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2010.07.31 (Sat)

ヘンデルのように緑色、ジョンソンのようにクラブ向き、テイラーのようにペテン師で、バッハのように糖尿

『史上最強のムダ知識』 P.194

バッハ、ヘンデルは、共に失明しているが、目の手術を執刀した医師は
同一人物。


『史上最強のムダ知識』 P.195

音楽の父・バッハと音楽の母・ヘンデルの運命を変えた、その男の正体
とは?

 その男は、ジョン・テイラーという、ペテン師的な渡り医者だった。が、
当時の彼は、法皇庁、皇帝公認の称号を得た医師と評判が高く、光学
教授の称号も持っていた。
 とはいえ、プロイセンのフリードリヒ大王は彼を国外追放し、イギリスの
サミュエル・ジョンソンは彼を「ずうずうしさが無能を圧倒した例」と評価
しているから、腕前は、推して知るべしである。
 が、当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず、バッハは
脳卒中後の視力の低下を治療してもらい、ヘンデルは緑内障を治療して
もらった。どちらも治癒せず、バッハは手術から4ヶ月後に、盲目のまま
死亡した。ヘンデルは、8年間生き延びたが、やはり盲目のままだった。
 ちなみに、バッハの視力の低下の原因は、食いすぎによる糖尿病である。

× 法皇庁 ○ 法王庁 または 教皇庁

「バッハは脳卒中後の視力の低下」「バッハの視力の原因は、食いすぎによる糖尿病」
……って、どちらが原因なんだよっ、という話は、「唐沢俊一検証blog」の「その男は、
唐沢俊一というペテン師的な評論家だった。が、当時の彼は、『トリビアの泉』のスー
パーバイザーとして評判が高く(以下略)。
」のエントリーで指摘済みの件。

そこでも元ネタと指摘されていのが http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/B&HEye2.htm
(またはそのページであげられている参考文献) なんだけど、上に引用した唐沢俊一の
文章の中でこのページからのコピペとわずかな修正ですませることのできた箇所は数
多く、「ペテン師」、「プロイセンのフリードリヒ大王」、「国外追放」、「イギリスのサミュエ
ル・ジョンソン」、「ずうずうしさが無能を圧倒した例」、「バッハは脳卒中」、「ヘンデルは
緑内障」、「バッハは手術から4ヶ月後」、「ヘンデルは、8年間生き延びた」などなど。

しかし、下に引用する文章からのコピペだとすると、解せないのは「法王庁」が「法皇庁」
に化けてしまっていること。(「そもそも『法皇』って仏門に入った上皇のことだぞ」――と
いう話については http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/446260 を参照のこと)。

http://www.tcat.ne.jp/~eden/MM/B&HEye2.htm
>依頼内容
> バッハとヘンデルはバロック後期の2大巨匠ですが、二人の生涯は奇妙な符合を
>見せています。 生まれた国(ドイツ)が同じなら、生まれた年も同じで、しかもどちらも
>晩年に視力を失うという悲運に見舞われています。

>  ところで、妙な噂を聞きました。 この二人、失明したのはどちらも目の手術の失敗
>が原因で、しかもその手術は両方とも同じ医者が担当したそうではないですか。

> 二人とも、この手術がもとで死ぬか作曲人生を終えるかしました。 二人の大作曲家
>の目をつぶして死に追いやったこのとんでもない奴は、一体どこのどいつなんでしょう
>か?
〈略〉
> こいつの名前はジョン・テイラーといって、ペテン師に等しいやぶ医者でありました。 
>彼に盲目にされた人々は数えきれず、同じイギリス人のサミュエル・ジョンソンはテイ
>ラーのことを「ずうずうしさが無能を圧倒した例」と呼んでおります。
> にも関わらず、テイラーは「法王庁、皇帝、王侯後任の眼科医」「光学教授」その他
>もろもろの称号を帯び、大量のお共を連ねて各地を練り歩いては、さらに称号をかき
>集めました。

> 聡明なプロイセンのフリードリヒ大王は、1750年4月にテイラーに王室眼科医の称号
>を与えた時、
>「さあ、お前の欲しい物は与えた。 以後この国では目の治療を行うな。 破ったら縛り
>首にするぞ。 余は国民を余自身と同じように愛しておるから」
>と彼に言い渡し、国外に追放しました。

