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2010.11.28 (Sun)

ロックンロール・アニドウ、いい加減にして

本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル『スカーレット・スカーフ』(2)」のコメント欄
あれこれ書いているうちに、唐沢俊一の語るアニドウの話って、『トンデモ創世記2000』
で本人がいっていることだけとっても、ありえないというか時空が歪んでいるじゃないかと
思えてきたので、ここにメモを兼ねて。

『トンデモ創世記2000』 P.43 ~ P.44

唐沢● いろいろあって、青山学院に入ったんですけども、すでに半蔵門線
は開通してたかな?
志水● ギリギリですね。
唐沢● そうすると半蔵門線で一本じゃないですか、神保町まで。青山学院
は最寄り駅が渋谷だし。
志水● そうですね。
唐沢● それで下宿を阿佐ヶ谷に決めたんですが、忘れもしない、入学した
日にアニドウが新宿の紀伊國屋ホールで「紀伊國屋アニメ・フェスティバル」
をやったんですよ。『ベティー・ブープ』とかを上映してたな。アニドウの歴史の
中でも大きなイベントの一つになると思うけど、チラシに「沖の暗いのに白帆
が見える、あれは紀伊國アニメ船」って。
志水● (爆笑)
唐沢● その日、下宿のおばさんが歓迎会をしてくれるって言うんだけど、
親戚の家に行くって適当にごまかして飛んでいって、『ベティー・ブープ』と
フライシャーの『バッタくん町に行く』を見て、愕然としましたね。俺が見てた
日本映画って何だったんだって。長文の感想を書いて並木孝(現・なみき
たかし)という代表者に送ったんですよ。それから半月位たって、お茶の水に
あった電電ホールでの上映会で「あっ、君が唐沢君か」と出会うわけです。
その頃、アニドウが非常に上り坂で、『フィルム1/24』というアニドウの会誌
が、紀伊國屋書店の映画雑誌コーナーに置かれはじめていましたね。同じ
コーナーに竹内義和の『東京おとなクラブ』というのもあった。


×紀伊國屋アニメ・フェスティバル ○新宿アニメーション・ランド
×お茶の水にあった電電ホール ○お茶の水にあった全電通ホール

関連ガセビア
自分を捜して見失う?
Baby Betty Boop Boop a Doop
芸ごとだかゲイごろだか洗脳セミナーだかわかったもんじゃないが……

「半蔵門線で一本」になるには 1989 年を待たなければいけないとか、「青山学院は
最寄り駅が渋谷」ではなく表参道駅だぞとかいうのは、「自分を捜して見失う?」を
参照のこと。

それを抜きにしても、ここでもう時空歪みが発生している。

P.43 には「『東京おとなクラブ』創刊2号」の表紙の写真と「編集発行エンドウユイチ/
定価390円/83年3月23日発行」、「丸尾末広、岡崎京子といった豪華執筆陣による
幻のインディーズ本。」という説明が書かれている。

http://www.burikko.net/another/toc.html を参照してみても、「83年3月23日発行」
というのは正しいようだし、創刊号は「東京おとなクラブ Vol.1 1982/7/7発行」とのこと。
「その頃、アニドウが非常に上り坂で」の「その頃」とは 1982 年か 1983 年だとすると、
1958 年生まれの唐沢俊一は 24 歳くらいで……ええと、五浪六浪して大学入学したと
でもいうのだろうか。

そもそも、「忘れもしない、入学した日にアニドウが新宿の紀伊國屋ホールで」「その日、
下宿のおばさんが歓迎会をしてくれるって言うんだけど」というのは、本の記述のみを
参照して考えてみてもちょっと不自然な話で、「下宿のおばさんが歓迎会」をしてくれる
ような下宿初日かその翌日あたりに、大学に「入学した日」がくるものかなあという問題
もある。

で、まあ、1977 年には北海道で一浪しながらヤマトのファンクラブ活動にいそしんでいた
唐沢俊一が、1978 年には上京していて、東京でのアニドウの上映会を見ていたことは、
アニドウの会誌に残っている投稿からみて間違いない――という情報を、ここコメント欄
に書いてくださった人がいる。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-565.html#comment1900
>唐沢が78年の3月から東京に住んでいたことは、間違いないと思います。

>理由は『FILM1/24』23&24号の投稿「ベティ・ブープをもう一度!」で、“あの天才
>手塚治虫が作った鉄腕アトムだってこの間アニメランドでみたときは”と書いているか
>らです。

>新宿アニメーション・ランドは78年3月に行なわれました。
>後に『テンデモ創世記2000』で、「紀伊國屋アニメ・フェスティバル」なんてまちがった
>呼び名で唐沢は書いていますが、リアルタイムのこの投稿では名前をまちがえていま
>せん。
>78年5月の「フライシャーの夕べ」の感想文の投稿ですから、少なくとも78年3~5月
>は東京にいたはずです。


