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2010.02.14 (Sun)

「ハルシオンを手放せなかった二十代前半」じゃあないでしょう?

裏モノ日記 2000年 12月 14日(木曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20001214000000.html

 私が食い物の記録をつけることに執着するようになったのは、かつて
“死”を隣り合わせに感じていた青年期からの脱却のためではないか。
常に死を近くに感じ、その不安から逃れるために、ホリゾンやハルシオン
を手放せなかった二十代前半。塚原氏の死ぬ前の状況を見ると、まるで
自分と同類項である。これを続けていたら、私もまた、生よりも死の方を
近しく感じるようになってしまっていただろう。人の“生”、その積み重ねで
ある“日常”、そういったものと自分をつなぎとめておくために、私は日記
をつけはじめた。日に三度々々、ものを食うということは、その生のいと
なみの、最低限のシルシである。食い物のことを記さない日記に、私は
生を、日常を感じない。日常にこだわり、生の中で何かをなそうとしている
ものの記録に、食い物の記載は不可欠である。食事が記録されていない
日記を、私は日記と認めないのである。

http://megalodon.jp/2010-0214-1802-36/www.tobunken.com/diary/diary20001214000000.html

自分で「私は日記と認めない」と書いていたような「食事が記録されていない日記」を
書いては、「カラシュンの食卓」の中の人を嘆かせることも多い今日この頃ではないか
――という話は、おいといて。

「ホリゾンやハルシオンを手放せなかった二十代前半」って、ハルシオンが日本で承認
されたのが 1982 年で、日本での発売開始が 1982 年である (2ちゃんねるのスレでは
「ハルシオンは1990年」との書き込みがあったが、これは 1990 年に再審査があった
ことと混同しているのではないかと思われる)。

http://www.wdic.org/w/SCI/ハルシオン
>トリアゾラムを成分とするマイナートランキライザー(超短期型睡眠導入剤)。ベンゾジ
>アゼピン系。
>米アップジョン社が開発し、日本では1982(昭和57)年に承認された。


http://www.yakugai.gr.jp/inve/fileview.php?id=49
>1982年11月
>49日、米がハルシオン0.25、0.5mgを承認


http://ystrading.jugem.jp/?eid=818
>睡眠導入薬――アステラス製薬「マイスリー」、ファイザー「ハルシオン」(ザ対決)
>2006/03/20, 日経産業新聞
〈略〉
>ハルシオンは海外で七〇年代、日本でも八三年に発売されたロングセラー商品。


http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1124007F1020_2_07/1124007F1020_2_07?view=body
>再審査結果公表年月(最新)
> 1990年9月
> 0.25mg錠としての再審査結果公表年月とする。
>国際誕生年月
> 1977年3月


つまり、1958 年生まれの唐沢俊一は、ハルシオンが日本で発売されるようになったとき
には、すでに 25 歳であり、普通ならば「ハルシオンを手放せなかった二十代前半」など
というのをおくれるはずがない。考えられる可能性としては:

1. 唐沢俊一が「ホリゾンやハルシオンを手放せなかった」のは、二十代中盤から後半に
  かけてのことだったのに計算を間違えて「二十代前半」と書いた。

2. 「二十代前半」に手放せなかったのは、ハルシオンではない睡眠導入剤だったのを、
  薬品名を間違えて書いた。

3. 海外で販売されていたハルシオンを入手して服用し続けた「二十代前半」をおくった。

4. 「~を手放せなかった二十代前半」というのが、そもそも嘘。苦悩していた「二十代
  前半」を演出しようとして、しくじった。

まあ、どれをとっても何だかなあというものでしかないが。


で、2ちゃんねるのスレでの書き込みには、「ホリゾンやハルシオンを手放せなかった
二十代前半」とは「塚原氏」のことを書いたつもりではないかという説も出ていたが、
まあそれはまずないだろう。いくら悪文で有名な唐沢俊一でも、そこまでまずい文章を
書くと仮定しなくともよいだろうし、唐沢俊一が「塚原尚人氏」が二十代前半に服用して
いた薬品名まで詳細に知るほど、付き合いが長いわけでも親しいわけでもないような
ので。

