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2010.02.07 (Sun)

どうしてエジソンについて唐沢俊一先生に聞いたりするのですか日テレさん

http://www.ntv.co.jp/don/don_02/contents_01/2010/02/post-75.html

「それって常識!クイズ"知ってるつもり"」
〈略〉
Q、発明王エジソンの名言。
  「発明とは、1%のひらめきと99%の汗」の意味は?
A、・エジソンが談話で語っているが、あれは記者が書き変えたんだと。
  言いたかったのは"99%の努力しても、1%ひらめきがないと
  発明はできない。ひらめきが大事ということ。 (コラムニスト 唐沢俊一先生)


日テレの番組『おもいッきりDON!』のサイトより。最初に2ちゃんねるのスレで情報を
提供してくれた人の書き込みは Read More を参照のこと。そこでもいわれている通り、
1月 30日の裏モノ日記で「某テレビ局インタビュー」とか書かれているのは、多分この
番組のためのもの。

裏モノ日記 2010年 01月 30日(土曜日)
http://www.tobunken.com/diary/diary20100130172514.html

1時、部屋で某テレビ局インタビュー。
1時間ほど。
仮仕事場のシチュエーションを絶賛してくれた。


しかし、この番組の名は『おもいッきりDON!』であって『おもいッきりDQN!』ではない
のに、どうしてまた唐沢俊一をここに使うのか、理解に苦しむ。

http://www.ntv.co.jp/don/don_02/contents_01/2010/02/post-75.html に載っている
他の Q&A を見ると、「缶コーヒーの容量表記は?」との質問に「全国清涼飲料工業会」
のような当事者っぽい人を選んでいたり、「『憮然』ってどういうときに使う言葉?」の質問
には「筑波大学名誉教授 北原保雄」のような偉い人に回答させたりしているのに。
「唐沢俊一先生」だけ、当事者でも関係者でも研究者でも専門家でも何でもない。

さて、「唐沢俊一検証blog」の「フラーアンニ、と同意。」のエントリーには、「まあ、ウィキ
ペディアに書いてあることそのままなのだが」と書かれている。確かに、以下に引用する
文章に書かれていることと似たようなことが、「唐沢俊一先生」の言葉として紹介されて
いる。……ちょっとイヤな気分になるのは、考え過ぎかもしれないが、出典は Wikipedia
だとは堂々といえないテレビ局が、雑学ロンダリングみたいな用途で「唐沢俊一先生」を
使っているのではないかという疑惑が頭をよぎるせい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン
>しかし、本人が後年語ったところによると、「取材した若い記者は私の言葉を聞いて
>落胆したのか、大衆受けを狙ったのか、努力の美徳を強調するニュアンスに勝手に
>書き換えて発表してしまった」ものであった。
>実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との発言だった。言い換
>えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」ということである。
>それこそが、竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続け
>るよう彼を支えたものであったと思われている。つまり、エジソンにはひらめきに裏付
>けられた確信があったのであろう[5]。
>最高級のひらめきは突然やってきては一瞬のうちに消え去ってしまうものが多い。よ
>いアイデアほど、自分の深層意識のより深いところからやってくるものであり、それが
>深ければ深いほど、表層意識では意識できないので、いとも簡単に忘れてしまうという。
>エジソンは、ペンと紙を常時携帯し、思い浮かんだ瞬間には面倒くさがらずに書き留
>めていた。ちなみにアインシュタインもメモ魔として有名であった[6]。
〈略〉
>5. ^ 出典: 浜田和幸『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』日経ビジネス人文庫、
> 2000年 ISBN 4-532-19020-7


しかし、2ちゃんねるのスレの「努力も必要なんだよ」との書き込みを頭において見直す
と、「唐沢俊一先生」の言葉はもちろん、Wikipedia の記述も、どうかなあと思えてくる。
出典が『快人エジソン - 奇才は21世紀に甦る』とか、題名だけで判断するのも申し訳
ないけど、何か微妙かなあという気がしてくるし。

ちなみに、英語版 Wikipedia の方の記述は、以下のみ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Edison
> "Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration."– Thomas
> Alva Edison, Harper's Monthly (September 1932)


