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2010.08.16 (Mon)

つか、つかこうへい ―― 唐と寺山と口立て編

http://www.tobunken.com/news/news20100803143859.html

イベント
2010年8月3日投稿
常識を怒った男 【訃報 つかこうへい】
高田馬場の小さな劇場で見た『飛竜伝』。
紀伊国屋ホールで見た『熱海殺人事件』。
それまで見ていた唐や寺山はすでに“教養”であり、時代はいま、
つかこうへいのものなのだな、とはっきり感じさせた舞台だった。
〈略〉
この人の舞台は基本的に“口立て”である。台本には単に流れが書いて
あるだけ。主要なセリフは稽古をしながらどんどん即興でつけていき、
それが決まれば台本に書き込む。役者が芝居に合わせるのでなく、
芝居の方で役者の個性に合わせていく。だから、舞台は出演俳優の
個性ひとつで成功もし、失敗もする。


つか、つかこうへいについて」のコメント欄でも話題になった (した) けど、「紀伊国屋
ホール」の『熱海殺人事件』は 1978 年からで、高田馬場の東芸劇場の『飛龍伝』も
1979 年前後。

http://ja.wikipedia.org/wiki/熱海殺人事件
>初演は1973年、文学座アトリエにて。そのときは藤原新平が演出を務めた。1975年
>にA班・B班・C班のトリプルキャストで上演され、1978年の紀伊国屋公演からはC班の
>キャスティングが採用された。


http://blogs.dion.ne.jp/hisa50sky/archives/9560303.html
>1979年9月 「初級革命講座 飛龍伝」   高田馬場 東芸劇場

そして、こちらで唐沢俊一自身が「私が札幌を離れたのが78年だから」――と書いている
ように、唐沢俊一が上京したのは本人申告で 1978 年。

つまり、まあ、唐沢俊一のいう「それまで見ていた唐や寺山は」というのは、実は時期的
には辻褄をあわせにくい。唐沢俊一が高校生のときに「唐や寺山」を見ていたというなら
別だけど。


そして、つかこうへいの「台本には単に流れが書いてあるだけ」というのは、多分ガセ。

唐沢俊一の説は、Wikipedia でいう「基本的には稽古初日前までに戯曲(台本)を役者に
渡し、役者は全て暗記して来るが」とも、当ブログのコメント欄に書き込まれた情報とも
矛盾してしまう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/つかこうへい
>つかこうへいの「口立て」という独特の演出法。基本的には稽古初日前までに戯曲
>(台本)を役者に渡し、役者は全て暗記して来るが、「作家が机の上で書く台詞は
>4割。あとの6割は稽古場で役者が自分に書かせてくれるもの」と言っている通り、
>稽古を重ねる毎に台詞が大幅に変わっていく。稽古場で役者を鋭く観察し、芝居の
>流れを見ながら頭に浮かんだ台詞を口頭で伝え、役者はその台詞を瞬時に暗記して
>復唱し芝居を続ける。稽古期間だけではなく、舞台初日から楽日までの間にも役者
>の成長や観客の反応等を見ながら台詞を変える為、初日と楽日では演出が異なり、
>つかファンは必ず初日と楽日のチケットを買い求めると言われる。


http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-505.html#comment1600
> 私は20年近く前、演劇の裏方の仕事をしていました。
> その時につかさんの舞台に何度かメインの役で出られた女優さんがいらして、稽古
>後にベテランの俳優さんから「つかさんの演出ってどんな風なの」と質問された席に」
>たまたま同席したことがあります。

> 女優さん曰く「まず、開幕などの場面は、最初から何パターンも違う演出を練習して
>あります。
> それを、幕の間からつかさんが客席を見て、『今日は若い女性客が多いから、最初
>はCパターンだ』とか、『今日は観客席がいつもよりおとなしいから、Bパターンでいく』
>とか指示をします。
> 開幕した後でも、観客の反応や、役者の状態を見て、『今日はあの台詞はお前が言
>え』とか、『あのシーンの台詞はカットして、代わりにこの台詞を言え』など、次々に指
>示を出されます。
> その日ごとの観客の反応もありますが、ちょっとでも役者が体調悪そうにしていると、
>どんどん見せ場が切られるので、私たちも一瞬たりとも気を緩ませないで、必死に、
>つかさんの指示通り演じます。」

> つまり、全盛期のつかさんは、稽古どころか、本番中でさえ、舞台の構成・演出を、
>その日のベストを目指して組み替えていたということです。
> そりゃ、毎回観る度に変化があり、しかもいつ観に行っても面白いはずです。
> しかし、それをやりきる演劇集団を創り出すというのは、並大抵のエネルギーの持ち
>主では不可能だったと思います。

> 唐沢氏が簡単に書いている「役者が芝居に合わせるのでなく、芝居の方で役者の
>個性に合わせていく。だから、舞台は出演俳優の個性ひとつで成功もし、失敗もす
>る。」というようなレベルの作業ではありません。
> 演出家に対して、俳優・スタッフたちからの心からの信頼がなければできない仕事で
>す。

> また私はその時にお仕事をいただいた劇団の会議室に保管されていた、つか作・
>演出の「今日子」の稽古に使った上演台本を見ています。
> 多くの差し込み(後から付け足した頁)や、大幅なカット、書き込まれた新しい台詞は
>ありましたが、最初にきちんとした台本が存在したことは間違いありません。ラスト
>シーンへ向かう流れなどに、大きな変化はありませんでした。
> つまり唐沢氏の「台本には単に流れが書いてあるだけ。主要なセリフは稽古をしな
>がらどんどん即興でつけていき、それが決まれば台本に書き込む。」はガセです。



そして http://www.tsuka.co.jp/le_daihon.html には、

>・初版 熱海殺人事件

に始まり、『熱海殺人事件』、『飛龍伝』の様々なバージョンが公開されていて、そこには
セリフがびっしりつまっているというのも、「台本には単に流れが書いてあるだけ」の劇団
っぽくはない。

>・飛龍伝 2003 改訂版
> この改訂版は、10人~20人くらいの劇団でも
> 上演できるように作り変えたものです


で、コメント欄には、「台本には単に流れが書いてあるだけ」というのは、「鴻上さんの
第三舞台とか」の「ワークショップ形式」の作劇方法と混同しているのではないかという
説も書き込まれているけど、辞書の「口立て」の定義をそのまま引き写したらそうなった
――という可能性もあるかも。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=口立て&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0ss
>くちだて0 【口立て】
>演劇で、脚本なしに口頭でおおまかな筋を指示し、台詞(せりふ)やしぐさの簡単な
>打ち合わせだけで芝居をまとめ演ずること。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=口立て&enc=UTF-8&stype=1&dtype=0&dname=0na
>くち‐だて【口立て】
>《「くちたて」とも》
>1 完全な脚本がなく、おおよその筋だけ立てておき、俳優どうしが口頭の打ち合わせ
>で芝居をまとめていくこと。
>2 大げさに言い立てること。
> ・ 「年がよったほどに―をばせいで」〈史記抄・儒林伝〉