裏モノ日記 2000年 12月 13日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20001213000000.html

後で焼肉でも食いに出るか、と思っていたところが、帰ってみたら、それ
どころではなかった。留守録に、数人の知り合いから、元・官能倶楽部
メンバーの塚原尚人氏の訃報が伝えられている。驚いて官能倶楽部
パティオをのぞく。どうやら事実らしい。司法解剖に回され、今日あたりが
葬儀であった、とのことである。大いに驚きはしたが、意外性はまったく
ない。やっぱりこうなったか、という感じである。

 塚原氏は今年はじめあたりから、睡眠薬と向精神薬を大量に服用し、
夏ころにはそれでリストカットしての自殺未遂まで起こしている(いずれも
ネットで自分からそれを吹聴し、こちらにも伝わってきていた)。てっきり
自殺か、と思ったのだが、ネットあちこち回って情報を仕入れたところに
よると、仕事の打ち合わせを終えた後でのクスリの服用量を誤っての
事故死であるらしい。


裏モノ日記 2001年 11月 20日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011120000000.html

 あと、『FLASH!』からインタビュー依頼。スケジュール滅茶込みだが、
なんとか押し込む。書庫で本を探しているうちに、ふと『官能倶楽部』の
同人誌を手にとり、塚原尚人氏の短編を立ったまま、最後まで読み通し
てしまった。彼の死から、そう言えばもうすぐ一年たつのだなあ、と思う。
宮沢さん、塚原くんと、古い知人新しい知人が相次いでこの世を去った
年であったわけだ、2000年というのは。
〈略〉
 編集者が呆れてパティオでこれを報告すると、塚原くんが自嘲気味に
書き込んだ。
「G・Tに褒められるとロクなことがない、と文壇で言われているのはこれ
ですね」
 苦笑っぽく書かれてはいたが、彼の中でこれはかなりショックだったの
ではあるまいか。そこらあたりを境にして、彼のパティオでの書き込みは
次第に減り、また、入れ代わるようにして、チャットなどでの発言が増えて
きた。しかも次第に、睡眠薬や向精神薬などを服用しての書き込みが
増えてきて……。


唐沢俊一自身の日記によると「塚原くん」は「新しい知人」のようであるし、27 歳で亡く
なったという彼が、「睡眠薬や向精神薬などを服用」していたのが「二十代前半」といえる
ほど長いスパンだったかのようにも書かれていない。

「今日あたりが葬儀であった、とのことである」とのことなので、訃報を知らされたのは
葬儀が済んだ後。それから「ネットあちこち回って情報を仕入れ」る必要のある程度の
知り合いでしかない。「睡眠薬や向精神薬など」というのも「ネットで自分からそれを吹聴
し、こちらにも伝わってきていた」ものでしかない。

それでも唐沢俊一は、とても親しかった人間のようにふるまっているというか、言いたい
放題なのだけど。しかも、誰に頼まれたわけでもないだろうに、何度も執拗に中年ポエム
のネタにしている。

裏モノ日記 2000年 12月 13日(水曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20001213000000.html

 いくつかのネットで、彼の死をやたら美化して慨嘆している人がいる。
ナニヲ言ッテイヤガル、と憤りを覚える。伊丹十三が死んだとき、桜金造
が、伊丹監督に自分くらい恩を受けた者はいないだろうが、と前置きして、
しかし監督のこの死に方は最低の死に方である、とはっきり言い切って
いた。しかり、塚原尚人の死もまた、最低の死である。二十七の早すぎる
死は確かに痛ましい。しかし、その痛ましさに酔って、彼の死を正当化し
ようとする者は、懸命に生きている、他の全てのモノカキを馬鹿にしている
のだ、と私は思う。同業者の死にこういう言葉を投げることはつらいが、
それが彼にしてやれる最後の真心だ、と思う。


