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2010.08.28 (Sat)

で、「完全に過去の世界へと忘れられた」って誰のこと?

エヴァ論だったら、いつも空振り。ヤマト論も。」のエントリーでは、「『エロジェニカ』が
どうとかという別件の話」のみで片づけて放置していた件。今回、ここコメント欄で話題
になったのを受けてエントリーを立ち上げてみた。

そちらに引用した「実際、当の『エロジェニカ』読者からも、編集部一派は(板坂らライバ
ル誌の人間も含めて)六〇年バカ、と揶揄されていた。」というのは、下の引用の「〈略〉」
の部分に入る。

『B級裏モノ探偵団』 P.74 ~ P.77

「超三流腐敗挑発分子=板坂剛を血の海K・O! 下北沢ストリート・デス
マッチで30秒でコテンパン! 断末魔の悲鳴を上げ命乞いする板坂弱を
病院送り―記号必殺のアリ・キック三連発、右顔面に裂傷、血みどろの鉄槌
を浴びせ理不尽の魔=流山児祥、遂にあの板坂剛(バカサカヨワシ)を完全
殲滅!」
 ……東京スポーツだって最近はこんな過激な見出しをつけないが、これは
一九七九年、『漫画エロジェニカ』の読者のページ「コーヒータイム」欄に
報告された、編集部の論争結果報告である。当時、三流劇画の御三家と
言われていたのは『漫画大快楽』『劇画アリス』そして『漫画エロジェニカ』
の三誌だったが、その『大快楽』においてライターの板坂剛が、
「流山児祥殲滅エロジェニカ撃破」
 を叫んだことに腹を立てた『エロジェニカ』編集部の流山児祥が、当人の
板坂剛を下北沢に呼び出し、鉄拳制裁を加えた次第を報告した文章であ
る。論争どころか実際の流血騒ぎを巻き起こすような乱暴さがこの当時の
雑誌の編集者にはまだ残っていたらしい。文筆にかかわる者としてペンより
剣を優先させるとはなにごとか、と憤る良心的読者もおいでと思うが、文筆
者の中にはペンより剣(拳)の使い手としての方が面白い人物も、ままいる
のである。
〈略〉
 この騒ぎの起こったのが一九七九年、というところが筆者には興味深い。
筆者は当時、大学生生活の真っ最中であったが、政治には泡沫候補政見
放送聞き比べくらいしか興味がなく、海外アニメーション研究団体「アニドウ」
に所属し(同じ頃、ここにはかの宅八郎も所属していた)、オタクへの道を
突っ走っていたのであった。
 この年はどういう年であったかというと、その五月にはNECが普及型の
パソコンPC-8001を発売し、驚異的な売れ行きを示した。またソニーの
再生専用ヘッドホンステレオ「ウォークマン」が発売されたのもこの頃。
『宇宙戦艦ヤマト』の爆発的人気による騒動が起こったのはこの前々年、
『スターウォーズ』の上陸に端を発するSFブームが前年の出来事。イン
ベーダーゲームが大流行してゲーム時代の扉を開き、『ドラえもん』の単行
本が三千三百万部を売るヒットを記録し、口裂け女を中心にした都市伝説
ブームも、都会におけるコミュニケーションの新たな形を呈示していた。
 これを要するに、現在のようなオタク文化の、ほぼ基礎固めが完了したの
が、一九七九年という年なのだ。若者の生活様式は、完全に変化した。
吾妻ひでおなどのロリコン作家にカルト的人気が集まり、コミックマーケット
で美少女同人誌がバカ売れしはじめた。三流劇画ブームは退潮し、入れ
替わるようにしてロリコン漫画ブームがノシ上がってくる。マンガでは前年、
『少年サンデー』誌上でデビューした高橋留美子が、『うる星やつら』の
第一作目を読み切りで発表。この作品は翌八〇年から本格連載が開始され、
やがて、コミケ会場にはラムちゃんのコスプレをした女性たちがあふれ
はじめる。
 流山児の言うような“エロ劇画最終戦争”はついに勃発せず、六〇年全共
闘世代は完全に過去の世界へと忘れられた。そして、世は争いを好まない
オタクたちの、不完全燃焼型あてこすり合い文章を中心とした論争時代へと
移行していたのであった。
 ……この時代の論争の典型例を作った人物がひとり、いる。それが、自分
であるところが情けないが。年代的に言うと、この『エロジェニカ』の文章から
さらに三年経った、一九八一年。