上のコメントで指摘されている通り、「紀伊國屋アニメ・フェスティバル」というのが正しい
呼び名でないことは、アニドウのサイトでも確認できる。

http://www.anido.com/html-j/step-j70.html
>1978年 (昭和53年)
〈略〉
>《フライシャーの夕べ-1.2》5/2-3 ゲスト:野口久光
〈略〉
>《新宿アニメーション・ランド》3/23.3/27-30 ゲスト:安彦良和、長浜忠夫、手塚治虫、
>もりやすじ、ひこねのりお、相原信洋、古川タク、川本喜八郎、岡本忠成、白石冬美、
>八木大、他〈紀伊国屋ホール〉。
>表向きは「主催=日本アニメーション協会」だが、実質的にはアニドウの主催であった。
>「ソ連アニメ映画祭3」協力5/24-25〈全電通〉


「《新宿アニメーション・ランド》3/23.3/27-30」なので、「忘れもしない、入学した日」と
いうのも多分ガセ。青山学院大学の入学式は 1978 年も 4 月におこなわれているはず。
以下は、1978 年に青山学院大学文学部英米文学科に入学したという人の文章。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/h-motoi/seishun.htm
>1978年4月。20歳の私は単身東京にいた。初めて異郷の地での一人暮らし。近く
>には両親もいなければ、親戚もいない。頼れるのは自分だけ。孤独ではあったが、
>これから新たに始まろうとしている人生に私はわくわくしていた。
>  青山学院大学文学部英米文学科に籍をおくことのできた私は目黒区にアパートを
>決めていた。それは東急目蒲線の西小山という駅から徒歩1分の所にあった。風呂な
>し、トイレ共同、6畳一間のぼろアパート。大学まで30分という利便性だけにすぐれた
>アパートであった。ここが私のスタート地点である。


結構笑えたのが「電電ホール」で、「お茶の水 "電電ホール"」でググると、うちのブログ
と以下に引用する裏モノ日記しかヒットしない。

裏モノ日記 2005年 02月 19日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20050219000000.html
> そうこうするうち時間となり、さて、やっと、となかの芸能小劇場に行ったら、入り口に
>ぎじんさんとなみきたかしがぽつねんと立っていて、上映会、中止と告げる。なんで
>も、会場を借りるとき、午後といってとったのだが、この会場は午前・午後の二分割で
>なく、午前・午後・夜という三分割で貸しているらしい。もう何十回となく借りているんだ
>からわかっていそうなものなのに、つい、午後で借りてノホホンとしていたら、会場から
>“アニドウさん来ないけどどうしました”と電話がかかり、そこ で気づいたが後の祭り
>だったそうな。
> 一応電話やメールなどで会員には知らせたが、私のように昼にも用事があって連絡
>つかない者が来たときのために、なみき氏がおわびのCD持って立っていた。そう言え
>ば私がアニドレイ(男の手伝いをアニドウではこう称する。ちなみに女性は“アニメイト”)
>だった頃にもこういうことがあって、お茶の水の電電ホールの前でお客に 謝ったことが
>あったなあ。もう二十五年も前だが。


「国際電電ホール」というのも別にあるみたいだけど、アニドウのページに「電電」の文字
は存在しない。「『ソ連アニメ映画祭3』協力5/24-25〈全電通〉」とかあるので、これは、
「全電通ホール」が正しいのだろう。場所もお茶の水だし。

http://www.enjoytokyo.jp/events/spot/l_00001420/
>全電通ホール
〈略〉
>住所  〒101-0062 東京都 千代田区 神田駿河台3-6
>最寄駅 新御茶ノ水 小川町(都営) 淡路町


で、『トンデモ創世記2000』の記述の続き。

『トンデモ創世記2000』 P.44

唐沢● そういうミニコミ誌が出てきて、『ぴあ』なんかも市民権を得てきま
したね。『ぴあ』の存在を知ったのも上京してからです。こでまた忘れも
しない、並木孝に長文の手紙を書いたその翌々週に上映会があって、で、
鈴屋ビルというのが荻窪にあったんですよ。そのビルは八階建てでエレ
ベーターがない。その七階にアニドウがあって、そこにフィルムだとかを
どれだけ運んだことか。NHKの『三国志』って人形劇で川本喜八郎さんの
作った人形の『三国志百態』という豪華写真集があって、これも書店に卸す
ために七階から何度も運んだ記憶があるんですけど。


この上映会というのが「《フライシャーの夕べ-1.2》5/2-3 ゲスト:野口久光」なのかな。
「『ベティー・ブープ』とフライシャーの『バッタくん町に行く』を見て、愕然としましたね」と
唐沢俊一が P.45 でいっているのが、「その日、下宿のおばさんが歓迎会をしてくれるっ
て言うんだけど、親戚の家に行くって適当にごまかして飛んでいって」という話になって
いるので、5 月というのは微妙に時期があわないのではないかという気もするけど。

