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2010.04.29 (Thu)

井上ひさしについても時空を歪ます

http://www.tobunken.com/news/news20100426190045.html

同人誌
2010年4月26日投稿

遅筆過ぎた男(訃報 井上ひさし)
私の一生のうちの三分の一は、この人の才能に驚いてばかりだった。
『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョこそ人生で最初に
「こういう人になりたいものだ」
とあこがれた人物だった。
『長靴をはいた猫』を観たときは、こういう映画を自分は作りたいんだ、
と真面目に思った。
『ブンとフン』を読んだときは、小説は真面目でなくてはいけない、という
概念をぶち壊された。
『表裏源内蛙合戦』を読んだ(戯曲集で)ときには、舞台というものは
ここまで楽しいものなのか、と思った。
『ムーミン』の主題歌を聞いたときには、あそこまで単純な歌詞をあそこ
まで技巧的に使う、そのテクニックに舌をまいた。
『薮原検校』を観た(舞台で)ときには、ここまでどろどろとした人間の
怨念を笑いで表現することが可能なのか、と驚いた。

井上ひさしの才能は本当に輝いていた。こういう人を天才と言うのだろう、
と素直に信じていた。

あれ? と思い始めたのは『四捨五入殺人事件』くらいからだっただろうか。
面白いことは面白いのだが、あまりに露骨に農家を国の政策の被害者という
神聖な立場に置き、無謬に彼らの行なうことを正当化しているその姿勢に
首をかしげざるを得なかった。そのちょっと前あたりから、氏は如実に、また急速に
反戦反核、反体制の典型的知識人へと傾斜していっていた。

反戦平和もいいだろうが、彼の説く平和理論はあまりに理想的に過ぎ、
また原理的に過ぎて、ツッコミを入れるというより先に論理が破綻しており、
こういうことに関して書くとき、この人は理性というものが働かなくなる
のではないか、とさえ思わせた。
北朝鮮への経済制裁にも真っ先かけて反対を唱えていた。かの国が農本主義
の国だからだろう。

そして、そのあたりから、彼の書く作品は首をかしげざるを得ない
ものが多くなっていった。
平行して、彼の遅筆は加速され、書けないいらつきを家庭内暴力
で発散させるようになり、妻や娘たちにも背かれていった。
『圓生と志ん生』は、満州に渡った昭和の落語の二大名人を主役に据える
という素晴らしいアイデアをさっぱり活かしていない凡作で、
しかも、新聞の批評に“落語の知識がない”とけなされたことをよほど腹に
据えかねたのか、単行本のあとがきに、それへの反論“のみ”を激語で書き
つけるという異常ささえ見せていた。

僕の、あのあこがれの作家だった井上ひさしはどこに行ってしまったんだ、
とずっと思ってきた。好きだったから、ずっと読み続けてはいたけれど、
読み続けること自体が苦痛になってきていたのがこの十年の年月だった。

4月9日死去、75際。
75という享年はいかにも若い。しかし、何か訃報を聞いて、
ホッとしてしまった、というのが正直なところなのが
悲しくてたまらない。

井上ひさし関係の作品でベストを一作上げれば、必ずしも傑作では
ないけれど、甘くほろ苦い青春時代を描いた『青葉繁れる』を
あげたい。岡本喜八の映画化作品がまた、テンポよくこの作品をまとめて
映像化していて、佳作という言葉がにあう、素晴らしいものだった。

冥福を祈る、とはクリスチャンである氏に使うのは適当でない言葉かも
しれないが、今はただ、あの世で政治や戦争のことは頭から洗い流し、
あの才知の冴え渡った初期脚本の輝きをまた取り戻して欲しい、と
切に祈るものである。

http://megalodon.jp/2010-0429-2056-06/www.tobunken.com/news/news20100426190045.html

