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2010.11.27 (Sat)

本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル『スカーレット・スカーフ』(2)

本当に実在した宇宙戦艦ヤマトのサークル『スカーレット・スカーフ』(1)」の続き。

関連エントリー
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (2)


前のエントリーでは【東北からの】盗作屋・唐沢俊一154【アニドレイ】スレの書き込みを
いくつか引用させてもらったが、次スレの【連載1本】盗作屋・唐沢俊一155【著書出ず】
でも、ヤマトについての話題は、ぽつぽつと書き込まれていた。

http://2chnull.info/r/books/1289209179/1-1001
>20:無名草子さん:2010/11/08(月) 20:31:05
>【連載滅亡まで】盗作屋・唐沢俊一155【あと1本】
>にしようかと思ってたのに
〈略〉
>22:無名草子さん:2010/11/08(月) 21:30:06
>>>20
>ヤマトっぽくていいね
〈略〉
>39:無名草子さん:2010/11/08(月) 22:16:21
>西崎さんは相次ぎ「ヤマト」シリーズを送り出したが、91年には代表を務める「ウエス
>ト・ケープ・コーポレーション」が倒産。
>97年に覚せい剤取締法違反などで逮捕され、99年にも再び覚醒剤所持、銃と銃弾
>の所持で逮捕され、実刑判決を受け服役した。
>また、漫画家の松本零士氏(72)とは「ヤマト」の著作権をめぐり訴訟合戦になり、
>2003年に過去の作品は両者の共同著作とすることで、ようやく和解した。


で、このあたりで『トンデモ創世記2000』からの引用が書き込まれたりもした。

『トンデモ創世記2000』 P.172

志水● アニメなんかは必ず日本のどこかで再放送してますから、一本
ヒットを作っておくと、どこかで再放送の権料が入るんで、事務所も潰れず
に何とか残ってるって現象がありますよ。
唐沢● 西崎義展さん(編注:『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー)辺りも、
ヤマトを最初に放映したときはかなり懐を痛めたと思いますよ。札幌の
再放送でようやく潤ったんじゃないですかね。
志水● 次の作品をはじめるまでの事務所の経費くらいは持つらしいんで。
唐沢● 西崎さんを札幌に招待したときには飛んできてくれましたからね。


この文章は、「唐沢俊一『西崎義展』を語る」 (「藤岡真blog」) でも取り上げられている。

「札幌の再放送でようやく潤った」、「西崎さんを札幌に招待したときには飛んできてくれ
ましたからね」という一生懸命な唐沢俊一のアピール――「札幌という町はよく、そういう
新製品のモニターに使われる
」のバリエーション――を、実は志水一夫は肯定もして
いなければ賞賛もしていないことは注目に値するかも。

『トンデモ美少年の世界』でも「ヤマトブームは札幌が生んだと言われている」――などと
主張していた唐沢俊一 (「本当はヤマトのファンでも何でもなかった唐沢俊一」参照) で
あるが、唐沢俊一がサークル活動をしていたという 1977 年にはヤマトはとっくにブーム
になっていたから映画も公開されたのだし、その 2 年も前の 1975 年にはすでに各地で
再放送運動で盛り上がっていたとか、神戸の女子大にサークルができていた兵庫県が
最初という話もある (「宇宙戦艦ヤマトのビッグネームファンになりたかった唐沢俊一?
を参照)。

【連載1本】盗作屋・唐沢俊一155【著書出ず】スレで続いた話題にも関連するのだけど、
ここコメント欄に書き込んでもらった「オタクアミーゴスが盛んに講演していたころ『ヤマ
トブームは札幌が生んだ』説を唱えていたのが唐沢氏」、「私が知る限りその説を唱えて
いたのは、唐沢氏のみ」という情報もある。

http://2chnull.info/r/books/1289209179/1-1001
>98:無名草子さん:2010/11/09(火) 13:27:57
>唐沢が「ヤマトは俺がやったサークルがキッカケでブームになった」と語ったのは
>ニフティのフォーラムで「オタク第一世代」と名乗る時に狭い場所で吹かしたウソだった
>んだろうね。
>その時、岡田はどう思っていたのかは知らないけど。
>1990年代の中頃は「いまさらヤマト」という感じだったんだろうけど
>その話が延々と生き残って、まさかキムタク主演の実写映画になるとは思っていな
>かったし、
>こんな風に検証されるとは思っていなかっただろうね。
〈略〉
>100:無名草子さん:2010/11/09(火) 13:34:33
>>>98

>再放送が何度もあったとか劇場版に徹夜組が出たとかOUTをオタ雑誌に変えたとか
>ヤマトにまつわる話はいろんなところで聞くけど札幌から火がついたとか聞いたことも
>ない。
>唐沢俊一の名前も唐沢の自己申告のみ。
>それこそ西崎プロデューサーが言及してなきゃおかしいのに。

>だから唐沢のヤマトネタはずっと疑ってた
〈略〉
>104:無名草子さん:2010/11/09(火) 13:55:16
>唐沢周辺の信者は「ヤマトは唐沢テンテーが…」という話だったんだろうけど
>それ以外には広がっていかなかったワケだ。
>って広がりようがないけどw

>だから、実際のヤマトに関したイベントなどには唐沢は一切関係出来ない。
>でも困った事に、ヤマト以外の所でガンダムとかに唐沢が関わっていくのが
>凄く嫌。
>そう言う意味で、唐沢検証に関した話はより多くに広がって欲しい。
>唐沢が都市伝説とか、古本とかでヨタを飛ばすのは別段興味無いが
>ヤマトに関したウソから発生した仕事だけは、本気で許せない。


で、以上は、2010 年 11 月 9 日までに書き込まれていたもの。前エントリーでふれた
「宇宙戦艦ヤマト」プロデューサー「西崎義展(本名・弘文)さん(75)」の訃報を受けた
11 月 7 日夜からの流れと考えてよいだろう。