もう少し詳しい記述があるのが、下に引用する Wikiquote。

http://en.wikiquote.org/wiki/Thomas_Edison
>・Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.
> ・Spoken statement (c. 1903); published in Harper's Monthly (September 1932)
> ・Variants:
> ・None of my inventions came by accident. I see a worthwhile need to be met
>  and I make trial after trial until it comes. What it boils down to is one per cent
>  inspiration and ninety-nine per cent perspiration.
>  ・Statement in a press conference (1929), as quoted in Uncommon Friends:
>   Life with Thomas Edison, Henry Ford, Harvey Firestone, Alexis Carrel &
>   Charles Lindbergh (1987) by James D. Newton, p. 24.
> ・Variant forms without early citation: "Genius is one per cent inspiration and
>  ninety-nine per cent perspiration. Accordingly, a 'genius' is often merely a
>  talented person who has done all of his or her homework."
>  "Genius: one percent inspiration and 99 percent perspiration.


「私の発明品のどれも偶然にできあがったものはありません。私は出会うべき価値の
あるものを理解し、それを得るまで試行錯誤を繰り返します。結局それは何かというと、
1パーセントのインスピレーションと99パーセントの汗なのです。

「天才は1パーセントインスピレーションと99パーセントの汗です。」 「したがって、'天才'と
はしばしば、単に自分の宿題を全部すませている、才能ある人にすぎません。」

……って、訳す途中で以下の 2 サイトを発見。同じようなことを考え、同じ文章の訳に
トライしているような……。

http://d.hatena.ne.jp/rhb/20090410
>「天才("a 'genius'")ってのは、たいていの場合("often")、単に("merely")才能が
>ある人("a talented person")が取り組むべき課題をすべてこなしている("has done
>all of his or her homework.")ってだけなんだよ。」
〈略〉
>まずは"I see a worthwhile need to be met"という「目の付けどころ」が大事であっ
>て、あとはそれが解決されるまで試行錯誤を重ねる("I make trial after trial until it
>comes")ってことか。うーん。でも、これなら、努力の価値は否定してないような気も
>するんだけど。まずはきちんと問題点を把握しておき、それに向けて試行錯誤していく
>んだよ、と当たり前のことを言ってるような。


http://www.tired-life.jp/old/282
>それについてこの友人が言ったんです。
>「日本人はそれを勘違いしているが、その言葉には前後の文脈があって、1%のひら
>めきがなければ、99%の努力に意味はない、というのが真意だ」
〈略〉
>しかし、その後にいろいろ調べた結果、友人の論も実は全然見当はずれということが
>発覚。発覚したことが2点あります。
>まず、「日本人は勘違いしてる」という点についてですが、勘違いしているのはあなた
>です。 外国ではむしろ友人の論を唱える人は少数派でした。
>そしてもう1点、肝心の真意ですが、友人の言う「前後の文脈」を見て分かりました。
>引用します。
>「None of my inventions came by accident. I see a worthwhile need to be met and
>I make trial after trial until it comes. What it boils down to is one per cent
>inspiration and ninety-nine per cent perspiration. 」
>(訳:私の発明で偶然によって生まれものは何一つとしてない。私はひらめきに出会う
>ため必要なものを知っており、そしてその発明ができるまで何度も何度も実験を繰り
>返しているのだ。天才は1%のひらめきと99%の汗から成る)
>私の訳で一部直訳が難しいので意訳しましたが、大意は通ると思います。
>さて、この前後の文を見て「1%のひらめきがないと99%の努力は意味がない」という
>意味にどうやったら取れるんですかね?


この線で解釈するとすれば、最初に引用した「唐沢俊一先生」の言葉に戻ると、「言いた
かったのは"99%の努力しても、1%ひらめきがないと発明はできない。ひらめきが大事
ということ」とかいうのはガセとみなしてよいだろう。Wikipedia の記述の方もまあちょっと
まずいのではないかという感じ。

つまり、努力の大切さのみばかりを強調するのは、なるほどエジソンの発言の意図とは
少しはずれるかもしれないが、「99%の努力しても、1%ひらめきがないと」との意訳は
飛躍が過ぎるということで。