×さらに三年経った ○さらに二年経った

1981 - 1979 は、2 であって、3 ではないよなあということで。

高橋留美子については、「漫画家の高橋留美子さんが先輩の唐沢俊一氏からアドバイ
スを受けた時に言った名言!?
」もあわせて参照していただきたいが、「『うる星やつら』の
第一作目を読み切りで発表」したのは、唐沢俊一のいう 1979 年ではなくて、デビューと
同年の 1978 年のことだろう。この年に「短期集中連載作品として『少年サンデー』に初
掲載」されているとのこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/うる星やつら
>1978年に短期集中連載作品として『少年サンデー』に初掲載され、好評であったため
>1979年に月刊連載化・不定期連載化された。当時高橋はまだ大学生であったため、
>約20-30Pの作品を数カ月おきに連載していたが、大学を卒業すると同時に週刊連載
>にシフト。


「同じ頃、ここにはかの宅八郎も所属していた」については、『トンデモ創世記2000』の
方の「席を並べていたことがあった」つながりで、宅八郎本人からのコメントがあったり
するので、そちらも参照のこと。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-109.html#comment167
>(1)「席を並べていたことがあった」というのはアニドウ事務所でもなんでもなく、70年
>代の全国アニメ総会の食事の時です(アニドウ主催ではないです、当時のアニメ関係
>者は連絡先分かると思います)。

>(2)なので、唐沢のアニドウの件怪しいです。唐沢はその事務所に「宅八郎が現れ
>て」と書いていますが、ボクはアニドウ事務所に行ったことは生まれてから一度もあり
>ません。不思議すぎます。おそらく「並木孝と共同の事務所を持っていた」というのは
>怪しいというか、おかしな話です。共同でも何でもなかった可能性高いです(「ウチの
>~ウチの~」でしたっけ、唐沢糾弾用語ではww)。


それら以外に少し気になったのは、「口裂け女を中心にした都市伝説ブームも、都会に
おけるコミュニケーションの新たな形を呈示」のくだり。口裂け女の話題は、ど田舎の
自分の地元でも盛り上がっていたけど……。そもそも、「都市伝説」というのは、都会が
舞台ともかぎらないし、都会でのみ流行するものとはかぎらないのではないかと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/都市伝説
>「都市-」 (urban) という形容詞は、「都市の、都会の」というような地域を示しているの
>ではなく、「都市化した」という意味で使用されている。その意味では、伝統的文化に
>由来する伝説や、ある社会に古くから永く伝承されてきた伝説を指すものではなく、説
>話の舞台設定が地方であっても都市伝説と呼ばれる。


しかし、「時空も歪ますトンデモ 80 年代で論破したんだと」で紹介したときのような派手
な時空の歪みは、この文章中にはあまりない。1998 年の『国際おたく大学』で唐沢俊一
は、「80年代、札幌の喫茶店で僕らはヤマトやスター・ウォーズ、 ペリー・ローダンの話
をしながら、店に流れる雨やどりを聞いていた」と感動的な (?) ことを書いていたのだが、
その翌年 1998 年の唐沢俊一が書いた文章では、1978 年の『スター・ウォーズ』の日本
公開、1977 年の『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開を正しくふまえているように思われる。
(逆に、前年に『国際おたく大学』に書いた文章のアレはいったいどこからきたのだろう
とも思われるわけだが)。