おまけ:
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20100811ddlk13200251000c.html
>広島に原爆を落とす日:つかこうへいさん追悼 核廃絶願い渋谷で上演中 /東京
> 劇作家、つかこうへいさんの代表作の一つ「広島に原爆を落とす日」が渋谷区道玄
>坂2のBunkamuraシアターコクーンで上演中だ。今年1月、つかさんが肺がんを公表
>した後に今夏の公演を決定。「(演出など)好きにしていい」と周囲に後を託した。今月
>6日の初日を待たずにつかさんは、先月10日に旅立った。
> 「見送りの会はやるなとつかさんは言っていたが、この芝居は自分たちにとって追悼
>公演であり、特別なくくりの会」と主演の筧利夫さん(48)は言う。
> 「広島に原爆を落とす日」は79年の初演以来、公演を重ね、インドとパキスタンが核
>実験を強行した98年には広島でも上演。今回は「2010年完全版」として舞台によみ
>がえった。
> 筧さんは、65年前の原爆投下の真相を追う元新聞記者と、当時の海軍少佐の2役
>を演じ、現代と過去が交差しながら物語は展開する。
> 演出を担当した岡村俊一さん(48)は「誰かの意志によって原爆が落とされた。そこ
>から発想するのが作家の考え方だ、とつかさんは言っていた」と振り返る。また、海軍
>少佐は朝鮮人という設定で「在日韓国人であるつかさんの自伝的な要素が含まれて
>いる」。つかさんを悼み、ラストでは、原爆をはじめすべての戦争の犠牲者に黙とうす
>るシーンが追加された。


http://twitter.com/tsukageki
http://p.twipple.jp/m9mhV「飛龍伝」仮チラシができました。シアターコクーン「広島に
>原爆を落とす日」会場でお手にできるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
>12:28 AM Aug 2nd ついっぷるから


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Comment

>discussao さん
>’80年前後のつかエッセイも筒井康隆エッセイの「劣化コピー」のような
>捉え方もありました。

ああ、言われてみれば……。「おれ」や「のだ」がないので気がつきませんでした。^^;
それがなければ、筒井康隆風味でも無問題、むしろ好きだということに気がつきました。

# いや、昔 (1990 年代中頃) はネット上に筒井康隆の物真似文体が結構多くて
# 結構うんざりさせられたりしたので……。真似るな危険、と思っていました。


>伊丹十三からの影響

これは外国ネタのときとか、「のですな」「のであります」路線のときとか。
トンデモない一行知識 |  2010年09月06日(月) 01:05 |  URL |  【コメント編集】

●チンピラ臭さ・演出と地

トンでもない一行知識さん

>それと、ふと思ったのは、いくら劣化コピーであっても、オリジナルのもっていた輝の何分の一かだけでも引き継いでいたら、それに惹かれる人もいるのかも、ということ。オリジナルと並べられてしまうと、出来の悪さの方が目立ってしまうという諸刃の剣 (?) ですが。

そうですね、つかエッセイが30年の時間を経ていることもあり、いわゆる「格が違う」ということなんでしょうけれど。公平に記せば、’80年前後のつかエッセイも筒井康隆エッセイの「劣化コピー」のような捉え方もありました。現在の唐沢俊一ほどではないにせよ、「薄っぺらなチンピラ臭さ」を売りにしていたと言っていいでしょう。もちろん、つかの「チンピラ臭さ」は演出であり、唐沢俊一の物書きとしての「チンピラ臭さ」は地でありましょうが。
私の話の要点は、唐沢俊一に寺山や唐や伊丹十三からの影響は感じないけれど、つかエッセイの<よほどお中元やお歳暮をもらった口であろうと思う。><お中元やお歳暮もバカにしたものではない。>などにある言い回しの演出からの影響はあるように思うといったことでありました。
discussao |  2010年09月04日(土) 21:56 |  URL |  【コメント編集】

>NNT さん
>しんげきさん

>「いつも心に太陽を」は、インターハイで戦った水泳選手2人のその後を
>描いた話なので、試合のシーンで水着姿の男優がたくさん登場します。

「水着姿の男優がたくさん登場」なら、唐沢俊一の好みだったのではないかという気がしてきました。『B級学』という本では、「バタアシ金魚」について熱く語っていますし。(←ちょっと違う?)


んでは、唐沢俊一は JUNE かというと、

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-155.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-163.html

を書いたときに思ったのですが、それもちょっと違うかも。上 2 つのエントリー等で繰り返し引用させてもらったブログには、以下のようなことも書かれていて……。

http://d.hatena.ne.jp/wagamamakorin/20090621
> ひとまずJUNEで連載していたのにもかかわらず、JUNE・やおい・BL文化に
>関わることはほとんどテーマになっていないのが驚く。90年代中期という時点
>で、萩尾望都、竹宮恵子といった24年組作家も、森茉莉や栗本薫といった
>JUNE小説の先達も、榊原史保美や吉原理恵子といった初期JUNEを盛り上げた
>作家たちも、江森備や秋月こおといった小説道場出身作家も、高河ゆんや尾崎
>南、山藍紫姫子といった90年代初頭に同人ブームで名を挙げ商業転向した
>作家たちも、「星矢」「キャプ翼」「シュラト」「幽白」「スラダン」といったパロ同人
>において一大ムーブメントを築きあげたアニメ・漫画作品も、まったく彼は触れ
>ようとしない。はたしてこれらをまったく扱わないで、やおいについて語れるの
>か。ほとんど「残像に口紅を」だ、語れるわけないのである。

これ↑を読んだとき、うわ、そういえば、SF コミュニティに属していたあの年代の人で、JUNE に連載もっていて、「萩尾望都、竹宮恵子」にふれないというのは逆にすごい、なかなかできるものではないかも……と思ったのでした。「森茉莉や栗本薫」については、逆にあれこれ書きにくいからかもと以前は好意的に補完していたのですが、今は単にあまりしらない、興味がないからだったんだろうなと思っています。

「幽白」「スラダン」あたりは、『トンデモ美少年の世界』以外の本、つまり、外部にオタク文化の紹介者としてふるまうときの文章では、ちらりと言及していたりするので、まったくしらないわけではないけど、いわゆる「濃い」人相手に話題にするのは怖くてできないという感じでしょうか。

それにしても、大昔のお涙少女漫画ものの復刻に力をいれていた一方で、「萩尾望都、竹宮恵子」もスルー、大島弓子、清原なつのもスルー、陸奥A子、田淵由美子、太刀掛秀子の乙女ちっく路線ももちろんスルーというのも、いっそ感動的ではないかと思ったりもします。
トンデモない一行知識 |  2010年09月04日(土) 18:09 |  URL |  【コメント編集】

●腐男子

やはりそう思いますよね>唐沢氏。
『JUNE』は好き『薔薇族』はギリギリ『さぶ』『アドン』は実は趣味じゃなさそう。
『薔薇族』は内藤ルネの表紙が乙女チックでありましたし。
NNT |  2010年09月04日(土) 16:54 |  URL |  【コメント編集】

>discussao さん

引用ありがとうございます。(_ _)

>逆説的な物言いや、わざと下衆な言い回し

うーむ、しかし、つかこうへいに限らず、唐沢俊一の元ネタ候補の文章を読んで、悪い意味での下品さや頭の悪さを感じることはないのに、唐沢俊一の書くものには、妙なアクや臭みがほぼもれなくくっついてきてしまうのは不思議です。

もう唐沢俊一はガセだらけの人という印象がすでに頭にしみついてしまっていますし、内容が不当に他人を貶すものが多かったりするというのも大きいのでしょうけど、それだけではないような気もしています。悪文ゆえの読みにくさといいますか……。盗作騒動以前にも、唐沢俊一ってやたら他人の文章を下手だとか貶すけど、そういう悪口をいっているご本人こそが文章が下手なんじゃないかと疑問に思っていたのでした。

>(『傷つくことだけ上手になって』「放射線友情」よりランダムに引用)

これは未読ですが、時間ができたらぜひ読んでみたいです。引用してくださったものを見ると面白そうですし、(唐沢俊一と違って) 何かカッコイイし。

私が唐沢俊一の書いたものを読んでしばしば思うのは、ああ何十年前かのオヤジ系週刊誌 (新潮とか文春とか) でよく目にしていたことの劣化コピーパロディっぽい感じだなあということなんですが、『傷つくことだけ上手になって』から引用してくださった文章には、そういう悪い意味で古臭い感じはしなくて読みやすそうだと思いました。


