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2010.03.21 (Sun)

自分で突っ込むくらいなら……「闘いましょう」の「ブロークンハート」

『アジアンコミックパラダイス』 P.49

▲(ましょう、って言われても)

お化けと闘いましょう
作●キィエンサ 絵●ウンノンタシーハー


『アジアンコミックパラダイス』 P.71

▲ うう、古臭いセリフ

あぁブロークンハート


上 2 つの引用の「▲」は、元の本では、帽子のシルエットのアイコンとなっている。

『アジアンコミックパラダイス』にはタイのコミックが収録されていて、欄外のあちこちに、
帽子のシルエットを目印にした唐沢俊一の突っ込みが入っている。

それらの唐沢俊一の突っ込みは、大部分は「なくてもよい」か「ない方がよい」程度の
ものでしかないが、上で引用したような、明らかに不自然なものも混じっている。これら
は、タイのコミックがどうこうという話ではなく翻訳の問題ではないかと。

では、『アジアンコミックパラダイス』に収録の漫画のセリフ等は、どのように翻訳された
のかというと、「あとがき」で唐沢俊一は以下のように語っている。

『アジアンコミックパラダイス』 P.301

 また、タイ語の翻訳者探しに苦慮していたときに、ぼくのスタッフもとき
どきやってくれているライターのおおいとしのぶ君が、知人のタイ人、
ラッダさんを紹介してくれ、その翻訳作業に手を貸してくれたことも大いに
ラッキーだった。翻訳に関して、原文が日本語にしてはいささかコナれない
言いまわしの部分もいくつか残ったが、それはぼくの責任でそのままにし
ておいた。妙に日本語っぽくアレンジするよりも、タイらしい感じがでると
判断したからだ。どうか深く味わっていただきたい。ラッダさんにはタイ取
材の際にもお世話になった。彼女は自分で会社を持っている女性実業家
だが、なんと自分でも漫画を描き、漫画の本を出版したいという夢を持っ
ているということである。ちょっと試作を見せてもらったが、いかにもアジ
アンコミックの味のある、ぼく好みのおもしろい作品だった。


×原文が日本語にしては ○日本語にしては

タイ語で書かれているコミックなのに、原文が日本語のわけはないだろう、ということで。

推測するに、唐沢俊一は、タイ語で書かれたそれではなく、「ラッダさん」のあげてきた
下訳を、「原文」と呼んでいるのではないか。

翻訳を担当した「ラッダさん」という人は、「女性実業家」であって専門の翻訳家では
ないみたいだし、タイ語はネイティブでも日本語はそうではないだろう。で、一般論と
して、外国語から日本語への翻訳においては、高い日本語の能力が要求されるもの
であって……。なので、まあ、「日本語にしてはいささかコナれない言いまわしの部分
もいくつか残った」のもしょうがないかもしれない。それを、「妙に日本語っぽくアレンジ
するよりも、タイらしい感じがでる」という言い訳 (?) のもとに「そのままに」しておくのは
手抜きではないかという気がしてたまらないが。

そうでないにしても、「ぼくの責任でそのままにしておいた」と書く一方、『お化けと闘い
ましょう』と訳した題について、「(ましょう、って言われても)」とか、自作自演もどきの
突っ込みを入れるのは、どういうつもりなのかと思う……。「あぁブロークンハート」という
セリフに対し、「うう、古臭いセリフ」とかいっているのも同様で、何の冗談なのかと理解
に苦しむ。

類似ガセビア (?):
月刊『現代』の座談会は『性の人類学シンポジウム』だった!
で、どの時代のヨーロッパ人にとって「革命的」だったって?


さらに、唐沢俊一が「ぼくの責任でそのままにしておいた」という翻訳の中には、以下の
ような単純ミスも含まれる。

『アジアンコミックパラダイス』 P.61

すると窓のところに
若い女性がの姿が……


×若い女性がの姿 ○若い女性の姿

また、翻訳の方にはさほど問題はなさそうだが、唐沢俊一による突っ込みが何だか
間違っているようなケースもある。

『アジアンコミックパラダイス』 P.263

▲ なるほど、この事態をこうカンタンに受けいれる
  ヨッツァンもふつうの人間ではないゾ

その晩2人は
夫婦になった
人間と木の精が
愛し合ったのだ
ふつうの人間同士では
なかったが……


「なるほど」も何もないと思うが、唐沢俊一にとって「ふつうの人間同士ではなかった」
というのは、両方とも「ふつうの人間」ではない必要があるのだろうか。片方が木の精、
もう片方がふつうの人間の場合も、「ふつうの人間同士ではなかった」といってよいと
思うのだけど……。
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テーマ : 感想 - ジャンル : 本・雑誌

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Comment

>藤岡真さん
どうもです。(_ _)

まあ、でも、「それはぼくの責任でそのままにしておいた」というのは、工数削減の手抜きのせいと推測されますが、結果的には悪い選択ではなかったかと。

「日本語にしてはいささかコナれない」、翻訳調っぽい文章ではあるかもしれませんが、唐沢俊一自身の書く文章ほど悪文とも思えませんため。

だいたい、あの唐沢俊一が「妙に日本語っぽくアレンジする」ことに挑戦したとしたら、「How to Stuff a Wild Bikini」を「マジイケのビキニ 姉ちゃんとイタす方法」と訳したアレと似たようなことを、そこかしこのセリフでやらかしてくれたことと予想されますし。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-363.html
http://togetter.com/li/5549

> 貸本漫画に対してもそうですが、対象に対する敬意がないのなら、偽善的
>な愛情を言い訳にして、上から目線で語って欲しくありません。どっちにしろ、
>唐沢の方がずっと低レベルなんですから。

以前に2ちゃんねるのスレに誰かが書き込んでいましたが、『B級学』の表紙とか、漫画の原稿用紙をくしゃくしゃにしてゴミ袋に入れたような装丁とか、敬意のなさを象徴しているかもしれません。
トンデモない一行知識 |  2010年03月22日(月) 13:07 |  URL |  【コメント編集】

 これは酷い。
 唐沢はタイ語を幼稚な言語と見下して、拙い日本語がタイ語に相応しい翻訳だと言っているわけですからね。日本の漫画を母国に持ち帰った欧米人が「近所の日本人の子供に訳してもらった。いささかコナれない表現が目立つが、正確な訳より日本らしい感じが出ると思ってそのままにした」なんて書くでしょうか。
 貸本漫画に対してもそうですが、対象に対する敬意がないのなら、偽善的な愛情を言い訳にして、上から目線で語って欲しくありません。どっちにしろ、唐沢の方がずっと低レベルなんですから。
藤岡真 |  2010年03月22日(月) 08:55 |  URL |  【コメント編集】

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