「豪華写真集」の題については、こちらのエントリーで引用した分では『三国志』と間違え
ていたが、ここでは『三国志百態』と正しく書かれている。

そして、『トンデモ創世記2000』の内容は、アニドウ関係の話題からいったん離れる。

次にアニドウが主の話題となるのは、ここに断片的に引用した、P.73 以降のこととなる。
以下に引用し直してみる。

『トンデモ創世記2000』 P.73 ~ P.74

CHAP1 30 これでアニドウもおしまいだ

唐沢● アニドウには四年くらいかかわったですかね。浮き沈みがかなり
あって、鈴屋ビルの七階から、荻窪のサニーシティってところに移りました。
ここは本当にフロアーがちゃんとしてましてね。
志水● エレベータもあるし。
唐沢● そう、二階だったんだよな。エレベーターがあるんだったら、もっと
高いフロアーにすればいいのに、なんて言ってたこともありました(笑)。
昔の苦労が苦労だけに……。
 川本喜八郎さんの『三国志』の通販とかもやってたんですけど。で、気前
が良かったというか何というか、川本さんが使い終わった人形をみんなに
プレゼントするっていう、とんでもないこともやってた。


「昔の苦労」というのは P.45 の「川本喜八郎さんの作った人形の『三国志百態』という
豪華写真集があって、これも書店に卸すために七階から何度も運んだ記憶がある」と
いうのをさすのだろうけど、何で「荻窪のサニーシティ」に移動したという話の後で、再び
その本の通販の話をするのかと。

本ではここに「プータローだった男」のエントリーの真ん中あたりに引用した文章がくる。

「川本さんが使い終わった人形をみんなにプレゼントするっていう、とんでもないこと」と
いうのはありえない――については、このエントリーコメント欄を参照していただくとして、
『三国志百態』は 1984 年の発売である。

つまり、この部分だけ読むと、「アニドウには四年くらいかかわったですかね」とは、1980
年から 1984 年の間のかかわりということになる。1978 年から 1979 年は……一般人
として上映会を見に行き、感想を投稿するだけだったとでも脳内補完するべきか。

そして、ここでいう「わたくし、母に男だけしかいないところには行くなと言われていて、
取りに行けません」に「ふざけんじゃねぇ! 孔明だぞ」の後には、以下の文章がくる。

『トンデモ創世記2000』 P.74

 当時はアニドウに若いメンバーが入りはじめたので僕なんかは古参に
なってきて、ちょっと浮いてきたなって感じてきた。辛口の批評ばっかりやる
もんだから。彼らはテレビのアニメを見て入ってきているんですよ。ある若い
子に「『トムとジェリー』って何ですか?」って聞かれて、あ、これでアニドウも
おしまいだって……。あの頃の僕は、こういうところにトゲトゲした人間でし
てね。しかも女の子だから僕よりもちやほやされるんですよ。こんな場所に
いられるか!ってね。
志水● 女性は文化を破壊しますな(笑)。

CHAP1 31 イッセーの見方を教えてあげましょう

唐沢● それで、イッセー一本に絞ったんですよ。イッセー尾形も僕の批評を
見ないと怖くて舞台にかけられないというくらいに力を注いで。それで務め
ようと思ってたのね、正式作家ではなかったですけど。


「イッセー一本に絞ったんですよ」の時代については、「唐沢俊一先生、その病、直って
いません
」を参照のこと。廉価版ワープロのピコワードが発売された 1984 年の頃には、
東北と東京を往復する電車の中でそれを使って原稿を書いていたという。唐沢俊一、
26 歳。

参考
唐沢俊一 25 歳の青春であった<金髪美女のヌードCM

そこで客と大ゲンカして、イッセー尾形と絶縁したと思われるのが 1986 年と考えられ
ている。唐沢俊一、28 歳。

『トンデモ創世記2000』 P.75

CHAP1 32 山田邦子とあまり変わんない

唐沢● しょうがないからアニドウに戻ろうかなって思って、電話かけたらね、
『月刊ベティ』を出してたじゃないですか。
志水● ああ、あった、『月刊ベティ』ね。うん。
唐沢● あれで大損してですね。ま、他にもいろいろ理由があってマンション
もとられちゃったんですよ。で、引き上げる最中だったんだよね。並木孝が
沈んだ声で、「昨日までは順風満帆(じゅんぷうまんぼ)だったけど……」
って言ったので、すかさず、「並木さん、そりゃ順風満帆(じゅんぷうまんぱん)
って読むんだよ」って返したらすごく嫌われてね。
志水● (爆笑)
唐沢● で、浦和の方に引っ込んじゃうしさ。
志水● 『月刊ベティ』はね、プレミア付くと思って五冊くらい買いましたよ
(笑)。
唐沢● あれ実は「創廃刊号」と称していたけれども、売れ行きはよかった
んです。続編を出そうって企画もあったくらいで。それで、並木が僕の弟の
『MANGAカルピス』を読んだようで、それが面白いからって弟が描くことに
なっていたようです。後に、なをきの代表作になった『カスミ伝』の原型は
そこに描かれるはずだったんですよ。


はい、ここで一気に時間は 1982 年に戻りました、とさ。『月刊ベティ』は 1982 年。
ピコワードの発売より 2 年も前……。唐沢俊一、24 歳。

http://www.anido.com/html-j/books-j.html
>月刊ベティ(創廃刊号)
>1982 (昭和57年8月15日)
>副題:新感少女マンガ誌