再びヤマトの話題が出てくるのは、2 日おいた 11 月 12 日から。以下の裏モノ日記の
引用が書き込まれたことから再開といえるだろうか。

裏モノ日記 2007年 05月 13日 (日曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20070513135728.html

これは、札幌でアニメ・SFファン活動をしていたとき、正道派(作家や
プロデューサーのインタビューや作品研究などを中心とする)であった
SZ(シャドー・ゾーン)という会の方でなく、そこから派生した、パロディ
やキャラ追っかけ、ツッコミ、B級作品発掘なども活動に取り入れたSS
(スカーレット・スカーフ)の方に何故か入会したという“偶然”と、シンクロ
しているような気がする。


「『スカーレット・スカーフ』が解散したのは、リーダー氏と唐沢が喧嘩別れしたから」と
いう奇妙な書き込みがあったのはこの 11 月 12 日。

http://www.logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/books/1289209179/
>538:無名草子さん:2010/11/12(金) 11:50:47
>その何故か入会した会が、札幌から宇宙戦艦ヤマトのブームを作り上げちゃったん
>ですか?
〈略〉
>596 :無名草子さん :2010/11/12(金) 19:39:49
>「スカーレット・スカーフ」が解散したのは、リーダー氏と唐沢が喧嘩別れしたから。
>なので、リーダー氏が「唐沢知らん」というのは納得できる。

>リーダー氏の言う島本和彦氏が所属していたのは、別の「漫画革命党」というサークル。
>・・・だったような気がする。
〈略〉
>599 :無名草子さん :2010/11/12(金) 19:46:22
>>>596
>>「スカーレット・スカーフ」が解散したのは、リーダー氏と唐沢が喧嘩別れしたから。

>ええっ、そんな話初めてだよ。出典は?
〈略〉
>614 :無名草子さん :2010/11/12(金) 20:47:19
>>>596
>「スカーレット・スカーフ」が解散したのは、リーダー氏と唐沢が喧嘩別れしたから。
>なので、リーダー氏が「唐沢知らん」というのは納得できる。

>知らないとは言っていないよ。
>普通にそのサークルの成り立ちと、自分がリーダーに祭り上げられた話と
>活動内容と、そう言えば今は有名になったこういう人も参加した事もあったらしい
>という事で、唐沢直樹俊一兄弟の名前も挙がっていただけ。
>これと言って悪意も何もない感じで「アニソンサークルだった」という話。

>そして唐沢が自分語りの中で言っていたサークルは「アニソンを歌うサークル」
>さらに「自分はヤマトのファンでも何でもなかった」と言うこと。
〈略〉
>627 :無名草子さん :2010/11/12(金) 21:22:44
>>>596
>解散が唐沢が原因でという物語を創作したいってのは解りますが
>その件に関して唐沢が「トンデモ創世記」の中でちゃんと語っていますよ。

>札幌に帰省したら「機動戦士ガンダム」に染まっていて、東京で仕入れてきた
>「スーパージャイアンツ」の話とか誰も聞いてくれなかった
>という話を

>「機動戦士ガンダム」の放送って、1979年4月から1980年1月なんだよね。
>唐沢が自己申告の歴史の中で青山学院大学に入ったのは1978年4月のハズだから
>この帰省した話は、少なくとも東京に出て行ってから1年以上経過した後の話。
>なんでサークルから離れて1年以上経った人間とリーダーが喧嘩して解散って....

>>「スカーレット・スカーフ」が解散したのは、リーダー氏と唐沢が喧嘩別れしたから。
>>なので、リーダー氏が「唐沢知らん」というのは納得できる


上記の2ちゃんねるのスレでも指摘されていた通り、「リーダー氏」が『唐沢知らん』という
のは納得できる」も何も、「リーダー氏」は唐沢俊一のことを「知らないとは言っていない」
のだが……。

本当はサークルの代表者ではなかった唐沢俊一」にも引用させてもらったことのある
「リーダー氏」の文章は以下の通り。

http://www.clavis.ne.jp/%7Elistcam/profile/profile3.html
>3年のある時期に、特に理由も無く、たぶん私が男で、そのグループのほとんどが
>女性で占められていた事から、アニメサークルの主催者に抜擢されてしまった。連日、
>大通周辺に集まり、喫茶店でアニメ談義で長時間を過ごした。当時のサークルメン
>バーには、今はそっち方面でも有名な、北星高校の唐沢直樹・俊一兄弟や、時には
>「炎の転校生」で有名な月寒高校の島本和彦なども顔を出していたようだ。サークル
>会報にも彼らのイラストが掲載されていた。もっとも、主幹事交代などを経て、その
>サークルも数年後には休眠状態となり、いくつかの人脈を残して今に至っている。


まあ、このエントリーRead More に収録した2ちゃんねるの書き込みには、「全然
メインで活動していたような書き方じゃないw しかも『北星高校の唐沢直樹・俊一兄弟
や』 なをきの方が先に名前出ているし」、「唐沢はそのサークルに顔を出していたけれ
ど、 リーダーからは『そう言えばそういう奴もいた』レベルでしか 認識されていなくて」
などの声も含まれてはいるけど、でも「唐沢知らん」はちょっと違うよなあ、と。