「五月にはNECが普及型のパソコンPC-8001を発売」、「ソニーの再生専用ヘッドホン
ステレオ『ウォークマン』が発売」というのも 1979 年で間違っていない。ただ、この 2 つ
と口裂け女については、「現在のようなオタク文化の、ほぼ基礎固め」といわれると、少し
首をひねらないでもないが。特にウォークマ

で、「『エロジェニカ』編集部の流山児祥」というのは多分ガセで、高取英の混同では
ないか――という話をコメント欄でやったけど、これについては材料が集められたら、
別エントリーでやろうかと。


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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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Comment

エヴァもヤマトも大好きです
アニメ名言集 |  2010年11月12日(金) 12:40 |  URL |  【コメント編集】

>ラーオさん
漫画家としてはそんなメジャーでないみたいなのに (失礼?) テレビにはよく出てくる人だなあと、当時いぶかしく思っていたのでした<一本木蛮。テンション高めに登場することが多かったような。

>やまださん
>コミケ会場にはラムちゃんのコスプレをした女性たちがあふれはじめる。

というのは、主にテレビ経由の印象で語ったものかもしれません。後はオヤジ系な一般週刊誌の類いとか。

「ふぁんろーど」「ファンロード」について唐沢俊一自身が何か語っている文章は、今のところ見つけるのに成功していません。
http://homepage2.nifty.com/out-site/ANIMEC.HTML

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20091218/1261105779

『B級裏モノ探偵団』の件の文章に、そこいらが登場しないのは、例の「ぴあ」での論争を「オタク世代が真剣にアニメとその未来の形について討論を行なった、まず最初期のものである」 (P.77) と書いた都合もあるのかなと思わないでもないのですが、他の本などでの唐沢俊一の自分語りにも登場していないようなのが何とも……アニドウや名画座、イッセーだけで手一杯で、そこまでフォローしていなかったのではないかと。

それと「最初期のもの」うんぬんについては、
http://tondemonai2.web.fc2.com/777.html
の繰り返しになりますが、そもそも「ヤマト」の時点で、「我々がしなければならなかったことは戦うことじゃない。 愛しあうことだった」のくだりが、さんざん議論になったのはスルーなのか、という疑問が。
トンデモない一行知識 |  2010年09月01日(水) 07:37 |  URL |  【コメント編集】

 当時の「ふぁんろーど」が、コミケの度にコスプレ写真を掲載していました。
 あれは読者が撮った写真を掲載しているのではなく、全て、同じカメラマンが、毎回、コミケ会場へ行って撮っていたものです。
(「ふぁんろーど」のカメラマンさんは、結構、みんなに知られてましたから)
 で……もし、当時、ビキニのラムのコスプレをしていた人(男の女装もいました)がいれば、ほぼ全員、誌上に掲載されているはずです。
 1日だけの時代ですし、コスプレしている人の数だって今ほどではありませんでしたから。
 会場の広さも、今のワンフェスくらいですし、(私は、毎回、全てのサークルを見て回っていました)、コスプレ会場でなくても、会場のどこかにいれば、コスプレの人は一通り見ることができました。
 ビキニのラムなんて、夏のコミケでも10人いたら凄いくらいだったんではないでしょうか?
 制服姿のラムも足せば、もう少し数が増えるでしょうか……『うる星』のコスプレなら、弁天やランやお雪……と、キャラがバラけてましたから。

 今のミクみたいに、 同じ格好のコスプレが何人もいるという状況ではありません。

ということで、
>やがて、コミケ会場にはラムちゃんのコスプレをした女性たちがあふれはじめる。
 は、ガセです。
 

 1977年から81年に掛けて、過去にヒットした作品をリバイバルさせる企画がラッシュした時期がありました。
 後の80年代のアニメブームを形成する萌芽は、すでに70年代半ばから起こっていましたが、このリバイバルブームも決して無視できるものではありません。(リバイバル作品を通して、子供番組から離れていた大人たちが、再び作品に触れる機会を作った)
 1979年より前から、すでに、子供向け番組の製作には、複数の流れがあったわけです。
 このような様々な流れを無視して、唐沢氏が自分史を浮き立たせるために79年だけをクローズアップしようとするから、おかしなことになるのだと思います。


