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2010.06.22 (Tue)

三合でも下戸

『史上最強のムダ知識』 P.192

酒豪だった横山大観は、87歳の時、重態に陥ったが、酒を一合飲んだら
恢復した。


『史上最強のムダ知識』 P.193

酒豪・大観ならではの豪快さである。
でも実は、彼は元々、下戸だったのだ。

 この後も、朝一合、昼二合、夜二合と、酒だけ飲んで健康を取り戻した
という。
 その後大観は、急性気管支炎がもとで90歳で他界するが、遺体を解剖
すると肝臓は健康、他の内臓も60代の若さだった。
 こんな大観だが、もともとはあまり酒が飲めなかった。
 師匠の岡倉天心に「どのくらい飲むか」と聞かれ、「三合くらいです」と
答えたところ、「そんな情けない酒なら飲むな」としかられた。この後、
一念発起して酒の修行を始め、後に「酒仙」と呼ばれるまでになった。


「元々」と「もともと」の表記不統一は原文ママ。

「三合くらい」飲める人間のことは、普通「下戸」とはいわないのではないかなあ……。

下記に引用する Wikipedia の記述でいうように、「猪口2~3杯で真っ赤になってしまう
下戸」というなら、わかるけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/横山大観
>大変な酒好きとして知られ、人生後半の50年は飯をほとんど口にせず(たまに食べる
>時も一粒二粒と数えるほど)、酒と肴だけで済ませていたという。飲んでいた酒は広島
>の『醉心』で、これは昭和初期に醉心酒造の社長・山根薫と知り合った大観が互いに
>意気投合し、「一生の飲み分を約束」した山根より無償で大観に送られていたものだっ
>た。しかし山根は年に四斗樽で何本も注文が来るので驚いたという。代金のかわりと
>して大観は毎年1枚ずつ自分の絵を無償で送り、結果、醉心酒造に大観の記念館が
>できることとなった。もっとも、最初から酒好きだったわけではない。若い頃は猪口2~
>3杯で真っ赤になってしまう下戸だった。しかし師の岡倉天心は日に2升ともいわれる
>酒豪であり、「酒の一升くらい飲めずにどうする」と大観を叱咤したため、飲んでは吐き
>ながら訓練した結果であった。なお昭和30年頃までは毎日約1升もの酒を飲んでいた
>が晩年は量も減り昭和32年頃になると1日に4合飲むのがやっとだったという。最晩年
>の昭和33年になると1日に5勺(1合の半分)しか酒を飲めなくなっていた。


「株式会社 醉心山根本店」――後述するが「酔心」ではなく「醉心」――のサイトの中の
ページでも、「猪口2、3杯で赤くなっていた」という話になっている。

http://www.suishinsake.co.jp/taikan/taikan1.htm
>横山大観は日に二升三合、晩年でも一日一升は飲んでいたという酒仙。
>こういうと大観は大酒呑みのように聞こえますが、若い頃は全くの下戸で猪口2、3杯
>で赤くなっていたと言われています。
>当時美術学校の校長であった岡倉天心に「一升酒ぐらい飲めなければ駄目だ」と言
>われたのきっかけに酒に強くなっていったとのこと。


一方で、「三合くらい」と答えたとしている資料も存在するので、「三合」というのがガセ
とはかぎらないかなという気はしている。……ただし、さすがに「三合」説をとっている
人で、当時の大観を「下戸」だったと書いている人はいないようだ。

http://www.bar-yuzan.com/topics/topics.cgi?page=70
>師匠の岡倉天心に「君はどのくらい飲むのか」と聞かれ「三合くらい」と答えた。
>師は「そんな酒ならやめてしまえ」と言われ修行を積んだと言う。
>80歳を超えてからのインタビューで「今は一日一升ぐらいです」と答えたという。


http://blogs.yahoo.co.jp/peri1224a/4399047.html
>また、ある著名画家の学生時代の回顧譚に、どのくらい飲(い)けるかねと訊かれて、
>正直に「三合ぐらいです」と天心に答えたら「そんな酒なら止めてしまえっ!」とカミナリ
>を落とされ肝をつぶしたとも伝える。


http://matsuri.xii.jp/standard/std11.htm
>みづちひであき (ホームページ:鉄血くだらな帝國) 98/09/13(日) 02:41
>1升以上
>ぜったい一升以上です。
>なぜならば岡倉天心が若き日の横山大観に
>「おまへは酒をどのくらひ呑むか?」と聞き、
>大観が「はあ、三合くらひでせう」と答えたら、
>岡倉は「たはけ者!一升以上呑むんでなければ酒を呑んだといふな!」
>と激怒したからです。
>大観はその後めでたく一日二升の大酒呑みに育ち、死んだときは
>体内にアルコールが浸透しているため3日たっても腐らなかったそうです。
>だから私は大酒呑みではありません。
>たとえガンマGTPが200を突破しようとも。


ちなみに、すぐ上に引用した書き込みは、これ↓を書いた人のものだったり。
- http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d407.htm
- http://www.asahi-net.or.jp/~BH3H-SMJY/zuiso/d408.htm


なお、「87歳の時、重態に陥ったが、酒を一合飲んだら恢復した」、「朝一合、昼二合、
夜二合と、酒だけ飲んで健康を取り戻した」、「急性気管支炎がもとで90歳で他界する
が、遺体を解剖すると肝臓は健康、他の内臓も60代の若さだった」の部分は、Wikipedia
にはなく、「株式会社 醉心山根本店」との記述とは内容に多少のズレがあるが、これの
ネタ元は山田風太郎の『人間臨終図鑑』か、その元となった近藤啓太郎著『大観伝』
ではないかと思われる。