また「なんでサークルから離れて1年以上経った人間と」という突っ込みは、前エントリー
でも引用したこれ↓が元になっているのだろう。

『トンデモ創世記2000』 P.52 ~ P.53

唐沢● だけど僕は映画の方でも、もっとディープな方へ行ってたんで、今更
アニメには戻れないよって思ってたし、公言してた。もちろん見てはいたけど、
乗り損ねた感じはありましたよね。そのときに、札幌に帰省したら地元の
アニメファンとかは 『機動戦士ガンダム』一色に染まっていて、ちょっと
ガッカリしたなあ。僕は東京で見たSF映画や特撮映画の話を、それこそ
『スーパージャイアンツ』の話をしてやろうかなと思ってたら、みんなガンダム
の話になっていて、シャアがどうの、アムロ・レイがどうのって話ばっかしてて、
「『スーパージャイアンツ』の宇津井健が……」って言っても、誰も面白がって
くれなくて寂しかったな。


「今更アニメには戻れないよって思ってたし、公言してた」に、「誰も面白がってくれなくて
寂しかったな」でしかない影響力の人間が、リーダーと喧嘩したから会が解散というのも
考えにくいのではないかと思う。

さらに、こちらに引用した関係者っぽい人の書き込みによると、「ガンダムの頃は『スカー
レット・スカーフ』の活動は下火になっていて」。「下火」であり「解散」にはなっていない。

……で、このような――はっきりいわせてもらえばアヤシゲな――書き込みもあったので、
本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)」の Read
More
に収録したスレの書き込みの情報も、どれだけ信頼のおけるものか微妙なものと
なる。

それもあって、ハズしていたら本当に申し訳ないのだけど、唐沢俊一は本当にサークル
のサブリーダーだった説についても、信憑性はやや低いかなと個人的に思っている。

「最近、訳あって、ここに来た初心者」で、「ここは、知人に聞いて来ました。 自分の環境
では過去ログとか読めなくて、訳が解らなくてすみません」、なのに、「SSの頃の人は、
けっこうここを見に来ているはずです。 (時々、当時の真実の事が、嘘っぽく書かれて
あって笑ってしまいます)」の人の証言であるため……。

http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001
>234:無名草子さん:2010/11/18(木) 05:52:10
>すみません 教えてください。
>最近、訳あって、ここに来た初心者です。
>藤岡さんという方は、何故、唐沢さんを検証しているのですか?
〈略〉
>240 :234:2010/11/18(木) 07:46:05
>>>236
>詳しく丁寧に教えていただいて、ありがとうございます。

>昔、入っていたサークルの会誌の表紙絵を唐沢さんが描いていたのですが
>映画雑誌の似顔絵コーナーの絵に酷似していた事をを思い出しました。
>もう30年くらい前の事です。

>241 :236:2010/11/18(木) 07:52:49
>おぉ
>唐沢俊一の過去に参加していたサークルを知っている方ですか!

>唐沢の事を検証している「唐沢俊一検証blog」宛でいいですから
>そのサークルの名前やどのようなサークルであったかなどを
>メールしてやって下さいませ。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
>>1970年代後半に札幌でアニメ関係のサークルに入って活動されていた方、
>>下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
>>karasawagasepakuri@yahoo.co.jp

>サークル名と活動時期を絞る事が出来たら、そこから更に踏み込んだ
>検証が出来ると思いますので、是非お願いします。

>244 :無名草子さん:2010/11/18(木) 08:08:53
>よほどの恨みがあるとかならともかく、過去に一緒に活動した人を、面白半分に得体
>のしれないアンチブログにあれこれ教えるなんてまともな人ならしないよな。

>247 :無名草子さん:2010/11/18(木) 08:15:41
>>過去に一緒に活動した人

>別に、自分が参加したサークルに唐沢が何か書いていた
>程度でしょ。
>思い出した
>って感じなんだから。

>彼はドンファンでしたよ。有名な作家の娘にまとわりつかれていましたよ。
>なんて書くヤツのほうが異常だ。

>そんなに過去を知っている人が接触するのが嫌なんですか?
>別に悪口じゃないと思いますよ、書いているのを思い出したって程度だから
>唐沢の印象なんてほとんどないんじゃないすか?
〈略〉
>271 :234:2010/11/18(木) 09:26:05
>>>241

>ここは、知人に聞いて来ました。
>自分の環境では過去ログとか読めなくて、訳が解らなくてすみません。

>会の名は「スカーレット・スカーフ」←(本当は英字表記)通称SS(エスエス)
>アニメファンと漫画描きのヨロズっぽいサークルでした。
>活動時期は1976~1978くらいです。
>途中で「アニメ」と「漫画」と「文芸」に分かれたんだと思います。
>リーダーをはじめ、中心核でやっていた人が進学で忙しくなった為か、
>いつの間にか活動しなくなっちゃた印象です。

>「漫画」の方の人達は、「さあくるこあ」の方に移動して、一時は
>唐沢さんや直樹さん(南里こんぱるさん)も描いていました。

>宇宙戦艦ヤマトのPRで西崎さんが札幌にいらした時は、私は年少者で
>部屋に入れてもらえず、悔しかったですw
>でも、SSが西崎さんを呼んだという話は聞かなかったような気がします。

>SSのリーダーの石川さんは、唐沢さんと仲良くしていたイメージがありますが
>石川さんのサイトを見ると、そうでもなかったように書かれているのが不思議です。

>唐沢さんがオールナイトニッポンに送ったというカセットも聞かせていただきました。
>ヤマトのパロディでした。 当時の私には面白く無かったです。
>誰かがダビングして保存しているかもしれませんね。


>SSの頃の人は、けっこうここを見に来ているはずです。
>(時々、当時の真実の事が、嘘っぽく書かれてあって笑ってしまいます)
〈略〉
>273 :無名草子さん:2010/11/18(木) 09:43:15
>>>271
>唐沢本人は“「スカーレット・スカーフ」のサブリーダーをやっていた”と
>発言していますが、事実でしょうか?