それと、ふと思ったのは、いくら劣化コピーであっても、オリジナルのもっていた輝の何分の一かだけでも引き継いでいたら、それに惹かれる人もいるのかも、ということ。オリジナルと並べられてしまうと、出来の悪さの方が目立ってしまうという諸刃の剣 (?) ですが。
トンデモない一行知識 |  2010年09月04日(土) 10:30 |  URL |  【コメント編集】

>皆様
本業多忙なせいもあり、レスもろくにできないですみません。(_ _)(_ _);

>しんげきさん
>ゲイ的なものを漁っていた過程で三島から寺山、澁澤、唐などを上辺だけ
>通過した

「寺山、澁澤、唐など」への言及ナシでの、「ゲイ的なものを漁っていた」思い出語りをしている文章もあるので、そちらが正解かと思います。

唐沢俊一の書いている:

>『男組』等に代表され る硬派少年ものの底流に流れる日本文化の中心、
>いや、特攻隊など、かつての日本を支配していた武士道文化の原点にまで
>なっている男色思想

については、そういえば、40 年以上前の少年漫画には、特攻隊漫画があったり (私は「紫電改のタカ」を連載時に読めた歳ではないはずなのですが、子どもの頃に読んだ記憶が)、「男心に男が惚れて~♪」 (名月赤城山) みたいのがよく引用されていたような気がするなあと、後で思いました。

そういうものや、ホモソーシャル的な要素などを、乱暴に「男色思想」という言葉でくくっているのかなあ、とも。


唐沢俊一自身は、「ゲイ的」というより「オカマ的」な人 (または腐男子?) ではないかと、個人的には思っているのですが……。市橋容疑者のアレとか。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-299.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-300.html

アニドウの古参になったら、「ちやほやされる」度を、若い女の子とマジで張り合って、負けたあげく脱会してみたりとか。

『トンデモ創世記2000』 P.74
> 当時はアニドウに若いメンバーが入りはじめたので僕なんかは古参になって
>きて、ちょっと浮いてきたなって感じてきた、辛口の批評ばっかりやるもんだ
>から。彼らはテレビのアニメを見て入ってきてるんですよ。ある若い子に
>「『トムとジェリー』って何ですか?」って聞かれて、あ、これでアニドウも
>おしまいだって……。その頃の僕は、こういうところにトゲトゲした人間でしてね。
>しかも女の子だから僕よりもちやほやされるんですよ。こんな場所にいられる
>か!ってね。

こういうのを、「女々しい」とか「女の腐ったの」とか表現すると、女性差別になりかねないしなあ、です。
トンデモない一行知識 |  2010年09月04日(土) 09:45 |  URL |  【コメント編集】

「いつも心に太陽を」は、インターハイで戦った水泳選手2人のその後を描いた話なので、試合のシーンで水着姿の男優がたくさん登場します。雑誌等にもその写真が使われることが多く、多少きわもの的な扱われ方もあったかもしれません。内容は他のつか作品に共通する”何重にも屈折した愛”が描かれていたのですが。まあ、唐沢氏好みの、JUNE的な世界でなかったことは確かです。

>趣味と実益を兼ねたゲイに詳しい文化人の座

↑爆笑しました!
そういうポジション狙いなら「いつも心に太陽を」は必見だったのになぁ。

つかこうへいのエッセイや戯曲は、逆説的、偽悪的な表現も多いですが、根底には対象への温かい視線、ユーモア、悲哀などがあって好きでした。自己への視線が異様に温かい唐沢氏が形だけマネするから、文章に別の意味で悲哀が……。
しんげき |  2010年09月03日(金) 02:42 |  URL |  【コメント編集】

「いつも心に太陽を」はもちろんお芝居で見た事はないですけど、このお話と「熱海殺人事件」が合体したのが「モンテカルロイリュージョン」だったのかなと思ってました。
どちらも体育会系の同性愛のお話なんで、唐沢氏の興味をひかなかった可能性もありますが。
唐沢氏は自分が入り込めそうな小さいコミュニティ、しかも体育会系の匂いの薄い所を狙う傾向にあるし。
趣味と実益を兼ねたゲイに詳しい文化人の座も狙っていたと思いますが、いかんせんそれも薄いです>唐沢氏。
NNT |  2010年09月01日(水) 22:58 |  URL |  【コメント編集】

●唐沢俊一の文体におけるエッセイストつかこうへいからの影響

「社会派くん」などに顕著な、逆説的な物言いや、わざと下衆な言い回しを使うところなど、’80年前後のつかこうへいエッセイから引き写したような印象があります。以下つかエッセイより引用します。どんなもんでしょうか?

>シェイクスピアも人間である。あれほどたくさんの「その他大勢」をつくっているところをみると、よほどお中元やお歳暮をもらった口であろうと思う。そのしがらみを逆手に取っていくつもの大作を後世に残したのだから、お中元やお歳暮もバカにしたものではない。

>戦争に勝った国の者が、ジープを乗り回し、負けた国の子供たちを蹴散らし、ガムとチョコレートをバラまくのは、常識であり、礼儀である。乞食みたいにはいつくばって、むさぼり食う。これこそ、敗戦国の子らのあり方である。戦争といえども勝ち負けはある。しかし、負け方までトチることはない。(中略)それじゃあ、勝つつもりだったのかというと、ガムもチョコレートも用意していないときた。(中略)戦艦や爆弾を作る工場があったら、なぜ、その内の二つくらい、ガムやチョコレートを作る工場を造っておいて、戦争を始める誠意がなかったのか。一事が万事、こういう横着きめといて、戦争体験だの、焼け跡闇市だの能書きをたれる権利はない。

>赤穂浪士とて同じことである。家来の中には、浅野内匠頭の顔さえ見たことのない者もいよう。よく一年以上も志を持続させたものである。むろん、目先のきく奴は夜逃げしたりしているが、日頃、たてまえで「御殿のために」きばってた者のこと、引くに引けなくなったのではないだろうか。家では女房相手に「大石のおっちょこちょいが、一人でがんばってるんだよ。みんないいかげんにしてくれっていってんだよ。まったく、ついてけないよ」と、ぐちっている奴に限って、全員集合の会議では「なにはなくとも、まず仇討ち!!キサマら、殿の御無念を晴らしたくないのか」とイキまいていたのだろう。

(『傷つくことだけ上手になって』「放射線友情」よりランダムに引用)
discussao |  2010年08月31日(火) 04:28 |  URL |  【コメント編集】

●ゲイ的なものを求めて?

>ブログ主さま

詳しく引用してくださって、ありがとうございました。(遅レス、すみません。)
唐沢氏が、異端やアングラ文化への興味からゲイ的なものにも手を伸ばしたのかと思っていましたが、ゲイ的なものを漁っていた過程で三島から寺山、澁澤、唐などを上辺だけ通過した、と考えた方がよさそうですね。

いや、なんだか伊藤文学さんに「自分は高校の時から薔薇族を読んでましたっ」とアピールしたい一心で、唐や寺山を話のマクラに使っただけのような気がしてきました。

そんな唐沢氏が、ゲイをテーマにしたつかこうへいの「いつも心に太陽を」をスルーしてるのも不思議ですが。タイトルがさわやかなのでノーチェックだったのか。

実際に唐や寺山の芝居に足を運んでいると、たくさんもらうチラシが情報源になって他の劇団(黒テント、転形劇場、つかこうへい、演劇団、自動座etc..)にも自然と目が向いたものです。唐沢氏もちゃんと見に行ってたなら、別スレにあるような間違い(流山児祥が編集者)などやらかさず、演劇団(のちに流山児★事務所)の主宰者、とすぐ気づいたでしょうに。
しんげき |  2010年08月31日(火) 02:33 |  URL |  【コメント編集】

●音痴のモノ真似芸人みたいなもの?

