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2010.05.17 (Mon)

日本の八百屋にはニンニクを「人肉」と書く店がある (中野美代子『カニバリズム論』より)

「社会派くん」の Web 連載。
http://www.shakaihakun.com/vol100/02.html

村崎 〈略〉要するに格差がすごくて、バブルでいい目を見た一部の人間
以外は、あいかわらず貧しくて世の中に対する恨みつらみがすごいらしい。
先月なんか、自分の病気を治すために子供殺して食べちゃった男までい
たし。

唐沢 近代と前近代が入れ替わらないまま、平行して同じ地平でずっと
続いている国なんだね。

村崎 おそらく悪気はないんだけど、「食うに困ったら他人を殺して金
奪ってもいい」って意識がデフォルトになっちゃってるお国柄なんだと
思うんだわ。「それほど大きな罪の意識を持たずに、他人の命を躊躇
無く奪える」って、すげえ国民性だわ。理想的な鬼畜国家じゃないか?
人口があふれかえりすぎて弱肉強食は当たり前の世界っていうか。

唐沢 パール・バックの『大地』とか読むと、あの国においては飢饉と
いうものが凄まじい暴威をふるっているよね。毛沢東時代に起きた中国
全土での飢饉では2千万人から5千万人という国民が餓死したらしい。
……こういう国土にいると、生き延びるために他人を犠牲にしても仕方
ない、という思想が定着してしまうよねえ。

村崎 遊牧民の皆さんが、羊を家族同様に可愛がって育てながらも、
「じゃあ食うか」って時になったら、それこそ我々が便所に行った後に手を
洗うみたいに、ごく自然にあっさり首切って殺して皮剥いで美味しく頂い
ちゃうような感覚に近いものがあるんじゃないかね。だからどんなに略奪
殺人が多くても、あの国では「凶悪」というよりも「生きるための当たり前
の行為」であって、ぶっつまったらそれが当たり前みたいな感覚になって
いるんだと思う。良いとか悪いとかじゃなく「生きる術」の選択肢の一つに
すぎないと。

唐沢 『三国志』なんか読んでも、曹操に追われて劉備玄徳が逃げ込んだ
家の主人が、食べさせてあげるものがないからって、自分の妻を殺して
その肉を劉備に献上して、劉備はその行いに感動してその男の息子を取り
立てたという話が美談として残ってる。

村崎 日本の武士がそんなことやられたら、「この悪鬼が!」ってその男を
切り捨てるぜ。その感覚からしてもう、違ってるんだよな。


×『三国志』 ○『三国志演義』等、Wikipedia を劣化コピーしているぞ――という話は、
藤岡真blog」の「唐沢俊一中国を語る」のエントリーを参照のこと。

で、上に引用したやり取りでは、「すげえ国民性だわ。理想的な鬼畜国家じゃないか?」
と、とにかく中国人は酷いぞ凄いぞと悪口をいいたいらしいのだが……。

少し困るのは、唐沢俊一は「飢饉というものが凄まじい暴威をふるっているよね」などと
語り、村崎百郎は「家族同様に可愛がって育てながらも、『じゃあ食うか』って時になった
ら〈略〉ごく自然にあっさり首切って殺して皮剥いで美味しく頂いちゃうような感覚」と言い
出すものだから、別に中国にかぎった話ではなく、日本だって他人事 (他国事?) ではな
い話になってしまいそうなこと。

日本でも天明や天保の大飢饉などは有名だし、そのときに「人肉を食べた」という話が
Wikipedia にも載っていたりする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム#.E6.97.A5.E6.9C.AC
>確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。また天明の
>大飢饉の際には1784年(天明四年)弘前で人食いがあったと橘南渓が『東遊記』で
>述べている[7]。


羊はともかく鶏あたりなら、家で飼っていたものを「あっさり首切って殺して皮剥いで美味
しく頂いちゃう」なんてことは、日本でも全然珍しい話ではないし。というか村崎は、家畜
として大切に育てることと、ペットとして「家族同様に可愛がって育て」ることを、区別しよ
うとしないで語っている気が。