★77年
 「新巨人の星」。(旧作は68~71放送)
 「ルパン三世」の第2シリーズ。(第1シリーズは71から72年。これだって当時はリバイバルです)
 「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」。(テレビ放送は74年)
 「ジェッターマルス(鉄腕アトムのリメイク)」(アトムの版権が使えなかったためのリメイク作品。アトムの放送は63~66年)
★78年
 ルパン三世の映画第1作「vs複製人間」
 「さらば宇宙戦艦ヤマト(映画)」「ヤマト2(テレビ)」
 「ガッチャマンⅡ」(前作は72年~74年放送)
★79年
 ルパン三世の映画第2作「カリオストロの城」(前年の映画第1作のヒットがあったからこそ、製作されました)
 「仮面ライダー(スカイライダー)」(ストロンガー終了が75年。放送時のタイトルが、ただの「仮面ライダー」だったのは、これがリバイバル企画だったから)
 「ザ・ウルトラマン」(レオの終了が75年。ただし、「ザ」が製作されるキッカケになったのは、前年からのウルトラシリーズの再放送が高視聴率だったたため。79年以前から、コロコロコミックなどになって、ウルトラ人気は高まっていた。チャイヨー製の「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」の日本公開もこの年だし、他にも2本、テレビ版を編集したウルトラマン映画が公開されている)
 「ガッチャマンF」
 「サイボーグ009(前作は68年)」
★80年
 「あしたのジョー2」(第一シリーズは70~71年放送)
 「宇宙戦艦ヤマトⅢ」
 「ウルトラマン80」
 「鉄腕アトム」(リメイク)
「鉄人28号」(前作は3~66年放送)
★81年には月光仮面まで映画化。

 「バトルフィーバーJ」は、過去のヒット作「ゴレンジャー」のリバイバルというよりも、前年度の「スパイダーマン」からのマーベル社との提携企画という側面の方が大きかったと思います。
 また、個人的には、79年という年は、「スカイライダー」、「バトルフィーバー」と「メガロマン」しか特撮の新作が作られなかった年と記憶しています。
 前年までは、毎年、10作近く特撮番組がやっていたのですが、急に選択肢が無くなって、子供心に寂しい思いを感じていました。
やまだ |  2010年08月31日(火) 01:29 |  URL |  【コメント編集】

ラムちゃんのコスプレと言えばやはり「一本木蛮」は外せないかと。
ラーオ |  2010年08月30日(月) 12:13 |  URL |  【コメント編集】

●とりあえずラムちゃんのコスプレ

それとコミケについては、80年代のコミケの思い出って、唐沢俊一はどこにも書いていないかも。つまり、実際に行ってなくて、メディア経由でふれていただけという可能性があります。

参考:
http://blog.goo.ne.jp/kotoba_mamoru/e/1cf66a58623b5d28bcbf038cd3907190

どうでもよいですが、私は Google 検索のセーフモードをオフにしているせいで、「ラムちゃんのコスプレ」で画像検索してみたら、エラいことに……。上のページとか見つけるのに、ある意味苦労しました。