>NNT さん
>やまださん

唐沢俊一と伊丹十三については以前、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-367.html
で、こうやって見ると、唐沢俊一は伊丹十三の文体にも影響を受けているなあと思ったのでした。

澁澤龍彦の影響というのも、『トンデモ一行知識の世界』や逆襲あたりには見られないこともないですね。『妖人奇人館』(元は主に「別冊週刊現代」連載、「浴衣がけ」の文体ともいわれる) とか、大和書房つながり (?) の『太陽王と月の王』とか。不思議なことに、文体やお題は影響を受けているフシがあるのに、内容は澁澤未満のガセだったりするのですが。

シュバリエ・ド・エオン関連のネタがそうですし、
http://tondemonai2.web.fc2.com/675.html
エントリーを書いた時点では知らなかったのですが、「墓掘り人夫アルディソン」(アルディッツソン) ネタも、澁澤の『妖人奇人館』には正しく書かれていました。
http://tondemonai2.web.fc2.com/167.html


> 唐沢氏が寺山や伊丹十三の洒脱なエッセイに憧れたのは判るのです。

憧れるのはわかるのですが、無様な劣化コピーしかできないのに平気で真似し続けようとする神経は理解できません。元の文章が好感度高いものでも――NNTさんのいう「森田さんの奥様の文体」というのも、元々の文章はきっと好感度高いものなんだろうなと勝手に想像します――唐沢俊一の手にかかると何だか小汚い文章として出力されるのは、なぜなのか……。
トンデモない一行知識 |  2010年08月29日(日) 13:26 |  URL |  【コメント編集】

 あいかわらずの唐沢氏の凄い悪文にクラクラ目眩がします。

> そして、そのころハマっていた唐十郎や渋澤龍彦の世界を理解するには、

 高校3年生の札幌にいた唐沢氏には、唐の芝居を観ることができなかったはずです。
 当時の状況を考えれば、
 1.唐の戯曲を読んだことがある。
 2.週刊誌や、ワイドショーなどの芸能マスコミに取り上げられたのを観ていた。
 3.映画や演劇雑誌の記事で見掛けたことがある……というだけのはずです。
 でも……それで唐の世界を理解するというのは、ちょっといかがなものかと思います。(断片的なものでしかないわけですから)
 『特権的肉体論』を読んで、当時、どう思ったとか……そういう話が出てこないところが逆に凄い。



> 今でも、三島由紀夫や寺山修司について青臭い議論をしている者たちには、
>ゲイ世界への彼らの興味がわからんで彼らの文学がわかるか、という思いが
>強烈にあり、また、高倉健の映画をはじめとするヤクザもの、『男組』等に
>代表され る硬派少年ものの底流に流れる日本文化の中心、いや、特攻隊など、
>かつての日本を支配していた武士道文化の原点にまでなっている男色思想の
>大衆文化的な浸 透に、なぜもっと日本の研究者は注目しないといういらだちも
>強い

 とにかく日本語の文章として凄まじく酷いですね。これで一つの文章ですから。
 それでも、唐沢氏の言いたいことは一応、判るのですが、

>『男組』等に 代表され る硬派少年ものの底流に流れる日本文化の中心、

 これは、ちょっと……いかがなものかと。
 池上遼一の作品群という括りなら、まだ判るのですが……『硬派少年もの』を書いていた他の作者、例えば、本宮ひろ志や梶原一騎にゲイ的要素って少ないと思うのですが。
(というか、『日本文化の中心』が続く文のどの言葉にかかっているのか、よく判らない。「武士道文化」なのか、「男色思想」なのか、「男色思想の大衆文化的な浸透」なのか)


> ことはオタク関係にまで及ぶ。自分たちの意識下の文化故に、ゲイ的嗜好に
>ついて見て見ぬふりをしてきた男たちを後目に、その本質だけを抽出して無邪気
>に 遊んでいるのが、いわゆる“やおい”カルチャーなのだ。

 「やおいカルチャー」の支持者は、圧倒的に腐女子だと思うのですが……。
 何か、色々な要素(少女マンガの歴史とか)を無視した、思いつきだけの文章ですね。



 唐沢氏が寺山や伊丹十三の洒脱なエッセイに憧れたのは判るのです。
 少し前に話題になった、飲み屋で知り合った競馬界の裏を知る男なんて、寺山がよく書いた裏町人生の劣化コピーですから。
 虚構の自分史を好んで書いたのも寺山ですし。
 ただ寺山とは時代が違うし、寺山の書いた物と比べて内容が薄いし、下調べはできてないし、洒脱でもないし……何より、作られた虚構がぜんぜん面白くない。
 面白くないから、洒落だと思えないので、「時空を歪めて嘘を書いている」と受けとめられているのだと思います。
 唐沢氏は、「寺山の真似をやっているだけなのに、アンチのやつらは洒落が判っていない」と思っているんでしょうね。
 寺山の作品は、『韜晦趣味』なんかではなく、あくまで世の中のアウトサイドにいる人たちへの強い好奇心と愛情が籠もっています。
 が、唐沢氏の『虚構の過去』には、そういう他者への思いが一切欠落しているので、読み手がリアティが感じられないのだと思います。
 
 ただの雑文ライターでしかない唐沢氏が、寺山の真似をして上手く行くわけがないんです……。

 またしても長文にて、失礼いたしました。
やまだ |  2010年08月29日(日) 01:00 |  URL |  【コメント編集】

●あんまり関係無いですけど…

しかも現物が無いのですけど、
唐沢氏の文体って、イッセー尾形の事務所社長、森田さんの奥様の文体まんまなんですよ…。
ダイレクトメールに書かれているコラムを唐沢氏の盗用問題を知った後に改めて読むと、
唐沢氏のが劣化コピーと分かりクラクラしました。
寺山とかじゃ無いですよ、多分。
NNT |  2010年08月28日(土) 22:43 |  URL |  【コメント編集】

●「論理性でより明晰な寺山の文章の方を私は好んだのであった」にうあああ

>しんげきさん

はじめまして。よろしくです。(_ _)

>「高校の頃から唐十郎や澁澤龍彦など異端の文化に興味があって、それを
>究めるために薔薇族まで購入した」

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-397.html に引用した裏モノ日記の記述によると:

http://www.tobunken.com/diary/diary20050210000000.html
> 高校一年(中学三年?)の頃、初めて知った『薔薇族』という存在。当時からサブ
>カルチャーの世界に興味を持ち、
>「世界の文化的な極限を極めたい」
> という知的欲求にかられるままに、アングラやヒッピーといった辺境文化関係の資料
>を追い求めていた(一方で超正統派の文化も押さえていたことが今思うとよかった と
>思う)私が、忘れもしない札幌駅の書店弘栄堂で見つけ、手にとって「これは(一般人
>にとって)極北のカルチャーかも」
> と衝撃を受けたのが『薔薇族』だった。逡巡の末に思い切って買い求め、ポルノ雑誌
>を買ったときの数倍ドキドキしながら、自分の部屋の灯りをわざわざ消して、卓上 蛍
>光灯の下で読みふけったときの興奮を今でも思い出す。

そして、引用しなかった部分には、以下のような文章が続いていて。


> そして、そのころハマっていた唐十郎や渋澤龍彦の世界を理解するには、
>この雑誌に代表されるゲイ・カルチャーの世界をもっとよく知らないといけ
>な いのだな、ということを、おぼろげながら理解し、それからは半ば堂々と
>(いや、やはり抵抗はあったが)『薔薇族』『さぶ』『アドン』の三大誌は
>(そのとき 々々でどれを買うかはバ ラつきがあったが)購読し続けてきた。