裏モノ日記 2001年 11月 20日(火曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20011120000000.html

 文学、もしくはその周辺アカデミズムの諸氏にお願いしたい。ポルノを
褒めるな。マンガを、SFを、ホラーを、オタクを褒めるな。彼らはすでに、
大衆から多大なる評価を与えられている。それで十二分なのだ。あんた
がたが余計な評価をそこにつけ加えるおかげで、よき娯楽作家たちが
へんてこになっていくのである。かのジョン・ウォーターズ映画看板“女優”、
超デブおかまの悪趣味怪人・ディヴァインがアート系評論家たちによって
持ち上げられ、カリスマ的存在となり、多忙を極め、その人気の絶頂で
死亡したとき、親友だったウーピー・ゴールドバーグは葬式に送った花輪
にこういうメッセージを添えたという。塚原くんを絶賛して忘れたG・T氏に
も、そっくりそのまま捧げたい言葉である。
「ごらん、褒めるとどうなるか」


裏モノ日記 2000年 12月 18日(月曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20001218000000.html

私が彼の才能に関して、ネット上で見たもっとも当を得ていた(ように思える)
評価は“どの本を読んでもストーリィが全部同じだが、あの若さでこのような
売れる「型」を作ってしまったのはエラい”というものだった。官能作家にとっ
て、これは宝の山を堀り当てた、というようなものである。しかし、彼が苦しみ
もがき、クスリに逃げ道を求めたのも、まさにこの評価あるが故、ではなかっ
たか。
〈略〉
この“量 ”の才能について、日本の文壇はあまりにこれを軽視しすぎた。
ドイルも乱歩もE・R・バローズも、“またこれかよ”とボヤき、悩み続けながら
人気ヒーローものを量 産し、われわれに限りない遺産を残してくれたので
ある。塚原尚人を語るとき、落としてはならないポイントは、デビュー七年と
いうキャリアに比しての著作の少なさでは ないか?




参考 URL:
- http://sv3.inacs.jp/bn/?2002030011350116031199.cybazzi
- http://oliinkai.hypermart.net/randay-f.shtml#buntai
- http://mentai.2ch.net/zassi/kako/976/976802167.html
- http://mentai.2ch.net/nifty/kako/963/963038856.html

More...

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1265594374/22-
-------
22 :無名草子さん:2010/02/08(月) 14:52:28
2000年 :: 12月 :: 14日(木曜日)

> 私が食い物の記録をつけることに執着するようになったのは、
>かつて“死”を隣り合わせに感じていた青年期からの脱却のためではないか。
>常に死を近くに感じ、その不安から逃れるために、ホリゾンやハルシオンを
>手放せなかった二十代前半。塚原氏の死ぬ前の状況を見ると、まるで
>自分と同類項である。これを続けていたら、私もまた、
>生よりも死の方を近しく感じるようになってしまっていただろう

これって薬局で事務仕事してた頃の話?

83 :無名草子さん:2010/02/08(月) 21:45:23
>>22
これ、唐沢がホリゾンとかハルシオンを手放せなかったってことなのかな?
ホリゾンなら日本での販売開始は1964年だからありだけど、
ハルシオンは1990年なので当時テンテーは32歳。

主語がはっきりしないからあれなんだけど、文章を見る限りではテンテー自身の
ことみたいに読めるんだよなあ。
流れ切っちゃってごめんね。

84 :無名草子さん:2010/02/08(月) 21:49:16
>83
文脈から言えば唐沢自身がハルシオンを服用してたって意味だよね。
32歳?「二十代前半」って記述は何??

