
そこがライターとしての根幹であり、土台だったハズ。
そこが完璧にハズされて、多くのひとが知る事になったら
もう「オタク第一世代」的にはアウト。

青学もそうだと思うけどね


374 :無名草子さん:2010/11/30(火) 21:14:33
ヤマトが注目されると困るヤマトファンって一体w
まぁ、テンテーはヤマトファン(偽)だから仕方がないか
映画が明日公開なことだし、テンテー何かコメントを

394 :昨日、気になった:2010/12/01(水) 05:43:58
315 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:23:00
知泉さんが静岡でみた再放送って
もしかして宅八郎が浜松だかの高校生の時に
テレビ局に送った嘆願書で再放送されたってヤツ?


317 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:24:08
宅も同じような伝説を抱えて、80年代末にオタクカテゴリーでデビューか
そりゃ唐沢は潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。


318 :無名草子さん:2010/11/30(火) 10:25:26
×そりゃ唐沢は潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。

●そりゃ唐沢にとっては潰しておかなくちゃ、という存在だったんだろうな。


367 :無名草子さん:2010/11/30(火) 19:01:07
>>317
それでK子テンテーが宅さんの店に行って・・・
夫婦で良いコンビネーションですね

396 :無名草子さん:2010/12/01(水) 07:17:20
大河ドラマの様相をみせてきた「唐沢俊一Saga」
初心者が入ってくる前のガイドブックが必要になってきましたね。
4年間垂直落下をし続けるなんて、どんなに深い穴なんだって感じ。

397 :無名草子さん:2010/12/01(水) 08:06:53
宅八郎に対抗して札幌ヤマトブーム伝説を捏造したわけですね。

テンテー 志が低すぎです。

ファン止めます。

398 :無名草子さん:2010/12/01(水) 08:20:12
テンテーに対して愛情を持つことを中止します


412 :無名草子さん:2010/12/01(水) 10:38:13
『宇宙戦艦ヤマト』と70年代ニッポン』(アライ=ヒロユキ・著 社会評論社・刊)のp245-246に
興味深い記述を発見したので以下に引用する。(改行も原文のまま)

> いまや世界に冠たるアニメソング人気の火付け役のひとつは、日本コロムビアの木村英俊の企画で
>一九七六年に発売された『テレビまんが主題歌のあゆみ』という四枚組のセットレコードである。
(中略)
> このころ、日本コロムビアに大量に届くファンレターの中には、『ヤマト』のシングルレコードの
>再発を望む声が多かったという。放映時のシングルセールスの惨敗の泣かされた木村だったが、時代
>の変化を感じ、『ヤマト』のドラマ編レコードの発売を決断する。
> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、映画公開は翌月
>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌市のレコー
>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。(木村英俊『THE アニメ・ソング』角川書
>店、一九九九年)。オリコンのLPチャートを、八月二九日から一〇月三日までの六週間首位をキープ
>した。累計で一五〇万枚売れたという。ここにも、草の根で『ヤマト』を支えるファン層の動きを見
>ることができる。

引用終わり。
「ヤマトブームは札幌から始まった」には程遠いのだが、ひょっとしてこれが唐沢ぼ大言壮語の根拠か?

413 :412:2010/12/01(水) 10:40:41
一部訂正

× シングルセールスの惨敗の泣かされた
○ シングルセールスの惨敗に泣かされた


436 :無名草子さん:2010/12/01(水) 22:09:17
>>435
唐沢には裏表が無いみたいな言い草ですね。

437 :無名草子さん:2010/12/01(水) 22:42:41
裏側が表になってる人ですから

438 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:07:38
クライン唐沢

439 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:22:50
アンチも相変わらず青学だ、ヤマトだと進歩がないのに呆れるなあ。唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。
日記の日付が正しい今違っているって小学生の夏休みの日記のでも読んでた方がいいんじゃないの?
で、何月何日ラジオ体操に行きました、と書いてますが、その日は雨でラジオ体操体操はありませんでした、と「検証」するみたいなさ(笑)。
青学に入学した日にアニドウの、ってのも別にその日に意味があるわけじゃなくて、青学に入学して下宿に引っ越してきた頃にアニドウの、と読み替えれば別に関係ない。
本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。