まあ、同じようなレベルのことをいっている 2 人だけど、「自分の病気を治すために子供
殺して食べちゃった男までいたし」と話を振りながらもカニバリズムについて話すことを
避けているふしのある村崎に対し、唐沢俊一は一応、「自分の妻を殺してその肉を劉備
に献上して」――と、Wikipedia からの劣化コピーながら、人肉食いについて語る意欲を
チラリとみせているようなのが、少し異なっている。

カニバリズムでも、『アンデスの聖餐』のようなケース、つまり飢えで極限状態にいたった
場合は、下記でいう「誰にでも等しく起こり得るケース」となるので、それ以外の動機の
ある場合とはまた別に扱うのがよいと思われる。「自分の病気を治すため」や「食べさせ
てあげるものがない」には、下でいう「自分の生命を繋ぐため」の要素が多少含まれると
しても……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/アンデスの聖餐
>『アンデスの聖餐』(アンデスのせいさん、原題LA ODISEA DE LOS ANDES)は、1972
>年10月13日にウルグアイからチリに向かった旅客機が遭難し、雪山で生き残った乗
>客たちが、死体を食糧にして生還したウルグアイ空軍機571便遭難事故を描いた
>1975年のブラジル制作のドキュメンタリー映画。この事件は他にも『アンデス地獄の
>彷徨』、『生きてこそ』など、何度か映画化されている。


http://panorama.dip.jp/hanbaku/hanbaku.htm
> 人が人を食う設定としては、大きく三つに分かれる。即ちこの三つである。
>①他に食うものがないから食う。
>②宗教的な理由により食う。
>③食いたいから食う。
〈略〉
>①はいうまでもない。「アンデスの聖餐」「メデュース号の筏」等で有名な、事故等で
>他に食べるものはなく、自分の生命を繋ぐためにやむを得ず食べるというケースで、
>極限状態においてならば、誰にでも等しく起こり得るケースと言える。


では、「他に食うものがないから食う」以外の場合について、中国は他の国とは異なるか
どうかについては、少し長くなるが上記のページから続けて引用してみることにする。

http://panorama.dip.jp/hanbaku/hanbaku.htm
> そしていよいよ③「食べたいから食べる。」というケースについてである。このケース
>はさらに次のように細分することができよう。
>①おいしいから食べる。食べられるから食べる。
〈略〉
> さて①の「おいしいから食べる。食べられるから食べる。」というケースだが、まず言
>わねばならないのは『所謂人食い人種なるものは存在しない』ということだ。所謂蕃地
>において欧米人冒険家や宣教師が記録したものが多々有るが、彼らが大きな先入観
>・差別意識に捕らわれており、また彼等自身が見聞したケースは絶無であるということ
>がまず一点である。しかしじゃあ中国人はどうなんだという事になるだろう。実際、中
>国において人間を食うことに不快感を感じている文章は極めて少ないと言う。『韓非
>子』の一節に「易牙、君(桓公)のために味をつかさどる。君の未だかって食わざるとこ
>ろはただ人肉のみ。易牙、その首子(長男)を蒸して之を進む」とあるのはともかく、こ
>の件に対する管仲の評が「主人のためとはいえ自分の子を殺して料理するする冷酷
>な男に誠の忠などできる訳が無い」と言うのだ。つまり人間を食うことそのものについ
>ては何の非難もされていない。〈略〉そしてその挙げ句が水滸伝の『人肉饅頭』である
>が、これにしたって武松(だったっけ?)が怒るのは人を殺したということと汚い商売をし
>たと言うことで、人肉饅頭そのものは嫌悪感など感じずぱくついているように見える。
> こう書けば何たる博覧強記と驚くかもしれないが、種を明かせば中野美代子著の
>『カンバリズム論』(福武文庫、きっと絶版)なる本に皆書いてあって、全てその引き写
>しである。なお中野美代子は危ない人ではなく私の愛読する立派な中国文学の学者
>で、北大の教授でもある。〈略〉
> そんなことはともかく中野美代子は、この書のなかで恐るべき主張をしている。「中
>国人について真に恐るべきは、中国人が恐るべき記録マニアであるということである」
>と。つまり中国人が異常なのは人を食ってきたということではなく、通常の社会ならば
>人肉に対する禁忌が浸透してくれば深く秘して歴史の闇の中に葬り去られるべきこの
>様なことを、逐一記録して残してきたことなのだと言うのだ。こんなことは世界のどこで
>も有ったというのだ。そして私は次のような記録がある以上、この主張に肯首せざるを
>得ない。

