2017年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  Top↑

2010.04.25 (Sun)

封建時代、児童虐待は実に動物虐待であった

「社会派くん」の Web 連載より
http://www.shakaihakun.com/vol099/06.html

村崎 それから語るのもイヤだっていうか、しゃべってギャグになるのなら
どんなしょーもない事件でも語るに値するんだが、そんなギャグになる要素
すら一個も見当たらないのが、頻発する児童虐待事件なんだよ。奈良県
桜井市で五歳の男の子が両親からまともに食事を与えてもらえず餓死させ
られているんだけど(★10)、それも母親が夫からDV被害に遭っていて、
息子の顔を見るたび「夫の顔に似ている」って虐待加えるようになったって
んだから呆れたよ。そんなこと言われたら、子供は立つ瀬どころか、座る所
もねえぞ。泣き止まないとか言うこと聞かないとかの理由で殴られたりする
のならともかく、「ダンナに顔が似ている」ってそれ、息子には何の落ち度も
ないじゃん。それはお前がダンナとサカってできた子供だからで、はっきり
言って、お前らのせいじゃん!どうしてくれんだよ?いくら何でも、ここまで
理不尽で酷い子供の虐待理由が過去にあったかね!?

唐沢 これも前から言っているように、「母であることより女であることを
優先してしまう」最近の若い母親の傾向なのだな。いや、傾向というより
教育の成果だよ。子供のために自分を犠牲にするなんて、古い家庭制度
の被害者だ!と、婦人解放論者は戦後一貫して叫んでいたからな。
〈略〉
唐沢 ああいうのって、要するに自分の分身がほしいだけっていうか、なん
となく子供の人生に責任取らずに親としてのエゴを満足させようっていう気
がしてならないのよ。親のエゴなんてのは昔からあったことなのかもしれな
いけど、それでも飢えてるときは子供に先に食べさせ、溺れるときは自分
が先に溺れる、っていう、いざというときの覚悟はあったと思う。でもそれを
否定して解放された社会をつくってきたのが日本の近代史だとオレは思っ
てるので、最近の虐待死のニュースなんか見ると、「ああ、やっぱりこうなる
よね」という気がしてしまう。

村崎 オレらが生きてる時代はなんとかしのげるかもしれないけど、その
あとどうすんのよ、ってのはあるよなあ。こんな親ばっかりだと、子供が親
を愛する行為自体がそのうち、異常だってことになりかねない。

唐沢 子供を作り、子育ての奴隷になって家族を守っていく封建制度が
いいのか、それとも個人個人がストレスなしに生きられる自由社会がいい
のか、その判断を怠ってきた結果が今月の虐待死ニュースの多さなんじゃ
ないかとオレは思うがね。

村崎 要するに子供を育てる喜び以上の娯楽が世の中に溢れすぎてるん
だよ。本当はそうじゃないにしても。


×封建制度 ○封建主義 または 封建的

「語るのもイヤだっていう」なら、語らないでいてくれればよかったのに……マジで。
児童虐待事件については、ここここで取り上げた、非実在青少年だ表現の自由だ
といった問題とは異なり、村崎百郎の方もまったくアテにもならなければ頼りにもなら
ない状態なのだ。

ついでにいえば、今回のエントリーは、いつもより多めに主観が入っているかもなので、
あらかじめご了承のほどを。


で、村崎のいう「いくら何でも、ここまで理不尽で酷い子供の虐待理由が過去にあったか
ね!?」という「夫の顔に似ている」。これは過去にもいくつか例がある。

http://yabusaka.moo.jp/gyakutai.htm
>84年12月18日 岩手・小1女児虐待死事件
> 岩手県金ヶ崎で、3人の子どもを持つホステスの母親が、小学1年の長女を5年前に
>蒸発した夫に似ているので憎らしいとつらく当たり、せっかんして殺害。


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/365066/
>捜査関係者によると、奈良県の事件で逮捕された母親も「夫婦仲が悪く、息子の顔が
>夫に似ているので、かわいくなかった」と供述しているという。


http://www.asiyaen.com/shintai.html
>実母からの身体的虐待のケースの話です。
>被害を受けた女の子には、弟が二人います。
>母親は、女の子よりもこの弟二人のほうを溺愛していました。