> しかし、残念なことにバッハはフリードリヒ大王のようにテイラーの正体を見抜くこと
>は出来なかったのであります。

> 1749年5月、バッハは脳卒中で倒れ、視力が急低下していきます。 そこへ名眼科
>医というふれこみでやってきたのがテイラーでした。
> 1750年3月にライプツィヒにやってきたテイラーに、バッハは治療を頼みました。 
>診療代は文字通り“目が飛び出すほど”高く、2回に渡る手術はひどい激痛を伴うもの
>でした。
> 手術後、テイラーは記者会見を行い、手術は成功でバッハの視力は完全に回復し
>た、と自慢げに発表しております。

> ところがバッハの目はちっとも見えるようにならなかったのでありました。 テイラー
>の帰国後バッハを診察したライプツィヒ大学医学部のクヴェルマルツ教授は、「テイ
>ラーの手術は完全に失敗で、バッハは後炎症などの後遺症に悩まされ続けている」と
>証言しました。
> そして、65歳の高齢をおして大手術を受けたバッハは体力消耗がひどく、目の手術
>から4ヶ月後の7月28日にとうとう亡くなったのであります。

> その2年後の1752年、ジョン・テイラーは性懲りもなく今度はヘンデルの前に姿を現
>しましたのであります。

> ヘンデルの視力はオラトリオ「イェフタ」を作曲中の1751年2月頃から低下の一途を
>辿り、その夏に有名な眼科医サミュエル・シャープの治療を受けたのでありますが、
>緑内障で「もう治る見込みはない」と言われたのでした。

> 翌1752年8月にはヘンデルも脳卒中で倒れ、遂に視力を失いました。 そこで二人
>の眼科医がヘンデルの目の治療に当たりました。 一人は前に皇太子の侍医をつと
>めたウィリアム・ブロムフィールド、そしてもう一人があのジョン・テイラーだったのであ
>ります。

> ブロムフィールドは11月3日にヘンデルの目を手術しました。 視力は一時回復した
>かと思われましたが、結局目は見えるようにはなりませんでした。
> この時テイラーも手術をしたかどうかは定かではありませんが、やった可能性はあり
>ます。

> 屈強なヘンデルはバッハと違い、危険極まりないいかさま師に目をいじくられながら
>もその後8年間も生き延びたのであります。 しかし失明のため、以前のように旺盛に
>作品を生み続けることは出来なくなってしまったのであります。
〈略〉
>《主な参考文献》
>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善 1991年
>エルネスト・W・ハイネ(市原和子訳)『音楽ミステリー 大作曲家の死因を探る』 
>音楽之友社 1986年


上に引用の文章では、「テイラーも手術をしたかどうかは定かではありません」となって
いるが、Wikipedia の方ではヘンデルは「1758年の夏、タンブリッジ・ウェルズで眼科医を
名乗るジョン・テイラーにより手術を受けたが成功しなかった」としている。まあ「8年間も
生き延びた」と書いている (コピペしている?) 唐沢俊一は、1758 年手術説は採用しな
かったか、説自体の存在をしらなかったか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
>1751年に左眼の視力を失い、間もなく右眼の視力も悪化し、1752年に完全に失明し
>た。その後1758年の夏、タンブリッジ・ウェルズで眼科医を名乗るジョン・テイラーに
>より手術を受けたが成功しなかった(ジョン・テイラーは大バッハにも同様の手術を
>施して失敗している)。翌1759年、体調の悪化により死去。享年74。



で、パクリ元有力候補の方には存在しなかった「バッハの視力の低下の原因は、食い
すぎによる糖尿病」との記述だが、これは単独でみればガセとも言い切れない。

http://www.gmcle.com/diabetes/blog/archives/120/
>バッハは美食家としても有名でした。教会のオルガン奏者として招かれた際の晩餐会
>でのメニューの記録が残っているのですが、
〈やたら数が多いので略〉
>を一人で平らげたそうです。
>晩年は、糖尿病に悩まされました。バッハは後年体調を崩し、『フーガの技法』の第
>239小節までを書いて、糖尿病が原因と考えられる白内障の併発でほとんど失明状
>態になりました。1750年7月28日に脳卒中の発作のため世を去った。65歳でした。
>バッハの遺体が、1894年にライプツィッヒの聖ヨハネ教会で発掘されました。そのけっ
>か、やはりかなりがっちりした体格だということが報告されています。また、正真のバッ
>ハの肖像画といわれているものをみても、顔もふくよかであったそうです。不謹慎です
>が、この髪の毛がカツラに見えるのは私だけでしょうか?
>西欧の人の2型糖尿病の典型ですね。晩餐会での食事はすごいごちそうですね。