> 橋本昌樹と言う人の書いた『田原坂』(中公文庫)という本が有る。〈略〉この本が参考
>としている資料の一つに川口武定という二等司契(軍の後方管理に当る役職で階級は
>少佐相当)の書いた『従征日記』という本が有る。この本の書き方は極めて客観的で
>伝聞情報はその旨を記すなど非常に信頼をおける書き方がして有り、本書でも度々
>引用されている。その中に川口武定自身の見聞でこういう記述が有るのだ。
>  田原坂の戦いが終わって戦線が熊本城に向かって南下しつつあるある日、本営の
>ある植木の近郊のある村に出張して休んでいると、二人の懲役人の軍夫が傍らで立
>ち話をしていた。良い肉が手に入ったから一緒に食おう。しかし肝の方は先客があっ
>てもう取られていた、と。〈略〉問い詰めればすぐに薩摩軍の兵士の死体から切り取っ
>た肉で有ることを白状した。そこで死体の有る処につれていかせてその死体をその肉
>とともに埋葬したが、肝はついにもどらなかった。
> 以上である。恐ろしいのはこの軍夫たちの行動以上に、川口司契が即座に『これが
>噂に聞いた人肉嗜食か』と覚っていると言うことだ。つまり明治初期の人間にとって、
>日本人が人間を食べるということが、嫌悪感を伴いながらも、十分にあり得る事態と認
>識されていたと言うことなのだ。


何だかまた日本の話にブーメランという感もあるけど、おいといて。

唐沢俊一以外が紹介していれば、もっと売れていた気がする『綺想迷画大全』」という
エントリーを以前書いたことがあるが、その『綺想迷画大全』の作者である中野美代子
は、『カニバリズム論』という本も書いていたという件について。

こちらのエントリーにも引用したが、唐沢俊一の裏モノ日記に、「昔つきあってた子(中野
美代子の姪)」というかたちで登場した、あの中野美代子である。

http://www.tobunken.com/diary/diary20000505000000.html
>よくとってあったと思う古い手紙類なども出てくる。昔つきあってた子(中野美代子の
>姪)から来た、私が結婚するときの恨み綿々の手紙とか。


この中野美代子については今年の 1 月に、あれこれ調べて2ちゃんねるのスレに書き
込んでくれた人(たち)がいるのだけど (Read More 参照)、その中には、一時期唐沢俊一
と親交のあった佐川一政が、人肉の味についての「手紙を、フランスのサンテ刑務所の
独房で書いて、中野美代子に送っている」という話もあった。

http://akademeia.info/index.php?%BF%CD%C6%F9
>・中野美代子が「女の肉は羊よりうまい」と書いてある。
> ・これを読んだ佐川一政は、次のような書き出しから始まる手紙を、フランスのサン
>  テ刑務所の独房で書いて、中野美代子に送っている。
> ・「羊よりうまいか…僕は心の中で何度もその「味」を空想しました。羊、羊、羊…
>  そしてある日、それを確かめるべく、僕は行動に移したのです」〈略〉
> ・「人肉を、あなたは羊の肉の味に似ているのではないかと想像しておられました
>  ね。ある部分でそれは当たっています。口に入れたとき、それはカーッと燃えるよう
>  に熱く感じました。でも、それも今となって単なる錯覚だったような気もします。あな
>  たの言葉の端が僕の頭の隅に残っていて、そんな気にさせただけのことかもしれ
>  ない。
> ・それでも、人肉への思いを熱くするあなたに応えるべく、僕はそのときの味を何と
>  か伝えたいと思って筆をとったのです。いずれにせよ、それは強いにおいも味もな
>  かったように思います。牛肉に一番近かったように感じますが、いわゆる肉の味は
>  そんなになかったです。あんまりあっけなく喉もとを過ぎてしまったので、僕は心の
>  中で思わずアッと叫んだほどでした」