440 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:23:47
唐沢の日記というテクストを読むという体験は、虚構と現実が渾然一体となったボードリヤールのいうシュミラクルの中で感覚を過剰なまでに刺激される目眩を楽しむわけであるから、
「正確」なんてつまらない価値観にとらわれない、ラカン的勇気をというものを持って取り組んで欲しいなあ。

あと本人だとか、~まで読んだみたいな紋切り型の罵倒だけは勘弁して欲しいね。お願いだから(笑)。
結局アンチってそういうコピペに毛が生えた程度のことで自分では気が効いた反論と思い込んでいるところが滑稽きわまりないんだよなあ。
多少の「独創性」があるまともな意見ならちゃんと読んで反論してあげるからさ(笑)。
ま、がんばってね(笑)

441 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:25:23
1980年代にこういう文体のライターをよくみたなあ

445 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:37:15
>>439
>>440
深夜のお勤めご苦労様です!
日記内の記述云々よりも、それ以外の基礎的な素養がどうかと思うんですがw
P&Gを抜きにしてもね。

446 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:53:15
イマドキ小学生だって日記の天気は調べて書くだろうにw

調べないで知ったかぶりするから回りに面白がられているんだろう?

447 :無名草子さん:2010/12/02(木) 00:59:36
だって「博覧強記」なんでしょ? なんで間違えるのさ。

460 :無名草子さん:2010/12/02(木) 03:35:36
>>412
当時のサークル者です。

玉光堂はリーブルなにわとは地下通路で繋がっているレコード屋さんす。
ちょうど地下鉄大通り駅の上にあり、入り口が1階なので
位置的にとてもレコードが買いやすい店です。

私もヤマトのレコードや他のアニメのレコード、その他のレコードを
だいたいこの玉光堂で買いました。
ここでレコードを買うと特典のポスターがもらえたからです。

でも、誰かから「この店で買うように」などという支持を受けた事は
ありません。
もし、そういう活動があれば覚えているはずです。

唐沢さんの嘘には、もううんざりです。
何でも自分の手柄にしないでください。

同じ道民として恥ずかしいです。

461 :デューの字:2010/12/02(木) 07:38:13
>>貧乏人は公立に通っていたんだよ。

自分は婆腹と同世代の元・道産子だが、札幌およびその近隣に住んでる秀才は、
札幌南、札幌西、札幌東、札幌北、札幌旭丘……といった進学校中の進学校を目指したものだし、
家庭の経済事情はそこには関係してなかったのも覚えてる。
また、光星高校が「公立の滑り止め」という印象だったのもこれまでの指摘通り。

北海道の私立のエリート進学校と言えば、女子なら藤高等学校、男子なら函館ラ・サール
なんじゃなかろうかと思うんだが。

てか、仮に光星高校がエリート養成機関だったとしても、
テンテーが無学無教養だったという事実は曲げられないし、とうてい曲げようがないんだが。

463 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:50:02
唐沢俊一に青山学院はおろか札幌光星高校にも在籍してなかったとの新説が
      ↑
『噂の眞相』一行情報風

464 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:56:32
>439-440
>唐沢の日記というテクストに向き合う姿勢としてまったく面白くないんだよね。

表現者に「面白く書く(描く)」「面白くまとめる」能力が要求されるのは分かるんだが、
読者に「面白い姿勢で読み解く」能力が要求されるという話が理解できない。
そこにボードリヤールやラカンがどう関係するのかも納得しがたい。

全般的に、バカ盛り系さん&来訪者さんの詭弁を久しぶりに聞かされたという感じがした。

465 :無名草子さん:2010/12/02(木) 07:59:47
>>463
いや、それはないw

466 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:10:52
テンテーが日記書き始めた当初は、ネットでいろいろ調べる人も少なくて
コピペし放題、過去の捏造し放題だったんだろうね。

467 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:12:09
常識の斜め下を行くのが唐沢だから
青山学院どころか高校も出てない中卒だったというのが真相でも、おれは驚かないね

468 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:13:59
国語、数学、理科、社会、の学力が中卒レベルなのは、皆さんよくご存知ですよね。

469 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:19:50
>>439
同意

470 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:21:02
中卒でも高卒でも真っ当な人生を送っている人もいるのです。