102 :無名草子さん:2010/02/08(月) 23:25:19
>>22
> 常に死を近くに感じ、その不安から逃れるために、ホリゾンやハルシオンを
> 手放せなかった二十代前半。

ってのはすぐ後の >塚原氏の死ぬ前の状況を言ってるのかもよ?
テンテーは文章下手だからどの文が何を指してるのか
全然分からなくなること多いんだよね

105 :無名草子さん:2010/02/08(月) 23:39:26
>>102
ははあ、すぐ前の文は「私」が主語だから次の文も唐沢の事だとばかり。
件の一文は塚原氏の「二十代前半」なのかな。
こんなに汲み取ってやるのがシンドい文章も珍しいわ。
それも一応プロの文章なのにw

106 :無名草子さん:2010/02/08(月) 23:52:36
塚原さんは「二十代前半」に「ホリゾンやハルシオンを手放せなかった」のか?」
違うんじゃないか、それ。
http://sv3.inacs.jp/bn/?2002030011350116031199.cybazzi

107 :無名草子さん:2010/02/08(月) 23:55:44
>>105
普通なら段落変える所だよね
まともに学校で国語や現代文を勉強した人間なら
主語がないから前の文の主語で読み進めるのが当たり前だもん

もしかするとこのスレで唐沢何言ってるんだバカじゃね?と
取り上げられてるのはこんな感じで
テンテーの悪文のせいでこっちが読み間違ってるのがあったりしてw

108 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:00:20
悪文の方が心に残るのである

109 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:01:46
>107
「私」の「青年期」に感じていた死のイメージの話から
主語の無い「二十代前半」の文。
これを塚原氏の話だという方が無理だわ。

唐沢が駆け出しライターの頃、文章について編集者に絞られなかったのかな?
これは相当なレベルだぞw

110 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:01:51
>>107
割とみんな親切に電波文解読に努力してあげている傾向があるから、
こうも読めるし、ああも読めるけど、どっちにしてもガセって、ちゃんとなっているんじゃね?

111 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:03:22
どっちにしてもガセ(笑)。

112 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:03:30
塚原氏の死に際して、あれだけ「弔い合戦」をやった大月隆寛が
唐沢テンテーに関しては沈黙し続けってのが解せないんだわ。
大月って「モノカキとしての矜持」みたいなことを強く主張してたよね。
何か裏があるのか・・・?

115 :無名草子さん:2010/02/09(火) 00:08:34
>>107
「まともに学校で国語や現代文を勉強」しなくても、普通に真面目に「字の本」読んでれば、
文法や作法以前に、人に伝わる文章のコツやリズム感は身につく筈なんだけどねえ。
今までまともに本を読んだことがないから、まともな文章も書けないんだろうね。
蔵書自慢してる場合じゃないぞw

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Comment

>丸亭玄人さん
>「ごく最近会ったばかり」だそうですよ。

「ごく最近会ったばかり」というのが、最近出会ったという意味なら、「親友」は変ですね。

>どこにも「花輪」とは書いてありませんね。

そうですか。実はこのネタを唐沢俊一は、『ダメな人のための名言集』にもそのまま使っているのですよ。「親友」も「花輪」も入っています。ちょっと調べてみようかと。
トンデモない一行知識 |  2010年02月15日(月) 23:02 |  URL |  【コメント編集】

>ねじさん
>いくら実家が薬局でも

うーん。そういえば、もし唐沢俊一の書いている「手放せなかった」が、メンヘラぶりっこしたかった単なるハッタリではないとするなら、東京をしくじって札幌に戻ってきた時期のことという可能性がかなり高いような……。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-18.html
にも引用した、『奇人怪人偏愛記』のこれ↓のあたり、「白壁に囲まれた」、「寒々しい部屋」、「一人で詰め」とか、「自分の意識が変調を来している」とか、何かすごい状態だったようですし。