そして、「中野さんの他の著書が閣下のネタ元になってる可能性もあるのではないか」
という声もあったが、今回の社会派くんでの唐沢俊一の発言を読むと、唐沢俊一は中野
美代子の『カニバリズム論』を読んでいないか、読んでも内容が頭に残っていない可能
性が高いと思う。

読んでいたとしたら、似たような (?) 話は『韓非子』や『戦国策』にもあるのに、どうして
わざわざ Wikipedia の『三国志演義』の話を引っ張ってくるのかがわからないのだ。
Wikipedia にはちゃんと「こういった小説(いずれも宋代以降)の記述を人肉食の証左と
できるかは疑問が残る」と明記されているのに……。

『カニバリズム論』 P.33
> 呉虞は「喫人と礼教」(一九一八年)という文章で、そうだ、全く魯迅の言うとおりだ、
>中国人はむかしから礼教(儒教)を口では説きながらその口で人肉を食っていたの
>だ、その事実を証明しよう、というわけで古書の中からいくつも証拠を引用した。〈略〉
> たとえば、呉虞の引く『韓非子』の中の一節「易牙、君(桓公)の為に味を主どる。君
>の未だかって食わざる所はただ人肉のみ。易牙、その首子を蒸して之を進む」(易牙
>のことは「狂人日記」にも出てくるが)を見られるがよい。〈略〉
> これは呉虞があげていない例証。『戦国策』に見える。楽羊が魏の大将として中山
>を攻めた。楽羊の子はそのとき中山にいたが、中山の城主がその子を煮殺して肉汁
>をつくり楽羊に進呈したところ、楽羊はそれを食べたというのである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム#.E4.B8.AD.E5.9B.BD
>小説にも人肉食に関する記述は多い。〈略〉『三国志演義』には「劉備が曹操に追わ
>れてある家に匿われた時に、その家の主人が劉備に献上する食料がなく妻を殺害
>し、その妻の肉を劉備に献上しそれに感動した劉備はその後その家の主人を高官に
>した。」との記述があり、吉川英治も自訳の該当箇所で中国の食人文化について触れ
>ている。ただし、こういった小説(いずれも宋代以降)の記述を人肉食の証左とできる
>かは疑問が残る。


小説にしても、「近代と前近代が」どうのこうのというなら、魯迅の「狂人日記」にでも言及
すればよかったような気もするし。

さらにいえば、「自分の病気を治すために子供殺して食べちゃった」という事件があった
のならば、『本草綱目』をスルーしているのも解せないような……「人肉をはじめ人間
由来の漢方薬」についての話は Wikipedia でも言及されているのだけど、実はこちらも
読んでいないか、読んでも頭にはいっていない――というオチなのかもしれない。

『カニバリズム論』 P.92
> 明代の李時珍による『本草綱目』は、全五十二巻から成る壮大な博物誌である。
>ひらたくいえば漢方薬の材料となる万物を、水・火・土・金・石・草・穀・菜・果・木・
>服器・虫・鱗・介・禽・獣・人に分類して詳述する。最後の五十二巻「人部」は、頭髪
>にはじまり人尿・経血・涙・陰毛など三十五種に及ぶ人体各部あるいは分泌物の
>薬物としての効用を説くが、ここにも正真正銘の「屎リアリズム」が厳として見られる。
>その最後に「人肉」の項があり、孝子が親のけつ疾をなおすために自分の股の肉を
>割いて食べさせるという事例についての批判が見える。料理の材料であるとともに、
>人肉は薬物でもあったのだ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム#.E4.B8.AD.E5.9B.BD
>明の時代の李時珍による『本草綱目』52巻人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方
>薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤と
>してもてはやされた。