×75際 ○75歳
×『薮原検校』  ○『藪原検校』
×『圓生と志ん生』  ○『円生と志ん生』

前エントリーと同様、唐沢俊一が自分のサイトのなぜか「同人誌」のコーナーに、「2010
年4月26日投稿」の追悼文を五連発しているうちのひとつ。

「75際」はまあ、単純な誤変換なのだろうけど、よりによって「何か訃報を聞いて、ホッと
してしまった、というのが正直なところ」とか不穏当なことを書いているその近くでやらか
さなくともよいような気がする。「薮原検校」や「圓生と志ん生」は、マジで間違えている
可能性が高い気もするが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/藪原検校
>『藪原検校』(やぶはらけんぎょう)は、井上ひさしの戯曲。
>1973年(昭和48年)に「西武劇場オープニング記念・井上ひさし作品シリーズ」の第1
>弾として「五月舎」の制作により初演(木村光一演出)し、好評を得る。それ以降も「地
>人会」の制作で繰り返し上演される人気演目となり、1990年にエディンバラ国際芸術
>祭にて最優秀演劇賞を受賞、香港、ニューヨーク、ロンドン、パリなど世界各都市で上
>演されている。2007年にはホリプロ / Bunkamuraの制作で、蜷川幸雄の新演出によ
>る公演が行われた。


http://www.amazon.co.jp/dp/4087747654
>円生と志ん生
>(単行本)井上 ひさし (著)
〈略〉
>発売日: 2005/8/5


それ以上に、「『薮原検校』を観た(舞台で)」は「舞台で観た」ではいけないのですか、
「『表裏源内蛙合戦』を読んだ(戯曲集で)」は「戯曲集で読んだ」ではいけないのです
か――と“仕分け”したくなるような気もするのだが、おいといて。


それよりも気になるのが、井上ひさしが「反戦反核、反体制の典型的知識人」であった
ことへの非難に行数の多くをついやす構成のまずさ――いくら左翼嫌い、共産党嫌いの
唐沢俊一の文章としても、これは少し酷過ぎるのではないかと――と、何だかまた時空を
歪ませているのではないかという疑惑についてである。

前者については、褒める言葉に比べて非難する言葉の割合があまりに多いバランスの
悪さのせいで、「僕の、あのあこがれの作家だった井上ひさし」という唐沢俊一の言が、
説得力をいちじるしく欠くものになってしまっていると思う。

そして、後者についてはまず、「私の一生のうちの三分の一は、この人の才能に驚いて
ばかりだった」と唐沢俊一は書いていることに違和感がある。

唐沢俊一が褒めている作品は、1960 年代後半から 1973 年頃までのものにのみ集中
しているのだ。1958 年生まれの唐沢俊一は 1973 年の時点で 15 歳。……まあ、現在
51 歳の唐沢俊一は、自己イメージではまだ 45 歳くらいのままであると考えれば、それ
なりに辻褄はあう (?) のかもしれないが。

以下、Wikipedia (http://ja.wikipedia.org/wiki/井上ひさし) からの引用。

>ひょっこりひょうたん島(1964 - 1969年 山元護久と共作。NHK総合テレビ)

>ブンとフン 1970年 朝日ソノラマ のち新潮文庫

>ムーミン(1969年 『ムーミンのテーマ』作詞他)

>表裏源内蛙合戦(1970年初演 テアトル・エコー。熊倉一雄演出)

>藪原検校(1973年初演、木村光一演出)

>青葉繁れる 1973年 文藝春秋 のち文庫 岡本喜八監督で映画化

>四捨五入殺人事件 1984年6月(新潮文庫)


または、「あれ? と思い始めたのは『四捨五入殺人事件』くらいからだっただろうか」
とも書いているので、この作品までは「この人の才能に驚いてばかりだった」ということ
なのかな――とも思ったが、『四捨五入殺人事件』は 1984 年の作で、このとき唐沢俊一
は 26 歳の計算。これだと「私の一生のうちの三分の一」ではなく、「私の一生のうちの
二分の一」ということになってしまう。

三分の一だ二分の一だという問題以外にも、1969 年当時の11 歳くらいの唐沢少年の
感想として、『長靴をはいた猫』を見て「こういう映画を自分は作りたいんだ、と真面目に
思った」とか、ムーミンの主題歌を聞いて「あそこまで単純な歌詞をあそこまで技巧的に
使う、そのテクニックに舌をまいた」いうのは少し不自然な気がしたし、1970 年発表の
「『ブンとフン』を読んだときは、小説は真面目でなくてはいけない、という概念をぶち壊さ
れた」とは、小学生の頃から「ユーモア小説をクリスマスプレゼントでもらった」りしていた
12 歳の少年の感想としては、ちょっとないのではないかと思ったりする。

http://ja.wikipedia.org/wiki/長靴をはいた猫
>長靴をはいた猫は、東映動画(現・東映アニメーション)の長編アニメーション。1969年
>(昭和44年)『東映まんがまつり』の内の一作として公開された作品。通称長猫。DVD
>は2002年7月21日発売。原作をベースに、宇野誠一郎の音楽や歌、また井上ひさし、
>山元護久の脚本によるストーリー、東映動画黄金時代のアニメーターによる作画など
>により、『わんぱく王子の大蛇退治』、『太陽の王子 ホルスの大冒険』、『どうぶつ宝
>島』などと並んで第一級の作品として定評がある。