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Comment

>唐沢がアニドウのスタッフだったというのは大ウソだと、私は思っています。
>ただアニドウ事務所を訪れたことは、何度かあったのでしょう。
>その頃の記憶を元に適当に脚色して、メインスタッフだったなどとホラを
>吹いているのだと思いますね。

ああ、なるほど。それだと辻褄があいそうですね。

……うーん、しかし、それだと、

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-543.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-569.html

などのリンク先に登場する「角川くんことツノちゃん(アニドウの先輩)」に関する記述は、いったいどういうことなのだろうと思います。

http://www.tobunken.com/news/news20101022164354.html
>アニドウ時代、『三国志百態』写真集の発送の手伝いを、今は亡き
>角川くんことツノちゃん(アニドウの先輩)の指揮のもと、徹夜で
>作業したのもいまは昔。

先輩なのに「角川くん」と「くん」づけだし年下なのかと思ったら、唐沢俊一より年上の方なのですよね。

http://www.anido.com/html-j/news081213-j.html
>古参会員の角川弘明(つのかわひろあき)氏が、12月4日に心不全のため
>急逝致しました。享年54でした。

唐沢俊一は、お通夜やお葬式には行っていないようなので、実はそんなに親しくなかったのかもしれません。

http://www.tobunken.com/diary/diary20081215115737.html
>携帯でミクシィを確認していたら、なみきたかしの日記で、角川弘明氏の
>死去を知る。
トンデモない一行知識 |  2010年12月08日(水) 22:55 |  URL |  【コメント編集】

●アニドウ事務所には誰でも入れた

>namさん

おおっ、namさんもアニドウの会員さんでしたか!
・・・・もっとも今は五味さんがおられた時の様に、会員の声を載せた会誌が無くなってしまいました。
上映会のお知らせが来るだけになったのでしょうか。

アニドウの事務所は、会員なら誰でも見学することは出来ました(当時は)。
もちろん事前に電話で確認をとらなければいけませんが、私も一度行ったことがあります。
エレベーターが無かったかどうかは覚えていませんが、特撮やアニメの珍しい洋書が本棚に並んでいたのと、会員からのおたよりが紙袋に山のように詰まっていたのを覚えています。

唐沢がアニドウのスタッフだったというのは大ウソだと、私は思っています。
ただアニドウ事務所を訪れたことは、何度かあったのでしょう。
その頃の記憶を元に適当に脚色して、メインスタッフだったなどとホラを吹いているのだと思いますね。
50代(元アニドウ会員) |  2010年12月07日(火) 21:50 |  URL |  【コメント編集】

>nam(30代・アニドウ幽霊会員) さん
>私信めいた書き込み、失礼いたしました!

いえいえー、本当に面白そうですよね<「アニメーションの宝箱」


# 何か、このブログで言及したことのある作品もちらほら。

http://www.comicbox.co.jp/pub/takarabako.html
>1 1914 恐竜ガーティー  ウィンザー・マッケイ
〈略〉
>5 1933 ベティの白雪姫 フライシャー兄弟
〈略〉
>8 1941 スーパーマン フライシャー兄弟

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-417.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-177.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-73.html
トンデモない一行知識 |  2010年12月07日(火) 00:20 |  URL |  【コメント編集】

●ありがとうございます

50代(元アニドウ会員) 様

ありがとうございます、「アニメーションの宝箱」読んでみます。
唐沢の評論を読んでも、その作品を小馬鹿にしたような態度が目につくだけで、
観てみたいと思えません。
おそらく、「創作」への敬意が根本的に無い人なんでしょうね。
だから平気で貶せるし、パクりもする。
彼の書く物は、五味さんをはじめ、おかだえみこさんや森卓也さんのような
アニメーションへの愛情と敬意を持った方の文章と比べて、なんと空虚なことか。

管理者様
私信めいた書き込み、失礼いたしました!
nam(30代・アニドウ幽霊会員) |  2010年12月06日(月) 22:43 |  URL |  【コメント編集】

>50代(元アニドウ会員) さん
>WEBアニメスタイルの五味さんの文章を読めばおわかりの様に、写真植字は
>印刷所で作ってもらっていますが、それを版下用紙に貼る作業は、五味編集長
>(およびアシスタント)みずからがやっています。

http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi91.shtml
などで書かれていることですね。この回は特に好きです。

# 個人的には、PostScript プリンタが出始めの頃に親しんだモリサワが今も
# 好きなのですが、プロの人は写研を推す人が多いように思います。

井上則人氏については……まあ優れたお仕事もたくさんなさっているのでしょうが、『血で描く』の印象があまりよくなかったので (ゴニョゴニョ

この方の手がけた唐沢俊一本の装丁は、何かゴチャゴチャし過ぎな方向に凝っているのではないかと思わせるのが何冊かあるので、ちょっと受け付けないものがあります。それはともかく、

>アニドウは、協力者に対してこの様に律儀であり、もし唐沢がメインでは
>なくても、何らかの形でスタッフとして活躍していれば、必ず編集後記等で
>紹介される筈です。
>なのに唐沢の名は、アニドウ出版物にスタッフとしては全く載ってません。