トンデモない一行知識 |  2010年08月29日(日) 13:56 |  URL |  【コメント編集】

●とりあえずアウト

『OUT』については、別の本での言及はあります。

『トンデモ創世記2000』 P.36
>志水● なんかそういうのってあるよね。少女マンガでは“花の二四年組”
>(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子等)とかね。昭和二九年生まれでは、アニメ
>雑誌の編集長ね。『OUT』、『アニメック』、『ファンロード』。揃って昭和二八、
>二九年。
>唐沢● そうか。で、「これだ!」と思って飛び込んで行った連中が昭和三三年
>生まれなんですよね。
>志水● ああ、そうか。
>唐沢● これはもう「我々の世代が創ったもんだ」みたいな同世代感覚に近い。
>ついに我々の世代の人間がものを創る立場に入ったことへの感動というのか
>な。それを如実に感じたなあ。そうこうしているうちに、ついに我々に向けての
>雑誌が創刊された。『OUT』創刊時の特集って金田一耕助だったんですよ。
>志水● そうなの?
>唐沢● そう、だからアニメ雑誌じゃなかったんですよ。サブカルチャー誌だった
>んです。ところが三号目だったかでヤマトを取り上げたんですよ。「君は覚えて
>いるか、あのヤマトを」ってやったときにオォーっていう大反響があって。
>志水● 『OUT』って、前身は『オカルト時代』なんだよね。
>唐沢● みのり書房ですからねぇ、版元が。
>志水● 『オカルト時代』が潰れちゃって、雑誌コードがあるけど何しようって話
>になって、何してもいいように『OUT』って題名で作ったんだって。放送禁止歌
>だとかいろいろな特集をやっている中で、たまたまアニメをやったら大反響で
>アニメ雑誌になっちゃった。
>唐沢● だから今の『クイック・ジャパン』が『新世紀エヴァンゲリオン』で当って、
>『OUT』に続いてアニメ雑誌になるかと思ったら、赤田編集長が「それだけは
>嫌だ」と言って。あれと比べられたくはない、というサブカルチャーの怨念(二人
>爆笑)

「我々の世代の人間がものを創る立場に入った」のだけど、唐沢俊一先生はそれに入っていませんでした、ってことだと思うんですが。
トンデモない一行知識 |  2010年08月29日(日) 13:50 |  URL |  【コメント編集】

●しつこいようですけど

オタクといっても色々ジャンルがあるもので、唐沢氏は一体なんのオタクだったのか本当によくわからない。

そして、オタクっぽいものをカテゴライズしたのは中森明夫で
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%A3%AE%E6%98%8E%E5%A4%AB
>1983年6 月から『漫画ブリッコ』誌上に連載した「「おたく」の研究」の中で、
>ガンダムファンやカリオストロファンなどの「異様さ」をあげつらい、
>「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」を「おたく」と命名。
そしてルパン三世 カリオストロの城は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96_%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%9F%8E
>封切は1979 年12月15日

穴だらけ…。

ミニコミブームもほったらかし。

そして青年劇画誌と少年マンガ誌の中間のヤングコミック誌の成立もこの時期にあったはず。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97
>1979年(昭和54年)5月に月2回刊誌『ヤングジャンプ』として創刊し、1981年(昭和56年)の週刊化に伴い誌名を変更。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84
>ビッグコミックスピリッツ
>1980年10月創刊
『めぞん一刻』は創刊号から連載されていたのになー。

追記
1979年をウィキペディアで検索
http://ja.wikipedia.org/wiki/1979%E5%B9%B4

アニメ等のオタク関連で目を引いたのが
仮面ライダーシリーズがスカイライダーで復活
ウルトラマンがアニメではあるけど『ザ☆ウルトラマン』で復活
特撮では戦隊シリーズがバトルフィーバーJで復活
映画『銀河鉄道999』が公開

以上は自分も知っていたのですけど
映画『海のトリトン』公開は知らなかったです。
NNT |  2010年08月29日(日) 11:35 |  URL |  【コメント編集】

>論争どころか実際の流血騒ぎを巻き起こすような乱暴さがこの当時の
>雑誌の編集者にはまだ残っていたらしい。文筆にかかわる者としてペンより
>剣を優先させるとはなにごとか、と憤る良心的読者もおいでと思うが、文筆
>者の中にはペンより剣(拳)の使い手としての方が面白い人物も、ままいる
>のである。

 完全に流山児氏を編集者だと思ってますね。1999年段階で。

 「口裂け女」は地方から始まって、東京へ着いたのはかなり後だったと思います。
 当時、風邪をひいて学校を休んだ日に、昼間のワイドショーで地方での「口裂け女」の話題を取り上げているのを観た記憶があります。
 それが東京(私はずっと東京です)で流行ったのは、そのワイドショーを観た半年くらい後だったはずです。

 私が初めてコミケに行ったのは1982年ですが、それでも唐沢氏の記事には違和感を感じます。
 唐沢氏は何年頃からコミケへ行っていたのでしょう?

