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2010.08.01 (Sun)

小豆洗いについての粗い考察

「漫画についての怪談 (あやしいはなし)」 雑誌『幽』 vol.13 P.314

 『ゲゲゲの女房』がまさかのNHK朝ドラ化となるなど、水木しげるの評価
はもはや全国的なものになっている。二十一世紀に至り妖怪というイメージ
を日本に定着させた水木しげるの功績の秘密は、妖怪のキャラクター化に
あるだろう。
 怪し気な“現象”を指して妖怪のしわざとしていた(例えば、小豆を洗うよう
な音が夜中に聞こえるという現象を、“小豆洗いのしわざ”とするような)それ
までのイメージから一歩すすめ、小豆洗いにもぬりかべにも人格をもたせ、
“普段の生活”がある、という、考えてみればそっちの方が不可解な設定を
ほどこしたことで、それまで、われわれ普通人の生活と対立する異世界の
住人だった妖怪たちは、同じ地平に共存する仲間となったのであった。
 水木しげるのこの功績は、はっきり言って日本における文化史を書き換え
るほどの大きなことなのだが、しかしそれまで、柳田國男の言う“宵と暁の
薄明かり”(『妖怪談義』)の中にかそけく存在していた怪しげなるものたち
を、いささかミステリアスなところに欠ける存在に貶めてしまった事実は
いなめまい。すでに平成の子供たちは、妖怪を怖がる対象としては認識
していないのである。


「水木しげるの評価はもはや全国的なもの」、「二十一世紀に至り妖怪というイメージを
日本に定着させた水木しげるの功績」とかいわれても、水木しげるは二十世紀の時点で
すでに誰もが知っている全国的な著名人だったし、「妖怪というイメージを日本に定着」
するのに貢献したのも、何も二十一世紀にはじまった話ではないと思うのだが……。

以前、「本当は妖怪好きじゃないでしょ? >唐沢俊一先生」のエントリーに書いたことが
あるが、唐沢俊一は『水木しげるの憑物百怪〈上〉』の文庫版の解説を書いたこともある
(内容の質はともかく) のに。この本は文庫化は 2005 年だけど、連載は『ムー』で 1991
年から、単行本は 1995 年と 20 世紀の刊行。

http://www.amazon.co.jp//dp/4054005144
>水木しげるの憑物百怪 [単行本]
>水木 しげる (著)
〈略〉
>出版社: 学習研究社 (1995/11)


http://kokekakiikii.blog107.fc2.com/blog-category-39.html
>水木しげるの憑物百怪(上下)(小学館文庫)
> ・91年より『ムー』に連載され、95年に学習研究社から刊行された単行本
>  『水木しげるの憑物百怪』を上下2巻に収録した文庫版。


「怪しげなるものたちを、いささかミステリアスなところに欠ける存在に貶めてしまった」
にも少しムカつくと同時に、あれっと思った。石ノ森章太郎などが相手なら
いつものことだけど、これまで唐沢俊一が水木しげるを妙に過小評価し難癖をつける
ように書いたことがあったっけ、と。これも『ゲゲゲの女房』効果なんだろうか。


んで、今回読んでいて引っかかったのは、「小豆を洗うような音が夜中に聞こえるという
現象」と唐沢俊一は書いているが、夜中に聞こえるどのような音が「小豆を洗うような音」
に聞こえるのだろう、そもそも小豆洗いってそういう妖怪だったっけ――ということ。

通常の小豆洗いの説明では、「小豆を洗うような音」は「川のほとり」で聞こえるものと
されているので、川の側に住んでいるのでもないかぎり、「夜中に聞こえるという現象」
にはあまりならないのではないかと思う。

http://www.top-page.jp/site/page/mizuki/complete_works/list/a002/
>■小豆洗い(あずきあらい)
>▲妖怪リスト 「小豆とぎ」とも呼ばれる。川のほとりで小豆を洗うような音をさせる。
>誘われると川に落ちてしまう。日本各地に出没。
>水木しげるロード【63】


http://ja.wikipedia.org/wiki/小豆洗い
>小豆洗い(あずきあらい)または小豆とぎ(あずきとぎ)は、日本の妖怪のひとつ。川で
>小豆を洗う音をたてるといわれる。
〈略〉
>川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら小豆を洗う。その音に気を
>とられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され落っことされてしまうともいう[1]。
>音が聞こえるだけで、姿を見た者はいないともいわれる[4]。


Wikipedia の方の図 http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:ShunsenAzukiarai.jpg には
馴染みのある小豆洗いの姿が描かれているが、別に夜の情景ではないようだし、特に
夜との記述がないことから、そこの文章に書かれている「山寺の小僧谷川に行て」とは
昼間の話だと考えてよいだろう。