なみきたかし氏への態度について、ヤケに上から目線なのが解せないな、というのは
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-569.html
の方で表明させていただきましたが、井上氏への態度も不自然にデカいような……。

なみきたかし氏との共同事務所の話が何か関係しているのか、かつて自分をあまり認めてくれなかった組織へのアテツケめいた態度なのか、アニドウの偉い人に居丈高に接することによって外部の人間に自分を偉く見せる作戦なのか……想像 (妄想) はふくらむばかりです。
トンデモない一行知識 |  2010年12月06日(月) 00:27 |  URL |  【コメント編集】

●井上則人氏と唐沢のあつかいは、違いすぎます

>トンデモない一行知識さん

井上則人さんに触れた『FILM1/24』の編集後記・・・・。

「今号から静岡の一読者であった井上則人君が強力な編集スタッフとして加わった。彼の活躍によって編集室の労力は半分になっているが・・(後略)」〔『FILM1/24』第29号 80年4月30日発行〕

井上氏がずい分期待されている事がわかります。
後にデザイン事務所を経営される位ですから、製本・印刷等の知識が豊富だったのでしょう。

WEBアニメスタイルの五味さんの文章を読めばおわかりの様に、写真植字は印刷所で作ってもらっていますが、それを版下用紙に貼る作業は、五味編集長(およびアシスタント)みずからがやっています。

同じ号の「別冊コナンの編集後記」(並木孝氏)には、「原田智生くんとそのお友達(大中小道具-メカといわないのは宮崎さんの意向もある)は、本当に大変な労作でした。」とあります。

×原田智生くん  ○原口智生さん の誤植です。

アニドウは、協力者に対してこの様に律儀であり、もし唐沢がメインではなくても、何らかの形でスタッフとして活躍していれば、必ず編集後記等で紹介される筈です。
なのに唐沢の名は、アニドウ出版物にスタッフとしては全く載ってません。

>namさん

はい、『また会えたね!』は、五味洋子さんの作品です。
私としては『アニメーションの宝箱』(ふゅーじょんぷろだくと)の方が、おすすめです。

TVアニメから『ホルスの大冒険』の様な国産長編アニメ、ディズニーからフライッシャー、カナダや旧ソ連の芸術アニメ・・・。
どんなアニメにもその良さを発見してほめたたえる事が出来る・・・・・。
アニメが好きで好きでたまらない人間の良さを感じさせられます。

どんな作品でも悪口しか並べられない、したがってどんな作品が好きなのかさっぱりわからない、唐沢の姿勢とは真逆なものを感じます。

五味洋子さんの様な人こそ、本物のアニメファンだと思いますね。

50代(元アニドウ会員) |  2010年12月05日(日) 20:40 |  URL |  【コメント編集】

>NNT さん
昔飼っていたネコも三毛猫でしたけど、こんな尻ウォークはやってくれませんでしたw
トンデモない一行知識 |  2010年12月04日(土) 11:38 |  URL |  【コメント編集】

>50代(元アニドウ会員) さん
>nam さん

宅八郎さんも「富沢(五味)洋子さん」とおっしゃっていたのだから、五味は結婚後の名字と気づけよ……という話でしたね、すみません。(_ _);

昨日アップされた最新の回は「ヤマト」について。その回でご自身が小柄だとお書きになっていますね。

http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi96.shtml
> この頃の私はよく誌上で怒っていて、同じ号の編集後記でも、再放送の
>『ハイジ』がCMを多く入れるために本編の一部を1分間ほどカットして放送
>されている件に作品冒涜と怒りの声を上げています。マスコミからはアニメ
>ブームと持ち上げられても、その実態はこのような作品無視の寒々しい
>状況であると。当時の私は実際に会った人たちが、この体のどこにこんな
>パワーがと驚くほど華奢で小柄(身長150センチ足らず、服のサイズは
>5~7号でした)で、見た目も大人しく実際無口でした。そんな私が、実は
>戦闘民族の末裔ではないかと思うくらいの激しさで様々な理不尽な事柄に
>怒りの声を上げていたのです。自分から喋らないぶん、言いたいことは
>全て文字を通して吐き出していたのでした。

「プータロー」の定義には人により若干ブレがありそうですが、普通は学生という身分が保証されている間は、プータローとは呼ばれないし、自分はプータローではないかと思ったりもしないよなあと、つい学歴疑惑の方に気持ちが向いたりしてしまいます。

また http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-543.html に引用した『トンデモ創世記2000』では、「女の子はアルバイトで来ている。でも男はプータローだから」のくだりに続いて、実は以下のような文章がきます。

『トンデモ創世記2000』 P.74
> 当時はアニドウに若いメンバーが入りはじめたので僕なんかは古参に
>なってきて、ちょっと浮いてきたなって感じてきた。辛口の批評ばっかり
>やるもんだから。彼らはテレビのアニメを見て入ってきているんですよ。
>ある若い子に「『トムとジェリー』って何ですか?」って聞かれて、あ、
>これでアニドウもおしまいだって……。あの頃の僕は、こういうところに
>トゲトゲした人間でしてね。しかも女の子だから僕よりもちやほやされる
>んですよ。こんな場所にいられるか!ってね。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-209.html#commenttop
では、古参メンバーのくせに、新入りの女の子が「僕よりもちやほやされる」かどうかで張り合って、「こんな場所にいられるか!って」……と書いたのですが、「富沢(五味)洋子さん」の存在を考えあわせると、また別の感慨を覚えます。気持ち悪いというのは一貫してますが。これに「女性は文化を破壊しますな」と応えている志水一夫も、いかがなものかと思います。