>理由としては一人目の夫との間に出来たこの女の子に対して、相手に顔が似ている
>ことから受け付けられないという理由や一人目の夫は暴力を振るっていた為に、それ
>を思い出してしまうということが原因だったようです。
>弟二人は、その後の再婚相手との子供であり再婚相手とはとても上手くいっていた為
>この女の子の存在が邪魔に感じ身体的虐待を加えるようになりました。
〈略〉
>ドメスティックバイオレンスは今では、大きな話題になっていますが話題になる以前
>は、暴力を振るわれる女に問題があるように見られており結果的に、この女の子の母
>親も一種の虐待の被害者であり心の傷から虐待の連鎖を生み出してしまったことに
>なります。


さらにいえば村崎百郎には、http://yabusaka.moo.jp/gyakutai.htm に載っているような
様々なケースを目にしてもなお、「泣き止まないとか言うこと聞かないとかの理由で殴ら
れたりするのならともかく」とかホザいていられるか聞いてみたい気もする (唐沢俊一に
は……聞くだけ無駄な気がする)。


そして、唐沢俊一のいう「子供のために自分を犠牲にするなんて、古い家庭制度の被害
者だ!と、婦人解放論者は戦後一貫して叫んでいた」について。

「婦人解放論者が?そんな事言ってる? 古い家制度と、古い家庭制度と違うし。」、
「子供が家制度の基本と思っているあたり古い家制度を分かってないな。その『家』の
階級によって『家制度』が内包する問題ってかなり違うんだけど。小作農と華族様とじゃ
違うように。金持ちは自身で子育てしないし。」などと2ちゃんねるのスレでは指摘され
ていた (Read More 参照)。

また、「藤岡真blog」の「唐沢俊一『子育てを語る』」のエントリーには、以下のように指摘
されてもいる。

http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100416/1267588410
> 唐沢は幼児虐待は、戦後教育の成果だと言う。「子供のために自分を犠牲にするな
>んて、古い家庭制度の被害者だ!と、婦人解放論者は戦後一貫して叫んでいた」か
>らなんだそうだ。戦後って、第二次大戦後日本が民主国家になって何年たっていると
>思っているのだろうか。いいかね、65年経過しているのだ。それが、なんだって今年に
>なって、幼児虐待という形で花開いたの? 幼児の虐待なんて、それこそ女性解放前
>夜(戦前)には、人身売買、人さらい、間引き、堕胎、捨て子なんて形でいくらでもあっ
>た。逆に、戦後日本経済が発展して、人々に余裕ができ始めた昭和22年「児童福祉
>法」が交付され、子供を守ろうと言う風潮が出てきたのだ。それに、女性解放運動は
>なにも戦後突然始まったわけではなく、以前、唐沢も引用していた平塚らいてう(「元
>始、女性は実に太陽であった」:原始じゃないよ(笑))らが、母性保護運動、平和活動
>などに取り組み、新日本婦人の会を結成した明治末期からあった。もっとも、この母性
>保護運動は、与謝野晶子から「国家による母性保護は奴隷道徳」と厳しく批判された
>んだけどね。面白いのは母性保護を謳ったらいてうは、二児を儲けた後産児制限に努
>めたのに対し、情熱の歌人与謝野晶子は夫鉄幹との間に11人の子供があったことだ。


以下はそのリンク先の記述。まあ育児については、「婦人解放論者」の意見もいろいろ
ということだろう。

http://plaza.rakuten.co.jp/lupin2936/diary/200911060000/
>一見逆の立場を取るように思える子沢山の晶子は、「母性に甘えるな」という立場。
>進歩派のらいてうは「母性を社会で支えあうべきである」と正反対の立場を取ったの
>は非常に興味深いことである。


一方、「婦人解放論者」が「一貫して叫んでいた」批判対象となると、これは家父長制
やパターナリズム (家父長主義と訳されることがある) あたりが該当するかと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/家父長制
>家父長制は、家族に対する権限が男性たる家父長に集中している家族の形態をいう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/パターナリズム
>パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の
>利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語で
>は「父権主義」「温情主義」などと訳される。語源はラテン語のpater(パテル、父)で、
>pattern(パターン)ではない。