『古本マニア雑学ノート 2冊目』 P.116
>これは小学生になってからだが、岩波書店から出ていた『ゆかいなホーマーくん』と
>いうユーモア小説をクリスマスプレゼントでもらったときにはうれしくてうれしくて、宝物
>のように大事にしていた。



もっと時系列的にわけがわからないのが、「読み続けること自体が苦痛になってきていた
のがこの十年の年月だった」のくだり。

唐沢俊一は、「そのあたりから、彼の書く作品は首をかしげざるを得ないものが多くなっ
ていった。」とか書いているが、「そのあたり」とかいっている『四捨五入殺人事件』は、
前述の通り 1984 年のもので、10 年どころか 20 年以上前の作品である。

また唐沢俊一の文章でいう「書けないいらつきを家庭内暴力で発散」は、西舘好子著
の『修羅の棲む家』が出版された 1998 年 (12 年前) よりもさらに前、井上ひさしが
直木賞を受賞した前後の頃からというから、1972 年――唐沢俊一が「この人の才能に
驚いてばかりだった」頃――にはすでに……という計算になる。

http://www.amazon.co.jp/dp/4893612700
>修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした (単行本)
>西舘 好子 (著)
〈略〉
>内容(「MARC」データベースより)
>直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした。作家とは、狂気が乗り移り、その狂
>気によって何ものかを作る人なのだろうか-。大騒動の離婚劇を演じた著者が、井上
>ひさしとの波乱の日々を、懐かしさを込めつつ回顧する。
〈略〉
>出版社: はまの出版 (1998/10)


唐沢俊一は、その家庭内暴力と、2005 年に単行本が発売の『圓生と志ん生』 (正しくは
『円生と志ん生』) とが、ほぼ同時期のできごとのように書いているので頭が痛い。仮に
『修羅の棲む家』が出版された 1998 年の頃を、「妻や娘たちにも背かれていった」時期
として解釈するとしてもなお、『円生と志ん生』とは 7 年の開きがあるし、「この十年の年
月」の中にはおさめられないし。


で、もしかしたら一番トンデモないのは、「新聞の批評に“落語の知識がない”とけなさ
れたことをよほど腹に据えかねたのか、単行本のあとがきに、それへの反論“のみ”を
激語で書きつけるという異常ささえ見せていた。」というあたりの記述かもしれない。

『円生と志ん生』の後書きは読んでいないのでどれだけ凄いものかはわからないのだが
(←おい)、とにかく唐沢俊一的には、書評でけなされたことの「反論“のみ”を激語で書き
つける」のは、「異常ささえ見せていた」との非難にふさわしい行為ということらしい。

しかし、唐沢俊一は、かつて自分が『星を喰った男』の「文庫版あとがき」を、「Yという
ゴロ」や、「唐沢という男は潮健児を私物化している」と非難したファンたちへの、恨み
つらみの言葉で埋めたことは……多分異常だとは思っていない。少なくとも、唐沢俊一
自身がそれを反省したようなことを書いているのは読んだことがない。逆に、Yという
心霊ゴロについての罵倒は、『唐沢俊一のカルト王』など別の本で繰り返したりしては
いたけど。

『星を喰った男』の「文庫版あとがき」 2 ページ目
星を喰った男を食い物にした男、唐沢俊一

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Comment

>NNT さん
……そういえば、そうですね。井上ひさし氏を尊敬していた人が読んだら最後、激怒しても全然おかしくない内容だと思いますし。

このような文章をアップして平気なのは、自分のサイトの文章を読まれる確率を低く見積もっているせいかもしれませんし、唐沢俊一自身は酷いことを書いているという自覚がないせいかもしれません。

とってつけたような、「井上ひさしの才能は本当に輝いていた」や、「僕の、あのあこがれの作家だった井上ひさし」というのは、実は唐沢俊一なりに精一杯気をつかって書いた結果だった……とか。
トンデモない一行知識 |  2010年05月02日(日) 18:07 |  URL |  【コメント編集】