学歴は人間性には関係ない。

471 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:27:43
中卒なのに大卒を詐称するのは人間性が真っ当でない人。

学力も知識も無いのに博覧強記を気取ったせいでガセとパクリの大山脈ですよ。

472 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:33:03
>>470
>学歴は人間性には関係ない。

うん、全面的に同意。
人間性を疑われるのは学歴を詐称する輩であってね。


473 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:37:24
テンテーの擁護をしよう。

テンテーは光星高校に通っていたよ。
一度だけ制服姿を見たことあるもの。

私服通学女子が「ダッセー」って言っていた。


474 :無名草子さん:2010/12/02(木) 08:44:47
幸いなことに?
あなたがたは凄まじい人間のクズですから、
どれほど冷酷に追い込んで殺処理しても、人間社会のかたは誰も文句は言いませんし、むしろ大喜びですよ。


なるべく急いで進めます。信頼してくださいね。

では、引き続き。

475 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:03:41
>>473
唐沢が高校生の頃に「ダッセー」なんて言葉はない。

476 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:25
>>475
うん。
「ダッセー」じゃなかったかもしれない。
「カッコワルイ」だったかもしれない。

477 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:09:29
>>439
>>440
日記じゃないよ。
青学入学とアニドウ上映会の話は「トンデモ創世記2000」に載ってる。
テンテーは日記から印刷されたものまで虚偽が混じっているということですね。
それなら知っています。

478 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:09
>>439
>本質とは関係ないないところで難癖つけているだけ。
>正確なのかもしれないが、なんて貧しく、つまらない「正確さ」なんだろう。こういうつまらない田舎者には文学も漫画も映画も語って欲しくないね(笑)。
> あ、この場合の「田舎者」って住んでいる場所の話じゃなくて、心や精神の貧さについて「田舎者」っていっているだけだから。やれやれ、正確クン相手だといちいちこんなことまで断らなくてはならないから面倒だなあ(笑)。

おっと、と学会を、特に山本弘会長を揶揄するのはそこまでだ
しかも、正確ヅラして罵倒したあと、「山本の言ってることもこんなに不正確じゃん」とツッコミを入れられまくって笑いをとるという、関西人ならではのサービス精神の持ち主なんだぞ!

479 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:24:48
>>473
高校生時代のテンテーを「唐沢俊一」だと認識できたということは、あんたもほぼ同じ年代だということだよな?
だとしたら、「カッコワルイ」の間違いとして「ダッセー」という言葉が出てくるとは思えない。


480 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:33:13
>>479
絡むなぁw
ほぼ同年代だけど「ダッセー」は使うよ。

テンテーの同級生にヤマウチさんだかウチヤマさんという人もいたよ。

テンテーが光星高校に通っていちゃ困る人なの?


481 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:39:44
>>480
今使うかどうかじゃねえよ馬鹿。
その年代ってもう痴呆に突入してんのか?


482 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:43:49
>>481
うん。
痴呆に突入しているよ。

483 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:48:52
そりゃよかった。


484 :無名草子さん:2010/12/02(木) 09:51:25
学歴詐称疑惑は青山だけでいいよ。もう。

485 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:02:47
本人が薬科を中退したと、どこかで書いていたので
残るのは青学だけ。

486 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:14:47
たしかに、光星高校に通ってたかどうかなんてどうでもいいな。
いいよそのくらい詐称してもw


487 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:15:04
痴呆の人、何か思い出してよ

488 :無名草子さん:2010/12/02(木) 10:26:36
>>479
ダサイという言葉は、80年代以降の言葉ではなく
1974年6月「POKETパンチOh!」で、
格好悪い事を意味する言葉として紹介されている。

これでいいですか?

500 :無名草子さん:2010/12/02(木) 11:18:47
学歴に関しては、それが仕事に繋がっていたりするから、飯の種の1つだった。
なんか昨日から、
ヤマトサークルの話が続くと「ヤマト問題は飽きたから」で
大学時代の話が続くと「証明出来ないからPP&Gの話題を」と
違う方向に持っていこうという意見が出るけど

テンテーの面白さは、これらの虚実部分を色々な所で語っているウチに
脳内でジワジワと本物になっていく感じなんだと思うよ。
他人の想い出を自分の想い出のように書くスタイルみたいに。

通学していた青山学院大学の最寄り駅を知らなかったり
大学当時に開通していない鉄道の記憶が曖昧だったり
普通の人だったら「30年前の話だからね」で済むけど
唐沢の場合はその時代の事を何度も書いたりしているワケだから
その都度、その時代の事を思い出したりしていないのか?

