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2010.11.25 (Thu)

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (2)

本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一 (1)」の最後の
方に書いた「検討や補足説明」つきのバージョン。まあ唐沢俊一のウォッチャー歴が長い
人にとっては、目新しい情報はあまりないと思うので、そういう人は適当に読み飛ばして
ください。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1289833088/22
>22 :無名草子さん:2010/11/16(火) 02:33:55
>24 名前: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日: 2000/10/27(金) 22:24
>>18さん。
>札幌時代の彼、バイセクどころかもててたなあ。自他ともに認める中
>だけで三人、おっかけだと五人以上女性がいた。東京に出てからは知
>らないけれど、女に飽きて男に走った、と言われても俺は信じる。


>27 名前: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 投稿日: 2000/10/28(土) 04:51
>24です。
>おもろいかどうかわからないけど、あのころの彼はまあ、ドンファン
>でしたよ。ただ、おっかけのひとりで、札幌在住の高名文学者の娘が
>いて、彼女がつきまとって、結局、唐沢氏を追って東京にまでついて
>いってしまった。これを切るのに唐沢氏は相当苦労したみたいです。
>彼女いま、4こままんがを描いているらしいが。


>知人に見て欲しいんだが、なかなか見てくれないのでC&P


「知人に見て欲しいんだが、なかなか見てくれないのでC&P」というのは、何かの伏線
だったのかな、というのは、おいといて。

コピペされている「2000/10/27(金) 22:24」 (バイセク) と、「2000/10/28(土) 04:51」
(ドンファン) という 2 つの書き込みは、「正味な話、唐沢俊一ってどうなんですか」という
スレに書き込まれたもの。10 年前のものである。

ちなみに、「正味な話、唐沢俊一ってどうなんですか」というスレは、唐沢俊一スレの
初代スレであり、唐沢俊一本人がスレ立てしたものといわれている。根拠は、
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090219/1235023506 に引用されている
「『文藝』(河出書房新社)2002年秋季号掲載の唐沢俊一とD[di:] の対談」。
その P.104 の記述を、そこから孫引用しておく。

>今はもう全然見ないけど、一時は自分の名がないと寂しいから、自分で「唐沢俊一
>ってどうよ」スレなんか立ててた(笑)。
> (中略)
>悪口も言われなくなったらもうダメ。オスカー・ワイルドじゃないけど、悪口を言われる
>より悪いことは何も言われないことだ、と思うことだね。あそこで悪く言われてるってこ
>とは、大体その数倍の人間が一般世間でいい、と思ってるって考えればいい。自分で
>スレ立てるのはやりすぎだけど(笑)。


ちなみに、「正味な話、唐沢俊一ってどうなんですか」というスレが立てられたのは
「2000/10/26 (木)」のことなのだけど、それから 1 ヵ月も経たない「2000/11/22(水)」
に、「噂の本人ですが」、「えーと、唐沢俊一です」と、本人が降臨。この様子については
2000 年 11 月の『ジャパニーズ・フィギュア・アート・シーン』」を参照のこと。

それにしても、「自分の名がないと寂しいから、自分で」スレ立てという話になるレベルと
いうことは、誰か他の人がスレを立ててくれるほどの人気もなかったということで、その
スレ立てから 1 日かそこらで「札幌時代の彼、バイセクどころかもててたなあ」――と書き
込まれていることに関しては、まあ自作自演を疑われてもしょうがないというか……。

妙に褒めている内容だからとか、「バイセク」という独自の略語が唐沢俊一っぽいからと
いうことだけが理由ではなくて、盗作騒動以降どんなに唐沢俊一関連スレが活況を呈し
たときでも、なかなか集まらなかった「札幌時代の」唐沢俊一の情報が、ここでは素早く
あっさりと書き込まれているのが大きい。

