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2010.04.04 (Sun)

どうしても「ノンキ」といいたいので笑みを浮かべていたことにしました?

『B級裏モノ探偵団』 P.110 ~ P.111

「俺もお前も同じ人間だ」
 といういささか理想化の過ぎた考え方よりも
「同じ人間でもお前と俺はこんなに違う」
 という考え方を持った方が、世の中は数倍楽しくなる。

●日本はアジアではない
 そう思って、私は帰国後、『アジアンコミックパラダイス』という本を上梓
した。幸い好評を得たが、一部から
「アジアの文化を理解していない」
 という批評があったのには、ちょっと意外な気がしたものだ。
 要するに、アジア通と呼ばれる人々にとっては、これらの作品の中に
含まれている表現方法や文化の違いというものに、いちいち違和感を
表明する、ということ(ツッコミを入れるということ)は、アジア認識の不足、
もっとはっきり言えば無知の露呈と映るのだろう。
 例えば、『お化けと闘いましょう』という作品の中で、ゾンビとなった妻に
「生まれ変わったらまた夫婦になろう』
 というセリフを言う亭主を私が“ノンキ”と表現したことに対し
「タイ人は輪廻思想を共有しており、こういう発想はごく自然と言える」
 からツッコミを入れるのは間違いである、というわけだ。
 しかし、そういう輪廻思想ゆえに、ならず者に殺された妻をゾンビにして
よみがえらせ、彼女自身に彼女を殺した連中に対する復讐をとげさせる、
というすさまじいストーリィを理解せよ、と日本人に呼びかけるのは、何か
違う、と思うのだ。ストーリィの中で、この亭主は何ひとつ積極的な行動を
とっていない。そして、最後に
「生まれ変わったらまた会おう」
 と笑みを浮かべながらゾンビに話しかける場面は、日本人にとっては
違和感を抱いて当然の場面である。これを普通に理解できる、という人が
いたとしたら、それは、己のアイデンティティが未確立な人物だけではない
だろうか。


×「生まれ変わったらまた会おう」と笑みを浮かべながらゾンビに話しかける場面
○「生まれ変わったらまた夫婦になろう」とゾンビに話しかける場面

“「生まれ変わったらまた夫婦になろう』”と「』」で閉じているのは原文ママ)

唐沢俊一の担当編集などについての、あまり偏執的ではないリスト」のコメント欄
ここここで、以前言及した部分。

「『お化けと闘いましょう』という作品」は、「自分で突っ込むくらいなら……『闘いましょう』
の『ブロークンハート』
」のエントリーに一部引用もしたこともある。で、そのときと同様に、
唐沢俊一の突っ込みについては、目印の帽子のシルエットのアイコンを「▲」に置き換え
引用してみる。なお、「ブン」は夫の名前で、「チャンプイ」はゾンビとなった妻の名前。

『アジアンコミックパラダイス』 P.64

復讐はすべて終わった。

▲こ、こわー、このブンの顔

「チャンプイ
僕はもうあいつらが
死んだので気が晴れた」

「またいつか会えるさ
生まれ変わったら
また夫婦になろう」

↑▲そんなノンキなことでいいのか? 本当に?

すべてが終わって
ブンは坊さんになって
旅に出た


「気が晴れた」とかいっている夫の顔には、青ざめた表情をあらわす (?) 縦線が入り、
唐沢俊一も「こ、こわー、このブンの顔」と書いているくらいで、全然笑っていない。

その次の「生まれ変わったらまた夫婦になろう」のコマではずっとロングに引いていて
細かい表情はわからないものの、口は一直線に結ばれ、どう見ても笑っていない。

最後の「坊さんになって旅に出た」とのナレーションつきのコマは、後ろ姿のシルエット
のみで、笑っている笑っていないの問題ではない。

つまり、ここでも、以下で取り上げた件と同様、漫画を文章で説明するときに明らかな
ガセを混入するという唐沢俊一の悪い癖が出てしまっている。

ゾンビだらけとも下手な絵ばかりとも思えないんだけど……のタイ漫画
ゾンビのしたたり

で、唐沢俊一は「私が“ノンキ”と表現したことに対し」批判されたことにだいぶご不満の
ようだが、「生まれ変わったらまた夫婦になろう」を「そんなノンキなことでいいのか?」
と表現する唐沢俊一の「ノンキ」の使い方自体が、「日本人にとっては違和感を抱いて
当然」ともいえるのであって……いや本当に唐沢俊一語の「ノンキ」とはどういう意味か
よくわからなくて違和感バリバリなのだ。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=のんき&stype=0&dtype=0
>のん‐き【×呑気/×暢気/▽暖気】
>[名・形動]《「のん(暖)」は唐音。「呑気」「暢気」は当て字》
>1 性格や気分がのんびりとしていること。こせこせしないこと。また、そのさま。
> 「―な人」「―に暮らす」
>2 気晴らしをすること。気散じをすること。