で、『本草綱目』にそのようなことが書いてあるとすると、薬としての人肉食いについても
日本は他人事 (他国事) ではないのではないかと思ったら、やっぱりそうみたい……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム#.E6.97.A5.E6.9C.AC
>昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという都市伝説を信じて、土葬された遺体を
>掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたり
>して逮捕されていたことが新聞で報道されている(「明治大正昭和 事件犯罪大辞典」
>「新聞集成 明治編年史」)。


More...

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1263552276/
-------
744 :無名草子さん:2010/01/17(日) 23:41:47
中野美代子『天竺までは何マイル?』2000、青土社
p.70「 私の実母は、私が三歳のころ旧満州で死んだ。実父が「満州国」の軍人であったこともあって(ry」
p.217「 結婚経験のない女性(私もそのひとり)は」

プライバシーに関する情報はこれくらい。”実母”、”実父”と書いてるのが少し気になる。

あと、この本ではカンニバリズム、纏足、「東方見聞録偽書説」等にも触れられていてもしかしたら中野さんの他の著書が閣下のネタ元になってる可能性もあるのではないかと思ったり。

蛇足だけど↓の一文読んで俄然完訳西遊記を読みたくなった(p.33)
> 『西遊記』を訳すのは、ほんとにしんどい。しかし、おもしろい。訳しながら、とくにおもしろいと感じるのは、猪八戒がいるときである。「こいつ、またへんなこというんじゃないか」と期待して訳していくと、案のじょう、八戒のやつがくだらんことをいうのである。

778 :無名草子さん:2010/01/18(月) 01:31:04
これは偶然?
佐川ー唐沢の関係には中野さんが関与してるのか?
唐沢検証にとって中野美代子さんってもしかして滅茶苦茶重要なんじゃないか?

http://akademeia.info/index.php?%BF%CD%C6%F9
# 中野美代子が「女の肉は羊よりうまい」と書いてある。

* これを読んだ佐川一政は、次のような書き出しから始まる手紙を、
フランスのサンテ刑務所の独房で書いて、中野美代子に送っている。
* 「羊よりうまいか…僕は心の中で何度もその「味」を空想しました。
羊、羊、羊…そしてある日、それを確かめるべく、僕は行動に移したのです」
* その手紙には次のように続いている。
* 「人肉を、あなたは羊の肉の味に似ているのではないかと想像しておられましたね。
ある部分でそれは当たっています。口に入れたとき、それはカーッと燃えるように熱く感じました。
でも、それも今となって単なる錯覚だったような気もします。
あなたの言葉の端が僕の頭の隅に残っていて、そんな気にさせただけのことかもしれない。
* それでも、人肉への思いを熱くするあなたに応えるべく、僕はそのときの味を何とか伝えたいと思って筆をとったのです。
いずれにせよ、それは強いにおいも味もなかったように思います。
牛肉に一番近かったように感じますが、いわゆる肉の味はそんなになかったです。
あんまりあっけなく喉もとを過ぎてしまったので、僕は心の中で思わずアッと叫んだほどでした」


# 佐川一政は『中野美代子さんへの手紙』の「フェティシズムとしてのカニバリズム」にこう書いてある。

* 「人肉はさほどうまくないのである!ぼくはうまい、うまいといって食べたけれど、事実は、まずい!!」
* つまり、人肉がうまいというのはあくまで話であり、事実ではない可能性もあるわけである。

-------

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1264084003/
-------
68 :無名草子さん:2010/01/22(金) 19:29:45
中野美代子『あたまの漂流』2003,岩波書店
本文にプライバシーに関する記述無し、
ただし「あとがき」p.270に
「二〇〇三年四月、母一周忌に」とある。