しかし、2ちゃんねるのスレに書き込まれていた「リトルピープル」バージョン (?) の方を
とるとするならば、話は厄介になるかも。

「リトルピープル エジソン」で捜してみたかぎりでは、エジソンがこういう発言をしたとする
元ネタは、Wikipedia の出典としてもあげられている「浜田和幸著『快人エジソン』」のよう
なのだ。(さらに、それを村上春樹著『1Q84』に出てくる「リトルピープル」と関連づけて
いるブログその他も結構多い)。

http://www.radiance.gr.jp/mm/mm15.htm
> 今回は、あの発明王エジソンについての面白い記述を見つけましたので報告しま
>す。日経ビジネス文庫の浜田和幸著「快人エジソン」です。この本は、著者が実際に
>エジソンゆかりの地を訪ね、彼の書き残した日記や、彼を事直接知っている人から
>聞いた話を元にして書いたものだそうです。
〈略〉
> また、その延長線で、輪廻の概念を自分なりに追求しているのも 興味深い。エジ
>ソンの仮説は、人間の記憶は電子と同じような構造でできている、というものである。
>しかも、この電子構造物は、時空を超えて移動する性格のものである。また、他の宇
>宙からの知性を地球上にもたらす役割をも果たしている。そして、人間の肉体や魂に
>性格や知能を植え込む作業を繰り返している。それ以外には「自分の発想や発明
>の、真の理由が全く見当たらない」とまで言い切っ ている。エジソンは、これらの地球
>外生命に「リトル・ピープル・イン・マイ・ブレイン(私の脳に住む小人)」とあだ名を付
>けている。

> 世界の名言集に必ず出てくるエジソンの「天才とは1%のひらめ き(インスピレー
>ション)と99%の努力(パースピレーション) のたまものである」という言葉は、彼の
>本心通りには解釈されていない。この名言がいつ、どんな場所で語られたかについて
>は不明で ある。ただ、エジソンの日記を調べると、1929年2月11日、 彼の82歳の
>誕生日に、フーバー次期大統領も臨席しての記者会見ですでに一人歩きしていた名
>言の真意を明らかにしている。「それは赤ん坊の頭脳の中に天才を見いだしたこと
>だ。生まれたての頭脳ほどリトル・ピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、
>年が若いほど、自分の脳に宿っているリトル・ピープルの声に素直に耳を傾けることが
>できるのである。大人になってからでは至難の業になるが、それでも何とか1パーセン
>トのひらめきと99パーセン トの努力があれば不可能ではない」
>  それが、この有名な台詞の本当の意味するところであった。残念ながら、当時の新
>聞記者たちは、エジソンの真意を理解できず、「ひらめきだけでは天才となれず努力
>が肝心」といった勝手な解釈を一層広めてしまったのである。そのため、エジソンは
>後に、「たとえ1パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在を確認できれば、
>努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと。この発想の原点で
>あるリトル・ピープルの声、すなわち、1パーセントのひらめきが最も重要なのだが、皆
>このことがわからないようだ」と語っている。
〈略〉
> どうだったでしょうか、エジソンは輪廻転生や魂の存在を肯定していただけでなく、
>実験までもしていた。そして、ハイアーセルフのことを肯定しハイアーパワーという
>名前を付けたり、ガイドからのメッセージをリトルピープルからのメッセージとして肯定
>している。「エジソン文献研究プロジェクト」からの発表が楽しみですね。


……何か読んでいて頭がクラクラしてくるが、おいといて。

上でいうように、もしエジソンが「たとえ1パーセントでも、ハイヤー・パワーの知性の存在
を確認できれば、努力も実を結ぶ。それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと」だと
本当にいったとすれば、「99%の努力しても、1%ひらめきがないと発明はできない。
ひらめきが大事ということ。」という「コラムニスト 唐沢俊一先生」の言も嘘ではなくなる。

ただし、その場合、inspiration というのは、日常会話でいうところの「ひらめき」などという
生やさしいものではなく、「地球外生命」「ハイヤー・パワーの知性」といったものにより、
人類にもたらされるものということになる。

……まあ確かに、エジソンはオカルトに傾倒していたという話も、よく耳にするところでは
あるけれど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン
>エジソンにはオカルト・超自然的なものに魅せられていたという一面もあった。ブラヴァ
>ツキー夫人やバート・リーズの降霊術を信じていて、ブラヴァツキー夫人の開く神智学会
>に出席したこともある。また、来世を信じ、後半生は死者と交信する電信装置 (Spirit
>Phone) を研究していた。ただし、あくまでエジソンは合理主義者を自負しており、
>1920年代を通じて常に自由思想家協会を支持していた。