井上ひさしの追討文を本多劇場関係者が読んだら、ルナが本多劇場グループの小屋に出禁になるとか思わないのかな>唐沢氏。
妨害をする金を出さない旦那芸も大概にした方が良いですよね。しかも自称プロデューサー。
NNT |  2010年05月02日(日) 14:18 |  URL |  【コメント編集】

>やまださん
>偏向報道が多い

うーん、まあ、どうも自分は心情左翼の気が強いらしく、あまり偏向報道とも感じない、いわれてみれば偏向しているのかもしれないがそんなに気にならない、ってのがあるので、実はよくわかりませんが。むしろ産経とか、唐沢俊一を重用している週刊新潮のような、右っぽいものの偏向の方が気になるくらいで……すみません。


> 若い人たちにとって、演劇というと3の小劇場のイメージが強いので
>しょうが、現実に職業としての演劇が成立するのは2から上です。

ああ、そういうものなのですか。私は昔、劇団のみで食べていくことができるのは、劇団四季に所属しているメンバーくらいという噂 (?) を鵜呑みにしていました。^_^;


> ルナは20年続いているそうですが、過去の上演記録を見ると、東京
>劇術劇場へ進出した時期もあったようですから、3から2にステップアップ
>しようとしたけど無理だった……というのが現状だと思います。

> で、藤岡さんのところでも書きましたが、ただのオタク評論家ならいざ
>知らず、芝居をやっていて、自分でも劇作・演出をやる人間が、こんな
>「井上ひさし」の追悼文を書くのは間違ってます。
> ずっと3の小劇場の世界にいるのならいいですが、2や1の演劇人には
>相手にされなくなると思います。

確かに、最近の唐沢俊一の入れ込みようからすると、作家の余技という言い訳もききにくく (本人は永遠のお客様という感もありますが)、何か「間違って」いるのではないかと、ずぶの素人の私も思います。

井上ひさしどころか、唐沢俊一が新感線の悪口を日記でやったりしているのも、偉そうに言える立場ではないだろうに……と呆れる気持ちが先に立ちます。

ただまあ、「2や1の演劇人には相手にされなくなる」については別に気にしないのではないかと思います。井上ひさしを追討しようがしまいが、相手にされないのは同じではないかと思いますため。


>>唐沢俊一の場合、「自分の好き嫌い」最優先ですらないような気がしています。
>おそらく、ろくに「読んでいない。観ていない」のだと思います。
>『円生と志ん生』だけ、落語に対する興味から観てみようと思ったということ
>だと思います。

正直に告白すると、『吉里吉里人』を大学の先生が絶賛→いさんで図書室で読み始める→生まれてはじめて本を最後まで読み通せなかったという挫折体験という道をたどった私は、井上ひさしを敬遠してきたので、あまり唐沢俊一のことはいえないのですが……。でも、『円生と志ん生』は読んでみようかなと思って Amazon で注文したら、ついでに以下のような書評を発見↓

http://www.amazon.co.jp/dp/4087747654
>「落語についての広範囲の知識もなしに落語の戯曲を書いてる(大意)」
>という新聞劇評に対し、「芝居の流れを崩さないために情報を削るのは
>常識。演劇を知らずに劇評するな(大意)」とあとがきで反撃しています。
>よほど腹に据えかねたのでしょう。

平凡な言いまわしとはいえ「腹に据えかね」という表現が一致していますし、落語の知識うんぬんといっておきながら具体的なことを書いていないのは変だというのもありますし、これだけを読んで“追討”したという可能性も無視できないのではないかと……。

「反論“のみ”を激語で書きつけるという異常さ」というのは唐沢俊一オリジナルみたいですが、
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20100501/1272721709
を見るかぎり、それはデマとしかいえないしろものみたいですし……。
トンデモない一行知識 |  2010年05月02日(日) 00:32 |  URL |  【コメント編集】

>演劇の世界のことは、コミケを含む漫画の世界にも似ているような気がします

 むしろ、マスコミ界、特に新聞業界を想像して下さい。
 偏向報道が多いのは、今のデスククラスの人々が、学生闘争世代だからです。
 劇団などの年輩の方々は、あんな感じです。