で、「バイセク」と「ドンファン」については、以下などを参照していただくとして……。

参考 (「バイセク」関連)
唐沢俊一「噂の真相;バイセクシャル報道」を語る (「藤岡真blog」)
唐沢俊一「ホモセクシャル」を語る (「藤岡真blog」)
唐沢俊一にとっては『血と薔薇』>>>『少年期ハードスペシャル』か
せっかく猿から進化したんだからマウンティングへの固執もほどほどにね

参考 (「ドンファン」関連)
唐沢俊一はドンファンだった? (「藤岡真blog」)
非モテ中年は時を歪める

「ドンファン」についてはさらに、「おっかけのひとりで、札幌在住の高名文学者の娘が
いて、彼女がつきまとって、結局、唐沢氏を追って東京にまでついていって」の「高名
文学者の娘」とは誰か――というのも過去に何度か話題になっていた。

この「高名文学者」の候補として、名前があがってきていたのが中野美代子。彼女の
著書『綺想迷画大全』を、唐沢俊一が朝日の書評で取り上げたこともあった (その書評
の中身も結構ヒドいもので……詳細は「唐沢俊一以外が紹介していれば、もっと売れて
いた気がする『綺想迷画大全』
」のエントリーを参照のこと)。

さて、そのエントリーにも引用したのだが、唐沢俊一の裏モノ日記には以下のような記述
がある。

裏モノ日記 2000年 05月 05日(金曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20000505000000.html

2時、芝崎くん来。片付けをはじめる。今日は書類、FAX類など、紙モノの
整理。あと、雑誌類をどしゃどしゃ捨てる。中にはいい記事が載っている
ものもあるが、検索が出来ない状態ではとっておいても致し方ない。思い
切って捨てる。よくとってあったと思う古い手紙類なども出てくる。昔つき
あってた子(中野美代子の姪)から来た、私が結婚するときの恨み綿々の
手紙とか。


このせいで、「高名文学者」とは「中野美代子」のことかともいわれるようになったのだが
……しかし、嘘にしても本当にしても、どうしてこんなことを公開している Web 日記に書く
ことができるのか、その神経だけはわからないが……。

で、まあ、2ちゃんねるのスレへの書き込みは一応誰が書いたものかわからないもので
あるし、そちらは「札幌在住の高名文学者の娘」。裏モノ日記は間違いなく唐沢俊一が
書いているもので、こちらはあくまで「中野美代子の姪」であって「娘」ではない。別々に
考えた方がよいのかもしれない。

なお、中野美代子の著書を元に、彼女には娘はいないこと、兄弟姉妹については不明
であること――あまり「自分語り」を著書に入れる人ではないため――を調べてくれた人が
いる。詳細は「日本の八百屋にはニンニクを『人肉』と書く店がある (中野美代子『カニ
バリズム論』より)
」のエントリーの Read More に収録してあるので、興味のある人は
参照のこと。

このような経緯があるので、以下の書き込みに、「おおっ」と思ったりしたわけで……。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1289833088/637
>637 :無名草子さん:2010/11/22(月) 16:00:19
>唐沢俊一が中野美代子の姪と付合っていたというネタは・・・・ガセ!

>ソースは札幌のサークルの女性。
>「中野美代子さんはママの友達だけど・・・?」


匿名掲示板への匿名書き込みでしかない (失礼) ので真偽は確認できないけど、何だか
「謎は解けた!」の気分になってしまった次第である。


別件の「謎は『ほぼ』解けた!」というのもあって、それが以下の件。「知人に見て欲しい
んだが、なかなか見てくれないのでC&P 」に続いて、「ちょっと・・・! もと札幌の友人
に回覧板送ります!」というのが出てきたり。

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1289833088/114-
>114 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:27:08
>青山卒業はガセなの?

>115 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:33:02
>>>114

>ガセだろうね。卒論テーマや指導教官の名前を答えられなかった。
>入ったかどうかも怪しい。

>116 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:35:56
>>>114
>ガチ

>ガセであるという決定的な証拠が無い限り
>本人がそう言っているのだから、
>ガチ扱いせざるを得ない。

>でなければ信義則に反する。

>117 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:36:38
>青山入学もガセなの?