何となく、メモ。

『アジアンパラダイス』 P.301
> また、すばらしい装丁をしていただいた井上則人さんとはこれが2度目の
>おつきあいだが、そのセンスと凝り性にはいつも敬服している。実は彼の
>若い頃の姿を知っているのだが、こんな才能のある人物とは、当時はついぞ
>思わなかった。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/453n-
>453 :無名草子さん:2010/12/02(木) 01:31:56
>テンテーと言えば、五味洋子さんの事を「癲癇持ち女」とか呼んで
>いたんですけれど
>事実ですか?

>454 :無名草子さん:2010/12/02(木) 01:33:21
>そうみたいですね。

>455 :無名草子さん:2010/12/02(木) 01:37:41
>テンテーと言えば、なみきたかしさんのことを「おぼっちゃん育ちで
>経営能力がない」とか言っていたのですが
>事実ですか?
トンデモない一行知識 |  2010年12月04日(土) 11:33 |  URL |  【コメント編集】

●エントリと関係なくてすみません

NNT |  2010年12月03日(金) 22:41 |  URL |  【コメント編集】

五味洋子さんって、アニメージュ文庫の未来少年コナン本
「また会えたね!」を作った方ですよね?確か「富沢洋子」名義でしたが。
1983年10月に出た本ですから、84年の時点でアニメーターとして活躍された上に
著書を一冊出している方ですよね。

オープロの方ですから、「ナウシカ」にも参加されてるんじゃないでしょうか。
(また不確かです。すみません)

その人を捕まえて、アルバイトの女の子だなんて…。

唐沢俊一はほんとに……言葉も出ないです。

※コメントを書き込んでから、WEBアニメスタイルのコラムを読みました。
(まだほんの少しですが…50代(元アニドウ会員)さん、教えていただき
 ありがとうございます。)
どこを読んでも面白く、当然のことながらリアリティのあるコラムでした。
唐沢の駄文からは何のリアリティも感じられません。
nam |  2010年12月03日(金) 22:31 |  URL |  【コメント編集】

●唐沢こそプータローであった

>トンデモない一行知識さん

>この五味洋子さんが、「Gさん」ということでしょうか。

違います。この方は小柄な女性で、『FILM1/24』の編集長をされていた方です。
一緒にで働いていたGさんという男性と仲良くなり結婚。
その男性の苗字を取って、五味洋子さんとなりました。
つまり旦那さんがGさんです。
ちなみに結婚式の仲人をされたのは、宮崎駿氏です。

唐沢が言う「女の子はアルバイトできている。でも男はプータローだから」、というのは、名誉毀損ものの大ウソですよ。

五味洋子さんはアニメーター(『ハイジ』や『コナン』のクレジットタイトルに名前が出ている)の仕事をしながら、編集長をしてました。
Gさんも大学生で後に就職して結婚されたのです。
実際唐沢のこのウソは、シャレにならないですよ。ほんとに。

他に編集スタッフをされている人は、前に上げた飯田つとむさん(飯田馬之助)さん。井上則人さん(井上則人デザイン事務所の社長。(「昭和ニッポン怪人伝」等のデザインも手掛けている)。原口智生さん(特殊メイクアーティストの第一人者)・・・・・・等々。
こういう錚々たる人々がアニドウで活躍されていたのです。
それをプータローだとかなんとか、唐沢は・・・・・・・!

ほんと名誉毀損ものです!!

プータロー云々は、当時の自分を投影して思わず喋ってしまったのでしょう。
青学を卒業したかどうかはわかりませんが、物書きにはなれずじまい。
仙台の薬科大学に入り直さなければならない・・・。
当時の唐沢こそプータローそのものじゃありませんか。

WEBアニメスタイルの五味洋子さんの連載は、十分信用出来る内容です。
万一、いや億一、唐沢がアニドウのメインスタッフだったというなら、そろそろ名前が出て来るころですが、さてどうなることやらw。
50代(元アニドウ会員) |  2010年12月03日(金) 20:39 |  URL |  【コメント編集】

●似ているようで違う ――シリーウォークと尻ウォーク

>NNT さん
なるほど、5 年前だと元気にあちこち外出して回っていたのでしょうね。まあ裏モノ日記がなくなっただけで、実は今も精力的な外出は続いているのかもしれませんが。