>そのような「『左翼寄り』の人々」が冷戦時代にそんな多数派だったとはかぎらなくて、だから自民党が長期政権をとっていたりしたのではないでしょうか。

 逆を言えば、55年体制当時、国会議席の三分の一が革新勢力でした。
 当時の左翼勢力は、「共産党」だけではなく、反自民(反体制)のグループ全て、つまり「社会党+共産党+アルファ」です。
 これらの三分の一の革新勢力を観客にしていたのが、いわゆる戦後演劇だと考えていただければ良いと思います。
 なぜ東京の劇団が、知り合いのいない地方の公演でも観客を集めることができたかと言えば、当時の各地の労働組合が組合員を動員してくれたからですから。
 また体制側(自民党)を支持する人々でも、体制側に対する批判を聞くのは好きという人もいて……完全にマスコミと同じ構図ですね。
 反体制的な態度を貫くことで、観客を集めていたのが当時の演劇です。
 完全に商売でやっている人もいたでしょうが、ガチガチの社会主義者も多かったと思います。
 社会主義リアリズム演劇連盟(だったか協議会か)の加盟劇団が全国にありましたから。
 現在でも、地方によっては県主催の市民ミュージカルなどの仕事を、そういう社会主義劇団の人が独占していたりします。
 ですから、80年代小劇場ブームまで、演劇関係者=左翼シンパという時代は確かにありました。
 もちろん現在でも、年輩の人には、その傾向は残っていると思います。

現代の演劇界は大雑把に3つに別れています。
(あくまで私の解釈です。)

1.大劇場の演劇
 歌舞伎・宝塚・商業演劇などで、資本の大きい興行会社が主催します。
 劇場の規模は、一千席以上。
 主演は元映画俳優やテレビスター。少なくても誰もが名前を聞いたことのあるレベルの俳優。
 公演は、大都市の大劇場で一ヶ月単位。

2.中劇場の演劇。
 主に新劇団(文学座・俳優座・青年座・民芸)や、小劇場から発展した劇団(野田とか鴻上とか松尾とか)の公演。
 または中規模の興行会社、あるいは演劇プロデューサーが俳優・スタッフを集めて行う公演。
 劇場の規模は、数百席。
 主演は、テレビで何となく見たことのあるレベルの俳優。
 公演は東京で二週間程度+地方公演。(地方公演で稼がないと、黒字が出ない)

3.小劇場の演劇。
 主に若い人たちが集まって作った劇団やプロデュース公演。
 劇場は五十席~百五十席くらい。
 公演は、ほぼ一週間以内。週末が多い。
 最初から赤字というか、出演者のチケット・ノルマで何とか運営する。

※3からスタートして、2へステップアップした劇団・演劇人は多い。
 2から1の人に声を掛けられて、1の仕事をした演劇人も多い。ただし、1での公演の主体はあくまで興行会社。
 人数としては3→2→1の順で少なくなっていく。

 若い人たちにとって、演劇というと3の小劇場のイメージが強いのでしょうが、現実に職業としての演劇が成立するのは2から上です。
 都市部で 若者や大学生を観客にしている小劇場の演劇と、地方公演も含めて、オジサン、オバサン層をメインターゲットにしている中劇場以上の公演では、観客動員数も、経済規模も全く違うからです。

 そして、現在の演劇界の団体のトップや、何かしらのコンクールなどの審査員、国費留学や助成金などの審査の際の有識者は、みんな2の人々です。
 また、1の演劇に新しい人材を送り込むのも2の演劇です。
 そして2の演劇の人々にとっての、いわば一時代のヒーローが「井上ひさし」でした。

 ルナは20年続いているそうですが、過去の上演記録を見ると、東京劇術劇場へ進出した時期もあったようですから、3から2にステップアップしようとしたけど無理だった……というのが現状だと思います。
 唐沢は駅前劇場での公演をすごいことのように書いていますが、確か本多劇場グループは1公演の観客動員が1000人を越さないと、さらに上の劇場にはステップアップさせなかったはずです。
 この間のルナの公演は6回公演ですから、駅前劇場(160席)×6回=960名。
 満員だったとしても1000名には届きません。
 つまり、次の駅前劇場の使用は約束してもらえたけれど、次へのステップアップはできないレベルの劇団です。
 いや、これで橋沢氏がまだ30代なら、将来性があると言えるのですが……元・演劇スタッフとしては、「20年やってて、その位置でいいのか?」という思いはあります。
 また、このレベルの劇団なのに、演劇コンクールを開催したり、結構な授業料の演劇教室をやっているのも、正直、呆れています。