>118 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:37:33
>そうなると、青学の複数の学部を同時に卒業したという事ですね。
>さすがオタク第一世代だけありますね!

>119 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:37:42
>>>114
>経歴詐称かは不明だが、唐沢の知識が大学卒業程度のレベルを満たしていないと
>いう意味では、完全に
>正しい。唐沢に大卒レベルの知識が無い。これは真実。

>121 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:42:44
>ちょっと・・・! もと札幌の友人に回覧板送ります!

>謎は「ほぼ」解けた!

>123 :無名草子さん:2010/11/16(火) 17:57:39
>大学って、二重に在籍すること出来るの?

>124 :無名草子さん:2010/11/16(火) 18:01:26
>唐沢俊一に出来ない事はない!

>126 :無名草子さん:2010/11/16(火) 18:14:07
http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html

>「ここの年表、変だよねー」と、昔の友人と、話していたのでした。

>だって、ガンダム論争の頃、仙台にいたでしょう?

>「唐沢さんは、お家が裕福だから、薬科大と青山に在籍できてたのかもよ」

>なんて言う人もいたけれどね。

>131 :無名草子さん:2010/11/16(火) 18:56:47
>そいでもって札幌時代の唐沢氏は、小樽の薬科大に通っていたO氏の事を
>バカ呼ばわりしていたのでした。

>O氏は小樽の薬科大を卒業して薬剤師になって、それなりの地位にいる。


「青山卒業はガセなの?」「青山入学もガセなの?」というのは、2ちゃんねるのスレでも
繰り返し話題になるテーマで、自分も何度かエントリーを書いたことがある。

自分を捜して見失う?
あんまりメニューは覚えていないけど……の青学学食
大学生ってまだまだ子どもですか? にハゲドウならぬアニドウの「呼べど叫べど」
「青山学院大文学部英文科卒」という韜晦大自信

2ちゃんねるのスレに書き込まれた「『ここの年表、変だよねー』と、昔の友人と、話して
いたのでした」、「だって、ガンダム論争の頃、仙台にいたでしょう?」、「唐沢さんは、
お家が裕福だから、薬科大と青山に在籍できてたのかもよ」というのは、本当の話なら
ただただスゴいとしかいえない。

ここの年表 http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html に書かれているガンダム
論争の話は、元になっているのは別冊宝島 406『投稿する人々』に唐沢俊一が寄稿した
文章 (後に『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』に収録) だし、『ぴあ』にも東京の住所が載っ
ていたという話だったのに。

http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
>■1980(昭和55)年:21~22歳(青学3年目)
>1980年:雑誌『ぴあ』12月19日号 (12/5 発売) の投書欄「YOUとPIA」に山賀龍一とい
>う人の書いた「望怪獣論」という投稿が載る。内容は、昔のゴジラやラドンみたいな、
>大人のための怪獣映画を望むというもの


『唐沢俊一のB級裏モノ探偵団』 P.81
>この投稿を阿佐ヶ谷の下宿の四畳半で見、それに触発された筆者は、さっそくそれに
>対する意見を書き、『ぴあ』編集部に送った。


http://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/21.html
>■1981(昭和56)年:22~23歳(青学4年目)
>雑誌『ぴあ』1981年2月13日号 (1/30 発売)
〈略〉
>唐沢の下宿に、差出人『東京ゴジラ団』の封書が届く。安全カミソリの刃が入ってい
>て、「『2月号の桜井氏の言う通りだ。貴様に怪獣映画を語る資格はない』というオドシ
>文句が書かれた紙が一枚。」「これで、僕はキレた。これ以降、僕の『ぴあ』への投稿
>の筆致はどんどん嫌味になり、皮肉になり、攻撃的になっていく。」