> 今でも、三島由紀夫や寺山修司について青臭い議論をしている者たちには、
>ゲイ世界への彼らの興味がわからんで彼らの文学がわかるか、という思いが
>強烈にあり、また、高倉健の映画をはじめとするヤクザもの、『男組』等に
>代表され る硬派少年ものの底流に流れる日本文化の中心、いや、特攻隊など、
>かつての日本を支配していた武士道文化の原点にまでなっている男色思想の
>大衆文化的な浸 透に、なぜもっと日本の研究者は注目しないといういらだちも
>強い(海外ではイアン・ビュルマのような、そこを中心に徹底したリサーチを
>元にした学術論文を 書いている研究者がいるというの に)。

> ことはオタク関係にまで及ぶ。自分たちの意識下の文化故に、ゲイ的嗜好に
>ついて見て見ぬふりをしてきた男たちを後目に、その本質だけを抽出して無邪気
>に 遊んでいるのが、いわゆる“やおい”カルチャーなのだ。そこにまで目を配ら
>ずには、文学もオタクも含めて日本の文化は語れないと思うし、今の自分が
>そこら の学者がそういうものをにわか勉強で扱っているのを鼻で嘲笑できるの
>は、少なくとも16歳の頃から 自分はそっちの世界を学習してきたのだという
>秘かな自負が元になっている。

……ええと、何の話でしたっけ。
唐沢俊一にとっては、ゲイ的嗜好についてさえ押さえておけば、唐十郎や渋澤龍彦、三島由紀夫や寺山修司、すべて理解できたことにしてオッケーということでしょうか。こういうのは根拠のある自信というのか根拠のない自信というべきなのか、もうよくわかりません。@_@

「彼らの文学がわかるか」と大見得を切っている一方で、三島についてはトンデモ言説を繰り返しているのが何だかなあ……と思いますし。

http://tondemonai2.web.fc2.com/483.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-273.html

>唐の芝居1回見ただけなのに。寺山の天井桟敷に関して具体的記述はあるので
>しょうか?

私もこれが知りたくて捜しているのですが、唐沢俊一にとっては、つかこうへいも寺山も、エッセイストとして親しんだ人というだけでしかないのかな、という気がしてきています。

http://www.tobunken.com/diary/diary20030212000000.html
>実を言うと私が最初に文体を模倣しようと試みたのは、エッセイスト・寺山修司の
>それだった。私の文章を知る人はほとんど(Aさんもそうだったらしいが)、どちらかと
>言うと私の文体は澁澤あたりから影響を受けているのではないかと思っているようだ。
>しかし、中学高校時代から、どちらにも傾倒しながら、論理性でより明晰な寺山の
>文章の方を私は好んだのであった。

トンデモない一行知識 |  2010年08月28日(土) 14:38 |  URL |  【コメント編集】

●演劇関係の記述

初めまして。
1970年代後半から1980年代、アングラ、小劇場演劇などを愛好していた者です。

唐沢氏は「高校の頃から唐十郎や澁澤龍彦など異端の文化に興味があって、それを究めるために薔薇族まで購入した」んですよね? そんな人間が1978年春に上京したなら、唐十郎の赤テントを勇んで見に行って「私なんかアングラ時代の根津甚八と小林薫を同じ舞台で見てるからね」と自慢しそうなもんですが(根津は1979年初めに脱退)。唐沢氏は1978年に芝居を見た形跡はなさそう…。

「新宿西口、今の都庁のあたりで赤テントの芝居を見た」との記述はどこかにありましたが、それは1979年5~6月に京王プラザの裏でやった「犬狼都市」かと。

その3ヶ月後の9月に、つかこうへい「飛龍伝」を見て「それまで見ていた唐や寺山はすでに"教養"……」と感じるのは自由だが、唐や寺山の芝居を見た蓄積があるような書き方は疑問。唐の芝居1回見ただけなのに。寺山の天井桟敷に関して具体的記述はあるのでしょうか? なんにしても「すでに"教養"」だったのなら、演目くらい覚えていてほしいものです。
しんげき |  2010年08月28日(土) 04:13 |  URL |  【コメント編集】

●スパイとかスパイシーとかは初耳ですが、おいといて

>皆様
またしてもレス遅延気味&間接的なレスで申し訳ありません。(_ _);

唐沢俊一と演劇といえば、イッセー尾形の前説事件の印象が強く、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-217.html

それ以外には歌舞伎関係で変なこと書いていたなというのはあるのですが、
http://tondemonai2.web.fc2.com/580.html
http://tondemonai2.web.fc2.com/654.html

唐沢俊一の本をパラパラ見返して演劇関係の記述を捜してみても、あまり見つからないのです……。映画、漫画、アニメ、ホモ、古本、落語あたりの定番 (?) ネタと比べると、本当に少ないように思います。

前説事件と、うわの空やああルナ関連の印象が強いので、本にももっと演劇関係のネタを多く書いているような気がしていたのですが、登場頻度としては SF 関連の話題とどっこいどっこいで、意外と多くない。

考えてみれば、イッセー尾形のところに出入りしていたのは東北薬科大の頃で、東京での大学生活の頃は、演劇とはほとんど縁がなかったのではないでしょうか。そしてイッセー尾形のときから、うわの空のときまでは演劇空白期間で、K子さんとかの付き合いで宝塚や歌舞伎、新感線を少々たしなんでいたくらい……とか?
トンデモない一行知識 |  2010年08月27日(金) 01:53 |  URL |  【コメント編集】

●唐沢俊一のスパイとも囁かれるdiscussaoですが・・・

流山児祥と高取英と『漫画エロジェニカ』が話に出てきたらば、当時のいしかわじゅんのマンガのことも外さないでおいてください。いしかわじゅん描くところの流山児祥と高取英は、キャラクターとしては下手をしたら本人以上にポピュラリティがあったように思いますが、どうでしょうか?
私としては、流山児祥というとアシッド・フォーク・ソング「こわれました」の作詞者という意識が強いのですが・・・。
discussao |  2010年08月25日(水) 23:49 |  URL |  【コメント編集】

●月蝕歌劇団のウテナ

実は観に行ってます。正しい姿だと思いました。
小さかった頃の『ぱふ』とかアンソロジー本に活路を見出す前の『コミックボックス』は舞台情報とか載ってたし、月蝕歌劇団も含めた高取氏の広告とか載ってましたね。
漫画の手帖に高取氏の寄稿があったり、アングラがカウンターカルチャーになり、そしてサブカルになる前?は、漫画と演劇は切っても切り離せない関係だったんでしょうね。
そこに先祖がえりしてるのか?唐沢氏…
まぁ、今ではサブカルにも漫画にも特撮にもアニメにもゲイにも薬学にも詳しくなく、演劇にも詳しくないのがバレているけど。
NNT |  2010年08月25日(水) 22:19 |  URL |  【コメント編集】

>流山児祥氏が『漫画エロジェニカ』の執筆者だったというのと、高取英氏が『漫画エロジェニカ』の編集者 (こちらは確実ぽ) だったというのが、ごっちゃになっているとか?