『人間臨終図鑑』 山田風太郎 P.456
>大観は、昭和三十年春八十七歳のとき、病臥して重態におちいったが、その病床で酒
>を求め、飲みほすこと一合、以後奇跡のように快方に向って、その怪物ぶりに医者を
>驚かせた。彼は平正から「米のエキス」と称して一日一升の酒を欠かさなかったが、そ
>のあとも朝一合、昼晩各二合の酒を主食とし、飯も粥も副食物もほとんどとらずに回復
>し、三十二年の春には「山川悠遠」、秋には「不二」を描くほどになった。
〈略〉
> しかしそのあと急性気管支炎にかかってふたたび病床につき、翌昭和三十三年二
>月二十六日午前零時五十一分に永眠した。死後解剖したところ肝臓に何の異常もな
>く、他の内臓も六十代の若さだったという。(主として近藤啓太郎『大観伝』による)


『人間臨終図鑑』も『大観伝』も、『史上最強のムダ知識』に参考文献として名前があげ
られているわけではない (そもそもあげられている参考文献などない) のだが……。

「醉心山根本店」の方の記述だと、『人間臨終図鑑』ほど言葉の選び方が似ていないし、
「酒だけ飲んで健康を取り戻した」ようには書かれていない。

http://www.suishinsake.co.jp/taikan/taikan2.htm
>亡くなる二年前、薬や水さえ受け付けなくなくなって重体となったときでも、醉心だけは
>のどを越したといい、それをきっかけに翌日からは果物の汁や吸物などが飲めるよう
>になり、一週間後にはお粥を食べれるまでになったとの記録も残っています。



『史上最強のムダ知識』 P.192

 大の酒豪で、毎日二升三合を飲んだ。晩年には1日一升の酒と肴が
主食だったという。
 広島の「酔心」という銘柄を好み、このことを知った蔵元の酔心酒造は、
彼に一生タダで酒を送ることを約束した。が、数ヶ月おきに四斗樽(約72
リットル)の注文が届き、蔵元を驚かせたという。またこの礼に、大観は
毎年1枚、酔心酒造に絵を寄贈していた。


×酔心 ○醉心

前述の通り、「株式会社 醉心山根本店」のサイトでは、「醉心」との表記。

http://www.suishinsake.co.jp/suishin/suishin.html
>日本画の巨匠、横山大観が終生愛飲したお酒として有名な醉心は、広島県の代表酒
>として、全国にシェアーを持ち、国内外に高級酒として戦前より広く知られております。


「銘柄を好み、このことを知った蔵元の酔心酒造は、彼に一生タダで酒を送ることを約束
した」という記述も、少しどうかと思う。

Wikipedia には、「昭和初期に醉心酒造の社長・山根薫と知り合った大観が互いに意気
投合し、『一生の飲み分を約束』した山根」――と書かれているが、「醉心山根本店」の
サイトの方にも、横山大観と山根薫が直に会って意気投合した様子が書かれている。

http://www.suishinsake.co.jp/taikan/taikan2.htm
>醉心山根本店の東京販売店にいつも酒を買いに来る上品な女性がいた。どなたかと
>店の人が尋ねたところ横山大観の夫人だという。

>興味を持った薫が大観の自宅に伺い酒造りの話をしたところ、名人は名人を知るとい
>うことかたちまち意気投合。
>『酒づくりも、絵をかくのも芸術だ』と大観は大いに共鳴した。感動した薫は、一生の飲
>み分を約束した。

>一生の飲み分を約束して以来、大観は醉心に毎年一枚ずつ作品を寄贈してくださり、
>それが集まって「大観記念館」ができあがりました。


「銘柄を好み、このことを知った」というだけで、「一生タダで酒を送ることを約束」した
というのよりは、ずっと説得力があるんじゃないかと思う。

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Comment

「三合飲んで下戸」というのも、文脈とか前提条件とかによってはアリの場合もあるかと思います。今回の唐沢俊一の文章では、そういうものいっさい抜きで、三合くらい飲むという人間を下戸扱いしているのが変な点で、まさに、

>三合がどの程度の量か知らないか
>下戸の意味を知らないかのどちらかなんだろうなと

としか思えないですよね。

どうしてこういう文章になったかというのは、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-388.html
などと同様、「混ぜるのは適切ではない記述同士を継ぎはぎコピペしたために、何かおかしなことになった」のではないかと想像しています。

「『君はどのくらい飲むのか』と聞かれ『三合くらい』」と答えた」と、「全くの下戸で猪口2、3杯で赤くなっていた」とか書かれていた別々の資料をおそらく読んでいて、「三合くらい」、「でも実は、彼は元々、下戸だったのだ」という出力にしてしまったのではないかと。
トンデモない一行知識 |  2010年06月27日(日) 01:28 |  URL |  【コメント編集】

三合飲んで下戸とは普通はありえない判断だけど

三合がどの程度の量か知らないか
下戸の意味を知らないかのどちらかなんだろうなと

たとえばこれが、「三合が限界ですそれだけ飲めば足元がふらつきまっすぐ歩くのも困難です」と言う答えなら
下戸と呼ぶのも間違いとまでは言わないが
受け答えからして普通に三合ぐらい飲むと言うだけで
それが限界とはまるで言っていないわけで
下戸と判断するのはあまりにもおかしいですね。
金平糖 |  2010年06月26日(土) 19:34 |  URL |  【コメント編集】

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