「家父長制」が唐沢俊一の脳内で「古い家庭制度」に変換されてしまったものと想像
するのだが、どうだろうか。


さらに「子供を作り、子育ての奴隷になって家族を守っていく封建制度」となると、混迷の
度合いがますます強くなる。読んで最初に思ったのは、あれ封建制度って土地を仲立ち
にした主従関係がどうとかと高校のとき習った気がするけど、でも歴史は苦手だったから
なあ――ということだったけど、そう外してはいなかったみたい。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=封建制度&dtype=0&stype=0&dname=0na
>ほうけん‐せいど【封建制度】
>1 天子がその領土を諸侯に与え、さらに諸侯はそれを臣下に分与して、各自にその
> 領内の政治を行わせる制度。中国で周代に行われた。→郡県制
>2 中世社会の基本的な支配形態。封土の給与とその代償としての忠勤奉仕を基礎と
> して成立する、国王・領主・家臣の間の主従関係に基づく統治制度。また、領主が
> 生産者である農民を身分的に支配する社会経済制度。


http://ja.wikipedia.org/wiki/封建制
>封建制(ほうけんせい)とは、中国など漢字文化圏における政治思想において主張さ
>れた、周王朝を規範とする政治制度。転じて近現代になると西欧中世社会を特徴づ
>ける社会経済制度であるフューダリズム(Feudalism)の訳語にも援用された。両者は
>本質的に異なる概念であるため、詳細はそれぞれの節に記す。

>フューダリズム(Feudalism)とは歴史学において中世ヨーロッパ社会特有の支配形態
>を指した用語であり、「封建制」と訳出される。土地を媒介とした国王・領主・家臣の間
>の緩い主従関係により形成され、近世以降の絶対王政の中で消失した。


つまり唐沢俊一は、下の Wikipedia でいう「封建主義」、または、「唐沢俊一『子育てを
語る』」のエントリーでいっている「封建的」とでも書くべきところを、「封建制度」といって
しまっていると考えてよいだろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/封建主義
>封建主義(ほうけんしゅぎ)は、主に「進歩的」な立場から前近代的な権威主義、家父
>長主義的なシステムや風習を批判的に捉えた概念である。批判対象があたかも封建
>制時代のものであるかのような時代錯誤である、という意味合いが強く極めてスラン
>グ的な用語法であり、直接的な封建制との関係を指摘する場合は殆ど無い。批判的
>なレッテルであるため、封建主義者、封建的、と批判された者が自ら封建主義者と自
>称するケースも同様に殆ど無い。(→呉智英)


http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20100416/1267588410
>一般的に使う「封建的」という言葉と「封建制度」という言葉がゴッチャになっている
>ようだな。



では、「封建主義」や「封建的」なら、唐沢俊一のいっていることの辻褄があうかという
と、そうでもなくて。

前述の「古い家庭制度」うんぬんの問題にも関係するけど、唐沢俊一のいう「子供
ために自分を犠牲」、「子育ての奴隷」というのは、比較的新しい時代の、限られた
階層が対象だろうというものでしかない。

家父長主義バリバリでいくなら妻は子ども以前に夫の奴隷ということになるだろうし、
農家や商店ならば母親も貴重な労働力として、かつてのからさわ薬局のように、

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-436.html
>産んで3日目にはもう店に立っていなくてはいけない

といった事態もしばしば発生しただろう。身分が高い人の場合には乳母というものが
いて、天皇家ならば美智子皇后のときにはじめて「乳母制度、傅育官制度」が廃止と
なった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/皇后美智子
>これら子女の出産にあたり、皇室の慣習である宮中御産殿での出産や、乳母制度、
>傅育官制度を廃止した[3]。



時代を近代化以前、実際の封建時代にまで遡ると、唐沢俊一のいう「飢えてるときは
子供に先に食べさせ、溺れるときは自分が先に溺れる、っていう、いざというときの覚悟
はあったと思う」というのは、グリム童話のようなおとぎ話の中にさえ、あまり存在しない
模様。

http://www8.plala.or.jp/yosikawa-isikai/gyakutai.html
>古代や中世、近世の時代は、子どもを保護するという考えや制度はなく、子捨て、子
>殺しが社会的に容認されていました。近代社会に入って、第二次大戦以後、貧困の
>克服、生活の安定に向かい、市民社会が「豊かな社会」を目指す途上に虐待問題が
>起こってきたのです。
>1. 中世・近世の子どもたち
> グリム童話の1割は子捨て、子殺し、継子いじめなど、残酷な話です。農民の過酷
>な労働と貧困が背景にあり、夫婦の一方の死別と再婚は数多くの「継子」を生じ、継
>子いじめの物語となりました。(***)
>2. 虐待防止運動の開始(ニューヨークのマリー・アレン事件)
> 1874年9歳の少女が養母に殴打されて瀕死の状態でした。当時、被虐待児を保護
>する法律はなく、市民は「動物虐待防止協会」に相談し、子どもは広義の動物である
>から保護を受ける資格があると運動した。この状況は欧米各地に報道され、ニュー
>ヨーク、そして英国に児童虐待防止団体が設立された。