>やがて、コミケ会場にはラムちゃんのコスプレをした女性たちがあふれはじめる。

 そんなわきゃない。
 あふれるって、今のコミケでの初音ミクのコスプレしている人の数くらいなら使ってもいい言葉でしょうが、あの頃、コミケが一日限りの時代でも、ラムの格好した女の子が、あふれるほどいたわけがないです。

 部屋の掃除をしていたら、アニメックの24号(1982年6月発行)が出てきたのですが、ここで一般紙の記者にアニメックがガンダム・ブームについて逆取材している興味深い記事が載っています。
 その最初が朝日新聞で、「ガンダム論争」というのが「ぴあ」誌だけでなく、朝日新聞上でも起きていたことが判ります。
 東京中心の雑誌である「ぴあ」と全国紙である「朝日新聞」では、どちらがインパクトが大きかったかは言うまでもないということなのでしょう。
 次が「アサヒグラフ」……1981年4月号でガンダム特集をやっているようです(写真有り)。
 次が報知新聞。取材だけで、特に紙上の投書欄で「論争」などがあったわけではないようです。
 で、最後が「ぴあ」です。
 ぴあ編集部の人へのインタビューで、「あれは唐沢という人がアニメと怪獣の対比を投稿してきて……」と語られているのが唐沢氏ですね。
 ちなみに、この1文のみです。

 唐沢氏の問題は、おそらく自分の起こした「ぴあ紙上」での「ガンダム論争」しか知らない……興味がないということでしょう。
 「朝日新聞」紙上の論争はどうだったのか?
 どうも「ガンダムで戦争を考える」というテーマで、相当、論争があったようです。
 唐沢氏の「ぴあ」での論争(というか唐沢氏のイチャモン)より、よほど意味があるものだと思うのですが……。
 今回改めて読み直して見ると、「アニメック」の投書欄でも、当時の若者がマジメにアニメやガンダムを語っています。
 確か、アウトでも、アニメ感想文を募集して掲載していたはずです。
 当時の空気を伝えるなら、安彦氏の本の解説は唐沢氏ではなく、別の人の方が良かったと思います。

>……この時代の論争の典型例を作った人物がひとり、いる。それが、自分
>であるところが情けないが。

 いや、確実に唐沢氏は特殊例で、典型ではないと思うのですが……

 ちなみに、このアニメック24号……志水一夫氏の連載コラムが2回目、岡田トシオのゼネプロ講座が1回目の連載です。すでにプロのライターとしてデビューしていたということですね。
 また「私のガンダム体験」という記事にロマンアルバムの編集者として寄稿している、橋本真司という人は、後の橋本名人ですね。
 一方、同じ雑誌に、唐沢氏は完全一般人として「唐沢という人」と語られているのみ……。



やまだ |  2010年08月29日(日) 07:35 |  URL |  【コメント編集】

●ビックリハウスがありません!

それとOUTも。
オタク文化がどうのって、サブカルの流れの一般投稿雑誌で欠かせないと思うですよ。
そこから唐沢氏の大好きな『業界人』になった人もいるのに。
時空を歪ませなかったけど、異様に視野が狭い。
ガンダムが無いのはお約束でしょうが。
こんな穴だらけの役に立たないオタクの歴史を読んで感心する人もいたのか…。
NNT |  2010年08月29日(日) 01:21 |  URL |  【コメント編集】

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