実際じゃない記憶はどんどん脚本されていくんだろう。

501 :無名草子さん:2010/12/02(木) 11:29:06

あなたがたは、本当に凄まじい人間のクズですね。

522 :無名草子さん:2010/12/02(木) 13:45:55
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1721381.html

>静岡県は住民の意識や消費行動に関する様々な統計データが、日本全体の
>データに似通っているのです。

(略)

>札幌市でもほぼ同様のことがいえます。
>文化的独自性があまりなく、進取の精神が高いため、他の大都市圏に比べ
>テストマーケティングがしやすいといえるのでしょう。
>また比較的狭い範囲に人口が集中しているため、販売店舗網を広げなくて
>いい利点もあります(だからテスト販売は北海道全域でなく、ほぼ札幌市内
>および周辺に限られるはずです)。

>ただし札幌の場合、気候面では日本の平均とはいえません。
>このため季節商品のテストには向かない、また秋冬の商品は逆に先行販売
>することも考えられます。

523 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:01:12
>>500
>大学当時に開通していない鉄道の記憶が曖昧だったり

青山学院に通ってて、半蔵門線の記憶が定かでないというのは、絶対におかしい。
三越前・半蔵門間の開通は1989年。唐沢が30歳のときだぞ。

本当に青山学院に通ってたのなら、土曜日の午後や金曜日に急に講義が休みになったりして
大学から神保町へ直接行った(金、土は古書会館で古書市がある)こともあるだろうし、
行きかたが面倒だったことぐらい覚えているだろう。


524 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:24:26
テンテーが新しいネタ振ってくれないから古いネタをいじくりまわすしかないんだよなあw
本当なら学歴問題なんてどーだっていーんだよ。学歴に関わらず馬鹿なんだからw

525 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:28:25
札幌(北海道?)に関しては、
明治時代に日本各地から色々な人が入植してきた土地なので
これと言った特徴が無い。
というのを大昔に聞いた事がある。


526 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:29:32
>>学歴に関わらず馬鹿なんだからw
ワラタww全くご指摘の通りww

527 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:37:39
>>511
雑学王とか名乗りながら「古墳は縄文人が作った」とか「第2次大戦は
1941年に始まった」とか小学生以下の知識レベルしかない点を嘲笑われ
てるのも忘れちゃいかないと思いますがw

528 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:40:40
テンテー、札幌の予備校に通って次の年も大学に受からなかったもので
親戚とかに世間体が悪いから、青学に受かった事にして東京の予備校に
通ったんじゃないか?
それで次の年に薬科大に受かって仙台に住んだ。
その翌年に弟が出てきて、仙台から東京に通う。
薬科大を3年で中退して、弟の所に転がり込む。

何か青学と薬科大の同時進行って信じられないんだ。

529 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:42:16
>>524
古いネタをほじくり返しても、新しい驚きが発見できる唐沢先生。
ある意味、じつに芳醇です。

530 :無名草子さん:2010/12/02(木) 14:46:03
仮に本当に二重在籍していたのなら、校則違反で入学取り消し(というか退学?)じゃないのかな?もう
退学済みの人にどういう処分するのか知らないけど。

531 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:04:51
>>460
あなたは下っ端のようだから、知らなかったのかもしれないね。
どうせならサークルのリーダー格の人に聞きたいね。
札幌の自慢になることなのに、否定するなんて変だよね。

532 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:10:12
逆に下っ端だったら「この店で買うように」と命令されているだろ

533 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:16:57
460
>玉光堂はリーブルなにわとは地下通路で繋がっているレコード屋さんす。
>ちょうど地下鉄大通り駅の上にあり、入り口が1階なので
>位置的にとてもレコードが買いやすい店です。

522
>また比較的狭い範囲に人口が集中しているため、販売店舗網を広げなくて
>いい利点もあります

412
>『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、
>札幌市のレコー ド店玉光堂で爆発的に売れ

460に戻る

534 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:17:36
スカーレットスカーフって、せいぜいメンバー十数人とか言ってなかったっけ?