唐沢俊一は「この亭主は何ひとつ積極的な行動をとっていない」と文句をつけているが、
妻を殺されて怒った男は、ならず者に殴り掛かろうとして、逆に殴る蹴るの暴行を受けて
気絶してしまうという話で、「殺された妻をゾンビにしてよみがえらせ、彼女自身に彼女を
殺した連中に対する復讐をとげさせ」たのは、気を失った夫を助けた霊媒師の助けによ
るものである。

夫は最初、霊媒師に「僕は弱くっても死ぬまで闘う!」という。それに対して霊媒師は
「ああかわいそうに俺が力になってやろう」といい、唐沢俊一は欄外で「強くなろう、
とか最初から思わないところが情けない」とか突っ込む。

……まあ、そういう感想もあってもよいと思うが、だからといって夫を「ノンキ」と表現する
のは、あまりに変ではないかと。

また、少し昔、松田聖子が郷ひろみとの別離についての記者会見で、「今度生まれ変
わったら一緒になろうね」といいながら別れたのだと語っていた。それで問題なく話が
通じるくらいには、日本人も「輪廻思想を共有」している。

- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011300040
- http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1328394853

で、想像するに、批判されても何とか「ノンキ」を正当化したい唐沢俊一が苦し紛れに、
「笑みを浮かべながらゾンビに話しかける」と、浮かべてもいない夫の笑みを捏造して
しまったのではないか。……単に唐沢俊一の脳内では、本当に夫が笑みを浮かべて
いたかのように記憶が改変されていただけという可能性も捨てきれないが。

それと、日本とタイの文化の違いを強調したかったのなら、日本ならば墓から甦らした
ゾンビの妻に復讐を実行させる漫画はなかなか描かれない、なぜなら土葬のタイとは
違って、日本ではほとんどが火葬だから――とでも説明すればよかったのにとも思った。

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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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Comment

>金平糖さん
>身体を鍛えて復習するなら数年がかりにならざるを得ないわけだが

そういう漫画もアリといえばアリかもしれませんが、もはやホラー漫画ではなく格闘漫画か何かになると思います。まあ唐沢俊一が突っ込みという名目で単なる難癖や調子はずれなことを書くのは珍しいことではありませんが……。

「坊さんになって旅に出た」というオチも、普通は「ノンキ」と表現しないよなあ、と。唐沢俊一語の「ノンキ」とか「脳天気」って、本当にわけがわからないです。
トンデモない一行知識 |  2010年04月07日(水) 09:11 |  URL |  【コメント編集】

死を覚悟してまで戦うと言う男に対して
情けないとは、いくらなんでもひどいと思うんだが

大体、強くなる気がないってそうそう簡単に強くなれるわけもなく
身体を鍛えて復習するなら数年がかりにならざるを得ないわけだが
そっちのほうがよっぽどノンキじゃないか?

妻を殺した相手に復讐は済んでるんだから、もう切り替えるしかやることないわけだが
ここからどうすれば唐沢的にノンキじゃないことにできるのか聞きたいものです。
金平糖 |  2010年04月07日(水) 00:32 |  URL |  【コメント編集】

●アイデンティティが未確立な人物って誰?

>藤岡真さん
同じところに着目するか、違いに焦点をあてるかは、ころがしようによっては面白い話になるんじゃないかと思いますが、唐沢俊一の場合、自分の下手な突っ込みを批判されたことに対し、的確な反論ができないで必死に煙にまこうとしているようにしか見えませんからね……。

「こんなに違う」について述べたいのなら、『アジアンコミックパラダイス』に収録の漫画にかぎっても他にいくらでもありそうなのに……というのもあります。件の『お化けと闘いましょう』は、「ノンキ」というにはシリアス寄りで、日本人にもわかりやすい作品かと思います。
トンデモない一行知識 |  2010年04月06日(火) 09:03 |  URL |  【コメント編集】

●支離滅裂

いつものことですが、

「同じ人間でもお前と俺はこんなに違う」ということは、「俺もお前も同じ人間だ」という前提があるから言えることですね。分り易く書けば、
「俺もお前も同じ人間なのに、お前と俺はこんなに違う」ということでしょう。前半は理想化過ぎた考えで、後半は世の中を数倍楽しくするって、なんという支離滅裂。
藤岡真 |  2010年04月05日(月) 12:33 |  URL |  【コメント編集】

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