>http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20100817/1282069503

>275 :無名草子さん:2010/11/18(木) 10:00:01
>>>271
>>自分の環境では過去ログとか読めなくて、訳が解らなくてすみません。

>経緯については「まとめwiki」を読んでいただくのが一番かと
http://www13.atwiki.jp/tondemo/


>277 :234:2010/11/18(木) 10:01:43
>>>273
>いつの間にかサブリーダーになっていました。
>でも、あと2人くらいサブリーダーがいたような気がします。
>気のせいかもしれないけれど。


本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (2)」でも
言及させてもらったが、唐沢俊一本人によるスレ立てだの降臨だの自作自演という
話と、2ちゃんねるのスレとは何かと縁が深いものであるし……。

ただし、ここで問題にするべきなのは、仮に唐沢俊一が本当に「スカーレット・スカーフ」
の「サブリーダー」のひとりだったとしたら、唐沢俊一のサークル内の位置というものは、
本などで繰り返し語った自己申告の通りといえるようになるのか――ということかもしれ
ない。

本当はサークルの代表者ではなかった唐沢俊一」のエントリーにも引用させてもらった
「アニメソング研究会のサークルをまとめており」は、ずうずうし過ぎるというものだろう。
「古いレコードのコレクターたちに連絡をとってその音源を提供させたり」は、本物の
リーダーの人の活動であり、唐沢俊一のものではないだろうし。

『トンデモ美少年の世界』 P.175

 当時僕は札幌を中心としたアニメソング研究会のサークルをまとめており、
北海道ネットのラジオ局にそういったコーナーを造らせたり、古いレコードの
コレクターたちに連絡をとってその音源を提供させたりしていた。


http://2chnull.info/r/books/1289833088/1-1001
>637 :無名草子さん:2010/11/22(月) 16:00:19
>唐沢俊一が中野美代子の姪と付合っていたというネタは・・・・ガセ!

>ソースは札幌のサークルの女性。
>「中野美代子さんはママの友達だけど・・・?」
〈略〉
>647 :無名草子さん:2010/11/22(月) 17:15:19
>さらに中野美代子の姪さん(ガセ)に聞いてみた話

>アタックヤングのアニソンコーナーに提供されたレコードは、ほとんど唐沢さんのものだと
>聞いた事がありますか?

>「うすいよしこさんのアタックヤング? ない ない ない そんな話、聞いた事ない」


ずうずうしい嘘という点で、さらに上をいくのが、『トンデモ創世記2000』で唐沢俊一が
いっている「札幌で『宇宙戦艦ヤマト』のファンクラブを運営していたんですよ」ではない
かと。本当にサブリーダーであったとしても、これはないだろう。

『トンデモ創世記2000』 P.21

 忘れもしない、七七年頃だから大学一年の頃、札幌で『宇宙戦艦ヤマト』の
ファンクラブを運営していたんですよ。その前に高校生の頃『スターウォーズ』
のファンクラブを作ろうとしたんですよ。まだ日本に『スターウォーズ』が来る
前に、ファンクラブを作って日本で最初の公認を取ろうとしたんですよ。実は、
『ペリー・ローダン』で取っているんですよ、公認を。



それと地味に気になるのは、唐沢なをきではなく、唐沢俊一の手による絵が、会誌の
表紙を飾ったことがあるのかどうか。

「私の活動を指示してくださっていた書店の店長」「私が出していたアニメ研究同人誌」
のエントリーの後半で言及したことのある『MANGAカルピス』。あの「by S KARA」という
のは実は唐沢なをきではなく唐沢俊一の絵だったのか。そうでないにしても、何か別の
同人誌かどこかに唐沢俊一の漫画絵が発表されていたという話なのか……。

ほんとうは SF 作家になりたかった唐沢俊一?」に引用したことがあるのだけど、唐沢
俊一はパロディの漫画を描いたことも一応あるそうなのだ。

http://www.tobunken.com/diary/diary20090125101912.html

ガッチャマンのパロディ漫画を、札幌・狸小路のはずれにあった民芸
喫茶で仲間たちと創作していたのが、私のやさぐれ青春だった。昭和は
遠くなりにけり。


これが実は「スカーレット・スカーフ」の活動の一環とか。
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Comment

>NNT さん
>1978年当時はまだ生きていたんでないでしょうかね?

うーん、私は覚えがありません (汗)。『未来少年コナン』をしっかり見ていたわけではないので、件の場面についてもわかりません。(_ _); ただ、池波作品で見たことはあり、そこではイイ感じに思えました。裏モノ日記での「弁当を使う」は、正直ちょっとワザとらしい感じがします。

>>語彙の豊富さは文化なのだ。コトバをたくさん持つことのみが、文化を守る
>>のである。

唐沢俊一は、どちらかというと、文化を破壊する側ではないかと思います。

また、その日の日記で怖いのは、「子供はこういう、日常であまり使わない言い回しが実は大好きなのだ」の「子供」に、1978 年当時の唐沢俊一 20 歳が該当するかどうか、というのもあります。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-418.html
に書いたことがあるように、唐沢俊一はアニドウの上映会に行きはじめた時期を「子供のころ」と定義していますので……。
トンデモない一行知識 |  2010年12月02日(木) 01:08 |  URL |  【コメント編集】

●コメントを使うぜ

『未来少年コナン』の本放送は1978年、昭和53年です。
自分の家は1977年に薪で焚く風呂から湯沸かし器による風呂になりました。
唐沢氏も東京に出てきて2年目で風呂なしアパートだったとか…。
昭和40年代は終わったけど、30年代の延長のような生活してる人はまだまだいた時代ですね。
>かなり前に“いい言葉だがもう死語だよなあ”と思っていた
21世紀になって10年たとうとしている現在では死語、2004年当時も死語だったでしょうが、
1978年当時はまだ生きていたんでないでしょうかね?
だってそういう脚本が生まれてNHKで放送されるのだもの。