子どもを保護する法が、動物を保護する法であったというのは、日本の江戸時代も同様
みたいで、生類憐れみの令は 7 歳以下の子どもも対象だったという。

http://d.hatena.ne.jp/aya_natu/20090115/1232014055
> そもそも綱吉が考える生類を憐れむ心は、儒教の仁愛、慈愛の精神に基づいてい
>ます。この法令も犬や動物ばかりが有名ですが、実際には社会的弱者や貧者を保護
>することが目的でした。その内容の一部には次のようなものです。

>「一、捨子これ有り候ハゝ、早速届くるに及ばず。其所の者いたハリ置き、直ニ養候
>か、又ハ望の者これ有り候ハゝ、遣すべく候。急度付届に及ばず候事」
>「御当家令条」巻三十三  貞享四年

>訳:捨て子は見つけても直ぐに届けないでもよい。そこに居た者が自ら養うか、望む者
>は養子とせよ。よいか、重ねて申し付けるぞ。

>当時は捨子が大変問題になっていたので、捨子や子殺しを防止するために、妊婦と
>七歳以下の子供を登録させました。また乞食や流民についても、役人が保護する義
>務を規定したともあります。


まるで、永井豪の『ススムちゃん大ショック』 (1971 年) に出てくる、「ネズミやゴキブリを
殺してもニュースにはならない!」を地でいくような世界だったともいえる。

http://blog.goo.ne.jp/kamakura_champroo/e/a54121c349c50c19b334e08a759156d2
>ススムは下水道に逃げ込み、同じく逃げ延びた友だち二人と出会う。持っていたラジ
>オでニュースを聞くが、子供の大量虐殺のニュースはやっていない。

>三人は会話する。
>「ニュースにならない理由はひとつさ・・・あの事件がニュースとしての価値がないから
>さ!」
>「おとなは子供を殺していいの!あたりまえのことなの!にゅーすにもならないの!」
>「ネズミやゴキブリを殺してもニュースにはならない!」


個人的には、この「ネズミやゴキブリを殺してもニュースにはならない!」が頭にこびり
ついているせいで、「頻発する児童虐待事件」が報道されることや、「児童相談所で対応
した児童虐待相談対応件数」が「年々増加している」ことは悪いことばかりではないと
思ったりもしている。そんな悲惨なニュースを耳にするのは嫌だが、ニュースにさえなら
ないで、なかったことにされる世界はもっと嫌だから。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv16/index.html
>2 虐待に関する相談対応件数の推移
>平成18年度に全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数は、37,323
>件で、統計を取り始めた平成2年度を1とした場合の約34倍、児童虐待防止法施行
>前の平成11年度に比べ約3倍強と、年々増加している。


http://www.asiyaen.com/seiteki.html
>このケースは、今から14年ほど前であり今現実に同じことが行われていたらすぐに保
>護されていたと思います。
>虐待に関して積極的に児童相談所の取り組みが始まったのは、虐待での死亡ケース
>が多発したことによります。それ以前は、非常に慎重でこのように保護までも時間が
>かかりその間、子供達は被害を受け続けたり精神的に嫌な思いをしたままだったの
>です。


もっとも『ススムちゃん大ショック』の思い出し方も人それぞれのようで、「最近の若い
母親の傾向なのだな」の唐沢俊一と、ほぼ同レベルの主張をするだけの、【産経抄】
(2006 年 7 月 11 日) というのもあったようだけど……。

http://gutti.livedoor.biz/archives/50650117.html
>もう何十年も前のことなのに、短編漫画『ススムちゃん大ショック』を読んだときの衝撃
>が忘れられない。作者の永井豪さんは、惨劇の理由については書き込まない。「見え
>ない糸が切れたんだ!親と子をつなぐたった一本の見えない糸が!」。ススムととも
>に生き延びたクラスメートにこう語らせているだけだ
〈略〉
>糸は母性本能と言い換えてもいい。そんなものがあるのか、あるとすれば、なぜ子殺
>しや虐待が絶えないのか。最新の生物学や人類学によると、母親が子供を慈しむメカ
>ニズムを備えていることは確からしい。ただどんな形で表出するかは、遺伝子、環境
>など複雑な要因がからんでいる ▼難しいことを言わなくても、昔の子供たちは、親だ
>けでなく、周囲の大人たちすべてから愛情を注がれてきた。日本を訪れた多くの外国
>人が、そんな光景を感嘆をこめて書き残している