まあ晩年のバッハが糖尿病にかかって視力が低下していて、さらに「脳卒中で倒れ、
視力が急低下」したのだという解釈も成り立つかもしれないけど、唐沢俊一の文章は、
そういうスタンスで書かれているものとも思えない。「三合でも下戸」や「複数候補の
存在する『ノーベル賞最大の汚点と呼ばれた事件』?
」のエントリーで取り上げた件と
同様の混ぜるな危険のパターンで、整合性を考えないで複数のソースから引っ張って
きたのが敗因ではないかと。

他に、パクリ元有力候補の方にはないけれど唐沢俊一の文章には存在する要素として
は、「当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず」と、「治療してもらい」、
「治療してもらった」。

後者については、「音楽の父・バッハと音楽の母・ヘンデルの運命を変えた、その男」に
「ペテン師的な渡り医者」と自分で書いておいて、「治療してもらった」もないだろうと思う
が、こちらはまあ唐沢俊一の文章が下手だからという、いつもながらの話として。

「当時はマスコミがなかったために、彼の評価は広まらず」の方は、「法皇庁、皇帝公認
の称号を得た医師と評判が高く」と唐沢俊一自身書いている (「評判が高く」は、コピペ
ではない) が、マスコミがないと悪い評価にかぎって広まらないという主張なのかとか、
フリードリヒ大王がテイラーを国外追放したのはバッハの手術よりも後のことだぞとか、
パクリ元有力候補の方には「手術後、テイラーは記者会見を行い」と書いてあるのが
とか、いろいろと言いたくなってくる。

「当時はマスコミがなかった」を是とするか非とするかは、「マスコミ」をどう定義するかに
よるとも思うけど、18 世紀のヨーロッパの富裕層には、新聞に書かれているような情報
はそれなりに行き渡っていたのでは。

http://ja.wikipedia.org/wiki/マスメディア
>マスメディアは、新聞社、出版社、放送局など、特定少数の発信者から、一方的かつ
>不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど
>のメディア(媒体)を指す。 マスメディアにより実現される情報の伝達を「マスコミュニ
>ケーション」という。


http://ja.wikipedia.org/wiki/新聞
>中国の唐の時代の713年~734年頃に作られた『開元雑報』が世界で最初の紙で作ら
>れた新聞であるとされる。日本には現在の新聞と似たものとして瓦版が存在し、木製
>のものが多かった。現存する最古の瓦版は1614年~1615年の大坂の役を記事にした
>ものである。
>ヨーロッパでは15世紀に活版印刷術が発明された。16世紀にはドイツの「フルークブ
>ラット」など、ニュースを記述したビラやパンフレット形式の印刷物が出版された。17世
>紀半ばには、ニュース本が定期的に出版されるようになった。特にイギリスでは清教
>徒革命や名誉革命を通じてニュース出版が発展し、日刊新聞や地方週刊新聞も出版
>されるようになった。18世紀には、いろいろな新聞を読み放題のコーヒー・ハウスが登
>場した。裕福な商工業者であるブルジョワジーが新聞を元に政治議論を行い、貴族の
>サロンと同じように論壇を形成した。19世紀には、日曜新聞のような大衆新聞が成長
>した。印刷機の発達やロール紙の採用、広告の掲載などにより労働者階級に低価格
>で販売できるようになった[1]。



おまけ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/サミュエル・ジョンソン
>「腐敗した社会には、多くの法律がある。」
>「政府は我々を幸せにすることはできないが、惨めな状態にすることはできる。」
>「結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。」
>「怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。」
>「あらゆる出来事のもっともよい面に目を向ける習慣は、年間1千ポンドの所得よりも
>価値がある。」
>「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくては
>ならない。」
>「過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き春にして人は花なり。」
>「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるもの全てが
>あるから。(ジョンソンの言葉で最もよく引用される言葉)」(When a man is tired of
> London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. )
>「地獄は善意で敷き詰められている。」(Hell is paved with good intentions.)
>「愛国心は悪党が最後に逃げ込む場所だ。」(Patriotism is the last refuge of a
> scoundrel. )
>「信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。」(There can be no friendship
> without confidence, and no confidence without integrity. )



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