本当に時代の皮膚感覚が無い人だな、唐沢氏。

そして、その日記の続き…
>言葉のボキャブラリーを増やすこと自体が快感なのである。
何でも快感につなげちゃいますね。
>語彙の豊富さは文化なのだ。コトバをたくさん持つことのみが、文化を守るのである。
意味を理解せずにたくさん持ってもなぁ。
NNT |  2010年11月30日(火) 20:24 |  URL |  【コメント編集】

>50代(元アニドウ会員) さん

ああ、ハズしたことを書いて申し訳ありません。(_ _);

>飯田氏はアニメ作家の岡本忠成さんの所で働きながら、『FILM1/24』の
>スタッフとしてやっていたということでしょう。

1979 年からだと「パペット・アニメーショウ」は終わっていて、「ビューティフル・ネーム」のあたりからでしょうか。

http://www.momat.go.jp/FC/Okamoto/index.html
>「NHKみんなのうた」シリーズ6作品(1975-86)
〈略〉
>1972年からは川本喜八郎と組み、両者のアニメーション作品とパペットショウを
>組み合わせた「パペット・アニメーショウ」を開催。6年間継続して、人形アニメー
>ションの社会的認知に大きく貢献した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/岡本忠成
>1979年 - 鬼がくれ山のソバの花
>1979年 - ビューティフル・ネーム


>NNT さん
>アドリブが好きなくせに機転が利かないし。

いじろうとしないのは、これが大きいのかも。ワシントンを一文字の漢字で表現すれば「殺」レベルのギャグ (?) をかまされたらフォローに苦労しそうですし。


>nam さん
>なみき氏に「今日、唐沢俊一さんも来てましたね!」と話しかけたら
>「ああ、まあ、ね…」と、まったく盛り上がらなかったことが
>印象に残っています。

これには受けました。そんなに取り扱い注意物件……というわけでもないかもしれないですけど。^^;


おまけ:

http://www.tobunken.com/diary/diary20090630135737.html
>マイミクさんの日記に『ナーザの大暴れ』(1979)のことが
>書かれていて、
>「今見るとちっとも面白くない」
>と書いてあって笑う。これは共感の笑いで、ネットで若い人たちが
>この作品を絶賛しているのがどうもわからない。いや、“今見ると”
>というより、79年当時、アニドウが大々的にこの作品を持ち上げて、
>吾妻ひでお氏や高橋留美子氏などに見せて褒め上げさせていた
>時から
>「そんなに面白いかあ?」
>と腑に落ちず(日本のアニメとの彼我の差を比べるという意味では
>面白いが)、『ナーザはそんなに傑作か』という一文を書いて
>『フィルム1/24』に投書したのを思い出した(あれは載ったん
>だったっけ)。
トンデモない一行知識 |  2010年11月30日(火) 08:40 |  URL |  【コメント編集】

●コピペのみ

とりあえず……。

http://www.anido.com/html-j/books-j.html
>「日本漫画映画の全貌 」図録
>2004 (平成16年6月)

>執筆:大塚康生、高畑勲、叶精二、五味洋子、唐沢俊一、氷川竜介、
>金田益実、松野本和弘、星まこと、グエン・イラン
>監修 大塚 康生/編集監修 なみきたかし
>編集 松野本 和弘/協力 菅沢 悦子
>デザイン 彦根 大助/撮影 金子 由郎

http://www.tobunken.com/diary/diary20040512000000.html
> そのような仕事のあいまに弁当使う。この、“弁当を使う”と言う言い回し、
>かなり前に“いい言葉だがもう死語だよなあ”と思っていたら、宮崎駿が
>『未来少年コナン』の中で、ダイス船長(永井一郎)に、傷ついたモンスリー
>の病室を見舞うシーン で、惚れた女の側にいたいのをごまかす照れ隠しに
>「ここで弁当を使わせてもらうぜ」
> というセリフを言わせていて、いや、宮崎駿もたまにはいいことをする、と
>感心してしまった。子供はこういう、日常であまり使わない言い回しが実は
>大好きなのだ。

どちらも 2004 年ですね。
トンデモない一行知識 |  2010年11月30日(火) 00:27 |  URL |  【コメント編集】

>トンデモない一行知識さま

すみません、調子に乗って、もうひとつ体験を。

一度だけ、上映会の後でなみき氏のお酒の席に参加させていただきました。
大学の卒業制作で作ったアニメーションを出品しに、なみき氏とヨーロッパの
小さなアニメフェスティバルに出かけた友人に、くっついて行きました。
なみき氏に「今日、唐沢俊一さんも来てましたね!」と話しかけたら
「ああ、まあ、ね…」と、まったく盛り上がらなかったことが
印象に残っています。

先にコメントしたことも、あくまでも僕個人の印象であって
実際になみき氏と唐沢氏がどういう関係なのかは、深い付き合いでもない
僕にはよくわかりませんが、50代(元アニドウ会員)さんのコメントを
補強する一助になれば、と思い書かせていただきました。
お目汚し、ご容赦ください。

>50代(元アニドウ会員)さま
〈日本漫画映画の全貌〉、行きました。カタログもあるのに
唐沢氏の文章は見落としていました・・・。
帰ったら見直します。教えていただき、ありがとうございます。

かつて唐沢氏は裏モノ日記で、
『宮崎駿のやった唯一と言っていいくらいの良いことは、”弁当を使う”
 という古い言い回しをアニメの中で使ったことである』
なんて意味のことを(かなりざっくり、記憶で書いています。不正確で
ごめんなさい)書いていて、『酷いことを言うなあ…』と思いましたが
宮崎監督が若い頃に描いた『ホルス』の原画は、それはそれは素晴らしかった
です。
唐沢氏はあの絵をみても、同じことを言うんでしょうかね。
それが彼流の「韜晦趣味」なら、まあ、勝手にすればいいんですが。
nam |  2010年11月29日(月) 22:23 |  URL |  【コメント編集】

namさんのコメントを改めて読み直して
>会場に古参の方や関係者がいる時はそこに話を振ったり、時にはいじったり
>するんですが、唐沢氏には全然触れないんですよ。
唐沢氏に話を振ったら、めんどくさい事にになるかもなと思ったり。
アドリブが好きなくせに機転が利かないし。
並木さんもなかなかの人らしいので、唐沢氏を上手くあしらって、
宣伝に使うつもりだったんでしょうね。