 で、藤岡さんのところでも書きましたが、ただのオタク評論家ならいざ知らず、芝居をやっていて、自分でも劇作・演出をやる人間が、こんな「井上ひさし」の追悼文を書くのは間違ってます。
 ずっと3の小劇場の世界にいるのならいいですが、2や1の演劇人には相手にされなくなると思います。
 84年以降の井上ひさしの仕事を全否定しているわけですから。

私は、「井上ひさし」の作品は決して好きではありません。
しかし、「井上ひさし」の劇作家としての腕前は一流です。
また、84年以降の井上ひさしの腕が落ちたとは到底思えません。

>『吉里吉里人』を完全スルーしているのも個人的には「あれ?」と思いました。
 多分、読んでいないか、読んでも意味が判らなかったのでしょう。

>唐沢俊一の場合、「自分の好き嫌い」最優先ですらないような気がしています。
 おそらく、ろくに「読んでいない。観ていない」のだと思います。
『円生と志ん生』だけ、落語に対する興味から観てみようと思ったということだと思います。
 そして、「井上ひさし」が、唐沢の目の届く範囲では露出が減ったのを、作品の質が落ちたと勝手に考えて、
>読み続けること自体が苦痛になってきていたのがこの十年の年月だった。
 ということにしたのだと思います。
やまだ |  2010年05月01日(土) 19:07 |  URL |  【コメント編集】

>金平糖さん
私は「ブンとフン」は未読なので (_ _);、それ自体についてはあまりあれこれいえないのですが……。
# ただいま到着まち。読んだら何か書くかもです。

自分は未読のまま、勝手にお勧め↓
http://fueiku.cocolog-nifty.com/diary/2010/04/post-257b.html


>本当に読んでいないのか、読んだけど何も読み取れなかったかは
>わかりませんが

今回、少し気になったのは、清水一行の方では、映画化された方の『女教師』について長く語ったり、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-440.html

井上ひさしの「ベストを一作上げれば」 (挙げれば?)、これも映画化された『青葉繁れる』で、「岡本喜八の映画化作品がまた、テンポよくこの作品をまとめて映像化していて」とか映画の話になっていたり、についてです。

唐沢俊一の頭だか心だかに届かせるには、映像化された作品でないと難しいのかも――という仮説でも立てようかと思いました。

文章では伝わらない、映像なら伝わるというのは、『トンデモ版 ユーチューブのハマり方』の方で繰り返されている主張でもあります。もちろん、本のテーマからいって動画をヨイショというのはわかるのですが、文章で食ってきた人にしては、やたらあっさりと文章の限界を低めに見積もるものだなあという違和感がありました。……これは、受け手としての唐沢俊一の資質によるものではないかと。
トンデモない一行知識 |  2010年05月01日(土) 14:04 |  URL |  【コメント編集】

>やまださん
数字や事実の裏付けが今ひとつの聞きかじりと想像メイン (_ _); でいうのを許していただけるのなら、お書きになっている演劇の世界のことは、コミケを含む漫画の世界にも似ているような気がします。戦争で酷い目にあってコリゴリな表現者やその予備軍が多かったせいもあるのかなと想像したりしています。

でもまあ、「反戦・反核、反体制」的なところは自分にもありますが、そのような「『左翼寄り』の人々」が冷戦時代にそんな多数派だったとはかぎらなくて、だから自民党が長期政権をとっていたりしたのではないでしょうか。

そして小林よしのり以後も、心情左翼に反発する人たちの表現の場所はそんなに多くなく、率直にいって表現者の人材も不足しているのではないかなあ……と。ネトウヨとかいうように、2ちゃんねるの特定の板やスレではやたら目にするけど、それ以外の場所ではそうでもないような。

でも社会派くんの 2 人は、2ちゃんねるの中でもその手の場所によくいっているせいなのでしょうか、心情右翼の人の割合を多めに見積もり過ぎる傾向があると思っています。

http://dorobune.at.webry.info/200803/article_13.html
>参議院選挙のところでネット世論みたいなものを二人ともちよっと信じて
>いたようなところがあって、そこはちよっと恥ずかしいですね。村崎百郎は
>2ちゃんあたりで人気だった維新政党・新風が比例で議席を獲得することを
>密かに期待していたみたいです。「ネット世論=一般的な世論」と言う感じ
>ではないところが難しくかったり、面白かったりするところだったりするの
>ではないでしょうか。