>白壁に囲まれた部屋にパソコンの端末と資料保管用のキャビネット、それに
>ロッカーがあるきりの寒々しい部屋で、朝八時から夕方六時までここに一人で
>詰め、せっせと事務仕事をしていたのだが、このとき、どういうものか無性に
>肉体を鍛錬したい、という欲望が湧いた。その部屋にダンベル、エキスパン
>ダー、グリップなどを運び入れ、空き時間を作ってはせっせと 鍛錬にはげんで
>いた。〈略〉
>さすがにそのあたりになってくると、自分の意識が変調を来していることが
>自分でもわかるようになった。

これが本当なら、家族はさぞかしビビっていたんじゃないかと思います。

さらに、今だったら、具合が悪ければあまり躊躇しないで神経科や心療内科で薬をもらおうという感じになっているかと思いますが、1980 年代の頃はどうだったかなあ……と思ったりもします。自律神経失調症とかいっていた知り合いはいましたが、周囲の扱いは微妙でした。
トンデモない一行知識 |  2010年02月15日(月) 22:40 |  URL |  【コメント編集】

●ごく最近会ったばかりの親友

>親友だったウーピー・ゴールドバーグは葬式に送った花輪にこういうメッセージを添えたという。

「ディヴィ〔引用者注・ディヴァインのこと〕がごく最近会ったばかりのウーピー・ゴールドバーグは白い風船がくくられた白い花といっしょにメッセージを送ってきた」(バーナード・ジェイ「聖ディヴァイン」414頁)

「ごく最近会ったばかり」だそうですよ。あと些細なことですが、どこにも「花輪」とは書いてありませんね。
丸亭玄人 |  2010年02月15日(月) 20:58 |  URL |  【コメント編集】

●ハルシオン

医薬品添付文書では販売は1983年4月に(0.25mg)
25才なんで4捨6入で前半にしたとか?無理ありますが
それにしても、国内販売開始と同時に耽溺というのも・・・
家が薬屋で入手が楽だったかも、
それでも処方箋いるは、向精神薬に指定されている医薬品なのに、息子が勝手にほいほい飲んでいたら、かなりまずいような・・・
とりとり |  2010年02月15日(月) 20:40 |  URL |  【コメント編集】

「きちんと調べ直してくださってありがとうございました」
って文章が抜け落ちちゃってました。
変にお気を遣わせてしまったようで、改めてごめんなさい。

追討も困りものですね。いったい何年続けていることやら。

あと、気になったのはいずれの薬も処方薬なのですよね。いくら実家が薬局でも処方箋が出ない限り簡単には手に入らないものですし、腫れ物に触る扱いの由来はここにあるのかも知れないですね。薬を「手放せない」程の状態が一定の期間続いたということのですから、その後も周囲の人間が気にせざるを得ないような。

いずれにせよ、謎ですね。
ねじ |  2010年02月15日(月) 19:48 |  URL |  【コメント編集】

>ねじさん
あ、いえいえ、私にお謝りになることは……。
スレへの書き込みがなかったら、そのままスルーしていた件ですので、私としては感謝するのみです。


唐沢俊一の塚原尚人氏への言及は、
http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-188.html

http://www.tobunken.com/diary/diary20011120000000.html
を参照していたときも、気になっていたのでした。
唐沢俊一が死者を「追討」するのは 2000 年の時点まで遡れるということを示す例かもしれないと思っています。
トンデモない一行知識 |  2010年02月15日(月) 00:27 |  URL |  【コメント編集】

●すみません

ハルシオンの販売開始を1990年と書き込んだのは私です。
お酒との併用など、問題が取りざたされていた頃の記憶が強く、比較的新しい薬だと思い込んでいました。当時upjohnに入社した先輩のあだ名が一時的にハルシオンになったりしていたこともあって余計に印象に残ってしまったようです。

自分の記憶に沿った記述を見つけて満足して書き込んでしまいましたが、これじゃ人のことは言えませんね。
これから気を付けます。

ねじ |  2010年02月14日(日) 22:47 |  URL |  【コメント編集】

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