>訪れてくるインタビュアーへのハッタリ
ははぁ、なるほどって感じです。
NNT |  2010年11月29日(月) 21:43 |  URL |  【コメント編集】

●情報ありがとうございます

>トンデモない一行知識さん

私の説明不足でした。

「電気のない所から来てくれた北海道の飯田君」というのは、79年の3月31日~4月2日に東京で行なわれた、定期購読者大会の自己紹介で、飯田氏が語った内容のことです。

定期購読者大会というのは、『FILM1/24』の定期購読者を対象に交流やアニメの上映を図ったイベントです。
現在の様にレンタルショップでアニメのDVDを借りることが出来ない時代です。
地方のアニメファンには、3日間のマラソンみたいな上映会でも、珍しいアニメを鑑賞する貴重な機会だったわけですね。

「(北海の熊嵐)飯田勉君」という文章には、「(飯田勉君も)岡本忠成さんの新作にかりだされているから、本編集部は大変手薄になっている」と、続きがあります。

飯田氏はアニメ作家の岡本忠成さんの所で働きながら、『FILM1/24』のスタッフとしてやっていたということでしょう。
決して「北海道から通いの時期もあった」という意味ではないです。

唐沢がアニドウに入会したのは78年3月と思われますから、飯田氏がメインスタッフになったのは、1年以上後でしょうね。
私の説明も大雑把でした。
ごめんなさい。

>namさん

はじめまして。情報ありがとうございます。

物書きになってから唐沢がアニドウの上映会に足を運んだのは、「こんなマニアックな上映会にも唐沢俊一は来てるのか。さすがは雑学王だ」と、周囲に思わせる為ではないでしょうか。

一方なみき氏も、腹の中では“このホラ吹きめ!”と思っていたでしょうが、高名な評論家wが来れば宣伝になると放置していたのでしょう。

なみきたかし氏は、2004年に〈日本漫画映画の全貌〉というイベントを、東京都現代美術館で開催しました。
そのカタログに氷川竜介氏らに混じって、唐沢も文章を書いています。
2004年は 唐沢俊一=雑学の大家 の看板が通用していた時代です。
なみき氏の方でも、宣伝に利用出来るという魂胆があったのでしょうね。
50代(元アニドウ会員) |  2010年11月29日(月) 21:17 |  URL |  【コメント編集】

●日記の裏表

>NTT さん
>mixiより裏モノ日記の方が長いし開かれたコンテンツだと思うと、

あ、どうでしょう。裏モノ日記の方が「開かれたコンテンツ」なのは間違いないとして、mixi の方が文章量は多い可能性があります。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-100.html
でやった『雨上りの夜空に』はインポの歌問題は、結局 mixi のみで裏モノ日記には登場しなかったですし。

>訃報 忌野清志郎   2009年05月03日00:50
>『雨上りの夜空に』を初めて聞いたときの衝撃を忘れることは出来ない。
>“立たない”というテーマを歌にした男が出てくるとは思わなかった。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-304.html
でやったイッチーこと市橋容疑者の件での言い訳では、「表日記にまったく同じ文章が2回、続けて記載されて」しまったのは、mixi では「日記書く前に数日前までは読み返すが、表日記は まず、読み返さない」で、「表日記への ミクシィ日記からの転載は急ぐので、ついうっかり」ということになっています。

つまり mixi の方が長文で、そこから抜粋して急いで転載するのが「表日記」 (裏モノ日記なのに……) というようにも考えられます。


おまけ:

他人の予定がぎっしりつまっているのを見ると、「まあ、訪れてくるインタビュアーへのハッタリもあるんだろうが」と書いてしまうお茶目な (?) 唐沢俊一先生。

『裏モノの神様』 P.215
>9月20日
> 岩本町の串間努氏の事務所にソルボンヌK子にくっついてお邪魔する。〈略〉
>この事務所に行くと、応接スペースの壁に串間さんのこれまでの仕事、執筆
>予定の入っている仕事、企画中の仕事、と区分けされたものがズラリと紙に
>書き出されている。執筆中のもので十冊近く、執筆予定で三十冊くらい並んで
>いるのに驚く。
> まあ、訪れてくるインタビュアーへのハッタリもあるんだろうが、ともかくこれ
>だけ「やりたいこと」の数があり、それを順次具体化している串間氏の人生が
>本当にうらやましい。
〈略〉
> もっとも、この尊敬すべき人物が、その一面でやたらカンシャク持ちでケンカ
>っぱやく、編集者を電話でオドしたり、病院でトラブルをおこして看護婦を殴り
>とばす、という一種の異常者(本人談)になってしまうところがまた、実に何とも
>オモシロイ。
>今の世の中、キ×ガイでなければ面白いものは書けぬ。
トンデモない一行知識 |  2010年11月29日(月) 01:30 |  URL |  【コメント編集】

●う~ん…

>冗談めかした本音
そんな気はしますけど、唐沢氏という人間を知っていてのこの文章。
皮肉やお世辞を理解できない人ですから、これは本気のストレート連打かと。
唐沢氏が酷い抗議したら「あれは冗談だよ」で通るし。
で、読んでる人には『バカを言い合えるだけ仲が良いんだ』と思わせる。