上の元の対談のページは見つけられなかったけど、維新政党・新風が思ったより票を獲得できなくて意外みたいなことをいっていたのは覚えています。

ええと、それで何がいいたいのかというと、唐沢俊一が左翼嫌いなようなことを書くのは、彼なりに読者に媚びようとしているから――というのが大きいのではないかと。インテリは敵だの唐沢俊一が左翼嫌いでもおかしくないですし、学生時代の日教組な先生が嫌いだったというのも嘘ではないかもしれませんが、本物の (?) のネトウヨの人の文章に見られるような感情のほとばしりもさほど見られず、ダラダラと薄ぼんやりしたことを書き連ねているようにしか見えないため。

たとえば、去年の忌野清志郎のときは、こういうことをいっていたり↓

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-100.html
>非戦、反原発と私のスタンスとは真逆の政治的立場に立っていたが、
>しかしロックミュージシャンとしての反体制のスタンスとしては
>それは極めて正しいもので、よくある“スタイルとして“反権力を謳っている
>連中とは一線を画していると思った。

>政治的ロックアーティストとして、その行動と芸術的活動が一貫している
>人間を、私は日本人としては彼以外に、指を折って数える程しか知らない。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-100.html#more の中の2ちゃんねるの書き込みでは、881 さんの「唐沢が非戦とか、反原発とか、何か発言とか行動した事あったっけ?」「いったいどんな真逆の政治的立場で運動していたんだよ、教えてくれ。」とかいうのもあります。

確かに、ふだん唐沢俊一が頻繁に自分の「政治的立場」を表明しているわけでもなく、その割には他人の訃報に際して、反「反戦・反核、反体制」を唐突に持ち出してくるような感じがしています。

要するに、唐沢俊一がその手のことを書くのは、彼の脳内読者へのサービスと、それとまあ、他に書くこともないから字数稼ぎで――ということではないかと思います。

どうせ字数を稼ぐのなら、DV からみで、進歩的文化人のオモテで主張していることの綺麗さと本人の実像とのギャップとかブチ上げればよかったのに、とも思いますが、それをやるだけの度胸もないのが唐沢俊一の素敵なところかもしれません。


>きちんと評価され、観客を集め続けたからこそ、井上作品は上演され
>続けたのですから。
>それも旧作の再演でなく、死の前年まで新作を書き続け、上演しています。

>自分の好き嫌いの前に、他人が評価しているものを尊重することが何故
>できないのでしょう?

1984 年よりも前、1981 年の『吉里吉里人』を完全スルーしているのも個人的には「あれ?」と思いました。唐沢俊一は SF 界隈の人という先入観 (誤解?) がなかなか抜けないせいかも……。

で、おっしゃることはごもっともなのですが、唐沢俊一の場合、「自分の好き嫌い」最優先ですらないような気がしています。井上ひさし自身のことが嫌いでたまらないとか特に強い感情をもっていたのなら、彼の普段の文章力から想像するに、もっと恨みドロドロw なものができあがってきてよさそうに思いますため。

偉大な人をとにかく“追討”したいという意志の方は伝わってきますが……。それと、「あの世で政治や戦争のことは頭から洗い流し、 あの才知の冴え渡った初期脚本の輝きをまた取り戻して欲しい」とかいう、天国でビシバシ働けよオラといわんばかりの偉そうなダメ出しは浅倉久志氏のときのそれと同じですね。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-395.html

まさか「ひさし」つながりだからではあるまいな……とは思いますが。

まあこの手の物言いも、どうせ僕もすぐにそこにいきますからとか一言そえてもらえば、印象はずいぶん違ったのかもしれないとも思います。
トンデモない一行知識 |  2010年05月01日(土) 13:32 |  URL |  【コメント編集】

「ブンとフン」読んでるようには思えないですね。
あの軽快で痛快でいい加減ででたらめでおよそ小説とは呼べない何かは
しかし誰がなんと言おうが小説であり中が小説なだけでなく
外から眺めた小説とは何かという概念が中に詰まっているという
とりあえず子供の頃に夢中になって何度も読んだもので
年をとってから読み返すと感動で涙が止まらなかった。
思わずブンにほれそうになってしまうわけだが