http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20100718#c1279528570
>kensyouhan 2010/07/19 17:36
〈略〉
>藤岡さん
>唐沢俊一の『ぴあ』での最初の投稿には「杉並区阿佐ヶ谷○○-○○」という感じで
>詳細な住所が載ってました(下宿先の名前まで載っています)。そのせいでカミソリを
>送られてしまったわけです。2回目はシンプルに「杉並区 唐沢俊一」。そして、3回目
>と4回目は「新宿区 唐沢俊一」となっていました。
>ただ、自分も「実はまだ阿佐ヶ谷にいたのです」説は有り得ると思います。何らかの
>理由でウソの住所を書いていたのかもなあと。 世田谷については唐沢かアニドウの
>単純ミスの可能性もありますが、『ぴあ』の方は2回載っているのでミスではないです
>ね。


さらに、ここのエントリーなどに引用したことのある『奇人怪人偏愛記』 P.28 「上京して
学生をしていた頃からしばらくの間、弟と一緒に阿佐ヶ谷に住んでいた。私も弟もここが
気に入り、通算で五年以上も住み着いてしまった。」とも食い違う。

単に食い違うだけではない。もしも――あくまで「もしも」だけど――「だって、ガンダム論争
の頃、仙台にいたでしょう?」ということになれば、1961 年生まれの弟、唐沢なをきが
上京して学生をしていた 1980 年から 1981 年に、唐沢俊一の住まいは東京ではなく、
つまり弟と同居などしていなかったということになってしまうのだ。

で、何といってもこの話の恐い (?) ところは、あれっ、でもそういうことだとすると、いろいろ
説明がつくのではないかと思えてしまうこと。

自分は以前、「唐沢俊一にとっては『血と薔薇』>>>『少年期ハードスペシャル』か
のエントリーに、こう書いたことがある。

-------
ところで、上の方に「実際は『青学2年目』か『青学1年目』かもしれない」と書いた件
だけど、これは上に引用した P.84 の「この双方がリアルタイムで刊行されていた当時、
筆者は大学に入ったばかりのころで」に注目――ということで。

「双方」のうちの片方の『少年期』は、唐沢俊一が 1981年発行だという『少年期ハード
スペシャル』に先行しているので、1980 年から 1981 年にかけてと思われる。これらが
「リアルタイムで刊行されていた当時」に「大学に入ったばかり」となると、「1980(昭和
55) 年:21~22歳(青学3年目)」というのは、「1980(昭和55)年:21~22歳(青学1年
目)」 ではないか――ということになる。

で、「1970 年カラサワシュンイチ 12 歳」のエントリーに書いたことを繰り返させていた
だくと……。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-131.html
実は、小学校ダブり説を採用し、さらに大学に入る前の浪人期間を 2 年と仮定すれば、
唐沢俊一の自分語りに含まれる様々な謎のいくつかに、説明がつけやすくなるかなと
思ったりしている。3 年後に生まれた弟と同時に上京ということになれば、一人暮らしの
期間はどうしていたか不明な『奇人怪人偏愛記』の記述も納得しやすくなるし、「80年
代、札幌の喫茶店で僕らは」とか書いていたのは、実は間違いではなかったことになる
のだ。
-------
(「80年代、札幌の喫茶店で僕らは」の件は、「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破した
んだと
」を参照のこと)。

1980 年から 1981 年のガンダム論争時代は、仙台の学校に通う一方、頻繁に上京して
は弟の下宿 (阿佐ヶ谷?) に転がり込んでいたという可能性はないだろうか。

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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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Comment

>金平糖さん

私の持っていたのは、翌年発売の東芝 Rupo で、一応記憶装置はついていたはずですが、ほとんど使った記憶はありません。コースやバイトでさわっていた業務用のようにはいかなくて、単なる清書マシンの性格がより強かったように思います。

当時使われていた東芝の独自フォントが個人的に好きでしたため、印刷の方は、東芝以外の機種で出力されるそれよりも、むしろ優れていたように感じていた (あくまで感じ) ですけどね。