>ここからは氏のmixi日記に対抗して書く
mixiより裏モノ日記の方が長いし開かれたコンテンツだと思うと、
皮肉だと思うんですけどね、思うだけですが。
NNT |  2010年11月28日(日) 20:44 |  URL |  【コメント編集】

●てゆうか、なみきたかし関連は別エントリーで整理しておくのがよいかも

>nam さん

貴重な情報ありがとうございます。(_ _)

>会場に古参の方や関係者がいる時はそこに話を振ったり、時にはいじったり
>するんですが、唐沢氏には全然触れないんですよ。

なみきたかし氏は、唐沢俊一のことを聞くと、あんな奴のことはしらないの一点張りだという噂は聞いたことがあります。つまり、こういう反応↓ということで。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
>「アニドウ代表のなみきたかしは、『ぴあ』からの電話に唐沢という名前が出た
>途端に『ああ、あの男はうるさいですから相手にしないほうがいいです』と電話を
>切ったと言う」

唐沢俊一の方は、著書に何度も何度も「なみきたかし (並木孝)」という名前を出し、裏モノ日記でも仲の良さをアピールしていますが、逆はあまりないみたいなんですよね。

http://www.tobunken.com/diary/diary20011219000000.html
> 昨日の日記でつけ忘れたこと。テレコムから書影用の本が帰ってくる。届けて
>くれた女性、前夜はなみきたかしのところへ行っていたそうだ。今回ネタにする
>本が昭和11年発行なので、その当時の資料フィルムを借り出すため(なみきは
>杉本五郎氏の大日本フィルムの所蔵フィルムを受け継いでいる)だったのだが、
>カラサワさんの本のコーナーなんです、と言ったら、ナンダ、カラサワくんとボクと
>は親友ナンダヨ、と大いにフいたそうな。アイツが自分のホームページに“世田
>谷一家惨殺事件の犯人はなみきたかしだ”と書いたんで、警察につけねらわれ
>て困ってるんだ、とも言っていたとか。フくフく。で、“アイツの顔が画面に映った
>ら、下に「なみきたかし」ってテロップ入れといてよ”で〆たそうな。相変わらずの
>テンションである。

http://www.tobunken.com/diary/diary20041228000000.html
>並木孝は25日のクリスマス上映会に私が行かなかったので
>「唐沢くんの日記に書いてもらいたくていろいろ面白いことも言おうと考えていた
>んだが、今日は来てないので何も言わない。裏切り者!」
> などとトバしていたらしい。まあ、こんなのはどうでもいいが、最近忙しくて、
>実相寺昭雄監督の飲み会や撮影見学のお誘いも数度にわたりスッポかして
>いたら、こっちもかなりおカンムリらしい。

数少ない例外のひとつじゃないかと思われるのがこれ↓で、「ぜ~んぶ嘘なんだ」は実は冗談めかした本音なのかと思わせたり。しかし、「長年付き合いのある僕」とは書いているし、仲良さそうにも見えるのですけどね。

http://www.anido.com/blog-old/archives/2005_07.html

>さて、開場時間前に来る観客一番乗りは常連のOさんではなく、なんと
>「世界一ウケたい雑文書き」唐沢俊一センセであった。(ここからは氏の
>mixi日記に対抗して書く) 

>こんな台風の日に一番乗りとは、はてさて真のアニメーション好きだなあ、と
>まず感心したものの、彼の日記に記されていた忙しさとは違和感がある。
>あんなに忙しくて、こんな(失礼)マンガエイガなんぞの会に来るものだろうか?
>ハタと手をついた。あれは全部「ウソ」だったのだ。テレビに出ているという話、

>あちこちに書いているという話、打ち合わせを其処此処で繰り返している話も、
>ぜ~んぶ嘘なんだ。さすが!希代の話術師、現代の無声、すこぶる非常。

>これには長年付き合いのある僕も今日までだまされたなあ。その証拠こそ、
>彼の日記そのものにあるじゃないか。
>あんな詳細な日記を書くには、誰でも「それだけで」丸一日はかかる。

>書いたことを実行している時間がないのはあきらかだ。いや、まいったまいった。

>(後日にはフィルムセンターで「鉄扇公主」を見ているし、一週間に2回アニメを
>見るような奴は無職のヒマ人だけである)

>ということで、有名人と称する化けの皮が論理的にはがれたわけだが、そんな
>ことは 顔には出さずに、
>「唐沢先生、どうぞお持ちください。僕ファンです。」と上映順番を書いた紙を

>さし出し、開場時間前にご案内する。
トンデモない一行知識 |  2010年11月28日(日) 18:30 |  URL |  【コメント編集】

>50代(元アニドウ会員) さん

>アニメ監督の飯田馬之介さんが26日に亡くなりました。

Wikipedia の「ルパン三世_PartIII」に「飯田つとむ」名義で「演出」に名前のある方でしょうか。

オフィシャルサイト http://www.huckle.co.jp/umanosuke/ の「享年 49。」の文字が悲しいですね……。1961 年生まれとのことですから、唐沢なをき氏と同年齢で、あまりに若過ぎると思います……。

http://donica.blog136.fc2.com/blog-entry-19.html
>今日一日はJAniCAのことはお休みして、飯田監督の葬儀の準備をしております。
>飯田くんは、若い頃アニドウのスタッフとして活躍し、次いではオープロの後輩
>としてめきめき頭角を現し、ジブリ、ゴンゾ、テレコムなどへ大きく飛翔していった
>期待の星でありました。
>若すぎる逝去には心が悼むばかりです。お時間のある方はご参列ください。
>--------------------------------------------------------------------
>アニメーター、監督、漫画家として活躍した飯田馬之介(つとむ)監督が2010年
>11月26日14時36分、肺がんのため永眠しました。享年49。
>通夜及び告別式は無宗教の形にて、下記の通り執り行われます。
>通夜:11月29日(月)18:00-19:00
>告別式:11月30日(火)11:30-13:00
〈略〉
>実行委員:稲垣ミミ・なみきたかし・渡辺真/弔辞:宮崎駿、永井豪、川元利浩、
>片山雅博、他