>744 名前:無名草子さん メェル: 投稿日:2010/01/17(日) 23:41:47
> 中野美代子『天竺までは何マイル?』2000、青土社
> p.70「 私の実母は、私が三歳のころ旧満州で死んだ。実父が「満州国」の軍人であったこともあって(ry」

実母は1936年頃に亡くなってる様なので2002年4月に亡くなったのは継母という事になるのか。
関連情報ぐぐってみたが該当記事等みつからず。
もし訃報記事がでていたなら、中野美代子さんの兄弟姉妹のお名前もわかるかもしれない。
この件、下世話とは認識しており、不快に思う方がいれば申し訳なく思うが
藤岡真ブログでも言及されてるとおり
唐沢の中野さんへのこだわりは非常に興味深いので調査は続けさせて頂く。
おしかしたら唐沢のアカデミズム嫌いはもちろん学歴コンプレックスに
その源を見る事はできるのだろうが
中野さんの姪、本人あるいはその著書が原因の一端となっているのではないか
との想像もできるのではないか。

69 :68続き(参考資料):2010/01/22(金) 19:30:40
過去スレ
>おもろいかどうかわからないけど、あのころの彼はまあ、ドンファン
>でしたよ。ただ、おっかけのひとりで、札幌在住の高名文学者の娘が
>いて、彼女がつきまとって、結局、唐沢氏を追って東京にまでついて
>いってしまった。これを切るのに唐沢氏は相当苦労したみたいです。
>彼女いま、4こままんがを描いているらしいが。

過去スレ
>昔つきあってた子(中野美代子の姪)から来た、私が結婚するときの恨み綿々の手紙とか。

錯乱狂気
>北大名誉教授の中野美代子の著書『綺想迷画大全』を読めば、こういうプロでない視点の面白みをたっぷり味わうことができる。

朝日書評
>恥を忍んで告白するが、印象派の絵画というのがよくわからない。ルノワールもセザンヌも、いい絵
>だとは思うのだが、別に面白みが感じられず、展覧会などに行っても、ひとわたり見た後で、ベンチ
>に座って同行者が見終わるのを退屈しながら待っているのが常である。だが、これがダリのような超
>現実派や、また聖画、歴史画などの展覧会なら、何時間見ていても飽きないのだから、その絵の嗜好
>(しこう)の偏りには我ながら呆(あき)れる。

> ……こういう人は実は多いのではないか。と言うより、本書の著者である中野美代子氏はまさにそ
>ういう方だとお見受けしたが、どうだろう。つまり、絵画であれ音楽であれ、芸術を感性でなく、
>“知性”で鑑賞するタイプだ。芸術に意味を求める一派と言ってもいいかもしれない。前口上にある、
>「勝手に自分の論理を展開することの快楽を得られる絵画」こそが自分にとっての名画なのだ、とい
>う言い切りにそれは表れている。

78 :無名草子さん:2010/01/22(金) 23:57:53
>>68
乙でした。
自分の仕事、というか天命を分かっている人は
『自分語り』
などいたずらに公にはしないものなのですね。
正に女性の品格を備えた才女。
テンテーの側にはいないタイプ。
やっぱり、ふられたのはテンテーで、勝手に相手からのお手紙を脳内で変換してるんだと思う。
テンテーと関わりがなくなった方が幸せだもの、絶対。

225 :無名草子さん:2010/01/24(日) 22:51:26
>>68 自己レス
朝日新聞縮刷版で中野さんの養母(継母?)の訃報を探してみたがみつからず
地元には古い北海道新聞は置いてないので、朝日のみ。
姓が異なる可能性、北海道以外に住んでいた可能性もあるけど
もしよろしかったらどなたか2002年4月の北海道新聞を調べていただけないだろうか
訃報が載っているとしたらきっと「中野美代子さんの養母」等の表記があるだろうから。
喪主がわかればもしかしたら姪へのヒントにもなるかもしれないので
興味がある方はよろしくお願いします。