で、唐沢俊一が「ワープロ」について語っている文章も、同じ本の中にあります。

『トンデモ創世記2000』 P.157
>唐沢● どうしてもパソコンで使える文字の数って限られてるじゃない
>ですか。JISの工業規定なんですよね。ほとんどが事務用の文章を
>書くための機械であって、機能は次々出るけれども、我々もの書きに
>とっては何も便利になってないのが現状です。「です」「ます」の統一を
>機械に任せているようでは、もの書きになってはいけないだろうし。
> 我々はまだ途中からワープロを導入してるけど、今の若い人たちは
>生まれたときからワープロで書いているから抵抗感はないみたいですね。
>最近、若手のライターさんをプロデュースしているんで、彼らの文章に
>目を通すことがあるんですよ。最初からワープロで書いてる人はちょっと
>違うなって感じますね。

機械任せでも何でもよいから表記統一はしようよとか、「今の若い人たちは生まれたときからワープロで書いている」なんてことはないだろう (この本は 1999 年の刊) とか、 「もの書きになってはいけないだろう」ねぇ……とか、「若手のライターさんをプロデュース」ですかとか、いろいろ味わい深い文章でもあります。
トンデモない一行知識 |  2010年12月04日(土) 11:07 |  URL |  【コメント編集】

ピコワードは
日本人タイプライターとかパーソナルプリンター、パーソナルライター
とか呼ばれてましたね。
ワープロではありません。
液晶はおっしゃる通り12文字表示で17文字は間違いです。

1行打ち込んで、印刷改行ボタンを押すと1行印刷されて
次の行の編集に移ると言うものです。
記憶装置もないので打った内容はまったく残りません。
印刷された原稿以外にはね。

漢字変換は1文字ごとで熟語変換すら出来ません。
ただそれでも、たとえ1行でも印刷前に編集可能なのは画期的だったのですよ。
文章書きがピコワードについて書くのに、自分の文章が印刷される感動、
1行とは言え挿入削除が可能と言うことに対する驚きを書かないのはおかしいと思います。
なので、唐沢氏はワープロが普通になってからしかワープロを触ってないと思います。

ちなみに交換用のカセットが5本セット2700円、専用熱転写紙が100枚1200円ですので
本当に持っていたのなら、その金はいったいどこから出たのかと問い詰めたいところです。

あと、ピコワードはモデルチェンジしていて後期のものは
A4一枚分の記憶が可能で印刷を1枚まとめて出来ました。
金平糖 |  2010年12月03日(金) 02:25 |  URL |  【コメント編集】

>ハヤタ隊員さん

>(川島なおみに会えたかもしれないのに!)

まあ川島なおみの方も、めったに学校にはこなかったという噂もありますし……。
あくまで噂レベルで、芸能人として多忙だろうからという印象のみでそう言われてしまっていたという可能性もありますが。

それにしても、今さらながら解せないのは、どうして青学の「文学部」なのかということです。ただでさえ仮面浪人は本人の負担が大きい (1 年のときの同級生にいましたが大変だったようです) のに、理系を目指す者が文系の学部に通ってどうするのかと。

>(東京にいたくて、おじのところに潜り込んだというのが正解では?)

これはありそうですが、最初は「経営に携わる」なんてものではなく下働きとか?
このあたり、養子の人が後継ぎになることが本格的に決定したタイミングと連動しそうな気もします。

>ピコワードは、ビデオデッキの件と同様に、おそらく嘘でしょう。
>ピコワードで原稿が書けたとは思えませんから。

1980 年代中頃といえば、業務用のワードブロセッサーでさえ、文章を考えながら書くための道具というより、清書用のマシンとして使われることが主だったくらいのものですからね。手書きの下書きを見ながら打ち込むことも多くて。

まして、1 行しか表示されない個人用ワープロ (ピコワードは、ワープロではなく「電子タイプライタ」として売り出されたという話も) だと、まあ……難しいと思います。

http://blog.goo.ne.jp/shonan-info/e/e2548cf068782b8f0337068bc667694b

で、上のページ↑のカタログ画像を見ると、ピコワードの液晶に表示できる文字は 12 文字のような。つまり、『トンデモ創世記2000』で唐沢俊一のいっている「液晶の十七文字くらいしか表示できないやつ」というのはガセのようですね。