>この方は、唐沢がアニドウに入会したころアニドウのメインスタッフだった方です。

>『FILM1/24』の編集後記に、「電気のない所から来てくれた北海道の飯田君」 
>「〈北海の熊嵐〉飯田勉君」などと何度か紹介されています。

北海道から通いの時期もあったということでしょうか。「唐沢がアニドウに入会」が 1980 年より前とすれば、ですけれど。


>唐沢がアニドウのメインスタッフだと自己申告してるのは大ウソだと断言出来ます。

『トンデモ創世記2000』 P.73 では「アニドウには四年くらいかかわったですかね」という言い方をしています。

「鈴屋ビルの七階から、荻窪のサニーシティってところに移りました」 (P.73)
で、それから例の「川本喜八郎さんの『三国志』の通販」の話をして (P.73 ~ P.74)
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-543.html
「当時はアニドウに若いメンバーが入りはじめたので僕なんかは古参になってきて、ちょっと浮いてきたなと感じてきた、辛口の批評ばっかりやるもんだから」
「ある若い子に『トムとジェリー』って何ですか?」って聞かれて、あ、これで
アニドウもおしまいだって……」「しかも女の子だから僕よりちやほやされるん
ですよ。こんな場所にいられるか!ってね」 (P.74)

そこで「イッセー尾形一本に絞ったんですよ」 (P.75) ですが、例の前説事件があり
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-217.html

「しょうがないからアニドウに戻ろうかなって思って、電話かけたらね」 (P.75)
アニドウの代表の並木孝氏は『月刊ベティ』、「あれで大損してですね、ま、
他にもいろいろ理由があってマンションも取られちゃったんですよ。」 (P.76)

この本では、「メインスタッフ」とは言っていなくて、「古参」とか並木孝氏との直接のパイプを強調している感じです。

「東銀座に並木孝と共同の事務所を持ってたんですよ。アニメーションの輸入
販売業で、一年くらいでつぶれちゃいましたけど。」とか。(P.77)
そこに「宅八郎が現れて」というのは、宅八郎さんご本人が否定していますが。
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-109.html
トンデモない一行知識 |  2010年11月28日(日) 13:46 |  URL |  【コメント編集】

●アニドウの上映会で

数年前、アニドウの上映会によく行っていました。
ほぼ毎回、唐沢氏が来ていて、当時僕は裏モノ日記を毎日読むような
ファンだったので、おそらく「いいものをみた」という顔をしていたと思います。
(今となっては恥ずかしいことです)
印象的だったのは、主宰のなみき氏が、あまり唐沢氏をよく思っていないように
見えたこと。なみき氏は話上手で、上映前に楽しい前説をするのですが
会場に古参の方や関係者がいる時はそこに話を振ったり、時にはいじったり
するんですが、唐沢氏には全然触れないんですよ。
まだ唐沢氏をマトモな物書きだと思っていた僕は、唐沢氏の
「アニドウのメインスタッフだった」という記述を信じており、
関係者で有名な人なのに、どうして話を振らないんだろう?と不思議でした。
数々の検証を見て、50代(元アニドウ会員)さんのコメントも拝見し、
自分の中ではなにかが繋がりました。

余計な、個人的経験を書き連ね、失礼いたしました。
nam |  2010年11月28日(日) 13:17 |  URL |  【コメント編集】

>NNT さん
>大作映画でかなりキャンペーンしているのに

昨晩は、そのキャンペーンを TV でちらちら見ながら、このエントリーをちょこちょこ書いていました。日立の Wooo の CM@皆が腕を水平に敬礼 を何度目にしたことか。^^;

http://av.hitachi.co.jp/tv/
「地球を守るために、頼んだぞ! ヤマト!」
「見たい番組を逃さないために。頼んだぞ! Wooo!」

>ヤマトブームのキーパーソンだったと喧伝していた人に何にもお仕事ない

いやいや油断はできないかも……。
まあ本当に思い入れがあったら、どこの依頼がなくとも、Web や同人誌で思いのたけを書き綴ればよいはずですけどね。
トンデモない一行知識 |  2010年11月28日(日) 12:48 |  URL |  【コメント編集】

●同じ北海道出身者だが・・・・

ちょっと話が違いますが、アニメ監督の飯田馬之介さんが26日に亡くなりました。
この方は、唐沢がアニドウに入会したころアニドウのメインスタッフだった方です。

『FILM1/24』の編集後記に、「電気のない所から来てくれた北海道の飯田君」 「〈北海の熊嵐〉飯田勉君」などと何度か紹介されています。
また編集スタッフとして、飯田勉(本名ですね) と名前も載っています。

同じ北海道出身ということで、ヤマトファンクラブや唐沢について尋ねれば、何か知っていたかもしれませんね。

ちなみに唐沢の名前は、アニドウの出版物にはスタッフとして一切載ってません。
編集後記にも、唐沢について触れた部分は全くありません。
投稿者として読者のページに出てるだけです。
唐沢がアニドウのメインスタッフだと自己申告してるのは大ウソだと断言出来ます。
50代(元アニドウ会員) |  2010年11月28日(日) 10:33 |  URL |  【コメント編集】

●事実

去年のアニメ映画と違って、今年の実写映画はキムタク主演で豪華出演陣の、
内容はどうでもとにかく大作映画でかなりキャンペーンしているのに、
ヤマトブームのキーパーソンだったと喧伝していた人に何にもお仕事ないのはどういうことなんでしょうね。
NNT |  2010年11月28日(日) 00:24 |  URL |  【コメント編集】

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