>『ブンとフン』を読んだときは、小説は真面目でなくてはいけない、という概念をぶち壊された。

「誰の書いた感想を読んだんですか?」と聞きたくなりますね。

本当に「ブンとフン」を読んだなら
盗作なんてしちゃ自分の価値を下げるだけだってわかるでしょう。
そして井上氏がこのころからすでに反体制派だってわかるはずでしょう。

本当に読んでいないのか、読んだけど何も読み取れなかったかはわかりませんが
もう一度しっかり読み直して見てほしいところですね。
金平糖 |  2010年04月30日(金) 04:20 |  URL |  【コメント編集】

 唐沢氏の追討文では、井上氏は「『四捨五入殺人事件』を書いた1984 年あたりから「反戦反核、反体制の典型的知識人へと傾斜した」と、まるで転向したかのような記述なっていますが、それは唐沢氏の勝手な思い込みに過ぎません。

 井上氏は最初から反体制で左翼寄りの人物です。
 というか、井上氏の世代で、反体制の左翼シンパでない演劇人なんていないです。

 そもそも戦後の現代演劇は、日本の左翼運動と切っても切れない関係にありました。
 それこそ、大手の新劇団から小さなアングラ劇団まで、当時の演劇関係者はみな、俳優座の千田是也をリーダーにして、反体制・社会主義思想の側にいました(商業演劇と特殊なケースである四季を除きます)。
 今の若い人たちには想像できないでしょうが、55年体制が崩壊するまで、「左翼寄り」の人々が日本中にかなり大きな割合で存在していました。
 戦後の現代演劇は、ずっと、そのような「心情左翼」の人々を主な観客としていました。ですから、公演される芝居が「反戦・反核、反体制」的になるのは当然です。
 特に、当時、劇団の財政を支えていた地方公演は、各地の労働組合の協力なしには運営できませんでしたし(労演)、もう一つの稼ぎ頭である学校回りも日教組の影響を受けていました。
 つまり舞台を作る側も、舞台を観に来る側も、その大部分が「左翼寄り」の人々だったわけです。
 もちろん「井上ひさし」もその一人であり……というより、そんな「心情左翼」の人々をメイン・ターゲットにした演劇で、最も成功した劇作家が「井上ひさし」です。

 私が演劇のスタッフの仕事をしていたのは、七年くらい前ですが、その頃でさえ、劇団協議会、演出者協会、劇作家教会などの業界団体のトップは全員左翼シンパでした。
 というか……現在でも60代より上の演劇人は、左寄りの人の方が多いです。(稽古場で共産党のチラシを渡されたこともあります)
  こんなことは、普通に年輩の演劇人と交流すれば、おのずと判るはずなのですが……。
 今、20代、30代のライターならともかく、50過ぎで60年代、70年代の「政治の時代」を実際に生きてきたはずの唐沢氏が、井上ひさしの立ち位置を全く理解していないのは驚きです。

また、『四捨五入殺人事件(1984 年)』以降の作品がいかにも酷いように書いていますが、
『頭痛肩こり樋口一葉(1984年)』
『闇に咲く花(1987年)』
『人間合格(1989年)』
『父と暮せば(1994年)』
『紙屋町さくらホテル(1997年)』

など、その後も高い評価を受けた作品を多く残しています。

自分の好き嫌いだけで、

>彼の書く作品は首をかしげざるを得ないものが多くなっていった

と書くのはいかがなものかと思います。
きちんと評価され、観客を集め続けたからこそ、井上作品は上演され続けたのですから。
それも旧作の再演でなく、死の前年まで新作を書き続け、上演しています。
(去年初演の「ムサシ」は、蜷川演出で今年の5月5日からロンドン・ニューヨーク公演です。)

 自分の好き嫌いの前に、他人が評価しているものを尊重することが何故できないのでしょう?
やまだ |  2010年04月30日(金) 01:26 |  URL |  【コメント編集】

>shimojo さん
>圓生と書くのが正式っぽい

まあ、そうなのですが、書名をしるすのにあたって、その手の表記の揺れをもちこんではいけないのではないかと。
トンデモない一行知識 |  2010年04月29日(木) 22:54 |  URL |  【コメント編集】

まあ「円生と志ん生」に関しては、圓生と書くのが正式っぽいのでしかたないかもしれません。
shimojo |  2010年04月29日(木) 22:45 |  URL |  【コメント編集】

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