それにしても、何ていうか、空白の 80 年代という感じです……。
トンデモない一行知識 |  2010年12月03日(金) 01:29 |  URL |  【コメント編集】

●私も適当に推理

高校出て、一年は地元で浪人生活。
1978.3~1981.3頃までは東京にいた。 目的は予備校に通うため。
後に薬大に行っているように、両親としては当然家業を継いで欲しかったものと思われます。
世間体もあるので、青山学院の二部に籍があったのかもしれませんが、あったとしてもほとんど行ってないでしょう。
(川島なおみに会えたかもしれないのに!)

1981.4に東北薬科大学に入学。
(なをきさんがJ9を買ったのは、1981.4.11ですね。)

確か、「神聖喜劇」や「江戸の戯作絵本」を1982年に仙台で読んだんでしたね。

薬大は3年の前半までいたということなので、
1984年の夏休みの前頃まで?でしょうか。
(東京には頻繁に行ってたでしょうね。)

イッセー尾形の紀伊国屋ホール初公演が1984.8。
(このときにスタッフに潜り込んだようです。)

その後は、一度札幌の戻り、家業を手伝い、また東京へ。
個人的には、実家に戻ってたのは、ごく短期間のような気がします。

イッセー尾形の前説事件は1986年の秋。

1987年頃から小野プロの経営に携わる。
(東京にいたくて、おじのところに潜り込んだというのが正解では?)

ライターとして働き始めたのは、1988年から。
(平凡パンチ→パンチザウルスのライターとして。)

ピコワードは、ビデオデッキの件と同様に、おそらく嘘でしょう。
ピコワードで原稿が書けたとは思えませんから。
ハヤタ隊員 |  2010年12月02日(木) 16:55 |  URL |  【コメント編集】

>二毛猫さん

>東北新幹線開業前後

時期的には確かにそうなのですが……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/東北新幹線
>・1982年(昭和57年)6月23日 - 大宮駅 - 盛岡駅間 (465.2km) 暫定開業。
> 速達タイプが「やまびこ」各駅タイプが「あおば」となった。「やまびこ」5往復
> (うち1往復は臨時列車)「あおば」6往復運転開始。最高速度210km/h。
> 2002年12月の八戸延伸開業の際に本線として使用されることになった
> 盛岡駅 - 盛岡新幹線第一運転所(現:盛岡新幹線車両センター)間の
> 回送線も供用開始。200系営業運転開始。
>・1982年(昭和57年)11月15日 - (暫定開業に対する)本開業(同時に上越
> 新幹線開業)。定期列車を10往復から30往復に大幅増便。
>・1985年(昭和60年)3月14日 - 上野駅 - 大宮駅間 (27.7km) および水沢
> 江刺駅、新花巻駅開業。最高速度を240km/hへ引き上げ。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-217.html
に引用した『トンデモ創世記2000』の文章の方では、「その往復の電車の中で打っていたら人が寄って来て、『何ですかこれ?』みたいにね」で、新幹線とは明記していないのですよね。

新幹線で人だかりのアレは、どこに載っていたっけかとググって、
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20090216
経由で、ここ↓とわかったのですけど。「Copyright 2006 Nihon Keizai Shimbun, Inc. All rights reserved.」なので、本の 6 年後、2006 年の記事と思われます。

http://nikkei.hi-ho.ne.jp/scansnap/bk_02_index.html
>とはいえ、唐沢氏のパソコン・IT歴は長い。「最初に使ったのは1980年代の
>前半、入力したテキストを1行ずつ表示するタイプのワープロでした。当時と
>しては、かなり高価なものだったと思います。ちょうど仙台の大学に通って
>いた頃、イッセー尾形さんのところの仕事をしていたのですが、東北新幹線の
>車内で原稿を書いていると、珍しかったのか、出張のビジネスマンで人だかり
>になってましたね」という。

http://zeak.air-nifty.com/main/2006/05/rother_1984_fb95.html
によると、「たぶん、廉価版のワープロとしては、日本初の製品」で「カタログによると、現金価格88,000円」のピコワードが「当時としては、かなり高価なものだった」と若干トバシ気味で。