そんなに下っ端だのリーダー(サブリーダーなんだっけ?(笑))だのってあるのかな?

535 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:20:28
>>412
> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、映画公開は翌月
>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌市のレコー
>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。

>>460
>玉光堂はリーブルなにわとは地下通路で繋がっているレコード屋さんす。
>ちょうど地下鉄大通り駅の上にあり、入り口が1階なので
>位置的にとてもレコードが買いやすい店です。

ところがテンテーが「トンデモ創世記2000」で書いているレコード店は
>とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんなに北海道で
>再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。ヤマト関連のレコードもずっと
>注文が続いたり。さっきの「リーブルなにわ」の上が、レコード屋なんですよ。アニメ
>のレコード注文がかなりあるんで、レコード会社のコロムビアの営業マンや、出版の営
>業マンとかが、札幌の地方営業で「リーブルなにわ」詣でをするようにまでなったんで
>すよね。
『トンデモ創世記2000』 P.33

爆発的にアニメのレコードが売れた玉光堂はリーブルなにわと地下通路で繋がっているけれど
そこの2階にあるワケではないという事なのですね。

536 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:23:00
任意のお遊びサークルで、そんなにリーダーって絶対的な存在じゃないと思うんだよね。例の
リーダーとして振舞う必要があるのは稀で(対外的に契約する時とか)、メンバーに対して変に
威張り散らしたり命令したりしてたら、すぐに嫌われてしまうと思うし。

ましてやサブリーダーなんて、単に年上だから形式的に…って程度だと思われるんだが。

537 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:34:17
>>412
> 当時サントラ盤と銘打たれたドラマ編は一九七七年七月二五日に発売。ちなみに、映画公開は翌月
>六日である。『ヤマト』の再放送が北海道エリアで終了した直後ということもあり、札幌市のレコー
>ド店玉光堂で爆発的に売れ、これが全国へと広がっていった。

これだと
1977年1月~3月:札幌テレビで「宇宙戦艦ヤマト」の再放送
  ↓
1977年7月25日:ヤマトのサントラ(ドラマ編)
  ↓
1977年8月6日:映画編集版「宇宙戦艦ヤマト」上映

http://homepage1.nifty.com/YAMATO/yamato/dsy/1.html
このリストによると札幌でのヤマト再放送は
1975/9/10 北海道札幌テレビ
1977/1-3 札幌テレビ
1982/12/20 北海道STV
となっています。
>とにかく再放送率が一番高かったのは『宇宙戦艦ヤマト』で、「何でこんなに北海道で
>再放送が多いんだ?」っていうことになるわけですよ。
はデタラメな話なんだろうね。
というか、1977年1月-3月に再放送で、それを見た唐沢がファンクラブを立ち上げて
「このサークルを維持するためにボクは浪人しなくちゃいけない」って
その再放送の時期が、高校3年の3学期なんだよな。
で、その後に再放送されたのが1982年、えっと……再放送嘆願書を出したけど
再放送はされなかったという事でよろしいんで?


538 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:42:27
1977年7月25日にリリースされた「ヤマトのサントラ(ドラマ編)」が爆発的に売れた
としても、それは映画公開1ヶ月前って事でしょ?
全然ブームの火付け役どころの話じゃなく、ブームに踊らされやすい人たちって感じでは?

539 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:49:40
リーブルなにわと玉光堂は同じビルの中にあるんだけれど、位置がズレていたと思うんだ。
リーブルなにわは地下1階と地下2階にある本屋で、地下1階の通路を通って玉光堂の浅めの
(ミドルフロアって言うのか?)地下1階売り場に行ける。
ここでは昔、ギターなんかも売っていた。
1階の入り口が当時の中心街の4丁目。
だから、テンテーの「リーブルなにわ」の上が「玉光堂」というのは間違いではない。

540 :無名草子さん:2010/12/02(木) 15:57:27
だから、再放送があったばかりなのに再放送署名なんておかしいんだよ。
テンテーのでっち上げでしょ。
宅八郎に対抗するための。

541 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:02:41
誰かサークルのリーダーかメンバーに聞けばいいじゃん?