では、件の名言は、エジソンが「オカルト・超自然的なものに魅せられていた」からこそ
発せられた言葉――ということにして終わりにしようにも、「ハイヤー・パワーの知性」とか
いう文章の、元の英文がなかなか見つからないのだから困る。

「Edison "Higher Power"」で捜しても該当しそうな文章が見つけられないわ、「エジソン
ハイヤー・パワー」では「浜田和幸『快人エジソン』」のみを出典としているページしか
見あたらないわ……ということで、現時点では、やっぱりガセらしいということにさせて
もらおうかと。

さらに、先に述べた、どうして専門家でもない唐沢俊一に聞いたりしたのかという問題。
ネタが先行していたとすれば、放映にあたって誰かにお墨付きをもらおうとしたけれど、
大学の先生などにはすべて断られた――という推測も成り立つ。推測でしかないし、なぜ
浜田和幸に声をかけなかったのかという疑問は残るけど。


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Comment

>トンデモブラウさん
しかし、Wikipedia からでさえない、素人の唐沢俊一のいっていることを紹介って、さらにまずくないですか。前のコメントに書いたように、唐沢俊一=P&G王という認識を共有しないとしても、です。

まあ、他の件ならともかく、この件については、浜田和幸氏の独自説を紹介したといえるので、Wikipedia がどうこうという話とはまた違う問題を含んでいるかもしれません。Wikipedia はもちろん、一般人のブログでも、その多くは浜田和幸氏の名前をあげて紹介している話なので、唐沢俊一がいった、ネタ元が他にあるとは知らなかったでは通らないのではないかと思えてきました。

つまり、もしかしたら問題はガセかどうかというより、これは浜田和幸氏の本に書いてあることのパクリ (無断使用) ということにならないかと……。


で、浜田和幸氏って、幸福の科学の人だったんですかという問題も……。

http://ja.wikipedia.org/wiki/浜田和幸
>未来を創るエジソン発想法(幸福の科学出版, 2009年)
トンデモない一行知識 |  2010年02月11日(木) 18:44 |  URL |  【コメント編集】

>裏を取りましたよーのポーズ
じゃなくて、wikipedia丸写しと一緒の結果であることは自明なので、wikipedia丸写しでも同じですが、wikipedia丸写しだとまずいので、そうじゃなくて聞いたコメントを載せましたというポーズ。
トンデモブラウ |  2010年02月11日(木) 17:47 |  URL |  【コメント編集】

>トンデモブラウさん
雑学ロンダリング説があたっているかどうかはともかく、外部の人間にコメントさせお墨付きをもらうというのは、通常は責任の分散のためにやるんじゃないかなとは思います。しかし、その相手が唐沢俊一の場合、

>責任回避術という狡知にはたけている

の範疇に入るかどうか……。パクリとガセの P&G 王という共通認識をもたなかったとしても、裏を取りましたよーのポーズに使うには首をひねる人材ですよね。
トンデモない一行知識 |  2010年02月11日(木) 00:03 |  URL |  【コメント編集】

『雑学ロンダリング』というのはビンゴ!かもしれませんね。
流石、鋭い。
マスメディアもこういった責任回避術という狡知にはたけているんだよなぁ、困ったことに。
トンデモブラウ |  2010年02月10日(水) 11:33 |  URL |  【コメント編集】

>安岡孝一さん
>1931年10月18日付のAP電に載ってた文章

そうなのですか、ありがとうございます。(_ _) (_ _)

うーん、しかし、『快人エジソン』の中の「それがなければ、いくら努力をしても無駄なこと。」うんぬんは、この本の第3章に引用されている (といっても引用元は明記されていない) 部分なのですが、巻末の「参考資料」の「第3章」に「New York Times」はないのですよ。「1931年」の資料もなし。
トンデモない一行知識 |  2010年02月10日(水) 03:11 |  URL |  【コメント編集】

●Edisonの訃報

“I am convinced that the body is made up of entities which are intelligent, and are directed by this Higher Power.”ってのは、1931年10月18日付のAP電に載ってた文章だったと思いますよ。翌日のNew York Timesへのリンク(でも有料)を上げときますね。
安岡孝一 |  2010年02月10日(水) 00:41 |  URL |  【コメント編集】

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