「人が寄って来て、『何ですかこれ?』」が「出張のビジネスマンで人だかり」にバージョンアップ (?) していますし、本当に「電車」が「東北新幹線」だったのか怪しいかもしれません。
トンデモない一行知識 |  2010年11月27日(土) 00:46 |  URL |  【コメント編集】

●個人的な趣味ですが

東北新幹線開業前後に仙台と東京を行き来していたのなら
その辺りの移り変わりなども語ってほしいものですね。

上野⇔仙台の夜行列車も存在したので、まじめに薬科大で勉強していたならば
「ギリギリまで遊んで夜行で戻り、大学に直行した」
なんて武勇伝でも存在しそうなものですけど。
二毛猫 |  2010年11月26日(金) 11:46 |  URL |  【コメント編集】

●謎はやっぱり解けていない @_@

>50代(元アニドウ会員)さん
はじめまして。貴重な情報、ありがとうございます。(_ _)(_ _)

# 以下、引用の順番が前後することをお許しください。

>アニドウの上映会の度に札幌や仙台から高い電車賃を掛けて上京すると
>いうのも、ちょっと考えにくいと思うのですね。

そうですね……ただ、その理屈でいくと、イッセーの舞台のたびに仙台から東京に通って、列車の中でワープロを打っていたら人が寄ってきて、とかいう例の思い出話も、「考えにくい」の範疇に入ってしまいそうな……。これは、ピコワードという機種から判断するに 1984 年のことと思われます。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-217.html
『トンデモ創世記2000』 P.153
>唐沢● 最初に買ったワープロは、「ピコワード」という液晶の十七文字くらいしか表示
>できないやつ。イッセー尾形の事務所にいた頃で、仙台の大学に通っていたんです
>けど、講演があるたびに二ヵ月に一度往復していました。その往復の電車の中で打っ
>ていたら人が寄って来て、「何ですかこれ?」みたいにね。「ワードプロセッサー」って
>言ったら、「はあー」って。「もの書きの方は、変わったものを使いますな」って言われ
>た。プロでも何でもなかったんですけど、プロっぽい顔をしてね。

交通費は確かにかかるでしょうが、その交通費さえ捻出できれば、弟のところに泊めてもらえばよいという状況は、宿泊費がタダな分回数をこなしやすいというのはあるかと思います。1980 年より前は……知り合いのところに転がり込んでいたとか。

実際、逆のパターンというか、それで地元から泊まりにこられた経験は何度かあります。主に大学一年のときですけれど。それと、唐沢俊一の場合、アニドウの事務所に泊まり込みのパターンも考えられないでしょうか。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-543.html
の「でも男はプータローだから、そこに常駐して いるわけね」のアレです。「『三国志百態』写真集の発送の手伝い」は、これも 1984 年ですが、それより前の時期にも「プータロー」として「常駐」とか……?

また、田舎の子のひとつのパターンとして、東京人ぶりたいというのがありますため、

>当時の唐沢は無名の青年ですから、住所についてウソを書く理由は無いと
>思うのですね。

の理由はまあ、なくもないかと。

これもまた 1984 年ですが、東北にいたはずなのに、「世田谷区・唐沢俊一」というのもありますし。
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20091218/1261105779

しかし、私の説 (という程のものでもない) の弱いところは、今回教えていただいた唐沢俊一の映画鑑賞の日付けが、「新宿アニメーション・ランドは78年3月」を除いた長期休みの時期と連動していないことですね……。「80年の11月22日」はまあ連休に入っていたかもしれませんが。

学生にしても浪人にしても、そうそう学校をサボってまで、というのがありますため。これが長期休みなら、東京の予備校の夏期講習 (冬期、春期もあり) というカードもあるのだけど、と思ったのでした。