ついでに、昔の親は皆、「飢えてるときは子供に先に食べさせ、溺れるときは自分が
先に溺れる、っていう、いざというときの覚悟はあった」という幻想の強力な元ネタの
ひとつに、『杜子春』があるのではないかとも思っていたりする。これも想像でしかない
けど。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html
> 閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れてゐましたが、やがて何か思ひついたと
>見えて、
>「この男の父母(ちちはは)は、畜生道に落ちてゐる筈だから、早速ここへ引き立てて
>来い。」と、一匹の鬼に云ひつけました。
> 鬼は忽ち風に乗つて、地獄の空へ舞ひ上りました。と思ふと、又星が流れるやうに、
>二匹の獣を駆り立てながら、さつと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子
>春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといへばそれは二匹とも、形は見
>すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
〈略〉
> 閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。
>もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階(きざはし)の前
>へ、倒れ伏してゐたのです。
> 杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊(かた)く眼をつぶつて
>ゐました。するとその時彼の耳には、殆(ほとんど)声とはいへない位、かすかな声が
>伝はつて来ました。
> 「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それよ
>り結構なことはないのだからね。大王が何と仰(おつしや)つても、言ひたくないことは
>黙つて御出(おい)で。」
> それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきまし
>た。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をや
>つてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼ど
>もの鞭に打たれたことを、怨む気色(けしき)さへも見せないのです。大金持になれば
>御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有
>難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転(まろ)
>ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しな
>がら、「お母さん。」と一声を叫びました。……


このエピソードは、梶原一騎原作の漫画にも何度か引用されていた気がする (違ったら
スマソ) ので、唐沢俊一の世代には認知度が高いはず。

で、「肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶え」になっているのは母親だけではなく父親も
……なんだけど、母親に負担を集中させようというタイプの人たちは、そのあたり完全
無視だろうなあ。

今回の社会派くんの対談でも、父親の「ち」の字も出てこない。

スポンサーサイト

テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

22:17  |  その他の雑学本 間違い探し編 (324) +  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

Comment

>NTT さん
古めの (?) 価値観で、子育てのメインはあくまで母親と主張するにしても、今回の社会派君の 2 人みたいに父親の存在を徹底的に無視するというのも珍しいんじゃないかと思いました。引用元のページでは、「父」の漢字は呼称としての「お父さん」の中くらいにしかないのではないかと。

たとえば http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-439.html の方に引用した『ナンセンスの博物誌』には以下のような文章がありました。

『ナンセンスの博物誌』 P.31
>五十年前のアメリカならば約半数の家庭には――明らかに家庭内の男性の
>教訓として――鋼の彫版が飾ってあって、そこには一匹の雄ジカが草原の
>ところで狼の一群を食いとめており、その背後の雪が積もった小山の上には
>雌ジカと仔ジカが、恐怖の目を見開きながらも信頼しきって立っている姿が
>描いてあった。しかしわれらの祖父たちの心を痛めつけたに違いないこの図の
>モラルは実は当たっていないのだ。というのは、ある人が言うように、「各種
>蹄獣の雄が自分の群の中の無力な仲間を助けようという勇敢な努力」とは、
>ああ、気高い話だが、実は作り話なのだ。特に雄ジカは危険が迫ったと見るや
>逃げ出してしまうらしい。

村崎とかは平気で「普通は自分の身を捨ててでも子供を守るのが母親だろう」とのみホザいているわけですが、外敵から家族を守るどころか、母親が子どもを命がけで守らなければいけない敵となりはてている父親には何か甘いんですよねえ……。
トンデモない一行知識 |  2010年04月29日(木) 00:45 |  URL |  【コメント編集】

●子育ては女の仕事?

子宮は女にしかないし母乳は女にしか出せないけど、子育て自体は女親も男親も無いって事、実は常識人の鬼畜の人もお分かりではなかったって事ですか>村崎氏。
児童虐待事件の背景には「父であることより男であることを優先してしまう」人がいるって事、これっぽっちも思って無いんでしょうね、二人とも。

自分の子が無くとも、次世代に善き何かを伝える事が社会の『子育て』に参加する事だと私は思っていますので、唐沢氏がガセを生産して後の人々がうっかり信じたりするのはまことによろしく無いと思います。

封建的社会だと、いくら長男でも家を継がないのはいらない子で、子供がいなきゃとっとと養子を取るものなのに、何を唐沢氏は夢見てるのやら。
NNT |  2010年04月26日(月) 19:29 |  URL |  【コメント編集】

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://tondemonai2.blog114.fc2.com/tb.php/438-e2f79471

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | BLOGTOP | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。