若い頃はビデオをかついで帰ったり、思い荷物をもって何度も階段を上り下りしたり、もっともっと精力的に動いていたのかもしれません。(棒


>50代(元アニドウ会員)さん
>〈鈴屋ビル 荻窪〉でググれば、今もある鈴屋ビルのことがわかる。

あ……そうですね、ボケていました<自分。

「総戸数 7戸」とかありますので、八階建てはガセですね。

で、ググったら、こういうのも↓

http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi94.shtml
> この頃のアニドウで大きな出来事といえば荻窪に念願の事務所を構えた
>ことです。場所はオープロ(旧社屋)と荻窪駅を挟んで反対側、商店街の先の
>道路沿いです。鈴屋ビルという建物の名をもじってベルバラヤと通称していま
>した。鈴屋ビルの鈴(ベル)+ベルばら+かつての並木さんたちの共同住居
>だった通称あんばらやの名残、というわけです。1階はインテリア関係の店舗
>で、脇の入り口から狭い階段を上がった5階の一番奥、2DKの部屋がベル
>バラヤでした。
〈略〉
> さて「1/24」の話題に戻りましょう。第15号は1977年4月発行。28ページ。

この五味洋子さんが、「Gさん」ということでしょうか。

>当時(79年頃)、アニドウの裏方仕事を一手に引き受けていたGさんという
>方がおりました。

http://www.style.fm/as/05_column/gomi/gomi95.shtml
>「1/24」を送るための宛名書きも私の仕事でしたが、封筒に宛名を書きつつ、
>裏のベティのイラストに手描きで吹き出しをつけてちょっと一言つけ加えるなど
>ということもやっていたものです。

宅八郎さんのコメントにも、お名前が出ています。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-109.html
>(3)それから、ボクが立て続けにFAXを送ってきて、唐沢はともかく並木孝さん
>が困ってた&怒ってたという話は知りません。ただ、当時ボクが単行本を出す
>ために熱心だったので、つい必要以上の枚数をFAXしていた可能性はありま
>す。かたじけない。それにしても、当時のアニドウでは並木代表が直接担当
>したわけでなく、資料を探してくださったのは富沢(五味)洋子さんだった気が
>しますが。あれ、洋子さん、広島だったっけな・・・。

この方が重い荷物運びを担当していなかったにしても、事務所に常駐なさっていたとしたら、例の孔明人形話の『トンデモ創世記2000』バージョン――「そちらに女性スタッフの方はいらっしゃいますか?」「女の子はアルバイトで来ている。でも男はプータローだから、そこに常駐しているわけね。」――が、ますますありえないことになりそうです。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-543.html

もしかしたら、七階を五階に訂正したのと同様、誰かに指摘されたか Web 上の情報を目にしたかで「マズい」と思い、自動車で人形を自宅に届ける設定のバージョンを編み出したのかもしれません。
トンデモない一行知識 |  2010年12月03日(金) 02:33 |  URL |  【コメント編集】

●またまた唐沢のでたらめ

×そのビルは八階建てでエレベーターがない。その七階にアニドウがあって

○アニドウがあった鈴屋ビルは七階建て。アニドウ事務所があったのは五階。

〈鈴屋ビル 荻窪〉でググれば、今もある鈴屋ビルのことがわかる。
73年1月に作られたビル。
70年代までの団地は5階建て、エレベーター無しが普通でした。
それを考えれば特におかしなビルではないと思います。

もっとも唐沢は、2008年6月1日の裏モノ日記に、「エレベーターのない荻窪鈴屋ビル5階アニドウまで」と、こちらは正確に書いてます。
なみき氏にまちがいを指摘されたか・・・・

>その七階にアニドウがあって、そこにフィルムだとかをどれだけ運んだことか

唐沢の言ってる事は意味不明。
アニドウには映画が上映できる大ホールがあったのか、と知らない人は思うかも知れません。
そんな物はありません。
アニドウ事務所での上映会というのもございません。

上映会は中野サンプラザ5Fとかお茶の水全電通ホールなどで行なわれてました。
なのになんで唐沢がアニドウ事務所でフイルム運びをするのか、意味不明です。
『トンデモ創世記2000』にも、その理由は書かれてないですしね。

21ページにも、「当時アニドウの活動で手一杯だったこともあるな」とありますが、具体的にどういう活動をしたのかは何も書かれてません。
ウソだから書けないんですよ。

当時(79年頃)、アニドウの裏方仕事を一手に引き受けていたGさんという方がおりました。
その人が『FILM1/24』の編集部の座談会で、「発送の苦労もしゃべって下さいよォ。誰がエレベーターも無い5階まで2000冊の本を運び上げるとか。」と語っています(27&28合併号)。

アニドウの出版物は原則として、郵送による直販です。
一冊一冊封筒に納め、名簿と照らし合わせながら宛名を書き、まとめて郵便局に運び出す・・・・・・。
大変な労働だということがわかります。

唐沢はこのGさんの言葉を元に、適当に作り変えて、自分の体験の様に語っているのでしょう。
例によって例のごとくです。


50代(元アニドウ会員) |  2010年12月02日(木) 21:26 |  URL |  【コメント編集】

●生唐沢目撃情報(5年前)

青山劇場の地下の物販のあたりで。黒い帽子で黒い服の例のコスプレ状態。
モンティ・パイソンお好きですか?というふいんきで(何故か変換できない)。
http://www.youtube.com/watch?v=F8xur_TLFyY