>NNT さん
>その当時は東京の予備校に行っていたのだと思います。

1978 年から 1979 年はそうとして、

>で、1981年からは仙台へ行ったと。

1980 年は弟と同居ということですか。それだと「ソニーJ9」は唐沢兄弟が同居していたときの購入になるかもですね。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-220.html

ええと、いや、あれは 1981 年の話らしいということに落ち着いたんでしたっけ。@_@
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100719/1272677258
トンデモない一行知識 |  2010年11月26日(金) 00:26 |  URL |  【コメント編集】

●それでは適当に推理

高校出て、一年は地元で浪人生活。
そして、1978~80年に東京のイベントに行った事は確か。
自分は唐沢氏のオツムを手放しで褒められないので、
その当時は東京の予備校に行っていたのだと思います。
ただ、4浪したってのはカッコ悪いと思って、青山学院の名前を…。
で、1981年からは仙台へ行ったと。
東北薬科大学に入学した事になってますけど、
それも実は…と思ってます。
数々の薬学医学のガセを見ると、勉強してないとしか思えないし、
大学入学レベルの理系知識もアレなんで…。
NNT |  2010年11月25日(木) 22:01 |  URL |  【コメント編集】

●本当は東京で弟といっしょに住んではいなかったかもしれない唐沢俊一(2)

こんばんは。初めまして。

>1980年から1981年のガンダム論争時代は、仙台の学校に通う一方、頻繁に上京しては弟の下宿(阿佐ヶ谷?)に転がり込んでいたという可能性はないだろうか。

唐沢が78年の3月から東京に住んでいたことは、間違いないと思います。
理由は『FILM1/24』23&24号の投稿「ベティ・ブープをもう一度!」で、“あの天才手塚治虫が作った鉄腕アトムだってこの間アニメランドでみたときは”と書いているからです。

新宿アニメーション・ランドは78年3月に行なわれました。
後に『テンデモ創世記2000』で、「紀伊國屋アニメ・フェスティバル」なんてまちがった呼び名で唐沢は書いていますが、リアルタイムのこの投稿では名前をまちがえていません。
78年5月の「フライシャーの夕べ」の感想文の投稿ですから、少なくとも78年3~5月は東京にいたはずです。

また『FILM1/24』25&26号に、『ホビットの冒険』の感想を唐沢は投稿してます。
この『ホビットの冒険』は、劇場でロードショーされたアニメではありません。
78年の7月15日にアニドウが主催して一夜限りの上映会を開いた映画です。
その一夜限りの映画の感想を投稿しているという事は、7月も唐沢は東京にいたことになります。
共に“杉並区・唐沢俊一”で投稿されています・

当時の唐沢は無名の青年ですから、住所についてウソを書く理由は無いと思うのですね。

また例の『ぴあ』の論争で、唐沢は『ナーダの大冒険』(『ナーザの大あばれ』のまちがい。唐沢って記憶力が無いんだな・・・)や、『ファンタスティック・プラネット』といったTVアニメファンにはなじみの無い作品を上げて、“オレはこんなにアニメを見てるんだぞ”と誇示してます。

『ナーザの大あばれ』は、80年の11月22日に全電通会館ホールで、これも一回限りの上映。
『ファンタスティック・プラネット』も、80年の4月24日に全電通労働会館ホールで、これも一回限りの上映です。
共にアニドウ主催の上映会です。
もっとも評判が良かったので、リバイバル上映会や関西での上映会もあった様ですが、共に劇場公開された作品ではありません。

1980年に地域限定で上映されたこういうアニメを見てる以上、やはり唐沢は、78年~80年には東京にいたのではないでしょうか?
アニドウの上映会の度に札幌や仙台から高い電車賃を掛けて上京するというのも、ちょっと考えにくいと思うのですね。
50代(元アニドウ会員) |  2010年11月25日(木) 20:27 |  URL |  【コメント編集】

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