> 中野美代子『あたまの漂流』2003,岩波書店
> 「二〇〇三年四月、母一周忌に」とある。
> > 中野美代子『天竺までは何マイル?』2000、青土社
> > p.70「 私の実母は、私が三歳のころ旧満州で死んだ。実父が「満州国」の軍人であったこともあって(ry」
>
> 実母は1936年頃に亡くなってる様なので2002年4月に亡くなったのは継母という事になるのか。
> 関連情報ぐぐってみたが該当記事等みつからず。
> もし訃報記事がでていたなら、中野美代子さんの兄弟姉妹のお名前もわかるかもしれない。

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Comment

>ラーオさん
>自分も知性で芸術を鑑賞する知性派だと言いたいようですね>唐沢

思わず笑ってしまいましたが、的外れな自慢話の巻き添えをくった中野美代子氏のことを考えると、笑ってばかりはいられないのかも……。

唐沢俊一の場合、印象派ではなくて、好きだというシュルレアリスムについてもこういう感じで↓

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-182.html
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-184.html

やれ SM だ、怪獣だと、他のものとからませるしかできないみたいで。それが唐沢俊一流の知性派の鑑賞なのかなと思ったりはします。SM や怪獣に言及することは悪いことともかぎりませんが、唐沢俊一の文章を読んでいると、絵それ自体をあまり楽しめない人が、他のものをいろいろ引っ張ってきてお茶をにごしている感じがしてしまいます。
トンデモない一行知識 |  2010年05月18日(火) 08:16 |  URL |  【コメント編集】

>藤岡真さん

どうもです。(_ _)

本に書いてあったのは以下の文章でした。

『カニバリズム論』 P.82 ~ P.83
> いつだったか、某家庭誌の読書欄に、「近くの八百屋の店札にこんな札が
>ぶらさがっていました」とて、写真が添えられていた。見ると、「人肉」あります」
>――似たような八百屋さんは、よくあるものらしい。言語関係の雑誌でも、同様の
>投書を見かけたことがある。
> ちなみに、強烈なにおいをもつあのユリ科の植物「大蒜」「蒜」を、日本語で
>どうして「ニンニク」というのかというと、仏家の言葉の「忍辱」をあてたのだそ
>うだ。仏家では、蒜や葱や韮など臭気の強い野菜五種を五葷と呼んで、これを
>食するのを禁じているが、なまぐさ坊主どもがこっそり隠れて食べるからである。
>それにしても、八百屋に「人肉あります」とは、なかなかのユーモアではあるま
>いか。私なんぞは、この一行をぶらさげるためだけに、八百屋を開業したい
>気がする。

中野美代子氏は「この一行をぶらさげるためだけに、八百屋を開業したい気が」と
書いていたりしますが、もつ焼き屋開業にも興味を示されるかもしれません (?)
トンデモない一行知識 |  2010年05月17日(月) 23:31 |  URL |  【コメント編集】

>つまり、絵画であれ音楽であれ、芸術を感性でなく、
>“知性”で鑑賞するタイプだ。芸術に意味を求める一派と言ってもいいかもしれない。

つまり、自分も知性で芸術を鑑賞する知性派だと言いたいようですね>唐沢
そんなことに中野美代子先生のご本を利用するとは、なんと卑しい根性でしょう。
それにしても、印象派の面白みがわからないのにいい絵だと思うって、どういうことだ。利口ぶっても、馬鹿丸出し。
ラーオ |  2010年05月17日(月) 19:16 |  URL |  【コメント編集】

●人肉

>ニンニクを「人肉」と書く店がある

 昔、渋谷宇田川町のもつ焼き屋に表記している店がありました。正しく「大蒜」と書けたら、人肉一串サービスでした。
藤岡真 |  2010年05月17日(月) 13:18 |  URL |  【コメント編集】

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