それより青学の方が気になるんだけれど。

542 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:04:22
再放送後にすぐ再放送嘆願証明するのがまったくおかしいわけではないと思う。
でっち上げと断定する方がおかしい。
推測と証明された事実はきちんと分けて考えないと。

543 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:05:03
青学は数少ない証明できる事柄だし、本人へのダメージが大きいのでなんとか検証したいね。

544 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:06:44
>>536
>任意のお遊びサークル

「裏モノ日記」には、コピー誌を数冊作った程度の活動で消滅したようなことが
書かれていたと思い、探したのだが、その記述が見つからない。
1975年に『ヤマト』再放送嘆願署名運動の成果として全国的な再放送が実現して
いるので、1976年に活動を開始したと思われる(?)スカーレット・スカーフが
ブームの火付け役となることはできない。

http://www.slideshare.net/redtail2733/contents2009-08
>9. ヤマト再放送期成同盟
>全国に草の根的にできた ファンクラブ の活動。再放送嘆願署名を街頭などで集め,
>日本テレビ系列局へ請願運動 ( シュプレヒコールも )
>主題歌・挿入歌のリクエスト・ハガキを組織的に放送局に送付
>75 年夏休みに全国的に再放送 (17 時台 ) が決定するという戦果

545 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:18:45
ヤマトにしても、青学にしても、どちらも普通に考えたらダメージが大きい。
しかしどこを斬ってもP&Gという唐沢俊一は、逆にどこを突っつかれてもダメージは同じ。
もう消え去るのを待ってるだけのような状態。

大御所ぶっていたけれど、10年後に「あの人は誰?」で取り上げられることすら無い
超小物、超無名人だというのがバレちゃっているし。

546 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:22:37
とういうアンチの願望だったとさ。

547 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:22:55
「唐沢俊一2010流行語大賞」はいったい何だったのですか?

548 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:25:03
>>537
その再放送リストはかなり不完全だと思う。
俺が何度か観たはずの放送が放送局ごとリストから漏れているから。

549 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:31:17
スカーレットスカーフのリーダーはテンテーと別な人。
リーダーは、そう言えばテンテーもいたようだ という認識。
未確認メンバーは、テンテーは嘘をつきまくっている という。
何が真実?

550 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:42:58
みんなの記憶の中からゴッソリと抜け落ちている唐沢俊一という男の存在。

552 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:45:45
あまりにも嫌な奴だったんで思い出したくないんじゃないの?

553 :無名草子さん:2010/12/02(木) 16:57:10
学生時代は性格が良く、人望も厚く、人が嫌がる事を進んでやって、それでも偉ぶらない…なんて
事は考え難いよね、今の状況を考えると。

何百人もいたのならともかく、数十人のメンバーのうち忘れられる位だから、大した主要メンバー
とは思いがたい。なんたってリーダーに忘れられるくらいだし、目立たない感じだったんだろう。

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Comment

>ラーオさん
>わたしもヤマトは再放送組なので、おそらく1974、75年頃のことなんじゃ
>なかったでしょうか。

1974、1975 年だと本放送のときでしょうか。

# そういえば、最近、うちのコメント欄で話題の五味さんのコラムですが、最初は
# うっかり 1975 年の方で探して、ないなーと思ったら、1974 年の方にあったと
# いう……。

http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi65.shtml
> 私たちは「あんばらや」に集まって『ヤマト』の第1話を見ました。『ヤマト』
>だけでなく、同時に放送が始まったTBS系の特撮番組『猿の軍団』(当時は
>『猿の惑星』が大ブームだったのです)も、放送中の『ハイジ』も一緒に。
>つまりひとつの部屋に3台のTVを持ち込んで同時に見たのです。
> 『猿の軍団』はその週限りで見るのを止め、『ヤマト』は2~3週で誰かが
>途中で「もう消さない?」と言ってそれきりになりました。『ヤマト』を語る時に
>必ず言われる『ハイジ』の裏番組だったために視聴率が伸び悩み……という
>正にそのとおりのことが起こっていたのです。
> 当時『ハイジ』はフランクフルトから再びアルムへ舞台を戻し、ストーリー的
>にもクララが歩けるようになるか否かの佳境を迎えており、人間を見つめる
>高畑演出も冴えていました。 一方で『ヤマト』は、目を見張るカットもありな
>がら、全体に粗が見える雑な作りが目立ちました。この時点ではっきり『ヤマト』
>は『ハイジ』に負けていたのです。年末に『ハイジ』は最終回を迎えましたが、
>翌週からは『フランダースの犬』が始まり、根づいていた視聴習慣と原作の
>知名度はやはり強く、『ヤマト』は結局26話で終了の運命を辿ったのでした。
>しかしこの事実上の打ち切りは強い火種となり、西崎義展プロデューサーと
>いう強力な仕掛人の手によって煽られた火は大きく燃え上がり、アニメの歴史
>を動かしていくことになるのでした。