どこかで観た人だけど、思い出せない。
ようやく誰か分かっても名前が思い出せず、唐沢なをきの兄だよなーとしかその時は思わなかったです。

荷物を運ぶのは大変ですよねーとか、荷物を大事にしたいからスミマセンとかで、
アニドウって酷いことさせてるわ(棒、ですよ、事実だとしたら。
NNT |  2010年12月02日(木) 19:46 |  URL |  【コメント編集】

●どんなんだったんですか<生唐沢氏

>NNT さん
>そんなに酷い事させたんだなーアニドウってー(棒

本当に酷いですよねアニドウは (棒

で、この前から気になっているのは、

>>そのビルは八階建てでエレベーターがない。

って、ありなのかしら、ということ。

エレベーターなしなら、4 階か 5 階くらいまでが限界だと思うのですが……建てられたのが古いビルならしょうがないんでしょうか。

http://oshiete.homes.jp/qa2265411.html?order=DESC&by=datetime
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108031145
トンデモない一行知識 |  2010年12月02日(木) 02:00 |  URL |  【コメント編集】

>50代(元アニドウ会員)さん
>それなのに全く唐沢の名前がないのは、そんなウソを当時の唐沢は
>思いついていなかったか、ウソをついてもすぐばれるからでしょう。

2ちゃんねるのスレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1290754116/
でも話題にしていた人がいますけど、宅八郎さんというモデルがあったからこその武勇伝捏造ではなかったかと思います。なので「思いついていなかった」に一票です。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-109.html
>※乱暴な整理になりますが、「宇宙戦艦ヤマト」ブームから海外アニメ
>(&日本のレトロアニメ)を嗜好するアニドウを横断したという意味では、
>唐沢とボクは似たもの同士です(年齢が異なりますが、ボクは高校生だった
>ので)。

そこのエントリーの Read More に引用した2ちゃんねるの書き込み:

>81 :無名草子さん:2009/05/11(月) 16:51:23
>と学会の中の人のようですが
>ttp://homepage3.nifty.com/saikyo-shingakusya/diary/200206.html

>>宅八郎『イカす!おたく天国』(太田出版、1991)読了。
>>14歳で『ジャイアントロボ』再放送嘆願署名活動に奔走しみごと再放送を
>勝ち取り、高1で近所の映画館を借り切って
>>アニメ上映会を開く、身の程知らずと言っても差し支えない天真爛漫さと
>ハイパーアクティヴぶりはすさまじい。もちろん、
>>アニメに関わる署名活動も、アニメ上映会も、以前から全国のオタクが
>行っていたイベントであり、独自性は全くないものの、
>>10代半ばの厨房が独力でやってのけたそのエネルギーには、正直驚嘆を
>禁じ得ない。
トンデモない一行知識 |  2010年12月02日(木) 01:32 |  URL |  【コメント編集】

>そのビルは八階建てでエレベーターがない。
>その七階にアニドウがあって、そこにフィルムだとかをどれだけ運んだことか。
>NHKの『三国志』って人形劇で川本喜八郎さんの作った人形の『三国志百態』という豪華写真集があって、
>これも書店に卸すために七階から何度も運んだ記憶があるんですけど。

そんなに酷い事させたんだなーアニドウってー(棒
生唐沢氏を目撃した事のある私から見れば嘘としか思えませんよ、スタッフだなんて。
NNT |  2010年12月01日(水) 20:11 |  URL |  【コメント編集】

●唐沢の発言は嘘ばかり・・・

>長文の感想を書いて並木孝(現・なみきたかし)という代表者に送ったんですよ。

アニドウに入会するのに、なんで唐沢はそんなめんどくさいやり方をとったのでしょうか?
「今のヤマトブーム、これは僕が札幌から起こしたものなんですよ。また札幌地区でアニメ上映会を開いて、常時百人以上の参加者を集めていました」

そう言えばいいじゃありませんか。

僅か19歳でヤマトブームを巻き起こし、百人以上のアニメファンを集める上映会を開催している・・・・・札幌よりはるかにアニメファンが多い東京の上映会でも、参加者40人以下なんて、当時ザラだったんですけどね。

そんなすごい若者が入会するとなれば、アニドウだって大喜びで幹部に迎えてくれますよ。
そして『FILM1/24』でも、“この度メインスタッフに加わった青山学院大学の学生会員、唐沢俊一くんは現在のヤマトブームの立役者であり・・・”とかなんとか、編集後記で絶対に紹介されます。

それなのに全く唐沢の名前がないのは、そんなウソを当時の唐沢は思いついていなかったか、ウソをついてもすぐばれるからでしょう。

唐沢がアニドウに入会した78年3月は、ヤマトブームの真っ最中です。
そんな時期に“ヤマトブームはオレが仕掛けたんだよ”なんてウソをついても、いっぺんにウソがばれます。

この点から考えても、「ヤマトブームは札幌から始まった」という唐沢の言い分は、百%ウソっぱちだとわかります。
50代(元アニドウ会員) |  2010年11月30日(火) 20:36 |  URL |  【コメント編集】

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