そして、川のほとりで「小豆を洗うような音」を出しているものの正体については、イタチ、
キツネ、タヌキ、カワウソ、ムジナ、ガマガエル、人が砂利浜を歩く音、小川の水音、昆虫
の一種等々、諸説あるようだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/小豆洗い
>小豆洗いの正体を小動物とする地方もあり、新潟県刈羽郡小国町(現・長岡市)では
>山道でイタチが尻尾で小豆の音を立てているものが正体だといい[13]、新潟県十日町
>市でもワイサコキイタチという悪戯イタチの仕業とされる[13]。長野県上水内郡小川村
>でも小豆洗いはイタチの鳴き声とされる[14]。大分県東国東郡国東町(現・国東市)で
>もイタチが口を鳴らす音が正体とされ[4]、福島県大沼郡金山町でも同様にイタチとい
>われる[15]。
>岡山県赤磐郡(現・岡山市)では小豆洗い狐(あずきあらいぎつね)といって、川辺で
>キツネが小豆の音をたてるという[2]。長野県伊那市や山梨県上野原市でもキツネが
>正体といわれる[16][17]。京都府北桑田郡美山町(現・南丹市)ではシクマ狸という
>化けダヌキの仕業とされるほか、風で竹の葉が擦りあう音が正体ともいう[18]。香川県
>観音寺市でもタヌキが小豆を磨いているといわれ[19]、香川県丸亀市では豆狸の仕
>業といわれる[7]。広島県ではカワウソが正体といわれる[2]。津村淙庵による江戸時
>代の随筆『譚海』ではムジナが正体とされる[20]。
>秋田県では大きなガマガエルが体を揺する音といわれる[21]。福島県ではヒキガエル
>の背と背をすり合わせることで疣が擦れ合った音が小豆洗いだともいい[22]、根岸鎮
>衛の随筆『耳嚢』でもガマガエルが正体とされている[23]。
>新潟県では、糸魚川近辺の海岸は小砂利浜であり、夏にここに海水浴に来る人間が
>砂浜を歩く「ザクザク」という音が小豆を研ぐ音に酷似していたため、これが伝承の元
>となったともいう[24]。山形県西置賜郡白鷹町でも、小川の水が小豆の音に聞こえる
>ものといわれる[25]。
>また江戸時代には小豆洗虫(あずきあらいむし)という昆虫の存在が知られていた。
>妖怪研究家・多田克己によれば、これは現代でいうチャタテムシのこととされる[26]。
>昆虫学者・梅谷献二の著書『虫の民俗誌』によれば、チャタテムシが紙の澱粉質を食
>べるために障子にとまったとき、翅を動かす音が障子と共鳴する音が小豆を洗う音に
>似ているとされる[1]。また、かつてスカシチャタテムシの音を耳にした人が「怖い老婆
>が小豆を洗っている」「隠れ座頭が子供をさらいに来た」などといって子供を脅してい
>たともいう[1]。新潟県松代町では、コチャタテムシが障子に置時計の音を立てるもの
>が小豆洗いだという[27]。


さらにいえば、「柳田國男の言う“宵と暁の薄明かり”(『妖怪談義』)」を採用するなら、
妖怪の出現時刻は「夜中」にはならないのではないかと。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/youkai.html
>アズキトギ 音の怪。小豆とぎ。川辺で夜に小豆(あずき)をとぐ音をさせる。全県で
>いう(柳田国男『妖怪談義』)。
〈略〉
>妖怪と幽霊の区別について柳田国男の定義がある。①妖怪は出現する場所がだい
>たい一定しているが、幽霊はこれと睨んだ相手のいるところならどこにでもやってくる。
>②妖怪は相手を選ばないで出現するが、幽霊はこれぞと思う相手にだけやってくる。
>③出現時間は幽霊は深夜だが、妖怪はだいたい宵と暁の薄明かりである。これは
>あたりまえで、妖怪は夜更けて人の通らない時刻に出ても仕事にならないのである
>(『妖怪談義』)。



また、唐沢俊一のいう「水木しげるの功績の秘密は、妖怪のキャラクター化」も、どうかと
思う。「小豆を洗うような音」を出すものに、この図のような姿をあたえること、いや姿は
なくて音だけということであっても、「小豆洗い」という名前をつけた妖怪の創造それ自体
が「キャラクター化」ではないかと考えられるため。そして、それは遅くとも江戸時代には
成立していたことであって。