私は多分、『ヤマト』の方を見ていたと思うのですが、再放送とごっちゃになってないかといわれると自信がありません。^^; しかし、『猿の軍団』にも『ハイジ』にも食指をうごかされた覚えはないし、滅亡まで後何日というアレは覚えているのですが。

>唐沢が音源を提供したと言っているアタックヤングのなつマンコーナーですが、

まあ、これは本物のリーダーの人が提供したのでしょう。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-93.html

いや提供したという話自体が全然ナシだったという可能性もありますが。

唐沢俊一は、アニソンや特ソンを歌うことについては語ったりしますが、音楽には興味も素養もないようですし……どうしてこのとき↓にかぎってこんなことを書いたりしたかは本当に謎です。

『トンデモ美少年の世界』 P.175
> 当時僕は札幌を中心としたアニメソング研究会のサークルをまとめており、
>北海道ネットのラジオ局にそういったコーナーを造らせたり、古いレコードの
>コレクターたちに連絡をとってその音源を提供させたりしていた。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-567.html
に引用させてもらった以下の書き込みもありますね。

>647 :無名草子さん:2010/11/22(月) 17:15:19
>さらに中野美代子の姪さん(ガセ)に聞いてみた話

>アタックヤングのアニソンコーナーに提供されたレコードは、ほとんど唐沢さんのものだと
>聞いた事がありますか?

>「うすいよしこさんのアタックヤング? ない ない ない そんな話、聞いた事ない」

……とか思っていたら、

>一番人気がどうこう言っていますが、人気投票のコーナーではありません
>でしたよ。 リクエストは受けていたかもしれませんけど。

>番組も聞いていないんじゃないのかしらね。>テンテー

あはは…… (←乾いた笑い)
トンデモない一行知識 |  2010年12月06日(月) 01:06 |  URL |  【コメント編集】

なかなかヤマトの頃を正確に思い出せないので(なんせ子供だったので)、このごろ2ちゃんに当時の札幌を知っている方がいろいろ書き込んでくださるので助かります。
玉光堂のことだと「地下1階でつながっている」発言を読んで何か腑に落ちなかったんですが、539を読んで思い出しました。
現在はリーブルなにわの地下出入り口のそばに玉光堂の地下入り口があり、すぐ売り場になっていますが、その当時は通路でした。はー。すっきりした。

それから、再放送の嘆願運動についてですが、嘆願書をまとめて~といったことには参加しなかったな。
わたしがしていたのは「再放送のお願いをはがきに書いて一人10枚とか送ってみようか!」みたいなことでした。
当時わたしは北大に近い地域に住んでいて、ヤマト仲間の友人のお兄さんが大学生でヤマトやアニメ関係の活動をしていたようで、「兄がやっているから一緒にやろうか」といった感じだったような。
この頃同時に主題歌や「真っ赤なスカーフ」のリクエストをラジオのランキング番組に出したりもしていました。
わたしもヤマトは再放送組なので、おそらく1974、75年頃のことなんじゃなかったでしょうか。

唐沢が音源を提供したと言っているアタックヤングのなつマンコーナーですが、唐沢の言い方はちょっと良くわからない。一番人気がどうこう言っていますが、人気投票のコーナーではありませんでしたよ。
リクエストは受けていたかもしれませんけど。
内容的には番組の最後になつマンをかけて締めるという感じです。
懐かしいアニメが中心でしたが、上条恒彦が歌う「スペース1999」のテーマ曲なんかもかけていました。
番組も聞いていないんじゃないのかしらね。>テンテー

まだ思い出せそうですが、気になったことを急ぎ書いておきました。
ラーオ |  2010年12月06日(月) 00:04 |  URL |  【コメント編集】

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