  多分そうなんでしょうね。
 高取氏が、流山児氏に原稿を書く仕事をあげていたのでしょう。
 流山児氏が、雑誌編集ができる方だとは思いません。(私は10年くらい前に親しくさせていただいていた時期があります。今でも公演のお知らせを送っていただいています)

 でも、今となっては高取氏も劇作家・演出家(+漫画評論家)として高名ですね。
(代表作「聖ミカエラ学園漂流記(1982年)」戯曲なのに、アニメ化されたという珍しい作品)
 99年段階じゃ、「少女革命ウテナ」の舞台版をご自分の劇団「月蝕歌劇団」でやられてるはず。

 流山児氏も前に書きましたが、この時期はトランスフォーマーの「ビーストウォーズネオ」で破壊大帝マグマトロン(デストロンのボスです)の声優もやっています。
「るろうに剣心」の宇水の声もやっています。

 二人とも、オタク話の格好のネタがあった頃です。

 でも、唐沢氏は書かない。多分、知らない。
(ウテナとかビーストウォーズネオとか観てないだろうなあ)

 いずれにせよ、何年か東京で演劇の周辺にいて流山児祥氏が演劇人だと知らないということはありえません。

 唐沢氏は、芸能事務所経営してたはずなんですが……うーむ。
やまだ |  2010年08月25日(水) 04:49 |  URL |  【コメント編集】

>やまださん
>(エロ劇画誌の編集という肩書きがまず判りません)

以下の2ちゃんの過去ログの内容について裏はとっていないのでアレですが、流山児祥氏が『漫画エロジェニカ』の執筆者だったというのと、高取英氏が『漫画エロジェニカ』の編集者 (こちらは確実ぽ) だったというのが、ごっちゃになっているとか?

http://piza.2ch.net/log/voice/kako/944/944805828.html
>29 名前: >28 投稿日: 1999/12/18(土) 02:18
>元・劇画アリス編集者、でしたっけ?
>(エロ本の編集者であったことは事実)
>日蝕なんたら歌劇団の主宰でもあったような。
>ゴメン、怪しい記憶で。

>30 名前: >29 投稿日: 1999/12/18(土) 08:23
>それは高取英(劇作家)ですなぁ

>31 名前: >29 投稿日: 1999/12/18(土) 12:29
>高取は元劇画エロジェニカの編集者。
>劇画アリスは亀和田武。

>32 名前: >28 投稿日: 1999/12/18(土) 23:57
>流山児祥は演劇団の主宰者だったひと。
>寺山修司の遺作を上演したね。

>33 名前: 29です、ゴメン 投稿日: 1999/12/19(日) 01:42
>すみません、記憶だけで適当なこと書いて。
>30、31、32の方、感謝致します
>流山児祥は『漫画エロジェニカ』の執筆者でした。
>で、演劇団主宰者兼役者だったんでしたね。
>後に高取とケンカして…ってもういいか。

>参照:ダーティ松本著・闇の淫虐師傑作集4

http://oosugi.net/read/set.bbspink.com/natuero/1092717367/101-200
>110 川本耕次 04/11/03 22:56:53 ID:LaYvQ+ZB
>>>108 劇画家やめたと思ったら劇団に入って役者になっていた>トモロヲ。
>本人もTV番組で認めていたなあ。別に秘密でも何でもない。

>>>109 流山児はコワモテで毎晩ゴールデン街で喧嘩とかしてたんで、
>殴打事件といわれてもどれのことだか、わかんない。

>全共闘運動に敗れた…というより、乗り遅れた世代だな。
>漫画エロジェニカの編集長・高取英は当時も今も本業は劇団主宰者。
>劇画アリスの初代編集長・亀和田武はご存じのとおり文化人。
>劇画アリスの二代目編集長はコミケットの主催者をやっている。

その他参考 URL:
http://freett.com/gessyoku2/takatorieinonikki3.html
トンデモない一行知識 |  2010年08月25日(水) 01:17 |  URL |  【コメント編集】

>あるいは、タダでよいから観にだけきてくれという素人演劇の方を主に観まくっていたとか……。

 いえ、普通に東京の小劇場に行って、「流山児★事務所」のポスターなり、チラシなりを、一度も見たことがないはずがないんです。
(アマチュアの公演でも、他の公演のチラシが束で手渡されます。)
 本多劇場グループの劇場でも、1年に一回くらいのペースで公演なさっていますし、本多劇場の社長の本多さん(唐沢氏と懇意なのは、息子さん)を役者としてキャスティングしたこともあります。
 唐沢氏が使っている「楽園」の真向かいの「劇小劇場」で毎年やっている、演出者協会主催の「演劇コンクール」の審査院長でもあります。
 「ぴあ」でも「シアターガイド」でも定期的に見ているのなら、流山児という名前を見ていないはずがない。
(ちなみに流山児というお名前は、氏が流山出身ということでのペンネームです。だから、同姓同名の流山児祥氏がいる可能性もありません)
 確か、流山児氏は昔、「噂の真相」にも連載持ってたはずですし。(もちろん、演劇人として。ご本人から聞いたことがあります)
 1999年の段階で、流山児氏の名前を出して、氏が演劇人(自称、最後のアングラ)ということを書かないのは、理解できません。
(エロ劇画誌の編集という肩書きがまず判りません)
 70年代から、演劇界の風雲児として活躍(というか様々な事件を起こしている)している方です。
 確か、99年の段階でも、すでに日本演出者協会の副理事長だったはずです。

 答えは、「唐沢は、昔も今も、全然演劇を観ていない・知らない・興味もない」だと思います。
やまだ |  2010年08月24日(火) 03:03 |  URL |  【コメント編集】

>やまださん
『B級裏モノ探偵団』、今チェックしてみたら、P.76 ~ P.77 には

>実際、当の『エロジェニカ』読者からも、編集部一派は(板坂らライバル誌の
>人間も含めて)六〇年バカ、と揶揄されていた。

>流山児の言うような“エロ劇画最終戦争”はついに勃発せず、六〇年全共闘
>世代は完全に過去の世界へと忘れられた。

とか好き放題なことも書いていますですね。「六〇年」に「代」をつけないのは、多分そういう仕様なんでしょう。


日記にでも何か書いていないかと「流山児 唐沢俊一」でググってみたら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/青山学院大学の人物一覧
がトップにきたりするのが何とも。その次が
http://www.moon-light.ne.jp/news/2009/01/19-4.html
で、去年 1 月の「第19回下北沢演劇祭」ですか……うーん。


>「B級裏物探偵団」は1999年の発行でしたが

いや、しかし、その頃にはまだ Wikipedia はありませんし……。

で、まあ、流山児氏のことも存じ上げなかった (すみません……) 私は、あまりあれこれいえないのですが、

> ということで、学生時代に演劇を観まくったという唐沢氏の主張は、完全に
>嘘だと思います。

これは、その通りでしょうね、としか。

あるいは、タダでよいから観にだけきてくれという素人演劇の方を主に観まくっていたとか……。たまにイッセーとかプロの芝居にも行っていて。
トンデモない一行知識 |  2010年08月24日(火) 01:24 |  URL |  【コメント編集】

「B級裏物探偵団」の中の、「ぴあ」でのガンダム論争についての章の始めに、唐沢がエロ劇画誌編集者として流山児祥氏のエピソードを書いていました。

 えっと……東京で10年以上演劇をやっていて、流山児祥氏を知らないやつはモグリです。
 というか、唐沢氏の世代で、演劇に興味があって、自分自身も下北沢の舞台に立っていて、流山児氏を知らないというのは考えられません。

さらに、「B級裏物探偵団」は1999年の発行でしたが、この時期は流山児氏が長い演劇人生の中で、唯一、声優をやっていた時期でもあります。
 それも、「るろうに剣心」と「トランスフォーマー」だし。
 流山児氏が何者なのか、まったく判っていないとしか思えません。

 ということで、学生時代に演劇を観まくったという唐沢氏の主張は、完全に嘘だと思います。
やまだ |  2010年08月23日(月) 21:11 |  URL |  【コメント編集】

●長文歓迎モードは絶賛継続中。

とはいえ、個別のレスをするのは追いつかないので、断片的に……すみません (_ _);

>(特に大衆演劇などは)、「口立て」や「パターン・ブロックによるバリエーション」
>は、むしろオーソドックスなもの

そういえば、アドリブで時事ネタや楽屋落ちのセリフをいれるという程度のことなら、型の厳しい (?) 歌舞伎ですらやったりしますですね。


んで、前に書いた「失恋レストランを BGM にしている場面とか」は間違いでした、すみません。(_ _); 何かのオーディションの場面の課題が確か、レストランの中をスタスタ歩いていき最後に BGM を流すマスター役の人にあわせ、演技者が好きにセリフをつくって演じるというものだったのです。(←うろ覚え) マヤ以外の役者が、失恋レストランを歌い始めたのはよいのですが、BGM にかぶって失敗、と。いや、これを読んだときに、試されているのが演技力か脚本力かわからないと思った覚えがありまして。@_@