昔から「小豆洗いにもぬりかべにも人格をもたせ、“普段の生活”がある」ような話にまで
なっていたのかなあ――とも考えたが、以下に引用の Wikipedia によると、「江戸時代の
奇談集『絵本百物語』」の中に、すでに人格をもち (というか元は人間)、自分を殺した男
とののしりあいするのが「“普段の生活”」という小豆洗いが登場している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/小豆洗い
>この妖怪の由来が物語として伝わっていることも少なくない。江戸時代の奇談集
>『絵本百物語』にある「小豆あらい」によれば、越後国の高田(現・新潟県上越市)の
>法華宗の寺にいた日顕(にちげん)という小僧は、体に障害を持っていたものの、物の
>数を数えるのが得意で、小豆の数を一合でも一升でも間違いなく言い当てた。寺の
>和尚は小僧を可愛がり、いずれ住職を継がせようと考えていたが、それを妬んだ円海
>(えんかい)という悪僧がこの小僧を井戸に投げ込んで殺した。以来、小僧の霊が夜
>な夜な雨戸に小豆を投げつけ、夕暮れ時には近くの川で小豆を洗って数を数えるよう
>になった。円海は後に死罪となり、その後は日顕の死んだ井戸で日顕と円海の霊が
>言い争う声が聞こえるようになったという[10]。
>東京都檜原村では小豆あらいど(あずきあらいど)といって、ある女が小豆に小石が
>混ざっていたと姑に叱られたことから川に身を投げて以来、その川から小豆をとぐ音が
>聞こえるようになったという[2][11]。愛媛県松山市に伝わる小豆洗いの話では、明治
>初期に川の洗い場に50歳ほどの女性が小豆と米を洗っていたため、そこには誰も洗
>濯に寄らず、その女はやがて死に去ったという[12]。


上であげた例は、元は人間で幽霊っぽいのにもかかわらず、出現時刻が夜中ではない
ようなのも興味深い。

元は人間という設定ではない (多分) が、人格をもちキャラクター化されている、以下の
ような例もある。

http://www.sakaiminato.net/site2/page/roadmap/bronze/051/
>東北地方にはこんないい話が。貧乏な百姓の嫁取りの時に、何もごちそうができない
>のを見かねて小豆洗いが赤飯を山のように置いていったそうだ。JR境線 弓ヶ浜駅の
>愛称。


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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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Comment

●んでは私もこっそりと

http://mantan-web.jp/2010/08/29/20100828dog00m200016000c.html
>30日から放送予定の第23週「妖怪はどこへ消えた?」の9月3日、4日の
>回に登場する。

「まさか出演することになるとはねえ」を受けて、そういえば映画にも出ていなかったけと思って確認してみたのですが、勘違いだったようです……。DVD みたはずなのに>自分。


直接関係ないけど:
http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲゲゲの鬼太郎_(実写映画)
>なおぬらりひょんを演じた緒形拳は、この公開直後の2008年10月5日に
>死去したため、映画出演としてはこれが遺作となった。
トンデモない一行知識 |  2010年09月01日(水) 06:49 |  URL |  【コメント編集】

●しげるつながり(またもや前のエントリにひっそりカキコ)

>泉谷しげる、小豆洗いの声で『ゲゲゲの女房』出演
http://www.oricon.co.jp/news/movie/79504/full/

考えてみたら、泉谷もマンガを書いていたり。
NNT |  2010年08月29日(日) 15:27 |  URL |  【コメント編集】

>NNT さん
実はエントリーを書きながらビビり、今も何か自分の方が偉い勘違いしていたらどうしようとビクついているワタクシです。
だって掲載誌が『幽』なのですもの、編集の人たちも妖怪とかのプロで、そのチェックをくぐりぬけての掲載ではないかと思うわけでして……。


>蟹の人さん
>「キャラクター化」そのものが、別に特定の個人の功績ってわけじゃないと
>思いますね。

わたしもそう思います。
しかし http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-173.html にも引用しましたが、「他の妖怪絵師たち(それは石燕や国芳も含めてだが)の描く化け物たちが、その時代と地方性に限定された存在」とか平気でいう唐沢俊一ですから。

ただ、上記エントリーの分は、水木しげるの本の解説で水木しげるを褒め上げていると考えることもできなくはないのでまだマシで、今回は「怪しげなるものたち を、いささかミステリアスなところに欠ける存在に貶めてしまった」ですからね。
トンデモない一行知識 |  2010年08月03日(火) 02:46 |  URL |  【コメント編集】

そもそも日本の民話には、人が妖怪に騙されたり人が妖怪をやりこめたりする話がいくらでもあるわけで、「キャラクター化」そのものが、別に特定の個人の功績ってわけじゃないと思いますね。
水木さんに功績があるのはもちろんですが。
蟹の人 |  2010年08月03日(火) 01:24 |  URL |  【コメント編集】

●えーと

とうとう水木しげる先生にまでジェラシーを…。
鬼太郎が今まで何回テレビアニメになり、劇場映画にもなり、更には実写映画化も第二弾回まであるというのに、唐沢氏…。
これで『幽』の連載切られなかったら、ホント良いご身分ですね。
NNT |  2010年08月02日(月) 21:41 |  URL |  【コメント編集】

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