個人的には、脚本は脚本家が書いて、ちゃんと活字になっているものという印象が先に立ちます。文庫本になっているものはもちろん、劇場で売っているものとか。セリフが一言一句同じとまではいかないものの、基本は脚本にそってやるものという感じで。

まあ役者の方が脚本づくりに大きく関与するというパターンもあるかもしれませんが、それにしても唐沢俊一の書いている、

>役者が芝居に合わせるのでなく、芝居の方で役者の個性に合わせていく。
>だから、舞台は出演俳優の個性ひとつで成功もし、失敗もする。

は、改めて考えると、ちょっとどうかと……。俳優の能力次第でとかいうならともかく、「俳優の個性ひとつで成功もし、失敗もする」じゃあ、「芝居の方で役者の個性に合わせていく」甲斐もないのではないかと思いますし。


> もちろん、80年代演劇ブーム以降の演出家は違います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/つかこうへい
>大学在学中からアングラ演劇第二世代の劇作家、演出家として活動を始め、
>"つかこうへい以前(第一世代)"、"つかこうへい以後(第三世代)"と呼ばれる
>程の一時代を築き、1970年代から1980年代にかけて一大 "つかブーム"を
>巻き起こした。

ちょうど 80 年代あたりを境に断絶があるのかもしれません。それより前には高度成長や重厚長大や学生運動があり、後ろにはバブルや軽薄短小やニューエイジな世紀末があり。その中間に、つかこうへい的なものがあり。毒舌という切り口ならビートたけし的筒井康隆的なもの……とか。唐沢俊一がイカニモ好きそうな路線ではないかと。

そして、まあ、ノスタルジーに凝り固まって突っ走るのも、それ自体はアリということでよいのではないかと思ったりもしています。特定の時代への偏愛によって生み出されるものもあるのではないかと。

ただ、時空をあまり歪ませるようなものなら、評論としてではなく、SF やホラーとして発表した方がよいのではないかという気もしますし、
(http://tondemonai2.web.fc2.com/320.html 参照)

>場内のガキども、お前らにはここで泣けやしねえだろう。ざまあみろ。
( http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-385.html 参照)

なんて方向に開き直ったら、自分で自分の発する言葉の価値をさげてしまうようなことになるんじゃないかと思います。
トンデモない一行知識 |  2010年08月19日(木) 00:24 |  URL |  【コメント編集】

●連投失礼します

オタクとつかこうへいを繋ぐ役者の存在を忘れていました。
春田純一を。
唐沢氏は見てなかっただろうけど、スーパー戦隊シリーズで二年連続ブラック役やってたし。
熱海殺人事件を見に行って「生ブラック!」を見れたのが嬉しかったのを素で忘れてました…。
ググらずに追討文書いたのね、唐沢氏。
NNT |  2010年08月18日(水) 23:47 |  URL |  【コメント編集】

●ううむ

職人集団ならツーカーで細かい事は決めてなくてもクオリティの高い仕事ができるでしょうね、
プロレスとか、ジャズセッションとか。
まぁ、唐沢氏には出来ないレベルの話でしょうが。
NNT |  2010年08月18日(水) 23:08 |  URL |  【コメント編集】

discussao様

 私の書き方が悪かったと思います。申し訳ありません。
 discussao様の文章を否定するようなつもりは全くありません。

 データー的なことは、何も問題が無いと思います。

 私は、discussao様が、70年代当時に、大笹先生の批評を読んでいらしたとは読み取りませんでした。(私の勘違いです)

 私は、大笹先生が、ここ数年の間に、どこかで現代演劇史的な解説をお書きになって、そういうものを、discussao様がお読みになったのかと思ったのです。

 もし、そうだとしたら、現在の大笹先生がお書きになった70年代~80年代の演劇史というのは、あんまりお勧めしたくはないなあと思ったのです。

 10年近く前に、当時50代のミュージカル演出家(お名前を出すとご迷惑だと思いますので、ここでは書きませんが、今でも博品館劇場クラスの演出を手がけていられる方です)とお仕事をした時に、

「大笹先生は、ご自分の心情を文面にお書き込みになりすぎる。僕が知っている時代のことでも、違和感を感じる時がある」

 と、仰られたのを憶えています。

 これは私の個人的な意見ですが、大笹先生の世代の批評家は、日本における演劇の流れ(土着芸能を含む)と政治運動の流れにバイアスが、かかりすぎているように思います。
 もちろん、戦後の現代演劇が、日本の政治活動と深く関係していたことは理解しています。

 しかし、ここでの問題の時期。
 つまり、唐沢氏の東京での学生時代である、70年代末から80年代半ば……アングラ演劇から80年代演劇ブームの勃興へと繋がる時代を考える時には、それだけでは足りないのでは無いかと思います。
 この時期の演劇について考えるためには、演劇そのものと政治活動だけでなく、この時代に発達した新しい「若者文化(映画・音楽・テレビ・マンガ・ファション)」の影響についても注目しなくてはならないと思います。

 でも……びっくりするくらい無視するんです。

 私は、戦後の最初の新劇ブームの頃から現場におられる演出家から、アングラ世代ど真ん中の演出家まで、何人もお話しを伺ったことがあるのですが、どなたもびっくりするほど、若い世代の文化に興味を持っておられませんでした。
 アングラの先生方なんて、バリケードの中で少年マガジンを読んでいた世代のはずなのに、「今、若い人たちにどんなマンガが流行っているか」みたいなことは全く興味がないようでした。
 ガンダムもエヴァも、「そんなに流行っているのなら一度くらい見てみよう」とは思わないようです。

 もちろん、80年代演劇ブーム以降の演出家は違います。
 貪欲というか、逆に「流行っている物を見ておくのは義務」みたいな人が多いです。

 何か、凄いギャップがあるように思います。
(むしろ、アングラ世代の方達は、自分たちの世代の文化、あるいは現在の自分が考えていることにしか興味が無いのではないかという印象があります)

 だから、もし大笹先生が70年代演劇から80年代演劇へと移り変わる時期について何か書いているのなら、それはおそらく、偏った批評になっているのではないかと思った次第です。

 以上は、もちろん、私の勝手な意見です。
 というか、ついつい余計なことを書いてしまったのが、悪かったのだと思います。
 申し訳ありません。

 本筋の唐沢氏とは何の関係もないことを長々と失礼しました。
やまだ |  2010年08月18日(水) 22:47 |  URL |  【コメント編集】

>やまださん

私がアングラ劇・小劇場劇の批評を積極的によんでいたのは70年代の中期~後期だけなので、大笹吉雄が「大笹先生」と呼ばれる現在のステータスはほぼ知りません(津野海太郎のことも当時は劇評家と認識していた)。
それで、<大笹先生の言うことは、個人的にはあんまり信用しない方が良いと思います>とのことなんですが、私が書いた受け売りのデータのどこかに故障があるという意味なのでしょうか?大笹吉雄から得た知識ってのは、具体的には『戦争で死ねなかったお父さんのために』文学座アトリエ公演の話のところですが。もしよろしければ教えてください。とはいえ、当時おおやけにされていた劇評、つかこうへの演劇界での評価のされ方の紹介であり、そんなに異端な見解でもないと思いますが。

>トンでもない一行知識さん

フィクションはともあれ現実でも新劇を除けば(特に大衆演劇などは)、「口立て」や「パターン・ブロックによるバリエーション」は、むしろオーソドックスなものでしょう。大昔、バイトでミュージカル『山彦ものがたり』(有吉佐和子)の裏方をしたときは、宮城まり子以下出演者がパターン・ブロックで毎回違った芝居をしていたのを袖で見ていました。
discussao |  2010年08月18日(水) 05:26 |  URL |  【コメント編集】

>NNT さん
どうもです。(_ _) うーん、私は、詳細設計書をきちんと書くプロジェクトにはあんまり関わったことがないのでよくわからないのですが……。仕様書は最後というのは、結構あったかな、と。^^;

割と確実なのは、大まかな設計書だろうが細かい設計書だろうが、できの悪いものをつくることは可能である……とか? 逆も成り立つかどうかは不明ですが、成り立つような気もします。ただし、規模と個々人の能力に依存、という感じで。


ふと思い出したのですが、『ガラスの仮面』の北島マヤくらいになると、オーディションのときに自分でストーリーつくっちゃったりしてますね。失恋レストランを BGM にしている場面とか。ああいう役者さんだらけなら、脚本は大まかでも OK ぽいです。(←現実とフィクションの混同はやめましょう)
トンデモない一行知識 |  2010年08月18日(水) 00:01 |  URL |  【コメント編集】

 普通、きちんとしたプロの劇団の公演の場合、稽古に入る前に印刷された脚本が用意されています。
 紀伊國屋や本多劇場などの中劇場クラスの予約は、1~2年前ですので、どの時期に、どんな作品を、どんなキャストでやるかは、ある程度決まっています。
 よほどの(井上ひさしのような)大先生でもない限りは、脚本の方が先に出来上がっています。
(そうでないと、キャスティングできません)
 遅くても、顔合わせ(キャストとスタッフが最初に集まる日)には、簡易印刷された脚本が全員に手渡されます。

 私が見た「今日子」の台本も、きちんと印刷されたもので、少なくとも稽古初日前には、一応、頭から終わりまで完成された本が存在したということです。

 そこから、稽古の間にカットや差し込み(付け足し)が入るわけですが、少なくとも(何かよほどのトラブルでも無い限り)キャスト数が増減したり、作品の全体的なイメージが変化することはありません。
(稽古期間中に、上演宣伝をするのですから、ポスターや演劇雑誌に出す告知と余りにも異なる作品にするわけにはいきません)

 つかさんの作品も、その最低限のラインは守っていると思います。

 現場の俳優とのやり取りの中から、新鮮なインスピレーションを取り上げているのでしょうが、芝居全体の方向性は最初に脚本として提示したもののままだと思います。

 これに対して、小劇場のアマチュアの芝居の場合……稽古に入っても脚本ができていないどころか、本番の前日になってようやくラストシーンが書き上がったみたいなことが、ままあるそうです。
 それで何とかなっちゃうのが、アマチュアというか、何というか。

 多分、ルナも唐沢先生も、そういう生ヌルな芝居しかしていないんだと思います。

 自分がそういう現場でしかやってきていないから、つかさんの現場もそうなんだと思っているのではないかと思います。

discussao様
 大笹先生の言うことは、個人的にはあんまり信用しない方が良いと思います。(2回くらい、国際セミナーかなんかで、お話ししているのを見たことがあります)

 ご存知だと思いますが、つかさんは1982年に、ご自分の劇団(つかこうへい事務所)を解散され、執筆業に専念します。
 そのため、演劇界としては、つかさんの作品はしばらく観られなくなるわけですが、
 同じ82年に直木賞を取り、つか作品が次々と映画化され、世の中的には(特に地方では)つか作品が一番注目されたのは、この演劇活動休止期だったということになります。

 私が大学の演劇科に入ったのは89年ですが、先輩には高校時代につか作品を上演したことがあるという人が結構いました。
 そういうズレは存在すると思います。

 1998年の北海道劇作家大会の時に、扉座の横内さんや、キャラメルボックスの成井さん、マキノノゾミさんのお三方が、全員、「学生時代に、(アマチュアの)つか作品の上演に関わったことがある」という発言をされたのを聞いたことがあります。

 ですから、つか作品が80年代演劇ブームの一つの発進点であったという面はあるのだと思います。

 また、89年につかさんが「今日子」で演劇界に復帰した時には、かつての劇団時代のスタッフは残っていなかったわけで、とても苦労されたという話も聞いたことがあります。

 またしても長々と失礼致しました。
やまだ |  2010年08月17日(火) 23:38 |  URL |  【コメント編集】

●劇作家つかこうへいの特異性

すみません、また長いです。なお、以下文は自分の感想のように書いてますが、当時読んだ津野海太郎や大笹吉雄などの劇評・アングラ劇史の知識の受け売りです。

>この人の舞台は基本的に“口立て”である。台本には単に流れが書いてあるだけ。

とあると、つかこうへいがまったく新しい芝居を「口立て」でこしらえる作家みたいな話になってしまいますね。
つかこうへいが凄いのは、デビューしてすぐの1973年から劇作家としてピークに達したこと、その1973年に『戦争で死ねなかったお父さんのために』『初級革命講座・飛竜伝(当時はこの表記のほうが流通していた)』『やさしいゴドーの待ち方』『熱海殺人事件』といった後年バリエーション・改作を量産される代表作が初演されたこと、自分の劇団をいったん解散した’80年代以後はそれ以前の天才戯曲家としてより演出家としての側面が強くなったことが挙げられると思います。
そしてこの劇作家としてピークに達していた当時であっても、’73年の『やさしいゴドーの待ち方』が’75年『巷談・松ヶ浦ゴドー戒』に生まれ変わったようにバリエーションを派生させていました。タイトルこそ変わらなかったけれど、初演『戦争で死ねなかったお父さんのために』と文学座アトリエで上演された同作がまったく別の作品となったこともそのひとつ。つかと同世代の役者で演じられた初演は、タイトルにシニカルな批評性を持たせた、ある意味唐沢俊一理解レベルの斜に構えた劇風でしたが、文学座で「お父さん」を演じたのは高原駿雄という本当の「お父さん」世代の俳優(大正12年生まれ)。このためつかは作品タイトルがマジになるような、ホントに「戦争にいけなかったお父さん」の悲哀へと劇を改変してしまいました。
「常識を怒った男」というのが唐沢俊一のつか評らしいのですが、「過剰にタテマエを押し出すことで、常識の不条理を突く」といったホンネ論のことなんでしょうか。つかこうへいが1973~5年頃(すなわち唐沢上京以前)、たしかに寺山や唐や佐藤信や別役実などのオールド・ウェーヴを引き離していたのは、「ホンネ」と「タテマエ」が共存しているような、ある種の「ベタ」な手触りがあったことが大きいのでは?そういった「ベタ」な手触りが、東京ヴォードビル・ショーや東京乾電池、さらには唐沢俊一お気に入りだったイッセー尾形などの芝居に引き継がれていった、というのが「アングラ演劇史」的通説だったような気がしますが。
discussao |  2010年08月17日(火) 05:11 |  URL |  【コメント編集】

●ポンチ絵の設計図

自分は町工場製図屋だったので、現場のおじさん達が現物合わせで作ったものをCADデータに残したり、過去の紙の図面の修正をしたりしてましたが、
大まかな図面で出来たものはろくなものじゃなかったのが思いだされます。
大勢の人が共通の理解と概念を持つ為に必要なのが図面で、舞台の脚本もそうだと思います。
大まかな脚本では良い芝居はできないんじゃ無いのかなぁ。
脚本でしっかり共通理解が出来ているから、その後のアレンジが生き、舞台が更に生きる。

現物合わせが図面に帰ってこないと、不具合の理由が分からずじまいになるんだよなー。

唐沢氏にあんまり関係ないですが。
NNT |  2010年08月16日(月) 22:51 |  URL |  【コメント編集】

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